はてなキーワード: かのぼとは
授業料「免除しすぎた」と宇都宮大 外国人4年生に「44万円払わなければ除籍」通告 期限は3月29日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/317914
◆識者の意見①
今回のケースでは
女性は8歳で家族と日本に移住。両親(東京都内在住)の年収が計300万円前後と低いことから仕送りはなく、国の支援制度に基づき授業料を3分の1に免除され、日本学生支援機構の奨学金給付を受け勉強していた
◆識者の意見②
ここで記事の画像「宇都宮大学から女性に届いた44万6500円の納付を求めるメール」を改めて見てみよう
さらに、記事内文章にも「国の支援制度に基づき授業料を3分の1に免除され、日本学生支援機構の奨学金給付を受け勉強していた」とあり
つまりは、セットで奨学金も申し込まれていて、よほど固辞した可能性はないとみてよさそうだ
https://www.mext.go.jp/content/20220530-mxt_gakushi_100001062_1.pdf
また、奨学給付金の返還請求額と再判定の結果をみても「各大学でマイナンバー以外の方法で判定した」結果間違えたという可能性はなさそうだ
◆識者の意見③
それが前触れなしでひっくり返る仕組みがあるんです
【税の更正】といいます
たとえば
「会社が国に出す処理を間違えていた」
「税務署が処理を間違えていた」
これ、大学側にとってみれば
「事前に知りようがない」ですよ…
事前に知り得る手段があるとしたら、
「実は税の更正の申請をしたんです」と
大学は昨秋、後期の授業料について「両親の所得区分が変わったので免除額を縮小する」として半期8万9300円だったのを倍の17万8600円に上げると伝えてきた
女性が再判定を求めても、変わることはなかった。それどころか、大学は3月8日、「再判定で3年後期から免除しすぎだったのが判明した」として、過去にさかのぼった分も合め計44万6500円を29日までに納付するよう命じた
ここで疑問が生じる
フィリピン家族のほうが、書類ミスや虚偽の申告をしてなかったか
②もし税の更正があったとして、それはいつのタイミングだったのか
③税の更正があったとして、再判定の前に大学側へ伝えていたのか
所得の区分変更やことの顛末が、税の更正によるものである可能性はないのか
宇都宮大への憎悪を無責任に煽った東京新聞には答える義務があるだろう
【追記】
https://twitter.com/ymsu10/status/1773745275896815726
https://twitter.com/ymsu10/status/1773554966520644040
この件で非常におっかないのは、
「奨学金担当者が一方的な悪者かのようにニュースに取り上げられてしまうこともある」
という、嫌な事例ができたことです。
北欧諸国にもブルマーらしい写真を見つけることもできた、また、学校の体育で使われたと確認できるものもあった。
〇デンマークの学校教育では、1960年代から1980年代後半にブルマーが採用されている学校があった。また、レオタードを着用する例もあった。
〇スウェーデンの学校教育でも時期ははっきりしないが、ブルマーやレオタードが使われていた。
〇ノルウェーでは学校教育でブルマーの写真が確認できた。また、学校教育外ではへそ出しブルマー、ブラトップにブルマーが確認できた。
〇これは英国での影響かもしれない。英国では、学校教育で導入される以前の1930年代、1940年代から、Women's League of Health and Beautyなどで提灯ブルマーやショーツ型ブルマーが導入されていた。
https://www.youtube.com/watch?v=YmWYxulYQI4&ab_channel=BritishPath%C3%A9
https://www.youtube.com/watch?v=UbO9RAXHdHU&ab_channel=BritishPath%C3%A9
https://www.youtube.com/watch?v=HUrx29uQpwg&ab_channel=BritishPath%C3%A9
そして、これは知らなかったのだが、女性だけの場所では、へそ出しファッションもあったようだ。
https://www.youtube.com/watch?v=2k5uTySJO4w&t=28s&ab_channel=BritishPath%C3%A9
ちょうどビキニの水着が生まれた頃で、少しずつへそ出しの時代が始まっていたようだ。陸上ブルマ以前のへそ出しの存在には驚いた。ヨガと書いてあるが、す1956年代ににヨガが欧州に伝わっていたのが驚きだ。ヒッピーとかの時代だと思っていた。対し蟹欧州のインド研究の歴史は長いが、大衆にまで広がるのにはタイムラグがあったはずだ。いや、ここでヨガが伝わってヒッピーが育っていった?
〇フィンランドでは、女性のみの環境では1940年代から1950年代でブルマー姿になっている女性が見られた。また1970年代のブルマー着用者ではなく、ブルマーそのものの写真も見つかった。現代の学校では、スパッツやレオタードが選べるらしい。
〇アイスランドについては資料が少ないが、現代の生徒でジャージ以外にバレエみたいな恰好をしている例を見つけた。
さて、以前、調査は国ごとにまとめて行うべきで、地域を横断するのは雑になるのではないかと思っていたのだが、こうやってブックマークしておいた画像をもとに1つの記事にまとめると、北欧にはへそ出しがあるという意外な関係性がわかるメリットがあった。
女性だけの環境では、多少大胆な格好をしてもいいのだろうか。あるいは、屋内というか体育館限定なのかもしれない。
かつての記事では、女子は人前ではスカートだが、女子だけの場所ではパンツスタイルで運動したことを書いた。
それと関係しているのだろう。
もっとも、上のWomen's League of Health and Beautyでは、うら若き女性が人前で大胆なブルマーで開脚している。
これは女性の解放・自由・権利が、家父長制に逆らって好きな格好をするほうに向かっているケースで、マドンナやテイラー・スウィフトのレオタードにも似ている。
https://genxy-net.com/post_theme04/328116l/
https://pbs.twimg.com/media/F_vqDL8W0AABet_?format=jpg&name=large
では、韓国のブルマー同然の短パンで腰を振りながら歌う女性歌手は?
わからない。だが、女性が堂々と肌を見せる権利と、それが異性愛者の男性の欲望の対象となることで起きる緊張は、今にもつながっている。
だが緊張は常に悪ではない。そこから新しい思想、ファッション、表現が生まれていく。問題なのは無知や無理解、人格攻撃であり、批判は時には深い理解からなされることだってある。純粋理性批判だって、批判は肯定的な意味じゃない。何ができて何ができないか、境目を知っておくのは大切だ。
話を戻そう。
一方で、これが本当にブルマーだったのかは留保が必要な写真もある。というのも、ごく短いスパッツのサイズが合わず、結果的にブルマーのような形になってしまっていると解釈できなくもないからである(さっきの★をつけたデンマークの写真や、☆をつけたノルウェーの写真)。つまり、結果的にブルマーに見えているだけで、最初からショーツ型ブルマーとして裁断されているわけではないのかもしれない。提灯型ブルマーかはっきりしない写真もある。
今後は他のアーカイブサイトを横断し、さらに事実確認を続けていく必要がある。
今回見つけたのは、例えばデンマークでは第二都市オーフスのアーカイブだが、それこそ首都コペンハーゲンのアーカイブを探せばもっと当時のブルマが見つかるのではないか?
