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2019-01-22

腐女子カースト底辺同士のマウント合戦~」のこと 2

前回(https://anond.hatelabo.jp/20190122051523)の続きです。

6.欠落は誰にでもある

さまざまな理由から、化粧が出来ない、してくれる協力者もいないという人達に私は会ってきました。

病気怪我治療中の人、あるいは治らない障害を抱えている人が居ました。症状が出ないように薬を飲んでいて、副作用がひどいと教えてくれた人も居ます

発達障害からの注意欠陥、嗅覚・触覚過敏、どれほど頑張っても自分では時間管理ができない人、神経麻痺で手が震えてしまう人、不安障害や、醜形恐怖のために鏡で自分の顔が見られない人も居ました。先天性もあれば事故による後天性もあります

一見しただけではわからない、介助者もいない軽度の人ほど、偏見に晒されてつらい感情を秘めていました。「就活の時期はとても苦しかった」と胸の内を話してくれた人もいました。

それらは対話しなければわかりません。

生きるだけで精一杯の彼女達を外見で判断することは、とても残酷なことだと思いました。

初対面の人へ否応なしに恐怖を抱く人もいます彼女達はあまりにも傷ついてるのです。だけど彼女達も同じもの好きな人なら、親身になって耳を傾けてくれるなら、素直に明るく話せる『普通の』人達でした。

彼女あるいは彼らが、趣味を楽しむことを、ドレスコードもないイベントへ素顔と普段着で行くことを、そのために外出することを、誰が止めて良いでしょうか。

作中では、腐女子の一人のバイセクシャル発言を、言い訳と切って捨てるページもありました。

腐女子仲間の交流という非日常でならカミングアウト出来る人達もいるのです。クエスチョニング(自分性的嗜好がわからない人)も居ます

女性の体で生まれ性自認男性トランスジェンダーであれば、彼もまた女性らしい化粧をひどく嫌がるでしょう。

男性の体で性自認女性の人は、きれいな化粧をしたい彼女自身の願望を世間から嘲笑われて、ひどく悔しがることでしょう。

私自身が、長い間クエスチョニングの状態で、もしかしたら今もそうかもしれません。「雌雄何方でもない究極生命になりたい」などと本気で考えた頃もあります。そうしたキャラクターに憧れたことも。それを中二病黒歴史と切って捨てる気はありません。

その頃に考えた数々の想像は、今の作品作りに役立っています。何がどう人生関係するのかはわからないですし、簡単嘲笑材料にしてはいけません。

そして、結婚して子供もつ腐女子人達カーストの上位に位置すると作品内ではほのめかされていました。

独身の私には、既婚者のまま交友関係を続けてくれる腐女子が幾人かいますが、本人達の多くは決してそんなことを思っていません。

切り詰められた趣味時間一生懸命やりくりしています子供たちが幼く、預けられる人が居なければ、イベントに出ることもできません。離婚経験している人も居ます子供を産めない体の人も居ます彼女達の苦悩を「自虐に見せかけた自慢」などと断定することはできません。

外見に気を使えない分、時間が限られている分、彼女達は会場で迷惑をかけないよう礼儀正しくいようと努力しています

作家さんに送る差し入れを考えたり、相手不快にならないような感想手紙を丁寧に考えてくれます他人の悪意に敏感で、日々変化する対人マナーを注意深く観察しています

賢明な彼あるいは彼女達は、自分がなにか悪いことをしたら、自分を容易く卑下すれば、自分と同じ属性の誰かが心無い偏見を向けられると知っているのです。

自分を奮い立たせなければ、読みたい本を手に入れられないのです。彼女達にとってもイベント会場はまさしく「戦場」なのです。

主人公自身我慢して「普通」を演じてるからといって、どうして不特定多数にもそれを押し付けて、勝手審査してしまうのでしょうか。

腐女子として知り合ったのに、そこでしかできない話があるのに、なぜ、妹や会社の同僚にもできる彼氏の「恋バナ」を主人公はその中でしたいのでしょうか?

誰しもに欠落がありますいくら擬態を頑張っても、つつけば粗が見えることを知っています

見下す主人公よりも、その嘲笑われた「誰か」に共感して悲しみ、怒るのです。これは腐女子一般人も変わりありません。

ここまでくれば主人公の『欠落』は明確に見えてきます恋愛パートナーの有無や、化粧や顔の出来などとは関係のないものです。

物語としては、この欠落を彼女尊敬する『神』の作品で、あるいは腐女子の友人達との交流で埋める方向に少しでも向くと思わせられれば、得る物はあったであろうに、エッセイ漫画として面白くなるであろうに、無視したまま化粧と服装だけに固執し、自分以外の他人嘲笑し苛つきだけ表現して、何処かで見たような「あるある」ネタとしても使い古された、見慣れたエピソードで彩られた孤独な「自分語り」に、なぜ終始してしまうのでしょう?

主人公が妹との会話で傷つくシーンがありますが、それもどこか核心からずれています

描こうと思えばいくらでも描けて、周り込めばそれだけ「面白い」題材になるはずのこの欠落を、なぜ無視して、このように雑に扱ってしまったのでしょう。

作者自身結論が出ていないから?

