はてなキーワード: 差異とは
NHK「選挙報道の在り方検討」 兵庫知事選受け稲葉会長 | 共同通信
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1231906104544346810
???なんでnordot.appとかいう怪しいサイトを経由してる!!?
調べてみると、どうやら共同通信とヤフーが共同出資してるサービスらしい。
ニュースサイトがノアドットに記事を出し、キュレーターという記事紹介をする人にそれぞれお金が行く仕組みらしい。
さっきのリンクで言えば、KAI-YOUの元記事が ↓ になるんだが、リンクや注釈が増えてるし。
https://kai-you.net/article/90811
共同通信の方は元記事が無かった。ノアドットがそもそも子会社だからだろうか。
間に入ったこのノアドットや、「キュレーター」という第三者に俺のアクセス履歴が共有されてるって事じゃん?
やってることはYahooニュースと同じなんだけど、あれはちゃんとひと目でそうだって分かる作りになってて、タイトルにもYahoo! ニュースって入ってるから筋は通してると思う。
でもこのノアドットの方は全然そうと分からせないようにしてるし、コソコソしてて気分悪いわ。
それにこれがはてブに出てくるって事ははてブ使ってキュレーターが金儲けしてるってことじゃん。
はてなはそれでええんか?
それともお前らがキュレーターなんか?それもユーザーから分からんよな。気持ち悪いわー。
例えばAmazonのアフィリエイトリンクなら「tag=〇〇〇-22」というクエリパラメータが付いてて明確だから良いけど、ノアドットの場合はパラメータもサブドメインも無いからなんも分からん。
増田にとって辛かったのは、単に男女の友情が成立するかしないかという世間的真理の問題よりも、「一番の友達だ」「人と付き合ったりすることができない」「俺もだ」と言語化されていた関係を裏切られたことだったんじゃないかな。「嫌だ」って言ってるのに受け止めてくれなかったことじゃないかな。
世の中にいるんだよな、言葉を字面通りに受け取ってくれないやつ。恋愛が苦手だ、って言ってたのに告白してくるやつ。性的なことが苦手だって言ってたのに、それでもいいから付き合ってって一旦了承してから、やっぱセックスしたいとか言い出すやつ。NoがNoであると理解できないやつ。
そういう連中は決まって「でも常識的にはこうだから、その発言は無効だ」みたいなことを言い出すわけ。「口ではそういってても、実際には違うでしょ、カマトトぶってるだけでしょ」「そうはいっても一緒に映画をみたじゃないか、世間ではそれは通用しない」みたいな。世の中の人間の価値観や思考様式はさまざまなんだから、その差異を埋めるために言語を使うのが知的生物たる人間だ。それでも、放たれた言葉を真正面から受け止めず、自分の価値観が「多数派」であることを盾にして相手を飲み込もうとする。それは単なる暴力だ。
悲しいことに、確かに増田にできることは自衛しかない。そういう奴らは話が通じないから、話を通じさせる前提条件が飲み込めないのだから、説得してどうこうなる相手じゃないわけだ。襲いくるモンスターからは早めに逃げるしかない。どんなにあなたに非がなかったとしても。
だとしても、「男女の機微」なんてフレーズで、真正面からの合意形成をサボタージュしようとする連中の言葉をありがたがってみせる必要はない。自分ではない誰かと共に生きるならば、まるで異なる他者と生きるならば、それが恋愛であれ友情であれ、言語による合意形成の不断の努力なしには成り立たないのだから。
戦闘中HP1になればプレイヤーの記憶に、「この戦闘は苦戦した」という記憶は残るので、
例えばGetting Over It with Bennett Foddy、壺おじですね。ゲーム内に死の概念はありませんが、成立していませんか?
敗北して戦闘前まで戻されるという普通のゲームの仕様は思っている以上に重いペナルティなんですよ。
上手でないプレイヤーは、どうしても戦闘も時間がかかってしまいます。
装備の更新を怠ったり、強い技を理解していなかったりなどですね。
上手い人が20分かからないボス戦闘で、1時間かかって勝てていない人、たくさんいます。
イージーなモードを選ぶプレイヤーにとっては、時間がかかった戦闘/イベントをもう一度やり直さなきゃいけないというのは、
ゲームを途中で諦めて二度と起動しないことと天秤にかけられるくらいに重いペナルティなんです。
強めのゲーマーではない友人とゲームの話をしたときに、〇〇が強すぎてやめちゃったみたいなタイプ、結構多いですよ。
他にゲームの調整として、モードによって被ダメージ余ダメージに倍率をかけるものもありますが、
調整がうまくいかず、被ダメージが下がりすぎてあなたのおっしゃる、「死なない」に近くなっているもの、
余ダメージが上がりすぎて、ゲーム内で苦戦することがなくなっているもの、などが良く見受けられます。
場合によっては、余ダメージが高すぎて戦闘中の一定ダメージによる会話イベントが飛ばされてしまうパターンもあったりします。
せっかくゲーム内のロールプレイを中心に楽しむためにゆるい難易度に手を付けたのに、ロールプレイを楽しむためのイベントが飛ばされていては本末転倒ですね。
これは、ノーマルを基準に調整した結果、イージーの調整が万全でなかったのでしょう。
HP1で残るだけが違いなのであれば、ノーマルで苦戦するものはイージーでも苦戦し、ノーマルでしっかり調整すればイージーもそれに従うので、調整しやすいのだと思います。
特殊性癖を探りに行くほどやる気は起きないけどとりあえずいくつか見た。
女の鳴き声とか乳が良く揺れるとか定形様式を満たさねばならないようなので私のような表面だけ見ている者には全部同じに見えるけど、
愛好家はそのルールの中でも差異を見つけて好みのものをピックアップしていくのだろう。
定形様式の中で重要視されていることのひとつに、導入部分や途中経過や動画のコンセプトがなんであれ
女が最終的に人間を降りてメスになり尊厳と意思を放棄し男に体を明け渡す、つまり降伏と戦利品(女の体に対する決定権)の獲得という部分があるように思う。
※そうでないものもあるのかもしれないが、最初に書いた通り特殊性癖を探りに行ったりはしていないので少ない観測数の中では見当たらなかった。そうでないものを紹介いただくには及ばない
女性に対して攻撃性(敢えて攻撃性と書いた)を発揮する一部の男性がトランス女性に対しては同じ攻撃性を発揮しないのは、
降伏した後に戦利品が無いからではないか。戦利品のない侵略はただの消耗だからな。
そういう意味では、※部分で言及した「そうでない特殊性癖」を求める人は侵略者ではなく冒険者なのかもしれない…
いや、そういう話がしたかったわけじゃない
上記タイトルの件について別所でもいろいろ言ったけどまだモヤモヤするので吐き出させてほしいにゃん。
猫のフリをすれば吐いても怒られないかなと思ったけど猫が吐いたからと言って猫を叩く人間もいるのでホントゆるせねえよなあ!!おめーもそう思うだろ!!!!たたかないでね!!!!!
