はてなキーワード: ソシャゲとは
プリコネの騎士くんが戦闘で死んだら大抵の女の子はパニックになるか、メンヘラになる末路しか見えないんだけど、
これがドルフロの指揮官や、アークナイツのドクターだったら、女の子がバーサーカーになって最悪でも敵を道連れにする姿が見える。
兄は大人になっても未だに自分の喋りたいことを延々と話すタイプ。
発達障害の診断は受けている。自分も発達障害だからお互い様で適度に流すようにはしているんだが、どうにも耐えられない時がある。
遊戯王の新しいカードとか目新しいインディーゲームの話をしている時はまだ良い。
なろう系小説と美少女ソシャゲにひたすら文句をつけている時が本当にきついし面倒くさい。しかもたまたまランキングで名前が出てきたからとかCMが流れただけでスイッチが入って三十分くらい文句と悪口を言い続ける。しかもその時はトイレに行こうが風呂に入ろうが扉の前までついてきて喋りかけてくるのでしんどい。
そういうの聞きたくないって言うと「あんな安っぽくて低俗なものを肯定するのか!」ってキレてくる。嫌になって無視すると「誰も僕の話なんて聞いてくれない」と被害者面。アンチスレでやれ。
家を出ようかと思ったこともあるけど、自分が家を出たら母親がこれに晒される羽目になることを考えるととこっちで止めておいた方がマシだなと思う。母親なんて自分より長く兄に付き合わされてる訳だし。
発達障害って根本的に本人が困りごとを感じてないと対処とか改善とかに進まないし、兄は自分が困ってないから全然変わろうともしないんだよな。
とくにカタカナ表記指定というわけでもない吾輩キャラなら大量にいる
https://dic.pixiv.net/a/%E6%88%91%E8%BC%A9
ここに載っていない泡沫ゲームとかを含めるなら無数にある、例えば
凍京NECRO<トウキョウ・ネクロ> SUICIDE MISSIONのマスコットキャラ、阿蛭らび
ふるーつふるきゅーとのタマリロ
特に俺は吾輩マニアというわけでもないぞ10分もググれば「あーあいつもだ」がいくらでも出てくる
話題にするな
それこそが お前が どう足掻いても時代についていけない理由だと思う
時代についていけないって これまでにコンソールから外に出た無かったら 厳しいって
明らかな事実だと思う
やばいって
久しぶりに7時間以上寝ることができた
睡眠記録を見ると22時過ぎに寝て5時半に起きている
いつも5時40分にアラームかけて起きているので、起床時間は予定通りだ
ということは、当たり前なんだけど8時間睡眠を確保するためには21時30分に寝なければいけないということだ
アホか
そもそもなぜ5時40分に起きているのか、朝に何やっているのかというと
5時40分に起きて朝飯のシリアル食いながらソシャゲやったりトゥイッター見たり、
6時半になったら風呂の用意しながら朝の運動(フィットボクシング)やって
着替えなどをして8時20分に家を出る
ワイが型月にはじめて触れたのは、チュンソフトの428のおまけ(?)シナリオのCANAAN
菌類ファンには申し訳ないけど、当時は率直にゴミだと思いました
ほんで怒りに任せて2ch(5ch)で書いたけど、
当時は擁護よりも街シリーズ汚すなゴミ!!って意見の方が多かったよ
(今だったら428本編の方がおまけ扱いされるんだろうな)
オタクの基礎教養枠に入りつつも、2009年くらいまではハイハイ型月厨・型月厨って
空気の方が強かったと思う
触ったら信者がシュバるのでアンタッチャブルになったのソシャゲからよな
あと、菌類もZERO書いたいつも父親殺す人も好じゃなかったけど、
ひでーソシャゲのストーリー(って呼んでいいの?) や なろう見続けてたら相対的に好になったし、
繋げておきますね
たまに見ているVの案件配信で、銀英伝の新しいゲームのことを知ったんだけど、銀英伝のソシャゲ、今のところみんな散々な評価を受けた上で早期サ終しているので、「何ヶ月目で死ぬかなぁ~?」って北斗の拳みたいなことを思ってる。
連投ごめん。追記しておくと
これと「せどり」は別軸の話だと思ってる。
せどりしながらやるオタクも居るには居るだろうけど、それがメインでは無いんじゃない?って具合。
自分と嫁もソシャゲに疲れて楽しみながら集められるゲーム+コレクションで最後は手放したときに
多少のお金になったら良いよねって具合でポケモンカードに手を出した。動機は不順だと思う。
ところが、今や嫁がポケモンカードのコンテストにイラストを応募するようになり、その縁で
界隈の絵師とマンツーマンでやり取りしてポケモンカード話に花を咲かせていたりする。
他方、自分はいいなぁと眺めながらレアカード収集してる訳だけど、まぁそれなりに語れるくらいには対戦もする。
一つのことに集中できずに色んなことを同時にやってしまうタイプの発達障害もいるのに、何故か「発達障害はみんなマルチワークが苦手なんです!一つのことに過集中してしまうから!」と言われてるのマジでおかしいやろ。
「N=1じゃなくてN=2なんです!つまり、これはもう間違いなく全人類に当てはまると言えるのでは?」みたいなこと平気で言うやん?