であれば、必要なのは時間です。自分他人を見つめなければ、表面的な出来事自分内面を掘るだけでページが終わってしまます

結論が出ていてもページ内に収める技術問題

であれば、そのような『制限』を外すべきだったのです。悪意を放り投げてしまうより、収拾可能になるまで、試し読みの範囲伏線を詰めて描くべきだったのです。

そのほうがずっと「面白く」「続きが気になって」読んでもらえるはずです。

その柔軟さと判断力が編集者に無かったとなれば、漫画面白くできなかったのは作者だけの責任には留まりません。

私はそう考えます

7.SNS媒体での発表のリスクについて

ツイッター年齢制限がありません。誰でも登録できます

ツイッター機能として、登録者の興味のある事柄から自発的検索しなくても、プロモーションフォロワーいいねがTLに流れることがあります

日夜ツイッターではプロアマチュアを問わず真の意味で赤裸々な「漫画」が、作り手の欲望善意によって公開されております

読み手は気軽にそれらを楽しむことができます。なんの警戒心もなく、それを読めるのです。

まりツイッターを利用している未成年の、思春期の「腐女子」あるいは「腐男子」達も、この「腐女子カースト」という作品を目にした可能性が高いと言うことです。

今この文書を読んでいるあなたは、どう感じるでしょうか。

腐女子は皆が皆、18禁作品をたしなむ訳ではありません。未成年で、好奇心不安を抱えたまま腐女子世界に飛び込んだばかりの人達現実世界では未来ある学生達がそこにいるのです。

悪意に慣れていない少年少女も当然いますもっと幼くて、ただ漫画というだけで熱心に読む子も居ます。今は内容がわからなくても必ず影響は残ります。『顔芸』と呼ばれる大ゴマをつかって笑わせることは、どんな幼い子供にも通用します。

子供達に対し、自由想像世界に生きる存在であったはずの腐女子達の中に「カースト」が存在するなどと言い含め、ある嗜好を持つだけで現実では最下層の証明になるのだという差別意識を植え付けて、その子たちの無意識に色眼鏡を与え、自尊心を摘み取ってしまっていいのでしょうか。

自分もどうしようもない存在から笑って許して欲しい、などと言う虫のいいお願いを「いい大人」が子供果たしてできるでしょうか?

それとも子供達も自分と同じ目に遭いつらい人生を歩めと言うのでしょうか?

あの時から今もなお続く炎上は、腐女子ひいてはオタク達の怒りでありながら、撒かれた毒を浄化しようという一心不乱の活動でもあるのです。

それが見えない露悪的な人達はこの騒動冷笑しています。私はそれを、昔の自分のように恥じています

これについては個人の快不快に留まる問題ではありません。会社ではなく、一個人があのような悪意を撒いたとしても、彼らは同じように行動するでしょう。

わずかな露悪的な読者層を取り入れるために社会倫理無視して行動したのであれば、そうした会社に集まるのは、いっそう露悪的で短命な漫画ばかりとなってしまうでしょう。

8.倫理と信頼と商売関係

このような感想になってしまいましたが、改めて、私は自由創造性というもの尊重したい側です。

同時に面白くないと思ったもの面白くない、酷いと思えるものを酷い、ノットフォーミー(自分向けではない)な作品はそうだと言える自由もまた有ってほしいと思います

商業作品においてもアマチュアであってもそれはかわりません。ただひとつ願うのは、描き手と読み手企業購入者、互いが互いに優しい形でそれが実現することです。

作品の話になりますが。

今回の騒動を見ていた時に同レーベルの「こじらせブスの処方箋~見た目を気にして病気になりました~」という醜形恐怖を描くエッセイ作品と作者が気になり、こちらは購入しました。

内容は「腐女子カースト」よりも読めました。やりようによっては幾らでも面白くなる題材だと思いました。たった一冊の本では描き切れないはずなのに、始まりから消化不良のまま、読み終わってしまいました。なぜ充分に生かせず、彼女は次々と過激タイトルの新連載に移ってしまったのでしょうか。彼女無料公開している作品を見ていましたが、やはりどこか無理におどけている様な、抑圧されているような、物足りなさを感じてしまいました。

他の主力作品ヘテロ恋愛や性事情を題材にしたものや実録系が多いようです。WEB雑誌系のスポンサー出会い系美容系で占められていることと関係しているのでしょうか。それらへ興味が向くように迎合した作品作りをすることも、おそらく企業戦略としては正しいのでしょう。

しか果たしてそれは、自由創造性でしょうか?

自尊心の低い女性や、夢を求めて来た外国人や、年齢や身体のどうしようもない特徴で偏見に晒された、「世間ちょっとずれた」弱い立場の人々を集めて「見下す対象」を作り抑圧することが、今のレーベルでの狙いなのでしょうか?

そうではないとする証拠が、今回の騒動の中にあったでしょうか?

今連載されている作品達に、作家達に、充分に示せているでしょうか。

そうした雑誌ジャンル伝統的にあることを私は知っています

会社の内部事情について、私は一切知り得ません。

善悪を私が断じることはできません。ユーザー文句をいう事は出来ますが、断罪するわけではありません。

誰かの表現を止めることはできません。

一度出した表現は別の表現で塗り替えることしかできないのです。

多くの人にとって良くなければ、出資するほどではないと思われれば、自然と読者は離れていき、伝統はそこで終わるだけです。


9.おわりに

今回の感想を書く上で、障害者や、性的マイノリティについて書かなければならなくなりました。

それらを教えてくれた人々は、私の大事な読者達です。

私はかつて、仕事をやめたのと同時に、しばらく普通でいることを休もうと思いたちました。世間や周りに合わせようと無理をするのをやめて、家に籠りました。趣味漫画を描くうちに、私は作品を通じてツイッターで人と繋がりました。

