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はてなキーワード: 暴力的とは

2017-11-16

anond:20171116003645

本来セックスっていうのはお互いをリスペクトし合い、お互いが体を使って愛してると伝え、もっとあなたを感じたいと伝え合う行為なのですよ。握手ハグセックスという発展系な訳。

主体セックスでは、女の体はオナホールの延長であり、人の体を使ったオナニーであり、暴力的ではないにしろそれは強姦と地続きの行為なわけですね。オナニーオナホ合意の上で女体オナニー合意なしの女体オナニーレイプ

前者は男女のコミュニケーションだけど後者は女をモノとして扱うことだ。相手気持ち尊厳などは一切考慮せず、自分本位に女を性的に消費することだ。

まり今回の件は後者から批判が多い。

2017-11-15

死んでしまった好きだった人の話

もし運命の恋とか、一生に一度の恋みたいなものが本当にあるとするなら、私の運命の恋はもう終わってしまったと思う。

この話をすると、年上の人は必ず「若いなあ」とか「何度恋したってそう思うよ」とか、そういう言葉をくれるし、私もなんだかんだ言ってそうなんだろうな、とも思う。しかし、それでもあんな大恋愛は二度とないんじゃないかとも思う。

付き合っていたのはたった1年程度だった。その前後も入れれば5年くらいにはなるけれど。今思えばそんなドラマチックな出来事もなかったかもしれない、何せもう随分前のことになるので、鮮烈だった記憶も薄れてきた。

それでも一生に一度の運命の恋であったと今も思う。私も彼も若かったから、余計そう思うのかもしれない。もしくは思い出としてひたすらに美化され続けていくからかもしれない。まさしく身も心も焦がすような、そんな思いをずっと抱いていた。

今は新しい恋人がいて、良好な関係を築けていて、とても幸せだしこの状態がなるべく長く続いてほしいと思う。当然とても大切で、愛しているといって差し支えないと思うのだが、あの彼ほど好きかといわれるとそうでないと思う。

ただ一つ言っておきたいのは、今の恋人が決して二番手になっているというわけではなく、ただ「歴代恋愛ランキング」で言ったら彼が1位だということだ。今の恋人のことは、今の時点で一番好きだ。かつての彼のことは今は割とどうでもいい。生きているのか死んでいるのか、それさえもあまり興味がない。

ただ、あのまだ20代差し掛かろうかという若さでもって、必死に全力で愛し合ったあの時の彼に注いでいた愛情が、私の人生における最大火力だったと思うだけだ。あの、私を守るように、それでいて暴力的なほどに愛してくれた彼のことは今でも好きだと思うが、その彼はもういまどこにもいない。いなくなってしまった。死んでしまったといって差し支えない。今生きている彼はほとんどもう別人のようになってしまったのだから

今の恋人にそれだけの熱量を注げるようになりたいとも思わない。あの熱こそがかつての彼と私を引き裂いてしまったと思うから。今の恋人には今の恋人にあった愛し方があるし、現時点でそれはきちんとできているように思うので、あの火力はもう私には必要ない。

もし、時をやり直せるのなら、私は彼とやり直したいと思わなくもないのだが、それでも結局彼は変わってしまっただろうし私とは道を違えるだろうから、それならそもそも出会わない方がいいなとも思う。これを人は未練だとか言うのだろう。

彼のことを断ち切りたくて、彼と出会った土地から上京して数年経った。たまに彼のことを思い出す。会いたいとも思う。だけどそれは私のことが好きだった彼であって、そんな人はもうどこにもいないのだ。然様なら大好きだったあなた

2017-11-06

anond:20171106134202

別に保守専売特許でもないよ

高圧的で暴力的で性欲の強い男を排除して、金だけはもらおうというのがフェミニズム

依存対象が男から政府になっただけ

2017-11-05

座間9人連続殺人事件Twitter

長文なんてここ数年来書いていないので見苦しい点も多いと思うがご了承願います

どうしても、ここ数日心に重くのしかかる思いを吐き出したくなり、いてもたってもいられず文を書きました。

座間9人連続殺人事件(ざまくにん れんぞくさつじんじけん)は、2017年10月神奈川県座間市で発覚した複数死体が遺棄された事件

神奈川県座間市は、東京都から約50km離れたベッドタウンだそうで。名産品や観光名所はあったのだろうか?

関東在住ではない私には、座間という地名は、推理小説タイトルさながら、目と耳を覆いたくなるような猟奇的事件が起こった場所、としてインプットされてしまった。

3ヶ月で九人。本当にその”一人目”が初犯なのかと疑われる。

生首の入った複数クーラーボックスのそばでの衣食住など普通なら考えられない。

間違いなく、コイツシリアルキラーであり、サイコパスだ。

事件が発覚したのは、被害者の兄が行方不明になった妹を必死に探したからなんだけど、

どうして、身近にこんなにも頼りになる兄がいながら、SNSで怪しい「首吊り士」なんていうアニメアイコン野郎なんかに引っかかってしまったのか。

そう思う人はすごく多いと思うし、私だってそう思う。

でも、あまり存在が近すぎて、見えなくなっちゃってたのかもしれないね

当たり前にあった優しさだからこそ、視界が曇ってると気付けなくて。

気がついていたとしても、心が鈍ると、何も感じなくなってしまって。

結局は、何かのせいにしながら、何かに寄りかかって生きようとする。

そうしないと生きていけない子だったのかもしれない。

肉親でも友人でもないのに、自分の心の叫びを聞きつけてどこからともなく現れる自分を救ってくれるスーパーヒーロー

そんなものを求めて、そして殺された。

この事件を受けてか、Twitter規約が一部変更されて、自殺自傷行為助長は明確な違反行為と定められた。

この変更に怯え、反発しているのは、皮肉にも恐らく被害者たちが持っていたものと同じようなアカウント所謂病み垢”の住民たちだ。

病み垢Twitterには以前から存在していた、所謂メンタルヘルスを病んでいる人(またはそう思い込んでいる人)が己の心の苦しみやリアルでは吐き出せない気持ち吐露するアカウントだ。

