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はてなキーワード: 理想論とは

2018-12-14

モチベーションについて話そう

今日はてな仕事モチベーション話が続いたので、ちょっと思うことを書く。

仕事モチベーションには、大きく分けて金銭的なもの社会的ものがある。そして、この2つは共存し得ない。

例を挙げよう。

小さい頃、母親に買い物を頼まれたことがあるだろう。夕食を作っている途中でお醤油が無いとか、玉ネギが足りないとかで、

ちょっと近くのスーパーまで行ってきてくれる?』と頼まれる。

買い物を終えて家に戻ると、『ありがとう。助かった』と母親は言ってくれ、自分が役に立てたことが嬉しかったりしたものだ。

これが社会的モチベーションだ。

そしてその数日後、似たようなことが起きた。

母親は何度も悪いからと、お小遣いをあげることにした。『100円あげるから、またスーパーまで行って来てくれる?』

もちろんタダでやっていたことが有料になるのだから良いことだ。

そして、ここが重要だ。

その時、君は『忙しい母親を助ける』というモチベーションを持っているだろうか?既に100円もらえるという金銭モチベーションに変化しているはずだ。

この変化が生じた時点で、社会的モチベーションは消えてしまうのだ。

この現象日本経済歴史でもある。

戦後日本は『戦後復興』が働くことのモチベーションだった。その後は高度成長、日本列島改造論と続く。

今よりもっと豊かな日本へ。

多くのサラリーマンにはその自負があり、実際、その年代の方からそういう自慢話は良く耳にする。

彼らは社会的モチベーションで働いていた。

それが変わったのがバブルだ。

日本中に金が溢れ、サラリーマン給料も上がった。戦後復興や高度成長のような社会的モチベーションは無いまま、

多くのお金は退廃的で享楽的な浪費に使われ、働くことは金銭モチベーションへと変化してしまった。

そうなると、バブル崩壊しても社会的モチベーションには戻れない。

誰もが母親からお小遣いをもらってしまったのだ。

そうするとどうなるか。

働かないオヤジ誕生である

逆に、不景気現代フィットした形で社会的モチベーション悪用したのがブラック企業だ。

彼らは、『お前がやらないと取引先に迷惑を掛ける』『お前に辞められたら、ウチは倒産だ』と

社会的モチベーション従業員酷使する。でも、利益が出ても決して給料は上げない。

上げるとどうなるか。

従業員は、それが社会的モチベーションなら過酷労働環境我慢してしまうが、

給料が上がると我慢に対する対価が数字として表れてしまい、

『この労働環境でこの金額ではやってられない』と目覚めてしまうのだ。

からブラック企業給料を上げないことは、生存戦略としては正解なのである

そして、ここまででは無いにしても、似たようなことは日本の多くの企業で起こっている。

では、今の日本金銭モチベーション提示できれば、

良い会社、良い労働環境は生まれるのだろうか?

最近、NTTから退職エントリー話題になった。彼らは確かに、将来的なサラリーの上限について言及はしていた。

でも、退職理由は違うことだった。

もし彼らに『君は優秀なので、給与規定改定してGAFAと同じ給料がもらえるようにします』と会社が回答したら、

彼らは踏みとどまっただろうか?

かに金銭的な問題重要だ。

でも、もし会社がそれをモチベーションとする場合、それが社員にとってモチベーション足り得るものでないといけない。

NTTの場合で言えば、GAFA以上の金額提示必要だ。

そして、社員社会的モチベーションを持たなくなるリスク自覚すべきだ。

給与査定に係ることでないとやらない、誰かが困っても助けない、面倒な客はやらない、

顧客に適した提案よりもクロージングテクニックを磨く…。

社長やチームリーダーには、そんな彼らをマネージメントするスキル必要になる。

果たしてこのこの人手不足時代に、その期待に応えられる人材を集められるだろうか?

そしてこの不景気時代に、彼らを満足させるだけの条件提示を出来るだろうか?

