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2019-05-25

いじめっ子心理

私は元いじめっ子である保育園小学校特定人物いじめていた。ちなみに、現在30手前のおっさん

いじめっ子といっても、いじめたことも、いじめられたことも両方ある。

私は本質的に弱い人間であり、ナメられることのほうが多かった。

私が他人いじめたことを覚えているのも、いじめられた記憶と強く結びついているからかもしれない。

ここでは私のいじめを行った経験を振り返り、いじめっ子がどのようなことを考えているのか考察したいと思う。

保育園時代

同級生だった一人に暴力を振るっていた。

当時の私は仮面ライダーが好きだったので、「ライダーキック!」と言いながらその子に飛び蹴りをしていた。

後、その子の服の中に土や虫を突っ込んだりしていた。

他にもなにかしていた気がするが、保育園ともなると記憶あいまいである

とにかくその子を何度も泣かせていた。

当時の私は誰かを攻撃して泣かせることを強さだと思っており、むしろ誇りに思っていたことを覚えている。

これはたしかクラス自分よりヤンチャないじめっ子気質男の子女の子モテていたからそう考えていたんだと思う。

小学校時代

クラス女子集団無視していた。

いじめでよくある「〇〇菌が移る!」というのをよくやっていた。

クラス男子数人でゲーム(「いっせーのせ1!」など)をやり、負けたヤツが罰ゲームでその女子タッチする。

タッチしたヤツ以外は「〇〇菌が移る!」といって逃げ出すのだ。

小学校鬼ごっこでよくある「バリア」で、その女子をさわった手だけはバリアを貫通するという謎ルールもあった。)

後はその女子給食をよそった日は、クラスのほぼ全員が給食の中身を減らしに行ったりしていた。

当時の私はそのゲームを楽しんでいたし、その女子は本当に汚いものだと思っていた。

なによりその女子いじめときにだけ生まれる一体感を楽しんでいた。

中学校時代

中学時代はどちらかというと私のいじめられっ子としてのピーである

毎日まれて殴られたり、便所スリッパで顔を踏まれたりした。

あと、スティックのりでブレザーに文字を書かれたりしていた。

(これをされるとブレザーに乾いたノリの半透明の文字が残り続け、最高にダサくなる)

一番つらかったのは当時の担任だった熱血型新任教師クラス全員の前で、

「〇〇(私の名前いじめらているみたいだけど、本当につらかったら私に相談しな!」と言われたこである

そのクラスには私の好きな女子もいたのだがいじめられていることがバレてしまった。

クラス女子には「〇〇(私の名前キモイ」とよく言われるようになった。

当時の私は保・小と他人いじめたことなどすっかり忘れて「いじめられっ子が実力をつけて他人を見返す漫画タイトル忘れた)」に感情移入していた。

いじめをしていた自分を振り返って

反省している。

社会人になった今、あのときのようなことをしてしまわないよう発言には一字一句気を使っている。

しかし、この反省には「あのときいじめを行わなければ、自分は元いじめっ子ではなかったのに」、

という自己評価、または自己ブランド意識した反省が多分に含まれている。

我ながらクズだが、振り返った結果初めに出た思考がこれだった。

私がいじめをしたに向けて

かける言葉もない。

私が過去いじめを行ってきた人たちは間違いなくそのことを覚えているだろうし、

いじめが原因で現在生活に支障をきたしている人もいるかもしれない。

申し訳なく思わないといえば嘘になる。

ただ、「いじめをしていた自分を振り返って」に書いたように、

はいじめをしてきたことは反省しているが、いじめをした相手自身には大して興味がないというのが本音だ。

いじめっ子からいじめを受けた人への謝罪がなく、またあったとしてもいじめを受けた人の心情を考慮しない一方的ものになるのもこれが原因だろう。

私もいじめをした相手に謝りに行く気もないし、「いじめを本当に反省しているなら黙ってお金を渡すべきだ」という考え方もあるが身銭を切る気もない。

仮に、私が過去いじめをした人たちが長年積もらせた恨みを爆発させ、刃物を持って襲ってきたとしても私は全力で抵抗するだろう。

人の本質は変わらない

いじめを受けた人に救いがあるとすれば人の本質は変わらないということだろう(救いになるのかわからないが)。

過去あなたいじめ人間は、現在部活動の仲間たちと熱い友情を築いているかもしれない、

もしくはまっとうに働いて家庭を築き、パートナー子供たちと愛を育んでいるかもしれない。

そのような綺麗な世界にこそ自身本質があると信じているかもしれない。

しかし、たとえ過去反省して行動を変えることはできても、過去に行ったいじめにその人間本質があることに変わりはない。

2019-05-24

通信制高校に通うJKのアレコレ

平日の午後4時。小学生はお家に帰り、中高生部活バイトに勤しんだり、社会人会社お仕事したりなんだりかんだりしているんだろう。

ただそれは一般的で平均的な人たちだけの話で、一般的で平均的な人生を歩めるレールから零れ落ちた人間はその限りではない。

現に私は高校生だ。花の17歳、ただしクラスメイトもお友達恋人もいない。なんなら同年代の知り合いもいない。おまけに平日の午後4時に布団の上でこれを書いているJKだ。自堕落の極みか。

いや、別に学校をサボって増田なんぞに長文を投稿している訳ではない。皆さんご存知の一般的で平均的な高校生活、「ではない」高校生活を送りながら、今この増田を書いている。

高校というものには、実は様々な形がある。「全日制」、「定時制」、この二つは聞いたことがあるという人もいるかもしれない。

全日制は、平日昼間に学校に通い、毎日授業を受けて単位を得るシステム定時制は、昼間ではなく夜間に毎日学校に通い、授業を受けるシステム

そしてもう一つ。それが「通信制である

通信制とは、毎日ではなく週に何回か、月に何回か、といったペースで学校に通って授業を受け、その他の基本的学習は自宅に送られてくるレポート(教科書を基に作られた問題)で進めていくシステムのことを言う。

このシステム自体の是非はとりあえず置いておいて、「学校毎日通わないとか、友達できんの?」と思ったそこのあなた。正解です。先程述べたとおり知り合いとか友達とか一人もできない。それどころか担任名前すら覚えられない。なぜなら必要以上に他人と関わらないから。

人間関係は絶望的に希薄であるものの、それが心地良いタイプ人間にはそれなりに居心地の良い場所になる。私もそのタイプだ。学校に行っても最低限の会話しかしない。下手したら週一しかない登校で一言も喋らなかった、なんてこともある。

学習レポートも、基本的には自学自習教科書学習から自分だけで進める必要がある。これはなかなか壁になる場面も多いが、「教師の言ったことをノートに丸写しして課題を進める」よりは学習内容が身に付いているのかもしれない。

最後に、通信制高校入学して一つ後悔したことがある。

圧倒的に暇。なぜなら登校日以外ずっと家に居るから

というかそもそも暇じゃなきゃJK増田なんて見ない。もっと身になることに時間を使うべきである

「暇ならバイトとかすれば?時間は有り余ってるんでしょ?」ごもっとであるしか絶望的に人間関係が希薄通信制高校入学した高校生バイトなんてやったらどうなる?

そう。メンタル死ぬ

同僚たちとの会話、接客業場合は来店した客とのやり取り……想像するだけで地獄。ひょっとしたらそこにたどり着くまでの面接やらで燃え尽きるかもしれない。

失敗するのが分かり切っている挑戦は避けて、お家で増田やらTwitterやらソシャゲやらでスマホポチポチしながら時間無駄にしている方が私には向いている。多分。きっと。絶対に。

さぁ、これを投稿したらレポートでもやろうかな。

2019-05-23

昔の悪事

小学校低学年の時、近所のスーパーで買ってないお菓子をその場で開けて食べていた。悪いことだとはわかっていたのでコソコソしていたけど、やったのはたぶんかなりの回数だった。なんでそうしようと思ったのかはあんまり覚えてないけど、欲しいものを親にねだれないタイプの子どもだったから「あ、食べてしまえばいいじゃん」と考えたんだと思う。最終的にバレたりおこられたりした記憶はない。

これも小学校低学年の時なんだけど、同級生名前悪口消しゴムに書いていて、それをうっかり落としてしまってクラス問題になったことがある。たぶん担任には字で私が書いたってバレたと思うけど、個別に怒られることはなかった。

小3の時には、仲良くしていた同級生が本当は嫌いだったので、ものさしを盗んだ。学校の引き出しに隠してたのですぐ見つかった。めっちゃ先生に問い詰められたけど「知りません」を貫いて解放された。

中高ぐらいだと特定の誰かに対してそういう事をすることはなくなった。ただ、部室で見つけたお金自分のものにするとか、公共の場の置忘れっぽい物をわざと隠したり捨てたりするとかはしてた。

今でもイライラしてると「さしっぱなしの自転車の鍵を抜いてみようかな」みたいな、しょうもないレベル他人が嫌がりそうなことをしそうになる(してないけど)。そういうことをするのに対して、バレなければ別に問題いかなという感情しかいから、いつかまたそういうことをするようになって、バレて怒られるんだろうなと思う。

2019-05-19

母親か、中学時代女友達か、総務部女性結婚したい

多動と知的障害は無いけど、注意欠陥の酷い人生だった。

忘れ物

・提出物をやっていない

・次が移動教室であることを忘れる

履修登録ができない

単位を把握できない

グループウェアに外出予定を入れているのに遅刻しかける 

父親は私より酷く、落ち着きがなくて不注意だ。遺伝なのだろうと思う。

専業主婦母親は父の秘書のようだ。父が全くできない、書類手続きからスケジュール管理まで、母がやっている。

 

私は中学の頃、面倒見の良い友達に頼り切りだった。

移動教室の前に「移動だよ」と声をかけてくれ、提出物についても「持った?」と声をかけてくれる。

その友達が注意してくれるおかげで先生からの怒られが激減したし、

周囲からも要介護者と介護者のような関係とみられていて、私自身、ガイジを自称して、友達を神と呼んでた。

テストの点数が良くて提出物を出さな子供教師は憎む。

小学生の頃は、担任ガチャだった。不注意を特性とみるタイプと、「教師馬鹿にしている」とみるタイプがいて、

後者に当たったときはひたすらいじめられた。後者タイプテストの点数が悪くて不注意なのは仕方ないとしても、

テストの点数が良くて不注意なのは教師馬鹿にしているからと考える。

 

高校では友達と別の高校に進学することになり、日常のすべてが苦痛しかなく、私は自殺未遂した。

それからは母が、父だけでなく私の秘書もやるようになった。単位と持ち物の管理はすべて母がやった。

すべきことを整理して指摘してくれた。母に面倒を見てもらえなかったら高校大学卒業できていないと思う。

 

