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はてなキーワード: 中毒とは

2018-02-24

anond:20180224200944

乾燥させた海老を砕いて粉状にした

ふりかけみたいなやつ、

海老を dense (密集) させるって意味

中毒性があるらしく、

仕事中とかに欲しがったりする

ヤバい奴もいる模様

2018-02-23

体すべてはメッセージ

けをぬくこともメッセージ

思考メッセージ からの行動にもかかわってくる

ジュース中毒

なんでこんなことやっていたんだろうと思えるくらい

anond:20180223000322

だまされないぞ

大麻合法化を主張していた連中も結局は逮捕されるまでやめれず裁判官からお前馬鹿だろうと言われるシュール記事になってたし

だまされないぞ

そうやって中毒者を増やして日本を滅ぼすつもりなんだ

2018-02-22

anond:20180222065021

「性欲」って何だろうね?

生物学的には、第2次性徴でホルモン分泌が変わり、異性とセックスして、子孫繁栄させるようになるね?

 

から人間が肉体を使って味わえる快楽として、「グルメ」「セックス」「ドラッグ」があった。

この3つは中毒代表例で、何度もリピートしたくなる。なぜか?

 

そこで得られる快楽の特徴を検討してみよう。

永遠に続く、消えない快楽が得られない。(諸行無常

から、また欲しいと思って、繰り返し手を出すことになる。

もしも、1回で満足して(あるいは飽きて)、2回目以降は要らない、となるなら、中毒には陥らない。

 

およそ「楽しみ」と思っているものは、何らかの外的対象必要としている。(ご馳走、いい女、薬草など)

これがもし、外的対象必要とせずに、自分1人で何もなくても快楽が得られたら、永遠に消えない快楽が得られることになる。(オナニーという意味ではない)

何が「楽しい」という状態形成しているのか?その必要十分条件検討しないままに、性欲を使うと、中毒に陥るから廃人にならないように注意が必要だね、というお話でした。

 

(ごめん。簡単説明しようと思ったけど、なんか分かりづらい言葉遣いになってしまった。分からないだろうけど、雰囲気だけでもつかんでくれたらOK)

元ネタ哲学心理学増田適当書き込みよりも、哲学心理学の本を腰を据えて学んでもらった方が、理解が早いかもしれない。)

2018-02-20

化学物質過敏症と疑問な治療法、そして、思うこと

化学物質過敏症治療法についてまとめられていた。

大丈夫かなぁ?と危惧しながら覗いてみると、

やっぱり疑問を覚える治療法がちらほらありました。

気功とかホメオパシーとか…。

ホメオパシーは昔、化学物質過敏症支援センターサイト記載していて

「うっわー、なんつーもの記載してるんだ…」と思っていたけど、

ホメオパシーが原因で乳児が死亡する事件があった後あたりに削除されていて

心底ホッとしました。

気功とかもね…うーん、個人的には微妙

本人のストレスがなくなるのならいいんだけどね。

「症状への直接のアプローチ」としては個人的に疑問に思うのです。

 

こういう解明が遅れている症状って、いろんなものが誘いをかけてくるわけで。

宗教とかエセ科学的なものとか。

波動がどうたらとか。なんたら還元水だとか。なんたら菌だとか。

化学物質過敏症になったら、ぜひこういう誘いには気をつけて欲しいと思います

それは自分を守ることでもあり、そして、過敏症への偏見をなくすことにもつながりますから

 

だいたい化学物質が原因で起きているのに、そういうので治るのは科学的に考えておかしいでしょう?

化学物質過敏症を扱っているお医者さんが言っていたのだけど、

その先生の持論は「中毒の一歩手前みたいな状態なんじゃないかな?」でした。

たとえばガス漏れによるガス中毒

ガスに曝露しても、原因のガスから離れれば症状は回復する。

ごく薄いガスに何度も曝露して、体の中はガスの有毒物質まみれで飽和状態

そんな状態だったら健康な人が感じない程度のガスでも飽和状態の人は体が「もう無理!」ってなっちゃます

そういうのが化学物質過敏症状態

その理論で行くと、体の中から有毒物質排出したり、澄んだ空気の中で養生するしかないよね?

医療機関でも、今有効とされている治療はこのあたりを押さえてる。

解毒剤のタチオンを使ったり、ビタミン使用する試みもされている。

もちろん汗をかくことも毒素を出すのに「ある程度」有効から、お風呂サウナ運動出来るほど元気な人は運動するのもいい。

けれど、先に挙げた疑問を覚える治療法は果たして毒素を出すのにどれだけ有効なのだろうかと思ってしまうのです。

過去にどれだけのデータがあるのかとか思ってしまうんです。

タチオンは薬物中毒かに使ったりするんだけど、薬物中毒気功ホメオパシーって有効なの?って思っちゃいます

逆にそういうので完治したと言うなら、それは本当に薬物中毒だったの?って疑問になる。

そういうのが、科学的に考える人から見ると「ほら、やっぱり化学物質過敏症ってないんじゃないの?精神的なものなんじゃないの?」

と言われる原因になる。

そういう治療をやっている人々には申し訳ないけど、化学物質過敏症患者の私だってそう思います

から化学物質過敏症患者一人一人が科学的に物事を考えてくれたらいいなと思っています

それが、回り回って、自分達の立場を良くするんじゃないかと。

 

それから、長年この症状で苦しんできた自分から、もう一つ言いたい。

周りのいろんな声なんか無視していいと思う。

「前向きでいろ」「明るくほがらかでいないと良くならない」

いやいや、そんなの絶対無理(笑)

苦しいときは苦しいって言えばいいと思う。

無理矢理ほがらかでいなくてもいいと思う。

ガス中毒で苦しんでいる時に明るく前向きで笑っている人なんているわけないじゃん。

周りの人も、そうやって苦しんでいる人をさらに追い詰めないようにして欲しいと思う。

綺麗な空気の中にいれば、症状も楽になって、自然にほがらかに戻るんだから

 

