はてなキーワード: ありがとうございますとは
増田は30歳(今年31歳)で、マッチングアプリで知り合った付き合って半年の1つ年下の29歳(今年30歳)の彼氏がいる。
7年程付き合って結婚も考えてた元彼が〇〇活してたのがわかってやけくそになって登録したマッチングアプリで、趣味が合って、好きになれる人居た。
元彼のことを勿論引きづったり色々あったけど、付き合って3ヶ月で母親を亡くした増田に寄り添ってくれて、増田のことを本気で考えて、寄り添えるのは俺以上に居ないと自負するとまでいってくれた彼のことを好きになるのは時間がかからなかった。
現状増田は、給料は少ないけど育休・産休が取れる会社で正社員として働いてる。
32歳までに結婚、35歳までに1人子供が欲しい。そんな風に私は思っている。
一方彼の方は、この春に博士号を取得し、出身大学に任期付き(任期3年)の助教として就職。彼の希望もあって、院生時代と違う研究室に配属されたらしく。
将来的には、現研究室でのポストを目指して、教授になりたいとのこと。
もちろん、私は全力で応援したいと思っている。
教授に、論文を1つ書いたら、海外留学の話を持ち出されているそう。ほぼ強制で断ると、ポストに影響がでるから、彼も留学する気でいる。彼の大学の教職員の留学は、最低半年~最大2年(2年目は休職扱いらしい。)
ここで問題があって、彼の留学開始時期が何年後になるか不明で、なんなら期間も半年かもしれないし、2年かもしれない。なにひとつ分からない。とのこと。
留学先も提携大学になるだろうけど、いくつかあってどこの国になるかわからない。
私としては、年齢的なことも考えて、早めに一緒に暮らして、籍を入れ、助教の任期に妊娠出産、彼が留学に出発するまでに乳児期間を終えて、単身赴任という形で留学するのが理想形だと思っているんだけども。
彼の方は、まずは仕事第一で、1年目で金銭的に不安があるから、すぐ結婚は考えていない。32歳までに結婚したいという増田の理想は叶えられないと思ってて
と言われている。
留学まで籍を入れるかどうかも正直怪しいと思ってと言われてる。(遠距離恋愛はしたことがないから考え方が変わって、増田のことが好きでいられるか不安とのこと。)結婚やこどものことは、留学からかえってきてから(彼の想定では留学からの帰国は36歳~38歳)が理想と言われてしまった。
元彼女は30歳までに必ず結婚したい。彼は30歳になる年に、社会人1年目(博士号取得→助教着任)が決まっていたため、30歳までの結婚は考えられない。
元彼女と同じ道をたどりそうで・・。
彼と別れて、新しい人探すべき・・?
でも、彼と結婚したいんだよな。
【追記】
こんなに反応をもらえるとは思ってませんでした。
私自身、”結婚して王道人生を歩みたいという希望が強いところに長年付き合った彼氏と別れてしまったことで、とにかく早く結婚したいという焦りに引っ張られて”いるのは、事実だと思います。
母を急に亡くしたことから、父親には結婚して安心させたいという思いが強いです。
(母が亡くなるまで、結婚願望がこんなに強いことに気づきませんでした。)
彼曰く、大学からの特別奨学生として奨学金をもらっているので、大学院卒業後(つまり2023年春から)5年は大学の職員として働かないといけないらしいです。
大学側としては将来的にポストが空くことが確定しており、助教→講師→准教と順当に彼を育てていきたいと思っているらしく、海外留学もその一環とのことです。
私はキャリアにこだわりはなく、海外留学もできるのであればついていきたいです。(彼曰く、付いていくのは無理。どうやって生活していくのとのこと)
子供に関しては、授かりものなので、欲しいと思ったタイミングでできるものではないので、そこはまぁ。35歳までに子供は理想ですが、彼と一緒にいる以上、皆さんのおっしゃる通り、子供は・・。
なので、彼が海外留学までに結婚出来ればと思うのですが、彼はそれをあまり望んでおらず、
絶望的にキャリアプランが合わないと思って、どうしたものかと悩んでます。
【追記その2】
ネットで同様の研究者を旦那に持つ人の意見や男性研究者のなどの意見をみたら、海外留学に妻として帯同してる人やしてほしいと思ってる人も多く、なんとかならないかなぁ。と思うばかりです。
しがない中小企業の会社員でしかない増田ですが、世間一般な企業では海外赴任や、転勤は、ライフプランをある程度の考慮して貰えるものだと思ってます。
だから、結婚して籍を入れてしまえば、彼の大学もある程度の考慮はしてもらえるんじゃないかと思ってます。(妻帯同なり、留学期間なり、留学先がアジア圏なり)
増田は大学に行ってないので、詳しいこととはわかりませんが、6年生学部卒業→大学院→3月に卒業の29歳で、大学のHPの彼の研究室紹介に“助教”として掲載されてるので間違いありません。
【追記3】
増田は、“彼と結婚したい”が強いと思ってたんですけど、本音は結婚がしたいだけなのかもしれません。
将来が不安で不透明で、彼にプレッシャーかけてしまうのもそのせいかも。。。
“彼に人生掛けてもいいかな”と思えるので、博打するのもありかもなぁとか思いました。
