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2021-05-16

「軽度」のアルコール依存症と、一年半の治療

初めに

私は「軽度」のアルコール依存症です

「軽度」というのは自己診断です

日常生活に大きな支障はないけれど、飲酒コントロールできず、将来的に日常生活にも支障が出る可能性があると考えてました


1年半前から病院に通院して治療をして、生活改善されました

治療の振り返りも兼ねて、この文章記載しています


同じようにアルコールで悩んでいる人に少しでも役に立てれば、、と思います


先に書いておきますアルコールで悩んでいる方は、一人で悩まずに病院へ行くことを強くお勧めしま


私がどんな状態だったか

仕事が終わってから帰宅後は一人で酒を飲んで過ごす

飲酒量がコントロールできないので、缶ビール2本だけのつもりが、買い足して6本~10本に増えるのは日常


・午前中に今日は飲まない、と考えていても、帰宅時に酒を買ってしまい、結局飲む


連休休日は、寝ているとき以外は飲酒して過ごすことが多い

我慢できる場合もあるが、一度飲みだすと連続飲酒が続く

5連休なら5日間飲みっぱなし


飲酒パブロフイヌ

良いことがあった! → お祝いに飲酒

嫌なことがあった! → 飲酒して気分転換

といった感じで、日常生活の各種イベント飲酒と結びついてました

これは酒好きあるある、な気がしま


・酒を飲んで仕事プライベート用事に行くことはなかった

ただし、将来的にこの状態になることは危惧していました



こうやって書いてみると、ただの酒好きのおっさんレベルだったな、とも感じます


何故、「軽度」のアルコール依存症になったのか?

原因1.飲酒の習慣化

大学生の頃から夜中に飲酒することが習慣になっていました

社会人になってからも、帰宅後に飲むことが習慣として続き、10年弱継続


なので、今も夜中に強い飲酒欲求に駆られて、部屋の中をウロウロしていることがあります


大学生時代お金がなかったので、人からお金を借りたり、お酒をもらっていました

まり場になっている友人の部屋に勝手に入って、酒を持って帰ることもありました

狙い目は、飲み会で余った焼酎ボトルです(手つかずで残っていることが多い)


原因2.趣味がない

休日の終日飲酒が加速した要因は無趣味、だと考えてます

何もしたいことがないので、休日は一人で酒を飲んで無作為時間を使う


原因3.一人暮らし

同居人がいれば、飲酒ブレーキになるはず

(でも、これは言い訳だろうな)


原因4.性格など

ネガティブ性格

若干、躁鬱病双極性障害)っぽくて、鬱期は酒を飲んで現実逃避したくなる

 etc...  


駄目だった自己治療

自分飲酒問題があることには自覚がありました

なので、家にお酒を置かないようにしてみました


これは数年程度続いて、飲酒量を減らすことはできました

が、衝動的に飲みたくなると近所のコンビニお酒を買ってしまうんですよね


良かった治療

アルコール外来への通院です

自分は「軽度」のアルコール依存症だと考えていたので、病院に行く資格はないと考えていました

ですが、自分一人では飲酒コントロールすることはできないことも事実でした


勇気を出してアルコール外来への通院を始めました

予約の電話さえ済ませてしまえば、後はトントン拍子で進みます

こんな私の話も病院先生真剣に話を聞いてくれて、1年半の間通院を続けています


治療方法は、今は通院だけです

月に1回病院に行って、先生と話をしています

それだけなのですが、誰かとアルコール問題について共有して、立ち向かえるのは心強いことです

アルコール問題他人相談しても理解してもらうことが難しいと思います

私がアルコールについて相談できる相手は恥ずかしながら先生だけです

先生が信頼できるような方だったのも、運が良かったかもしれません


アルコール依存所の一般的治療法は薬物療法ですが、私は副作用で投薬を中止しています


これから治療する方は、薬物療法お勧めですし、先生からも勧められると思います

私自身も副作用がなければ、薬は続けたかったです


主に使われる薬は抗酒剤という、服用することで下戸のようになる薬です

下戸になることだけが目的ではなく、毎日服用を続けることで、断酒への気持ち意識を高めることもできます


現在と今後

今だに強い飲酒欲求に襲われることがあります


私のアルコール問題根本原因は、性格生活習慣にあるとも考えてます

が、この辺りに中々手を付けることができずに、ズルズルと日々を過ごしています


この辺りは少しずつ考えるとして、一日一日、断酒を続けている自分を褒めながら日々を生きていきたいと思います


後書き

この文章を書くきっかけとなったのは下記のエントリーでした


ギャンブル依存症と向き合えたので書き留めておく

https://anond.hatelabo.jp/20210515153411


また、日々を無作為に過ごしており、何でもよいかアウトプットしてみようと思い、この文章を書きました

普段メールくらいしか書くことがないので、想像以上に難儀して、書き上げるのに2時間以上、掛かりました


最初アルコール問題を抱えている『誰か』向けに文章を書くつもりでした

しかし、出来上がったのは自己分析のような、よくわからない駄文でした


どなたか文章の書き方について助言を頂けると、とても嬉しいです


最後まで読んでいただきありがとうございました

右翼保守?の人はいから台湾応援するようになったの?

魚拓見てだらだらしてたら、2008年4月にこんな記事があった。

 

靖国」は、日本在住の中国人監督終戦記念日靖国神社で、軍服姿で参拝する団体A級戦犯合祀(ごうし)に抗議する台湾人遺族らの姿などを取材し続けた記録。一部の週刊誌などが「反日的だ」と取り上げ、文化庁が所管する独立行政法人日本芸術文化振興会が750万円の助成金を出していたことを問題にした。稲田朋美衆院議員自民党国会議員の一部から疑問視する声が上がり、全国会議員を対象試写会が開かれていた。

 右翼団体などから嫌がらせ妨害をおそれて5館が中止を決めたことに、毎日は「黙過できない。言論表現の自由が揺らぐ」と表明し、「安全名目にした『回避』は、わが意に沿わぬ言論表現封殺しようとしている勢力団体をつけ上がらせるだけであり、各地にドミノ式に同じ事例が続発することになろう」と危惧(きぐ)した。

最近パイナップル応援🍍とかしか知らんので、保守っぽい人は台湾のこと好きなんだと思ってた。

2021-05-11

うちの猫の飼い方

猫の飼い方で家族と衝突してるんだけど、他の猫飼い増田たちはどうしてるのか教えてほしい。

うちはド田舎の一軒家(けっこう広い)で、雑種の猫2匹(3歳のオスメス)を飼ってる。

田舎特有の「玄関含めたドアというドア開けっぱなし癖」が治らず(とくに祖母)、気づいたら祖母がドアを開け放ち、気づいたら猫が脱走ということも多い。

なので、日中は猫が主に過ごす1部屋(9畳くらい。)に集めて寝かせることにした。

家族との主な衝突内容

日中1部屋に閉じ込めることに反対

②閉じ込めるのはかわいそうという理由で猫部屋の窓を開放 ベランダ自由に行き来させている

シャンプー反対(生まれから1度も洗ったことない)

