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はてなキーワード: 担任とは

2018-09-24

anond:20180924153041

子供時代は同じ釜の飯を食べるんだ!

自分に居心地よい人口子宮内に閉じこもっていたら発展がないんだよ。

しかし、好きじゃないのは仕方ないよな、おれも同じ。

孟母三遷の話もわかる。

話してもわからない奴、自分とは暮らしも考えも違うやつが世の中にいる、という実体験は有効だと思うのよ。アメリカ教育すべからくうまくいっているとは思わないけど、伸びるには自分のソトを知らにゃならん。

教師はそこを考えて担任してもらいたい。勘違いした仲良し志向は、同調圧力という地獄を生むのだ。

anond:20180924141127

学年持ち上がりってクラス担任だけじゃなくて科目担当する教諭まで持ち上がるのか

俺も偏差値同じぐらいだけど教科担任は毎年、現代文古文ですら変わったわ

anond:20180924140412

完全に無関係人間が横からレスしてすまんが

3年連続担当教諭がクソだった、ならわかるが。

これまさに俺だわ

クソ担任が3年ずっとクラス担当してやがった

今思い出してもブチ◯したい

もしもおれがいじめられてなかったら

小学校の3年生くらいか中学校の2年生まで、軽くいじめられていました。なぜ中学校2年生でいじめられなくなったかというと簡単で、おれが学校に行かなくなったからです。いじめられていた理由不明。まあいじめに理由なんてある場合のほうが少ないと思うけど、多分態度が気に食わないとか、顔が嫌いとか、みんなやってるからとかそんなところだと思いますハチを食わされたとか陰毛燃やされたみたいな壮絶な体験ははっきり言って無いです。無視された、遊びに誘われなくなった、増田菌が付くとか言われて体や持ち物に触ることを嫌がられた、影で悪口を言われた、直接悪口を言われた、女子からキモいとかなんとか言われた、更衣室に引きずり込まれて一発ぶん殴られた、部活で一発ぶん殴られた、その程度です。おれは死にたいと考えることがまったく無い人間らしくて、そういう目にあっても自殺を考えることはありませんでした。とはいえ多感な時期の中学2年生ですから学校行きたくないと考えるようになるのは当然です。学校苦痛なのでインターネット友達をつくりました。どう考えてもインターネットのほうが楽しかったのでネットに没頭し、中2にして寝るのが午前4時とかそういう日も珍しくありませんでした。当然朝起きれない日が出てきて、ちょっとずつ休むようになっていって、そのまま夏休みになって、宿題なんてまったくやっていなかったので夏休みが明けても学校は数日しか行けませんでした。周りが学校祭に向けてちょっとずつ団結しているのにおれは学校をサボって何をやっているんだと思い、なんだか居心地が悪くなって、どんどん学校から遠ざかっていきました。周りも多少は気を使うので、おれがまったく学校に行かなくなる直前には、あからさまないじめほとんどなくなっていたと記憶しています最初学校祭が終わるまでは行かないでおこうと思っていましたが、学校祭が終わってもとうとう学校はいけませんでした。インターネットインターネットで、おれ不登校になったんだ、なんて言い出しづらく、平日は普通に学校に行っているふりをしていました。学校には全然行かない一方で、学校に行く夢はよく見ました。3日に1回くらいは見ていたかもしれません。久々に学校に行って、自然に打ち解けて、長い間学校に行っていなかったから周りはやけに優しくて、なーんだ、怖がってたけど1歩踏み出せば受け入れてくれるんだな、なんて思って、明日から学校に行こう、と思う夢です。我ながら切ない夢です。まあこんなのははっきり言ってよくある話で、なんの面白みもない話です。15人に1人くらいはこういう経験あるでしょう。ハチを食わされたとか、自殺を考えたとか、本当に自殺しちゃったといった話と比較すればとても些細なことで、取るに足らない経験です。

