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はてなキーワード: 自覚的とは

2018-01-20

〇〇差別

「〇〇は嫌いだ」と表明するのは自由だ。

しかし「〇〇って皆こうだよね」「〇〇は叩かれても仕方ない」「こいつ〇〇な時点で…」「〇〇の発言は聞くに値しない」「〇〇全員消えて欲しい」等はもはや差別である

「〇〇」である人間の中にも、多様な人間存在している。我々が観測できる人間は、その内の極一部でしかない。

自分は〇〇の大多数を観測できているという思い上がりが、差別を生むのだ。

自覚的/無自覚的に差別的感情を有している者は、早くそれに気付くべきである

~~~~~~~~~~~~~

〇〇の中に君の嫌いな《属性》をあてはめて

差別的感情がないか確認してみよう!

★例★

女 男 右翼 左翼 中卒 高卒 未婚者 既婚者 同性愛者 

中国人 韓国人 東北人 関東人 関西人 九州

無職 フリーター 主婦 ブルーカラー 生活保護受給者

アニオタ 腐女子 ジャニオタ 鉄オタ

阪神ファン 巨人ファン サッカーサポーター 

軽自動車乗り プリウス乗り iPhoneユーザー Androidユーザー 

はてなー

2018-01-18

トイアンナさんを叩くなっていってる人は文章読めないのかな

http://b.hatena.ne.jp/entry/toianna.hatenablog.com/entry/2018/01/17/173000

文章中でいろんなものを傷つける表現してるだろ。それについてはスルーかよ。その辺りを、彼女は傷ついているのだから大目に見てやれ、みたいに仲間感覚物差し笑歪めるようなことやるなよ。

それはあちゅうの時の無能なとりま汚さやってること同じ。トイアンナさん擁護してるやつら、いつものミサンドリー連中ばっかりでお察しなわけだがな。自分らが気に入らないものをすぐミソジニー呼ばわりしてくる基地外ども。

お前らがバカでかつ意見が偏ってるのはまだ許容できるが、お前らも叩きブコメしてる人たちに対して叩くな、だけじゃなくて口汚い罵りの言葉を載せてるのだけど自覚できてるのかい?ってとこなんだよ。そこすっとぼけてるのは許しがたいよなあ

その辺りが無自覚なのか自覚的ものなのかは知らんけどな。自分が言ってることについて相手がムカついてるのかも知れないって可能性を想像することができないやつは男女問わずゴミだぞ

2018-01-10

パチンコ利用は悪であるという観点が足りない

http://plagmaticjam.hatenablog.com/entry/2018/01/09/202659


個人的に「パチンカス」に近い感じの言葉だと思うのは「珍走団」です。

共通点人工的に出来た蔑称という点。


珍走団」はご存知の通り暴走族蔑称ですが、「『暴走族』ではなくもっとかっこ悪い呼び方で呼んだ方がいい」という自覚的提唱の下に作られました。何故そんな提唱があったかと言うと、暴走族をかっこいいものとして賞美するコンテンツメディアがあったからです。

違法であり危険であり多大な迷惑行為に過ぎず参加者にも悪影響しかない(暴走族暴力団リクルート畑になっていた)暴走族を賞美する勢力があったので、その対抗策として蔑称創造したのでした。


パチンカス」も同じです。「パチンコ愛好者はかっこ悪い呼び方で呼んだ方がいい」という意図の元に作られた蔑称です。パチンコについても「健全文化的遊戯」などと欺瞞的な賞美をする勢力資本メディアがあったからです。

ギャンブルには元々他のことを忘れてのめりこませて生活すら破壊する性質がありますが、ましてパチンコスロット生理的な反応と射幸心を操り中毒のように機械の前に座り続けさせるように研究・開発されている悪質な産業です。


発端となった「生活保護を抜け出したい」というブログ自称メンヘラ無職31歳氏も20代の頃にパチンコスロットにはまって心身がボロボロになった末に300万円の借金を背負い家族からまれ生活保護受給者に落ちたという経歴を語っています

彼の思考はかなり他罰的で自身を取り巻くさまざまなもの非難家族のことも憎む一方でパチンコスロットには非難を向けません。未だに生活保護受給者にもパチンコぐらいは認めてあげて欲しい」などと言っています客観的にどう見たって彼の転落の主因はパチンコ産業の様々な悪にあるにもかかわらず、です。


