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2019-04-22

明日ご飯どうしよう

今日メニュー

味噌汁(トッポギ長ネギわかめ)

味噌汁(冷凍した長ネギ乾燥わかめトッポギ)

野菜炒め(玉ねぎ、豚ロース茄子)

浅漬け(茄子きゅうり)

は?味噌汁トッポギいれるの?っておもわれそうだから言い訳すると味噌汁トッポギを入れるのは炭水化物をとるのに楽だからです。トッポギ餅、煮込んでも溶けないから超便利。1kg買って冷凍してる。たまに韓国風のトッポギ作る。2、3個で満足するし最高。

何回作っても野菜炒めがうまくできない。IH一口コンロだからかな?いつもびしゃびしゃになって野菜煮込みか野菜蒸しみたいになる。

冷蔵庫さつま揚げ(冷凍した)、玉ねぎ半分、茄子2本、豚肉もやしが残ってる。

調味料サラダ油切らしたかごま油ごまコーレーグスダシダコンソメ和風だし、白だし胡椒、塩、酢、醤油コチュジャン焼肉のたれがあります

2019-04-20

anond:20190420174124

混乱してるだけだと思うよ。そりゃ初めてだからびっくりする。だからもびっくりせず真に受けすぎず。レイピストじゃない。愛している。と言って、後冷静にいとき

ああ、後、「レイピストはやるだけやってその後知らない離れるという立場。僕はずっと君といたい」とでも言っとけ。

色恋の基本は相互承認欲求非モテだったか意識してないかもしれないけど、彼女が私は性的以外にも求められているんだ。というのを思わせるのは必要

2019-04-15

二十五歳女だけど四十五歳彼氏と一晩で8回した。

イチャイチャしながら寝てると際限なく勃つのでびっくりした。

「数えてたんだけど〜」って教えたら本人もびっくりしてたしこれだけヤッたの初めてらしいけど、何なんだ。

若いメスを前にすると多少歳いったオスでも回復するものなのか。

私は平気なんだけど、彼氏の翌日のコンディションは心配

たまに「前日のオナニーの疲れが翌日に響く」って話聞くけど、男はどれくらい疲れるのか。

個人差が大きくてあんまり疲れない人もいるのか。

自分についてないちんこのことはよくわからない。

2019-04-14

最近ニコ動英語表記ばっかしてくるんだけど

なんど日本語に変更しても翌日には戻ってる。

社外に対して英語強要するとか楽天もびっくりだよ!

2019-04-07

芯のある人になりたい

27歳、社会人7年目

最近将来への漠然とした不安が強くなってきたので今の気持ちを書き起こす。

多分地頭はそこまで悪いほうじゃないと思うが、小学中学の成績は数学を除き1や2のオンパレード悲惨ものだった。母親児童福祉センター的なところに連れて行かれて、「この子大丈夫なのか」と心配されるくらいには悲惨だった。そこでADHDということもわかった。

勉強を頑張ることもしてこなかったし、努力をするってことが全く出来ない人間ってのは今も全然変わってない。

勉強するのがいやだったので大学はいかず、興味があった情報技術系の専門学校で、願書を書けばほんとに誰でも入れるところなので学歴なんて高卒も同然。

年齢=な人見知り陰キャコミュ障自分もびっくりするくらいのコミュ障が周りには多かったが、なぜかかなり優秀な人も片手で数えれるくらいはいて、そういう人たちを見て頑張った。

卒業できる程度の勉強をし、掴んだ新卒チケット無駄にはしないように就活だけはしっかりやった。学費をだしてくれた親にも申し訳ないので。

結局一社目に受けた一部上場大手内定して、こんな自分採用してくれるのかとびっくりたし嬉しかった感情は今も忘れない。

そこまで意識も高くない自分はもちろん就活をそこでやめた。

内定式、周りには専門卒なんてほぼいなかった。

ウェーイ系とまでは言わないが、みんな意識の高い知的大学生が多かったし人見知りコミュ障なんて自分くらいだった。

今も不安が多いが、気持ちばかりの技術力はあったのでとりあえず今もなんとかなってる。年収も700万くらいにもなった。

入ってくる後輩はマスターが多くドクターの人もいる。めちゃくちゃ優秀な人ばかり。

そのせいか自分の中の劣等感も年々強くなり不安も強くなっていく。

恋人が欲しくなった時期もあった。

25のときに某マッチングアプリを利用して見たことがある。

半年くらい頑張って計3人くらいの人とお会いして食事デートぽいことをさせてもらったが、一度も付き合ったことがない自分リードをしてあげることができるわけでもなく、どれも1〜2回くらいお会いして終わった。

回数を重ねれば上達はしていくのかもしれないが、3人目とのデートが終わったときには自分コミュ力の無さとその成長のしてなさに絶望した。

デート終わったあとは毎回すごく疲れたし、乗り越えても結局付き合うことはゴールではなくスタートなんだと自覚しそこから恋人を作る活動はやめた。

なにか没頭できる趣味でもあればいいが、それもない。

そんな生活を続ける中で、自分を支えてる芯がなにもないことに気付く。

今のところを辞めて転職したらどのくらい収入は下がるのだろう。自分市場価値はどれくらいなのだろう。

この先定年まで35年くらい虚無感と不安を抱えながら生きてくのだろうか。

今抱えているこの不安はずっと努力をすることから逃げてきた、その罰なのだろう。

できるなら小学からやり直したいとも思う。

周りになにいわれても気にならないような没頭できるものが欲しい。なにかないものだろうか。

2019-04-01

電話に出んわ!w

ちょうど一年前くらいに増田で「ずっと昔仲が良かったけどふとしたきっかけで連絡が途切れてそのままになっている人がいて無性に懐かしい」みたいな文章を書いたら、「何はともあれ連絡をとってみたら?」という意見が多かったので悩むこと一年勇気を振り絞ってついに電話をかけてみたんですよ。共通の友人から「xxが増田に会えなくて残念そうにしてたよ」とかそういう話も聞いたし。

そしたらガン無視されたw

まあそれは見事なガン無視ですわ。夜22時くらいにLINE電話したけど出なくて、一日待ったけど折り返しの電話はおろか「なに?」の一言すら来ませんでした。

とにかく平成30年度のうちに連絡しよう! ってなけなしの勇気を全部振り絞ったんですよ。LINEの画面開いて閉じて開いて閉じて、電話アイコンタップするまでにゆうに1時間以上かけて、静かな部屋に呼び出し音だけが妙に響いて、いたたまれいから音量を最小にしてそれでもびっくりするほど大きな音に感じられて、で、切れた。

昔会おうって話になって日程決めの途中で未読無視されてそのまま会う約束が流れたという苦い経験があるので電話にしたんですけど、電話だって無視はできるよね。ただやりとりの途中で切るのは難しいというだけで。

ちなみにTwitterはずっとフル回転だったっぽいです。

たぶんこうなるのが怖くてずっと連絡しなかったんだと思います。昔すごく気にかけてくれた人がもはや自分には何の関心も抱いていないということを直視するのは辛い。連絡してみさえしなければ「あの人は今も心のどこかで私を気にかけてくれている」とか思い込めるからね。

まあそれが嘘だということには私も薄々気がついていたよ。本気で気にかけてたらそっちから連絡くるもんね。

当時は気づいてなかったけど、今にして思えば君のことはすごく頼りにしてたんだなと思う。他の人には言ってないややこしめの家庭環境の話とか君にはしてたし。だからこそこうなったのはきつい。