もしそれが無理なら、いかブラック化させずに、

会社も(ここが重要)、社員社会的モチベーションを持ちながら、共に進めるかを模索していくべきだと思う。

最近ではR25でZOZOの田端氏が肉の写真を貼った経験談をしていた。

はてなでは嫌われキャラだが、非常に上手い手法だと思う。

彼はここで、『プロジェクト成功したらボーナス出させる』と社長に掛け合ったりはしていない。

数値目標を貼りだして、『それが成功したって、給料上がらないでしょ』という

金銭モチベーションを呼び起こしそうなこともしていない。

あくまでも、部下がチームに貢献出来た状況を見える化させ、

社会的モチベーションを引き出すことでプロジェクト成功させている。

こうして会社の業績が上がり、『結果的に』給与が上がるのなら、それが理想だと思う。

今の日本で、企業社会的モチベーション提示できていないことは大きな問題だ。

営業には営業の、職人には職人の、医師には医師の、エンジニアにはエンジニアの、

それぞれの職業において、またはプロジェクトにおいて、会社はそれを提示すべきだと思う。

これは理想論ではない。

その方が会社の業績に良い結果を生むと私は思っているし、ブラック企業やそれに類するものではない、

真の意味での社会的モチベーションからまれ給与のアップは、そこで働く人を幸せにすると思っている。

2018-12-10

anond:20181210161908

理想論に合わせて現実を変えようとするのはご立派だが、

現実に合わせて変質した理想論をもとのままだと思うのは愚か。

anond:20181210161632

ポリコレ理想論だとしても、現実に対して向けられる論である以上は現実から逃れられない

anond:20181210161521

ポリコレ理想論なんだから「でも現実は〜」とか言われても屁でもないぞ。

2018-12-06

anond:20181206175300

教科書に書いてある理想民主主義現実に起きているとでも?????

選挙人気投票じゃないとか思ってるからいつまでたっても勝てないんだ。

もしちょっとでも自分勉強してるつもりなら、理想論じゃなくて、現実アメリカ大統領選の逸話とか調べたほうがいいぞ。

激務な彼氏同棲をしているけれど、限界が近い

彼氏同棲を始めてからもう一年近く経つ。

最初のうちはかなり楽しかったけど、最近はかなり限界がきている。


多分その原因の一つが、同棲している彼氏がかなりの激務だということ。そして私自身も働いているということ。


ひとそれぞれ激務の種類は違うため、読んでいる人の中には「こんなん激務でもなんでもない」と思う人もいるかもしれないけど、体力がない私にしてみればかなりの激務のように思える。


そんな彼氏最近の勤務生活はというと、朝6時頃起床し7時には出かけ、そして夜23時ころまで帰ってこない。(約15時間勤務?)

もちろんそんなんでは帰ってきても深い話はできず、30分くらい話してお互い就寝。

土日出勤も多く、平日は出張そもそも家に帰ってこないことも多いため、同棲しているのかしていないのか分からないことも多い。


30分話す内容はだいたい彼氏仕事愚痴で、私も仕事でつらいことがあってもなかなか切り出すことができない。

彼氏のほうが確実に忙しいし、愚痴を聞いてくれる余裕がないように思えるためだ。

他の話もしたいのだが、本当に時間がない。


家事ももちろんほぼ私任せ。専業主婦ではないため、私もクタクタ。(もちろん家事は無給だし疲労ばかり募っていく)