不登校といっても引きこもっていたわけではありませんでした。親と一緒に小旅行に行ったり、近所のコンビニに買い物に行ったり、サイクリングに行ったりしていました。もともとそこまで壮絶ないじめにあっていたわけではなかったので、特に人間不信みたいなものになっていたわけではなく、外には出ることができました。ただ、昼間や夕方同級生と顔を合わせるのが怖くて、キョロキョロと警戒しながらコンビニなどに行っていた記憶があります同級生が居そうなので近所のでかいショッピングモールには行けませんでした。学校関係者はすべて恐ろしくて、小学校の頃からの友人であっても顔を合わせることができませんでした。1度、夕方自転車でどこかを走っていた時、「増田か?」「最近どうしてるんだ?」なんて、あまり仲が良くない人に話しかけられたときは、びっくりしてしまい、無視して逃げてしまいました。今でもよく覚えています

どうも周りは高校受験意識して真剣勉強しているらしいぞ、という時期に、おれはなんにも考えていませんでした。実家ぐらしなら月10万くらい稼げば元気にインターネットができるぞ、と本気で思っていたので、中学出たらどっかでバイトでもして適当に生きていくんだと思っていました。親が遠くの定時制高校を探してきてくれて、おれは学校にいい思い出がないので、そこですら行きたくなかったんですが、親がいけと言うので半ば強制的にそこに行くことになりました。親には本当に心配をかけて申し訳ないことをしたと思っていますし、心から感謝をしています。その高校受験の日、1個年上で、中卒で寿司職人をやっていたけど大変だからやめて高校生をやり直すために受験しに来ているという人に話しかけられて、おれたち絶対からないとな、なんて話をしました。受験が終わった日の帰り、親が運転する車の中で、もしかして中学校までが駄目だっただけで、こういう学校だったら友達が作れて楽しいんじゃないか、なんて思って、鮮やかな夕日を見ながらニヤニヤしていた記憶があります

高校は、バイトしたり資格をとったりしながら、まあバイトで稼げるお金なんてはした金ですし、高校で取る資格なんてほとんど役に立たないわけですが、社会に参加してまっとうにやっているぞ、という充実感を持って過ごすことになります高校ではとうとう親友と呼べるような人はできませんでしたが、今でも帰省したときには会うような仲のいい友達は何人かできました。中学ではみんなが敵だったのに、高校はいじめてくる人間は1人もいませんでした。いじめてきそうな気性の荒い人はいましたが、そういう人たちは何故か学校では1人で暮らしていたので無害でした。集団浅慮と言うんでしょうか、たいていのいじめは、複数対1人で始まるものです。そりゃあ人間人間執拗にぶん殴るなんて異常事態は、1対1ではそうそう成立するものではないんでしょう。そういえば、結局、あの寿司職人の人は学校で1度も見ませんでした。名前を書けば受かる高校なので落ちたとは考えにくいです。事情があって入学をやめたんでしょうか。一緒に高校生活を送ることができなくて残念です。

高校担任が、4年制大学に行くと生涯年収がだいぶ違うぞと言っていたので、高校2年の冬からなんとなく受験勉強を初めて、結局、隣県の国立大学工学部に受かりました。国立と言っても、国立大学の中では下から数えたほうが圧倒的に早い、ランクの低い大学です。例を挙げるなら山口大学みたいなところに行きました。この前偏差値を見たら50行っていなくてびっくりしました。でも学費私立3分の1ですし、田舎なので家賃も超安いです。みじめな夢を見て、同級生の目に怯えながらこそこそと暮らしていた頃を思えば、国立大学に入れただけで御の字です。合格発表の日は本当に嬉しくて、母親なんて泣いちゃっていましたよ。大学では親友と呼べる人が何人かできて、同じ学問を修めようという人たちですので話も面白くて、とても楽しい日々を送っています

そうして今、大学で3年間を過ごし、いよいよ来年就職か、という段階です。大したことない学歴ですが、ぺーぺーだった中学のおれからするとだいぶ努力しましたし、親くらいしか評価してくれませんが、自分としては結構かいことを成し遂げたと思っています。でも中学の頃おれをいじめていた連中の中には、もっといい大学、例えば広島大学とか、北海道大学とか、早稲田大学とか、そういうところに行った人はゴロゴロいるんだろうな、と考えると、どうも釈然しません。彼らのことを恨んでいるかと言うとそこまででもないわけですが、彼らが行けたなら、おれにだって行けたんじゃない?って思うわけです。実際中学高校でコツコツ勉強していれば、現実的に考えて行けてもおかしくないだろうな、と思うわけです。おれ自体別に学歴厨みたいな人ではないですし、今の大学に不満があるわけでもないですが、彼らの中には自分より上等なことを成し遂げた人がいるんだろうな、という現実が、どうにも釈然しません。少なくとも彼らには、おれより2,3年は長く、コツコツ勉強するチャンスがあったわけで、もしその時間自分にもあったら、と考えずにはいられません。

