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2023-09-29

anond:20230929165317

自由になったら幸福になれるなんて幻は、それこそ平成初期までに終わっちまったんだよ。

 

自由であるってことは敗者と勝者が出るってことで、全員が自分は勝者になれると思って自由を望んでた昭和末期のがアホのだっだのだ。

もう親の職業を継げるなら継ぎたいよ皆そう。

私は、多数の者が羨望するような環境で生まれ育った。

親の深い愛情に恵まれ物質的及び文化的にも豊かな日常を送っていた。

しかし、そのような環境においても、私の精神は常に厳しい状態にあった。

他者との比較において常に不満を抱き、自身非難し、平穏に生きることが困難であった。

周囲の者たちは私を見て「全てを所持している」と認識しているかもしれないが、物質環境のみが人間幸福にするものではないことを、私は実感している。

私の心の奥底には、自己否定感情が絶えず存在していた。

「このような恵まれ環境にあるのに、幸福感を抱くことが困難なのは何故か?」

という問いに対する答えを求め、多数の文献を閲覧し、心理カウンセリングを受ける等の活動を行っていた私は、ある時、カウンセラーから次の指摘を受けた。

「外界と個人精神との間に直接的な関連性が常にあるわけではない。感じる不安や焦燥は、外部環境よりも個人認知思考パターンに起因することが主である。」

この言葉により、私は自身認知思考方法についての再評価必要性を痛感した。

まれ環境にあるからといって、精神が豊かであるとは限らない。

その実現のためには、精神の維持や成熟が不可欠であると考えた。

現在、私は自己受容の促進や、自己否定から自己肯定への転換に努めている。

賜わった環境への感謝気持ちを保ちつつ、その中での自己成熟を追求していく。これが、私の今後の人生主題となるであろう。

anond:20230929005624

方法、というよりあなた決断次第ではないですか。

かに背中を押してもらいたいなら私はあなた背中を押しますよ。

あなたあなた幸せを最優先していい。

まり精神病母親を見捨てていい。

病気の親を捨てるなんて薄情な」って言う人もいるかもしれないけれど、

そういう非難をするひとがなにか力を貸してくれるかといえば何の力にもなってくれませんからね。

もちろん曲がりなりにも育ててくれた恩のある親に対してそんなに非情になれないという気持ちもわかりますよ。

でも病人を狙い撃ちにしてるカルトに取り込まれしまっている時点でどうやったって幸福につながるルートなんかないんですよ。

もう親のことは諦めて距離を置きましょう。

あなた幸福障害しかならない親なら縁を切ってしまいましょう。

2023-09-28

[] 若者が損する理由

誰もが知ってる通り、日本経済人口減少が問題というより、年金を積立方式にしてないのが問題

こういうことを言うと「積立方式に変更すると、積み立てを行っていない世代が損を被る」という話になるが、他のあらゆる経済施策と同じように、パレート改善にならない施策として受け止めるしかないのではないか

人口の多さは経済の実質値とは無関係であり、名目しか増加させない

経済効率性と実質値を考えるなら、人口が多少減っても問題はない

1人あたりの実質GDPという指標は、人口を増やして総名目GDPを増加させるよりもはるか幸福肯定的に関与し、環境にも優しい

anond:20230928211427

あー、「その場の幸福」というのを刹那的生き方かい意味に捉えたのか。

そういうことじゃねえよ。今を生きるというのは大切なことだぞ。

20年後かそこらに得することより、今目の前にいる幼子が楽しく暮らせるようにすることを選ぶのは立派な価値観の一つだろ。

anond:20230928210858

その場の幸福とか意味不明なこと言ってるのに?素直に「いえ何軒も買えるやつが羨ましい」と言っとけよ

拙者、今や世の中の大勢の者がiPhone柴犬を買って、一見、喜びを噛み締めておるように見えるが、これがどれだけの表面的な幸福かを知る者は少ない。この世の中、iPhoneを持つ者、柴犬を添える者は、何も考えず、ただ受動的に物事を消費するだけの人々ばかり。流れに身を任せ、自らの意志で何も選ばぬ者ども。なんとも哀れであることよ。

しかし拙者は違うのじゃ。ポメラ限定された機能の中に、未知なる可能性を見出だしておる。一見地味であるかのように見えて、この小さな機械の中には、大きな創造性が秘められておるのじゃ。文字を綴るだけのシンプル作業が、拙者の心と頭を動かし、新たな世界創造しておる。何もかもが独自のものとなるのじゃよ。

この静謐空間インターネット喧騒から解放され、ただ拙者とポメラだけ。ここでは、自分の心の声に耳を傾け、自己内面に深く踏み込むことができるのじゃ。真の自己と向き合い、心の底に溜まった澱のようなもの存在気づき、そっとその澱を払いのけるのじゃ。

では、拙者から皆の者へ一言iPhone柴犬も捨てよ。そしてポメラを取り、真の自分を見つめ、自らの手で新しい世界を創り上げよう。デュフフ…それが真の創造性を持つ者の道じゃ!

