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はてなキーワード: 普遍性とは

2022-06-21

俺のゆるい反出生主義に反論してほしい

20代後半の男で、パワーカップルやらDINKsやら呼ばれる状態になって1年経ったんだが、子供作る気が全く起きない。

それに加え従前からなんとなく持ってた緩めの反出生主義を、より強く思うようになったので、なおさら子供が居る未来が見えない。

とはいえ、年齢的には子供を作るのが「社会的に正しい」んだろうな、ぐらいの感覚はあるので、俺の考え方に有効反論をつけてほしい。

同意を取らずにクソゲーに参加させる点

一般的な反出生主義でまず出てくる点。

この世に生を受けた以上、マイナスなことが沢山あるのはご存知の通りだ。障害病気いじめ交通事故貧困受験戦争、軽重あれど挙げたらきりがない。親になった俺がそれに余りあるケアを出来るかと言われたら全くもって自信がないし、社会で面倒見てくれるわけではないのはよく知っている。虐待は…多分しないと思うが、そんな保証はどこにもない。飽きっぽい性格なので3年目ぐらいで「子育て飽きたな」となるかも知れないしな。

対してプラスなことは有るだろうか。もちろん学業仕事での自己実現キラキラした恋愛、充実した趣味など「生きててよかった」と思うことはまま有るだろう。しかしそれらはあくま確率的に得られるものであるし、その時の価値観社会情勢に大きく左右される。先に上げたマイナスなことと比して普遍性が落ちることは否めない。

要するに出生には「期待値が低いことが分かっている博打に、一人の人間同意も取らずに参加させる」という側面がある。いまやどんなサービスにでも規約同意がある世の中で、これは倫理的な行いなのだろうか。

どこまでいっても親のエゴしか感じられない

生主義者はよく「老後は誰に面倒見てもらうの?」とか「子供かわいいよ」とか言う。しか労働力ペットとしての役割を、自分ではない人間に当然のごとく期待するのはエゴが過ぎるだろう。「40年後に私の面倒を見てもらっていいですか?」「はい、喜んで」と確認してから産んだんだろうか?

多少考えのある奴は「社会保障が成り立たない」とか言うかもしれない。でもそれは現に生きて社会保障制度を作り参加してしまっている俺らで解決すべき問題だろ?新しい人間を無理やりこの負け確ゲームに参加させるのは気が引ける。

多少短絡的な例を挙げてしまったが、「子供を作りたいかセックスしよう」と俺が思わないと子供は出来ないわけだから、やはり子供立場からすると本質的に「親に付き合わされている」のは否めないだろう。

エゴに付き合いきれなくなったとき結婚相手であれば縁を切り、それぞれリスタートすることは容易い。だが親子の縁は切ることは難しいし、小さな子供が親と離れて人生スタートさせることは相応のコスト当人にのしかかるだろう。これは全くもってアンフェアだ。

俺のリソース子育てに向けるのは効率的

前2つは個人の思いだったので「お前の感情はともかく、人類社会の持続のために子供を作ってくれたまえ」という反論があるかも知れない。しか社会における俺というリソースを子作り・子育てに向けるのは効率的なんだろうか?という疑問が生まれる。

東京の隅でしがないプログラマをしており、微力ながら世間様に貢献するコードも書いているという自負はあるし、その対価を得ることができている。対して子育てに関しては全くノープランのど素人だ。俺より遺伝子的に優れてる奴はゴマンといるし、子育て専門家が沢山居るだろう。「社会要請として子供は生み育てるべき」というのを100歩譲って認めたとしても「俺は仕事する人。あいつは生み育てる人。」とすることを提案するだろう。

そんな20世紀以前の社会は来てほしくないけどね。

まとめ

という感じで子作りする気がどうも起きない。

よく言われる「自分に自信がなくルサンチマンが溜まっているから反出生主義なんか唱えるんだ!」というのは全く当たらない。むしろ高い倫理感と視座から言ってるということは、ここまで読んでくれたら分かると思う。

おかしなことだが「まだ見ぬ我が子に愛おしさと憐憫を感じるからこそ産まない」という感じ。

はい、対よろ。

2022-06-17

1981年 エリアス・カネッティブルガリア

着想と芸術性に富み、幅広い視野によって書かれた著作に対して

眩暈

1982年 ガブリエル・ガルシア=マルケスコロンビア

現実的もの幻想的なものとを融合させて、一つの大陸の生と葛藤実相を反映する豊かな想像力世界を構築した

1983年 ウィリアム・ゴールディング(英)

現実的物語芸術の明快さと多様性神話普遍性に満ちた小説によって、現代世界人間が置かれた状況を照らし出したこと

蠅の王

1984年 ヤロスラフ・サイフェルトチェコスロバキア

新鮮さ、官能性、豊かな創意性に富んだ詩によって、不屈の精神人間多様性解放的イメージを与えたこ

この世の美しきものすべて

1985年 クロード・シモン(仏)

その小説において、詩人創造性と画家創造性を深められた時間意識に結びつけ、人間の状況を描出した

アカシア

1986年 ウォーレ・ショインカ(ナイジェリア

幅広い文化的視点と、詩的な響きによって、存在ドラマを創り上げたこ

1987年 ヨシフ・ブロツキーソ連

思考の明快さと詩的な力強さが一体化した、包括的作品群にたいして

1988年 ナギーブ・マフフーズ(エジプト

時には克明な現実主義によって、時には想像力を書きたてる手法を駆使するといった、ニュアンスに富んだ作品群を通して、全人類普遍性を持つアラビア語創作芸術形成したこと

張り出し窓の街

1989年 カミーロ・ホセセラスペイン

人間脆弱性の挑戦的なビジョン形成する、自制的な憐憫を含んだ、豊穣で徹底した散文に対して


1990年代

1990年 オクタビオ・パスメキシコ

広い視野を持ち、先鋭的知性と人文主義高潔さを特徴とした、情熱的な作品に対して

弓と竪琴

1991年 ナディン・ゴーディマー(南アフリカ

彼女の壮大な叙事詩が、"アルフレッド・ノーベル言葉"に即した、人文主義にとっての重要利益であったこ

いつか月曜日に、きっと

1992年 デレック・ウォルコットセントルシア

偉大なる明るさ、歴史的視野に支えられた、多文化融合の産物たる詩的創作に対して

1993年 トニ・モリソン(米)