読者のフォロワーの一人が、家庭の事で「爆発」し鍵垢で叫んでいた所に遭遇しました。私はその言葉を丁寧に読みました。

私が知り得る知識を総動員して、望んだ人生が歩めない悲しみを、それを他人から非難される恐怖と怒りを一生懸命想像しました。私は彼女問題提起を注意深く見定めようとしました。

リプライではなく空リプで、一緒になって怒り、一緒に笑い飛ばしました。それは一時のSNS上のやりとりでしかないし、実際に顔を合わせる間柄ではないですが、今でも彼女との交友は続いています

上下はありません。私の意見押し付けたわけではありません。

私と彼女は、対等な互いの読者として、信頼する友人として存在しているのです。

彼女理解を諦めて無視したなら、きっとこうはなりませんでした。

信頼関係の構築に大事なのは性格ではありません。ただ己を一度引っ込めて、わからないなら真摯に聴き、調べ、深く考えた上で言葉を使うことが大事だと私は気付きました。彼女が暴れすぎて収拾がつかなくなるほど傷つかないように、考えて行動することでした。

それは自分作品を作る時と同じでした。二次創作で『推し』を見つめて、彼あるいは彼女がどう行動するか考える時と同じでした。

彼女達の苦悩の間に、それでも己自身肯定する言葉があると、パートナー子供を心から愛している気配を見つけられると、私は安心できました。

他人の心の傷を全て想像出来るわけではありません。自分の心の傷に触れられることがあれば、動揺してひどい言葉を投げかけることもありました。ブロックされることもありました。しかしそれは、多くの人がそうなのです。ぶつかり合うことも距離を置くことも恐れてはいけません。本当に知りたいと思うなら、何度でも内省し正しい目で観察すべきなのです。

彼や彼女達が教えてくれた人生エピソードを、私はそのまま作品に描く気にはなれません。自分自身人生すらも。

作品には力があります祈りにも呪いにもなり得ます他人自分幸せにさせられるし、同時に破滅させられます。それほど重く、他人が口出ししてはいけない価値観が誰しもにあるのです。

一度発表したもの簡単に無かったことになりません。丁寧に積み重ねた善意よりも、悪意の一撃の方が取り返しがつかないこともあるのです。

それから私は、世間からちょっとずれた自分感性を、注意深く噛み砕いて、善か悪かも断定しないように、フィクションに載せて描き続けました。自分が好きな作品がどうして好きなのか、どう世間と噛み合わないのか、深く深く悩み、考えました。それを読んだ人達の中に、共感して会いに来てくれた人が何人も居ました。ゆっくり時間をかけてですが、心から対話をすることが出来ました。

世間からちょっとずれた人々にも悲しみがあります。楽しみがあります。それを見下して、ただの自虐的な見世物にして終わってはいけません。

良き人生として昇華すべきなのです。自分自身のために。

漫画を描いている人々、漫画マネジメントする人々、今まさに伸び悩んでいる方に、今一度向き合って頂きたいのです。

「本当に長く愛される作品」というものは何か。

説教ではありません。私自身がまさに悩んでいたから、これからも悩み続けるだろうからこそ、一緒に考えてほしいという願いです。

ただ楽しいから、ただ涙が止まらいから書くというだけでも充分良いのです。書き上げてから、少しだけ手を止めて、考えてほしいのです。一時の利益のために道を見失わないために。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

ハンドルネームペンネームも、いくらでも変えられる世界です。それは責任放棄することと一緒ではありません。

今回は匿名での投稿ですが、私は私の思ったことをできるかぎり真摯に見つめ、影響を考え、投稿に至りました。それが少しでも伝われば幸いです。

私の活動がいつか誰かの人生と交わることもあるでしょう。

その時には、互いに今より優しくなれていると良いなあと、願っております



追記

これを書いている間に、『COMIC維新りあら』公式ツイッターからお詫び文が出ました。

配信停止までやる必要はなかったかと思いましたが、仕方のない判断かもしれません。

また一冊の本が燃やされたと感じました。

腐女子カースト底辺同士のマウント合戦~」のこと 1

1.はじめに

(前のエントリを削除して分割します。ご了承ください)

私は漫画を描きます

BLではないですが、好きな作品ファンアート二次創作)も描きます

友人には腐女子の方も、そうでない女オタクの方も居ます腐男子も男オタクも居ます。どちらの性別にも属さない方も。即売会にもほそぼそとスペース参加しております

今回において「腐女子カースト底辺同士のマウント合戦~(COMIC維新りあら)」という漫画作品脅迫的な批判をするつもりはありません。法律条例抵触するかどうかを語りはしません。ただ少し倫理的に問うことは一つ二つあります

また、各配信サイト無料試し読みで設定された話数が、出版責任者が「つかみ」と判断した範囲とみなし、その中で感じた所感だけにとどめることを事前に断っておきます

匿名場所にこうして文書を上げるのも、私自身の「顔」や「作品」や交友関係などのプライベートを見たがる人達に対する、防衛だと了承していただければ幸いです。いかなる名品名作であっても、つつけば必ず「粗」が見つかり賛否がわかれる物だと私は考えております。私は自分作品を愛していますが、悪意をいちいち気にしてしまう繊細さも自覚しておりますし、大事な友人達迷惑はかけられません。

