はてなキーワード: ギャップとは
15年以上前、アラサーだった自分は新人文学賞などを目指して小説を書いていた。
土日の大部分は小説を書く作業と、小説を書く人が集まる社会人講座の授業に費やしていた。
5年位は続けていたが、やめてしまった。
自分が書くべきことが次第に思いつかなくなってしまったことと、他の受講者の作品や本屋さんで売っている小説を読んでいるうちに、自分には向いていないしセンスがないことがだんだんわかってきたからだ。
ところが最近、自分のパソコンのフォルダを漁っていたらその頃の小説のpdfが出てきた。書くのをやめてばかりの頃は恥ずかしいし痛いから二度と読むまいと心に決めていたが、今の心情としては死ぬ前にあと1回位は読んでもいいかもしれない、小説の見え方も書いていた当時とは大分違うかもしれないと思い、斜め読みでもいいからとりあえず読んでみることにした。
登場人物やあらすじについては触れない。
A
小説を書いてみたいと思って社会人講座に通い始めて間もない頃に初めて書いた。原稿用紙350枚ぐらい。
登場人物の言葉遣いが汚い。直情的すぎる。登場人物の中でホモと疑われる教師がいたのだが、今の時代ではアウトすぎる表現だった。
物語の展開が都合良すぎる。
恋愛描写がくどい。多分これが、よく言われるところの、素人のおっさんが初めて書く小説にありがちな痛さかもしれない。
書いてる時には恐らく頭の中で見えていたはずのものが文字になっていないからなんのことだかわからない記述がある。
過去の知り合いを物語の中で過剰に美化している。つまり、自分の当時の人生観が未熟で甘いということだろう。
主人公がずっと目指していた目的地がいつの間にかすり替わっているのに物語中では一切理由がわからない。
親の心とかの描写が表面的すぎる。
内容をほとんど忘れていたので次の展開が読めないところは楽しみでもあった。
瑞々しい恋心みたいなのはちょっとよみがえった気がした。今よりも恋愛至上主義が強い世相の中で流されつつ抱いた渇望感みたいのを思い出した。
小説すばる新人賞に応募したが1次選考にも残らず。当時はなんで?なんで?って感じだったが(それも恐ろしいことだが)今読めば選考に残るわけないのは十分納得。
B
Aの2年後ぐらいに書いた。原稿用紙500枚。
主人公の思考、社会への目があまりにもすさんでいる。それは当時自分がそうだったことの裏返しだろう。
弱者を執拗に否定しようとする力の存在をことさら強調し絶大視しようとする描写がいくつかあって、それが自分の人間的未熟さというか卑屈さを浮き彫りにした。
犯罪のトリックが稚拙。USBメモリ紛失をでっち上げただけで大企業の情報漏えい事件発生というのは無理がある。
簡単に人が死ぬ。こんなに登場人物をたくさん殺しているのにその必然性も後片付けもないと、当時通っていた講座の講師にも指摘された。
書いた当時の10年後つまりここ最近の時代が舞台なのに、現代のキャッシュレス社会を予見できなかった。虹彩認証でコンビニで1000万円までの現金を下ろせてしまうという設定にはあまりにも無理があった。
刑事がすぐに暴言を吐き暴力を振るう設定が安直すぎる。下手をすれば職業蔑視とも受け取られかねない。
いい奴の主人公が最初のシーンだけめっちゃ嫌なやつ過ぎてその後のシーンでの性格とあまりにも整合性がつかなすぎる。
氷河期世代負け組アラサー男性の絶望感と人生をやり直しの希望みたいのは出たと思う。
当時の自分は成功したあっち側ではなく、だめなこっち側の人間なんでこっち側の怒りや絶望を描いたつもりだったのが、その描写に卑屈なところがあるため、かえってこっち側の怒りを買いそうでなおかつあっち側からは苦笑いか同情でもされそうな残念感が今も残る。
「このミス大賞」に応募して、もちろん1次選考には通過しない。当時はそんなもんか、という印象だったが、今だったら通るわけないと十分納得。
C
Bを書いた後に、今度は誰も死なない話を、なるべく心温まる話を書こうと奮起して書いた。原稿用紙350枚。
登場人物で、モデルとなる実在人物がそれまでで一番多い。そのためか痛さが際立っている。
物語の展開にAやBほどまでの唐突さはないが、それでも十分唐突。
今どき年寄りしか使わないような方言を若者世代にまで喋らせていてあまりにも無理がある。
