はてなキーワード: ラノベとは
ん?誤解していないか? 僕はジャニー喜多川の所業を徹底否定する。四半世紀前の文春報道にも拘わらず不問に付してきたメディアもだ。
ただ、昨日の午後からだらだら宮台氏の文章なり言動なりネットで眺めてて思ったのは、
上記の発言とは裏腹に、どう考えても過去の発言からして、宮台氏はジャニーズ側である、そこはほぼ一貫している。
山本直樹との対談なり、別の場所でも度々「武勇伝」のように語っているが、
電車の中で男性の痴漢にあったとか、それで勃起したとか、射精したとか、
寧ろそれがあったからこそ、18歳だったかで風俗に行ったとか、女性との性交に向かう励みに結果的になったみたいに繰り返し語っているわけで、
宮台氏は被害感情みたいなものを拗らせることはなかったように思われるし、
それから、これも山本氏との対談の中だと思ったが、ホモソーシャルというか体育会系というかで、
いわゆる「俺のソーセージを喰え」みたいな文化を全面的に肯定し、
そういったものを否定するようになっていく現状を嘆いていたはずである。
酒の席で先輩上司が部下の頭の上にチンコをのせて、チョンマゲみたいにやる文化を全面的に肯定している宮台氏が、
ジャニーズの件になると、いや、俺は否定するよ、というのは、まったく一貫性がない。
結局、自分の「武勇伝」を語るためのポーズや補強でしかなかったのである。
ほんと、飲みの席で自慢を始めると止まらないイヤなオッサンでしかない。
やたらにマスゴミとか言いたがる輩と根は同じである。やだやだ。
なんかやたらに宮台氏を持ち上げる人を見るに辟易してしまったし、
宮台氏本人も、自覚があるんだか知らんが、やたらと権力に弱いというか、
結局は右翼とか左翼とかがマイナーというか、権力側じゃないんだよね。
権力ってのは右とか左とかじゃなくて、政党としてメジャーかとか、
なんだかんだ権力に媚びてたり、そりゃ、あんな就活論書くわな、と納得がいく。
いや、否定したところでなにもはじまらない、現実を見ろ、は分かるよ。
でも、そんなことはバカでも分かってることであって、だったら長々と議論するのは無駄だよね。
現実を見ろ、
乳の大きいいい女とイチャイチャして、宇部興産へ新卒の面接に行け、
んなこたー分かってるんじゃー!
TVのエヴァを見たあと、エヴァなんてアニメごときに説教されんでも、みんなそうなって社会に出て行ったんじゃー!
今更シンとか決着がとか言われても、何十年も前に提出し忘れた夏休みの宿題今出すの、庵野くん?
まあ、俺は結果的に今はもう社会から脱落してしまったわけだけどさ…
しかし、宮台氏の不思議というか狂ってるところは、弱者というかマイナーには絶対的に厳しいんだよな。
弱者ってマイナー、少数派には含まれるけど、少数派=弱者ではない。
なんとなく、宮台氏はそういった少数派、マイナーにも厳しい感じがある。
自分だったら、俺はチキンだって自覚があるから、少数派にも恨まれたくないんだよね。
だって、自分が弱者だってのもあるけど、その少数派に含まれる反社会的な人たちとか、
窮鼠猫を噛むの弱者に刺されたりしたらイヤじゃん、そういう感覚が宮台氏にはないように思えたし、見事に刺されたんだね。
俺はそのとき病床だったんで、まったく事件も知らなかったんだけど。
山本氏との対談も宮台氏が一人で勝手にとくとくと語っている面積が大きすぎて、
「俺のソーセージを喰え」的な文化に日本人が否定的になってきていることにいつも嘆いているし、
他の文章も同じ文章でさえ一貫性がなかったり、整合性がなかったり、ふらふらしてる感さえあるので、
上記のツイートだけで、ジャニー喜多川に否定してるとか言われても困惑するだけというか、
暴力には屈しないけど権力には媚びる、少数派は叩くというのが宮台氏なのかなという気がしてならない。
ついでに言うと、やっぱりシン・エヴァンゲリオンは自分には不愉快だったよなぁ。
繰り返しになるけど、何十年も前の出し忘れた夏休みの宿題を今提出しますって生徒が来たら、先生は困惑するだけだと思うよ、
もう、そんな何十年も前のことなんて、みんな忘れて社会人生活送ってるわけだし、
何を今更律儀にそんなことやってるの?みたいに思ってしまうというか、
社会に出てストラグルするしかなかった側として不愉快でしかないよ。
新卒の頃は自分だってまだ輝いてたと思うんだよ、良かったねシンジくん(呆れ顔で)でしかない。
