はてなキーワード: ポチとは
クイズ形式でゲームみたいにポチポチやってれば勉強になる、みたいなやつ。
こないだひとつ作ってみて、予想外に手応えがあった。
まず、作問それじたいが自分の勉強になる。クイズアプリの仕組みを作るのはプログラミングだが、そこで出題するクイズそのものを作るのは学問だ。
人に教えるのは自分の勉強にもなるとよく言うが、自分で自分にクイズを出すのも当然勉強になるのだね。
そしてもちろん、プログラミングの勉強にもなる。ふだん仕事で作ってるのとは全然違うタイプのプロダクトなので勝手が違って難しく、また楽しい。
というわけでまた別のを作ってみよう、となった。
アイデアが「こういうものなら作れそう」という範囲に収まってしまうのだ。
自分で自分のスキルをわかっているので、無意識に要件に天井を設けてしまう。
(こういう風にできたら便利そうだけど実装がめんどくさそう・今の俺のスキルじゃ無理そう)みたいなアイデアは検討されずに篩い落とされてしまう。
私の妻は「自分には消費する趣味しかない。何も生み出していない。」とよく口にする。
子供生んでるんだから十分じゃねぇか?とは思うけど、妻は「子供は自分で人間になってきた」と言っているし、
何か形のある作品を創り、残していく人に憧れるのだろう。
何も残していない、誰かの役に立っていない気がする、役に立っていない自分でありたくない。
そういう気持ちがあるのかな。(もちろん今のままでもそんなことはないが)
世の中に同じような考えを持つ人はたくさんいるだろうから、そんな人たちに提案がある。
自分が考えていることを言語化してまとめることができたり、書いてるうちに「おかしくない?」と立ち止まれたり、
形が残るのもいい。私は自分の書き物を読み返すのが好きだ。
稚拙な文章だったとしても、未熟な考えだったとしても、そのときに生きていた自分に会える気がする。
がんばってた自分を見るのはなんか嬉しい。
何者にならなくとも、誰かの何者かになれる可能性があるのもいい。
今はネットが普及していて、誰が書いてるかわからん文章を誰かわからん人が読んでる。
それがいい。みんなが無理に反応しないからいい。刺さった人は反応してくれるし、どうでも良かった人は放っておいてくれる。
これは何者でもない人の持つ数少ないメリットだ。
感動させたり、感心させたり、新しい知識を与えたり、笑いを与えたりできるかもしれない。
そもそも何者でもない人の経験や覚え書きや挑戦の記録などを集めた集合体が、インターネットを構成する重要なファクターだと思っている。
その一部になれるなら、それはとても社会的でクリエイティブな趣味だろう。
書く内容はまぁなんでもいい。
例えば「家を買った話」と「家を買わなかった話」はそのどちらも「家を買った人」「家を買わなかった人」それぞれが読む理由がある。
自分の考えの後押しになったり、「こうはなりたくない」と思われるかもしれない。
でもそれでいい。どんな小さなことでも誰かに影響を与えた瞬間に、何者かになれた気がする。
アドバイス、感想文、知識、妄想、なんでもいい。人間の数はめちゃくちゃ多いからいつか誰かに刺さる。
まぁでもせっかく人に影響を与えるなら、人生を良い方向にしてあげたいから、悪口とかは多すぎないほうがいいかな。
幸い、日本に生まれていれば文章を書く方法をある程度は知っている。
文章は上手くなくていい。自分が読みやすければいい。売れるために書くわけではないから、今の自分を過去に残すために書けばいい。
何回か書いてれば上手くなってくるかもしれないし、別に楽しければ上手くならなくてもいい。
幸い、日本に生まれていれば多少読みにくい文章でも読み取ってくれる能力者が人がたくさんいる。
Twitterでもまぁいいけど、実は140文字に考えをまとめるほうが難しいんじゃないかと思う。
どっちにしろ思っていることを正確に文字にして書き出すのは、どんな人でも無理。
下手に要約するより、思いついたことを全部かいちゃったほうが今の自分の考えに近いことが書ける。
要約は読む人に丸投げしちゃおう。世の中広いから、要約するのが趣味の人もいるだろう、多分。
はてな匿名ダイアリーみたいに思うままが自由に文章をかいて、不特定多数の目に触れさせてもらえるサービスがあるのは素晴らしいことだね。
大体書きたいことは書き終わったけど、私は誰かの何者かになれたかな?