ノルウェーではオスロ博物館の情報もあったが、他の諸国ではどうか。
とはいえ、画像による調査に行き詰まりを感じている。幾分、事実確認よりも画像の狩猟に近づいてきているからだ。
なので、今後は各国の言語で「体操服の歴史」と検索して、それを読むことになるだろうか。
実際、英国やオーストラリアでのブルマーの展開については、個人の記憶や体験をもとにしたブログでの証言をもとにした記事もある。ただし、人口の少ない国では苦労するだろう。前にも書いたように、ショーツ型ブルマーそのものに特に名前がなく、短パンやスパッツの一種ととらえられているとしか思えない国もある。
また、リンクの途切れたバルト三国についても、画像を探し直すやもしれない。
そう、過去の記事を見るとすでにいくらかリンク切れができている。だが、魚拓を取るのも面倒だし、どのリンクが死んでいるかを何十もある記事をさかのぼって調べるのもおっくうだ。
いつ上述の作業をしたり、続きを執筆したりするかは全くの気まぐれ、次回はいつになることやら。下手をすれば来年だ。それくらい面倒くさくなっている。というか、調べまくっていたらブルマがゲシュタルト崩壊を起こしてきた。あの頃のブルマーってあんなにハイレグだったっけ?
資料の豊富にある英語で調べた、ブルマー以外の服や手塚ブッダのおっぱいのほうがしっかりと調べ物をした実感もあるし、バズる。
けれども、少しずつはてな匿名ダイアリーでブクマを稼ぐことへの執着が前よりもさらに薄れてきており、調べものをしても増田に書くかどうか、日々怪しくなっているのである。
やるとしたらトップレスやへそ出しの歴史か、しかしそれもウィキペディアの丸写しになりそうなので、何か別の資料がいる。
それではまたどこかで会いましょう。
⇒ ちょっと興味ある
⇒ スクラブなんか常用してたら唇が色素性沈着(シミ)だらけになるゾ♡
⇒ なんとかの宝石箱とかいうグミ? 超苦手なので、そういう苦手なものでなければ嬉しい
⇒365日日焼け止め使ってる者ですが、アネッサはニオイも塗り心地も全てが超苦手です
⇒家に有り余ってるので要らんかも(置く場所がない)
⇒ これを乞食するのはamazon欲しいものリスト乞食みたいでさすがに恥ずかしい
⇒ インソールで合わない靴が合った試しがなく、必要性が本気でわからない
⇒ 詐欺的商品がめちゃくちゃ多いジャンルなので要注意……詐欺でなくとも見た目重視でMARVIS使うより1450ppmF配合の安い歯磨き粉使ったほうが良くね?
「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」の元ネタ探求をしましょうね
いくつかバリエーションがある
「無人島に[本]をn個だけ持っていくなら?」
……のような
[本]の場合に「聖書」という回答が西洋でメジャーなことから、元ネタは日本以外なのだろうとあたりをつける
調査の初手はとりあえずこれ
Desert Island Discs - Wikipedia
Desert Island Discs is a radio programme broadcast on BBC Radio 4. It was first broadcast on the BBC Forces Programme on 29 January 1942.[1]
Each week a guest, called a "castaway" during the programme, is asked to choose eight audio recordings (usually, but not always, music), a book and a luxury item that they would take if they were to be cast away on a desert island, whilst discussing their life and the reasons for their choices.
Desert Island Discs は、BBC Radio 4 で放送されているラジオ番組です。1942 年 1 月 29 日に BBC Force Program で初めて放送されました。
番組中「漂流者」と呼ばれるゲストは毎週、8 つの音声録音 (通常は音楽ですが、常にそうとは限りません)、本、そして船で漂流された場合に持っていく贅沢品を 1 つ選ぶよう求められます。 無人島での生活とその選択の理由について話し合います。
このラジオ番組の存在から1942年時点で「あるあるネタ」であることは確認できる
アメリカの一コマ漫画で「無人島もの」というジャンルが存在する……が、それが特に流行ったのはだいたい19世紀初頭頃の出来事なので"Desert Island Discs"とそう時代は変わらない
普通に考えれば『ロビンソン・クルーソー』以降なのよ
『ロビンソン・クルーソー』は1719年4月25日に出版された
これが売れて多くの人に読まれたからこそ"Robinsonade"というジャンルまで生まれた
Robinsonade (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) is a literary genre of fiction wherein the protagonist is suddenly separated from civilization, usually by being shipwrecked or marooned on a secluded and uninhabited island, and must improvise the means of their survival from the limited resources at hand. The genre takes its name from the 1719 novel Robinson Crusoe by Daniel Defoe. The success of this novel spawned so many imitations that its name was used to define a genre, which is sometimes described simply as a "desert island story"[1] or a "castaway narrative".[2]
ロビンソナード (/ˌrɒbɪnsəˈneɪd/) は、主人公が突然文明から切り離され、通常は難破するか人里離れた無人島に置き去りにされ、手元にある限られた資源から生き残るための手段を即興で考えなければならないフィクションの文学ジャンルです。 このジャンルの名前は、ダニエル・デフォーによる 1719 年の小説『ロビンソン クルーソー』に由来しています。 この小説の成功により、非常に多くの模倣作品が生み出されたため、その名前はジャンルを定義するために使用され、単に「無人島の物語」[1] または「漂流者の物語」[2] と表現されることもあります。
ということは、探すなら18世紀か……
一応シェイクスピアの『テンペスト』も孤島が舞台になる物語だけど……
1611年頃
一応英wikipediaの"Uninhabited island"の"In literature and popular culture"の項にはもっと古い作品について言及がある
Uninhabited island - Wikipedia
The first known novels to be set on a desert island were Hayy ibn Yaqdhan written by Ibn Tufail (1105–1185), followed by Theologus Autodidactus written by Ibn al-Nafis (1213–1288). The protagonists in both (Hayy in Hayy ibn Yaqdhan and Kamil in Theologus Autodidactus) are feral children living in seclusion on a deserted island, until they eventually come in contact with castaways from the outside world who are stranded on the island. The story of Theologus Autodidactus, however, extends beyond the deserted island setting when the castaways take Kamil back to civilization with them.[8]
無人島を舞台にした最初の小説は、イブン・トゥファイル (1105-1185) が書いた『ハイイ・ブン・ヤクダン』で、次にイブン・アル・ナフィス (1213-1288) が書いた『テオログス・アウトディダクトゥス』が続いた。 両方の主人公(『ハイイ・ブン・ヤクダン』のヘイイと『テオログス・アウトディダクトゥス』のカミル)は、無人島で人里離れて暮らす野生の子供たちだが、最終的には島に取り残された外の世界からの漂流者たちと接触することになる。 しかし、テオログス・アウトディダクトゥスの物語は、漂流者たちがカミルを文明に連れ戻す無人島の設定を超えて広がります。 [8]
