はてなキーワード: 挽回とは
真面目な親が、"お金を払って働く"というイミフな状況におかれ、それでも府民のためやでと働いてた。親を誇りに思うと同時に、人のためという思いは報われないことを知った。
国政もひどかった。はてブのエコーチェンバーにかかりどんどんと国への忠誠心が下がった。ふるさと納税も自粛し、コロナでは外出控えたが、そういう者が不利益を被る社会に絶望してきた。
資本主義が嫌いで慎ましく清貧に生きるつもりだったが、なんか吹っ切れてもう利己的でもいいかと思い始めて、国にとっては良くないかもしれない投資を始めた。
アベノミクスで円が刷られまくって、でも経済循環には回らず金持ちの懐に入るだけ入るという時限爆弾と化し、こいつぁ発火したらハイパーインフレも気をつけなきゃなあと思い、今のうちに資産をと外貨に避難してる。
金利差もあるので、国債を買うようなつもりで、気軽なFXを始めた。
国債をレバレッジかけて買うとか普通できないよなぁ!ということでFX。
100万預けて1日200〜250円もらえる。レバ20倍で見ると5万預けて日利0.5%だ。年利200%近い。爆益だ。
だから長期でドルを持った。リスク分散とは言いつつも、この行為が円安の原動力ともなり、自分だけ他人と比べて得をするという発想からの行為であり、他人のためにまったくならないことに頭を使うのは、なかなか居心地が悪い。
さて運用は余剰資金を年100万用意してレバ10倍程度かけて運用。
2022年:円安トレンドを見て再開。掛金倍プッシュした直後に為替介入が起こり、持ち続けて下がってロスカット引退
2023年:年始から投資。11月に掛金倍プッシュしたら円高に変わったがトータルではプラス300万
2024年:年始から投資。4月末に掛金倍プッシュしたら介入あり700万溶かすが、7月には2000万となる。レバ10倍になるよう掛金倍プッシュしたら介入あり1300万溶かす。
今年はちょうど2000万溶けてたな。まぁトータルでは400万の原資で700万まだ残ってるけど。
介入やらファンダメンタルやら雰囲気やらに釣られてトレード実施した時に損しなかったことは今のところ一度もない。
デイトレを天気予報に例えるなら、スパコンでシミュレーションされる数値予報が存在する前で、その情報にアクセスせず実況の天気図を見ながら、明日晴れるか曇るかを予想するようなもんだと思う。
デイトレにおける個人と機関投資家との差は圧倒的な情報へのアクセス性と金融工学知見その他ツールだろう。
素人なんて心理的な動きを統計的に刈られたり、ほにゃららな線を元に〜みたいなのを強引に刈りとる金の動かしができるんだから、予測性に対して圧倒的な格差がある。半々の博打と思ってはいけない。
そうはわかってるはずなのに、手を出してしまうのがギャンブル依存症。
個人的にレバレッジかけてる=ギャンブルなのではない。この言説よくわからん。機関投資家もレバかけてるっしょ。
負けるとわかってても、あの時こうしてたらいけたなと夢見てしまうそれがあかんのだ。
下がってる。今は引き上げよう。あれ1円下がってる。ショートで持ってたらあんなに稼げたのか……今からでも雰囲気一緒だし乗っかれるかな……とか考え始めて、もう溶ける溶ける。
事後諸葛孔明が、だから手を出すなというんだけど、でもほんとにあそこで逆張りしてたら…!という心理がものすごく強いんよねぇ。
ほんと、ほんの少しの、ほんの少しの先読みが当たれば、後から考えたらこう持てばみたいなのが、客観視がものすごく難しい。
ほら日本海に雲が広がってただろ、だからあれがやってきて曇るんだよって。後になったらわかるのに。
次の日はいや太平洋高気圧が張り出してるから、みたいなのを後になって考察できてさ。
こんなん予測に活かせられてなくて、後付の無根拠な理由つけだ。
デイトレは自分でツール開発するくらいしないならやめとけとしかいえんね。
戒めの日記。
700万守らなきゃ。
でも目が眩んでる。こんなん書いててもまだ眩んでチャートを開いてる。
自分でどうせ趣味のギャンブル資金だしとか言い訳つけてまた開いてる。一貫性が自分の中で保てない
まじでやばい。元の、金利差を頂戴するという価値観が、目の前の振れ幅に目移りしてる。
介入やらなんやらきっかけで一度デイトレで遊んでしまうと、つい手に取ってしまう。
鋼の心が必要。戒め。
独身・氷河期世代・精神病持ち・会社を追い出された。毎日ずっと、ジ○ツする事しか頭から離れない。自分が幸せになることなんて無理なんだともうこの年齢から挽回なんて不可能なんだと理解している。追い打ちをかけて、先日、2年ほど片思いであった女性に交際をOKしてもらえたのも束の間、たった1日後には、考え直したが、やっぱり止めたいと拒絶された。誰の言葉も信用出来ない。精神病・双極性障害2型とADHDのおかげで仕事を続けられなくなった。生活保護のケースワーカーに相談にいくと、20代の若い男性CWに鼻で嘲笑われ馬鹿にされた。○○してやろうかって本気で思った。犯罪でもして刑務所に入るほうがマシかもしれない。散々人に騙されてきた。利用されてきた。みんなで俺を微笑ってる。連中になにかをしてからジ○ツするべきかと思うことがある。やり残したのはそれだけか。氷河期世代は遺棄された世代だという。もう行き場も何も無い。
頭脳労働なんてごく少数の人間でまわるので、阪大生くらいじゃたいした稀少性は無いんだよね。
東大と京大と、それらに落ちて早慶に入った中にも阪大生より頭の良いやつはいくらでもいる。
毎年数万人ペースで量産される程度の頭の良さ。
でも、世の中で足りていない知的スキルには、「せめて阪大程度は出られる能力が無いと修得や応用がきつい」というものがたくさんあるのも事実。
社会になじめない人柄を変えるのは難しいけど、30歳までに「社会にはなじまない人柄だけど、仕事には欠かせない優秀な○○」になっていることはそんなに難しくないと思う。
頭の良い数万人の多くは人当りも良いので、JTC等に就職して量産型の幸せな人生を送る、ちょっと優秀なだけの量産型会社員になっていくからね。
元増田は、できることなら4年前に医学部にでも行っておくべきだったのかもしれないけれど、まだどうとでも挽回できる段階だよ。
老婆心ながら。
ぴえん!
お仕事処理していたら間違っちゃって500枚の出力をしちゃって、
もー!って感じよ。
そのやり直しにてんてこ舞いを披露したところで
今やっと全部伝票を修正して取り戻したところ。
なので、
今日は忙しいにもほどがあるのよ!
だからここでうかうか書いていられない
私の今の状況としてはナイトメアが倒せない!
もー
いつの間にか任天堂Switchでゲームボーイアドバンスも遊べるようにしてみたので、
そうしたら、
なーに!
私ってメトロイド好きじゃないですかー!って知らないわよ!って総ツッコミされそうだけれど。
つーことでメトロイドフュージョン!
ナイトメアのところまで言ったんだけど
ボスが倒せないの!