今の時代では専業主婦になるという選択はかなりリスキーであるし、生きていくにはお金が不可欠でどうしようもない。

でも、私が家事をやるしかない。時間がないという物理的原因があるため、彼氏には家事を任せられない。


同棲を始めてまもないころはここまで激務ではなかった。ただ、今年6月を過ぎたあたりからどんどん激務になりはじめ、夏には彼氏が過労で中期入院した。

入院後にはさすがに退職転職することを勧めたが、聞く耳を持ってくれず、結果上に書いたように激務な生活が続いている。


私は彼のことを好きなため、別れるという選択肢をとれない。多分別れたほうがお互いのためになると思うのだが、私自別に彼氏特別嫌気がさしているわけではない。

ただ、この生活がいつまで続くのかわからない。彼氏結婚意志があるかもわからず、いよいよ私がただの家事ロボットのような立ち位置になってきたと感じる。


日本人は過労気味である」というのはもはや世界共通認識のようになっているが、だから結婚比率が落ち、少子化に繋がっているのだと思う。

お互いがお互いのサポートで精一杯で、育児にまで手が回らない。第一子を授けても、第二子までの余裕がないのだろう。


最初は「(いつになるか分からないが)本気で彼と結婚したいか同棲をしよう」という意気込みで同棲を始めた。

が、今はただただ激務の彼氏サポートに徹している。結婚の話も出ず、30分ほどしか家にいない彼を見て、ほとんど別居状態だなと思うようになってきた。


このことを母に相談したが、「相手は変えられないということを心に刻んでおいた方がよい」という言葉をもらった。


さすがに結婚生活30年の母の言葉は重いなと感じたが、このまま激務が続いたらどうなってしまうのだろう。


また彼氏が過労で入院し、それでも会社にこき使われ続けるのだろうか。

私も生活のために仕事家事を両立していかないとならないのか。彼氏が私のサポートをしてくれる日は来るのだろうか。


とにかく毎日しんどい。逃げ出したいとよく思うが、未来が見えない。

同棲生活でこれなのに、今後があるのだろうか。


日本ブラック企業は、確実に家庭を壊している。そして、そんな企業で働いている人もまた被害者だが、サポートしている方も被害者になっているということをよく理解してほしい。


男は仕事、女は家事という時代はもう終わったと言われているが、実際問題理想論しかない。

お互いが同じ量の家事ができればよいが、それもまた理想論しかないと感じている。

とにかく未来が見えない。ブラック企業・激務は家庭を壊していく。


私自身が体力に自信がないため、とにかく不安しかない。

激務がまた来年一年間続くのだろうか。途中で共倒れしないよう祈るしかない。


共働き彼氏旦那が激務な人はどのように乗り切っているのだろうか。

私がもっとしっかりしなければいけないのか。疲れ果ててしまった。

時間がないと、先のことをこんなにも考えられないとは…。今はとにかく時間がほしい。二人ともゆっくりできる時間


落ちもなく解決策を挙げるわけでもなく、ただの愚痴ブログになってしま申し訳ないが、本当にどうしたらよいのかわからない。

ただ、彼氏本人に言っても解決するわけでもない。どうしたらよいのだろうか。

2018-11-22

anond:20181122192811

過去15年位、欧州北欧はてサのお手本みたいな感じだったが

ここ数年、特に移民を契機にボロが目立ち始めて、右か左かっていう理想論よりもっと現実論になってきた感じがするな

アメリカ自由の国って言ってたのがトランプを契機に徐々に変わってきてるし

じゃあ当事者ではないはてサみたいなタイプはどうするのか

海外追従するのか、過去欧州の亡霊を追い続けるのか、他の国に鞍替えするのか、自分の頭で考え始めるのか

 

正直ちょっとおもしろ

 

鞍替えするならどこなんだろう、カナダ豪州かな

2018-11-07

anond:20181107133746

ネトウヨ排外主義を唱えるな」←これは民意否定からよくないね

ネトウヨ排外主義のここがおかしい」←もちろん批判はするよ

排外主義を唱えたことを左派のせいにするな」←相手のせいにして開き直るのはよくないね

わかる?

誰も「排外主義を唱えたことを左派のせいに」なんかしてませんけど。

これ。 排外主義を望んでる民衆一定の数、それも少ない数いるって事実から目をそらしたお花畑リベラルが悪い。

これがそう読めるんならちょっと国語力なさ過ぎちゃう

おれは「理想論排外主義否定して民意に目を向けない左派が悪い」と言ってるだけ。原因が左派はいっとらんわ

2018-11-02

小学校モットーとか教育方針胡散臭い

仕事関係でよく小学校に出入りするんだけど、貼ってある目標とかがあまりにもきれい事すぎて胡散臭い理想論であることは重々承知のうえでうたい文句としてそう書いてあるならまぁしようがないけど、本気で教育の力でそういうことを実現できると思っているのならその教員の頭の中はお花畑ではないかと思う。

典型的なのが「みんな仲良く」。子どもが幼ければ幼いほど、友達には自分と同質であることを求めるので、結果としては異質な人間排除していじめる方向に行ってしまうと思うんだが。