一回は心を開いて、それを受け入れてくれた人間が今は自分迷惑がっているようだという現実は辛い。眼の前でドアをぴしゃんと閉じられたような気分になる。

あの頃の楽しかった思い出が心を苛むから全て忘れてしまいたいと一年前は思ったけど、今となっては本当にそうなりつつある。

なんで胸に何かがつかえたような気分になるんだろうな。ずっと前から昔の人間関係を断ち切ってリセットしたい、もう楽しかった頃の思い出に引きずられるのはやめたいって思ってたんじゃないの。そうなるように行動してきて実際そうなったんだからむしろ喜ぶべきじゃん。

でも本当はそうじゃなくて昔のあの楽しかった空間がそのままの形で戻ってくればいいと思ってたんだよね。それが不可能からもういっそ全部ぶち壊したいなあと思ってただけで。

いつか訪れる完璧な再会を何通りも頭の中で思い描くのは気持ちのいいことだったけど、若さと思い出の残り香が言い訳を作ってくれているうちに無様でいいからとにかくアクションを起こしてみるべきだった。思えば私の失敗はいつもこのパターン心配してくれる人がいるうちはちっぽけなプライド邪魔して誰にも相談できなくて、やっと人に相談しようと思えた頃にはもう周りに誰もいなくなっている。

というわけで本当にしょうもないお話でした。一年前のほうの増田に「続報頼む」とか書いてくれた人、なんかごめんなさい。現実には伏線もなければハッピーエンドもないね

じゃーねxx君、優しくしてくれて嬉しかったよ。ありがとう

綺麗に締めようとしたけど今からでも返事してくれたらやっぱり嬉しいです。

2019-03-30

綺麗なママについての話

綺麗な女性ってっていいよね。

独身の頃は素敵な人を見習おうと思って頑張ってたんよ。道行く素敵おねーさんファッションを参考にしたり、メイクもなるべく時間かけて丁寧にやったり。結果として出来上がるのが微妙カッペ感隠しきれないちょいダサ女であってもさ。

けど子供産んだらそれどころじゃなくなった。

子供時間も待ってはくれない。結果スキンケアオールインワンを一発スパーン!で終わりになったし、ノーメイク公園うろついたりスーパー行ったりするのにも然したる抵抗なくなった。洋服なんてコーデ考える脳みそが勿体なくて普段はローテーションで2着のみ。

もう自分もびっくりよ。

でも同じ子連れでも、キレーな人ってそこらじゅうにいるんだよなぁ。

あれ凄いよなーどうやって髪巻いたり綺麗にナチュラルメイク仕上げる時間捻出してんの?そもそもめっちゃ細いし肌綺麗じゃーん奇跡か羨ましいな!

私の時間の使い方がまずいのかなー。

というか元から洒落アンテナが低めの人間が、綺麗なお母さんとか目指すのがそもそもの間違いなのか…?

隣に立つ夫や子供達が少しだけ鼻高くできるようなカーチャンになりたいんだけどなぁ。

2019-03-28

久しく忘れていた働く感覚

別に仕事をしていないわけではない。

ただ、自営業からか楽な姿勢仕事してる。

ながら作業然り、体制然り、夜型然り。

それに、人話す機会がほとんどない。

こんなんでまた社会に出る機会があった時に社会人らしくできるかなと思った。

だけど、出向したらしたで会社員できてる気がする。

言葉は噛むことはあるけど、割と話せてる。

やればできるもんだな…と自分もびっくりしてる。

あと、こんなに集中できるのか…と我ながら感心してる。

いや、火が付くと大体そうか。

やっぱり人の目は重要だなって感じる

2019-03-27

明日結婚相談所登録に行く

私は29歳崖っぷちの女。仕事柄、出会いは壊滅的にない。

ふと思い立って、来月から収入も上がるので、結婚相談所登録しに行くことにした。

正直、めちゃくちゃ不安

結婚相談所魑魅魍魎の集まりだと聞くので、いい出会いはあるのだろうかと。お金無駄になるのではないかと。



からまあまあモテてきた。

容姿10人女が居たら4番目くらいだと思う。

地味顔だから好みは分かれるけど、必ずどんなコミュニティでもコミュニティ内に1人は私の根強いファンが居たか過大評価ではないはず。



あと、同年代よりは収入があるので男性に負荷をかけすぎずに生きていけると思う。

収入のわりにはプライベート時間もあるので、家事ちゃんとやってるし。



なんでそんな私が結婚できてないのかと言うと、抜群に男を見る目がない。

直近付き合ってた、真面目(学級委員タイプ)で爽やかな元彼も、何故か急に仕事を辞めて消息を絶つ形でフラれた。



あんな真面目そうな人も実はダメ男ならば、私にはもうお手上げなので、だったら仲人に頼ろうという算段である

(ちなみにそれ以前の元彼は、DV男とか借金男とか、ダメンズウォーカーもびっくりのラインナップなので…)



相談所に登録したなんて女友達に知られたら、袋叩きに合いそうだ。

「そうまでして結婚したいの?」「だっさーwww」「結婚相談所ってモテない人が金払って登録するとこでしょ」って。

でも、仕方ない。自分幸せのために、出来ることはやってみようと決めたんだから



頑張る。だから20代最後の悪あがきを応援しておくれ。

2019-03-26

anond:20190326124813

それでも、増田犯罪者ではないのだからそうするのが結果的に一番の近道だ。

差別されているからといって別の自分より弱そうな誰かを苛んでも良いはずと主張するよりはよほど近道だ。

いいえ、ただの自殺です。君は「黙って殴られてろ。心を強く持てば痛くないはずだ」と言ってるだけ。

そして「自分より弱そうな誰か」じゃない。「自分よりも強者のインベーダー」に反抗してるだけ。

日本にはまだ女性首相が出ていにあい政治家の男女比は先進国ダントツ低い、上場企業女性経営者比率もびっくりするぐらい低い。

この辺はググればすぐ分かる。これでも「男性支配的な社会存在しない」と言える?

言える。機会の平等担保するために年何百億と女のためだけに使い、国立女性専用大学もあり、電車にすら女性専用車両で保護がされている。

そして有権者の人数も投票者数も女性の方が多い。

男性支配的な社会など存在しない。被害者ヅラしたい女性様の言い訳に過ぎない。


からと言って、別の、自分より弱そうな誰かを苛んでも良いわけがない。増田も結局は「誰かを押さえつけたい人間」の一人でしかない。

何度も言ってるが、女性女性であるというだけで「弱者認定された」強者だし、そしてオタクは追い打ちをかけてくるインベーダーに反撃してるだけ。

「抑えつけたい」のは女性側。

何度でもいうけど、ある特定の女たちにいじめられた経験があるから「女」という属性を叩くことに道理は一つもないうえに、

増田いじめた女には何の復讐にもなってないし、増田加害者メンバー入りだ。

元増田が言ってるだろ。「傍観は同罪」。

いじめた女への復讐」なんて誰も言ってない。

逃げた先にすら侵略してくるインベーダーに反撃してるだけ。

オタク現実からたたき出し、残された憩いの場たるオタクコンテンツまで侵食破壊しようとする女性にそれを止めもしない女性

全て加害者だろ。

これを否定するには「傍観は同罪ではない」とせざるを得ないが、そうすると元増田の言ってることも破綻する。

増田は、自分から被害者づらできる立場」を手放している弱いやつだ。

オタク最初から被害者」と認められることはなく、ひたすら「加害者」「犯罪者」「女性差別」「キモイ」という迫害対象であった。

最初からないものは手放せない。

anond:20190326091910

「堂々としてろ」といって解決するなら世の中にすべての差別存在しない。

それでも、増田犯罪者ではないのだからそうするのが結果的に一番の近道だ。差別されているからといって別の自分より弱そうな誰かを苛んでも良いはずと主張するよりはよほど近道だ。

従属していた」は攻撃言い訳にならない。

また、現在でも「男が支配的な社会」「男性社会」など一切存在しない。

日本にはまだ女性首相が出ていにあい政治家の男女比は先進国ダントツ低い、上場企業女性経営者比率もびっくりするぐらい低い。この辺はググればすぐ分かる。これでも「男性支配的な社会存在しない」と言える?