こういうmeme的というか、とりとめのない雑談のあるあるネタがいつから存在するかって探すの超大変だ
残念ながら"Desert Island Discs"の1942年以前ではっきりと「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述を発見できなかった
https://x.com/Circle_Halberd/status/1762628685679464845?s=20
……という嘘豆知識
正直フフッと笑ったが、それはそれとして本当の元ネタが気になるのじゃわしは
英wikipediaの"Uninhabited island"の以下の記述
The term "desert island" is also commonly used figuratively to refer to objects or behavior in conditions of social isolation and limited material means. Behavior on a desert island is a common thought experiment, for example, "desert island morality".[3]
「無人島」という用語は、社会的に孤立し、物質的手段が限られている状況での物体や行動を比喩的に指すのにもよく使われます。 無人島での行動は、たとえば「無人島の道徳」などの一般的な思考実験です。
これの出典がOEDになっている
ひょっとしたらOEDに私の欲しい情報があるかもしれないが、OEDをすぐさま読める環境にないな……
人々が「無人島にもし漂着したなら?」というIFを雑談ネタとして共有できるということは大航海時代以降……"Robinsonade"というジャンルが一般に認知されている環境……であるはず
へたすりゃギリシャ神話の時代までさかのぼることが出来るネタかもしれん
『オデュッセイア』とか……アルゴー船の冒険の話とか……船旅のエピソードがあるので、無人島に関するなんらかのミームの源流がそこにあっても驚かない
そうなったら手に負えん
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改めてこれを参考に探し直すか……元気な時に
元祖や系譜、起源、お約束、新語などに関する「まとめのまとめ」&関連リンク 『初出・系譜ポータル』 - Togetter
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19世紀後半〜20世紀前半ごろがこの問答が定番になった時期である、という可能性を探りましょうね
近代的なレジャーとしてのキャンプとか、ボーイスカウトとか……サバイバルスキルの知識が一般に広まったのがおそらくこの時期
その知識がないと無人島何持ってく問答は発展定着しにくいかもしれない
いやーでも聖書って回答が多いって話があるならサバイバルスキルの知識関係なさそうに見える……
→初期の定番問答は本を問う形式だった可能性もある、なんともいえん
サバイバルガイド的な本が19世紀に刊行されてないかを調べてみるか
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"Desert Island Discs"の1942年以前で「もし無人島にひとつだけ持ってくなら」のようなmemeの記述を発見
無人島に本を一冊だけ持ってゆくとすれば: ケペル先生のブログ
このことを最初に明言した人はだれだろう。明治期にドイツ系ロシア人の哲学者で東大で教鞭をとり、学生の人気を集めたラファエル・フォン・ケーベル(画像1848-1923)らしい。彼は「ケーベル博士随筆集」のなかで「無人島に1年間流されるとしたら、自分が選んでもってゆく一冊は、まず聖書である」と述べている。かれは次に、「ファウスト」「ホメロス」「ドン・キホーテ」、ニーチェのもの、ベートーベンの楽譜などをもって行きたいと書いている。しかし有名なデフォーの「ロビンソン・クルーソー」(1719)のなかで絶海の孤島に流れついた主人公が「聖書」を読んで信仰の支えにしたことを書いている。
発言時期が不明だが、この方は1923没なので"Desert Island Discs"よりおそらく古い
『ケーベル博士随筆集』という本に記載があるらしいが……図書館に行かないと読めない類の本だな
しかしやはり『ロビンソン・クルーソー』が念頭にある発言か……
さて、さらにこれ以前に遡れるだろうか?
ケーベル博士がロシア出身で日本にやってきた人で、"Desert Island Discs"はイギリスのラジオ番組
20世紀初頭には世界中で認知されている定番ネタということじゃないか
本があるならいくらでも読むが、どの本を読めばいいかのあたりをつけるのが難しい
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ゲーテが『私が獄につながれ、ただ一冊の本を持ち込むことを許されるとしたら、私は聖書を選ぶ。』という言葉を残しているらしい
この発言の出典元文書がちょっとすぐには見つけられていないのだが
偉人の名言は「実は言っていない」ってことが往々にしてあるから疑ってかかるスタイル
ゲーテの生没年は1749~1832
無人島に持ち込むものは何問答と直接の関係はないかもしれないが、一種のクローズド環境に何を持ち込む?という発想はこの時代からあったということ
Robinsonadeの流行で便利なクローズド環境として無人島が一般に認知された?
元々「閉鎖環境に一冊本を持ち込むなら」という発想が存在した(その一冊とはたいてい聖書、なんというか最初から聖書という答えありきの仮定に見える気がする) ↓ Robinsonadeの流行で閉鎖環境として無人島が定着した ↓ メディアの発展で本以外(レコードなど)も問われるようになった ↓ さらに時代が下り、持ち込めるものはジャンル無制限になった
みたいな流れという仮説を立てれそうだが……
まあまあ、結論を急ぐことはない
ツイッターで前に見たあれなんだっけ、と思って思い出せるキーワードで検索かけてたのね
キーワードが合致すれば全然関係のないツイートとか、地下アイドルにおじさん構文でリプライ送るおじさんとかも拾っちゃったりするんだけど、
その中に自分の求めてる情報の一端を書いてくれてる人を見つけてホームまで覗きに行った。
その人は俺の求めてた内容について、その時たまたま述べただけだったんだけど(有益な情報だったので助かった)、フォロー・フォロワーともに0で普段は特定のアカウントのツイートやいいね欄のスクショを晒してストーキングというかウォッチング?してるアカウントだった。
どうも内容見てると晒してるアカウントの家族または親族って感じで、過去に相手にひどいめにあわされたらしい。
ツイートのスクショ(アイコンやIDは隠してる)貼って「こんな子煩悩ぶったツイートしてるけどただの犯罪者だろブタ箱行けや」とか、「犯罪者の精子で女孕ませた気分はどんなもんなんや?」みたいなことを日々書き連ねている。
なかなか刺激的な内容ゆえに、ここ数日そのウォッチングアカウントのウォッチングをしてしまっていた。
そして今日、IDやアイコンを隠してるけど本文検索かけたら晒し元のアカウントを見つけられるのではとふと思って検索したらすぐ見つけてしまった。
一方の意見しか聞いてない状態だけど、過去に兄妹か親族かにさまざまな暴力をしたらしい人だが現在は仕事をしていて妻と未就学児の娘が2人(おそらく)いるらしい。いいね欄にはエッチなイラストと子煩悩ゆえに児童虐待に胸を痛める親の意見や育児垢の有益な育児情報や特定分野(仕事に関わるのか?)の専門的な情報に関するツイートへのいいねが並んでた。
あれだけひどいことをしたらしい人でも児童虐待のニュースに心痛めてるんだ…とか、子煩悩なツイートや子どもの安全を守るための情報ツイートにいいねしながらエロ絵(女性キャラクターが覗きにあってたり痴漢されてたりするようなイラスト)やセクシー女優かグラドルの際どい写真にいいねしててこれ妻や子どもに見せたらどうなっちゃうかね〜とか思ってしまってる。
全然知らない人なのに知ってしまってると言うか、ある種の愛着まで芽生えそう。
感想としては自意識が強いと言うか、子煩悩で専門知識も持ってるすごいパパという自我を演出しようとしてる感じが中2というより大二病感がある人だな〜て感じ。こういう人がキャンプ場でソロキャンプしてる女性におせっかい焼きに行くのかな〜とか逆にリアルで冴えないからネットでの自我演出に精を出してるのかな〜とか妄想してる。
ウォッチングアカウントをウォッチングしていたが、今日からはウォッチングアカウントと一緒に元暴力男のツイートのウォッチングをする日々になりそうだ。
その謎を解明するため調査隊はインターネットの奥地へと向かった
その結果、英語圏の歴史解説YouTubeチャンネルを発見した
Why Do We Throw Coins in Fountains?