大学に関しては別に今の自分立ち位置について悩んでいるわけでもないのでどうでもいいんですが、悩みといえば、コミュニケーション能力です。去年の冬に、お金がほしくて、温泉旅館住み込み短期バイトをしていたことがありました。当然同じ短期バイトの人が自分以外にもいて、どういう人かというと、都会の私立大学の、例えるなら明治大学みたいなところの学生達でした。彼らはハキハキしゃべって、おれ以外でどんどん打ち解けて、どっかに飲みにいこうぜとか、そんな話で盛り上がっていました。おれにはあんなところに割って入っていくなんてことはできません。ああいった集団と会話しようとすると、つい顔が引きつって、アッハイとか、ソデスネとか、そのくらいのことしか言えなくなってしまます普段はそうでもありませんが、たまに何かの間違いで陽キャラみたいな人たちと関わると、劣等感で押しつぶされそうになります田舎工学部でジメジメとした会話をするぶんにはなんとかなりますが、就職するとそういう人のほうがレアになることもあるわけで、今から就職活動や、就職した後のことが憂鬱です。おれのコミュ障はどこから来たんでしょうか。おそらく、先天的コミュ障なのか、長年いじめられた結果コミュ障になったのかの2択でしょう。その両方かもしれません。おれはいじめられていなければ、もうちょっとまともに、陽キャと呼ばれる人たちとコミュニケーションが取れていたのかもしれません。いじめられていなければ、人間付き合いが好きだったかもしれません。いじめられていなければ、女の子の目を見て会話が出来たのかもしれません。

女性だってそうです。中学生の頃は、当然好きな女の子がいました。でも学校に行かなくなったのでそれっきりです。結構好きだったのに残念なことです。高校大学ほとんど女性がいませんでしたし、女性と会話しようとするとつい緊張してしまうので、お察しの通りいい年こいて彼女というものができたことがありません。彼女がほしいなんていう願望すら、ここ数年で既に枯れ果ててしまいました。

いじめられていた当時は結構辛かったとは思いますが、その辛さも、実感としてはすでに忘れてしまいました。でも、こうした「いじめられなかったとしたら」という、どうしようもないifの話が、10年近く経ってもおれを苦しめます。本当にやるせない話です。こんなのは、どう考えても現実を受け入れてそれなりの人生を歩むしかないに決まっている話ですが、それでも、どうしても、いじめられなかった自分想像せずにはいられません。10年近く経っても苦しめられるんですから、もう10年経っても、もしかしたら死ぬまでこのやるせなさと戦うことになるのかもしれません。当時いじめていた連中に復讐してやるという気概があれば、まだ救われる話なのかもしれません。でも、いじめられていたときの苦しさと一緒に恨みも忘れてしまいました。

小学校校長先生って普段どんなことをして過ごしてるんだろう

小学生の時すごく不思議だった

担任先生と違って直接教室で授業をするわけではないし

かといっていっつも学校にいるわけでもなさそうだった

どこに居て何をしているのか謎の存在なのが校長先生

福岡県福智町の町立図書館の館長がクビになって

後任を小学校校長先生が務めるという

校長先生ってそんなことまでしてるのか

学校にいないはずだわ

2018-09-21

anond:20180920162622

あ、でも20年以上前少しだけ面識あったウヨ1970年生)は大学院出てたな

ただし理系近現代史切り貼り知識っぽかった

タイミングが違えばオウム信者になってたタイプの人じゃないかな…。自分の母校の高校OBオウム信者選挙出た人がいたと当時の担任先生からいたことがある。

賢い生徒で東大理Ⅰ狙ってたけど浪人して、浪人して、連絡が途絶えてその後どうしたかな…と思ってたらある日地元から立候補してたって。

2018-09-20

液状化やじうまニュースを見て

自分がやられたら嫌な気持ちにならないの?