anond:20230927210734

今その瞬間の家族幸福を求めてるんだよ。リセールがどうとか理屈を捏ねて今の幸福犠牲にするようなことはしないという意思決定をしてるわけ。

修繕費とかでヒィヒィ言ってる」のは「不満を真に受けすぎ」というやつだな。いやもう辛いっすわと対外的には言っておくのが日本文化というだけの話。

anond:20230928131135

経済って全人類幸福のためにあるんだけど、勘違いしている連中って自分利益最大化だけ考えてるから

anond:20230928112907

風俗嬢上がりで男に捨てられたとか?分からんけど

幸福人生を歩んだ女性ではない感じがする

iPhone:「私は世界をつなげるツール。あらゆる情報エンターテインメント、すぐに手に入りますよ。」

柴犬:「ワンワン!私は柴犬、みんなに愛される、かわいい存在だワン!」

ポメラ:「でも、あなたたちは真の創造性や内省時間を与えていますか? 現実世界からの逃避ではないですか?」

iPhone:「でも、人々は情報コミュニケーションツール必要です。それは現代の必需品だ。」

柴犬:「ワンワン!そして、人々は癒し必要だワン!」

ポメラ:「しかし、真の創造性は集中と静寂の中で生まれますポメラはそのためのツールです。ユーザー創作世界に没入できます。」

iPhone:「でもポメラ、全ての人が創造的な作業をするわけではない。多くの人は情報コミュニケーションを重視しますよ。」

柴犬:「ワン!そうだワン、みんながみんな創作するわけじゃないワン!」

ポメラ:「それでも、真の満足と成果は創造からまれます情報コミュニケーションは大切ですが、それだけでは人の心は満たされません。」

iPhone:「ハッ、でも人は現実からの逃避も時には必要だ。」

柴犬:「ワンワン!逃避も大切だワン!」

ポメラ:「逃避は一時的解決に過ぎません。ポメラは永続的な充足感と創造的な達成を提供します。」

iPhone:「でも、それはポメラを使う人にしか関係ない話ですよ…」

柴犬:「ワン!そうだワン、ポメラ特定の人々にしか必要ないワン!」

ポメラ:「でも、それぞれの人が真の創造性を見つけ、生活に取り入れる手助けをすることは、皆の幸福に繋がります。」

iPhone:「うーん、その言葉真実を突いているようだ…」

柴犬:「ワン…確かにワン…私も学びたいワン!」

現代において、人々は無意識受動的な消費者となり、自らの欲望価値観を忘れがちである。これは、iPhone柴犬の購入にも現れている。

iPhoneの例は既に触れたが、柴犬の購入も同じ構図を示す。柴犬日本の象徴的な犬種で、その愛らしい容姿に人々は魅了される。しかし、多くの柴犬の飼い主は、本当に自分に合った犬種理解せず、流行に乗って柴犬を選ぶ。これは受動的な消費の典型である

iPhone柴犬の飼い主が、何も考えずに流行に乗る態度は、自分自身の本当の価値欲望を見失う結果となる。それでは、真の幸福や満足感は得られない。

一方、ポメラはその優れた機能性とシンプルさで、使用者積極的創造者へと変貌させる。ポメラ使用者は、自分の考えや価値に従って、意識的選択をする。ポメラは、その人の本当のニーズに応え、個人創造力を引き出す。

柴犬iPhone購入者とは違い、ポメラユーザー自己主体性を保持し、能動的な生き方選択する。これにより、ポメラ使用者自己実現の道をしっかりと歩んでいく。

結論として、iPhone柴犬受動的な消費者象徴であるが、ポメラ主体性創造力を高めるツールであるポメラを選ぶことは、自分生活価値責任を持つことを意味する。

2023-09-27

anond:20230927094236

根拠は?根拠は?って、政治的には0点の質問

数学医学はそれでマル貰えるかもしれんが、論理的思考ができんのやろう。

端的に言うと知能が低いからそんな馬鹿馬鹿しい質問するわけね、周りの人間はお前の質問に答えられないのではなくお前が馬鹿すぎて相手にする価値がないか時間無駄なので話したくないの。理解できる?


まり前例ない政策をできないとなると現行の政策過去ほとんどの政策文句をつけなければならない。新しい政策を試すことができないしな。しかしお前はそれをしない。恣意的にチョイスしたお前の気に食わないものにだけ文句をつけ、お前の知らない政策放置することになる。矛盾してるし馬鹿馬鹿しいしコイツは前提や結果や質問意図自分でも理解していない。質問になってないしお前の言葉の全てに価値がないの。お前の知能が人間じゃなくて猿のレベルからだね

人類政治を何一つ実現できないことになる。

または全人類をとりあえず100〜1000万人単位区分して数世代実験台として犠牲にするしかなくなる。しか社会現象は影響する事象があまりにも多岐に渡る。もしそこに統計を持ち出そうと言うなら、数世代じゃ効かないよね