動画の字幕の書き起こしをChatGPTに翻訳&要約してもらった
毎年、世界中で私たちは噴水から井戸、さらにはテーマパークの乗り物まで、コインであらゆるものを飾ります。私たちは幸運を求めて、願いが叶うことを望んでいます。場合によっては、ローマで誰かと結婚するためにもコインを投げます。この伝統は時代を超えて広まり、その起源は古代ローマにまでさかのぼります。ローマの公務員であるガイウス・カエキリウス(別名:プリニウス・ユニオル)が書いた手紙によれば、人々は清潔な泉に感謝の意を表す形で贈り物を投げ込むようになりました。当時、清潔な水は非常に貴重であり、神々への感謝の印としてコインを投げる習慣が広まりました。この伝統は今でも続いており、ローマのトレヴィ噴水が特に有名です。また、映画「Three Coins in the Fountain」でもこの伝統が取り上げられ、ロマンティックコメディの要素として広まりました。噴水に投げられるコインは、都市や観光地の収益の一部として寄付されることもあります。
要約の結果、元動画が言っている内容とちょっと違う文意になっている箇所があるな……
しかし歴史解説YouTubeチャンネルの内容をを鵜呑みにするのはちょっと気が進まない
調べるとっかかりとしては役に立つんだけどね
あと、この解説はアジア圏のコイン投げについての観点がまるっと抜けている
中国人が願掛けとして飛行機のジェットエンジンに向かってコインを投げ入れようとした、というニュースがあるくらいだ
すなわち、現代の池へのコイン投げの風習は二つの源流があるはずだ
ひとつは西洋起源、小プリニウスが書き記したそれであり、コインを投げ入れて願い事をするヨーロッパの民間伝承「Wishing well(「願いの井戸」と訳すべきか)」を経由してトレヴィの泉に辿り着くルート
もうひとつはアジア圏のいわゆる願掛け目的のいわゆる「賽銭」を辿るルート
二つに分ける意味はあるのか……?
うーん
どうだろう
ないかも
あるということにして調べよう
映画「Three Coins in the Fountain」がもしも存在しなければ、西欧圏でコイン投げの風習は廃れていたかもしれない
しかしその映画があろうとなかろうとアジア圏の人々はコインを投げて願掛けする風習を続けていたであろう……気がする
あとで二つに分けて考える意味は無かった時点で考えを改めればいい、ということにしておこう
RedditやQuoraでも「なんで中国人って池や川にコイン投げるの?」みたいなトピックが立てられいるのを確認した
(そしてそれに対する回答は「コイン投げの風習は世界中にありますよ」というもの、質問者が知りたい内容とはちょっとずれている気もする)
「キリスト教の教会に併設されている池にコインが投げ入れられて困った」みたいなスレもたっていた
というわけでイスラム教とユダヤ教でコイン投げによる願掛けがどう認識されているかもぐぐりましょうね
ユダヤ教はなんか出てきた
ラビに「願いを込めて願いの井戸にコインを投げることは何か悪いことですか?」とユダヤ教の教義に反していないか質問する内容のサイトが引っ掛かった
解釈によってはセーフだけどあんまり推奨しない、みたいな空気感の回答だな
コイン……つまり金属製の硬貨のみが投げ入れられるのか?という疑問もある
貝製の通貨、貝貨を池に投げ入れるみたいな文化がある地域ないかな~
パプアニューギニアは現在も貝貨を使っている人々がいるみたいだが、願掛けとして貝貨を投げるみたいな記述は見つけることが出来なかった
パプアニューギニアのなんかでっかい噴水のストリートビューを探して金属コインの他に貝貨が沈んでないか探してみてもいいかもしれない
まあおそらく無さそう
お葬式で貝貨を精霊に扮した人に向かって投げるみたいなことはやるらしいんだけど……
そもそも何で調べ始めたかって「海外……例えばアメリカでは合格祈願の願掛けとかするのかな?」と思って
ぐぐった結果は「願掛けしない」というもの、まじかー
教会でお祈りとかする人もいるにはいるけど、願掛けするくらいなら勉強しましょうねみたいな考えをするってなんかのブログに書いてあった
例えばかつ丼みたいな勝負飯食べたりお守りを買ったりみたいな風習もないっぽい
いやー……そうはいっても欧米人だって水にコイン投げて願い事するじゃん?池にコイン投げて合格祈願とかしないの?