難しい命題を掲げておいて導き出した答えがあまりにも安直で稚拙。主人公は大学生なのにこれじゃ中学生かよって感じがしてしまう。
書いている当時は見えていたものを本文に描写していない(書いた気になってる)のでなんのことかわからないシーンが一箇所あった。
主人公のイチャラブシーンがくどい。がそういうのがいい人はいるのかも知れない。ただし、人物描写に深みがないからやはり読む人が読めばつまらない。
もし登場人物のモデルとなる実在人物にこんなのを読まれたらと思うと恐ろしい。
縁あって知り合いの編集者の方に読んで頂いたところ「よいところは何一つない」と断言され、大沢在昌の小説入門のような書籍で勉強することを真剣に勧められた。(一通り読んでみたが実践にまで及ばず自分の血肉とはならなかった)
小説すばる新人賞に応募し、もちろん1次選考に通過しなかった。当時の印象としては、やっぱそうだよなって感じだった。
D
Cを書いてから2、3年後に、通っていた講座の課題として書いた。原稿用紙100枚。
書くことがなくて無理やりひねり出した感が強く出てしまっている。
既存の小説のシーンを堂々とパクっている(ある小説で、土砂を積んだダンプカーが横転して人が生き埋めになるのを見て笑う男のシーンがある)
書いている当時頭に思い浮かべていたシーンと実際に書かれた描写とでまだギャップがある。
(全体を通して…)
横だけど
子持ち夫婦で仕事の時間・家事育児時間の偏りが大きいことが原因では。
もっと言うと男性の長時間労働、子供が病気の時の休みづらさ、早退のし辛さが原因ではと思う。
夫正社員・妻正社員の夫婦/夫正社員・妻非正規雇用の夫婦 共に
妻の有償労働時間が短いからといってサボっているわけではない。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-30.html
日本だけじゃなく各国でも、家事育児などの無償労働時間の合計は
日本くらいは最低限かかっているので
日本の女性が要領が悪いとか、無駄なことをしているわけではない。
どの国でも子育てや、自分+旦那+子供分の家事に手間と時間がかかるということ。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-31.html
既婚子持ち男性の場合、特に中小企業では、子供が熱を出した時など(幼児はよく風邪をひく)
仕事を休んだり、保育園に迎えに行くのに早退したりは難しい雰囲気のところが多く
育児休暇が明けた後も時短勤務や休み早退が出来るところが比較的多いし
子の病気で急な休みを取ることも可能(邪険にされる事も多いが)
(ただしそれが出来ない企業では転職するしかなくそんな人も珍しくない)
子供が小学生で学童を使っても18-19時が終わりなのでどちらかの親は働けるのが8時間ほどになるし
(帰って家事もしなければならない)
学童の雰囲気が悪く(先生が怒鳴るとか、他の子の意地悪とか)子供が行くのを嫌がれば
仕事をやめざるを得ない事も。
そういう国は夫に育休を取らせるための決まりがあるし(企業を縛る法律がある)
病児休暇も取得しやすくなっている。
給料の差も少なくなっているだけ。
アメリカでもフランスでも、子持ち女性の働く時間は日本女性と同じか、日本女性より少なく
日本女性が働かないと言うより、日本男性を長時間働かせすぎなのだと思う。
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r04/zentai/html/zuhyo/zuhyo00-31.html
日本で医学部に挑戦する女性のすごさは確かに認めるべきであろう
しかし仮に、日本の男尊女卑的な制度がすべてなくなったとしても、日本のジェンダーギャップ指数は改善しない予感がする
でも増田はそう感じないということだな
なるほど分かった考え直してみる
女性の学力は高いが、それは生来のものではなく、学校教育が女児に最適化されているからだと考えている
たとえば学業の始まりである小学校低学年には女性の教師が多く、また授業も精神の発達が早い女児に親和的なカリキュラムになっている
学業は積み重ねであり、最初の段階でついていけなかった男児はその後の学校生活においても苦手を意識を持ったまま学業と向き合うことになる