教えるべきなのは「人にはそれぞれ個性があり、どうやっても自分と気が合わない人というのが存在する」ということと、「どうしても気が合わない相手と無理に仲良くしようとしても無駄なので、ほどほどに距離をおいた付き合いをする方が上手くいく」ということではないだろうか。

大人だって価値観が違う人間が無理に仲良くしようとするとトラブルを起こすというのに、子どもにそれを求めるのが無理というもんだろう。まず、世の中には自分と違う価値観環境で育てられた人がいて、自分価値観が一致する人の方が少ないということを認識するのが重要だろう。

それに「友達100人できるかな🎵」という歌(タイトルは忘れた)が代表するように、小学校で「友達が沢山いる子が偉い」「友達ができないのはダメな子」みたいな価値観を植え付けることによって、個性が強くて(あるいはコミュ力が低くて)仲間がいない子の自己評価を下げることになる。

そういう自己評価は下手をすると大人になっても続く。「コミュ力が高くて友達が多く、プライベートが充実している人が偉い」的価値観は、小学校時代に植え付けられた価値観によるところが大きいと思う。

人間そもそも人の長所より短所に目が行きやすく、グループになってつるむとき共通の敵を作って悪口を言うのが結束を強めるのに効果的だったりする。そういう人間性質無視して「みんな仲良く」を強いるのは無理なのだ

個性的で皆と違うものを持っている人の存在価値を認める」「みんなと一緒にいるより一人で過ごす方が楽な人もいる」「人と仲良くしたくてもコミュニケーションスキルが低くてみんなと同じようにできない人がいる」という現実を教えるのが学校役割ではないのか。

他にもいろいろ突っ込みたいところはあるが、一番小学校時代教育大人になっても生き続けるのがこの価値観だと思うので書いてみた。

男女平等なんて夢物語だろ

男と女なんて、根本的に生物として違う。

男のほとんどは下半身に脳がついてるし、女のほとんどは論理的思考ができない。

はてなの皆さんはくだらない理想論を語ったり、多様性とか寛容やらいう欺瞞で悦に浸ってるけど、そこに真実はないんだよ。

2018-10-18

anond:20181018002206

理想論かも知れんが自分はそこまでバリバリ出世して働きたいとは個人的には思ってない

女が働けないのが人権侵害だってのは分かる

ただ、女も全員会社第一出世コースに乗りたいわけじゃないように(そのコースに乗る権利がないのが不公平)、今の男の中にもそこまで働きたい奴ばっかりじゃないだろうなって思っただけ

2018-10-09

anond:20181009193932

そら理想論はそうだしそうなったら良いなと思うけど実際そうすると隙があると舐められて通常の上下関係にならなくなる

anond:20181009193933

対話をするには対話をする場所必要。間に立つ人も。それらを揃えて対話をしてはじめてそういう感想を持つの理想論で、後はどれだけそれに近づけるか。

twitterでもはてなでも増田でも対話ができる場所ではないでしょ。

規制反対派は絶対数は少ないだろうけど、ネット上では数的優位だし、オープンネット対話が成り立つとは思わない。

2018-10-08

ベンチャー経営陣がついつい犯しがちな20のコト

当たり前のことを何をつらつらと書いているんだとツッコミを受けそうですが(笑)

自分自身が自社や他社を見て感じたことを備忘録的に書いてみます


中には理想論のように見えること、時にはそうせざるをえないこと、

ベンチャーからこそ許されてしかるべきこと等もあるかもしれませんが、

組織の中にずっといるとその異常性に気付かないようなことや、

モヤモヤしつつも誰も異を唱えられなくなっていたりするようなことを、

改めて見つめ直してもらえたら幸いです。(もしくは、あるあるネタ的に捉えてください笑)