本当に、早くこの国に綺麗な空気が戻るといいね

今、健康な人にとってもね。

タバコを吸う事と危険行為をして生き残ってる自分愉悦

タバコを吸い続けるのは、中毒からっていうのはもうどうしようもな事実

まり病気

問題は、最初になぜタバコを吸おうと思うようになるのか。

第3のチンパンジーという本では、もともと動物には、自分リスクを冒しても生き残っているというアピール生殖のために雌を獲得しやすくするという説があると説明してる。

どういうことかというと、

危険行為をすると自分死ぬかもしれないし死にぞこないになるかもしれない。だが、それでも自分は見事に危険行為を乗り越えてるというアピールになる。

そうすると、生物的な雌は、この相手遺伝子リスクを乗り越えられる優秀なものだと思うようになっていて、危険行為をやってのけた雄に関心を持つのだそうだ。

頭で考えているというより、長い長い生物遺伝子歴史で獲得された有能な遺伝子を残す方法のようなものらしい。

身体に害があるようなことをできるんだというアピールのために、危険な事をやってしまうという遺伝子の操縦がおきて

そのために、タバコ身体に悪いといわれても、否、タバコ身体に悪いといわれるからこそ、タバコを吸ってみよう吸って生活しようとしてしまう。

そして、タバコ、正確にはニコチン中毒性を持っているので、あとは、危険からやめたいと思っても、もはや止められない身体になってしまってる。

頭では、ただの嗜好品、楽しむために吸っていると思っていても、実際には、遺伝子生理学的な作用によって、吸わされて、また、そう思わされている。


人は弱い生き物よ。

anond:20180219232323

タバコのにおい

体臭キツイ系の病気ってあるじゃないですか。

ワキガとか、歯槽膿漏とか、糖尿病とか。

タバコニコチン中毒など病気の枠組みにある程度入ってると思うんだけど、

じゃあなんでタバコだけ責められて他の病気は言われないのか、と思うんだよね。

みんな治せよ。

治せない奴はしょうがない。こちらも我慢しよう。

だが分かってて治そうとしない奴は全部責めていこうぜ。

おまえは臭い、こっちへくるなと。

anond:20180219232323

場所をわきまえずに、ところかまわず喫煙したくなるのであれば薬物中毒を疑うべき。

だってアル中でもなければ、節度を持って飲んでもいい場所時間で飲むだろうに。

anond:20180220172725

喫煙所が少ない場所の方が物陰で吸い始めるよね。ま、そんなもんだと思う。

まり規制が厳しければ、犯罪がたくさん起こっても仕方ないよね?ということでいい?

大丈夫ほんとに?w

 

>もし周りでその辺で吸ってる人が多いなら、行政文句言う方が早いと思うよ。

こういうの思考停止って言うんだよな。

 

>繰り返しになるけど、迷惑をかけたいわけじゃないから、首しめられてるとも感じない。あぁ嫌だったんだねー申し訳いねーって感じ。

あなたはね。迷惑をかけてないでしょうからそうでしょうね。

でもあなたを取り巻く環境は、そうでない人たちによってどんどん悪くなっていくよ?

ということですけど、もしかして理解ができない?

 

>ただ、追い込んで追い詰めるほどマナーは悪くなるもんだと思うよ。吸っていい場所がないならその辺で吸う人が出て来るのはしょうがないでしょ。と喫煙者的に思う。

それは単に中毒症状が抑えられない、理性のきかない、危ない人たちというレッテルが張られても仕方がないってことですけど、

ほんとに大丈夫?w

喫煙者は全員強制的隔離施設にぶち込むべきだと思う

受動喫煙防止のために、JAISTでは喫煙後45分間の立ち入り禁止が決められたそうだが、

ネット周りの意見を見ると、いまだに昭和脳の喫煙者どもが「やりすぎだ」と騒ぎ散らしており、本当に見苦しい。

ある者は「いったいどこでタバコを吸えばいいのか?」などとほざくが、とっとと禁煙する以外に何か選択肢があるのか?

禁煙が辛いなどとアホなことを言っている低能もいるようだが

体に悪いことを知っていながら自分勝手に吸い始めたのだから禁煙するのも勝手に苦しめばいい。

本当に禁煙したいと思っているならば、医者の手を借りてでも止められるだろう。

アルコール中毒なら、医者の手を借りるくせに。要は本気度が足りないのだ。

もし禁煙できないものがいるならば、一生家から出てこなければいいだけの話。こんな簡単な話もニコチン中毒者は理解できないのか。

まるでアル中患者のソレと同じだ。アル中患者が「じゃあどこで酒を飲めばいいんだ?」なんて言い出したら

当然施設にぶちこまれしかるべきだ。一人で急性アル中になるなら勝手死ね案件だが、酔っぱらって交通事故引き起こしたり、

他人暴力を振るったりするなど、アルコールもまた単なる嗜好品のくせに他人迷惑をかける点で何らニコ厨と変わらない。

アルコールについてはバックにいるスポンサー関係から排除論が揉み消されているだけの話であり、どちらも等しく滅びるべきだ。

はっきり言って喫煙者アル中同様、穢れそのものである身体有害であることを理解しながらそれでいて

なお有毒物質摂取し続け、かつ他の人間迷惑をかけ続ける「花粉をまき散らすスギ」のような人外生物

とっとと隔離施設にぶち込んで、人間さまに迷惑かけないようにするべきなのである

まあタバコも酒も

かの大英帝国世界中を探し回って

労働者に与えて税金さぼり取るための

程々に長生きして

程々に中毒性がある

という選び抜かれた中毒嗜好品から

こうなってしまうのは致し方ないのだよ。

喫煙習慣はニコチン中毒のせいではなかったことが判明

ソースは俺

最近至るところが禁煙化されてなかなか過ごし辛い状況となった喫煙者である俺。

まずは引っ越した先が「東京ルールとは別にタバコで汚した分の補修費は別請求ね☆」と言ってきた。そこでついに家も禁煙という決断にいたったわけだ。そして気がついてみると食事中は禁煙喫茶店禁煙職場禁煙トイレ禁煙と相成って、今のところ最後の砦としては酒を飲む時だけはやめられない。とまあそんな状態なので昼間に喫煙者が疎まれ理由もよくわかるし一方難民化した喫煙者気持ちもわかるという蝙蝠さん状態だ。

しかしそこでわかったのはこれまで自分も「喫煙ニコチンが欠落したため中毒症状的に欲しくなる」と思っていたが意外とそうでもなかった、という事だ。吸わない期間は1日~3日程度あっても大丈夫

でもそこで飲みが入ると止まる。この繰り返しだからあいつかはやめるんだろうなあというイメージはある。

でもやっぱり酒飲むところだけは勘弁してやってくれないか。他は我慢するからさ。

https://anond.hatelabo.jp/20180219232323

嗜む権利というのは分かる。でもあそこは大学院で「人生を豊かに送る」ための施設じゃないんだよ。

タバコを吸わない人からしたら、学校職場に来てる時くらいタバコ吸わないでおこうよ、と思う。それが我慢できないんなら立派なニコチン中毒なわけで、いっそうタバコ止めた方がいいんでは?となる。

