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はてなキーワード: 相互とは

2020-06-04

続:あつ森を楽しめない自分人類の仲間になれない

以前の増田のものです。

少し付け足します。

自分クエストとかお遣いとかストーリーに沿った動きが好き、というわけではありません。まったくそういうものがない某ゲームにはまったこともあり、自分がしたいことを目指すのが嫌いなわけではないです。

ただ、あつ森は創造的なものをする土壌とは思えなかったのです。どこまでいっても作業の積み重ねです。箱庭ゲーの特徴かもしれませんが、結果は作業時間に比例します。つまり作業を多くすれば結果は伴う反面、工夫の余地があまりありません。また、どこまでいっても蒐集の域を超える物ではありません。庭や建物を作るにしても、それらが相互に影響し合って予想もしないことに繋がるかと言えばそんなわけではないですよね。例えばマリオメーカーマイクラのように、計算機を作るといった芸当はありません。

ポケモン世界観を作る人は本当にすごいと思います。少ないものアーティスティックなことをするのは素晴らしいと思います。だけどそこまででなければ自己満足世界です。その自己満足世界を形作るのには徹底的な作業ゲーでしか到達できません。その作業ゲーには住民との会話が含まれ、それが少しでも面倒になったらこゲームは木を切るか石を割るか釣りをするかしかない単調極まりないものに変貌します。

資格勉強のために漢字練習帳を埋めるような行為だと私は思いました。いったいこのゲームはなにを目指しているんだろう。自分の見えないものを他の人は見ているんだろうか。

横にずれますが、某ゲームでは現実フィールドアーティスティックな絵を描くことが可能であり、それを利用した協力プレイをよくしていました。そのゲームでは自身の動ける範囲選択肢がとても限られる上に、1ワールドゆえに他者から妨害を受ける可能性が非常に高いのです。よって時間をかけて一つのサーバで大作を作る、ということは不可能であり、覆って一瞬で作業を行うために綿密な作業行程の周知や様々な協力をする必要があるのです。

ゆえにそのような協力プレイは総プレイ時間ゲームの腕前はあまり関係なく、むしろ社会での能力現実空間でどれだけアクティブに動けるかなどが求められます。ようは結果ではなく過程や準備こそが重要でした。そこにあらゆる可能性があったが故に面白みがあるのです。

しかしあつ森のような、自分の閉じた世界だけで満足しなければいけないゲームでは、結局プレイ時間を増やさないとやりたいことが一切できません。また街を発達させることこそが至上命題のような節があり、そこが自分に一切合いませんでした。だって家具家電や住人に特に面白みがないのですから

逆に好みのアイテムがあればそれでよかったかというと、そんなわけでもありません。そもそも蒐集が得意ではないのです。

単調作業の繰り返しでも面白ゲームはたくさんあります。ただ、あつ森にそれはいらないかなと。あえていうと青バラの要素が無数にあったら楽しめたのかもしれません。

anond:20200602145522

2020-06-03

anond:20200603102122

システム上、売り手と買い手の相互評価完了した時点で取引完了→売り手に入金というプロセスなので、

買い手が問題なく商品を受け取ったのにあえて評価しない=売り手への入金を遅らせたいってことだから

2020-06-02

anond:20200602101401

最近は、以前に比べ毎日新聞ホッテントリにあがって来ることが増えてきたと感じる。

毎日は同じ左翼紙に分類される朝日と比べても、より反政権色が強い記事が多く、

それをはてサ諸氏がブックマークする事で相互補完される関係を作っているように見える。

毎日は、はてサ諸氏が気持ち良く酔えるストロングゼロのような存在なのだろう。

anond:20200602110656

やはり、こんなに島つくったぞ!? すごくない!?