パチンコは巨大資本による美化・自己正当化・賞美を繰り返す悪質な産業であり、その餌食になった被害者達までその問題に向き合えず、パチンコ中毒自分批判することがで傷、健康的で文化的な最低限の生活」の娯楽にパチンコが入るなどという妄言を繰り返しているのです。

そのような美化と糊塗に対抗するために「パチンカス」という蔑称が作られています。「いじめ、かっこわるい」のスローガンとかわりません。まず自分がやってるのはかっこわるいこと、自分自身を害するうえに親しい周囲にも迷惑をかけ悲しませる行為であることを自覚してもらう。そのために「パチンカス」というのです。

生活保護映画飲食ゲーム読書を楽しむのはよいことです。存分にやればいい。しかパチンコを打つ権利などありません。


覚醒剤愛好者は断じてかっこいい呼び方など認めず「シャブ中」「ポン中」と呼ぶべきなのと一緒です。落ちるところまで落ちたポン中からこそ更生が始まるのではないですか。かっこいいんだ、そのままでいいんだ、と許す風潮があれば深みにはまる一方です。(大麻文化を見ればわかる)

中毒から抜け出そうとする人を社会から排除せず支援すべきです。しか自己肯定しようとする中毒者のことは断じてパチンカス」「ポン中」でよいのです。

2018-01-04

anond:20180104162140

彼等はそこまで狡猾でも自覚的でもない

もっとボーっとした馬鹿なんだよマジで

2017-12-31

anond:20171231144524

腹が減ることはわかっているので事前に作っておく

自覚的に腹が減ってからでは遅いことを理解してるならなおさら

2017-12-27

anond:20171227143731

なるほど拒否ったら引きずるのは厭だな。

男の欲求通して相手押さえ込みがちなのはもっと自覚的になった方がいいんだろうなと少し自戒する。

2017-12-25

Buzzfeedにはガッカリさせられた

はあちゅうさんの件、正直彼女が岸ナントカから受けた仕打ちはひでー話だと思うよ。で、それとは別の問題として彼女やその周辺が「童貞」という言葉をあまり慎重さもなく濫用してたのもフツーにダメだと思うわ。

だけどそれ以上に、Buzzfeedというウェブメディアにはガッカリさせられた。

記者出身書き手もたくさんいて、ちゃんと記事が書けて、アカデミック裏付けもあって、調査報道もできて、かといって既存新聞社みたいに問題設定がズレているわけでもなく、ネット時代に合わせた論点設定ができる、良質なウェブメディアなのかと思っていた。

でも、はあちゅう記事の後に出したフォローアップ記事。これがなぁ。

はあちゅうと #metoo への批判 ハラスメント社会を変えるために共感を広げるには

https://www.buzzfeed.com/jp/daisukefuruta/metoo-and-howwecan

一読して、自己弁護匂いが立ち込めている文章だと思った。

いや、はあちゅうさんの一件って、「同じ人間被害者にもなれば加害者にもなりうる。大事なのは学ぶことだ」ってことでしょ。でも、そのことを本人や報じたメディアが実演することよりも、結局自己弁護大事なんだな……という感想しか持てなかった。

結局この騒動で一番得したのは誰かって、超大量のPVを叩き出したBuzzfeedに他ならないわけじゃん。いや、ウェブメディアなんだからPV獲得はマジ大事商売なんだから社員食わせてコントリビューターに謝礼払わないといけないんだからPV追求して当たり前、ちょっとタイアップっぽい記事上げるのも百歩譲ってしゃーないと思うわ。

でも、この自己弁護記事には溜息出た。

「「はあちゅうさんの出版タイミングと合わせたマーケティング」という批判があるが、完全な誤りだ。数ヶ月に渡る取材をし、記事をだすタイミングこちらが選べるものではなかった。」

うん、嘘くさい。こういうことはいちいち自己弁護しないで胸の内にしまっとけばいいのに。結果として完璧タイミング合ってるんだから、そんな言い訳通用しないよ。「マーケティングだと思われてもしゃーない」ぐらいの割り切りがあったらまだ理解できたのに、追撃記事自己弁護だもんなぁ。

問題構造をより深くかつ俯瞰的分析してくれるメディアだと思ったんだけどな。結局、中川淳一郎みたいに広告業界構造的な問題として分析する視点Buzzfeedにはないわけ。

いや、これ前にも似たようなこと思ったんだわ。たとえばこの記事

「カタコト感がかわいい海老蔵さんもメロメロ 元大関琴欧洲、癒やしのブログ秘密