家中どこでも行き来させたい

まず①だけど前述の開けっぱなし癖で脱走した過去が何度もあり、

家族仕事で出かけている日中は1部屋に閉じ込めておくのがいいと思っている。

なんなら家族がいても網戸を開けてスルっと脱走してしまう。

庭が広いこともあり、脱走しても大抵は庭にいるので、家族は脱走してもあまり気にしていない模様。

私としては外に出すミスを繰り返せば縄張り意識が芽生えてしまうと危惧している。(病気をもらうのも怖い。猫1度も洗ってないし。)

そして②。

森に囲まれたド田舎ベランダを常時開放。

四季折々迷い込んでくるミミズカエルセミトンボ・たまにスズメを潰しているが、これも猫洗ってないのに大丈夫なのか?と心配になる。

一番怖いのは手すりに乗っていること。

結構太い手すりなので強風にあおられても簡単には落ちないと思うが、

とはいえ落下の危険は十分ある上、たまにベランダの小さい穴を通り抜け、外側のヘリをギリギリで歩いたりしていて発狂する。

家族ヘリを歩いてる猫をみても「あんな高いとこから落ちない。落ちたことないから」と笑い面白がって見ている。

耐えられない私が隙あらば閉めるのだが、家族が「ただでさえせまい1部屋に閉じ込めているのにベランダまで閉めるのか!」と責めるため

だんだん私が悪いことをしているような気分になってきた。

③は「仕事の同僚(猫飼い)がそう言っていたから」と言われ現在までその通りにしている。

完全室内飼いならアリだと思うが、汚いベランダの虫やらホコリやらをまとった状態でそれはないだろと思うのが正直なところ。

何度かシャンプーを打診したが「わかってないやつが口出すな!」となぜかキレられた。

やはり私が悪いのか?

④に関して懸念しているのは主にキッチンだ。

なにせ今まで生き物を飼ったことがないので、食品をむきだしでテーブルに置いておく習性が染み付いている我が家だ。

猫にパン・おかずなどをグチャグチャにされた経験多数。

双方にとってよくないと思い、キッチンは猫の出入り禁止にさせてくれとお願いした。

その時家族は了承してくれたのだが、私が見ていない時だけこっそり開放していることが発覚した。

(キッチンの網戸から脱走されたことで判明した)

脱走含め改めて危険性を説明したのだが、「ホラ!猫ちゃんももパン食べませんって言ってるよ!」と言われた。

その時私は全てを諦めた。

もし猫飼い(完全室内飼い)の増田がいたら知恵をかしてほしい。

増田ん家の猫は日中どうしてる?

上記の飼い方でおかしいところ、気になるところがあれば指摘がほしい。

また、脱走防止グッズのおすすめなどもあれば教えてほしい。

追記:お前が家を出ろみたいなコメントあるけど、

田舎一家農業やってるのでそこんところ把握してくれると助かる



追記追記:色々アドバイスありがとう。ちなみに猫は避妊去勢済み。9畳の部屋はエアコンファン脱臭機、ペットヒーターなど完備。

ノミ駆除薬も打ってるけど、ベランダに出してる時点で100%は効いてないだろうなと思ってる。ノミ改善される、程度の認識でいる。

もともと私が大学のために上京してった時に飼いはじめた猫なので、主な飼い主は家族なんだよな。

田舎なんだから外を散歩させたら?」という意見一定数あったのは賛否は置いておいても新しい発見だった。

自分は「猫を飼う=完全室内飼い」という図式が脳内で成り立っていたので…。

一度外に出すと、衛生面的にもう家には入れられないと思うので、うちは室内飼いを目指すつもり。

(相変わらずベランダカエルつぶしてるけど…)

とりあえずガリガリウォールは1つ増やそうかな。


完全室内飼いにここまでこだわって家族と衝突する理由はもうひとつある。

夏場になると、猫部屋で窓を開けて寝ている家族虫刺されがひどくなる。

ただの蚊ではなく、ノミブヨっぽい刺され方で両腕両足にボコボコと赤黒く腫れるタイプの。

刺されまくってても猫のせいではないと思っている家族は、ある意味おめでたいし猫バカなんだろうな。

2021-05-07

anond:20210506114728

長瀞さんとかアウトでは

実際アニメ化決定時にも危惧されたりしていたような

2021-05-03

anond:20210503121745

情報公開の透明性を高めるしかコロナ渦の政治不信を解消する道ないのに全く取り組まないよね

行政としては不都合から情報を隠してるというよりも市民には大きな方針だけ伝えてそれに市民が従えばOKで、忙しいのになんで細かい数字まで公表する必要があるのか、と素で思ってるんじゃないか危惧してる

から情報を出したり出さなかったりでデータ連続性が軽視されてるのだと思うわ

2021-05-02

大人になれない大人たち

最近はただ歳をとっただけの大人になれない大人が多すぎないだろうか

大人とは自立はもちろんのこと、更なる余裕をもちその余裕を社会還元出来る人間を指す

 

しかし、今テレビを見てもネットを見てもやれ協力金だ給付金だとせびる人たちばかりだ

 

今は緊急事態である

本来、皆で力を合わせ難局を乗り越えていかなければいけない時期である

それなのに他人の力を当てにし他人の足を引っ張る大人たちがいっぱいいる

 

彼らは無駄時間を過ごし何も積み重ねてこなかった人のなれの果てである

こんな大人になれない大人たちが増えていえばやがて日本社会は壊れていくのではないか危惧する

 

