はてなキーワード: 欲求とは
注意 性虐待に関連する記述があります。前回より多めです。フラッシュバック等がある人は注意してください。
甘えの再投稿。
思うところがあったので追加記事を投稿したが、びっくりするほど読まれなかった。それならそれでいいやと思っていたが、思うところ2が発生したため追記に加筆し再投稿を決めた。
感情に任せたいのであえて堅苦しい文体を取っ払う。めちゃくちゃな文章でいい。論点がぶれてもこの際どうでもいいわ。
俺はいま腹を立てている。元塾講師(とされているアカウント)が俺の大好きな児童向けアニメが好きで、当該アニメの入浴シーンを守る馬鹿げた署名なんかやってて、世間に「やっぱ表自は小児性愛者、犯罪者予備軍」なんて言われてることに。あんな奴と小児性愛以外の共通項があるなんて知りたくなかったよ。
難しいことはよくわからないけど、作品の対象年齢に応じてゾーニングは必要だと思っている。児童向け作品から性描写が淘汰されるのは必然だと思う。人権意識が高まる昨今、元被害者の視点ではようやく子供も一人の人間として扱われるようになってよかったと感じる。
いや、俺だって小児性愛者だから、そういうのに興奮しないわけじゃないよ。もう隠すのも面倒だからタイトル出しちゃうけど、幼少期観た大山ドラの「未来の街が危ない‼︎」でのび太が服を破られて全裸になるシーンが頭の中に焼きついて布団の中で何度脳内再生したかわからない。だけど近年リメイクされた同じ話では当然裸は隠されていた。少し寂しかったけどしょうがないんだよ、それは。
まあいいや。
俺の言う表現を許せってのは裸やちんぽを地上波で丸出しにするのを許容しろっつう話じゃないの。成人向けコンテンツとして出た幼児児童までブロックするのはやめてくれって話。いち小児性愛者個人の訴えに過ぎないから異議をとなえる人もいるかも知らないけど、そう思ってる。
もう最悪だよ。塾講師が小説なんか公開してたせいで創作にまで銃口向いてるじゃねえかよ。最悪。
ただ生きているだけで犯罪者予備軍扱いされるのにこれ以上首を絞めないでくれ。ふざけんなよ。
アングラで仲間を見つけられないのもこういうことが起きるからなんだよ。絶対「やってないだけの塾元講師」「元塾講師みたいな知り合いがいる奴」「エグい話を漏らす奴」が混ざってくるの。そんでドン引きする人はそっと去っていく。
もう免許証作ってくれよ無害な小児性愛者用の。何もしないから創作は許してくださいライセンスを。
こんなん書いたらまたぞろ「実在児童の被害には目を向けず自分のオカズの心配を…」とかなんとか言われるんだろうが、可哀想だと思ってるに決まってるでしょうが。そんな目に遭ったら他人を信用できなくなるよ。受験にも人生にも響くだろう。ここで俺が実際の被害に触れないのは、小児性愛者がこんな場所で児童を性的に消費するなと拳をかかげて演説ぶったところで説得力ないから。陰から静かに同情してる。
週刊誌にリークしたお仲間も行為のグロさに耐えられなくなったんじゃないの。知らんけど。
言いたいこと言ったので以下は再投稿前の誰にも読まれなかった追記です。
前回の下書きが完成して真っ先にしたことは、多数派に不快感を与えそうなワードを削ることだった。話の幅を狭めてでも、固有名詞と具体的な性被害、実際の事件を想起させる表現をなくした。
できるだけ多数派の繊細な部分を刺激しないよう気を遣った。思ったままに書けば、斜め読みで脊髄反射の罵詈雑言を浴びせられて終わる確信があったからだ。
拙い筆力をしぼって敵意を抱かれなさそうな表現を選んだ。
結果的に冗長な記事(この記事もきっとそうなる)になってしまったが、
・小児性犯罪者(チャイルドマレスター)への怒りを転嫁しないでほしい
この3点は伝わる形で表せたのではないかと思う。