をやる相手がいないと、結局はルーチンだけが残る。

フレの島相互訪問の機会を設けたいところだな。

Vtuber事務所3社(カバー、いちからアップランド)の管理機能に関するログ

バーチャルYouTuber事務所3社(カバー、いちからアップランド)の管理機能に関するログ

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田角陸くんがいちからを始めた年齢の時にスタートアップ首になったワイ、格差に震える

一般的に社内法務弁護士資格法学部出身部長を置く会社大企業でも少なく、じゃあ誰が

リーガル担当するの? となると総務になる。労務も法知識が要るのでセット運用

いちから管理本部長にPwCあらた出身公認会計士を据えていて強い。通り一遍やれる

部下のアラートを拾って他の経営幹部に共有できる資質がありそう(現場では煩わしくいわれるが)

一方でカバー現場あがり半分、投資家半分と歪な役員構成をしとる。管理責任者がおらん

社内のリーガルチェックの仕組みが人事から見えてこないんや。

後者2人はTwitter見る限りリスクを厭わない性質から歯止めにならん。ビジネスポエムばっかりなやつは信用ならん(個人の感想です

現場2人も元は雇われプロデューサー

管理部門不在で起こるべくして起きたとしか思えへん。営利利用許可も、夜空メルの件も

判断を下すための法知識を持つ幹部がおらんから右往左往する

アップランドカバーと似たような状態で総務求人乱発しとったのを思い出す

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じゃあ法務確立されていればガバナンス大丈夫なんか?といえば当然違ちゃう

オタク界で有名な事例として、スクウェア・エニックス著作権法違反容疑で家宅捜索ってのがあった

よりにもよってコンテンツ屋さん版権屋さんが著作権法違反容疑とか、前代未聞の珍事や

この事件はなんで起きたのか? スクエニには立派な法務部があるのに

これはスクウェアエニックス合併したときの話なんやが、法務ゲーム部門よりの監査ポジションになったらしいな? 知らんけど

ほんでこのときガサ入ったのは出版部門で、法務部様の威光が届いとらんかったと聞いてる。相談体制も甘かったし強制力もなかった

なんでこんなことになったのか、これは現場判断でどうにかなる問題ではない

出版事業担当役員現場運用落とし込むか、役員全体の判断法務部の管轄を整理せんとあかんかった

これも起こるべくして起こったインシデント

日本やと法務含む管理部門役員も舐められてる、まあ業務を知らん、相互理解が招いたこなんやけど、

それだけ指揮権を発揮する担当役員大事やし、スタートアップくらいの小さい会社やと役員構成から事業状態が透けるんやなって

2020-05-30

anond:20200530175456

一部に負担させたらそれはそれで分断では

そもそも待遇が悪い方の改善使用者に求めていくべきでしょ

労働者相互間で融通し合うとか雇用側の思う壺すぎるのではと

NATROM氏とマスク

マスクなんてなんの効果もねーよ本当に日本人バカだな、と、長年考えてきたが、この度のコロナ騒動を見てるうちに考えを変えました。案外意味あるんじゃなかろうか。


NATROMブログ20200327:布マスクはないよりマシなのか?
http://natrom.hatenablog.com/entry/2020/03/27/111040


「症状のない人がマスクをしてもよいと個人的には考える」何故なら「たとえば満員電車内において、マスクも何もしていない目の前の人が咳をするかもしれないのだ」とある


自分から人に移すことを「加感染」、人からもらうことを「被感染」と呼ぶとしよう。NATROM氏は「マスクには(場合によっては)被感染抑止効果がある」と考えていることになる。同時に「マスクも何もしていない目の前の人が咳をする」のはヤバイ、との記述から、「マスクには加感染抑止効果がある」と考えていることも明白だ。つまりNATROM氏的に、マスクには相互感染抑止効果があるのだ。


にも関わらず、何故かNATROM氏は、マスク否定的スタンスを崩さない。効果も考えられるがデメリットもあるでしょ、と記事は続き、「マスクの外側は汚染されていると考えるべき」なので、「無意識にそこを触ると手も汚染される。その手で物体表面を触れば汚染させるし、鼻や口をマスクでガードしていても目をこすれば感染する」という。この「と考えるべき」と、「かもしれないのだ」の使い分けがよくわからない。


A:満員電車で目の前の人が咳をするかもしれない。
  マスクの外側は汚染されていると考えるべき。
B:満員電車で目の前の人が咳をするかもしれない。
  マスクの外側は汚染されているかもしれない。
C:満員電車では目の前の人が咳をすると考えるべき。
  マスクの外側は汚染されていると考えるべき。
D:満員電車では目の前の人が咳をすると考えるべき。
  マスクの外側は汚染されているかもしれない


という4通りの順列組み合わせがあり得る中で、どうしてBCD却下され、Aを採用するのか。「マスクなんて大した効果あるわけねーじゃん」という思い込みを守りたい、という以外の理由を、思いつけない。