やっぱり主人公がイケメンでエリートで無双だったり、それでハーレムだったり、そりゃそうだろというか、
無職転生とか物語としてよくできているし、正直、面白いと思う反面、
自分みたいに人生うまく行かなかった側からすると、不愉快ではあるよなぁ、と。
自分は転生する前側だからな、そして異世界転生なんて都合のいいことは現実にはないわけで、
惰性も含めて視聴して入るけど、繰り返し見ようという気にはならない。
単純にチートするのではなく、努力とか試練とか適度にあるから、面白くは感じられるんだけどね、無職転生は。
あと、最近の傾向として、社会を斜め上に皮肉ったりするのは寧ろ寒い、というのがある気がする。
そうなると、直球で社会を否定するか、肯定するか、みたいな表現になるんだけど、
直球の否定というのは、脳味噌お花畑の夢見る左翼活動家みたいで物語として弱くって、
そうなると、直球で社会を肯定する、つまり保守的?というか、体制側で物語を描く、それも直球で、
そんな自分からすると捻りがまったくないような作品が意外と売れる、ウケる。
つまり、ラノベの世界でさえ、陰キャとか少数派に向けたものではなく、
多数派とか、コミュ強とか、リア充とか、イケメンとか、そういった人種が消費するのがメインになってきている。
昔は宮崎勤事件も手伝って、そういった多数派リア充の人種はアニメや漫画自体を叩いて悦に浸ってたわけだけど、
エヴァとか辺りで風向きがちょっと変わってきて、今は大人がアニメ観てても恥ずかしくないぐらいの空気が醸造されつつある。
でも、宮崎富野庵野が言うように、俺も大人がアニメを観るのは恥ずかしい行為だと今でも思ってるし、
山本直樹氏が表現規制反対派にも冷淡なように、いわゆる萌え絵をラッピングバスに貼ったりとか、
巨乳のポスターで献血とか、俺もみっともないと思ってるんだよな、
山本氏が言うように、そういうのは家でこそこそやってればいい話なわけであって、
宮台氏の就活論を読んでも体制派というか権力に媚びてるようにしか思えないし、
シン・エヴァで庵野も結局はそうなったというか、丸くなったよね、と思って、
まあ、仕方がないという気持ちが一番大きいというか、ちょっとがっかりしたんだよね。
結局はエヴァにわざと開けた穴を今度は自分で埋めようとしているわけで、
今更?終わった話だよね?みっともなくない?とさえ思っちゃうんだよなぁ。
結局、歳を重ねるごとに人間は段々保守的になっていくのではないだろうか。
だって、結婚して、家族ができて、それを維持していかなければならないわけで、
でも、自分はそういう普通の人生を送れなかったから、まだ改革側に立ってしまってるんだろう、
社会を皮肉とかニヒルな笑いとかの描写でないとしっくりこないのだろう、
本当は自分はただ置いてきぼりにされただけなのにね。
あと、漫画で公安を描いたものとして、士郎正宗作品やパトレイバーを思い浮かべるんだけど、
士郎正宗作品は圧倒的に体制寄り、右寄り、当たり前だけど公安寄りだよね。
でも、自分が嫌いな攻殻のアニメとかはともかく、原作は皮肉に溢れてる気がするし、
頭ごなしに体制、右、公安を手放しで肯定してるわけでもないように思ってる。
というかデュナンとブリアレオスの二人でどう生きていくか、どう行動するか、という話だし、
そこはサラリーマンというか組織人が物語の中で暴走していったりするのが楽しいわけで、
仮に職務に忠実な警察官をただただ描いてもつまんないと思うんだよね。
だけど、近年の売れる傾向としては、社会を皮肉るのもオッサン臭くて寒い、みたいな感じなので、
あ、なんでシン・エヴァが不愉快なのか、的確な表現がやっと思いついた気がする。
自分はいわゆる学校という狭い世界にいい思い出がまったくないので、同窓会なんて出ないんだけど、
世代的にはまだ校内暴力とか竹刀持った体育教師とか、そういう時代だったんだけど、ど田舎だったし、
窓ガラス割ったり、学校の中バイクで走ったりしたヤンキーとかの方が、同窓会に喜んで出席するよな、マイルドヤンキーになって。
小林よしのりも書いてたけど、教師もなんだかんだ、ヤンキー側なんだよな。
殴られたり蹴られたりした覚えがある自分としてはたまったもんじゃないんだけどさ…。
劇画オバQの正ちゃんみたいにみんななっていく、それが現実なんだけど、
その中で例えるなら、俺はQちゃんというより、ハカセの立ち位置なんじゃないだろうか。
