はてなキーワード: 欲求とは
お、お前らなああ
いっつもいっつも、プリミティブな欲求、否定してんじゃねえかよお
プリミティブな欲求つったらさあ、俺はさあ、四六時中うめえもん食いまくりたいし、仕事しねえで寝てたいし、街中でケツのデカい女の人みたら抱きつきたくなってんの
そういうレベルだろ
でも、食い過ぎたら肥満になって終わる、ずっと寝てたら生活が立ち行かない、知らない人にイキナリ抱きつくのは超迷惑、そういうのがあるんで、抑えてんの
肩が当たった相手に殴りかかるとか、目に映った女に襲いかかるとか、その辺に生えてるうまそうな果物を食うとか、ショーウィンドウを叩き割って光り物を奪うとか、そういうレベルだろ プリミティブな欲求って
ダメだろそんなことしたら!
みんなわかってんじゃん プリミティブな欲求に従って行動したら、万人の万人に対する闘争状態になるしかなくなるんで、やめようね!っていうのは、もはや、すべての前提だろ
でさあ、そういう前提が当然あるなかで、ときおり、疑問を呈する人がいるわけだ
「よく考えたら、みんなやってるけど、子供作るのってすげー大変だし、原理的に子供の意志を一切無視するわけで、非倫理的でもあるよな?なんでそんなことするの?」
これに対してさあ、ふだんは文明人ヅラしてるはてなのみなさんが、突如サルの顔つきになって、
「子孫をのこしたいというのは、生き物として当然の欲求だから🐵」
「本能だよ🐵」
いやいやいや……………
そうですよ、ヒトなんて所詮ケモノなんですけど、ケモノっぽい生き方にはみんなヘキエキしたので、万物の霊長として、万人の万人に対する闘争はやめまして、万人の・万人による・万人のための非闘争状態に移行しようぜ!っていう、崇高な理念を実践しているのがこの社会だという、おれの認識がおかしいんですか?
おかしいのかな
法なんてしょせんは他人に迷惑かけないためのモノなんだ!つっても、子供つくったら、どう考えても、子供自身に多大なる迷惑がかかるもんなあ
俺もすっげえ迷惑してるしな 勝手に人生に参加させられて本当に困ってるし、できることならマジでやめてほしかったけど、どうしようもなかった
生まれざるを得なかった
ダメじゃないんですかね
俺はダメだと思うんだよな
プリミティブな欲求にしたがって、他人を巻き込み迷惑をかける可能性がある行為をしてはいけないよ!
って話だと思うんだよな
所属に対する人間の欲求ってものすごいものがあると思うけど...
所属なんてどうでもいいものならいじめを苦に自殺とか無いでしょ。
例えばさ、学校で自分以外の子供たちはみんな当たり前にゲームの話をしているのに自分だけその輪に加われないみたいなのってかなりストレスなのかなって思う。
何番煎じか分からない程度には、感染あるいは発症まで経験した人は多いだろう。
3回目の接種を時間がないからと保留し続けた結果がこれなのだとしたら、かなり重い罰だと思う。
感染・発症する前はよくわからない周りの体験談やネットの情報に流されて、まあかかっても軽症だしオッケー
くらいに思っていたが、考えを改めることになるとは...。
しかしどこで感染したのかは完全に謎。いや、強いて言えばコンビニに行くために外に出たことはあったが、
基本はテレワークオンリーなので家から出ることがない。つまり、感染1日前のコンビニで感染したことになる。
いやいや...まさかそんな...。
これだけ感染者数が爆発している状況では、相談窓口にはほぼ100%電話がつながらない。病院もまず受け付けてくれない。
その上病院で抗原検査頼もうと思ったら、体外診断用医薬品の抗原検査キットが5個買えるくらいの金額を提示されたからね。
とりあえず病院にいかない口実が欲しかっただけで電話したのだが、なんとも言えない気持ちになったよ。
ちなみに病院は何回か電話トライしたらつながった。地域によるだろうけども、まあコロナの疑いのある患者を
見てくれるだけでも、病院としての機能は十分すぎるくらいあるのかな。
結局、コロナにかかったところで自宅療養なのは確実だったので、自分で検査結果を
自治体の登録センターみたいなところにうpして登録する作業も、したところでだから何だって感じだったね。