今の若者にはコロナ禍を逆に機会ととらえ立派な大人になることを望む

2021-04-30

anond:20210430105947

素晴らしい。

全て間違っている。

飲み物しか利益を稼げない店など淘汰されて当然である

それがいかに知人だろうが飲み物で稼ごうとしているのは店側の勝手な都合である

そのような恩着せがましく、客に気を使わせる飲食店は滅びるべきである

客は食べたい物を食べ、飲みたい物を飲む。

それ以上の事を飲食店側が望んではいけないし、もし望むのならそれを最初説明する義務が発生する。

まりライブハウスのように最初から1ドリンク○○円のようにお金をとればいいのである

無論それが席料あるいはチャージ料そしてお通し代として徴収される店もある。

しかお通し代というのもトラブルになりやすく頼んでもいないもの勝手に出されて腹を立てる人が続出している。

店の勝手な都合で課金をするような要素に客が腹を立てるのは当然だ。

これはお通し代がいくらかるという説明を店側がしないのが悪い。

これと同じで、酒を飲んでもらわなければいけないのであれば、最初に店側が説明しなければならない。

説明がないのに課金されるというのはまるでNHKのようだ。NHKだってそれが理由で嫌われている。

冨岡義勇だってろくな説明をしないから嫌われている。

結局、酒の注文がないか利益にならない客というのであれば店の都合の押し付けというだけだ。

お互い気分よく行こうという人間がいる。

そんな事情考慮する必要がどこにある。

食べたい物を食べる時に相手の都合を常に意識しなければいけないのか。

そんなに気を使わねばならないのか。

飲食店は鬼舞辻無惨じゃあるまいし、そんな事をやる必要などない。

飲食店に入るたびに店側に配慮しなければいけないなどマナー講師にでも洗脳されたのか。

飲み物を注文しないことを迷惑行為だと認定するのなら最初に店側が書いておけばいい。

もしそれで出入り禁止になるなど注意されるのであれば録音して然るべきところに提出するべきである

裁判沙汰にしてもいいことである

客に気を使わせる飲食店など星1つ以下である

それで利益が得られずに店が潰れたらどうするのかと危惧する必要すらない。

淘汰されて当然だからである

飲み物を注文されないと潰れる店なのであれば所詮いずれは潰れる店である

そんな店は不要だ。

食べたい物を食べ、飲みたい物を飲む。

それを自由にさせない飲食店などいらないのだ。

2021-04-28

撮り鉄暴走って明らかにツイッター増長させてるよな

SNS全般じゃなくてツイッターね。


前々からマナー違反する奴はいたけど、こういう風にニュースになる規模なのと犯人10代で重症負わせるレベルなのはそこまで聞いたことが無かったのと、

写真の出来の良し悪しやレア度で大きなコミュニティ内の立場が著しく変わるとか、何か依存する要因があるのかな」っていうブコメを見て

あ、これツイッターが原因じゃんって思い当たった。


で、なんで他にもいいねつけられるインスタや他コミュニティじゃないのかっていうと、インスタもいいね数は出るがツイッター程強調されて表示されない。

そしてインスタはまず第一写真投稿しなきゃ話が始まらないけど、ツイッターは知っての通り文章だけでも投稿できる。

おまけに忌々しいと思うユーザーにいとも簡単クソリプもつけられたり論う引用RTだってできる。


そんで厄介なのは

例えば創作ツイッター上でのいざこざが絶えないけど、基本的に紙や電子機器に向かうので現実で何かを及ぼす事は少ないけど(無いとは絶対に言わない)

撮り鉄は現地に向かわなきゃ写真を撮れない。

そして別ユーザーに負けない数のいいねプライドのために、現実において邪魔もの排除しようとしてしまうのだ。


また厄介なのはツイッターがもはや国民インフラになってしまっている事だ。

そうなると撮り鉄の内心や事情の知らない一般人が、RTから回ってきた分かりやすくなんかかっこいい写真いいねを押す。

そして5万や6万という膨大な数のいいねを貰ってしまった側、そしてそれを見た同コミュニティに属する人間暴走し始める。

完全にネット民が嫌うマスコミと同じ現象やね。


前々からツイッター暴走装置になるから良くないよなと言ってきたが、

いちSNSインフラとして押し付けるなだの(いやそうなる可能性はあったんだって)

そこまで現実に及ぼすものじゃないというブコメを見てきたが、

これから現実と関わるコミュニティツイッターの結びつきで暴走は度々起こると思う。

たかSNSで、なんて言わずちょっと危惧する気持ちは持っていた方がいいんじゃないかという話。

2021-04-27

https://twitter.com/minorucchu/status/1386876132637564932?s=19

最悪の結果になってしまったな

俺は以前からネットで「不倫犯罪」って言ってて

不倫された側の妻や夫や子供自殺したらどうすんだ?ってことを危惧してたけど

三浦瑠麗とかは「山尾が女だから叩かれてる」「不倫個人問題なんだから外野が叩くな」とか言って擁護してたな

このニュースについての三浦女史の見解がぜひ聞きたい

それでも不倫擁護するのか?

2021-04-25

落語の件

落語定席自粛要請を受けません、というのに批判が割とあって、まぁ個人的には批判も、ある程度は仕方ないだろうなぁ…としょんぼりするほかないのだが、寄席を開いている側としては死活問題だろうとも思う。

増田落語好きなのだが、寄席には元々あまり行かない。近所で落語好きが席亭やってる小さい落語会やホール落語に行くのが中心。これには個人的理由があって、寄席だとあんまり好みじゃない芸人のもなんとなく見ちゃうことになるのが、あんまり楽しくないからだ。そういうのが好きな人いるからこれは良し悪しではなく単なる好みの問題

で、定跡の寄席一年中やってる寄席)って実は少ない上に大して儲からない絶滅危惧スペースで、そこで芸人が得られるお金は微々たるものである。実際にいくらなのかは知らないが落語家さんがそういうマクラ雑談をするし、キャパティ普段の稼働状況なんかを鑑みても「あんまり儲かってなさそう…」というのは容易に推察できる。定席寄席に出てるだけだと全然食えないと思う。

寄席に出る芸人の主な収入源は寄席ではなく、営業やいろんな場所で行う落語会なので、寄席が閉じてしまうこと自体が彼ら芸人の日々の生活に直撃するわけではない。が、落語会やお笑いイベントが行われる場所は主に公共ホールだったりするので寄席よりも強く自粛させられるため、すでにホール落語は続々と休止が決まっている。こちらの方が実際には芸人たちにとってはクリティカルヒットになるわけだ。

去年の初めての自粛の後は、解禁後も寄席は閑散としていたと聞く。この10年ぐらいは東京はかなりの落語ブーム寄席も盛り上がっていたのでコロナの影響は深刻だよなぁと思っていた。それでも再開して少しずつ客足も戻ってきたらしいよと聞いていたのだが…コロナの影響で、営業ホール落語とかも含めて)がままならなくなっている芸人たちも、寄席を開いている席亭たちの収入も当然大幅に落ちていると思われる。

絶滅危惧スペースで大して稼げるわけでもなく、これを書いている増田自身が「あんまり行かないんだよな…」と思う寄席ではあるが、落語演芸文化にとって大事というのはとても理解できる。

席亭(芸人の出番を決めたりもする)の人脈力だったり、ショーケース機能営業や別の落語会に呼ばれたり)だったり、自分を目当てに来ているわけではないカラい客を相手にするという若手の修業の場という機能だったり、こういう諸々をまとった空気感寄席がつぶれると、こういう機能とともに、文化を醸成するための有象無象な「空気感」がなくなる。一度なくなった後に取り戻すのはかなり難しくなるだろうから、まぁ、寄席の側からしたら「文化だし必要だし」という言い方になるんだろう。

大阪では長いこと定席寄席がなかったこともあって、上方落語はすごく面白いのに、繫昌亭ができるまでの長い期間、沈んだ期間を過ごしていたらしい。関西の人にとっての落語家は三枝仁鶴と、その他いろいろタレントリポーター、みたいな感じだったと。最近はようやく中堅若手で面白い上方落語の人が続々と出てきているし大御所たちも落語を元気にやっておられる。

そして江戸落語がしばしば、すごい面白い落語家を生み出しているのは、定席が続いて存在しているからというのは大きい。批判もあろうが、どうせ(特に池袋は)ガラガラだろうし許してやってほしい。

一方で、実は江戸落語の界隈も、クラスタ認定はされてないが芸人の陽性者をこの1年で何人か出している。前座や若手だけでなく真打も。私が好きな師匠感染を発表して、重症化しやすそうなタイプだったので凄く心配していて、今は無事に回復しておられるので安心した。とはいえ、まぁ、「文化から開き続けるぞ」と宣言するからには、できる限りいやそれ以上に芸人たちの感染対策を、彼ら芸人自身がしっかりやってほしいと願うのだ。じゃないと、批判が増えてしまうだろうし何より何かがあった時にその芸人さんの芸が見られなくなったらすごく寂しすぎる。