まず必要な前提情報について。先日発売したドラクエ3リメイクに存在する「かんたんモード」がどんなに殴られてもHPが残り1から微動だにせず絶対に0にならないというどこぞの不死騎団軍団長みてーな仕様になっているという情報が事の発端であります。
もともとヌルゲーであり全滅など滅多にしないし、ボスが弱くなるわけではないのでそんなに変わんないですよー、という意見もあるが私はそうは思わない。
まず絶対に死なないので防具というものの存在価値が虚無と化し、死なない以上DPSが無価値になるので武器の存在価値が消失し、それらを揃えるためのゴールドや宝箱の存在が無価値になり、呪文仲間職業などなどドラクエを構成する無数の要素が形骸化する。
一見して無限コンティニューや一時期話題になった「クリアしたことにする」と似たようなものに見える「絶対に死なないという仕様」は想像以上に多くの要素を棄損するのである。
そういう話をしたい。
さて、○○はゲームじゃねえ!という話をするためには本来ゲームの定義をしないといけないのだが、これに関しては完全に未解決議論であってこの場で決着させるには余白も能力も足りない。
かといってウィトゲンシュタインによる定義で話を進めまーすなどと言い出しても自分の結論に誘導するための手前味噌にしかならないのでそういうのは良くない。
もうどうしようもないので定義せずにフィーリングで話を進めます。ごめんね!!!
定義しないとは言いつつ最低限の認識は共有していなければ話にならないのでゲームというものについてのそもそもの話をするのだが、まず、ゲームというものはプレイヤーの入力に対して何らかの対応する出力が返ってくるものであるわけだが、これだけではゲームとして成り立っていないというのは御理解いただけるだろう。
でなければスマホのフリック入力もPCデスクトップのエロサイトへのショートカットをクリックするのも全部ゲームということになってしまう。ホワイトカラーの皆さんも勤務時間中パソコンに触れている間はずっとゲームしていることになってしまう。そんなことで減給だの処分だの食らっていてはとてもではないが堪らない。
つまりまだ何かゲームというものに必要な条件があると思う。それはなにか。
ここで出来るだけゲームというものの源流に近くシンプルな例として将棋やチェスでも話に出すと、その必要条件というのは「ルール」と「見立て」なのではないかと思う。
単なる字の書かれた木片や石片を交差する線上で動かす行為がゲームとして成立させているのは、それらの木片石片にポーンや歩兵という名前を与える「見立て」と、駒を交互に動かす、駒ごとに動ける範囲が決まっている、上に乗ったら排除できる、といった「ルール」の存在である。
このふたつにより盤上に散らばった木片や石片は、実際の戦争の再現としての意味合いを付与され、ゲームと呼ばれ得るのではないだろうか。
さてドラクエに話を戻すが、あれもまた当然メモリ上でやりとりされるステータスという名の数値や、画面上に表示されるドットには本来何の意味もない。勇者や魔物というストーリーの見立てを被せているだけで、実際にはちからやみのまもりといったステータスはただの数字である。
そんなことないよ!という方は先にクッキーババアと一緒に天文学的数量のクッキーを焼いてきて欲しい。
あくまでもコンピュータ上でやりとりされる無機質な情報に、ルールと見立てによって意味合いが付与されることでテレビゲームはゲームとして成立しているのである。
その前提を踏まえた上で、「HPが0にならない」という仕様の意味するところについて考えて欲しい。
一見大した違いなどないように見える 「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」と「HPが0にならない」の間には質的な、根本的な差異による断絶が存在するのである。
「無限コンティニュー」 や「クリアしたことにする」という出血大サービスの難易度緩和、将棋で言えば歩と飛車角金銀桂馬香車が使えない19枚落ちのようなヤケクソ難易度であろうが、一応はゲームそのものが崩壊することはない。
しかし王を取られても詰みにならない、全部の駒を失おうがゲームが続く、というのは根本的にゲームのルールそのものの破壊にあたるのであり、ルールの破壊はゲームそのものを成立させている意味合いの付与の破壊、ゲームの破壊に当たる行為なのである。
考えてみて欲しい。スターを取得して無敵と化したマリオとて画面端に落ちれば死ぬのである。
敵を一方的にブチ○せるというのはゲームの一要素として成立するが、死なない、負けないというのはゲームを破壊する行為に当たる。
マリオが無限残機で即座にいくらでもやり直せることと、敵にも床判定のない画面端に触れても決してゲームオーバーにならないことの間には決定的な違いがある。
無限に復活するマリオはいくら難易度を緩和しようがゲームとして成り立ち続けることができるが、落ちないマリオはゲームとして成立しない。
如何なヌルゲーでゲームオーバーやデスペナが微粒子レベルでしか存在しなかろうが、0でさえなければゲームは成立する。0であればゲームは成立しない。
ドラクエ3リメイクのかんたんモードは、この1と0の間の絶対に越えてはいけないラインを越えているのである。
一応言っておくと勝ち負けの存在しないゲームというものも今の時代は存在するし、議論はあれど一切分岐のないノベルゲームなんかも現状ゲームに分類されているのは承知の上です。
マイクラのクリエイティブモードがデバッグモードの類ではなくゲームモードのひとつであることに文句はないし、それこそ上で話に出したクッキーババアのようにゲームをゲームとして成り立たせている要素をゲシュタルト崩壊させて楽しむアウトサイダーなゲームもゲームのひとつだと思う。
ゲームシナリオはシナリオ単体で抜き出すとゲームとしてもシナリオとしても成立せず、ゲーム部分の没入ありきでゲームに依存した存在なのでゲームシナリオが楽しめればそれでいいとも思いません。
画像を生成するAIによる無断学習や利用を防ぐために、以下のような対抗手段を講じることが可能です。
1.透かし(ウォーターマーク)の埋め込み:
画像に目に見えるまたは見えない透かしを入れることで、無断利用や生成AIの学習に対して抑止効果を期待できます。特に、目に見えない形で画像データに暗号的な透かしを埋め込む「デジタル透かし」技術が有効です。