この文章で誰に何も与えられなかったとしても、
私達はもともと必ず誰かの何者かではあるから、「消費するだけ」と言われる趣味だけ楽しんでも十分だけどな。
「楽しければやれば良い」「楽しくないことをなるべく減らそう」で生きていこう、私は。
はてなにログインして右上に「日記を書く」ってボタンがあるんすよ。
それポチって押してみて、なんか書いてみたら良いよ。
私がそれを消費します。
サ終によるリセットを再び耐えられるだけの頑丈さがPにはない
同じことをしてるラブライブは死んだ
失敗するだけの理由が溢れすぎている。
ゲーム性を変更すれば伸びるかといえばそんなことはない。
シャニソンのような大幅変更は一瞬だけブーストされてもすぐに「面倒くさい」へと収束する。
もちろん失敗する。
適正があったものはウマ娘をまだやってるので浮気する余力がない。
スキチケの導入は前向きに検討すべきだが、ゲーム自体をポチポチにすべきではないだろう。
銃で撃ち合う?
それは極一部の例外。
やはり育成メインであることが重要で、学園というなら自動的に育つべきだ。
だがただキャラクターを放置させて育ったら戦わせるでは放置症状やニケと被る。
ならば学園そのものを戦わせるのだ。
学園を育て、育てた学園で、相手の学園を倒す。
そう、「村ゲー」だ。
売れているゲームはみんな重い。
重さを武器にするのだ。
学園アイマス唯一つの生存ルートは、学園によって学園を倒す学園対向型村ゲームだ。
俺の予言は当たるぞ?
もし、村ゲーでなかったらコケる。
村ゲーなら伸びる。
かけてもいいよ。
この文章は、タイトル通りの内容を書いてあるので、プロセカ大好きキッズは回れ右して「見なかったことにしておく」のを強くお勧めする。
一部の箇所でプロセカなどをボロクソに書いてあるので、大人でも精神が不安定な人も同様。
また、俺が10年以上住んでいる初音ミク界隈に対して警鐘を鳴らす意図で書いてあるので、多少の偏見と過激な論述も含んていることを予め承知されたし。
初音ミクが発売された2007年から、だいたい2015年あたりまでは、初音ミク界隈はとてもとても立派なものだった。
「オタクへの偏見の目」というハンデを克服し、ボーカロイド文化という礎を築いたからである。
初音ミク公式は、某巨大広告代理店とドンパチやって辛勝したり、ピアプロ・キャラクター・ライセンス関連の規定を作って「初音ミクにまつわる同人活動の模範解答」を示したりしていた。
こうして理想的なヒーローとなった公式の下で、古くからのミクファン(ミク廃)どもは、作曲したり、絵を描いたり、DIVA(リズムゲー)したりなどして、比較的平和で自由に過ごしていた。
プロジェクトセカイというスマホゲーがある。初音ミク公式のオリジナルキャラクターは6人だが、このゲームでは、追加のキャラクターが24人ぐらいいる。
それだけ多くの別キャラクターがプロセカ初期からいる訳だから、「リズムゲー」なんてのは隠れ蓑に過ぎない。
リズムゲーだったら、そんなに多くのキャラクターは不要だからだ。
「ガチャが付いた紙芝居に初音ミクらがMCしたり友情出演したりしているタイプのソシャゲ」と言った方が本質を突いている。
この、あまりにもライトなソシャゲは、初音ミク界隈だけでなく、その他他界隈のオタクや子どもの注目を浴び、2020年以降、本格的に流行り出してきた。
この勢いを借りてプロセカ民を初音ミク界隈へ流入しようと初音ミク公式は奮闘している。
そして、この努力が実りつつあるのか、初音ミク界隈にプロセカ民が大量に移住してきた。
実際、初音ミク界隈のリアルのイベントには、「痛バ」を持ったファンが近年数多く目撃されている。
「痛バ」は、初音ミク界隈の発祥ではないので、彼(女)らはプロセカ民だろうという推測ができるのである。
プロセカの公式YouTubeライブをしているときをはじめ、何らかの公式発表がなされる度に、Xでは関連ワードがトレンド入りしている。
さて、同人文化の延長線だった初音ミク界隈に、ソシャゲ社会で暮らしてきた移民と共存できるのかまで、初音ミク公式は計算に入れているのだろうか?