そこらじゅうに願掛けスポットが大量にある日本が特異、ということだろうか
まあまあ、結論を急ぐことはない
もうちょっと調べましょうね
賽銭とトレヴィの泉を一括りにして包括的に投げ銭文化について論じた論文をまだ見つけることが出来ていない
投げ銭に限らず「迷信」というテーマで調べてもいいかもしれないな
……といった感じで調べた内容を一旦メモ
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太宰府天満宮の菅原道真公のような受験、学問を司る守護聖人にお祈りするみたいな風習があるかどうかを調べること
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何かと言うと、10年ほど前にとあるセンセーショナルな事件があった場所を見に行ってきたのだ。女子高生による同級生殺人事件である。今回は、そのレポとそんな悪趣味な聖地巡礼を決行するに至った経緯の2点を、書き手である私の過去の自語りを多大に含めながら書いていこうと思う。事件の現場を特定して見に行ったイチ野次馬の実録として読んでもらえれば幸いである。
はじめに言っておくが、私はこういった事件が起きるたびに容疑者の地元は出身高校は云々……と嗅ぎ回るような野次馬ではない、とだけ表明しておく。しかしこういった行動に出ている以上、完全否定はできないところはあるが。
はじめに、その事件の内容を説明する。2014年に起きた、女子高生による同級生の殺害事件である。当時15歳の加害生徒Aが、同級生であるBさんを自室に連れ込んで絞殺。動機は「体の中を見てみたかった」「人を殺して解体してみたかった」といったものだった。(以下、それぞれ加害生徒=A、被害生徒=Bさんと表記)
事件の具体的な名称・地名については関係者に迷惑をおかけしてはいけないので伏せさせていただいたが、手口が特徴的なため、調べれば聡明な読者諸君においてはすぐピンとくるであろう。
事件の現場となった場所は、事件発生からほどなくしてネット上では特定されていた。私は現場となったマンション名をgoogleマップで検索、自宅からのルートを検索し向かった。
(ちなみに事件現場のマンションは、事故物件掲載サイトの「大島てる」さんにも掲載されている。Aの実家も)自家用車を走らせ、現場に到着した。所要時間は割愛させていただく。
現場は国道に面しており、すぐ近くには駅や大きなアーケード街があった。駅が近い故か、市営のコインパーキングが現場マンションの向かいにあった。車をそちらに止め、徒歩で現場に向かった。
ここで、あらかじめ大事な前提を記載しておく。現場の敷地内には立ち入っていない。
敷 地 内 に は 立 ち 入 っ て い な い
そこまですると流石に不法侵入になってしまうので、面した道路から歩いて観察するだけにとどめた。私もそんなことでお縄になりたくないので、その点はご理解いただきたい。
現着し、まずはマンションの外観を観察してみる。10階建てでおそらくオートロック。今ではどの部屋にも人が住んでいる気配がある。現場となった5階にもまた、どの部屋にもカーテンがはまっていた。10年も経ってしまえば、その近くの人々の生活もすっかり元通りのはずだろう、という考えが自分にはすっぽり抜け落ちていたことに気づかされた。
マンションの裏手には駐車場が2台分ほどある。ただしもしかしたら、隣のビルに入っているクリニックの患者用かもしれない。駐車場付近から見上げると、当然マンションのベランダが頭上にずらっと見える。AはBさんの殺害後、証拠隠滅のためにスマートフォンを5階のベランダから投げ落としたのだという。彼女のスマートフォンが落ちていたのはこの辺りだろうか、と思いをはせる。
駐車場からさらに路地を入ると、住宅が斜面に立ち並んでいた。ここから先は進んでいない。途中で引き返したのは、非常に坂道が急でその後の体力を考慮したためだ。この町の特徴的な地形ではあるが、国道から一本細い路地に入っただけで急峻な坂道になる。西側には海があり、その海岸線近くまで山地が迫ったこの街の地形故だ。
マンションに数秒黙祷し、周辺の探索に移った。国道の向かい側には小さな商業施設があり、昔ながらのブティックを中心に、1フロアだけのイオンやダイソーが入っていた。ブティック中心だからか、店内は年配の女性が多い。日本のどこにでもある、田舎の商業施設の風景に心が安らぐ。商業施設の1Fからはアーケード街に通じており、今どき珍しく賑わいのある商店街が広がっていた。雰囲気で言うなら、福岡市天神の新天町商店街にかなり近い。
商店街は今どきのカフェや居酒屋といった飲食店から、昔ながらの八百屋にかばん屋、チェーン店のドラッグストアにアニメイトまであった。筆者は商店街と言えばシャッター街と化した薄暗い故郷の商店街しか頭になかったためまあまあ驚いた。にぎわうアーケードの喧騒の中で、AもBさんもここで一緒に買い物を楽しんでいたのだろうか。楽しい時間をすごしたのちに、あのような凶行に及んだのだろうか。そんな、彼女と一緒にお出かけを楽しんだ後にお持ち帰りして夜はムフフなことをして、じゃないんだから……と下世話で邪な形容をした。凡人かつ俗物の私にはそういった想像が限界だった。勿論、真相はAにしかわからない。
横断歩道を渡り、マンションのある側に戻る。国道沿いに北西に進むと、5分もせずに県の弁護士事務所が見えた。Aの父は敏腕弁護士だったと聞く。Aの父は、Aの母が亡くなった後まもなくして若い女性と再婚した。それがトリガーになったかは知らないが、2014年3月にAは父の殺人未遂事件を起こしている。Aと一緒には住めないと判断したAの父は、Aの戸籍を外してAの祖母の養子にし、マンションで一人暮らしをさせることに決めたという。この事実だけ見ると父親もAの扱いに手を焼いていたのと同時に、法的には娘を切り捨てた薄情者、という印象を受ける。
しかし、現地を歩いてみると、現場の近くには県の弁護士事務所があり、父の職に大いに関係していたであろう場所がある。2014年当時からあったのかはわからないが、もしかしたら父は、自分の業務で関わることの多い場所の近くに娘を住まわせようと、ひいては見守りたい意思があったのかもしれない。娘のために駅の近くかつオートロック、自分の職場からも近い賃貸物件を見繕って用意してあげていたのかもしれない、と思いをはせる。やはりやるせなさを覚える。
結果としてAの父親は2014年10月に自宅で首を吊っているのが発見され、そちらの実家もそれで「大島てる」さんに掲載されている。Aの父親の行動には怒りを覚えるところも多いが、同時にどうにもできなかったのだろうと痛ましさを覚えた。
ここまで想像を巡らせたのち、私はマンション近辺を後にした。名物のハンバーガーが食べたくなった、ヤニを吸いたくなった。そういったその時湧きあがった欲求が、私を2014年から2024年へと引きずり戻してくれた。
参考程度に記載するが、賃貸サイトによる2024年2月現在の家賃相場は、その市はワンルームで3.72万円。現場となったマンションはワンルームだが4Fの家賃が4.9万円と、その地域では少しお高めな印象は受ける。築年数も浅く何より駅近物件だからだろう。ちなみに、現場となった502号室はどの賃貸サイトにおいても今は入居者募集されていなかった。
では、なぜそのような不謹慎な聖地巡礼を決行したのか? その理由は、「私がこれまでの人生で1番執着した事件だったから」にほかならない。少し回りくどいが、私自身について、この増田の匿名性を損なわない程度にお話しする。