学歴はそこそこで、面接は得意なので、就職は上手くいった。でも一社目は不注意が酷くて針の筵になり退職した。

半年鬱状態で引きこもった。

再就職した二社目では、総務部女性が不注意を指摘してくれるおかげでなんとかミスなく続いている。

 

私の人生が「なんとかなっている」か「なんともならずに自殺を考える」かは、

母親か、中学時代女友達か、今の会社総務部女性のような人が、支援してくれるかが全てになっている。

幸福を感じられるか、鬱状態で常時希死念慮のある状態になるか。

「〇〇に気をつけろ」と指摘してくれる人が近くにいるかがすべて。

 

元彼は5人いる。

私との結婚を望んだ元彼もいるけど、「主婦になって俺を支えてくれ」か「今の年収を引き続き稼ぎながら俺を支えてくれ」という人だけ。

高校生で死のうとしたときも、一社目を辞めて鬱状態になったときも、彼氏はいたけど、救いにはならなかった。

「〇〇に気をつけろ」と指摘してくれる人がいるかどうかが私の幸福感のすべてで、励ましや褒めは何も影響しない。

具体的な指摘と、どうしても出来ないことを代わりにやってもらうこと、でしか私は助からない。

男は励ましと褒め言葉だけで片づけようとする。要らない。それでは何も解決しない。失敗の回避ができない。助からない。

 

中学時代女友達24歳で結婚した。総務部女性も既婚者だ。よく気づく面倒見の良い女性は、男性に確保されている。

男性はだいたい、女性に対しては、私の母親中学時代女友達総務部女性のような特性を持っていることを期待する。

私はむしろそういう女性必要としていて、日々助けられて、失ったら鬱・自殺未遂するような人間から男性の期待が重圧でしかない。

男性女性のことを、男性の面倒を見て子供を産む生き物、と認識している。私個人ガイであることが見えていない。

n=5に過ぎないけど、女性に対する期待が高すぎるから、私がガイであることを認識できない。

 

現在年収は600万円。専業主婦を養うにはギリギリラインだと思う。

でも私に注意喚起家事をしてくれる人を養えるものなら養いたい。

実家暮らしから母親から「私がボケたり死んだりしたらどうするの」と笑いながら言われたりする。

笑い事じゃなく、母親が死んだら破滅すると思う。母親には健康長生きして欲しいし、母より先に死にたい

母親が居ない状態で生きさせられるくらいなら、死んだ方がましだ。

あと総務部女性妊娠転職をしてしまうと、それも終わりだ。また仕事が成り立たなくなり、鬱、退職引きこもりになると思う。

総務部女性小学生の子供がいて、残業ゼロで働いている。職場ではそのせいで、軽い働き方という認識をされている。

私にとってはその女性いるかいないか職場のすべてで、死活問題なので、ことあるごとに褒めちぎるようにしている。

その女性がいないところで、「〇〇さんがいるから今のパフォーマンスが出せてる、〇〇さんが居なくなったらおしまい」と繰り返し主張している。

でも人の妊娠転職妨害なんてできない。そう考えると、非常に不安定年収600万円だ。

から必死貯金している。ADHDに多いとされる浪費傾向は私にはない。躁が出ることもない。

 

父が妬ましい。父は私より不注意の程度が酷いのに、助けが常にあるから自分ミス直視したことがなく、私のような挫折経験していない。

不注意の自覚はあるが、男だからチャームポイントになるとすら思っている。

いわゆる「強者男性」のなかに父のようなタイプは多い。

総務・秘書女性から面倒を見られているのでミスをせず、支えられている実感もあまりなく、当たり前と思っている。

支えを失って、不注意の結果としてミスを連発、迷惑をかけ、怒られ、舌打ちされ、職場が針の筵になっていくという経験が無い。

弱者男性」には支えてくれる女性が見つかりづらいから、そういう経験のある人が多いかもしれない。

しか男性は、支えてくれる女性がいることを当たり前だと思い過ぎだと思う。

強者男性は当然のことと思っているし、弱者男性は「男なら得られて当たり前の権利が不当にはく奪されている」と思っている。

 

私は母親か、中学時代女友達か、総務部女性のような秘書能力の高い人であれば、

外見が男性であっても養いたいけど、「養われ希望」の男性ヒモ研究者だ。

ヒモ希望ママ希望男性は、お金にも世話にも困っている。お金をくれて世話もしてくれる人を求めている。

彼らは猫に生まれるべきだった。しかし猫に生まれなかった。

研究者も、人の世話はできない。学力偏差値が高く過集中、興味ないことには徹底的に無関心、ほっとくと生活乱れる、であれば私とタイプかぶる

能力の欠落がかぶる人と共に暮らしても、共に破滅するだけだ。

 

父親からいつまでも実家母親に面倒みられていないで、結婚しろと言われる。

過去自殺未遂も、一社目の挫折による鬱・引きこもりも知っているくせに、そういうことを言ってくる。

父親のような強者男性自尊心の高さ、挫折のなさ、上から命じてくるところ、本当に不快で死んで欲しいと思う。

お前のクソ特性遺伝したせいで苦しんでいるんだけど?母のクローンなら鬱回避できているけど?

お前の遺伝情報が悪いんですけど?お前みたいな人間子供を作るなよ。そう思ってしまう。

不注意や過集中は男性の特徴とされている。実際、発達障害男児男性のほうがあらわれやすいらしい。

しかし娘に発現することもあるし、その場合レアであることで理解されにくい。

「女なら、男の世話ができるだろう」という目線で未だに見られる。

しかし私は女性でありながら、生きるために、女性による細やかな世話を欲する側。

男性が、パートナーではなく、「人の世話ができる女性」を奪い合う敵に見える。

人の世話ができる女性は早婚だ。母親中学時代女友達総務部女性、全員そう。

価値が高いからすぐに男にとられる。

そして発達の強者男性自尊心が高いからそうした女性子供を産ませ、遺伝させ、子供の苦しみを作るんだ。私の父みたいに。

2019-05-18

YouTubeキッズのその後

anond:20181102100433

今更思い出したので後日談

提案頂いてた、お面は実現できませんでした。理由殆どの親は今回のイベント好意的に捉えており、ビデオカメラを新調した親もいるくらいだったので、顔が隠れてしまうのはちょっと…って感じだった。

なので、かなり諦めてたんだけど、担任先生が「増田ちゃん撮影係なんてどう?」と提案してくださった。もともと園の記録用に簡単撮影をする予定だったらしく、当日は先生と一緒にカメラを回したりお手伝いをして、次の登校日に娘が撮影した映像クラスのみんなで見たそうだ。

こんな形でイベントに参加できるなんて、思ってもなかったので本当にありがたかった。

しかしたら今後同じことで悩む人がいるかもなので、よかったら参考にしてください。

2019-05-17

anond:20190517172622

ガチャや才能ガチャが並でも友人ガチャで大ハズレを引くと朱に交わって赤くなったりするからね。

担任ガチャでハズレ引いて大コケするパターンとかもありうるし、組み合わせは無限大

男嫌いになりたくなかった

返信追記しました(05/18 17:18)

男が嫌いすぎて生活に困っている。男の大きい体が、低い声が同じ空間に在るだけで怖い。満員電車サラリーマンに密着すれば朝から疲弊してしまい、通学もままならない。恐らくこれはミサンドリーで、性差別は悪だから、私はどうしたらいいのか分からない。行き場のない諸々をここに吐き出すので、よかったら聞いてほしい。

男嫌いになるまで】

増田大学生女だ。こうも壊滅的な男嫌いになってしまった原因は、父親レイプ未遂痴漢セクハラパパ活パワハラの6つが主だと思う。以下、時系列順に書いていく。

父親

典型的男尊女卑思考で、逆らえば殴られる。小さい頃、私の股間に頭を埋めて勃起しているのを見てしまった。今も不自然に体を触られる。

レイプ未遂

小6。仲の良い男子トイレ掃除をしていたところ床に押し倒され、必死抵抗したが力で全く敵わなかった。直に体を触りながら口内を舐め回された。この程度でレイプ未遂?と思われるかもしれないが、運が悪ければ挿入までされていただろうからレイプ未遂だと思っている。(脱線するが、山口達也のしたことをキス程度と軽んじた人は彼がキスだけで済ませるつもりだったのか考えてほしい)

痴漢

中1〜高3。電車女子校に通っていて、週に2、3回は痴漢に遭っていた。恐怖で体が動かない・犯人特定できない等で泣き寝入りすることがほとんどだったが、犯人を捕まえて電車から下ろしたことも数度だけある。特に印象的なのは以下2件。

1.ホームで1人の男性が協力してくれ、無事逮捕に至った。犯人痴漢の常習者で執行猶予中だったため実刑になった。懲役1年弱。

2.ホームで「もうしないから!」と叫ぶ犯人にしがみ付くも、力負けして逃げられた。改札を飛び越える犯人の姿が防犯カメラに映っており、後日逮捕してもらえるだろうと被害届を出した。警察は何の捜査もしてくれなかった。私の尻の価値は横転したトラック以下。(2018年渋谷ハロウィン犯人山梨まで防犯カメラを辿って逮捕された)

セクハラ

大1。クラス担任の男に性的嫌がらせを受けまともに登校できなくなる。何とか単位は取ったが鬱で通院するように。両親の理解が得られず、今も欠席の多さを罵られながら自費で通院中。

パパ活

大1〜2。バイト代のみで生活を賄っていたところ、トラブル給料が絶たれる。おじさんと食事をしてお小遣いをもらう、いわゆるパパ活を始めた。次第に金に目がくらんでセックスもするようになった。レズビアンなので将来好きな人処女を捧げたい、といった貞操観念はなかった。どのおじさんも相手を顧みないセックスをする人だった。(女を金で買う男が最低なのは道理だし、売る私も同じ穴のむじな)

パワハラ

新しいバイト先でパワハラを受けた。上司の指示の矛盾を指摘すれば揚げ足をとるなと怒鳴られたし、人格否定されたし、無賃での残業を強いられた。耐えかねて上層部相談したところ異動してもらえ、今も勤めている。おかげさまで収入が安定し、売春からは足を洗えた。

現在

ギリギリ留年せずに大学に通いつつ資格勉強をしている。抗うつ剤抗不安薬睡眠導入剤でおおむね安定しているものの、常に体が重く思うように動けない。理由もなく強い不安に襲われてどうしようもなくなることがある。

増田を書いたわけ】

だらだらと半生を綴ったが、どんな事情があろうと差別は悪だ。被害者として同情してほしくはない。

私はこの世の男すべてを憎んでしまい、恐れてしまい、勝手に窮屈に生きている。本当は楽しく生きたいけれど、それが叶わないか死にたい毎日思う。だから男嫌いに折り合いをつけて(直すのは現実的でない)生きる知恵を貸してほしくてこれを書いた。痴漢パパ活については話したいことがたくさんあるので、気が向いたらまた書く。