実際なぜあの大学タバコ全面禁止にできたかというと、おそらくあの学校では元からタバコを吸う人が絶滅危惧種なんだと思う。

理由1.大学院専用の少人数の学校であり、なんだかんだで上澄みの「良い子」が集まっている。「タバコ中学校で吸ってはいけないと教わったから吸いません」というような真面目な子たち。そういう人からすると「あれだけ吸うなって言われてたのになんで吸っちゃったの。それで文句言われても……」となる。

理由2.主に情報処理系とバイオ系の学校であり、そういう人たちからすると「サーバー動かしてる自室でタバコとかありえない。CPUや基盤にヤニが付くことを考えるだけで恐ろしい」と自宅でタバコ吸うことに拒否感がある。これが「大人になったしちょっとタバコを吸ってみるか」という誘惑を上回る。

理由3.あの大学はド田舎で、入学の時点で「都会の便利さは捨てる」という覚悟をもって入学している(95%近くが県外出身だったような)。ある程度の不便さがあって当然と考えているので「学校ではタバコを吸えない」というレベルの不便さは些細な部類に入る。

理由4.生徒はともかく教授陣は年齢層高いだろうしタバコを嗜んでる人も多いのでは?と思うのだが、これも意外なことにこの大学タバコ吸ってる教授記憶がない。昔からそうだったが、今は変わったか?と検索してみたら「Jaist来て驚いたのは、喫煙者めっちゃ少ないこと」というツイートがあったので変わってなさそう。田舎から元の空気が美味しいってのも一因だろう。

外来者喫煙については規制されないと思うよ。呼気の計測とかは手間がかかりすぎてデメリットメリットを上回る)

ある人の権利と別の人の権利がぶつかった場合、双方を勘案して妥協点を探るしかないわけだけど、今回の事例では

学校教授勉強しに来てる時くらいタバコは吸わないでいてほしい」というお願いと「タバコくらい嗜む自由が欲しい」というお願いがぶつかるわけ。

そして今回は「別に学校に来てないときは吸えるんだからそれでいいじゃん」で済む気がするんだけどね。「イヤだイヤだ!俺は自由タバコが吸いたいんだ!いつでも!どこでも!」ってのはもう「嗜む」ではなくニコチン中毒だよ。

「少しぐらい息抜きしたってちゃんと回っていく社会の方が良い」と思うけど、先生場合によっては自室に生徒を呼んで一対一で研究指導を行う場合もあるわけで、その時息がくさい教授だとかなり苦痛だと思う。

また例えば楽器趣味にしている人は、周囲に迷惑をかけない時と場所念頭に置いてるし、自動車レース好きな人もどこでも飛ばしいいわけじゃなくレース場があるということを理解している。

オタクの人だって話題に興味がなさそうな人の前で知識をひけらかしたりしない。お酒好きな人も昼間っから理性を飛ばすのはヤバイと分かってるから仕事が終わってから飲む、と皆それぞれ時と場所に気を使ってるよ。

それから「車の排ガスの方が~」とかいうけどさ、自動車しろオタク趣味しろ音楽陶芸しろそれらは「それそのもの趣味としない人にも利便性や鑑賞・芸術としての楽しみを与えられる」メリットがあったりするんだけど、タバコって吸わない人へのメリットがぱっと出てこないからなぁ。税金払ってるしとか言わないでね。

タバコって、胸ポケットに入って、自分一人だけの場所ちょっと移れば吸えるわけで、人に迷惑をかけない方法がわりと簡単に用意されているという随分と恵まれ趣味だと思うけどね。

それに加えて「他人に嫌な思いをさせてでも、好きなときに吸う権利」まではたして必要なのだろうか?

せっかく「タバコを嗜もう」と思ってるんだから、わざわざ他の人から息が臭いなと思われる時間場所じゃなくても、もっと嗜むために適した場があると思うし、他人不快感を与えずに吸う方が自分も気分良くない?

2018-02-18

藤木英雄の「危惧感説」は今…?

anond:20180218082007

未来に起きるかもしれない犯罪被害を防止するために、大部分は全く無関係であろう特定属性国民権利制限する」という政策は、相当慎重であるべき

女性専用車両のものに反対ではなくとも、そのロジックが一旦社会公認を受けるのならば、ロジックのもの独立的に転用されて範囲を広げていくのは自明なわけで、このように影響範囲が大きそうな問題は慎重に見定めたい、場合によっては反対したい

まさにそう。

 

未来犯罪を取り締まるタイムマシン警察

日本法律は、最近の「テロ等準備罪」の新設によって、根底から大きく変わった。

これは、過去現在未来時系列事件を考えて、今まだ発生していない犯罪未来に生じる可能性があるの犯罪に備えて、事前に逮捕処罰できるように、日本刑法を変更した。

このアイデアは、法理論において「新・新過失論」「危惧感説」などと呼ばれている。

 

危惧感説

日本第一人者は、天才・藤木英雄先生だった。

 

藤木英雄

藤木 英雄ふじき ひでお、1932年2月20日 - 1977年7月9日)は、日本刑事法学者。元東京大学法学部教授法学博士従四位勲四等旭日小綬章

東大首席卒業。在学中に司法試験国家公務員試験とを首席合格、俗に言う「トリプルクラウン」(東大法学部司法試験国家公務員試験の全てにおいて首席)を達成。

孤高の天才は、わずか45歳で早世された。藤木先生長生きしていれば、日本もっとましな国になっていたかもしれない。(残念)

 

藤木の刑法理論の特徴は、社会の発展に伴い新たに噴出する法律問題について、実務家の需要とその背後にある市民社会的要請に応えて、いち早く解決示唆を与え理論構成するという点にあるとされている。

藤木先生なら、「痴漢冤罪」「女性専用車両」等の問題について、どのような解決方法提示されたであろうか?と想像する。

 

戦後の数ある刑法学上の論争の中で、実務上最も重要な意義をもったのは過失責任を巡るものである

藤木は、高度成長期において非伝統的な犯罪が多発するという状況に際して、新たに企業側の過失責任拡張することで、被害に苦しむ市民を救わんと尽力し、新過失論を一歩進めて「新・新過失論」・「危惧感説」を提唱した。

危惧感説が登場する以前の新過失論は、逆に伝統犯罪交通事犯に対する過失責任限定意図していただけに、画期的な転換といえる。

危惧感説は、後に板倉宏らの一部の学者検察官の支持を得て、森永ヒ素ミルク中毒事件採用されるに至ったが、北大電気メス事件( 札幌高判昭 51.3.18 高刑集 29.1.78) では明確に排斥されており、学会でも一般的な支持は得られなかった。

当時の藤木先生の卓越した洞察に、時代が追い付けなかった。しかし、今は違う。

 