病み垢病み垢同士繋がって、傷の舐めあいをする、そんな独自コミュニティ形成されていた。

自分たちの居場所を奪われるかもしれない、危機感を持った彼らは、#病み垢凍結反対 というハッシュタグを使い、抵抗活動をしている。

そもそもTwitterWEB上でのいちサービスに過ぎず、Twitter社が彼女らのインターネット上の居場所を確保してやる義務必要性もないんだから

いくら権利を主張したところで、運営マイナスとなる危険性が高ければ非情に冷静に事務的自動的にそのアカウントは消されて終わる。

だけど、そんな時少しでも、被害者の兄の事を思い出して、自分たちにとって、その兄のように必死に助けようとする存在が意外なほど近くにいるのかもしれない。

そう思えることが出来たら、少しは、被害者も浮かばれるんじゃないか、そう思った。

この文章最後に、この事件については新しい情報仕入れないようにしようと思う。SNSでもこの話題は避け、ニュースで流れ始めたらテレビを消そう。

暗く暴力的なこの世界が、思った以上に自身のそばにある気がして。近づきすぎたら引きずり込まれるような気がして、すごく、怖いから。

2017-10-31

腐女子だけど「人権」でミューとしてる

文化成熟すると、一部で尖ったものが出てくるんだと思う

最近腐女子界隈でも、生理、胸筋を女みたいなもちふわおっぱいに変えるなどの表現が、定番の一つになった

最近見かけるようになったのが「人権剥奪」という内容の表現

わかりやすイラスト化、小説化して表現するものはまだ少なくて、自分ポジション確認として、あるいは悪ノリを口に出すことを楽しむみたいな感じで表現される場合が多いように思う

「(キャラ名)から人権奪って、痛めつけるの興奮する」

「(キャラ名)から人権剥奪するのたのしい」

「(キャラ名)に人権なんで最初からいので、剥奪という表現は正確には間違い」

「好きな四文字熟語人権剥奪

もちろん、ガチ加虐趣味の人もいるのだろうが、私が見た限りでは、こういったことを言いたい腐女子には深い意図はないように見える。彼女らはただホモソーシャル的に、「美しい男」という記号貨幣のようにやり取りするのが楽しい!って感じ。フェミニストが見たらこれぞ男が女にやってきたミラーリングだ!って言いそうな光景

でも私はこういったツイートを見るとおぞましいものを見てしまったという気分になる。冗談でも人権剥奪〜!なんて言ってゲラゲラ笑ったりニヤニヤできない。私はフェミニズム共感しているけど、暴力的ものはどんな種類のものであれ居理を置きたい。ただの概念であっても。

そういうわけで、私はTWITTER人権という言葉ミュートしている。人権剥奪ごっこに問題があるとか、やめるべきとは言っていない。ただおぞましいと感じて、少し疲れた。だから増田に吐き出した

2017-10-26

日本の独立

今の時代インターネットがある。

昔のような暴力的手段を使わなくても、社会改革していくことはできるだろう。

帝王学

日本人はみんな「帝王学」を知っておくべきだろう。

歴史

基本的教養リベラルアーツ)として、歴史を学ぶことも重要だ。

私は八年ほど前に南アフリカ金鉱山の経営を行っていた。

ある時、そこに名門ロスチャイルド家関係者が訪れたことがある。

オックスブリッジ」の歴史学科を出ているその人物は、私たちに平然と歴史勉強していなかったら、ブタだ(人間じゃない)よ」と言い放った。

特定人間を愚弄した言葉ではなく、ごく普通にから出た言葉のように思えた。

これが世界政治経済を牛耳るトップエリート感覚なんだなと、その時、私は痛感したものだ。

 

現実に、彼らエリートには彼らだけの標準である共通言語」や「共通認識」がある。

そうした共通言語をもち、真のエリートたちのインナーサークルに入れるごく一部の者だけが世界大企業トップとなって数十億円の年収をもらい、プライベートジェットスイスダボス会議に参加し、「次の金儲けのテーマは『金融からエコ』にしよう」などという、地球の新しいルール作りにたずさわる資格もつ

欧米特にヨーロッパでは、エリートになるための教養知性として哲学歴史学必須科目なのだ

実際、どちらも彼らが己の理想世界観自分言葉で語るのに不可欠な学問だと思う。

2017-10-17

anond:20171017113659

ジャッポスは家事出来ないし暴力的だし短絡的だしな。セックスしか考えてないし。

アメリカで暮せば良く分かるよな。白人黄色人種の違いじゃない。文化レベルその物がジャッポスは低い。日本風土のせいかも知れんが、日本人女性世界レベル説明にならないしな。