で、話は変わるようで変わらないのだが、相撲である相撲相撲部屋クラスタも出しているし亡くなった力士もいる。なのに深夜まで飲んでた麻雀やってただのと報道をされている。反省がない…という悲しさ。

相撲落語もそうなのだが、彼らの中に感染がおこる原因の一つに「タニマチ」の存在があるのではと思ったのだった。相撲落語も「タニマチ」と俗称されるような人たちがいる。取り巻きというか私的スポンサーというか。落語会の後に打ち上げをやって若い者に栄養をつけさせたり、場所の後にパーティーをやったり、タニマチ側の慶事イベントがあったらゲストで来て「お相撲さんがきてる、わー」と言われたり、ちょっと軽い一席をやったり、お姉ちゃんのいる店に一緒に行っておねえちゃんを驚かせてゲラゲラ笑ったり、そういうことをしていたりする。こういうのは徐々にすたれていっているという話も聞くのだが、こういう「場」を通して感染が広がるのはあり得るよなぁと思うのだ。

個人的にはこの「タニマチシステム」は好きじゃなくて、それは私がタニマチをやれる財力がないか嫉妬しているのは大いにあるが、芸や理屈が「内向き」になることと背中合わせだよなと思うからだ。一方でタニマチに食わせてもらった若手時代、とかタニマチに金出してもらったから部屋が持てた、みたいな話も聞くのでむげに否定もできない。ただ、コロナのことがあるから、徐々にすたれていっているという流れがそのまま加速して、別の方向(例えばYoutube課金とか)に流れていくといいなぁ…と思ったりする。

まぁとにかく、落語はすごい面白いから寄席も何とかコロナサバイブして、何とか続いていってほしいんですよ。

2021-04-24

https://anond.hatelabo.jp/20210423230621

今期のSF枠は円城塔脚本ゴジラSPがぶっちぎっていると思う。怪獣と「時空を越えて存在する異次元物質」「特異点」を絡めたゴリゴリハードSF

数理SFとして極めてハードな一方で、怪獣モノとして(今のところ)スルっと見られる異色作。

ただ、いかんせん(文章は読みやすいが文系にはぜんぜんわからない話を書く)円城塔なので、外連味が難解さを越えずに最終回まで走ってくれるかちょっと危惧している。

ゼロ好きだからVivyも見てみるけど、ゴジラリアタイでめちゃくちゃ盛り上がってるので、「久しぶりの」って言われると違和感がある。

既出だけど「デカダンス」とか、最近だと野崎まどが「正解するカド」、劇場アニメで「HELLO WORLD」やってたし、SFアニメは近年そこまでレアでもないと思う。

しろSF作家が脚本書くアニメが続いてちょっとクワクしてる。

2021-04-23

競馬ファンはなんで急に繊細ヤクザになったの?

競馬ファンって何十万何百万と馬にぶっこんでる気の狂ったオッサンが大半なわけだよ。

あいつらが「俺の好きな馬の検索汚染がひどい…」なんて泣いてると思う?

んなわけないでしょ。

5chの競馬板なんて元から罵詈雑言の嵐よ。

エル基地VSグラ基地VSスペ基地とか

ウオ基地VSダスカ基地とか

ディープ基地VSオルフ基地とか

今でも罵り合い貶し合ってるわけですよ。

あ、「基地」っていうのは「キチガイ基地外」の略ね。

互いにリスペクトした上で自分の好きな馬の良いところを語る…なんてことあるわけもなく、

海外コンプだの府中専用機だのポキオンタイマーだの薬物失格だの天皇賞11着だの、

相手馬鹿しまくってるわけですよ。

スペはグラスにもエルコンにも負け越してる雑魚だとか

エルコンモンジューに負けてスペは勝ったからスペのほうが強いだとか

そういう不毛にもほどがある言い争いを20年以上続けてきてるんですよ。

ディープ産駒の注目馬が惨敗したら

「早枯れマイラーwww」「馬肉行きwww」

オルフェ産駒の注目馬が惨敗したら

種牡馬失敗確定www」「鈍足駄馬www」

てなもんですよ。

なーにが「エアシャカールゴミなんて言われて悲しい」だ?

これまでも「クラシック価値を貶めた駄馬」だの

「もし三冠馬になっていたらと思うとゾッとする 」だのさんざん言われてただろ。

ディープなんて未だに「ドープインパクト」とかいって煽られとるんやぞ。

馬主が「ゲームに出したらボロクソに言われるかも」なんて危惧してるとしたら

まず間違いなく競馬ファンのこれまでの言動が原因だわ。

そんな競馬ファンがいまさらウマ娘のせいで好きな馬が汚されて…」って何の冗談やねん。

ウマ娘が気に食わないか嘘松しました」って正直に言えや。

私は、匿名掲示板に書かれた意見世論の大半を反映されたものと思い込んでる匿名掲示板ユーザーが大嫌いです。

素晴らしい意見です! 蒙を啓かれました!

たかだかサジェストに「嫌い」と出てきたくらいでゲームやそのプレイヤー全体を否定しだしたり、

増田かいう掃き溜めに書かれたエアシャカールがどうだのマヤノトップガンがどうだのといった記事に感化されて「オタクはわきまえろ」なんて言い出さないよう気をつけていきます

anond:20210423082614

社台、金子ノースヒルズ辺りがそういうの危惧して避けてるのほんま賢いよな

あとゴルシと同期の某G1オーナーもか?

現役時だったら天地がひっくり返ってもつかなかったであろう風評がついたら競馬新規開拓とか言ってられんわな

2021-04-22

ただ、一つだけ問題は残る。

それは「反緊縮」をめぐる問題だ。

著者も指摘するとおり、「反緊縮」は、基本的に「資本主義経済」の枠中での発想であり、それが「反緊縮の限界である

具体的に言えば、「反緊縮」の論客は「弱者を救うためには、緊縮経済政策ではなく、逆にもっとお金を刷り、そのお金福祉インフラ整備などに投入し、経済好転させることが必要だ」と訴えるのだが、問題はこの「もっとお金を刷って」の部分だ。

「反緊縮」に反対する「緊縮」派は「それでは借金が増えて、経済の不健全さが進み、いずれ経済恐慌という破綻を来す」と危惧する。

しかし「反緊縮」派は「大丈夫だ。日銀などの国立中央銀行は、実質的国家の一部なのだからお金いくら刷っても、その借金は、いざとなれば帳消しにできる。返す必要がないものにできるのだ。無論、無闇に刷れば良いというのではない。必要なところに必要なだけ、お金を刷って回せば、おのずと経済好転して、利益を生むのだから債務過剰を恐れすぎる必要はない」と説明する。

まりお金の交換価値担保していない現在経済システムにおいては、国家は「お金を、魔法のようにをパッと生み出す」ことができるし、それは「他人から借金(必ず返さなければならない借金)」とは違い、「夫が妻から借金するようなもの」だと言うのである

一一だが、これは本当だろうか?