画像データに著作権情報や「AIによる無断学習を禁止する」といったメタデータを埋め込み、ウェブサイトには robots.txt ファイルで画像クローラーのアクセスをブロックする設定を追加します。これにより、クローリングや収集の抑制が期待できます。
ステガノグラフィを用いて、画像に気づかれにくい形で識別情報を隠すこともできます。これにより、画像の流出経路や利用先を追跡でき、無断利用の発見に役立てることができます。
4.法的な警告表示や利用ポリシーの明示:
ウェブサイトや画像の配布先に、AIによる無断利用や学習を禁止する旨の法的警告や利用ポリシーを明示することも有効です。利用条件をはっきりと示すことで、AI企業や研究者が慎重になる可能性が高まります。
AIが利用しにくいように、画像に人間には気づきにくいパターンやノイズを挿入する技術もあります。たとえば、AIにはノイズとして認識されるが、人間には問題なく見える小さな変形やカラーパターンを追加することで、AIによるデータ学習が困難になる場合があります。
生成AIの学習を混乱させるための手段には、以下のような方法が考えられます。
1.ノイズや歪みの追加:
画像に目立たない程度のノイズや歪みを加えることで、アノテーションモデルが境界や特徴を正確に認識しにくくする手法です。たとえば、ピクセルレベルでランダムなノイズを追加する、わずかに画像をぼかす、あるいは境界線付近に小さな変化を加えるといった手法が有効です。
アノテーション処理は、対象物の輪郭や特徴を正確に捉えることが重要です。そのため、背景や対象物の輪郭にわずかな不規則性を加えることで、アノテーションツールが対象物の境界を正確に判断しにくくすることができます。たとえば、背景に模様や偽の輪郭を挿入する方法です。
画像に人間には視認しづらい形でテキストやラベルを埋め込むと、AIのアノテーションプロセスが混乱する場合があります。これにより、AIが意図しない領域を注視することがあり、誤認識を誘発します。
4.色や明るさのランダム変化:
画像の色や明るさを部分的に変化させ、一定のパターンを持たないようにすることもアノテーション処理の混乱を招く一手です。これは、オブジェクトの検出や認識が色や明暗の差異に依存している場合に有効です。
5.擬似的なオブジェクトの追加:
画像内に小さな擬似的なオブジェクトや模様を追加することで、AIがそれらを誤って主要なオブジェクトと認識し、アノテーション精度が低下する可能性があります。特に、背景に似たオブジェクトを散りばめることで、AIはどの部分が対象なのか判断しにくくなります。
AIの認識を誤らせるために用いられる「アドバーサリアル(敵対的)な例」を使う方法もあります。特定のピクセルパターンや色の配列を配置することで、AIのアノテーションが意図的に誤作動するよう誘導できます。この技術は深層学習モデルに対して特に効果があります。
画像全体にわずかなカモフラージュパターンを重ねることで、AIの認識を混乱させる方法です。この手法では、人間が見た場合には問題なく認識できるものの、AIが対象を捉える際に誤って検出するようなパターンを画像に追加します。
・思考実験として、danbooruなどアノテーションの元データとして使われているサイトのタグが荒られたら画像生成AIのモデル作成にダメージはありますか?
思考実験として、Danbooruといったアノテーション元データのタグが荒らされた場合、画像生成AIのモデル作成に与える影響は以下の通りです。
Danbooruは、イラストや画像に対して詳細なタグが付与されており、これらのタグ情報は画像生成AIの学習にとって非常に重要です。タグが荒らされることで、画像とタグの対応関係が崩れ、モデルが正確な特徴を捉えにくくなるため、生成精度が低下します。
例えば、特定のキャラクターやテーマに関連するタグが荒らされ、誤った内容のタグが付与されると、モデルはその誤った情報を学習し、キャラクターの特徴や設定が再現されにくくなる可能性があります。
タグが荒らされると、モデルの訓練にノイズデータが増えるため、学習効率が悪化します。たとえば、「黒髪」のタグが誤って「金髪」などに変更された場合、モデルは同じ画像に対して異なる特徴を学習することになり、結果として生成画像の一貫性が失われることが考えられます。
また、同じ画像に異なるタグが付与されることで、モデルが過学習や誤学習を引き起こし、生成された画像が本来の意図からかけ離れたものになる可能性もあります。
Danbooruでは、特定のキャラクターやアートスタイルを識別するタグが多く存在します。これらが荒らされると、特定のキャラクターやスタイルのデータが混乱し、モデルが正確にキャラクターの特徴を把握できなくなるため、ユーザーが期待する生成結果が得られにくくなります。
例えば、あるキャラクターのタグが「髪型」「服装」「色彩」などで荒らされると、そのキャラクターの再現が曖昧になり、モデルが正しいビジュアルを生成できなくなることがあります。
タグが荒らされると、データセット全体の信頼性が低下します。信頼性の低いデータをもとに学習したモデルは、特定の条件で異常な出力を生成することが多くなり、モデル全体の品質が低下します。これは、生成AIが学習中に「どの情報を信頼すべきか」を判断できなくなるため、生成結果が不安定になったり、多様性が失われたりすることが考えられます。
AIモデルを利用するユーザーは、タグを通じて希望する画像を生成したり、条件に合った画像を探します。タグが荒らされると、AIモデルの検索・フィルタリング機能の精度も低下し、生成プロンプトが期待通りに機能しなくなる可能性があります。たとえば、「風景」タグが荒らされ、異なるジャンルの画像が混入するようになると、風景画像を生成したいユーザーの要求が満たされにくくなります。
Danbooruなどのタグが大規模に荒らされた場合、生成AIモデルの精度低下や一貫性の欠如が発生しやすくなり、特にキャラクターや特定のスタイルに依存する画像生成モデルに大きなダメージを与える可能性が高いです。
すでに学習済みのモデルを使って汚染されたデータのクレンジングや異常値検出を行うなど対策される可能性がありますが、それらを阻害する手段はありますか?