先見的な力と詩的な重要性によって特徴付けられた小説で、アメリカ現実重要な側面に生気を与えたこ

他者」の起源 ノーベル賞作家ハーバード連続講演録 (集英社新書)

1994年 大江健三郎日本

詩趣に富む表現力を持ち 、現実虚構が一体となった世界創作して 、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている

万延元年のフットボール

1995年 シェイマス・ヒーニーアイルランド

日々の奇跡と生き生きとした過去を称える、詩的な美しさと民族的な深みを持つ作品に対して

1996年 ヴィスワヴァ・シンボルスカ(波)

皮肉はらんだ緻密な詩によって、人間リアリティフラグメントに光を当て、その歴史的生物学文脈を浮き彫りにした

シンボルスカ詩集

1997年 ダリオ・フォ(伊)

中世的な道化権威風刺し、弱者尊厳庇護したこと

1998年 ジョゼ・サラマーゴポルトガル

想像、哀れみ、アイロニーを盛り込んだ寓話によって我々がとらえにくい現実を描いた

白の闇

1999年 ギュンター・グラス(独)

遊戯風刺に満ちた寓話的な作品によって、歴史の忘れられた側面を描き出した

2000年代

2002年 ケルテス・イムレ(ハンガリー

人間社会的圧力ますます服従している時代にあって、個人として生き、考え続ける可能性を追求した

運命ではなく

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2003年 J.M.クッツェー南アフリカ

アウトサイダーが巻き込まれていくさまを、無数の手法を用いながら意表をついた物語によって描いたこ

2004年 エルフリーデ・イェリネクオーストリア

その小説劇作における音楽的な声と対声によって、社会不条理と抑圧を並はずれた言葉への情熱を持って描き出した

ピアニスト

2005年 ハロルド・ピンター(英)

劇作によって、日常対話の中に潜在する危機晒し出し、抑圧された密室突破口を開いたこ

2006年 オルハン・パムクトルコ

故郷の街のメランコリックな魂を探求する中で、文明の衝突と混交との新たな象徴見出し

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

わたしの名は赤

2007年 ドレスレッシング(英)

女性経験を描く叙事詩人であり、懐疑と激情、予見力をもって、対立する文明吟味した

破壊者ベンの誕生

2008年 ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(仏)

新たな旅立ち、詩的な冒険官能的悦楽の書き手となって、支配的な文明を超越した人間性とその裏側を探究した

来るべきロートレアモン

2009年 ヘルタ・ミュラー(独)

凝縮した詩と率直な散文によって、収奪された人々の風景を描いた

2010年代

2010年 マリオ・バルガス・リョサ(ペルー

権力構造地図と、個人抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた

楽園への道

2011年 トーマス・トランストロンメルスウェーデン

稠密で透光性のあるイメージを通じて、読者に現実への斬新な道筋を与えたこ

悲しみのゴンドラ

2012年 莫言(中)

幻覚的なリアリズムによって民話歴史現代を融合させた

白檀の刑

2013年 アリス・マンローカナダ

現代短篇小説の名手として

ピアノ・レッスン

2014年 パトリック・モディアノ(仏)

最も捉え難い人々の運命召喚し、占領下の生活世界を明らかにした記憶芸術に対して

1941年パリの尋ね人

2015年 スヴェトラーナアレクシエーヴィッチ(露)

我々の時代における苦難と勇気記念碑と言える多声的な叙述に対して

戦争は女の顔をしていない

2016年 ボブ・ディラン(米)

米国歌謡伝統の中に新しい詩の表現創造したこと

2017年 カズオ・イシグロ(英)

壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想感覚に隠された深淵を暴いた

2018年 オルガ・トカルチュク(ポーランド

博学的な情熱によって、生き方としての越境象徴する物語想像力に対して

逃亡派

2019年 ペーターハントケオーストリア

言語的な技巧を交えて、人間経験の外縁と特異性を探究した、影響力のある諸作品に対して

2020年代

2020年 ルイーズ・グリュックアメリカ

厳粛な美によって個人存在普遍的ものとした、その紛う方無き詩的な声に対して。

anond:20220617140024

2022-06-16

anond:20220616061708

象徴アウトプットしてもらえるのって

中世貴族がお雇い画家自分肖像画描かせていたみたいな話で人間普遍性を感じる。

2022-06-14

anond:20220609235923

なんかの形で時代の淘汰から免れてきたものが有名になるんだよね。理由はいろいろ複雑なことだし、今更無理にラベル貼ったり剥がしたりしなくていいと思う。なんであれ面白みや普遍性を見出されたなら、それは重要ものから小林秀雄柳田國男役人をしていた頃の事件の記録、山の人生(山の木こりの子どもたちが手ずから斧を研ぎ、生活に困っている父に「俺たちを殺してくれ」と頼んだという話)を引き合いに出して、田山花袋小説ウソのくせにコセコセして小生意気で、こんなものが本当の文学であるはずがない、柳田さんなら鼻で笑うだろう、と詰っていた。ものを作るときや、それを認めたりなじったりするには時間エネルギー必要で、ものは向けられたそれらを溜め込む性質があるのだと思う。君の目に蒲団を叩き込んだのは田山花袋というか、昔の人々の時間のでっかい塊だよ。奥付のむこうに人がいっぱい立っていて、一番奥に紫式部が座っている。彼女権威を信用しろ

2022-06-04

anond:20220604192140

顔面偏差値ってそんな普遍性なくない?偏差値60は偏差値50より高い 程度の指標しかない。

そりゃ本来は数値化できないもんだしな

でも顔面偏差値って単語をやたら使いたがる

女は「優しさ偏差値」なんて言葉使わないのに

年齢では他人と競えないでしょ。

若い女と付き合える(ヤレる、結婚できる)ほど優れた男、って概念普通にあるでしょ

トロフィーワイフなんかもそうだし

バストの大きさなんかもアンダートップとかあんまり理解してない。

正確に理解してないけどとりあえずでかいほど良い、って風潮はあるよね

少なくとも女性結婚相手探す時にまず気になるのは年収だと思う。

好みのタイプが「優しい人」なのは年収足切りがあった上でのことなんでしょ?