私は、この点について、ずっと腑に落ちなかったのだが、本書を読んで、なぜ国家は「お金魔法のようにパッと生み出す」ことができるのか、その理由がわかったように思う。

要は、「資本主義経済下における国家の中」では、実際それは可能なのだが、じつはその「債務による資本主義経済振興策としての債務」というのは、「外部に、資本主義経済を強いることで担保されるもの」だ、ということだったのである。つまり、やはり「担保」は存在し、その担保は「外部化」されていたからこそ、一見したところ「お金を、魔法のようにをパッと生み出す」ことができた(ように見えた)のだ。

したがって「反緊縮」は、「地球規模の環境破壊」には対応できないのである

言い変えれば、「反緊縮」の論客が、「お金を生み出す、魔法の種」の説明をしないのは、そのことを知っているかなのだ

彼らは「目の前の、困窮している弱者」を救うために、その代価を「目の前にいない、遠くで困窮している弱者や、未来の人たち」に転嫁しているのである

まり、本書の「資本主義を廃棄せよ」という提案において、残されてしまう難問とは、「目の前の困窮者を救う」には、「資本主義を捨てよ」というような、若干、気の長い話は通用しない、ということなのだ。

しかに「目の前の、困窮している弱者」を救うために、その代価を「目の前にいない、遠くで困窮している弱者や、未来の人たち」に転嫁する、というのは、ある種の「欺瞞」であり「転倒」ではあろう。

しかし、それなら、心を鬼にして「目の前の、困窮している弱者」を救うのは断念し「人類全体の救済を優先しよう」という選択が正しいのか?

たぶん、その方が賢明ではあろうけれども、それは「目の前の、困窮している弱者」を捨ておけない人には、無理な注文でしかない。これは「トロッコジレンマ」なのである

無論、著者は、「反緊縮」そのものに、反対してはいない。むしろ、それによって「目の前の、困窮している弱者」を救うことの必要性は認めているが、その一方で「反緊縮」論者の「欺瞞」を批判してもいる。

だが、この「欺瞞」なくしては、「目の前の、困窮している弱者」は救えないのだ。

要するに、著者の主張は「人類未来を救うためには、資本主義は廃棄されなければならない。その意味では、それを前提とする反緊縮だけでは不十分なので、反緊縮的経済政策による目の前の弱者救済を進めつつ、最終的には資本主義経済の完全廃棄を進めなければならない」というものだろう。

これは、理屈としては正しいのだけれども、しかし、現に「反緊縮」を進めるためには、「国民の支持」が無ければ実現不可能だ、という「現実的難問」が立ち塞がっている。

からこそ、「反緊縮」の論者たちは「資本主義経済振興策としての債務というのは、外部に資本主義経済を強いることで担保されるものだ」などとは、口が裂けても言えないし、ましてや「最終的には、資本主義は廃棄されなければならない」なんてことは言えないのだ。当面、それでは「選挙に勝てない」からである

まり、「目の前の、困窮している弱者」を救うためには「あくまでも資本主義の枠内での、反緊縮で大丈夫」という「嘘」メッセージを伝えなければならない。

言うまでもなく、これは「好きでついている嘘ではない」のだが、それを「嘘」だと批難されたのでは、彼らも立つ瀬がないだろう。

から問題は、「方便としての嘘」をついてでも「目の前の、困窮している弱者」を救いつつ、最終的には「資本主義の廃棄」を目指す、という「二正面作戦」を採らざるを得ないのではないか

しかし、ここでも問題になるのは、この「二正面作戦」で、はたして「間に合うのか?」ということなである

本書で語られていることを、ごく簡単にまとめると、

 (1) 地球資源(あるいは、人類に利用可能資源)は、有限である

 (2) エントロピーは、増大する一方である

 (3) 資本主義は、エントロピー増大の、過激な「加速装置である

 (4) 資本主義は、エントロピー過激な増大を、弱者(外部)への転嫁によって隠蔽するシステムである

 (5) よって、人類が「延命」を望むのであれば、資本主義を捨てるしかない。

これだけだ。

前述のとおり、私はコミュニズムが好きではない。それは、「みんなで相談して」というのが「間違っている」と考えるからではない。それ自体は「正しい」と思うが、その一方で、個人的には「面倒くさい」と思ってしまう(私は「快楽主義者」だ)から、「好きではない」のだ。

しかし、すでに人類は、「好き嫌い」を言っていられる段階にはない。

人類が、永遠に生き続けることは「物理的に不可能」だったとしても、せめてこの先も、数百年くらいは生き延びたい。子や孫や、その子や孫の子や孫が、安心して暮らせる「最低限の地球環境」を遺してやりたいと思うのなら、「エントロピー増大の過激な加速装置である資本主義」は捨てなければならない。それしかないのだ。

もちろん、著者も書いているとおり、このまま地球環境悪化させても、「一部の大金持ちや権力者たち」は、自分たち生活環境だけは守ることが(当面は)できるだろう。

しかし、そんなものは「地球規模の環境悪化」の前では「蟷螂の斧」でしかない。その場しのぎの「無駄抵抗」でしかない。喩えて言うなら「ある避難施設の中にいる人以外は、みんなゾンビ状態なのだいくら「中にいれば安心」と言っても、そんな「あさま山荘のたて籠り事件」みたいなことをしても、ささやか時間稼ぎ(延命措置)にしかならないのである

から私たちは、貧乏人も金持ち権力者も、否応なく「資本主義」を捨てなければならない。

資本主義」を捨て、「無駄価値(=消費のため消費価値)」を捨てて、「利用価値(=生活のための実質的価値)」の創造だけに限定する、「脱成長」を目指さなければならない。

当然そうすると、今のようなかたちでの「大金持ち」や「権力者」は存在し得なくなるだろうが、それは「生き残り」のためには、仕方のないことだ。「お金持ちの快楽」も「権力者快楽」も、すべては「命あっての物種(生きていればこそ)」だからである

よって、私たちは「資本主義」を、否応なく「捨てるしかない」。

資本主義を捨てると「成長できない」という危惧は、問題にならない。

「成長できない」のではなく、私たちはもう「成長してはならない」のだ。「経済的成長=(人類の熱的)死」だからである

2021-04-21

anond:20210421232220

彼側が興奮しなくなることを危惧してる…

2021-04-20

ラストオブアスおよび体力作りのススメ

プレステ3ゲームなんだけどさ、ざっくりいうと原因不明ウィルス蔓延して、それにかかると100%死ぬから感染から身を守るためにナイスミドル感染から延々と走って逃げ回ったり、感染者殴り殺したり射殺するゲームなんだけど(説明が雑)、あの世界をコロナ禍に置き換えると、アメリカでも銃の売れ行きが伸びたらしいし、俺も身体を鍛えるべきな気がしてきたんだよな。