2017-10-09

「殺せ!殺せ!」と煽るヤフコメ民が中世で怖い

最近にはじまったことではないが、Yahoo!ニュースの各記事へのコメントヤフコメ)がいよいよ暴力的な色彩を帯びてきており恐ろしい。

「殺せ!」という言葉があまり普通に使われており、あまつさえその表現の残虐さを競うような状況である

たとえば、今日のこの記事

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171009-00000020-asahi-soci

(※削除された後用のアーカイブ https://archive.is/0x5RH

高速道路上での死亡事故についての報道で、ある運転者事故の原因となっていたかもしれないことが取材でわかったとの内容。

事故自体はとても痛ましいものであるが、この記事に対するヤフコメが異常である

要約すればとにかく「殺せ!殺せ!」と。

*******

害虫殺処分妥当

kur*****

容疑者凶悪殺人犯として指名手配して、街角で見つけてリンチしても免責されるようにしたらよい。

sup*****

この男を含む家族全員をトラックに突っ込ませて殺すのが一番。やった事はやり返されるべき。

念のため強調するが、まだ逮捕もされていない者に対しての「殺せ!」である

報道用語上の「容疑者」ですらない。

報道機関(この場合朝日新聞)が報じたことだけを根拠に、いや、その根拠以上のことを勝手見出し

極刑を指示(殺せ!)し、あるいは残虐な私刑勝手検討(殺せ!)する。

fum*****

前に停車させてた男の行方はどうなっているのでしょうか?捕まえて車で轢いてしまいましょう。

aps*****

轢くだけじゃダメ

100km/hの衝撃を教えてあげないと。

bas*****

100キロも出しちゃダメだよ

一瞬で死んじゃうから

10キロぐらいを複数回のほうがよい

kur*****

顔写真付き実名報道高速道路における引きずり殺しの刑にしたいくらいだ!

容疑者よ、出てこい!

nas*****

業務上過失致死なんかでなく、

もっと重い罪はないのか?

市中引き回しにして、苦しませながら同じ目に遭わせるべき!

コメント欄の流れをよく見てみると、ある「殺せ!」という内容の投稿呼応するように「殺せ!」という投稿が連なっていく。

日本法治国家であり、自らがその担い手であるという意識は見られず、あたかも娯楽のように、おびただしい「殺せ!」が積み重ねられる。

冷静なコメントもあるが、当たり前のように過激意見が支持され、埋もれていく。

この記事に限らず、他の記事でもよく見られる現象である

悲観的予言をするならば、いつかこ殺意コメント欄を飛び出し「魔女狩り」は起こるであろう。

ヤフコメは、すでに殺意をかき立て、正当化し、増幅させる役割果たしている。

このような惨状放置しているヤフージャパン社会的責任はどうなるのだろうか。

そして我々の社会は。

[] #38-7「危ないアニメ

====

「くらえ、チョウナ・ブーメラン!」

「おい、シロクロ! やめろよ。投げるな」

「なんでだ。人に向けて投げてない」

「人に向けて投げなくても危ないだろ!」

「え? なんで?」

「投げること自体が危ないって言ってるんだ!」

「じゃあ、何を投げればOKなんだ」

「何も投げるな!」

「随分な話だな。そこまでの権限はさすがにないだろ」

「うわ、急に正気に戻らないでよ」


====

「こうして問題は意外な形で終結し、今でも『ヴァリオリ』の登場人物たちはこれまでと変わらない武器を持っているってわけさ」

父の話に俺は疑問を投げかけた。

それは別の表現スケープゴートにして、問題ウヤムヤにしただけだ。

根本的な解決はしていない。

「息子よ、逆に聞きたいんだが、“根本的な解決”って何だ」

父にそう返され、そりゃあ……とまで言ったところで、ふと口をつぐんだ。

そもそも何をどうすれば、どこまでやれば解決して、そしてそれが本当に正しいことなのか、或いは間違っているのか。

それらを的確に判断できるような、普遍的物差しが俺にはなかったからだ。

いや、恐らくほとんどの人間はないのかもしれない、って言いたいのか。

「息子よ、覚えておくといい。問題ってのはな、それ自体問題ではないんだ」

父の言葉に、俺は首を傾げる。

問題にされない限りは解決もしなくていいってことだろうか。

「この界隈の『検閲するかどうか』っていう最終的な判断は、総意によって決まっていると思われがちだ。だが実のところ、多くは個々人が決めるしかないことだったりする」

「そうじゃないの? だから各々が議論をして、模索していこうってなるのかと」

「その答えじゃ観念的すぎる。しかも、それはプロセスの話だろう。俺たち作り手にとっては何も言っていないのと同じだ。答えを迫られたときにどうするか。それが重要なんだ」

「それで表現を変えたくないって答えを出した場合、どうすればいいのさ。ゾーニングとかレーティングとか?」

「それは妥協案に過ぎない。結局それらの基準だって漠然としている所が多いだろ」

じゃあ、どうすればいいんだろうか。

ますます父の言いたいことが要領を得ない。

「つまりな、こういう番組は案外“上手くやっている”ってことさ」

含みのある言い方に、俺はその意図を読み取ろうとする。

そして、ふと思い至る。

確証はなかったが、俺は恐る恐る尋ねた。

もしかして、その入浴シーン意識を向かせてウヤムヤにしたのは、武器だとかよりもっと問題のある表現を隠すため?」

父は笑いながら、淀みなくこう言った。

「はは、そんなわけじゃないか

俺の指摘がなんであろうと、そう答えるつもりだったんだろう。

しかしたら俺たちが気づいていないだけで、あのアニメには“問題にならない問題”が他にもあったりするのだろうか。

その答えに迫られたとき、俺はどう言えば“問題ない”のだろうか。

そして、それは一体誰が、どう判断すれば妥当なのだろうか。


俺は父にもうひとつ尋ねた。

「結局、父さんはどう思っているのさ。彼らのクレームはくだらないと思っているのか、汲み取るべきところもあると考えているのか」

「息子よ、物事は0か1かじゃないんだ。YESかNOだけではないんだよ。善良な意見に耳を傾け、頷きながら、暴力的性的低俗表現をし続ける。本当の意味での“自由”はそういうことなんじゃないかな」

