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2018-02-20

数年ぶりに同人世界に戻ってきたら気味の悪いことになっていた話

私は二十数年ほど前に腐の道に足を踏み入れたオタクである

書店あくま一般的大手書店)で好きな漫画の絵が表紙に描かれている「公式アンソロジー」とやらを見かけ

わず手に取り、同人誌というもの存在を知らされてしまった世代といえば、心当たりのある方もいるかもしれない。


当初は晴海に足を運び、会場が変わってからビッグサイトに足を運び、ナントカ会館等で開催される小規模なオンリー

コピー本を携えてサークル参加デビューを果たし、当時は割と楽しく活動していたと記憶している。


その後、活動していたジャンルの衰退、進路云々という人生選択等も重なり、自身創作してイベントに参加することが

自然となくなった。友人スペースの手伝い程度。それも楽しかった。


当時はTwitterpixivもなかった。



ここまでお読み頂いて「もしやこれは中年の懐古を元にした愚痴なのではないか」と思われた方。

恐らくそうなので、何か違うと思ったら閉じて頂いて構いません。




とあるジャンル同人世界に戻ってきたら面倒なことになっていた


2010年代に入り、個人的には転職をして少々生活が落ち着いた頃、とあるジャンル創作活動をしてみたくなった。

そこで遭遇したのが下記の面倒事だった。


慣れ合い、擦り寄り慣習


情報発信手段としてTwitterが主流になりつつあったので自分登録して同ジャンルの人々をフォローしたのだが、

あちこちでムダな慣れ合いや擦り寄りが日常的に発生していた。


創作者同士による「え〜〜◯◯さんの方が上手ですよぉ〜〜」的社交辞令

 こういうことを言い合う人たちはだいたい心の中では自分の方が上だと思っている

・壁や誕席に配置される創作者(一部商業作家を含む)へのあからさまな擦り寄り

 その時のジャンルには商業BLへの進出を狙う野心家も多かったため、奴らは必死だった

・良配置を得た創作者の「はわわわ〜〜私なんかがこんな配置を〜〜!!何かの間違いです〜〜!!!