https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/kotooshu-naruto

いや、記事の内容自体はいいのよ。でも、このタイミング。なんつーかさ、「日馬富士暴力問題相撲界が殺伐としてるけど、琴欧州ほっこり癒されよう」っていうメッセージを感じるわけ。いやまあ、それでいいんだよ。いいんだけど……結局、「PVが取れそう」な表面的なところをなぞるだけで、琴欧洲が感じた理不尽の内容とかを深く聞き取ろうという気が結局ない。暴力事件簡単に起こしてしま角界構造的な問題理解しようという姿勢がない。角界伝統に潜む問題とかは、内館牧子新書一冊読めばなんとなくわかるじゃん。でも結局、アスリートの深くまでに入って理解しようというより、スターの表面的な「かわいさ」にフォーカスしてるだけになっている。

もっとイチャモンつけるなら、「ひらがなからかわいい」っていうのもオリエンタリズム一種だよ? まあそれは元琴欧州鳴門親方)本人も自覚的にやっているからいいんだろうけど、それは本人が、日本人から外国人差別的な視線を甘んじて受け入れてるってことだし、メディアが乗っかるのだって慎重さが必要だと思う。Buzzfeedみたいなポリコレ気にする媒体ならなおさら

長く書きすぎてしまった。ちょっとまとめると、はあちゅうさんの一件でよくわかったのは、テレビ局とかが萎縮しまくってる「ポリコレ」を、商売にできちゃうのがBuzzfeedという媒体の強みだってことだな。別にポリコレ自体はいいんだけど、それを過剰にバズらせて商売にしてしまう、こういうバイラルメディア姿勢もっとガンガン批判されるべきだと思う。

あとは、ポリコレ別に無敵の棍棒ではない。最初リンク張った記事は「我こそは正義」っていう主張の感が強いけど、結局誰でも間違うわけでしょ。「誰でも間違うし、その間違いから学び合おう」ってことならわかるけど、「我こそは正義であるーーー!」って自己弁護を積み重ねるのは全然ポリコレじゃないと思う。

2017-12-22

anond:20171222210551

昔、爆笑問題太田が、さんまとたけしに。

「僕は無自覚に人を傷つける人が許せないんです」と言い。

それに対しさんまが「たけしさんなんて、奥さんどんだけ傷つけてるか!おまえ!」と言い、

ちょっとおま」とたけしが言いかけたのを遮るように太田が「いや僕は無自覚な人が許せないんです。たけしさんの場合相手が傷つくとわかっててやっている」

「えらい」とたけしが言う非常に身勝手な会話があったんだけど。

僕はこの会話を妙に気に入っていて、今、この瞬間にこれを思い出したんだけど。

はあちゅうはいろんな事に無自覚で、さら自覚的になる気もさらさらないんだなと日頃の所作から感じさせるから、嫌われるんじゃない?

僕は是非、彼女セクハラ研究者や、哲学者詩人などと、彼女が今置かれている状況について対談させる企画

編集者は立てるべきなのにと思っている。彼女は今、童貞差別という透明な存在だったもの言語化されていく中心にいるんだ。

なぜ、それを記録に残さないのか。

2017-12-19

anond:20171218175652

レスだけど読んだ。すごい上手に言語化されてるな。なんかスッキリしたわ。

小島慶子テレビで見たとき、ワザとらしくお笑い芸人に甘える感じがキモくて嫌いだったんだけど自覚的にやってんのかな。それとも染み付いてるのか。

2017-12-13

anond:20171213153618

ありがとう

否定することが目的ではないから、その場で自覚的になるのが難しいのだと思う。否定的なことを言うのは、相手が言ったことに対して自分の考えを言おうとしていて、すでに言われていることと同じだったら言わない、というプロセスを踏んでるからかなと思う。

あと、あえて最初肯定的なことをいうのは、その後にいうことと矛盾がないようにするのが難しそうだなと思う。

元増田みたいな人は頭の回転が速くてこういうことを瞬時に無意識にできるってわけじゃないよね。何か根本的に違うんだよねきっと

2017-12-06

anond:20171121211414

自分はこの夫側の人間かなと思う。

タスク」「ボトルネック」と言った言葉には、それ自体として悪い意味はない。「難しい」「耐えるしかない」についてはネガティブ意味合いが感じられるが、この文脈であれば育児に関して悪い感情を含んでいるわけではないことがわかる。

世の中にはあらゆる言葉を「いい言葉」と「悪い言葉」に分類する人がいて、多分増田はそっちのタイプだろう。