そんなテキトー大丈夫なのだろうか。

俺が言い表せないモヤモヤとしたものを抱えていると、弟の声がテレビのある方向から聴こえる。

どうやら『ヴァリオリ』を観ているようだ。

「ユーマ・フォーリングホース~」

主題歌を口ずさんで楽しそうだった。

なんだか腑に落ちないところはあるが、弟が以前のように楽しんで観られるのなら、まあ良いかってことにしよう。

……というか周りの熱気に煽られただけで、俺自身は元からどうでもよいってスタンスだったのを思い出した。

(おわり)

2017-10-08

コミュニケーション知識を持ち込む難しさ

ADHDでもアスペでもいいけど、こういう発達障害人間は、普通の人とは生きてる世界が違いすぎるため、相互理解には正しい知識必要であることは、多分専門家の間では常識だろう。

これは普通の人が発達障害知識を得るだけでなく、発達障害当事者普通の人の知識を得ることも必要だと思う。

即ち、意志の力情熱経験則に基づく「ちょっとした工夫」だけでうまくやれる可能性は、かなり低い。


しかし、である

普通人間理解というのは生まれから蓄積してきた対人経験に基づいて相手を観察し、その場の現物合わせ、いわゆる「ちょっとした工夫」でこなすものである

からこそ、いわゆるコミュ強者と言われる人ほど、なまじ経験則オールオッケーだったが故に、発達障害への理解に正しい知識必要という所に辿り着きにくい気がするのだが、どうだろうか。

何より普通の人から見て、発達障害当事者言動はしばしば不快感を催すため、そういう感情的反応も、一層理解を難しくする気がしている。


実際、今まで自分が見てきて「今思うと、コイツ絶対そうだろう」という人間が何人もいたのだが、彼らに対し、今だったら一体何が出来るのか、結構疑問である

もし既に対処法が確立しているならトラバに書いてもらって構わない。

小学校時代同級生A君

  1. 授業中に必ず出歩き始める
  2. 先生発言に対し、ほぼ衝動的に茶々を入れてしま
  3. 最初のうちは無視したり適当にあしらっていた先生も、最後はキレる
  4. これを何人もの先生に、数年にわたって繰り返してきたので、彼の所属クラスどころか、学年全体のレジェンドとなっていた
  5. 授業参観でもその言動は収まることなく、懇談会でお母さんは平謝りだったらしい

中学校時代同級生B君

  1. 部活で先輩の発言に対し、「内容に誤りがあったら訂正する」返答を、空気も読まずに繰り返した結果、先輩ほぼ全員から反感を買う
  2. 先輩からの指摘にも口答えばかりで、これまた先輩の怒りを買う
  3. 顧問先生に対しても口答えを連発
  4. 廊下で先輩とすれ違う時に必ず殴られるようになり、ほどなく幽霊部員
  5. 顧問先生から幽霊部員化したことを問い詰められ、「先輩に殴られるから」と理由を話したところ「それはお前が生意気から」で一蹴される
  6. 同級生からは「いつも気取っていてムカつく奴」と見なされ、誰も味方にならないどころか、相手にされなくなった

以前勤めていた会社の同僚だったCさん

  1. 衝動的な発言で客から反感を買う
  2. 業務上私有車で出先に移動して作業というパターンが多かったのだが、車に積んだ会社備品や客先への納品物を頻繁に無くす
  3. 後で上司や同僚が彼の車を調べると、↑で無くしたはずの物が沸いて出てくる(故意だったら業務上横領レベルの量)
  4. 仕掛りタスクの詳細を忘れまくるので、しょっちゅうスケジュール破綻をきたす
  5. そのため、新しく割り当てられた仕事が、3ヶ月と経たないうちにリタイヤを余儀なくされるというパターンを何度も繰り返す
  6. 上司の叱責と注意は多分1000回を超えていたと思う
  7. 上司からは「このままだと昇給未来永劫ない」と宣告される


勿論、これらのケースで最も困っているのは本人であることは間違いない。

しかし、周囲だって大変な迷惑を被っているわけで、そういう意味では、彼らも加害者なのである

かに殴られたりキレられたりと、かなり暴力的対応をされているが、これは明らかに彼らがしでかしたことへの「帳尻合わせ」なわけで、こういう対応をするから悪い奴とは言い切れない。

それを踏まえた上で、どういう対応をすべきなのか、かなり難しいと思う。

2017-10-05

anond:20171005154057

落ち着いて。

この場合の周囲ってのは、テロ被害を受ける方の人じゃなくてテロをおこなう側の加害者側(賛同者)みたいな感じで使いたかった。

何らかの意思や思いがあるのであるならば周りを巻き込むべきだとおもうよ、味方として。

今回のでいうならば、暴力的解決せずに学校側の対応に満足しないとして集団で退学したほうがいい。

ストライキでもいいかもしれない。

でもそういうことが無いと言うことは、そこまでする程では無いって現状っぽいよね。

生徒側がそういう動きをしないということは、いやいやながらもある程度許容してるってことっぽいよね。

anond:20171005153753

昔の暴力的デモやらストやら組合活動やらで、いい年齢した大人政治の話を知り合いどころか家族ともしなくなったからな。

闘論じゃない討論の仕方も教えないし。

ついでにむずかしいせいじのおべんきょうをするより、明日の飯のタネを心配しなきゃならない世の中だから・・・

ベーシックインカムがあれば馬鹿でも政治活動する余暇ができるよやったね!(書いててすごい心配になってきた)