危惧感説

「過失論」→「新過失論」→「新・新過失論」(危惧感説)の変遷は、なぜもたらされたのか?法理論歴史概観したい。

危惧感説

新過失論は客観的な結果回避義務違反社会的相当性からの逸脱)を重視するため、相対的主観的予見可能性には重点が置かれないことになるが、それでも、漠然たる不安感・危惧感では足りず、ある程度の具体的な予見可能性必要であることを前提としていた。

これに対して、危惧感説(きぐかんせつ)や新々過失論(しんしんかしつろん)と呼ばれる考え方は、社会的に不相当な行為をした以上、何らかの危険があるかもしれないという漠然とした不安感・危惧感がありさえすれば過失犯は成立するとする。

このような考え方は、公害事件薬害事件のような未知の分野について、広く過失犯の責任を問うべきであるという動きとともに提唱された。

しかし、これは、結果的予見可能性要件否定することになり、責任主義に反するとの批判があり、現在では支持されていない。

危惧感説は、元々は公害事件等で苦しむ庶民を救済するためのアイデアだった。損害の因果関係がある程度明確になっていて、将来の健康被害が見越される場合企業に対して汚染物質流出を止めさせることが必要だった。

しかし、このアイデア欠点は、現在はまだ起こっていない事件未来に生じる事件について予め取り締まることは、責任主義に反する、権力暴走につながる危険性をはらんでいること。

タイムマシンに乗って、未来を見ることができない限り、有罪判断が正しい保証はどこにもない。(1)正しさを担保する仕組み、(2)間違っていた場合リカバリー、等用意すべきシステム煩雑だった。

 

テロ等準備罪の欠陥

このアイデアを、上記(1)(2)等の必要な準備をやらないまま、使った法律が「テロ等準備罪」だった。(「公害」を「テロ」に置き換えた)

藤木先生が生きていたら、当然(1)(2)の不備を指摘され、アメリカ立案者に対して、必要要件提示改善提案できたであろう。

残念ながら、現代日本人法学者では、アメリカ政府要求に対して、短期間で代替案を提示することができなかった。

テロ等準備罪は、アメリカの指示によって作られた法律であり、利害関係国際政治に関わる大きな問題だったので、日本独自方針では決定できなかったことは止むを得ない。

 

しかし、「痴漢冤罪」「女性専用車両」の問題は、日本国内問題として、アメリカの指示を待たずに、日本人希望を反映させることができるだろう。

まり上記(1)(2)の不備を廃し、論理的整合性の取れた法律を作れるはずだ。

 

藤木先生が残した宿題

アメリカ法律家は知性が低いので、彼らには「危惧感説」を実用化するための論理構成はできない。

藤木先生仕事を引き継ぎ、多様化する利害関係を快刀乱麻で解決できるのは、やはり日本人しかいないのではないか

欠点だらけのアメリカ式テロ等準備罪」とは違った、安全かつ実用的な日本式痴漢防止法」を作れるのではないか

日本法曹界法律家諸君には、人々の幸福を守るために健闘していただきたい。

 

cf.

2018-02-17

はてブ女性専用車両に対する知見に頭がクラクラした

ふだん差別人権にうるさいはてブ民が、女性専用車両には賛成一辺倒で頭がクラクラした。

かに乗り込んでくる運動家はマトモじゃない。なんせ一刻一秒を争うサラリーマン様の通勤車両を12分も遅延させたんだ。よりによってなんで俺らがこんな目に……殺意を覚えるのも無理はない。

しかし、彼ら運動家否定できる倫理的根拠を、はたして我々は持っているのだろうか?

実のところ、今回の運動家に対して寄せられた批判を見るにつけ、賛成派は大した説得力を持っていないのではないかと改めて確信させられた。

以下は、ハフィントンポスト記事に対してスターを集めていた上位2つ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/02/15/woc-chiyoda_a_23363098/

1.これが女性専用車でなくプロレスラー専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ。

そりゃ、プロレスラー専用車なら今回の事件が起きる確率は低いだろう。なぜならば、有無を言わさず力で排除される可能性が目に見えているからだ。しかし、これは明らかな論点のすり替えである。具体的には、運動家の主張の是非ではなく、「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っているのでないか」という行為道徳性が疑問とされている。

そもそも、この運動代替の効かない公共機関における、特定属性を押しやる「専用車」それ自体問題になっているのであって、なにも「女性専用であることが問題となっているわけではない。今回のような示威行動が起きる確率は低くなるとはいえ、プロレスラー専用車でもやはり大きく問題になり、運動家は出てくるだろう。その場合、どのようにケチをつけるのだろう。今度は「殺人犯専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ」とでも言うのだろうか?

また、仮に「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っている」としても、それは運動価値毀損するものではない。声を通せる場で声を通すことが重要からだ。

2.女性専用車必要性裏付けられる悲しい話。

この言説は本当に悪質で、「Aを利用している人間不安に駆られる状況こそ、Aが必要証拠である」と言っているに過ぎない。つまり、利用している人間不安に駆られていなければ(満足していれば)、Aの必要性証明されているし、不安に駆られていれば(満足していなければ)、なおさらAの必要性証明されている、というわけ。一切の批判を許さないので、イデオロギーに近い。これは「共産主義に異議が唱えられ、圧力を受けている。同志の生活が脅かされている。これこそまさに共産主義必要であることの証拠なのだ」という議論を考えてみれば分かる。どう思いますか?

賢いリベラルの集うはてブですら、こんなブコメスターを集めてるのだから、まったくもって酷い有様だ。

ただ、浅薄ロジックはさておき、問題意識理解できる。以上の2つはともに、女性専用車両とは「弱い者のための暴力からの隠れ家」であるとの認識に立っているからだ。ここでは、関係性は暴力の関係として解釈されている。ゆえに「より強い暴力を誇示できるプロレスラー」に、“ただの暴力”は萎縮するだろうし、「異邦者の闖入」という暴力が起きることこそが、暴力からの隠れ家の必要性裏付けている、というわけだ。

この「弱い者にとって『暴力からの隠れ家』が必要なのではないか」という問題意識自体は真っ当だと思う。3つ目にスターを集めていた「痴漢被害によるPTSD抱えてる人でも乗れる交通機関必要」というのは、優先席と同じで傾聴されていい。しかし、これを認めると、1つの帰結にたどり着く。