何の気なしに使った言葉が「悪い言葉」に当てはまってしまったせいで、このような感情的レスポンスを得る結果になることが度々ある。

自戒を込めるとともに、増田にはこのバイアス自覚的になってもらいたいと思う。

2017-11-19

anond:20171119090330

そう

こっちも人間からゴキブリみたいに好き勝手に殺せないという点で守られているけど

その分向こうも進化して狡猾にやるようになってきてるってことだね

自分たち文化自覚的に守るって意識を持った人間もっとオタクから出てこないとやばそうだけど今後どうなるかねえ

2017-11-11

恋人テンテンテンというお歌の話

アイマスの話になるまで長いけど、アイマスの話するのでアイマスブクマカ各位はブクマして「あとで読む」つけといてください。和久井さん、愛海、ユッコは出ないので、サービス登録者の3人へ通知は飛ばしません。え? あのサービス公式のことだけを通知しろって? はいはい、わかりましたよ、まあなにが公式かは俺が決めるから覚悟しとけよ、突然ウソマスで大量に投下された動画にもサービス通知飛ばすかもだぞ、ツイッターアイコン配布は通知してないことも考慮しろ

で、恋人テンテンテンの話だけど

今日トイレには行きますか? いえ、やだ、とんでもない」

という歌詞があって、

これはアイドルに聞かれがちな質問に対して、もどかしく答えるというお歌なので

今日も(また)『トイレには行きますか?』(と聞かれた。アイドルらしくはぐらかすために)いえ、やだ、とんでもない」

という意味

「『今日トイレには行きますか?』(人間毎日排泄することを知らない変な人に恐怖して)いえ、やだ、とんでもない」

という意味ではないんですよ

ってことに、何年越しかに気づいた。

一応補足すると、キスティーという今は亡きラジオビックバン企画で作られた声優(の卵)ユニットのお歌なんだよね、たしか

今や普通に人気声優佐藤聡美が歌ってるんですよ。

ちなみに、作詞伊福部崇作曲鷲崎健というポアロの二人の曲でもあるんだよね

鷲崎さんのソロ曲に伊福部さんが歌詞提供しないのは、ポアロなっちゃうから、みたいなことを昔言ってたけど

ポアロ楽曲を作らなくなって久しいのだから、そういうのをしてくれてもいいのになあ、と最近思う

いや、スターダストボーイズで曲作るっつてんだから、そういうことするとブレるから仕方ないんだろうけども

それにしても、この曲めっちゃ良い曲だな。

いかにも伊福部作詞といった感じのメタ的な歌詞が最高。

こう、まずタイトルの「恋人テンテンテン」というのも、アイドルから恋人はいるの? と聞かれても、いないと答えないのいけないのに

恋人テンテンテン」とテンテンテンで何かを意味深に伝えようとしているんだよね。

ぶっちゃけ、これアイマス楽曲ですっていっても通じる気がするんだよな

というわけで、もしアイマスで歌うならどういうメンバーがいいか、考えてみました。

あっここからアイマスの話やで!

はてなブックマーカーのみなさん、おまたせしました!

アイマスの話ですよーーー!

アイマス

アイマス

安部菜々

輿水幸子

佐藤心

東郷あい

天ヶ瀬冬馬

いや、冬馬は中の人の嫁が元の人だからねじ込んだだけで、冗談です。

(後から読み返すと本人がいるのに、旦那さんのことをねじ込むこのネタおもしろくもなんともないぞ、まじで下調べというか僕の記憶力がダメすぎる0

安部菜々

輿水幸子

佐藤心

東郷あい

高峯のあ

こんな感じかなあ。

まず、アイドルメタるお歌なので、アイドルアイドルらしさに自覚的

菜々さんと幸子としゅがはをピックアップ

テンテンテン」の部分をこの3人は絶妙絶妙に「何か裏にあるぞ?」という感じを出せそうみたいな感じかな。

「でも本当は!」のところなんて、完全に菜々さんのお歌! って感じだよね。

あいさんとのあさんは、逆にこういう「テンテンテン」と匂わせることすらしなさそうな感じがするじゃないですか?

上3人がアイドルとして秘密を隠そうとして、バレてしまタイプなら、

下二人は全く逆で秘密があることを匂わせることもバレさせないというか完全犯罪型のようなイメージがあるんですよね

からこそ、この曲を歌って欲しいんですよ

だって二人とも人間からこういう部分も絶対あるじゃないですか、そこを表現してほしくて選びました


え?

福部さんはミリオンとか765の人なのになんでシンデレラから選ぶのかって?