筆者である私は、Aと同年齢である。そして2014年に何をしていたかというと、やはり高校1年生をしていた。私とAの経歴には非常に共通点が多い。もっとも、Aの方が実家は太く彼女自身の才能も豊かなのは間違いないのだが、その内面には非常に共感できるところが多かった。Aも私も、住んでいる県も学校もまるで違うのだが、だいたい同じくらいの偏差値帯の公立中高一貫校に中学受験で入っている。抜けきらない中二病で一人称は女なのに「ボク」だったし、Aのようなかなり短いショートヘアをしていた。高1の途中から不登校児になったのまで同じだった。(一つだけ自慢。今でこそ私はうだつの上がらない無職だが、高1当時は県内模試で2ケタの順位につけるくらいには学力もあった。)
問題はここからである。高1当時の私は、少年事件について調べるのが大好きで、それをモチーフにして同級生を殺しまくるお話をケータイ小説で執筆・投稿していた。今思うと二重に恥ずかしい子どもである。
事件発生当時まず何を私が考えたか。「A、私の書いたの読んだの?」である。今考えると普通にそんなのはあり得ない確率であるし、ほぼ妄想の域だった。しかしそれくらい手口が酷似していた。後ろ暗い喜びと同時に、思考回路が同じという点でかなり精神的に追い詰められた。二律背反で感情が板挟みになっていた。学校に行っても、やはり同じ高校1年生が起こした事件ということでクラスでの関心も高く、「キ〇ガイだよね~(笑)」とクラスメイトが笑っているところも見かけた。今でも思い出して動悸がする瞬間である。
そしてそのケータイ小説の掲載に関しては、投稿を削除した。そのうえで、もう創作はしないと筆を折った。
そしてその後、連日ニュースがそれを報じてどんどん事件の全容が見えてきた頃には、私はネットでAの情報を漁りまくっていた。私はもともといじめられっ子で、当時はいじめっ子たちのピグやTwitterを特定して、特にアカウントは作らず毎日のように静観するという人聞きの悪い趣味を持っていたから、そういうのが大好きではあった。また、AにはASD(自閉スペクトラム症)があり、その点も考慮して医療少年院送致がふさわしいとの判決が出た2015年頃、実は私もASDの診断を受けていた。偶然にしてはあまりにも近すぎると、一方的にシンパシーを感じていた。
そしてそのうちに、Aに対してどんどん惹かれていったのだ。Aのような人の内面の深淵をのぞき込みたい、という気持ちになり、進路希望調査では心理学部のある大学を書くようになった。その後、急速にメンタルの調子を崩して精神科医療にかかったり、卒業も危ぶまれるくらいには学校に行かなかったりしたが、どうにか高校は卒業した。
犯罪心理学をやりたいです!と意気揚々と心理学部のある大学に入り、臨床心理学系の大学院にまで進み、少年司法の分野に行きたいと思い公務員試験を受け、児童相談所に勤務した。今振り返ると、「心理学がやりたい!」の起点はさかのぼればすべてAへの関心に行きつくと思う。我ながらどうかしている。
そして現在、2024年2月。児相勤務は上司や先輩からの陰湿ないやがらせに遭い、私はひっそりと公務員を退職した。今は退職してから3か月が経つ。公務員時代の蓄えでギリギリなんとか食えているが、正直来月以降の生活は先が知れない。なんでこの分野に焦がれ続けて10年間走ってきたのか? その疑問を問い詰めた時、この事件の存在が頭をよぎった。2024年のあの現場を、Aが生きていた町の2024年を見れば、私のこの思いを終わらせられると思った。以上が、私がこんな不謹慎な聖地巡礼をもくろみ、決行した理由である。
ちなみにわたしは結局、大人になってから二次創作という形で再び筆を執るようになった。どれだけ思考回路が狂気の側に近く、そのリビドーを表出させたいと願ったとしても、創作という法に触れない表現方法を選ぶことができた。私はその点で非常に適応的でポジティブな強みを持つことができたのだと、今は肯定出来ている。
話を本筋に戻すと、私はこの旅で、ようやくAへの執着に諦めがついたように思う。私は間違っていたかもしれないとはいえ、10年間走り続けてきた。そしてきっと、AはAで、医療少年院かあるいはどこかで、償いとAの人生を生きているのだろうと思い至った。やっと私は2024年の自分を生きていけるようになったと思えた。不謹慎だろうが、ようやく私はこれで前を、未来の方を向いて歩いていけそうな気がしたのだ。
最後に、被害者の方のご冥福をお祈りすると同時に、Aの更生と治療がうまくいっていることを祈る次第である。
ちなみにこの後、普通に私はその街の名所を一通り回り、観光して帰宅した。軍港の町なので、港に停泊している米軍の大きな船を眺め、海上自衛隊の博物館を見学してきた。他にも、ネイルチップが取れて応急処置にシールを買うためダイソーに入ったら、パンキッシュな服装のマダムと談笑したり。名物のバーガーを食べていたらバラエティ番組のロケの一団が店に入ってきてびっくりしたり。〇本雅美に似ていたが、声が違ったのでおそらくローカルタレントかなにかだろう。
「悪戯が好きな醜い妖精」の総称としてゴブリンとか、その中でも家事をしてくれたりするものをブラウニーとか呼んだりするが、ブラウニーのバリエーションとして「ホブ」という連中がいて、それがのちのち「ホブと呼ばれるゴブリン」ということで「ホブゴブリン」と表記されたのだろうと思われる。
ゴブリンは、ヨーロッパ各地の民間伝承に登場する、小柄で醜い、恐ろしい生き物です。中世の物語で初めて言及され、起源となる物語や国によって、いたずら好きな家事妖精から、悪辣で残忍な泥棒まで、矛盾するような能力・気性・外見が与えられています。彼らはしばしば、妖精や悪魔のように、変身などの魔法的な能力を持っています。類似する存在には、ブラウニーやドワーフ、デュエンデ、ノーム、インプ、レプラコーン、コボルドなどがいますが、より一般的に小さな妖精の総称としても使われます。
ブラウニーは、スコットランドの伝承に登場する家事妖精またはホブゴブリンで、夜になると家の所有者が眠っている間に出現し、さまざまな家事や農作業を行うとされています。家の人々は、ブラウニーに対して通常、炉辺にミルクやクリーム、または他のいくつかの供物を置いておかなければなりません。ブラウニーは怒りっぽく、侮辱されたり、何らかの形で利用されたと感じると、永遠に家を去ると言われています。ブラウニーはいたずら好きで、怠け者の使用人に罰を与えたりいたずらを仕掛けたりすると言われています。怒らせるとボガートのような悪意のある存在に変わるとも言われています。
ホブ(hob)は、イギリスのミッドランズ地方、北イングランド、およびアングロ・スコティッシュ国境地帯の伝統的な民間信仰における、小さな神話上の家事妖精です。彼らは家の内外に住むことができました。彼らは農場で働き、したがって役立つこともありましたが、怒らせると厄介な存在にもなりえたと言われます。
この「ホブ」の由来には二つの説がある。
まずは、英語の「ホブ」は「暖炉で食べ物を温めるための棚」を指しているので「暖炉のそばにいるもの」「家に棲み着くもの」といったような意味だという説。実際にホブ(あるいはブラウニー全般に言えることだが)の伝承は暖炉との結びつきが強く、たとえば仕事の対価として暖炉のそばにクリームを置かねばならないだとか、普段は暖炉の上の梁に座っているだとか、そういった逸話が残っている。