大丈夫かよ……。
たとえばお前ソシャゲのガチャ2回引いて、2回とも最高レア出たら「このガチャは壊れているので最高レアしか出ません!凄いゲームです!」っていきなりブログに書くんか?
頭おかしいやろ?
なんなん?
暴論ばっかじゃん世の中。
ほんま相手にしてられないわ
バグでどんだけスタミナ使ってもスタミナ減らない現象が発生していたので
思いっきり連打した結果、メンテ後にその期間に使用したスタミナを現スタミナから減らされる措置を食らう
1スタミナ回復に5分かかるんだけど、今-9712スタミナwwwww
約1か月間スタミナ使用できんwwww
さすがに草枯れるwwww
文字だけで高精細で元ネタに忠実なアニメ絵を出力できるモデルもあるが、
複数人数を描かせようとすると十中八九肉塊モンスターを生み出す。
男女の絡みなんか全く無理で、そもそも男を描けるモデル自体が希少な上、
あれに乗じて、自分の推しキャラに猫ミームをやらせようなんてのは無理。
それができるだけの十分な学習元が揃う頃にはブームは収束している。
原神クラスの世界レベルで展開しているソシャゲなら、新しいキャラが登場すればすぐにモデルが取り込んだり、
学習に必要な量の画像がすぐにネットに溢れるけど、ウマ娘やFGO程度の規模だと問題外。
学習させて正確にそのキャラを真似できる頃には2~3人は新しいキャラが増えて、とっくに行き遅れとなっている。
それ以下の規模の有象無象のソシャゲや漫画、アニメなんか話にもならない。
所詮、真似できるのは絵柄だけであり、キャラの性格や関係性を理解した描写をすることもできない。
ぱっと見、色鮮なすまし顔の女の子を他人の絵を真似て1人生成することはできても、
そこに文脈や関係性、命を吹き込むことは全くできないし、キャラらしさを表現することもできない。
そう、本当に「ぱっと見、色鮮なすまし顔の女の子を他人の絵を真似て1人生成する」ことしかできないのだ、AIと言うのは。
AIをもてはやす人間も否定する人間も、ここ1年でAIが生成する絵のクオリティが格段に上がったことを持ち上げて、
さもAIが絵師を駆逐するようなことを言っているが、あまりに実情を知らなさ過ぎる。
あれはただ単にモデルが洗練されたお影で、生成物のクオリティがあがっただけ。
流通していない研究段階の最新のものは知らないけど、そこらのペーペーが使えるAIなんて、
基礎の部分は、せいぜい処理が高速化したとか、メモリ使用量を軽減したってレベルに留まっている。
「ぱっと見色鮮なすまし顔の女の子」しか描けない絵師なら脅威に思うべきかも知れないが、
それでも新しい話題やキャラ、ネタへの即時対応性や、キャラの背景や性格、関係性を考慮する必要がある分野において、
お砂糖は「友達」としての親密さなのか「恋人」としての特別な位置なのか議論されることがあります。しかし、「友達」の間の距離感は、特に曖昧で広範囲に渡ります。それでは、この微妙な関係性について、もう少し詳しく探ってみましょう。
『とも‐だち【友達】の解説互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「—になる」「遊び—」「飲み—」
[補説] 2013年10月に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。」キャンペーンでの「友だち」への投稿から選ばれた優秀作品。』
goo辞書より引用https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%8F%8B%E9%81%94_%28%E3%81%A8%E3%82%82%E3%81%A0%E3%81%A1%29/
"互いに心を許し合って、対等に交わっている人"と"一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人"という表現は、確かに"友達"という言葉で表現されますが、その深さや距離感に違いがあります。