というコメントを見たんだが

高校生担任が、豪雪被害で家の窓が割れて雪が家に雪崩込んできたとき

割れた窓と雪をバックに写真撮ったって話をしてたのを思い出して

規模こそ違うが多分そいつ自分の家が被害に遭っても写真撮ってるよって思った。

どういう精神なのかはまるで理解できないけど。

正しい努力を教えてくれた恩師

私にも似たような経験があって驚いたので増田に書く。今の私の目線では、勉強の楽しさが分からないってのは言い換えたら、正しい考え方を身に付けてはいないという事になる。しかし、私が高校生の時、私はこの正しい考え方も努力の仕方もしらなかった。およそ本を読む事すらない両親から勉強の楽しさの様なものを教えてもらえることもなく。高校くらいは出ておけという親父の言葉に従い、地元でも殆ど底辺工業高校に進学して卒業後は大工の親父に弟子入りするつもりでいた。

そんな私が大きく変わる切っ掛けを得たのは高校生の時だった。全く分からなくなっていた数学で再び赤点を取り、進学は出来ないと決まりかけた時、そんならいっそ退学して親父と仕事しようかと考えて担任であり、数学教師でもあるノザセンに話をしに行った。

勉強はそんなにつまらいか?」と聞くノザセンに、私は「何が面白いのか分からない。職人になる方が面白い」と断言した。

するとノザセンは少し考えて

気持ちは分かった。だけど、最後に1週間だけ俺と一緒に勉強しないか?もしもその1週間で何も面白くないと思ったら、お前が無事に中退出来るように両親とも学校とも話を付けてやるよ。」

と答えた。高校だけは出ておけ、と言っていた親父に中退を申し出る事に臆病になっていた私は、ノザセンのこの申し出を有難く受ける事にした。たったの1週間で恐怖そのものの親父の怒りを回避できるのなら安いものだったから。


忘れもしない。一緒に勉強を始めた最初の日、ノザセンはいきなりこんな問題を解けと言って来た。

「Q、円周率が3.05以上であることを証明しろ。」ノザセンは、1時間やるよと言った。当時の私には分かるはずもなく、ノザセンの見ている前で、適当に考える振りをして1時間後に「全く分からない」とギブアップした。

答えを教えると言って、ノザセンは正方形を黒板に書いて言った。「正方形の外周の長さは分かるか?」、「同じ辺が4つあるだけなんだから、流石に俺でも分かる。馬鹿にすんな」と私は怒った。次にノザセンは正方形の内側に円を描いて「円は正方形よりは小さい。なら正方形の一つの辺の長さを1としたら4よりは小さい事は分かるな?」と言った、私は「馬鹿にすんな」と再び怒鳴った。意にも介さずノザセンは円の内側に六角形を描いて言った。「この六角形は円よりは小さい。六角形の外周は計算できるか?」、私に分かるはずがなく黙った。そこから、辛うじて記憶の片隅にあった三角関数を用いて、ノザセンは六角形の外周を計算して見せてくれた。「六角形の外周の長さは3だ。つまり、さっきの正方形と合わせたら、円周率は3より大きく4より小さいと分かった。そしたら、六角形をもっと分割して円に近づけていけば、3.05以上になると証明できるだろう?」

その過程を黒板で見て私にすら分かる平明な説明に感動し思わず「すげぇええ!そうなってんだ!」と声に出した私にノザセンは言った。

「実はこれ、今年の東京大学入試問題なんだ」と。

ノザセン、いや野崎先生が教えてくれたのは、こういう事だった。

問題を出された時に、その問題はどのような知識を持っていて使える事を問うているのか?を考える訓練をしてなければ、勉強なんて面白くもないし出来るようにもならない。逆に言うと東京大学問題だって基本的知識の組み合わせで解けるようにしか出来ていない。勉強と言うのは、自分が今持っている道具が、どんな風に使えるのか?道具の本質を知るという事なんだ。大工が鉋の使い方を極めるように、当たり前の知識本質を知る事が勉強で、自分が手に入れた知識を組み合わせて、家を建てるように現実対処する術を手に入れてない人間が、社会に出ても役には立たない。高校と言うのは、その基本を身に付ける場所だ。


