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はてなキーワード: アンチテーゼとは

2024-02-21

何故左翼が嫌うものが嫌われないのか

それはお前らがキモ過ぎて嫌われているから!


最初に答えを書いてしまったが答えは単純。

左翼リベラル言動があまりにも醜悪キモくて、そんな嫌われ者になりたく無いか

左翼を支持しない→左翼が支持するものを支持しない→左翼が叩くものを支持する、というアンチテーゼが発生している。


例えば安倍元首相を嫌うのはしょうがない。

しかりやり口が余りにも醜悪だった。


目ぇひん剥きながら書いた様な憎悪ヘイトに満ちた異常な汚言と、あまりにも粘着的にアンチを続けるストーカーの様な言動は、普通の人はドン引いちゃうんだよね。

そんな私らを見て異常左翼者は叫ぶ。

「お前はネトウヨ!」「壺!ツボ!!つぼーーーーっ!!!

最近だと「ひ、ひ、暇アノンーーーーー!!!余命~~~~~~っ!!!!!!」かな?


異常な様子で口汚くヘイトスピーチを吐きまくる人間が、好かれると思いますか?

大抵の人は、他人からまともに見られたいから。まともじゃ無い人達とは一緒にされたく無いんですよ。


そして、そんなまともじゃ無い人達が叩く人だから、「もしかしたらまともなんじゃないか?」となって、ヘイトが反転して支持に変わる。

安倍元首相生前も色々な人から支持されていた理由の一つが、これ。

嫌われ者が嫌ってるから、同じ様に嫌って嫌われ者と一緒にされたく無いから、逆側に行ってしまう。


いつまでリベラルは同じ過ちを繰り返すんだろうね?

2024-02-08

イグノーベル賞

ノーベル賞ノーベル賞ってありがたがる風潮っていかがなもんかね」というアンチテーゼで始まったのに日本ですっかり権威のように扱われている皮肉

2024-02-01

anond:20240201062856

人との愛がテーマ作品ではないよ

自由正義テーマ作品自由内包する能力主義へのアンチテーゼが愛なだけだよ

勿論君は作中内で批判されてる側だね

2024-01-29

anond:20240129192036

とりあえず女優を出して恋愛させろ、はどのドラマも当たり前なのにね

アニメばっか見ててドラマ全然知らないんだろう

最近はそれも飽きられた&視聴者の平均年齢上がったせいで「恋愛入れれば視聴率とれるとは限らない」なんて言われてるけど

逆に言うと元々そういうセオリーがあるからこそ「あえてアンチテーゼとして恋愛入れない」なんて話が成り立つわけで)

アニメおっぱいみたいなもんだよ

から客寄せとして入れられる要素の一つ

最近は客層変わってきてるから敢えて入れないのも増えた(でも入れるのもまだまだ普通に多い)ってのも同じ

2024-01-28

ブレイバーンまどマギMOONみたいな逆張りコンテンツってやっぱダセエと思う

やってることの程度がサザエボンと大差ねえよな。

バンザメっていうかさ。

長州小力的なコンテンツしかないっていうか。

その癖して「王道に対しての強烈なアンチテーゼ!衝撃の展開!価値観を揺さぶってくる!」とかやたら身内で褒めあってるのが更にやべえよ。

癖が強すぎるから現地でも売れてないお菓子ヴィレッジヴァンガードが「スタッフ内で大絶賛!こんな美味しいものがあったなんて!」と紹介してるような薄ら寒さ。

いい加減こういうの平成まででやめて欲しかったな。

ういうい朝目新聞的なのを楽しんでいる中高生がいるのはまだいいとして、大学生大人が「深い」とか言ってるのはマジでやべえって

2024-01-07

松本人志の笑いがいじめの笑いであるという点だけは違うと反対したい

年末から松本人志話題になっている。

性加害うんねんは当事者たちが法廷で決着を付ければいいと思うが、気になるのは松本人志の笑いがいじめ肯定する笑いだという意見だ。

正直、理解ができない。自分の知っている松本人志とは別の誰かの話しているかとすら思った。

まったく逆だろう。

ダウンタウンの笑いとは、いじめられている人間の放つ蟷螂の斧である

個人的には、笑いを「いじめる側の愉悦からいじめられる側の反撃」に変えたのが松本人志の最大の功績だと思っているぐらいなのに。

おそらく、ダウンタウンいじめの笑いと思っている人は若い人が多いのだと思われる。その人たちにとって、ダウンタウン物心ついたときから大御所で、昔のダウンタウンを知らないんだろうなと思う。

私が若いころ、とんねるずは嫌いだったがダウンタウンは好きだった。それはとんねるずの笑いが「いじめ人間人生の勝者」の笑いだったのに対して、ダウンタウンのそれは「いじめられる人間世界に居場所のない人間」の笑いだったからだ。

ダウンタウンの笑いを構成する元素は「根暗貧乏田舎者友達がいない、喧嘩が弱い、勉強ができない、ブランド品を知らない、ダサい、舌馬鹿」等である。これはとんねるずとは真逆属性であった。

ダウンタウンの笑いは、虐げられた人、世間に馴染めない人間世間を下から見ることによって生じる笑いである。

これは言い換えればオタクの笑いである。今でこそオタク系の笑いは珍しくないが、当時は画期的だったのである(それこそダウンタウンの影響で普通になった)。

からダウンタウン日本中根暗に受けた。

当時、ダウンタウン根暗救世主だった。

ダウンタウンがあっという間に天下を取ったのはいじめ系の笑いに対するアンチテーゼとして世間を馴染めない人間に圧倒的な支持を受けたからだった。これは若い人には信じられないかもしれないが、当時の空気感を知っている人、特にダウンタウン東京進出してきたころに学生だった人であれば首肯いただけるかと思う。

(「笑っていいともレギュラーだったころの松本は、東京に馴染めず、友達がいなくて、髪はズラ、というキャラだったのを不意に思い出した)

当時はとんねるずに限らず、「おれたちひょうきん族」や山田邦子森脇健児など陽キャの笑い、いじめの笑いが普通だった。

「明るくノリのいい奴こそ偉い、正しい。いじめる側に回れる奴が成功者」という風潮への反抗の旗手ダウンタウンであった。

松本は「俺は根暗」「根暗のほうがお笑いに向いている」と言い続けた。

松本だけではない。浜田傍若無人もただの暴力キャラではなく、あくまで「何も持っていない若者権威に噛みつく」キャラだった。

甲本ヒロトのように「ダウンタウンに救われた」という人がいるのは、こういう背景によるものである

甲本に限らず、現在40代~50代ぐらいの人の中には、ダウンタウンのおかげで勇気づけられた、元気が出たと言っている人間は多い。

ここらへんのことは若い世代にも、もうちょっと知られていいことだと思う。

実際、当時のダウンタウンの影響というのはすごいもんで、全国の男子学生松本浜田のノリを真似していた。

もちろん、そいつらのほとんどはただの劣化品で、ダウンタウンエレジー理解していなかったため、ダウンタウンへの誤解が生じる原因にもなっているのであるが、なにはともあれ凄いブームであった。

今や陰キャ系の笑いは芸能界に限らずエンタメ全般進出している。M-1などを見ても間漫才コンビネタ作り担当根暗そうな人間が多い。こういった一連の流れに大きな影響を与えたのがダウンタウンであることは間違いない。

もし、ダウンタウンがいなかったら、今のお笑い界の形も、エンタメもまったく違ったものになっていただろう。

いじめ・いじり、内輪受け、体育会系部活ノリ、のひょうきん族とんねるず系統の笑いからの脱却は、むしろダウンタウンよってもたらされたものである

そして、「世間を下から見る」松本スタンスは年取ってからも、そんなに大きくは変わっていないと私は思う。

ただ、ダウンタウンというネームは大きくなりすぎた。松本も『遺書』で書いているが、権威を笑う側が権威になってしまった。正直、こうなってしまってはダウンタウンが何をやってもいじめに見えるという人が出てくるのも仕方ないところである