なのでこの文書は、ある漫画書きの、ごく個人的感想として見て頂ければと思います

誰にでもわかるようにと書いた結果長くなってしまいましたが、よろしければお付き合いください。

=====

2.前提として物語作法戦略について知り得ること

まず私は、自由創造性、表現というもの尊重したい人です。

同時に読者は面白くないと思ったもの面白くない、酷いと思えるものを酷い、ノットフォーミー(自分向けではない)な作品はそうだと言える自由も有ってほしいと思います。彼らの感想もまた創造性を持つ表現行為からです。

そして作品流行することによって起こる「意見封殺」と文化の断絶は、人々の自由に害を与え、文化を停滞させるものであるため、避けるべきだと思っています

この文章は、それが起こってほしくないがために出す私の意見なのです。

以下の諸々の前提について、あなた再確認する必要がないと思ったなら3.まで飛ばしてください。


今やWEBでの作品公開は、電子化された過去の名作や現代の人気作と同じ土俵で戦うことになるため、無料公開しても「時間電池もったいない」と思われては不利です。戦略的に失敗に陥りやすいです。時事ネタについても個人の公開速度には叶いません。

ただただ露悪的な本はただただ露悪的で、熱心ではない、無駄お金を出したくないライト層だけに消費されて消えていきます私自身がそれを好んで読み、染まっていた時期が長らくあったために、それらの寿命が如何に短いのかをよく知っております

外側に居ても内側に居ても不明瞭です。

その文化の多様さや精神性、変容の歴史を、長く迫害を受け分化してきた巨大宗教のようなものだと今の私は捉えております

そうした点と、物語を見る目が肥えていることも含めて、漫画で描くには「気を付けるべき題材」であると考えています

 

今回の作品腐女子カースト」にはエッセイというジャンルが振り当てられています

もしも仮にあなたが「作品ジャンルが実録エッセイなら、ヤマ・オチ意味のない物語でも成立するのだ」と考えているのであれば、それは読者への甘え、ひいては全てのエッセイ作家への侮辱となることでしょう。

そのように考えて行動した時のリスクを、自身のために想像しなくてはいけません。

エッセイとは自らを省みる内観であり、自らの魅力でもって読者を個人的生活に惹き込むものです。『私小説』『ドキュメンタリー』『ノンフィクション』に連なる伝統的なジャンルです。

そこに登場人物を増やすのであれば、名前を出さな通りすがりの人であっても、存在しない架空人物であっても、最大限に配慮しなければなりません。

エッセイ漫画は「画力が伴わずとも描ける」としばしば思われていますが、それ以外の部分での構成力と魅力を問われるものなのです。

エッセイからと言って、醜い本音を受け入れてもらえると思ってはいけません。空費させてはいけません。

エッセイからこそ『第一話』の初対面で『印象良く』見えるように、深く考えなければ、思った通りに読んでもらえないのです。

それは化粧にも似ています。化粧に作法手順があるように、漫画第一話にも作法があるのです。

 

現実とずれた部分、主人公の欠落した部分、作者個人主観があるなら、それもまた、納得を得て面白くするために、最初のフックの時点で、注意深く描写するべきなのです。

共感できる相手だけを狙って描くのも間違いではありませんが、共感できない者でも楽しめる工夫、そして+αで得る物が無ければ、買って読むまでもない孤独見世物的な内容になってしまます結果的に長続きはしません。

誰もが作品アップロードできる現代では、心の底から叫びを見つめ続けた尖った『自主制作作品』が作者本人の手によってすぐに届けられるのです。それと競争することを考えても、エッセイますます難しいジャンルになっています

 

足すべき部分は足し、引くべき部分は引かなければなりません。本当に面白漫画はたったの1コマでも、読者を満足させるのです。

技巧や経験とは必ずしも正比例しません。作家が描くべき時に描いた時に輝くのです。

面白くないと感じながら、面白くないと言われながら描くのはとてもつらいことです。それは作家がするべき我慢ではありません。感覚麻痺してしまます

最初から捨てるつもりの名義だったとしても、それを描いたという傷は全人類記憶喪失でもしないかぎり一生描いた本人に残ります

本当に面白作品で、届くべき人の所に届けば、口コミで売れていくという強みが電子書籍にはあります

そのためには、読者の目を甘く見てはいけませんし、読者の声を額面通りに受け取らないように注意すべきです。

作品作家自由であるためには、正しい戦略を立てなければ、生き残ることは難しいのです。


3.率直なる感想は『想像力の狭さ』

作品内の第一話、即売会イベントへ向かう電車内で、ノーメイク女性二人連れに主人公が心の中でツッコむシーンがあります

この時の主人公の思慮の浅さは、エッセイ漫画としても致命的ではないでしょうか。

表情や服装から即売会という目的地を同じにしていると確信しているからこそ、ノーメイク女性を「同志だ」と確信して、その気を抜いた姿と能天気な様子に、イベントへ向けて気合いを入れて来た主人公は憤慨しているのかもしれません。

しかし、続くコマはただただ妄想の中で、相手が言いそうな言葉言い訳だと否定し、持論を展開するだけで、相手のことを考えていません。

取材力想像力ともに範囲が充分でありません。狭いのです。自分の中で完結してしまっています

たとえば化粧を禁止されている、お小遣いギリギリ学生かも知れない。

遠征電車高速バスが遅延して時間がなかったのかもしれない。

身バレ可能性があり、恥を忍んで素顔に近い顔で来たのかもしれない。

経済的に苦しくて、自分に合う化粧品ファッション出会えずにいるかもしれない。

家庭事情経済事情もさまざまです。また、障害を持つ場合もあります

化粧をしない理由はそれぞれです。

それぞれが努力によって対策可能だったとしても、皆がそれを完璧にこなせる訳ではありません。

私が考え過ぎで、素顔で出歩くことに特に理由がない人もいるでしょう。普段から化粧をする必要がない仕事に就いているのかもしれない。それを「ろくでもない仕事」だと考えることは職業差別です。