長い駄文を読んでくださりありがとうございます。助言いただけたらとても嬉しいです。

【返信 05/17 22:36】

売春関連

成人男性AVを観たことがない人はいないと思います需要があるから供給する、それはどんな商売にも言えることで、私は自分の体を商品したことを恥じていません。何より趣旨売春ではないのでお門違いです

瞑想

真剣に勧められて嬉しいのでやってみます

レズビアン貞操観念

性的指向とその人の考えは別物なので、好きな人しかセックスしたくないレズビアン普通にいると思います。私も好きでない人とセックスをするのは不快ですが、お金と天秤にかければ諦められる程度でした。

【返信 05/18 17:18】

・峰波りょうさん『ヒメゴト』

途中まで読んだことがありますが、未果子はすごくリアルキャラだと私も思いました。セックスワーカー=①セックス好き ②生活困窮者のどちらかで語られがちですが、③男性嫌悪の裏返し、も多いです。私は②に③が軽く混ざっているのかと。

津島隆太さん『セックス依存症になりました。』第41話でも③が描かれていますね→https://wpb.shueisha.co.jp/comic/2019/02/15/108159/

・今のままでいいじゃん

冒頭に書いている通り生活に支障が出ているので何とかしたいと思っていますミソジニーの男が嫌い→同類ミサンドリーの女)になりたくない→男嫌い自分が嫌い、という葛藤もあります

2019-05-16

お忙しいところ恐れ入ります

去年の夏に県立S高校夜間部中退した増田と申します。

S高校に在学中の出来事についてお知り頂きたいことがいくつかあるので、メールを送らせていただきました。

私のいた1年B組の担任数学教諭のK先生言動についてです。

入学して間もない頃の数学の授業中、K先生が「ノートを書くのが遅い子は数学ができない」という話をされたあと、「増田とか書くの遅そ~」とクラス全員の前で言われました。

学校に登校して教室に向かう廊下で、K先生に会ったので私が「こんにちは」と挨拶をしたら、「あれ?昨日いた?」と開口一番に笑いながら言われました。

数学の授業の休み時間教室で同じクラス友達が「疲れた」と言ったところ、それを聞いたK先生が「S高の授業で疲れたなんて言ってたら他の学校行ったらどうなっちゃうの?ずっと夜間にいるの?」と大きい声で言いました。

私は中学校で色々なことがあり不登校になって、高校では心機一転頑張ろうと無遅刻無欠席で高校に通う中

クラスのみんなの前で馬鹿にされたり

挨拶してすぐ「昨日いた?」と笑いながら言われたり

自分選択したS高校夜間部という道を他の高校と比べて否定されたことが、とても辛くて、今でも思い出すと涙が出ます

S高夜間部ホームページには

中学生ときに、色々な悩みや不安、手助けが必要だった生徒が自分の居場所を見つけられる学校

「欠席が多い生徒も活躍し、自分を変えられる場所」だと書いてあるのに、そんな風に言ってくれる先生は一人としていなくて、K先生には上記の無神経な言動をとられ

私のような生徒はどこに行っても馬鹿にされて、嫌がられるんだと悲しい気持ちでいっぱいです。

K先生が私を故意に傷つけるつもりはなかったとしても、学校先生特に夜間部先生は、生徒への発言を充分に考慮するべきではないのでしょうか。

現在はS高校通信制に通っていて、夜間部に戻るつもりはさらさらありませんが、今でも心に傷が残ったまま辛いので、このようなメールを送らせていただきました。

教育委員会の皆様はどのようにお考えですか?

ご返信いただけたら幸いです。



この文章教育委員会メールで送った結果

2日後に「該当の職員については校長を通じて厳重に注意したいと考えています」と返信が来たけど

多分そんなに怒られてないだろうなぁ

2019-05-14

小学校担任

今思うと年に1,2回しか休んでなかった気がする

有給消化率とかめっちゃやばそう

2019-05-13

完食強要現実

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190513/k10011911391000.html

小学校給食の完食強要経験した、今は大柄な男。完食強要経験してなくて現実知らない人だと思うんだけど、はてブ肯定的コメント特に問題視しないコメントがチラホラあるの、経験からすると身震いする。申し訳ないが、園児2人が車に轢かれて亡くなったあの大津事故報道を見ながらテレビの前で楽しそうにゲラゲラ笑う、人が苦しんだり死んだりする話が大好きな異常人格者レベルに、人の心を持っていないバケモノに見える。

目を覚ましてもらえるように、完食強要経験してない人がわかっていない勘違いポイント解説していく。

給食うまい/まずいの問題ではない。給食の味=流し込みに使う飲み物との相性になる。

これ勘違いしている奴が多すぎる。完食強要があると、食べるのが遅い子が時間内に間に合わせるには、牛乳汁物など、用意された飲み物でおかずを流し込むしかないので、「飲み物で流し込むときの味」が重要になる。例えば、牛乳パンみそ汁ご飯はよく合うので、良い給食牛乳ご飯みそ汁パンが出てきたときは、牛乳ご飯を流し込むしかなくなる。

牛乳かけご飯みそ汁パン

想像してみてほしい。まずそうだろ?「食べるのが遅い」というだけで、週に何日もこの味を経験しないといけなかった。あまったご飯牛乳で流し込んだり、ボソボソして食べられないパンみそ汁で流し込まないといけなかった。まずかった。ひたすらにまずかった。まずかったが、自分からわざとまずくしても15分の時間内に食べたくなるほど、「時間内に食べ終わらない」ペナルティは大きかった。

食べるのが遅いと、周りが掃除している中で完食するまで食べさせられる

給食の後は教室掃除がはじまる机をがーっと一番後ろによせて掃除が始まる。クラスの皆がホウキを掃いたり雑巾がけしたり、黒板消しでチョークのかすをパンパンはたいている中で、一人だけ完食するまで残される。周りの机が全部片づけられ、自分の机しか残っていない状態で、一人だけ完食するまで残される。「なんであいつだ掃除をサボっているんだ」という目で、「あいつだ自分勝手にのんびりたべたうえ、さら掃除までサボるのが」という目で、クラスの皆に睨まれながら、とにかく食べる。

ほこりチョークのかすが漂う中で、とにかく、自分おかした「食べるのが遅い」という罪を償うために、「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」と心の中で叫びながら、食べる。何か言葉にしようものなら、「喋ってないで早く食べて皆の掃除を手伝え!」と言われるので、何も言えず、何も反論できず、泣くこともできず、ただただ心の中で謝りながら食べる。「自分は皆に迷惑をかけている悪い人間だ」という罪悪感が膨れ上がる。小学生は素直だからね、自分人殺しと大して変わらない罪人だと思ってた。

植えつけられる罪悪感:給食を食べるのが遅い子は、「本人が実際にどう思っているかに関わらず」、給食のおばさんを悲しませ周りの皆に迷惑をかけている悪い子。

自分小学校教員を今でも許せないのはこれ。自分小学校の時の担任はずる賢く、口にものを無理やり詰め込むような完食強要はしなかった。そんなことやっても、子供は呑み込めなくて吐くだけだし、親からクレーム来ると思っていたのだろう。だから、「完食できない子は、たとえ実際には給食を作ってくれた人に感謝していたとしても何を思っていたとしても、結果的には周りに迷惑をかけている悪い子なんだよ」と言って、食べるのが遅い子に罪悪感を植え付けることで完食を促そうとした。今考えると、罪悪感を使って人を操作する、典型的マインドコントロールだよね。

勉強に置き換えて想像みてしてほしい。解けないテストを出され、「このテスト問題が解けない奴は、どういう気持ちであろうと何を考えていようと、結果的には社会迷惑をかける悪者なんだ」と言われたら、小学生はどう思うだろうか?中高生なら「あの先生バカだろ」ですむだろうが、小学生なら、素直に「自分は生まれてこないほうがよい人間だったのか?」と思わないだろうか?

自分はそう思った。小学校6年間、給食のせいで「自分は本当は他人迷惑をかけているのではないか」という恐怖にさいなまれた。

自分は本当は生まれてこないほうがよかったのではないか」「ただ、たまたま成績がいいから、生かしてもらっているだけなのではないか」と思いながら過ごした。そう、自分は成績はよかった。だから、生きていていいと思えた。自分は、給食を食べるのが遅い社会迷惑な要らない人間だが、成績がいいか担任自分に笑いかけてくれているのだ、そう思いながら小学校高学年を過ごした。成績がよくなかったら、当時住んでいたマンションから飛び降り自殺していただろう。「給食を食べるのが遅い、悪い人間に生まれてごめんなさい」と遺書を書き残して。実際、小5ぐらいのときに、そう思って当時住んでたマンションから飛び降りようとしたことがある。親に「何やってんだ!」と言われて引き戻されたけどね。自分が生きているのは偶然だと思う。

完食強要子供自殺に追い込む

自分経験からすれば、完食強要された子は自殺したくなって当然だと思う。だって、食べるのが遅い、というどうしようもないことで「お前は迷惑人間だ」というレッテルを張られるのだもの担任からも、クラスからも。しかも、理屈立てて考えられない小学生の時期に。

すでに、遺書を書かずに、何も言わず自殺しちゃってる子がいても、全く不思議だとは思えない。

完食強要してる小学校教員はすぐにやめてほしい。あなた人殺しになるよ。

自分にも子供ができ、親になった。自分の子小学生になった時、小学校担任が完食強要したら、いかなる方法を使っても非難する。担任人間の心を持たないバケモノだ、異常人格者だと小学校に広めて徹底的に戦うぞ。

給食は美味しかったのか、不味かったのか

ネット給食について調べると美味しかったという声が多くあって、正直羨ましい。

私の地域では小学校中学校給食だった。

個人的には、不味かったと思う。

美味しいと思えるメニューはさほど多くなかった。

周囲は美味しいと言って食べてたから、私の味覚がずれていた可能性はある。

でも、他校からやってきた中学とき担任給食初日に、

「お前らよくこんな不味い飯に何も言わずに食べてられるなあ」と言っていて

私のなかでこの担任好感度は爆上げだった。

好きだったと思い出せるのは全部パン

一番は黒糖パンふわふわ柔らかくてしっとり甘かった。(コッペパンはとにかくパサパサで硬くて水分が奪われた。)

