「担任」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 担任とは

2024-04-27

支援級と支援学校

話題になってたので自分小学生の時の事を思い出した。

小学生の時は支援級はなく、クラスに1人くらい知的障害自閉症の子がいた。

今思えばそうだったなという感じで、当時はちょっとみんなと違う感じの子がいるという認識だった。

隣のクラスにいた知的障害であろう子は、いつもニコニコ笑顔ぽっちゃりした男の子だった。

さやま よしのぶ君

隣のクラスだったけど、知ってるくらいめちゃくちゃイジメられてた。

ぽっちゃりしていたので、誰かに

「さやま よしの??」って問いかけられると

「ブー!」って返事するように仕込まれてた。

本人はからかわれてるのがわからいから、いつもニコニコと優しい笑顔だったのを覚えている。

ある日中庭が騒然とした。先生達が集まって何かあったようだった。

さやま君が中庭の池に落ちたと後で聞いた。

いつも笑顔だったさやま君の泣き顔をその日初めて見た。

自分で落ちたのかもしれないし、誰かに突き落とされたかもしれないと思った。

その日からさやま君は学校で見かけることはなかった。

親になってあの時のことを思うと、ご両親はきっと優しくてニコニコ笑顔の子供は愛されこそすれいじねられるとは思わなかったんだろうな。

命の危機さらされて後悔と転校を決意したのかな。

子供残酷だし担任ガチャだけじゃなくて、同級生ガチャもあるよ。

支援学校相当の子支援級や普通級に通わせるのは色々覚悟がいるんじゃないかな…

学校で何が起こってるかなんて本当にわからないよ。

2024-04-25

オラオラ!って言える能力必要だと思う?

昭和50年代生まれおっさんです。

時代的なものと、地域的なこともあり「なめられてはいけない」ってない

マインドがあり、口の悪い言葉と言うか怒声を中学生の時に出してました。

ゴラァ!とか、あ?コラ?、なんやねん!とかとか。

で、今でも出そうと思えば出せるわけです。

もちろん歳とって、きちんとした社会人になり、そんな言葉を使うことはほぼありません。

記憶にあるとこでは10年前くらい公園いじめしてる中学生に「ゴラァ!」って言ったくらい。

で、10歳の息子がいるのですが、そう言うオラオラ語を一切話せない。

時代的なものもありますし、地域的にもみな穏やかで学内暴力とか全然ない。

あだ名すら呼ばず男も女も「〜さん」言うてる。

しろ教師ちょっとオラ!と叱って、生徒が登校拒否担任交代とか。

かに必要ないに越したことはないのだけど将来、ちょっと柄の悪い輩に巡り合った時ひどいことにならないかなと心配

また自分は「ゴラァ!」と言えるからこそ、心の余裕みたいなものがあり

普段すぐにキレたりせずいろんなことに対処できてるような気もします。

けど「ゴラァ!」って言う練習なんてどうしたらいいかからないし

このぬるい時代に息子は流されるしかないのだろうかと思ったり。

いざという時、「ゴラァ!」と言える能力必要でしょうか?

2024-04-19

息子の同級生の4歳児を恫喝したら暴力が止んだ話

半年前位から息子が同級生発達障害っぽいガキに頻繁に怪我させられてたんだけど、この前息子を突き飛ばしてるのを現行犯で見つけたからドス利かせた声で恫喝したら、それ以降怪我して帰ってくることがなくなった。

うちの息子は担任いわく他の子になにかをされても滅多に怒ったりやり返したりはせず唇噛みしめて我慢しているタイプらしいので標的にされたのかなと思ってる。

保育園としてもやれることはやってくれてるんだろうけど根本的な対策は取れないだろうし、相手の親にしたってそれなりに悩んでいるはずでどうしたもんかと思ってたんだよね。

とりあえずビビらせるのは効果あるっぽいから今後は見かけるたびに睨んで効果を持続させる予定。

暴力的であまりいい方法ではないし相手の子教育にはよくないのかもしれないけどうちの息子が我慢させられる必要もないと思うので仕方がないかなー。

2024-04-18

「どーせ無理」という言葉

YoutubeのShortsで上がってきた植松努氏のTEDの講演、思わず聞き入ってしまった。

書き起こしだと雰囲気が伝わらないと思うので、是非動画を観て欲しい

https://youtu.be/gBumdOWWMhY?t=588

僕は小学校に上がってすぐに、担任先生ものすごい嫌われたんです。

僕が信じていたことやばあちゃんが教えてくれたことは、全部否定されました。

僕の夢は、お前なんかにできるわけがないって、さんざん言われました。

じいちゃんがなぜてくれた頭は、先生にさんざん殴られました。

とってもつらかったです。

でもそれを助けてくれる大人はいなかったです。

僕はその先生が言っていた言葉を忘れてませんでした。

その先生は「どーせ無理」という言葉をよく使っていたんです。

この「どーせ無理」という言葉がおそろしい言葉なんだなと思いました。

これは人間の自信と可能性を奪ってしまう最悪の言葉です。

でもとっても簡単言葉なんです。

これを唱えるだけで何もしなくて済んでしまうから、とっても楽チンになれるおそろしい言葉でもあるんです。

こんな言葉未来を諦めさせられてしまった人たちは、自信を失ってしまうんです。

でも人間は生きてくためには、どうしても自信が必要なんです。

から自信を無くしてしまった人の中には、お金で自信を買うようになって、身を飾るようになったり、またそれを自慢しなければいけなくなったり、そのためにひとを見下さなければいけなくなってしまったり、また他の人ががんばったら困るから努力邪魔するようになってしまう人もいるんです。