互いに心を許し合って、対等に交わっている人: この表現は、相手との関係が深く、信頼関係が築かれていることを示しています。このような友人は、自分の内面を理解し、支えてくれる存在であり、困難な状況でも一緒に乗り越えてくれるでしょう。また、対等な関係というのは、互いに尊重し合い、意見を自由に交換できる関係を指します。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人: この表現は、一緒に楽しい時間を過ごすことができる友人を指しています。このような友人とは、共通の趣味や興味を共有し、一緒に活動することが多いでしょう。しかし、それは必ずしも深い信頼関係があるとは限らず、個人的な問題を共有することは少ないかもしれません。
一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人について話していきます。
「遊び友達」、「喋り友達」、「ゲーム友達」、「ソシャゲ友達」など、これらは特定のコンテンツやゲームで楽しむためにつながっている友達を指します。彼らとは同じコミュニティに所属し、雑談したり遊んだりすることがありますが、それ以上の深い関係はありません。
私生活に入り込むことはなく、お互いの個人的なことには触れず、純粋に趣味を楽しむ相手としての友達です。
これが悪いというわけではありません。むしろ、インターネット上の友達との距離感としてはこれが普通で、健全な付き合いだと思います。それぞれの友達との関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大切です。
ですが、インターネット上の友達という距離感を保ったままお砂糖になるケースが見受けられます。リアルな友人とネット上の友人との間に存在する距離感の壁を超えられていない場合、それは誠意があるとは言えません。お砂糖が友人であるか恋人であるかを問う前に、互いに心を許し合うという基盤がないまま、不確かな関係性を築いてしまうことは良くありません。
それでも、それはまだマシな方かもしれません。なぜなら、"フレンドを切ってしまえばただの赤の他人でしかない自分にとって都合のいい遊び相手"という浅い考えで人を見下して、都合の良い相手として付き合っている人々が存在するからです。これは、人間関係を軽視し、他人を尊重しない態度を示しています。このような考え方は、健全な人間関係を築く上で全く適切ではありません。
それぞれの関係性を理解し、適切な距離感を保つことが大人の人間関係です。ですが、人間関係を深め、信頼関係を築くために近づこうとしないまま形だけの関係になっていませませんか?お砂糖という言葉で誤魔化さずはっきりと、どういう距離感で居たいのかを伝えることが大切だと思います。
奇跡的に距離感の擦り合わせに成功したとしても、価値観の擦り合わせという工程がまっています。もはやvrchatの領分ではありませんが、自分の思う価値観の擦り合わせについて書いていきます。
人々が他人の欠点を見つけて大騒ぎし、マスコミがそれを叩き、インターネット上で集団で非難することは、不寛容な社会を反映しています。完璧を求める就職活動や、欠点を許容しない傾向は、生きづらい世の中を作り出しています。
「カエル化現象」という言葉が、近年よく使われています。これは、愛する人の些細な欠点を見つけた瞬間、その魅力が色褪せ、感情が冷めてしまうという現象を指します。しかし、この現象は、私たちが他人に対して持つ過度な潔癖性の表れではないでしょうか。例えば「樽一杯のワインにスプーン一杯の泥水を入れると、全てが泥水になる」という言葉がありますが、人間関係においても同じように厳しい基準を適用してしまっているのです。
しかし、人間は完璧ではなく、欠点を持つことは自然なことです。お互いの欠点を認め、許容することで、より健全な社会を築くことができるでしょう。完璧を求めるのではなく、人間らしさを受け入れることが大切です。それによって、より寛容で、生きやすい世の中になるはずです。