松本芸能界に長く居すぎたのかもしれない。彼自身若いころに言っていたとおり、老いる前に引退すべきだったのかもしれない。そうすれば、「ダウンタウンの笑いはいじめの笑い」などという真逆の受け取り方をされることもなかっただろう。退き時というものは難しい。

さて、長々と松本人志の笑いについて書いてきたが、私の文章を読んでも若い人にはいまいち伝わらないと思うので、実際にダウンタウンの笑いを見てみてほしい。

違法視聴なので大っぴらには言えないけれど、Youtubeで「ごっつええ感じ」「松本人志 コント」などで検索してみるといろいろ出てくる。

お見舞い、思春期ストリッパー物語、トムとマイクおかんマー君、ガタンゴトン、西日本番長地図記者会見挑戦者、豆、日本の匠を訪ねて、悪魔、あざみ、くさや団子虫、しょうた、いかがです、ザ・バイオハンターサラリーマンツアーズなどがおすすめだ。

これらを見ているとうすた京介をはじめとする00年代に出てきたギャグ漫画家がダウンタウンから非常に大きな影響を受けていることがわかる。

実業団選手会大会剣道などは澤井啓夫彷彿とさせる。

また、ピー助というコント島袋光年もっとお気に入りコントだと述べているものなので、見てほしい。

Youtubeにはないもので一例をあげると「荒城の月」というコントがある。

便所の底に住む夫婦の話である便所の底から上にある便器の穴を見上げると、便器の形に切り取られて蛍光灯の光が月のように見えるという話。「世間を下から見る」松本世界観がよく表れている。

これらを見れば、ダウンタウンの笑いがいじめの笑いというの違うというのはわかるだろう。ここにあるのは弱者ペーソスである

2023-12-30

anond:20231230091910

小泉自体が当時の野党政策のパクりで従来の自民党へのアンチテーゼとして支持されてたか自民批判につながりにくいんやろなあという話

2023-12-27

松本人志一夫多妻制を推し進めるLGBTQ+活動をするべき

松本人志一夫多妻制を推している。

「物凄いVIPとの飲み会から」と後輩芸人から高級ホテルに呼び出された女性たち。そこに現れたのはTシャツ姿の松本だった。「日本法律は間違ってる。なんで俺が嫁を何人も持てへんのや」。そして、隣のベッドルームで2人きりにされると……。

https://bunshun.jp/articles/-/68113

金持ち芸人の中では最も成功したうちの一人である松本人志が一人の嫁しか持てないのは確かにキリスト教である

たとえばモンゴルで神として祀られているチンギス・ハーンさんは一説によると二千人もの子供がおり現代では彼の子孫は1600万人にも上るという。

チンギス・ハーンさんの時代文化価値観では強い者はたくさん子供を作ることが正当化されていた。

一方、性欲まみれの西洋人管理するために時の権力者によって流行らせられたキリスト教に端を発する価値観現代社会には蔓延している。

松本人志は「大日本人」を作るなど日本本来一夫多妻や乱婚が当たり前だった時代を渇望しているのだ。

彼は現代キリスト教社会へのアンチテーゼとして生まれたLGBTQ+の運動推し進めることであろう。

2023-12-11

anond:20231211200531

仕事=善っていう世間一般常識へのアンチテーゼとして陰キャネット民が「職場友達を作る所ではない」って言ってるだけやでという話

2023-11-25

フリーレンおもしれー

全然見る気なかったけどネットミーム増えてきたし

なんだかんだ覇権らしいので見てみるかと思って見始めたけどおもしれーわ

これって要するにみんなが好きな「トップを狙え」的な時間断絶と

ワンパンマン」に出てくる強ヒーローものファンタジーに合わせたものだよね

よくできてる

からよくやられる手法時間断絶)を流行(強ヒーロー)に載せてきたって感じ

時間断絶で有名なのは火の鳥かになるだろうけど

まぁ映画とかでもよくある手法だしDr.Stoneでもやってるし鬼滅のラストも似たようなもん

一方で強ヒーロー最近流行だけど、実は主人公最初は激弱で少しずつ成長していく、っていう方がマイナー

ドラゴンボールだろうがHUNTER×HUNTERだろうがコナンだろうが最初から強くて無双するとこがスタート

途中で挫折して修行して、友情努力勝利をするのがジャンプ系っていう感じ

ワンパンマン」の最大の発明はそういう努力とか無しで十分面白いってとこにあって

最初から最強武器持ってて無双できるから面白い、みたいな感じで

ちょっと別の感覚を持った面白さを表現しているところだな

フリーレンはこの2つを「エルフ」「魔法使い」を組み合わせることで

すごく自然表現してるところが優れてるし、売れてる理由なんだろうし、実際おもしろ

ストーリーのものファンタジー系によくありがちな設定を覆したり、逆に補足したりしていてよくできてる

指輪物語とかハリーポッターとか著名なファンタジー世界観破綻しないように緻密かつ綺麗に設計されているのに

それに乗っかるようなラノベファンタジーって薄っぺらいので簡単破綻しちゃってるんだよね

それに対するアンチテーゼみたいなものフリーレンからは感じる(この先は知らんけど)

あと、ネットミームとかの二次創作ってこういう背景情報面白いと感じる部分を言葉にしなくても共感できてないと楽しむことは難しいと思っていて

例えばジョジョの「だが断る」って

あの状況になるまでの露伴と仗助の関係性、ハイウェイスターの強さ、露伴性格、その手前の「ほんとに・・・ぼくの命は助けてくれるのか・・・?」っていう命乞いまで含めてからの「だが断る」なので

それらを分かって無い人が使うネットミームの「だが断る」はだいぶ薄いんよ

昔は結構分かって使ってる人多かった気がするけど、有名になりすぎてほとんど見なくなった印象

フリーレンのネットミームはこれからたくさん産まれるだろうけど

そういう背景情報知らないで承認欲求得るためだけのネットミームが増えるんだろうし、その波に乗りたいだけの視聴者も増えるんだろうね

流行に追いつきたいから見る」「でも面白くは無い」だったら見なくていいだろうに、承認欲求の塊が増えてきてる気がするわ

2023-11-24

anond:20231124131426

結論ありきの頭の悪い調査である」って主張の論拠が「俺がそう思った」程度のレベルしかないって指摘してるの理解できてるか?笑

って書いたけど、理解できてないみたいだね。

結論ありきの頭の悪い調査であるから信用できない」なら「なぜ厚労省等の内容が結論有りきの頭の悪い調査であると断言したか」の論拠が必要なんだよね。

テーゼ否定するのにはアンチテーゼ必要だし、統計否定するならその統計否定した論拠になる調査分析がないと、ただキチガイが騒いでるだけになるんだよ。

2023-11-19

呪術廻戦が好きじゃないのに面白くてどうしたらいいかわからん

呪術廻戦、アニメの方じゃなくて。ここ最近原作



渋谷事変までは結構面白く読んでたんだけど、死滅回游以降がいまいち乗り切れない

……んだけど、別に面白くないわけじゃなくて続きは気になってしまって、

読むのやめるか、とはならない、っていう自分でも不思議状態に陥っている。


全般的に作り込みが甘いマンガだよな、とはずっと思ってるんだよ。

単行本のおまけページでも、無下限呪術について数学的に間違ってますね!!って設定を専門家からツッコまれる、っていう芸風あったけどさ。

それ以外のとこでも、黒閃は通常時のダメージの2.5乗になる、っていうのも「そうはならんやろ」ってよく言われてるし、

レジィ・スターの術式が「契約再現」と言いつつ、レシートから再現をするならアレ、発動に大金必要になるよね??みたいな視点がなかったりとか。

設定をわりと都合良い感じで作るよな、と思う。いやフィクションから別にいいでしょ、とも思うけど、ちょいちょい引っかかってしまう。


それ以上に引っかかるのがキャラクターの「使い捨て方」の部分であり。。

もうこのマンガキャラクター王道的にはありえない感じでバンバン死んだり再起不能になります、っていう作風なのはわかってはいるんだけどさ。

それにしても東堂が術式封じられたぐらいで、虎杖の度重なるピンチにまったく駆けつけないのはありえんくない??とか、

一族皆殺しにした真希さんに対して誰も何も言わんが、そこは少なくとも乙骨は何かしら言うよな、とか。省いてるだけかもしんないけど。後で回想入るかもだけども。

このキャラの今までの描き方なら、ここはこうするよね、というわりと当然の描写でもサクッと省かれてる感覚が強いのよね。

解釈違いとかじゃなくて、回游以降については早送りダイジェストで見せられている感覚というか。

物語というのは感情や対人関係の変化の積み重ねだと思うんだけど、それが薄くなってただただバトルロイヤルだけになっちゃった感じがする。

虎杖が真人に対する恨み辛みを重ねて重ねて、自分価値を考えて考えて、という積み重ねを大事にしてたあの頃の感じが最近はない。




なんだけど、面白いんだよね。

ここからハッピーエンドに向かうのかなぁ、それとも最悪な終わり方するのかなぁ、とか気になって読み続けちゃう

悔しいよなぁとか思いながら。


追記

思ったより反響あってびっくりした。みんな呪術好きで嬉しいよ。俺も好き。どんなマンガでも「好きだけどここは嫌い」ってのがあるけど、「嫌い」な部分がこんなに多いのに読んでるマンガ自分としては珍しいのよ。