その次はセサミトースト。大人になってからレシピを調べて作ったほど。

それからキャロットパンコッペパンベースだったけど、にんじんの水分と甘みがものすごく仕事をしていた。

ご飯ものは水分多めでねっちゃりと柔らかかった。

カレービーフシチューほとんど一緒で区別がつかなかった。どっちも牛で具も一緒。スープ感の強いほうがビーフシチュー

エビは背ワタの処理が甘いのかやってないのかジャリジャリ。

肉はかたくて灰のような味しかしなかった。

麺類は極限までのびてるし、謎のおかずも多かった。

ご飯以外のおかずは基本的にぬるいか冷めてた。

こんな給食に黙っていられなかったのか、担任はすぐ校長に訴えた。

でも校長も不味いとは思っていなかったようで、いまいち反応はよくなかったらしい。

終業式の日、担任一年を振り返って話していたとき給食話題になった。

「何回も何回も言ったから、最初のよりは食べられるものになったけど、まだまだ不味い」と言っていた。

今思い出しても到底美味しいと言える給食じゃなかったと思う。

一方で、美味しいと食べてたクラスメイトも少なくなかった。

不思議だ。

先日、給食センターが新しくなったことを知った。今は温かくて美味しいのだろうか。

予習ができなくなった理由

小学校に上がりたてのころ、勉強が楽しくてしかたなかった。

保育園ではひらがなとか数字とかを書く練習を少しやったけど

教科書とかドリルとかはなくて、脳が覚えた知識以外を家に持ち帰ることができなかった。

小学校になって、教科書ドリルを手に入れた。

新しい知識がどんどん増えていくのが楽しくてしかたなくて、何度も読み返した。

そのうち読むだけじゃ物足りなくなって、やってみたいって思うようになった。

それで、ちょうど漢字ドリル宿題が出ていたから、言われたよりちょっと先の漢字までやってみようって思った。

でも学校の授業でもやるから、授業でやるときには消せばいいやって思って

例文を作るマス目のとこに、小さい字だけど考えた文を書いてた。

の子(耳が少し聞こえづらくて副担任付き)がやってたし、それは勧められていたから。

次の朝、宿題のページを開いて教室の長机の宿題提出スペースに置いた。

そしたら私の次に置きにきた子が大声で叫んだ。

「やったらあかんのにやってる!!」

宿題のページは見開きの右ページで、次の左ページに昨日書いた小さい字を見つけられた。

次々と人が集まって、袋叩きにされた。

習っていないところはやってはいけない。言いつけてやる。

早く消せ。他のページもやってるだろう。

習うまでは先のを読んだり調べたりしちゃいけない。

小心者な私は、大勢向かって何も言えずに、べそをかきながら全て消した。

監視され、みんなにちゃんと消えたかチェックをされ、許しをもらって再提出した。

早朝の、先生教室にいないとき出来事だったけど、誰かがそれを先生に言ったらしい。

担任は何も言わなかったが、先にやることはいいこと、悪いことじゃないと副担任が何度も言ってきた。

でもあの怖さを忘れることも乗り越えることもできずに、それっきり、先を勉強できなかった。

今となってはしょうもない、たった10分くらいの出来事だけど、小学校一年生のそんな記憶が頭から離れない。

予習をしようと思うと記憶が蘇る。

やってはいけない、やるべきじゃない、暗い気持ちとともに脳が警鐘を鳴らす。

結局、その後から高校生までの間で予習したのは片手で足りる数だった。

馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれない。

でも、私にとってはアラサーになっても忘れることができない辛い記憶ひとつだ。

2019-05-12

母親に(無意識に)セクハラしてた

母の日なのでトラウマを書く。

中学とき期末試験で保健体育の試験があった。今思えば意味不明だが当然のように試験があった。

当時、学年でも1−3位の成績を誇っていた俺は、もちろん保健体育にも抜かりなく試験勉強に取り組んだ。運動音痴ネクラな俺は、試験で点を取るしか保健体育の成績をカバーできない。

俺は一生懸命教科書の内容を確認し、覚えた。何度も問題を繰り返すことで、記憶をしっかり定着させようとした。

しかし、どうしたことだ。保健体育は主要教科ではなく、副教科なので問題集などの教材に乏しい。勉強したくてもその材料がない。

困った俺は、オカンに助けを求めた。教科書の内容を適当問題にしてもらって、それに答えることで勉強しようとしたのだ。

しかし、いろんな意味で成長の遅かった俺は気がついていなかった。その内容が人と勉強するものではないということに。

そう、試験範囲はちょうど生殖行為に関わる部分だった。ち●こやま●この構造や、赤ちゃんができる仕組みについてだった。

友人と勉強するどころか、オカンとそんなことを勉強していた。

挙げ句の果てに、その事実三者面談担任暴露された。

担任ちょっと怒っていた。しかし、池沼の俺は「親に勉強を手伝ってもらうな」といういう意味で怒られているのだと思っていた。

「えへへ」と笑ってやり過ごした。

今日、ふとその場面を思い出して、その真の意味理解して、とても死にたい気持ちになった。

楽に死ねる薬があるなら、俺は明日にでも死ぬだろう。

死ぬ前に、保健体育の試験一生懸命勉強したとが、一度も実践で試されなかった事が悔やまれる。

頭でっかち」はよくない。理論実践を兼ね備えてこその学問だ。

さようなら世界

次は、次があれば、もっと実践して自らの身体で学んでいきたい。いや、イきたい。

14連休もらっても小論文が書けない

小論文を書くのはゴールデンウィーク中に出された課題でした。しかし、去年、大した文も書いていないのに学年代表に選出されて全校生徒の前で大恥をかいトラウマフラッシュバックしてしまい、なかなかペンが進みませんでした。

どうしようどうしようと思っているうちに11連休が終わって(私の学校は何故か11連休ありました)、私は小論文のために学校を休むことにしました。某ユーチューバーに影響されたわけじゃありません。という文を書くのが面倒なのであの子には世に出てきて欲しくなかったです。

仮病は使いすぎてもう親には通じないので、一度行ってきますをして通学の途中で学校電話を入れました。役員さんに病欠の旨を伝えて、親の出勤時間まで公園時間を潰して家に帰ってきました。

家に帰ってからは、どうしてこんなことで学校を休んでしまったのだろう、なんでみんなが当たり前にできていることが自分にはできないのだろうという罪悪感と焦りに駆られて、自傷をしてしまいました。止血が終わる頃には親が帰ってきていました。怒鳴られる覚悟をしていたので、学校から親には電話していないことを知ってほっとしました。

結局食べることが無かったお弁当をこっそり捨てる時に一番死にたくなりましたが、「じゃあ今から死ぬ気で小論文を終わらせて明日こそは登校しよう」という気持ちにはなれませんでした。もういいや、と思ってしまったのです。

二日目はもう完全に「今日も休もう」という気持ちで起きました。家に一人だとまた鬱になりそうで怖かったので元彼に連絡しました。

元彼は仮にヘラチンくんとします。

ヘラチンはメンヘラヤリチンで、女を殴るタイプの男です。

一度ヘラチンじゃない元彼復縁を決めたことがありますヘラチンに「お祝いでご飯を奢る」と呼び出されて、ヘラチンのアパート暴力を振るわれました。

ヘラチンは泣きながら謝ってきて、その後暴力されることはありませんでしたが、怖いしヘラチンのことも好きなのでなあなあになっています

そのヘラチンと、学校をサボってドライブに行きました。ヘラチンも大学をサボってくれました。ヘラチンとぼーっと海を見て、ご飯を食べて、ヘラチンのアパートで傷を舐めあいました。ヘラチンとは堕ちるとこまで堕ちてる気がします。

三日目は自分の家にいました。

ヘラチンはちょうど何も無い日らしいのですが、今日こそは学校に行くぞ、小論文をやっていなくても学校には行った方がいい、と思ったのでヘラチンと遊ぶのはやめました。

しっかりと準備をして家を出たのですが、暑いし、だるいし、歩く度に太もも筋肉痛でびくびくするのでだんだん暗い気持ちになってきてしまって、結局一日目と同じことをしてしまいました。

三日目になると休むことに対する抵抗もあまり無くなっていて、動画を見て笑っていたら一日が終わりました。

そして今日連続の欠席を不審に思った担任先生電話で、親にも学校を休んでいることがばれました。怒鳴られたりはしませんでした。もともと情緒不安定気味なのを親も知っていたのであまり刺激しないようにしたんだと思います。怒鳴られないだけであって怒りはしていました。親には毎日早くに起きて朝ごはんもお弁当も作ってもらっていたので、学校に行っていなかったことを知って怒るのは当たり前だと思います。また、娘が親に何も相談せずに三日間も欠席していたので心配もしているのだと思います

親の心労にならないようになるべく自分気持ちをきちんと話そう。という思いは親のため息ひとつで吹き飛んでしまいました。

実はうちは母子家庭です。お母さんは、基本的には、やりたいことをやらせてくれるいい親ですが、「私はシングルマザー毎日辛い思いをして子供を養っているんだからねぎらって」という感じをぷんぷん出しているところは好きではありません。ため息はその合図です。親の彼氏が面倒臭い性格をしているので、そこらへんのストレスも擦り付けられている感じがします。

ここで私が欠席していた理由を話せば「私の方が頑張っていて、辛い」という風にマウントをとられるに違いありません。私はそのような言葉をかけられたくなかったので事実は話しませんでした。

小論文が終わっていないから」の中にあるいろんなモヤモヤというかなんというか、をうまく説明できる気がしなかった、というのもあります

ぐちゃぐちゃしながら書いているので読みにくかったらすみません

私はどうしても悲劇のヒロインになりたがる節がありますヘラチンのくだりとか家庭の詳細とかは別にいらないのに書くことで同情を引こうとしています。だから同情しないで怒ってほしいです。私は自分への甘さを捨てきれません。同情しないで怒ってほしいなら同情を誘うような文を消せばいいのに消せません。

バイトブッチから音信不通を二度もしてるしま制服も返していません。一万円弱のお支払いをバイトをしていないせいで踏み倒しています受験勉強どころかテスト勉強すらしていないし、将来のビジョン不透明です。

ゴミクズです。

怒ってください。

それで、私がちゃん小論文を書いて、学校へ行って、バイト先に謝って制服を返して、お支払いをして、毎日時間は机に向かって、ヘラチンとお互い自立したお付き合いができるようになって、親に感謝できるようになったら褒めてほしいです。ぜんぶ普通人間はあたりまえに出来ていることだと分かってはいます。でも褒めてください。

書き殴っていたら心が落ち着いてきたので、とりあえず小論文を片付けてこようと思います

2019-05-11

学校に行かなくて良い」じゃなくて「学校に戻れるよ」って言ってほしかった。

不登校 現在大学で1留したけど大学院に通ってる。

例の小学生YouTuberの件で、色々不登校に関する記事を見かけたので、ちょっと自分語りを。


まず、私が不登校になったのは中学生の時。

原因はいじめ?かな。正直いじめだとは思うけど、金をせびられたり、暴行されたりと言った事はなくて、無視されるとかキモい汚いと言われるとかそんな感じだった。

当時、私は結構ひどいアトピーで、それが原因でキモいだのなんだの色々言われた。そこから元々あんまりきじゃなかった学校がどんどん嫌になって、2年生の時に夏休み終わった2学期の初日に行けなくて、それからズルズル休み続けた。