驚いてしまった私は他にも色んな難しい問題が解ける過程を教えてもらって、その考え方の基本を学んだ。それを後から復習して似たような問題宿題を考えてみては野崎先生と答え合わせをするのが楽しかった私は、その時から数学が好きになった。勉強の仕方が分かった私は勉強する事が面白くなってしまい、人が変わったように勉強をするようになって成績はグングンと伸びていった。特に数学物理は得意で、その内に偏差値も60を優に超えるようにもなり野崎先生の勧めで大学進学を決めた。その時の親父の驚いた顔や苦笑いを覚えている。「俺の跡を継いで大工になるんじゃねーのかよ」と笑ってる親父も、勘違いでなければ嬉しそうだったように思う。

そんな教師底辺高校にいた理由を後から知った。それなりの不祥事があったのだけれど、私の先生に対する敬意は一切変わらない。そんな不祥事がなければ私の様な底辺学生先生出会う事もなかったのだから、変な話だが対象となった元教え子は感謝しているくらいだ。しかし、本来なら私の様な学生が受けられる教育ではなかったという事で、その事は社会問題として考えられてしかるべきなのかもしれない。

その後、私は大学を出てから大手ゼネコン経験を積み、昨年から親父の工務店経営する立場実家に戻った。あの時、高校野崎先生がいなければ、今の私はいなかったと思う。高校すら出られないバカ息子と怒られ、親父と喧嘩して家を出ていたかもしれない。野崎先生から教えてもらったのは単に勉強の仕方や面白さではなく、問題解決全般につうじる秘訣だったと今では思っている。自分が持っている道具を正しく理解していれば、なんとかなるんだと言う確信が今も私を支えてくれている。努力と言うのは、単にのし上がりたいって欲でするものではなく、自分理解する為にするものなんだと学べたことは私の財産だ。


https://anond.hatelabo.jp/20180920011754

2018-09-18

今日嘘松

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

中学生の娘が担任教師が嫌でしょうがないと愚痴を言っている。

私はどうしても問題解決する方に思考が行きがちなので、吐き出せれば済むような話は妻に任せている。

すると今度は「私が困っているのにお母さんはちっとも味方になってくれない」と怒り始めた。

敵、味方って話ならば両親ともお前の味方だし、先生が敵だと言うならお父さんはモンペにでも何でもなって問題解決するぞ。

と言うと、そういう話ではないという。

そんな事は百も承知だ。

自分不快になる環境の中にいる時、我慢するとか、見かたを少し変えることでマシになるとか、そこから逃げ出すとか、問題解決するために戦うとか色々方法があると思う。

妻の提案は見かたを少し変えてみれば?というものだったがそれでは自分の味方ではないらしい。

我慢するのも嫌だと言うならお父さんの出番だ。

問題解決するために戦う術を伝授するとか、色々捨てて逃げ出すための準備を始めるぞって事になるから、素直にお母さんの話を聞いてみたらどうだという事だ。

最終的には、妻にも協力してもらって私が一番の悪者ってことにして、先生に対する恨みみたいなものが薄れたようなので、気が晴れたのならまぁよかったのかなと思う。

事の発端は、クラス男子が真面目に授業を受けてないのを注意しない先生がムカつくってことらしい。

まり根本クラス男子なわけだ。

自分の力では自分の望んだ形で解決できない問題を、理想の形で解決してくれない人に対して怒っている。

そもそもどういったもの理想の形なのかも把握していない。

その連鎖が最終的に私の所まで来たのだか、結局、私に対して一番怒っている事になってしまっている。

感情問題から理不尽に怒られるのはしょうがないと思うが、私に対して怒ったところで何一つ環境が変わっていないのはいいのかなあと思ってしまう。

敵、味方という二元的な話になってしまうのもまだ子供だから仕方ないけど、敵よりも自分的に頼りない味方の方が悪だといった発想は改めたほうが今後の人生が楽になるような気がする。