が、問題はそこではなかった。読み手が文意を汲もうとしてくれるかは全く別の課題だった。
ただ意見を表明しただけで石を投げられる状況を被差別階級に準えている人がいて、それが実に言い得て妙で暗澹たる思いだった。
わりとムキになる性質の私は、追記でその全てにレスしそうになった。そういうことじゃないんです、と。
しかし、実行すれば被害者面をした異常者の逆ギレだと誹りを受けるのは想像に難くない。
治療しろ・嫌い・差別されても仕方ない・元ペドの知人は大人の女と結婚した・諦めろ・いつか飽きる・矯正できないのか・薬を飲め・首を吊れ・死ね・しね・しねよ……酷いもののうち、いくつかは削除されたようだ。
小児性愛者として名乗り出るのは内心の自由から外れている、だからお前は何も語るなという呆れた話も複数出ていた。
あげく「何が辛いのかわからない」
トラックバックとブックマークに並ぶ、理性を投げ捨てた暴言の数々、これが辛さだ。小児性愛者として生きるのは苦しいと吐露しただけで苛烈な攻撃を受ける。
「生まれてくるな」
小児性愛者も人間だ。好意、交わりたい欲求、実行してしまう衝動性はそれぞれ独立している。少なくとも私は自制できているし、実在児童を襲いたいとも思わない。
もちろん小児性愛者の一部に認知の歪んだ者がいることは否定しない。
では、児童への性加害者が多数属する異性愛者は、おしなべて反社会的なのだろうか。
繰り返すが、「無害な性的指向」の範囲を決定するのは多数派の胸三寸でしかない。多数派の暴力的感情論が少数派の階級を決定している。
ただ、すべての大人は、子を持つ人の警戒と不安を甘んじて受け入れる必要がある(いわれなき中傷は勘弁願いたいが)。
そして加害する大人は外面だけで選別するのが難しい。
セクシュアリティに関係なく下心を持って子供に接触する危険な輩はいるので、みだりに近付く人には注意するに越したことはない。
個人的体験談を語りたい。私に性加害したのは13歳年上の従兄弟だ。小学生の間はたびたび親戚の家に預けられていた。そこで何度も被害に遭った。加害者の従兄弟は現在成人の女性と子をもうけたのち離婚し、別の成人の女性と再婚しているらしい。アイツのせいで私はろくな性体験もないまま性器ヘルペスの保菌者となった。早く死ねばいいと思っている。
従兄弟のような少数の犯罪者が多数の被害者を生み、とばっちりのような形で属性ごと糾弾される苦悩は、小児性愛者でなくとも男性なら多少なりとも共感していただけるのではないか。
私は自分に性加害した人物と同じ括りで異常者扱いされるのは極めて不本意だ。
社会は小児性愛者を抑圧するより先に、小児性犯罪者(チャイルドマレスター)の概念の周知と対策について議論すべきではないか。
あなた方は先入観に基づく嫌悪にばかり注目して、問題の根を取り違えている。
気味悪がって疎外する前に、知ろうとしてほしい。
小児性犯罪者(チャイルドマレスター)とかいう一部の終わった連中が目立てば目立つほど、日陰で身を潜めている平凡な小児性愛者が割を食わされている。本当に勘弁してもらいたいのだ。
小児性愛者に限らず例え20代にせよある一定の年齢までしか愛せないというの、人間は絶対に歳をとるのに相手が老いたら性愛の対象じゃなくなるのが、自分の欲望ありきで相手を人間扱いしてないように思えてしまう。
「成長」を別の現象に置き換えれば理解してもらえるかもしれない。たとえば「5年付き合うと恋人の性別が変わる呪い」にかかったと想像してほしい。彼女が筋肉バキバキの髭達磨になる。彼氏が小柄で声の高い女性になる。それがきっかけで別れたとして、原因は果たして相手を人間扱いしていなかったからでしょうか、という話だ。