もう一つは、「ロバート」「ロビン」の愛称だというもので、日本でいうと河童に「太郎」という名前をつけるみたいなノリかはわからんが、神秘的なものにありふれた名前をつけることで恐ろしさを薄めている、あるいは親しみやすい名前を与えてご機嫌を取っている、という説。
たとえばイングランドの有名な妖精として「ロビン・グッドフェロー」がおり、これはシェイクスピアの『夏の夜の夢』では「パック」という妖精の異名の一つとされ、同時に「ホブゴブリン」であるとも書かれているが、その名前を直訳すると「いい奴のロビン」といった意味になる。しかしロビン・グッドフェローは陽気でおしゃべりだが、悪戯好きでよく人を困らせるので、単純な「いい奴」ではない。「ホブ」の由来である「ロビン」とはロビン・グッドフェローのことではないか、という説もあるが確証はないようだ。
「パック」はまた「グッドフェローズ」または「ホブゴブリン」と呼ばれることがあり、そして「ホブ」は「ロブ」または「ロビン」と呼ばれることがあります。これは「ロビン・グッドフェロー」というキャラクターの名前にまでさかのぼります。名前の「ロビン」は中英語に起源を持ち、古フランス語の「Robin」から派生しており、「Robert」という名前の愛称です。それは妖精を表現する際の「グッドフォーク」と同様に、妖精たちが悪戯好きでありながらおだてられやすい性格であることを利用しようとする、ある種の願望的思考と懐柔の試みを反映していました。
ともあれ、「ホブ」「ゴブリン」「ブラウニー」「パック」「ロビン・グッドフェロー」などは、もとは別々の存在だったのかもしれないが、それぞれ共通する性質を持っていて、次第に同一視されるようになっていった、ということではあるらしい。
日本のインターネットでは、しばしば「ホブとは善良という意味である」あるいは「ホブとは田舎という意味である」といった言説が見られるが、せいぜい「ホブというありふれた名前は田舎っぽい感じ・朴訥として善良なイメージを想起させる」というくらいのことであろう。「神秘的なものにありふれた名前をつけることで〜〜」というあたりの話を拡大解釈したものと思われる。まあ、指輪物語以降の現代的な「ゴブリン」のイメージからすれば、悪戯で済ませてくれる妖精は確かに「善良」と言えるかもしれないが。
ついでに、「ホブは古英語で大きいという意味」とか逆に「小さいという意味」といった言説もあるが、「Hob」の語源を確かめてみてもそのような事実はなさそうだ。
ちょっとネガティブすぎるなーと思うけど、実態としてはそんな感じなのかな。
>リベラルの人たちは能登についてしばらくちょっと黙っててほしい
という話だけど、
ない想像力を働かせて考えてみる。
谷本県政時代から引き続く工業団地などの企業誘致、北陸新幹線。そして延伸へ向けた馳知事の尽力、などなど。
こうした地域の経済振興や観光アピールや公共事業、過疎対策をいろいろやってくれたからなのかな。県政評価は高いと思う。
県民しては、とりわけ28年も知事を務めた谷本には強くお世話になった感が強いのだろう。
でも谷本さん自身は当初、革新政党系の支持を受けて初当選したというのをさっき調べて知った。当時、森喜朗が推していた農林族の対抗馬を破った経緯もある。
2003年の能登空港の開港や小松空港の国際線就航などは、森喜朗が尽力したといわれているけれど、谷本とは不仲だったという。
2022年の谷本知事引退の際に、再び新たに農林族の山田が出馬することになり、保守分裂という事態に陥ったが、森喜朗は自分が育ててきた馳を推すことに決めた、という内容の記事もさかのぼってみた。そして行政側は第一次産業への理解が厚い山田を推す動きがあった一方、谷本は事実上、馳に自分の後継として信を託したという記事もみた。
そう考えると、保守王国石川県というけれども、一枚岩じゃなかったけれども鋭く対立もしていなかったというのも今後の復興を考えるうえでは、いろいろと興味深いと思った。
そんなところへ、ワイドショーやらSNSで、インテリ風吹かせた連中が、能登の限界集落は遅かれ早かれ滅びる運命だったのが早まっただけで
この際、復興過程では、そういうところを切り捨てて優先順位をつけるべきだ、とかいう雑な議論が耳に入ってくると、それは地域の人間としてはイラっとくるのかもしれない。
想像だけど。
余談ーー
また初動に関して、「馳知事はよくやっている」論も、わからなくもない。
馳氏は谷本県政時代に後回しにされていた地震被害想定など、災害リスク軽減のための取り組みを見直そうと着手していたことは事実で、
今回の震災に間に合わなかったいうのは事実だとしても、馳知事だけの責にするわけにはいかないだろうと思う。
あと、今回初動の遅れの原因のひとつとして、石川県や北陸地整が本来事前に取り組むべき道路啓開計画が未整備だったという指摘もある。
総務省は去年の段階でいくつかの地整や県に対して是正勧告を出していたから、いくら県政2年目の新人知事といっても知ってはいたと思う。
これって建設業者など指名業者と事前協定をし、迅速に予算を執行するうえで超重要なんだけど、結果としては後回しになってしまった。
ただ、去年から道路啓開計画に着手していたとしても間に合わなかった可能性が高い。
そういう意味では、馳知事はよくやっている、あんまり叩くな、という県民の気持ちはわかる。
一方で、発災直後の対応を外野があれこれ批判しているうちに、交通インフラの問題は解消しつつあり、あれよあれよという間に復興モードにスイッチが入っていく。
復興初期段階のスピード感というのはものすごく早いので、初動の問題点はいろいろあったにせよ、そんなことの検証にあまり時間を割いている余裕はなく
これからがれきの処理やら広域の自治体間協力も必要になってくるなど、馳知事には復興の手腕が問われることになる。
という感じであるので、震災後一ヵ月になろうとしているこのタイミングでは、
県民はもっとポジティブに前向きに物事をとらえたほうがいいんじゃないかと思う。
多分、震災3か月後には初動の失態なんて議論は過去のものになって、もうしていないと思う。
disられていじけて、保守がますます保守に、というルサンチマン丸出しのネガティブなスパイラルもわからなくもないけど、
だからと言って、何も知らない外野がわーわー騒ぐのは止めようもない。ましてやネット空間なんて。
しかし、外野の意見のなかには、今後国や行政がどう動こうとしているのかのヒントもあるのも確かなはず。
そこは地元の人間だけではルサンチマンを越えられないかもしれないけれど、災害復旧のプロセスで入ってくるさまざまな他者(民間の支援企業だったり、NPOだったり、コンサルだったり)との対話の機会が今後増えてくると思う。
よそからきた民間の経験などを踏まえて、外部の冷静な視点で意見を再整理してゆく、ということもまた大切と思う。
そして、実際、国や行政が復興モデルに着手し始めると、とりわ予算をつけることが前提となると、行政としては長々と議論してもらいたくないので、予算執行を急ぐのが世の中の常。
復興公営住宅にしても行政が「これならすぐに着工できますが」と提示されたものから復興が進んでいくなかで、ただでさえ経済的に苦境に陥っている被災者に、地域を出てゆくか、受け入れるかの二者択一で選べという形で行政主導が突き付けられる、というのが東日本の教訓としてある。