自分の場合は不備があって再登録してくれって来たんだけど、不備連絡のメールが来たのは
登録から5日後だったんだよね。事務処理が追いつかない程度には忙しいんだろうけど、
こんな状況を体験してしまうと、もう自分の身は自分で守るしか無いね。
もしワクチン接種から日が浅いタイミングで感染していたら、また違ったのかな。
自分の症状はこれでも世間一般からしたら軽症の部類らしいが、正直軽症と言うにはずいぶん重い症状だったよ。
特に喉。過去にかかった病気の中で、比肩するものがない程度には絶望的すぎる痛みだった。
喉に違和感。エアコン効きすぎて喉やられたかもしれない、くらいの感覚。
体が少しだけ重い気もしたが、その日は部屋の掃除など動くことが多かったので疲労と思い気に留めず。
喉が痛い。
熱を測ると38.0度。若干筋肉痛があるが昨日の疲れかもしれない。
コロナを疑い始め、一旦、発熱相談窓口に電話してみるもつながらない。
とりあえず安静にして寝ておく。解熱剤の効果も長く続くわけではないので、熱冷まシートが役に立った。
死ぬほど喉が痛い。喉を動かしたくない。なにかを飲み込む動作をしたくない。
喉を見てみると急性扁桃炎のそれと全く同じ感じの見た目をしている。
とにかく痛すぎる。のど飴も効果は一時的。熱は39度台、解熱剤を飲んで38度台。
さすがにコロナを確信したので常備していた抗原検査キットで検査し、陽性判明。
この頃から頻度が低いが咳が出始める。
喉が死んだ。食欲はあるが喉が痛すぎて食べたくない欲求も凄まじい。
咳が1回1回とても重く、肺と気管支に負担がかかっていることが実感できる。
いくら咳をしても咳をしたくなる原因が一切消えない。非常にもどかしい、意味のない咳がでる。
熱は変わらず39度台、解熱剤を飲んで38度。
さすがに熱は引いたのか、解熱剤なしで38度前半。非常に楽。
喉の痛みも慣れたのか治っているのか分からないが、以前よりはマシ。
この頃から咳の頻度が増えた。しかし相変わらず意味のない咳が出る。本当に謎。
たまに咳をすると、むせる、何かを吐くような動作が同時に起こる。すごく精神的にきつい。体力も減る。
熱は完全に治って36度台。喉の痛みもかなり低減され、食事も美味い。
しかし食事に違和感。味覚は有るが、とても味が濃く感じるようになった。
ほぼ咳だけが残るような状態に。しかしこの咳がとてつもなくきつい。本当に意味のない咳。
気管支と肺が悪いのが体感で分かる。呼吸も間違いなく変。
さすがに1週間経って体の調子はもとに戻った。
上手くまとまるかはわからぬが、言いたい放題言われるがままの状況に辟易しているので、この場で気持ちの整理をしたい。
非出生主義とタイトルには挙げたが、それに絡むだけで単なる日記にすぎないのだが、無論、昨今はその話題も世間では言語化
が達成されていない状況にあるように思われるので、その点も解決することを主眼においた内容になることと思う。
推敲はしないいわゆる殴り書きにはなるのだが、それで十分である。
最近、早く孫の顔を見たい、淋しいと親に言われることがあった。まあ、お盆なので、どこでもよく見る光景なのだろうが、
正直、毒親育ちだと仮に、子供が生まれても、親にはできるだけ会わせたくないと思っている。
どうして、わざわざ病質的な環境に大事な人を巻き込まないといけないのか皆目、私にはその理由がわからないのだ。
むしろ、嫌悪しており、阻止しなくてはいけないと言う使命感さえ持っている。子供は敏感にそういった、異常性を察知するものでもある。
孫から侮蔑の眼差しを受けていることを目の当たりにしては、親も狂いそうになるのではないかという憐れみの念があることも忘れないでいてほしい。
「いやいや、そういうことではないのだよ」という所詮子供の分際でバカにするなというものもいるだろう。(随分とふてぶてしいとは思うが)
まあこの手合でもあるのだが、これは答えが明白だ、親の権威性を振りかざしたいだけ、そして耄碌しているだけなのだから底が知れている。この件は以降触れない。
また、「単にに孫の顔がみたいのだよ」と食い下がるものもいるだろう。
なぜそのように考えるのだろうか。