私は増田に中学生くらいから入り浸ってる喪女のアラサーで、彼は増田が8年振りの彼女だし、チー牛は当たってるかと。。。
増田のスペックは地方の高専卒で、首都圏の中小企業でReactとかTs書いてる遊んでるエンジニアです。
【追記その4】
気がついたら、ホットエントリ入り。
7年付き合っていたら彼とは、同棲・結婚の話が出た頃に〇女〇際が判明し(1アウトじゃなくて、5アウトぐらい)、これは無理だと思ってお別れしました。
私は地方出身(飛行機2時間程度です)のため母が亡くなったことによる精神的負担や、親族一同からかかるUターンの圧で参ってたところ、元彼から再構築の話を出され、所謂流されて、結婚しようと思ってました。。
彼に全てを話、お別れを決意したのですが、そのときに、【だったらオレと結婚して~】文中にでてくる【オレ以上に~】といっていただいて、舞い上がってるのはあるかもしれません。
理想のライフプランはありますが、こういった場所で吐き出すことで、理想のライフプランは彼とは厳しいことを再認識しました。
つまり治せるってことですねありがとうございます!
だからこそ、工業高校になんて進学させないで欲しいです(工業高校卒の意見)。
まず、男女比はほぼ9:1ならいい方で、下手すれば10:0です。この時点で、バイトやボランティアなどで外部とのつながりを作らないと思春期に女子との交流が無いまま高校生活を終えることになります。
高校生なのに女子高生と話す機会が殆ど無い、これは男として由々しき事態です。
何を下らないことを、とお思いになるでしょう。しかし、元当事者としてこの事実の重要性をお伝えする義務があると思いました。
1年生の頃は、男ばかりで気が楽だなと思います。中学時代の女子との交流もまだそこそこ残っているからです。
2年生になると、彼女ができたとかフラれたとか、そういった話題に敏感になります、しかし周囲に女子なんて(ほぼ)いない。いるのはむさくるしい男だけ。この辺りで男色に目覚める(一過性)奴が学年に1人くらい出てきます。
また、このあたりで普通の学生がアイドルや二次元に逃げ始めます。そうしないと自我が保てなくなるからです。
3年生になると、世間一般でよく聞かれる質問「好きなタイプは?」に対して「女」と返すようになります。チンパンジーに欲情することさえあります。
卒業後、男の多い職場に就職することが多く、出会いも無い。男女比が半々の学校を出た人とは比べ物にならに程に「出会い」のカードが少ない人生を歩むことになります。
また、就職に力を入れていることが多く、一般受験科目の力の入れ方が異様に低いため、進学する際のハードルは他校の生徒よりべらぼうに高くなります。
どうか、そんな不幸な想いをさせないであげてください。
一応補足すると、私はその鬱憤で20を超えてから女遊びが非常に激しくなりました。抑圧から解放された男の行動力は自分でも信じられず、セフレを作ったり最低なこともたくさんしました。
これが全て男子校のせいとは言いませんが、原因の一つでは確実にあります。どうか、同じ目に遭ってほしくない。それだけはお伝えしたいと思い駄文を送り付けました。
ここまで読んでくださりありがとうございます。お目汚し失礼しました。
私はテニスが好きだ。
でも、チケットが高すぎて買えなかった。
仕方なく、奈良の大仏を見に行くことにした。
大仏は私の心の支えだ。
大仏は圧巻だった。
その姿はまるで神々しい。
私は大仏に近づいて、手を合わせた。
すると、不思議なことが起こった。
「お前はテニスが好きか」
「はい、好きです」
「ならば、全仏オープンに行け」
「でも、チケットがありません」
「心配するな。私があげよう」
そう言って、大仏は私にチケットを渡した。それは本物の全仏オープンのチケットだった。私は驚いて、感謝した。
「ありがとうございます!でも、どうして私にチケットをくれるんですか?」
「それは嬉しいです!でも、どうしてテニスが好きなんですか?」
そう言って、大仏は再び微笑んだ。そして、突然歌い始めた。
「テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス
ラケットを振れば 夢が叶う
テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス
テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス」
私は呆然とした。大仏が歌っている。しかも、テニスの歌を。これは一体何なのだろうか。
「どうした?歌ってみろよ」
大仏は私に言った。
「え?歌うんですか?」
「そうだよ。歌って楽しもうぜ」
「でも、歌詞がわかりません」
「心配するな。私が教えてやる」
そう言って、大仏は私に歌詞カードを渡した。それは手書きの歌詞カードだった。私は驚いて、見た。
「これが歌詞ですか?」
「そうだよ。さあ、歌おうぜ」
そう言って、大仏はまた歌い始めた。
「テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス・テニス
ラケットを振れば 夢が叶う
...」
「沈黙の春」です! こちらです!! ありがとうございます!!