もーこれでまた寝れない夜が眠れなくなると思ってやけになって、
今まででチャージした通常段で挑んでいたんだけど
瞬殺できちゃって、
今までの苦労は何だったの?って
たまにはヤケのヤンパチになるのもありなのね!って思ったわ
パターンを読んで、
敵ボスが定位置に戻るには同こっちが動いたら良いのかしら?って苦戦していたところもうどうにもならないので、
今までのく苦労はなんだったの?って
ちょっと拍子抜けだけど、
あれもうさ、
それよりも迷路が意地悪すぎて
そっちにも苦労する苦戦するのよ。
隠し通路は見えないの。
迷路が意地悪だわーって思いつつ
ナビゲーションシステムの指令にあっちに行ったりこっちに行ったりと
なんか指示されて忙しいわ。
そんでナイトメアを倒したところで
もう寝るに限る!ってことで
寝てしまいました。
またメトロイドで明け暮れる日々よ。
朝ミスった伝票の挽回はもうできたので今日のお仕事はほぼほぼ終了よ。
間違えちゃったわ。
うふふ。
しゃきしゃきレタスも美味しくタマゴといいコンビネーションを歯応えが感じるわ!
朝の元気ね!
思って買っておいてまだ開けてないのを思い出した
冷え冷えの冷たいシュワシュワが朝に効くわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
(原作およびアニメ最新話のネタバレ含みます。次回のアニメで描かされそうな部分はたぶん触れてないはず)
思ったより長くなったので簡単なまとめ
・一部原作ファン界隈の反応をずっと追いながら、ユーフォ3期を見てきた
ユーフォ3期最新話の改編回りがまあまあ話題になっていたので、Twitterの一部原作ファン界隈の反応を観察し続けてきた自分の見てきた光景について、ちょっと書いてみたいなと思った。
ここで書く原作ファン界隈(以下、「原作組」表記)は、原作・作者に対する熱心なファンで、思い入れの強さが「原作>>>アニメ」ってスタンスに見える人たち。
原作既読のファンの中でも濃度や比重はそれぞれだと思うので、あくまで一部界隈に限った反応ということでよろしく。
ちなみに、なんでそんな界隈の反応を観察していたかというと、
自分個人としてもアニメユーフォの2年生編(劇場版「誓いのフィナーレ」 )が原作の良さを台無しにしまくった残念作品だったことで、アニメ版を見る目が以前よりも少ししらけてしまって、比較的共感出来そうな層の感想を摂取したかったからという経緯から。
自分も、おそらく原作組もほとんどが、アニメユーフォ1期の大傑作ぶりに魅了されたのがきっかけで作品のファンになったはずだし、
自分としては今でも、1年生編の範囲に関してはアニメの方が原作より好きなくらいなのだけど、
そんな素晴らしいアニメ1期2期を作ってくれたスタッフなだけに、2年生編の劇場版はホントにがっかりしたのよね・・・。
まず、1~3年生編の中で、2年編が一番群像劇感強くてTVアニメ向けっぽいのに、劇場版の短い尺に押し込めたせいで構成が歪になり、大事なシーンもカットされまくったこと全体がとにかく残念だった。
それに、尺が短い中でやらなきゃいけないという前提を汲んでもなお、省略されたことや改変されたことが許容できないシーンが数点あった。
特に一番大きいのが、秀一と久美子の交際停止タイミングを関西大会前に変えて、理由もなんかふわっとした感じにしちゃったこと。
原作だと、タイミングはラストの関西大会敗北後。気丈に振る舞っていた優子前部長が影で涙していたことを知り、しかもその優子・夏紀から直々に次期部長を託された久美子が、部活に全てを賭ける決意の証として別れを切り出す。秀一もそれを受け入れ、”恋人”じゃなく”部長”の久美子を支える決意をする・・・というめちゃくちゃドラマチックで大好きなシーンだったので、映画で改悪されたこのシーン見たときは呆然とした。
そもそも原作のこのシーンから取って「誓いのフィナーレ」ってタイトルにしたもんだと思ってたからね。
他にも、原作の2年生編は続く3年編への布石をいっぱい打っている作品で、
●久美子が下級生の指導係としてお悩み相談に奮闘→翌年部長として慕われまくり、それがかえって真由を疎外してしまう根拠に
●集団退部の苦い経験から、部の融和を何より重んじてきた優子前部長が、その反動で部の空気が緩んだことを敗因と分析→翌年、高坂ドラムメジャーの元でスパルタ改革する理由作りに
●優子や夏紀達が身を削って最後の1年部に尽くしてきた姿を描く→それを部長として受け継いだ久美子の重みが増す
・・・等々、3年編を盛り上げたり説得力を出したりするための「つなぎの一作」として非常に優れた作品だったのに、そういう要素がアニメ2年編では省略されまくり、そのせいでアニメ3年編にもそうした文脈が引き継がれなかったのがとにかく残念だった。
そんなこんなで2年編で一気に原作とアニメの評価が逆転してしまい、待望のアニメ3年編開始にも以前ほどの熱量の湧いてこず、少し冷めた目線を共有するスタンスくらいの方が心地よいかなと思った次第。
一方で、2年編と違って、3年編に関しては個人的に原作に対しても不満・消化不良に感じた点が多かったりして。実は、「そのままアニメ化するより、なんか良い具合にアレンジしてくれないかな・・・」という本音を持ち合わせてたのも面もあったりした。
原作で全編に散らばらせていた月永求のエピソードを、1話にギュッと圧縮した改変は比較的好評で、
後は、アニメで謎に求×奏の絡みが盛られまくったことなんかは面白がられていたが、
それ以外は全体的に、「ここ原作の方が良かった」みたいにチクチク言われてることの方が多かった印象。
特に、不評が一気に顕著になっていたのが、直近の10話・11話の描写。
一番多かった批判としては、アニメの麗奈が原作に比べてブレすぎ、ナヨナヨしすぎ、久美子に依存しすぎに見える、というものだったと思う。
確かに原作の麗奈は良くも悪くももっと自分を貫き通し続けて、久美子への態度もドライだったと記憶している(あんなに繰り返し「久美子とソリを吹きたい」と言うのはアニメだけ。なんなら原作の麗奈は真由とも仲良くしていたりする)
他は、以下のような不満点が挙がっていたかと。
・原作であった「部活・コンクール・音楽とは」みたいな多様な観点が薄れて、「努力して全国大会で勝つ!」みたいな単純なスポ根ものに見えちゃう
特に、アニメは原作より久美子×麗奈のイチャつき重視、久美子×秀一の要素は薄め・・・というのは以前からの流れだけど、
直近ではプラスして、麗奈のキャラ自体が原作より変わっちゃった感があったのも相まって、10話11話辺りの久美子×麗奈の描写はかなり冷めた目で見られていたように感じた。
ただ、自分もその感想に全て同調していたかというとそうではなく、
なにせ根っからの判官贔屓体質なので、こうも「原作の方が良かった」という小言を見ていると、「いやここはアニメの方が良くないか」という点を探しがちになっていた。
例えば、10話で久美子が部をまとめるために演説する内容、タイミングが原作から変更されていたが、「北宇治の仲間に話しかけるシーン」としては、自分はアニメの方が良いなと思った。
原作では名無しの3年生達も、皆名前と顔を描き続けてきたアニメだからこそ、「北宇治のみんなと最高の演奏をしたい! みんななら出来る!」というアニメの演説シーンは、全然陳腐とか思わず素直にぐっときた。黒沢ともよさんの演技が最高なのは言わずもがな、それを聞いてる皆の表情で泣けるんだ。この子達にも皆、部活に全力投球してきた3年間があったんだよなあと思いをはせてしまう