大人になっていくにしたがって落ち着いて来るのかなーと漠然と考えていたのだが、いまさっき届いた妻から愚痴ラインが「仕事をしない後輩を注意しない上司がムカつく」というものだし、昨日、結局私が一番の悪者になる前に娘の気持ちを落ち着かせられなかった妻に対してモヤモヤとした感情を持っていたりするので、なかなか難しいもんだなと思った。

2018-09-08

anond:20180908070333

基本的に、担任の熱の入れようはクラスの熱と相関するから担任が熱意をもって文化祭に取り組むのは別に悪いことではないと思うよ。

もちろん、生徒は盛り下がっていて担任けが盛り上がっているとしたら、それはプロ失格だけれども。そのクラスでは、生徒が誰も担任背中をみてないということだからね。

文化祭の思い出って何かある?

うちは昨日終わったんだけど

終了後にクラス審査順位をめぐって

担任同士が職員室で大声で怒鳴って

殴り合わんばかりに揉めてて笑った

「納得できん!」「やる気なくす!」「絶対 XXX が XXXXX !!」

いや、ああいイベントって生徒が盛り上がるためのもんなんじゃねーの?

2018-09-07

ふと思い出した事。

だいぶうろ覚え記憶だけど小学生低学年の頃、自分がいた縦割り班が掃除担当だった日に「げ、今日掃除雑巾じゃん」と呟いたらそれを通りすがりに聞いた高学年学級の先生が私の人格否定ような物言いで"指導"した事を思い出した。

ヒステリックに「増田さんがそんな人だなんて!」なんて泣きながら怒られたしこっちも泣いて謝るハメになった上に担任も登場してなんか大ごとにされたけどあれはいったい何だったんだろう。