また、ベンチャー企業において、起業黎明期、拡大成長期、転換過渡期等のあらゆるフェーズを、

社員中間管理職役員子会社社長等の様々な立場で見てきて感じたこと、

そして自分自身、下記のうちで実際に出来ていたことは決して多くないので、

その自責の念悔恨の思いで書いたというのも正直なところでございます


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ビジョン社員に伝えない、ビジョンがぶれてしま

 →常にビジョンをぶらさず、口頭や文面等で全体に伝え続けるべき


②社内で社員ゆっくり話す機会を積極的にもたない

 →常に社内をしっかり見て、コミュニケーションにも時間を割くべき


③売上を生まない部門の人選や評価を軽視してしま

 →コスト部門という考え方を捨て、部毎の評価基準も別途作るべき


④周りの意見を聞かず、勢いやノリだけで意思決定してしま

 →重要決断の際にはきちんと情報収集し、しっかりと検討を行うべき


⑤派手な私生活素行の悪さ、ワークライフバランスの崩れ等を見せてしま

 →私生活でも模範となり、そのライフスタイルも憧れられるようにすべき


⑥部下からの頼まれごとの優先度を下げたり、無視してしま

 →そういう時こそ早さとクオリティで手本にされるような対応を行うべき


組織体制がころころ変わり、目標計画意味があまりなくなる

 →組織としての在り方や評価基準を設け、目標計画意識させるべき


⑧一人の担当範囲を広げすぎる、作りっぱなしが多い

 →任せる範囲をある程度絞り、個人専門性も高められるようにすべき


案件を選ばず、すぐにお金になりそうな案件や大型の案件に飛びつく

 →短期的な売上に捉われるのではなく、しっかりと案件を選ぶ眼を持つべ


⑩怒鳴り散らしたり暴力をふるう等、品のない言動をしてしま

 →感情的になることを控え、常に理性的かつ冷静な対応をすべき


採用時間お金をかけない、特にリファレルの場合は極端に人物評価が甘い

 →少数精鋭だからこそ組織とのマッチングを重視して慎重に採用すべき


社員に対して中途半端に隠し事をする、重要情報の共有が遅れる

 →できるだけオープンにし、小さなことでも即時共有できる仕組みを作るべき


新規事業の結果が出るまでに待てずに、すぐに打ち切ってしま

 →やると決めた事業には、とことん人と時間投資いて育てる覚悟を持つべ


⑭謎のプロジェクト説明不足のまま社員を巻き込んでしま

 →意思決定プロセスにも社員を巻き込み、腹落ち感や当事者意識重要視すべき


社員に対して心無い発言をしたり、無理やり経営者と同じ視点を求める

 →社員立場になって考えたり、社員感謝リスペクト気持ちを持つべ


⑯働く場所時間無駄に縛ったり、細かいルールを作ってしま

 →成果を大事にし、性善説個人自主性を重んじたルール作りをすべき


タスクの振り方が粗く、振る量を誰かに偏らせてしま

 →個人の抱えているタスク量を把握し、全体のバランスを考えて振るべき


プロジェクト単位でのフィードバックをせず、反省を次に活かせない

 →改善のための振り返り等を頻繁に行い、個々が成長できる仕組みを作るべき


⑲報告のためだけの会議や、会議のための会議をしてしま

 →情報共有のためだけの会議はせず、人数も必要最低限に絞るべき


クライアントパートナーよりも自社の利益を一番に考えてしま

 →外に対しても嘘をつかず誠実に、長期的かつ良好な関係作りに努めるべき

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もちろん経営は綺麗ごとばかりでは成り立たないですし、

何が正しくて何が間違っているか等は二極論で分けられるものではありませんが、

自身が次に経営をする時はしっかりと活かしていく所存です。

2018-10-06

anond:20181006185047

これから日本昭和時代生活以上を目指さなきゃいけない思っている。

昭和時代の人たちはみんなお金があったけれど今はそうじゃないよね。

みんなが貧乏でみんなが将来に絶望しているような日本じゃなくて、普通に自然生活できるようになって欲しいから言ってるんだよ。正に理想論と言われてもね。

2018-10-04

キズナアイ表現の自由ハラスメント

https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181004-00099263/

この記事の「表現の自由」に対する考え方に、私は同意するところが多い。

だが一方で、表現理想的に捉えすぎているきらいがあるとも思う。表現現場でその「配慮」が、数多のアイデアを殺している現実を、私は見てきた。

記事でも指摘のあるとおり、重要なのはゾーニングだ。誰に向けた表現なのかというゾーニングが適切であれば、表現アイデアを殺す行き過ぎた配慮必要性は低くなるはずだ。

キズナアイの件は、時代の先頭を走る彼女によって、そのゾーニングがずれた結果起きた不幸な事故だろう。彼女には何の罪もないと私は考える。

ではどのようなゾーニングが適切かという議論はとても難しい。少なくとも私には手に負える気がしない。

ただ、そのゾーニングが行き過ぎれば「見たいものしか見ない社会」を助長し、本件でも見られたような意見の異なる他者に対する不寛容をより一層深刻にするだろうと予想はできる。