設定の拙さとか粗も気になるけど、それ以上に引っかかってるのはドラマが薄くなったとこなんよ。設定はもう、言っちゃえば作者がそうだって言えばそうじゃん。だから気になっても飲み込むしかいかと思ってるんだけど。本来挟まるはずのドラマが挟まってないとか、心理描写すっ飛ばしすぎてるのは勿体ないなって思っちゃうんだよね。そのへんが全然描けない人じゃないし。

> 富樫の影響っぽい頭脳バトルだけは全く才能ないからやめたほうがいいよな。

死滅回游のルール作りとかは確実にH×Hの影響だろうけど作者もポイント計算ミスとかしてたから、あんましよくなかったとは思う。

そうなんだよね。回游は完全に冨樫の影響だけどうまくいかなかったパターンだと思う。あの複雑なルールが、話を面白くする方向へいまいち作用していない。やりたいからやってみたけどダメ風呂敷いまいち畳めなかった、っていう感じがすごいする。複雑でよくわからん、って敬遠させる読者を増やしただけになっちゃった気がする。

呪術廻戦のキャラ使い捨て感は、ここ20年位で培われたキャラ重視の漫画作りへのアンチテーゼと思う。

これについては作者の人、そこまで考えてないと思うよ、みたいな気はしなくもない。単に話題先行の話作りしているだけでは、って思ってる。

キン肉マン

ごめんな、キン肉マン世代じゃなくてな。キン肉マンってこういう感じなん? 無茶苦茶ガバガバ理論な設定っぽさは感じるけど。

> 後期ドラゴボや新世界編のワンピも同じようなこと言われている

ドラゴボはわからなくもないが、ワンピが「同じよう」というのがわからんワンピは好きよ。あれは逆にドラマの引き算が下手だなって思うぐらいに色んなキャラを描きすぎなほど描くじゃん。それがここに来て爆発的な相乗効果を生んでいるのが最終章面白さだと思う。設定の粗さとか意味不明さって点ではそうね、って感じだけど、あのマンガ結構後付けで粗い設定の背景を描いてくるとこあるんだよな……。サンジの足が燃えるのとか意味ありげじゃん。


BLEACHの連載後期

わかる。あれ? あのキャラそういやどこいった?な感じ。

エンタメに正しさや整合性求めるより、楽しんだ方が良いよ。エンタメ所詮暇つぶしと集金装置なんで、全力で楽しめば全力で応えてくれる。

上で書いた通り、正しさのほうはまぁ妥協できるのよ。本来楽しむための下地であるはずの、ドラマのほうに穴があるのがすごく気にかかっちゃう感じ。

> 分かるっちゃ分かるんだけど、何度も読み返していくうちに前は気付いてなかった深い拘りみたいなもんを見つけたりするから侮れない漫画だと思ってる。

それな。俺も小沢のくだりとか結構好きだし。でも「南へ」はいろいろ蔑ろにしている気がしてダメだった。徹頭徹尾つくりこみとか脚本とかが下手、とは思ってないんよ。だから読んじゃうんだけど。

> 細かい心理描写とか設定の作り込みがガバガバなんだけど、冨樫久保師匠や岸影様といったジャンプレジェンドを吸収した上での「演出力」がズバ抜けておるので、それだけで面白いと思わされてしまうのはあるよな。

ああああああ、これこれこれ。最高の言語化能力。これ。完全にこれ。これが言いたかったです。初期はそうでもなかったけど、渋谷以降の絵面から伝わってくる外連味とかすごいじゃん。秤vs鹿紫雲とか大好きなんだけど、別にストーリーの主軸にはあんまり関係ないところなんだよな。カタルシスうまいことズラされて、話全体としては最悪な方向にぐんぐん進む感じがある。

> 読者の反応を見て裏切りに行くスタイルけが受け入れ難いそれで面白い芽を潰してそうなのが。

それあると思う。むっちゃ反応見てるな、ってのは単行本おまけページとか「漫道コバヤシ」とか見てて思う。本編の外で語りすぎてるし、話を動かしすぎてる。

から最近は逆に展開読めるようになっちゃったんだよね。それも「好きじゃない」って気持ち拍車掛けてる。

> 読むの止めなよ世の中にはもっと面白作品たくさんあるよ

やさしい。ありがとう。他にもマンガいろいろ読んでるから大丈夫よ。今月はpanpanya先生新刊が出るから超楽しみ。


追記2)

すげえな呪術廻戦。100ブクマいっちゃった。

panpanya先生新刊出るんだ!教えてくれてありがとう増田

panpanya先生いいよね。

風呂敷を畳む気のないH×Hより雑でも畳みはしそうな呪術のがマシだと思ってたけど雑すぎて評価が逆転した。作品としては見限ったけど多分最後まで読むし続きは気になる。期待値が低い分惰性で楽しめるのは良いと思う

同じ気持ち。小さなポイントとして面白い瞬間というのはあるのだが、話の大筋としてはもうあんまり面白くなることを期待できない感はしている。H×H選挙編で一度風呂敷を畳んでおり、その後は続編かスピンオフをやっている、ぐらいの気持ちで読んでる。

使い捨てなんじゃなくて死ぬキャラも丁寧に背景作ってるだけじゃない?

えーと、モブじゃないメインのキャラが死んでいってるから使い捨てられているように感じるのでは、ってこと?

死ぬキャラの背景が丁寧かなぁ、っていうと、ほぼ退場状態になってる棘、東堂、京都組あたりは全然丁寧に背景描かれてないよなぁ、っていう気しかしない。退場劇が丁寧だったのって『葦を啣む』とナナミンぐらいじゃない? キャラバンバン死ぬといえばH×Hもそうだけど、あっちはカイトパクノダあたりの重要キャラの死はむちゃくちゃ引きずってストーリーラインガッツリ影響するんだよね。ああいうのが「丁寧」って言うのかなぁ、と思う。

俺たぶん、東堂の退場が一番納得してないっぽい。あんな良いキャラで、虎杖をあそこまで導いてくれたのに、第2のブラザー出てきたら入れ替わるようにするっと消えるってなによそれ??っていう。このまま東堂出てこずに終わったら、他がいくら良いストーリーになったとしても虎杖を許せなくなるし、呪術を高く評価できなくなりそう。

自分は逆に好きになりたいのに全然面白いと思えない。ストーリーにも設定にもキャラにも乗れない。流行ってる作品を楽しめないのってそれはそれで疎外感があるので面白いなら素直に楽しめばいいと思う

なるほど。そういう人もいるのですね。その点は確かに自分は恵まれているし、楽しんでいるのは楽しんでいるよ。ありがとう

> 作り込みのガバガバさが気になるとのことなので、ワートリ読みましょう!(ワ民のささやき)

ワートリは5巻まで読んでハマれなかったんですよね……。こういうのは本当に人それぞれ。

> 好き=面白い と言う単純なものではないとは思う。もし単純なものだったら不快まりないホラーとかスプラッターなんてジャンルが生まれるわけないし、面白いと言う感情は意外と複雑かと

そうね、その通りだと思う。なんかわからんがページめくる手は止まらんのだよなぁ?!みたいなね。ある。

HUNTER×HUNTERの禁断症状が緩和されるとかそういうやつではなく?