こういう人がみなさんの身のまわりにも、もしかしたらいるかもしれません。

でもその人たちは、自信をなくしてしまたかわいそうな人たちなんです。

その人たちが自分の自信を守りたくって、しょうがなく他のひとの自信を奪ってしまってるのかもしれません。

からこそ僕は「どーせ無理」という言葉をなくそうと思いました。

誰もが「どーせ無理」 だと思われてる宇宙開発をしてみようと思ったんです。

2024-04-16

現役JK学校が無理すぎるので吐き出したい

元々ディベートなど人と関わることが好きだったし、議論することも好きな方だと思う。

からディベートなどを通して勉強できる学校を選んだ。つもりだった。

入学してまず時間割を見たところ絶対いたことない授業があった。どうやら移動教室らしい。スタジオのようなところに通され、普段の授業よりも明らかに多い先生がいた。

そこからがもう地獄だった。

まず女の先生が言う。

「人の体を触り、自分も触ってもらう事により相手を癒すことができる」

これが1番最初に言われた。

完全にセクハラ合法化を目指してる授業だ!!!怖いよ私!!お母さん助けて!!素直にそう思った。

そこからはもうカオスで、謎に名前ダンスとして表現させられたり、某学校の名乗りのようなことまでやらさせた。男女同士関係なくおんぶもさせられた。

なんでこんなことやってるのか意味がわからない。何も目指しているんだあの先生たちは、でも成績がかかってるからどうしようもない。

もっとダンスにキレを!!」とか言われてもそんなことそもそもしたくてここに来ていない。

スクールカウンセラーにこのことを相談したく、担任に聞いてみたが3ヶ月待ちらしい。どんな学校だよ。

現役JK学校が無理すぎるので吐き出したい

元々ディベートなど人と関わることが好きだったし、議論することも好きな方だと思う。

からディベートなどを通して勉強できる学校を選んだ。つもりだった。

入学してまず時間割を見たところ絶対いたことない授業があった。どうやら移動教室らしい。スタジオのようなところに通され、普段の授業よりも明らかに多い先生がいた。

そこからがもう地獄だった。

まず女の先生が言う。

「人の体を触り、自分も触ってもらう事により相手を癒すことができる」

これが1番最初に言われた。

完全にセクハラ合法化を目指してる授業だ!!!怖いよ私!!お母さん助けて!!素直にそう思った。

そこからはもうカオスで、謎に名前ダンスとして表現させられたり、某学校の名乗りのようなことまでやらさせた。男女同士関係なくおんぶもさせられた。

なんでこんなことやってるのか意味がわからない。何も目指しているんだあの先生たちは、でも成績がかかってるからどうしようもない。

もっとダンスにキレを!!」とか言われてもそんなことそもそもしたくてここに来ていない。

スクールカウンセラーにこのことを相談したく、担任に聞いてみたが3ヶ月待ちらしい。どんな学校だよ。

「絵が上手いの、ずるい」と言われた

子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。

子どもたち「絵、うま!どうして?」

「君たちくらいのころから描き続けていたからだよ」

親「え~w最初から上手だったんだw」

最初はこの子たちより下手でしたよ~」

親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」

子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。

こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。

ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。

最近オタク文化根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく)

 

というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…?

 

ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。

 

初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。

幼稚園で一番好きなのは絵を描くとき

想像が目に見えるという楽しさで描いていた気がする。

 

小学校に入ってからはつらかった。

漫画が好きで漫画をメインで描いていた。

しかし当時は

絵を描く=オタクキモイいじめていい

みたいな時代だった。それか自分学校治安が悪かったのかもしれん。

教室で絵を描いていればカースト上位にぶんどられて

「うえ~wこいつ絵なんて描いてるぜ~wキッショ!」

である

移動教室ちょっと自分の席を離れていたら、しまっていた自由帳を黒板に張り出されているし。

鉛筆や道具箱消えているし。

キャラを描いていたら

おっぱい描いてるwきっも~~~www」

だ。

しばらくして図工教室に籠もるようになった。

図工の先生だけは「上手!」ってほめてくれたから。

担任も「絵なんて描いてないで外で遊ぼう!」しか言わんかったし。

 

その中でも絵を描く同士で集まって、出始めたころの初音ミク衣装を考えてみたり、好みのイラスト本を共有し合っていたりした。奪われて晒されて怒られたこともあったけど。

どんなに周りから馬鹿にされても描き続けていた。

同士がいることは本当に心強かったな。

 

中学に上がり、第一の衝撃があった。

絵がとんでもなく上手い奴がいたのだ。

マジで上手い。

な…なんだ…これ…背景?!…ぽ、ポージング?!横顔?!うま?!なんで?!

ペリー来航だ!!!明治維新だ!(?)

自分の絵なんて赤子どころではない。猿がかいた…いや猿の方がもっと上手い。

ここで初めて自分の絵が「下手」ということを認識する。

下手すぎる。なんだよ横顔をかけないからって逃げるなんて。

 

そいつ鈴木とする)はまじで上手かった。

しか鈴木は堂々と絵を描いていた。小学校時代に怯えながら描いていた自分とは違う。

絵に対しての自信が違いすぎる。しかも懐もでかい

増田、どうしてそんなキャラをたくさん生み出せるの?!え、漫画も描いてる?!すごい!」

いいやつすぎる…なんだこいつ…。

こいつと一緒に絵を描いていると、下手なのが申し訳ない!!!