しかしたら彼女達は「ノーメイクで行く」という行動と、互いの美醜を互いにイジらないという暗黙の了解によって、目に見えない友情を確かめあっているのかもしれません。私はそれを尊いと感じます。決して馬鹿にはできません。その感情に、外見も性別関係ありません。

素顔で出歩く女性を、腐女子というだけで見下してしまうのであれば、もしも、彼女達が会場前の駅に降りず、手前で降りたなら、あるいは過ぎ去ったならどう感じたでしょうか?

腐女子について話すためにここまで考えなければならない理由がわかるでしょうか?

「格好がバラバラ集団がいたら高確率腐女子」という有名なネット上の言説があります。これはオタバレの指摘でありながら、腐女子文化を捉えることができる好ましい例なのです。

化粧やお洒落のものが大好きで趣味とする女性は居ます。それと同じくらい、化粧とお洒落をしない、できない女性は決して珍しくありません。この二者は普段生活では交わらない存在です。それでありながら、ただ「腐女子」「オタク」「アマチュア作家であるというだけで、同じものが好きというだけで、SNS作品を通して同志となり話し合えるのです。

本当に「腐女子カースト」は存在するのでしょうか。色眼鏡をずらして、少し観察すればわかることです。実際に腐女子の集まりを見て、外見の美しい人にそうでない人が付き従ってるように見えましたか

なぜ、かような形で消化してしまったのでしょうか? なんのフォローもなく、嘲笑して終わってしまったのでしょうか?

私は想像力が狭いまま物を作り続ける人間に対して「そのままでは続けられないよ」と教える以上のことはできません。

想像力を鍛えるには『違う価値観』と対話インプットしなくてはなりません。他人との会話でもいいです。怖いなら文学でも好きな漫画でも、アニメドラマ映画音楽。なんでもいいです。時間がある時に良質だと思う作品に、幾度も視点を変えて触れてみてください。でなければ、他人を知ることが出来ず、それゆえに自分を正しく見つめることも出来ず、自分だけの世界に閉じこもってしまます

インプットをしないまま作品を描けば、描くほどに、ただ自らが傷つき続けることになるからです。

4.最低限の礼儀って、何ですか?

また作者は最低限の身嗜みを礼儀と捉えているようですが、その最低限ライン上記理由で人それぞれだと想像できなければなりません。好みの服装もそれぞれ、地域文化仕事もそれぞれです。

主人公が綺麗でかわいいと感じた『神』の多くも、自分や買いに来た人の姿を気にしていません。コスプレイヤーだってキャラに入っていない時の自分の姿は出来れば注目されたくないのです。懸命に作って共感を求めた作品ではなく、日常の延長で作った「最低限の礼儀」の姿を褒められても、彼女達は嬉しくありません。そこがそういう場だからです。

腐女子オタクが「恥ずかしい趣味だ」という感覚最近では少なくなってきています

オタク向けのイベントに行くなら、張り切ってグッズを身に纏って「オタクの姿」をすべきだと判断する人もきっといるでしょう。それもやはりその人なりの身嗜みなのです。

またイベント外なら、服装の奇抜さだけでオタクかどうかを判断する材料にはなりません。ゴス原宿系等、日ごろから周りに迎合しない、自分自身を出したお洒落を好む人々が存在します。似合うか似合わないか他人判断基準で彼らは服を選びません。オタク文化と重なる部分も多いですが、その文化オタクと一括りにするのは、私は違うと思っています

そもそも即売会は『交流』のためのものです。街の本屋さんとは違います。売り手と買い手の信頼で構成された、本来技術の見本市なのです。この辺りは運営委員会ガイドラインなどにも書いてある範囲でしょう。

会場において相手の姿を気にする時間はありません。イベント会場はまさしく「戦場」なのです。時には顔すらも覚えておりません(これまで自分のスペースに来てくれてる方、すみません)人気壁サークルでなくとも、友人に頼んで売り子を立てる作家さんも居られます

時間が限られているのに、車の試乗会で車を見に来たのに、同時にディーラーの外見をいちいち品定めしてチェックしますか?

自社のために技術を持つ小さな会社契約したあとで、社長ブログに自慢が書いてあっただけで「そういえばあの社長不細工だったな、嫁さんも不細工だろう」などと、いちいち思うのですか?