結果として学力(not IQ)においては女性の方が男性より秀でている(ジェンダーギャップ指数も教育面においては日本は上位)
釣りなのか? という気もしてきたけど、ピュアな方だったらすみません
趣味に合う人もおるんだろうが。
当然ですがブコメ書いた人とは別人です。
で、書き出そうとして、まあ斬新でもないが悪くもないかも、とは思いなおした。
だいたい設定が知りたい人って、(自分もそうだけど)世界に説得力が欲しい。(のと単純な設定中毒も相当数。謎にこだわりが強い)
動物とかだと、暴れたり人や他の動物を襲う理由が明らかなので(作者と読者で共有出来てるので)襲ってきても、なにゆえ? とは思わない。
が、行動原理が謎のままだと、実は作者はこう思ってましたの答えを誤解曲解してると、読んでて違和感が生じるのよね、最悪の場合はあちこちで。
上手い作者はそれでも貫き通したり、そもそもちゃんと設定してるけど。設定が雑だと揺れるんだよ、話や登場人物の行動が。
この設定だと、ゾンビが抱きつく、抱きつこう縋りつこうとして体の制御が出来ず、ひっかくとかはありえても、噛むが封じられそう。(噛まないならいいです)
そもそも「赤ちゃんみたいに暴れ出す」が自分の中では多少じたばた程度でしかない。(それを他の言葉で例えるのは難しいが)
作中で一度でも赤ちゃんという比喩を使ってしまうと、ゾンビの動きと読者イメージの赤子の間のギャップで、多分辻褄合わない系なんだろなと興味を失うか、他の部分が優れていたら、深読みして、期待度が上がって、読み進めてがっかりしてしまうかも。
ゲームなどのクリエイター職を目指す学生に知ってもらいたい事。
説明会でクリエイターに理解のある会社と紹介されていたとしても、社会不適合者に理解があるわけではない。
評価制度とか機材面とか福利厚生がクリエイターに優しいっていうだけで、相談無しにスケジュール遅らせたり、遅刻常習犯だったり、連絡とれないとかしたら普通にクビになる。
フレックス制とかで勤務時間を自由にできて他の会社に比べたら多少マシかもしれないけど、クオリティの高いものだけ作ってれば評価されるって思って入社するとギャップ感じてすぐ辞める事になるからそこだけは知っておいてもらいたい。
その昔はてなを席巻した「非モテ論壇」集団の形成と崩壊を考えると、「非モテ」に拘る男は誰よりも精神マッチョ。そしてマッチョ故にモテない現実との差異に苦しんでいたが、その苦しみを「ナニカグループ」のような「女による闇のグループ」のせいにしていた。女の闇のグループが裏から手を回し企業や政府をも動かして自分たちがモテるのを妨害していると訴えていた。
(やがて非モテ同士で「俺は本当は商社マンでモテモテで何十人と抱いてきたが、女は下劣な生き物なので敢えてフッてやっているのだ」と言い出しマウント合戦に明け暮れ、そして非モテ論壇は崩壊した)
男社会ではカースト低いのに精神的には上位マッチョのつもりの男性こそがそのギャップに苦しんでいるが、その現実は見たくないから女性に当たるのではないか。
ジジェクの韓国語コラムが微妙なのは英語版を改変してるからだと言ってる人がいたけど、英語版も微妙やんね
単に賞味期限切れだろこの人…
https://english.hani.co.kr/arti/english_edition/english_editorials/1149192.html
現在の右翼ポピュリズムの再興について最も重要な点は、この再興がその支持者によってどのように認識されているかということです。異なるバリエーションで繰り返し現れる単一の修辞的な図式が見られます。新しいポピュリストは、企業メディアや極左による暴力的な強制に対抗して穏健な正常性を擁護しています。「LGBT+イデオロギー」の絶え間ない圧力により、自分がただの普通の「シスジェンダー」の女性または男性であるだけで、何かしら罪悪感を感じるようにさせられ、「バイナリー」であること自体が抑圧の行為であるかのように感じること。過去の発言や行動が急に禁止され、どのルールが自分を責め立てるか事前にはっきりと示されないため、何か行動や発言をする際に「キャンセル」されるという絶え間ない脅威。人種差別や性差別がただの自分の特性ではなく、自分の存在そのものに刻まれているかのように絶えず自己卑下を強いられる衝動。これらすべてが、多くの周縁的で「破壊的」とされるアイデンティティを十分に享受するように促されるのとは対照的に、停滞して息苦しい雰囲気を効果的に生み出しているように見えるのです。