自分は距離が近い人と上手くやっていくコツは「嫌いを許容する」事にあると思います。
人間関係において、「嫌いを許容する」というのは、相手の欠点を受け入れ、それを乗り越えることで、より深い信頼関係を築くことができるという意味です。私たちは完璧ではなく、誰もが何らかの欠点を持っています。しかし、それらを認め合い、サポートし合うことで、互いの絆は強まります。
嫌いな部分を見つけたとしても、それを単に指摘するのではなく、どうすればその部分を改善できるか、またはその部分を受け入れて支え合うかを考え話し合うことが大切です。お互いの長所を認め合い、短所を補い合うことで、関係はより豊かなものになると信じています。
まあ、vrchat民の殆どは指摘すらしない事なかれ主義者ですが。
人との距離が近くなるほどに、相手の嫌な部分が見えてくるかもしれませんが、それを乗り越えることで、より強固な関係を築くことができるのです。そして、それは人生において非常に価値のあることだと思います。
ですが、現実はそう甘くはありません。
SNSの普及により、私たちはいつでもどこでも人と繋がることができるようになりました。しかし、その結果として、人と深く関わり合うという行為が希薄になってしまったのではないでしょうか。かつては、人間関係を築くことは時間と労力を要するものでした。しかし今、私たちは「人間関係に対して代わりがきく」という新たな現実に直面しています。嫌いな部分を持つ人間関係を見つけたら、簡単に切り替えて新しい関係を探すことができるのです。
このような状況は、人間関係の価値を軽視する傾向につながりかねません。一つの関係に問題が生じたとき、解決する努力をする代わりに、新しい関係を求める方が容易になってしまったのです。しかし、これは本当に良いことなのでしょうか。人間関係においては、困難を乗り越えることが成長につながる重要な過程です。簡単に関係を切り替えることは、その過程を省略することに他なりません。
私たちは、SNSがもたらす便利さと、人間関係の深さを保つことのバランスを見つける必要があります。人との繋がりを大切にし、一時的な不快感や問題を乗り越えることで、より強固で意味のある関係を築くことができるのです。それは、メタバースの時代においても変わらない人間関係の本質であると言えるでしょう。
デスクワークでクタクタの夜はもう何も考えたくなくて、何も考えないためのゲームがしたくなる。昔あったテトリス増田のプチ版みたいな感じ
https://anond.hatelabo.jp/20170524090451
こういう時に適した、なんとなく見出だせるロジックに従って操作してればそこそこ勝てるような、そんなゲームを教えてほしい
テトリスとかの落ち物はどっちかというと反射神経の世界だからここではパス。毎日やりたいわけじゃないし、本当にただ指を動かすだけだと余計なこと考えちゃうからソシャゲも合わない
最近はシレン6買ってみたけど、ポケダンみたいなの期待してたら難易度高すぎて心折れた。凌ぎに凌いで20何階まで来てもちょっと囲まれて死んだら最初からって、申し訳ないけどなんでゲームしてまで気疲れと徒労感を味わわなきゃいけないんだよ……
個人的にはCatan universeが一番いい塩梅だけど、最近切断する人やその補填で入るAIの動きがクソ化してきたのでやる気が失せている
・ドラクエのヒット(1980年代後半~1990年代)で下地ができる。現50代~40代。
→エニックス系漫画誌ガンガンの登場。ジャンプだとダイの大冒険。
・2000年代前半、海外ファンタジー大作映画(ロードオブザリングやハリーポッター)のヒット。現30代。
→ファンタジー解説本やらが出回る。同時期に鋼の錬金術師連載。
・2000年代後半、ソシャゲでファンタジーから名前を取ったものが多用される。
・2010年~、web小説や小説家になろう でドラクエ的な勇者世界観を踏襲したものが流行り出す。(まおゆう等)