仮に心から好きになって成長したら(学年が変わったら?)好きじゃなくなるのってどういう感情なんだろうって。「◯年生? 無理」みたいなの。
小4以下と書いたのは二次性徴の兆候がある子が少ない時期だからであって、数字そのものにこだわりはない。見た目の問題なのだ。
俺はジブリでいうと宗介やマルクルのような子に特に魅力を感じるのだが、もし宗介が実年齢15歳だったとしても別に冷めはしない。
また、同じ当事者でも、好きになる「発育度合い」にはかなり個人差がある。思春期前期にこそ惹かれる人も少なくない印象だ。
性欲はあるが、並外れて強いわけではないと思う。私はあなた方と同様に自分を律せるので、実在児童を襲うことはない。
だけど性欲をゼロにもできない。だからせめて代替手段を奪わないでくれと繰り返しているのだ。なにも大手を振って通りを歩かせろというのではない。
自分でもわからない。根っからのペドが偶然被害に遭っただけかもしれないし。
純粋に、小児性愛であるという自覚をどう持ったかが知りたい。可愛いと感じる気持ちと性欲がどこでどう結びついたのか、そこにしか性欲が湧かないと自覚したのはいつなのかが気になる
本格的に目覚めた時期は中学生ぐらいだったが、それ以前から年下が好きなことには薄々気付いていた。
きっかけはネットで小さい子のスナップ写真やイラストを見てめちゃくちゃ可愛いくて興奮したことだと思う、たぶん。それからはネットで色々なものを漁った。
当時は規制が緩く、幼児も出演しているイメージビデオのシリーズ(※1)(※2)(※3)が普通に転がっていたりして、それを観る頃にはもうはっきりと「小さい子が好きだ」と自覚していた。
奇妙な話だが、私は児童そのものに惹かれると同時に、自分が児童になりたい気持ちが常にどこかにある。子供が可愛くて、もう自分がこれになってしまいたい。
小4ぐらいになって性的なことをしたいし、されたい。
なぜかこの願望は性虐待の記憶に干渉せず、虐待者への憎しみからは独立している。
※1 コンテンツが小児性愛を助長したという話ではない。遅かれ早かれ、どのみち私はこうなっていた。
※2 当記事は児童が出演する性的コンテンツを肯定するものではない。時代が時代だし私も幼かった。
※3 わかる人にはすぐわかるだろうがコメントに書かないように。
特に男性は肉欲と愛欲の距離が密接だから混同しがちだけど、誰かを愛してたり愛されたいんじゃなくて、一方的な欲望の捌け口にしているようにしているように見えるんだが…。異性愛でも同性愛でもそれはだめだよね?
愛し愛される関係には憧れる。しかしどうアプローチしたって、パワーバランスが極端に偏っている限り健全な関係は築けないし、相手の将来を思うと可哀想だ。だから何も望むべきではないと考えている。
口約束のみの交際なら、成長を待つまでもなく子供の気が変わって終わるだろう(※4)。
「シコるオカズが入手できない」ことを「生きるのが辛い」とまで言うのが理解できない。少なくとも、「パートナーとの関係を社会的に認めてもらえない」というLBGTの人の苦しみと同列に語れるものではないと思う。
「パートナーとの関係を社会的に認めてもらえないどころか、パートナーを作ることすら不可能でシコるオカズまでボコられる」という悩みはLGBTとは同列に語れないよな、確かに。
ゲイかつペドフィルかつ小児性被害経験者の俺としては、「ゲイはいいけどペドはダメ」という言説のあまりの多さに、己が分裂していくような思いがしますね。あーはいはい死ねばいいんでしょ、ぐらいの自棄さえ。
共感する。このコメントを読めただけで前回の増田を書いてよかったと思えた。
欧米なら2次表現も単純所持で刑事罰だったような?そういう意味では日本は大分恵まれてる?と思うが、何が生きるのは辛いんだろうか?