ついでに言うと、「マスクの外側は汚染されていると考えるべき」だとすれば、マスクしてなかった場合には「口や鼻の周りの皮膚も、唇も汚染されていると考えるべき」なわけで、比較的にどっちがヤバイかと言ったら後者じゃないだろうか。

2020-05-29

アメリカ黒人差別

アメリカ白人警察官黒人殺害デモから暴徒化というのが近年よく見る流れとなっている

なぜ白人警察官黒人殺害してしまうかというと白人黒人に怯えているからだ

白人黒人殺害黒人デモ(暴徒化)→白人がそれに怯える→警戒心から白人黒人への締め付けが強くなる→白人黒人を…という流れ

日本からでは分かりにくいか結局の所アメリカ国内人種間の相互不信が根幹にある

最早どちらが先に発生したかは分からない

アメリカ根深い分断は決定的な所まで来てしまっている

anond:20200529115313

ソーシャルってのは相互に働くもんだろ。

自分の気になる記事自分ブクマ」「他のユーザーの気になる記事自分ブクマ」「自分の気になる記事をほかのユーザーブクマ」、

どれも別に否定されるもんではない。

相互の部分をなくせば、お前の見える世界は狭くなるぞ。

2020-05-28

anond:20200528033945

そもそもLGBT=リベラルと思うのすら間違ってる

レズは知らんけどルッキズムマチズモ支配されてるゲイばかりだし当然ミソジニストも少なくないし性的問題以外にはすごく保守的差別的だったりもする

もちろんリベラルLGBTもいるだろうが別に相互承認しあう関係性ではない

2020-05-26

3年以上続けたTwitter放置垢を消そうかなって話

私、絵を描くオタク腐女子アカウント移動してそろそろ一年くらいの放置垢がある。

そのアカウント結構運用当時はフォロワーが多くて、最大で5000フォローくらいいった。ジャンルの勢いもあって、楽しいイベントも沢山で、毎日が楽しかった。描くもの描くもの全部が伸びて、ちっぽけだと思ってた自分に初めて自信が持てた。沢山の下駄を履かせてもらって、普通じゃ話せないような絵の上手いプロオタク、遠くにいる話題が合うオタク交流もできていた。

でも、じわじわと嫌なことも増えてきた。作品の内容を叩かれたり、とくに心当たりもなくフォロワーに避けられたり、ブロック解除をされたりすることが多くなった。仲が良いと思っていた人に匿名悪口を言われ、何を信じて良いのかわからなくなった。

から特に前触れもなく、5000人のフォロワーを捨てた。名残惜しくて、すぐにはアカウントは消せなかった。大好きな作家と、お知らせでついてきてくれたごく少数のフォロワーだけで、この一年間細々とやっていた。

絵だけのアカウントも作った。そこは、フォローは一切せず、日常も喋らない。自分の絵だけを淡々と上げるアカウントだ。1000人くらいはついてきてくれたけど、もう何を描いても、本当にたまにバズったとき以外は、常連さんしか見ていないような、そんなアカウントになった。

今日、久々に気が向いたので、昔のアカウントを覗いてみた。フォロワー数は4700人。もう一年更新してないのに、たった300人しか減ってないことに、驚いた。

あのころ、叩かれて憔悴しきってた私は、アカウント移動したら自分価値ゼロになると思ってた。5000人全員に嫌われて、みんなが指差して笑っていると思ってた。でも、違った。多分本当に私を嫌っていたのなんかごく少数の人間で、その他4700人にとっては、私は嫌いではない。もしくはいてもいなくても何の支障もないどうでもいい人間だったということだ。

フォローは、50人くらい減っていた。フォロワー数の減少に比べると、割合は多い。これは新アカフォローしたあとこちらを外した人数も含むから、仕方ないと思う。でも、今でもこのアカウントフォローしてくれている相互殆ど最初にお知らせしたときについてきてくれた人ばかりだ。そういう人たちに動かないアカウントフォローしてもらってるのもなんだか申し訳ないな、と、しゅんとしてしまった。ついてきてくれた人は、約300人。減った人数とほぼほぼ一緒だ。