室内雑巾がけと箒で枯れ葉集めだったら後者の方がまだ好きだったなあ…

【-----追記-----】

なんだろう。過剰に期待されてたのかしら

かなあ。確かにその頃から中学時代にかけては大人ウケする真面目ちゃん子供であろうとしていた気もするから何事も文句ひとつ言わない子だとか思われていたのかもしれない。

連絡してみようぜ。あれは何だったんですか?と。

そもそも担任になった事もない上級生の先生ってことしか覚えてないし、自分上級生になるころには別の学校に転勤していったからあの教師がどうなったかは全く知らないw

なんとなく最近教育云々の話題で「あれも『カッとなって言った』って事だったのかな」と思い返してる。

2018-09-05

佐藤ママの元に生まれたかった

子供4人全て東大合格させる育児

子供生活リズム勉強習慣、悩み

そういうの一緒に寄り添って考えてくれる親すごい

俺は情報弱者高卒親の放置子だった。

から大学受験勉強方法からなくて苦しんでた。

当時、図書館書店受験参考書問題集かきあつめて(必死に稼いだなけなしのバイト代で)は……理解できなくて行き詰まって無駄なことしてたよ

担任はいじめられっこの俺のこと無視してたし孤独だった

誰にも相談できないって本当につらかった

もちろん受験失敗

親はばかにしてくるだけだったな

2018-09-02

ネオリベリベラル、「成長可能性」と「同情可能性」

ネオリベは「成長可能性(andムダ排除)」に信仰心投資し、

リベラルは「同情可能性(andクズ排除)」に感情投資する。

投資するからには、当然、見返りを求めるし、見返りがありそうな物件しか投資しないだろう。

昭和の昔、自分がガキだった頃に、通っていた下町公立小学校

障害教育に携わっていた血気盛んな30代の男性教師が新たに赴任してきて

自分クラス担任になった。その教師は興奮しやすい熱血派で、女子生徒にも

容赦なく体罰(ビンタ)を行った。ある時は、クラス女子生徒全員を教室前の廊下

並ばせ、男子生徒へと同じ激しい強さのビンタを順番にしていった。その直後、

その教師勘違い女子生徒たちに非は一切無かったと判ると、すぐに反省謝罪

言葉を表明し、女子生徒全員から自分へ一人ずつビンタをしてもらい許しを請う、

というような感情の起伏の大きな人物だった。クラス全員の本心は計り知れないが、

自分が知っているかぎりでは、この教師を悪く評する生徒はおらず、むしろ強く慕っていた。

この教師は通常の学校に勤務するのが初めてで、『障害児たちは必死生活しているのに、

健康で何一つ障害も無い児童たちが不真面目なことに腹が立ってしょうがなかった』と、

後になってから、なぜあれほど最初の頃は体罰が多かったのかの理由を正直に述べた。

不出来な健常者(≒日本人)には腹が立ち、障害児(≒外国から移民)には同情心が湧く。

これが「リベラル」な人たちの偽らざる本音だろう。

anond:20180902151606

大人の女に憧れるって珍しか無いと思うけど。

小学生の時の初恋担任先生とかもよく聞くしな

[]竹葉久美子やさしいセカイのつくりかた」全6巻

天才児で飛び級したけどトラブって女子校に赴任した若き主人公

天才児だけど親にキモいと言われたことがトラウマになって普通の子のように振る舞うようになってしまった女子

前の担任わいせつ行為されそうになったけど実は純朴なギャル女子

巨乳オタク女子

男とっかえひっかえだけど本当の好きを探してる女子

5人がそれぞれ抱えてるものと向き合ってもがきながら解決していく話

ブコメで見かけて、へえ面白いんかと思って読み始めたらなんかデジャブ・・・

これずっと昔に読んだことある!と思ったけど、最後まで読んだ記憶はなかったからとりあえず全部読んだ

正直最後予定調和というか、ここまでひっぱって結局これかよとも思ったけど、

キャラの掘り下げがその分ちゃんとされてたからよかった

全体的に典型的女性作家が書く絵柄なんだけど、なんかエロい

巨乳オタク女子マジでエロかった

2018-08-31

学校は親に夏休みの宿題をさせようとしている

私が小学生の頃、親が両方器用で夏休み自由研究など全力で手伝ってくれ、いつも私の提出物はハイクオリティになり凄いねぇと褒められていた。

しか自分の実力じゃない物を褒められる経験は私の自主性や自尊心を傷つけていたので、私の子供の宿題は手伝わず下手でも全部実力で勝負させようと思っていた。

小学校一年の子供に初めての夏休み宿題が出た。

ドリル数冊に自由研究に絵日記コンクールの絵に、読書感想文原稿用紙4枚。

無理だろ。

子供平仮名カタカナを習ったばかりでまだそれすら間違えている。

作文の書き方はまともに習ってない。

読書感想文が何なのかまだ知らない。

本も最近迷路ブックなどに夢中でまともに読んでない。

『きょうはうみにいきました、うみはたのしかったです。』が彼が自分で書ける精一杯だ。

どうやって読書感想文を書けと言うのだ。

子供に本を選ばせようとしたらやはり迷路ブックを選んだ、どうしてもこれと言うので試しに書かせてみたが辿々しく各ページの迷路説明をしているだけだ。

当たり前だ、これが限界だ。

夏休み中の懇談で担任に会った時に「夏休み宿題読書感想文はなかなか厳しいですね」と言ったら「お母さん頑張ってくださいね」と言われた。

妹に「読書感想文を書かせるのは厳しすぎる」と愚痴ったら「去年私の息子は私が大半書いた読書感想文で賞貰ってた」と言った。

学校子供達の力量を理解しているだろうに、何で現時点の実力で無理がある宿題を出すんだ、私は子供自力やらせたいのに、お前の選択めだから私の選んだもんで私がまとめた作文を無難に書けと言いたくないのに。

文理選択

から10年以上前の話。私は国語英語が得意だったのだがパソコンが好きだったので

(ここでいうパソコンが好きはアニメ漫画が好きなネット友達チャットしたりすることを指す)

担任になんかパソコン使える仕事がやりたいですと言ったら

「そんじゃ理系行っときー」と言われてそのまま理系を選んで大学工学部へ進んだ

数学物理イマイチだったけど情報の授業は好きで楽しかった

担任英語先生だったので理系って言ってくれたの謎だけど

今思えば理系行けって言ってくれてよかったしちゃんパソコンを使う仕事に就けた

振り返ると親にも先生にも恵まれていたのだなと思う

2018-08-24

小学校のセンセイってすごくね?

だってクラス数十人を担任で受け持ちながら、5強化+アルファを全部ひとりで教えるんだぜ?

