はてなキーワード: 理想論とは
そらまぁ契約する権利だの障害者の自己決定権とかこねくり回してごたごた言ってるけど本音は女が騙されてようが搾取されてようが知ったこっちゃないし風俗やAVに出てくれて安定したオカズ供給されてれば良いだけなんでそんな理想論出されてもって感じだよ皆。
障害者の契約する権利ってのに必死になってる人、未成年女性のセックスする権利に必死になってる人のような気味悪さがある。
風俗とかAVなんかは当事者へのケアとか福祉支援が充実していることが大前提としてあって、さらにその福祉支援にどんな人でもすぐにアクセスできる状態があって、
貧困層とか障がい者はすぐにきちんとした福祉支援も性教育も受けられて、働ける場所も職種も業種も健常者と変わらないぐらい豊富になった上で、
それでもあえて風俗をやりたい、AVに出たい、という場合だけ選択できる職業というのが理想。
あくまで理想論でしかないけどこの理想すら共有できない、理想を現実にするために何をすべきかを語れないで障がい者の契約する権利を語ってるならただただ性的搾取の理由を正当化したいだけだと思う。
ここでいう進歩的左派とは、現状と理想の差を進歩によって埋めようという人々だ。これは保守的右派と対になる。そしてある一面で、進歩派は保守派よりも言行の不一致が起きやすいといえる。なぜなら進歩派は、現状、つまり今行っていることを、理想、つまり思い描いた善い状態に変更しようと試みるのに対し、保守派は今行っていることをこれからも続けようとするからだ。現状維持のほうが言行一致しやすいのは当然と言える。さらに進歩派はしばしば「情動」に逆らう。病によってただれた肌は見る人にしばしば嫌悪を催させるし、見慣れない肌の色はある種の警戒心を刺激するが、進歩派はその類の「情動」に逆らって行動を律することを欲する。基本的に言行一致のための難易度が保守派よりも高い。もちろん実際には保守派も復古と称してまったく歴史に裏付けのないことを始めたりするのだが。
では理想論とはなにか。例えばA地点からB地点まで移動する状況を想定してみよう。二点を直線で結ぶ道を選ぶのが理想だ。でも実際には途中に山や谷があり、あるいは賊が出るとか、体力の問題で途中の街によって休まなければいけないとか、様々な実践上の妥協として遠回りが必要になる。にもかかわらずそれらを無視して直線ルートを強硬に主張するのが、「嫌われる理想論」だろう。
そして進歩派と理想論は隣接していると思う。しばしば併発するといっていいかもしれない。進歩のためとうそぶいて理想論を振りかざす。さらに選民思想(これは保守派にもしばしばみられるが)が加わる。嫌われて当然だと思う。クソ野郎である。でも私は幼き日の私のただれた肌を看護師が慈しんでくれたように、この醜い進歩派を赦そうと思う。
プライムニュースで日本の安全保障政策について小池晃が頭お花畑理想論を語って小野寺五典がそれができたら苦労はしないよ…って表情で苦笑いで諭してるシーンを思い出した
店に感謝するのは自由だが、これまで欠陥のある商品を提供してきて散々批判されてからしぶしぶまともな商品を出すようになった店が感謝されることはあまりないだろうな
できて当たり前のことをこれまでしてなかっただけだから
「桶屋の私が儲かったのは風が吹いてくれたからです」
抗議の声を挙げた人は風ではないし目を潰したのでもない
しいていうなら「経営に苦しんでいる桶屋がいる、できればそこで買ってやってくれないか」と頼んだ人が相当するだろうな
②いや例として価値観を例えたわけで
単純に例えとして適切ではない
つまり偽物が何人いようと偽ソースを何人が出してこようと、結果影響を与える発言をした人間が「だってそういうソースがあったから」と言ってもその責任を負えばいいし負うべきだろうと思うわけです
嘘をつくここと、嘘を正すことの絶大なコストの差を無視している
その言ってる人と行動が伴ってない人が近いというかそういう環境にいるからそういう視点になるのかなというか
実際の効果を発生させるのと
力的なものと
にわかれるやん?
漫画とかよくありがちだけど
確認調整 ➡ 管理職:実務役が兼ねてる場合もあるけど出来る事担当がすべき事に対して役割を割り当てる
実際の効果 ➡ 目標:目的達成までの道のりを埋めるための最短の成果
技術的なもの ➡ 割り当て:必要な成果のための能力が必要分そろうために人数か才能をそろえる消費を調整
力的なもの ➡ 実務:とりあえず成果のために必要な才能や技術の不要な要素
なんとか王に俺はなるっていって、次のページになれました、なれませんでした、って終わらないじゃん?