それらを書いた冊子を、彼らの職種を冠したタイトルで売ったらどうなるでしょうか。

まさにそれこそ、礼儀を欠いた行動ではないでしょうか。

表現自由の下であっても、不快になった当事者には怒る権利があります

ここまでの説明によって第一話のあの一連の流れが如何に的の外れた低俗な「笑い」であるか、理解できたでしょうか。

ありとあらゆる多様な価値基準無視して、己が良しとするものだけに迎合する。そこを頂点に据えて妄想の中でカースト構成する。

腐女子を冠して発表するには、あまりにも浅く、無防備なのです。

5.悪意の扱いについて

そして、何分の一か、ほんの一部だけ、この作品主人公のように他人を品定めししま人間も、腐女子は間口が広いがゆえに存在しているのです。

主人公と同じ悪意を秘めた女性達は、この作品を読めば共感するでしょう。

ひっそりと楽しんでいた人もいたのかもしれません。

しかし、この「腐女子カースト底辺同士のマウント合戦~」はつい最近無料公開分がツイッター投稿されました。現在アカウントごと消滅しております

範囲の誰もが評論できる場所に出してしまえば、本を共有してしまえば、彼女達の罪悪感を無理矢理抉り出すだけの結果になってしまます

安易な形で発表し、コントロール不可能批判を浴びたことによって、彼女達は愛想笑いを続けて、怒れる友人と一緒になって作品を叩かなければいけません。作中で一般人擬態する主人公のように、怒れる腐女子としてその社会の中で信頼を維持しなければなりません。腐女子という世界の中にカースト存在しなくても、社会存在しています愚痴垢や捨て垢で陰口を叩いて共感しあうのとは全く違います

そうして作品を叩くうちに作者を、版元を本当に憎悪していくか、あるいは交友関係を切って何もかも忘れてしまうというような極端な行動しか取れなくなります

彼女達をますます孤独にしてしまったのです。

作品は、発表の仕方まで気を使わなくてはいけません。これもまた貴重な顧客を失う『失敗』なのです。

この主人公のように、見た印象だけで人を判断して遠ざけて来た記憶が、私にもあります作家デビューした相手嫉妬したこともありました。自分と交わらない人間人生を、いかに踏みにじってきたのか。それを考えるたびに私は後悔と反省を繰り返しています

つづきます。(https://anond.hatelabo.jp/20190122052653

2019-01-21

仮面社員が一番得だと思う

三十代前半、そこそこ大手社内SEをやっている。

朝出社すればニコニコしながら挨拶する。

呼ばれた時は目をキラキラさせながら

はいっ。何でしょう?」

と返事をする。

仕事の依頼なら

「良いですね!面白そうですね!」

「是非やらせてください。」

と二つ返事で引き受ける。上司との関係も良好。

しかし、やる気は皆無で前向きな態度を演技している。

頭にあるのはその仕事をやり遂げた後の事ではなく

“どうやってサボれるだろうか”

を常に考えている。

基本的に言われた範囲しか仕事しないし、サボれないくらい大きいタスクが来たら全力で拒否をする。

普通にやると約1カ月くらい掛かるタスクであれば3カ月程掛かると報告し、

その後モーレツ仕事をして1週間くらいで終わらせる。

成果報告は小出しにして3カ月に引き伸ばしつつ、基本的仕事はしない。

匿名ダイアリーをみたり、気になるブログを読んだり、、。

そもそも会社へも行かなくなる、在宅に切り替えたり午前中は外でミーティングという事にして夕方から出社したり、、。

そんな事をしてても今のところクビになってないし、ボーナスまで貰えてる。

他の社員に対しても、会社に対しても一切期待していないので会社クビになる以外の事なら別にどうでもいいかなという感じ。

マウント合戦みたいなのには一切参加しないし、影で何言われても何とも思わない。

極端な話仕事の成果を横取りされてもヘぇ〜で済ませられると思う。

その代わり仕事中世間話をするような仲間はいないし、飲み会にも誘われない。

忘年会のような半強制飲み会にも行かない。

人間関係ある意味最強なんじゃないかと思う。

人によっては耐え難いかもしれないが、自分大丈夫なようだ(というより慣れた?)。

面白味はないがストレスも一切ない。

必要最低限の仕事をしていればそれなりの収入が得られる。

今のところ辞める気はない、当分会社寄生していこうと思う。

他にも似たような人いるのかなぁ。

anond:20190121223713

マウント取りたいだけのクズがなんかいってら

子供放置する虐待親がのうのうと生きてるなんてどうかしてるぜ

の子供?

anond:20190121223448

保育園にあずけてたり、きちんと世話できる人に預けるのは育児放棄はいいません。

石投げて凹んでくれる女じゃなくて残念だったねぇw

君がマウント取りたいだけのクズってのわかるから君の言葉は届きませんよ。

オタクを縛る「好き」マウント

あなた嫌いでも私これ好きだから

「好きなモノであふれてるオタクって素晴らしい!」ホルッ

「嫌いなモノより、好きなモノを語れよ!」ドンッ!

 

いい加減これやめねえか?

オタクなら好きでモノを語れ」って風潮こそ

オタクセルフプロデュースしたレッテル張りというかさ

 

ツイッターでこの手のオタクエンパワーメント(笑)する奴はさ、

そのくせ、オタク文化以外の趣味否定的なんだよな

なんかDQNくさいなこの曲、韓国コンテンツ国策で推進してるからあーだこーだとか

 

インスタフェイスブックは表だけ、ツイッター本音で語れる、とかいう説は嘘も嘘

しろツイッターこそ集団心理極致というべきか、息苦しさが蔓延してるっつうの

 

 

 

ま、オタク人間なんで

嫌いなモンは嫌いなんですわ

あんたらの好き好きイデオロギーに巻き込まんでくだせぇ

anond:20190121191933

お、苦し紛れマウントか?

大学の時も複数バイトしてたし、今も働いてるが基準バラバラですわ。

お前の会社には襟足にかからない髪の男しかおらんのか?