 当日は私は無視してください〜〜〜!!!」という心にもないムダ謙遜

 本当に無視したら今度はすねて「どうせ私なんか…やっぱり実力もないのに…」って構ってネガするくせに

・付き合い上、特に欲しくない本を買わなければいけない雰囲気

 正直な話、あなたツイート面白くてフォローしているけれどあなた創作物が欲しいわけではない、という相手もいる


こういうことを書くとだいたい「じゃあ付き合いをやめればいい」という意見が出るのだが、一度繋がってしまったもの

それこそジャンルごと変えるでもしない限り安易に切りにくい、という事情もある。もちろん私自身の性格起因もある。

そこはどうしても平行線議論になるので、いろいろな意見もあるよね、に留めておきたい。

どちらかが正しいということではないと思うので。


ありがたいことに何年か活動を続けているうちに、個人的な繋がりのないところから私の創作物を気に入ってくれる人が出てきたり

BLであったにも関わらず男性の読者さんがついてくれたりして、それなりのやりがいも感じられていたのだが

あるイベントの終了後、急激に「なんか疲れたな…」という気分に襲われ、フェードアウトする形でそのジャンルでの活動をやめた。



どうでもいい話だが、そのジャンルには大学在学中にデキ婚出産した当時20代前半の専業主婦創作者がおり、

かにつけて「大学では◯◯を専攻していて〜就活も本当は△△(大手)を目指してて〜〜」などの「私はバカじゃない」主張や

そうかと思えば「あたしおかあさんだから」的ツイートで既婚子持ちマウントを取ろうとしてくるので、非常にうざかった。

彼女には嫌いな創作者がいて、何かにつけてはその相手ディスり「だから◯ちゃんで叩かれるんだよ…」などとツイートしていたが

彼女自身もまた◯ちゃんで叩かれていた。二人とも今頃どうしているだろうか。もう30代のはず。正直どうでもいい。



■別のジャンルで数年ぶりに同人世界に戻ってきたら気味の悪いことになっていた


さて、それから数年、本当に何の創作にも関わらずにただの漫画アニメオタクをしていた私に、また新たに興味を持てるジャンルが現れた。


久しぶりに「沼に落ちた」という表現が出来るほどのジャンル出会った私はそのジャンル専用のTwitterアカウントを作り、

同じジャンル好きな人達と繋がり、たまに自分で描いた絵をツイートに貼り付けては一般人にふさわしい数のRTいいねを頂いて

楽しくやっていたのだが、ここでもまた面倒なものが目に入るようになってきてしまった。


慣れ合い、擦り寄り慣習

以前いたジャンルよりもさらにひどい(※個人の感想ですものだった。


私がそのジャンルに落ちた時、既にそのジャンルが盛り上がり始めてから一年以上が経過していた。

その間に何が起きていたかを察するに、


1.元作品の発表当初から二次創作をしていた人が「偉い」という風潮

2.「偉い」人の創作しているCPで新たに創作をしたければそいつに気に入られなければやっていけないという空気

3.そもそもその「偉い」人の創作物を皆が好きで当たり前という空気


下記に簡単解説するとこうなる。


1.元作品の発表当初から二次創作をしていた人が「偉い」という風潮


私もジャンルに足を踏み入れた者としてはド新参なのだが、創作者を中心にあちこち古参に「私など新参ですから」と

謙遜して回らなければいけない雰囲気蔓延していて、辟易するのに時間はかからなかった。

全体的なジャンル雰囲気としては「ご新規様歓迎!あなたもこの作品を見てください!」という呼び込みも多いのだが、

創作者に目を向けるととにかく新参が頭を垂れている様を目撃する。

そのジャンルには商業作家はあまりいないのだが、「偉い」人は「先生」などと呼ばれて崇め奉られているのだ。


気味が悪い。


2.「偉い」人の創作しているCPで新たに創作をしたければそいつに気に入られなければやっていけないという空気


ジャンル内で「偉い」とされている創作者の中でも、一番の人気CP活動している一番「偉い」とされる創作者が存在していた。

一番の人気CPなので、後からハマって創作を始める人の中にもそのCP活動したい人が多い。

彼女らが何をしているかというと、


・その「偉い」人をまずフォローし、

・「以前から拝見していました!ファンです!!」という挨拶で忠誠を示し、

・「偉い」人が何かツイートする度にRTして空リプで崇め奉る


という、もはや偉い人の宣伝媒体となることによってそのCPでの活動領域を得るということだった。


気味が悪い。


3.そもそもその「偉い」人の創作物を皆が好きで当たり前という空気


1および2から、「偉い」彼女創作物は「読みたいから読むもの」というよりも「礼儀として購入し、読んだら褒めちぎるもの」という

何だかよく分からないものと化していた。


気味が悪い。


私自身、ハマったCPは前述の一番人気CPだった。

だが、「偉い」人の創作物は正直あまり好きではない。もっと言うと、その「偉い」人自身が好きではない。

知り合いなの?と聞かれれば、いいえ違いますということになる。

知り合いでもないのに嫌いなの?と聞かれれば、「あなたにもいませんか?知り合いでもないけど好きではないなと思うタレントとか」と

いうことになるが、とにかくその「偉い」人の発言の端々に自分とは合わないものを感じてしまい、受け付けないのだ。


ただ、推しCP推しCPである以上、どうしてもTLにRTいいねさらには空リプまで含めて彼女を崇め奉る空気蔓延する。

そこで私は彼女アカウントIDペンネーム、「先生」という単語まで含めて、彼女の影がTLに現れないように徹底的にミュートした。

それでもイベントが近づけば彼女新刊に関連すると思しき新たな単語がTLに発現するので、それをミュートする…ということを

繰り返している。もちろんはじめからフォローもしていない。信者からすれば、私は不心得者だろう。



これもどうでもいい話だが、ここまで崇め奉られる◯◯先生とやらはどんな人なんだと思ってググってみたところ、

見事に◯ちゃんで叩かれていた。なんだ、皆が皆崇めているわけではないのだなと思うと同時に、表向きは信者に見えるあの人やあの人も

心の底ではどう思っているかからないのかもしれないな、と思い、そっとブラウザを閉じた。



そんなこともあり、私は現在身をおいているジャンルではある意味中途半端創作を続けている。

たまに描いた絵をツイートに貼り付けてみたり、ある程度まとまったらpixivに載せてみたり、それで満足だ。

心優しい人からイベントに出てほしい、本を読みたいと声をかけて頂けることもあるが、上記の気味の悪い風習がなくなるか、

偉い先生とやらが去るまでは御免被りたい。

先生とやらは自己顕示欲自己評価承認欲求の塊のようなお方とお見受けするので、ジャンルが盛り上がっていて

適当キャラクターセックスさせて崇め奉ってもらえるうちは去ることはないだろう。


昨今、同人誌価格設定創作活動における人間関係に疲れる等の記事拡散されているのをよく目にする。

私はそうした疲れを感じたくはないので、今のままでいようと思っている。

2018-02-18

2010年代日本ファスト風土問題

2010年代以降の日本において、IT携帯端末が整備されて社会情報化し、日常生活携帯電話パーソナルコンピューターユビキタス機器ロボットAIといったハイテク機器が立ち並んだことによって日本社会は壊滅的な打撃を受け(例えば団塊ジュニアファミコン世代プレッシャー世代ゆとり世代趣味の違いぶり)、このような変化(ファスト風土化)は以下のような悪影響を及ぼしているという。

2018-02-13

トラバ消すんじゃねーよ!

リーがそれなりに深くなったタイミングで、一行レスみたいな書き方でしょーもない茶々入れやがって。

こっちが真面目に答えて、しばらくしてからそのトラバを見に行くと消えてる。

そんでツリーにはそいつのふざけたトラバけが表示されるとか、どう考えても愉快犯だよな?