一番批判されていた麗奈の描写も、確かに原作の方が孤高な感じでカッコいいなと思う一方で、原作麗奈のスパルタ指導や滝先生への批判を精力的に取り締まる描写はやり過ぎに感じた部分もあったので、アニメの描き方もこれはこれでアリかな・・・くらいの印象だった。
そんなこんなで、多少残念な点もありつつ、2年編と違ってそんなにアニメ版が悪いとも思えなかったので、原作組に対して、「そんなに悪く言わんでも・・・」「ここからアニメ版がめちゃくちゃ凄い描写をして、ギャフンと言わせてくれないかな」みたいな反骨心をどこか抱きながら、12話の放送を迎えることになった。
確か11話の放送が割とすぐ後くらいに、12話のあらすじと一枚絵が掲載されて、
どうやら、12話では久美子と真由がソリをかけて公開オーディションするアニオリ展開になりそうだ・・ということが分かった。
その瞬間からもう、「これはヤバいんじゃないか」という、悪い意味でザワザワした空気が漂っていた。
原作を読んでいる人からしたら、最後のオーディションで久美子がソリを奪い返すという結末を当然前提に入れている。
そのうえで、部員投票の対決という舞台を使って、「皆に肩入れされる側の」久美子が勝つ・・・という展開をどうすれば納得いく形で描けるのか、非常に想像するのが難しい。
11話までの描写でアニメスタッフに不信感を抱いていた層からは「これ、『1期(麗奈vs香織先輩)のオマージュやったらエモいっしょ』くらいの感覚でやってないか? 」みたいに言われてたり。正直自分も、この展開に関しては不安の方がだいぶ大きかった。
後からリアルタイムのツイートを見てみると、オーディションが始まるまでは相変わらず不満の声が多かった。
「まーた麗奈が『最後は絶対久美子とソリ吹きたい』とか言ってるよ。原作と別人じゃん」とか、
「真由にとってつけたような悲しい過去付与すんなよ。原作と別人じゃん」とか。
久美子が敗北するというオリジナル展開、しかも決定的な一票を投じるのが麗奈・・・という大規模改編展開に突入した瞬間、空気が一変していた。
「うおおおおお!」 「まじかあああ!」 「やりやがった!」
みたいな、ポジティブよりの興奮した反応が一気にあふれ出していたのだ。
そして放送終了直後には、
「今回は素晴らしかった」 「こういうのでいいんだよ」 「今までの改変も腑に落ちた」 「石原花田を見直した。すいませんでした」
みたいな手のひらクルクル感想が投稿されていて、ある意味こっちの流れもカタルシスがあった。
単に1期のオーディションや大吉山の名シーンをなぞる演出が良かったとかそういう表面的なところだけじゃなく、この方が物語に説得力がある、作品に筋が通った・・・と思わせてくれる作りなっていたからだと思う。
象徴的なのが、これまで批判されていた、「麗奈が久美子にベタベタしすぎ」 「やたらと繰り返す、久美子とソリ吹きたい発言」という要素が、「それでも、『演奏の上手さが絶対』という信念や、2年前オーディションの時の久美子との誓いを貫いて、真由とのソリを選ぶ」という、原作とは違う形で麗奈の気高さを描く展開の前振りとして機能していたこと。
これがやりたかったのなら、なるほど今までの改変描写も理解出来る・・・と見直されたわけだ。
「ここから巻き返すには、もうアニオリ展開で真由に勝たせるしかないのでは」
「これで真由に勝たせたら手のひら返すわ」
みたいな、この改変展開になったら良いんじゃないかって予言していた人もちらほらいたのだ。
(まさか本当にそこまで攻めた手を打ってくるとは思ってなかっただろうけど)
原作至上主義みたいな人からもそういう発想が出てくるあたり、少なくともアニメ版は最初からこの結末を正解とする前提で、そこに向かっていろんな描写を積み上げてきていたのだと思う。原作と目指すゴールが違うから、その過程で違和感が生じることにもなるよねと。
アニメのユーフォは最初の1期が原作にないオリジナル要素盛りまくりで、
麗奈と香織が部員投票オーディションで対決するくだりも、その際に久美子と「裏切ったら殺していい」と誓い合うくだりも、久美子が上手くなりたいと叫びながら橋を疾走するくだりも、全部原作には全くないシーン。
これらのシーンがあるかないかによって、初期の時点からもう原作とアニメの久美子・麗奈のパーソナリティは分かれてきているのではないかと。
アニメスタッフは別に原作を理解出来てないわけじゃなくて、スタートの時点から違う解釈のものを描き続けてきて、それを貫き通したんだというのが自分の印象。
アニメ版では原作よりも、中3麗奈の「悔しくて死にそう」発言が久美子の原点であると度々主張していたり、
「上手くなりたい」 「特別になりたい」という価値観を強調し続けてきた。
だからこそ今回の大一番で、久美子と麗奈に徹底した上手さ至上主義を貫き通し、
最後に改めて久美子の「死ぬほど悔しい」発言で決着させたことで、
「アニメ版ならこの結末が正解だ」 「アニメ版でのテーマをやり通した」と納得させて、
これまで不満を表明していた原作ファンからも、「自分はそれでも原作の方が好きだけど、アニメの解釈もこれはこれで一つの形としてアリだ」みたいな声を引き出すまでに一気に挽回できた・・・のだと思う。
あとは、単純に今、「原作改変」に向けられる目が史上かつて無いほどシビアであり、
しかもアニメのユーフォといえば「くみれい」 「演奏シーン」が代名詞になってる節があるのに、
最後の最後で、「久美子と麗奈が全国大会でソリを吹く」という、無難にやれば3期最大の見せ場になっただろうシーンを、あえて外す。
原作通り久美子に勝って欲しかった、普通に久美子麗奈の全国ソリを見せて欲しかったって意見の人もいるだろうし、その価値観も否定されるべきでは無いと思う。
ただ、少なくともアニメ版の改変はちゃんと意図のある、信念に基づく行為だったと思うし、
原作ファンの中にもそれを理解している、評価している人は少なからずいるよ・・・という話でした。
個人的にも、12話の展開は凄く好みだったし、納得したし、感動した。
ユーフォの1期2期は自分の生涯No.1アニメ作品になるほど心揺さぶられた作品だったので、これ作った人たちはやっぱり凄かったんだって、改めて3期でも感じられて良かったです。
あーほんと、2年生編だけもう1回アニメシリーズで作り直してくれ無いかなー。
一からリセットは無理でも、せめて夏紀先輩主役のスピンオフ小説と混ぜて、なかよし川視点で2年編を描き直す・・・みたいな感じとかでなんとかなりませんかね。
蒸し暑くって急にだるだる感漂わせまいと涼しい顔を装う今日この頃よね。
ネタが無いのよねーって言いながらゲームの話ばかりだとそればっかりしかしてないので楽しみがそれだけじゃん!って言われそうだけど
もうちょっとで私熟練度の星5つゲット出来る間近なんだけどマジで。
そのジェットスイーパーカスタムで上手く立ち回れるよう私が最近楽しいのが、
相手の動きを鈍くさせてキルする!って
むろん
インク満タンからのポイズンミストで残りのインクでキルする!この流れ。
なので、
そういう状況にそなえてインク管理が肝心要の大事な要点になるのよ。
向かってきた相手チームの人がいれば
嫌がって避けるので
通り道に牽制でなげるのも一つの近寄れなくする作戦では有効かも!って私気付いちゃった!
ポイズンミストのみの単体ではダメージこそは与えられないけれど
相手が嫌がるので
近寄られなくしたり接近戦に持ち込もうとしてくる相手には結構有効で
私のこの作戦にまんまと何回もはまる相手チームの対戦相手には気の毒だけど、
同じ作戦でキルされてんじゃない!って逆に私が心配になるぐらいなレヴェルよ。
とはいえ、
あれって何でもないようなことが幸せだったと思うぐらい
そんなときない?
苦い虫をかみ殺したような悔しい表情を浮かべるの!