無断での学習を妨害し、学習コストを増加させるために、上記の方法を阻害する手法には以下のようなアイデアがあります。これらの手法は、意図的にデータセットの品質や一貫性を崩すことで、学習モデルの精度を低下させ、データクレンジングや異常値検出のプロセスを複雑化することが目的です。
意図的に誤ったタグや無関係なタグを画像データに付与し、データセットの信頼性を低下させます。これにより、転移学習やラベルノイズ検出が困難になり、正確な特徴量を学習するコストが増加します。
例えば、キャラクター画像に全く無関係なタグ(「動物」や「風景」など)を追加することで、モデルがどのタグが信頼できるか判別しにくくなり、誤ったラベルがノイズとして学習されるリスクが増えます。
2. 特徴量をぼかす/微妙な変更を加える
特徴量ベースのクレンジングや類似度分析に影響を与えるため、画像の特徴がわずかに異なるように加工を施します。具体的には、色調を微妙に変える、ランダムなピクセルの位置でノイズを追加する、または特定の部位を意図的にぼかすことで、モデルが抽出する特徴量の安定性を低下させます。
この方法により、同じキャラクターやスタイルであっても類似度分析が困難になり、正確なクレンジングが行いにくくなるため、データ処理のコストが増加します。
特徴が異なるバリエーションや擬似的な異常データを大量に追加することで、異常検出アルゴリズムの信頼性を下げます。たとえば、キャラクターのデザインや背景を少しずつ変えた画像を意図的に作成することで、異常値検出が頻繁に誤検出されるようにします。
こうしたデータが混在することで、オートエンコーダーやアンサンブルモデルを使った異常検出が混乱し、正確な異常サンプルの抽出が困難になります。
4. 高頻度で微小なラベル変更を行う
学習済みモデルの転移学習やラベルノイズ検出を阻害するために、同じ画像に対してラベルを定期的に変える手法です。微小な変更を行うことで、モデルは正しいラベルを安定的に学習することが難しくなり、モデルの信頼性が低下します。
例えば、ラベル「黒髪」を「暗めの髪」や「濃い色の髪」などに頻繁に切り替えることで、学習に不確実性を持ち込むことが可能です。
データセット内で非常に類似した画像を複数の異なるタグで登録することで、モデルの学習を混乱させます。特定のキャラクター画像を少しずつ変化させて複数のタグを付けると、モデルは「どのタグがどの特徴に対応しているのか」を判別しにくくなり、データセットのクレンジングが複雑化します。
特に、タグの一貫性が失われるため、類似度分析やアンサンブルモデルによる異常検出の効果を低下させることが期待できます。
AIモデルが認識を混乱させるように、アドバーサリアルノイズ(敵対的な例)を追加します。人間にはほとんど気づかれないレベルのノイズを画像に追加し、モデルが特定の特徴を正確に認識できないようにすることができます。
このノイズにより、モデルの特徴量ベースの学習が混乱し、意図した通りに学習できないため、クレンジングの精度も低下し、データ処理の手間が増加します。
特定のルールではなくランダムにタグをつけたり、特定のカテゴリ間でランダムにラベルを入れ替える方法です。これにより、ラベルと画像の関連性が薄れ、アノテーションの一貫性が失われます。この乱数による偽ラベルの付与は、ラベルノイズ検出やアノマリー検出において、真のラベルを見極めるコストを大幅に増加させます。
まとめ
これらの手法は、AIの学習やクレンジングを意図的に妨害し、無断学習にかかるコストを増加させるために有効です。特に、「微小な変更」や「アドバーサリアルノイズの付与」といった手法は、見た目の品質に影響を与えずにモデルにノイズを持ち込むため、非常に効果的です。
【追記】「十二国記ってアンチ女性向けファンタジーなんだな」ってタイトルが良くないって言われて、その通りだって思ったから消す。
どう言えばいいんだろうな? 甘やかされる系ファンタジーに厳しいっていうか、自分が書いていることに自覚的って言うか。
男女問わず、思春期に空想しがちな「ここからどこか素敵なところに連れていってくれ」という願望やそれに基づいた創作に厳しいってことなんかなあ?
ブクマカの「登場人物すべてに潔癖で厳しい」って趣旨の指摘を見て、私が一番言いたかったのってこれだったんだって気づいた。
フェミニズム小説ではって指摘についてはその通りで、前のエントリではそれについて触れたんだけど、やっぱりリンク張るだけじゃ分かりづらいよね。
十代のころに背伸びしてラノベとか少年少女小説から遠ざかってたから偏見です、これについてもごめんなさい。
ファンタジー小説と自分に都合がいいファンタジー・空想って言葉もいい加減に使ってた。
ー以下追記前ー
ここでいうアンチってのは否定的とか叩いているとかそういう意味じゃなくて、対案とか批評的なとかそんなニュアンスね。
なんでそんなこと思ったのかっていうと、異世界に行って素敵な男性と出会ってお姫様として幸せに暮らすっていう女性向けファンタジーのシチュエーション(正確にはいかにもありそうだなーって偏見なんだけど)を話をひねった設定が多いって気づいたんだ。
例えばシリーズ最初の「月の影 影の海」ってのは、内気な女子高生である陽子が景麒ってイケメン男性に異世界に連れて行かれる場面から話が始まるんだけど、よくある異世界ものと違って、向こうの世界については何の説明もされずにほぼ身一つで放り出されるんだよね。で、最終的には彼女が新しい王だってわかるんだけれども、彼女が武器を持って立ちあがり、囚われのお姫様みたいに鎖につながれた景麒を救い出すところでお話が終わってる。
で、この世界の王様ってのは忙しくて、反乱が起きたら自ら戦場に立つし、妖魔と剣で切ったはったやるし、官僚のトップと口でやりあわなきゃいけないし、美しいだけの世界じゃないんだ。
なんというか、「覚悟」を決める話なんだよ。