 

鈴木コミュ力も高くてどんどん絵描き仲間を作っていく。

私立だったからしらんけど、絵描きいじめるやつはいなかった。

しろ絵が描ける=すごいって認識だった。

 

そして鈴木を中心にどんどん上手い奴が集まってくる。

「うまくならなきゃ!!!みんなに失礼のないように!」

と、好き勝手描くのではなくちゃんと人体や構図を意識して…。

鈴木コミケに遊びに行こうと誘ってくれて、デジタルというのを知り親に頼んでみる。

 

ここで自分の親は偏見を持たなかったのもでかかったきがする。

パソコンで絵が描けるみたいだけど、何か知ってる?」と父親相談した。

父親電化製品が大好きで、PC自作するタイプ人間だった。

秋葉原学生時代から足を運んでいたらしい。

父親ペンタブという存在を知っていた。イラストソフトっていうのも知っていた。

「一緒に買いに行こう」と初めて秋葉原に遊びに行った。

 

ここでアニメ絵という存在を知る。

すげぇ…あんなに迫害されていたオタクという文化が街に存在している…。

この絵柄ジャンプとかじゃみない!かわいい

逆に渋くてかっこいいのもある!

 

イラストの描き方本がたくさんある場所も教えてもらった。

ペンタブというものがあり、デジタルだとあんな絵が描けるというのも知った。

 

ますます絵を描くのが楽しくなった。

デジタル最初、まったくわからなかった。

レイヤーバケツ解像度ペンの種類多すぎじゃね?色どうやって作るの?絵の具とは違う?

でも毎日触っていた。機能がわからなくてもペンを動かすのは同じだったから。

 

中高一貫だったのでそのまま鈴木とともに高校に上がる。

このくらいからまわりが「アニメ絵やポップな絵が欲しいなら増田に頼む」という認識になった。

美術部を差し置いてそんなそんな…。ありがたいことだった。

自分バリバリ運動部だった)

 

鈴木が「めっちゃ絵上手になれた。増田のおかげ」と言ってくれたこともあった。

自分にとって、鈴木は目指すところだし、憧れて悔しいところもいっぱいある。

でも一緒に上手くなっていくのが楽しかった。ライバルってこんな感じかもしれん。

 

このあたりから自分は絵が上手いんだと思うようになった。

鈴木にもようやく追いつけたぞ!と思った。

 

Twitterが盛り上がり時期で、このあたりでネットにも投稿し始めた。

とあるジャンル二次創作にはまってどんどん絵を描いた。

ネット上にはもっともっと上手い人がいる。激うま。みんなプロじゃないのか?

でも自分の中では「自分はまだ高校だし」と思って、いつも通り適当に絵を描いていた。

 

大学受験が疎かになってペンタブ没収されるくらいに絵を描いていた。勉強しろって話だ。

変わらず授業中に絵は描くし、風邪ひいていても絵が描きたくて起きたり、兎にも角にも絵が描きたい!!!!!!!!!!という中高時代だった。

 

大学にはなんやかんや頑張って受かった。

……芸術系の。(美術専攻ではないが)

そう、これがやばい

 

第二の衝撃。

みんな………………絵が………………うますぎる。

え?みんな先月まで高校生だよね?

え?え?

プロじゃないの?!?!?!?!?

美術専攻でないのにこのうまさ?!?!??!!

落書き!?!?

同人誌だしている?!壁サー?!?!?

 

井の中の蛙大海を知らず。

鈴木の絵は上手いと思っていた。まじでリアルの周りで頂点だと思っていた。全然だった。

鈴木の5000000000000000倍上手い奴らしかいない。(鈴木も十分上手い)

しかネット上ではない。リアルにだ。

ネット上だとプロとかもいるしと、なぜかフィルターをかけて「しょうがないよね」ってなってた。たぶんネットから実感がなかったんだと思う)

 

比較して鈴木が下手の分類になると、必然的に追いつけたくらいの自分もっと下手になる。

 

改めて自分の絵を見る。

へっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっただな!!!!!!

は?何が「自分は絵が上手いんだ」だ。馬鹿か。ドアホ!

クソみたいに下手な絵だな?!?!?!これで投稿していたんか!!!

恥ずかしいわ!!!!!!!!!!!!

 

みんななんで上手いんだ?!デッサンしたほうが良いのか?!

でも、デッサンをやっていない人ばかりだし、それでも絵が上手いってなんでだ?!

息をするように神うま激うま絵が出てくる!!

 

困惑しつつも、成人して鈴木と一緒にコミティアに出た。イラスト漫画

計5部くらい売れた。終わり。

(身内+他の島の本も全部買うタイプ富豪人間の5部)

隣接サークルボンボン売れている。

明らかに通りすがりの人の立ち止まり率が違う。

ようやく現実を突きつけられた。

自分はうまくないんだ…」

 

鈴木は楽しそうだった。上手い・下手だけで生きていない聖人だったから。

もっとうまくなりたい」とぼやいたら「向上心の塊か?なろう!もっと高みに行こう!」と言ってくれた。

ありがとう鈴木。本当にいいやつだな君は。

 

 

大学時代結構つらかった。

何をすれば絵がうまくなるんだろうと悩んだ。

ペンを動かしても「違うよな…」となった。

塗り方を変えてみたりした。

たくさんのメイキングを見たり、ペンには何があるか、生物構造は何があるかちゃん勉強した。

 