2017-09-30

みじめ

容姿性格は悪く、仕事はできない、金もない。こんな状態で、この先何十年も生き恥さらし続けるのはつらい。

親族は顔を合わせるたびに、いい人はいないのか、子どもが見たいなどと詰め寄ってくる。これと添い遂げくれる人はいないだろうし、この遺伝子を継いだ子は悲惨しか言いようがない。

万が一トンビが鷹を生んだとしても、短気で暴力的な父の血が入っている自分は、子どもに何かしてしまうんじゃないかと思っている。理性ではそんなことしないと断言できるが、どうしようもなく怖い。

では自殺するしかないなとは思うが、そんな勇気はとうてい湧かない。

突然安楽死施設オープンしたり、誰かが殺しに来てくれるのではないかと、あり得ないことに期待しながら、今日もみじめに生きてしまう。

ごめんなさい。

2017-09-29

どんなイデオロギーでも多数を占めると暴力的に少数を抑圧する

よってノンポリこそが正しく強い生き方

2017-09-26

私の左翼右翼

右翼左翼というカテゴリは、なぜか人に完全な説明を与えたような錯覚させる言葉だ。

一般的左翼的言説は、左翼進歩的であったり、人間中心的であったり、自他的であったり、自利的あったりする。

一般的右翼的言説は、右翼保守的であったり、自然中心的であったり、集団的であったり、個人的であったり、規律的であったりする。

これだけ雑多な概念ではあるが、左翼右翼対立していたり、対立していないこともある。

わたしは2つの概念に、どちらがより悪いかということを言うつもりはない。

これから書くのは、左翼右翼にある対するよくある誤解をできるだけ解いていこうという試みである

といっても私の力不足により、今は3つしかなく内容も不明瞭に見える。

それと誤解と断定して書いたが、恐らくは誤解であるという所だ。

なぜなら、左翼右翼完璧定義付けを、私はしないつもりだからだ。

それでは、なぜ左翼右翼に対する誤解と言うものを書けるのか。

それは左翼右翼に対してよく言われる一部の定義を仮として当てはめた時、明らかに左翼右翼思想が成り立たなくなり

そうなったときに、彼は左翼だ、右翼だと言うことがほとんど不可能になると思われるからだ。

ここで私のひとつ立場を明らかにしたいと思う。

私は"思想ジレンマ"というような言説、態度を認めていない。

どちらかのジレンマによる、右翼左翼キメラ的態度を認めないということだ。

(哲学的に言えば、ヘーゲル止揚という概念を認めていない。)

それを踏まえた上で、左翼右翼に対する誤解について書いていこうと思う。

左翼進歩的であり、右翼保守的である

左翼的言説とは、現状を改革することや、何かを変えようとの意向を持つ言説であろう。

右翼的な言説は、現状を守るときや、何かを大事にしようとするときのものだ。

これらから左翼は常に革命を求めており、暴力的であるとか、右翼は頭が固く時代遅れだなどと言われる。

まず、最初左翼的な言説に、まるで保守性がないというのは成り立たないことだ。

左翼が変革を起こす時、現状をすべて破棄するか、一部を破棄するかというどちらかを選択するだろう。

そして現在には存在しない概念を(規則など)を落ち込むことになる。

もし、その概念批判があれば、左翼はこれを守らなければならない。

その守るための言説に保守的言葉が無いとしたら、明らかにその概念はたちまち崩壊するだろう。

批判者の言説とは、おおよそこのようなものだろう。

君の進歩的概念適用された世界を認めたとして、その世界をどのように(同じような進歩的概念から)守るのだ?

次に右翼的な言説に、現状を進歩させるものではないとするものだ。

これは左翼的な言説に保守的な言説が混ざり込む以上、彼らは、その保守的な言説と戦わなければいけない。

その戦う言説が保守的ものだけであれば、ともに共存することになる。

右翼保守的なだけであれば、不純物と共存するだけである

そうではなく、現状維持のためであれば、不純物は取り除かなくてはいけない。

不純物を取り除いた後に、根本の原因である現状の変革を実施する。

劣化し始めるもの進歩し始めるのも、現状に問題があるためであり、その現状を彼らは変革するのである

しかし、その変革とは公平に見るとすれば進歩のものである

左翼保守的に見えたり、右翼進歩的に見えたりするのは、そもそも左翼進歩的であり、右翼保守的であるということを誤解していることによるのである

  

左翼相対的であり、右翼絶対的である

ここで抽象度が一気に上がって申し訳ない。

相対的であるとは、相対論自由という概念などである

(自由という概念は、相対的でないと成立しない。

もし私がりんごを食べるとして、ある場所では犯罪だが、ある場所では犯罪ではないとすれば

食べる場所によって犯罪の可否がきまるため、私がりんごを食べる自由相対的であると言える。)

絶対論とは、~べき論や、どこであろうと適用されることを望んだ言説である

これらにより、左翼優柔不断、すぐ裏切るなどや、右翼は頭が固い、傲慢だなどと言われる。

では、これも同じように左翼絶対的な言説が入り込む余地が本当に無いのだろうか?