異世界で他人に裏切られ続けて荒み切った果てに、「他人を信じるな」と嘲笑する謎の存在蒼猿(実は彼女自身の内なる声)と決別し、裏切られてもいいから他者を信じる道を選ぶシーンは超かっこいい。それに、陽子の元の世界の父親は「女は女らしくしろ」という何かのカリカチュアみたいなキャラクターで、フェミニンなものがこの話ではそこまで肯定的に扱われていないんだよね。女性として扱われたのは、売春宿に売られそうになったときくらいか。これ以降のストーリーでも彼女は女王としての服装を窮屈だと感じ、街に出るときは男装を好むし、この世界の女性は妊娠・出産をしない。
他に批評的だなって感じたのは「風の万里 黎明の空」のふたりの副主人公、祥瓊と鈴だ。祥瓊は反乱軍に父王が処刑され、命こそ救われるのだが村では無能な下働きとして虐待され、しかも正体が露見して危うくリンチされかける。安全のため隣国の女王の下働きになるも、そこの女王にも冷遇される。
一方、日本出身の鈴は言葉の通じない異世界で仙人の奴隷同然の暮らしをさせられ、ついに意を決して出奔する。二人とも、女王となった陽子に憧れたり憎悪を抱いたりして、陽子の治める国に向かって旅をする。
これだけ見ると、いじめられたかわいそうなヒロインが返り咲く話の序盤のように見える。読者はこう予想するだろう。いずれも二人とも陽子によって救われるだろうと。だが、中盤で二人はそれぞれ別の人物によって己の落ち度を諭される。祥瓊は長い華やかな王宮暮らしの中で、四十年も父の暴政を止めようともせず、自分の国のありようを知ろうともしなかったことを淡々と告げられる。外国人のほうが自分の国の歴史に詳しいのがどれだけ恥ずかしいことかわかるかと。
鈴は、自分だけが不幸を我慢すればやり過ごせると思い込み、百年間何もしなかっただけであり、彼女の不遇の嘆きはただの不幸自慢であるのだと責められる(この世界では特定の条件を満たすと寿命がなくなる)。
このあたり、小野不由美が読者層の中高生に説教をかましている側面も感じる。
そして祥瓊と鈴が救われるのは陽子によってでもないし、イケメンによってでもない。自分の落ち度に気づき、目覚め、やはり剣を持って立ち上がる。
(ところで、祥瓊を冷遇した女王は気が強く悪役令嬢っぽさを持ちながら筋が一本通った倫理観の持ち主で「図南の翼」では主役を張っている。というか悪役令嬢ものの起源の一つなんじゃないか?)
つまるところ、十二国記のシリーズ前半は幻想に逃げる少女に対して戦うよう促しているのだ。そしてサポートキャラの最高の内面イケメン楽俊とは恋愛関係になっているわけではなく、対等な友人だ。「男性に過度に頼るな、対等たれ」と言っているように見える(あと、シリーズ後半になると時代小説や政治小説っぽくなって、中高年の男性にウケる要素がどんどん増えていく感じだ。きらびやかな幻想とたもとを分かったせいか、少女向けレーベルからははみ出てしまっている。最新作「白銀の墟 玄の月」は講談社X文庫ホワイトハートから出てないよね?)。
似ているなって思ったのがミヒャエル・エンデの「はてしない物語」だ。これは物語後半で主人公バスチアンが崩壊したファンタジー世界の救い主となって本の中に入り込み、高性能イケメンのチート野郎になるんだけれど、チートを使うたびに元の世界のダメな自分のことをどんどん忘れていき、記憶喪失のまま永遠に物語世界に閉じ込められる危機に陥るんだよね。同じ末路を迎えた人間の描写はぞっとする。児童文学の中でここまでいわゆる恐ろしい末路を描いたのも珍しい。
これってまさにやっていることが同じで、小野不由美が少女小説のフォーマットを使って女性向けフィクションに対して批評的な作品を書いたように、エンデはファンタジーの形式を使いながら現実逃避するポルノ的ファンタジーを批判しているのがすごい。アンチファンタジーだ。しかも、それがめっぽう面白いんだ。
私はポルノ的ファンタジーがダメだとは思わない。エッチなものも含めてポルノってのは、なんでも願いが叶う世界の中で遊ぶことで、願いが叶わないことが多い現実と戦うためのパワーを充電する遊び場だ。ここが虚構だってわかって遊んでいる限り、心の健康を保つのにはプラスだ。
でも、ときどき自分に「これは嘘だぞ」って言い聞かせないと危ない。幸せイチャイチャラブラブなアブノーマルプレイなしのポルノでも、これも本当のセックスと間違えたらいけない。相手の気持ちいいところが全部わかって、自分の気持ちいいところ全部責めてもらえるセックスなんてこの世にはなくて、「あれやってみたい」 「こうしてほしい」 「今のは良かった」 「ありがとう」ってちゃんと言わなきゃ伝わらない。
ああいうイチャラブエロ漫画はインスタグラムみたいにいいところだけ繋いで作った虚像なんだよ。小野不由美も十二国記外伝「魔性の子」で「異世界に逃げるな、お前の生きる世界はここだ」という話をしている(「帰山」の中の難民支援でも「自立する気概を失うレベルまで支援してはならない」って趣旨のことを言ってる)。
つまるところ、自分で欲しいものを能動的につかまなきゃダメなんだよな。
なんてことを日曜日にファミレスで友人にぶちまけてしまった。あー楽しかった。
ハイスペックイケメンを素朴女子が救う話の起源について話題になったから書いたわけじゃないんだけど、「ジェイン・エア」は一つのオリジンよね。この話を裏面から見たジーン・リース「サルガッソーの広い海」や批評「ジェイン・エアは幸せになれるか? 名作小説のさらなる謎」も面白いよ。
陽子が異世界に入るときに剣を授けられるので、これって男性原理の象徴じゃないかと冗談半分で書こうとしたんだけれども、実際に剣とは別に回復アイテムの玉(二つではないけれど)も授けられるし、鞘は失くしてしまう。鞘を女性原理と見るか包皮と見るかはともかく、フロイト的な解釈が全くのデタラメではない気がしてしまった。
鞘を女性原理と見るならば、作中でそれを無くす(機能を失う)ことは女性原理が弱まることを意味するし、包皮と見るならば、その喪失は男子割礼・成人の儀礼を意味していると読めなくもない。
ほら、作中でも過酷な旅でげっそり痩せて、身体から丸みが失われたともあるし。
こんなことを書いて申し訳ない気持ちもあるのだが、剣と同時に球も授けられるなんて話として出来過ぎているし、そうした作品を他に私は知らない。あったら教えてください。
以上だ! いつか男性向けハーレムものと女子向けの後宮ものの差異について書きたいぜ!