ラスアスプレイ済みの奴ならわかると思うんだが、あの世界は最低限3つのステータスを満たさないと生き残れない。

1つは延々と走り回れる無限の体力、これがないと感染者に捕まって感染してしまうし、大人数の感染相手にする時はヒットアンドアウェイ原則なので、これも体力が無いと対処出来ない。どれだけ腕力があろうが、どれだけ銃の腕があろうが、パンデミック世界で体力が無いというのはあまりにも無力だ。

2つめは腕力だ。銃の弾が切れた。武器がない。こんな状況コロナ禍ならこんなのいつでも起こり得る。そういう時に最終的に頼れるのは、自分腕力だ。作中で壮年主人公は6発の殴打で敵を殴り殺していた。終盤になるとリボルバーの弾を弾くヘルメットを被った敵が出てくる。そんな敵も6発の殴打で、しかも明らかに頭を殴って、殴り殺しているのだ。敵と戦う世界腕力正義だ。知能も、善行も、祈りも、コロナ禍の前では何も頼りにならない。頼りになるのは、最終的に自分を守れるのは、己の腕力だけだ。神は腕力に宿る。

3つ目は視線の届く範囲10メートル以内なら好きな所へ確実に投擲できる技術だ。これは落ちてるレンガやビンを投げて相手の注意を逸らしたり、相手を引き付けたりするのに必要で。100%の精度が求められる。コロナ禍において投擲のミスは許されない。間違えれば命取りになるからだ。正面から走って襲ってくる感染者にビンを投げつけるとどうなるだろう。怯むのだ。そして君に圧倒的な腕力があれば、反撃を危惧せず一撃でコロナ感染者を殴り殺せる。ラスアス経験者なら投擲のお世話になった人はたくさんいるはずだ。投擲をマスターしたら火炎瓶の作り方を覚えよう。君の生存確率がグッと高くなるはずだ。

俺はコロナ禍になってから毎日10kmのランニングと、腕立てダンベカール逆立ち等ヒッティングマッスルメインの筋トレ公園で狙ったところに石を投げる練習をしている。

その結果、体重は4kg落ち、体脂肪率28%から12%にまで落ちた。今まで悪かった健康診断の数値が改善され、初めて「異常なし」の文言を見た。

俺はコロナ禍のパンデミックと戦う準備をしながら、健康を手に入れた。

俺はな、生きるためにずっと戦ってきた。お前らも、何があっても戦う目的を見つけなきゃダメなんだ。

2021-04-18

anond:20210415150735

4月5日見通し、12日見通し、がウソ(というとなんだが、外れた、成立しなかった)んだから

”・以降、6月末まで順次 高齢者約3,600万人の2回接種分を配布できる量を供給見込み”

誇大広告・DAIHON-EI‐HAPPYである危惧は当然あるわな

2021-04-16

追記3あり】職場で休憩中、女性生理セックスの話を始めたら男である自分はその場から離れた方が良いのだろうか

自分は男で女性が多い職場に勤めている。

休憩中はよく職場椅子腰掛けているのだが、周りの女性たち(周囲の人数は日によってまちまちで、3人くらいのときもあれば7人くらいのときもある)がたまに生理セックスの話をし始める。

挨拶代わりのような会話から真面目で深刻な悩み相談のような話までピンキリだ。

私はそういう話はあっても全く構わないと思うのだが、同時に、男である私がその場にいると、彼女らが真面目で深刻な話を自由にできなくなるのではないかと少し悩む。

そのためそのような生理セックス関係の話が出たらいつも立ち去るようにしている。ただ聞いていて不快感はないが、聞いていたいとは思わない。

ネットを見ると、そもそも男性社員の前で生理の話をすること自体男性に対するセクハラだという意見もあり、驚く一方でなるほどなあと思った。

私が立ち去るべきなのだろうか。それとも彼女らが離れるべきなのか?

追記

トラックバックブコメ含め、コメント感謝します。

セックスについては少し言葉足らずだったので補足します。

生々しい行為内容ではなく、「彼のが痛いがどうしたらいい」「こういう症状があって病気かもしれない」「求める回数が増えた/減った。なぜだろう」など、自慢やひけらかしより肉体的精神的悩み相談が主です(聞こえた限りでは。ただ笑い声が聞こえたり盛り上がったりしていることもあり、行為内容にも言及しているかもしれない)。生理では「あれのせいで気分最悪」「市販のこういった薬剤、製品おすすめ」「あれがもう1週間来てない」など。

私と女性社員たちとは業務上の会話が大半で、私生活などの話はほとんどせず、仲が良いとはいえません。

そして私は平社員彼女らに命令指導する権限はありません。

前述のように、私は不快感はありませんが、その会話に加わっていない他の女性社員は気分が悪いかもしれないので会社相談窓口に言った方がいいんだろうとは思いますが、彼女らに指導が入った場合通報したのはいつも立ち去る私だと真っ先に彼女から疑われるのでそれは多少危惧しています職場管理者ならまだしも平社員の私が、関係悪化させるリスクを負ってまでやることだろうか、とも思う。しかしいずれ研修を終えた新しい人も入ってくるだろうしなんとかしなければならないとも思う。

現状維持、様子見といえば聞こえはいいですが、保身に徹しているというのが今の私の状態です。

追記2】

私は確かに不快感はありませんが、その場に居合わせる他の方々は感じる恐れが十分あるため、セクハラとしての議論も成り立つと思います

追記3】

たくさんの意見感謝します。

結論として、新人の方達が来るまでは現状維持、そして新人がいる前でもするようなら彼女らに直接指摘、要請(周りに人がいないところで話すように など)し、変わらないようであれば相談窓口に伝える、という手順を取ることにした。

かに彼女らの性的な話は相談が主であるため、全く無益とは言えないうえに悩みを身近な人に相談できる場は有用ではあると思うが、人に聞かれないところですることが周囲の幸福度もっとも損わないこと、また行為中の卑猥な話に脱線することが少なからずあったことなどを考慮し、そのようにすることにした。ただ、生理の話はオープンであってほしいという考えもあり、理解はできるし、聞く側の意識変革が求められているのかもしれないとも思うので、上記の「離れて話せ」という要請は、その考えの真逆に進むものであり、封殺してしまものであるかもしれないという懸念もある。

それでも新人のために嫌われる覚悟はできているので、条件を満たし次第、指摘要請はしてみるつもりだ。

現代社会はもともと「緩やかな殺し合い」だろ?

障碍者による抗議活動や、弱者男性女性)に対する一連の議論で、共通してることだが、あれは全て弱者立場から脱出するための戦いである。

ただその先に待つのは、弱者が強くなれば序列が変わるだけで、弱者自体永遠にいなくならない。

生きているだけで皆、殺し合いのテーブルに参加しているのだ。

原始時代とは、そういった様相が見えにくくなってるだけで、昔からそうだ。

いくら世の中が良くなろうが、殺し合いをやっているという原則は変わらない。

本当の弱者は、真っ先に殺されるなどで「いないこととほぼ同義にされている」のだ。

分かりやすい例が中絶かな。生殺与奪を握ったり握られていれば、明らかに弱者強者関係だ。

弱者徒党を組むなりして、仲間を増やさないと強者には立ち向かえない。

それが権利の勝ち取るための基本戦略だ。

もちろん強者側は、既得権益を守ろうとあの手この手で対抗するだろう。ときには卑劣な手も厭わない。

一見、争いとは関係なさそうな人でも否定的意見を投げかけるのは「序列が変わっていけば、いつか自分にも危害が及ぶのではないか」と危惧しているのだ。

夫婦別姓議論でも、反対派(同姓派)の意見論理的でも何でもなかったように思う。

ただ、夫婦別姓を認めた先に、何があるか分からいから反対するのだ。

現代人が欲しいのは「自分の居場所」などではなく「より高い序列位置すること」だ。

みんなで今日も精々、殺し合いを頑張っていこうな。

2021-04-13

anond:20210413120550

つの推測としては、より迷惑のかからない形になることで埋もれていってしまうことを危惧しているのではないか

2021-04-12

なんで持ち家と賃貸派閥争いが起こるの?