でも「年収が高ければ高いほど良い」「年収が高い男と結婚できた女の勝ち」みたいな風潮は現実だとあまりないよ

年収あくま足切りであって、足切り突破すればその後は「優しさ」「誠実さ」の勝負

マウントも「うちの夫は年収〇万!」より「うちの夫はこんなに優しいの!」の方がよく聞くし

身長だって足切りであって、でかけりゃでかいほど良い、180cmより190cmが、190cmより200cmが、なんて女はレア

でかすぎるとそんなバスケ選手みたいなの別に求めてない…ってなるのが普通だよ

2022-05-29

ある女のセクハラ体験談の続き

 2つ目の追記が長くなったことと修正部分があることから独立して記しておく。元の文章を書いた時の私の気持ちと、今の私の気持ちである。元の文章は、いくつかの修正を加えたが、次のようなものである。→anond:20220527204733なお、最初から私は、誰それの元・妻ですとは一言も書いていない。その点に関してだけは明確にしておく。

2022/05/30告訴をちらつかせている人物がいるが、私はその人物の元・妻ではない。繰り返しになるが、最初から私はそのように称していない。本来ならば、セクシャルハラスメント被害者として、特定されたり好奇の目に晒されるような二次被害を防ぐために個人情報曖昧にして書いた。それなのに、告訴をちらつかせている人物からは「自分の元・妻ではないから、このセクシャルハラスメント被害の話は虚偽」と言われ、私は非常に苦痛を強いられている。痴漢冤罪ピックアップすることで痴漢被害者の声を掻き消そうとする人たちがいるが、それと同じことをセクシャルハラスメント被害者に対して行っていると、告訴をちらつかせている人物には自覚して欲しい。

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 元の文章で私は、自分が誰なのかも、文中に書いた登場人物が誰なのかも書いてはいなかった。私は誰それの元・妻ですとも書いていない。

 では何故、私はフィクションと銘打って、人物特定しない書き方をしたのか。それは、これが「普遍的物語」だからだ。被害者となる人間、なった人間は、私だけではなく誰でもあり得るし、加害者もまた同じく誰でもあり得る。被害者の側に立たないで、加害者の側に立つことを選択する第三者も、同じく誰でもあり得る。だからこそ、読み手に「これは自分のことを書いているのでは」と自問自答して欲しくて、自省を促すために、そういう書き方をしたのだ。そういう意味でならば、読み手に「自分のこと」という思いを抱かせる狙いが有った。想像力がある読み手ならば、性別を入れ替えたりセクハラパワハラに置き換えたりして、より考えを深めてくれることだろうと、淡い希望も抱いていた。

 しかし、それを「これは自分のことを書いているに違いない。だから自分に対する名誉毀損だ」と決めつけて、法的な措置をちらつかせることで圧殺しようとする人間が出てくるとまでは思いもよらなかった。それはまるで『ホテル・ルワンダ』の公開に対して「これは関東大震災朝鮮人虐殺を描いていて、日本人攻撃している。日本人に対する名誉毀損だ」と言うようなものではないか

 自分のことではないならば「この文章に書かれた人間同類にならないように、自分は気をつけよう」と省みれば済むことではないか

 私が「ある人物の妻ではない」ことによって、何故「私がセクハラを受けた話」まで無かったことにされねばならないのか。ルワンダ虐殺被害者でなければ、虐殺被害者ではないと言うようなものではないか自分たち以外に、この社会構成している人間存在しないとでも思っているのか。

 仮に、ある痴漢事件冤罪により罪を問われている人間がいたとしても、それとは別の痴漢事件被害者に対してまで、被害を訴えたり加害者批判したとしていることを「これは冤罪で苦しんでいる自分のことを書いているに違いない」と決めつけて「痴漢冤罪を作るのは止めろ」と言うのは、いくらなんでもおかしいではないか

 セクハラを含めたハラスメント被害を受けるのは、とても苦しい。それ自体が苦しい上に、顔や名前を出せば好奇の目に晒されて、さらに苦しむ。その一方で、その苦しみを誰か他人に分かってもらいたい、共感してもらいたいという思いも湧く。以前、はてな匿名ダイアリーでは「保育園落ちた、日本死ね!」という記事が書かれたということを知っていた。だから、ここでなら匿名を保ったままで、自分の辛い気持ちを吐き出して理解共感を得られると思ったのだ。

 それを今、私は「お前は自分の妻ではない。だから、お前のセクハラ被害の話は嘘に違いない。正体を暴く」と脅されている。理解共感を示してくれる人ばかりではないだろうとは予測してはいたが、まさかSLAPP訴訟によって口を塞ごうとする人が出てくるとは思わなかった。

 私は、私が救われるために、私自身の物語を書いた。私自身の人生尊厳を、無かったことにされたくなかったから。セクハラだけではなく、ハラスメント全体を減らしたい、無くしたい気持ちがあったから。たとえ過去自分は救われなかったとしても、未来の他の誰かが同じような苦しみを味わうことは防げるかもしれないと思ったから。