単に生物的な本能として、生殖の連鎖を確認したいということに違いない。それが安心なのだ。
まず、この私の内心と親の心情の間にある距離感にはいわばヒリヒリとした長年の確執の賜物と思わずにはいられない。
私の関心事は個人(ここでは子供)の尊厳にある一方で、親はより本能的な生物的欲求に立脚する主張となっている。
概して、孫は見込めないと思っている前提で親は話しているのだろうが、私は子供は作るつもりでいる点は異なる前提にあるのだし、
自身は子供を作ったのにお前はという強迫も含意しているように思うと、言われる筋合いはないという苛立ちとともに、
「ああ、こちらの思っていることもまた理解できずにいるのだな」と、自身が抱く親に対する恨みの思いは正しかったのだと、
やはり毒親はどこまでも変わらないのだなあという絶望感が増す一方なのだ。これまで同様、距離を置き、狂気から逃れる他ない。
毒親の問題というのは本人にとっても苦悩するものだが、往々にして、毒親の親も毒親であることを疑ってかかるとよく当たる。
毒親が私と同じ境遇の時にどう感じていた所までは私と同様であるから改めて書くまでもないだろう。
ただ、親と私は強迫に対する解決方法が違っている。それだけのことという代物ではなく、それこそが本源的な違いなのだと私は思っていて、
この認識の断絶に隔てられているままでは解決は不可能なのだと思う。深い絶望がここにはある。
これは一人の人間としての尊厳・生きる意味の問題である。その場のお気持ちだとか世間体だとかで支配・強迫したところで、尊厳は奪おうとするのは
虐待でしかない、非道い話なのである。(この支配から解放を願うというのはウクライナ戦争にあるウクライナ人も同じ心地にちがいない。余談だが。)
とはいえ、ここまで私を苦しめる親とは一体何者なのであろうか。何様なのだろうか。私の友人もこうした苦労をしているのだろうか。
この答えは私は持ち合わせていないが、私のような立場であればこうして心からの叫びを発せざる得ないほど追い込まれる状況になるかもしれないことを思い
無配慮に批判することだけはしないでほしいと思うし、心にもない世論形成には加担せず、無視せず、信念に基づいて行動してほしい。
なぜなら、この、人間関係の構造は今話題の山上と同じなのだから。
そして、こうしたいきさつを各々が抱えているというのも、出生率低下の副因になっていると思う。勿論、経済的な理由もあるのだろうが、貧しいのは金銭的なものではなく、精神的な側面にも潜んでいることを見落としてはならない。公園に苦情する地域社会というのも良い例である。
またも、「いやいや、私はそれでも産んだ」という上から目線のものも出るだろうが、正直言うが、そんなあなたは自分が毒親の確率がだいぶあると思う。
むしろ、教えてもらいたいのだ、毒親でなく、不信感なく親の言うことが正しいと信じられるその理由が。
毒親に何を聞いても間違えたことばかり教えられていると、毎日が辛いのだ。
お前いくつだよというかも知れないが、それは良い指摘である。いくつになっても親は親、子は子なのだ。
どんな間違った親で、洗脳が解けない親であっても、いくつになっても親のためを思っていることは根底にあって、
そこはしっかり外していないことを思い出してほしい。
https://anond.hatelabo.jp/20220813073024
もうちょっと詳細に
・シコりたい欲
射精するとシコシコの気持ちよさが薄れるため、シコりたい欲と競合する
・感知したい欲求
見たい、触りたい、嗅ぎたい、舐めたいという欲求
感じると興奮度が高まる
この興奮はシコシコに似ているが少し違う
・いたずらしたい欲求
これは背徳感と、相手の反応してほしい(エロい状況に置きたい、興奮させて共感したい)欲求が混合されたものだと思う
これが強いと愛撫が増え、よりサディスティックになっていくと思う
いきすぎると犯罪につながる
・癒やされたい欲求
ただしこの癒やしは興奮とは競合するので癒やされすぎると萎える
他
・征服欲
・甘えたい欲求
1.感知したい欲求 → 感知する(興奮)
2.いたずらしたい欲求 → いたずらし反応を得る(興奮)
3.シコりたい欲 → シコる(射精準備)
何がいいたいのか?