世代とか膨大な人数を社会実験人類として管理するしかなくなる。

それに文系学問効果的かどうかや根拠があるかどうかを徹底的に重視はしない。数字を求めるのは理系学問仕事であって、文系学問集団が何に基けば幸福を実現できるかとか、効果的な方法模索が人を殺すとかの非人道的方法にならないようにするとか、答えのないものも取り扱う目的学問創造学問からだ。

お前はそもそも政治理解してないし文系科学幼稚園レベルしか理解してない。カスゴミ低脳。これだから池沼ゴミカスなんだよ。他人時間を奪うことを何とも思わない。他人迷惑になることしかしない。論外

2023-09-26

「今が一番幸せ」と言えるほどこの瞬間を満喫していて、嫌なことも避けられている生き方というのは、正に幸福だ。それがたとえ生活保護の中でゲームに熱中することであっても。

自分は「今が幸せ」と断言できる瞬間があるだろうか。過去のある時点であっても、自分はその時の自分を疑っている。自分状態幸福と信じていない。もっと何かあるんではないかさらに良い方向に行けるんではないか、こんな嫌なことがあった、なんとか嫌なことを避けなければと調整ばかりしている。常に何かを探している。

いつかスラムダンクの名シーンのように「俺は……俺は今なんだよ!!」と言える時が来ると思っていたが、その時は来ない。

から自分は、嫉妬しているんだ。どんなかたちであれ、今が一番幸せと断言できることに。

(ほとんど)すべてについて間違っている――デヴィッド・グレーバー&デヴィッド・ウェングロー著『万物黎明書評

万物黎明』の中心的なアイデアは挑戦的だ。人間とは政治的冒険的で実験的なものであり、自由平等呪縛の後に、変化を起こすために抑圧を選ぶ傾向があると言われるほどである歴史は、ある極端なものと次の極端なものの間を揺れ動く、リズミカルな形をとっている。しかし近年、私たちは皆、ひとつ体制から抜け出せなくなっており、その理由理解しようと努めなければならない。

これらすべては新しく新鮮ではあるが、信用できるものではない。私は、私たち人間性を規定する政治的本能社会的感情は、平等主義という条件の下で形成されたという人類学的な標準的見解の方を好む。今日に至るまで、私たちは皆、対等な仲間の中で笑ったり、遊んだり、社交したりできるときに最もリラックスし、幸福を感じる。しかし、グレーバーとウェングロー(以下、G&W)は、このような私たちに馴染み深い経験を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先平等主義者であったという考え方全体に反対している。彼らの見解では、彼らは抑圧されることを選択した可能性が高い。

彼らの言葉を借りれば、「われわれの人間性の本質が、われわれが自意識的な政治的行為者であり、したがって幅広い社会的取り決めを受け入れることができるという事実から成り立っているとすれば、人類歴史の大部分にわたって、実際に幅広い社会的取り決めを探求してきたはずだということにならないだろうか」。これらの可能性の中には、著者たちが容易に認めているように(86-7頁)、チンパンジーのような虐待的な支配階層も含まれている。G&Wは、もし我々の祖先がそれほど冒険好きであったなら、きっと平等主義だけでなく、攻撃的でいじめっ子のオスによる嫌がらせ虐待支配実験しただろうと主張しているようだ。

G&Wは、私たち革命過程社会的道徳的人間になったという考えに対する一貫した攻撃の中で、これらの点を指摘している。私はずっと、人間言語意識親族関係道徳は漸進的な進化過程進化し、それが巨大な社会的政治的革命で頂点に達したという考えを探求してきた。私の動機は常に、人間本来利己的で競争的だから社会主義不可能であり、「革命でさえ人間の本性を変えることはできない」という一般的偏見に挑戦することであった。

はいつもこう答えていた。そう、私たち類人猿一種である。そう、私たち霊長類のいとこたちのように、競争的で利己的、攻撃的でしばしば暴力的本能を持っている。しかし、それが私たち成功の原因ではない。優秀な母親父親になる能力自分の子供だけでなく互いの子供を思いやる能力道徳的ルール確立する能力他人自分を見ているように自分も見ている能力音楽ダンス言語を使って夢を共有する能力など、私たちの本性にまつわる人間的な特徴すべてが、まさに歴史上最も偉大な革命産物であり、成功した革命なのだ

クリストファーボーム人間革命

この「人間革命」の複雑さを詳述した私自身の著書(Knight 1991)が出版されてからほぼ10年後、人類学者のクリストファーボーム(Christopher Boehm)は、その洞察にもかかわらず、最も重要な要素であるセックスジェンダー力学についての言及を一切省くことで、政治的観点から安全策を講じた理論バージョンを発表した(1999)。G&Wが人間革命理論の信用を失墜させるために明示的に言及するのに十分安全だと考えているのは、この抽象的でユニセックスバージョンなのである