なぜ、女性けが「暴力からの隠れ家」の恩恵あやかるのだろうか?暴力に怯える人間なら、誰であろうと招かれてしかるべきだ。

まり女性は「暴力に支配された弱い者」なのか?そして、一般成人男性排除することは、一般成人男性それ自体潜在的な暴力の行使であることを前提としているのではないか

なお、女性専用車両に対し、「女性が『暴力に支配された弱い者』であることを認めるのか」というフェミニズム的な指摘は、欧米でも盛んに巻き起こっている。

例えば、英メディア紙The GuardianTelegraphでは、女性記者が率直に「女性専用車両は負けを認めることだ」と述べている。彼女によれば、「女性専用車両の導入は、性的暴行所与とする(normalise)ものであり、あたかも原因が私達にあるかのように、状況平等志向から女性を取り除く(remove from the equation)ことが解決策だ、と世界に向けて言っているようなものだ」とのこと。そこでは日本が、メキシコタイイランインドブラジルと同格の“人権後進国”として引き合いに出され、イギリスは導入することでそんな国、つまり欧米流行りのディストピアドラマ「The Handmaid's Tale」の世界のような、女性をモノのように扱う国と同じ方向には向かうべきではない、といったようなことが語られている。

  • Women-only train carriages: Keeping women 'safe' by separating them from men is Handmaid's Tale territory

http://www.telegraph.co.uk/women/life/women-only-train-carriages-keeping-women-safe-separating-men

女性トイレレディースデイはどうなのか」という賛成派の反論についても、女性専用車両正当化には繋がらないことを提示したいがキリがないのでヤメておく。とりあえず、リソースの適切な配分(特定属性けが特定の扱いを受け、それ以外の属性が不平等負担を強いられるべきではない)、代替選択肢存在(「イヤならそこを使わなければいい」が可能か)、その施策が成り立つ前提の倫理的妥当性(女性専用車両なら「女性潜在的な暴力被害者であり、男性潜在的な暴力行使である」という前提)において、質が異なる問題ですよ、とだけ。ちなみに、スウェーデンでは、属性によって分けるトイレから「個室トイレ」に向かっていっているらしい。

はてブの皆さん、差別人権にうるさい皆さん、本当にこれでいいんですか?皆さんの大好きな世界標準から馬鹿にされてますけどいいんですか?「日本人男性世界標準以下の性欲アニマルから仕方ない」で開き直っていいんですか?

余談だがロケットニュースでは、ニュースタイトルが「【キモイ】今朝の東京メトロ千代田線の遅延理由が「頭おかしすぎる」と話題 / 男性複数人があえて女性車両に乗り込み……」となっている。この記事にも「然り!」のブコメが沢山ついていた。

https://rocketnews24.com/2018/02/16/1021546/

キモイ」「イケテナイ」「ダサイ」「カッコワルイ」。こんな調子で、本当にいいんですか?ネット最後良心だと思っていたはてブがこんな調子では、私は一体どこへ行けばいいんだ。


追記:

はてブにも良心があって安心しました。捨てたもんじゃないですね。ひとまず、Twitterブコメで寄せられた、いくつかの重要質問に答えます。

  

手段が低コストであることが、その手段正統性付与するわけではありません。あくまでもその手段で影響を受ける人間利害関係によって調整されるべきです。これは極端な例ですが、麻薬犯罪を無くすために犯罪者中毒者はその場で殺害、あるいは火事を鎮火させるために周囲の家を片っ端から打ち壊し。ともに「ラク解決手段」ですが、 適切ではないのは明らかですね。

マシなものがないのではなく、マシなもの鉄道会社選択されないから、そう思うだけです。これは上の「低コストで予防できるんだからいいじゃん」とも関係しています。ただ、監視カメラ警備員の配置、満員電車の解消、あるいはより良いシステムの構築に向けた過度的なものなら悪くはないですね。

これは確かに一理あるのですが、この話をしだすと論点がズレるか、あるいは論点先取になっています(女性専用車両痴漢対策だ。痴漢こそが対策されるべき問題である。よって女性専用車両必要である)。かつて、盗聴法の成立時に「法の是非を問うより、盗聴されるような行為をするヤツをまずは問題しろよ」という議論があったのにも似ています。もちろん、諸悪の根源痴漢です。しかし、ここでは対策方法がもたらす帰結(あるいは、そもそもその対策方法妥当か)が問題になっているのです。

また、「痴漢を撲滅することの難しさが女性専用車両を生んだ」というのは「犯罪者を撲滅することの難しさが、(犯罪者の多くはAという属性を持つので)Aという属性お断りの○○を生んだ」と言っているのと同じですが、これに何も疑問を覚えないのでしょうか?それでも特定属性を「潜在的犯罪者」として括りたいのであれば、もう私からは何も言えません。入れ墨外人温泉入浴問題と同じですね。どうぞ、ファシズムに突き進んでください。

その存在を「暴力からの隠れ家」として否定していないことには注意してください。

もちろん、特定の状況下における「合理的区別」は合法でしょうし、鉄道会社営業自由一定度は認められてしかるべきでしょう。すでに社会的認知されていることをもって、女性専用車両存在を「公知の事実」とする判例も出ています。しかし、ここで私が問題にしているのは、法律ではなく、倫理です(「まず痴漢倫理問題しろよ」という方は、上記の3を参照してください。「いや、それでも合法から正しいんだ」という方に対しては、これ以上私からは何も言えません)。

ちなみに、「障害者専用車両みたいなもの」という意見は、はてブ民が大好きな欧米リベラルフェミニズムから相当な反発を食らいそうですね。深くは立ち入りませんが、この例えを安易に使うならせめて「骨折患者専用の障害者専用車両」に限定した方がいいかと思います。

アファーマティブアクションがいい例ですね。非対称性権力勾配の是正措置自体は、それが段階的な解消を狙いとした施策であればアリでしょう。

ただし、代替手段のない公共サービス鉄道、それも日本通勤電車で、はたして導入されるべきなのか。また、そもそも車内における男性女性関係において、暴力的非対称性一般的存在しているのかにも注目する必要があります。この存在を認めると「女性庇護されるべき対象」となりますが、ここから先はカトリーヌ・ドヌーヴ議論にも通じるものがあるかも知れませんね。

それから、私が「逆差別だ」とは一言も言っていないことには注意してください。あくまでも、ここで私が問題にしたいのは、賛成派とされるはてブ民のくだらなさ、何よりも“潜在的な何か”を理由にした排除の論理は、新たな権力構造を生むだけではないか、ということです(女子トイレなどとの比較は、別のホテントリにお任せします)。

しっかりと読んでいただければ分かるかと思いますが、私は「暴力からの隠れ家」として特別枠が設けられることには、否定的ではありませんし、優先席も公正な資源配分観点から注目すべきだとは思っています(廃止すべきだ、という議論を完全に否定ではできませんが)。