その前に、左翼進歩的言説を行うものであることは、すんなり頭に入った人たちでも、

左翼相対的言説をしているか左翼だと認識することはあまりいであろうと思われる。

ここで相対的言説と絶対的言説について少し書こうと思う。

相対的言説とは、まさに例を取ってあげれば左翼的言説に近いもので有ることは理解してもらえると思う。

例えば自由や愛、幸福などだ。

自由を仮に絶対的定義しようとすればまさしく絶対的自由から抜け出すことこそが自由であると言うことが分かる。

こうすると、自由相対的という定義に転がり当てはまる。

絶対的言説とは、言説による力を発揮する場所定義するということである

例えば、国、集団など。その限定された場所によって、定義された言葉が、それに見合った意味となる。

さて、左翼相対的であるとのは、相対的言説を用いているかである説明した。

しかし、それは誤解である

左翼は確かに相対的言説を用いているが、よく見ればそれは、条件付きの相対的言説なのである

左翼相対的であるために、一定絶対性を必要としたのだ。

自由という概念は、他に絶対性がなければ、自由のもの絶対的ものとなってしまう。

そこから抜け出すために、一定絶対性を用意し、その絶対から自由を得ているのだ。

そのため左翼は完全に絶対的もの使用するため、完全に相対的であることはできないし望んでいない。

では、右翼はどうだろうか、右翼絶対的であろうとし、あらゆる不名誉を得てきた。

右翼絶対的たりうるための場所定義するが、その場所定義するプロセス相対的である

それは場所とは、物理的に言えば、自然によって決まっており、自然がもたらした、ものによって人が決めるのである

ある場所は良くないが、ある場所が良いといのは自然により決定している。

そして、場所定義することが相対的であるがゆえに

定義後の絶対性の担保にも相対性使用する。

こうして、右翼も完全に絶対的であることができず、また望んでいない。

左翼相対的に見える場合は、条件付けを見れば誤解であることに気づき右翼絶対的に見える場合は、場所定義確認すれば誤解であることが分かるのだ。

まり左翼相対的であることも、右翼絶対的であることも誤解である

  

左翼は実利的で、右翼は実利的ではない。

左翼が実利的に見えてしまうのは、ほとんど悪名高き功利主義によるものだ。

右翼功利主義をもたない。なぜなら功利主義幸福に関する思想であり、幸福という概念相対的言説だからである

このせいで、左翼感情のない人間という扱いになり、右翼計算の出来ない人間と言われる。

これは功利主義短期的な実利主義であるという誤解からまれている。

功利主義とはその場の短期的な視点での価値判断使用される思想ではないということだ。

もっと長期的な10年、100年というスパン幸福について考える思想なのだ

これらの左翼右翼の誤解はそもそも問題としては何なのだろう?

私が思うに左翼右翼という概念が、その人自身属性となってしまうことによるものだろう。

有る考えが進歩的であったとしても、その人自身はまるで関係ないはずである

しかし、左翼右翼とするとその場合は、人間と結合し、その人間自身左翼右翼的存在となってしまう。

本当に気をつけなければいけないことは、左翼的右翼的であることが、その本人の属性として、その本人の全人格を表すようにみていないかということだろう。

けもフレ降板騒ぎを見て頭から離れないこと

からない人はこれについて話します。

突然ですが、けものフレンズアニメから外れる事になりました。ざっくりカドカワさん方面よりのお達しみたいです。すみません、僕もとても残念です

たつき/irodori (@irodori7) 2017年9月25日

 

けものフレンズをだしにしているようで悪いんだけど、降板の話を聞いて

大塚英志のエッセイが頭から離れなくなってしまった。

このエッセイをめちゃくちゃ暴力的説明すると

    これについては議論すべき点がいくつかあるだろうがそれについては割愛

     

    今回問題にしたいのはこの後、KADOKAWA過程支配しようとしたらどうなるかと言うことである

    大塚言葉角川歴彦(KADOKAWAの一番偉い人)が生み出したメディアミックス説明する中で

    そこで一人一人の「作者」は、その中で創作させられる(ヽヽヽヽヽ)存在となってしまう。

     と言う。

    さらに上記に書いたKADOKAWAが描く未来現実になると作者という特権存在自体が消え失せ、(一次、二次創作含めた)コンテンツ全てをKADOKAWA管理するようになるとも言う。

    今回の降板はこのコンテンツ全てをKADOKAWA支配したいと言う意思が具現化したものではないだろうか。

    インタビューによればアニメ版けものフレンズはそのほとんどをたつき監督制作し、「たつき監督ありがとう」などファンの声でもたつき監督という存在は大きい。

    しかしこうした感謝気持ちたつき監督と言う存在特権化してしまい、KADOKAWAが考えるインフラ形成を阻害してしまう。

    (結果的はいえ)作者という特権的存在を抹消することを望むKADOKAWAにとって、たつき監督インフラの外へ排除すべき存在だったのではないだろうか。

     

    トレンドカドカワ?って思ったらそういう事…
    関係者が並列に多過ぎて、代表して事情説明出来る大人が居ない予感。それにしても一体誰にどんな得があるのか?いちクリエイターとしても気になるところ。更なるビジネススケールを狙った「個」から組織」への進化だとするとその副作用は大きいね