てか就業規則服装規定ないわうちの会社

議論優越感は必要か?という疑問

よく議論だったはずのものが、途中から口論になり挙げ句罵詈雑言の諍いに変化するやりとりを目にする。

元は議論で答えを出していくような流れが、いつのまにか言葉マウント取りをしようという目的に変わっていて

最終的に優越感を得るために相手中傷しはじめる様は、なんか違うのではないかなと感じた。

その手のやりとりを何度も見ているので、自分不介入でいることを心がけているのだけれど、

第三者観点で見ていると、誰も彼もが諍いに発展した途端に優越感を得ようという姿勢に変わっている事に気づく。

正当に議論として相手を屈服させるのなら、優越感を得るのは間違いではないのかもしれない。

だけど、どう見てもほとんどが誹謗中傷を繰り返し、とことん相手侮蔑言葉をぶつけ傷つける事で

優越感を得ようとしている人が多い。

議論をそこまで変化させてまで優越感を得ることは必要なのだろうか。

というか、むしろそんな勝利に何の意味があるのかなという疑問。


結局、議論の内容では相手を黙らせることが出来ずに中傷言葉をぶつけ続けることで

相手が黙ったら勝利という意味のわからない考え自体おかしいのではないかなと。


議論には優越はいらず、そんなものを得る事よりも答えを出すほうがよっぽど必要だと思うのだけど。

anond:20190121163033

普段オタクどもが「結局その程度」っていう言葉使うけど、俺みたいな煽りカスにノッちゃうのがすでに「その程度」なのよ

自分が無い 自分が無いか煽りカスを潰すことでしか自分を保てない 自分を保つために他人や数の力を使う マウントカス

無敵オタクは「そんな事言われても好きだからしゃーなし」で終わる話

anond:20190121021237

日本に居てもなんとなくこれ感じるし考えちゃうけどな

自分らしさが周りによって定義されている感覚とか

同調圧力揶揄しながら揶揄している人たちもそのコードに乗れていることを同時に誇っていて

適応しながら叩くことでそれに乗れない乗らない人たちに対しても本当にそれが好きな人に対してもマウント取ってるような時の本当にそれが好きな人のしんどさとか

適応しないで叩くとそれはそれで負け犬の遠吠えのように扱われるのでそういう形になってしまうというところもある)

Aの人はBをしないみたいなのがあってAもBも好きなのに堂々と両立できないとか

2019-01-20

anond:20190120192126

ワイには知識を与えようとしただけでマウントされたとか被害妄想持ってるだけにしか見えんやで

日本なんて幻だけど

 この都市ができたのは、そのときに暴れた性獣がいたからできただけであってその人はもういない

最近までは、凄い人が暴れていたが、その人がいなくなったから、日本は終わった

もう何もしない方がいいというのが、日本人の総意

明治昭和平成でも、何でも、若い頃は、死ぬほど凄かった、多くの人が若くてこの日本を作った人を

尊敬してついていった

今のこの東京は、むかしに凄くいいことをした人を利用して、外形だけ維持し、マウントしている悪人がのっとった

ものであり、偽物だ

 何でも若い頃は、それは最高の物だったんだよ。今は、その最高者が作った物をのっとっている悪人がいるだけの話

 もう最悪だから、誰も何もしなくなった

 次の時代は、特に明治か、昭和の中から、若くて素晴らしい支配システムが探り出されて、徹底した勧善懲悪実施されるか

それができないなら、全く何もしないかの二択になるだろう

 生活していくためとすれば、昭和東大法学部が復活するのが最高だろうな。生まれつきの悪人刑務所へ、生まれつきの善人を

社会で守る最高のあの時代を創生するか、できないなら、全てを無に帰して日本人を愛するか、の2択

 お前は刑務所行きだ

anond:20190120121554

海外の一部分だけ抜き出してそれがどういう社会的背景の上で成り立っているのかとか全く考慮せず比較するのは、はてな民もよくやる頭を使わずに手軽にマウント取れて気持ちよくなれるメソッドなんだからそこに文句つけないでほしい。

それとも日頃のストレスを抱えたまま生きろというのか。専門家でもないのに専門知識必要とするような難しいことを考えさせて苦しめるというのか。

Fラン大学20年後に後悔する

小生は某Fラン卒業生です。

地元では有名なバカ大学

「あぁー・・・、あそこね(失笑)」とバカにされるような所です。

実際、勉強している学生はほぼ皆無。

授業に出席するのは数人。

テスト前だけは満席になるような所です。

それゆえに学生新聞沙汰になることも割とよくありました(窃盗強盗傷害痴漢器物損壊など)



しかしながら、小生はFランを後悔したことはありません。

ロスジェネ世代ながらも、無事に就職できましたし、20代結婚し、子供にも恵まれました。

運が良いことに離婚話も未だありません。

もちろん経済的には厳しいものでしたが、何とかやりくりし、子供私立中高に通わせる事も叶いました。


しかしながら、ここにきてFラン肩書を後悔するようになりました。

それは子供大学知識を持ちはじめたらからです。


おやじって本当に〇〇大学だったの?」

「うん。そうだけど」

「え?マジかぁ・・・


話を聞くと、どうにも子供世界では親の学歴マウント存在するようです。

周りの子の親は国立または、有名私立ばかり。

さらには親の職業によってもマウントがあるようです。

周りの子の親は医者大企業勤め、メディア関係社長投資家など、憧れるような職業ばかり。



「まぁいいんじゃない

子供はそう言って話を打ち切りましたが、小生はすごい世界があるんだなと思いました。



しかしその後、子供への罪悪感も芽生えてきました。

自分のせいで子供が惨めな目に合うのは、やはり辛いものがあります



しかしながら、今さらどうこうできる問題でもありません。

ただただ子供に耐えてもらうしかないのです。




Fラン20年後に後悔する」

受験生の皆さん。

遅くなってしまいましたが、勉強頑張ってください。

2019-01-19

トランスヒューマニストの俺がSFっぽい話をしたい。 「遺伝子操作で今より優れた人間を産んではいけない!」とかほざくのは大抵白人の男の学者

何故かと言えば自分たち絶対的地位が危うくなるから

 

学者という最高の知能+男という最高の肉体+白人という最高の人種

これがトランスヒューマンによって覆されてしまったら?