これはシンプルな代案ですが、「ケア車両」はどうでしょう。暴力に怯える人は誰でも入ればいいじゃないですか。その代わりその車両には、監視員監視カメラガンガンに配置する(もちろん通常車両なおざりにして良いワケではありません)。監視の目が行き届くよう、乗車の人数制限も設ける。

これである程度は、無関係人間による車両乗車への抑止力が働くでしょう。それでも「傍若無人なオッサン」が闖入してくる可能性はありますが、実のところ彼を排除する合理的理由はどこにもないでしょう。

女性専用車両よりもコストがかかる」というツッコミがあるかもしれませんし、「じゃあ早速オマエが鉄道会社に直訴してこいよ(笑)」という揶揄もあるかもしれません。しかし、コストがかる&直訴されて突っ返される可能性が高いからといって、この歪な構造、そして痴漢犯罪が「女性専用車両(あるいはケア車両)」を免罪符にして放置されていいことにはならないのです。

いろんな意見があるかと思いますが、これについては私のスタンス勘違いされるのも野暮なので、ハッキリ言っておきます。対抗して男性専用車両を作るのは、個人的にはトラブルを増やすだけだと思っています(総量を男女比に応じて適切配分するのはアリかもしれませんが、はたしてそんな前近代的ディストピアの到来を望みますか?それで賛成派の皆さんがいうところの「非対称性」は解消されますか?)。そもそもトイレ風呂と違って、ジェンダープライバシーが密接に関わり合うようなものでもありません。

しか男性専用車両を望む男性の皆さん、男性専用車両があるなかで一般車両に乗ってしまい、冤罪に遭った時のことを想像してみてください。もう、どうなるか分かりますよね。ちなみに、同じことが女性にもすでに起きています。こういうの、警察(「なんで一般車両に乗ったの?」)と鉄道会社(「専用車両を用意したじゃないですか」)が笑うだけなんですよ。男や女に対する排除の論理ではなく、上で挙げた「ケア車両」のような“包摂”の論理対策を考えませんか、と私は思うんです。そもそも鉄道会社が誰かをケアする義務を負うのか、という根本的な問題はありますが。

これは、以前Twitter流行った「『告発を無力化する話法』として無力化する話法」ですね。特定集団が抱えている痛み・苦しみが、特定属性排除を許すわけではありません。もちろん、何度も述べているように被害者の痛みに寄り添うことは大切だと思います。ただ、そうであるならば「痛み・苦しみを抱える人」は、男女関係なく包摂されるべきではないですか?もしかして、その有無・大小を性差しかも外見上の特徴)で見分けるのですか?

2018-02-15

友達が居ないと感じることが多い

高2くらいの頃から友達が居ないという感覚に苛まれている。

客観的に見ればそんなことはないのだろうと思う。高校生の頃は、学校に行けば隣に座っている人からしかけられ、それに返事をすることは多かった。自分から他人に話しかけることはあまりなかったけれど、部活学校行事などで業務連絡をしたい時には普通にしかけた。

それでも、友達が居ないという感覚が拭えない。特にTwitterというツールがその感覚助長している。クラスメイト同士がリプライを送り合って会話を弾ませる中、自分は何もできない。そういう時とても息苦しさを感じてしまうのだけれど、Twitterさえ辞めてしまったら自分の居場所は本当にどこにも無くなってしまう。

学校での人間関係なんて辞めて好きな趣味を持つ者同士で関係を作ればいいではないか。そう思って趣味垢なるものをやったこともある。趣味垢をやっている時間は確かに学校では味わえない楽しさがあった。オフ会したことも2, 3回はある。

一方で、ネットだけで関係性を続けることの難しさも感じた。いつのまにかTwitterに浮上しなくなった人、趣味が変わって別のグループに属するようになった人、グループ内でトラブルを起こしてしまった人、様々だ。何より自分自身受験が忙しくなって趣味垢を使わなくなってしまった。今考えれば高校生という時期に始めたのが間違いだったのだろうと思う。

去年、大学に進学した。大学では自己紹介をすることに苦手意識を感じてしまって、サークルに入れなかった。高校の時以上に人と会話をしなくなった。今考えれば大学が新しい友人を作るラストチャンスだったのかもしれない。でもそれが出来なかった。大学高校と同じ最寄り駅で、エスカレーター式でもないのに一学年の半数がその大学に毎年行っているのだ。「線路の向こう側の大学に行く」とよく揶揄される。そんなわけで、高校の延長線のような感じで大学生活を続けてしまっている。

毎日大学バイトに行くだけの生活。長期休暇中は大学さえ無い。当然友達が居ないという感覚さらに強まった。Twitter高校同期がリプライを送り合っているのを見て、不快感を覚えることも多くなった。

それでも一つだけ変化がある。それは声優イベントに通うようになったことだ。別にイベント会場で他人と話すわけでもない。一人でフラッと会場に入って、声優の話や歌を聴いたりして、終わったらすぐ帰る。それだけだ。

ただそのイベント会場に居る時間だけ、友達が居ない感覚など自分のことをすっかり忘れて、声優を好きな気持ち応援したい気持ちでいられる。その気持ちに半ば中毒になってしまって、今では毎週のように声優イベントに参加している。

結局のところ、これは身近できちんと友達を作る努力をしなかったことに対する代償行為なのだと思う。だけども、自分には声優イベントに通う以上に人生を豊かをする方法が分からない。

あなた友達が居ないという感覚とどのように付き合っていますか?

2018-02-14

anond:20180214221615

テオブロミンカフェインと似た物質であり、大脳や呼吸器、心臓筋肉に対して強い興奮作用を持っていますチョコレートやその原料のカカオマスカカオ豆)やコーラお茶などに含まれますが、特にチョコレートカカオ豆は高い含有量を持ちます

犬はテオブロミンの分解と排泄にとても時間がかかるため、テオブロミンの量が体の許容量を超え易く、人間と比べて中毒症状を起こしやすくなっています

http://119.vc/illness/archives/150]

アマゾンアップル等を分割すべき、という記事翻訳 (続き)

https://anond.hatelabo.jp/20180214155553文字数制限?に引っかかってしまったのか途中で切れたので続きです。

「003: アメリカ政府より強力」~「005:ジェダイマインドトリック」の前まで

続きはhttps://anond.hatelabo.jp/20180214161344

003: アメリカ政府よりも強力

巨大テクノロジーに屈服してしまったのは連邦政府だけではない。アマゾンの第二本部への入札の一貫として、州とシカゴ市役人アマゾンに13億ドルの給与税を免除し、そのお金をアマゾンが適切と考えるやり方で使えるようにすることを提案した。すばらしい。シカゴ徴税権をアマゾンに渡してしまい、シアトル企業シカゴの住民に最適な方法でお金を使用してくれることを期待しているわけだ。