「目の覚めるような新鮮な空気が、窒息するようなウォーク主義の圧力に一時的に流れ込んだ極端な事例は、アメリカのハイデガー主義者であり、アレクサンドル・ドゥーギンに共感するマイケル・ミラーマンによって最近提供されました。彼は最近、YouTubeで『なぜ普通のものすべてがファシストと呼ばれるのか?』というタイトルのポッドキャストエピソードを公開しました。彼自身の立場の要約は以下の通りです。
『「私が嫌いな人はみんなヒトラー」という現象はどうしたのか?奇妙ですが、理解できないわけではありません。戦後のリベラルな熱狂(左翼の反ファシズムと結びついて)により、多くのことが「極右」としてコード化され、禁忌となりました。しかし、それらの中には、政治と人間の生活をよく理解するために必要な重要なことも含まれています。』
また、ミラーマンのポッドキャストに対する多数の反応にも注目すべきです。これらは文脈を明確にしています。『彼らが私をファシストと呼ぶなら、それは私が正しいことをしている証拠だ。』『私の友人は多様性と包摂の原則に基づいて外科医を選びました。彼女は亡くなりました。』『WW2前のすべての普通の人は「ファシスト」だった。血と土、自分のものへの愛、他者への警戒心は私たちに組み込まれたものであり、完全に健康的なものだ。』『イスラム教を公然と批判してイスラム教徒をやめたためにファシストと呼ばれた。』『すべての普通のものがファシストなら、ファシズムは...』『「極右」の最良の定義は、間違っていないものすべてだ。』
マリーヌ・ルペンや彼女の周囲の人々は、この論理に大いに依存していますが、彼らは自分たちがネオファシストであることを断固として否定します。彼らは、健全な常識をファシズムと混同しているのは左翼リベラルだと主張します。しかし、この論理を徹底的に追求する人もいます。『すべての普通のものがファシストなら、ファシズムは普通だ。』
7月4日の選挙で労働党が圧勝し、保守党をほぼ壊滅させたとき、多くのリベラルは、英国がこの傾向に対する明るい例外を示したと考えました。しかし、ナイジェル・ファラージのリフォームUK党が400万票以上を獲得したことを過小評価すべきではありません(ただし、英国の投票制度のため、これが議会議員5人に翻訳されました)。保守党が事実上弱体化する場合、その位置を占めるのは、より公然とした人種差別的でポピュリスト的な新しい右翼運動である可能性があります。
新しいポピュリズムの広範な魅力をイデオロギーのミスティフィケーションと操作に帰するのはあまりにも簡単です。事態はもっと微妙です。新しいポピュリストの台頭は、私たちリベラルな「啓蒙された」者たちが無視している不満の層が存在することを示しています。この層は、深く埋め込まれた伝統的な人種差別に還元されるものではありません。
したがって、新しいファシズムを「非自然化」または非正常化する必要がありますが、そのテーマをただ拒絶するだけではいけません。愛国心や自分自身の特定の生活様式への愛着には本質的に虚偽や「ファシスト」なものはありません。ジョージ・オーウェルの英国のパブの称賛を思い出してみてください。これは労働者階級の生活様式の具現化です。新しい右翼ポピュリズムが行っているのは、愛国心に偏執的なねじれを与えることです。自分自身のコミュニティを自信を持って楽しむのではなく、外部の脅威(外国人や「逸脱した」性的習慣)に対する嫉妬と憤りに焦点を当てています。
いわゆるTERF(トランス排除ラディカルフェミニスト)の問題は、彼らがこの多様な流動的なアイデンティティに反対する方法が、アイデンティティ政治の枠内にしっかりと根付いていることです。彼らのターゲットは、トランス女性であると主張する男性であり、TERFの見解では、女性としての密接な物質的プロセスに実際に参加することなく、女性であると主張する男性です。要するに、TERFは女性のアイデンティティを望まない侵入者から守ろうと必死になっています。