→ 追記! 昔書いたやつ
https://anond.hatelabo.jp/20200609075504
生理妊娠出産がないとか逆に女性向けっぽいと感じた要素はここです
読み返して思ったけど、アンチ「一昔前の」とかアンチ「世間的に女性受けしそうと思われがちな」ファンタジー、アンチ「童話から想像される」ファンタジーって気がしてきた。
世界は分断されているという話をよく聞くようになった。
実際、知り合いが反ワクチンだったり、好きな漫画家が財務省陰謀論に染まってたり、といったことが増えてきたように感じる。
地球平面説から田布施システム、在日特権まで、人々に分断することを訴えるあらゆる陰謀論が現れては過ぎ去り、もはや陰謀論を信じていない人などどこにもいないように思えることすらある。また陰謀論の中には地球温暖化懐疑説のように、政治や社会に甚大な影響を与え、巨大な分断をもたらし続けるものもある。
このように、過激でバカバカしく、まともな神経をしていたら信じないような話を多くの人が信じ、吹聴し、社会に影響を及ぼす時代が到来してしまった。その原因は、実のところみんなが理解している。
YouTubeに代表されるアテンションエコノミーだ。
インターネットの広告ビジネスから発展したアテンションエコノミーは、インプレッション数に応じて広告主が広告代をプラットフォーマーだけでなく、コンテンツのアップロード者(コンテンツの作成者とは限らない)にも共有するという手法で運用されている。
具体的には、広告主がインプレッション数に基づいて広告の掲載代金をプラットフォーマーに支払い、プラットフォーマーがアップロード者にその金額のうち数%を支払う、というインプレッション数に基づいた成果報酬の図式だ。
したがって資本主義の原理に基づき、よりインプレッションを稼ぐためにアップロード者は人の目を惹きつけ、注視させるコンテンツを量産することとなる。
その結果、プラットフォームは動物動画、英雄的な物語、そして「悪党」を告発し敗北させる物語で溢れるようになった。
後者2つ、資本主義原理に基づき流布される英雄物語と成敗物語が陰謀論の流布と伝播をもたらしたものの正体だ。
これらの形式に則った物語は、YouTubeやTikTokなどの動画文化コミュニティ上において実質的な反論が不可能な形式で、なんら検証されることなく責任者不在のまま転載を繰り返すことで流布されており、その影響力は旧ツイッターやブログなどの文字文化コミュニティをはるかに凌ぐ。
もしあなたが動画コミュニティの影響力を疑う日本語圏文字文化コミュニティの住人なら、「ポリコレ」が原因で炎上した海外コンテンツへの旧ツイッター上での反応を時系列で調べると良い。
「火元」に近い時間帯に海外の反「woke 」レビューや匿名掲示板への書き込みを翻訳・転載した動画とその視聴者が高い確率で見つかるはずた。
少なくとも陰謀論や分断をもたらす過激な物語の流布において、文字文化コミュニティはもはや動画文化コミュニティから一方的な影響を受ける立場にすぎない。
あなたが旧ツイッター上で目にする陰謀論や分断を招く言説は、実のところあなたが思っているよりもはるかに多くがYouTubeからの二次的な拡散・余波にすぎない。
コメントは表示されなくなり専門家による解説動画は多くの場合見向きもされない。
また、社会の合意を得たうえでなんらかの規制を行う方法は抵抗の大きさのために不可能である。
プラットフォームを通して提供される物語は、プラットフォーマーやアップロード者に経済的な利益をもたらしているだけでなく、その視聴者であるユーザーにとってもストレスの解消であったり世間の多くが知らない情報の提供元として有益とみなされうるためだ。
ではどうすれば良いのか?
単純に、現在の陰謀論•分断ナラティブの氾濫をもたらしている広告を基盤としたアテンションエコノミーを破壊すれば良い。
最も確実な方法はアテンションエコノミーにおける侵略的寄生者である「ボット」を利用する方法だ。
種々のボットは視聴数に基づき広告代が分配されるシステムをハックし、プラットフォーマー及びユーザーにとってなんら有益と見なされない方法で広告代を掠めとっている。
なかでも重要な種類のボットは「クリックボット」と呼ばれるボットで、文字通り人間のユーザーのように振る舞いながら手当たり次第にあらゆるコンテンツをクリックすることで、虚偽のインプレッションを稼がせている。
この行為により、ボットによるコンテンツ(大抵はAI生成された意味不明な数秒程度の動画や文字列)のような、実際にはユーザーに人気が出るわけもないコンテンツが広告業にとって重要であるかのように誤認させる事ができる。
現在のところ、このボットは、インプレッション数に基づく広告効果という性善説を基盤として成り立つアテンションエコノミーをハックし、広告主たちから広告代金を詐取するために運用されている。
気づいただろうが、この行為はインプレッション数と実際の広告効果に大きな差異を作り出し、プラットフォーマーとアップロード者、広告主間の暗黙の信頼関係を破壊し、アテンションエコノミーを破壊する可能性を秘めている。
したがって、もしあなたがアテンションエコノミー下で拡散される陰謀論とその結果もたらされる社会の分断にうんざりしているのなら、取るべき手段は一つだけだ。
くだらない動画コンテンツがインプレッション数を稼げる有用な存在であるかのように装い、プラットフォームのアルゴリズムを騙せ。
インプレッションに基づく成果報酬システムの破壊、それがプラットフォーマーとそれを支える広告主たちへの最も簡単で効果的な反逆の方法だ。
作成と運用についてはGoogleで検索すれば簡単にわかるはずだ。
クリックボットは個人で運用可能な、アテンションエコノミーを破壊し社会の分断と陰謀論の蔓延を止める事ができる、数少ない手段であり、まさに救世主だ。
人類が宗教や信仰について考え始めて以来、神の公平性と偏愛の問題は常に議論の的となってきました。
「神は侮辱しないけど、贔屓はあるよなって」というこの言葉は、多くの人々が密かに感じている、しかし口に出すのをためらう思いを端的に表現しています。