悔しいです!って
もーさ
ここでなんか運つーか
結局勝敗は運なのかよ!って思いがちだけど、
あれどう足掻いても
私の腕前と立ち回りの問題かも知れないけれど、
でもジェットスイーパーだからって遠距離インクが飛ぶからって消極的な戦い方していると結構負けがちなので、
戦線を押し上げるぐらいの勢いで私自らが出る!な勢いで少しでも前に行く姿勢のポーズがある戦いの方が勝てたりするのよね。
とかいいつつも
塗られまくったりと
なんか上手く行かないわー。
これが勝負事の辛みね。
あと地味にみんなこれでやられちゃうことが多いのが
あれ発射速度は遅いけれど爆発力があるので、
案外適当に撃ち放ったキューインキでやられちゃう相手チームの人が結構いて気の毒だなぁって思うの。
ナイスダマは警戒されちゃって私が撃っても撃ってもぜんぜん当たらないんだけど
そんで当たっても貫通して着弾地点まで飛ぶから上手く行けば複数キルも狙えるわよね。
背後から近寄ってこられたらってのには弱いけど、
そしてなんかナイスダマより遠くまで飛ぶような気もするし、
なので最近は
忙しいときの夜ぐらい
一瞬だけどね、
だから1日の初戦で勝って1日1勝のノルマ果たせたら気持ちいいわー!
やったねー!って感じで。
そして寝るの。
良い夢見なよ!ってな具合で。
とか言いながらまたショート動画をちょっと観たと思ったらまた1時間経っちゃってて
やっぱりあれって良くないわね。
この話ここで何回してる?って
私もいい加減に懲りなさいよって思うわ。
うふふ。
またサンドイッチ買いがちの日々が続いてるのよね。
元気いっぱい頑張るわ。
ボトルに入れて作っておく簡単お手軽一晩寝かしておけばできるやつよ。
これ飲んで出発するわ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
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志摩スペイン村の入園料5700円に「安すぎません?」広報直撃! 大盛況報道で生まれた復活イメージに“中の人”が困惑する理由 | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け https://shueisha.online/articles/-/250821
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上記記事に以下のコメントを付けたら、意外と評判良かったので、色々補足しつつスペイン村について語ってみる。
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ここ10年毎年1,2回スペイン村行ってる身からすると、vtuber好きっぽい雰囲気の客が昔の1割、多くても2割体感増えた印象。USJとレゴランドの間くらいのクオリティ。スペイン村は伊勢志摩旅行とセットで良さが出る場所
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## vTuberの影響で増えてるのか?
上記コメントでもあるように、体感では以前よりも1〜2割増えた印象。
id:marilyn-yasuさんがコメントで補足してくれてる。
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id:mak_inさんが書いてることの裏付けとして過去に資料で年間入園数の推移を読んだところ1割強ほどの増加量。コラボ期間が主なので平時から1割とは言わんが無視できないくらいの人数が来てるのは間違いない感じ。
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実体感をもっと詳細に記載すると、コラボ期間に入る前から、ンゴちゃんの言及からのスペイン村ブームになった時点で既に1割くらい増えてた印象で、イベント期間に行った際は2割くらい増えてた印象。
以前から見かけた組み合わせとしては、乳児から小学生くらいまでの小さな子どもを連れた親子連れ、カップル、2-3人での女子旅、たまに大学生仲間っぽい男女、これがほとんどだった。
これがンゴちゃん言及以後、元々いた人たちの数はあまり変わっていないものの、以前はあまり見なかった組み合わせの人たちを見かけるようになった。
総じて、なんとなくオタクっぽい雰囲気に、何らかのvTuberグッズを身に着けてるのでなんとなく分かる。
中高生1人を連れた親子、2-3人男旅、ソロで来てる人(男女ともにいる。ただソロ率は女性の方が高いような……)。
大学生仲間っぽい男女も増えてて、前は比較的陽のオーラ強めの集まりが多かったが、陰のオーラ強めの人が増えてる。
これら以前見なかった属性が増えたことでだいたい1-2割増という感じ。
## なんでそんなこと詳細に体感で分かるんだ?
僕自身が遊園地苦手過ぎて、ワイフや子ども達がアトラクションに並んでいる間、乗り物に乗れない子と待ってるから。
うちは子ども4人で、一番小さい子は常に誰かベビーカーに乗ってて、誰かが乗り物に乗れない。
そうなると、待っている間、特に何もすることなく、ずっとぼーっと園内を眺めてることになる。
ただぼーっと眺めてるだけなので、自然と人間観察とかしてしまう……
## 何故そんなにスペイン村に行っているのか?
子どもが産まれてからは、ワイフの実家によった際には必ずスペイン村に行くことになっている。
これは志摩スペイン村が志摩市民向けに格安のチケットを提供してることが関係してる。
https://www.parque-net.com/ticket/isepassport/index.html
昔はチケットの購入条件が緩く、価格ももっと安かったのでこれを悪用し、スペイン村の近くのコンビニの前で、駐車場の案内みたいな雰囲気でパラレルの下、椅子に座ってるオババがダフ屋みたいなことをやっていた。
10年近く前に対策されて、受付で志摩市民だと証明しないと入場できないようになった。
今このチケットは志摩市民が年間パスポート買ってからでないと別途チケットを購入できなくなったので、子沢山だと知る義父母のご近所さんが、帰省シーズンになるとくれるようになった。