    志倉千代丸 (@chiyomaru5pb) 2017年9月25日

    クリエイターにとって「利益」vs「自身創造性」というせめぎ合いは昔から存在するモノだった。

    そして数多く議論されてきたことでもあった。

    しかし、今回の大塚が指摘したような「コンテンツの流れ」vs「作者としてのおのれと言う存在」にも目を向けなければ副作用解決することはできないだろう。

    2017-09-24

    介護疲れ

    介護疲れで親を殺してしまったりする事件があるけど、気持ちが本当によく分かる。

    うちもそんな状況になりかねないくらいに辛い。

    介護の辛いっていうのは人の家によって度合いが違うと思うんだが、うちの場合は、元気だった頃はDVで辛く

    半身不随になったら落ち着くか…と思ったら、寝たきりでも変わらずDVが続いて辛い。

    寝たきりなんだし、もうただの雑魚だろって思うでしょ。

    元々が暴力的な人が寝たきりになって変わるかというと、今度は言葉と物を投げるという暴力に変わる。

    周りに物を置かなければ良いと思う人も多いと思う。

    そうもいかないし、そうもできない。飯の時は持っていってやらなきゃいけない。

    そうすると水を得た魚のように物を投げ始める。

    今度は飯なんかやらなきゃ良いと思う人も居ると思う。

    そうすると、介護放棄とみなされてしまう。

    施設にでも入れてしまえよと思う人も居ると思う。上記のように暴れるので拒否される。

    DVが絡むなら介護拒否も出来るんじゃないの?って思う人も居ると思う。

    これが出来ない。DVとみなされず、わがままとみなされる方が多すぎて介護放棄で罪になる。

    結局、心無い言葉をぶつけられ、物を投げられて怪我をしても拒否は出来ないで日々心身が疲弊する。

    そんな状況だったので、最近介護をちょくちょくするようになったという知り合いが介護が辛いといってきたので

    どんな介護してるの?と聞いてみたら…

    別に動けなくもないし元気なんだけどね、車も乗れるし、休日は遊びに出かけてるし。ご飯作ってあげてるんだけど介護大変だねー」

    というので、思い切り怒鳴ってしまった。

    それのどこが介護だよ、バカじゃないの?って。知り合いは憤慨してたけど、そんなの介護じゃないよ。

    車も乗れる、遊びに出かけられるなら自分で飯くらい作らせなよって話だよ。

    そんな人にやるのは介護じゃなくて、単に家事手伝いだっていうの!

    本当に辛いってことを知らない人は、こんなにも幸せな事で辛いって言うんだね。

    その幸せの間に私は青あざが増えていっているのに。

    最近は、もう介護をしている間は心を殺してる。早くこの時間が過ぎ去ってくれないかなって。

    私は辛いからって人を殺したりはできない。

    から、この人の命が無くなるまでは介護するけど、それが終わって自由になった頃はきっと、

    私自身が介護必要になっていく歳になるんじゃないかなって思う。

    もう40近くになってるし、20代後半から我慢して続けてきた。

    結婚も諦めて家庭を持つのも諦めて、20代楽しいかもしれなかった時期を捨ててきたんだけど

    それでもたまに友人と出かけてカラオケなんかいった時は、本当に幸せかなって思った。

    今はもう、ひたすら毎日がすぎるのを待ってるだけになったけど。

    親の面倒を子供がみなければいけないという民法だったかで決められた事が憎い。

    暴力を振るわれながら「育てきた恩もないのか」って言われる事もあったけど

    育ててほしくなかったし、生まれたくなかったなと思うことも多い。

    どこに毎日暴力に悩まされて、言葉ボロボロに言われても、喜んで介護する人がいるんだろうか。

    なんか疲れた

    ナルシシスト自分の取扱説明書

    私はナルシシストだ。と思う。

    ナルシシストとは、ありのまま自分価値に自信がないので、

    他人から承認を多く必要とする考え方のクセを持つ人の事。

      

    から、このように考えてしまう。

      

    お金名誉などの分かりやす評価が欲しい。

    ・素敵な異性と付き合いたい。

    自分が何をしたいかより、周囲が評価する事を優先する。

      

      

    長所は、

    ・人から承認される為なら、多大なエネルギーが湧いてくる。

    ・(主に承認してくれる人達に対してではあるが)面倒見が良い面がある。

     

    短所は、

    自己中心的に考えやすい。

    承認されないと、怒りが湧きやすい。(外に向けると暴力的になるし、内に向けるとウツになる。)

      

    この性格が生まれた原因としては、、家庭環境が主で、

    まぁ、両親からの期待や理想が高いとなるようだけど、

    それは良い。嘆いてもどうしようもないのだから、上手く付き合っていく

    方法を考えていくしかない。

    結論を言えば社会の為に、上手くコントロールして使っていきたいし、そうするのが良いんだろう。

    ただ、暴れ馬をいつも体の中に飼ってるみたいで制御が難しい。

    2017-09-22

    ルース・ベネディクト菊と刀

    本屋で冒頭数ページ読んだら、「『菊と刀』とは、一見繊細で芸術を愛するように見えるのに、ふとした局面に途端に暴力的で強権主義的になる日本人の、二面性の著しさの象徴である」(要約)と書いてあって、もうそれだけで「この人はわかってるなー」と思って買わずに帰ってきたんだけど。

     この、70年前の戦争記録から日本人分析した論文と、ほぼ同じような感想を、現代日本を観察する欧米人の多くも持っていることだろう。日本に生まれ育った俺でさえ、これがまったく不思議しかたない。

     多くの日本人は、俺やこの種の欧米人にとっては当然のように「あわせて備えているもの」と感じられる性質のセットの、どちらかが平気で欠けていたりする。たとえば理系芸術分野に携わる人間の、社会的理想像の幼稚さ……なんて言うと文系はてなサヨクは小躍りしてそうだそうだと言いそうだが、逆に言えば、歴史社会を興味対象にする連中の、創造活動への関心の低さも異常なのである

