はてなキーワード: 安楽死とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/8bb2d6cf595ffedc5bfdf45ad29546aca08b0474
日本は安楽死がないから難病にかかってしまったら徒に高い医療費を払わされ苦しみながら死ぬしかない。そして「それでも頑張って生きましょう」と生の強制を突きつけられる。そんなことだから嘱託殺人が起きてしまう。死にたい死に方の選択肢が増えず望まない延命をさせられる難病患者はさぞかし辛いだろう
介護にしたって安楽死がないから介護苦で殺人や自殺が起きてしまう。安楽死がないのは苦しみながら延命させることで医者が金儲けしたいだけなんじゃないかとさえ思う。死にたい死に方で死ぬ権利を奪って本人の意志に反した延命で死ぬことが最後まで頑張って耐え抜いた美談になるのはもう終わっていい
(ただ終末期の耐えがい苦痛については、緩和ケアの役割やろ!!と思いつつもコメントを控える)
希死念慮は単なる病気だから、病気の治療と自己との対話頑張ってだし、自殺はあかんことだから日本では自殺補助罪があるわけで
最終的にはオランダやオレゴン州みたいになるのが目に見えてるので、死にたくない大多数にとってひたすらに大迷惑
レイプされたティーンが安楽死を選択して、何故かオランダ社会がOKしたニュースは、ローマ法王もコメントしてましたね
(正確には安楽死センターを利用して死んだのではなく、絶食を合法的に認めたとのこと。いずれにしてもとんでもない)
オレゴン州は延命治療や緩和ケアの支援はできないけど安楽死の支援なら出来るって送りつけてくるらしい
実際、多数派ではないとは言え、経済的背景を安楽死を選んだ理由にしている人がいる
介護で疲弊している人はどーすんだ! とかいう安楽死肯定ブクマがトップコメになっててビビったわ
なるほど、自由意志についての検討の中で「自分という存在は幻想にすぎない」という話が出てくるのですね。
自由意志を強く信じる人が「自分を殺す権利があるのは当然」と主張しているとこれまで考えていたのですが、自由意志を疑う議論の中に「死ねば無」に通じる考えがあるというのは興味深い。
どちらに進んでも安楽死是認に繋がる、あるいはどちらであっても振り切れれば死を恐れずに済むということなのかもしれません。
してみると自分のものと思われるこの生物個体に意識を集中することができれば、死ねば無ってことになりそうですね。
自由意志を確固たるものと考えるあたりも含めて、安楽死賛成派になるにはこの自分という個体に対する執着と信頼が必要なような気がしてきました。
ここまで考えてみると「クラウドに接続している」という意識が強いのが、安楽死賛成派になれない理由のひとつかもしれません。自我ってやつがこの身体を染み出して社会に拡がっているような感覚があります。
この感覚も長年の習慣からくるものに過ぎないかもしれないと思う一方で、こうなると死に対する恐怖を抱えたまま、最後までジタバタするしかないような気もしてきました。
安楽死制度賛成派の多いはてブの皆さんに教えて欲しいことがあります。
「死ねば今の苦しみから全て解放される」ということが安楽死を希望する前提になっていると思うのですが、どうやったらそれを信じることができるようになったのですか?
死んだあとどうなるかなんて今のところ全く分からない、というのが科学的見解だと思ってます。
意識が無くなるから苦しみから解放!なんて疑似科学としか思えません。
運営がクソで「自殺したら地獄行き」なんて謎ルールかもしれないじゃないですか。
治療法の見つかってない難病持ちですが、今のところ死に対する恐怖の方がはるかに勝っています。
皆さんがどうやって「死は救済」と信じることができるようになったか教えて欲しい。
特に病気や障害に関係なく、死にたいと思ったら死なせてくれる制度が欲しい。
生きる権利があるならば、それを自らの意思で手放す権利もあるはず。
大勢はいない、安楽死が必要なら自殺すればいいだけ、というコメントは2つだけ
安楽死の話題になるとすぐ、「そんなに安楽死がしたいならば自殺すればいいのに」という声が湧いてきて
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.tinect.jp/?p=85698
それが如何に的外れな難癖なのか、自分達で言っていて分からないのか?
銃社会ではない日本で実行出来る自殺方法は、失敗する可能性が高いものが多い。
自殺に失敗して後遺症を負い、再挑戦も出来ない状態になったらどうするんだと思うと簡単に実行なんて出来る訳ないだろ。
2.自殺は痛い、苦しい、怖い
安楽死を望む人達は文字通り「安らかに」「楽に」死にたいんだよ。
死ぬ時に痛い思いや苦しい思いはしたくない。当たり前だろ。
苦痛無く楽に死ねる自殺方法が身近に溢れているならば、それは既に安楽死が実現しているのと同じ事じゃないか。
首吊りなどは上記問題点が少ないと聞くが、それでも死体の処理で関係ない人達に迷惑をかけるのは避けられないだろう。
糞尿を垂れ流して部屋は事故物件になる。
仮に上記三点をクリアしたとしても、自殺して救われるのは自分だけでしょう?自分さえ良ければいいというのは利己的な思考。
この社会において今苦しんでいる他の人達のために、安楽死の実現を叫ぶ事の何がおかしいんだ?
それ以外の社会運動に対しては「自分だけ良ければいいだろ?」なんて言わない人達も、安楽死に対してだけは何故か平気でこれを言うのはどうして?筋が通っていないにも程がある。