……ごめん、言われてたしかにその通りだわ

その通りだけどさ、これで千早とか琴葉選んだら、またちょっと深い意味が出るじゃないですか?

ってかそうか、BGPの先輩後輩でありつつ、アイマスの先輩後輩でもあるのか、この二人

しまった、そういうつながりだと、もういっそBGP声優で埋めた方がよかったか

他に誰かいるっけ?

えーっと、照井春佳さんってデレにいるよね。


って、キスティーの今井麻夏って千枝ちゃんの中の人!!!

ごめん!!!!!

この記事、完全に下調べがなってないな!!!

ごめんなさい!!!

破綻してる、完全に破綻してる、ごめん!!!!!

ごめんというか、アイマス声優すげええな! ごめん! なんだったら、ぶっちゃけ声がついてることすらあんまり認識してなかった! すまん!


というわけで、あらためて、恋人テンテンテン〜2017〜を歌うアイマスメンバーを発表しま

如月千早

田中琴葉

櫻井桃華

佐々木千枝

多田李衣菜

これで!

最後の一人だけ、伊福部さんとの繋がりがラジオビックバンじゃなくて、ポアロ周りじゃねえか! というツッコミで成立してる? 成立してる?

成立はしないか、こんなの。

2017-10-18

anond:20171018134726

小田嶋氏はねぇ…

そうなんだよ。パソコン雑誌パソコン関連で突っ込んだ話が出来ないから(ちょっとパソコンが出来る人レベル)、脇道の話ばかりして、そこそこ人気が出た人だから、ずっとそういう脇道人生なんだよ。

でも、正面切って反自民なんていう人じゃなかったし(勿論、親でもあり得ないけど)、マスコミで主流のそういう主張を正面からではなく、脇道から突っつくような事を書くのがメインだったけど。いつごろからか、完全にこちらに舵切ってしまって、なんか別の人みたいになってしまった。主流に乗った方が仕事になったからだと思うけど。

大した事書かないし、本質的にはしょうも無いけど面白い事を自覚的に書いていた人が、しょうもない内容を大真面目に書くようになったという印象。あと似顔絵駄洒落ね。

本来持っている物は全然フェミニスティックでもリベラルでも無いと思う。

あと、町山さんね。

サブカル蛇おじさんとして変に悪名が轟いちゃったけど、田中さんが言っていた「持っている物は体育会系のノリで本来めちゃめちゃマッチョな人」っていう町山さん評は正しいと思う。

謝罪オチという、アメリカからやってきたまったく新しい概念

時代遅れの笑い」という批判もあるけど、たけしに「こんなネタは他の国なら、ただ事じゃないんだぞ」と言わせたこから企画側がポリティカリコレクトネス自覚的であることは伺われる。自覚の上で放映したという文脈から企画側はポリティカリコレクトネスに(挑戦しながらも)反する意図がないことを読み取らなければならない。

スポンサー降板もあったから局側は問答無用で、おそらく反射神経で謝罪したんだろう。しか企画意図説明を完全に封殺してなんの掘り下げもなく、謝罪して片付けてしまったのはちょっと放っておき難い。

そもそも保毛尾田保毛男というキャラクターの強烈さは、彼がセクシュアルマイノリティであるからではない。30 年経っても忘れられない強烈さの本体は、彼の「得体の知れなさ」である

当時ですら時代錯誤の、ポマードで塗り固められた髪。石橋貴明無駄に良いガタイで派手なスーツをちゃっかり着こなすところから経済力のある人物であることが仄めかされる(御曹司みたいな設定のようだ)。そして青ヒゲ男性であることを強調しつつ、話し始めるとこれが歯を見せずに上品お姉様言葉。あらゆる特徴がちぐはぐで、掴みどころがない。

さら言動から同性愛であることは明白なのに本人に問いただせば「それはただの噂ですから」と言って否定する、(視聴者は心の中で「そんな訳あるかいな」と毎度ツッコミを入れる、)というのがこのコントのヤマである

少なくとも視聴者には彼が男色であることが明示されているから、この「ただの噂」という台詞は嘘。つまり素性を明かすつもりのない人物なのだという印象を与えられるため、ますます正体不明の不気味な存在となっていく。

わたしたちはその不気味さと、しかしどうにも悪者には見えないそのチャーミングさとのギャップに可笑しさを覚えていた。この笑いの構造自体はほかのキャラクターにも代替可能もので、同性愛者の揶揄がこのコントの主旨ではなかった。

主旨ではなかったはずだが、30 年前当時にはポリコレなんて概念はなくて、制作者および視聴者の「同性愛者への無理解」がツカミとして機能していたことも確かである