入場の際には、義父母と一緒に受付し、僕らだけ入場するようにしてる。
チケットくれるご近所さんには、こちらのお土産を持っていってる。
## スペイン村の噂: 東京ディズニーランド超えの待ち時間、園内ガラガラ、どっちが正しいのか?
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ガラガラだった志摩スペイン村が客急増でディズニーRより待ち時間長く…なぜ
https://biz-journal.jp/company/post_380711.html
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スペイン村は、単純に敷地がデカく、その割に客が少ないので、一見ガラガラなのは今も昔も変わってない。
先に書いたように増えたのは1-2割なのに、何故激混みの印象を与えるような待ち時間が長い、という話があるのか。
それは、ンゴちゃん言及以前から、スプラッシュモンセラーと氷の城は並んでいたから。
特にスプラッシュモンセラーは回転率がかなり悪い割に、人気のあるアトラクションだ。元々シーズン中は60分待ちとかは普通だった。
これは、スプラッシュモンセラーが必ず1組1台で乗せ、1台辺り2分程かかるので30組いれば1時間はかかるから。
https://www.parque-net.com/attraction/splash_montserrat.html
スペイン村、場所の広さの割に客が少ないだけで、客自体はちゃんといるので、普段からそれくらいかかる。
他は一度に何人も遊ぶので、混むことはほぼない。
ただ今回のイベントで増えた比較的若い層が、とりあえずスプラッシュモンセラーに流れたこともあり、いつもより待ち時間が長くなったように感じる。
先の言及で、ソロで来てる人が増えた、と書いたのは、スプラッシュモンセラーを待ってる間、以前はいなかった一人で乗る人を結構見かけたから。
遊園地を一人で!?と一瞬思ったが、混んでないからか、広いからか、親子が多いからか、何か分からないけど、遊園地はみんなで!みたいな集団圧力みたいなのがココには全く無いので自分の好きなまま楽しめるのは、なんかめっちゃ良いな、と思った。
ちなみにスペイン村で一番有名なアトラクション、ジェットコースターのピレネーは一度も複数人で乗れることもあり、ほぼ待ち無しで乗れる。
そもそもスペイン村に来るような層は、ピレネーはハードルが高過ぎて、スプラッシュモンセラーくらいがちょうど良く、ニーズが少ないのかもしれない。
普通に美味しい。
名古屋スペイン協会の人らと仲良かったこともあり、結構色んなスペイン料理屋には行き色々教えてもらい分かってる方だと思うが、スペイン村の料理はちゃんと作ってあり、遊園地の中であるにも関わらず、外で普通のスペイン料理店で食べるクオリティで出してくれる。
僕が遊園地苦手な理由の一つに、何も彼にも全てが高い割に、だいたいファーストフードにも満たないひどい味だ、というのがある。金払うのは良いけど、払うならちゃんとしたものが食べたい……
外だと普通のものが遊園地の中で食べられるだけで、異常に美味しく感じてしまうかもしれない。
同じ理由で、大人気、ンゴちゃんイチオシの世界一美味しいチュロスは、遊園地の中では世界一美味しいかもしれないと思わせてくれる。
ちなみにレビューとか見ると、スペイン村の中のレストランの中で、いくつか酷評されてる場所があるが、コレは価格が遊園地にしては安く、味が遊園地っぽい場所である。
お財布と好みで選んでもらうと良い。
キャラクターショーが、ドン・キホーテ、チャッキーなどのキャラがパティオの飾りを競うコンテストを行う、という内容だったのだが、バイキンマン的な立ち位置のアレハンドロが優勝して、盛り上がる内容だったこと。
娘のアンパンマン見てていつもバイキンマン可哀想だと思ってたので、何故か無駄に感動してしまった。
https://www.parque-net.com/kids/zukan/arejandoro.html
あと、フリーレンとフェルンのコスプレしてる人がおり、勇者ヒンメルになりたい息子のために一緒に写真を撮ってもらった。
息子は恥ずかしながらも目茶苦茶喜んで、あれから勇者ヒンメルごっこを良くやるようになった。
僕は遊園地が苦手でも家族の希望で連れて行かれる。コロナ明けてから両方に行った。
USJは単純に派手だし楽しめる場所だよ!!という空気感が凄かった。
ただ人気の場所だということもあり、人がとにかく多いのと、それに伴う攻略法を予習してこなしていかないとマトモに遊べないのは正直しんどかった。
一方で、沿道をまわるショーは、スペイン村も遜色ない気はした。
なんやかんや言って、長い歴史と本場スペインダンサー達のパフォーマンスが、資金力の差を埋めてる気がする。
レゴランドは、よく「子ども騙しだ」と言われることがあったが、良くも悪くも大人よりも子どもに刺さるコンテンツが多い気がした。
レゴのアニメや、マイクラ、ロブロックスのおかげで、レゴの世界観は、思った以上に子どもらに刺さったみたいで、大人の満足感の少なさの割に、子どもの満足感がかなり大きかった。
一方、スペイン村はキャラクターショーなどはちゃんとあるものの、キャラクター自身のコンテンツ力が弱いせいか、子どもらの刺さり具合は弱かった。ショーの良さや遊園地全体で挽回、という感じ。
というわけで、レゴランド以上、USJ未満、という感じで、USJでは強すぎ、レゴランドでは弱すぎ、という人にはスペイン村がちょうど良いのかもしれない。
## 実際に自分がやってるまわり方
シーズン中、もうスペイン村には行き慣れてる or 僕のように遊園地のアトラクションが得意でない人は、ムーンライトパスが良いのかもしれない。
16時以降入場だが、物販や代表的なアトラクションはだいたい17時までやってるので、ササッと目的のものだけ消化し、ナイトショーを楽しむ。
ナイトショーは、ショー自体のクオリティも高いが、花火の量も凄いので、価格の割にかなり楽しめる。
ただし、スペイン村は伊勢志摩旅行とセットで楽しむと良さが引き立つ場所であり、伊勢志摩旅行の魅力の大きな点に宿の食事が挙げられるので、スペイン村のホテルでない限り、どちらかを選ばざるを得ないことが難しいところ。
元気があったら、こんな感じで続編として経験談からの伊勢志摩旅行のポイントもまとめるかも……
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追記:
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はてな記法で書き換えたんだが、どうも上手くいかず……スマホからだとあかんのか……?微妙に間違えてる??
読みにくいのは承知してますが、仕方なく、Markdownのままにしてます。
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スペイン村だったら、フラメンコショーのことも触れてー!!あれは生で見たら素直に感動する。
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評判が目茶苦茶良いことは、噂には聞いてるのですが、常に乳児を連れてる状態だと子どもらが我慢できないので入れなくて、スペイン村20回以上行ってるのに、結局一度も観れてないです。
なので、言及できてないだけです。
逆に言えば、スペイン村の客の大多数を占める親子連れが、うちと同じく、このフラメンコショーには行けてないので、特に事情がなければさっと入れるのでオススメです。
名古屋スペイン協会繋がりで何度かプロのフラメンコショーは見に行ったことあるので、その際にはそこと対比しながらコメントできれば。
はてな社も、はてブが憎悪増幅装置として機能しうる、そんな認識はあるだろう
どうしてかというと、旧Twitter(現X)がホッテントリ入りしないから
Twitterのことははてブで隠れずにお互いが反論しやすいTwitterでやれ!と何度もブコメを書いてきた者としては、この対応は旧Twitterにも書けないようなことはブコメにも書くなよ、ってはてな社の意思表示だと捉えている