ジェネリックH×Hとしては役不足誤用)かなぁ、と。他の人も書いているように、頭脳バトルっぽい要素出してきたけど、結局ちゃん頭脳バトルっぽい展開になったことほぼないし。そこに魅力感じて読んではないかな。

呪術廻戦作者の非凡さは、虎杖の元同級生女子が綺麗になって告白しようとして「でも私は私が嫌いな人達と同じ尺度で生きている」みたいな人間ドラマ描ける才能なのだと思う。話が佳境に入ってる今はそれが大雑把に…

ねー。小沢のところいいよね。あれ描けるのに、なんでこんな雑な展開やってんのって思うよね。渋谷まではわりと最初から練ってあったけど、その後はあんまり考えてなかったのかなぁ、って感じがしちゃう

> ヒント:他に読むものがない

から他にもいろいろ読んでるって書いてるだろーが。なんならここ数週間のWJだと『鵺』のほうが楽しんでるぐらいだけど、それでも読んじゃう魅力はあるんだよ。


追記3)

これで最後にしよう。いっぱい反応もらえて嬉しかったし、みんなモヤモヤしながらも呪術めっちゃ楽しんでんな!ってのがわかってよかったよ。ありがとうありがとう

タイトル追記で言ってること逆になってるが大丈夫

追記する前から呪術好きですって顔に書いてあったと思うけど。

> あと全体的にキャラクター死にすぎで緊張感がないのも。。。ただ昔のジャンプ好きな人ならかなり刺さるとは思う

キン肉マン話題も出てたけど、昔のジャンプってどんなだったんだ。もっと大味だったんだろうか。高校生ときデスノ食らったりしてるから、緻密な設定と整合性みたいなのに慣れてるかも。

> シュワーバーみたいな漫画だよね。秤先輩の領域展開は独特過ぎて投げそうになったがw

シュワーバーという例えは秀逸すぎるw 安定感がない感じ。秤のアレはもうツッコミどころとしてやってんだろうな、とは思いつつ。

漫画のことはよく分からないんだけど、ブコメを丁寧に拾って好意的追記してる増田の優しさが良いな

逆にブクマカがめっちゃ優しく共感してくれるから、こっちも嬉しくて返したくなっちゃった

> ワートリはだめとのことだがキャラドラマが濃密でなかなか宇宙いかないのが焦らされる(大ファン)。て5巻かーい。 人間ドラマも本筋の進め方も丁寧な暗殺教室みたいな話はどうでしょう

いやいや5巻でハマらなかったら切ります普通??? 連載1年分よ……? でもそうなのか、ワートリはまだあそこから面白くなるのか。確かに巻を重ねるほどに面白くなるタイプよね、とは思うけど。暗殺教室は好きだったよ。ただ、自分松井先生キャラあんまりハマれないなぁ、というのは若君読んでても思ってる。他誌だけど荒川弘先生とかも好き。ケレン味や絵の上手さに設定や世界観の緻密さ、人間ドラマまで合わさったとんでもない方よね。

……これは風呂入ってたら思い出したので、ひそかに書いている追記4なんだけど、人間ドラマ長編脚本の進め方も設定の練り込みもできるって点だと稲垣先生だわ。Dr.STONE伏線理屈をきっちり積み上げて作られているけれど、それだけだと日が暮れちゃうところを「この人はチートなのでなんとかなります」で良い具合に要らないシーンを省いていくよなーって思ってた。チートだけだとなんでもありになっちゃいそうなところ、ウィークポイントも作ってあって、最終的には知略と努力と運で切り抜けていく、っていう感じでカタルシス生むのめっちゃ上手い。アイシーもそんな感じだったし。

計算してかいている作家ではないと思うので、小沢下りも「そういう引き出しも持っている」だけでいつでもそれを出せる訳ではないと思う。

まぁ確かにそうかも。そういう引き出しを上手く操れるようにしてやるのが編集の腕の見せ所ってやつなのかな。いや、編集さんを責める気はないが。今の方向性への振り方はあれはあれで成功なんだろうし。

最初面白かったが、この能力の組み合わせでどうやって勝たせるつもりだと思いながら読んだら、強い奴や相性がいい奴が乱入して勝つを繰り返して能力バトルを背伸びしてやるなとなった。

能力バトルと見せつつ単純な殴り合いで、強いほうが勝つ(それはそう)みたいなところはすごいある。なので、本誌でちょっと前までやってた、あのバトルの結末にはしらけちゃった。現在進行形でやってるバトル、ああいうのが見たいんだよなー。

> 東堂はまた出てくると思うけどなあ

1個前の能力バトル議論にもかかるけど、東堂みたいのがバトルの掻き回しとしては良い具合の能力だったと思うんだよなぁ。退場ほんともったいない。出てくると嬉しい。

> ただ真球は接地面積がないか無限重力とか言ったのは、それ冨樫じゃなくて車田正美だぞと突っ込んであげる編集いなかったのかよ

真球の件も「何言ってんだ??」って感じだったけど、元ネタあったんですね。

> 単純に好きだった漫画最期どう畳むんだろうってだけでは?

んー、だったら連載追わないかな、と思う。自分にとってはONE PIECEがそのパターンで、第2部はほとんど追ってなかったけど、最終章入ってから畳み方気になって復帰したんだよね。畳み方のためにずっと追いかけるほど優しくはないです。

最近作品設定作り込みすぎなんよ.思いつきで帳尻合わせてるけど面白いというのは一つの漫画の才能.

これはこれでわかる、し、芥見が今呪術をヒットさせられてるのは確かに才能だと思う。BLEACHもわりとこっち系統じゃない? 設定は小難しいこと言うけど、話の筋とバトルの展開はめちゃくちゃ単純で、でもなんかカッコいいしオシャレ、っていう。芥見久保フォロワーだってのはすごいわかる。冨樫フォロワーというよりは、そっちかなって思う。

> ワートリ薦めるのはちょっと違うというかあっちのが危ない気がしてるけど5巻で止めたのはもったいないなー!呪術で5巻なら野球やってた頃でそれこそよく乗り越えたな!?

ワートリ5巻はもったいない、2票目いただきました。じゃあ読みますね! ありがとうありがとう

呪術は俺、アニメから入ったんだよね。その頃ジャンプ買ってなくて。だからMAPPA効果面白底上げしてもらってたとこあったと思う。そんで続き気になって原作買ったら渋谷でズブッてハマった感じだった。んで、え〜〜このあと、あの人とかあの人とかどうなるの〜〜???と気になって本誌買い始めたら、あの人もあの人も出てこないまま今に至っちゃってる。

死滅回游あたりから怪しくなってきて話全然進まねぇ~ってなった人は結構いそう。主人公そっちのけで半年ぐらいバトルしてたのがトドメになったよね。

全然進まね〜〜〜と思ってたし、あんまりゲームっぽくならずに殴りあってるだけやんけ〜〜〜〜ってめっちゃ思ってたけど、主人公そっちのけバトルはごめん、わりと楽しんでたわ。『呪術廻戦』になってから初めての乙骨のバトルとか、秤の領域展開連発で死ぬギリギリのところをゴリゴリ潜っていく感じはあっちいなとか思ってた。

> それ面白いから気になってるんじゃなくて 気になるように描かれてるから気になってるだけやで 上手い引きってのは続きを想像やすいように問題を投げかけてるやで

これはその通りだと思う。引きがうまいめっちゃうまい。やめられないとまらないみたいな。

真希のやった事について誰かから言及(批判的なもの含めて)あると思ってたらそれが全くなさそうなのは一番残念かも

そう、あれスルーしちゃいけないと思うのよ。実質的呪詛師になっているわけで、あの後出奔してソロで暴れていくのかなと思ったらふつーに体制側みたいな顔して戻ってきてて「?????」ってなったのよね。あれはちゃん落とし前つけてほしい、何かしら。加茂家も乗っ取られてるし、日本がぐちゃぐちゃになったからもういっか、じゃないと思うのよ。

> 名作漫画ほどガバガバで雑で欠点だらけ説

ブコメにもこれあったけど、それはそうかもね。エンタメって言葉を「雑でも面白ければOK」って意味に使いたくはないけど、まぁエンタメってそういうもんよね、とは思う。ライブ感? グルーヴ? 疾走感? とかそういう。

2023-11-01

anond:20231101124926

まりそれはフェミニスト女性弱者性を根拠に救済を求めるのも同様ということなんだよ

弱者男性はアンチテーゼなのでそこのところを上手いこと止揚していただきたく

2023-10-06

anond:20231006124808

まぁ「作り話」の設定をどこまで詰めようと結局はどこまでいっても「作り話」でしかないわけで

『こんな作り話は有り得ないッ!!』って喧々諤々やってんのってテーゼとそのアンチテーゼを一回ずつ聞けばあとはもう意味ない繰り返しっておもっちゃう

2023-10-01

anond:20231001193911

正しい言葉使えおじさんがそれなりの地位にいて害悪から

正しい言葉使えおじさんのアンチテーゼからこいつが消えれば俺も消える

2023-09-30

anond:20230930001858

ちょっと前まで日本には授乳に関して二つの価値観があったように思う。

一つは授乳は隠れてやるものであり人に見せてはいけないものという考え。実家義実家に帰って親戚が集まっていて子供おっぱい欲しいとなった時、隅っこで隠れてコソコソやったり別の部屋でやったり。これは母親本人の羞恥心とは別に、人前でやるなという考えがあった。みんながいるところでやってると、部屋から出てやれというおっさんがいた。

二つ目は、授乳は隠すものではない、むしろみんなの前でやるもの、コソコソやるなという考え。恥ずかしいからと別の部屋に行こうとしたら、隠すものじゃないここでやれというおっさんがいた。まあこっちは単におっさんの助平心が多分にあったと思うが、一つ目の考えへのアンチテーゼ的なニュアンスもあったはず。


ここ10年くらいで、本人が気にするしないとは別に授乳は人前でやるものではないという考えが急速に広まったように思う。どちらかというと女性がこれをいうようになった。少子化の影響なんだろうね。

2023-09-26

anond:20230926155744

まりは......私有財産

G&Wは、私有財産宗教と不可分であるため、根源的なものだと主張する。その例として、先住民伝統的な儀式で使われるトランペットやその他の道具を挙げている:

このような神聖ものは、多くの場合存在する唯一の重要かつ排他的財産形態である......神聖文脈に厳密に限定されるのは、命令関係だけではない......絶対的な、つまり今日でいうところの『私的財産も同様である。このような社会では、私有財産概念と聖なるもの概念には、形式的に深い類似性があることが判明する。どちらも本質的には排除構造なのである。(p. 159)

ここで「絶対的もの」が「私的もの」と訳されていることに注目してほしい。祭祀財産が「絶対的」な程度に神聖であるならば、それは定義上「私有財産」として適格である、という主張のようだ。

この混同は、著者が宗教私有財産の関連付けに権威を求めているときに強化される。この時点でG&W(p.159)は、エミール・デュルケムの「聖なるもの」という古典的定義を持ち出している:

デュルケムは、聖なるものの最も明確な表現は、ポリネシア語で「触れてはならない」を意味するタブーであると主張した。しかし、私たち絶対的私有財産について語るとき、その根底にある論理社会効果において、非常によく似たもの、実際にはほとんど同じものについて語っているのではないだろうか。

そして著者は、アマゾン原住民仕事をする民族学者たちが、「湖や山から栽培種リアーナ林、動物に至るまで、彼らの周りにあるほとんどすべてのものには所有者がいる、あるいは潜在的に所有できる可能性がある」(p.161)ことを発見したと述べている。ある種や資源に対する霊的存在神聖所有権は、その種や資源を他の世界とは一線を画すものである。同じような理屈が、西洋私有財産概念を支えているとG&Wは書いている。もしあなたが車を所有しているならば、あなたは全世界の誰であろうと、そこに立ち入ったり使用したりすることを妨げる権利がある」(p.159)と彼らは説明する。

G&Wが、精神的な「所有権」についての伝統的な概念と、自分の車を所有することについての考えを混同しているのを見つけるのは、非常に息を呑むようなことである現代私的所有権を、超自然存在による天然資源の「所有権」と、その「根底にある論理社会効果」において「ほとんど同じ」とみなす彼らは、いったいどこの世界にいるのだろうか?

先住民活動家たちが、湖や山は強力な精霊にとって神聖ものだと語るとき、彼らは「私有財産」に等しいものを支持しているわけではない。もし「偉大なる精霊」が森を所有しているのであれば、その森は売り物ではなく、私有化されるものでもなく、伐採会社所有権を主張されるものでもないという明確な含意がある。

デュルケムの洞察の中で最も強力なものひとつは、人々が神性を呼び起こすとき、そのコミュニティ全体の道徳的な力を想定しているということである。つまり、ある山が神のものであるならば、それは私有化できないと宣言していることになる。G&Wがそれを逆手に取り、「私有財産」という概念は、あるもの神聖であるという考え方そのものと不可分に生まれものだと主張するとき、これがいかに粗雑な間違った表現であるかがわかるだろう。

デュルケムが実際に主張したこと

デュルケム(1965年)にとって、「分離」は私的流用のアンチテーゼであった。近親相姦に対する世界的な文化的タブー起源説明するために、彼は「ある種の隔離的な力、つまり男性的な集団を遠ざける力を女性に持たせている」(1965: 72)という伝統的な信仰を当惑させた。デュルケムは、このような信念体系において、女性隔離する力は血の力であり、聖なるもの概念と密接に結びついていると書いている。女性が血を流すと神性が目に見えるようになるとすれば、それは女性の血そのものが神であるからである。血が尽きるとき、神はこぼれ落ちる」(Durkheim 1965: 89)。

デュルケムにとって、「分離」という原初的概念は、私有財産とは何の関係もなかった。問題は、成人した若い女性に何が起こるかということだった(1965: 68-96)。月経が始まると、彼女親族は、彼女所有権を主張するために、つまり彼女を「入門」させるために、体として集まり彼女男性との付き合いからも世間から隔離した。彼女隔離は、特別儀式である成人式によって達成された。これにより、彼女身体神聖ものであり、それに関する彼女選択は、姉妹や他の親族に対して説明責任があることが確立された。デュルケムにとって、このような集団行為と関連して、人間意識言語文化の出現は、共同体という新しい種類の権威が初めて誕生した時点であった。

もしG&Wが現代進化科学に関心を示していたなら、こうしたデュルケーム洞察が、血のように赤い黄土色が、男性女性の肉体が神聖ものであることを新たに認識させるために、女性によって化粧用の「戦化粧品」として使用されたという考えに基づく、人類進化における黄土色の記録に関する最も新しく権威ある現代考古学説明を、いかに先取りしていたか認識できただろう(Watts 2014, Power 2019, Power et al.)

季節的か、月的か?

さて、『万物黎明』の中心的なアイデアにたどり着いた。それは、私たちはかつて皆自由であり、生き方を選ぶことができたかである

人類学を学んだことのある人なら、エスキモーアザラシ猟師たちが伝統的に冬の間は性的共産主義実践し、夏の間は家父長制的な家族生活に切り替わる。G&Wは、この振り子あるいは振動モデルヨーロッパ後期旧石器時代氷河期文化適用し、これらの複雑な狩猟採集民は、エリート特権権力の垂直階層を意図的に築き上げ、古い季節が新しい季節に移り変わるときに、それらをすべて取り壊す喜びを享受していたと論じている。

この革命を大いに楽しんだからこそ、氷河期天才政治家たちは、革命で得たもの永久にしがみついていてはいけないことに気づいたのだ。彼らは、連続する革命を楽しみ続けるためには、その間を一過性反革命で埋めなければならないことを理解していた。次の革命的高揚のための格好の標的を提示するために、「特別な」個人支配力を確立するのを許すことによって、そうするのである

私はこの考えが大好きだ。偶然にも、30年前に『血の関係』が出版されて以来(ナイト1991年)、私たち急進人類グループ狩猟採集民の平等主義の奥義として分析してきた振動原理酷似している。一方、私の振動モデルはまったく同じではなかった。というのも、私たちは亜北極圏ではなくアフリカ進化したのだから、季節的なリズムよりも月ごとの周期性が優先されるべき十分な生態学理由があったのだ。つまり、G&Wが想像したような方法権力が掌握され、明け渡されたのであれば、社会生活は月の満ち欠けと連動する月周期でひっくり返されたことになる(Knight 1991: 327-373)。

権力振り子

G&Wの歴史は、狩猟採集民の対立と交替に満ちているが、その周期性は一方的な季節性である狩猟採集民は太陽だけでなく月にも従うことを彼らは知らないのだろうか?彼らの最も重要儀式は、女性月経の満ち欠けと結びついており、月によって予定されている。

コンゴ熱帯雨林では、女性たちは男性勇気潜在的支配力を示すよう意図的に促すが、ンゴクと呼ばれる女性だけの儀式では、男女間の「権力振り子」で遊び半分に降伏する前に男性に反抗する。G&W (pp. 114-15)はこのことに言及しているが、その後に次のように主張している:

単一パターンはない。唯一の一貫した現象は、交代という事実のものと、その結果としてのさまざまな社会可能性の認識である。このことから確認できるのは、「社会的不平等起源」を探すことは、本当に間違った問いを立てているということである

もし人類が、その歴史の大半を通じて、異なる社会的配置の間を流動的に行き来し、定期的に階層を組み立てては解体してきたのだとしたら、本当の疑問は「なぜ行き詰まったのか」ということかもしれない。

この最後質問は実に深いものであるしかし、この問いに答えるには、以前はどのような状況であったのか、ある程度現実的認識を深めてからでなければならない。私たち先史時代祖先が、本当に自由で、本当に「身動きがとれなかった」時代があっただろうか?

結婚が恒久的なものになったとき

中央アフリカの森の民バヤカでは、月は「女性の最大の夫」と言われている(Lewis 2008)。どの男性立場から見ても、妻は血を流すたびに、事実上、天国の夫のために彼を捨てることになる。この古代比喩Knight and Lewis 2017)の背後にある現実は、女性が月のある期間、遊び半分で「権力を掌握」した後、自分の主張が通れば進んで男性に譲るという伝統であり、Finnegan(2008)が「動く共産主義」と呼ぶもの確立している。このような社会における親族関係居住パターンは、月経排卵兄弟恋人親族関係結婚共同体連帯セックスの親密さの間で揺れ動く振り子を設定する。

このようなパターン古代から存在した可能性が高いことを考えれば、G&Wが政治的な揺れに対するある種のブロックを、歴史過程で実際に起こったこととみなすのは正しい。しかし、そのブロック説明するには、G&Wが触れようとしないトピックを扱う必要がある。それは、月経をめぐる先住民の慣習に敬意を持ってアプローチすることを意味する(Knight 1991.)また、親族関係パターン結婚後の住居の多様性理解することも重要である--これも決定的に重要トピックだが、G&Wは著書でほとんど触れていない。

非貯蔵型狩猟採集民の間では、女性一般的に、少なくとも子どもが2、3人生まれるまでは実の母親と暮らすことにこだわる(Marlowe 2004)。遺伝学的研究によれば、私たちの種が進化したアフリカでは、このパターンはるか過去にまでさかのぼる(Destro-Bisol et al.)終生結婚の代わりに「花嫁サービス」が一般的で、アフリカ狩猟採集民の女性は、母親キャンプに住み続けながら、選んだ恋人を受け入れる。一時的な夫は、狩猟した肉を花嫁とその家庭に持ち帰ることで、自分の役に立たなければならない。それができなければ、彼は出て行く!このような取り決めのもとで、誰もが親族関係結婚生活の間を交互に行き来する。

母親と同居するのは弾力的なパターンだが、夫から圧力で住居を変え、夫とその親族永住せざるを得なくなることもある。このような場合子供連れの若い母親は逃げ出すことが難しくなる。かつての自由を失うと、夫の世話は強制的支配へと変貌する。エンゲルス(1972[1884])が「女性性の世界史的敗北」と雄弁に表現したのは、この悲惨な結果だった。世界の多くの地域で、結婚を固定的な絆に変えた家父長制的な力は、それに応じて社会生活全体にも固定性を押し付けた。

人類はいかにして「行き詰まった」のか

これは、「なぜ私たちは行き詰まったのか」という問いに対する有望な答えのように見える。では、G&Wはこの問いにどんな答えを出すのか?彼らの最終章は非常に蛇行していて、それを知るのは難しい。彼らは、人へのケア強制的コントロールへとシームレスに変化する可能性について言及しているが、なぜかこれを結婚後の住居や家族生活の変化とは結びつけていない。最も身近なところでは、17世紀ヨーロッパ北米のウェンダットにおける処刑拷問光景描写している。国王臣民を罰する権利は、妻子を躾ける家長義務モデルにしていたことを思い起こさせる。このような政治的支配は、公に王の注意義務として表現された。これとは対照的に、ウェンダット囚人に長時間拷問を加えるのは、支配と統制を愛情によるケアから公的区別するという、正反対の点を強調するためであった。囚人は家庭の一員ではないので、拷問される必要があったのであって、愛される必要はなかったのだ。

そうしてG&Wは、ケア支配区別の中に、私たちがなぜ行き詰まったのかについての待望の説明見出したのである

私たちは、ケア支配の間のこの関連性、あるいは混乱が、互いの関係を再創造することによって自分自身自由に再創造する能力私たちいかにして失ったかという、より大きな問題にとって極めて重要であると考える。つまり私たちいかにして立ち往生してしまったのかを理解する上で、極めて重要ことなのだ...。

狩猟採集民の研究ジェンダー研究を探求する代わりに、G&Wは視野を先住アメリカ人軍事指導者拷問者、ヨーロッパ君主経験限定し、これらの人々の心理的葛藤想像することで、私たちがどのように「行き詰まった」のかを探っている。上に引用した当惑させるような言葉意味があるとすれば、私たちが行き詰まったのは、特定権力欲の強い人物が、人々を思いやることと暴力的支配することを混同してしまたからだと示唆しているようだ。

これはまともな説明だろうか?人々は本当にこのように混乱してしまったのだろうか?答えの代わりに、G&W自身が行き詰まったようだ。私たちは、同じ質問を少し違った言葉提示されているだけなのだ

外的な暴力と内的なケア、つまり最も非人間的な人間関係と最も親密な人間関係との間に新たに確立された結びつきは、すべてが混乱し始めるポイントを示しているのだろうか?かつては柔軟で交渉可能だった関係が、結局はその場に固定されてしまった例、言い換えれば、私たち事実上立ち往生してしまった例なのだろうか?

この本全体で最も重要な問いに答えようとする努力は、これ以上なされていない。

(続く……)

2023-09-18

大勢で走る秋の新作で時間が無い増田住まい長ん家事で苦三子の気あるしはデイ背おお(回文

おはようございます

スプラトゥーン3やファイアーエムブレムエンゲージで忙しいのに!

その忙しいのに突如舞い降りてきた新作F-ZERO99!

私はF-ZERO直撃世代ではなく、

しろ今作このF-ZERO99がルーキーデビュー戦と言っても過言ではなさ過ぎるほどまったくF-ZEROには馴染みがないのよね。

だけど99シリーズ待望の新作で私もこのビッグウェーブに乗るべく早速見よう見まねで初体験よ!

F-ZEROってさ

老害爆発続編を望むファンソフトかと思っていたけれど、

結構シビアに硬派なSFレースなのね!

ほのぼのとした陰湿マリオカートとは違って

こちらはガチ99人バトルの走りっぷりを披露しないと完走すら出来ないって、

わずニッコリしてしまいそうだけど陰湿さでは勝るマリオカートとは違って、

こちらは容赦なく潔く爆破する感じが

もうさ

大仁田厚さんの有刺鉄線電流爆破デスマッチ彷彿させるようなバトルなのよ!