偏見差別はあってならないが、一方で多様なセクシュアリティーの存在認識し、共存できることを確認する視点公共電波に課せられた同等に重要な使命ではなかろうか。その視点に座すれば 30 年前には異形扱いだった保毛尾田が、時を経て鬼瓦権蔵(←しかも他ならぬ、こんな昔気質オヤジ権化である…)に扮した業界ドン:たけしとふざけ合いながら銀座を飲み歩くなんて、むしろそれこそ現代差別のない世界に近づいていることを確認する幸福な画面だった。

ところが今回の説明のない謝罪は、あの銀座の一夜を否定し「今後、セクシュアルマイノリティには特殊配慮します。安易に画面に映しません」=転じて、テレビ局が頭を下げて「ホモを映したのはダメだった。これからはちゃんと差別します」と宣言するみたいなおかしなことになってしまっている。チャンチャン、まさにお笑いである。30 年を費やした、巨大なコントオチが局の謝罪で完成してしまった。これでよいのか。

「部室芸」という表現もあるが、芸もなく、技巧もなく、思想もない。ただ笑わせて、笑った方が強い。それがとんねるず世界観であるフジテレビ謝罪した日は、ポリコレが部室芸に殴られて「お笑い」になった日として大衆記憶に留まる。

2017-10-14

anond:20171014135752

エストニアの人もそうだし。メイさん?もそうだけど。

日本とは違うらしい外国で素晴らしい環境享受しているくせに。日本語でばっかり発信し英語公用語では殆ど発信せず、日本人に向けて石をぶつける事ばかりに熱心な人には本当に胸糞が悪い。地元の人との素敵な日常生活の話も極めて少ない。彼らは日ごろ何して暮らしているんだ?リアルが充実しているなら、クソみたいだと彼らがいう処の日本欠点なんてどうでもいい事だろう。ダンゴムシを突っつくような真似をしている人を誰が尊敬すると思うんだ?自分の事を彼らは地元友達になんて紹介しているんだ?「一日の多くの時間出身国悪口を書く事に費やしています」とでも言っているのか?そんな事恥ずかしくて言えないだろう。恥ずかしくて言えないような事を続けている事に自覚的になってほしい。

2017-09-27

オタクファンネル飛ばしたつきの悪どさ(自覚的無自覚か知らんが)がどうしても引っかかるな。カドカワ個人的にはどうでもいい。

2017-09-15

映画ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

「100点である理由」としては大きく2つ。

まず「予告編で期待される要素が全て入っている」。無垢主人公ダイアナの島での生活スティーブとの出会い、「外の世界」への出発、人間社会との交流、第一次世界大戦の泥臭い戦争描写、圧倒的な戦闘シーン、ど派手なCGバトル。主人公ダイアナの衣装替えもアマゾン戦闘服マント姿→1910年代のヴィクトリアンはいったロンドンファッション→鮮やかな青のナイトドレス神の子戦闘服と飽きさせない。

そして「アメコミ映画ありがちなダメダメ要素を極力入れないようにしてある」。とくに3点「主人公の不幸描写に力点をおいたヒーロー誕生秘話」「クリフハンガーの繰り返しによるピンチ感の陳腐化」「取ってつけたような絶対悪敵役」の排除には成功している。そういう意味では、既存作品の悪いところがよく研究されているのだ。これは簡単なことじゃない(アメコミ映画はこの3つの罠によくハマるのだ)。

要約すると、よくできている。期待通りの作品だ。

一方で「100点でしかない理由」としては「取ってつけたような批判回避策」、「人物描写の底の浅さ」だろうか。

主人公ダイアナスティーブ自分たちの定めた使命を果たすためにチームを結成して第一次対戦の最前線に向かうのだが、そのチームは「絶海の孤島で育った主人公の女戦士ダイアナ」「イギリス軍諜報部に協力中のアメリカ外征軍大尉スティーブ」の2名を中心としているのだが、それ以外の参加者が3名いる。

フランス領モロッコ諜報員サミーア(おそらくイスラム系)」「ネイティブ・アメリカン密輸業者で通称酋長」「スコットランド人の酔いどれ狙撃チャーリー」この三人なかなか個性豊かで好感がもてるにはもてるのだが、「イギリスvsドイツ塹壕戦」にたいしてイギリス陣営でこれを主人公チームにするのは、いかにもPC的な取ってつけた感があった。

それを言うと映画冒頭のアマゾン族が暮らす絶海の孤島にも、白人だけじゃなく黒人アマゾンが配置されてたりして「こんな風に色のバランス取っとけばいいよね」的なそれを感じる。

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまりは白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

総じてエンタメ作品として秀作ではあるけれど、秀作止まりというのが個人的評価である

無垢子供ダイアナ