“欧米なら2次表現も単純所持で刑事罰だったような?”これが怖い。いつか欧米に右倣えで日本がそうなるかもしれないという不安が拭えない。
アスミカケルを電子版ジャンプのバックナンバーにて読む。概ね1p毎に気付いた事などを書いていく。
とりあえずざっくりカラーの1p目(ジャンプ本誌3p目)。最初の「痛いのは嫌いだ」「苦しいのも嫌いだ」「強いから何だってんだ何の意味がある」「怖い…なのにどうして…」「戦わずにはいられない…!!」
この部分で恐らく作品テーマを開示している。要するに、不快さやデメリットを抱えると分かっていても「人が戦う理由は何か」が主題であると思われる。そのため、最初の掴みとして「殴られたり極められる人」を描き、「それでもなお血の滴る道を進む」という事を示唆している。
どうも火ノ丸相撲の人が描いてる漫画であるらしい。火ノ丸相撲もそうだが、格闘漫画それ自体が自分にとっては基本的に相性が良くない。ただし、これはリアルに起因するものなので無視しても良い。表紙については前述のページと同じく、一部を除いた全員が前方向を向く事で戦いにポジティブな要素を示唆しているものと思われる。
次。ジャンプ本誌26pより本編開始。ここで何気なくだが、やや不自然に明日見家の全員をネームプレートに示している。これは古くは沼駿先生の「左門くんはサモナー」に於いても使われた手法だが、「左門くんはサモナー」の場合は特定の意図を持って何度も示されている事に注意したい。ここでは現状、明日見家の全員を紹介する以上の意図は汲み取れない。
家長である祖父の獏は覇気がなく、物忘れ気味な事が示唆されている。また、リフォームをした事および、その前に配偶者(祖母)を亡くしている事も先のネームプレートから汲み取れることが分かる。ただし現状、そこまで読む必要はない。次のページでは息子たる和虎をリフォーム後に亡くしている事が分かる。恐らく獏はリフォーム後に忘れ癖が出ているものとも考えられる。
ここで出ている長女と次女らしき人物は羚と三羽か?最初は二兎だと思ったが、二兎が主人公であると思しき少年であった。兄は一狼。二狼でなくてよかった(良くない)。名前の由来は原則として動物に由来するものと考えられるが、祖父が夢を食べると言われる獏なのは意図してのことか。であるとするなら、他の名前にも意図があると考えて良いだろう。次。
二兎が一般的より冴えない、やや怖がりの高校生として描かれている。ここで最初のページに示されている恐いという部分が示されているため、キャラ付けとしては重要だが、演出として主人公への広い共感を呼ぶという感じはしない。次。
そこで友人が守ってくれたり、格闘技の道について示される。友人が最初は強い(主人公を護る勇気を示す)という点では鵺の陰陽師と同じくしているが、鵺の陰陽師よりは凡庸とした見せ方ではある。逆に言えば奇を衒っていないという事でもあるので、まあ王道と言えるが、王道なりの見せ方として絵力による演出がもう少し欲しいというのは読者として欲張りだろうか。次。
そこで主人公が機転を利かせて窮地を脱するという形でキャラを示す。これも基本的には読者に共感というよりは離れていく方向の形だが、前述の「怖くても戦う」という部分を見せるためにはギャップを作る必要が出てくる。しかし昨今の読者は言うなればせっかちなので、私も例に漏れず「ここで主人公が魅せる部分だろう」という感覚がある。
引き続き、格闘技への道を示すシーンが続く。ここでも主人公はひたすらに怖さを出す。しかしキャラ付けとして一貫しているといえば一貫しているが、ややくどさも出てくる。怖さばかりをピックアップするので、恐らく意図しての事だろうと思われるが、やや強すぎるのではないかとも思う。次。
まだ主人公の弱音は続くが、ここで漸く主人公の資質を見せるシーンが出る。ただしあくまで受け身である。これもスマートに避けるとかでなく受け身なのは、やはり痛みなどを受けるという部分が思想としてあるのだろう。その上でダメージ・コントロール技術としての受け身を出すのは理には適っているが、インパクトとしては地味だ。次。
主人公が最初に示した好みのヒロインを出すページ。ここでも格闘技。これで格闘漫画じゃなかったら何なのかとなる格闘押し。もう少し展開が早くても良い。体幹の概念を出すが、ここで問題は「体幹とは何か?」というのを主人公が知っている事。逆にいうと、ここで体幹について知らない読者に「体幹とは?」と疑問を持たせる効果はあるだろうが、やや濃ゆい。