ボームは、私たちの最も古い祖先は、一方的な協力者でも一方的競争者でもなかったと指摘する。それどころか、他者支配する一方で、支配されることに抵抗するために同盟を結ぶという心理的傾向があった。このような下から集団的抵抗は、最終的には、リーダーになろうとする者が集団支配するのを阻止するために、全員が一丸となることで頂点に達した。私たち祖先チンパンジー的な支配は、今や逆転し、「逆支配」、つまり平等主義的な倫理観コミットした道徳意識の高い共同体による支配へと結実したのである

G&Wは、人類は「......何をすべきか指示されることを自意識的に嫌うようになった」(p.133)という考えに賛同している。この文脈では、現存する狩猟採集民が「嘲笑羞恥、遠ざけ......他の霊長類類似するものはない」(p.86)、「自惚れ屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために集団採用される戦術の数々」を示していることに同意している。彼らがまったく関心を示さないのは、そうした戦術進化過程人間の本性を形成する上で重要役割を果たしたという考えである

ボーム説明に対する反論をまとめると、狩猟採集民が一貫して平等主義を好んでいたという示唆は、「何万年もの間、何も起こらなかった」という「奇妙な主張」であるという。狩猟採集民の祖先が一貫して平等主義的であったとすれば、彼らの政治的生活は何らかの形で凍結され、時間が止まってしまったに違いない。G&Wは次の言葉で締めくくっている:約12,000年前以前、人類基本的平等主義者であったとボームは主張する。ボームによれば、約20万年間、[これらの]政治的動物はみな、ただ一つの生き方を選んだのである」。(p. 87)

唯一の問題は、これはボームが書いたことではないということだ。彼の実際の言葉引用に値する:

ひとたびどこかのバンド平等主義的な秩序を発明すれば、この社会的なやり方の根本的な変化は近隣のバンドにも目につくようになる。特に、非常に攻撃的ないじめっ子を擁するバンドでは、部下が支配されることに対して両義的であれば、どこでもその利点は明らかだっただろう......。魅力的な平等主義の伝統が、地元では専制的な伝統に取って代わり、徐々に文化的拡散が起こると予想される。やがて、より長い距離を移動する移動パターンによって、この政治的発明がかなり急速に大陸から大陸へと広まっていったと考えられる。(Boehm 1999: 195)

これが成功した革命のやり方だ。ボームの主張は単純に、1万2千年前まで『人類基本的平等主義者だった』というものではない。そうではなく、初期の人類はさまざまな政治システムを発展させながら、平等主義というひとつ特に成功したモデルに徐々に収斂していったというのである

万物ティータイム

かなり不当なことに、『万物黎明』は現代進化論を社会進化論混同している。社会進化論とは、「未開」から「野蛮」を経て「文明」へと進歩する段階のはしごを描いた19世紀物語であるダーウィニズム科学である私たちは語り聞かされるが、実際は純粋神話である。G&Wはそのように空想的に、進化論を全く認めない人類起源に関する視点を、読者が真剣検討することを期待している。

この著者たちが認める唯一の科学は「考古学科学」であり、その考古学がさほど遡らない場合のみである。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と、時折出てくる火打石のかけら」(p.81)からは何も読み取れないという理由で、「万物黎明」をわずか3万年前とすることを正当化している。

このような言い訳は、私たちの種の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、以前考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという最近証拠に照らすと、もはや通用しない。この証拠は、骨や石に限らず、ビーズ幾何学的な彫刻、墓用品を伴う埋葬、砥石や絵の具壺などの工芸品で構成されている。G&Wは、これらの発見のうちの1つか2つに気づいてはいるが(83-4頁)、ほとんど関心を示していない。最先端ダーウィン理論を黄土の記録に適用すれば、社会力学儀式の実行パターン性別による同盟関係についての予測を生み出す可能性が非常に現実的になるにもかかわらず、である。(Power 2019; Power et al.

残念ながら、これらの著者たちは、どのような形であれ、ダーウィニズムには近づこうとしない。彼らは、彼らが「フェミニスト」と呼ぶ人物(実際には霊長類とヒトの社会生物学の創始者として高く評価されているサラ・ハーディ)が、人間本能心理形成における集団的育児重要役割について「物語」を考え出したことを認めている。「神話は悪いものではない」とコメントしながら、彼らはこの特別神話を「重要もの」と表現している。そして、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、このような洞察部分的ものしかなりえない」(p.82)と口にして、すぐさまこの神話疑念を投げかける。この種のトリック--この場合は、ハーディ画期的研究が、私たち共通ミトコンドリアDNA祖先年代測定より200万年ほど前のホモ属の出現に焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

石器時代新石器時代考古学に興味のある読者なら、本書には興味をそそられる推測がたくさん書かれているだろう。しかし、私たちがどのようにして人間になったのか、つまり、異常に明瞭な目、並外れて大きな脳、独特の社会的感情、笑い、音楽言語に対する生得能力などがどのようにして発達したのかに興味がある人には、まったく何も見つからないだろう!

タイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『万物ティータイム』の方が正確だろう。物語は、氷河期フランススペインに描かれた壮大な洞窟壁画で知られるヨーロッパの後期旧石器時代から始まる。著者によれば、その段階でようやく考古学面白くなってくる。初めて、社会の複雑さ、階層、豪華な埋葬などの証拠が見え始めるのだ。

さな狩猟採集民のバンド

G&Wにとって、狩猟採集民の祖先アフリカもっと早くから平等主義的なライフスタイル確立していたという事実は、さしたる関心事ではない。彼らは、タンザニアのハザ族のような現存する狩猟採集民が資源を共有していることは認めるが、それを賞賛する代わりに、蓄積への抵抗が「社会的複雑性」の出現を妨げていると不満を述べている。著者たちは社会階級という概念を嫌っているようだ。

まり狩猟採集民は富の蓄積に抵抗することで、複雑性を妨害する、つまり階級社会の発生を阻止するのである。G&Wはここで狩猟採集民の専門家であるジェームズ・ウッドバーンの権威を持ち出している。彼らは彼の研究から、「真に平等主義的な社会を維持する唯一の方法は、あらゆる種類の余剰を蓄積する可能性をまったく排除することである」(p.128)と結論づけている。このことは、社会の複雑さを排除し、人間文化的知的生活の豊かさを排除することになると彼らは主張する。

ウッドバーン(1982、2005)は確かに、蓄積に対する意図的抵抗狩猟採集民の平等主義を支えており、意識的になされた政治的選択を表していると主張している。彼は、このような平等主義は非蓄積型狩猟採集民だけの特徴であると観察し、「即時回帰」こそが人類経済の原型である結論づけた。しかしウッドバーンは、そのような平等主義に複雑性が欠けているとは主張しなかった。実際、彼は「単純な」社会形態と「複雑な」社会形態との二項対立有害で誤解を招くものとみなしていた。ウッドバーンにとって、平等主義を維持することはこの上なく洗練された達成であり、単に不平等が生じるのを許容するよりもはるかに高いレベル政治的知性と複雑性が要求されたのである。ハザ族には、必要以上の富を蓄積させることがいか危険かを理解する知性があると彼は説明した。

富の不平等は許されない

しかしG&Wによれば、富の不平等問題ではない。彼らの立場を支持するために、彼らは17世紀ヨーロッパの「文明」を批判したファーストアメリカンカンディアロンクを引き合いに出している。やや説得力に欠けるが、彼らは、カンディアロンクと彼の最初アメリカ人共同思想家たちは、「富の差が権力の体系的不平等に変換されうることを想像することさえ困難であった」(p.130)と断言している。

G&Wは、即時回帰型の狩猟採集民が富の不平等が生じるのを拒んだことを認めている。しかし驚くべきことに、彼らはこの状況全体を期待外れとみなしている:

こう言うと、何か希望に満ちた楽観的な話に聞こえるかもしれない。実はそうではない。この言葉示唆するのは、やはり、最も単純な採集者以外には、その名に値する平等本質的に不可能だということだ。それでは、私たちにはどんな未来が待っているのだろうか?

どんな未来アフリカ狩猟採集からインスピレーションを得ている活動家たちは、現代都市生活者を、不運なハッザ族のように、小さな遊牧民集団の中で繰り返される単純な生活に「はまり込む」よう招いている、と彼らは示唆する。

はっきり言っておくが、私は原始主義者ではない。私は技術的、社会的政治的発展に賛成である。ハザ族は、必要に応じて富を共有し、笑い、歌い、遊びの中で「時間を浪費」し、誰かに支配されることに抵抗し、他のすべての心配事よりも互いの子供の世話を優先することが、充実した楽しいことであることを示している。開発に関して言えば、この政治的に洗練された弓矢ハンターたちは、私たちに多くのことを教えてくれるだろう。

(続く……)

万物黎明』は人類歴史を誤解している

はじめに

急進的な著者の本が主流紙で書評されることは、ましてや好意的評価されることは滅多にない。デヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングローによる『万物黎明』は例外であるわずか2ヶ月前に出版されたこの本は、すでに世界で最も影響力のある英字新聞雑誌の多くから賞賛を受けている。

著者のアナーキズムの主張に疑問を呈する書評家でさえ、「3万年にわたる変化に関する岩盤の前提を覆す見事な新説」(アトランティック誌)、「多くの大陸と数千年にわたる文明に関するめくるめく物語の数々、そのすべてが自由であることの意味に取り組んでいる」(ワシントン・ポスト紙)と称賛している。また、ソーシャルメディア上の左翼的投稿者たちからも、好意的コメント-場合によっては絶賛!-が寄せられている。

しかし、以下に掲載する2つの書評は、いずれも唯物論人類学者によるもので、この本の人類史に関する記述は、大量の反対証拠無視しており、その政治的主張観念論的で自発主義であると論じている。どちらの書評特に女性抑圧の原因を考察していないことに批判である