政府の服従それからひどくなるばかりだ。もしあなたアイスキャンディーを作って子どもたちに売ろうと思えば、高額な食品医薬品局のテストを無数に受け、また原料・カロリー・糖分を表示した完璧なラベルをつけなければならない。しかし、インスタグラムユーザー同意書にどんな注意書きが書いてあるだろう。我々はソーシャルメディアプラットフォームティーンエイジャーの抑うつ状況を悪化させていることを示す大量の研究存在を知っている。自分自身に問いかけてみよう。もしアイスクリーム子どもたちを自殺させやすくしているとしたら、我々はドレイヤーズのCEOがシリコンバレーのディナーで大統領の隣に座るのを肩をすくめるだけで見過ごすだろうか。

こうしたソーシャルメディアプロダクトがタバコと同様の中毒媒介システムであることを信じない人は、7才の子からiPadを取り上げようとして、自分の殺人計画を告げるような視線で見られるといった経験がないのだろう。この手のプラットフォーム中毒性を信じないなら、どうしてアメリカティーンエイジャーが一日平均5時間インターネットにつながったスクリーンに張り付いているのか、その理由自分で考えてみればいい。ソーシャルメディアが与えてくれる様々なご褒美のせいで、我々はまるでスロットマシーンの前にいるように自分の通知をチェックさせられ続ける。子供や十代の少年少女はこうしたプラットフォームがもたらすドーパミンの欲望にとくに影響を受けやすいという研究もある。多くのテクノロジー企業幹部自分の子供にはこうしたデバイスを触れさせないと公言しているのも不思議ではない。

以上のような問題は全て正当な懸念だ。しかしこれらの理由のどれ一つとして、あるいはこれら全てを集めたとしても巨大企業の分割を正当化する理由としては足りない。これから述べるのが、私が信じる四大企業を分割すべき理由だ。

004:トラストを分割すべき理由
経済目的

ヴァンダービルト大学ロースクール教授であるガネシュ・シタラマンの主張は、アメリカには中産階級必要であり、我々の代表民主制が上手く機能するために富がバランスよく分配されるよう、憲法デザインされているというというものだ。富めるものがあまりにも多くの力を持ってしまえば、寡頭政治につながる。だからアメリカ民主主義という舟を安定させるためには中産階級が舵にならなければならないのだ。

経済とそのキーとなる主体である会社の基本的目的は、中産階級を作り出し維持することであると私は信じている。1941年から2000年にかけてアメリカ中産階級世界の歴史においてもっとも優れた「善」の担い手だった。アメリカ中産階級は正しい戦争に資金を提供し、戦い、勝利した。高齢者の世話をし、ポリオ治療にお金を出し、人類を月に送り、世界の他の国に対して、自分たちモデルとなって、消費とイノベーション社会経済改革するエンジンになりうることを示したのだ。

経済の上向きのスパイラルは家庭と企業の間での循環に依存している。家庭が資源労働を提供し、企業がモノと仕事を提供する。競争は発明と優れた製品(ハッピーアワーリアビューカメラetc.)を提供するモチベーションとなり、車輪はいつまでも回り続ける。巨大企業ステークホルダーに対して莫大な価値を作り出す。それなのにどうして私たちの目の前で、歴史上初めて、他の国の中産階級が成長しているのに自分たちの国の中産階級が没落するという事態が起きているのだろう。経済中産階級中産階級が育む社会の安定を維持するためのものであるならば、我々の経済は失敗してしまっているということだ。

過去30年でアメリカ生産性が大幅に向上したのは間違いない。アメリカ消費者があらゆるレベル自由主義社会の羨望の的になったことを否定することはできない。しか生産性の拡大と消費者地位の向上の結果作り出されたのは、高給の雇用経済の安定をすばらしい電話と1時間以内に配達されるココナツウォーターと交換してしまうようなディストピアだった。

どうしてこんなことが起こったんだろうか。2000年代になってから企業投資家が夢中になったのは人間をテクノロジーで置き換えることによって急速な成長と利益の急拡大を可能にしてくれるような企業だった。こうして作り出された巨額の富が安価資本を引きつけ、他のセクター脆弱になった。古い経済に依存する企業と巣立ったばかりのスタートアップには何の希望もなかった。

結果として出来たのは企業にとっても人々にとっても勝者総取り経済だった。社会イノベーション経済の側(領主)とそうでない側(農奴)の二つに分かれてしまった。一つの素晴らしいアイデアがウン億のベンチャーキャピタルを集める一方で、普通の人、あるいはただ幸運でなかった人々(私たちのほとんどだ)は退職後の貯金をするためにもっともっと働かなくてはならなくなった。

億万長者になるのが過去に比べて簡単になったり難しくなったというわけではない。痛いほど明らかなのは過去30年で見えない手が行ってきたのが中産階級を締め上げることだった、という事実だ。30歳の人間がその両親が30才だったころに比べて貧しくなったのは大恐慌以来始めてだ。

何か手を打つべなのだろうか。こうしたイノベーションアイコンたちが、経済の調子を保つための一時的撹乱を行っているだけだとしたらどうしよう。トンネルの向こうではより強い経済と高給が待っているという見込みはないんだろうか。しかしこんなことがありえないという証拠はすでにある。事実、二極化は勢いを増しているように見える。これは我々の社会に対する最大の脅威だ。これが自分たちの住んでいる世界なのだから仕方ないという人も多いだろう。でもその世界私たち自身が作り出したものではないのだろうか。百万人の百万長者を生み出すことからひとりの一兆長者を生み出すことに、私たち意図的アメリカの使命を変えててしまったのだ。アレクサ、これって良いことなのかね?

マーケットは失敗してる、どこでも

今まさに我々は劇的なマーケットの失敗の只中にある。そこでは政府が巨大テクノロジー企業への大衆の熱狂によって黙らされてしまっている。頑丈なマーケット効率的で強力だが、グランドに定期的に入って旗をあげ、チームを動かすレフェリーなしではフットボールゲームが成立しないように、枷のない資本主義私たちにもたらしたのは気候変動、抵当危機、そしてアメリカ医療保険だ。

独占はそれ自体常に違法だったり望ましくないものだったりするというわけではない。単一企業投資を行い、安価サービスを行うのが合理的であるところでは、自然な独占が存在する。しかしこの場合トレードオフとして厳しい規制が伴う。フロリダ電力は1000万人にサービスを提供し、親会社であるネクストエラ・エナジー時価総額720億ドルだが、その価格とサービス基準市民受託された人々によって規制されている。