高校生まではちゃん勉強して絵を描いていなかった。

なんとなく模写していたら上手くなっていたし、ちょっと意識すれば上手くなったからだ。

でも限界があった。

 

嘘みたいに絵を描く気力が落ちていった。

だって自分より上手い人なんてごまんといる。比べ始めてしまった。

絵を描いて…何がしたいんだろう。仕事にしたいわけじゃない。

どんなにインプットしても思い通りに描けない。アウトプットがうまくいかない。

授業中に絵を描くのは大学生になっても続いていたが、なんか満たされない。

片道2時間半の通学も車窓の景色を見つめてぼーっとしてしまう。

下手だから上手くならなきゃとただ漠然と絵を描いていた。

 

周りの真似や、メイキングをあさっても、なんかピンとこない。

「十分上手い」と言われても自分では納得できなかった。

だってもっともっともっと上手い人が周りにいる。

つか、上手いってなんだ?何をもって上手いなんだ?

人体通りに描けていれば上手いのか?

でもそうじゃない人もいる。

崩しが上手い人、デフォルメが上手い人、モンスターが上手い人…。

ここで初めて「絵が上手い≠綺麗に人体が描ける」と思った。

 

絵が上手くなりたい。でも明確なゴールって?

鈴木を超えたら終わり?

楽しければいいと思っていたが、うまくなればもっともっと楽しい

想像が目に映る形になるのがうれしい!楽しい

でも上手いってなんだろう?

 

そんな時、大学とある講義教授がこんなことを言った。

 

芸術は人の感情を動かすことができる。自己完結ではなく、第三者に影響を及ぼせる。

技術科学芸術も一人で終わってはいけない。第三者に影響させてこそ輝く。

社会貢献という形で自己確立にもなるんだ。すでに君たちは与える側に立っているんだ』

 

自己完結世界自分一人ならいいが、そうじゃない。

絵が上手い人は自分世界を持っている。

その世界が伝わるから絵を見ることは楽しいし、すごいってなる。感動する。

絵を描き続けるだけが楽しいと思っていたが、元はそうじゃないって気が付いた。

想像を形にして、自分にそれが伝わるから楽しい。絵で感動しているからだ。

なら第三者に伝えられることができればもっと楽しいのでは?!感動させたら?!

 

そのために、もっといろんなものを見よう!

せっかく芸術系大学に入れたんだ!しかも他の学科も受けれる大学だ!

他のジャンルの授業を受けてもっともっといろんなものを見よう!

そこから自分が手にしたい絵柄、表現にたどり着こう!第三者に伝えられるように!

それでこそ自分想像が完成する!自分勘違いで終わらせない!

という結論になった。

 

自分自身の絵を振り返って、自分の描ける絵柄を見直した。

流行りやあこがれで選んでいた絵柄は自分では表現しきれないと諦め、アニメギャル塗りを極めようと絞った。

そして、好きなものは何だろう。自分が良く描くものは?と徹底的に自分100%実力が出せるように調べた。

 

大変だった。

初めて絵を描いて「違う!!」「こんなの下手すぎる」となった。

漫画を描いてもストーリーはまた別の技術。これまた自己嫌悪になった。

何を描いても必ず楽しいにはならなかった。

ゴミみたいな作品生みやがって…」と自分にキれることも増えた。

何作も描き終えては「ゴミだな…」となり、試しに小説を書いたりもした。

くそみたいな話だな…微塵も面白くねぇ…」と二度と読み返さないのも増えた。

でも、自然ペンは握っていた。

 

ふと、気が付いたらなんか想像していた通りの絵が描けた。

急にだった。どうした?

なんか漫画もすんなり描けたぞ?小説も苦じゃない。

徐々に上手くなったのかもしれないが、突然意識して「あれ?上手くね?」となった。

無我夢中だったのか?

積極的コンテストに出始めたのもこのあたりだった気がする。

SNSでも反応が増え始めた。

 

大学4年になってもう一度コミティアに出た。

完売した。50部

 

え…?

え……?

え"?!?!?!?!?!?

 

しか漫画完売した。

 

は?!?!?!?!?

 

感想めっちゃくる。賞もちまちまと頂けた。

 

へ?!?!?!?!?

 

た、たどり着いたってこと?!

第三者が見ても絵が上手い人間!!!!!!

 

人生で積み重なって山になった自信がようやく噴火した瞬間だった。

まらねぇ~~~!!絵描くの楽しい~~~!!!!!!

つか作るのたのしぃ~~~!!

思った通りに!意のままに!絵が描ける!描けている!自分勘違いじゃない!

 

賞をいただけて、意図が伝わっている!

伝わっているってこんなにも楽しいなんて!

 

20何年。ようやく堂々と絵が上手いと言え、それにうなずいてくれる第三者がいる。

なんとなく絵が上手いよねくらいじゃない、絵が上手い人にへと!