それが、新しいポピュリスト右派が一様な形成ではない理由です。彼らの愛国心は偽物であり、自信がありません。ここで最初のパラドックスに出会います。新しいポピュリスト右派は、愛国心が強すぎるのではなく、愛国心が足りないのです。これは、グローバル資本主義への抵抗の神秘化された形態であり、経済的にもイデオロギー的にも、いわゆる普通の人々の大多数がエスタブリッシュメント(国家、大企業、メディア、教育)から圧力を受けているという事実に反応しています。新しいポピュリストは、エスタブリッシュメントに対して普通の労働者の声として、自分たちを明瞭かつ卑猥に介入させています。新しいポピュリスト右派は確立された秩序に対する急進的な抵抗を装っていますが、トランプのイデオロジストであるスティーブ・バノンでさえ自分をレーニン主義者と呼んでいますが、実際にはそれには程遠いのです。多くの億万長者によって支持されているため、資本主義の基本的な構造は手つかずのままです。
しかし、新しいポピュリスト右派に抵抗する人々は、まず自分たち自身を批判的に見つめる必要があります。彼らも同様のパラドックスに陥っているからです。ウォーク主義的な左派は、実質的には支配エリートによる操作として正しく経験される、破壊的な超自我体制を押し付けています。彼らは(性的、人種的、経済的に)排除され、周縁化された人々の保護者として自分たちを提示しますが、その活動の形態自体が深く抑圧的であり、したがって彼らの公式の目標を損なっています。「キャンセル文化」に浸透しているのは「議論なしの立場」です。人や立場が排除されるだけでなく、その議論自体が排除され、排除に対する賛否両論の対立が排除されます。
ヘーゲルはここで、ラカンが呼んだ、述べられた内容と発話の基盤となる姿勢の間のギャップを動員するでしょう。多様性と包摂を主張しますが、自分たちの定義する多様性と包摂に完全に同意しないすべての人を排除することで、それを行います。結果として、常に人々や立場を排除し続けるだけです。このようにして、包摂と多様性のための闘争は、いつあなたのプライベートな発言が公の場からの排除につながるか分からないような、スタージのような疑惑と告発の雰囲気を生み出します。
ここで、最後のカニバルを食べるというジョークの極端なバージョンを見ているのではないでしょうか?「我々のグループには多様性と包摂の反対者はいません――最後の一人を除外したばかりです...」このようにして、唯一の楽しみは、自分の超自我の抑圧者に同一化することです。他の誰よりも厳しくなり、超自我の規則に従おうとすればするほど、ますます罪悪感を感じることに耐えるしかありません。「ついにやり遂げた、今はリラックスして自分らしくいられる」という瞬間は決して訪れません。
新しいポピュリスト右派の基本的な動きは、「リラックスして、自分が何者であるかに誇りを持て」と言うことです。これをはっきりと言うことで、膠着状態を打破し、状況に新鮮な空気をもたらすように見えます。しかし、ポピュリストたちは支配的な既存の生活様式を維持したいと考えていますが、今日の現実である動的な世界に対しては、強引に介入せざるを得ません。一方で、ウォーク主義的な左派は急進的な変化を提唱しますが、彼らが想定する変化は「何も実際に変わらないように、常に物事を変える」という古い知恵に完全に適合しています。
したがって、二重のパラドックスで結論を出しましょう。新しいポピュリスト右派は愛国心が足りず、ウォーク主義的な左派は急進的ではありません。新しいポピュリスト右派は公然とユーロセントリックですが、ウォーク主義的な左派もその形態自体がユーロセントリックです。彼らは特権的な層のように振る舞い、周縁化され排除された人々を保護しています。彼らは後見的な方法で行動し、被抑圧者にとって何が利益になるのかを被抑圧者よりもよく知っているふりをし、被抑圧者があるべき行動を取らないときには何の制約もなく叱責します。要するに、「政治的に正しい」ウォークの言説は、最終的には被抑圧者に対して彼らが真に何者であるかを伝え、彼らをイデオロギー的宇宙の中の適切な場所に配置することです(たとえその場所が無場所として提示されていても)。そのため、被抑圧者はヒステリックな反応を起こします。「なぜ私はあなたが言っているような人間なのか?」