 「この文章自分のことを書いている。だから許せない」と言う人間は、私が私自身の話を書く行為について、許可や不許可を下す権限が有るのか。例えば「今、そんな文章を書かれると、自分が誤解を受けて困るから止めろ」とでも言うつもりなのか。では、私は、いつになれば声を上げることを許可されるのか。一年後か?五年後か?十年後か?その日は、やって来るのか?文章修正し始めて理解したが、そんな日が私に来ることはなさそうである

 この文章を書いた人間である私が、ある特定人間の妻ではないからという理由で、嘘つき呼ばわりされて、勝手に私の苦しみが無かったことにされるのは、極めて心外である

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 上のようなことを追記として書いたが、今となっては全てが空しい。

 元の文章に「実在人間団体事件には一切関わりは無い。」という一文を、私は修正として挿入した。そのような修正を施したのは「この文章自分のことを書いている。許せない」と主張する人物が、弁護士に頼んで告訴すると言っていることを知って、怯んだからであるセクハラを受けた時も自分には弁護士を頼る資金力は無かったが、今もそれは変わらない。仮に告訴されたら、赤子の手をひねるよりも簡単に私は敗北するだろうと思った。

 「実在人間団体事件には一切関わりは無い」と書き添えたことで、私の文章から普遍性が失われた。私の文章を読んだ人間の誰もが皆、セクハラを含めたハラスメント問題自分自身のこととして受け止めて欲しいという思いから書き始めてアップしたはずの文章だったのに、私は「一部の人間はこの問い掛けの対象から除外される」ことを意味する一文を書き加えたのだ。また「実在人間団体事件には一切関わりは無い」と書くことで、私は自分セクハラ被害も無かったと宣言したのだ。

 私は、セクハラを含めたハラスメントを無くしたいと思っていたはずだった。しかし土壇場になって、我が身かわいさの保身に走った。こんな私に、ハラスメントを無くすことはできそうにないと思い知った。この先、何があろうと、仮に誰かが何か慰めを言おうと、私は私自身が怖気づいて逃げたことを知っている。ずっとそれを忘れないだろう。

 私は、何も変えられない。私は、他人どころか私自身をも救えない。ハラスメントを無くしたいなどと、身の程知らずの願望を抱かなければよかった。私は私自身にとっての裏切り者だ。

2022-05-27

ある女のセクハラ体験談(追記)(更にいくつかの追記修正あり)

 現在ネット上で私に対する告訴をちらつかせている人物は、その人物の元・妻であると私が称したと主張している。しかし、文章修正の前も後も、私はそんなことは一言も書いていない。その点に関してだけは明確にしておく。

 2022/05/30告訴をちらつかせている人物がいるが、私はその人物の元・妻ではない。繰り返しになるが、最初から私はそのように称していない。本来ならば、セクシャルハラスメント被害者として、特定されたり好奇の目に晒されるような二次被害を防ぐために個人情報曖昧にして書いた。それなのに、告訴をちらつかせている人物からは「自分の元・妻ではないから、このセクシャルハラスメント被害の話は虚偽」と言われ、私は非常に苦痛を強いられている。痴漢冤罪ピックアップすることで痴漢被害者の声を掻き消そうとする人たちがいるが、それと同じことをセクシャルハラスメント被害者に対して行っていると、告訴をちらつかせている人物には自覚して欲しい。

 以下の話は、フィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。

SLAPP訴訟を準備している人に対する注釈ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 最初に発表した時点では無かった「実在人間団体事件には一切関わりは無い。」という一文を、上のとおり書き加えることにした。後に続く部分でも同じ書き加えをした。この、たったの一文を挿入することが、私には耐え難い苦痛だった。私自身のハラスメント被害を無かったことと、皆の前で宣言しろと言われているような気持ちになったからだ。私は今、トイレに行って嘔吐してから、この部分を記している。結局、あの頃と同じく今の私も、保身のために自分の主張を引っ込めたことになる。

SLAPP訴訟を準備している人への注釈・終わりーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 元・夫が、ある場所で「離婚したとはいえ、元・妻が傷つけられるのは許せない。何らかの対応検討する」と言っていることを知った。この元・妻というのは、何を隠そう私のことだ。はてな匿名ダイアリーに書いているのだから、隠すも正体を明かすもないが。

 「傷つけられる」と元・配偶者が言っているのは、かつて私がある人物から受けたセクハラについての情報が広まって、私が心無い言葉を浴びたり、中傷される状態を指しているようだ。

 しかし、である

 今になって「元・妻が傷つけられるのは許せない」と言い出すぐらいなら、何故あの頃、言ってくれなかったのか。そう思って、元・配偶者ながら、というか元・配偶者からこそ余計に、私はゲンナリしている。

 私にセクハラをした加害者は、元・夫の仕事上で付き合いがあり、仕事以外のプライベート時間や場でも私たち交流が有った、私たちよりも年長の男である

 加害者は、私にセクハラしただけでなく、そのことを仕事仲間などに自ら話したりもしていた。懺悔としてではない。愉快な話としてである。つまりセクハラをされた時にだけでなく、その後にも継続的に、私は傷つけられ続けている状態に置かれていた。

 セクハラされた時、私は「そういうことは止めて下さい」と加害者に対して言ったのだが、私の憤りや恐れや嫌悪感情をまるで理解しようともせず、軽い口調で「ゴメンゴメン」みたいな感じで誤魔化されただけだった。今でも「もっと強い口調で言えば良かったのでは?」「いっそ殴ったり蹴ったり物を投げつければ良かったのでは?」「何故あの時、もっと適切な反撃ができなかったのだろう」と、自分自身に対して不甲斐無さを覚えて、自己嫌悪に陥ることが度々ある。