オタクはどれほど迫害されても「弱者」とみなされることはなく、叩かれ続けてる。

からと言って、別の、自分より弱そうな誰かを苛んでも良いわけがない。増田も結局は「誰かを押さえつけたい人間」の一人でしかない。

何度でもいうけど、ある特定の女たちにいじめられた経験があるから「女」という属性を叩くことに道理は一つもないうえに、増田いじめた女には何の復讐にもなってないし、増田加害者メンバー入りだ。

増田は、自分から被害者づらできる立場」を手放している弱いやつだ。

メルカリ面白プロフィール評価マイベスト

  1. メルカリ適当な人のプロフィールを開き,評価を見る
  2. 「悪い」評価を付けている人がいたらそのコメントを楽しむ
  3. 「悪い」評価を付けている人のプロフィールを読み,評価確認する

これらのループを回すことで規約無視面白宣言や斬新な取引方法など,様々な現代の知見を得ることができます時間つぶしにいかがでしょうか?

そこそこのユーザを見た感想として,ユーザ名に@~が含まれる(例:@プロフ必読)者はメルカリ規約違反の文化(例:即購入不可)を強要してくることがかなり多く,評価を見る限りトラブル件数有意に多いため,平和取引をしたい方にはお勧めしません.購入者,出品者のどちらになった場合でも,コメントによる挨拶を欠かすとそれだけで悪評価をつけられることがあります

即決はメルカリデフォルトの設定ですが,送料込みでの出品がほとんどのため,変な出品者に関わらない限りオークションと比べるとかなり快適に購入ができます.また,値下げも文化としてかなり定着しているため,そういうのが好きな人にとってもよい場所でしょう.ただし,出品者側に回った場合はかなりきついことが多いため覚悟必要です.

個人的ベスト

誤字脱字等は原文ママです

即購入は原則禁止させていただいています

即購入された方には何も入っていない封筒を送らせていただくのでご理解ください。

発送日を偽られメッセージを送っても無視され、なおかつ4日経っても届かないので1時間置きに同じメッセを送ったら逆ギレです。

発送通知と消印の日が1週間ほどズレていた。投函する日が遅れたら遅れたと一言欲しい

買う気のないイイネは止めて頂きたい。

発送も4~7日と分かってはいましたが、まさか7日目に発送通知が来るとはおもいませんでした。

即購入OK商品も即購入禁止

僕は字がとても汚いです

宛先を書き損じた時は上から紙を貼って書き直す場合が有ります、ご容赦ください

住所不明で持戻になり、運良く、近くの営業所で回収することができましたが、故意に届かないように細工されていたこと(地区名が違い、そこの郵便番号をわざわざ調べて記入、宛名名字を変えていた)

一切の返事がないし、ちゃんと発送されるかわからない状態での取引はできないです

発送しないでくださいって伝えました

しかし、そのあと発送されました

郵便で送るなら送り主の身元くらい書きましょう。あれではただの不審物です。

商品は届いたのは良いですが、封筒には母親からと思われる文章が書かれていました。内容は伏せさせて頂きますが、これを知った親はどのような気持ちなんでしょうか。これを受け取った私の気持ちも少し考えてみて下さい。

効率的取引のため、こちらが返答して1時間以内に返答がなかった場合コメントを消去させていただきます

高価なお品でしたが、追跡のできるレターパックで発送すると記載されていましたので、安心して購入しました.

が、発送後に「予算の都合で普通郵便しました」と事後報告でご連絡を頂いて、とてもびっくりしました。なんだか騙されたような気持ちになりました.

ダイソー商品との記載なかったため、知らずに購入してしまいましたが…

今日100きんに行ったら同じものがあってビックリしました…

さすがに外装がレジ袋で届いた時は驚きました。

2019-03-24

この春、浪人をすることになった人へ

~~はじめに

 もうかなり前の話になるが,私も大学受験に失敗し,浪人をすることになった。

 (することになった,というのは,したくてしたわけではないかである。)

 人生で初めて,目の前が真っ暗になるような思いを味わった。

 どうすればいいのかわからず,途方に暮れた。

 そのとき書籍等を通じて様々な先達の経験に触れ,それに励まされてなんとか乗り越えた。

 これは遠い昔の一受験生出来事であるが,ふと思いついて,自分が励まされたように,何かの役に立てばと思って書いてみた。

 時代が変わっているので,個々の科目の勉強法等は記載していない。

 もっと大きな方法論の一例として見ていただければと思う。

 大事試験で失敗してしまい,失意の中にある人が,捲土重来を期すのに少しでも役立ってくれれば幸いである。

 人生で最も勉強をしたのは,大学受験に失敗し,浪人生活を送った時だった。

 その当時は自分なりに辛い思いもした。しかし,その分必死になって努力を行い,いかに状況を打開するかを日々考え抜き,最終的に結果を出すことができたので,得るものも大きかったように思っている。

 なお,前提として,私は小中高と地方公立学校で育った者である。塾にも浪人時代を除いてほとんど通ったことはない。

 高校時代部活をやっていたので,高2の冬までは授業を普通に受けていただけだった。志望校を決めるような段階になってからやばいと思って「受験生」になった,というのがバックボーンとしてあるので,以下の文章はそれを踏まえて読んでいただければと思う。

~~気持ちの立て直し方

 それまで特に勉強において壁にぶつかったこともなかっただけに,不合格の衝撃は当時の自分にとっては,人生のものだった。

第一志望しか受験していなかったので,選択余地なく浪人をすることになったが,仮にすべり止め合格を得ていたら,果たして浪人という選択ができたか,全く自信はない。

 それくらい,浪人するということについて,落胆していた。

 同級生のうち,現役で受かった者が嬉々として大学生活に入っていく中で,少なくともも一年,いろんなもの我慢して勉強に向かう生活余儀なくされるというのは,たまらなくつらかった。

 ひととおり落ち込み終わった後で,考えたのは,一つには,終わってしまたことを悔いても何もこの現実を変えることはできないということだった。

 現役で大学生になる身近な同級生想像し,なぜ自分はそうなれていないのかと身悶えせんばかりに考えたときもあったものの,いくらそのように思ったとしても何も現実は変わらない。過去に属してしまたことは,もう客観的には変えることはできない。そうだとすれば,今できることは,その意味付けを変えることしかないと思った。

 今身を切るように辛く感じられる大学不合格という事実も,たとえば,次の機会に晴れて合格し,20年,30年も経てば,なかったことにはできるわけではないが,その影響は極めて小さくなっているだろうと言い聞かせた。