昨今、ハラスメント問題世間を騒がせている。ハラスメントは「嫌がらせ」という意味だが「同意のない強要」と解釈すると分かりやすい。

セクハラは「性的同意のない強要」で、パワハラは「権力行使した同意のない強要。あるいは権力により同意強要すること」だ。

話は逸れるが、というか逸れまくったうえでの極論だが、もしもバーチャル存在に魂が認められる社会であれば、見た目を貶めその存在否定する今回の意見は、バーチャル世界に生きる存在へのヘイトスピーチと言えるのかもしれない。

しかしそれはいつか未来可能性の話であって、もちろん今はそのようなものは認められない。ただ個人希望としては、私はそのような社会を夢見る。仮想的な魂のありようが、人権のようなもので守られたって良いと思う。

一方的嫌悪感表現し、相手存在のものを貶め否定するヘイトスピーチなど、社会通念上、認められない表現は当然ある。

しかし、社会通念上許される範囲表現である場合、ある特定倫理観をもって、ある表現同意なく抹殺されることがあるのなら、それは「モラルハラスメント」と呼ばれるだろう。「特定倫理観に基づいて、ある表現禁止同意なく強要する行為である

ただし、ここで注意しなければならないのは、ある意見の表明を先んじて「ハラスメントであるレッテルを貼り封殺することだ。

そのような言説は、ハラスメントであることを理由に、社会通念上認められる範囲意見の表明を同意なく禁止する「ハラスメントハラスメント」とでも言えるだろう。書いていて自分でもやや混乱してきたが、少なくとも私はそういう不寛容立場を支持しない。

Twitter創業者のひとり、ビズ・ストーンはかつて「オープン対話はきっと世界を良くする」と言った(※1)

ネット社会一部の人たちはある時期まで、意見の異なる集団がお互いに寛容の精神を持ち、建設的な議論を交わせる未来志向していたはずだ。

それは理想論に過ぎなかったのかもしれないが、理想は夢を諦める言い訳ではない。

私はかつてのWEB2.0信奉者だ。ネット空間善意に抱いた「過激な信頼」を完全に捨て去ることは難しい。

このエントリーが、寛容さについて考えるきっかけになり、世界が少しでも住みよい場所になればと祈り、こういう場所に久しぶりの投稿をした。

※1 乙武さんとビズ・ストーンの対談記事だったと思うが、記事は見つからなかった。動画も残っていないようだ。ただ、ビズ・ストーンがそのような信念をもってTwitter運営にあたっていたことは間違いないと思う。注記の付け方を忘れた

2018-09-30

anond:20180929122613

でも大家族生活するのが当たり前だった時代も、子守りの姐やを雇ったり嫁や未婚の兄弟姉妹を力で押さえ付けて酷使したりする事が普通に起きていたのだから集団育児するなんて結局理想論に過ぎず、面倒事は弱い者に押し付け強者けがハッピー暮らしていけるというのが真実ではないだろうか。

2018-09-28

anond:20180928165909

子供作れも、KKOも、両方共に現実見えてないよな。

自分の中の理想論ばかり言って人の話を一切聞かないから。

何を言っても無駄かもしれんぞ。

2018-09-24

anond:20180924102944

①世の中には現に悪文が存在する

現実としてどうしても読みにくい文は存在し、それを一つずつ潰していくのは不可能なので、

世の中で生きるには「悪文読み解き能力」が必要になってしまう。

理想論ではなく現実問題として、このような読解力を鍛える必要があるという話が1点目。

②難しい概念を、情報を失わずシンプルな文にすることはできない

Wikipediaの「流動性の罠」より

景気後退に際して、金融緩和を行うと利子率が低下することで民間投資や消費が増加する。しかし、投資の利子率弾力性が低下すると金融緩和の効果が低下する。そのときに利子率を下げ続け、一定水準以下になると、流動性の罠が発生する。