このようにして、新しいポピュリスト右派とウォーク主義的な左派を結びつける深い共謀があります。彼らは同じコインの表裏であり、今日我々が直面している巨大な問題を回避する二つの方法なのです。どちらも、今日のグローバル資本主義の核心に刻まれた対立を無視しています。
と
競技をやるんだったらこれぐらいはやっといた方がいいトレーニング量
の
ギャップが激しすぎる。
健康を保って試合では恥を掻くか、競技でそこそこ活躍できるが故障リスクを抱え込むか。
どちらかを選ばないといけない。
・宇宙1/3 恋愛ロマンス2/3 フェイク部分3/3位の構成で前者2つに本当に興味関心ないので
ほーんAppleぺえオサレな画面作り?で手際よく伝えてくる「上手い」映画、やね…カメラ設置の下りガバすぎない?と思ってたら
あの「今、虚実どちらを放送してるの?」感はこの映画初見でしか味わえない体験だった
・三谷幸喜洋画版みたいなコミカルなノリのメディアで騙しの大風呂敷広げてくで!的なものかと思ったら「誠実である事は大事なんやで…!」みたいな映画でちょっと思ってたんと違った
・君が妊婦じゃない事をリークした誰か〜とか鞄にコッソリ石を入れてたり秘書のお姉さんが裏切って暴露するやつだ…いつ来るのか…!?渡したプレゼントで伝えてくるやつか…?最後まで構えていたら結局こなくてビビった 正直ここのストレスが一番大きかった本当に
・これは恋愛になりそうでならないタイプの男女バディか…?、と思ってたけどガッツリ恋愛だった
お互いの我というか職業意識への方向性の違いからかたまに職業意識(生き方)>恋愛になるけどガッツリ恋愛ロマンスだった
・男優さんが最後まで21ジャンプストリートのイメージが拭えなくて最後までうっすら面白かった IQのギャップが面白い
真顔とシリアス顔になればなるほどおもろい
アポロのみんな スケブでめくり芸みたくなって感動するシーンのはずが笑いが溢れた 引きとアップで二段構えはもう笑わせにきてる
よくない時がない 最後のダンスみたいな足取り良すぎ ララランドか?
・最初の妊婦って嘘ついてのくだりで「妊婦とか障害とかそういう配慮して貰う側の属性を利己的に使いすぎて反感買う」描写入ってて「そこらへんまでエンタメに落とし込める段階なんだ」と感動した
でもヒロインちゃんは「詐欺師じみたプロモーションをする」描写なのでそれほ少し違うか自分に寄せて考えすぎか
・黒猫ちゃんに対し強迫性障害じゃない?と思ったら最後のとこで回収されておおってなった
・「発射まであと◯日」で「これはオッペンハイマーみたく視認でプロジェクトの進捗具合を示してくれるやつやね…!」と思ってたら170日→1日目→0日で飛んでビビった
・この2人の孫が今の2020年代を高校生〜大学生として生きていておばあちゃん譲りのプロモーション力でインフルエンサーとしてやっているのが想像できすぎる
・あの時代にNASAはあんなに黒人とか女性が活躍してる職場だったんか?あそこまでハイレベルな職場だと当時から能力>属性で採られる職場だったんか?
・あんなに若いのに責任者とガッツリ絡める黒人の人とメガネの人、優秀すぎる
・下世話なので「エンディング後にこれ絶対このままあの場でまぐわってる…明かりが消えたら合図や…いつ消えるか…?」と思ってエンディングロールの引きで明かりを見続けていた
・エンディングロールの引き、「これがストーンオーシャンのイルカのとこ…!」と思った
・男性多い印象 男6,7 女4,3くらい
終業式で夏休み入った?映画館に向かう道で昼なのに学生さんが歩いてたり映画館に制服の高校生がごった返してた(田舎比) なに観に来てるのかと思ってたけど多分キングダム
・感想メモろうと立ち寄ったフードコートにiPadお絵かきネキいて草
外でお絵かきする様子を客観的にみるとこんな感じなんや…スワイプする動作、思ったより目立つな…
安野たかひろさんのポスター等、選挙活動で使うデザインを担当されたデザイナーのメイキングnoteを読んだ。
https://note.com/y_yukkie/n/nee5a7a5409fb
選挙期間中、安野たかひろさんのポスターを初めて見た時に、なんでこんなナード感を際立たせるような色使いや写真の使い方をしているだろうとか、視力と判断力が鈍った語彙の薄い高齢者がみたら「あのち◯◯みたいな頭の候補者か」とかいう風になっちゃうじゃん。って思ったので、これらがデザインされた過程や思考が見れて、デザインで食っているものとして勝手に学ぶものがあった。