そしてヒロインの置かれている立ち位置も出しつつ、先程に書いたMMAを出す。しかし主人公が覚えていない。作中時間が経っているのは分かるが、読者としては一瞬なので「…「MMA」って何だっけ…?」は、ややくどい気もする。が、このくどさは恐らく想定する読者層によるのだろう。要は、流れで適当に読んでる読者に向けて思い出させる効果を狙うものと考えられる。そして再びの一狼。次。
物忘れ気味な「じいちゃん」によるMMAの解説と、かつ祖父のギャップ提示。これにより確実なまでに明日見家が武術一家である事を示している。わざわざ道場を別個に建ててるのだから当然そうなる。しかし、そう汲み取れない、つまり格闘系の文脈に疎い読者には「急に謎の道場が!?」となりかねないコンテクストありきの部分なので、やや不親切か?次。
再び「じいちゃん」(獏)の物忘れと、残りの家族や更に家庭環境を明示。(羚以外)。手帳が重要なものだとも示す。次。
ようやく羚の名前が出る。個々の負い目を提示するシーン。回想に入る。次。
過去回想。まあ家庭環境という感じだ。再びの不穏さを提示しながら次。
イジりからイジメに。まあ主人公の情けなさを散々に提示しているのだが、それと対象的に友人とヒロインの格が上がる。次。
ヒロインの戦闘能力に対し、再び主人公の能力を示すシーン。基本的に技を受ける事が前提で話が進んでいく。ひたすらテーマに沿わせようとする意地は分かるが、ここまでくどいと自分としては結構と気になる。
ここで舞台装置だった不良についてはスルーされ、ヒロインの家がMMAなり格闘技関係の事務である事を示唆しながら次に。
MMAジムとヒロインの目的・目標開示。一応、不良にも逃げたというフォローが入る。ヒロインが主人公を見定めている事も暗に示唆しつつ、友人が前進。次。
兎にも角にも主人公の人柄を示しまくる。リアルでなら良いが、漫画なのでくどく感じる。説明は少なすぎても多すぎても良くないが、サラッと流して欲しいのが個人的な感覚。
戦うヒロインなので眼鏡を取るのは当たり前だが主人公が割りと欲求に素直である事も同時に示される。格闘技の説明が入ったため、とりあえず一旦ここから暫くは感想を書きながらでなく流し読みで良いと判断。
どうでもよいが、遠目にヒロインを見るとシルエットだけならワールドトリガーの宇佐美栞に似ている事に気付く。閑話休題。これらの説明類は、大なり小なり格闘技に対して事前知識があるか、興味が無いと頭に入らないのではないかと思う。
主人公の体験パート。「当て勘」など格闘技のワードが続く。この場合は「距離感や位置関係の把握など、空間把握と自身の身体把握ないし操作とがズレている」と考えれば良いが、兎にも角にも主人公の魅力が地味かつ描かれないのが続く。1話も中盤に差し掛かるが、これで大丈夫なのだろうか。次。
フォローとばかり「明日見」の武術について示唆しつつ、また回想と次ページで不穏な事が起きますよというコマを使う。濫用では?次。
不良の顔も三度まで。次。
ここで漸く主人公が「強さ」を示す。
まあ一線を超えるまで強さを示さないというのも良いのだが、良くも悪くもリアルの人間という感じで創作物としては何とも。
ワンピースの1話で言うならシャンクスが酒をぶっかけられるくらいのラフさと、銃を抜いてからの豹変という所に、ここまでページをかけるのか……という感想が強い。
良く言えば丁寧ではある。そして主人公が武術を活躍するのを示唆して次に。逆にいうと、こういう「丁寧だけど驚きが無い」というのが強い特徴に感じる。火ノ丸相撲は本誌かつ序盤しか読んでいないので記憶が薄いのだが、こういう作風なのだろうか?次。
戦闘シーン。組んで、回転させて壁に衝突させ、足を抜いて相手の力を利用して投げ飛ばす。簡単に言えばこれだけなのだが、こういう限られた空間でのストリートファイトは少しコマ割りと構図に工夫をして分かりやすくしていくと有り難いか。
あと「殺れ」はガチの古武術としての教えなら分からなくもないが、MMAメインなのと主人公のキャラには合わない。ここは「躊躇うな」とか「そのための備えをしろ」だけで止めても良いとは思う。次。
ここも戦闘シーンだが、やはり武闘経験がある前提での描写が目立つ。別に理として間違った事は書いてないし描いていないのだろうが……