不登校の期間はあんまり覚えてないけど1年いかいくらいだと思う。


不登校を脱したきっかけは自分や親の力と言うよりは学校先生のおかげかな。親がそっとしてくれたのもあるけど。

3年生の時に担任になった先生がすごく熱心な先生で、頻度は忘れたけど何度か家にきては「増田君!学校に行かないか!」とか言った感じで半ば強引に引き出してくれたおかげ。当時はすごくテンション高くてちょっと強引だったのは嫌だったけど、今となっては感謝してる。


今は良くなってるのかもしれないけど、もっと自然社会のレールに戻れたら良いのにって思う。

私が不登校の間、不登校の子達が行く民間学校?みたいなところの見学もしたんだけど、そこはあまりにも今までの中学校と違いすぎて、私にはしっくり来なかったし、不登校の子として、学校に合わない子として扱われてる気がした。


今思えば、私は学校から自由になりたくて不登校だったんじゃなくて、学校に戻るきっかけが掴めずに不登校だったんだと思う。だから不登校って言う事を特別な子として扱われてる事に私はなんだかすごく違和感がある。

特別な子も確かにいるんだろうけど、不登校の子の中の何人かはただきっかけが掴めなかったりするだけで、学校を変えるくらいでまた通えるんじゃないかなって。

2019-05-10

高校中退した話

どこかに書き留めておきたかった。

フェイクは一切無し。知ってる人が見たら多分バレてしまうけど、それでも吐き出したかった。

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理科が好きだから、理数科のある高校に進学したい。

親にはそう説明した。

嘘ではない。実際に理科は好きだったし、数学も嫌いじゃなかった。

でも選んだ理由はそれだけじゃなかった。

 

高校知名度は下から数えたほうが早いだろうけど、偏差値は中の下付近で極端に低いわけでもない。

頭が良ければもっと偏差値が上の高校を選ぶし、頭が悪ければもっと下に名前を書くだけで通るという有名な高校がある。

大きな実績も歴史もない、そんな選ばれにくい高校

小学校中学校と暗い学生時代を過ごした私にとって、“同級生と一緒になる確率が低い高校学科”が高校選びの一番のポイントだった。

 

残念ながら中学同級生0人とはいかなかったものの、クラスに3人だけ、全員私と同性だった。

彼女たちは数少ない同じ中学出身者というだけで、私を仲間に入れてくれた。

私がいじめられっ子だったことは、勝手に水に流していて何事も無かったかのような振る舞いだった。

そのことに傷ついた。

中学ではただ周囲に合わせていただけで、自分たちを守るために仕方がなかったのかもしれない。

ならばなおさら、せめて一言だけでも言葉が欲しかった。

私が何年もつらい毎日に耐えなければならなかった理由が、空っぽだったのだから

私がつらい思いをしていた間、自分たちは守られていたのだから

 

でもそんなことを今さら蒸し返すまいと、終わったことだと思うようにした。

過ぎた時間は取り返せない。これから楽しくやれれば、いつか忘れられる日がくるだろうと。

しかし、そうはならなかった。

 

クラスには私のほかに、似た過去を持った子がもうひとりいた。

そしてその子は不運にも何人ものいじめっ子と同じクラスになった。

見かねて声をかけようとすれば、周囲の子たちが私を止めた。

そんな周囲を止める方法、変える方法がわからなかった。

あれよあれよと勢いと人数が増え、その子入学半月もせずに孤立して保健室登校になった。

 

大きなガラス窓の保健室は昇降口の向かいで、むしろ晒し者という感じだった。

登校して一番最初に見えるので、クラスメイトの一言目がその陰口になるのはほぼ必然だったのかもしれない。

の子教室にいないのに陰口は止まず、いつしかクラス内が常にギスギスするようになった。

 

クラスメイトの会話の内容は大部分が低俗週刊誌のようになった。

駅で見かけたというだけで盛り上がれるほど狂っていた。聞いていられなかった。

日に日に不安が大きくなっていった。

このままあの子保健室にいるとしても、教室にも標的が必要になるのではないか

そしてそれは私になるのではないか、と。

忘れようとしていた過去が蘇って、毎日が苦しくてどうしようもなかった。

周囲の言葉が全て私に対してのものに聞こえた。

 

予想通りあの子ネタはすぐに尽き始めて、他の人にそれを求めるようになった。

クラス内は決まったグループでほぼ固定され、互いに監視し粗探しをするようになった。

他のクラス上級生のこともあれこれ言うようになった。

あっちのクラスではこんな噂があるとか、着替えが遅いか更衣室を一緒に使うはめになって邪魔だとか、

会話ができる時間は誰もがそんなことばかり話していた。

 

私は、いつ小学校中学校時代のことが掘り返されるか不安不安でたまらなかった。

毎日が恐怖だった。

グループの誰かが口火を切れば、瞬く間に広まってしまう。

下手なことを言わないように、刺激をしないように、とにかく必死で顔色を窺った。

今日大丈夫でありますようにと祈りながら登校して

明日大丈夫でありますようにと祈りながら下校した。

 

状況は何も良くならないまま、夏休みになった。

朝起きても学校に行かなくて済む。それだけで救われた。

でもそんな天国のような時間永遠ではなく、夏休みは終わりを迎えた。

憂鬱しかたなかった。

また戻るのか、大丈夫だろうか、休みの間誰からも連絡がなかったのは何かあるからなのではないか

そんな不安がぐるぐると渦巻いた。

中学のころはそれでも登校できていたのに、もうできなかった。

それからは登校することなく家に引きこもっていた。

 

ひと月が過ぎたころ、担任がやってきた。

うちのクラスは40人いるけど8人が同じように学校に来てなくて、先生も参っている。

女子も何人か休んでるけど、誘い合って一緒にがんばって登校してみないか

そんなことを言っていた。

ぼんやりと話を聞きながら、40人中8人って多いなと考えていた。

そして休んでいるのは私だけじゃないということに、なぜか少しだけほっとしていた。

 

どうして登校しないのかと尋ねられた。

いろんな思いが膨れ上がって、言葉が出せなかった。

唯一絞り出せたのが、あのクラスにいることが辛いという一言だけ。

の子いじめ関係があるかと聞かれ、頷いた。

中学のころの出来事フラッシュバックするのだと伝えるよりも先に、担任が口を開いた。

クラス内にいじめがあることは知っている。

しかし、先生間でもいじめはある。どうしようもないことだ。

ほかの人がいじめられてるのが辛いなんてピュアな心はいいけど、それじゃあダメだ、と。

 

担任は、生徒のいじめを止めさせるのではなく、やられる側が諦めることを求めていた。

それに見当違いだ。

しかに誰かがいじめられていたら心が痛むけど、私が一番苦しいのはそこじゃない。

私の過去担任は知らないのだろう。

しかし伝えたらどうなる。ここから広まっていくのではないか

きっとすでにクラスでは私のことが知られているだろう。そこにさら自分で油を注ぐような真似はしたくない。

一度は伝えようとしたことを話すのをやめた。

 

いっときだけ仲間に入れてくれた同じ中学の子たちからは、そのあとも一度も連絡はなかった。

わかってはいたけどやっぱりな、という気持ちだった。

担任以外、誰も私を訪ねる人はいない。あのクラスに私の居場所はきっともう無い。

私はますます引きこもっていった。

 

秋が過ぎ冬になり、新年を迎えたころに再び担任が訪ねてきた。

このままだと留年になるからと、休学か退学をすすめられた。

ここで休学にしたところで、行ける気も、行く気もしない。

私は退学を選んだ。

2019-05-07

琉球新報にとって学校教育とは何なのか?

知的障がいの仲村さん、再び不合格 高校受験 家族学力選抜での不合格差別

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-901756.html

不登校は不幸じゃない」10歳のユーチューバー 沖縄から世界に発信「ハイサイまいど!」

https://ryukyushimpo.jp/news/entry-913377.html

同じ記者が書いた記事じゃないかもしれないけど、同じ新聞社肯定的に取り上げているわけだから、少なくとも新聞社方向性には沿っているわけでしょ。

合わせて読めば読むほど、琉球新報学校教育に何を求めているのかわけがからなくなるさ。

仲村さんの家族3月28日に県教育庁を訪れ「テストで点数が取れないことが知的障がいの特性であり、今の選抜制度では本人の努力が反映されない。2次募集でも学力選抜で定員内不合格とされることは差別だ」と批判した。

ゆたぼんが学校に通わなくなったのは小学校3年生の時。宿題拒否したところ、放課後休み時間にさせられ不満を抱いた。担任の言うことを聞く同級生ロボットに見え「俺までロボットになってしまう」と、学校に通わないことを決意した。現在も「学校は行きたい時に行く」というスタイルを貫いている。

テストの点なんて0点でも構わない、基礎学力高校レベルでも不問でいい。

小学校レベル学力だって生きる上では必要ない。

学校教育学力養成を一切期待しないというメッセージだけは一貫して強く伝わってきた。

分かった。

しか学力がどうでもいいとしたら、それ以外で学校教育に期待していることは何なのか。

これが分からない。

中村さんが主張する通り、学校が生徒をロボットみたいにしてしまう場なのだとしたら、テストで点がとれなくともなお入学を諦めきれない仲村さんは学校に何を求めているか

学校に通ってロボットになりたいか

2019-05-04

三度の春

 京都大学に進学してから、何にも目標を持たずに、シューティングゲームにのめり込み、思い出したかのようにDTMをやり、それが生き甲斐であるかのように自身に思い込ませながら生きてきた僕ですが、ここ京都大学にやってきてから3度目の春を迎え、また違った感情を抱くに至ったので、これまでの人生への懺悔も兼ねてここに記しておきたいと思います。書いてはみたものの、恥ずかしくて特に見返したりもしない雑文となることをお許しください。

一度目の春。

 僕が京都大学に進学しようと思ったのは、高校3年生の時だった。親族に会う序でに京都観光に行き、銀閣寺など見物したそのまた序でに、京都大学へ足を運んだのだった。

 そこで僕が目にしたのは、混沌と洗練が入り混じった新鮮な光景だった。

 立て看板はどれも、その存在自体がお手本となりうるようなものではなかったが、ベニヤ板に塗られた厚さ数ミリもないような塗料から感じられる深い熱意に、この大学学生が持ちうる矜持のようなもの自然と感じ取っていた。

 そんな単純な理由から受験し、何とか合格を得て入学した。真新しいスーツに身を包んだ出来立てほやほやの京大生達と、入学式、ガイダンス、授業を経て交流した。人生の中でも最高に刺激的な春だったと思う。