 またおそらく世の中の評価というのは,失敗の数で評価されるわけではないとも考えた。人の失敗の数を覚えている人は多くない。そうではなくて,失敗の数があったとしても,結局のところ成功の数がいくつあるかが重要だろう。

 そうだとすれば,まだコントロール可能範疇に属している,未来を変えることで,過去出来事意味合いを変化させるしかないのではないか

 来年合格という成功によって,今年の不合格という失敗を塗りつぶすしかないと考えるに至った。

 期間はあまり覚えていないが,ここまで考えを整えるのに1か月くらいはかかったのではないか

~~戦略

 以上で考えたように,今年の不合格という意味合いを相対化するためには,来るべき「次」の受験で,必ず合格しなければならない。

 再来年では駄目だ。また実力だけ伸ばしても駄目で,仮にいくら模試の成績が良かったとしても,現実合格できなければ全く意味がない。

 このようにして,「次」の受験で,「必ず合格する」ということを目標として設定した。

 目標が定まった後,「必ず合格する」とは,どのような状態かと考えた。合格する可能性があるというだけでは駄目だと思った。可能性だけならおそらく今回もあった。「受かりうる」というだけでは足りない。「次の一回」で「必ず」合格しようと思えば,「受からないということがない」,「どうやっても受かる」という状態にまでもっていかなければならないと思った。

 自分の中では,「100回受けて100回受かる状態」というのを一つの基準としていた。

 そうなるためにはどうしたらいいのか。

 以下は,自分の中で描いたイメージである。 

 受験において,本番で出題される試験問題のものコントロールできない。

 自分が得意な問題が出るかもしれないが,苦手な問題が出るかもしれない。

 そうだとすると,たとえば100回試験を受けた際に,自分が得られる得点ないし全体の中での自分順位としては,一定の幅が生じると想定した。

 自分が得意な問題が出れば点数ないし順位は良くなる。苦手な問題が出ればその逆となる。その幅と位置自分の実力を示していることになる。

 受かる可能性があるというのは,自分の中のベストの結果のときに,それが合格ラインを超えているということだ。すなわち,上で述べた実力の幅の上端が合格ラインを超えていることであるそもそもここが合格ラインに届かないというのでは,合格確率は0なのであって,話にならない。

 自分の実力を客観的見積もったときに,現役の受験時点でも,得点幅の上端は合格ラインを超えていると思った。しかし,全体として超えているかというとそうではなく,大半は合格ライン以下に位置していたのではないか分析した。

 この状態だと,運よく自分の実力の上端付近が発揮できるような問題であれば合格という結果になるが,そうでなければ不合格という結果になる。

 以上の思考過程を経て,「必ず」合格するという状態を実現するためにすべきこととは,自分の実力を示す得点幅の下端を合格ラインより上にもっていくことだと規定した。その状態が実現できれば,どんな問題が出題されても必ず合格できる。

 このようにイメージした。

~~戦術

 次に,得点幅の下端を合格ラインよりも上に上げるためにすべきことは何かと考えた。

 ただちにこうすればいいということまではわからなかったが,とりあえず実現すべきこととしては,得点できるはずの問題を必ず得点するということだった。先のことはわからないが,最低限,このことを徹底しなければならないと思った。

 それだけでいいのかは,未知の領域なので不明であったが,得点幅の最下端を合格ラインよりも上にしようと思ったら,少なくともこの程度のことは実現できていなければ話にならないだろうと思った。

 先に述べたように,受験の本番では,試験問題コントロール範囲である受験会場に来てしまってからでは,いくら「ここを勉強しておけばよかった」と後悔しても,その時点で知らない知識は答えようがない。試験現場でできることとしては,そのときに持っている力で解けるはずの問題を確実に解くことだけである

 この視点は,いろいろなところに適用できるが,たとえば時間配分のところにあてはめると,「解けない問題時間を浪費して,解けるはずの問題を解けないということを起こしてはならない」ということであると思った。

 また,当時よくしていた勘違いなどのケアレスミスも,本来解ける問題を取りこぼす可能性があるので,起こしてはならないことになる。

 これらは,本来解ける問題をこぼしているという点では共通しており,このようなことがあってはならない。

 受験本番までは実力自体を向上させることももちろん目指さなければならないが,それと同時に,試験当日に,その時点で持っている実力すべてを最大効率得点につなげられるようにしておかなければならない。

 その観点から模試などを受けた場合の振り返りとしては,正解したかどうかはあまり気にせず,正解できなかった問題があったとして,「その時点で正解する可能性がなかったのかどうか」を入念に確認した。

 知識が足りなかったなどの理由で,そのときは正解する可能性がそもそもなかったのであれば,それはその時点ではもうしょうがないので,ただただ後日正解できるよう,知識を補充するなどして実力向上を図るというだけのことである

 一方,その時点で正解できたはずの問題を取りこぼしていた場合は,全力で悔しがるようにした。

「必ず」合格するという目標達成の観点からは,このような事態絶対に起こしてはならない。

 そのようなことをしている限り,「必ず」合格するという目標は達成できないからだ。

 その場合,正解できたはずの問題をとりこぼさないために,なぜそのようなことが起きてしまったのか,再発防止策として何が考えられるかなどを必死で考えた。

 以上は基本的自分の中だけでの問題であるが,一方で他者との比較視点も生まれていた。

 正解可能性について考察しているうちに,自分が正解できなかった問題について,他の受験生はどうなんだろうかという視点が生まれたのである

 自分が間違えた問題の正答率が高かった場合は,それだけ多くの受験生に差を付けられたことを意味するのであるから試験結果に与える影響は極めて大きい。一方,正答率が低かった場合には,大半の受験生もまた正解できていないわけなので,差を付けられた受験生の数が少なく,試験結果に与える影響は少ないということになる(極端な話,正答率が0%の問題であれば,全員が間違えているということから得点という点だけみればその問題はなかったのと同じであって,間違えたことの影響は0である。)。

 このような視点で各問題ごとに正答率を確認するようにすると,感覚的には一般的に明らかに簡単と思われる問題でも,正答率が100%ということはないということに気がついた。受験生は,ごく簡単問題でも意外と間違えてしまっているのである

 この点に気づいたときには,大げさにいえば勝機見出した思いがした。

 とんでもなく難しい問題まで正解できるようにならなければ「必ず合格」という目標が達成できない,ということだとすると,その難易度はかなり高い。

 難問というのは,どんな問題が出るかもわからいから難問なわけで,対策という意味では容易ではない。

 しかしながら,正答率が高い問題を取りこぼさない(他の受験生に差をつけられない)ということは,意識して徹底的にやりさえすれば実現できることだと思った。そして,これがきちんと実現できれば,成績的にはかなりのところまでいけそうだと思った。

 このとき受験生活の中で,初めて具体的な見通しがついた。

 時期的には,浪人になって最初の方で行われる模試の結果を分析してこう思ったはずなので,わりと早い段階でこのような確信を得られたのはありがたかった。

 以上から,正答率が高い問題を重視し,かつ,それを絶対に落とさない,ということが具体的な行動目標となった。このように目標が明確になると,自ずとそれを実現するための勉強法も明らかになった。

 自分が正解できる可能性のある領域を増やすことを目的とした勉強塗り絵に例えれば,色が塗ってある範囲を広くするようなこと)も勿論必要にはなるものの,それよりもむしろ正解できる可能性のある領域での正解率を高くする(塗り絵で言えば,色むらをなくし,より濃くするようなこと)勉強を重視すようになった。