こういう部分が多いのは、アスミカケル自体が格闘技経験者に向けた漫画なのだとして割り切った方が良いだろう。次。
組技系の格闘家としての主人公披露。当て勘のなさや受け身など攻撃を受ける前提の描写に納得はいくが、絵的に不良のほうが目立ってしまう演出。
ここは思い切って主人公を目立つよう分かりやすく上に描いても問題は無かったと思うが、何かしらの意図があるのだろうか。よく分からない。編集者が気付かない訳がないので、まあ何かしらの演出なのだろう。次。
ヒロインによる制止と事態の収束、および疑義の投げかけと解説。ここも最後のコマは示唆。……「丁寧といえば丁寧」。次。
最終的に格闘技について前向きにはなるという所で終了。
総評……非常に申し訳ないのだが、主人公が言うなれば「極力リスクを負わずに良い所だけ取っていく」という印象が強い。50点のために、解ける問題を解かないというのが事態を悪化させているまである。そこまで考えていないといえばそこまでだが、どちらにせよお調子者という感じで自分には理解し難い。
また、話運びや演出等については丁寧で王道チックだが、それ故に意外性が低く、かつ格闘技関連の説明や描写などが読者の格闘技についての知識や想像力に依存しているため、一話で読者をもぎとるには少し弱いところがあるのではと思わなくもない。それをスルーさせるだけの演出力がもう少し欲しいように思わなくもない。
どちからといえば(古い)マガジンとかチャンピオン向けの話を、あえてジャンプでやってる……という感覚が強く、火ノ丸相撲のように「相撲について分からない人でも付いていける」力があるかと言われると、少し怪しいところがあるのではないかと感じた……個人的な感覚だが、まあ格闘技経験者なら考えずに読めば気にならないのかもしれない。
主人公以外のキャラクターについては、良くも悪くも魅力的かというと何とも言い難い。ヒロイン自体は良い感じに読者を引っ張ってこれそうなキャラをしているが、同時に少しキワモノさも併せ持つ。こういったニッチだったり少々リアルな性格的要素を持ったキャラを扱う場合、週刊少年誌というより青年誌や月刊誌向きなのかもしれない感じはある。
概ねそんなところか。次話以降については、また時間のある時に読んで感想を書くかもしれないし、書かないかもしれない。ひとまず終了。
今日は注射薬が効きすぎてだるいので勉強はしませんでした...
フォロワー数2万のTwitterアカウントを買って、blueにも登録しましたが、ツイート一回あたりのインプレッションはフォロワー0人のアカウントと変わりませんでした。
何か有益なコンテンツを作ってチヤホヤされたいのですが、私の発言は地味なので誰かに注目されることはありません。
Youtubeで発信しようとも考えているのですが、私の性格だと途中で馬鹿らしくなって辞めてしまうような気がするのです。
というのも私が過去に自然言語処理のブログを書いていた時はそれなりのアクセスを獲得しましたが、一部の人から「ネット上にゴミを増やすな」などと言われているような被害妄想に陥って辞めてしまったのです。
「Youtuberになりたい」という欲求は、夢に出てきたことさえあります。しかし、本当に高品質のコンテンツを作るために意識的な努力をしなければやっても無意味です。
コンテンツの質について自信が持てるようになるためには、それだけの時間・金をかける必要があると思います。
アテンションの獲得のために熾烈な競争をしている社会で、私ごときが発信する物事には何の価値も見出されないでしょう。
それともアクセス数やサブスクライバ数など気にせず、自己満足の世界で発信し続ければ良いでしょうか。
おそらく、私は身近に家族や友人がいることにもっと感謝するべきでしょう。大切な人がいるなら、インターネット上の関係やちやほやされることなど、どうでもいいことのはずです。
伝えたいという欲求がないので伝えません
ごめん適当に書いてた「長期的な影響や波及効果の話を含めて必ずメリットになる」って話じゃなくて「取引ではお互いに欲しい物を得てる」って意味だよってこと。
個人同士の関係でも、仕事の協力でも国際間の協力でも、お互いの「欲求や要望」が「納得できるコストの支払い」によって満たされてるわけ。
その後、離婚した。