たまに競合だってするし、何かが欠落しても上手く行かない
ホリエモン様はやはり神であらせられた。
2022年。コロナ禍は3年目を迎え、市民は皆疲弊している。ソーシャルディスタンスを守るが故に人と人との精神的距離は開いてしまった。マスクによって個人と世界は隔たれ、市民は内向的で個人主義になってしまっている。空いた時間はネットに籠る。家で1人でのんびりしていたい。外の幸せなど求めない。その先に待っているのは何か。虚しい世界である。画面とばかり向き合って動物としての本能的欲求を全く満たせない、冷たく機械的な世界である。
では何がいけないのか。マスクである。マスクなんかあるから表情での会話も成り立たず人間社会が崩壊しつつあるのである。我々はもうマスクを外すべき頃合であろう。勇気を出すべきだ。コロナウィルスよりも恐ろしい病に完全に罹ってしまう前に、我々はマスクを外さなければならない。
2年前からノーマスクを訴え続けていた1人の神がいる。その名も堀江貴文。
堀 江 貴 文 餃 子 屋 出 禁 事 件
神が餃子屋にノーマスクで入って揉めた事件であるが、この事件を通して神は市民に訴えていたのである。
さぁ今こそマスクを外そうではないか。マスクを外すということはつまり21世紀のルネサンスに他ならない。人間性を取り戻すのだ。ネット民のおまいらなら出来る。ニートもノーマスクで外に出てみよう。ホリエモン神に従って、世界の空気を吸おうではないか!!!
ネットで無料配布する気になる範囲でだけ活動すればいいじゃん。
利益を得たいんだったらオリジナル作品にするか、企業として動かないならなんでも出していいよって作品に絞ればいいでしょ。
アングラで本売る文化をいつまでも残したがる理由は分かるよ姪はくだもの。
買う方→訴えられたら負けるようなものでもいいから同人誌やグッズが欲しい
ってことでしょ?
でもそこに「原作を本当に好きだから~~~」みたいなのいい加減やめろよ。
つうか作り手の側も「権利関係が面倒くさいから止めてください。でもバレなきゃいいかな~~~宣伝になるかもだし~~~」みたいな半端な態度取ってんじゃねえよ。
自分たちに都合の良い意味不明な俺ルールを沢山作ってはそれを他人に押し付けて最後はキレたらなんとかなると思ってる。
法の整備によって得られた豊かさを享受しながら自分たちはそれを無視していいかのように振る舞う。
そりゃ「キモイ」って言われるよ。
「ロジックが歪んでいる」「我田引水が酷くて話にならない」「話の前後が繋がらないのに自分たちだけ納得してる」といった要素がいくつも重なりすぎてもう「意味不明」と言うしかないんだよね。
なんなんだろうなコイツら。
こんなにがっつりワキガを感じることも珍しいなと思い、暇だったのでスマホでワキガと検索すると、「ワキガの恋人と結婚するか迷う」といった表題のスレッドがたくさん出てきた。
多くの相談者はワキガの恋人のことは愛しているが、子供に遺伝する可能性を考えると結婚に踏み切れないようだ。
自分の子供がワキガであることによっていじめられ、苦しみ、社会の中でのびのびと生きられないかもしれないと憂う気持ち。
ワキガに限らず、例えば周囲から爪弾きにされてしまいそうな、外国のルーツだとか遺伝的な病とか或いは変わった宗教とか、そういう要素を持つ人をパートナーに選び、子孫をもうけることを躊躇してしまう。