まず、このポスターをはじめとした背景色/テーマカラーに暖色系のパステルグラデーション(インスタっぽい色)が選ばれていた理由が
>過去10年分ほどを振り返って、キーカラーにほとんどグラデーションが使われていないことは意外だった。
>他ポスターと差別化するためにパステルカラーのグラデーションを採用するという仮説
という、割とよく使われがちな原色系のカウンターからのチャレンジで、安野さんの顔、形や色相の相性、ブーストしたい雰囲気とかを主眼にしているようではない印象を受けた。
顔写真についても、日本のポスターのダサさに不満を抱きつつ、過去事例を研究して顔(写真)の印象の重要性の理解や顔写真の比率の話をされているが顔写真、被写体自体をどう演出して見せていくかという重要な部分にはそこまで触れられていない。
推測だが、近い人(候補を応援するボランティア)が手掛けたがゆえに被写体を客観視しきれない部分があったんじゃないかと思う。何度も人の顔を見ていると、色んな表情が連結されて自分の受け入れやすいように慣れてしまう。初対面の時に抱いた印象や違和感を忘れてしまいがちで、しかも応援している候補者であればなおのこと補正がかかりやすいだろう。
つまりデザイナーにとって安野さんの笑顔の写真は爽やかな笑顔に映るわけであるが、その印象は安野さんを知らない人が写真を見た時と比べると相当脳内補正が掛かってしまってるか、許容値がバグる状態に陥っている。自分も同じ状況に置かれたら、多分不可避だと思う。許容値がバグって客観視することが難しい前提で、この辺りの役割を割り切って決めておくのが重要だと学んだ。
ちなみにポスターを初めて見たときに、もし安野さんをほぼ知らない自分がデザインワーク担当するなら…を妄想してた。(安野さんに限らず、クセで他の候補者でも同様にイメトレしてる。)
(一般的な現場では写真素材を撮る前にレイアウトや色方向性のラフが決まっていることは多いが)写真素材が先行してある状況で、撮った素材の中から選んでデザインよろしくみたいなことになったら、まず、あの角度の写真を積極的には使わないだろうし、あの角度しかない or 使わなきゃいけない理由があるのであれば、ポスターでは頭を全て出さないようにトリムするレイアウトにする、もしくは頭の色に馴染むような背景色にして、極力ナード感を消すところから入る。その上で彼の清潔感や知性を際立たせるようなキーカラーを印刷の出やすさから考慮に入れて選ぶ。という妄想をしてたのだけど、ポスターをよく観察していく内に、いやいや、そもそも衣装を含めて限りなくシンメトリーっぽい雰囲気の被写体をあえてアシンメトリーっぽく絶妙にズラして使って不気味さを際立たせているとか、背景カラーからあえて頭をはみ出させて、立体的にアレに見えやすいようにしている?す、すべて計算してやってる…のか?という勘ぐりまで至ったが、単純に自分の感受性が下品なだけな気がしてきた。
ポスター見た後に生安野さんの演説をチラ見する機会があったのだが、長髪の珍しさはあれど、普通に好青年でポスターとのギャップがかなり強かったので、損しているなぁ…と思ったがもちろんこのポスターデザインが良いね!という人もいるので、好き嫌いの範疇をでない話だし、いかに目立つかを詰められていたので、意図してないかもしれないがある意味で目を惹くポスターでした。
13,000箇所の一等地に掲示する老若男女全方位向けのポスターを手掛けられるのってデザイナーとしては得難い貴重な経験値だなとnoteを読んで改めて感じました。おつかれさまでした。
住宅地に野生動物がいるギャップ、そんな動物の存在を肯定することで自らの善性を承認された気分に浸り、動物園とは異なる趣で動物と触れ合えて、嫌なことを言う知性も無い相手に一方的に癒しを求めることができる、そんなwith Animalな街こそ、自らを否定する情報に晒され続け、自身もまた誰かの言葉で見境もなく他人を否定し、空虚となってもなお過去に抱いた信奉心を健気に墨守する、そんな爛れた心の現代人のわがままメンタルにピッチリパッツン、ジャストフィット!
今なら何がいいだろう?