クリスナイトはユニヴァーシティカレッジロンドン人類学上級研究員で、アフリカにおける人類起源研究するチームの一員である。著書に『Blood Relations(血のつながり)』など:Menstruation and the Origins of Culture』、『Decoding Chomsky: Science and Revolutionary Politics』などがある。The Dawn of Everything』の書評はTimes Higher Education掲載された。

ナンシーリンディスファーンジョナサンニールはともに人類学者として訓練を受け、人類進化階級社会性的暴力についての本を執筆中。ナンシーの近著は、リチャード・タッパーとの共著で『Afghan Village Voices』(アフガニスタンの村の声):Stories from a Tribal Community, 2020』であるジョナサンの近著は『Fight the Fire: Green New Deals and Global Climate Jobs』。The Dawn of Everything』の書評エコロジスト誌とブログ『Anne Bonny Pirate』に掲載された。

どちらの書評も著者のご好意により再掲載されている。

根本的に支離滅裂で間違っている byクリスナイト

本書は楽しく、有益で、時には爽快である。また、根本的なところで支離滅裂で間違っている。ヨーロッパ洞窟壁画が現れ始めた頃からの、比較最近先史時代について学びたいのであれば、必読の書であるしかし、人類最初に笑い、歌い、話し、芸術儀式政治創造し始めたのはなぜなのか、どうしてなのかを知りたければ、きっと失望するだろう。

この本のタイトルは深刻な誤解を招く。『万物黎明』? 『お茶時間』の方が正確だろう。ホモ・サピエンスヨーロッパに到着する何万年も前にアフリカで始まった文化の開花を体系的に横取りし、この物語はあまりにも遅く始まる。

欠点はあるが、この本は広報勝利であるフリードリヒ・エンゲルスが『家族私有財産国家起源』を出版して以来、左翼知識人活動家人類社会的起源先史時代過去について学ぶことにこれほど興奮したことはない。

短い書評では、本書の幅の広さと博識を伝えることはできない。その核となる政治メッセージ露骨だ。平等主義狩猟採集民が生活の中で共産主義実践したというエンゲルスの話は神話である。『万物黎明』はエンゲルスを見事にひっくり返している。第4章の結びの言葉引用すれば、「私有財産に "起源 "があるとすれば、それは聖なるものの考え方と同じくらい古いものであり、おそらく人類のものと同じくらい古いものであろう」。デヴィッド・グレーバーは、マーシャル・サーリンズとの共著『王について』の中で、神の王や森の精霊のような想像上の超自然的な存在が常に人々に対して権威行使してきたこから国家権力の原理人間の条件の不動の特徴であると主張している。

よりによってアナーキスト国家必然性を受け入れるのは逆説的に思えるかもしれない。しかし、本書はそのメッセージに重みを与えている。そう、著者は言う。アナーキスト的な自由は実現可能だが、それは貴重な瞬間や飛び地に限られると。もうひとつ世界可能である」という革命スローガンはもうたくさんだ。その代わりに、グレイバーとデイヴィッド・ウェングローは、「階層平等は、互いに補完し合うものとして、共に出現する傾向がある」と主張している。ある場所自由を手に入れるには、別の場所での抑圧を受け入れるしかない、と彼らは言っているようだ。

著者たちはダーウィン自然淘汰理論違和感を抱いており、現代進化論を「社会進化論」と混同している。現代進化論は科学であると主張するが、実際は純粋神話であるグレイバーとウェングローは、進化論をまったく認めない人類起源についての視点を、読者が真剣検討することを期待しているのだ。

彼らが認める唯一の科学応用科学であり、この場合は「考古学科学である。彼らは、政治社会生活については、古代人類の「頭蓋の遺骨と時折出てくる火打石のかけら」からは何も読み取れないと主張することで、「万物黎明」の年代わずか4万年前とすることを正当化している。この言い訳は、人類の最もユニークな特徴である芸術象徴文化が、これまで考えられていたよりも3、4倍早くアフリカで生まれたという、説得力のある最近証拠に照らすと、弱々しく見える。その証拠とは、骨や石だけでなく、ビーズ幾何学的な彫刻、埋葬品、砥石や絵の具壺などの工芸である

彼らが "フェミニスト "と呼ぶ人物(実際には進化人類学第一人者サラ・ハーディ)が、現代人の本能心理形成する上で集団的育児重要役割を果たしたことについて興味深いことを言っていることは、グレーバーとウェングローも認めている。しかし彼らは、「エデンの園存在せず、一人のイヴ存在しなかったのだから、そのような洞察部分的ものしかなりえない」とコメントしている。この種のトリック--この場合は、ハーディ研究が "アフリカイブ "の年代測定より200万年前にホモ属が出現したことに焦点を当てているという事実無視すること--は、明らかに人類起源研究が追求する価値があるという考えそのものを損なわせることを目的としている。

グレーバーとウェングローは、初期の平等主義を "有害神話 "として否定する一方で、狩猟採集民の多くが "自称自慢屋やいじめっ子を地上に引きずりおろすために、嘲笑羞恥心敬遠など、他の霊長類には見られない戦術を総動員している "ことには同意している。ではなぜ彼らは、私たち人間性規定する本能能力平等主義的な生き方によって形成されたという考えに敵対するのだろうか?