劇画オバQのハカセは正ちゃんに独立を促すけど、多分その後ハカセは人生転落すると思うんだよね。
だからといって、Qちゃんほどお人好しでもない、子供や学生のときのままではない、
しかし、Qちゃんが感じる郷愁というか哀愁というか、それはそれでよくわかるんだよね。
一方で、正ちゃんは結婚してるし、子供もできて尚更に、もう非常なぐらい家庭を維持するために身を粉にして現状維持だと思う。
自分は劇画オバQの正ちゃんみたいになりたかったけど、なれなかったし、
なんだかんだ、そこまで大人にもなりきれなくて、ハカセみたいに夢見たときもあったけど失敗に終わったし、
自分がシン・エヴァに感じた不快感は、人生の負け組として同窓会とか親戚の集まりに参加させられたような居心地の悪さなんだろう。
ひとりだけ結婚もしてない、子供もいない、未だに安定しない収入どころか、事故って重症、その後大病が重なって、
負け惜しみにしろ残っていた僅かながらの希望というか、社会復帰しないとなぁという欲求さえ折れてしまった。
でも、自分みたいにならなかった人、それもどちらかというとヤンキー層でもない、
普通に大卒で、普通に新卒で、普通に家庭を築いて、劇画オバQの正ちゃんみたいになれた人、生きてきた人、
そんなマスに向けたのがシン・エヴァンゲリオンなんだろう、
ググっても宮台氏のTwitterが数件ヒットするだけなんだが、
というか、聖書の解説は誰もが知っているようなことでも補足をいちいち入れるのに、
ちょっと流石に、ふざけんなよ、というか、他人に理解されることを放棄してるとしか思えないんだが。
「表現」と「表出」は意味が違うとか、その意味はとかオレオレ定義を書いているが、
これこそ「表現の失敗」ではないのか?
そもそも、山本直樹氏ではないが、アーティスト表現者の表現ってのは、宮台氏が定義するような、
「他人を意図的に操作するのが表現としての成功」なんてことよりも、
宮台氏が定義する「表出」の「表現してスッキリする」というのが根幹にあると思うんだが。
要は、俺はこういうポルノが描きたい、だって俺はそれが一番楽しいんだもん、
という気持ちが表現者にあって、それがベースとなって漫画や小説を描ける、書けるのであって、
そこで表現者の意図通りに、物語を読んで憤慨したり泣いたりすれば、表現者の勝ちというのは認める。
ただ、表現者の根底にあるのは、宮台氏が嫌う宮台氏のオレオレ定義の「表出」である。
読者に共感されるかどうかで食っていけるかが決まるだけの話である。
だから、アウトサイダー・アートではないが、同人誌というか、
儲からなくても宮台氏の言う「表出」だけのために「表現」を続けている人たちがいるわけで、
その根幹は、意外というなかれ、ネットで暴れている人たちと根っこは同じなのである。
じゃあ、なんでネットで暴言を吐けばスッキリすることを、わざわざ文や絵で表現する人がいるのかというと、
もちろん、その方が自分の意見が有利に運ぶ、宮台氏の言う「他人を自分の意図通りに操作する」というのもあるが、
自分も落書き程度の絵を、最近はそれさえも描けてないが、なんとなく時間つぶしに落書きを描いてしまうのは、
それが楽しいからであって、他人を操作しようとかそんなつもりは毛頭ない。
だから、漫画家がTwitterでやたらに愚痴を吐いたり、ネット界隈の話題に乗ってきたりするのは注意である。
なぜならば、本来は漫画家はそのフラストレーションをTwitterでなく漫画に向けるべきなのである。
漫画に向ければ、そのフラストレーションでページが埋まり、金になり、うまくいけば読者に承認される。
しかし、短絡的な承認欲求を満たしたかったりして、そのフラストレーションをTwitterとかネットに向けてしまうと、
そこでフラストレーションは発散されてしまい、それは作品の糧とならなくなってしまう。
結果、社会への不満等を原稿ではなく、Twitterとか社会活動に向けて発散し出した漫画家の作品はつまらなくなる。
それだけのことである。
何を小難しく長々と書いてるんだろう、この人は…
ああ、表現者とオナニーの話なら「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」の黒猫が語ってるのが一番正解だわ。
宮台氏の文章よりラノベの方がまともなこと言ってる時点で終わってないか?
