はてなキーワード: 相互監視とは
それに対して政治への不満は大きい。
政治家の口先だけのパフォーマンスに見える、という意見にも納得感がある。
どうすれば、皆満足したのだろうか。
ネット上の多くの人が保証金を出せばというが、仮に出したとして出歩かなくなったのだろうか。
10万円を再度配るべき、という声もあり、仮にそちらも配ったとしよう。出歩かなくなっただろうか。
家の敷地から外に出ると罰金で、スマホで外出許可書を発行しないと買い物に行けない法律を作るべきだったのか。
なんなら大阪府、東京都への流入流出を自衛隊で完全封鎖、病室が足りないのも国が施設を買い上げて夜戦病棟を作れば満足のいく政策になっていたのだろうか。
道路に出る隣人を警察に通報すれば賞金がもらえるといった相互監視する法律を作ればよかったのだろうか。
VTuber好きくない
https://anond.hatelabo.jp/20210401154504
https://anond.hatelabo.jp/20210402121503
この2者はどっぷり日本文化に漬かっていて気づかなくなってるけど、
実はVファンに海外の人間が多いことによってグローバルスタンダードが垣間見えてきて
例えば
「○○ちゃん謝れてえらい!」
日本では大して褒めないちょっとしたことにもポジティブな反応を返すのは海外の特徴だ
というより日本が世界標準に比べて褒めなさすぎると言われている
その他
こっちも具体例が全然出てないけど、今までの本件関連の話から推測するに
日本の腐女子特有の学級会文化に否定的な反応を示していると思われる
んで、普段はてはーは「日本はネガティブな評価ばかりしたがるブラック体質」とか
「相互監視の村社会が悪い、発達障害が生きづらい」とか言ってるわりには
自分達のどっぷり漬かっている分野でこうした批判を応用する場面になると
こういう面、口だけじゃなく行動に出して世界標準に近づけるべきだと思うよ
もしも、公式のそんなページに荒らしコメントを書き込んだら消されるに決まっているだろ!
もうねアホか、バカかと
直後ならともかく話題になった後の段階で、そんなもんが見えるわけがない
ブロック覚悟で継続的に荒らし書き込みされまくるレベルじゃないと荒れているわけじゃないとでも言うのか?
実際、アフィサイトの自演なんだろうけど、確認先として元動画のコメント欄はまったく適当じゃないと思うんだよなー
ホロライブの場合はTwitterすらファンの相互監視がきついらしいが、Twitterか5chの方がまだ参考になるんじゃない?
自国である日本の問題に結びつけずに、他国である中国の問題にしか結びつけないことが問題だね、という話をしている。だから、ディストピアを自分の社会と連続性のある概念と捉えるためのディストピア発見実習をしようか、という話をしている訳だ。
学生が「中国の問題にしか結びつけない」かどうかは、学生とやり取りした北村紗衣先生本人しかわかんないことじゃない?いや本人にすらわかんないよね。元増田が書いているように、日本にも関連はあるけど、中国のほうが関連が強いという理由で、(日本については言及せずに)「ディストピア作品って中国みたい」って発言した学生がいる可能性が十分ある。なのに、学生が日本に結び付けなくて問題だって、北村紗衣先生が勝手に誤解してる可能性もありますよ。
「内容が中国より日本に合致するディストピア小説」の話だ、というのは増田が言い出したことで、saebou氏がいっていることとは関係ない。というか、とんちんかん。
そういう関係ないと決めつけて多様性を許さないのがディストピア。作品の内容との類似性より、自国である(他国でない)ことを絶対視しなければならないなんて、そんな決めつけが当然なの?読書は自分なりにできる自由なものだって、早稲田大学や高橋源一郎先生は言ってますよ(後述)。
ディストピア作品の内容が、日本より中国にあてはまってると考えた学生が日本と関連づけないのが問題になるのが、武蔵大学ってことなのかな。
(北村紗衣先生を「saebou氏」って書くの、すごいっすね。)
まず、ニュースピークや二重思考の話をしているから、具体的な例としてオーウェルの『1984年』が想定されているよ。具体的な例を挙げていないという批判は的外れ。