つむぎ秋田アニメLabの取り組み、大変すばらしいと思います。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4756283245566539264/
しかし一点重大な危険性がこの前編後編の記事内で取り上げられていません。
それはUnreal Engineスキル保持者の給与水準です。
現在ゲームやアバター、映像等のエンタメ関連産業で周辺技術者は払底しています。
何故ならこれらエンタメBtoC企業の給与の倍から4倍の水準でBtoB企業、建築や機械、FAが引き抜いていくからです。
おそらくアニメ産業だと給与ギャップはさらに広がると思います。
この記事で描かれている作業従事者のスキル・経験者だと引く手あまたです。
エンタメ産業が1案件数千万円程度で受けてみんなで取り掛かる仕事に対し、BtoB大手だと着手前の調査費やコンサル費でそれくらい費やします。
そこでガッチリ仮想化や3D設計を組み立てることでのちの数十億円、数百億円の案件を取りに行くのでコストは惜しみません。
もちろん全く別業種なので内容に興味がないならそれまでですが、それをねじ伏せるくらいの給与や移籍金が飛び交います。
もし今後アニメ産業で推進していくなら、ガッツリ金を積んで引き抜きを防ぐか、会社を強く愛してもらわないととんでもないことになると思います。
すごい挑戦が成功しつつあることは喜ばしいですが、バンダイ側はおそらく「事業安定という部分」で心配していたのだと思います。
確かに、価値観や生き方は年齢とともに変わることが多いね。20代の頃は、自由を謳歌してひとりの時間を大切にしたくなる気持ちも理解できる。だけど、30代に入ると人生のステージが変わって、その自由が次第に違和感を覚えることもある。
特に女性の場合、結婚や出産のタイミングについての社会的プレッシャーもあるから、若い頃の気持ちをそのまま引きずると苦労することもあるかもね。恋愛についても、若い頃のモテ感覚が通用しなくなったり、現実とのギャップに戸惑うことも多い。
結婚や子供を望まない生き方も一つの選択肢だし、それが幸せな人もいる。ただし、自分の気持ちや体力、周りの環境が変わっていくことを見越して、将来を見据えた決断が必要だと思う。人生の後半戦に突入すると、「自由」が以前ほど楽しいものではなくなることもあるかもしれないからね。
また、結婚や出産も決して楽な選択ではないけれど、新しい世界が広がるし、子どもとの触れ合いは自分を成長させる絶好の機会だ。独身でいることも強い決意が必要だと感じるし、その決意がないと後悔することになるかもしれない。
結局のところ、自分の人生をどう生きたいかを真剣に考え、自分の気持ちや周りの状況に敏感になって柔軟に対応することが大切だね。人生の選択肢は多岐にわたるから、どの道を選んでも納得できるように、自分自身と向き合う時間を大切にするのがいいと思う。
だれでも自分のことを犬だと思っても良いし、年収2000万円だと思っても良い。
実際の俺の年収は800万円だし犬には吠えられる。
逆に、自分が猫だと主張する奇人がいたとしてもお前はそいつを猫扱いしてやる必要はない(してもよいが)。
今回、戸籍の性別に関して変更できるルールの一部が変更(違憲と判断)されたわけだが、これは当然ながら「自分のことを女だと思っているヤツを無制限に女と扱うこと」を意味しない。
たとえば、厚労省は公衆浴場の入場は身体の性別に応じるとしており、戸籍がなんであれ、ちんちんがあったら女湯には入れない。成人のちんちんを見せられることはない。
女子トイレにおいては、裸を他者に晒すわけではないので、運用はこれまで通り、施設の管理者と使用者に委ねられる。
当然、他の使用者に対して加害する目的で侵入した場合は、戸籍が女であっても建造物侵入罪等の罪に問われることになる。
つまるところ、女性スペースに戸籍が関係することころはなく、これまでとなんら変わらないということ。
・誰でも何でも自認してよい
・今回、戸籍上の性別変更の要件が一部違憲と判断されたが、戸籍上女≠女性スペースに入れる権利ではない
・女湯で成人のちんちんを見せられる?
見せられません
これまでと変わりません
・心が女って何?
自認してるやつに聞け
「中傷を乱射し、差別心を剥き出しにしてくるようなAI利用者も山のようにいるがそちらは特に糾弾されない」
という点
不良はずっと態度やモラルが最悪なので後は雨の日に子犬を助けるなどのギャップで評価は上がり「彼にも良い所があって…」と守られだすが
真面目にやってきた人間が踏み外した場合は「そんな人間だと思わなかった」として落第生として二度と再起できない日本人の習性が強く出ている
こち亀という漫画の不良の更生シーンがたびたびインターネットで話題になるあたり、古くからの宿痾である
生成AI利用者や生成AI擁護者もまた「反AIの多くは腐女子であり、腐女子は女でかつ脳に障害あるので感情的」などとツイートし
仲間内でRTしあい言葉を持て囃している醜悪さを投稿者は知らないまま、いずれきっと不良側のギャップに心を惹かれそちらに行くのであろう