これで探すことができます、助かりました。
仲良くしている同期がいる。同期だけれど、仲良くなって敬語を取る前に2歳歳上なのを知ってしまって、1年くらいずっと敬語で話している。
中高が上下関係厳しい部活だったのもあって、歳下から「敬語やめない?」って言うことにとても抵抗がある。言って大丈夫かな。言って距離が縮まるならそのほうが嬉しいな。
【追記】
そうなんですよね、敬いの意味もあるけれどちょうどいい距離感を保つためでもあるんですよね敬語。同期だからほぼほぼ友人みたいでも仕事関係の同僚ですし。
敬語混じりのタメ語はたまにやってます! 向こうからもたまにタメ語が来ます。そんな感じでじわじわやってくのがいいかなって思いました。
飲みの席だとこのタメ語率が上がる感じがあって、私も釣られてタメ語になるので、そのときに待ってめっちゃタメ語でした、って言ってみるのは試してみたいです。いいよいいよになるといいな。
大学四年になる頃、就職活動が本格化した。当時は就職氷河期で厳しい状況だった。講義もレポートもあるし、当然サッカーだってやらないといけない。居酒屋(どんがま、というお店一本になっていた。今はもうない)でのアルバイトは週二に減らした。
当時は、三年の秋から企業説明会が始まって、四年の春以降に面接スタートというのが一般的だった。俺が行きたいと思っていたのは総合商社だった。説明会に行ってみて、とある商社に惹かれたのだ。ほかの総合商社に比べて「オレがやってやるぞ!!」みたいな社員の人が多かった。
三菱商事は、政府の高官みたいなキャラの人が多くて、三井物産はスマートなイケメンキャラが多かった。伊藤忠商事は、頭を鈍器で殴られても生きていそうな人が多かった(生命力があるという意味)。そんな記憶がある。
その春までには、俺とキャプテン君はmixi上でマイミクになっていた。お互いの日記にコメントをした繋がりがあって、サッカー友達ということで俺から申請をしたっけ。いや、もう正直覚えてないけど。とにかく、俺とキャプテン君はmixiで友達になった。
キャプテン君のmixi日記はすごかった。俺も、彼もサッカーのことを綴った日記が多かったが、彼の場合はなんというか、思考のレベルが違った。普通に大学サッカーをやってるヤツが、一生懸命サッカーのことを考えているのだとしたら、彼の場合はもっとずっと、『上の視点』からサッカーそのものを見詰めていた。
例えば、同志社大学のサッカー部は、今でも大学単位のブログを更新し続けている。各選手が自分の生活やサッカーに関する考えを書き綴っていく。
ここにある後輩達の日記は、読む価値がある。若いながらも自分なりに考えて学生生活を過ごしている。
当時のキャプテン君のmixi日記は、この内容をはるかに上回っていた。日記そのものは、すでにこの世にデータはないが、当時の俺個人の日記に断片的なメモがある。
当時、キャプテン君はこんなことを日記に書いていた。ほぼサッカーのことだ。本当は繋がりのある文章なのだが、断片化しているので意図がわかりにくいかもしれない。
・集団というものは常に問題に直面してる。人が寄っている以上は必ず争いが生まれる。価値観の違いとか、追求する目標の度合いとか、相手への要求の基準とか、争いの種は無数にある。それでも同じ集団として、組織として「仲間」を自称して日々共に暮らしている。
・自分らは、全員で一丸となって目標に邁進するために集まったはず。でも、いつからか、別の方向を向いている人たちをひとつの目標に進ませることに奔走してる。組織とは難しい。
・組織には、絶対に衝突や背信が生まれる。リーダーには、それをまとめる人間としての自覚がいる。自分がやらなければならないという責任感が。自分には実力が足りないといって何もしないのは卑怯だ。逃げだ。後輩には、早くこのことに気付いてほしい。
・理想を語って、現実に不平不満をこぼし続けるのは簡単。問題を黙って見過ごすのも楽だけど、人間が腐っていく。
・オレは現状を変えたいと思った。現状を変えるにはかなりの労力がいる。俺はあの時、みんなに不快なことを言ったけど、妥協してほしくないからあえて言った。
・言いたいことを言い合えない集団に未来はないんやで。お互いに機嫌を伺って本音を出せないとしたら、自分らの関係は友人ですらない。本当の仲間って、暑苦しくて、うっとうしくて、そして清々しい。
・ぶつかっても、嫌われてもかまわない。まだ間にあう。オレ達はここからが勝負だ。残された時間を考えると、今は悩みながらでも正しいと信じることを貫くしかないよな!