二度目の春。

 交流を重ねるごとに自ずと分かることだが、実際の京都大学生皆が独特の熱意を抱えているわけではなかった。その多くは、勉強が出来たから、学問への熱意があったから、親が教育熱心だったから、そこにいるのだった。

 さらに言えば、京都大学理学部では、3回生次に振り分けがあり、それまでは学生として勉強をやりつつ自身学問的興味の対象を絞っていかねばならなかった。

 元々真面目に勉強をやるようなタイプではなかった僕は、秋あたりから、徐々に学校に行くことをやめてしまった。行かなくたって単位くらい取れるというちょっとした甘えのつもりだった。でもそんなことの積み重ねが、毎日授業に出ているクラスメイトと顔を合わせることへの罪悪感、恐怖心へと変わり、ついには眩しい大学生達に紛れること自体への恐怖心に成長してしまった。

 朝起きて、時計を見る。そろそろ行かなきゃな…とは思う。う~ん、今から風呂入って行くのしんどいな…とも思う。今日くらいいっか…。といった調子に、クズ人間をやっていた。

 そんなこんなで、無い能力に甘え、拾える単位すら落とし、どんどん自分の進路を狭めてしまった僕は、「せめて毎日大学に行っていれば」という自責の念と、「やっぱ自分大学生なんて向いていないんだよ」という開き直った感情のどちらも捨てきれないまま、2度目の春を迎えてしまった。

三度目の春。

 葛藤はあったものの、そんな堕落した生活を覆すことは出来ず、状況は悪化していくばかりで、2回生は家からも出ないような生活が続いた。それは自暴自棄のようでもあったが、ただ将来のことを考えていないだけというのが正しそうだった。それでも、決して裕福ではないのに、「教育財産と金銭面を負担してくれている親に対する罪悪感は常にあった。連絡を取るのもしんどくなっていった。一方で、知り合いに対しては、自身生き方と辻褄を合わせるかのように開き直って、人間性を疑われてもおかしくないような言動を繰り返した。

 しかしそんな生活にも必然というか幸いというか、終わりは来る。2回生後期も終わり頃というころ、僕はこれ以上、親にも、そして将来の自分にも甘えることが出来なくなった。

 親の元に単位数不足の通知が行って、親と担任を交えた三者面談をやったのだ。

 そこで、自分のこれまで2年間の過ちについてすべてを話した。それだけなのに、あれだけ怖くて見ることさえ出来なかった京大学生サイト(KULASIS)も見ることが出来た。最後の数週間ではあったが授業に出た。人と同じ、当たり前のことをすることの清々しさといったらなかった。そして、罪悪感に埋もれていた、僕の周りのすべての人に対する、申し訳ないという気持ちを取り戻した。

 丸々一年大学に行っていない自分学生をやる能力が残っているか、まだまだ不安はあったものの、ようやく谷底から抜け出せたと思えた3回目の春だった。

追伸。

 この2年間、僕という存在のもの批判されても文句は言えない甘えた生き方をしてしまった。たった2年で、僕は自分のこれまでの人生否定してしまった。

 ゼロから始める、ではないが、原点に戻ったつもりで頑張りたいと思う。

 最後まで読んでくれた真面目な方には、感謝申し訳ない気持ちでいっぱいです。

2019-05-03

自動車学校卒業した

普通自動車免許をとりにいった。怖いくらいやさしくて褒めてくれる女性指導員が担任だった。2ヶ月近く、ほぼ毎日学校へ通った。もう会えないけど、先生もっと仲良くなりたかった。ふとした瞬間に思い出浮かんできて、気持ち悪い。以下、思い出。

学校クランクにて、

先生『失敗してもええけん、感覚でやってみて』

ええんや)(何もわからんけど、ええんや!)

脱輪!!!!‬

路上踏切にて、‪(踏切で一時停止して、窓いじって秒速開け閉めするのになんの意味があるんや〜〜くそ〜〜〜)って、窓開けるフリした。

先生『え!窓にクモおるの知ってたん!!?虫怖いんよね。窓開けんでくれて助かったわ〜!ほんま、ありがと〜〜〜』

(優しい)(開けんかったのバレてる)(ちゃんとやろ)‬

路上講習しばらくしてから、‪

先生『こんなスピード出せたんやな〜〜安心したわ〜〜場内走ってる時は、お嬢様やったもんな〜〜めっちゃ上手くなったわ〜〜〜〜感動やわ〜〜』

(煽られてる)(このくそ)(やさしい)(うれしい〜)‬

運転中、何気ない会話。‪

先生『犬可愛い〜〜!ほらそこ、みて!可愛いなぁ!増田さんは動物飼ってる?』「飼ってな『私も〜〜!!』

先生の素早い共感)(可愛い)(かわいい)‬

卒業検定前のみきわめ講習始まる直前、

今日先生違う人やけど、大丈夫運転も久々やし、ごめんな〜〜』‬

‪私「うーん、大丈夫じゃない」‬

‪『しっかりせぇよ?』

(キレてる?)(やさしくない)(いつもと違ってやさしくない)(きゅん)(きゅん)‬

卒業できたよ〜〜〜〜!!

やったね!!!

高校生くらいの頃は、まだ35歳の女性性的に見ていた

予備校帰りの男子学生集団歩道で横に広がり、歩いていた。仕方がないので彼らに合わせて歩くと、何やら担任女性エロいという話をしている。

「あの担任エロいよな……」「昼と夜でギャップあるタイプ」「鬱屈した俺たち浪人生のために下着姿で面談して…」「セックスで成績上げてほしいーーあ"ーー」

だいたいこういう内容のことを言ってた。俺はそこの予備校講師。彼らの会話から担任特定できていた。35歳の女性最近の俺は30超えた女に欲情できない。そういえばコイツラくらいのとき40代女優にドキドキしてたっけなあ。年取るって嫌だね。

2019-04-29

ギャグ漫画を描きたい

 努力継続するのには、才能が要ると思う。

 と、いうのは何年か人間をやってみてつくづく実感した事だ。

 小学生の頃は漠然と、「まあ、大人になればなりたいものになれているだろう」と考えていた。

 そんな私が、思い描いていた己の夢に対して、何かしらの努力を積み重ねたかというと、そりゃあ多少は頑張った事もあるが、現実はほぼゼロに近い。

 ギャグ漫画家になりたいと考えていた。

 でも、私は「ギャグ」がどういうものかなんて一度も研究した事が無い。落語お笑いも今一つ興味を持てないで大人になった。

 そもそも漫画の描き方を勉強した経験もないし、絵の練習をまともにやった事すら無い。

 子供の頃はよくアホ面で絵を描いていた。算数社会の授業が嫌いだったから、ノート教科書の隙間によく下手糞な落書きをして、先生に見つかっては呆れ顔で注意されていたっけな。

 中学校に入っても絵を描く意欲は持っていた。とても上手な先輩が居て、彼女の絵を見るのが好きだった。自分もこういう絵を描けるようになりたいと思った。

 美術部に入って、真面目に勉強しようとは考えていた。でも、身体の弱い私を心配した家族担任相談して決めた結果、強制的サッカー部に入部させられる事になった。怒られるのが嫌いだったから、部活動には真面目に励んだ。いくら頑張っても運動音痴なままだったけど、卒業式の帰りに、顧問先生に引き留められて、抱き締められながら「よく頑張ったな」と言われた時は、なんだか報われた気がして、泣きそうになった。

 いつの間にか絵を描かなくなった。自然に。多分、部活動に夢中で、余裕が無かったから。

 高校生になって、独創的で可愛くポップな絵を描く少女出会った。彼女は私のことが嫌いみたいで、近寄ると冷たい対応をされたけど、私は彼女の事が嫌いじゃなかった――というより、私は彼女の絵が好きだった。

 影響されて、久し振りに絵を描いた。でも、描いても描いても納得が行かなかった。絵を描こうとするたびに、絵を描くのがつまらなくなって行った。

 彼女みたいな絵を描きたい。それだけだったのに。

 私は絵を描くのをやめた。

 物語世界に浸るのはとても好きだ。だからアニメも見るし、漫画もよく読む。ゲームも頻繁にやる。

 私は眼があまり良くないし、集中力も人より低いと自認している。だから映画だけは、本当に琴線に触れたときしか見ない。

 閑話休題

 中学校で一度だけ、鬱病になって引き籠っていた時期がある。復学したときに、クラス担任が新任の若い先生になっていた。

 彼は私と仲良くしたかったみたいで、よく趣味や好きなものを聞かれていた。でも、特に思いつかなかった。その時期は本当に、何にも没頭できず、打ち込むことすらできず、死んだ魚の目でぼうっと生きていた。好奇心すら砂塵ほども存在しなかった。

 さて、新任の先生は本と映画がとても大好きな人で、私にもそういう自分趣味を勧めて来た。はじめて渡された本は、有川浩の「海の底」、「フリーター、家を買う」、「シアター!」の三冊。

 「気が向いたときに呼んで欲しい」――そう言われた私は、放課後の自室で、ベッドの上に横たわりながらぱらっと本をゆっくり捲りながら、「海の底」を読み進めて行った。

 とても、面白かった。ただの文字列が鮮明な映像に変わって行く感覚は、台詞ひとつひとつが声をとして再生されて行く感覚は、とても奇妙奇天烈だけど楽しくて、己の感性に訴えかけてくる何かが、確かに私の胸を惹き付けて堪らなかった。だから、私は次々と本を読み進めて行った。

 それから、私と先生の奇妙な関係卒業まで続いた。おすすめの本を貸して貰って、私も自分で買った本を先生に貸して、読み終わったあとにお互いの感想を交換する。

 自然と、私の読書量は増えて行った。教科書を読むのは嫌いだったけど、小説を読むのは難の苦も無く出来ていた。

 高校に入ってから幾何か落ち着いたけど、それでも本を買って読む習慣は、いつまでも続いて行った。

 本を読み耽る趣味が出来て、私も何かしらの物語を書きたいという欲が出て来た。

 見様見真似で文章を書いて、それをインターネットにいくつか上げた。

 はじめは、酷評アドバイスも素直に受け止められていた。だけど、自分文章自分なりの拘りが出来て行くたび、評価が怖くて誰にも見せられなくなって行った。

 ランキング上位に来ている小説を読んで、なんでこんなものが? と考えるたび、自分の才能や資質を疑うようになる。

 そして、何の努力もせず、単に良い評価だけを得たかった己を自覚して、恥じ入って、とても死にたくなった。

 もしかしたら、あの駄文は、とても拘ったシナリオ構築のうえで成り立つ、とても凄い小説なのかもしれない。

 あるいは、このサイトの客層やニーズを考え、需要のある設定とキャラクターを考えて作られた、評価されるべくして評価される小説なのかもしれない。

 私には、とてもそんな事はできない。私は自分の好きなものしか書けない。書きたくも無い文章を書くのは、苦痛しかないし、文章を書くという行為は多大な体力を消費する重労働だ。