ふと、世界の人の心の動きをわかりやすく伝える定説を思い出した。5パーセントの人は、私が何をしていても好いてくれるけど、5パーセントの人は、私が何をしていても嫌う。

残り90パーセントの人たちはそれ以外。私のことなんか、どうでもいいんだ。

何人フォロワーがいても、私のことをどうでもいいと思う人数なんて変わらない。いかに私を好きだと思う人を大切に思うかが重要か、なんとなく思い知らされた瞬間だった。

そういえば最近、絵で仕事を貰えるようになった。5000人フォロワーがいてもみんなに嫌われて評価されないと思ってた私は、今ではちゃんと、世の中に必要とされている。Twitterフォロワー数は二桁だけど、私の絵は、たぶんどこかで沢山の人に見てもらってる。(評価されてるかどうかは、ダイレクトには伝わってこないけど)

来月からは、世界中で大人気のコンテンツに、一スタッフとして加わる。

あれだけ自分目標とする対象評価されずに泣いて泣いて、愚痴を言っても誰にも聞いてもらえずに一人で寂しい想いをしていた私が、日本人じゃなくて、世界相手に、評価される土台に上る。

たぶん、あのころ私を嫌っていた日本人作家は、日本評価されないか世界に行ったのかよwwwって笑うんだろう。

でも、いいんだ。だから私は小さな世界固執するのをやめた。外国語勉強して、読み書きを出来るようにした。どんなに難しいビジネス文章が来ても大丈夫。それはフォロワーの数よりずっと、大きな私の自信になった。

5000人に嫌われてるって泣いてた私、頑張れ。世界は広いよ。今は10億人が相手だ。5000人全員に嫌われても、それ以上の人が私を見てる。だから大丈夫

からもう、このアカウントは消してもいいかな。

そう、思うんだ。

少し話題がずれるけど、最近、たった数十人のアンチによって、心を病んだ女の子自殺してしまったニュースを見た。

の子は、かつての私かもしれない。

自分価値アンチコメント一つで揺るがないと今では知ってるからこそ、悔しい。

からこそ、私は今の想いを言葉にしてみようと思った。ただのいちゃもんに負ける人が一人でも減るように、数の呪いに惑わされないように。

フォロワー数は諸刃の剣だ。自分好意的な人数でもないし、敵対心を向ける人数でもないのに、自分の心のありかた一つで、王様にもなれるし、世界一の嫌われ者にもなれてしまう。

アンチコメントに苛つくのも勿論だけど、私たちが知るべきなのはアンチコメントへの対処法でも、心の守り方でもない。

私を常に評価して、好きになってくれる人を探す。その人のために、誠実に生きる。

本当のネットリテラシーって、そういうことなんだと思う。

数は強さでもなんでもなく、ただの数だ。その向こう側にいる人間を想えるかどうかのほうが、重要だ。

バズることが金になる。権力にもなるし評価にもなる。

こういう時代からこそ、大切なのは数より一つのコメントより、心のありかたなんだよって、どうやったら呪いに囚われて苦しんでる人に伝えることができるのかな。

悔しくて、涙が止まらない。もう、命は絶対に戻ってこない。

アカウントなんか消してもいいんだよ。何人に悪口を言われても、好きに生きてもいいんだよ。

世界にはもっと沢山の人がいて、見に行く努力をするだけで、悪口まみれの狭い世界は、あっという間に過去のものになるんだよ。

死にたい人ほど、虚栄心を捨ててみてほしい。評価を手放して、数から解き放たれてみてほしい。

そんな狭い世界で、自分を値踏みしなくてもいい。

ありのまま自分必要とする人を見つけにいく。

必要努力なんて、いつだってそれだけだ。

私はそう思います

2020-05-25

anond:20200525021541

Twitter Great RSS https://twitter-great-rss.herokuapp.com/

TwitterRSS化できる。反映が少し遅い気がするけどリーダー問題かもしれない

用例.jp http://yourei.jp/

そのまんまで、日本語の用例を検索できる。アドレスバーに「用例.jp」と入れてもつながらないので注意

カーリル https://calil.jp/

図書館の蔵書と貸し出し状況を横断検索できる

IMSLP https://imslp.org/

自由に使える楽譜とか録音の保管庫。その性質クラシックが多い。基本的カナダ著作権法に準じ、たまに日本著作権が切れていない場合があるので要注意

J-WID http://www2.jasrac.or.jp/eJwid/

音楽著作権の状況を確認できる

Shazam https://www.shazam.com/

スマホアプリで、流れてる音楽を聴かせると曲名を当ててくれる。鼻歌から当ててくれるわけではないが、なかなか高精度で、履歴PCからでもアクセス可能。聴き取った曲をSpotifyプレイリスト化させることもできる