教えてくれてありがとう。ニュースピークによる語彙の制限は金盾、二重思考は社会主義市場経済とすれば、中国に当てはまるディストピア作品だから、学生が中国を挙げることは自然だね。もちろん、日本にも当てはまる事柄がないという意味ではなく、中国の方がわかりやすいという意味で自然だね。具体例があると、学生の考えに一理あることがわかりやすくなるね。
最近出版された「まんがでわかる 1984年」の宣伝では、中国にあてはめたり(支配層が都合のよい形で人々に「何が当たり前か」を刷り込み、疑問に感じる力を奪いながら、感情を「型にはめていく」様を描いた小説『1984年』。コロナ禍を経て、今一度、権力と個人のあり方について考える状況にあるといえます。今回のコロナの感染源・中国のITによる超監視社会は、『1984年』の世界を彷彿とさせます。)、日本のようだ(自粛・正義・幸福追求・相互監視の暴走!世界文学の名作を新解釈!まるで今の日本のようだ!)となってる。「ディストピア文学の読み方が分かってないですね。ディストピア文学は読み手がどこに住んでいようと、「今、我々が住んでいる場所」を描いたものとして読むんですよ。」という北村紗衣先生からすれば、宝島社は文学の読み方がわかってない(中国を思い浮かべた)担当者が宣伝してると断言していますね。
実際、1984年が共産主義国における全体主義の批判であるのは間違いないとしても、1984年がソ連とかの社会主義国とかだけの話で、西側諸国は関係ない、みたいな読み方されても、オーウェルも困ると思うよ。
そんな読み方を誰がしてるの?元増田は日本にもディストピア作品に関連する要素はあると書いてるし、学生は「中国みたい」と言っていても、「西側諸国は関係ない」なんて言ったとはどこにも書いてない。もし言っていたとしたら、それがわかるのは、北村紗衣先生本人だけだよね?
それに、作品を理路整然と解釈した結果、作者の意図と異なることだってあり得るのに、作者が困るから作者の意図通りに読まなければならない、って、武蔵大学はそんな権威主義の学問しか学べないんですか?
早稲田大学だと、「自分だけの読み方を見つけ、人を納得させる。「自由に読むことの楽しさと厳しさ」を学べる」のに。高橋源一郎先生は「個人が読むということは、僕は書くよりもクリエイティブなことだと思っています。そこには「社会」の「声」といったものがまったくない。「こう解釈されているけど、僕は違う」と読むようになることが「何かを読む」ことじゃないかと思うんです。」と話しているのに。
で、誰とも知らない学生がディストピアを日本にあてはめないと先生が愚痴っていても、どの学生にも不利益ないよね。どこがディストピアなんだろ。言葉尻をとられて混ぜっ返しても意味ないよ。
二重思考ができてるね。(支配層が都合のよい形で人々に「何が当たり前か」を刷り込み、疑問に感じる力を奪いながら、感情を「型にはめていく」様を描いた)小説『1984年』を教材にする北村紗衣先生(支配層)が、ディストピア作品は日本に関連付けるのが当たり前だということを刷り込み、中国みたいと思う学生の感じる力を奪うんだから、リアルディストピア。これがノンフィクションってやばみしかない。これが学生の不利益ではないって、二重思考すげえ。
あ、学生が日本と関連付け(られ)なかった理由がわかった。「1984年って、武蔵大学を描いてて、北村紗衣先生がビッグブラザーですね」って、もっとも身近な事柄に関連付けたら、単位もらえないもん。学生さんも二重思考を身につけなきゃですね。
北村紗衣先生のやりたいディストピア発見実習って、松任谷由実さんでおなじみ京都精華大学白井聡先生の単位のために学生に忖度させるパワハラみたいに先生のご機嫌取りになるだけでは。学生さんかわいそう。
古い映画だけど日本の「刑務所の中」って映画に出てきた刑務所と比べると雲泥の差というか、本当に日本の刑務所は更生を目的としてるんだなあって思う
集団で行動させて相互監視させて、仕事や適度な運動と十分な食事を与えて、それでも再犯して戻ってくるやつがいるから難しいんだろうけど
アメリカは金があれば何でも出来るっていうけれど、いつ殺されるか分からない状態で何年も生活してらんないし、日々の食事は糞不味いらしいし(全部の食事をぐちゃぐちゃにして固めて真っ黒に焼いた刑務所ケーキなる食事とかドン引き)、そもそもまともに教育や社会生活をしてないストリート育ちの人間があんな刑務所で生活して、仮に出社してもまともに生活できない気がするんだけれど