 案ならいくつでも浮かぶ――だけど、推敲する度に、これで良いのかという疑念が湧いて来る。読み返す度、自分文章がつまらなく感じて行く。ジレンマの中で、私は筆を折った。

 今でもたまに、何かしらの物語を書きたくなる時がある。

 そのたびに、得るものが欲しくて小説を読み始める。義務的にはじめた読書は、とても苦痛に感じてつまらない。読みたくて買った本を棚にしまって、現実逃避をはじめてしまう。心の中に生まれたどろっとした何かが、気分を悪くする。

 一種の習慣と化していた創作行為が、私の心を蝕んでいる。

 ギャグ漫画家になりたいと、今でも考えている。

 絵が下手でもいいから、ギャグセンス大衆受けしなくてもいいから、何かしらの何かを遺したいと思っている。

 努力継続するのには、才能が要ると思う――そんなのはただの言い訳だ。そんなことは、分かってる。

 ただの怠惰人間言い訳だ。無産の人間が尤もらしくほざいたところで、現実は何も変わらない。

 でも、言い訳をしていないと、自己正当化をしないと苦しくて何もできない自分も居る。

 どうすればいいのだろうか。もう、何も分からない。

 取り敢えず、気が向いたら絵を描こう。そう思った。

2019-04-25

長い話

今、残業中なんですけどもうデスクで涙をこらえるのに必死で何もできないので気をそらすためにも自分の話を書きますね それぐらいは許される職場なんです。いいでしょう。私がすべて悪いだけの、きっといい職場なんです。

私は小学校中学校、合計で五年間ぐらい不登校保健室登校)でした。原因はなんだろうな。今考えてもわからないんですけど、とにかく行けなかったんですよ。なんでだろうね。

面倒くさかったんです。たぶん。鬱かなってちょっとだけ思ったりもしたけど、でも、私は当時からオタクで、ネット動画とかを見て笑ってたからただの甘えだったのかもしれない。徹頭徹尾、甘えているだけの人間なのです。小学校の三年か四年から二年ぐらい通えなくて、六年生で復帰したけど、中学校一年でまた行けなくなりました。勉強ができないわけでも無かった。昔から地頭は良い方で、ただ集中力は無かった。何事も長く続けられなかった。極度の面倒くさがりで、家事も何も一切できなかった。

両親は、学校に行きたがらない私を叱ることもなく、いろいろ考えてくれました。なんたらスクールみたいな不登校児の集まるところに連れて行ってくれたり、カウンセラーが居る部屋に週数回だけ通うように調整してくれたり。

結果としては、私は自分の中でなんで教室に行けないかからないまま中学の三年間を過ごして、そのまま都立チャレンジスクールっていう学校に進学しました。都立高校で、定時制

そこには私みたいに理由もなく学校に行けなかった人って全然いなくて、病気だとか、働かなくちゃいけないから夜間で通うとか、親が離婚してから生活が変わって学校に行けなくなったとか、たくさん理由があったんです。私はなんで自分がここに居るんだろうってちょっと思ったりもしたけど、未だに仲よく遊ぶ友達ができたのもここでした。

学校は楽しかった。

でも高校はやっぱり三年しかなくて、私は大学に行くことにしました。良いなと思った大学を目指して、母がこのころ癌になったのに無理して私に英語家庭教師までつけてもらったけど、受かりませんでした。その年だけ倍率が平素の三倍ぐらい高かったんです。なんでだろう。

結局私は担任先生の勧めで、少し遠いけど私なら絶対入れる私立大学文学部に入ることになりました。試験はびっくりするほど簡単で、これなら中学時代の私でも入れるな、と思いました。教科は現代文だけでした。

でもこの大学で、私は今でもたくさん遊びに行く友人ができたし、その一人は先日入籍しました。おめでとう。

大学は面倒くさいこともたくさんあったし、さぼったりもたくさんしたけれど、たぶん楽しかったんだと思いますバイトを始めたのも大学に入ってからです。最初は友人の勧めで飲食で働いていたんですが、給料未払いで数か月で辞めました。

次に私が応募したのは、カードゲームショップでした。ちょうど流行ってたんです。シャドバなんて出る前で、ハースストーン一部の人しかやってないし、MTGオンライン全然無かったころの話です。私はろくすっぽカードゲームなんて知らないままそこに面接に行って受かりました。

仕事はたぶん楽しかったです。結局二年半ぐらいやったのかな。みんなオタクだったし、嫌な客もいたしわかんないこともいっぱいだったけど、それでもバイトって責任もなくて気楽だったし、本当に楽しかったと思う。

その時直属の上司だった男の人とは今でもなんだかんだ年に数回会って、二人で飲んだり二回ぐらい日帰り旅行したり誕生日ディズニーしたり一緒にコンサートいったりします。私たち関係は何なのか、こうやって書きだしても未だによくわかりません。良い友人なのかな。友達以上恋人未満の関係結構好きです。気楽だし。いい関係ですよね。

そして私はバイトと遊びと勉学と文化コンテンツで日々を過ごしました。三人しかいないゼミでひいこら卒論を書き、その間に就活しました。

弊社は、確か私の学校に来ていたうちの一つだったと思います

私の父は大きな会社でそれなりに能力もあって、管理職ではないけれど責任感のあるポストについています。そんな彼と日々話をしたりしているうちに、私もこの業界にしたいな、と漠然と思っていたので、そこを受けてみることにしました。一応ほかにも数社受けました。

受かったのは二社。もう一つは金融系の会社で、少し怖くて辞退しました。その時私は卒論が楽しくて、就職の方がたぶん大事なのにそんなこと全然考えてなかったんだと思います

そうして弊社に決めました。もうゼミ以外には大学に来る予定なんてなくて、バイトばっかりしていて、オタク趣味お金を使いたかった。早く就活を終わらせたかった。

もともと視線恐怖症なのもあって、沢山の人がいる中で自分アピールしたりすることが怖かったのかもしれない。

私は卒論を頑張って(学部で優秀賞をもらいました)、大学を無事卒業して、弊社へ入りました。

入ってから、ああ、結構体育会系というか、業種のくせに古臭い企業だな、と思った事は事実でした。けど、父が言うにはこの業種の中小はみんなこんなものだという話だったので、特に気にしませんでした。自分マメさが求められる事務職は向いていないと思っていたからです。

それでも今の部に配属されて、訳の分からない言葉はいっぱいだし、教えてくれる先輩の一人は私に教える片手間ずっとグラブルをやっていた。もしかしたらグラブルをやっている片手間私に色々教えてくれたのかもしれない。

今のオフィスは、弊社の大口顧客(元請け)がほぼほぼ占めているビルです。

私は二年間、同じプロジェクトで、ワーカーホリック上司の下で仕事しました。

上司イエスマンから無茶な仕事をいっぱいもらってきちゃうし、自分ワーホリからほかの人も同じぐらい働けるとか思っていたし、謎に有り余る体力で飲み会かにも大体参加していましたが、怒らないし、わからないというとある程度は聞いてくれたりするし、たぶんとってもいい人でした。私が生意気言っても怒りませんでした。ただ彼自身は毎月残業60時間かいってるワーホリでした。いまでもそうです。

それでもそのプロジェクトは楽しかったです。つらいこともたくさんあったけど、愛着もありました。

なんだか身体おかしいな、と思ったのは去年のどこかぐらいからだと思います。去年は忙しい月が数回あって、残業が40時間を超えるぐらいの月が飛び飛びに数回ありました。

から起きるのが早くて、朝五時とかに起きちゃっていたんですが、三時ぐらいとかに起きちゃうようになりました。

私はスマホ依存症に近いものがあって、何かあるとすぐスマホを見ちゃうんですが、それのせいもあったのかもしれません。睡眠の質がきっとどんどん悪くなっていきました。

プロジェクトは今年の春が大詰めで、みんなピリピリしてたし、急な雑務も増えました。

ある日、一度、風呂場で痙攣のような現象を起こしました。

視界が一瞬真っ白になって、風呂場の椅子に座りこんだと気が付いたときには、身体のいろんなところが強くしびれていました。特に強かったのは手で、勝手に力強く握りしめられていて動かせませんでした。

母を呼びました。母は全裸で浅い呼吸をしながら手を強く握りしめている私のことをひどく心配してくれました。父も風呂場の外にはいてくれて、状態を調べたり、スポーツドリンクをくれたりしました。

その日は固まった手で何とか飲み物を飲んで、少ししたら回復しました。

でも、結局数日たってからも体調がすぐれず、午前半休を取って病院に行きました。

のしびれの正体も知りたかたからです。結果は「抑うつ状態から過呼吸引き起こしたのでは」ということでした。

医者さんには産業医面談を受けるように言われました。私は素直にワーホリ上司へそのことを話して、午後に出社しました。

休憩スペースで面談しました。診断の詳細、そして産業医面談というものを受けるかどうか。

受けるなら俺から上に言うよ。そういわれて、少し困りました。プロジェクトが本当に大詰めだったからです。私はその時まだ二年目のぺーぺーでしたが、そんな私でももしいなくなってしまったら困るかもしれないと思ったからです。結局上司はそのあと産業医面談の話はせずに、春から仕事の話をされて終わりました。

その週の金曜日、私はどうしても体調がすぐれず、うまく動けなくて、会社休みました。

もう一度産業医面談の話をしました。

私自身が、どうしてこんなにストレスを感じているかがわからなかったからです。それが仕事のせいなのか、無意識プライベートでため込んでいたのか(その時ちょうどフォロワーちょっとトラブルがありました)、単純に満員電車ストレスなのか、わからなかったからです。

翌週、私のところにやってきたのは課長でした。

別に産業医面談拒否するわけではないし、受けたいなら調整するんだけど」彼の言葉はこう続きました。「俺たちの権力より上だから部署移動とかを指示されたら逆らえないしなあ……」

課長は私が部署を移動することになってしまった場合人間リソースの低下を懸念していたのです。

「とりあえず、今月は今のプロジェクトを頑張って、春以降もう一度相談します」私は言いました。

しかしたら、本当に私が居なくなったことでこのプロジェクトクリティカルな何かが発生してしまうかもしれない。それが嫌だったのです。課長が明言してしまうことで、それが私のせいにされてしまうのも嫌だったのです。

薬を飲んでいれば出社はできました。なぜか倒れたときから咳が止まらないけれど、風邪が長引いているのだろうと思いました。

私は抗不安剤睡眠導入剤を内科でもらっていたので、薬がなくなった時についでに咳止めの薬をもらいました。

そうしたら、電車で倒れてしまいました。

咳止めとして飲んだ抗生剤と私の相性が悪かったのかもしれません。私は朝の満員電車の中でお姉さんに助けてもらい、途中の駅で降りて、でも歩けなくて、駅員さんに車いすに乗せられて詰め所みたいなところの長いすに横たえられ、母親が来るのを泣きながら待っていました。