 さらに私が苦しむ原因になったのは、その頃は婚姻関係にあった現在の元・夫が、私の側に立ってくれなかったことだ。

 加害者から私がセクハラを受けたこと、それに対して私は憤りや恐れや嫌悪を感じたこと、加害者へは私に対する謝罪をするように要求して欲しいことを、その頃は夫であった彼に訴えた。それに対する彼の反応は「あの人も悪気があった訳ではない」とか「あの人は昔気質の人だから」とか「あの人は冗談のつもりだったのだから、怒るのも大人げない」とか、概ねそういった言葉だった。漫画寄生獣』でパラサイトと会話する主人公・新一が、昆虫か何かと話している気分に陥る描写があったが、私も新一と同じような気分だった。つまり元・夫は、加害者の側の人間だった。だったという過去形ではなく、であるという現在形で言うべきだろうか。

 会社勤めとか役所勤めの仕事などであればその組織に訴え出て処分要望するとか、金銭知識を持っていれば弁護士などに相談するとか、何かしら対処の仕方があったかもしれないが、私は上手いやり方を思いついたり実行したりすることは出来ず、そうこうしているうちに私たちは、元・夫と元・妻という関係になった。

 あの頃、彼は「馬鹿馬鹿しい話だ」と言った。近頃の彼は「これまでは馬鹿馬鹿しい話だから取り合わず放置していたが、いい加減、噂を広められて元・妻が傷つけられるのは許せない」と言っているようだ。私にとっては、あの頃も現在も、少しも馬鹿馬鹿しい話ではなかったのに。

 私の元・夫が「馬鹿馬鹿しい話」として放置できなくなったのは、決して私が苦しんでいることが理由ではないことを、私は知っている。元・夫が黙っていられなくなったのは、加害者の男が批判されているかである。元・夫は、あの男のことが大好きなのだ

 最近では、何処の業界職場でも大なり小なり、セクハラは良くないことであり、するべきではないし、セクハラをする人がいれば止めたり批判するべきであるという意識が浸透し始めた。私にセクハラしたことを愉快な話として吹聴していた加害者の男と、私を救ってはくれなかった元・夫が関係している仕事世界にも、少しは変化があった様子で、私に対するセクハラの話を愉快な話とは受け止めてはもらえなくなったと聞いている。

 このため、加害者の男は「大袈裟に話して誤解を招いた」と言うようになったらしい。大袈裟?誤解?私にしたことを、そのまま本人が言い触らして回っていたのに、いったい何が大袈裟で何が誤解なのだろうか。

 元・夫は、誰に対して、どんな対応をするつもりなのだろうか。私がされたセクハラの話を誰よりも他人に広めたのは、ほかならぬ加害者本人なのに。元・夫は、加害者批判したり止めたりしてくれなかったのに。まさか加害者批判する人たちに対して「元・妻が傷つくから許せない。セクハラについて語るのを止めろ」と言うつもりなのだろうか。仮にそうだとしたら、それを何故あの頃、加害者に対して言わなかったのだろうか。元・妻である私を救おうとしなかったことが知れ渡ると、元・夫としては困るのだろうか。

 セクハラ被害者が、セクハラ加害者に対する批判を食い止めるために、よりによって元・配偶者から利用されるという救いの無い境遇を知ってもらうために、理解してもらうために、自分気持ちを吐き出すために、はてな匿名ダイアリーに書いた。

 以上の話はフィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。最初に書いた時には、ここに「どっとはらい」という言葉を記したが、それは、めでたしめでたしという意味らしいので、この先の未来の私に少しでも幸いが有ればと願いを込めていたからだ。しかし今は、私は少しも救われなさそうだと理解したので、その言葉を消すことにする。

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追記修正2022/05/29

 このフィクション日記に書かれた人間関係が、具体的に誰のことを指すのかに関して、はてブで推察と特定が試みられている。それに対する答えのようなものを記しておく。

 以下もまた、フィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。

 私は、人物特定に関する推察を肯定否定のいずれもするつもりは無い。答えは無い。それが答えである実在人物団体事件には一切関わりはない。

 そもそも特定可能ならば、匿名ダイアリーに書いたりする必要は無く、私も現実世界対処しているはずだからだ。

 一次的なセクハラが反復的に行われていれば、それを例えばボイスレコーダーで録音するなどして証拠を固めて私も反撃できただろうと思う。しかし、一次的なセクハラが突発的・単発的なものであった場合被害者は驚きやパニックなど心理的な硬直状態に陥って、証拠固めなど実行できずに終わることが多い。たとえ複数回継続的に行われるセクハラであっても、被害者が恐怖心で萎縮するなどして理性的思考するのが困難な状態に陥り、やはり証拠固めをできないことは珍しくない。

 私に対するセクハラを愉快な話として加害者が吹聴していたという、二次的な加害行為に関しては、その話を聞かされた人たちの記憶にも残っている。しかし、一次的な加害行為のものに関する証拠が残されていない状態では、加害者が今になって主張する「大袈裟に話していただけで、事実ではない」という言葉を覆すのは、極めて困難だ。

 二次的な加害行為だけに関して言えば、それ自体セクハラなので、その被害司法機関などに訴え出ることは理論的には可能かもしれない。しかし、それを仮に私が実行したとしても、やはり加害者は「大袈裟に話していただけで、事実ではない。しかし、たとえ事実ではなかったとしても、愉快な話として触れ回ったことは被害者を傷つけた。だから、そのこと(二次的な加害)については謝罪する」といった、一見すると謝罪に見えるが、肝心の一次的なセクハラ行為については否定する言葉を述べるという手法をとるだけであろう。

 私が、何よりも加害者に認めて謝罪して欲しいのは、一次的なセクハラ行為についてなのだ。それなのに、加害者にとっての都合が良い主張を、それを覆す手段も持たないままに聞かされて、挙句の果てには「一次的なセクハラ行為については、認定が困難である」と公的結論づけられるかもしれない。そう考えると私は、とても精神的に耐えられない。もっと悪い方向に想像を巡らせ、加害者が「むしろ自分の方こそ、セクハラしたと誤った情報を流されて苦しんだ被害者立場だ」と、SLAPP訴訟などで私を攻撃してくるかもしれないとも思って恐怖すら覚えた。元・配偶者ですら助けにならなかったという、孤立感も私を動けなくした。