ID導入前の、2ちゃん煽りみたいなクソレスを、2010年代末にもなって見かけるとか笑えねーわ。

2018-02-05

性の解放フリーセックスの4つの時代と、それに対する現在バックラッシュ

性の解放フリーセックスの4つのフィールド

 

1950年代以前の夜這い筆おろしなどお祭り的な田舎因習

ヒッピー的な快楽に溺れる1970年代フリーセックス文化

1980年代童貞捨てなきゃ男じゃない的なセックスの低年齢化に伴う不良によるレイプ痴漢文化

1990年代後半から始まるネットによる出会い系、援交文化

 

そして2010年代、それらフリーセックス文化因習をまとめて悪しきものとするバックラッシュが起こっており、それを利用しての純血カルトフェミニズムの融合した保守的右傾化世界的に行われている。

2018-02-01

昔のアニメが復活する周期について

anond:20180201172320

これアニメリメイクの話ってことでいいんですよね?

ぜんぜん網羅してるわけではないが主だったテレビアニメ適当ピックアップ

網羅してないっつってんだろクソが!!!!>ブクマカ

鉄腕アトム

鉄腕アトム1963-1966
鉄腕アトム1980-1981
ASTRO BOY 鉄腕アトム2003-2004
アトム ザ・ビギニング2017-2017
PLUTO?

だいたい20年周期くらいか

鉄人28号

鉄人28号1963-1966
太陽使者 鉄人28号1980-1981
超電動ロボ 鉄人28号FX1992-1993
鉄人28号2004-2004
鉄人28号ガオ!2013-2016

10年〜15年周期くらいか

オバケのQ太郎

オバケのQ太郎1965-1967
オバケのQ太郎1971-1972
オバケのQ太郎1985-1987

10年周期くらいだが最近制作されていない。

おそ松くん

おそ松くん1966-1967
おそ松くん1988-1989
おそ松さん2015-2018

20年強。バカボンと比べて人気が落ちるからか間隔があき気味。

ゲゲゲの鬼太郎

ゲゲゲの鬼太郎1968-1969
ゲゲゲの鬼太郎1971-1972
ゲゲゲの鬼太郎1985-1988
ゲゲゲの鬼太郎1996-1998
ゲゲゲの鬼太郎2007-2009
墓場鬼太郎2008-2008
ゲゲゲの鬼太郎2018-?

なんか定期的にやるのが決まってる感じ。10年周期くらいか

ルパン三世

ルパン三世1971-1972
ルパン三世1977-1980
ルパン三世 PARTIII1984-1985
LUPIN the Third -峰不二子という女-2012-2012
ルパン三世2015-2016
ルパン三世 PART52018-?

5年周期くらいだけど1985年から2012年まで間隔があいている。

でもまあTVスペシャルとか劇場版とかは継続

天才バカボン

天才バカボン1971-1972
元祖天才バカボン1975-1977
平成天才バカボン1990-1990
レレレの天才バカボン1999-2000

10年周期くらい。2010年代おそ松さんに吸い取られたか

マジンガーZ

マジンガーZ1972-1974
マジンガー 衝撃! Z編2009-2009

グレートだのダイザーだのは除外した場合

科学忍者隊ガッチャマン

科学忍者隊ガッチャマン1972-1974, 1978-1980
ガッチャマン クラウズ2013-2013, 2015-2015

タツノコ2010年くらいから変わったタイプリメイクをやりたがってるのか。

キューティーハニー

キューティーハニー1973-1974
キューティーハニーF1997-1998
Cutie Honey Universe2018-?

20年周期。実写とかOVAとかも合わせるとこまめに作られている。

新造人間キャシャーン

新造人間キャシャーン1973-1974
キャシャーン Sins2008-2009

タツノコ個人的には実写映画支持派です。

宇宙戦艦ヤマト

宇宙戦艦ヤマト1974-1981
宇宙戦艦ヤマト21992013-2013

これは周期というか「リブートするのに30年かかった」という感じの。

ヤッターマン

ヤッターマン1977-1979
ヤッターマン2008-2009
夜ノヤッターマン2015-2015

タツノコ

Dr.スランプ

Dr.スランプ アラレちゃん1981-1986
ドクタースランプ1997-1999

DB超も終わるしそろそろどうですか。

美少女戦士セーラームーン

美少女戦士セーラームーン1992-1997
美少女戦士セーラームーンCrystal2014-2016

20年経って90年代アニメリメイクされる時代

魔法陣グルグル

魔法陣グルグル1994-1995
キドキ♡伝説 魔法陣グルグル2000-2000
魔法陣グルグル2017-2017

「ドキドキ♡伝説」は1作目の続編なのでまとめるべきかも。

封神演義

仙界伝 封神演義1999-1999
覇穹 封神演義2018-2018

20年近く。

HUNTER×HUNTER

HUNTER×HUNTER1999-2001
HUNTER×HUNTER2011-2014

10年くらい。

最近リメイクが多い」論、

まあ昔からリメイクはたくさんあるんだけど、

2000年以前は「国民的」という感じのアニメリメイクが多いのに対して、

最近90年代アニメリメイク対象になることで、

オタク向けリメイク商売」という印象が強くなっているのかもしれませんね。

あと何となく80年代アニメリメイクが少ないかな?