 より具体的にいえば,復習を重視するようになったということである

 知らない問題よりも,一度やったことのある問題の方が正解率は高くできるはずで,投入する時間に対して得られる成果が高いと思われるからである

 復習は徹底的に行うようにした。特に記憶重要となる社会の科目などは,一日の勉強最初には,それまでやった学習内容をさかのぼってかならず目をとおしてから先に進むようにした。

 具体的には,使っているノート基準最初から前回勉強したところまで必ず全部目を通すということをしていた。それはその一冊のノートを使い終わるまで繰り返した。見直す時間が膨大になってもしょうがないので,時間一定を心がけていた。勉強が進むことによって見返す領域が広くなることになるが,その分見返すスピードを上げて各ページ毎の見る時間は減らして行った。

 ノート最初の方であればあるほど,何度も目にしているので,時間が短くても問題なかった。時間よりも回数を重視し,回数を繰り返すことで,記憶への徹底的な定着を図った。

 これは面倒に思うかどうかだけで,誰にでもできることと思う。そして,記憶力に個人差は多少あれど,何十回と接触した内容については,誰でも記憶には定着しやすくなる。とにかく,一度学習した内容を,二度と忘れたくなかったので,そのようにしていた。

 そのような学習法を実践していたことで,知識系の問題については,絶対の自信がついた。

 当時は,記憶違いということはほとんど起こりようがないような状態を実現することができていた。

~~結果

 以上のような勉強法を行ってきて,浪人の夏に大学別の模試を2つ受けた。

 これはその大学を受ける受験生であれば,たいてい受けるという種類の試験だったので,模試とは言え,その時点でのその大学を受ける受験生の中での位置付けを図る重要試験だった。

 浪人生活を開始するにあたって,自分の中では目標があった。

 「100回受けて100回受かる」という観点から,冬の大学模試で100位以内に入ることを目標としていた。

 当時,志望学部合格者数が600名程度であることから,少し目標としては高いかと思ったが,これくらいが実現できなければ,安全圏にあるとは言えないので,あえて高めの目標を掲げたつもりだった。

 蓋を開けてみると,夏の大学模試のうち,最初に結果が返ってきた方は,79位だった。

 自分で定めた目標クリアできたので,非常にうれしかったのを記憶している。

 想定していたよりも成績がよかったので,浪人生活全体を通して,このときが一番うれしかったように思う。

 (それでも,これは単なる模試に過ぎないので,この程度の成績で油断はいけないと自分を戒め,喜ぶ気持ちを押さえつけた。)

 しばらく経つと,もう一つの大学模試の結果が返ってきた。そちらは20位だった。全く想定しておらず,正直自分もびっくりした。こんなに結果が伴うとは思ってもいなかった。

 ただやはり,「まだ受かったわけでもなんでもないので,いくら模試の成績がよかったところで,本番に受かるという目標が達成されたわけではない,油断だけはしてはいけない,もっと取れたはずだ」と自分に言い聞かせるのに必死だった。

 その後も大きな方針を維持したまま勉強を続けたところ,冬の大学模試では13位と14位という結果だった。

 受験本番はどうだったのか,順位は発表されないので分からない。

 予備校の発表する模範解答に照らして行った自己採点結果は悪くなかったし,結果はもちろん合格だった。

 合格確認したときには,うれしいというよりは,ほっとした。精神状態としては,「受かっているかどうかドキドキする」という状態ではなく,「絶対受かっているはずだが何かの間違いで落ちてないだろうな」という気持ちだったからだ。

~~まとめ

 方法論は人に合わせて千差万別なので,以上の方法が唯一絶対ではないと思う。

 全く同じ人間が一人としていないように,誰にもピッタリと当てはまる万能の方法などというものはない。

 それを前提として,自分浪人生活のうち,成果につながった要素を抽出するとすれば,以下の点ではないだろうか。

 まず一つには,本気で結果を出したいと思っていたことだと思う。

 何事につけ,物事には障害がつきものである。そのような前提状況の中,何も考えずにただ臨めば,結果が出るかどうかは当たるも八卦当たらぬも八卦のような確率論に終わってしまう。

 「本気で結果を出したい」というのを行動に置き換えると,「受験優先順位を上げ,その他のことはどうでもいいと考える」ということである。本気でそう思えれば,遊びたいとか,のんびり寝ていたいとか,そんなことは気にならなくなる。

 それは「誘惑に打ち勝つ」ということとは感覚的には少し違う。誘惑を感じている状態は,まだ本気度が高い状態とはいえないと思う。本当に結果を出したいと思って,その状態に入ったときには,その他のことは本当にどうでもよくなる。

 「その他のことはなんでも差し出すから,とにかく希望している物事について結果を出させてくれ」という心持ちになる。そのときは,優先順位が二位以下のものごとは些事である

 そのような状態に入れると,仮に何か障害が生じたとしても,手段を尽くし,工夫を尽くして,結果にたどり着くという状態になる。

 時間しろエネルギーしろ資源が有限である以上,その中で一つの結果を確実に出そうと思えば,何が何でも結果を出したいという状態自分を持っていくことが必要になる。

 不合格という現実に直面したとき,何度も「嘘でしょ。結果を取り替えてくれないか。」と何度も思った。しかし,一度出た結果は変わらない。これが現実である

 自分の周りの環境自分コントロールすることはできないということをまざまざと体感した。

 一方で,自分はいくらでもコントロール可能なのだ

 不合格回避したいという思いを,エネルギーを,合格への執着へと昇華させることはできるはずだ。

 二つ目は,以上の状態を前提として,「結果を出す」ということを実現するためにどうすればいいのか必死で考えたことではないかと思う。

 先に記述した思考過程を経て,自分なりに結果を出すために必要な条件を考え,それを満たすためにひたすら実行した。

 小中高と地方公立学校で育ってきて,全国規模で自分が試されたことも位置づけをはかったこともなかったため,余力を残すという発想がそもそもなかったということも幸いした。

 自分みたいな遅れて必死になった者が全国レベル受験生相手に確実に合格するという状態に達するためには,とにかく妥協なく徹底的にやり切る以外にはないと思っていた。

 後にも先にもこのときほどストイックになったことはない(なお余談だが,このときにあまり想像以上に結果が出てしまったため,後になってまた別の試練に立ち向かうことになった際に,「あそこまでやらなくてもいいだろう」と無意識に思ってしまい,無駄に回り道をすることになる。何事も,やるなら最初から本気でやるべきである。)。

 当時,浪人時代灰色一色で,とても精神的につらいものであったが,きわめて得るものの多い時期でもあった。

 生活のことは親に完全に甘えられる時期であり,徹底的に勉強のことだけ考えていればよかったという意味では,むしろ幸せな時期であったともいえる。

 浪人時代を通じて,物事に本気になるとはどういうことか,結果を出すとはどういうことかなどを身をもって体験することができ,その後の人生にも大きないい影響があった。たまたま運よくラッキーで現役合格してしまっていたら,このように自分を振り絞るような努力をする機会は得られなかったの