対象的に四大企業は厳しい規制なしに独占「的」な権力を維持しおおせている。私が彼らの力を「独占『的』」と表現したのは、アップルだけは例外かもしれないが、彼らがほとんどの経済学者が独占の核心だと考える、顧客向け価格の釣り上げを行ってはいないからだ。

しかし、四大企業は我々が本能的に感じる大きな政府への反感を見事に利用し、競争が――私有財産賃金労働自発的な交換、価格システムと同様に――資本主義エンジンの不可欠なシリンダーであることを忘れさせてしまっている。彼ら四大企業サイズの巨大さに加えてチェックを受けない権力によって競争市場は抑圧され、経済本来目的を果たすことも阻害されてしまっている。つまり、活力ある中産階級を作り出す、という目的だ。

空気の供給

どうしてこんなことが起きるのだろう。1990年代マイクロソフトがどうやってネットスケープの息の根をとめたかを思い出すのは有用だ。はじまりは何の問題もなかった。ある会社が優れた製品(ウィンドウズ)を作り出して、それがセクター全体へのポータルになった。今であればプラットフォームと呼ばれるだろうものだ。その成長を維持するため、その会社はそのポータルを自社製品(Internet Explorer)の方向に向け、パートナー(Dell)をいじめ競争シャットアウトした。ネットスケープブラウザの方がより人気で90%のシェアを得ていたとはいえ、マイクロソフト意図的インターネットエクスプローラーを援助しているのでは勝ち目はなかった。

同じ状況は四大企業ではどこでも起こっている。グーグルが上手くマネタイズできるよう、検索結果の最初のページがゆっくり支配されていくことや、iPhoneの画面上の準標準プロダクト(アップルミュージック等)、強豪相手(Snap)を邪魔し、叩きのめせるよう会社(フェイスブック)の持てる全ての資源を按配すること、他の会社がとても競合できないような要求水準の設定と攻撃的な価格設定(アマゾン)。

(不)自然な独占

しかしたら消費者にとってもこういった「自然な」独占の方が都合が良いのかもしれない。しか司法省の考え方は違ったようだ。1998年に、連邦政府マイクロソフト相手に訴訟を起こし、反競争的な慣行を非難した。裁判を傍聴していた人が報告するところによると、マイクロソフト幹部インターネットエクスプローラーをタダで提供することで「ネットスケープ空気の供給を断」ちたかったと証言したのだそうだ。

1999年11月に、ある地方裁判所ではマイクロソフト反トラスト法に違反しており、会社を二つに分割することを命じるという判決が出た(一つはウィンドウズを売り、もう一つはウィンドウズ用のアプリケーションを売る)。会社分割の命令高等裁判所却下されたが、マイクロソフトは会社の独占的な慣行を抑えることで最終的に政府と和解に達した。

和解内容に対して甘すぎるという批判もあったが、司法省があの時マイクロソフトを有望新進企業を芽のうちに潰してしまうという罪状で警告することがなかったら、今のグーグル――今や7700億の市場価値があり、自由市場の信奉者にとっての希望の的だ――が存在しえたかどうか、考えてみる価値はある。反トラスト法がなければ、マイクロソフトマーケットの独占を利用して、ちょうどウィンドウズによってネットスケープ安楽死させてしまったように、グーグルよりもBingを使わせるよう仕向けていただろう。

司法省マイクロソフトに対する訴訟が、マーケットに新鮮な酸素を送り込むという点で最も大きな効果を持った例であることは確かだ。株価にして何兆円ものドルを解き放ったのだから。四大企業による力の独占は、酸素不足のマーケットを作り出してしまった。私は何十回も小さな会社によるベンチャーキャピタル向けプレゼンを聞いたことがあるが、そこで説明される内容はどこでも、いつでも同じだ。「四大企業とは直接戦えませんが、四大企業の買収先としては素晴らしい会社になれます」。その細い針の眼を通すことが出来なければ、会社はその幼少期を生き抜くために必要酸素(資本)を絶たれてしまう。IPOもベンチャーキャピタル資金提供を受けた企業の数も過去数年で着実に減少している。

かつて「悪の帝国」そのものだったマイクロソフトと違い、グーグルアップルフェイスブックアマゾンは巧妙なPRを洗練されたロビイング――オプラ・ウィンフリーコーク兄弟をかけ合わせたようなものだ――と組み合わせて、マイクロソフトに課されたような批判からほとんど逃れおおせている(https://anond.hatelabo.jp/20180214161344に続く)

2018-02-11

酸っぱいもの大好き

このところ酸味のあるものが美味くて美味くてたまらない。

梅干し、酢こんぶ、グレープフルーツ

最近だと白米にポッカレモン70mLの小さい瓶まるまる1つかけて食べちゃう

もはやポッカレモン中毒者です。

2018-02-10

疑似デートやべえな

中毒性あるね

おんなのこ絶対イヤな顔しないし

童貞は、試してみたら?

ヴィーガン人達健康ちょっと心配

ちょっと前にヴィーガンがどうたらこうたらってのが話題になってた

俺はヴィーガンではないのだが、料理趣味なので興味本位でその手の料理チャレンジする事はある

豆腐関連のレシピ普通料理にも応用が利くものが、結構あって料理の幅を広げるのに役立てさせて貰ってる

豆腐唐揚げ鶏肉っぽい食感を再現できた時は、ちょっと感動した

ただ、気になる点はある

レシピ通りに作ると塩分多過ぎじゃない? という事が多いのだ

理由は分かる

豆腐などを肉や魚の代わりに使ったレシピ場合、肉や魚を使った料理そのままの同じ味付けではかなり薄味になってしまうから

肉無しで料理を作ると強く実感できるのだが、肉や魚の持ってる味の力は凄まじいものがある

ヴィーガン人達に言わせれば「動物性たんぱく質中毒になっているからだ」というところなのだろうが、俺は単に食材としての旨味の濃い、薄いの違いでしかないと思う

ヴィーガンの人は味の素の様な化学調味料忌避する人も多い

当然ながら動物性のダシも使えない

禅寺の料理みたいに昆布+干し椎茸などの乾燥キノコのダシなどである程度は補えるとはいえ、全体としては旨味不足になりがちだ

それを補う為に濃い味付け、特に塩分を多く使う傾向がヴィーガンレシピにはあると思う

もちろん、それこそ禅寺の修行みたいに自分精神を高める為のトレーニングとして、薄味のヴィーガンレシピで頑張ってる人は問題ないとは思う

ただ健康の為に肉を控えようみたいな考えで、でも薄味だと満足できないから濃い味付けでごまかしてる人は、塩分摂取量には気をつけた方がいいのかもしれない

特にネットで公開されてるヴィーガンレシピを真に受けて作ってる様な人は、要注意だと思う

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