ロボットアニメジャンプアニメの時期、というイメージですが。

今はもう90年代2000年代アニメリメイク時期に入っているから、

80年代スキップされちゃった感があります

ガンダム・)マクロスボトムズドラゴンボールみたいに、

「定期的なリメイク」ではない「長期的に継続するシリーズ」が多かった時期、とも言えるかも。

2018-01-30

anond:20180130093650

国家という存在の買いかぶりが2010年代はてなの傾向としてあるように思う。

以前だったら国にそんな芸当ができるわけがないというのは肌感覚として分かっていたはずだ。

手直しで新たな問題を作ってしまうことを恐れるあまりセキュリティ修正すら進まなくなるのがオチだろう。

2018-01-22

ダーリンインザフランキス

これって

うる星やつら の2010年代版??

1970~80年代は、戦いの不在であったから、目的もなく永遠に終わらない学生生活舞台だったけど

2010年代は、思想の争いの時代で、子供にさえ終わりがあるなかで目的のためにパートナーをみつける世界舞台っていうこと?

2018-01-18

かつて私たちは地下に暮らしていた

特に何を主張するでもない駄文です。1級暇人の方はどうぞお読みください。



昔々ある人間たちが、誰の目にもとまらないような陽の射さない地下で他人との交流を細々と持っていた。顔も見えず声も聞けないそのコミュニティには、陽の当たるところへは出せないような声が星の数ほど集まって、カオス文化が生まれた。

それは大抵の場合根暗で、ウジウジドロドロして、「何だこんなもの」と地上の人々に馬鹿にされていた。が、確かに光るものがあったこともまた事実で、そんな一期一会フラフラした心地よい集まりを求めて多くの人間が暗がりへとやってきた。

おとぎ話ではない。他者との交流ネットワーク一般に拡がり始めた頃の話である

インターネット私たち生活に深く入り込んできてからの年月はまだ浅い。日本へ今の形の原型となるネットワークが入ってきたのもたった30年ほど前。それ以前からあった今は亡きパソコン通信も、全盛期は2、30年前あたりだ。ましてや冒頭のような光景掲示板などで繰り広げられていたのだって、(今の現役ネット世代若者が考えるとけっこう昔に思えるが)20年やそこらではないか

パソコン通信というクローズドネットワークからインターネットというオープンネットワーク時代が移る中、個人サイトやら電子掲示板やらがぽつぽつと栄え始めた。顔も見えない声も聞こえない文章だけのコミュニティは、この時地上の現実からひとつ階層を落とした地下世界を構築したのだろうと思う。決して表には出せない愚痴嘲笑も争いも裏事情も何もかもを内包したカオス空間だ。

まもなくインターネット上にはその場の思いつきや便所の落書きレベルからなぜ本気を出したと言わんばかりの美文やイラスト企画まで、さまざまなもの漂流し始めた。地下世界スラム街のような様相を呈し、いわゆるオタクを中心に物好きな人間たちを取り込んでブクブクと膨れ上がっていったわけである

その頃の地上世界では「ネットなんて」「掲示板なんて」「オタクなんて」みたいな認識が当たり前だった。相手の顔も見えない世界なのに、現実を見もしないで貴重な時間をムダにして、と。基本的に地下世界の住人も生身は地上に置いているから、そんな後ろめたさを背中に抱えて、それでもただのらくらと面白いものを求める。

漂う気配には地上世界で吐き出せない陰があり、カキコによる争いは絶えずどこかで起こって燃え上がり、でもたまにいいものを見つけて嬉しくなるような、全くもってグチャグチャの空気が流れていた。

当時の地下世界において人々の理性や社会性は普段より3~8割減っていたと見ていいだろう。感情の赴くままに場を荒らしてはゲラゲラ笑い、煽られては顔真っ赤にして怒る、老若男女が子どものように感情を表せる場だったと言える。そこに地上世界倫理を持ち込むのはお門違いなのであった。

嘲笑・叩きはお構いなし。グロ画像やら有名人やら見知らぬ一般人写真までもがジャンジャン流れ、肖像権何それ美味しいの状態である淫夢の語録やクソコラなども、そのあたりの流れによって大きくなったものニコ動などに共有されて爆発したようなものだろう。そういうアングラ文化電子掲示板界隈からニコ動mixiTwitterといった拡散力の強いサイトへ流れこみ、2000年代に大きく盛り上がった。

さて、今は2010年代もそろそろ終盤である。この日記タイトルで、かつて私たちは地下に暮らしていた、と書いたのは、今やインターネットは地下世界ではなくなったのだと個人的に思ったからだ。

インターネットで出されたコンテンツが瞬時に世界中へ回る時代。昔だってそうだったが、今では拡散スピードが違う。LINEFacebookInstagram若者たちコミュニティを作る。「微レ存」が女子高生にまで浸透したりして、一般人といわゆるオタクとの境界線も昔に比べると曖昧になりつつある。

もはや掲示板にもTwitterにもニコ動にも、陽の当たらない場所はほぼない。全てが地上世界に引き上げられ、インターネットはれっきとしたひとつ社会として君臨するものになったのだ。