Forvo https://forvo.com/

単語発音を知りたいときに便利

Todoist https://todoist.com/

todoリスト管理ができる。少し前(2017年?)からGoogleカレンダー相互同期できるようになってる

Eversync https://www.everhelper.me/synchronizer.php

Xmarks代替ブラウザブックマークを同期できる

anond:20200525134800

一応言っておくが、削除しても通信記録は残るから

相互に調べたら投稿者は判るぞ

無敵の人さんよ

2020-05-24

クソ曲ってある?【追記あり

※ほぼ主観です。具体的なソースは出さない点、申し訳ないです

クソゲー、クソ映画、クソ漫画、クソアニメ

広く流通しているエンタメコンテンツ各種の中で、

音楽楽曲一般的上記のような表現酷評されるのは稀、というかほぼ見ない気がする。

もちろん、某アイドルグループ楽曲とかが定期的に炎上したりしているけれど、それは楽曲とりまコンテキスト含めての評価であって、

楽曲自体ひとつ創作物としてみたとき芸術的価値はさておき、その造形の完成度の水準で貶される状況は、

既存楽曲に似ている/盗作である

ボーカル歌唱力が低い

くらいのモノサシくらいしか思いつかない。前者については、ちょっとこれもコンテキスト領域評価で、造形そのものの完成度の評価とはやや次元が異なる。

歌唱力については、マスタリング過程リズム音程ともに補正できちゃうのでそもそも問題になることは特に近年は稀に思える。

自分の知る範囲でクソ曲としてよく挙げられるのは

The Beatlesのオブラディオブラダである、というのは何となく知っているけれど、

イギリスはじめ海外はいざ知らず、日本において本曲がクソ曲として扱われるということはなく、

しろかなり人気のある部類だろう。イントロピアノはさすがにどうかと思うけど……。

(もちろん英国本国でも批評家のぞき一般的には人気がある可能性もあるけど)

日本でも宇多田以降、一時は「小室ファミリー」的なる状況が邦楽音楽の水準を下げた、あるいは多様性を失わせたみたいな言説があったように思うけど、ある楽曲単体の出来の巧拙の具体的な評論評価があったかは思い出せず。

映画ゲームが、コンテキスト抜きでパッケージングされた創作物としての評価

カジュアルに「クソ」の烙印を押される一方で、少なくとも日本においては楽曲がそれらの評価から自由なのはなぜだろう。

いくつか仮説を考えてみた。

コンテンツ価格が各種エンタメの中で低く、拘束時間も短いため、損を感じにくい

音楽言語と相性が悪く、そもそも評論と不向きであるコンテキスト抜きでの楽曲評価の知見が不足しているか広く共有されていない

コンテンツに関わる人数が比較的少なく、クオリティコントロールが容易

●最低限リズム音程破綻していなければ視聴する人間不快にならないのかも

視覚的な表現に対して、聴覚依存する表現リテラシーが低い(というか生体的な感覚器の精度が視覚と比べてやや大雑把な可能性)

●「ヘタウマ」という言葉がある通り、実は表現巧拙はそこまで重要じゃない(この辺、おとなりの国と結構対照的な気がする)

●「実験作だから」と言えば何でも許されるスキームがある

と、何となく考えたところで、日本において(ある程度名の知れたアーティストリリースした)クソ曲って存在するもの

また、楽典とか音楽の専門的教育を受けた人からすれば、実は楽曲の造形的なよしあしって明確に見えてたりするものですか?