たぶんこのPC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思う。ただ、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

重ねていうけれど、これは減点部分だという話ではなく、加点はなかったという話だ。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識も教育も倫理や人間について理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉のスティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーロー神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブは戦闘能力の関係上そこには関与することができない。しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

2017-09-04

https://anond.hatelabo.jp/20170904122721

見た目や第一印象に騙されて損することがあるよって教えればいいんじゃないの。

イケメンブサメン面接を受けて、イケメンはわざとトンチンカンなことを言ってみたりしても合格率が高かったみたいな実験もあるし。

企業面接してるような人でも、人間は見た目に騙されやすいって自覚的じゃないんだよな。

2017-09-03

[]

今回は少年ジャンプ+

漫殺-マンコロ- 3話

今回の話はメタ的に見ても勝負といえる回。

そもそも漫画面白さ」ってのが抽象的なテーマなので、作中で説得力のある説明をどのように表現するか。

かつ本作の内容自体エンターテイメントとして良質なもの昇華させなきゃいけない。

といったことを踏まえて今回の感想を書くなら、その課題クリアできていると感じた。

展開される理屈は「分かってる感」のくすぐり方が丁度良いと感じたし、絵もテーマに合わせて演出をきかせることで飽きさせないようにしている。

投球による駆け引きと、野球漫画テーマ選びについてちゃんとこじつけているしね。

こじつけっていい方はアレかもしれないけれども、漫画とかではそのこじつけ結構大事

ハイリスクミッションセラピー 1話

本作の方向性が明確に提示された感じ。

明らかに自覚的であろう不自然プロット、それを前提にしたギャグ

一応、のっぴきならない状況に対して説明はあるんだけれども、その上で「いや、おかしいだろ!」ってツッコませる感じ。

ジャンプ+には他にもエロコメがあるけれども、本作はよりバカバカしい方向に振り切っているね。

青のフラッグ 17

客観的にみれば、あの事件は誰が悪いだとかそういう話ではない。

そして、そのことを理屈の上では太一理解している。

周りの人間たちも理解しているから責めない。

それがかえって罪悪感を募らせ、たらればを考えずにはいられない。

そして謝ることしか方法が思い浮かばない、と。

トーマの涙は試合結果に対する諸々もあるだろうけれども、太一に業を背負わせてしまった申し訳なさとかもあるんだろうかね。

SWORD IN THE CITY

創作におけるアイデアは随分と前から出尽くしていて、後はその組み合わせや、それらをどう表現するかが大事ってのはよく言われるけれども、こういうのを読んでいると改めてそう感じるね。

中小企業ドラマ」という、別の媒体ではちょくちょく見られるものテーマに、ファンタジー要素を突っ込んで漫画にしたっていうのが惹かれる。

ファンタジー要素がくっついてはいるけれども、あくま価値観現実に則っていて、茶化したりもせず大真面目に話を描いているのが良い。

ただ、バトルーシーンでの説得力に欠けていて、話を消化するためだけっていう印象。

あと分かってはいたんだけれども、話の構成自体テンプレに近いので、期待した以上の展開は一切ない。

2017-08-25

スプラトゥーンをやればやるほど人間の持つ残虐性に自覚的になるのは

やはりコールドがないからだろうか。

スポーツというより殺し合いという趣。

戦勝国と戦敗国。

弱者人権はないという人間社会の隠れた前提に気づかせてくれる。

強くならねば。

2017-08-19

なぜ自分が生まれてくる世の中の方がよくなると無条件に信じられるのか

重度心臓患者で、幼児期の手術で一命をとりとめた。

せっかく助かった命だが、俺が生まれた時に親はまだ30代前半で、もう一人産もうと思えば産める年齢だったが、俺が病気で生まれたことで、俺は一人っ子になった。

そして、俺には大した才能もないようだ。俺の病気遺伝しない。