プロセカ的価値観とは、一言で雑に言えば「利己主義」であるが、具体的に言えば次の3点である。
プロセカでは天井までガチャれば欲しい物がとれるから、その原資であるカネはなんぼあっても良いし、ガチャ回数は多いのが至高。
缶バッジのガチャを回しまくったり、メルカリで多少高くてもポチったりしてゲットした缶バッジで揃えた痛バは、努力の結晶。
プロセカ運営の意に沿わないアカウントはBANされるから運営には無抵抗でいなければならない。リークなんてもってのほか、プロセカ民主主義人民共和国総書記の慈悲と指導なくしては生きていけない。
同人グッズなんて作ったらダメだと思い込んでいるか、そもそも作る発想すらない。(前述のとおり、一定の基準を満たせば同人グッズは作ってもよい。)
不快に感じたら即Xでお気持ち表明。論理的に記載しているはずもなく、自分の気持ちをあてもなく書き連ねており、文字通りの怪文書である。自責なんてしない。
傷をなめてもらえらば、それで良い。フォロワーが増えたら万々歳。最初から「自衛しよう」という発想もなければメタ認知も無いため、怪文書を出した後のことは考えられていない。
ここまで読んでいている人の中には、おそらく居ないとは思うが、念のため書いておく。この日記に対するお気持ち表明文は、この項目に対する論拠になるかもよ。気を付けてね☆
初音ミク界隈は汚染されスラム化しつつある。かつての高尚な文化は過去のものになりそうだ。
プロセカ的価値観をもったプロセカ民が大量に流入したためなのか?それとも、プロセカ的価値観を持った一部のプロセカ民に、初音ミク界隈全体で公式諸共「まえならえ」をしたためなのか?
どちらがより真実に近いかは全く分からない。しかし、この価値観を持った人がXのインプレゾンビ並みに多くなったのは事実である。いや、Xのインプレゾンビの方がまだカワイイかもしれない。
公式の努力の甲斐もあり、ファンの数はうなぎ登りだろう。しかし、その大半は、初音ミクを「ナウでイケてるファッション」として消費しているだけである。そこに愛はあるんか?
公式だって、歌舞伎やオーケストラ、現代アートなどのコラボレーションを進めて、「高尚な文化」アピールを頑張っているが、アピールだけではそんな価値観から変貌するはずもない。
初音ミクらの公式イベントは、こういった傾向を可視化している。
参加者側でも枚挙にいとまがないが、公式(主催者)側もグダグダしている。たぶん来場者数と売り上げしか見ていない。本当の愛はあるんか?
公式のイベントでさえ、かのようなものである。況や「同人によるイベント」をや。
ファンによるイベントも黎明期から活発行われているが、近年多くやらかしている。
ある複数の団体は前述の規定を盛大に違反した開催資金集めをしたり、別の団体では著作権ガン無視のファンメイドライブを開催したりしている。
同人グッズも「金儲けの手段」になり果てたのか、公式がOK出せる「原価」程度の価格から大きく上振れた値段を付けて開き直る針金まで昨年出てきた。
ここまで、カオスな無法地帯と化してしまった初音ミク界隈に未来はやってくるのだろうか?少なくとも同人文化が華やいでいた頃の初音ミク界隈にはもう戻れないだろう。
奪われたくないのは仕事じゃないよ。「承認」だよ。職業イラストレーターはどちらかというとLoRAの絵柄パクとかi2iの嫌がらせを嫌ってるよ。
AIに反対してる人のほとんどは職業イラストレーターですらないよ。
イラストレーターで食えてる人なんて全体の数%程度だからまぁ当然なんだけど。
じゃあそんな人たちが何をモチベーションに創作してるかっていうと
SNSでのフォロワーからの感想やいいねだよ。壁打ちでいい人はAIなんか眼中にないよ。
AIはワンポチの高速でそれなりのクオリティのイラストを量産するわけで
今までいいねしてた人たちが全員イラストの鑑賞を奪い合うライバルになり承認を奪われるかもしれないんだから
そりゃあ猛反対するよ。