好きだった女の子の話

失恋しました。

失恋といえるほどのものでもないのだけど、でもきっとこれは恋だったと思います。私は忘れっぽいたちなので、忘れないよう、書き残しておきます。長いし、重いです。

出会ったのは小学1年生のとき。初めて友だちになってくれたのが彼女でした。誰とでも仲良くなれるような優しい女の子彼女は誰とでも仲良くなれる人だけど、私は違った。人見知りで、自分勝手で、今考えるとどうしようもないような性格だったと思います小学から中学校にかけての様々な件で私の性格はひねくれにひねくれ、自分いちばん醜いとまで思うようになっていきます。それでも小学から中学校までの9年間、ずっと仲良くしてくれました。彼女のことが一番大切だと思いました。

転機は高校ときです。彼女特殊高校に、私は普通高校に進学しました。彼女学校と私の学校そもそもシステムが違うため、長期休みが合うことはほとんどありません。臆病者な私は、彼女に連絡することを恐れるようになりました。彼女のことがとても大切だから勉強部活を私みたいな存在邪魔するのは、私自身が許せない。アルバイトを始めたと聞きました。なおさら、連絡なんてできません。そうなると(もうわかると思いますが)、あとは疎遠になっていくだけです。月日が流れれば流れるだけ、彼女神聖化したまま、私の記憶の中の彼女はやさしくてかわいいの子のまま美化されていき、とうといものへと変わっていきますもっともっと大切になっていきます高校生の間にも、数回遊ぶことがありましたが、私の前では昔と変わらずとてもやさしくて、素敵な彼女のままでした。きっとさらにすきになっていたと思います

はたちになると、成人式があります。いろいろな場所に散らばっていた友人たちも地元に集まります私たち同窓会をすることになりました。久しぶりにみんなに、特に彼女に会えることが嬉しくて、人一倍かわいくなりたくて、一番お気に入りワンピースを着て、時間をかけて髪を巻いて、丁寧にメイクをしていきました。かわいいねって言ってくれて嬉しかった。あなたにそう言ってもらいたくてそうしたのだから。この同窓会ときに、今度遊ぼうね、と約束しました。彼女卒業後は就職のため地元を出て都会に行ってしまうらしいのです。とてもとても楽しみにして、大学でのテストもいつもより少し頑張れました。彼女はまだテストがあったようなので、終わったらまた連絡してねと言って、そのときは終わりました。その連絡が来ないまま、彼女が都会へ既に向かっていたことを数日前に知りました。

「いつ遊べそう?」「春休みわっちゃうね」「遊べなかったね〜」「もう都会のほうにいるって本当?」何を言っても傷つけてしまうような気がして、この文章を書いている今も、どうメッセージを送ればいいのかわかりません。高校友達と遊んでいるのならば邪魔したくはないなあ、引越しの準備が思うよりも大変で忙しいのかもしれないし…と思い込むことでなんとか今日まで生きてきました。「どうして知らせてくれなかったのかな」とも思ったけれど、たまにしか遊ばない友達に出発の日時を教えるわけがありません。この結末はただの自業自得です。大切にしたくて、私がいちばん醜いと考えている自分から遠ざけようとして疎遠になるなんて、自分もびっくりするくらいのブーメラン。なんて救えない。彼女にとって昔よく遊んだ程度のお友達になっていただけなんです。どうしようもない、始まってすらいない私の初恋はここで終わります

こんなこと、誰にも話せないから、ここに書きました。友達がずっと恋愛感情を持っていたなんて知ったら気持ち悪がられるに決まってる。なによりこんなことを書いている私が、私のことを一番気持ち悪いと思っているのだから。そう思われたくない。彼女に嫌われることは何より怖い。好きだと言うことも今後絶対にない。叶うこともない。だって彼女女の子で、私も女。彼女はたぶん異性のことを好きになる人です。それでも話せるだけで嬉しかったし、満たされていたし、じゅうぶん幸せだった。ずっとずっと仲良くしてくれてありがとうあなたは私の救いで、大げさかもしれないけれど、光でした。あなたは強い人だから、きっとお仕事もうまくいきますあなたがこれから幸せであるようにここから願っています

2019-03-22

anond:20190322232452

戦争に負けた後、日本人マッカーサー元帥万歳と言って進駐軍を受け入れたという

昨日までは天皇陛下万歳と言っていたのと同じ国民がだ

当のマッカーサーもびっくり思いあがって大統領選出馬したりした

なんかGAFA礼賛を見てそういうことを最近思う

2019-03-14

anond:20190314212406

疑惑がかかっただけで親兄弟に殴り殺されたり

油をかけられて燃やされたりする

北朝鮮オウムもびっくりの恐怖社会

2019-03-13

スリジエという女性アイドルグループにハマった話

その出会いは衝撃だった。

どん、と胸を打たれるような、きっとこれは出会うべくして出会ったのではないか錯覚するような、そんな出会いだった。

これは別にただのアイドルヲタクの備忘録のようなものであり、個人特定などもされそうだが特にこれと言って匿名で書いている意味もない。これを踏まえて興味がある方に興味を持っていただければそれに越したことはない。

ことの始まりは昨年1月に遡る。

たまたま地元イオンにふらっと寄った時のことだ。エスカレーターを降りる時、ふとアイドルライブをしているのが目に入った。

降りた先で最初に目についた背の高い女の子はなんとも可愛いミントグリーン衣装を着て熱心にビラ配りをしていた。(これが後にスリジエ候補生リー(当時)の石原由梨奈ちゃんであったことがわかる)2つのグループで合同のインストアイベントだと聞いたが、他にも何種類かの衣装を纏った少女たちがとにかくたくさんいた。

その日、たまたま散歩帰りで望遠レンズではないとはいえ一眼レフカメラを持っていた私は迷わず撮影エリアに行った。というか、気がついたらピンク衣装女の子たちを撮っていた。ほんの無意識だった。あの日カメラを持っていたことは偶然ではなかったのかもしれないとすら今になって思う。

そうこうしているうちにひとりの小柄な女の子が目についた。

可愛い

なんだこの可愛さは。

これが後に「推し」となる朝日奈えみちゃんとの出会いだった。これはもう衝撃だった。

幸いにもインストアイベントが終わってからハイタッチ会があったためにメンバー全員を近くで見られたのだが、全員が可愛いのは言うまでもないがやっぱり彼女は抜群に可愛かった。まさに一目惚れだった。

メンバーとのハイタッチが終わってすぐに、迷わずGoogleで「スリジエ」と検索していた。わたし一目惚れした彼女朝日奈えみちゃん自分と同い年、さらにはお誕生日も2日違いではないか趣味コスプレ。元々小学校高学年の頃から深夜アニメを観るようになって、その後は声優ヲタに片足を突っ込んだ経緯のある自分に重なるものがあり、一気に親近感を覚えた。

そして発売が1ヶ月以上先のCDを迷うことなく予約した。そして初めて、その場で一目惚れした女の子ツーショットチェキを撮った。初めてチェキを撮った時はとにかく緊張と興奮が混ざっていて何を話したか全然覚えていないが、その時のチェキを見返すと、推しと一緒に非常に楽しそうにハートを作っているわたしが写っているので、きっと相当楽しかったんだと思う。

その興奮も収まりきらないまま夜になってしまった。そんな時だった。時刻は午前1時半をまわっていた。その時は偶然起きていて、昼間にの散歩で撮った写真現像していた。iPhoneの画面がついたと思って見たら、そこにはTwitterからの通知が来ていた。