ぶつかっても、嫌われてもかまわない。何年か経った時に俺の伝えたかった真意を理解してくれれば、それはそれで素晴らしい。
・愚直にやることは本当に重要やで。ひたむきにやらない人間に付いていく気にはなれん。
・結果を出すことは、集団をまとめるための必要条件であっても、十分条件にはならん。サッカーの試合に出れない人の方が多いんやし、俺達のチーム!!って愛情をみんなが持てるチーム作りをしないと。勝って喜んでいるのはレギュラーだけってことにもなりかねない。今の俺には難しい。
・好む好まざるに関わらず、人には立場が与えられ、それに見合った働きが要求される。自分には難しい、できないかもしれないと言ってるヒマがあるなら必死に勉強しなきゃいけないし、責任を負える人間にならんとな。
・今のチームには、勝ちたいという執念を見せるヤツや、自分を演じてでもチームのために尽くそうとする人間が少なすぎる。たしかに個人個人は頑張ってるけど、みんなそこ止まりなんよな。他人に対して意見を言おうとせん。勝ちたいなら叫ばなきゃいけない場面もあるのに。だから俺は三年に怒ったんや。なに自分のことだけ頑張ってんねんと。自分らの代やったらそれ相応に振る舞えと。
・他人に言及することは、自分へのハードルも上げることにもなる。言ったからには自分もやらなきゃいけない。そんな風に、自分を追い込んで成長していかんと。
・時には集団のために自分を演じる必要がある。嫌われ役でも買ってでよう。自分を大事にしすぎるあまり、みんな守りに入ってもうてる気がする。
・自分のことだけに集中して動くのは本当に楽。でも、それなら今の場所にいる意味はないからね。引退までに、俺らの4年間を後輩に叩き込もうと思う。そうやってチームの魂は引き継がれていくものなんやで。
上の日記は、なんJ民が書いたものではない。日記を書いたのは、当時21歳の大学生だ。一般的な学生とはレベルが違う。社会人の域に達している。キャプテン君が反則で退場処分になったサッカーの試合を見た時は只者じゃないと思ったが、ここまでとは思わなかった。
実際、彼はいい奴だった。対面で話したことは数回しかないけど、でも確実にいい奴だった。熱い闘志が漲っていて、爽やかな笑顔が眩しい。それでいて面白いことも言える。ずるい。
就職活動に話を戻す。必死でエントリーシートを磨いて、SPIの勉強をして、面接対策をして、総合商社の一次試験を突破した。二次試験のグループ面接も通って、いよいよ三次になった。
会場は、晴海トリトンスクエアという海が綺麗な高層ビルだった。会場には、当たり前のようにキャプテン君がいた。緊張している様子だったから、声はかけなかった。かと思えば、ほかの志望者と一緒に雑談をしていて、さすがだなと感じた。
面接試験の部屋の前で待っていると、自分の前に終わった人が出てきて、「頑張ってください」って言われた。「ありがとうございます」と返して部屋の前に立った。
肝心の面接試験は、一応やりきることができた。子どもの頃からやっていたサッカーのアピールもできたし、面接官二名もサッカーをしていたことがあったらしい。「インカレにスタメンで出ました」と言ったら、「おー、うまいんだね!!」と言われた。
面接全体だと、簡単な質問もあったし難しい質問もあった。覚えてる限りだと、
□卒業までをどう過ごしたい
□総合商社で叶えたいことは何か
□弊社の弱点を教えて
こんなところか。ゆっくり落ち着いて答えていった。こういう時、サッカーをやっていてよかった。緊張はするけど、それが心地いい。失敗してもいい、飛び込んでもいいやって思えた。よい意味で、周りが見えなくなる。
時間というものの退屈さを感じない。これは採用試験なのだという不安も忘れて、不採用がありうるという事実すら忘れてしまって、どんな恐れすらも感じなくなる。面接、という世界に全身全霊で移り棲んでしまったからだ。
面接が終わった後は、さっきの自分と同じく、面接試験の部屋の前で待っている人がいた。俺は、ちょっと迷ったけど、「頑張ってください」って言った。その人は、「ありがとう。行ってきます」と返して面接室の前に移動した。