利子率(名目金利)は0以下にならないため、この時点ではすでに通常の金利政策限界に達している。金利が著しく低いため、債券の代わりに貨幣保有することのコストゼロとなり、投機動機に基づく貨幣需要が貨幣供給に応じて無限に増大する。

これが簡単な文か難しい文かと言われると、おそらく難しい文だと思う。

しか用語意味を過不足なく説明する上では最大限に単純化された文章である

(元の情報量を損なわずに、この文章をこれより簡単に書くことはできない)

大学職場ではこういう学術的な説明を読んで理解する必要があるので、読解力だけは先に訓練しておく必要があるという話が2点目。

単純化が向かないジャンル文章もある

たとえば小説特に純文学)など、読みやすくあることが最大の評価項目におかれていない文章形式もある。

勿論小説も読みやすい方がいいのだが、それはあくまで2次3次の評価点でしかない。

文章の美しさ、重厚さ、共感性などを踏まえ、その上で読みやすさが重視される)

これに加えて詩や韻文、俳句などはさら文字数や頭韻・脚韻の縛りもある。

こういう文章を楽しめるようにするために、複雑な構造を読み解く読解力が必要だという話が3点目。

2018-09-15

子どもは親の所有物なんかじゃない

子どもは親の所有物だという固定観念が根強いから、毒親問題やらそれに付随する生きづらさが後を絶えないんだろう。

歴史的に、人買いに自分の子どもを売ったり、自分が居ないと子どもは生きていけない(幸せになれない)と思い込んで親が子ども心中したり、子どもは親の所有だっていうような事象がよくある。

子どもの発達には育ててくれる大人存在愛情は不可欠だ。それは確か。でも、それは必ずしも血のつながった親でなくてはならないのか?本当に愛情を与えられるのは血のつながりがある人間だけ?

血の繋がらない人間から受けた愛情も、その子自分自身を肯定して生きていく糧になり得るはずだ。

血のつながりがあっても、虐待したり、教育を与えてくれなかったりする親だっているじゃないか。なんで子どもは血の繋がりで縛られなきゃいけないんだ?

親は子どもを生んだ責任があるから、自立するまで育てる義務があるだろう。生めと頼まれてないのに自分エゴで生んだのだから、せめて、この世の中で自分で生きていけるようにしてやるべきだ。

けどそれは子どもを所有するという事ではないはず。だから子どもは親に縛られる義理はないし、子どもは親からしか愛情を受け取ってはいけないわけじゃない。

なのに、子どもは親の所有物、よそはよそうちはうち、という思想根付いてしまっているからよその子ノータッチ。よその家の事情に足を突っ込むべきではない。

そうして家族ガラパゴス化して外からは見えにくくなる。子どもは逃げ道が無くなる。

親がどんな人間であろうと、逃げられない社会的にも心理的にも縛られ続ける。

親に虐待されている子ども虐待を受け続け、親が犯罪者の子どもは犯罪者の子どもというレッテルを貼られ続ける。勉強する習慣がない家の子は、勉強ができなくなる。

自分のせいじゃないのにおかしくないか。なんで親に縛られ、親によって自分人生が左右されなきゃいけないのか。

教育格差を始めとした子ども格差は、学校子育て世帯に金をばら撒くだけじゃきっと根本的な解決はできない。

理想論なのは分かってる。けど、「親∉子」という価値観を廃し「社会∉子」という価値観を持ち、社会全体から守られる一個人として子どもが扱われるようになって初めて平等教育の機会が与えられる基盤ができるんじゃないか。親以外の誰かに助けを求め、愛情を受けることができるようになるんじゃないか自分人生を親に左右されず自分努力で選び取ることができるようになるんじゃないか
















私は、親の罪で社会から偏見や同情の目に晒され続けた親友を救いたかった。親は関係ない、可哀想なんかじゃないって訴えたかった。

2018-09-10

anond:20180908145558

過去にあった悪しき風習には全て蓋をし、それらに関係ない綺麗な文化を構築する事こそが、(実質的に実現不可能だと分かっているけど)理想論としてつねに心がけ目指すべき事である

という危険思想

2018-09-05

anond:20180905133951

私は五輪へのe-sports導入に断固反対だけど、これは会長増田の言い分が変だと思うわ。

別に実際に人を殺しているわけじゃない。死ぬのはゲームの中のキャラクター

ゲーム内でも人を殺しちゃいかんのか? ゲーム内での殺人技術を競っちゃいかんのか?