その目的に対するリーダーがちょっといい加減でも、目指してる行動や実働の部分には評価すべき点があったりするわけで
目的の発信者が行動者で、さらに行動に結果が伴っていないってそれ「いいこと言ってる」の言葉で目標をたてた時点ですら評価対象にならないんじゃない?
なんでそんな人の口先だけの「いいことらしき事」を評価しちゃうかなあ それは環境がよろしくないのでは
やるなら何かというのが経路の視点で
やってるんだけど、こういう状況というのが経路の視点で
やってることはこういうこと、というのが確認調整の管理の視点で
実際そのためにこういう結果がでてますよ、こういう効果がありますよっていうのが効果の視点で
そのために〇〇があるんだろ、○○を研究してるのはそのためだっていうのが技術的なもので
私らみんな税金納めてるんだから、っていうのが力的な視点なんじゃない?
ちょっと生活環境か交友関係かなにかそのあたりがやばい気がするのでもっとよい社会的な行動をしてる組織や個人とつながった方がいいと思うよ
理想論だけで行動が伴わない上辺だけの偽善者が嫌だというのは同感。
だが最近人権に関する本を読んだんだが、人権に関することに賛同・批准するのは国家にとっては、
外側から内政干渉を受けて人権を守るように圧力をかけられるので、
かなり都合が悪く、必ずしもそれ自体にメリットがあるわけではないのだそう。
でも多くの国が戦後いろいろな理由から建前上人権を大事にするアピールをしたので、
その後都合が悪くなってもそのシステムを守る努力をせざるを得なくなった、という流れがあるそう。
それで言えば、上辺の偽善者も少なくとも大っぴらに差別しまくったりはできない。
障害を陰でバカにしたヤツも、内心どれだけ差別心に溢れていても、みんなの前で表立って差別して障害者を足蹴にはできないはず。
だから、誰もが自分の心に正直に差別するような世界より、何割か嘘があっても差別がそこらに溢れず、
理想論を語る奴が昔から現実でもフィクションでも嫌いなんだけど、それは多分自分が何度もそれに裏切られてるからというのもあるんだろうな
弱者差別をなくしていくべきみたいに言ってる人が陰で耳が聞こえない同僚をバカにして笑ってたりとか、
なんかそういうの見て夢が覚めてしまうみたいなことが多くて、理想論に全然共感できない
平等な社会、差別がない共生社会、ハアご立派っすね笑になってしまう
全然そうするつもりがないんだよな本人に。自分の好きなものだけが平等で、そこで自分が快適に暮らしたいだけ
視界に入って欲しくないものは害されても全然気にならんのに随分夢デッカいな笑笑って思って何一つ共感できん
自分が見たいものだけの世界で自分が居心地良くなりたいってだけのことをきれいに話すのが上手いなあという感想しか出てこない
なので差別も偏見も全然このままでいいんじゃねってずっと思ってる いかんのかな みんな次のスケープゴートを見つけて追い込むだけなのになあ
理想論を語る奴が昔から現実でもフィクションでも嫌いなんだけど、それは多分自分が何度もそれに裏切られてるからというのもあるんだろうな
弱者差別をなくしていくべきみたいに言ってる人が陰で耳が聞こえない同僚をバカにして笑ってたりとか、
なんかそういうの見て夢が覚めてしまうみたいなことが多くて、理想論に全然共感できない
平等な社会、差別がない共生社会、ハアご立派っすね笑になってしまう
全然そうするつもりがないんだよな本人に。自分の好きなものだけが平等で、そこで自分が快適に暮らしたいだけ
視界に入って欲しくないものは害されても全然気にならんのに随分夢デッカいな笑笑って思って何一つ共感できん
自分が見たいものだけの世界で自分が居心地良くなりたいってだけのことをきれいに話すのが上手いなあという感想しか出てこない
なので差別も偏見も全然このままでいいんじゃねってずっと思ってる いかんのかな みんな次のスケープゴートを見つけて追い込むだけなのになあ
理想を諦めたら社会は良くならない、と言うのは頭では理解してる。
だから理想としては差別はいかなる人もされるべきではないし偏見も無くすべきと思うんだけど、
その一方で、それこそここも含めて、ネットを見てればみんな心の中では見下す属性があり、
それが多くの人々で共有されていればその人らは敬遠されても仕方ない、という空気があるよね。
それこそ上で書いた障害を持つ人とか、理想としてみんな共生していこうと言うけど、
実際問題として自分の家の裏に障害者支援の施設が立ちますというとき、