中高のほうが専門性は高いのかもしらんが、しょせん授業でしかかかわりない狭い教師に比べたら、めちゃくちゃハードルたけーしすごいと思う

まあクソなセンセイもいるけど

後ろのうるさいやつを注意してたらそいつと話してると思われて廊下に立たされたこと一生恨むぞクソ佐谷

第27話はHUGっと!プリキュア既存エピソードの中で最底辺

3分に及ぶ「出産シーン」 「HUGっと!プリキュア」が子どもたちに伝えたかった“母の強さ”と”父の責任” - ねとらぼ

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/1808/23/news015_0.html

リアルタイム放送当時Twitter上記の関連するニュースサイトなど、他のWeb記事ブログetc...で絶賛される傾向のあった第27話は最底辺エピソードだと主張したい。

注目を浴びるために逆張りで言っているんじゃない。だったら増田なんかに投稿するものか。

第27話は出産というセンセーショナル描写によって、それ以前にあった困惑する父親の内心がどういうものか?を全く回収することなく放り投げたエピソードだ。

特に父親がはぐたん(赤ん坊要素の主要キャラクター)を抱き上げた際に泣いてしまって内富士先生(新たに父親となった主人公担任)が困惑するという描写が最悪。

富士先生は男親であることを全く考慮していないし、第27話を絶賛している層は男親はどういう存在か?に全く気付いていない。

俺がこのエピソードに怒っていることが理解できないヤツらはよく聞けよ!!!

男親が赤ん坊(特に新生児)を抱き上げる際に困惑する最大の理由は「男は腕力が強いから」だ。

その男親がどんなに情けなく貧弱であっても、一般的に女や赤ん坊よりは腕力が強く「新米の男親は赤ん坊を抱き上げる力加減が判らない」んだよ。

本来ならば困惑という描写すら甘い!男親は赤ん坊を抱き上げることへ恐怖すらするんだ。

何故なら力加減を誤ると我が子(赤ん坊)を握り潰し怪我をさせ、最悪は殺してしま可能性があるからだ。

困惑したのが赤ん坊が泣いたから?抱き方が悪かった?違う!もしかして怪我させたかと先ず最初に考えたからだ!!!

男親は赤ん坊が怖いんだよ!ちょっとした力加減の誤りで殺してしま可能性があり、更には自治体が開催する出産前の講習により「男親は腕力があり、揺さぶられっ子症候群に誤って陥いらせてしまったり、おむつ交換時に誤って脱臼させる事故が多数報告されている」と指導されるからだ。

男親は出産から脅されてるんだよ社会に!

女より強く腕力があり、粗暴で、無躾で、無頓着で、怪我させるのは男親、虐待をするのは男親、我が子を殺すのは男親ァ!

それで何だあの27話は?

富士先生困惑しっぱなし、空回りしっぱなし、出産時には単なる邪魔物扱いされて、だけど無事に赤ん坊か産まれたかハッピーエンドですね!かオイ。

舐めてんのか男親を。子供たちへ伝えてくれないのかよ男親が持つ恐怖を。

絶賛してるヤツらは無知状態新生児を抱き上げてみろ。

自分の手に弱々しい命が確かにあるのを感じろ。

ヤンチャして馬鹿騒ぎしてる少年達。一般的に女より優れているお前達のその腕力運動能力がどれだけ赤ん坊にとって脅威か考えてみろ。

もう一度言う!あの第27話はクソすぎる!!!

2018-08-20

anond:20180820001853

そういえば高校担任(当時アラフォー独女)が50代で10歳ぐらい下の男性結婚した時には確かにびっくりしたわ

2018-08-19

anond:20180523111234

親が問題を感じていないのであれば、それでもいいと思うんだけど、発達障害の診断をとれば加配教員をつけてくれたりするので、自治体相談してみるといいかもね。

担任能力があれば、親をそっちの方向に誘導するんだけど、多分その方面知識が欠ける担任なんでしょう。

学習の遅れということがないのであれば、特別学級という話にはならないんじゃないかな。

いずれにしても、自治体によっては発達障害の診断まで半年以上かかることもあるから、気になることがあるなら早めに動いておくと良い。

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