 

1つのゴールにたどり着き、次のスタートが始まった気がした。

 

 

ばーっとかいたけど、頑張ったんだな自分

「「ずるい」は、自分に有利にするために、汚い手を使ったり、ごまかしたり、だましたりするさま。」ってgoo辞書にある。

どう見たってずるじゃねぇだろうがい!!!叫びつつ、これをどうにか圧縮して投げつけたい。

 

 

「絵が上手いね。どうして?」と言われたら

「ずっと描いていたからね」と回答する。

とりあえずの最適解なんだよな。

 

でも、これを3年くらいでやってのける人間もいるしな~。世界は広いよな。

 

自分の絵は上手いと思うが、でもやっぱり去年の絵をみて「まだまだ」と思う。

からおおっぴらに自慢できないけどさ、ここに残しておいてもいいよな。

 

AI絵とかできて自分の絵は不必要になるかもだが、それでも描いていたい。楽しいんだもん。

ちょっとでも誰かがすごいって感情が動いて、感動してくれれば、自分がこの現実に生きているって思えて嬉しい。

考えればこの親もずるいっていう感情が生まれている。嬉しいことかもしれない。

 

 

<余談>

鈴木のことは超えられない。というか超えるっていうの止めた。

鈴木も当然とんでもなく絵が上手くなっていて、すごいことになっている。

絵のジャンルは違うけど、いまだに嫉妬しつつ憧れているし、お互いの絵を褒め合って羨ましがって「いいだろ~」「お前上手いな!」と言い合っている。

でも鈴木には負けない自分の上手さがある。

そして鈴木に勝てない自分の下手さもある。

中学から変わっていない。

見るから中学生のガキがコンドームレジに持ってきたかこちとら童貞だってのにイラときて「未成年には売れないんですよ、念のため学校に連絡しますね」っつって電話したらすぐに担任らしき人がきてしこたま説教されてた

舐めんなクソガキ

2024-04-15

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章

地球から侵略者日常に溶け込んだ世界青春謳歌する少女たちの姿を描いた作品

3年前の8月31日、巨大な宇宙船母艦」が突如として東京に襲来し、世界は終わりを迎えるかに見えた。

その後、絶望的な状況は次第に日常に溶け込み、上空に母艦が浮遊する異様な光景が当たり前となっていた。

そんな中、女子高生小山門出と「おんたん」こと中川凰蘭は、担任教師渡良瀬や仲の良い友人たちとともに何気ない学生生活を送っていた。


いろんな過去アニメ連想させつつ、すごくSFしてるのが面白かった。

2024-04-10

anond:20240410115233

偉いし正しい増田じゃん。

 

いじめを無くしたい、とか言ってる奴はド素人

教育現場でも、いじめは「早期発見被害者ケア」が対処になっている。

いじめはどうあがいても起きる。

 

過去増田は、本来担任教師がやるべき仕事をしたな。

anond:20240410111447

元増田はyujimi-daifuku-2222じゃなくてmillfiだと思うよ

『『男児による性加害を訴える女って』へのコメント』へのコメント

すっげえ、担任女性先生より中学生男子のほうが立場が下なの?通知表握られてるのに?2024/04/07 11:36

<script src="https://b.st-hatena.com/js/comment-widget.js" charset="utf-8" async></script>

ワイの人生辛すぎンゴwwwwwwwwww

幼稚園の頃から父親同級生に殴られてて常に痣があった。わたしコミュニケーションが不得意でブス。他人から嫌われたり疎まれる要素しか無かった

小学校中学校の時も先生や親から理不尽毎日怒られる生活。 親はともかく先生はきっと理不尽に怒っているつもりは無いのかもしれないが出来ないことに怒ってくるので理不尽だと思っている

生活がガラッと変わったと思ったのは中学2年生の頃私にスマホという名の黒船が到来した。

深夜にネットサーフィンをして病み垢と言うもの存在を知った。知った瞬間からTwitterアカウントを作ったと思う。病み垢のお姉さんから夜の仕事(所謂デリヘル)の存在を教えて貰って、どんなクズ人間でも高給を貰える仕事を知ってから密かな将来の夢がデリヘル嬢になった。

年も開けて中学3年生、受験シーズンになると担任先生からどんな馬鹿でも入れる女子校を勧められ勉強できる頭も器量も環境も無かったのでそこにした

これが私の間違いだったと思う。

私は病み垢キラキラした女の子達を見て重大な欠陥を忘れていた。ブスという事である

女子校においてブス、コミュ力なし=人権しなので私は1軍と呼ばれるキラキラグループからは離され所謂普通女の子である二軍の女子からは陰口を言われ同類と思っていたチー牛女オタクからTwitter悪口を書き込まれていた。

遂に精神を来たし始めた私は担任の勧めでメンタルクリニック受診しはじめるようになる。

そこで私が初めてASDADHDである事を知った。

全ての落ち着きのなさ、コミュニケーションの取れなさに病名がつきほっとしたような気持ちになった。

これが高校2年生までの話。この頃にはデリヘル嬢になりたいなんて馬鹿な夢は消えていたと思う。

高校3年生の確か夏、担任先生からは推薦での進学を勧められていたが名前の知らない九州北海道Fラン大学だったため就職コースに乗った。

最初製造系の面接を受けてその次はショップ系その次はスーパー。最終的に5つくらい受けた。高校就活は1人1社なので普通2つ受けたら受かる筈なのに何故か全て落ちた。おかしいと思い5社目に落ちた理由を聞いたら障害がある事が理由だった。