母は病気です。私が高校の時からずっと治療しています。手術もしました。私なんかよりもずっと大変なのに、毎日ご飯を作ってくれて、こうして迎えに来てくれるのです。私は親不孝者でしたが、母が迎えに来てくれたので、駅から外に出ました。その日は散歩をして、会社休みました。

体調の悪化が治りません。毎日薬を飲まないとうまく動けません。

それでも日は回るので、春から新しいプロジェクトに参画することになりました。すでにある程度進んでいるプロジェクトは初めてでした。

私はわからないなりに、以前の経験知識を使って頑張ろうと思いました。そのプロジェクト上長は先日面談をした課長でした。

参画してから一週間ほどした日、私は唐突課長仕事の依頼を受けました。

曰く、新しく仕事必要ものを一から作るのだと。

この業種において、一から自分で作ることは大して難しくはありません。今のプロジェクトの様子確認も兼ねて、大丈夫です、やります、と言いました。

どうやら課長のその認識根本的に間違っていたらしいと知ったのは、その週末のことでした。

どうやらそれは、私が触ったことのないソフトを触って、すでに動いているシステムに「絶対ミスをすることなく」仕様追加をするというものでした。

私は困惑しました。だって自分が触ったことのないものを「ミスなく」と言われても困ります練習ができません。経験もありません。

しかも、それは私一人でやるという話でした。ベテラン技術者が後ろについてくれると言いましたが、彼は他の仕事で忙しく、週に一回、数時間様子を見てくれるだけでした。

彼がとっても忙しいのは知っていました。だから仕方ないとは思いました。上長に聞いていた話と全然違っても、もう請けちゃったと言われたら若手にはどうすることもできませんでした。

元請けからはことあるごとに「絶対ミスは許されない」と言われました。私は状況の調査から始めました。

手順書や設計書は用意されていました。ただ、前任の会社中途半端撤退していたため、それが正しいかどうかの調査から始めなければなりませんでした。

けれど、私が触ったことのないソフトウェアの設計違いを、どうやって見つければいいのだろう。それはとっても疲れることでした。

上長はいつもなぜか忙しそうで、私が疲れたとか、産業医面談の話についてを問いかけることは憚られる雰囲気でした。半分炎上していたのかもしれません。プロジェクト経験が私含め半分以上を占めていた上に、その中で唯一構築経験があった私が一人での仕事に回されてしまいました。

ベテランはしきりに「ポテンシャルを見込んで」と言いました。

ポテンシャルって便利な言葉ですよね。とりあえずそう言っておけば良い感をひしひしと感じます絶対失敗できない仕事を依頼されたなら、失敗しない人を連れてくればよかったのです。

私はそれでも何とか資料を調べて不明点を上げ連ねて、ベテラン上長との進捗報告に参加しました。訳が分からないことだらけでした。たくさんのことを言われましたが、すでに集中力平時の半分ほどしかなくなっていた私にとって、それは呪文のようでした。半分ぐらいわかりませんでした。わかったふりをしました。

産業医面談に行けなかったので、有名な精神科のある病院の予約を取りました。その時にはもう、睡眠導入剤がないと眠れない生活になっていました。

新しい病院で、紹介状は無いんですとだけ伝えて診察を受けました。睡眠導入剤のほかに睡眠安定剤をもらいました。でも、睡眠安定剤を飲んだら昼間もものすごく眠くなってしまったので、二回しか飲めませんでした。結局抗不安剤睡眠導入剤だけを今でも飲んでいます。飲まないと眠れないし、仕事に行けないからです。

このころからホーム電車に不必要に近づいてしまうようになりました。(私が使っている路線都内なのにホームドアがないのです)無意識でした。私は死にたいのかな、と思うようになりました。

転職をすればいい、とか、周りの友人は言っていましたが、どう客観的に見たって私のメンタルが弱いだけの甘えなので、私が悪いのです。昔から私が社会や親に甘えているだけなのです。その自覚があったし、転職はとっても怖いもののように思えて仕方がありませんでした。だって自分には実力がないのです。転職活動で落とされることも怖かったです。評価されないことは、訳の分からない仕事を一人でやらされることと同じぐらい怖いことでした。

今日も偉い人たちを交えての打ち合わせがありました。私はやっぱり、「絶対ミスできない」ということを念押しで言われました。それならなぜ、ソフトウェアに触ったことがないたかが三年目の私がその仕事をしなければならないのかがわかりません。他の人にも仕事内容の相談ができません。調べても全然出てきません。他のメンバーはいろいろみんなで相談しながら前に進んでいるのに、私は自分が一つわからないことがあるだけでそこに立ち止まってしまます解決策がわかりません。どうすればいいかわかりません。集中力がなくて、どうすればいいかもよくわからなくなってしまいました。

少し、辛いな、と思いました。

別に残業が数百時間だとか、あまりにも激務だとか、そういうことはありません。家族はとっても優しいです。私はきちんと笑えています。両親はたくさんのことに関して理解もあります。母は自分身体も悪くて病院に通っているのに、私が精神科に行くとき一緒についてきてくれました。

部長課長主任ワーホリですが、きちんとしてはいると思います中小ですが、それなりに長く続いている、頑張っている会社です。

から、私があまりにも社会に甘えているだけなのです。私が弱くて、今まで甘やかされてきたから、ちょっと普通なぐらいのところに来ただけで耐えられなくなっているのです。

それは悪いことだと思っていますだって私が弱いのが悪いんです。甘えなのです。でも、強くなる方法がわかりません。

どうしてこうなったんでしょう。生まれときから弱かったのでしょうか。私はどうすればいいのでしょうか。何が悪かったのでしょうか。仕事ができないことが悪いのでしょうか。

薬を飲んでいるとお酒が飲めません。友人との飲み会も、友人が気を遣って飲み放題プランを外してくれます。気を遣って一緒にソフドリを飲んでくれようともします。

優しさが申し訳ないです。私が弱いだけなのに。私が弱くて薬を飲んでいるだけなのに。

仕事が嫌いなわけじゃありません。色々考えて、正解を導き出せたときや、トラブル解決できた時はとっても楽しいです。

ただ、たぶん、もう一人だけいたら、こんな気分になっていなかったのかな、とは思います自分にとって、「絶対ミスできない」一人きりの仕事が、案外つらいのでしょう。ゆとりなのです。弱いのです。世間様に甘えているから仕方がないのです。責任を一人で負いたくないのです。「わからない」と隣に相談する環境が欲しいのです。

会社の最寄りの駅にはホームドアがありません。今は想像するだけだと思ってはいますが、段々と黄色い線の向こうを歩いていってしまって、いつか飛び込んでしまったら、と思うととても怖いです。それも、私が弱いからなのでしょう。

お母さんのごはんもっと食べたいです。

お父さんともっとお酒を飲みたいです。

生きたいです。オタク楽しいし、ちゃん毎日笑っているし、友人もいい人がいっぱいいます。でも、いつまで生きればいいのか、よくわかりません。勝手に涙が出たり、ベッドから動けなくなってしまます

私よりもっとつらい人はそれこそ数えきれないほどいるはずなのに、どうして自分はこんなにも弱いのか。どうしたら強くなれるのか。

なんで生きてるのか、わからないのです。

それを吐き出したかっただけなのです。

2019-04-20

クズだった小学校担任

自分結婚できるかどうか」を賭けの材料にしてた。

しか自分結婚することがほぼ決まった状態で。

クソみたいな先生から生徒はみんな結婚しない方に大なり小なり賭けてたな。

で、自分結婚するときにそれを伏せて

「今後お芝居をやることになったら(元々芝居をやっていたらしい)から見に来たい人」

みたいな感じで意見募って、それで行くってなった人に

「本当は結婚式で、歌を歌ってほしいい」みたいなことを伝えてた。

当日、生徒10人くらいで歌って、相手家族からすれば

「良い生徒さんに恵まれた良い先生ねー」みたいな微笑ましいエピソードなんだけど

おとなになった今、全部がクズすぎるなーと思った。

H先生元気にしてますか?

2019-04-19

娘の担任先生が、夏休みを待たずに産休に入る。

今日学校懇談会があって、時間が余ったので近くの人とグループ組んで情報交換的な事をしてよくなった。

そしたら、担任先生すぐそこにいるのに、出るわ出るわ先生悪口が。

担任の癖に無責任だとか、中途半端にやるくらいなら教師辞めろとか色々、聞くに耐えない罵詈雑言を聞かされた。私が反論しても全部遮られてしまう。

自分等の悪口エキサイトしてしまって、ノリノリで、ほんの数メートルの所にいる、自分等よりも十以上若い担任に聞こえよがしに言いまくる。とても楽しそうに。

止められない私はなんて無力なんだ。辛い。

自分の娘が、将来教師とかなんか色々な仕事をして、妊娠したくらいでそんな風に言われたら嫌じゃないのか?私は嫌だ。

私としては、人生にはどうしても仕事よりも自分身体家族などを優先しなければならない時期があるというのを、子供達に当然だと思って欲しい。子供が生まれるという事にネガティブ感情を持って欲しくない。

担任先生妊娠中でそのうち産休に入るというのは、そういう意味ではラッキーなのではないだろうか。人間とはそういうものであるという事を、知れる。

先生人間から妊娠出産の他に、病気怪我で休養を取らなければならない事だってある。

人は壊れない機械なんかではない。そういう事を知って欲しいから、先生完璧超人でなくていい。親だってそうだ。完璧超人でなくていい。

2019-04-18

高校時代の元担任

高校時代の元担任は他の学校でも有名なダメ差別教師。見た目で評価を変える最低野郎だった。 

話題いじめ助長教師なんてもんじゃない、嫌いな奴は集中的に罵倒してた。

おまけにそのせいで学校来なくなった奴を『根性なし』呼ばわり。

身内がひどい目にあったこともあり俺も嫌いだった。三年になってそいつ担任になった時 、

俺は皆の前で初日にいきなり『あの〇〇の弟か。おまえもあん馬鹿じゃないと良いな。

おまえみたいのは卒業することだけ考えろ』とか言われた。まだ話してもいないのに。

そばにいるだけで何かとちょっかい出されてたのでそいつ宿題と授業すべて放棄してた。

それ以外はの授業はしっかり出てたけど。 

で、ある日『おまえは宿題全く出してないから30点はテストの素点から引かなきゃなぁw

赤点になったら絶対助けんぞ。明日までに全部出したら助けてやらんでもない』とか言われた。

『50点くらい引いてもいいっすよ』って言って100点取ってやったよ。

で『先生の授業受けてる人の方が頭悪くなるんですね』って言ってやった

俺悪くないよね?

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