れっきとした社会として認められるということは、当然利用する人々の意識・行動にも倫理や理性、ルールが付きまとう。今もかつての地下のノリは受け継がれ、クソコラ炎上煽りも健在だが、「そういうのはどうかと思う」というような理性的意見によって自主的規制されることも増えた。

からと言ってそれが悪いと言うつもりは全くない。むしろ当然の結果である人間が一つ所に固まれば、そこに独自ルール生まれる。ルール文化となって拡がり、人が大きく増えればひとつ社会になる。そうなれば法や倫理が、社会における不都合を放っておくはずはないというものだ。

ただ少し寂しいとは思うが。

冒頭で言ったように、私はこれに関してどうこう主張したい訳ではない。ある日何となくネット窮屈だな」と感じ、地下世界文化の流れを思い、ちょろっと考えをまとめてみようか、となっただけの戯れ言である批判意見も大いに結構だし、むしろここまで読んでいただけていたらそれだけで驚きだ。よっぽど暇なのか。

これからインターネットひとつ社会として、ちょっとの闇を内包しつつ地上世界に在り続けるだろう。さらに月日が流れて、今の世の中では想像もつかないような新しいネットワークが出てきたら、また物好きな誰かがそれを使って地下に新しい世界開拓するかもしれない。

また新しいカオスが生まれて膨らんでいく過程を、できればこの目で直に見届けてみたいものだ、と考えているところである

2018-01-05

EXILE音楽がいいから聴いてみ!!

知人から一言

私も知人も、beatmaniaIIDXを始めとする音楽ゲームプレイしていて、その影響でトランステクノといったジャンルを、よく聴く

EDMでは好みもかなり一致していて、新曲が出る度にアレはああで、コレはこう、と言い合う仲だ。

でも、この一言には全く共感できなかった。

EXILEって、個人的ビジュアル系以上に近寄りがたい。

強面な風貌の連中が群れて、強面な表情で私たち見るものを威嚇しているよう。簡単に言えば暴力的

ビジュアル系も派手な見た目で、若干ビビるけど、まだ親しみを感じる。多分、こう言うと怒られそうだけど、ひ弱なイメージがあるからだと思う。暴力的イメージがない。

曲に関しては、CMでよく耳にするメロディを聴いても、「なんかよく聴く名曲」のイメージ範疇を離れない。

それらを説明しても、知人は、曲はいいから!と譲らない。

今度聴いてみるよ、とその場では返答したが、一向に聴いてないし、聴く気にならない。

多分、見た目がああじゃなかったらこの印象も少しは変わっていたんだと思う。

J-POPが嫌いなんじゃない。近年のJ-POPはよくわからないけど、少なくとも2010年代初頭までの流行りにはついていけていたし、その頃の音楽は今でもよく聴く

ダンスパフォーマンス問題じゃない。ボーカルダンサーが混在しているTRFは私の好きなアーティストの一つだ。

どんなに彼らの音楽がいいとしても、なにか、私自身に響くものを持っていたとしても、やはり怖いというイメージがある。

勝手感想だけど、もっといいイメージメディアに出ていれば、聴く機会はあったんじゃないかな。

と、ここまで書いたら、ちょっとだけ聴こうかなという気が起きてきた。

何を聴いたらいいんだろう?

2017-12-25

anond:20171225205149

2010年代前半にごっそり入れ替わった気がする。

2012年から2014年頃にブロガーブクマカが死に絶えるはてな氷河期があったのではないだろうか。

2017-12-20

日本人道徳感情日本社会自身を傷つけるブーメランになっている

外国人日本社会民度の高さを称賛し、そして日本人の少数派がそれを受け入れた一方で、多数派がそのような現実を後悔する声があった。とある左翼思想家は、"日本人右派の満足した社会意識"を、市民社会合意を受入れるよう要請した事で糾弾した。ある大学生は、左派SNSに "我々は、道徳的社会観の象徴である安倍政権現代版のファシズム風潮を変えなければならない"と、激昂して述べた。通常は自公政権を支持しているいくつかの若者高齢者ですら、道徳的社会に対しては不満だと感じると述べた。ネット上での批判は日々加熱している。

ヒステリック道徳社会への反応は、日本がどのように非寛容社会形成し続けているかを示している。あらゆる種類の政治家および空論家達は、単に自らの課題を推進するため、長きに渡って道徳感情を煽ってきた。彼らは、過去から今日まで続いているのこの強迫観念日本国を停滞させている事を、気にかけるようには見えない。

第二次世界大戦敗戦後のアメリカ保護国化のもと日本先進国になったが、中高年世代の多くは、1990年代以降の急速な非寛容社会化体験している。日本が古くから抱える被差別階層などのような内部の実体が、通常、社会の病いの原因だと非難されてきた。しかし、障碍者および在日外国人への感情は、より複雑だ;しかし、彼らとの友好感情ほとんど全員に共有され、社会物語とされている:日本社会栄光は、自由価値観とは反する道徳思想妨害された。