しかもスピード感のある復興とか国や県はかっこいいことを言い出すに決まっているので、恐らく震災半年後くらいには被災者は決断を迫られる。え?そんなこの状況でまだ決断できない、という被災者も多かろうに、行政は「受け入れるひと、この指とまれ」方式なので、行政の提案を受け入れた人だけが救済を得られ、地域を出て行った人はどうなったかは統計すらないというのが実態となる。
それこそ、発災直後はヒーローにみえていた馳知事が、復興期には被災者に苦渋の選択を急がせる役人顔をするかもしれない。
心理的メカニズムとして馳はヒーローだというマインドがどんどん強固なものになって、ますます保守保守していくなかで、次に復興の話がやってくる。
ルサンチマン的な心理的メカニズムから解脱して悟りを開いている人が何人か周りにいればいいんだと思う。
そういうことの萌芽を、今の時点で何も知らない外野がわーわー騒ぐ言葉の端々にちょろっと見出せることがあるかもしれない。
先日、被災地域ではようやくボランティア活動が本格的に開始されることになった、というニュースをみた。
外部の人間がこれからわんさか入ってくる。これまで入っていただいていた100くらいのNPO団体も含めて。
そのなかには、東日本含め、過去の復興の経験を持つ人も多くいるはずで、そういう方々と交流をする機会が増えるんじゃないかなと思う。
外部の人間は玉石混交で、なかには、インテリ風な意見を持つ人もいるかもしれない。
間垣の里なんてどうでもいいんだよ、堤防なんだよ生命の安全第一なんだよ、とかね、中にはいるかもしれない、例えばだけど。
そういうときに、その意見もちょっと違うよね、と言ってくれる人もまた外部の人だったりするので、不協和音のなかだからこそ貴重な意見も拾える。
そのときに、いちいちルサンチマンに陥っていると、聞く耳をもたなくなって、聞けるはずの意見にも耳を閉ざしてしまうことにもなりかねない。
とはいっても、これといってどうしようもないことかもしれないけれど。
変態仮面のような仮面スタイルではなく、帽子スタイルの場合が謎
仮面スタイルは「何故?」の問いに「ニオイを嗅げるから」という回答を用意できる
帽子スタイルは漫画的誇張表現で、現実の変態性欲所持者はパンツを頭に被らないという可能性はある
あるいは、フィクション作品でパンツを被っている描写を見てそれを実際に真似する変態が存在する可能性もある
その場合はパンツを被る描写のあるフィクション作品の有名どころ、またその歴史はどこまでさかのぼることができるのかも調べたいところだ
女性用の洋装のパンツが一般に普及したのは昭和からなので、パンツを被る変態もそれ以降に生まれたはずなのだが……
あるいは例えば江戸時代でも女性用の衣服を盗んで身にまとう変態がいたかもしれないが、今回の疑問とは関連が薄いか?一応留意はするべきか
こんなしょーもない疑問でも一応メモしておかないとな
「不摂生な生活していたら加齢とともにどんどん体調が悪くなって鬱っぽくなってきた……」
「十分な睡眠と適度な運動と瞑想の習慣と野菜を1日350グラム食べろ。それでお前の人生は好転するはずだ。さあ、今すぐ睡眠・運動・瞑想・野菜しろ! 睡運瞑菜! 睡運瞑菜! 睡運瞑菜!」
と説教したくなるよな?
そいつがネットの赤の他人で病気になろうが死のうが自分にとってはどうでも良いとしてもだ。
同じように、
「将来が不安だ……年金はちゃんともらえるか分からないし……インフレで生活は苦しくなってるし……老後は二千万円必要なんて言われてとても貯められない……」
「今すぐネット証券でNISA口座を作ってオルカンを積み立てろ(S&P500でも別にいいぞ)。値上がりも値下がりも気にせずドルコスト平均法で積み立て続けろ(既に貯金がたっぷりあるなら積み立てではなく最初に一括で買った方が理論的には儲かるそうだ)。それでお前の老後は救われるはずだ(でも半年分ぐらいの生活費や近い将来の大きな出費は現金で持っておけよ)。さあ、今すぐNISAオルカン積み立てしろ! オルカン! オルカン! オルカン!」
「死んだら無になる」って誰が言いだしたんだろう、と思い調べ始めたが……思ったよりも大変だなこれ
『近代日本人の死生観』という論文……国士舘大学の講演会資料?……に以下のような記述がある
一九〇一年、死を宣告された政治思想家の中江兆民は、間近に迫った自己の死を強く意識しながら、『一年有半』、『続一年有半』を著しました。そこでは身体(駆殻)こそがすべてで、精神などというものの実在を想定する必要はない、死とともに個人の存在は終わるのだというさっぱりとした考えがけれんみなく提示されています。
へぇ~、明治のころにはもう最近の日本人がしばしば言いがちな「死んだら無になる」って考えを持った人がいたんだなあ
じゃあこの「死んだら無になる」って考えはどの時代までさかのぼることが出来るんだ?
「神」の存在は否定しても「霊魂」の存在は否定しない考え方もあるようなのだ
断見(だんけん)とは、因果の法則を無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解で、断滅論(ucchedavādā)ともされ、邪見のひとつ[1]。反対語は常見(じょうけん)。
まさしく「死んだら無」の考え方
しかし、この仏教の断見という考え方が現在日本の「死んだら無」という考え方に直接つながっているわけではおそらくないだろう
こうした考え方が広がっていく背景には、近代科学が前提とする唯物論的な世界観の影響があるのは確かです。しかしまた、現世を尊ぶ儒教や神道、また霊魂の実在ということを否定する仏教の伝統が影響を及ぼしていると見ることもできます。
じゃあ唯物論について調べるか……と思ったがここで調査打ち切り
なんか唯物論の西欧での歴史をざっくり眺めてると、神の存在は否定していないように見えるんだよな……ここらへんキリスト教の知見が足りないのかもしれない
そしてなぜか途中から共産主義の話になる、わけわからんくなってしまった
キリスト教の歴史について書かれた初学者向けの本を先に読むべきかもしれない
もともと私は幕末~明治の日本人の宗教観を調べていたのだが、面白そうなテーマがあってつい脱線してしまった
2002年刊行の『死と唯物論』という本が面白そうなのだがすぐには入手できなさそうだ
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Wikipediaの「無神論の歴史」のページの記述で関係ありそうなところをピックアップしておくか
「チャールヴァーカ」の項
パーリ経典によれば、紀元前6世紀のアジタ・ケーサカンバリンが仏教徒と議論をして「身体が滅びるとともに、賢者も愚者も等しく滅する。彼らが死後も存在するということはない」といったことを既に説いている[3]。
江戸時代の日本の「浮き世」の考え方(=現世利益)ととても相性がいい
「死んだら無」とはすなわち祖先もまた無になったということになるので受け入れ難いか?
これも「死んだら無」の論理だったが先祖を敬うことは推奨する思想になっていたのが上手いところ
流行りはしなかったようだが
エピクロスは「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」という語録も残しているようだ。原子論的(唯物論的だ)な考えから導き出された思想か
西洋の啓蒙時代まではキリスト教の影響が大きすぎて無神論の考え方は全然育たなかったみたいだ
ざっと見た感じ現世利益と唯物論の合わせ技で生まれる発想みたいね
誰が言い出したんだという話からはズレるが、現代日本で「死んだら無」って言ってる人は漫画の影響とかありそうな気もする、知らんけど