(展開/フレーズ効果のあるなし/要素の相互関係など)

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【以下追記】5/25 0:50

予想外に伸びててびっくりした汗

読み返したら超読みづらい上に誤字脱字多く恥ずかし…

トラバブコメ感謝です。めちゃ勉強になりました。ありがとうございます

もう事実上活動していないあるバンドのある楽曲がめちゃくちゃ好きで、

というかひとつ作品としてものすごく美しさや言っちゃえば聖的なものさえ感じるのだけど

自分にはそれを言語化することが一切できなくてずっとモヤモヤしてて。

ボーカル音程危ういし抜けが悪いし、サビらしいサビもなく(10分ほどある曲のうち多分半分もメロディーラインがないのでは)

個人的にはすげー好きな展開も冗長といえば冗長かもしれずで(天国への階段いかも)

多分何てつまらない曲なんだと感じる人がほとんどだろうなーとも思うわけです。

5月末の何日だかがそのバンドボーカルギターの命日だもんで

毎年この時期になるとその曲の凄みみたいなものを何かしら言語化できないもんかなと思いつつ、

やっぱ無理ね、となるのです。

楽曲言語で評するって難しいなーと思うと同時に、

じゃあ明らかに作品として不出来と評されている楽曲って流通してるもんかな(自分は知らないので)と疑問に思い

増田投稿した次第でした。

ただクソ曲っていう強く不快ワードしたこと反省してます…。

特に音楽業界の方申し訳ないです。

2020-05-20

若い郵便局員でやや不快に思ったことと、彼から学んだこと

今日、遠出がてらやや田舎郵便局を利用してみたのだが、

態度が非常に悪い見た目ヤンキー上がりの郵便局員がおり、

こちらが現金書留(大した金額じゃないのだが)を送ろうとしたところ、

まるで犯罪者を扱うような態度でまあなんというか一言でいうと、

人を不快にさせる人間であった

彼には、人間はその学んだ範囲しか世界を見られない、ということを教えてもらった気がする

たとえば彼が仮に宗教団体だとか民族団体出身で、

犯罪住居侵入だとか窃盗)を常識だと思って生活してきたのであれば、

その人にとって犯罪から無縁の、相互に信頼ができる人間同士による

理想の世界永久想像ができない

その育った環境と、属する枠組みの中が世界のすべてだからである

理想の世界想像ができないということは、永久に見ることができないということである

人は自分自身想像範囲世界を見ている、ということを再認識した

何がいいたいかというと、若いころからその世界を超える努力をしなかった人には、

例えば客を疑心の目で見る田舎郵便局員、という世界しか設定できないのである

例を出してみると、矢沢永吉さんや氷室京介さんなどは数十億円の資産があるが、

彼らは若いころは非常に困窮した環境だったり、あるいは喧嘩に明け暮れていたが、

そこで例えば「とりあえず公務員は安定だよな、近くの郵便局就職すれば一生楽だろう」

という世界を設定したのであれば、おそらく今はその通りになっているはずである

自分はどうも歌がうまいようだ、とりあえずこの歌の世界を突き詰めてみるか」

と設定したことで、皆さんもご存じの通り、ソロ東京ドームを満杯にする人間になっているのである

どちらが良い悪いということではなく、各個人選択である

たまたま入った一人の客を不快にさせる程度の基準にするか、それとも、

3万人を同時に歓喜させる基準にするか、という世界の設定の違いであ

anond:20200520172305

福祉っていう側面も確かにあるが、フォード従業員工場労働者に高級を与えることで、車を通勤に使える市民を"生産"したように、一方的な慈悲とか救済とかお情けみたいな話ではない。相互依存的だ。

 

結局のところ、エリートであろうとすればするほど"給料泥棒"の世話をみることで稼ぐしかないのであって、給料泥棒存在感謝すらしないといけないのかもしれない。

2020-05-19

断言アスペ世界を作る

最近三国志にハマってるんだけどさ、調べれば調べる程登場人物が有能系アスペに見えて仕方がないんだよね。言ってる事もやってる事も「ん?」って感じなんだけど、それで貫き通して結果が出てる感じ。

でふと思ったんだけど、現代だとネットビジネス系、ちょっと前だと新興宗教とかアムウェ○イみたいなさ、「こうすれば貴方人生最高になります!間違い無いです!」みたいな相互洗脳集団みたいなのって、英雄がやってた事と同じだったりするんじゃないかな?