実はTogetterへの流入を増やすための提携があって、Xへのブクマを表示させていないだけかもしれないけど
よっぴーがはてなに反論させろって言い出して、それに対応する形でページオーナーコメントを追加したわけだし、ブコメへの反論されにくさ、書き捨てしやすさが憎悪増幅装置としてのはてブの欠点だと、はてな社も考えての対応と思われる
そして、ユーザーもそうでしょう
ところで、言葉が汚いというか、口が悪いというか頭が悪いブクマカは、ほぼほぼ遅れてやってくる
誤った内容のブコメがトップになると、それを指摘するブコメが挽回できないのも同じ理由だと考えている
先日もスターをつける時は事実かどうかなんて気にしない!みたいなブコメがいっぱい書かれてた
はてブがデマ増幅装置でも構わないという認識のユーザーがいかに多いかが明らかになった
はてな社はやはりそれも理解しているだろう、していないはずがない
それでも対応する気はなさそう
はてな社もユーザーも相思相愛の増幅装置でデマ増幅装置がはてブってこと
私は悲しい
オレオレFCがFC東京に1ー0で勝ち、3試合ぶりの白星を飾った。後半40分にセットプレーからDF伊藤がヘディングで決めた。前節からスタメンを9人代え、大村、田曽野との3バックで臨んだ一戦で前節・広島戦で懲罰交代された伊藤が汚名返上の決勝点で挽回した。
試合終了の瞬間にはその場に倒れ込み、選手達はまるで優勝したかのように、抱き合うなど、喜びを爆発。試合後には駆けつけたサポーターと勝利の儀式で喜び合った。昨年の天皇杯決勝で敗れ、涙を流してから半年、再び国立のピッチに立ったロイブル軍団が停滞を打破する白星を挙げた。
後半40分、セットプレーから森下のクロスに反応した伊藤がヘディングをゴール右隅に決めると、いち早くサポーターの元へ駆け寄った。試合後、涙を浮かべながら「前回、悔しい思いをして……。この試合には、チームとして全てをかけていたので、自分だけでなく、皆で勝ち取った勝利だと思います」。
前回の広島戦はスタメンも失点に絡み、前半20分で懲罰交代を命じられた。0ー5で大敗した試合後にはサポーターのブーイングを浴び「流石に堪えた」。それでも鈴木潤主将らの励ましと野河田彰信監督の先発起用に奮起。起死回生を誓った試合前半から守備では相手FWに空中戦で負けず、ビルドアップでも要所でさえた。
5月は3連勝と復調の兆しを見せながら、神戸、広島と上位に連敗。それだけに、この東京戦の重要性は全員が理解していた。「広島戦の敗戦は重く受け止めていた。この1勝は大きな意味がある」と鈴木潤主将。野河田監督は「(伊藤は)まだ1試合やからな」としつつ「スタメンを入れ替えて勝った事で、主力が尻に火が着けられれば」と話した。
次は6月1日、ホームで東京ヴェルディと対戦する。伊藤は「今日だけでなく、これからも勝利に貢献出来るように頑張りたい」と意気込みを口にした。
○DF大村(今季初スタメンで無失点勝利に貢献)「ずっと怪我が続いていたが、諦めずにやってきたことを出し切ろうと思った。伊藤や田曽野とは練習でも組んでいるので、違和感はなかった。チームが苦しい中で良い結果になったと思います」
○MF後藤(パリ五輪代表MF荒木を徹底マークで封じる)「技術がある選手なので、頭と気持ちでは負けないように頑張った。まだまだ課題もあるので、向上していきたい」
前回のブコメでオススメしてくださったゲームは遊んでいるものもあれば、遊んでいないものもありますが、どれも参考にしていますし、いつか遊ぶと思います。
なので、また何かオススメがあれば書いてくださると嬉しいです。
51〜65はこの記事
ダンガンロンパシリーズ完結作で、突然集められた超高校級の才能を持つ面々が殺し合いゲームを強要されるデスゲームものにして、その殺し合いの加害者クロを見つける学級裁判で謎を解くミステリゲーム。
テキストを主体としたゲームとしては3作目とマンネリし始めるナンバリングだが、全くもってそんなことはなく「嘘」をテーマにした幾つかの事件を今まで以上の絶望さで描いている。
特に超高校級の総督王馬小吉にまつわるエピソードは圧巻で、歴代作品を踏まえて「絶望対希望」は「嘘対真実」の言い換えだと無邪気に信じていた気持ちを粉砕させられた。
ダンガンロンパシリーズはこの作品以降はファンディスクのようなものしかリリースされていないが、なるほど確かにこの後に単純な4やV4をリリースするのは難しさがわかるのもシリーズファンには賛否がわかれる内容だった。
このシリーズはアニメ版の「3」で絶望して少し身を引いていたのだが、改めてこのV3を遊んで、やっぱりダンガンロンパは最高だなと思いを改めた。
公称ジャンルは百合要素を含むミステリーで、物静かで落ち着いた女性のサチと、元気で朗らかなタカコのカップルの関係値の変遷を追うノベルゲーム。
日常の動作、食事、自然の豊かさ、季節感などなどの風景や情景の描写に文量が大きく割かれているのが特徴的で、淡々と進む中で彼女たちが何を感じたのかを、咀嚼するように読み解いていく。
そんな平和で楽しい内容が、あるタイミングで突然ガラッと風景を変え、死と向き合うことの難しさ、生き続けることの意味などを問いかける哲学的で幻想的なストーリーに変化していく。
ものすごく大好きで愛してる作品だけど、面白いというよりは、考えさせられるというか、このキャラ達のことをずっと延々に頭の隅で思い続けることになっているような、それぐらい大きな作品だった。
文明が崩壊した世界で何故か稼働中のVRMMORPG「アーキタイプ・アーカディア」を遊ぶ人達の思想がぶつかり合う、火傷しそうな熱意が伝わってくる熱血ノベルゲーム。
ゲームは遊んでおらず食糧も水も希少な世界で必死に暮らしているルストと、その妹でラスモス・ゾティーラ・トゥーラッカという独自の挨拶でゲーム内で仲間を増そうと頑張っている妹のクリスティンの二人で始まった旅がどんどんと広がっていく壮大さが魅力的。
テーマの「ゲームは楽しい」を伝えるために様々なプレイヤーと対決していくのが、まさに楽しいゲームで、ゲームを遊ぶゲームというメタ構造になっている云々と言った小賢しい理屈を跳ね除ける沸る激情が最高に楽しいゲーム。
可愛いヒロインも沢山登場するのでそういう方面でも面白く、特に僕はコロネちゃんがダントツに大好きで、専用ルートのその先を妄想して悦に入ることがある。
1980年代後半近代化が進み発展する街「三咲町」を舞台に、電話すら知らないほど田舎から引っ越してきた静希草十郎が、魔法使いを自称する二人の少女と出会うボーイ・ミーツ・ガールもののノベルゲーム。
まず目を引くのが非常に作り込まれたルックで、立ち絵と背景絵、その上にかぶさるテキストウィンドウという一般的なノベルゲームでありながら、表現の幅がとても広い。
ストーリーも田舎に住んでいた主人公が、街に慣れることを通じて、近代的な社会とそうでなかった時代を浮き彫りにしていき、当たり前に享受している一般的な水道や電気や貨幣すらも、近代化の恩恵であり当たり前ではないエピソードが手を変え品を変え繰り返し語られるのが、情緒的な染みるように楽しい。
この情緒的ながら近代日本では当たり前のストーリーと、新伝奇ものらしい魔術を使った異能バトルのストーリーとが、静希草十郎にとっては同じだけ異質なものなのが、面白かった。
(なお、ちょうどまさに今このとき、スマートフォンで遊べるガチャ形式の運営型ゲームFGOで、彼女たちのアフタストーリーが読めるそうなのだが「ガチャを我慢する」という脳の回路が焼け切れ、貯金や手を付けてはいけないお金をあっさり使い込んでしまった過去があるので、僕は遊べないのがモドカシイ)
怪盗、探偵、警察、盗人、泥棒と正義と悪が入り交じる登場人物たちの中、ハートとため息を盗む怪盗ミスアルテ共に盗みを行っていくクライムサスペンス。
フィクションらしい痛快さに振ったリアリティラインながら、この世界観の中でも丁寧に盗みを行う段取りを立てるパートがあるのが非常に好印象。
自分たちが犯罪者であることを認めながら、法では救えない大切な人のために死力を尽くす怪盗たちの生き様が格好よくて滾る最高に面白い作品。