私たちは皆、社会的政治的に対等な人々と笑い、歌い、遊び、交わることができるとき、最も幸福を感じる。しかし、グレイバーとウェングローは、この事実を土台にする代わりに、狩猟採集民の祖先も同様に、攻撃的な男性による嫌がらせ虐待支配を選んだかもしれないと言っているようだ。進化人類学クリストファー・ボームが描く、反権威主義抵抗の中で形成された道徳意識の高い社会に対する反論をまとめると、狩猟採集民の祖先は一貫して平等主義を好んでいたという彼の考えを、彼らは「初期の人類さりげなくエデンの園に投げ返している」と表現している。

グレーバーとウェングローの基本的論点は、政治選択の自由に関するものである。彼らの考えを説明するために、人類学古典であるエスキモー伝統的な生活説明を思い起こさせる。アザラシを狩る彼らは、夏の間は家父長制的な家族構成確立し、冬の間は共同生活(夫と妻を含むすべてを共有する)に戻るだけである私たち人類は、その本性上、大胆な社会実験に駆り立てられるのだと著者は結論づける。その結果、奴隷制度や人身御供、大量殺戮といった極端なヒエラルキー形成され、破滅的な結果を招くこともある。しかし、遠い過去の良い点は、少なくとも現代のようにひとつシステムに縛られることはなかったということだ。

この歴史対立と交替に満ちているが、その周期性はエスキモーの周期性に倣ったもので、一方的な季節性であるグレイバーとウェングローは、ほとんどの狩猟採集民が季節だけでなく月の周期にも従っていることを知らないのだろうか。月経の満ち欠けと結びついた女性儀式は、基本的に月によって予定されている。

著者たちが問いかける重要な問いは、"なぜ不平等になったのか?"ではなく、"なぜ行き詰まったのか?"である。彼らは自らの問いに答えられるところまで来ているだけに、そこにたどり着けないことに深い苛立ちを覚える。自らに課したハンディキャップひとつは、女性人類学者による狩猟採集民の研究を見落としがちなことだ。例えば、適切な参照もなしに、彼らはモーナ・フィネガンの共産主義概念に触れている。彼女は、コンゴ熱帯雨林に住む女性たちが、男性たちが筋肉質な勇気と優位性を発揮する可能性を示すよう意図的に促していることを記録している--男女間の「力の振り子」で優雅降伏する前に、「ンゴク」と呼ばれる女性だけの儀式男性たちをあざ笑い、反抗するのだ。しかし、グレイバーとウェングローは、この政治的知性の表現を認める代わりに、ここでの成果やパターンを見出すことなく、それに言及している。

なぜ私たちは行き詰まったのか?正しい答えは、人類が農耕に依存するようになり、太陽暦が月暦の儀式よりも執拗に優先されるようになったからだ。私が最もよく知る先住民タンザニアのハザ族の弓矢猟師たちは、今でも彼らの最も重要宗教儀式であるエペメを、新月前後の最も暗い夜に毎月行っている。

太陽と月の中間的な存在であり、世界中でたどり着いた無数の妥協案のひとつが、中世ヨーロッパで毎年行われていたカーニバル伝統である庶民が今でも大切にしている伝統は、家父長制の秩序を逆転させるこのライセンスだった。

残念なことに、この「新しい人類史」は、その始まりがあまりにも遅く、アフリカ物語から切り離されているため、女性の抑圧とマンネリ化した現在の苦境との因果関係説明することができない。

すべての条件が同じだとすると byナンシーリンディスファーンジョナサンニール

グレーバーとウェングローの新著は、エネルギッシュで、献身的で、万華鏡のようだが、欠点もある。これは私たち問題を提起している。

デヴィッド・グレーバーわずか1年前に若くして亡くなった。彼の代表である『Debt』は、部分的には思わせぶりかもしれないが、その野心は当時としては刺激的だった。活動家として、またオキュパイ運動社会正義運動リーダーとしてのデイヴィッド・グレーバー活動は異例であり、模範的であった。LSE人類学部門の同僚たちからの彼への尊敬愛情は、そのことを物語っている。そして、彼の心は常に虐げられた人々とともにあった。

しかし、グレバーが善人であり、つい最近この世を去ったばかりであったからこそ、多くの人々にとって『万物黎明』が、今後長い間、不平等起源に関する理解の枠組みとなってしま危険性がある。

本書の裏表紙には、レベッカ・ソルニットパンカジ・ミシュラ、ノーム・チョムスキーロビン・D・G・ケリーといった、著名で立派な思想家たちから賞賛言葉掲載されている。ケリーはその代表的な例として、「グレーバーとウェングローは、私がこれまで世界歴史について考えてきたことを、事実上すべて覆した。この30年間で読んだ本の中で最も深遠でエキサイティングな本だ」。