日本蔓延する暴走する道徳感情は、社会がきちんと回らない原因になっている(例えばモリ・カケ騒動不倫なんかがそう)。特定日本権力主義者たちが、確立された普遍的事実に疑問を呈し、大衆を触発する一方で、彼らから見ての敵はより重要問題無視するための、便利な弁解を提供している。

道徳感情はまた、教育文化問題凌駕している。1990年代2010年代前半の長期不況からの増大する経済改革への要望にも拘わらず、日本は、今日までに経済成長への道を選択できなかった。

未成年あるいは高齢化する貧困公共インフラ破綻など、その他の国内問題は、脇に追いやられている。政権および野党は、歴史問題などへの政府懸念を "解決する"と申し出る事で、政府が本当に意味した事について口論している。

アメリカ保護国下による72年間の成長一辺倒の日本社会の影にある犠牲者達は、彼らの主張を押し続けなければならず、そして日本社会とその保護者たるアメリカはより良く謝罪をしてみるべきだ。システム見直し検証必要であるという、十分な証拠が有る。しかし、無数の問題のために悪人(と決め付けた人たち)を非難してきた政治階級下の数十年の後、道徳感情独自生命を持ってしまっている。日本は、昂ぶった感情を持続的に保持している。その構成員達は、その他全てを犠牲にしようともそうするように見えるが、絶えずこれらの感情に応えようとする。その全ての嫉妬ブーメラン日本社会を傷つけている。

2017-12-15

インターネット

2000年代に入ってインターネットが身近になって

ネットde真実が増えて嫌韓とかネトウヨ成分が大増加、

その反動2000年の終わりにはてサみたいなリベサヨが躍進

2010年代震災ポリコレ疲れなんかでネトウヨ成分マシマ

後半の現在歴史は繰り返しつつ、やっぱ政治厨クソだわってところに回帰しつつある?

っていう認識であってる?

2017-12-04

歴代大河ドラマの一覧をwikipediaで見ていたら、2010年代以降はほとんどがオリジナル脚本で、原作歴史小説はないのが主流だったのだなぁと改めて知った。

70近くなる父は、自分若い頃の大河ドラマチャンバラ性・戦場っぽさ・大見得感や、成り上がり人間ドラマ感(昭和の頃は戦国武将に学ぶサラリーマン術みたいなのがたくさんあった)

がお好みで、この頃の大河ドラマはつまらんと、いかにも老人らしく怒っている。

よく考えたら「歴史小説」という小説ジャンル自体が変化したというか、司馬遼太郎宮尾登美子海音寺潮五郎山岡荘八やら、

いかにも重厚感ある”大河映え”する長編歴史ものを書く小説家もみんなとっくに死んじゃってるし。

そりゃー大河ドラマライトタッチになるのもしょうがないよね、と父を慰めた。

今期は特に女性におもねりすぎというか…、女の私でも、それなりに面白いんだけどでももちょっと男性的でいいと思うんだけどな

その方が”大河”ぽくていいのになぁと思って見ていた。

2017-12-03

日本が学ぶべきは中国ではなくイギリス

中国談義が盛り上がっているが、中国は進んでいる!日本も真似せよはおかし

そもそも中国日本は前提条件が違いすぎる

・有り余る人的資源

災害比較的少ない沿岸部と巨大な国土

・それなりに賄える天然資源

・陸の国

情報統制

中国日本には使えない手札をいくつも持っている

日本が本当に学ぶべきはイギリス

イギリス戦後史は敗北と抵抗の歴史

WW2の終了で遂に決定的となった覇権の終了

米国国際社会の中心を渡すところから始まった

経済規模西ドイツに遅れをとり、統一ドイツに決定的に敗北を喫する

フランスと組んでドイツ封じ込めのEUを作るも2010年代にはドイツEU支配が成立

過去遺産はあるものの、その存在感は決して大きいものではない

経済発展はしているが、立場は失う一方の70年だったというわけだ

だが抵抗の歴史でもある

EU内で独自通過を残し、ヤード・ポンド法を残し

独仏伊と違って女王歴史を残し、核保有もした

近年ではBrexitなど

彼らはまさに世界の国々から追い抜かれ取り込まれる情勢の中で

自国運命に抗い続けた歴史を過ごしたと言える

日本は敗北する中での、戦い方を学ぶべきだ

例えば香港中国に返された

これとて英国は嫌だったかもしれないが、

昇りゆく巨竜と取引を成立させた点は上手な負け方だっといえるかもしれない

尖閣とは訳が違う規模の「都市」を返還することを選ぶ政治は並大抵ではない

日本なら武力衝突の末、奪還され遺恨が残ったかもしれないような場面だ

しかアルゼンチン相手には軍事行動を取った

これはケンカ相手の選び方が上手いナイス判断だと思う

(どちらも英国からは離れていて、価値で言えば香港の方が遥かに上だが譲った)

EUとは距離を置きながら、97年-07年は平均3%の経済成長も達成

97年から2017年までにGDPを2倍に成長させた(日本はほぼゼロ成長)

