はてなキーワード: 狂喜乱舞とは
https://twitter.com/kambara7/status/1555719644765638656
@kambara7
Aug 5
我々平和主義者は、ずっと中韓の手先と言われてきたのだが、ついに学者から名指しで「アイツはウクライナに降伏を勧めた」とのデマを流されたね。
今時の学者は、デマを流してもネトウヨにチヤホヤされたいのだろう。
安倍政権後の日本は一億総ネトウヨだから、学者もその時流に乗りたいのだろうな。
@kambara7
Aug 6
後にお札になった福沢諭吉は、日露戦争に狂喜乱舞し、そういう文章を残している。
国策に協力し、デマを流し、右翼を扇動する学者は出世できるし、権力のおぼえもめでたい。お札にもなれる。
@kambara7
Aug 6
親切な方からの忠言で訂正。
正しくは日清戦争です。
@kambara7
こんなお札な。100円札でどうか。
12:57 AM · Aug 6, 2022·Twitter for iPhone
これはセーフ。
そして東野篤子は嘘ばっかり。
でもウクライナがボロ負けしたら平気で嘘を言いそう。
https://anond.hatelabo.jp/20230925112807
俺は35で結婚しているが、30まで童貞で女と手を繋いだことも無かった。幸運の幸運に恵まれただけだって自覚がありすぎるほどある。増田の婚約者は、俺がこうなっていたかもしれない未来だ。
今まで好きになった人に告白して付き合おうとしても、友達としか見られないと言われ続けてきたこと。
子供はどちらでも良くて、そういう行為に憧れがあったこと。(いらないわけではなく、産みたいなら一人くらいどうぞ、と言われました)
今回見合い話が来て12個年下の子とそういうことができる関係性(夫婦)になれるなら奇跡だと思ったこと
だから、セックスはなし!って私から言われたことで、がっかりしたこと。
これをどんな思いで告げたのかと思うと涙が出そうだ。
好きになった相手にずーっと受け入れられずに35年生きてきて、たぶんもう自分を男として受け入れてくれる異性なんていないんじゃないかと半分諦めてたとこもあると思う。そんなとき親の設定した縁談という降って湧いたような奇跡に、彼は狂喜乱舞したんじゃなかろうか。
それが蓋を開けたらこれとか、どれだけ残酷なことをしたのか自覚はあるのだろうか? これこそ魂の殺人だろうが。
産みたいなら一人くらいどうぞってのは確かにクソみたいな失言だ。たぶん婚約者からしたら子どもはどっちでもよくて、とにかく自分を男として受け入れてくれる異性の存在こそが重要だったんだろう。だから婚約者が母親に子どもがほしいと言ってたのも当然建前だ。セックスしたいから嫁がほしいなんて親に言えねーだろうが。
風俗を許してあげればいいとかいうブコメを見て何言ってるんだと思った。これは単なる性欲解消じゃなく承認欲求の問題だろうが。
浮気を許してやればいい? アホか。35年生きてきて親に縋るしかなかった男が、いったいどうやって浮気をする? それができる人間なら、最初から自分で恋人を捕まえられるだろうが。
本当に、これが俺だったら首を吊るかもしれない。
【謝罪した結果がこれ】ストッキングの「アツギ」が国内生産を終了することを発表→フェミさん狂喜乱舞
https://femimatsu.com/article/487902902.html
米 (@0k0m3_)
あれだけ俺たちが買い支えると声高に叫んでたアンフェオタクたち、買わなかったんだね… https://twitter.com/fashionsnap/status/1484100871755792384 …
寿司女 (@19phobia)
寿司女 @19phobia 2022-01-20 19:48
オタクくんたち買い支えるんじゃなかったの⁉️ https://twitter.com/fashionsnap/status/1484100871755792384 …
こういう嘘つきでかいなかった。全員最初からアツギなんてどうでもいいくそババアしかいないわけですわ。
魚龍3🍅@tolerant_Ketzer
あのプロモーションでATSUGI買わなくなるのは、食中毒事件起こした食品会社の製品を買わなくなるのと同じ
https://femimatsu.com/article/487901676.html
このように自らめちゃくちゃな理由を言っている。
これは女性差別ですわ。
https://anond.hatelabo.jp/20230726225333
元増田とか、母親面やめろと言ってたVtuberの件で思ったんだけど、
男オタクと女オタクで求められる民度のレベルの差が凄まじくないか?