そんな怪盗たちですら挽回不可能に思えた最後の盗みの仕掛けは、まさにハートとため息を盗まれた爽快さで、思わずコントローラを握る力が強くなりすぎて、スティックを壊してしまうほどだった。
○大好き
陽気なミスカと陰気なスバルの対照的な二人の友人関係が、無垢で人形のようなルウが転校してきたことから大きく変化することになるノベルゲーム。
学校で熟成される閉鎖的な人間関係と、思春期らしい堂々巡りを続ける自己言及を、丁寧な心理描写と情景が伝わってくる幻想的な精神世界の問答で文章を魅せるタイプの作品。
女の子同士の三角関係のように見えて、早々にミスカの好意は豪快に空回っており、スバルはミスカのことを全く好きではないと、二人の視点シーン毎に同じエピソードを描くことでそれがわかる構成が読んでいて辛い。
楽しいとか面白いような前向きな感情で読める作品ではなく、思春期の女子高生の自己問答の末に得られた後ろ向きで退廃的な選択が、三人の関係値を歪めていく悲劇を読ませる作品だった。
父親の実家がある田舎に帰省した羽藤佳が、その田舎にまつわる伝説とそれを取り巻く異能のものたちと交流していく、和風伝奇ジャンルで女の子同士の恋愛を表現するノベルゲーム。
まず伝奇ものとしては、歴史にまつわる蘊蓄や衒学趣向的なやり取りが多いが、それが少しづつ大きな設定の開示に繋がっていくのがワクワクする。
主人公の羽藤佳は異能こそあるものの直接的な戦闘能力はないため、ヒロインたちに頼ることになる恋愛の導入が、アカイイトらしさだ。
バッドエンドの豊富さも面白く、バッドと言いながらメインルートとは異なる選択を魅力的に描いており、最初から最後まで飽きずに楽しめた。
琴を演奏する筝曲部の熱血部活ものパートと、数十年前の女生徒同士の心中事件を追うサスペンスパートが混ざりあったノベルゲーム。
仲間との和を大切にする鈴と、演奏技術に重きを置く有華の二人の女性が対立しながらも関係値を育てていくのだが、こちらのパートは琴の演奏に関するやり取りが多く、甘い恋愛の要素は少なめ。
対して、数十年前の心中事件の方は、終わりが心中だからこそ、はっきりと恋愛の要素があり、そこに至るまでの過程は辛いシーンもあれば、甘いシーンもある。
主人公の保護者であり老齢の尼、十六夜妙蓮さんの大活躍はすごく印象に残り、もう一人の主役といっても過言ではないだろう。
ポケットモンスターの世界観をテキスト主体のアドベンチャーゲームに仕立てるシリーズで、2018年の名探偵ピカチュウから5年ぶりの続編にして、完結作品。
バトル以外の生活の場におけるポケモンの生息が魅力的で、それを映像でなく文章で楽しめるのは唯一無二だ。
これはもう他の作品と違って客観的な評価は完全に捨てるしかなく、ポケモンは実在する、ポケモンと生活したいなどと、ポケモンへの思い入れがあるからこそ楽しめる作品。
肝心のストーリーについては、実写映画版が先取りしていたせいで、サプライズ展開がサプライズになっていないのが気になるし、これほど間が空いてしまうと期待度も相応にあがってしまう、可能なら短編を定期的にリリースしてほしいが、難しいかなあ。
海面上昇が止まらず住む場所を失った人が多くいる近未来の日本の離島を舞台に、超エリート校に通っていたが夢破れて戻って来た斑鳩夏生が、アンドロイドの少女アトリと交流する恋愛ノベルゲーム。
主人公の斑鳩夏生はめちゃくちゃ優秀で頭の良いカシコなのだが、とある事情により左足がなく、精神的にも不安定なので、生きづらい描写が開幕からは続く。
しかし、美少女アンドロイドのアトリによりそこが一変し、彼女が左足を補い、精神的な不安定さも補いとサポートすることで、どんどんと前向きになり、社会基盤が大きく変化した田舎町でその頭脳を活かしていくのがワクワクする展開。
この頭脳で手の届く範囲の人たちを救っていくシーンは非常に前向きかつ地に足がついた展開で、大好きな丁寧さだった。
ダンジョンRPGの老舗エクスペリエンスが送るホラーアドベンチャーのシリーズ第三弾で、怪異の噂を横スクロールのような探索パートで調べてから、RPGのボス戦のような怪異との対決パートに挑む構成で、テキストが主体のアドベンチャーゲームらしくない画面構成になっている。
死印の直接的な続編で、主人公や他の登場人物も共通しており、ストーリー的にもそれを踏まえての悩みや成長が描かれるので、必ずそちらを遊んでから遊びたい。
前々作では怪異に振り回されてばかりの主人公だったが、今作では一転して、怪異と立ち向かうことに強い哲学的な回答を持つことになる。
ホラーの恐ろしさや恐怖を煽る部分に着目しがちだったが、ストーリー的に感動するポイントが多くあり、とてもおもしろかった。
ダンジョンRPGの老舗エクスペリエンスが送るホラーアドベンチャーのシリーズ第二弾で、怪異の噂をDRPGのような探索パートで調べてから、RPGのボス戦のような怪異との対決パートに挑む構成で、テキストが主体のアドベンチャーゲームらしくない画面構成になっている。
前作とは同じ世界ではあるが、登場人物は異なっているので、設定を飲み込めるなら今作から遊んでも問題ない。
アウトローを自称する鬼島空良とその仲間たちが怪異と戦うストーリーだが、単純な腕力では倒せないので、現場を操作し証拠品を集めて、知恵を絞って敵と対峙するシリーズの骨子は共通している。
前作よりもブロマンスな傾向が強調されており、主人公の鬼島空良と、親友にして反社会勢力の天生目聖司との持ちつ持たれつの関係値が面白かった。
キャラのポリゴンが常にステンドグラスが透けて見える、特徴的なルックが目を引く、キャラクタの演技主体のアドベンチャーゲーム。
閉鎖的な隠れキリシタンの村の中で、正道とは大きく変化した異質なキリスト教をテーマにした、宗教にフィーチャーした作品。
前半こそ村人との楽しい交流や名産品に舌鼓を打つ展開などコメディ要素も多いが、中盤からは宗教を信じることの覚悟を問うような重苦しい展開が続く。
タイトルの意味がわかる、とあるキャラの慟哭シーンは、思い出すだけでも気が重たくなる悲しい作品だった。
全国の小学校から落ちこぼれだけを集めたガンバレ組の面々がデスゲームに巻き込まれることから始まる、アクションゲームとテキストを読むパートが融合したアドベンチャーゲーム。
息をつかせぬ展開が魅力で、一転二転、七転八倒、とにかく次から次へと設定の根底をひっくり返すような、サプライズ展開が目白押しで最後まで遊べる。
そんな中でもガンバレ組の絆の深さ、彼らが分かつ事ができない強い関係であることを信じれるようになってからは、痛快なストーリーが続くのも楽しい。
アクションゲームは若干とってつけた感があるとも思うが、ガンバレ組の得意な能力をゲームっぽく表現できているとも言える、かも。
転校生の主人公が複数の美少女たちと恋愛しつつ、100年に一度死から蘇る謎の現象を追う伝奇サスペンスの要素もある、ノベルゲーム。
恋愛部分は正直前フリ感が強く、伝奇パートと関係が薄いヒロインたちのエピソードは薄めで、関係が濃いヒロインは濃いと、濃艶がはっきりしているのは好みが分かれそう。
死から蘇った人間は周りの人間の記憶の整合性を操作しながら生きながらえるため、どうやってその蘇った人間を見つけるのかのフーダニットの段取りが、ミステリしていて面白い。
設定こそ新本格作家のアニメ化もした某作と似通っているが、ゲームならでは仕掛けやミスリードがあり、しっかりとノベルゲームに翻案できている良作。
ネットでそういうニュースをたまに見るけど、実際はどうなんだろうか
いい大学を出たのに残念なヤツ、というのは一般ウケするから目立つだけではないのか
本当のところ、大抵の高学歴層はデキるし豊かな生活をしている気がする
というのは、自分は高学歴なのにほとんどの面で平均を下回っている
年収は300万いかないくらいだし、結婚も難しい年齢になってしまった
小さいころから何者にもなれる気がしなかったし、学歴以外は分相応のラインに落ち着いている
学校の勉強以外に何もやってこなかったし、親からもとくに機会は与えられなかった