地域社会地位を失うなかでこれだけ成功を収めれたのは

彼らが「取引」と「負け方」を知っているからに他ならない

Brexitでポカをやらかしたとの見方も強いが

僕は先見の明があると見ている

07年から17年までの10年間は2%を下回る経済成長力になっており

EUとしての効果は切れつつあるのではないかと見られるから

その十年で「ドイツ道徳選択」を強いられるようになっていて

ここから脱出できるというのは長期的には悪くないのではないかと思う

いずれにせよ振り返ると彼らは「安定の中で国際社会地位を落とした」と思う

世界地域覇権国家が衰退するときは滅亡することも珍しくはない

彼らは負け方がうまく「普通にイケている国」にかなり平和に移行した

日本アジア随一の国からすでに脱した

そこで再度「勝ちに行く」考えは対立と失敗を生むだろう

どうやって中国相手平和王座移譲し、利益を得、国民精神面を支えるか

「負け方」を考える時期に来ている

そんな時、中国を見習うという姿勢よりも覇権禅譲したイギリスの負け方を見習うべきに思う

車社会洗脳される高校生

社会が混乱し、成人化の展望を見出すことができない新社会人大学生は、成人への通過儀礼にこぎつけた高校生を見て、「ずるい者が生き残る」との絶望感を深めている。反対に、何とか人生軌道に乗せつつある高校生たちは、いまなお洗脳社会を拒む人たちを「甘えている」と非難し、ときには平然と「障碍者」呼ばわりする。それぞれが個別に困難な事情を抱えていることを、互いに考慮し合うことはない。こんな環境高校生の心が荒廃していくのは、決して難しいことではない。

仕事出張先で、出張先に近い高校とそれとは別の高校生との間の、バイクを巡るトラブル取材たことがある。前者は「公共交通の混雑で迷惑かけるな」と苦情を言う。後者は「どうして子ども扱いされているか理由がわかっていない」と応酬する。「免許必要としていなければ持ってすらいない」「代わりなどいくらでもある。知恵がないだけだ」と、泥沼の罵り合いになっていた。

高校生二輪車に乗らないものは、公共交通の持続化という側面もあるのだが、大半の高校生は、そこまで忖度できる心境ではなくなっている。高校生が変わり者だったり持病を抱えていると、たとえ本人に礼儀正しさがあっても、大人のほうが嫌悪する。乗らない高校生自身が半分大人扱いされる社会暮らしているのだから、それはよくわかっているはずなのに、容赦のない言葉を投げつける。2010年代以降にしきりに言われた「18才選挙権高校生大学生大人の仲間入り」などという言葉は、いまさら空々しくて、誰も口にしない。

こんなにも彼らの心が荒廃してしまった理由は、わざわざ指摘するまでもない。昨日まで子供世界に生きていた人たちが、一瞬に大人社会に引きずり出されたネオリベ不条理。それを被った人々の間には「格差ならざる格差」が生まれ是正どころか日に日に広がっている。高校生以外は、忘れることだけは「熱心」だ。大人があけた満員電車のスペースは高校生のためではなく、「自分は何て優しいんだろう」と自己陶酔するために退いたのではないかとさえ思う。仕事の合間に取材を続けていると「まだ気に入らないのか」とよく言われる。「お前は中高年か」とも、何度尋ねられたことだろう。高校生支援も同情もしない、残酷社会がそこにある。

これらを目のあたりにして、大人を信じられない、頼れない、との絶望感を高校生が抱いた、オートバイを操る高校生復権は、その果ての人心の荒廃の象徴であること以外に、理由などあり得ない。東日本大震災は、原発事故津波などによる多大なる爪痕を残したのだけではなく、大人という国民属性信頼性といったものを(最初からそんなものがあったのかとも思うが)、根底から揺るがした。それは、チェルノブイリ原発事故の後、適切な対策をとれずに自ら威信を失墜させ、なす術なく滅んでいったソ連の末期の姿と、よく似ている。

大学生高校生の心がこれだけ荒廃して、一般人が無縁でいられるはずはない。大人の間の格差は、それぞれの子供たちの格差となって、学校社会という場で露骨に現れる。震災後の日本では、免許の有無や車やバイク好き嫌いきっかけで、喧嘩になることが増えたという。洗脳社会によるストレスや、格差を生んだ大人社会眼差しの反映だ。私も以前、二輪車乗りの高校生のいる高校の近くの街で、荒んだ目をした自転車乗りたちに突然絡まれ無視していたら追いかけられたことがある。以来、そのような高校周辺は、夜のコンビニの前などでたむろしている自転車乗りたちのそばへは、決して不用意には近づかない。

2017-11-12

今こそ問いたい。SNS青少年保護について。

未成年自殺のキッカケにTwitterが使われてしまった。

これを放置してきた業界団体行政は襟を正さなければいけないし、

ネット利用者も、言論統制がどうだと規制に反対する前に青少年保護のことを考えてもらいたいと思う。

 

 