この本は最近マスコミでかなり注目されているが、このような賞賛一般的見方になったら残念である

人類進化歴史における不平等起源という問題は、私たちがどのように世界を変えようとするかという点で、非常に重要であるしかし、グレイバーとウェングローは平等階級に目を向けることなく変化を求め、環境生態系説明を敵視している。これらの欠点保守的意味合いを持つ。

では、ここから。これは膨大な本の、乱暴部分的書評である私たちは、グレバー知的議論の切り口を愛し、得意としていたという知識自分自身を慰める。

ジレンマ

この本の最後段落、525-526ページで、グレーバーとウェングローは自分たち立場を明確に示している。彼らはこう書いている、

例えば、他のあらゆる点で厳密な研究が、人間社会には何らかの「原型」があり、その性質基本的に善か悪かであり、不平等政治意識存在する以前の時代があり、このすべてを変えるために何かが起こり、「文明」と「複雑さ」は常に人間自由と引き換えにもたらされ、参加型民主主義は小集団では自然であるが、都市国家のようなものまでスケールアップする可能性はない、という未検証仮定から始まる場合

私たちは今、神話を目の前にしている」

まり神話を打ち砕く者たちは、人間社会の原型は存在しないこと、不平等政治意識が生まれる前の時代存在しないこと、事態を変えるようなことは何も起こらなかったこと、文明や複雑さが人間自由制限することはないこと、参加型民主主義都市国家の一部として実践可能であることなど、正反対のことを言っているのだ。

このような断定的な声明は、非常に大胆に述べられ、新しい人類史を書いたという彼らの主張を魅力的なものにしている。しかし、2つのつまずきがある。

第一に、彼らの主張そのものが、彼ら自身政治プロジェクト対立している。第二に、証拠が彼らが言おうとしていることにそぐわない。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143527

anond:20230926130706

庶民子供幸福うんぬん言って無駄計画立てたりしてないからな

日本人アフリカ人を見習ってもう少し頭悪くなった方が良い

子供幸福のためには限られた資質の持ち主だけが生殖すべき」って言うなら

別にそれでいいから都合のいい時だけ出生率の低さを持ち出して政府批判とかすんの死ぬほどダサいからやめろ

どっちかにしろ

言ってるのが別人なら、まずお前ら同士殴り合って、望ましい社会のあり方を決めてくれ

50万筆の署名

インボイス反対で50万筆の署名が集まりました!ってあったけど、そもそも50万の署名って言われても多いのか少ないのかよくわからないので、

2022参院選比例代表得票数比較してみた。

自民 18,256,245

維新 7,845,995

立民 6,771,945

公明 6,181,431

共産 3,618,342

国民 3,159,625

れいわ 2,319,156

参政 1,768,385

社民 1,258,501

N党 1,253,872

ごぼう 193,724

幸福 148,020

第一 109,045

くに 77,861

新風 65,107

https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/sangiin/00/hsm12.html

同じワンイシューであるN党の半分の数って考えると、何とも言えん数かなと思いました。

結局インボイスに賛成する奴って他人が困るのを見て喜びたいだけだろ?

何の得もないのに

まともに幸福を追求する人生を送れない人間がこんなにいるこの国終わってるよ

2023-09-25

anond:20230925221734

あと日本は新品販売価格が拘束されてて、新品値引き本(流通経路が異なるバーゲンブック)はだいたい大したことない。暇を埋めるにはいいなってくらいの料理本とかそんなもん

まあ幸福なことに本屋に本がたくさんあるから

anond:20230924192220

ワイは胡椒大好きマンからうそりゃドバドバ入れるで

瓶の半分も入れることはあまりないけど、過去に数回はやったと思う(GABANの缶なので1/10くらい)

はあ~これが古の王侯貴族が求めてやまなかったという胡椒か~王侯貴族すらできなかった贅沢だぜ~

幸福な気分になれる

2023-09-24

anond:20230924001845

この文章から増田について推定できること

 

低い自己肯定感

低い社会

完璧主義

スペックルックスIQ至上主義

本人は低スペ

 

この増田父親なしで1人で子育てをした時(一緒にいれる時間が少なく高負荷)

の子供が幸福に育つ可能性について論じなさい

2023-09-22

anond:20230922184632

ヤンキーが気まぐれで捨て猫を助けるとめちゃくちゃ褒められる奴だろ

幸福の水準は限界まで下げておいた方が主観的幸せに生きられるよね

anond:20230922142746

結婚するまでは俺もまったく同じ事思ってたよ

でも、半分くらいは強がりというか、諦めだったな、って今は思う。

結婚する事で、風俗は行けなくなったし、自由に使える金も減ったし、好きなもん毎日食う事もできなくなった。

簡単に言えば独身でいる事による自由の大半はなくなったよ。

で、何を得たかというと色々あるんだけど、第一はやっぱり幸福感を得られる事だな。

俺の事を結婚してもいいくらい好きで信頼してくれる人がいるってのは、かなし幸せを感じる。

もちろん「面倒くせーなー」って事も毎日あるけど、それ以上に幸せなんだよね。

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