 こうして私は、自分が受けた一次的なセクハラ被害を決して忘れたわけではないのに、無力感や恐怖感から口を閉ざすことを選ばざるを得なかった。私が口を閉ざしているから、どうせ何もできないと高を括って「大袈裟に話していただけ」と言い張ることで、加害者は乗り切ることにしたのだろう。元・配偶者からセクハラと思われるようなことは無かったよね?」と誘導され、無力感孤立から沈黙することを選んだので、加害者が私のことを何もできない人間と値踏みしたのも無理はない。

 加害者の男は、私に対するセクハラを無かったことだと言っている。つまり、私に対して行ったセクハラの話は、加害者の男にとってはフィクションというわけだ。私を登場人物にして作り上げた、馬鹿馬鹿しいフィクションだ。

 ならば、と私も考えた。

 私が私自身にとってのフィクションを作ったとしても、特に問題は無かろう。今度は私のターンなのだから、私の周囲の人物登場人物として、馬鹿馬鹿しいフィクションを書いたというだけのことだ。柳美里作品とは異なり、人物特定もできないように最低限の配慮もしてある。人物特定ができないということは、私の受けたセクハラ日本社会でありふれた話なのだ。それに、加害者とは異なり、私は私のフィクション現実の周囲の人たちに言い触らしたりなどしていないのだから、私の配慮に少しは感謝してもらってもいいぐらいだ。

 世の中のセクハラ加害者たちは、私たちのような被害者たちが沈黙しているからといって、セクハラした過去を全く無かったことにできるなどとは思わない方がいい。京極夏彦の『姑獲鳥の夏』の中で、法的に罪に問えない人物に対して京極堂呪いを掛ける描写があったが、このフィクション呪いとして書いたようなものだ。呪いが在るのか無いのか私には分からないが。

 以上もまた、フィクションである実在人間団体事件には一切関わりは無い。一つ目の追記を書いた時には、ここに「とっぴんぱらりのぷう」という言葉を記したが、それは、めでたしめでたしという意味らしいので、この先の未来の私に少しでも幸いが有ればと願いを込めていたからだ。しかし今は、私は少しも救われなさそうだと理解したので、その言葉を消すことにする。

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 2022/05/29さら修正して追記

 私は、自分が誰なのかも、文中に書いた登場人物が誰なのかも書いてはいない。私は誰それの元・妻ですとも書いてはいない。

 では何故、私はフィクションと銘打って、人物特定しない書き方をしたのか。それは、これが「普遍的物語」だからだ。被害者となる人間、なった人間は、私だけではなく誰でもあり得るし、加害者もまた同じく誰でもあり得る。被害者の側に立たないで、加害者の側に立つことを選択する第三者も、同じく誰でもあり得る。だからこそ、読み手に「これは自分のことを書いているのでは」と自問自答して欲しくて、自省を促すために、そういう書き方をしたのだ。そういう意味でならば、読み手に「自分のこと」という思いを抱かせる狙いが有った。想像力がある読み手ならば、性別を入れ替えたりセクハラパワハラに置き換えたりして、考えを深めてくれることだろうと淡い希望も抱いていた。

 しかし、それを「これは自分のことを書いているに違いない。だから自分に対する名誉毀損だ」と決めつけられて、法的な措置をちらつかせることで圧殺しようとする人間が出てくるとまでは思いもよらなかった。それはまるで『ホテル・ルワンダ』の公開に対して「これは関東大震災朝鮮人虐殺を描いていて、日本人を攻撃している。日本人に対する名誉毀損だ」と言うようなものではないか

 自分のことではないならば「この文章に書かれた人間同類にならないように、自分は気をつけよう」と省みれば済むことではないか

 私が「ある人物の妻ではない」ことによって、何故「私がセクハラを受けた話」まで無かったことにされねばならないのか。ルワンダ虐殺被害者でなければ、虐殺被害者ではないと言うつもりなのか。自分たち以外に、この社会構成している人間存在しないとでも思っているのか。

 仮に、ある痴漢事件冤罪により罪を問われている人間がいたとしても、それとは別の痴漢事件被害者に対してまで、被害を訴えたり加害者批判したとしていることを「これは冤罪で苦しんでいる自分のことを書いているに違いない」と決めつけて「痴漢冤罪を作るのは止めろ」と言うのは、いくらなんでもおかしいではないか

 セクハラを含めたハラスメント被害というものは、とても苦しい。それ自体が苦しい上に、顔や名前を出せば好奇の目に晒されて、さらに苦しむ。その一方で、その苦しみを誰か他人に分かってもらいたい、共感してもらいたいという思いも湧く。以前、はてな匿名ダイアリーでは「保育園落ちた、日本死ね!」という記事が書かれたということを知っていた。だから、ここでなら匿名を保ったままで、自分の辛い気持ちを吐き出して理解共感を得られると思ったのだ。

 それを今、私は「お前は自分の妻ではない。だから、お前のセクハラ被害の話は嘘に違いない。正体を暴く」と脅されている。理解共感を示してくれる人ばかりではないだろうとは予測してはいたが、まさかSLAPP訴訟によって口を塞ごうとする人が出てくるとは思わなかった。

 私は、私が救われるために、私自身の物語を書いた。私自身の人生尊厳を、無かったことにされたくなかったから。セクハラだけではなく、ハラスメント全体を減らしたい、無くしたい気持ちがあったから。たとえ過去自分は救われなかったとしても、未来の他の誰かが同じような苦しみを味わうことは防げるかもしれないと思ったから。

 「この文章自分のことを書いている。だから許せない」と言う人間は、私が私自身の話を書く行為について、許可や不許可を下す権限が有るのか。例えば「今、そんな文章を書かれると、自分が誤解を受けて困るから止めろ」とでも言うつもりなのか。では、私は、いつになれば声を上げることを許可されるのか。一年後か?五年後か?十年後か?その日は、やって来るのか?文章修正し始めて理解したが、そんな日が来ることはなさそうである