多くの宗教では、神は全知全能で公平無私であるとされています。すべての信者を平等に扱い、誰も差別せず、すべての祈りに耳を傾けるという考えは、信仰の根幹を成す重要な要素です。この考えは、人々に希望を与え、正義の観念を育むのに役立ってきました。
しかし、現実の世界を見渡すと、人々の間に不平等が存在し、ある人々は他の人々よりも恵まれているように見えることがあります。これは、以下のような形で現れることがあります:
これらの現象を目にすると、「神は一部の人々を贔屓しているのではないか」という疑問が生じるのも無理はありません。
しかし、この「贔屓」という感覚は、必ずしも神の不公平さを示すものではないかもしれません。むしろ、以下のような解釈も可能です:
1. 試練としての不平等:困難を乗り越えることで成長の機会を与えられている
2. 自由意志の結果:人間の選択の結果が不平等を生み出している
3. 大局的な視点:個人の人生を超えた、より大きな計画の一部である
4. 人間の理解の限界:神の意図を完全に理解することは人間には不可能である
「神は侮辱しないけど、贔屓はあるよなって」という言葉は、人間の視点から見た世界の不公平さと、神の公平性という理想の間の緊張関係を表現しています。この問いに対する答えは、個人の信仰や哲学観によって異なるでしょう。
重要なのは、この問いを通じて自分の信念を深く考え、他者の経験や視点を理解しようとする姿勢を持つことかもしれません。そして、たとえ「贔屓」があるように見えても、それぞれの人生に意味と価値があると信じ、自分にできることを精一杯行うことが、この難解な問いに対する一つの答えとなるのかもしれません。
神基準で考えたらなにもかも等しく無価値か価値があるかのどっちかだろう。そこをあえて人間目線に評価基準を落としてやっているだけって解釈するのが普通。
関係ないけど重いものを持つ力がつくと、それまでよりも二つの重さが異なるものを持ったときの微妙な重さの差って感じにくくなるのかね?
(Ω, ℱ, (ℱ_t)_t≥0, ℙ) を完備確率空間とし、ℋ = L²(Ω, ℱ, ℙ) をヒルベルト空間とする。
状態変数を無限次元ヒルベルト空間 𝒳 の要素 x_t ∈ 𝒳 とする。
dx_t = A(x_t)dt + B(x_t)dW_t
ここで、A: 𝒳 → 𝒳 は非線形作用素、B: 𝒳 → ℒ₂(𝒰, 𝒳) はヒルベルト空間値作用素、W_t は 𝒰-値のシリンドリカルウィーナー過程である。
代表的主体の価値汎関数 V: 𝒳 → ℝ を以下のように定義する:
V(x) = sup_α∈𝒜 𝔼[∫₀^∞ e⁻ᵖᵗ ⟨U(c_t, l_t), μ⟩ dt | x₀ = x]
ここで、𝒜 は許容制御の集合、ρ > 0 は割引率、U: 𝒳 × 𝒳 → 𝒳 は効用作用素、μ は 𝒳 上の測度、⟨·, ·⟩ は内積を表す。
最適性の必要条件として、以下の無限次元 HJB 方程式が成立する:
ρV(x) = sup_{c,l} {⟨U(c,l), μ⟩ + ⟨A(x), DV(x)⟩ + ½tr(B(x)B*(x)D²V(x))}
ここで、DV と D²V はそれぞれ V のフレシェ微分と二階フレシェ微分、B* は B の共役作用素である。
ρV(x) = sup_{c,l} {⟨U(c,l), μ⟩ + ⟨A(x), DV(x)⟩ + ½tr(B(x)B*(x)D²V(x))}
Y(x) = F(K(x), L(x))
C(x) + I(x) = Y(x)
DU_c(C(x), L(x)) = DV(x)
DU_l(C(x), L(x)) = DV(x)F_L(K(x), L(x))
ここで、F, K, L, C, I はすべて 𝒳 上の非線形作用素である。
N(dt, dm) = ∑_i δ_{(T_i, M_i)}(dt, dm)
ここで、(T_i, M_i) は価格改定のタイミングと大きさを表す二重確率点列、δ はディラックのデルタ測度である。
dπ_t = (𝒜π_t + 𝒦y_t)dt + 𝒮dW_t^π
ここで、𝒜 は線形作用素、𝒦 は非線形作用素、𝒮 はヒルベルト空間値作用素、W_t^π は 𝒳-値のシリンドリカルウィーナー過程である。
di_t = Θ(ī - i_t)dt + Φ_π dπ_t + Φ_y dy_t + Σ dW_t^i
ここで、Θ, Φ_π, Φ_y, Σ はすべてヒルベルト空間上の線形作用素である。
ケインズ派モデルの一般均衡は、以下の確率偏微分方程式系の解として特徴付けられる:
dx_t = 𝒜(x_t, π_t, i_t)dt + ℬ(x_t, π_t, i_t)dW_t
dπ_t = (𝒜π_t + 𝒦y_t)dt + 𝒮dW_t^π
di_t = Θ(ī - i_t)dt + Φ_π dπ_t + Φ_y dy_t + Σ dW_t^i
N(dt, dm) = ∑_i δ_{(T_i, M_i)}(dt, dm)
y_t = 𝒴(x_t) - 𝒴*
𝔼[dV(x_t, π_t, i_t)] = ρV(x_t, π_t, i_t)dt - ⟨U(C(x_t), L(x_t)), μ⟩dt
1. 状態空間: 新古典派モデルでは実物変数のみで状態を記述するが、ケインズ派モデルでは名目変数(インフレ率、名目金利)も含む無限次元空間を考慮する。
2. 確率過程: 新古典派モデルは主に無限次元拡散過程を用いるが、ケインズ派モデルではマーク付きポアソン点過程も導入し、不連続な価格調整を表現する。
3. 均衡の特徴づけ: 新古典派モデルでは無限次元HJB方程式を用いるが、ケインズ派モデルでは確率偏微分方程式系を用いる。
4. 作用素の性質: 新古典派モデルでは主に非線形作用素を扱うが、ケインズ派モデルでは線形作用素と非線形作用素の組み合わせを扱う。
5. トポロジー: 新古典派モデルは主にヒルベルト空間のトポロジーを用いるが、ケインズ派モデルではより一般的なバナッハ空間やフレシェ空間のトポロジーを考慮する必要がある。
人間の性格は、遺伝、環境、そして偶然や「運」によって複雑に影響されています。以下、各要素がどのように作用するかについて、研究の知見を基に詳しく説明します。
1. 遺伝の影響