それから、普通に社屋を出て、ちょっとその辺でご飯を食べて、夜行バスが来るまで街を歩き回って、バスが来る頃にはすっかり疲れ果てていた。
続き
https://anond.hatelabo.jp/20201118232352
彼女とは十代の頃とても仲良くしていたが、喧嘩してそれから連絡を取っていなかった。
彼女が同人作家を経て商業作家としてデビューしたのは知っていたけれど作品は読まなかった。
趣味にも合わなかったしどうでもよかった。
しかし、ある時、漫画喫茶で気まぐれに彼女の短編集を手に取った。パラパラとめくると、十代の頃と変わらずポエミーな作風の漫画が数作あり、その中に、若い頃の彼女が主人公の作品があった。
その友人という設定で、若い頃の私、をモデルにしたであろうキャラが描かれていた。
(正しく言えば、若い頃の私と、他の彼女の友人をミックスしたキャラクターであった)
そして、主人公はその人物に対して「私は希望していた漫画家になれたよ」と勝利宣言をする。
彼女はそれなりに人気作家である。ここまで描けば作者が誰か分かる人もいるかもしれない。
こんなことをどこかで言っても頭のおかしいファンとしか思われないだろう。(批判しようと苦情を言おうと京アニ事件の犯人のような妄想癖のある人物とあしらわれるのが関の山だ)
でも、もしこのことを本人に言ったらかならず狼狽えるのは分かっている。あの作品を描いたのは絶対に確信犯だからだ。
でも私はなんの連絡もせずにいる。腹は立つし人を殺して金を稼いでいるのだから非道な行いだと思う。でも蒸し返して、やりあうのが面倒くさい。
ただ偶然これを読んだ人に、こういう真実もあることを知ってほしくなった。
追記です。
ひっそりとアクションを起こしてみました。
結果はご報告します。
結果次第で動くか考えてみたいので、
※ここで書くことが不利に働くかも気になってます。
裁判で勝ちたいとか慰謝料が欲しいという希望はないです。ただ、作中内であってもフィクションであっても、実在の人物をモデルに殺人のような行為をするのはどういうことなのか、それを商業で売り物にするのはどういうことなのか本人に少しでも考えてもらえればと思います。
今のところ返事はありません。
ただ、いつも開放していたTwitterのDMを非公開にしていました。彼女なりに何か思うところはあったのでしょう。
私にも今の生活があるし、過去の話とどちらを大事にしたいかと言えば今の生活です。(ちなみに彼女との関係は私の中で終焉していました。あの作品を読むまでは)
しばらく様子見はしますが、
「クズの本懐」などで知られる横槍メンゴの短編集「一生好きってゆったじゃん」が、本日2月28日に発売された。本作にはグランドジャンプめちゃ、週刊ヤングジャンプ、ヤングジャンプラブ(いずれも集英社)、ビッグコミックスペリオール、週刊ビッグコミックスピリッツ(どちらも小学館)で発表された計7編のオムニバスを収録。本当に好きな人を手に入れられなかった女の結婚式を描く「鋼の心」、あるマンガ家のほろ苦い青春時代を切り取った「Neo Dutch Wife」、同級生に憧れ続けた女の姿を綴る「一本花」などが収められた。
ヤンジャンで100円で買えるらしいがhttps://ynjn.jp/app/title/784 100円出したくない
たいしてすごくない!!ありがとう!「身の回りは絵をかけてすごい」って言ってくれる人ばかりだから新鮮な言葉だ…!なんだかちょっとドキッとして、なんで私はドキッとしたんだろう…と思っている(自分の感情を認識するのがすごく苦手なタイプなんだ)自分でもそう思ってるところがあったからなのかな…
最近絵の依頼をやっているんだけど、確かにお金をもらって描いた絵に対してはお褒めの言葉をちゃんと嬉しく思える。金銭がかかわっている褒め言葉と、金銭が関わっていない褒め言葉でどうしてこう感じ方が違うんだろう…対価のあるなしかな。言葉ならなんとでも嘘を言えるけどお金を払ってまで私の絵が欲しいんだなと思うと真実だと思えるのかも。