開いた先には何と、先ほどチェキを撮った彼女からリプライが来ていた。というのも、興奮したままのテンションで「スリジエというグループが可愛くて~特に朝日奈えみちゃんが好み~」みたいな何とも稚拙ツイートをしていたかであるまさかリプなんて来るわけないだろう、と思っていただけに本当に衝撃だった。そこに書かれた「またライブに遊びに来てくれると嬉しい」といった内容に、軽率に釣られてしまったのである

わたしは元々SKE48から女性アイドルに興味を持つようになり、スリジエを知る前はでんぱ組.inc妄想キャリブレーションなどが好きだった。とはいえ、いずれもある程度女性ファンが多い。しかスリジエは、ましてや撮影可能エリアには女性なんてほぼほぼいなかった。でもやっぱり「推し」となった子の笑顔を見るとこちらまで嬉しくなるものからインストアイベントでは何とかして大きなカメラを抱えた男性方に混ざって必死写真を撮っていた。

たまに「女の子がいるのが見えたらメンバーも嬉しくなるだろうから」と前に入れてくださる方もいた。こういう場では軽蔑されるだろうとヒヤヒヤしていたわたしからしたら、その人たちがもはや神様か何かに見えた。今もインストアイベントやら撮影可能の外部ライブ写真を取り続けていられるのは、そんな方々がいたおかげだと思う。そして、メンバーに青葉桃花ちゃんという「カメラ女子」がいたことも大きかった。彼女のおかげで写真を撮ることが間違いなく楽しくなった。

スリジエインストアイベントや外部ライブへの出演だけでなく、週に4日秋葉原で「定期公演」と称されるライブを行っているグループだ。わたしは当初、このライブには行けなかった。理由はよく覚えていないが、間違いなくアウェーだと思っていたのは事実である。おかげで4月の終わりまで何だかんだで定期公演へ足を運ぶことが出来ないでいた。

でも実際に行くと、アウェーとかそういうものとはまるでかけ離れていた。その日はゴールデンウイーク間中ということもあり、とある候補生メンバー生誕祭が平日の朝から行われていた。はからずも生誕祭という比較的誰でも楽しみやすイベントで定期公演デビューを飾れたことは、我ながらとても良かったなと今でも思う。

意外とあたたか現場。会場に入るや否や、初めに感じたのはこれだった。女性の居場所なんてないんじゃないかと思っていたのは何だったのかと思うぐらい、罵声を浴びせられることもなかったし好奇の目で見られることもなかった。どう見てもわたし以外は全員男性だったのに。学生時代男性アイドルグループも観てきていたが、その度に「メンバーと同性なのにファンをしているのは何が楽しいのか」という疑問を抱いている人が多い環境にいたわたしには、これも衝撃のひとつであった。

しかった、という感想しかか出ない程楽しかった。次の日も、そのまた次の日も、朝から秋葉原に出向いた。そうしていくうちに、元々インストアイベントで撮らせてもらっていた時以上に全体的にライブを観られるようになった。この子はこんな魅力のあるダンスをするんだ、この子MCで話すとこんなに面白いんだ。そんな発見がとても楽しかった。そして、元々この子が好きだなあ、というぼんやりとした気持ちだったのが、各ユニットでこの子を観たい!というものさらに明確に定まっていった。それまでは1人でライブを観ていた超人見知りのわたしと、この頃から会場で話してくれる方が出来始めた。実生活共通趣味友達があまりいないこともあって純粋に嬉しかった。

ゴールデンウイークが明けてからは、平日に各ユニットでのワンマンライブがあった。わたし候補生リー(5月16日)スリジエ宙組(5月18日)のワンマンライブを観に行った。ツリーワンマンライブの日、別のユニット所属しているメンバーたちが参加しているサイン会推しチェキを撮ったその足で走って会場まで向かったのを鮮明に覚えている。人は普通ヒールでこんなに走れるのか、と感激したぐらい、高校生の体育の授業の時のように全力でダッシュした。また、この時の公演は半分以上観られなかったこともあって、初めてその場でBlu-Rayを買ったのもいい思い出だ。

宙組ワンマンライブの日はその前から告知があったために職場には休み申請していた。そして意気揚々と会場に入った。推し体調不良で先述のサイン会からの復帰であったが、正直どこの誰よりも可愛くてああ、この子を観に来て良かった、と思った。また、この時に初めて宙組メンバー全員と一緒にチェキを撮った。その前からTwitterにちょいちょいインストアイベントで撮った写真を載せていたこともあったからか、推しチェキサインをしてくれている間に色々話しかけてくれるメンバーいたことにもびっくりした。

そんな充実した5月も終わろうとしていた頃。アイドル撮影会に初めて足を運んだ。それまでポートレートと言っても友人ぐらいしかまともに撮ったことのなかったわたしからしたら未知の世界ではあったが、先述のサイン会(またかよ)の会場であったスタジオでの開催ということ、そして推しが参加することからわず予約した。

撮影会と言ってもポージングの指示出しとかしたことないしな…と不安だったが、そんなもの杞憂だった。どのメンバーもほぼ同世代ということもあって、いろんな話をしてくれたことがすごく楽しかった。気がついたら結構な量の写真を撮っていて、3時間なんてあっという間に経ってしまった。

それから先は推しが休業したり出演したりとまちまちではあったが、とにかく受付で「お目当てのメンバーは?」と聞かれると「朝日奈えみちゃん」と答える日が続いた。推しの休業が寂しくなかった、と言えば嘘になるが、休んでる間にも待ってることを伝える術はTwitterリプライを送ること以上に会場へ足を運んで動員を入れることだと思ったかである。そしてその間にこの子はこんなところが素敵だな、とか、そういう発見をたくさんした。このことは後々の(今でもだが)インストアイベントやら外部ライブやら撮影会で写真を撮る時の参考になったり、話すネタになったりしている。

また、推しがいない中でもライブを観て楽しめたのは当初スリジエ候補生リー所属していた中村柚月ちゃん(現在アリスプロジェクト移籍仮面女子候補生所属)の存在なくして語れない。彼女推しと仲良くしていたほか、わたしとの共通話題がたくさんあったこからイベントがあれば気がついたらチェキを撮るようになっていた。推しとはまた違った魅力がたくさん詰まっていた。どんどんその魅力がに惹かれるようになり、「推しが大好きな彼女もっと好きになりたい」そう思うようになった。

そして迎えた9月。うだるように暑い夏が終わろうとしていた9月2日に、スリジエリーダー中丸葵ちゃん生誕祭が開催された。その時に偶然居合わせフォロワーさんと話した時に言われた些細なひとことが、この後の運命を変えたような気がする。

「えみりー(推し愛称)の生誕祭、どうするの?」

正直わたしはそれまで、他に動く人がいるだろう、とか、何なら女性がほぼいない現場で、しかわたしみたいなどこの現場にもいるわけでもない人間が動いたりなんてしたら5ちゃんねるとかでフルボッコにされるんじゃないかな、とか思っていた。その上推しは当時、身体の不調が続いていたことにより、長期的な休業に入っていた。

しかしその段階では誰も彼女生誕祭について動いていないようで、誰かがやらないといけないことをその時に初めて知った。生誕祭9月24日。あと3週間しかない。

元々何かを頼まれたら断れない性格であったことも相まって、せっかくならメッセージカードをたくさん貼ったアルバム(通称ヲタ図鑑)を作って「皆で復帰を待ってたよ」的な感じにしたいなと思った。その日の公演の帰りに自分メッセージカードデザインして業者発注をかけなければならないということに気がついた。そして帰ってからデザイン構成し、業者発注した。自分で言うのも何だが、尻に火が付いたら秒で物事を終えられる性格だなと改めて思ったものだ。