今でこそこういうのは怪しい!おかしい!っていうのがネットですぐ共有されてハマる人も少なくなってると思うんだけど、当時は無かったしなあ。

anond:20200519021342

直訳すると「こだまの部屋」。

自分の声に影響された誰かが発した言葉を聞いて、やはりみんなそう思ってるんだ!みたいになる現象ね。

はてなユーザー同士の相互影響が長く蓄積しすぎて、「異質な他者の声」を聴く装置としては機能不全になったるってこと。

2020-05-17

anond:20200517124819

なるほどですね

まあ良い方向に解釈すると、「会社家族的」であり「つながりがあるから家庭においても責任を負う」みたいな感じで、家庭と社会という相互連携がうまくいくシステムじゃないかなとおもふ

今の時代テラスハウス()とかあいのり()みたいな幼い学生恋愛の延長で結婚するといういめーじ

若者社会責任をおってた先輩方をみならえよと思う

2020-05-16

anond:20200516171419

元増田だけど、こういう反応があると思ってた。


自分とは異なる意見を述べた増田個人を”キチガイ”という蔑称で呼び対話さえも無意味だと自己判断する人。

勝手に一括りにされたと考える個人集団相互矛盾した状況になったとき、やはりお互いに”お前はキチガイだ”、”いやお前こそキチガイだ”となるのだろうか?


ブコメでも「だからこそシステム改悪する癌は切除しなければならんよ」とお互いに論争し選挙で争う民主主義的なものではなく

”癌は切除”という粛清テロを思い出させるような表現になるのは何故なんだろうか?

anond:20200516160613

勝手他人を一括りにして「集団」をつくりだしその中で相互矛盾があるから独裁者になるとか言い出すキチガイ

2020-05-15

ぼくの考えたあたらしいニューノーマル

2020-05-13

プライベートコミュニケーションにおいて(知的)自信を与える

公的私信

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tl;dr

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前提

  • その場で個々人が「自信を与えられた」「自信を傷つけられた」と感じること自体相手によって尊重されなければならない。「あなたがそう感じるのが誤っているのだ」という考え方は、そこにどのくらいの誤解や無理解があるかに関わらず、表題文脈において無意味である

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「ある男がパートナーの女の(誤った)発言に対して毎回優しく肯定的に応じたのち、間違いを説明する」というカップルの在り方について、「優しく肯定が入る方が女性側の立場として自信が得られる」という考えについて。

基本的にこの構図がお互いの認識になること自体が mansplaining さがあって嫌なのだけど、それは表題文脈の下では脇に置いておいて、そこでの選択肢として、{肯定的/否定的}に応じ間違いの説明を{しない/する} という4通りにおいて、{肯定的, する} というのは確かに望ましい。まず、批判非難の違いが一般理解されにくいのは、批判否定的な口上は例えばその場が学問であるといった「場」があることで信頼が支えられていて初めて機能するので、それ以外の場で批判(正/偽)と非難(善/悪)が混同されることがあるのは、必ずしも混同する側が悪いわけではない(cf.SPEED今井絵理子議員の「批判なき政治発言)。その意味で、プライベートコミュニケーションにおいて、{肯定的/否定的}というのはニュートラルではなく、肯定的の方が心理的効果として望ましいといえる。また、毎回間違いの説明をすることは、毎回間違っているということに気づかされることになり自信を喪失しうるが、指摘しないままにパターナリスティックに傷つきやすにの配慮して放置することは相手反論したり、追加情報提示したりといったことを通して「相手の方が正しかった」という可能性に賭けないということであり、他者としての尊重に欠けるばかりか、相手の成長の機会をも奪うことになる。ただ、陰謀論的だったりオカルト的だったりといった特定バイアスを含む情報ばかり拾ってくることは、一朝一夕改善するものではない。そうならないためには相応の努力知識必要なのであって、場合によっては、ずっと同じ構図を繰り返しその構図がお互いの認識になるということが生じてしまうかもしれない。そのどうしようもないギャップを、他の側面で補うことで相互尊敬を維持できるならば、これは問題として前景化しないかも。でも、その切り分けをせずに、繰り返し続けている誤りについて、口上のオブラートごまかしたとしても、少なくともそれは知的自信の向上までにはつながらない。自信を支える相応の能力実践、もしくは基礎的な肯定感が必要である