私は障害がある事を先方に伝えていなかったのに担任勝手障害がある事を伝えたらしい。

から勉強の出来ない私に大学を進めていたのかと思うと妙な納得感が出てきた。

結局1社も受かること無かった私は4月1日30万円の入った封筒父親に投げられ家を追い出されることとなった。

30万円を持ち私が向かったのは東京だった。

昔見たインターネットカフェ難民動画を見て下手な知識をつけた私は下町の激安ネットカフェ拠点生活していくこととなる。

だがこれが間違いの元だった。基本的に住所のない人間はどこも雇ってくれないことを私は知らなかった

激安ネットカフェコンビニの飯を食べながら東京生活満喫していた頃には渡された30万は残り5万程度になっていた。

ある日、東京の街を徘徊していると「求人高収入」と歌いながら走っているトラックを耳にした。

急いで拠点に戻りそのサイトを見てみると風俗情報がいっぱいあった。

ざっと流し見していると私は1つの求人を目にした。

容姿不問、高収入初心者歓迎」

その容姿不問という魅力的な求人に飛び乗り、そして受かった。

職業が決まった私は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

でも私にとってそれが地獄への入口みたいなもんだった。

サイトに貼られた時給は顔がいい女の時給で私の給料は8時間で6回して9000円。

しかも私は上手いこと乗せられて知らないおじさんの客に初めてを捧げてしまった。

惨めで死にたくなってしまいそうな時もあったがそこしか私の居場所は無かった。死ぬ度胸も無かったし

退勤している時ホストに声をかけられホイホイついて行った。そして売掛という形で借金を作った

なんで私の人生はこんなにダメなんだろうか。 発達障害から馬鹿から計算がまるでダメから

話は変わるが男女論を見る度に女は股を開けばお金が稼げるという煽りを見るが股を開いてもブスだと二束三文しかならない。なぜ自分が股を開けば稼げる美人に産まれると勘違いしているんだろう。

もう書きたいこと思いつかないのでやめる

2024-04-09

帰ってシャワーを浴びる。

シャワーから出ると俺がシャワーを浴びてる間に帰って晩飯の用意をしてる妻が切れる。

シャワー浴びてないで子供の面倒見てよ!!

ご飯食べた後でいいだろ。

私にやれっていうの!!!

あとで俺がやるよ。

俺と子供達が食べ始めると妻がシャワーを浴びに行く。

晩飯を済ませ、子供の持ち物を見る。

今日が始業式だったからやたらやることが多い。

健康調査票やら緊急連絡先やら登校班の届けとか担任への連絡事項とか。

プシュ。

整理しながらやってるとシャワーから出た妻が発泡酒を飲みながら横で飯を食べ始める。

妻がだんだん不機嫌になる。

今日中に全部やらなくてもいいでしょ。

妻は酒を飲みながらゲームするのが日課だけど、俺がいるとやり難いらしい。

ほんとめんどくせえよ

2024-04-07

校歌が元に戻された側の体験

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.kobe-np.co.jp/news/himeji/202404/0017511004.shtml

この話で、自分は戻された側だった。

といっても条件は違っていて

小学校校歌

・戻されたのは伴奏で、メロディは変わらず

だったので、厳密には一緒ではない。

自分が小6の時に赴任してきた音楽教師が、厳格あるいはヒステリック女性だった。

前任がおっとりした定年間近の男性教師だったのもあり、その差にも驚いた。

方針も「音楽を楽しむ」から音楽をきっちり学ぶ」になったのもあって正直音楽の授業がそんな好きでなくなった。

で、前述の校歌であるが、今までの伴奏児童演奏やすいようにアレンジされてたらしいが、女性教師が元に戻してしまった。

どうなったか伴奏立候補する児童がいなくなった。

仕方無しに最高学年で小3までピアノを習っていた自分がやることになったが、一人で弾ける難易度ではなく、右手自分左手女性教師みたいなことになった。

翌年の校歌がどうなったかは知らないが、荒れた自分の二つ下の学年によって先生は病んで転任したと聞いた。

(補足すると担任が大当たりの先生から大ハズレの先生になったので抑えきれなくなったっぽい)