あー、でもはすみなんとかとか、明らかに「他人を意図通りに操作する」ことを優先して表現する人はたしかにいるね。
宮台氏としては、それこそが「表現」と言いたいんだろうけど、
はすみとしこの漫画というか、しょぼい四コマに毛が生えた程度の絵と、
だって、宮台氏の言う「表現とは他人を操作するためにやるもの」という意図が見え見えすぎるプロパガンダ臭が、
「そんな絵で抜けるか!」って思っちゃうわけだよ、俺は。
一般人みたいに流行のJ-POPもK-POPも知らないしテレビも見ない
ファッションの流行なんてまったく分からんし街中でどんな店が今人気なのかも知らない
そこにリソースをつぎ込むべき分をオタク系のあれこれに注いで生きてきたわけだけど、
あまりにも追いたいものが多すぎてどれこれも中途半端になっている現状が辛すぎる
仕事をしつつ、家事をしつつ、筋トレなど運動をしつつ、必要な勉強時間も確保しつつ、
政治経済ニュースチェック、国際情報チェック、技術系の情報等をチェック、ついでにはてな、
ゲーム、アニメ、V配信、マンガ、ラノベを消化、偏るのも問題だから一般文芸やノンフィクションも読んで、
実写映画も見て、諸々の動画も見て、オーディオブックとポッドキャストでも聴く
5chとXとTiktokをメインになるべくトレンドを追いながら、翌日の仕事に支障が出ない程度には適度に睡眠も取る
これだけやっても、ていうか絞ってないからなんだろうが、どうしても追い切れていなくて浅いし、
かと言って、ただただ消化するだけじゃ意味もないから、じっくり時間を取って楽しみしたいんだが、それをするとどんどん取り残されていく
楽したさが頭を過るなら今でもやっぱなろうちゃうか?
パチンコ台はなろう原作メディアミックスラノベの新台が今頃大量投下されてる5年以上タイムラグが当たり前の版権捨て場って感じだからここから先にどうなってるか分からんけども
「忍者と司教の再出発」ってラノベが面白かったんだが、これ未完で止まってるのか
レトロなウィザードリィ世界に転生した主人公が、不便なゲーム世界になんとか順応したところで、神様がアップデートかけてモダンなシステムが導入されて振り回されるって設定
刺さるターゲットが狭すぎるとは思うが
一方で、「犯罪が起こりやすい環境を作らない」ことも大切だと私は考えます。
「割れ窓理論」で例えるなら、窓を割れたまま放置しない、ということです。
熱狂した観客がそういった行動を取るということは容易に想像できます。
アーティスト側も素人ならともかく、数をこなしているプロなら当然予測できるはずです。
だから、アーティストと客の間に警備が入ってたりするわけです。
今回は胸を触られるでしたが、殴られるとか傷つけられるというのもありうるわけです。
だから、アーティストがオーディエンスに接近しすぎるのは不用意すぎではないか、
例えば、父親と娘がいつまで一緒に風呂に入ってよいか、みたいな問題がありますが、
最近は、ある年齢(広く他人が異性として認識できるぐらい身体が発達した)になったら、
父親と娘であれば、「互いに性的に意識し合っていない」としても、
強制的に、風呂に一緒に入らない、一緒に寝ない、部屋を分ける、等々、
というのは常識になっているみたいです。
というのも、最近の考えでは、
そもそも、近親間を性的な視線で見てしまう、というのは寧ろ「普通」であって、
つまり、「性的な対象として視てしまうことは間違っていない、間違っているのは行動」であって、
考えから行動に移ってしまいやすい「環境」をなくすことが大切ということになっているようです。
こういう考え方を「キモい」という人がいますが、ただキモいというのは解決にも何にもなりません。
だから、キモい考えをするのは当たり前として、そこから行動に移りやすい環境を排除することで、
「間違っていない感情」から、「間違った行動の誘発を防ぐ」ことが大事なのではないでしょうか。
小児性愛者にとって、児童というのはトリガーと呼ばれているらしいです。
というか、犯罪者の犯罪を誘発する存在を広くトリガーと呼ぶようです。
だから、小児性愛者は迂闊にトリガーである児童に接触しようとしないことも大切ですし、
被害を受ける可能性がある側も、小児性愛者がトリガーに誘発されるような環境を作らないことが大切です。
小児性愛者が見かけで判断できるような言説がありますが、それは嘘です。
だれが小児性愛者か、強姦するのか、胸を触るのか、なんてぱっと見では分からないはずです。
ただ、その人物の生育環境とか、前科とか、そういった傾向はあると思います。
痴漢や盗撮を生み出しやすい「環境」が犯人を作り出している、というのも十分あると思う。
ガラガラの電車だったら、わざわざ接近してくるとか、スカートの下に足を入れる行為とか不自然過ぎるわけで、
犯人に「今、これをやってもバレないのでは?」と思わせる環境がトリガーになっている。
これらが不同意なことは疑いようもないけど、そもそもだったら交際相手であれ無闇に男性の家に泊まるな、
酒の席は終電前に余裕を持つのは当然で、深酒になる前にとっとと帰れ。
「ひげを剃る。そして女子高生を拾う。」みたいなのはフィクションだ、ラノベだけの世界だ。
服装より、「胸を触ってもいいのではないか?」と犯罪する側が思えるような状況を作ることが問題。
成人女性が嫌いです。