ここで、「もしくは」になるのは、「自信」の性質に拠る。(上のような話をしておいてリテラシー低めの引用をするのは気が引けるが、読みやすさを重視して、参考: https://diamond.jp/articles/-/78423?page=4 )自信を得るのに能力や実績が有効ではあるが、能力や実績がなくても自信が得られないわけではない。生来自己肯定感などによってそれは変わる。逆に言えば、そこが低いと、小手先で何をしたところで、自信は低いままにもなる。病的であれば、薬によって脳内神経伝達物質バランス改善を図るということも視野に入れるべきであるしかし、そこまででないならば、「他の側面で補うことで相互尊敬を維持」という意味で「愛されている」という実感による基本的肯定感の向上などが有効でありうる。逆に言うと、自分を愛さな人間と一緒にいることは、自己肯定感の側面からかなり危ない行為であることに留意したほうがいい。ここで、愛も、条件付きの愛とそうでないものがあるが、条件を、性的ものや、ある1つの能力的なもののように一側面の条件に頼っていると、それは脆弱になる(というかそれは愛ではないと思うが)。条件付きであっても、それは、条件と等価以上に為されるものであることで(cf. 信頼と信用の関係、『信頼の構造』を想定しているけど、アドラーでもなんでも同じようなこと言ってる) 肯定感を支える愛になりうる。

少し話をもどして、プライベートコミュニケーションにおいてそもそも正しいことが必要かどうかというのも一考の余地はある。例えば、「今日は空が赤いねぇ、不吉な感じすらするねぇ」という言葉に対して、「空は予言能力はない」なんて返したら、その返しすらギャグである場合を除いて、「科学的に正しいこと」に重きを置きすぎていると言われてもしょうがないだろう。いつもいつも科学的な正しさを持ち込むべきではない。一方で、「〇〇という薬が効くそうだよ!」という言葉に対して、「それは××という危険性が指摘されていて安易に飲むべきではない」と応じることは、プライベートの場面であるとはいえ、いやむしろ、服薬するという最も実践的な場であるからこそ、科学的正しさが適切に活かされなければならない場面である政治的な発言については、例えば「#検察庁法改正案に抗議します」とだけ呟いた芸能人に対して「なんも分かってないだろ」といったクソリプが相次いだけれども(それ自体は具体的ではない発言に具体的ではない形で具体的発言のなさをなじっていて全くクソリプしかないと思う)、そこで立法の背景の正当性についてどう思うかと問うこと自体は(数の暴力を伴わなければ)議論を深めるために民主主義的には望ましいコミュニケーションである。それがTwitterのようなパブリックな場ではなく、プライベートコミュニケーションにおいても同じく妥当する。ただ、政治的な話をすることというのは、それ自体が嫌がられるし、議論となるともっとそうだ。特段の配慮必要でもある。学問的な話なら、それが宇宙人存在についてであってすら、正しさはむしろ娯楽のために重要である。それが(学問ではなく通俗的意味での)文学的な話ではないと相互了解があった上ではあるが。つまり、「タコ型の宇宙人って歩きにくくない?」から始まる会話は科学的正しさによって楽しもうという意思は見られないので、それはまるで漫才相方のように応じればよいのである。{正/偽}をコードとしない意外と多くの場面でも正しさというのは実用的にも楽しさの面でも重要なのであり、それが、「知的レベルが合っていないと楽しくない」というのがよく言われる原因でもある。もちろん、賢いなら相手に合わせることもできるのだが、それは冒頭の話に戻る。そのパターナリスティック対応は、相手尊重しているのですか、と。

2020-05-12

anond:20200512112611

手厳しい意見だ。どうだろうか、たとえば侵略されつつあるビルマインドネシア国民が、イギリス人オランダ人国籍を与えるのはよそう、なんて議論できただろうか。したかも知れないが、無意味だったろう。

重要な点は版図を広げることでなく、外国侵略を防ぐことだ。民主的方法は良い。平和的な方法も良い。有効かどうかは、歴史証明している。

前線をどこに設定するかという視点で見れば、日本以外を希望したい。具体的には朝鮮半島台湾がありがたいのであって、一足跳びに日本が陥落することは好ましくない。

私の意見は、端的には、北朝鮮に侵攻することで韓国を元気づけようというものだ。韓国前線がある限りは、私自身はピンフだ。

ヨーロッパ連合は、他国人に一部人権相互に認める試みだった。あれをモデルにするのがいいと思うが、中国主導の一帯一路とは相容れないなぁ。

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