平成生まれの人たちにはピンと来ないかもしれないが、未成年出会い結構しっかり制限されてきた歴史がある。

簡単に振り返ると、

これらは全て、青少年保護目的として行われてきた。

「面識のない異性交際に未成年を参加させない」ために自治体警察努力してきたのだ。

 

 

しかし、規制内容を「異性交際」と限定してしまったために、

性別関係なくコミュニケーションできるサイト出会い系サイトではないよね」

という言い分で堂々と発展してきた業界がある。

それがSNSである

SNSは今でも簡単未成年との出会いが成立しうる。

これは日本における規制歴史から見ても非常にグレーな状態なのである

 

 

例えば日本事業者は、自社のサービス出会い系サイト扱いされないよう

mixi mobage GREE あたりが業界団体(http://www.ema.or.jp/) を作って対抗していたりもするが

結局は警察からの書込み削除要請が大量に行われてたりもして、実効性に疑問がある。

国産SNSですらこの程度なのだ

業界団体に入ってもないTwitter未成年出会いを防ぐような自浄能力は全く無いように感じる。

 

 

今や未成年に対して「ネットを使うな!」と声高に叫ぶのは不可能に近い。

他方、「死にたい」の声を削除するような統制にもほとんど意味がない。

しかし、今のSNS青少年をきちんと保護できているかというと疑問である

ゾーニング目線でも、利用規制でも、何かできることはないのか。

地方警察生活安全課の中にはタイムラインを日々チェックしていたりするチームもあるそうだが、限界もあるだろう。

2017-11-10

勝手リア充代弁

リア充」という概念2010年代を中心に流行している。

もちろん、彼らは人間関係仕事恋愛プライベートも超絶充実してる。インスタグラムYoutube、色んなSNSメディアで人と絡んだり、情報を集めるのが大好き。

どこからどうみてもおしゃれな一面しかみえない、みんなの憧れ「リア充」。

今日○○とネズミーランド行ってきた♡」「この美容院カラーすっごくうまいの😝」

とか、すごく充実した“報告”は、日本ならず世界中で流れている。

(もっとから流行最先端をゆく人達もいたはずだが、スマホが普及してから更にリア充は注目を集めるようになった)

もちろんリア充は、ネガティブな悩みも軽い口調で流せる術を持っている。

例:「また3kgふとっちゃった...ほんとデブ💢」「ひょっとして俺、あいつに嫌われるやつかな?笑」

でも、そんな完璧リア充たちも人間だということは忘れてはいけない。

彼らだって、常に何もかも楽しそうな感じを演出しなければならないという強迫観念を感じているに違いない。

どんなに本気で辛い時でも幸せ、楽しそうなイベントに行って、はしゃいでいる感じの投稿を1ヶ月に1回はインスタかTwitterに載せなければ、リア友フォロワーの信頼(何の?)を失ってしまうかもしれないのだ...面子を保たなければ、ある意味社会的に死んだようなもの

...まあ、世渡りが上手い人は裏アカとかで超本音を吐いている気はする。

というか、心から人生を楽しんでいそうな人もいるから一概には言えない。

その人達には上記のことは全く当てはまらなさそうなので、先に謝っておきます。すいませんです。

あなたの隣にいるリア充も、きっと本当は充実してるアピールに悩まされていることだろう...

2010年代ってどのように呼べばいいの

1990年代なら「90年代」「ナインティーズ」なんて呼べばよかった。その次の2000年代はまだ定着できてはいないけど「ゼロ年代」「にせん年代」が妥当なところだろう。

じゃあ今の2010年代は何と呼ぶのがふさわしいのか。今までの流れからすれば「10年代」だろうけど、10という数はどうも軽くていけない。10s(テンズと呼ぶのか?)も同様に軽い。「2010年代」とすれば確実に伝わるがこちらは何とも長い。

年齢層のボリュームゾーン前世紀に偏る当面は、「21世紀初頭」なんて言い方で括られるのかな。

2017-11-09

2010年代音楽クソというのも同意できないんだよな

ただいいものを掘り出すのにすごく手間がかかるようになった

なろう小説で傑作を見つけてきてくれみたいな大変さがある

宇多田ヒカルが売れていた90年代

「2010年代の音楽はクソだっ」という意見のまとめ - Togetterまとめ

テレビで誰かが「山口百恵国民の誰もが知っていたけど

宇多田ヒカルのようにはレコードは売れなかった」といった

内容のことを言っていた記憶がある。

90年代の頃から世代間に断絶があったんだよね。ヒット曲

生み出すキーワード女子高生カラオケだった。

2017-10-23

20代以下の若年世代は「同調的」という分析を、電通だかどっかが出してたのを読んだことがある。あと、バブル世代の子供たちだから基本的バカという側面はあろう

更に、2010年代民主党政権ダメさを思春期の頃に見ているだろうし、世の中全体が、共助よりも一強の方に傾いているから、まぁそういう傾向なのは当然かなとは。


現状を維持するためには、現状維持分だけの努力で済むと思ってるのかもしれないが、

実際は現状維持を心がけてもずるずると下がっていくのが世の中で、その辺は理解してない人間が少なくないかもしんない。若いとこの辺は分からんかも。

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