そんなの冗談じゃないと言わないでいられる人がどんだけいるの?と思ってしまうのよ。
not in my backyardのことなら何でも言えるだけだろという苛立ちになってしまう。
自分が直接そのことに関わらないから、口だけならなんとでも言えるわなと冷めた見方になる。
自分はこう思うし実際こういう活動もしてる、って人の理想は別に嫌じゃない。頑張ってほしいと思う。
つまるところ自分は全然差別するし偏見もありありだけど、自分のもつ属性はバカにされたくない、
それをあたかも人権尊重とか差別反対みたいな綺麗事に包むその二面性が自分は嫌なんだよね。
俺が私が不愉快だからお前らは配慮しろってありのままに言って欲しいんだよ。
自分が嫌いで邪魔な奴にも平等公平であってほしいわけでは全然ないでしょ。
そういう実態を伴わない理想論者がすごく嫌で、そういう人の言う理想自体も嫌、と思ってる。
潔癖すぎるんだろうな。大人になればいいんだろうけど。
ここの文化知らんけど便利そうだったのでメモ帳替わりに認識できた範囲で書いてみる 多分結構間違ってる フェミ嫌いの男性引きニート視点
たわわ騒動で色々騒がれる所にBL作家の作品が不健全図書指定を喰らってツイで愚痴っていた。
ただその作品内容が男性向け作品視点だとどうみてもアウトなうえ、作家も男性向けの規制を肯定する立場だった。
反フェミニストの人がBLと男性向け作品の規制の差は性差別だと主張。
たわわの広告程度が騒がれてた一方、白抜きとはいえ性器や性行為の類似行為が描かれる作品が「一般向け」に出されていた。
行政の指定を受けるのは当然だし、なんでBLはこんな緩いの?となる。
んで、BL書籍にも男性向けと同等のゾーニングが必要なんじゃないかと
ただゾーニングとなると自主規制とはいえ規制の強化となる。表現の自由を守りたい人(表自戦士なんて言われてもいる)的には規制には反対。
BLは表自戦士の理念的には守る対象、なのだが逆に腐女子は萌え絵作品を守ってきたのか、となるとかなり微妙。
ここ十年の萌え絵叩きに加担する腐女子を結構認識されており、萌え絵を叩いてたフェミニストがBL好きを公言しているのも確認。
萌え絵は性差別の助長だなんだ言ってる一方BLは問題ないとするフェミニストの意見を「BL無罪」なのだと認識する反フェミ。
反フェミの論調にBL助けないなら萌え絵だって助けない、とする腐女子もいるが、反フェミ的には萌え絵はずっと殴られてるねん何を今更、といった感じ。
BL規制するより逆にそもそもの成人規制をなくそうよ、という腐女子や表自戦士もいるが、そんなこと主張したらもっと世間に叩かれ大打撃を受けるだけだというのも人もいた。
反フェミニストと表現の自由戦士はかなり混じっている。表自戦士は萌え絵を叩くフェミニストに怒り心頭だし
同様に腐女子とフェミニストと女性の表自戦士も結構混じってると思われる。ただ、腐女子が萌え絵叩きに反対する、ってのが公言しにくい環境にあるっぽい。
女性蔑視をするオタクが普通にいるように、男性の趣向を拒絶する腐女子も相当数いるっぽいし、なんなら男性趣向に共感する女子を迫害する流れもあるらしい。
まぁ腐女子界隈がカプの隠語での区分や同担拒否、解釈違いでの争いなんかを聞く限り、集合と離反が多くあるし争いの種を極力なくそうとする感じがあるんだろう。
また二次創作界隈と一次の商業BLでの隔離もある。同人BLだと逆にゾーニングは厳しい。商業BLのことを他人事だと思ってる二次創作腐女子も多いだろう。
まず東京都の青少年健全育成条例?の改正での大騒ぎは10年以上前の話である。ロボット少女の表紙が問題になったやつより前なはず。
当時の条例改正反対の動きの時、たしかにBL視点での反対を言っている腐女子の人がいたのを少し覚えている。が10年以上前のことである。
当時共産党含め野党系が反対の立場にいたが、今となっては共産社民は表現規制を叫ぶ立場になった。
不健全図書指定の基準が特に変わったという話は聞いていない。BLが一番やばかったのは昔から同じだ。
条例の文言には不満があったが、委員会の議事録が残ってるはずだし、議事録内容がやばいみたいな話は聞いていない。結構委員会みんなちゃんと読んではいた。
不健全図書指定はBLが多いのは、男性向けがとことん自主規制と区分けをした後だから、ってのが理由だと思っている。エロ雑誌くっそ分厚くなってるらしいし。