増田ブクマカを見ていると、6割くらいは賃貸派で、しか離婚とか騒音とかを危惧する声が多いと思う。

持ち家派ってのは割と少数だよね。

そしてどちらもリスクヘッジがどうたら頭ごなしに否定することが多いなと。

賃貸は好きだし今のアパートは狭さ以外は割と気に入ってるが、家買うのも悪くないと思って探し中。だけどそんなことをいうと金がない人間のひがみ・妬み根性を見る羽目になるからキツいな。他人他人の金で失敗しようが成功しようが関係ないのにね。

2021-04-07

「あてがえ論」は実際あるよね

タイトル煽りを含みます

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/10anj10/status/1378252302696390659

あてがえと言ってる人はいない

かに直接的に言ってる人はほとんどみないが、「あてがう仕組み」自体現実存在しており、それが失われることを危惧する言説は散見される。

単婚(一夫一婦)制は配偶者候補の独占を抑制するという意味で既にマイルドな「あてがう仕組み」になっている。また、廃れたとはいえ見合い制度は直接的な「あてがい」だ。

「あてがう仕組み」には、孤立した個人・「無敵の人」を減らすという社会的効用があった、という視点妥当ものだろう。

それらの言説を含めれば(表現がかなり悪意的ではあるが)あてがえ論は存在すると言ってもいいと思う。

分配されても承認欲求満たされないだろ

これは見合い結婚幸せ共同体生活を送っている方々が反例になるかな。

「分配」とか「あてがい」とかのワードが悪意的でよくない。その点「見合い」は両者の尊厳を損ねずに、実態としては「あてがい」であるという点で上手い仕組みだわな。歴史は偉大だ。

モテないという資質はどうしようもないのであてがいは不可能である

人間は一緒にいればだいたい仲良くなるものである」という自然な前提が抜けてるかなと思う。

実際そうじゃなければ見合い婚活なんて成立してない。

人間自由意志はそこまで強固なものじゃないし環境に左右されるよ。

でもブスはいやなんでしょ?

「三日で慣れる」「あばたもえくぼ」という先人のありがたいお言葉がありまして。

なんとなく仲良くなる環境、みたいなものをもうちょっと多様に考えてみてもええんちゃう

人権のある存在である人間女性)は分配できない。自分が分配される覚悟はあるのか

「分配」という言葉を選ぶから話がずれていく気がするんですが、あえて分配の話をすると、実際男性は分配されてる。

生涯未婚率男性の方があきらかに高く、配偶関係においては単一男性複数女性に分配されている構造

これは、男女の生殖コスト非対称性によるもので、「種を貸す男性はいるが、腹を貸す女性はいない」。

この点は特にフェミニズム男性特権として解釈されることが多いけど、遺伝子継承という文脈においては、男性と比して「望んだ相手の子供を作りやすい」という意味で、女性特権である

このへんの逆方向の権力勾配はもうちょっと意識されてもいいんじゃないかなと思う。

まあ明示的に分配されたわけじゃなく、自由選択の結果として時間一夫多妻になっているだけではあるんだけど。

ただ無敵の人が増えちゃう構造ではあるんで、人権毀損しない範囲是正されるべきだとは思うのよね。

初婚重視傾向の男女バランスを整える方向に流行を動かすとかね。あるいはラジカルには「腹を貸す」のを制度化するとかもあるかもね。精子バンクは既にあるし。

草食男子ブームはその点マイルドで丁度いい潮流だったと思うんだけど、定着しなかったのはやはり本能に勝てなかったということなのだろうか。

なぜ女性からあてがえ論がでないのか素朴に疑問

上述のとおり、男女の生殖コスト非対称性から男性と比べて女性相対的に「あてがわれている」んだと思います

構造的には弱者男性孤立男性)の反対側にいるのはシンママなんだけど、シンママ子供いるからあてがえとか言ってる余裕ないんよね。

養育権のアファーマティブアクションも一つの是正の道かもしれんね。

2021-04-05

anond:20210405141320

ただそこで宇崎ちゃん問題なんかにつながって、リアル女性に全く危害を与えるつもりはない、あくま創作物で楽しみたいだけの人間がまるで性犯罪者のように言われることに危惧を覚えたからこそ、これだけ言われ続けているわけで。

そういう意味で、ちゃんリアル/空想の違いははっきりしていただきたい、ってのはあるね。

これ以上は話がずれすぎるからやめとくけど。

2021-04-04

元Googlerの謝罪文のまずい点と教育者として言いたいこと

前提として、以下を読みました。

1. 元記事 https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31

2. chokudaiさんの返信 https://chokudai.hatenablog.com/entry/2021/04/01/115755

3. nucさんの謝罪(?) https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/04/02

ふだんはインターネットのあれこれについてROM専ですが教育教育倫理に携わる者の端くれとして3の記事に対し、このような方が教育を大声でかたることの危険を感じたため筆をとった次第です。

教育者?

私は教員ソフトウェアエンジニアとして数社→公教育ではないとある教育機関で勤務、といった経歴にあり、大学で学ぶ程度の教育学と小中高領域教育に関しては多少通じています。ちなみに務めた会社Googleは含まれず、競技プログラミングについてはソフトウェアエンジニア時代ちょっとかじった程度で歴史コミュニティに詳しいわけではありません。

1の記事についても賛同異論含めていろいろあるのですが、そちらは各個論点についての意見が異なる程度の話ですので割愛します。なお、両者の知り合いでもないので通りすがりによるネット怪文書程度の位置づけで結構です。

謝罪文としてまずいと思うこと

いきなり教育の話から逸れて恐縮ですが、謝罪慣れしていない方がやりがちな失敗がいくつもあり、謝罪文として看過できない点をいくつか指摘します。

教育哲学児童心理などを学んだり活用する立場にある私にとって、トラブル対応謝罪について考え実践する機会は山程あるのでその経験から思ったことでもあります

相手のためを思ってやった

ちょくだいさんには、かなり感謝配慮をした文章を書いたつもりでした。

宣伝までしたくらいの気持ちでしたよ。

他人のためを思ってやったことが相手に対して失礼だったとき、傷つけたとわかったとき、「そんなつもりはなかった」と言い放つことがどれほどひどいことか、私は見てきました。