その背景では、自分の子孫がこの世から淘汰されてしまわないよう、無意識下で生存本能というか種の保存欲求というか、何か動物的な危機察知能力が働いているのかもななんてぼんやり思っていた。
ここからは最近のわたしの悲しい話なのだが、いい感じに仲良いと思ってた年下の男性から「あなたのことは友達としか思ってない」と言われてしまいショックを受けた。
単に外見や性格があかんかったのかも知らないが、30過ぎのわたしは20台半ばの彼と恋愛に発展するかなどうかな~と普通に楽しく期待していたので、
そもそも彼の中で5歳も上の女は恋愛対象内にかすりもしない前提だったのかもと思うとなんかいろいろ恥ずかしすぎてきつかったけど、恥ずかしすぎてもはやどうでもいい。
で、やはりパートナーを選ぶ際には動物的な感覚が大きく影響するんだろうから、年食って健康な卵子を排出する打率も右肩下がってそうなババアはそりゃ避けられるよなぁとしみじみ納得できる。
もちろん人間同士の話なので人間的な魅力さえあれば年齢差(女性が上)があってもパートナー関係が成立することもあるだろうが、わたしはろくな人間ではないのでそのハードルを越えることができなかった。
根本的な話なんだけどさ
やつは「女性を不幸にする男性全員にむかって言論で戦う」みたいな事をしていたわけじゃん?
まずその行動原理が 女性のためでもなく 自分のためにもならないどころか現実の自分を追い詰める結果になるのと 実際の女性に迷惑をかけて活動してたわけじゃん?
フェミニズムとかネットの言論とかいう前に この一見して異常な行動を考えてみる必要があるんじゃない?
主義とか思想とか行動とかが 根本的に論理だってないじゃん?もうランダムに発生する凶悪事件で関連性がないけど被害が一律系統建てられる難事件みたいなものに見えるよ
とりあえず自分自身がどうであれ主義や主張になんの行動原理の目的性がなかったとしても 先鋭化されていくアイデアとしてどこか奥深いところに刺さって成長していくんでしょ?
その異常な人の行動が 主義は間違ってないとか行動は間違ってないとか 方向性は間違ってないとか 基礎が腐ってるのに高層ビルを建て増ししても問題ないみたいなこと ないよね?
カビからペニシリンができるしペニシリンは有用だよ だからカビを食べようってはならんよね どこかよい点があったならそこだけ抽出して安全で健全に運用できるようにすべきだよね
ペニシリンはカビだ ってイコールで言ってる人いる? カビからできているのだからカビは大事だってなんか意味ないメタな発言はありとしても 家にはえてるカビが有用だなんて人は誰一人いないよね
異常者が言った名言だけど 名言だから ってそれイコールで結ぶ必要はないよね 名言なのだったら あらためて出たところはそれだったとしても それを浄化する何かをはさむべきだろう
せっかくの名言を有効活用させる方法はほかにもいくつかあると思うよ
とりあえずそういうところにも属人性をもってくるものではないと思うんだ
まず最初になにが異常かって根本の「守る気もない女性を守る」という行動を選択したのはなぜか
現に一番手の届きやすい 手をかけても犯罪にならない(であろうと思っていた)女性を使って人権侵害を行っていたわけじゃん?