あの我の強さだったのに?!と驚いたが、後々友人にパワハラしてた上司咎められて病んで退職したと聞いたので、得てしてその手の人は反撃されると弱いのだろう。

記事美談のように語られているが、経験則からさない方がいいと思うよ。

2024-03-22

anond:20240322222644

さすがにそのレベルの荒れ方ではなかったけど、ムカつく担任担当教科の授業クラス全員でボイコットした挙げ句担任が鬱で休職するくらいのことは普通に起こってたよ

集団行動できないやつは図書室か保健室行くか校舎裏でヤニくさるだけだし

anond:20240322140045

時間中に排気管を外した50ccバイクが校庭に入ってきて、

何周もグルグル回りながら騒音を撒き散らすとか、

ヤンキー先輩が先生のいない自習時間中に勝手教室に入ってきて

セックスオナニーの違いを新一年生に講義を始める。

で、慌てて乗り込んできた担任先生と黒板の前で殴り合いを始めたりする。

これが荒れた中学校実態

anond:20240322000014

公立出身だけど生徒じゃなくて教師が荒れてたわ

俺はあの学校教師はろくなもんじゃねぇという偏見を植え付けられた

特に記憶に残ってるやつ↓

・部費を二重請求する教師

こいつは保護者向けの説明会に出席してた俺の祖母を騙して既に俺が納めてる部費を二重に請求した剛の者。

他にも新品を購入する名目ユニフォーム代を受け取っておきながら謎のお古の備品を渡して着服するなど、もしかしたら犯罪者だったのかもしれない。

なぜ抗議しなかった当時の俺。

女子生徒とメアドを交換して家に呼んだ教師

こいつは単純に何人かの女子生徒とメアドを交換して仲良くなり自分の家に呼び寄せてた剛の者。

当時はハルヒ流行ってたかハルヒの話とかで盛り上がったらしい。犯罪者だったのかもしれない。

・瞬間湯沸かし煮干ジジイ

こいつは教師の風上にもおけないのでジジイとするが、とにかくすぐにブチギレる。そして蹴る。爪先で腹部とか脛とか人体の弱点を狙って蹴ってくる。

1年の時の担任だったがまだ殆ど小6の身体男子生徒がHR時間に少しお喋りが過ぎたことでブチギレて床に引き倒して腹部を執拗にトゥーキックして号泣させてた。

あと給食煮干しのパックが1人分足りなくなった時に「僕の煮干しはどこだよ!!」とブチギレて暴れたのであだ名煮干しだった。

あとこいつは自分の授業の準備を生徒にやらせる、そしてその為だけの係も作ってたな

毎回の授業の終わりに2名が強制指名されて、仮にその準備に不備があろうものならトゥーキックに急襲されるという

思い返すと腹立ってきたなぁ

中学の時にやった一番のやんちゃって担任を2階の教室の窓から投げ落としたことだよな

当時は若かったわ

今だったらさすがにそこまではせん

anond:20240322000014

学校による

もっと言うと担任による

ほとんど運で、クラスの中心に近いガキが「こいつは茶化していい」って先生に対して思ってしまったら崩壊する

まじで運

崩壊して転任した先生が、転任先で名教師みたいになるので、本当に相性でしか無い

2024-03-21

anond:20240321113411

松本人志は圧倒的にいじめられっ子いじめっ子として生きてきてるで。

大体苛められっ子が、虐めといじりの境界線を、笑えたらいじりで笑えなかったら虐めとか言うと思うか?

幼稚園や低学年の頃いじめられっ子

オレは幼いころ、何を隠そう、イジメられっ子だった。幼稚園ときプール時間自分の水鉄砲をとられても、ただ泣いてるだけ。先生に泣いている理由を聞かれても答えられないほどの気の弱い子供であった。

松本人志遺書

小学校に上がってもそれは変わらず、男の友達などまったくいなくて、女の子とばっかり遊んでいた。

松本人志遺書

小学時代障害者虐め

小学生の時。岡田って奴が居てね。足が悪くてね。片足引きずるように歩くの。オレ何度かイジメた事が有ってね。でも子供って気まぐれで。いちど家に遊びにいったの。友達でもないくせに。。。そろそろ帰ろかなって思ってたら岡田のお母さんがパートから帰ってきてね。。。

2013.06.12 00:43

https://twitter.com/matsu_bouzu/status/344479996892565505

松本人志@matsu_bouzu

。。。クラスメイト岡田が連れてきたの初めてやったんやろうね。お母さんが凄い嬉しそうで。オレにやさしくて。ありがとうね。仲良くしてあげてね。って何度も言われて。。。オレ罪悪感でたまらんようになってね。。。おばちゃんオレ岡田のことイジメたこと有るって。言えなくてね。。。

2013.06.12 00:44

https://twitter.com/matsu_bouzu/status/344480235489746944

松本人志@matsu_bouzu

。。。なにより。岡田がお母さんの前でオレと親友のふりしたのが切なくて。辛くて。。。オレ心の中で。岡田と。お母さんと。いろんなもんに何度もゴメンなさいって思って。。。

でも岡田とはその後も友達ってわけでもなかったな。。。

なんとなくの昔話。。。

おわり。

高校時代ミニコン感覚被害者遺書を書き停学になるレベルの虐め

同級生に飛び蹴りをくらわしたり、頭をポカンとどついたり、まるでおもちゃのように扱っていた。

鹿砦社ダウンタウン浜ちゃん松ちゃんごっつええ話」

こんなこともあった。授業中、突然立ち上がり、スーツと前へ歩いていったかと思うとみんながよくいじめていた同級生の頭をパカンとどつく。どついた後、表情一つ変えないで、いつものあのムスっとした顔で、スーッとまた席に戻る。

鹿砦社ダウンタウン浜ちゃん松ちゃんごっつええ話」

いつもいじめていた同級生が、ある日遺書を書いて、自殺をほめのかした。その遺書の内容は、「僕はいつも学校に行っていじめられています特に松本は、僕をいつもトイレに連れ込んで、雨あられのようなパンチを振るいます。これ以上学校に行ってもおもしろいこと何もありませんから、僕はこの世からいなくなってしまったほうがいいと思っています

鹿砦社ダウンタウン浜ちゃん松ちゃんごっつええ話」

「俺らは何回も停学くらってたから、あのときは無期だったんかな。松つんは初めてだったから、確か二週間か一ヶ月ぐらいだったと思うわ。担任先生学年主任職員室に呼び出され、停学の宣告を受けたの覚えとるわ」

鹿砦社ダウンタウン浜ちゃん松ちゃんごっつええ話」

松本高校の時無期停学になった時の話があってね。ほんまにな五人ぐらいでな、遊んでてん。いわゆるほたいてたんやな。で、あの一人ちっちゃい奴がおってんけど、そいつを何かこうみんなでミニコント的な感じで、こう膝蹴りみたいのを…もう全然入れてないで。

放送室 第233回 2006年03月18日

松本ヘッドロックう~やったりとかしてたわけよ。でも、確かに若干いじめられっぽい感じの奴やったけど、少なくともその場は遊んでやってたわけよ。俺らにしたらもう普通にミニコント、遊んでるだけやったんけど、次の日に原稿用紙5枚ぐらいに、そいつがあのー「集団リンチを受けた」みたいな。

放送室 第233回 2006年03月18日

松本:あの~誰々君にヘッドロックをされ、その後松本君が膝蹴りを数発僕の腹部に…みたいなことをバーッと書かれて、ほいで全員無期停学になったのな。で、そん時は「いやいやいやいやー、ありえへんなー」って。