男オタクは「素直に射精です」「ママ〜!母乳ちょうだい」「(推しの)卵子になりたい」(※どれも声優とVtuberに実際に送られたコメント)といったセクハラコメントを書いても男オタク全体の民度の話にはならないし、話題にもならない、セクハラコメントを書かなければ「まともなオタク」扱いされる特典まであるのに対して、
女オタクは母親面コメントや赤ちゃん扱いコメント、「かわいい」コメントを書くだけで男さんにお気持ち表明され女オタク全体の民度が悪いという話になり、オタク界隈で結構な問題となり、マナーを守ったところで何の特典もない(当然だが)
男オタクが明らかな性的コメントをしても放置される一方で、女オタクは性的なほのめかしとはかけ離れたコメントでも「性的消費」「異常性癖」とみなされ叩かれる
この現象って、「女はしおらしくしろという古典的な考え」と「男は男らしくあるべきという古典的な考え」、そして「セクハラ行為を妨害されたと感じる男たち」によって起きてるんだろうな
まず起点であるお気持ち表明男さん(前のVtuberや元増田)は、「女はしおらしくしろという古典的な考え」によって女オタクに男オタクより高い民度を求めているのだと思われる
実際、元増田も(恐らく)男オタクだと思われる人間からの人格否定を内包した誹謗中傷には何も思っていない
eスポって基本民度低いというかアンチ・暴言の度合い凄いんだけどそれは別に気にならない
死ねとかしつこい人格否定とか少しのミスで消えろ辞めろいる意味ないとか…
慣れちゃダメなんだろうけど、そういうもんだと思ってるしただの野次馬だから気にならないしPV伸ばしてくれてありがとうくらいにしか思ってない
憶測だがこの元増田もゴリマッチョの男性達から赤ちゃん扱いされまくっていたら、ここまで気分を害していないだろう
ここに「女はしおらしくしろ」、つまり「女は黙ってろ」という考えが透けて見える
あるいは女オタクが「増田かっけーっす!」とアニキ扱いしていたとしたら、赤ちゃん扱いよりはマシだと思っただろう
アニキ扱いと違って赤ちゃん扱いされるとここまで苛立つのは、赤ちゃんが「男らしさ」の対極にあるからだ
そして元増田のようなお気持ち表明を起点に「女も男を性的消費していることは認識されるべき!」とネットが盛り上がるのは、
先の「女はしおらしくしろという古典的な考え」に加えて、「セクハラ行為を妨害されたと感じている男たち」によるんだろう
前のVtuberの件では、「男が女にかわいいと言ったらセクハラになるのに、女が男にかわいいと言っても許されるのはおかしい!」という意見があった
まずこれは「男が女にかわいいと言ってセクハラ扱いされるのは同じ職場や学校(先生→生徒)の話であって、女Vtuberに対して視聴者の男がかわいいと言っても別にセクハラ扱いはされない
そのため男Vtuberに対して視聴者の女がかわいいと言ってセクハラ扱いされないのは男女平等」という言い方で論破できる
ここでポイントなのが、先の意見が「現実に自分含めた状況で起きうるセクハラの話と、Vtuberに対するセクハラの話を混同している」という点だ
なので先の意見を換言すると「俺が職場で女にかわいいと言ったらセクハラになるのに、女視聴者が男Vtuberにかわいいと言っても許されるのはおかしい!」となる
もう明白だが、結局彼らの怒りは「俺が現実にセクハラ(とされる)行為を出来ない苛立ち」が根源なのである
なのでセクハラし放題の社会になったら彼らは女オタクが男Vtuberにかわいいと言おうが赤ちゃん扱いしようが性的消費とも性癖開示とも思わないだろうし、
逆にセクハラを容認しない社会にいる限りは、彼らは母親が3歳の息子をかわいいと赤ちゃん扱いすることにすら憤りを感じるだろう
結論、ネットで女オタクにばかり高い民度が求められるのは「男らしく」「女らしく」「セクハラ行為ができない男たちの憤り」が原因なので、
男Vtuberにかわいいと言う女オタクがいるだけで「女もセクハラをする事実は知られるべき!」などと狂喜乱舞する男さんには、
自分が女Vtuberにかわいいと言う男オタクに同じ反応をしない理由を考えろとしか言えないのである
tune2011 「女オタク全体の民度が悪いという話になり、」←元増田はそんな話してないうえに「一応書いとくけど、いい女性ファンがほとんどだから女性たたきとかやめてね」とまで書いている。
「元増田が女オタク全体の民度を叩いてる」なんて一言も書いてないんだが
日本語が読めないのか?
Tamemaru 女性オタク同士が内輪の学級会やら自警団行為やらで互いの自由をガチガチに制限し合った結果の不自由社会を「男のせいだ」と言われるの本気で納得いかない。
男さんに「女性による「かわいい」呼ばわりや赤ちゃん扱いは性的消費!」と言われてそう言う発言をしなくなったら女性オタク同士の学級会のせいにされるまでがテンプレ
そもそも男さんが女性に噛みついていなければ学級会も開かれていないのでは?
sisya 被害妄想が激しすぎる。こうして自分の属性の一部が批判されただけで瞬間湯沸かし器のように激高する人がいるから、属性全体の印象が悪くなる。増田は内なる敵という感じ。
他者の意見を被害妄想呼ばわりする前に、「異論を言う奴は女オタクに違いない」が妄想だという自覚を持とうね
red_kawa5373 「セクハラコメントを書いても男オタク全体の民度の話にはならないし」 いや、普通に文脈によってはなるし、そもそも胸も露出してない絵で炎上するのが男向けオタクコンテンツなんだが。
女性Vtuberやゲーム実況者に対する男オタクによるセクハラコメントがここまで燃えた事例を知らないんだが教えてくれないか?
differential エロさを武器に売ってるアイドルと、eスポーツのプレイヤーは、ファンのリアクションは違うのが普通だと思うの。私はどっちもキモいと思うけど、前者ならまだ、そういう売り方してんなら仕方ないと思うし
「エロさを武器に売ってるアイドル」じゃなくても女性声優やVtuber、お天気キャスターはセクハラされまくってるよね
なんで見えないフリするの?
typographicalerror "「素直に射精です」「ママ〜!母乳ちょうだい」「(推しの)卵子になりたい」" これらは男オタクのエコチェンの輪では問題視されてないだけで一般男性はドン引きだし男オタクの全体評価は下がってると思いますよ
「君たちはどう生きるか」感想。
具体的なネタバレはそれほど無いと思うが、作中のかわいい一キャラクターのみ個体言及する。
一言で表すならば、眠りの浅い時に見た夢。
ナウシカ、ラピュタ、トトロ、魔女の宅急便、紅の豚、もののけ姫、ハウル、ポニョ、そして風立ちぬといった宮崎駿歴代作品イメージボードをブンブン振り回されて巡らされた。
呆然とした。
映画が終わった時には、なるほどね、と口から漏れていた。何故広告を打たなかったのか、得心したからだ。むしろ広告が打てなかったと言う方が正しいのではないかと思う。
ストーリーが訳がわからんかったのは別にいいというか、この作品自体が夢みたいなもんだからどうでもいい。
まず引っかかったことの第一、台詞回しが説明的だったのに結構なダメージを受けた。
映像だけで説明できているはずのシーンで重ねて行動の意図を口に出して「今この台詞言う必要あったか?」となったのが、覚えている限り少なくとも二回はあった。
他にも感情の流れの描写がなく、どうにも唐突に結果だけが放られる台詞が多かった。細田守を彷彿とさせる台詞回し。辛かった……
私はキャラクターへの共感については特に必要性を感じない方なのだが、感情の流れだけはしっかり描いてほしいと思っている。その流れがブツブツ途切れていて、最後に繋げたい結論だけを口にさせていて、気持ちが悪かった。
それも意図的なのかもしれないが。
第二にショックだったのは、ワラワラがただ可愛いだけのゆるキャラだったこと。
駿の中にはもうマスコットになりうる「可愛くて、でも不思議な」キャラクターはいないんだなと痛感した。
安直でなんの捻りもない造形には、宮崎駿の原体験や自然の中にある生命の伊吹を感じることができない。そこに「いる」必然性は描かれず、ただ丸く、かわいい、特徴の廃された「マスコットらしいマスコット」でしかない。
子供向けにフックとしてマスコットが要るだろうという「思いやり」もしくはジブリと言えばという商業的要請から出されたキャラクターにしか感じられなかった。
DNA螺旋なことは分かるが、それにしたって安直なデザインには宮崎駿の興味・関心が感じられない。
まあそこは今の宮崎駿にとってはどうでも良かったのだろう。でもシンプルながら風変わりで、動物や幼児の見せる原初の感情や愛嬌を細やかに描いたキャラクター達を愛していたので、個人的にショックが大きかった。
現在の宮崎駿の中で鮮やかに表現されるのは、戦争であってファンタジーではないというのは今作を観て強く感じられた。
最も切実にこちらに訴えかけるのはやはり空襲のシーンであったし、街が燃え、人が炙られ彷徨うシーンだった。
主人公が自らを傷付け、結果二兎を得るが上手いこと加減できず割と深い傷になる小賢しさと迂闊さも少年らしく良かった。
背後に不穏さが漂う陰鬱な現実こそが「今」の宮崎駿なのだろう。現代情勢からも必然だろうとも思う。
私は宮崎駿の、普通エンターテインメントに乗りきらない切実で繊細なものを、エンターテインメントという砂糖をまぶして結実させ、本来のターゲット外の人までより広く世に送り出す手腕にこそ心酔していた。
「風立ちぬ」なんかはその真骨頂で、あんな純文学を大々的にお出ししてきたのは正気ではないと思いつつ狂喜乱舞したし、そこに込められた宮崎駿の諦念を目の当たりにし、これで創作活動を終いとするのは悲しすぎると涙した。庵野が棒すぎて頭に入らないから嫌と内容以外の部分で周りに否定されたのも悲しかった。
結果的に言うと「風立ちぬ」は宮崎駿の終点とはなり得ず、私の望みは叶えられた。
「君たちはどう生きるか」を鑑賞し、ここまでただ狼狽した心情を書いてきたが、今の宮崎駿に非常にショックを受けつつも、なんとなく心穏やかになった部分もある。
宮崎駿作品から既にひりついた表現への欲を感じなくなったのは、それはそれで救いであるとも思う。
そういう意味では、私にとっても「宮崎駿」への餞というか、終活になった。
どんなに作品の底に込めた意味があろうと、こちらに伝えようという意思が感じられない、というか作品を観ながら「伝えたかったもの」を考える余地がある、物語に没入できない時点で出来の悪い作品と考えているので、作品単体で言うと★1なのだが、監督が宮崎駿ということを加味すると★3になってしまう。
「君たちはどう生きるか」を宮崎駿ではなく、例えば米林宏昌あたりが作っていたら私は激怒し、オマージュを大義名分にジブリブランドを体良く利用して棄損するなと気炎吐き散らして暴れ回っていただろうが、宮崎駿ならばこれを作る権利がある。
オタクは世を忍び、腐女子は隠れるべきという時代にそれらと触れ合った世代です。
幕張メッセの件やらポケモン同人誌事件、2ch(現5ch)の電車男にニコニコ動画のボカロや歌ってみた・踊ってみた。
思春期をオタク文化の過渡期と共に過ごした私は、原作は絶対であり正義であると考えています。
ただ、原作は原作として、自分の好みの話の展開、好きなキャラを贔屓したいという想いがあるのは当然だとも考えています。
乱暴に言えば、カレーのレシピにジャガイモ入れろって書いてあるけど、私は入れない方が好きって言うだけの話。
それぞれ好みがあって当然だけど、この人のレシピはこれを入れる。でも、私はそれが好きじゃないから入れない。あるいはこれの方が好きだから、こっちを入れる、みたいな。
その辺のことを理解できていない人たちが、このレシピならジャガイモを入れるはず!とか、なんでこんなもの入れてるんだ、レシピにないだろう!って切れたりしている。
二次創作が二次創作だと理解できない層は、ジャンルの人口増加とともに増えていき、統率が取れなくなるとジャンルの衰退を生む。
このことに身に覚えのあるオタクたちもいると思う。
件の赤安も、同様の過程の末に衰退期に入ってしまったように思う。
大きな分岐点だったのは、今年(2023)の映画だったと思う。
コ哀の民は狂喜乱舞、新蘭の民は怒髪衝天。
ここでよくなかったのは、コ哀の民が一般的な映画レビューサイトで、コ哀が公式かのように発言してしまった事だ。
コナンでは新蘭、コ←哀が公式で、決して二人はくっつくことはない。だからこそ、コ哀の民は今回の映画が嬉しかったのは分かる。だけど、所謂オタク構文がまかり通らない公共の場所でコ哀の発言はよくなかった。twitterやmastdonなどで発言するべきだったね。
じゃあ、コ哀だけが悪いのかというと、そうでもないというのが私の見解だ。
公共の場でバカ騒ぎをする層は、どんなジャンル、どんな分野、どこにだって一定数いる。
バカ騒ぎをしている人を諫めることはあっても、ただ好きなだけの人を探し出して攻撃するのはバカ騒ぎしている人と同じだ。
正直、拳の時の新蘭の狂い方だってハタから見たらあたおかです。
蘭はそんなことしないとか、こんなの蘭じゃないとか。
自分の口に合わなかった、好みじゃなかった。ただそれだけでしょ。
新蘭とコ哀が民族争いをしているだけだったら、私は筆を折らなかったと思う。でも、新蘭の民は赤安の民も兼任している人が多かったのが決め手だった。
そういう人の多くは、新蘭と赤安の類似性を語っていた。イニシャルが同じだとか、属性が同じだとか。
それだけなら私も「確かに~!」と同調できたけど、赤安を公式扱いし、コ哀を非公式、ありえないと否定していたことが気持ち悪かった。
だって、赤安も公式じゃないじゃん。赤井が降谷に、あるいは降谷が赤井に恋愛感情を持っていると明確に分かる表現ってありましたか? 匂わせすらないですよね?
腐女子は無から有を生み出してカップリングを作るので、あったと言ってもそれをもっと客観視してもらいたい。公式でも何でもない、ありもしないカップリングを公式扱いしている姿は、赤安もコ哀も変わらない。目くそ鼻くそも大概にしてほしい。
ジャンルの衰退を招いていることを、はっきりと認識してもらいたい。
アニメの作画崩壊は制作側の落ち度が大きいので何も言わないが、原作の展開への文句や映画への批判をしながら赤安への愛を語っている人を見ると、本当に辟易する。
作者はあなたのために話を書いているわけじゃないし、小学館は企業なので利益を出さなければならない。
プロモーションなどに関してもそうだ。自分が読者層から、あるいはマーケティングターゲット層から外れたことを自覚してもらいたい。
それでも赤安が好き、新蘭が好きなら、自分だけの、あるいは感覚が近しい人たちとの世界で楽しめばいい。なぜ態々、攻撃する相手を探して回るのか。そんなの、ただのDQNじゃないか。
私はそんな人たちと一緒にいたくない。そんな人たちと同じだなんて、思われたくない。だって、いつ自分に攻撃が飛んでくるかわかったもんじゃない。
私はそこそこ古い腐女子なので、Kコが流行った時も腐女子をしていた。
当時にもそういった過激な思想を持った人がいたけど、情報発信するツールが圧倒的に少なく、被害があまり大きくはなかった。
時代が変わり、オタクが社会のメイン層になり、情報発信が多角的で、安易なこの世界で、私の考えは古いのだろう。それでも自分が愛した物の正当性を広めるために他者を傷つけ陥れるのは、反社と何が違うのだろうか。
私は今でも原作のコナンが好きだし、赤安が好きだ。新蘭も好きだけどコ哀も好きだし、京園や平和はもちろん、Kコや平コ(新)も嗜むし、何だったらコ(新)平が好きまである。ジンバボだってバボベルだってジンベルだって、降志保どころか哀歩哀も大好きだ。
こんな民度の低い、ヤクザにも劣るような人たちの同族だと思われたくない。だから私は赤安を書かなくなった。
ただそれだけの話。
オタクは世を忍び、腐女子は隠れるべきという時代にそれらと触れ合った世代です。
幕張メッセの件やらポケモン同人誌事件、2ch(現5ch)の電車男にニコニコ動画のボカロや歌ってみた・踊ってみた。
思春期をオタク文化の過渡期と共に過ごした私は、原作は絶対であり正義であると考えています。
ただ、原作は原作として、自分の好みの話の展開、好きなキャラを贔屓したいという想いがあるのは当然だとも考えています。
乱暴に言えば、カレーのレシピにジャガイモ入れろって書いてあるけど、私は入れない方が好きって言うだけの話。
それぞれ好みがあって当然だけど、この人のレシピはこれを入れる。でも、私はそれが好きじゃないから入れない。あるいはこれの方が好きだから、こっちを入れる、みたいな。
その辺のことを理解できていない人たちが、このレシピならジャガイモを入れるはず!とか、なんでこんなもの入れてるんだ、レシピにないだろう!って切れたりしている。
二次創作が二次創作だと理解できない層は、ジャンルの人口増加とともに増えていき、統率が取れなくなるとジャンルの衰退を生む。
このことに身に覚えのあるオタクたちもいると思う。
件の赤安も、同様の過程の末に衰退期に入ってしまったように思う。
大きな分岐点だったのは、今年(2023)の映画だったと思う。
コ哀の民は狂喜乱舞、新蘭の民は怒髪衝天。
ここでよくなかったのは、コ哀の民が一般的な映画レビューサイトで、コ哀が公式かのように発言してしまった事だ。
コナンでは新蘭、コ←哀が公式で、決して二人はくっつくことはない。だからこそ、コ哀の民は今回の映画が嬉しかったのは分かる。だけど、所謂オタク構文がまかり通らない公共の場所でコ哀の発言はよくなかった。twitterやmastdonなどで発言するべきだったね。
じゃあ、コ哀だけが悪いのかというと、そうでもないというのが私の見解だ。
公共の場でバカ騒ぎをする層は、どんなジャンル、どんな分野、どこにだって一定数いる。
バカ騒ぎをしている人を諫めることはあっても、ただ好きなだけの人を探し出して攻撃するのはバカ騒ぎしている人と同じだ。
正直、拳の時の新蘭の狂い方だってハタから見たらあたおかです。
蘭はそんなことしないとか、こんなの蘭じゃないとか。
自分の口に合わなかった、好みじゃなかった。ただそれだけでしょ。
新蘭とコ哀が民族争いをしているだけだったら、私は筆を折らなかったと思う。でも、新蘭の民は赤安の民も兼任している人が多かったのが決め手だった。
そういう人の多くは、新蘭と赤安の類似性を語っていた。イニシャルが同じだとか、属性が同じだとか。
それだけなら私も「確かに~!」と同調できたけど、赤安を公式扱いし、コ哀を非公式、ありえないと否定していたことが気持ち悪かった。
だって、赤安も非公式じゃないじゃん。赤井が降谷に、あるいは降谷が赤井に恋愛感情を持っていると明確に分かる表現ってありましたか? 匂わせすらないですよね?
腐女子は無から有を生み出してカップリングを作るので、あったと言ってもそれをもっと客観視してもらいたい。公式でも何でもない、ありもしないカップリングを公式扱いしている姿は、赤安もコ哀も変わらない。目くそ鼻くそも大概にしてほしい。
ジャンルの衰退を招いていることを、はっきりと認識してもらいたい。
アニメの作画崩壊は制作側の落ち度が大きいので何も言わないが、原作の展開への文句や映画への批判をしながら赤安への愛を語っている人を見ると、本当に辟易する。
作者はあなたのために話を書いているわけじゃないし、小学館は企業なので利益を出さなければならない。
プロモーションなどに関してもそうだ。自分が読者層から、あるいはマーケティングターゲット層から外れたことを自覚してもらいたい。
それでも赤安が好き、新蘭が好きなら、自分だけの、あるいは感覚が近しい人たちとの世界で楽しめばいい。なぜ態々、攻撃する相手を探して回るのか。そんなの、ただのDQNじゃないか。
私はそんな人たちと一緒にいたくない。そんな人たちと同じだなんて、思われたくない。だって、いつ自分に攻撃が飛んでくるかわかったもんじゃない。
私はそこそこ古い腐女子なので、Kコが流行った時も腐女子をしていた。
当時にもそういった過激な思想を持った人がいたけど、情報発信するツールが圧倒的に少なく、被害があまり大きくはなかった。
時代が変わり、オタクが社会のメイン層になり、情報発信が多角的で、安易なこの世界で、私の考えは古いのだろう。それでも自分が愛した物の正当性を広めるために他者を傷つけ陥れるのは、反社と何が違うのだろうか。
私は今でも原作のコナンが好きだし、赤安が好きだ。新蘭も好きだけどコ哀も好きだし、京園や平和はもちろん、Kコや平コ(新)も嗜むし、何だったらコ(新)平が好きまである。ジンバボだってバボベルだってジンベルだって、降志保どころか哀歩哀も大好きだ。
こんな民度の低い、ヤクザにも劣るような人たちの同族だと思われたくない。だから私は赤安を書かなくなった。
ただそれだけの話。
リベラルやフェミニストが強く、日本のリベラルやフェミニスト憧れの国の1つ
日本から様々な物を盗み取り、それを武器に市場を荒らすのでリベラルが狂喜乱舞し、愛国者が嫌う国で最悪のウザさ
キリスト教国家じゃないからゴミと日本をいじめ抜いた歴史あり(大体官僚とかが言及してる)
アメリカを引き合いにしてリベラルやフェミニストは日本を馬鹿にしがち
規制で自動車業界を潰そうとしたりレースで日本が勝ちそうだと急にペナルティつけたりルールを変更するなど日本をいじめ抜く国
他にも色々あるが、書くの面倒
当然キリスト教国家
キリスト教国家じゃない
敵国だがビジネスパートナーとしては腐れ韓国や日本弾圧欧米よりマシ
国家としての正しさとか日本人には知ったことではないからどうでも良い(他国にとっての日本もまた同じ)
この事からリベラル思想とは日本と日本人が憎いというのが出発点にあると思われる(嫌儲は分かりやすい)
リベラルの敵
当然キリスト教国家
韓国人や中国人差別を許さないリベラルもグエンと馬鹿にしがちだが、非リベラルの我々は東南アジアの国々の友好と発展を願い応援しよう!
狭すぎるコミュニティなら別として
普通は全員が配慮してくれることを期待するよりも、配慮が必要な人が自衛するほうが合理的だろう
リークみたいな誰にとってもモヤっとする先出しすぎる第三者情報なら配慮を求めるのもまだ分かる
リークとは違って正式に解禁されたデジタルコンテンツについては、理論上は(全裸待機みたいに全力コミットしてれば)リリース後すぐ誰もがアクセスできるもんだから、さして配慮は必要ないと考えられる
他国版と日本版でリリース進度が違って遅れてるゲームなんかは、気にする人はその進度差分だけ数週間くらいSNS断ちするなんてのも聞く
でもなあ、俺個人としてはネタバレってそれほど気にするものなのか、多少展開の一部がわかったからって本当に鑑賞体験は言うほどスポイルされるのかって思うぞ
シナリオの感動というのは細かい演出の積み重ねで得られるものだろう
ネタバレに過敏すぎるのは、作家のクリエイティビティに対する信頼がなさすぎることの表れのように俺は思えてしまう
実際ほとんどの作品は、たとえ他ならぬ公式から先出し情報のネタバレ食らったとしても、読んでいけばちゃんと感動できる筆力を備えてると思うんだよ
推理小説の犯人みたいに致命的なネタバレってのもそうそう存在しないしな
仮に一見スポイル度高そうなバレ食らったとしても、どうやって既知の展開からバレの結果へ繋がっていくのかって目線で見ていくと
ちゃんと想像した以上の複雑さでもってストーリーラインが編み上げられて、「そうきたか」って唸らされる事も多いだろ、あくまで主観の印象論だけど
ただまあ増田みたいな巧妙な展開を必要とせず「キャラが登場することただそれだけ」で狂喜乱舞できるパターンの場合はネタバレが重いのは分かるけども
増田の言うようなコンセプトは既にあって、
これは1インチセンサーというスマホよりは大きく、ミラーレスよりは小さいというサイズのセンサーを搭載し、
制御はスマホでやるというもの。つまり、単体では操作できず、レンズとセンサーと通信装置がセットになったカメラの部品のようなもの。
同時期にRX-100シリーズというのが流行っていて(一応、今も現行機種はあるかな)、それとスペックは基本的に同一。(シリーズにも色々なスペックのやつがある)
で、結局QX-100ってのは1代で終わったんだけど、
多分、扱いづらいってことで流行らなかったんだと思う。
・バッテリーを2つ充電しないといけない(スマホがデジカメ兼ねるのなら1つで済むよね)
・QX-100とスマホを合体させて操作してる時はカメラライクだが、結局撮影したデータはスマホ側に転送させないといけない
・ペアリングが面倒
実際に使ったことないんだけど、結局こういうところが面倒だったんだと思う。
あとはスペックか。1インチセンサーて、センサーサイズ厨からすると、小指の爪みたいなもんで、無価値なんよね。
当時のミラーレスといえばAPS-Cが一般的で、そろそろフルサイズに庶民の手が届くかどうか、みたいな頃。
カメヲタ的にはあまり響かんかったやと思う(もちろんQXがフルサイズだったらみんな狂喜乱舞なのだが)
と書いたワイやが、フルサイズのカメラは持ってなくて、APS-C持ってるけどそれも埃かぶってて、
今はiPhone12Proやけど、大体の写真や動画はコレでいいかな、って思ってる。
ミレニアル世代の私は年甲斐もなくコナングレイの出現に狂喜乱舞した。
希望を探し求めているのに自身のことに対しては常に悲観的(極度の恋愛恐怖症というやつ?)、デートを何度重ねていようが「恋愛」はしたことが無いと歌う彼、それでも恋愛をしていない登場人物が「恋愛について」を語る詩は二十数年生きてきた中で出会えた最も自分ごとなラブソングに思えた。こんな話はManiacのMVコメント欄に溢れかえっていそうだ。「コナン、不思議な話だけど私貴方が本当に私の親友のように思えるの、これはまさしく私が考えていたことだ」って。
インターネット人間関係全盛期に思春期を過ごしTinderで大人になった私や私の仲間達は勿論、恋愛や友情を謳歌する者も数多いがそれと同じくらいクローズドなコミュニティの中で出会いの無さを嘆く人々に溢れている。テキストで地球の裏側にいる人間にすらすぐ繋がれる世界は案外と半径5mくらいの宇宙を狭めているのではないかと思う。
求めた数だけ出会いは増えるが、心の底から求めるような着てみたら案外ピタッと形がハマる白Tシャツのようなメイトを探すことは非常に困難で、会う人数を増やせば辿り着けるというわけでもないユートピアであり幻想なのだ、そういう人間は。