あれが大仁田厚さんと戦うか99人でと戦うかの違いぐらい爆破されるの!

もー面白いわ!

ちゃごちゃに99人コースにごった返す

まるで芋を芋で洗う小野妹子さんもビックリするような混み具合!

でも大丈夫

金色の玉を集めてスーパーターボを使って通常の上にある快適なコースを走れる必殺技もあるの!

下道は大渋滞で上に行けば安心!って

スカイウェイも大渋滞やないかーい!って

そこも大賑わいよ!

笑っちゃうわ。

なんて楽しいのかしら!って思ったけど、

ただ運とテクニックだけじゃ勝てないことを私は悟ったの。

そう!

そうなのよ!

エネルギーコントロールが大切で

ターボを使うとエネルギーが減っちゃうので使いまくると体当たりに耐えられなくなってしまって自ら自滅してしまう道を選んで完走すら出来ない状態になるの。

かといって、

エネルギーを温存しておいたらマシンスピードは遅いし、

しか

金色の玉を集めて走れるようになるスカイウェイもターボと併用ができなくって、

いざ!ってときに貯めておいてもその間はターボ封印されてしまっていて使えないので、

スカイウェイを走れるスーパーターボはなかなか使いどころが難しいというか私は貯まったら即使う作戦なのよね!

そんで、

これ笑っちゃうんだけど、

ゴール目前で最終コーナー曲がりーの直線でエネルギーぎりぎりでターボかますじゃない!

逃げ切って1位よー!って

それも上手くいかないときがあって、

マジでゴール目前あと1ドット!ってところで爆破大破される容赦なさ加減!

何十台とくる後続車を避けるのは実質不可能

一応ガードはあるんだけど、

使ってしまうと次使えるまでクールタイムがあるのでクールポコとは違うやっちまったな!って感じで

ゴールするからエネルギー使い切り逃げ切り作戦も爆破よ!

そんでガードしたとて、

大量にくる後続車を避けるのは不可能なので、

いっちもさっちいかないわ!

マリオカートとは違ってアイテムを誰かから喰らったりしない分陰湿さがないか

誰を恨むでもなく、

明らかに自分エネルギーコントロールが要なのよ!

要潤さんじゃない方の要よ!

そんで

ふざけて逆走してくる輩も不思議と今まで見たことなくって

これは容赦なく最下位付近マシン容赦なく失格となってしまう、

逆走している暇があったら走れ!ってアンチテーゼなのよ。

アンチテーゼってハッキリ言ってよく意味分かってないけどイキフンで使いどころ使ってみた次第よ。

そんなわけでアホなプレイヤーには一度も遭遇したことないのでそこは安心できるところかしら。

おかげ様で

私も1位を3回ぐらい取ったのよ!

そのぐらいもうF-ZERO完全に理解したわ!って思って

ふとSwitch最初からプリインストールされている

アメリカの人が何でもコンピューターと画面があればDoomを遊べるようにしてインストールしてしまうぐらいに最初からインストールされているスーパーファミコンF-ZEROをやってみたら、

F-ZERO99で鍛えられたテクがそのまま活かすことが出来て

初めてなのに

まるで進研ゼミ漫画でここ進研ゼミでやった!って感じのもう問題がすらすら解けちゃうぐらいに

初めてのスーパーファミコンF-ZEROも颯爽と走ることが出来て笑っちゃったわ!

なので、

結構F-ZERO直撃世代のおじさまおばさま方はF-ZEROテクに慣れ親しんでおられるので

もの凄く上手いのでは?って思うわ。

あとさ、

HD画質なので遠くが見渡せてコースの先まで見えるので、

つーか手もとばかり自分マシンを見ていると

というかマシンの量が多すぎて自分がどれがどれだか分からなくて

もうコースの先しか見ない感じもカオスだわ。

壮大な99大喜利の絵図らで出オチジョークソフトかと思ったけど

これは熱くて面白いわよ。

今日のこの敬老の日にふさわしいF-ZEROかも知れないわね。

F-ZERO直撃世代が孫と一緒に目に入れても痛くない感じでレースに負けて痛い思いをするぐらい楽しめそうだけどね。

あと

ふと思ったんだけど、

これ本当に全員人間なのかしら?って

もう大半はCPUと戦わされているのでは?って思っちゃうぐらいなときもあるけど

マッチングの速さもあって1レース3分ぐらいで終わっちうから

延々と遊べちゃうのが危険よ!

私の生活破綻爆破しちゃうわ!なんてね。

予想だにしなかったF-ZEROまさかこんなに面白いとは!って感じよ。

おかげで

ファイアーエムブレムエンゲージの邪竜の章をクリアして完全にしてから増田書こうと思っているんだけど、

邪竜の章がぜんぜん進まないわ!

困ったわね。

私をF-ZERO99で見かけたからっていってターボかましオカマ掘っちゃいやよ!

逆にオカマ掘り返しちゃうわ!

返り討ちいや返り掘りよ!

うふふ。


今日朝ご飯

喫茶店モーニングよ。

こないだ多めにお釣り間違えられたんだけど、

今度は550円モーニングなのに280円です!って

ここの店員さんはユーモアがあってよく分からないわ。

今回は間違って安かったので、

申告したわよ。

タマサンドモーニングは550円わよ!って

正直者は朝の三文の得なサーモンサンドにしておくべきだったわ。

後の祭りね。

デトックスウォーター

炭酸レモンウォーラーしました。

休みなのでお手軽なやつで済ますわよ。

今日も忙しいの。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-09-13

anond:20230906112800

80年代ロリコンブーム90年代女子高生ブーム、このあたりは地続きなのかな。

成人女性アンチテーゼ的な魅力をもつ対象として、「少女」という曖昧カテゴリロリコンブーム祭り上げられて、女子高生というディテールが定まったと考えると、ちょっと面白いかもしれない。

それまでマニアックな嗜好の一つだったものが、そういう形で定着した、という考えはどうだろうか。

2023-09-03

anond:20230903095713

あー仮想なのさ、弱者男性も男らしさから降りる男も。

フェミニズムに対するアンチテーゼとして弱者男性って概念が便宜的に作られた。

フェミニズムはその思想で、弱者男性を救ってみろよ、無理だろ? って。

から弱者男性は実際には存在しないし、例えばホームレスがそれに該当するわけではない。

近年では弱者男性を名乗る例もあるが、それは後で定義を広げただけ。

原義ではあくま仮想上の概念

んで、同じように、男らしさから降りる男も、降りてみたけど女性が協力してくれないから結局無理だろ? ってなる思考実験登場人物

男性たちが男らしさから降りようと思ってるわけじゃあない。

少なくとも原義では。

2023-08-18

anond:20230817094740

アンチテーゼとして苗字を妻性にする意味が発生した時点で親に従って夫性になるのが無理になってしまうかもしれない、無駄軋轢をうむだけだと分かっているのに……

でもアンチテーゼとして意味があるということが逆らいたい風潮の証拠なんだと認識してしまったら従ったことにずっと気分が悪くなる、そういう性分なのでこういう話しないで欲しい

2023-08-17

anond:20230817161106

お互いに、本当にどっちでも良いねとなりました。

しかしここで、「世の中の大半は夫の姓にしているから、私たちもそうしよう」とするのは、女が姓を変えるもの!という男尊女卑的な価値観継承であり、あってはならないことです。※追記

また逆に、あえて多数派に反抗して妻の姓を名乗ろう!というようなアンチテーゼを主張したいわけでもありません。ただ、どっちでも良かったんです。

結果、私たちじゃんけんで勝った方の姓にしようとなり、妻の姓にすることになりました。じゃんけんというと軽慮浅謀に聞こえるかもしれませんが、私たちの中では、ただどちらかがどちらかの姓に合わせる必要がある、ただそれだけだったんです。くじ引きでも、あみだくじでも、なんでもよかったと考えています

そうだね、どうでも良くはないね

ただただ、何でも良いと思っていただけですねぇ

うんうん

妻の姓にすると伝えて泣く親、キレる親

私は30手前の男で、弟がいる長男です。結婚の報告とともに、妻の姓にすることを伝えたら、散々な話し合いの末、父にはお前は親の気持ちもわからない幼稚な人間だ、”変”な人間だと散々罵られ、母には自分の息子でなくなる気がして悲しいと泣かれました。