自分たちはもはや用済みになる

そうなると他人マウント取ることも金をジャラつかせることも出来なくなるよね

魅力の無い、旧人類とヤリたいって女もいなくなるし

 

今まで確約されていた絶対的見の保証が覆され

一転、自分マイノリティや女と同じく、

「やーい旧人類~ネアンデルタール人~」とか言われて

差別される側に回っちまうわけだ

 

から連中の言い分には冷笑的な感情しか抱かねぇ自分がいる

人類平等性ガー」とか奇麗ごと宣うその口で

何度ニガー、チーノ、カント言ってきたんだ? 答えてみろ

 

逆にマイノリティや女は、今のエスタブリッシュメントを超越する新人類が生まれようと

どのみち虐げられて二等市民として見られるのに慣れっこなのでどうでもいい

人類の99パーは新しい人類が生まれようとどーでもいいんだよ

 

ちょっと似たような話に「AI規制すべきかどうか」論があるが

規制推し進めてるジョブズ気取りのヒステリックCEOどもを見れば明らかだろう

ターミネーターだどうののクソ映画に感化されたか知らんが

それがアメリカに集中してるのも特筆に値する

 

連中は自分たちより優秀な存在を作りたくない、地位をはく奪されたくない

そういう不純な理由だけでさも、全人類代表するようなリベラル的な

いい子ぶった発言をしてやがる クソくらえ

 

ま、俺が言いたいのは中国人学者はマジ頑張れってことだ

anond:20190119204942

それはたぶんマウンティングが嫌いなんだろう

まあマウントとられるのが好きって奴は少数派だろうが

腐女子カーストはあります

あの漫画に対してマウント取りにいってる時点であるんだよな

もしくは、あの漫画マウント取りに来てると感じた時点で

ホリエモン

ホントクソな質問だよな。お前死んだ方がいいよ。肉の写真をアップしてるのはインスタで和牛を広めたいからってんの見てわからない? お前クソ? そもそもふつう野菜は好きだからたくさん食べてるけどインスタでそれをアップしてもクソの役にも立たねーだろ。

それを野菜とかを子供の頃嫌いだっただろうお前みたいなやつらに邪智されたくないね。おれは美味しい野菜子供の頃からたくさん食べててむしろ肉より野菜の方が好きだった。それは食ってた肉がまずかったからだ。それを良薬口に苦し的な文脈野菜を食べた方が健康ですよって上からマウントでクソコメント送るなボケ。二度と来るな」

完成した社会を保型してマウント取りながら、何かひっかけるところがあるならいいように処遇してやろうくらいの

 凄まじく自己中心的かつ、クソ意味のない、筋金入りのクソ国家平成31年の日本

明治昭和比較すると、比べ物にならないな。同じものと見ること自体犯罪しか

いいようがない。昔は神であり、正義であり、愛もあったが、今は、「それがあるようにみえる」

犯罪組織。最悪すぎてもうね。

地獄を知らない人間

世の中には1度も地獄を通らないで生きている人間もいる。

そういう人間無意識に人を傷付けているのにも関わらず、地獄真っ只中の人間にヘイトをするなと言う。

憎悪怨念、この世の生きづらさを話す人間最初からヘイトをしていたわけではない。

みんななにかしらの過程があって、ネガティブなことしか言わなくなった。

まれている人間は、恵まれていない人間気持ちが分からないので、うつ病発達障害障害者に対する話を本当の意味理解できない。センシティブ話題とまとめるのが常套句

平等世界で、自分の手元にあるカードだけで生きていくことが求められている。理不尽だ。

理不尽世界でも、私は、生きていくしかない。

自殺を出来る人間尊敬する。

不幸をアイデンティティにするのを卒業したい。不幸マウントも辞めたい。変わりたい

無能調子こいてんじゃねえよ 何が国家だよ

 保型しつつ、巧妙にマウントしながら、本性を見抜いて相応の処罰をしているなどと中途半端かつエゴイスチックで

実は意味のないことしかしていない、日本の子供の誰からも信頼されない魅力のない醜悪高齢者が。

さっさと死ね、クソゴミ。お前の組は、始まったときの人がもういないから、悪なんだよ。

何しようが犯罪組織しかないんだから、早く死ねよ。

anond:20180912211648

これ

自分も苦労したか子供早く産みなって言いたいけど

昨今はやれマウントだのハラスメントだのって怖いから言えない

関係壊したくないし

でも周りが当たり前に手に入れてるように見えるもの

自分の手には入らないかもって時の方が

よっぽど人間関係壊れるんだよね

anond:20190119085817

20代子ども産んで30代の未婚に「子どもっていいっすよー」

ってマウント取れば最高に気持ち良いと思う

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