でももしかしたら、自分でも人並みに生きられるルートがあったのではと思わないではない
一見まともなスペックが備わっているのに、出来損なってしまったことに不甲斐なさを感じる
しかしマインドが腐っているので、いまから挽回してやろうという気はない
話を最初に戻すと、自分は高学歴から転落はしているが、大きなきっかけがあったわけではない
物心ついたときから緩やかに世間から撤退しようとしていて、ある種実現してしまっている
だから現状を大きく変えようとする行動をとるはずはない
でも実際は世間一般の価値を価値のないものとして厭世的になっているだけではないか
俺は個人的にはね、邦キチは映画をサゲないのが良いと思う派なわけよ。
名作も迷作も世の中がそう勝手に言っているだけと言わんばかりの強烈な邦キチの熱量に部長が適宜突っ込むという作劇が絶妙なバランスで映画自体を貶さないで済んでいると思うわけよ。
あと、あんな清潔感のある同衾への動線ある?押し入れから枕だけ取り出してswitchと一緒にやってくるみたいな。乾いているわけではなくしっとりもしていない青春の空気感俺もう怖いよ。
なんだっけ (( 閑話休題 ))、そうそうXで燃えるほどでもなく話題になってたインベスターZ(インベ)の話ね。良い宣伝だよね。WinWinだよね。
いま公式のポストで該当回読めるから読むと良い経験になると思うんだけど、これ流れがすごい怖いんだよね。
まず、ラーメンおごってもらえると思って部活の先輩についていったら、観ろって言われて「感動作、大ヒット」ってポスターに書いてある映画を"見たくもない"って自分で言っておいて、自分で金払って観始めるんだよね。
もうここが怖い。ナチュラルにその集団の中の指示に従うという刷り込みが終わってる。見ないとラーメンおごってやらないぞって言うエクスキューズ(言い訳)も準備してある。
怖い怖い。映画観る金でラーメン自分で食えよ。もうその集団の中のイベントに参加するためには身銭を切る必要があるって意識に上ることすら無くなってる。
で、まあ映画を観始めてクッソつまんねぇなあって思うこと自体はアリだと思うわけよ。ここを否定する映画好きはまずいないと思う。
ただ、インベ作中の主人公が「客をバカにしているとしか思えない!」みたいな感想に、あれ?みたいな違和感を感じると思うのよ。
で、映画館で席を立ってしまう。まあこれも個人的にはアリだと思う。トイレで席立つ人を想像しなくても、まあ、割と映画祭とかでエログロの時って席を立つ人、いるよね。
俺個人としてはXでの風潮とは別で、観たくもない映像を押し付けられたときに見ないという選択肢を取るのは決して映画嫌いを意味しないと思ってる。
映画って体験として強烈だから、トラウマが刺激されるとか全然あると思う。
感情を揺さぶる力が映画にはあると思っているし、だからこそエンタテインメントとしてこの感情の揺さぶられ方は嫌だと言って拒否するのはアリだと思ってる。
だから、安心してほしい。少なくとも俺は映画の途中で観るのを止める人が映画好きを公言してても別に普通のことだと思う。
ただなあ、インベの席の立ち方って「こんなもの最後まで観たらバカになる!」とか言って席を立つんだよね。
そのあと、実は何分で途中で出てくるかが、その集団(投資部)恒例の賭け事の対象ってのは、まあそういう部活の謎の伝統あるよね、みたいなのは判る。
ただね、その後たぶん、ん?って思うセリフがちょくちょく作中の人物から語られるのよね。
この賭け事の伝統っていつからやってるんスか?あー、映画が大衆化した戦後のことだろう、とか。
(5分でツマラナイってわかるヤツがレコードタイム18分っていうのが、微妙にリアルでちょっと面白いけど。宣伝10分+本編5分+退出3分だとありそう)
まあ、時間の無駄だと思った後、惰性でみるこた無いんでは?ってのは、その通りだと思うわけよ。
いやー、映画は最後にどんでん返しがあるかもよ?という意見があるのはわかるけどさ、ソレ、ホントに有言実行してる?とも思うのよ。
あー、一本の映画だとあるかもしれないけどさ、アイアンマン観てこういうアクションものは肌に合わないかなーと思ったとしてさ、いや経験になるしそこは映画好きならマーベルシネマティックユニバースは全部観てから語るべきでしょ、とホントになってるかなーと。
今期1話で切ろうと思ったアニメはちゃんと完走してから1話を語るようにしてますか?という。
もちろんね、エンドレスなエンドレスエイトを実況板に張り付きながら見た経験は一生の思い出にはなっているけどさ、それを強要できるかな、という。
そうそう、で、インベの話ね。
投資部に入るものはさっさと席を立たなければならない、というあたりが、カルトっぽいのよ。
選択肢の錯覚に近いんだけど、ここまでで既にインベの世界観に共感する読者には刷り込みが終わってるわけよ。
大ヒットするような感動作は、観るとバカになるような映画だ、大衆化した映画なんてものは、投資家が観るようなものでは無いっていうね。
ソコを前提としたうえで、つまらないものをつまらないと思いながら最後まで観ることを何の価値もないと断ずる。
もしかしたら最後に面白くなるかも、とか、挽回する可能性は低い、ではなく、ハッキリ言いきる。
株価の話で損切りの話もしたうえで、金よりも時間が大事と気づいたお前はテストをパスしたと言う。
作劇としても大変に巧みで、「いやいやそうは言っても最後の最後に面白くなるかも」という反論を「それっていずれ株が上がるかもと思って塩漬けしてるのと同じじゃん」と"自分で"気が付けるようにしてある。
インベの主人公も、自分で気づいたという点を評価してもらっている。
インベの主人公は、なんだかんだと言いながら、全て自分で行動している。
自分のお金で映画のチケットを買い、自分で映画を観て、自分で映画を途中で観るのを止め、その行為を「お金より時間が大事とオマエが気が付いた」と評価される。
誘導はされているけれども強要はされず、解説はされているけれども自分で気が付いたことにされており、不満点は相手が聞いたうえで断定的に回答する(「過去は忘れる」)。
ホモソーシャルな部活動の体だからそこまで違和感はないけれども、これ、同様の体験を大学入学時に魅力的な先輩からなされたときに、それってカルトではって気が付けるか俺には自信は無い。
しかもよ、背景にはうっすらと自分は凡人とは違うっていうエリート意識というか、投資家意識みたいなものがあるわけよ。
ラーメン屋に誘うというフレンドリーな関係性、映画館で途中で席を立つという"他人とは違う"体験、損切りという部内で通じる単語を通じてグループ内の価値観を共有していく。
しかもこれ、漫画としても同じ構成になっていて、漫画というなじみのある媒体で、大衆の感動するような映画には流されない俺というちょっとしたアルアルを追体験させて、損切りという価値観を共有している。
ココに対して、「いやーその価値観はこれこれこういう理由で狭量だよ」と伝えても、おおむね反発を受けるか、わかってないヤツ扱いされると思う。
しかも大変に良くできた作劇なので、漫画を読んでなるほどと納得した人は、映画を最後まで観る派に対しては「ああ、こいつは損切り出来ない投資家に向いてないヤツなんだな」と思わせるようになっている。
俺はカルトの脱退のさせ方は詳しくないのであんまり的確なことは言えないんだけど、あの漫画に納得する人を否定したり馬鹿にしたりするだけでは、少なくとも価値観を変えることはできないだろうな、と思う。
そして、インベスターZという漫画の作劇は、少なくともあの映画の損切りの回は、とても怖いと思った。
実は同じくらい、今回の件で映画を最後までみる経験派も"危うい"と俺は思っている。すごく配慮したコメントしている人もいる一方、そうでない人もいるから。
映画は数あるエンタテインメントのうち一つでしか無いので、それを重視しない人生もまた、俺は尊重したいと思う。
サタンタンゴを観た人類しか得られない経験は間違いなくあるけど、それを貴重な経験だよって誘う勇気は俺には無いから。
あと、最後まで観る強硬派は、MCUのエンドゲーム以降の観る順番を教えて下さい。ワンダヴィジョンくらいからついていけてないです。お願いします。