皆さんならどうするか、ご意見を聞かせてください。


〈私の考えてきたこと〉

結婚した妻が夫の姓を名乗るのには「嫁入り」といった考え方が根底にあり、実際に妻が過ごした旧家を出て、夫の家に嫁ぐという、女性実態として夫家に従属することを姓を持って表してきました


これから夫婦になる私たちは、お互いに実家を離れて東京で過ごし、それぞれ仕事をしています結婚しても仕事上の名前は変えず働くつもりです。嫁入りも婿入りもしない、という考え方です。今はまだ実現していませんが、選択夫婦別姓が認められていれば検討たかもしれません。


ただし、これからまれるかもしれない子供のことも考えると、結婚してどちらかを代表者とした戸籍を作り、どちらかが戸籍上の名前旧姓とする必要があります


それは、旧家を去るということでもなく、相手の家に属するということでもありません。ただどちらかがどちらかの姓に合わせる必要がある、ただそれだけです。


どちらにするかを決めるにあたっては、様々な要素によって、ベター選択をすべきと考えます。例えば一方が国家資格などを持っていれば、変更の手間が増えますし、親から土地会社を継ぐ場合、同じ苗字であるメリットはありそうです。


ですが、私たちにはその要素がほとんどありませんでした。お互いに、本当にどっちでも良いねとなりました。


しかしここで、「世の中の大半は夫の姓にしているから、私たちもそうしよう」とするのは、女が姓を変えるもの!という男尊女卑的な価値観継承であり、あってはならないことです。※追記

また逆に、あえて多数派に反抗して妻の姓を名乗ろう!というようなアンチテーゼを主張したいわけでもありません。ただ、どっちでも良かったんです。


結果、私たちじゃんけんで勝った方の姓にしようとなり、妻の姓にすることになりました。じゃんけんというと軽慮浅謀に聞こえるかもしれませんが、私たちの中では、ただどちらかがどちらかの姓に合わせる必要がある、ただそれだけだったんです。くじ引きでも、あみだくじでも、なんでもよかったと考えています


〈妻側の意見

彼女は、結婚しても今の姓を名乗り続けたいものの、通例的に夫姓にすることにもさほど抵抗はなく、どちらでも良いと言ってくれています


彼女のご両親も、当然娘は夫姓になるものと考えていたが、妻姓のままでいてくれるならそれはそれで問題ない。私のご両親がいいならいいとのことでした。


〈私の家族の反応〉

上記説明を両親にした上で、納得してもらおうと何時間も話し合いましたが、冒頭の結果となりました。



人格否定するようなことも言われました。親の意見を聞けないのは人としておかしい、妻の姓にするなんて変な人間だ、お前は洗脳されてる、と。

追記


そんな罵詈雑言を除いて父の主張をまとめると

客観的には、今の名前(夫姓)のままでいるべき理由はない。が、心情的に受け入れられない。

希望としては、夫姓を継いで、これから名前(夫姓)を子孫代々発展させて欲しい。生まれてくる孫は自分と同じ夫姓であって欲しい。

③妻姓になるということは、ウチを出るという考え方しかできない。

④ これまで一家を背負ってもらいたい気持ちで育ててきたのに、裏切られた気持ちになった。

といったものです。


①について、私が姓を変えるべきでない客観的理由が出てくれば、考え直す必要があると伝えましたが、父もまた実家を出ていて、継ぐべき土地家業はないため、それは特にないということで合意しました。ただただ、受け入れられないそうです。


②について、私たち子供を作ることを前提にしている時点でがっつりセクハラです。閉口しました。※追記


③④については、家族の繋がりはどちらの姓になろうと変わらないよ。と何度も伝えましたが、理解を示しませんでした。例として挙げた話をすると、私の母は戸籍上父の姓になりましたが、我が家は毎月のように妻姓の集まりに出席していて、姓が変わることで家族の繋がりが失われるわけではないことは身を持ってわかっているはずです。ただそれが男に逆転すると理解できないそうです。


ちなみに他の家族ですが、弟は私と同じ考えを持っていて、姓がどっちだろうが何にも変わらないよね?というスタンスでした。


母は話を納得してくれた上で、夫の姓にこだわらない夫婦がいるのはわかるけど、心の準備ができていないので、貴方には夫姓でいて欲しいとしか思えないという主張でした。3回勝負ってことでもう一回じゃんけんしたら?って言われました。ナイスアイデアですね。


父の話は感情論ばかりで、言っていることはわかるけど俺の想いとは反する、というばかりでした。当然父の想いは尊重したいですが、それが男尊女卑的な思想実態に合わないイエ制度的な考え方を前提にしている以上、それを次世代に持ち込ませないのが私のやるべきことだとすら思えました。


双方折れずで議論平行線のまま終わりました。仕事のため東京へ戻る新幹線の車中で、これを書いています


〈今私が考えていること〉

普通に考えれば、彼女のご両親のご意向に沿っても、私の親が反対している以上、じゃんけんで仮に決めた妻姓ではなく、夫姓とするのが「人間らしい」選択なのかもしれません

ただそれは、全く私の話を聞き入れず、ただ自分の想いを押し付けた親を認めるということになり、その点に関して納得いかない自分がいます

夫姓にすることは、彼女に改姓させるのが申し訳ない程度の問題で、私の親も希望通りの大団円のように見えますが、姓への考え方は私たち夫婦+弟と両親で全く異なったままだと思います

これから結婚するかもしれない弟や、できるかもしれない私たちの子が同じことを相談した時、また同じように踏みにじられるんじゃないかと思えてきます

親の願望として、差別的・前時代思想だと思いながら素直に聞き入れてあげるか、時間をかけて説明し切ることを考えるべきか、悩んでいます

しかしたら、時間が経って親が自分たちで色々と考える中で、私の考えを理解してくれる可能性もあるんじゃないかと期待する自分もいます


皆さんなら、どうしますか?


私の考えは偏った、ヤバい、変な考えなんでしょうか?


父に私の考えを理解してもらうことは、不可能なんでしょうか?


親を悲しませないために差別的思考を受け入れることはやむを得ないと感じますか?


何卒、忌憚なきご意見をいただければと思います

長くなってしまいましたが、最後まで読んでいただいた皆様には格別の感謝を贈りたいと思いますありがとうございました。


追記

「世の中の大半は夫の姓にしているから、私たちもそうしよう」とするのは、女が姓を変えるもの!という男尊女卑的な価値観継承であり、あってはならないことです。 

この書き方は雑でした。女性の友人、知人の中には、結婚で姓の変更を強いられることに苦痛を感じると話している方も多く、男の私が女性に姓を変えさせることを当たり前に思ってはいけないと学生の頃から考えていました。思想が間違っているから、あってはならないと言っているのではなく、特定性別に生まれたことが原因で苦しむ人が少しでも減るべきと考えているところがこの発言意図です。


追記

私たち子供を作ることを前提にしている時点でがっつりセクハラです。閉口しました。

まり本題とは関係ないので、あまり言及しない方がいいかもしれませんが、補足です。

私たちまだ子供の予定はないと話していて、その上で父が(授かれるかもわからない)孫の姓が自分と同じ姓じゃないのはショックだと話していたのを見て、孫の顔が早く見たいと妻に迫る毒親と同じ不快感を感じました。セクハラというより、マゴハラ?産めハラ

ちなみに父は、孫が妻姓だった時に夫姓の時と同じように接せるかわからない。内孫と外孫は違う。と話していました。自分がここで親を立てて夫姓に従った場合、将来授かれるかもしれない子にも影響が及ぶんじゃないかと怖くなりました。勝手被害妄想かもしれませんが。


追記

説明が足りていませんでしたが、父は私がジェンダー論や男女平等思想洗脳を受けていると思ったそうです。私の主張は、人から見聞きしたことのほかに大学で学んだジェンダー論にも基づいていることを話しました。大学進学を後押ししてくれたのは父なので、父としてもそういう視点がある方が受け入れやすいかなと思っての行動でしたが、無駄でした。

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