     ネット大人気の「自炊は高くつく論」なんかもこの例である

    「生まれて初めて料理ハンバーグ)をするために調理器具から小麦粉から買ってきたら1まんえん以上した!自炊は高い!」なんて、冗談としても発想が小学生レベル稚拙記事を、いつもは『吾輩は知的である』なんて顔をしてる連中が「そうだ自炊は高いんだ」と拡散したりする。

     まず、こんな記事を書けるような年になるまで、本当に一回も料理をしたことがない人間なんて、その時点でただの教育の失敗とは思わないのだろうか。

     良い年して現代史もまともに知らず、ネットで感化されて修正史観にハマってしまネトウヨと、低レベルさにおいて何が違うんだそれは。

     欧米の「リベラル」はこんな中庸に欠ける連中ではない。少なくとも、主流の「スタイル」はこれほど低レベルではない。

     人権意識を持ち、環境配慮をし、知的好奇心に溢れるインテリからこそ、「自分でやる」ことへの情熱を失わない。下手でもDIY自炊への憧憬を見せる。

     一方で、アーティスト職人肌のギークたちが、社会環境配慮したものづくり意識し、積極的メッセージを発信することも、ごく当然のように行われる。ギーク系のニュースサイトブログでも、人道/環境配慮科学技術政策のあり方(政治議論)に、正面から切り込んでいく。

     これらは日本ではほとんどみられないものだが、本当にその理想を追求したのなら、人を知ることはものを知ることであり、ものを知ることは人を知ることであるといずれ繋がるのは、このように論理的には必定に思える。欧米では「当然あわせて備えているべきもの」と(少なくとも至上の理想レベルでは)見なされているこの両輪に、何故日本ではこんな断絶があり続けるのだろう?

     『菊と刀』の奇妙な同居は、結局のところ、ものごとを薄っぺらな表層レベルしか装えない、日本人精神性の貧しさの現れでしかないのではないだろうか。

    2017-09-05

    anond:20170905122325,anond:20170905122531,anond:20170905130257

    増田に書くのって世情に訴えるとか表明とかそんな大それた事なの…。まずそこに驚きだ。

    刺青を入れるのは自由だけど、それに何を感じるかも自由なんじゃないのとも思う。でもそれ言ったら言論封殺を主張するのも自由か。水掛け論だね。

    よく電車内での化粧について議論になると、『外国では売春婦がやる事』なんて事が書かれるけど、

    もし日本人女性がどこかの国の電車で化粧をして売春婦と間違えられたとして、それは差別なのか否かって考えると否って思ってしまう。

    私にとって刺青ってこれと一緒なんだよね。ヤクザ紛いの事しておいてヤクザ扱いされたら差別ってどういう事なの……って気持ちがどうしても抜けない。

    本人に貴方ヤクザですか?暴力的な人ですか?なんて聞けないから見た目で判断するしか無いんだもん。近付いてみたらヤクザでした。じゃ困るし。

    差別Aが差別Bを産みっていうのも解るけど、それはともかく刺青自業自得でしょっていうのが正直なところ。ロリコンに対する警戒心と似てる。危うきには近寄りたくない。

    ファッションだって言うならシールじゃダメなのかなぁ。プールとか銭湯とか仕事中は剥がせるし、付けたいところに好きな柄付けられるし、刺青のいい所取り出来ると思うんだけどなぁ。

    2017-09-04

    首しめエッチを楽しんじいかんのか?

    AV真空パックもの暴力的からやめろという弁護士話題だな

    正直そのフェチ全然わからん

    ただ、フィクションにそれを言い出したら創作なんてできんだろ

    映画だってクソ不快ものは腐る程あるしな

    というか創作でなくても、実際の行為の中で首をしめて楽しむというのはマイナーな中では結構メジャー性癖

    かくいう自分もそれだ

    といっても立場は逆で俺がやってもらう側なんだが

    首しめといっても窒息ではなく、頚動脈を上から抑えてもらって脳への血流を制限するやつだから苦しくはない

    効果は抜群で下半身快感酩酊感と全身の痺れとリンクしてなんとも言えない恍惚感を味わえるプレイ

    これはマイナーフェチ向けの創作なんかよりもずっと危険だし、暴力的なんだがやったらあかんのか?

    そんなことないだろ

    anond:20170904191632

    適当範囲での罰則を用いるべきではあるが「暴力に代わるほどの強い罰則」というのはつまりそれだけ暴力的罰則であり、そんなものは用いてはならない。

    それは「盗んではいけない」「殺してはいけない」などと同じく根本的なルールであって、教育において暴力を用いることは許されないのだ。

    暴力を振るえば上手くいくんだ」というのは犯罪者の言い分であり、上手くいこうがいくまいが決して許されない。

    生活の前提に犯罪行為を置いてはいけないように、教育の前提に暴力行為を置いてはいけない。

    我々は持つことを許された手札で戦うしかないのだ。

    分かったら子供への暴力をやめろこの虐待者の犯罪者ゴミクズが。

    教育現場を知ってれば体罰反対なんて言えないんだなこれが

    言って聞かせるなんてことをこども相手にできないのは教育現場にいる人間ならみんな知ってる

    からどの学校にも恐怖の対象になってる先生がいて

    その先生がその役割を担ってることが多い

    それをしないと逆に生徒がつかみかかってきたり暴力的な行動に出てくるのが常

    体罰反対とかはてなで騒いでる隠キャは一日も持たず教育現場から逃げ出すだろうなw

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