計算してみよう。俺が生まれてきた事で、社会は重度心臓患者を一人ゲットした。

しかし、俺が幼児期に死んでいれば、親はもう一人子供を作って、その子は99%以上の確率で健常者であっただろうから社会は健常者を0.99人ゲットできたはずだ。

どう考えても、これは、俺が生まれてこない方が社会プラスになったのではなかろうか。

なぜ、世の中の人は、自分が生まれてくる世の中の方が無条件に良くなると信じられるのか。そうやって無条件に信じるのは、傲慢ではないのか。あなた物心付く前に死んでいた方が、社会は少し良くなったかもしれないのに、なぜ、エビデンス理由付けもなく、自分は生きていて当然みたいな顔をしているのか。それが腹が立つ。

自分が死んでいた方が少しは良い社会になったはずだと確実に信じられる私みたいな事情があれば、生まれた罪を自覚するのではないか。生まれてこない方がよかったのに生まれてきてしまった罪を持っている人は、私だけではないはずなのに、なぜ、正しい罪悪感を持って生きているのが私だけなのか。それが納得がいかない。

健常者の中にも、生まれてこない方が社会が良くなった可能性があるのにもかかわらず、生まれてきてしまった罪人がいるはずだ。なぜ、罪人としての自覚を持って生きる人がこれほど少ないのか。なぜ、自分が罪人である理解している人がこれほど少ないのか。なぜ、社会は私だけを罪人扱いして、健常者を罪人扱いしないのか。健常者の中にも、罪人がいるはずなのに。

私は生まれながらの罪人であることに自覚的に生きてきたし、そのための償いも社会に十分して、働いて還元してきたはずだ。私は生まれた罪を償った。もっと、生まれながらの罪人を探し出して、引っ張り出して、働かせて罪を償わせる仕組みを社会実装していかなければならない。

まれながらの罪人を探し出して、引っ張り出して働かせて社会に貢献させることこそ、正義だ。私が苦しむのは正義。これを読む、生まれながらの罪を持たない無垢な人が私を苦しめるのも正義無垢なのに私を苦しめないのは不正義だし、生まれながらの罪人なのに罪を償わないのも不正義だ。私を苦しめない大多数の人間不正義だ。

2017-08-18

差別主義者ってなんなのさ?

そもそも差別主義者というものを想定する段階でおかしくないか

主義者として自覚的差別肯定してる奴は滅多にいないし、

いたとしても注意深いか差別主義者として炎上しないだろ。

炎上するのは反差別主義者好みの発言をしなかった一般人か、

良くて「これは区別であって差別ではない」と主張する論者だが、

これも主義として差別自体肯定しているわけではない。

反差別主義者勝手基準差別主義認定してるのとと同じように

勝手基準で人を区別していると考えているだけだ。

差別主義者ではなく差別者とでも言うべきでは?

ふと思ったこと

 昨今ハヤリの、オタク内ゲバじみたネットの「漫画ポリコレ論争」って、

参加者ジジイババアオールオタクばかりだからなのか、

どうもそもそも両者が「共有してる認識からして古い感じがある。

実際のところ、ある種の人気少年漫画トレンドって

この数年でとっくに「オフェンド(排撃や差別)されない楽しさ」って方向に

シフトしてるんだけど、なんかそういう視点はあまり見られない。

 

 例えばアニメ化されてる「斉木楠雄のΨ難」「境界のRINNE」などは、

国内でも海外でも「キャラクターの扱いが差別的じゃないのが好き」って感想

ネットを見てるだけでもかなりいっぱい見かける。

「斉木」の麻生周一は、自分から過去作と比較して

理不尽暴力は笑いに繋がらないと学んだ」と作中人物に言わせてもいて、

その辺かなり自覚的に合わせてきていることが伺える。

 

 面白いのは、「RINNE」の作者は「らんま1/2」の高橋留美子だということで、

多分ネットの「反ポリコレ」勢が必死になって守ろうとしている

「古き良きエロコメ」の中核を担った人物であるはずなのだけど、

書き手の方がもう新しいトレンドにあわせてきているのに

昔の読者が終わった作品呪縛から未だに逃れられていないのは、

呪われたエヴァチルドレンじみた醜悪さがある。

 

 もちろん実際には両作品ともにまだまだ誰かを傷つけていそうな部分はあるし、

特に海外感想好意的誤読と言うか、主に文脈理解してないという理由

オフェンシブな部分をスルーしてるだけのことも多いのだが、

ともあれそういうトレンドは確実に既に来ていて、結果も出しているのに

未だに「過激でないと漫画は売れない」とか「ポリコレにあわせたら面白くならない」とか

古くさい前提で議論している奴らは、本当に馬鹿げて見える。

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