私はそういう人間と恋愛的パートナーになった。約10年もの間身体の関係どころかプラトニックラブすら育んでこなかった、正真正銘の友人、よもや親友と言えるであろう相手だった。彼との友人関係を説明するのに打ってつけな状況は小学校の放課後くらいかもしれない、「後で公園に集合な!」そう声をかけ合い、ランドセルを置くため一度は帰路に着くが落ち合う時間を正確に決めたわけでもないのに集い気が済むまで遊ぶ、喧嘩でもない限りは毎日。本当にそんな関係性だった(実際週に何度も会うというのが毎週、小学校を余裕で卒業できる年数分も続いた)。小学生の頃仲が良かった友人で大人になっても付き合いがあるような人は殆ど居ないのが一般的だろうが、当時小学生であった我々はこの友情が終わりなく続くもののように感じられていたのではないだろうか。少なくとも私はそうだ、終わりという概念が頭をよぎったことすらなかった。
そんな彼と10年越しに付き合うことになった、そこに至る理由やイベントについての記述は省く、問題はそれだけの、小学校の親友のように過ごしてきた相手に対してですら、こと恋愛という人間関係の箱に入れられればひとたび、その関係の終わりを匂ってしまうということだ。
初めて恋のフィルターを通して私を見た彼はそれはそれは浮かれていた、恋愛初期段階を楽しむ人間が往々にしてそうなるように。選り好みが激しく友人の少ない彼は数年ぶりのステディな相手ができたこと自体が非日常で、楽しかったのかもしれない。
私はというと戸惑っていた、そして戸惑いの中で愛着を育てながら、精神力は段々と骨粗鬆症が進行していく様で。いつか来る別れに対して一撃で粉々に砕かれるように、脆く柔らかく心を解いていってしまった。いつか来る別れへの悲しみを深める準備、これこそが愛が育てるということらしい。
信じられないくらい身体にピタリとハマる白Tシャツを見つけたのなら先ずは買わないことが賢明だと思う。汎用性が高く絶対に一着は持っておきたい必需品なのにどんなに大事にしようがお構いなく着れば着るほど劣化し、摩耗する消え物なのに、「コレという一着」を見つけてしまえばそれがダメになった時は捨てるに捨てられず箪笥の肥やしが増えるばかりか、そこから先新しいシャツを何万着と探そうが満足がいかなくなってしまう。
何故友人であった頃は微塵も心配していなかった感情の賞味期限を恐れなければいけないのか。恋情はいっ時の劇薬で、いつかコレを愛情に変える為の努力として結婚や出産と言ったライフステージの変化をもたらす必要があるのかもしれないとか、インターネット耳年増で蓄えた知識のせいで不安になっているだけかもしれない。そう思うと何故友情には飽きも明確な終わりも来ないのだろう。
それでも何も考えずにずっと楽しく過ごせる関係を捨ててしまった自分の軽薄さに身震いしながら後何度週末を待つのだろうか。
絶賛円満に恋愛関係を進行中の彼はマカロニえんぴつの「なんでもないよ、」を聴き、私はコナン・グレイの「Disaster」を聴いている。
Vtberのコンテンツは人間の臭みがするとか、けっきょくなかには人間がいるとか、よく言われる。
人間は好きで三次元に生まれているとは思わないから、自分はそれが気にならない方。
美少女になれるかどうかはともかく、私だってできればこの現実世界じゃなくて二次元に生まれたかったし、
二次元のアバターを使っているVtuberだって同じだろうと考える。
もしも自分を二次元のものとして見てくれる人間がいれば狂喜乱舞するけど、
残念ながら三次元の肉体があるから起こり得るはずもないことである。
でも、Vtuberの人たちは二次元の肉体をきちんと持っているので、
二次元として見てあげたい、そうすることが当たり前だと思う。
5つ星のうち5.0 何年かぶりに、感動のたまごサンドが味わえました!
以前は卵を食べていたし、味が嫌いとかではないのでたまに「卵食べてぇ~~」となるときがありまして、このHOBOTAMAが発売されたときには狂喜乱舞してました。
しかし業務用ということでいつ手に入るのかなぁと、、悶々としていました。偶然にも Amazon Freshで小売りが始まっているという記事を目にし早速10個購入w
先日グルテンフリーの米粉パンでサンドイッチを作って本当に久々にたまごサンドを食べることができました。
家族(通常食)にも食べさせてみましたが、ほぼエッグサンドだと言ってました。