ハラスメントやそれらにまつわる謝罪で最も悪手の1つです。間違えた側にできるのは一切の言い訳なく謝ることです。

相手自分は違う人間から自分がしでかしてしまたことで相手をどれほど傷付けたのか、自分にはわからない。

から「これくらいの謝罪OKでしょ」なんていう自分基準相手に当てはまるとは限らない。大体の場合は当てはまらない。

https://note.com/tm88817/n/ne5025239f31a から私が肝要と思っている節を引用しました。

この文章タイトルに示されるような謝罪であるならば、この一点においてすでに重大な間違いを犯しています

余談ながら、謝罪本質中学生ぐらいの子どもにそのように教える機会があります経験上、成績がよく普段問題を起こさないが内実プライドが高く誤り慣れていない子どもは「そんなつもりはなかった」「相手勘違いした」といった言い訳をする傾向にあります。私の個人的体感ですので一般化はできませんが。

誤解した側が悪い

これについては、意図せず失礼なことを書いたとお詫びしたいと思うと同時に少し背景の説明本来意図をご説明させてください。

先述と同様です。失礼なことを書いたと自覚しているなら本来意図説明不要です。

背景と意図説明するのは「自分に過失がないと確信しており、誤解を解くために誠意を尽くす」場合です。過失が誰にもなくても誤解やすれ違いというのは生まれものですから、そのとき真摯に伝え直すのみです。

誤解した側が悪いという論法になっています

第三者を巻き込む

私は、このけんちょんさんのために仕方ないと思って記事を書いたのですよ。本当に面倒で書きたくなくて、他に書くものもあり、ツイッターで書こうかなと宣言して自分鼓舞までしたのに、2ヶ月以上かかりました。

nucさんがchokudaiさんを不快にさせる文章を書いたことについて謝るために、矛先を向けさせるような形で第三者を巻き込む必要もなければ、あなた事情説明する必要もありません。

また、自分鼓舞までして2ヶ月以上かけて書いた事実があったとして、謝罪を受けた側に何の意味があるでしょうか。過失を避けるように努力したのであれば法的にも情状酌量余地はありますが、「努力をしてやったことだから引き起こしたことの罪が軽くなる」、なんてことはないのではないでしょうか。

教育者として避けてもらいたいこと

言いたいことはたくさんあるのですが、「教育者として避けてもらいたいこと」に焦点を絞ります

結論だけ言うと、これだけの悪手を悪意なく行う人に、教育者として後進の育成に関わってほしくないと感じました。成功者だけでなく被害者が生み出されることを危惧しています。直接指導でなくとも、技術力を活かして別の形で関わって頂くこともできるのではないでしょうか。

自身常識他者常識と思いこむこと

そりゃそうじゃないですか、「競技プログラミングをする」という表現は当時はなくて、「プログラミングコンテストに出る」と言っていたわけです。だから競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指すわけです。

発端となった1の記事では田舎初段といった言葉を用い、まさにそのことをご自身で説いておられたかと思うのです。

特に後者の「競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指す」は少なくとも私にはまったく自明ではありません。ある程度客観性を持った事実なのかどうかを確認するためGoogleで「競技プログラミング」について検索をかけてもnucさんと同じ解釈を見つけることはできませんでした。

過度な一般

5歳くらい歳が離れると一部の言葉が通じなくなることがあるのは、少し前に「アンチ」という言葉で強く実感したことがあります。これもそうなのでしょう。

唐突に、。穿った見方をすれば、今回のコミュニケーションの失敗の原因を年齢差に帰しており、自身には過失がないといった主張に読み取れます

歳が離れると一部の言葉が通じなくなることは、年の離れた相手教育に携わっていればどうやってもわかることです。

ですがこれを理由にしてこちから対話を閉じたり、「言ってもわからないだろう」といった態度をとるような方に教育を声高に語っていただきなくないです。

自分とは異なる環境にあり、関わらないであろう人間への想像力の欠如

Google 入社は、えらくもないし、すごくもないし、むずかしくもない」と我々は心から思い、言い続けています

私がかつてドラゴン桜に対して抱いた印象を思い起こさせます東大に入るのは「かんたん」、かんたんには但し書きのカッコが付きます

ただし適切な素地があり適切な対策を十分かつ継続的に行えた場合、です。場合によっては家庭からの適切なサポート障害ハンディキャップを持っていないこと、も条件に含まれます

1の記事で以下のように述べられており、大学院に行くことが人生選択肢にない人の存在にショックを受けたとありますが、そのときに培われた想像力を今一度働かせて頂ければと思うのです。

まさか戦後まれ大学院に行くことが人生選択肢にないことがあるとは思わなかったので、私は本当にショックでした。30を過ぎるまでこれにまったく気が付かなかった自分自身への怒りで、視界がおかしくなっていました。

自分が関わるであろう人間への想像力の欠如

とある医学部教授から「読んだよー。文章はいいけど、お前が卒業生をひょいひょい適当エンジニアにすると教授会で問題になることがあるから、するんだったら出来の悪いのにしてよね。いいね。ほんと頼むよ。特にそこにいる生徒会長みたいなのはめだから。」ということなので、今後は、あらかじめ「出来が悪いかを問い合わせる」約束をしてきました。

ちょっとした怒りが湧きました。

今後nucさんに面接対策を依頼し、OKをもらえた学生医学部教授が出来が悪いと認定した医学部生になる、ということとなります

このような文書を公開し、残し続ける限り、nucさんの生徒・元生徒が目にする可能性があります

教え始める前にせよ後にせよ、もし私がnucさんの生徒としてこの一文を見たらと思うと激しい動悸がします。

この一文をどんな思惑があって追加したのかわかりませんが「諸事情により今後は医学部生の生徒を取ることを控える可能性がある」程度で良かったのでは。

狭量な教育論をバズるための方便として利用すること

「かわいそうなことに、りりあんさんは、いかれた3人の模擬面接官が今まで何をやっていたんだと慌てふためいたことにより、2週間のリアルタイムアタックを宣告され、無理やりクリヤーさせられました。コスパがよかったですね。でも、こっちの胃までおかしくなるから真似しないでね。」で終わるのですが、これだけ書いてもぜんぜん広まらなさそうですよね。そこに、フィロソフィー教育関係問題意識の話を突っ込むとこうなります

1の記事における教育関係問題意識の話については首肯できる箇所もあり、志の高い方という印象を受け共感もありました。しかしながら1の記事で持ち込まれ教育関連の話が、自身記事を広めるための方便・道具であったことをここで暴露しておられます

自身教育論を手段として使われることは主張自体価値正当性毀損するものではないですが、3の謝罪文の端々にあらわれる不味さから教育を声高に語らせてはいけない方だという印象に修正されました。

特に教育一言に言っても指す領域は広いことを認識されておられない点。アカデミック領域についてはnucさんは私などより遥かに広く深い見識をお持ちなのだと思いますが、それが全てであるかのようには誤解されたまま教育問題バズるための方便として喧伝することは事実認識を歪めることにつながります

以上が教育関連で私が主張したいことです。

他にも読解に失敗している箇所や、知人であれば看過できない・諌めたい箇所も多々ありますがここまで。

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