 この文章を書いた人間である私が、ある特定人間の妻ではないからという理由で、嘘つき呼ばわりされて、勝手に私の苦しみが無かったことにされるのは、極めて心外である

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 「実在人間団体事件には一切関わりは無い。」という一文を、苦渋の決断とはいえ書き加えたことで、私の文章から普遍性が失われた。私の文章を読んだ人間の誰もが皆、セクハラを含めたハラスメント問題自分自身のこととして受け止めて欲しいという思いから書き始めてアップしたはずの文章だったのに、今の私は、一部の人間をこの問い掛けの対象からは除外しようとしている。とんだ腰砕けだ。私は、セクハラを無くしたいと言いながら、土壇場になって、我が身かわいさの保身に走ったのだ。このクソみたいな自分自身のことを許せない。私にはセクハラハラスメントを無くすことはできそうにないと思い知った今、絶望しかない。

2022-05-17


  驚愕 :  単に驚くだけではなく驚き散らかすこと。人類最上辺を思わせることでその程度が特に甚だしいこと。ハイレベル美的な要素の一種

          哲学における美は他にも、  スマート、異常な簡潔、独自の新しさ、普遍性などがあるが、それ以外の要素で、ほとんどの人にできない

         ことを特徴とする美。

2022-04-26

ネットミームの一部は中国古典みたいに残り続ける

歌を詠む平安貴族の間では中国漢詩漢籍知識は全員知ってて当然みたいな土壌があって

基本的にその知識をもとにしていかにヒネッたイケてる歌を作れるかのマウント合戦みたいな部分があった。

現代日本ネットーミムも「吉野家コピペ」「高菜食べてしまったんですか」みたいなのはもうこの先何十年も

残り続けそうな気がする。すでにリアルタイムでそれを経験してる世代より1020年後世代でも使っていたりする。

どんな人間でもちょっと調べればどんな内容か理解できるしその面白さには普遍性があるし、それに絡めて語れるようなニュースがあったりしたら

早速活用して大喜利やったりできる汎用性がある。

2022-04-14

ケツがバカでけえから

朝、まず起きない

寝坊するとかそういうんじゃない

起きない

ケツがバカでけえから、イケる

48時間以上寝る

上司から電話が来る

出る

叫ぶ

ケツがバカでけえから、叫べば完全に威圧完了

叫びながら出勤

ケツがバカでけえから、乗っている軽自動車がいつのまにかタンクローリーに変わる

職場タンクローリーで突っ込む

火をつける

帰る

ケツのデカさにより、咎められない

マクドに寄る

ケツがデカいので無銭飲食可能

新幹線に乗って東京に行く

首相官邸に乗り込む

総理に対してケツを向けた瞬間に、因果収束して俺自身総理になる

まず、アメリカに向かって核ミサイルを撃つ

核ミサイル北朝鮮から融通してもらう

ケツがバカかいので、原始的な恐怖心から北朝鮮は俺の属国になる

アメリカを焦土に変える

そのあと、ドミノピザをオーダーする

ピッツァ・ビューティフル・ワールド

ドミノピザ普遍性破壊されたが、俺だけはドミノピザをオーダーできる

ケツがバカでけえから

2022-03-31

anond:20220331104322

コミカライズされている有名作品から

無双しているが、現世に絶望とか、生まれ変わり願望とか、

そういう方向性ではないものを3つほどどーぞ。

  

偏差値10の俺がい世界で知恵の勇者になれたワケ

自由世界自由キャラ自由に配置できる異世界転生フォーマットを存分に駆使した短編

題材や物語で語られていること自体寓話的で普遍性あると思う。

  

大相撲令嬢 ~聖女に平手打ちを食らった瞬間相撲部だった前世を思い出した悪役令嬢の私は捨て猫王子ちゃんこを振る舞いたい はぁどすこいどすこい

転生もの醍醐味である異世界に異物を注入できることを利用した怪作。

こういうちょっと捻ったものを軽々に出していける懐の深さが転生ものの魅力だと言える。

無茶振りを、フォーマット共通認識が土台となって受け止めてくれるのよね。

  

異世界居酒屋「のぶ」

異世界料理漫画フォーマットの合成。

美味しんぼ」とか、「築地魚河岸三代目」とか、「江戸前の旬」とか、そういう料理漫画ね。

2022-02-06

anond:20220206102110

論の筋道が通ってないこと、手続きが粗雑なこと、オープンレター主催賛同者のダブルスタンダードは厳しく批判されるべき。

全く仰る通りだと思う。

都合よくそ普遍性をかなぐり捨てる振る舞いに対しては、厳しい批判があって当然なんだよね。

そうやって思想って鍛えられていくものだろう。

2022-02-01

ケツがバカでけえから最強

朝、まず起きない

寝坊するとかそういうんじゃない

起きない

ケツがバカでけえから、イケる

48時間以上寝る

上司から電話が来る

出る

叫ぶ

ケツがバカでけえから、叫べば完全に威圧完了

叫びながら出勤

ケツがバカでけえから軽自動車がいつのまにかタンクローリーに変わる

職場タンクローリーで突っ込む

火をつける

帰る

ケツのデカさにより、咎められない

マクドに寄る

ケツがデカいので無銭飲食可能

新幹線に乗って東京に行く

首相官邸に乗り込む

総理に対してケツを向けた瞬間に、因果収束して俺自身総理になる

まず、アメリカに向かって核ミサイルを撃つ

核ミサイル北朝鮮から融通してもらう

ケツがバカかいので、原始的な恐怖心から北朝鮮は俺の属国になる

アメリカを焦土に変える

そのあと、ドミノピザをオーダーする

ピッツァ・ビューティフル・ワールド

ドミノピザ普遍性破壊されたが、俺だけはドミノピザをオーダーできる

ケツがバカでけえから

2022-01-27

anond:20220127020738

コピペ改変を書いたけど思った以上に普遍性ありすぎてちょっとだけ増田に刺さっちゃったって話?