離婚を言い出したのは元夫で、私はそれでも大好きな人と結婚したつもりでいたので何とかしたかった。夫の言い分はいろいろあって、夫も間違っていないというか、夫は夫で理想とは違うつらい結婚生活だったと思う。
夫には申し訳なかったとも思う。彼もそうするしかなかったんだと思う、が、離婚するまでの様々な一連は本当に信じられなかったし恐ろしかった。今でも思い出すと冷や汗が出て歩けなくなる瞬間がある。
元夫とは2年半?3年?くらい付き合って結婚したが、その大半がうっすらとレスだった。
夫は物理的な充填に2週間かかったし、精神的な充填にはもっと要した、というか、性欲がおそらく薄い人だった。その上結婚生活で私への愛を失ったのだからする気が起きるわけはなくて、ただわたしはスキンシップが好きだし、セックスも好きだったし、何より夫が好きだったので、ずっと悲しかった。夫は私を女性として見れないんだと悲しむ時間も、見られないと言われたあとも、ずっと悲しかった。
たまにある、夫が酔ったゆえに行われるセックスは、わたしが従事し、私が上になり、最後の最後だけ夫が上になり、で終わるものだった。抱かれている気も抱いている気もしなかった。
私は小さなプライドを満たし、霞みたいな少しの愛情を感じるための時間で、後から虚しく悲しくなった。夫はおそらくだが、本当に一人でしたりもしていなかった。
もっと愛に溢れたセックスをしていた時期も、最初の方とか、時々とか、はしていたはずだけど、もう何も思い出せないことに今、驚いている。
彼氏は経験が豊富でなく、女性に従事(比喩)されたのが初めてという彼だった(それも安心できた。)
これまで、彼はあまり性欲が強いという自覚はなかったらしい。が……学生時代から元夫と交際し、主に夫しか知らないわたしには驚くことばかりが起きていた。
巷に聞く男性の性欲のうんちゃら〜は全部神話だと思っていたのでめちゃくちゃ驚いている。
驚いたことを少しだけ書く。
我慢できなくなっちゃった、お願いご飯の前にしたい、とか本当にある。我慢できなくなっちゃったって言う人本当にいるんだ、と思った。
1回泊まると、夜に2回、朝に1回、がデフォルト。泊まって夕方まで一緒にいる日は嘘じゃなく6回くらいしている。
前述したが、元夫は充填にきっかり2週間かかる人だったので、今の彼と所謂2回戦があったときは本当にびっくりした。
男の人は1度出した後、またしたくなるまで(精神的にも身体的にも)2週間かかるものなんだと長い間思っていた、もちろん個人差があるのは知っていたけど、ほんとにそうじゃない人がいるんだ、ってかんじ。
夫との1ヶ月の回数を1泊で余裕で超えてくるやん???
というわけで回数問題には本当に本当にずっとびっくりしている。付き合ってまだ3ヶ月と少しくらいなのでハネムーン期間というやつなのかもしれないけど。
正直ここまでで夫との結婚生活3年半の総回数を超えてると思う。
あとは今の彼はめちゃくちゃ体や顔を褒めてくれる。元夫はコスプレセックスや着衣が好きだった、というか、何とか興奮を維持するために私にそれを着させてセックスを執り行っていた。(今思えば夫は服とセックスしていて、着ているのが私でなくてもよかったんだと思う)
着ている服や下着を褒めてくれることはあったけど、体や顔を褒めてもらったことはなかったので、それがこんなに嬉しいと思わなかった。
事実可愛いのかというと、顔は確かに平均より1点上くらいの顔かもしれないと思うけど、体は本当に特に自信はなく下半身デブで貧乳。でも、かわいい綺麗エロいって言ってくれるのはうれしい。言語化が苦手な彼が口に出してくれるっていうのも嬉しいのかも。
受け止められる私もすごいと思うけど、なんていうか痛いとか、辛いとか、そういうのが全然なくて、ずっとわーーっっと愛情を浴びせられてる感じがして、なんだかちゃんと応えられる。
夫といた時は、人間は好きな人とセックスしなくても平気になっていくものなんだ、と思っていたのに。
わたしは、体にベタベタ触ったり、抱きついたり、キスしたりするほうなのだが、これまで夫との関係でそれが何かのトリガーになったりすることはなかった。なのでとても驚いたのだが、それは彼にとっては次へのトリガーになってしまうらしい。だから2回目、3回目、、と重なってしまう、というのが彼の主張。
自分が何回もできるタイプだって知らなかったのは、体にみずから触ったら近づいたりする人がいなかったからだと主張していた。ほんとか?