もはやこの時点で本末転倒なんだけど それをしてまでその主題を持ちたかったのはなぜなのだろうか
これは攻撃対処である「男性」をなにかしらの方法でギャフンと言わせたいからなのではないか
人の行動原理や思考の形成はひとつだけから生まれるものではないと思うのでこれだと私がおもったのは 私が知りたい「あったとしたら」の根拠の話だ
彼はなんらかの方法で男性に攻撃がしたかったのではないだろうか
自分が勝ち誇ってエリートで幸福な生活を手に入れて見下す という方法では勝者の優雅さをもってひけらかすことでそれをできるとしても リソースが足りないだろう
山積みの現金や宝飾品 家族や広い家にペットなど 準備するのも感想を述べるのも リソースとその品位は準備できないだろうというのはチャレンジする前からわかる
ならば煽って口喧嘩ではい論破すればいいだろうけれども 不特定多数の揚げ足をとるのはまず足をあげる隙間に入り込む必要 論客が必要だろうけれどもコミュ障にはそこもむつかしそうだ
そうなると闇雲に被害者面をしてなんかそれなりっぽい素材を投下すれば 高性能の同胞がそれをソースとして奮闘してくれるだろうと給弾係になるという手段をみつけたのではないだろうか
あの選手を育てたのは私だ といわんばかりに あのホームランは私の給弾だ と満足げに あの給弾がなければホームランになったボールは存在しなかっただろうといわんばかりに自身を評価していたのではないだろうか
実際に攻撃していたのは傍にいた女性二人であって事実上の被害を与えている 実際に攻撃はしているのだ
それとは別に その女性への攻撃を用いてネット上の攻撃の原動力にして 男性をターゲットにした これはどういうことか
彼シュナムルは 自分の近くにいた女性を使って被害を起こさせ その被害を用いて自分が被害についてだれにでも使いやすい素材としてだれかに行動を起こさせるため 行動を起こしたヒーローの親ポジションを得るために 被害者を演じたのではないだろうか
逆ミュンヒハウゼン症候群そのものっぽいが 自分の救済のために必要としているものが 自分の問題提起からヒットを生み出した親であるポジションではなく どこかの男性がなにかしらの社会的制裁が加えられるであろう期待だった所が謎ではないだろうか
簡単にまとめてしまうと 彼のターゲットは自分が大好きな「(性別としての)女性」というマクロな存在に対して「それを楽しみとして(それはごく一般的な)消費している男性」に攻撃がしたかったのではないだろうか
それって結局自分の首しめてない?って事になるわけだけど つまりは自己嫌悪から自分を罰したり自分を攻撃するために自分を対象にして攻撃をしたその相手がたまたま自分以外の男性だった とは考えられないだろうか
いわゆる「死刑になりたいから人を殺した」の亜種である これは反社会的な心理状況においてとても厄介なものだと思われるのだがいかがだろうか
攻撃的な衝動の起因となる欲求は大きくわけて3つあるのではないか
ひとつは選択肢の不足 回避や改善について手段を考え付く事ができない為 とりあえず攻撃をして行動を不能にし 回避改善の代替としようというもの
ふたつめは攻撃そのものの嗜好 攻撃をする理由づけになんらかの平等性の欠如を持ち出すが実際は攻撃そのもをしたいだけ
みっつめは攻撃による被害をうけた状態を求める心 相手がなんらかの攻撃でダメージをうけた状態に持っていきたいという気持ち
どれかである場合やどれも全部あわせたものであることも可能性としてはありそうな気がする
シュナムル氏はまずどんな気持ちで身近な女性を 顔見知りの女性を被害者にしたのだろうか プライバシー情報を利用して本人の知らないところで被害を発生させる加害者となったのだろうか
女性の被害を代弁することで社会的に問いかけをするという崇高な使命の為ならば多少の犠牲は厭わないとしてあえて苦肉の策として 最悪謝罪ができる範囲の人物として選んだ女性に危害を加えて被害者となってもらったのだろうか
これは考えにくい
彼自身が女性が好きで 女性に対してなにか自分より優位なアプローチができる立場にいる同性を嫌い それらとは違う手段で女性に対して優位なアプローチないしは女性からのアプローチを受けられる立場になりたかったのではないだろうか
最終的にはシュナムル氏自身が語っていた身分に相当するものになりたい目標があったのではないだろうか
そうすると犠牲となった親族の女性二人は「だれでもよかった」のではないか
手あたり次第に 自分の都合のよい相手を探して だれかの救済行動のための被害者にすべく 攻撃を仕掛ける
自分の欲求は その救済行動をとった人間を 自分が評価することで 自分自身の価値と思い込む
その手段に選んだものが 数少ない選択肢の中からの フェミニズムだった
こういうことなんじゃないのか
普通に治療が必要なものだとおもうし 治療が必要な人間が残したものは だれかまともな人間がそれをしたとき価値がでるかもしれない可能性だけなのではないか
なにかしら価値のある行動や言説が一つでもあったのだったら もうシュナムル氏の名前はまったく関係ないところからそれを成り立たせるべきだと思うね
弱者男性の権利を主張するのであれば配偶者がいなくても堂々と生きていけるような社会を求めるべきではないのか?