この後「生誕祭一緒にやりませんか?」といった内容で連絡を下さった方には事後報告になってしまったが、とにかく注文したメッセージカードが届き次第メッセージを集めた。正直100人ももらえないかもしれない、予備を含めたと言ってもさすがに200枚は作りすぎたな…とか思っていたにも関わらず、余裕で120枚近くのメッセージカードが集まった時には感激した。それらをアルバムに1枚1枚貼る時、たくさんの方がメッセージカードの内容を読みながら泣きそうになった。こんなに愛されている子を好きになれたことは幸せだな、そう思ったら胸の奥が熱くなった。

余談だがこのヲタ図鑑推しと同い年の自分担当することになった時に「推しが泣くぐらい喜ぶものを作りたい」という目標を設定して作った。せっかくならとびっきり可愛くて、他のメンバーに自慢したくなるような女子ウケの良いものにしたい、と思った。しかしながらわたし自身にそこまでのセンスがなかったこともあって、そこまで可愛いものではなかったかもしれない。

そんなこんなでバタバタしつつも順調に作業をして迎えた生誕祭当日。朝から気合を入れるためにビールを飲んで秋葉原へ向かった。開演1時間半前に秋葉原に着いたのに、開演するまであっという間だった。何なら開演してからもあっという間だった。生誕祭の内容に関してDVDも発売されているために詳しく書かないが、とにかく本人がこの日のために撮影編集したというオープニングの映像(https://youtu.be/b-JAqGexHWU)が始まってすぐに泣いた。というかその前から推しの姿がちらっと見えるだけで泣いていた。久しぶりに見た推し笑顔。そしてそんな推しに皆で振った緑色サイリウム。ただただあっという間に過ぎていくそ時間は、2018年いちばんキラキラしていた瞬間だった。その後のチェキ会でメイクがドロドロになりながらもチェキを撮ったこともはっきりと覚えている。いろんな方のご協力があっだからこそ見られた推し笑顔。どの方面にも感謝してもしきれない。

それから推し活動復帰ということもあり、足を運べる時はライブに行くことを優先した。アイドルはいつ会えなくなるかわからない、でも会えるうちにたくさん会わないと伝えたい言葉を伝えきれないと感じたからだ。気がついたらいろんなイベントスリジエと一緒に過ごしていた。

元々インドア派だったわたしフットワークが、異様に軽くなった。楽しいこともあったし、推しと仲良くしていたメンバーが次々に卒業してしまったり移籍してしまったり、そんなような泣きたくなるようなこともあった。でも、今となってはどれもいい思い出だ。思い出したらきりがない。

そしてスリジエきっかけに、住んでいる場所や年齢、職業などの壁を超えた知り合いがたくさん出来た。びっくりするぐらいどの人もすごくいい人で、それぞれの推しに対する愛情が深くて観ているだけで「ああ、○○ちゃんはこんなに愛されてて幸せ者だなあ」と思わされるぐらいだ。

女子出身学生時代バイト先も女の子ばっかりだった上今の職場でも異性とあまりさな環境にいて自他ともに認める「コミュ障」であったわたしがこんなに様々な男性と話せるようになるなんて、1年前には思ってもみなかったことだ。

その人たちの推しているメンバーの記念のイベントがあった時にお手伝いをさせて頂いていると、この子はこういうところが素敵だなという新たな発見がある。その時も「そうなんだよね〜この子のこういうところが好き」という会話から好き、可愛い、という感情シェアできるのがシンプルに嬉しい。

どうして女性女性アイドルヲタクをやっているのか時々聞かれることもあるが、単純に楽しそうな推しを観ているとこちらまで楽しくなってくるからという理由に尽きる。別にガチ恋でもないし、かと言って友達になりたいとかそういう願望もないので、単純に雲の上の存在として眺めているのが目の保養になって楽しい。そして自分の見た目へのコンプレックスも相まって、来世ではこんな顔に生まれいから今のうちに徳を積みたいな、という実にしょうもないことを考えている時もあるがこれも楽しい

書いていて文章がまとまらなくなりつつありますが、とにかく何が言いたいかというと。

わたしスリジエが大好きです!

スリジエの定期公演について

......................................................

❁*゚スリジエ定期公演詳細

https://ameblo.jp/livecerisier/

❁*゚『You are No.1MUSIC VIDEO FULL Ver.

https://youtu.be/1KMQD8c0-c0

2019-03-11

死あるのみとかそもそも人間はみんな死ぬだろ

死あるのみとか聞いてもびびれん。

いかいかのちがいしかないし

2019-03-06

婚活で、何でもかんでも女子アナ風に変えて男立てるキャラにしてその女は幸せになれんのか?

男もしかり。何でもかんでもジャケットスタイルファッションを変えてエスコートしますよ奢りますよってキャラにして、それで好かれたとして、幸せになれんのかな?

じつは女子アナ風ですけどレディ・ガガもびっくりなモードファッションが好きとか、ジャケットを着こなして余裕のある感じですけど普段ラッパーみたいに金のネックレスじゃらじゃらつけてますとか、あるでしょ。

婚活ってお互いのバックグラウンドが見えないからわかんない。しかもああいアドバイザーってなぜか急かせるし。冷静になって別れちゃったら成約料取れないもんな!

結婚するとなればいつまでも偽れない。そんな偽物の自分で高感度上げるアドバイスとか意味あんのか。いやまあ結婚相談所としては正しいんだろうけどね、その後の人生なんて知ったこっちゃない、婚約で成婚料取るビジネスだしね。

2019-03-04

世の大体のホラーが、あまり怖くなくなった

大人になるってこういうことなんだね

 

もびっくり系はやめろ

2019-02-26

家にいる猫らしきなにか

同じ一匹の猫と暮らしてもうずいぶん長いのだがその猫が

自分が猫と暮らす前に想像していたり道端で遭遇したりするいわゆる一般想像するような猫の態度とは

ずいぶん違うタイプの猫でおよそ「猫」というパターン範囲に当てはまる感じの猫ではなくて

しかしそれを当たり前だと感じたりかわいいと感じたりする程度の年月が経ってしま

まりにもただ個としての存在感が強力になっておりもはやその猫を「猫という種」として認識することが難しい

その辺をただなにか猫らしいかわいい形のうちにいるこの一匹しかその種類がこの世に存在してない生きもの

うろうろ歩いたり餌を食べたり眠ったりしているところを静かに見守ったりうんこを片づけたりしている

別になにか特別人格のようなものを仮託しているわけではないと思うのだが

この猫らしき生きものと暮らす前に自分が見聞きしていたまさに猫らしい仕草やまさに猫らしい声を

この謎の猫らしき生きものが本当にごく稀にそっくりそのまま再現しているとあまりもびっくりして

猫だ!猫がうちにいるぞ!!!とうろたえ色めきたってしまう 猫だ!ってばかみたいに言っている

そういえばこれは猫だったんだと感慨深くなりただしげしげとその様子を眺めて猫が家にいることをその度に噛みしめる

もう10数年もそうだったんだなあと思って愕然とする 猫、うちにいたんだな…おまえ猫だったんだな…と思って

「猫を飼っている」という単純明白な事実のもの何度でも痺れてしま

このおよそ猫らしくない猫があのとき家に来てくれて本当によかったなあと思う

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