なんか自分が近づくだけで自分に対して欲求を抱いてくれる人がいるのかと思って本当に本当に驚いていて、しかも週に2回くらい会っているけど、私と会っていない日には自分でしたりしてるらしい。すごい。初めて聞いたときは本当に驚いてしまった。
月に2回くらい遠出したり、週半ばで会って外でデートしたりもしてるし、とても大切にしてくれていると普段から感じられるので、今はそれなりにとても幸せ。
何が言いたいかというと、私は男性にとって女性的価値がないんだなと信じていた時間、年齢でそういうのは衰えるものなんだよって言葉を信じていた時間、私のせいでできないって言うのを信じていた時間、男の人はとてもデリケートな生き物なんだ、だからセックスレスを気にしてる素振りなんかしちゃダメなんだ、って悩んだり信じたり悲しんでたりした時間は全く無駄だったんだなって、幻想から解放されてよかったって、彼に愛されて今は心の底から思っている。
※9/30 追記
みなさんブコメや反応でコメントありがとうございます。はてな匿名ダイアリーでこんなに「幸せそうで良かった」という類いの言葉をかけてもらえるとはあまり想像していなかったのでとても嬉しかったです。みんなの幸せを私も祈ってます。
結婚したり付き合いが長くなっていったりすると性欲も性格も考え方も変わってしまうことは重々分かっているし経験もしたつもりだけれど、忠告してくださった皆様も、ありがとう。
元夫だけが酷かったわけはもちろんないしそうも思ってはいなくて、私も酷いことをしたから離婚しました。元夫は元来きっととても優しい人でした。元夫には、私が今後一切与り知らないところで、健康でいて幸せになって欲しいと思っています。
これちょっと違うんだよな
ストレスへの対処とかいう抽象的な話じゃなくてマジで言ってる事がおかしい奴が沢山いるので
これ見よがしに恨み言のように公務員が激ヤバ市民の言動を書き連ねてることがある
しかもそのツケは公務員じゃなくて、人件費(税金)を国民が払うものなので、安定とトレードではないし、そんな軽い話ではない
これも違う
あんまピンとこない分類だな
こういうのもあるんじゃないか
知能が高いのに知能が低い人間にヘコヘコしなければならないストレスに対処するため見下しているパターン
底辺相手に客商売してる人間や無能上司の知能が低いなどのケースが考えられる
公務員は安定とストレスのトレードオフだから一生ヘコヘコしててくれ
知能が低いため動物的本能で相手にマウントしたいという欲求が社会性を上回っているパターン
他人に敬意を持って接することで社会を円滑に回すというような高級な思考ができず
何度でも言うけど勝手な読み間違いした上で、飛躍して下方婚増田みたいな主張するゴミとコミュニケーションとる理由がないの。
マトモにコミュニケーション取ってもらいたいなら、マトモなコミュニケーションを自分から始めないといけないってだけ。
「読み間違いして、その上飛躍した主張するけどマトモに対応してほしい」なら金払ってホストなりキャバクラやガールズバーに行けばいいよ。
すべてはSNSとrecsysが原因とワイは思っとる
SNSのrecsysは「人が欲しい物を出す」んじゃなく、「注意を惹くものを出す」ようになっとるので、イイネを増やしたいという人間の欲求と混ざると、社会が怒り(注意を惹くコンテンツ)を増幅するように学習してしまうで