今まさに自らを苦しめている既存の抑圧的制度の中での承認を欲求するものでしかないのなら、それはエンパワメントなどではなくただの権威主義ではないのか。
まさにそれの小説版を探していた。
前に増田で教えてもらった、仲間たちが集まって酒飲んだりTRPGをプレイしたりする小説は確かに面白かった。でも結局後半で、ハードな恋愛や人間どうしのイザコザ、涙あり笑いありの人生の浮き沈みが出てきた。
The Peanuts みたいな、ほのぼのとした日常を——活字で——のんびり楽しむのは無理だった。
現実世界で揉みくちゃにされてMPやらSAN値やらを使い切って満身創痍でフィクションに逃げ込んでるのに、心理的安全性が担保された時間を、しかし小説は提供してはくれなかった。
ワクワク・ドキドキを得たい読者を否定するつもりはありませんよ。
だけど日常系漫画のノベライズでさえ、原作にない波乱万丈に巻き込まれる羽目になるんだな。ことごとく。
おそらく、小説では絵の代わりになる展開上の刺激がないとビジネスの上で成り立たないのでは。
前に誰かと話したときはそんな結論になった。読者に何らかのストレスを与えることで、読書体験をシェアしたいって欲求を作る。インプットで圧力を加えて初めて、アウトプットが期待できる。退屈さは、社会的な活動の契機にならない。
ならエッセイを読みなよ、ってアドバイスを貰ったこともある。でも俺が読みたいのは、フィクションなんだよなあ。エッセイも読むけど、フィクションが欲しいときは、ちゃんとある。
俺のいた学年が、40人のクラスで男子25人、女子15人と男女比率が偏っていたゆえに起こった問題。
フォークダンスで、男子のうち5人が、女子の列に入らなければならないとか。
合唱のとき、バランスが悪いので男子のうち何人かは女声パートを歌わなければならないとか。
他にもあったと思うが、これを身長順で決められると、俺は確実にその中に入れられてしまう状態にあった。
それが嫌で嫌でたまらなくて、クラスメイトの中から逆に女子と手を繋ぎたくない奴とか、明らかに声変わりしてなくて女声パートのほうが歌いやすいと言ってる奴を見つけだしては、変わってもらうという方法で回避を続けた。
いま思えばある意味相当な自己中で、他にその立場を我慢してる奴の気持ちを考えずに抜け駆けしてたと言ってしまえばそれまでなんだが、なぜ俺だけがそんなにも我慢できず、女子側にされることに嫌悪感があったのか。
考えてみると一種の去勢不安というか、実は男としての自信のなさの裏返しだったのではないかと思う。
そういえば当時は、二次性徴が平均より遅い自分に焦りやコンプレックスもあった。そこから、ちゃんと男子としてカテゴライズされたいという欲求が、異常に強くなってしまったのかもしれない。
異性の裸や下着はめったに見れないからこそ興奮するとこ、あると思います
生理なんてあんなの、ただの体調不良で排泄行為なわけですが、現状アンタッチャブルな感じになってるせいで無駄にエロに分類されている感じがする
大変だから配慮してくれ、という下心はなきにしもあらずだけど、そんなことよりも生理への幻想を打ち砕きたいというか
何ならいまの、「生理の話をするのはセクハラ」という価値観すら塗り替えたいんだよね
下痢とかと同等にしたい
大っぴらに話すのはデリカシーがないけど、話したらこまめにトイレ休憩作ってくれるくらいの
ただ、セクハラ告発リスクってのが現状相当あるのは確かで、そこは本当に申し訳ないんだけど過渡期の痛みかなあ
そういう社会に対して私一人で何ができるわけでもないが、私自身はセクハラと感じたことがあっても相談窓口に行く前に本人に忠告するようにしてるわ、言って通じる相手なら人生潰すつもりはない(言っても聞かないセクハラオヤジのほうが辞めさせられない重要ポストだったりして嫌になるけど)
実際に世の中が変わってくるのは「生理をオープンに」派が産んだ子どもが社会人になる20~30年後かなと思ってる
ただ今急に思ったけど「生理をオープンに」派の人って「生理不可侵」派の人より育児欲求低めだったりする?