牛丼ラーメンも美味しいよね

2021-12-10

anond:20211210221208

人間存在しなくともおそらく数学の一部である数というものには普遍性があって、例えば星って人間がいなくても有限の数存在してて、その時点で自然数という構造は持っているのでは

2021-11-28

環境保護ってキリスト教に変わる普遍的宗教みたいに見えてくる

さすがにキリスト教現代価値観押し付けるのは不可能やけど

環境保護名前変えると普遍性持って批判する人間企業自治体や国を袋叩きにできるし

2021-11-05

anond:20211104232844

どんなジャンルにもゲスな行動をする悪役を攻に置きたがる趣味人いる。あの趣味普遍性は「受がかわいそかわいい」なんじゃないかな知らんけど。ちいかわとかメイドインアビスの嗜好性に近い趣のなんかそういうアレ。そういう記号的な攻くんが好きくないならしょうがないよね。

2021-10-23

anond:20211023143319

アマプラなら攻殻機動隊を見なさい。

攻殻を今見るとあらためてその価値がわかる時期に来ている。

普遍性を獲得していることに気づく。

2021-10-09

おっぱい星人ドイツ温泉

乳揺れと統一教会に揺れるはてな界隈の皆様、いかがおすごしでしょうか。


唐突だが、ドイツ温泉は男女混浴で、水着なしである

ドイツ人は異性の裸を気にせず温泉に入る。

マライ・メントライン(ドイツ人 女性 テレビプロデューサー)が

「意外と惜しみなく出た私の入浴シーンはいかがだったでしょうか?」といささか

挑発的なつぶやき(注1)をするのも、この意識の延長線だろう。

となれば、おっぱい星人ドイツに行って温泉に入り、生おっぱいを見るべきだと思う。


ドイツ温泉世界一ィィィー


そこで少年の心を持ち続けるおっぱい星人たちは、新たな発見を目にすることだろう。


かって、ブイブイいわせ、栄耀栄華を誇った「量産型おっぱい」が

加齢と重力にはあらがえず、「長物(ながもの)」と化していることを。


奢(おご)れる乳は久しからず
兵(つわもの)どもの夢のあと


夢崩れたおっぱい星人たちは、ボサノヴァ名曲イパネマの娘」の歌詞にも

深く共感するに違いない。人種民族を超えた(注2)

普遍性意識する・・・せざるを得ないのだ。


ああ なぜすべてがこんなに寂しいのだろう(注3)


しか絶望することはない。

寂寥感を得たおっぱい星人は、今まで女性(の胸)に向けていた毒々しい視線

なくなり、女性からの評も一変すると思うのだ。


あの人だったら、(私を口説いたり襲ったりしないから)安パイよ(注4)


おっパイは手に入れられないが、安パイ称号は手に入れたのだ。


少年大人階段を昇ったのである


もっとも「サンマ目黒に限る、おっぱい二次元に限る」(注5)とメタモルフォーゼしてしま少年兵もいるかもしれないが。


(注1)https://twitter.com/marei_de_pon/status/1046400072223588353?s=20

なお増田はこの回の放送は見ていない。

(注2)作詞者モライスブラジル人

(注3)もちろん、モライスは(こんな美しい娘と付き合うことはできず)、おっぱい星人は(生おっぱいをたくさん見たのに)という補完の違いはあるが。

(注4)安パイ・・・安全牌 の略。

(注5)https://kotobank.jp/word/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E3%81%AE%E7%A7%8B%E5%88%80%E9%AD%9A-643655

2021-10-06

アメリカ空気読まなくていい!←単にアジア人から仲間に入れてもらってないだけだった

他の日本人は知らんけど自分はそう。まあでもわりと普遍性のある話なんじゃあないかな。でなきゃアメリカ学校「みんなと違う」という理由イジメとかおこらんし、強烈なはたき落としスクールカーストなんて存在し得ない

2021-09-25

https://anond.hatelabo.jp/20210925061319

敵対者思想論理だけを借りて相手批判

ここがよくわかんないんだけど、同じ理屈批判されて、その批判有効であるなら、

問題があるのは批判する側じゃなくて理論側なんじゃないですかね。

理論普遍性そもそも足りてなかったってことじゃないの?

2021-08-21

なぜニューススポーツばかり取り上げるんだ?

政治はわかる。事件もわかる。

でもスポーツってそんな普遍性ある?

みんなそんなに誰もがスポーツ好きなの?

いやそりゃスポーツ好きな人はいるだろうからニュースになること自体はわかる。

でもスポーツ好きな人がいるのと同様にほかのことも好きな人も多いわけじゃん。音楽とか漫画とか。

もっといろんな報道しようよ。なんでスポーツ一辺倒なんだよ。

本日開かれたシエスタ大会で~」みたいなニュースもっと読みたいんだよ。

anond:20210820215919

普遍性がある≒斬新さが無い、となるからだろ。いくら面白くても初見で斬新さが無いととられたら、確立されたコンテンツ以外は海外では売りにくい。

ガンダムW売れた理由は、完全にギーグ女へ向けて作った作品が目新しかたからでは。

2021-08-20

anond:20210404105625

普遍性あったら海外もっと人気でるだろ

ガンダムが一番海外受けしたのはWなんだよなあ

2021-08-16

anond:20210816185954

anond:20210816202811みたいな指摘には反論できないからって、

「結局〇〇してるだけだよね?」と投げやりに言い放つ"だけ"。

一大産業として発展するeスポーツの勢いが、何かしら気に入らないんだろう。

そういう輩は、チャチな理屈批判した気になるもんだ。

eスポーツルール普遍性がない(大嘘からダメだ」みたいな。

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