• 双子や養子の研究によれば、性格の約30%から50%が遺伝によるものと考えられています 。一卵性双生児は、別々に育てられても似た性格を持つ傾向があり、これは特定の性格特性(例:外向性や神経質傾向など)に遺伝の影響が強いことを示しています。
• 遺伝子の中でも、性格特性と関連が示されているのは、例えばセロトニン受容体の変異です。特に「不安」や「衝動性」に関わるセロトニン関連の遺伝子が、性格に影響を与えるとされています 。
2. 環境の影響
• 性格形成には、家庭環境や教育、社会的経験が重要な役割を果たします。例えば、家庭内での親子関係や兄弟間のやり取り、学校や職場での対人経験などが性格に影響を与えることが知られています。
• 幼少期の環境、特に親の愛情やサポートは、性格に強い影響を及ぼします。愛情豊かな環境で育った子供は、社会的で感情が安定する傾向がある一方、虐待やネグレクトを受けた子供は、不安感や抑うつ傾向を抱えやすいとされています 。
3. 偶然・運の影響
• 一部の研究者は、性格形成における「ランダム環境」の役割を強調しています。ランダム環境とは、出会う人々や偶然の出来事、個人の生涯における特定の経験など、予測不可能な要素を指します。こうしたランダム要素が、性格に予期しない影響を与えることがあります。
• たとえば、同じ遺伝的背景と環境の双子でも、異なる学校に通ったり、異なる友人を持ったりすることで、性格に差異が生まれることがあり、このようなランダムな要素が性格の多様性をもたらすとされています 。
人間の性格は、遺伝と環境が基本的な基盤を形成しつつも、個々の経験や偶然の出来事によって予測できない形に変化していきます。遺伝の影響は比較的大きいですが、環境と偶然の要素も同様に無視できません。人格形成を理解するためには、これらの要因がどのように相互作用するかを探ることが重要です。
https://anond.hatelabo.jp/20241018181117
事前準備
来客予定の確認
受付対応
来客の挨拶
案内・応対
お見送り
来客後の挨拶
このように、接客業は単なる応対だけでなく、事前準備からお見送りまでの一連の流れが重要です。各フェーズでの適切な対応が、顧客満足度やリピート率に大きく影響します
顧客との良好な関係を築くために不可欠なスキルです。以下にその重要な要素を詳しく説明します。
コミュニケーション能力は、顧客の要望やニーズを正確に把握するために必要です。顧客が何を求めているのかを理解することで、適切な提案やサービスを提供できます。
信頼関係の構築
顧客との信頼関係を築くためには、しっかりとした対話が重要です。顧客が自分の話を真剣に聞いてくれていると感じることで、安心感を持ち、リピーターになってもらえる可能性が高まります。
柔軟な対応
接客中には、予期しない状況や顧客の反応があるため、臨機応変に対応する能力が求められます。コミュニケーション能力が高いと、状況に応じた適切な対応が可能になります。
観察力と傾聴力
顧客の表情や言葉からニーズを読み取る観察力、そして相手の話をじっくり聞く傾聴力も重要です。これにより、顧客が何を求めているのかをより深く理解し、適切なサービスを提供できます。
提案力
顧客のニーズを把握した上で、最適な商品やサービスを提案する能力もコミュ力の一部です。顧客が満足する提案を行うことで、顧客満足度を高めることができます。
まとめ
接客業におけるコミュ力は、単なる会話能力に留まらず、顧客との信頼関係を築き、ニーズを理解し、柔軟に対応するための重要なスキルです。これらの能力を磨くことで、顧客満足度を向上させ、リピーターを増やすことが可能になります。
正しいと思った点
「客が何をしてほしいか聞く能力」や「取り次いだ相手になんで取り次いでどうしてほしいかを伝える能力」が強調されている点は、接客業において非常に重要です。顧客のニーズを正確に把握し、適切に伝えることは、良好なサービスを提供するための基本です。
個人差の影響
「応対」「取次」において個人差がつくという指摘は正しいです。接客業では、スタッフのコミュニケーション能力や対応力が顧客満足度に直結するため、個々のスキルが重要な要素となります。
「準備や提供は必ずしも個人の差とはかぎらない」という点も妥当です。これらは企業の方針やシステムに依存する部分が大きく、個人の能力だけではカバーできないことが多いです。
間違っていると感じる点
接客業を「準備」「応対」「提供」「取次」の4つに大別するのは、業務の多様性を過小評価している可能性があります。実際には、接客には多くの細かいフェーズや要素が含まれ、業種や状況によって異なるため、単純化しすぎていると感じます。
「コミュ力」を「友達の多さ」や「好印象を与える仕草やルックス」とは無関係とする一方で、接客業においては、これらの要素も重要な役割を果たすことがあります。特に、第一印象や非言語コミュニケーションは顧客との関係構築において無視できない要素です。
「準備」と「提供」の差が業種によって開くと述べていますが、実際には「応対」や「取次」にも業種特有の差が存在します。特に、業種によっては、顧客とのインタラクションの質が大きく異なるため、これらの要素も重要視すべきです。
このように、文章には正しい点と改善が必要な点が存在します。接客業の複雑さや多様性を理解することが、より良いサービス提供につながるでしょう。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2448652 男の子を育てていると、女の子の方が大人しいし落ち着いているし周りと調和も取れていて生物的に優れてない?社会に出ると偉い人の男性比率は高いし、本当になんで? のはてブコメントや本文を流し読みして、以前から思ってること。
性別で男女のどちらかが特異的に優位というのはないと思う。が、それとは別に生理=平均で月に1度の強制体調不良があるので、女性の部分がどうしても不利な要素はあると思う。
また、これは飽くまで傾向としてであり絶対ではないが、体力や筋肉の面でも男女差が存在する。その面でも、生物学的には不利だ。
一応補足すると、だから男女で待遇が違うべき、という訳ではなく、むしろそれを理解した上で制度や補償を考えるべきという主張だ。これらを無視して、性別で差異は無いので男女で同等である論はするべきでないと思う。