だったらまだしばらく変わんないかなあ
ただし条件付きである。物事の判断がつかない人間の性犯罪を誘発するのである。
「ケーキの切れない非行少年」という新書が一昔前に話題になった。簡単に内容を説明しておくと、「軽度知的障害者は現実を正しく認識できないので短絡的に犯罪に走る(ので、認知機能向上訓練をしよう!)」という本だ。
後半の商業臭さもあるし、一個人の未査読(まあ論文じゃないから査読がないのは当たり前だが)の文献をすべて信じるわけでもないが、著者の経歴などからもその解釈はともかく書かれている事実に限ればとりあえず信頼してよいだろう。
この本には性犯罪をした少年が「エロ漫画で見た内容に興味を持って実際に強姦に走った」「マンガのように女性も最終的に喜ぶと思った」などと述べることを紹介する部分がある。
これは本当にあることだと思うし、「エロ漫画が性犯罪を誘発するなんて証拠はあるのか」という問いに対して十分に証拠となるだろう。
もちろん、認知機能に障害が無くとも、判断力が未熟な子供の性犯罪を誘発することもあるだろう。
現代のインターネット言論は極めて潔癖主義的で簡単な二元論で物事を考えすぎていると思う。
エロ漫画規制が許せない時、思考停止で「エロ漫画は100%潔癖だ」と考えるのではなく、一旦それを引き受けて、「それでも規制はダメなんだ」と考えた方がより議論が深まるだろうと思った次第である。
エロ漫画が性犯罪を助長するというのは、つまりエロ漫画によって性欲が刺激され、その性欲を満たすために判断力のない人間が犯罪を手段として選択するということである。
しかし「AがX欲を刺激し、我慢できないor適切な方法を知らない人間が犯罪を選択する」ということは普遍的な現象ではないのか。
「ゲームが遊びたいという欲求を刺激し、我慢できないor適切な方法を知らない人間が犯罪を選択する(窃盗)」のと違いがあるのだろうか。
「お金が欲しいという欲求を我慢できないor適切な方法を知らない人間が犯罪を選択する(強盗)」のと違いがあるのだろうか。
少し変形させて「人づきあいが苦しい、解法されたいという欲求を我慢できないor適切な方法を知らない人間が犯罪を選択する(殺人)」のと違いがあるのだろうか。
以下捕捉
因みに、エロ漫画の定義は「R-18で性行為を描くことを主目的としたマンガ」のことである。
私はエロコメディ(いわゆる全年齢向けのちょっとエッチなハプニングシーン)は本当に良くないし淘汰されるべきだと考えている。
ただしこれは淘汰だ。法規制はもちろん、業界による自主規制もあまり好ましくはない。
現在、ものの数十年前の手塚治虫の黒人差別描写が「当然悪い」ものとして扱われるように、数十年後には「昔はよくあったけどやっぱりちょっとエッチなシーンは女性蔑視、あるいは女性の性被害を矮小化して、それを子供に向けて発信しちゃうのはよくないよね」と当然全員思っているような価値観のアップデートが行われていることが望ましいし、そのためには漫画家が率先してそういう姿勢を描かないように意識することが大事だよね、という意味である。