性的な内容を自主規制しゾーニングすれば不健全図書指定は回避できる、が一般の流通は無くなり販売は厳しいものになるだろう。
ゾーニングしなければ一般流通に流せるが、内容がそのままなら定期的に不健全図書の生贄がでる。そもそも行政的には一般向けで内容がアウトなら出版社の都合など関係ないのだ。
ゾーニングするのが正しい正しくないとは別問題で、出版社の力量と覚悟でゾーニングするかが決まる。
ただ不健全図書指定以外でゾーニングする社会的・利益的な理由がなかった。今まで「BL書籍は不健全」みたいな社会的圧力が無かったのが男性向け書籍との違いである。
ただコンビニのレディコミがコンビニエロ本撤退の際同時に消えた、みたいに男性向けの規制が女性側にもかかるのは普通にある。
腐女子という人達の内向的性質上、政治的意見を主張する人は出てきにくいだろう。逆にフェミニストは政治参加をすんごくする人達ばかりだ。声がでかい。
なのでBL趣味だと公言するフェミニストが政治的な腐女子の代表みたいなことになっている。彼女らは声がでかい上に地位も持ってるから主張が通りやすい。
実際問題そのフェミニストがディープな腐女子なのかというと違うのだろう。ただ愛好家なだけ。ディープな腐女子だったらそもそも本名での発言とかできなさそうだし。
ただ多くの腐女子がそのフェミニストを否定してたかというと、否定はしてないというか興味ないというか気が合う部分だけは乗っかるとか、かなり曖昧。
(ただでさえジャンル・カプ間の争いがあるのに)争い事の種なんて出したくなかったのだろう。
んで一緒になって萌え絵批判している腐女子アカ、という形で反フェミの批判対象に入っている。
正直腐女子とフェミと同一視はしたくないし敵視したくもない。明確な区分すらほしい。だが腐女子さん達は無責任だとも思っている。
もし仮に腐女子さんたちが助けを求めてきても、萌え絵叩きの時声一緒に攻めて来なかったか?とか思うし
ゾーニングに関しては、男性向けは都条例に対応してきたよ、BL側も頑張ってね、としか言えない。それ以上の対応をそもそも知らないのだ。
規制は不合理な部分があるけど、規制をなくすみたいな方向性の議論は今そんなこと言える社会的状況じゃないし(こちとら一般向けのラブコメすら叩かれているのに)
そもそも男性向けの規制には賛成してた腐女子いたのに、BL規制は助けてみたいな非対称的な論調には賛成できない。
男性向けの規制とBLの規制の非対称性について、えーこれ許されていいのー、と思わないわけでもない。
ただ確かに10年前、都条例に反対する腐女子の声を見たことがあるのだ。そういう人が少なからずいることを信じたい。
ポリコレやフェミニストによる表現の否定に対抗できる意見を出してくれる腐女子がいればいいなー、と思う。
理想論で山田太郎的な旗印がいれば最高なのだが、それが腐女子の代表として扱われるか微妙だしかなり難しそう。署名活動とか意見書でもいいのかな。
あと個人としてぶっちゃけBLゾーニングは適当にしててもいいと思っている。定期的生贄は出すだろうがBL読まない人にとっては無理にゾーニングする必要を感じていない。見なきゃいいだけ。
定期的な生贄が嫌だとなったらそりゃゾーニング頑張ろうねってなるけど。男性向けはすでにゾーニングでの撤退戦をしまくった後なのだ。そもそも戦い方を自分は知らない。
それと似たような系統の話で、現代社会は男が中心という構造が根底にあって出来上がってる社会っていうじゃない?(仮にそれを男社会と定義する)
男社会へ女が進出するから女は苦労するんだと。
では男社会というものが定義できるのであれば、男社会の鏡面にある女が中心という構造が根底にある女社会というものも定義できるはずなんだけど、女社会がどのような社会なのか?というのを真面目に語られることって実はそれほどない
女が進出しやすく生活しやすい女社会があるはずなのに、それを定義し構築しようとはあまり誰も真面目になって考えようとはしないんだよね
おそらくこれはバイアスだ
男社会を否定する論者たちですら社会の形は男社会という形態しかないと思い込んでるし思い込まされているわけだね
ジェンダーフリーの理想論を語るならば男社会と女社会が両立され社会全体を構築し、両性は自由に男社会へ進出するか女社会へ進出するかを選択できるべきであるはずなんだ
でも実際はそうなっていなくて如何に女を男社会へ進出させるか?しか議論されてないってわけ
もちろん当然ながら女社会の形態がよくわかってないので、男が女社会へ進出させるって議論も行われていない