それはリアル人物に向かってフルーレを向けたり大外刈りかけたりするよりタックルするより危険行為か?

そうだ、と思うのなら感覚麻痺しすぎだと思うんだよな。

リアル人間ハイキックしたりリアル人間同士で殴り合ったりする方がよっぽど野蛮だろ……

よろしい、百歩譲って、殺人ゲームダメなのだとしよう。

でもそれなら、e-sportsは導入するが、倫理に背くもの排除する、といえばよくない?

格闘ゲームとか、人殺し要素のない冒険ゲームとか、レーシングゲームとかを導入すればよくない?

なーんか会長さんの言ってることは筋が通ってないように思う。

しかしそれはそれとして、e-sportsは断固として五輪に導入すべきではない。

なぜならそれは不公正だからだ。

サッカーを例にしよう。仮にある業者が、サッカーボール供給を一手に握っていて、有力選手事実上そのメーカのものを使わないといけない状況だとする。

しかしそれでも、私的に作った規格外ボールを使って草サッカーすることは自由である。新しい業者が規格を満たしたボールを作って競争に参入することも自由であるルールブックは万人に開かれており、特定メーカのものを使わなければならない、という決まりはどこにもない(あるメーカ技術力が卓越しているおかげで寡占状態になっているとしても、より優れた技術をもって参入する余地は常に残されている)。

あるいは、e-sportsではないがマインドスポーツを例にしよう。囲碁チェス将棋も、ルールを知ってさえいれば誰でもどんな道具を使ってもプレイできる。ノートに線を引いてそれを盤面にしてもよいし、頭の中だけで完結させてもよいし、地面に木の枝で書いた盤を使ってもよい。

ルールが同一であるならば、名人竜王と地面に駒を書き入れる子供たちは同じゲームを遊んでいることになるはずだ。たとえ使う盤がどんな業者に作られていようとも。ネイマール本田圭佑と、スラム街ボロボロボールを蹴る子供たちもまた、同じくサッカープレイしていることになるはずだ。

私はこれがスポーツ公平性だと思う。

e-sports問題は、この公平性がまったく存在しないことだ。特定ゲーム会社から特定タイトルを購入しなければ、そもそも遊べない。お金がない囲碁好きの子供でも、ノートに書いた盤面に白と黒の点を書き入れていけば囲碁を遊べる、というような余地はどこにもなく、まずゲームスタートするためには特定業者から特定商品を購入する必要がある、そんなもの公的団体競技として公認すべきじゃないと思う。

これは単なる理想論ではない。一歩間違えば癒着にも繋がる。なにせ、ある競技を採択するかどうか、が、そのままある特定民間企業優遇するかどうか、につながるのだ。寡占状態にあるので事実上そうなってしまう、という話ではなく、ある競技を採択することは論理的にある民間企業優遇することとイコールになる、というのは大きい。

IOC高潔組織というのならばまだしも、そうでないことは幅広く知れ渡っているというのに、なんでこんな腐敗臭に満ちたもの競技として採択しなければならないのか。

スポーツあるいはマインドスポーツは、皆に開かれているべきだと思う。ルール策定の段階である程度権力が絡むのは仕方ないにせよ、そもそも特定メーカによる特定商品を購入しないと遊べない、ようなものを、公的スポーツ大会であるオリンピックアジア大会などに持ち込むべきではない。

もちろん、ゲーム会社が自社のゲームを使った大会企画するのは、経済自由趣味自由として大いに肯定されるべきだ。何も悪いことではない。日本法でそういうレジーム賭博にあたる場合があることについては、不当なので賭博罪に関する条文を改正する必要があるとすら思う。

しかし、e-sports公的スポーツ大会にはそぐわない。むしろ積極的排除されるべきだ。ゲーム内で人を殺そうが殺すまいが、それは公平なスポーツという理念に反しているのだから

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