放送室 第233回 2006年03月18日

松本:ほいでみんな他の5人も全員みんな「いや、もうあいつ頭おかしいんかい」という話やんか。いやねんけど、まあまあ今になって考えると、彼にしたらそんな感じやったんやろなあ。

放送室 第233回 2006年03月18日

2024-03-18

  小学6年生のときに、井植嘉彦担任とき卒業イベント時計作成するものがあって、そのときに、1996年だったかGLAYが既に出ていて、ヴォーカルの顔が

   好きだったわけではないが、もの状態がよかったので、

     それ以降の時代にも大ヒットし、 文科一類受験、 法学部卒業後、1年間くらいは愛好しておりましたので。

     まあ、テルやなんかは、スーパースターでしたね、私の頃は。

   今のようなもの状態だと誰も信じませんがね。

最高の教師卒業式

小学校教師をしている。私の学校の話ではないが聞いてくれ。

6年生担任が最高のパフォーマンス学校を沸かしていると、知人がLINEで教えてくれた。当方田舎の小さな学校だが、都会の大型校の話に驚くしかない(どこの県かは伏せる)。

その教師は、今の教師ができないことをやる。

 ・ 運動会で大型組み立て体操

 ・ 学校子供主体募金活動

 ・ 修学旅行別に卒業遠足を追加実施

とにかく、自分の学年とクラスの子供の自己肯定感を高めるために、ありとあらゆるネタを仕込んで、子供たちに実行させてるような気分にさせる。保護者からのウケもいいので、校長教頭すら頭が上がらない。若い先生たちのヒーローらしい。いわば、最高の教師だと。

知人が熱く語るのは、最近あった卒業式がすごかったという。

練習した結果、卒業生の2割が欠席。式の途中で気分が悪くなる子も続出。式の終盤になったところで6年生の一人に「揃っていない卒業式なんて意味がない、やり直ししよーぜ」と言わせた後に、最高の教師が大演説パフォーマンスをして、生徒と保護者を説得。その場で「卒業式のやり直し」を管理職に迫って、認めさせたという。

ほとんど卒業式が終わってんのに、別の日のやり直しをその場で決めるのかよ。テレビドラマみたいなだな、都会。

卒業式が2回もあってうれしいか?5年生とか、来賓とかスケジュールどうすんのよ。 そもそも、体調悪くするぐらい練習させてるとか、組体操とか、子供現金扱わせたり、無駄に追加行事とか、ほかのクラス・学年を貶めかねない言動とか、私からすればダメ教師しかないんだが。

知人は学校でなぜか動画を撮っていて、見せてくれた。私には、やはりダメ教師しか見えなかった。

それを最高の教師だと、称賛する小学校があるらしい。

日本は広い。

2024-03-17

野菜なんか食べなくても大きくなれると思っていた

私は野菜が大嫌いだ。

あのようなまずものを嬉々として食べる人の気が知れない。

野菜なんか食べなくても大きくなれる。

現に、これまでの人生でまともに野菜を食べずとも生きてこられたのだ。

そう思っていたが、間違いだった。私は見てしまった。夕飯の準備をする母が、ハンバーグのひき肉に大量のすりおろし人参を混ぜているところを。カレーに大量の玉ねぎを混入する母の姿を。

私が今まで食べていたのはハンバーグではなかった。半分は人参だった。母の愛情のこもったカレーは、具として入っているのも含めると1/3は玉ねぎでできていた。

野菜を食べずとも大きくなれたのではない。母が私にバレないように大量のすりおろし野菜を仕込んでいたから、野菜を食べずとも大きくなれたのだと思い込んでいたのだ。

私は春から大学生になる。いずれは一人暮らしもする。いつまでも母がすりおろし野菜を入れてくれるわけではない。

私は野菜嫌いを克服することを誓った。大人になってから今までの習慣や癖などを直すのは困難だと言う。好き嫌いを直すチャンスも、ギリギリ10である今が最後だろう。

あるとき、駅の構内にある喫茶店パスタプレートを注文した。店内はオレンジ色がかった照明と、オシャレな音楽がかかっていて落ち着いた雰囲気。この落ち着いた大人ムード漂う空間ならば、野菜嫌いな子供自分を克服できるかもしれない。

パスタプレートには、小さいサラダが一緒についてくる。緑の葉っぱの中に、なんか紫っぽい葉っぱと赤い玉ねぎみたいなのが入っている。植物なのに色がサイケデリック勇気を振り絞って口に運んでみる。

シャキシャキ感がすごい。すごい苦い。水分がすごい。あとかかってるドレッシングが酸っぱい。ただただまずい。

小学校担任に「野菜も食べろ」と言われて口に入れたものの飲み込めず、こっそりトイレで吐いた記憶が蘇る。

吐くことはなかったものの、全然だめだった。この時気がついたが、私は野菜を「食べ物」「料理」ではなく、完全に「植物」「葉っぱ」と認識しているっぽい。

新鮮な葉物野菜を噛んだ時のシャキシャキした感触が、中学生の頃顕微鏡で見た、植物細胞壁の四角形を想起させてしまってダメだ。

しかし私は諦めない。思うに、まずはマヨネーズごまドレッシングなどのまろやか系から挑戦すれば良いのではないか

とにかく、野菜を好きになるまでは行かなくとも、健康を保てる量の野菜摂取できるようになりたい。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん