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はてなキーワード: 差別化とは

2017-09-24

メディアアートは終わった

メディアアートは終わったんだ。かつてメディアアートは一部の者にしか作れなかった。コンピュータ自体が高かったし技術は限られた人しか持てないものだった。それが今やどうだ。ツール進化技術Arduinoラズパイなどで大衆化され誰でもメディアアートのようなものを作ることができるようになった。技術差別化していたアートはコンセプトで勝負するようになった。でもコンセプチャルなアートなど基本的にはオナニーだ。チームラボを見てみろ。難解そうな単語繋ぎ合わせてタイトル説明文にしている。何が言いたいのかさっぱり分からない。作ってる本人達も何が言いたいのか分かってないだろう。アルスエレクトロニカサザエbotを祭った。現在メディアアート必要なのはコネ話題性のみになった。メディアアートは終わったんだ。

2017-09-21

anond:20170921143348

店の売り子を「ハウスマヌカン」と呼んで差別化してたとこがその昔あった。

バブルの頃だな。

2017-09-15

派遣正社員で同一労働本来ありえない

例えば単純な顧客データ入力作業があったとする。

それを派遣の方と正社員で同じ量入力したとしても、それは同一労働ではない。

なぜなら正社員にはその入力作業を通し、弊社にどのようなお客様がいてどのようなデータがあるのか覚えてもうらことを兼ねているからだ。

派遣の方にはそのようなことは要求しない、ただ間違いなく文字列を移してさえくれれば次の瞬間全て忘れてもらってかまわないのだ。

他のすべての雑務についてもそうだ。弊社社員には要求する。一週間後の成長を、数カ月先のビジョンを、数年先に肩を並べられる戦力を要求する。

から見ているとその重みによる姿勢の違いというのはひしひしと感じる。目の前10センチのものだけを見て同じだという派遣の方には今一度そこに注目して見てもらいたい。

その違いをわかりやすくするため社員にはレポートを出させることで差別化を図ろうというアイデアも出ているが、それは本来無駄業務でありできれば避けたい。

こうやって非効率的作業が増えていく、働き方改革改革すべきはこのあたりにあるのではないか

2017-09-12

N高等学校とかN予備校

…と来たら、N大学ももうすぐできるのかな?

放送大学との差別化が難しいか・・・

いずれにせよ、ネットで学べる教育機関が増えることは喜ばしいことではある。

2017-09-07

山尾志桜里民進党のために議員辞職まですべき

離党のニュースか出たが、これでは少なくとも自民党との差別化は出来ない。

一連の不倫騒動民進党復権に繋げるのなら、離党ではなく辞職すべき。

それにより、雲隠れしている今井絵理子擁する自民党との差別化が出来、女性からイメージアップに繋げることが出来るはずだ。

女性感情で動く生きものから感情を良くする施策を続ければ、支持率はV字回復出来る。

一連の不倫騒動は、先に議員辞職に追い込んだ政党が勝つ。

2017-09-05

アイマスはもうアイドルものから恋愛コンテンツへ移行すべきだと思う

いくら音ゲーの皮被っても、元はしょせんギャルゲー地位に居たわけだし

Pという仮想恋愛対象を想定しておいて

アイマスから恋愛の二文字を消せ、なんて言うのはご都合主義も甚だしい

 

最近話題越境

成るべくして成ったとしか言いようがない

アイドルと女アイドルロミジュリよろしく

禁断の恋の末くっつくのは自然の摂理だろう

 

アイマス恋愛を解禁してもいいポテンシャルがあるし

キャラ差別化を図るうえでも有効

200人も居て全員処女童貞とかそんなディストピア逆に萎えるわ

2017-09-04

クソ記事ゴミ記事を600記事以上書いて気づいた究極のブログ論とは?

ブロガーが大好きな「ブログ論」なるネタは、クソ記事ゴミ記事になりやすジャンルの1つ。

この記事ネタもそのクソ記事ゴミ記事になりやすブログ論ですが、私自身がこのブログサイトブログ論を600記事以上を書いて気づいた究極のブログ論があります

確かにブログ論は叩かれやすいですし、量産してもPVはそこまで増えません。毎日が同じようなことの繰り返しですし、つまらないことばかりを書いてしまうのがブログ論。

けれども、そんなクソ記事とかゴミ記事ともいわれやすい「ブログ論」を、ブロガーが書きたくなる気持ちもわからなくはありません。

そもそもブログ論とは一体何なのでしょうか。

ブログ論とは?クソ記事ゴミ記事になりやす理由




ブログ論の定義には、これと決まったものはとくにありませんが、しいていえばブログに関する精神論でしょう。

ブログ論に限らず、「精神論」の類はクソ記事ゴミ記事になりやすい。

理由簡単精神論は人それぞれであり、時と場合によってはコロコロと変わっていくからです。そんな曖昧精神論を語られても信用できませんからね。

別に信用を狙って書くわけではありませんが、ブログ論を書いてしまうとどうしても記事薄っぺらくなるのは否めません。



クソ記事ゴミ記事を書いてはダメなのか?





世の中には、初心者ブロガーターゲットにして、「ブログ論」なるものを書くブロガーも多いのが現状。

もちろん、この記事もその1つですが、私が現時点(2017年1月2日)で600記事以上を書いて気づいたことがあります

それはクソ記事ゴミ記事を大量に書かなければ、どれがクソ記事ゴミ記事かわからないということ。

ネット上では「クソ記事ゴミ記事を量産しても意味がない!」とかよく言われることですが、そういう人に限って大したPVを得ていませんし、記事数も300記事以下です。

しかしたら、私の知らないところでもっとたくさん記事を書いているのかもしれませんが、それならとクソ記事ゴミ記事の量産ダメ論は間違っていることになります

600記事以上を毎日更新して私が思うことは、クソ記事ゴミ記事を書かなければ、究極のブログ論が書けないということ。

良質な記事と思い込んでいても、人によってはクソ記事ゴミ記事になりかねません。逆もまたしかりです。

最終的には何のためにブログを書くかで決まる




「クソ記事ゴミ記事を書くな!」といわれても、最終的には何のためにブログを書くかで決まります

基本的ブログは何を書いても構いません。人を傷つけたりする記事も、名指しでなければ人によってはどうでもいいですし、そんなつもりではなくても人を傷つけるときもあります

私がブログ論を書く理由は、ただ書いていて気持ちがいいから。

ストレス発散でもあるし、自分の頭で感じていることを文章化できることほど面白いものはありません。そういうことを文章化にするのを苦手な人が多いのも事実ですが、そもそも苦手と勝手に思い込んでいるだけかもしれません。

クソ記事ゴミ記事をとにかく600記事以上を書いてみれば、新たな発見をするのでクソ記事ゴミ記事をとりあえず600記事以上書いてみて下さい。

クソ記事ゴミ記事を600記事以上書いて気づいた究極のブログ論とは?のまとめ



初心者ブロガーはとくにですが、ブログ収入を得たいのならクソ記事ゴミ記事をたくさん書いていくこと。

初心者ブロガー最初は何を書いても、クソ記事ですしゴミ記事です。

からこそ、そんな記事でもたくさん書かなければなりません。クソ記事でも1000記事以上を毎日書ける人はほとんどいません。

それまでに大半が挫折しまからね。だからこそ、1000記事、2000記事とクソ記事ゴミ記事を書けば、それだけで差別化したブログサイトの出来上がりです。

ブログサイトタイトルもそこまできたら、「クソ記事1000記事以上サイト」と謳うのもいいでしょう。

ブログに限らず、他人と同じことをしてもつまらないだけですし、ブログ論は人それぞれの考えなので、私はドンドンと書いていくべき派です。

結局、こういう記事や考え方も人それぞれなので、クソ記事ゴミ記事になりやすものですが、とにかくブログで何かしらの成果を出したいのなら、クソ記事でもいいので最低1000記事以上は書きたいものですね。


別にクソ記事を量産してもいいんです!世の中にはそのクソ記事すら継続して書く人はごくわずかですから! 私のようにクソ記事しか書けない30代でもちゃんとやっていけます! inoue311

2017-08-31

Wantedlyに行き「この会社大丈夫かな?」と思ったこと

Wantedlyはよくエンジニア学生オフィスに呼んでいます。どこからともなく突然メッセージが来て「一度うちのオフィスに遊びに来てみませんか?」という具合です。私の知り合いも複数そのように誘われているので、よく行っていることなのかなと思います。それ自体はよくあるダイレクトリクルーティングであり別に良い事だと思います

さて、問題なのは実際にオフィスに遊びに行ってそこで見せられる内容なのです。私も同じように誘われ、Wantedlyオフィスは綺麗なことで話題になっていたこともあり興味本位で遊びに伺ってみました。経営理念同業他社との差別化の仕方など会社の話を色々としてもらった後、開発手法に関する話に移りました。Wantedlyではプロジェクトに関するありとあらゆることをGitHub管理しているという話をされました。何かバグが見つかったり改善アイデアが思いつくとイシューを立ててそこで議論するということでした。

これもよくあることですね。私が驚いたのは、そのイシューを全て見せてくれたことです。

もちろん一覧を全て吟味するという感じではなく、私に見せたい一つの実例を探す際にイシュー一覧ページが私に見えていたということなのですが。しかし、仮に私に悪意があり、更にイシューには外部の者に見られてはまずい問題を扱うものがあり、私がたまたまそのイシューを見つけタイトルから内容を推定できたとしたらどうするつもりなのだろうと思いました。ちなみに話を聞く前にNDAなどを結んでいるわけではありません。他の人にも同じように見せていると考えられるので正直言って「この会社大丈夫かな?」と思いました。

この記事も消されてしまうのだろうか?(笑)

2017-08-25

何のご意見かわからない

https://twitter.com/hassaku_farm46/status/900160109942145026

不満があるのは分かるけどどうして欲しいかがよくわからないのでこんなお便り貰っても運営も困るだけじゃないか

まず、不満点が無駄に長いけどもうちょっと要点を絞れるよね?とりあえず

短刀の弱体化辛い

脇差ステータスが低いのが辛い

レベル補正が激しくなったのでそのまま戦場に出すのが辛い

・でも経験値低いし敵強いからなかなかレベル上がらないのが辛い

・けど敵は据え置きだから辛い

下方修正のせいで今まで楽してたのに楽できなくなって辛い

ってことでいいのかな。

弱体化については運営が「今が簡単すぎる」「短刀一強すぎる」って判断をしたわけなので、問題視するのであれば「簡単すぎたりしてない、むしろあれが丁度いいバランスだった」「短刀けが強かったわけじゃない」と納得させることができるなら、という感じ。

そのあたりについてはあまり具体的に触れられていないので運営判断とこの人のいい分どっちが正しいかからいかノーコメント。(下方修正したら今までよりしんどくなるのは当たり前で、そのしんどさが「異常なしんどさ」なのか「ゲームとしてこのくらいのしんどさはあるべき」なのかで考えるべきだけど判断するための基準話題の中で出てきてない)

ステータスについてはそれそのものよりもそれによってどんな役割を持てるかという話になってくるから、その「低いステータスのせいでどんな弊害が起きたか」が重要じゃないだろうか。

正直短刀比較して上昇率の話されたところで短刀大器晩成型だったんだよ!って言われたら終わる話というか今までの短刀が弱すぎたから極でてこ入れしましたって言われると個人的には反論できない。

今の脇差ステータスで(レベル補正じゃなくてステータスのもので)どんな弊害がある? レベル補正きついっていう話は別に脇差だけに関わらないから今論じることじゃない。

脇差が今までとステータスバランスが違う=今までと同じ運用ができないから困る、とか、特殊能力として付与された筈の攻撃を弾くスキルの発動率が低いか差別化できてない、という話なら理解はできなくないので、そのまま「方向性が違いすぎて困るから進化前と後で方向性を同じにしてほしい」とか「もう少しスキルの発動率を増やしてもらわないと割に合わない」っていうのはアリかもしれない。

レベル補正についてはまだ情報が出揃ってないと言うか、そもそもバランス調整でレベル補正も変動しましたって情報どこ情報なんだろう。公式ではそんな発表なかったような。レベル補正じゃなくて極の補正が変わっただけの可能性もあるような。というわけで保留。

経験値についてはもう少し細かく「レベル補正のせいでステータスが高くてもレベルが低いと高レベルマップでは使い辛いが、レベルを上げるにも極は必要経験値が多い。しか脇差短刀よりさらに多いので育てるのにもさら時間がかかる。結果的修行に出したら弱くなってしまうが鍛えるのも大変で弱いままになってしまう」という状態で、複合的な要因がある。(このあたりは元のツイートでも触れられている)

ただ、複合的だからこそ具体的にどこをどう修正してほしいのかが伝わってこない。ざっと考えつくだけでも

レベル補正のものをゆるくすることでステータス差を埋める

・極になった時に今よりレベルを下がらないようにする(今まで30まで下がってたのが40になるようにするとか)

経験値を入手しやすくすることで性能をすぐ上げられるようにする

・あるいは必要経験値を引き下げることで同様にすぐに性能を上げられるようにする

パラメーターそのもの上方修正することでレベル補正があっても問題ないようにする

特殊能力を強化することで運要素は強くなるが全体の勝率を上げる

などなど、結構パターンがある。正直この中からどれか一つを選んで運営バランス調整したところでこの人は「私の求めていた修正と違う!」って怒るだけのようにしか見えないけど実際はどうなんだろう。

複合的な原因が重なって問題になってるので「これダメ! あれダメ!」だけでどのポイント修正してほしいか意見がなければ動きようがないので、もっとちゃんとどこをどう直してほしいか明確にした方がいいし明確にしてもらわないと応えようがない。

そして「楽できないから辛い」という意見は極端に言えば「楽するな」が運営意見なのでどうにも言い難いけれど、「今までが簡単すぎたのは分かるけど調整のせいで難しくなりすぎた」というならまあやっぱり具体的に求めるバランスがどのあたりにあるのか言う他ないんじゃないかなとは思う。

ところでこの人は頑なに「運営は我々の意見無視してきた」「この2年間何も聞いてくれなかった」って言ってるけど、今とうらぶ中の人変わったんじゃないかって話が出てるんだよね。確か元の開発のところから刀剣乱舞名前が消えたとかで。

本当かどうかは知らないけど、もし本当にそうで、だからこそバランス調整が始まったならむしろ今声を上げないとどうにもならないと思う。

それから別に運営が変わってなかったとしてもユーザーの声を全く聞いてないなんてことはないと思ってる。だって以前に秘宝の里イベントで「小判増量キャンペーンをされてもその小判を使う時間がないと結局玉が集まらないので、課金でいいから出陣できる回数を増やすんじゃなくて一度の出陣で手に入る玉を増やす手段が欲しい」って意見を送ったら、今有料で玉増量アイテムできてるから

もちろんそれに対して「短縮できる時間が短すぎるからもう少し効力をあげてほしい」とか「今の効力で行くのならもう少し値段を下げてほしい」とか思わなくはないけれど、そのあたりはバランス感覚問題であってユーザー意見無視したわけじゃないと思う。

「私の意見」が受け入れられなかった、と「ユーザー意見」が受け入れられなかった、では天と地ほどの違いがあるので、というかそもそも短刀弱体って短刀強すぎんよぉってユーザー意見を聞き入れた結果じゃないかと思ったりもするんだけど(知らんけど)、実際に今までどんな意見無視されてきたかを語らずに一方的無視されたって主張するのはあまりよくないと思う。それだけ無視してきたならソースあるはずだからぜひ出してきてほしい。

「0じゃないかいいわけじゃない、もっと積極的に取り入れるべき」という話なら分からなくはないけれども、そうではなくて何も聞いてくれない何もやってくれないユーザー無視してるって論調だったので。

どうでもいいけど別のツイート感情的になるな、改善点を箇条書きで書き込めって言ってる割にはプレゼン(?)が感情論丸出しで具体的に何をどう改善してほしいのかが全く分からないのは何かのギャグのようなので、怒りを主張するのはいいけどその上で何を主張したいのかは明確にすべきじゃないかな。でないと相手に伝わらないのでは。

もし「この文章には書いてないだけでちゃんと明確なこうして欲しいっていう要望があります」って言うんだとしても、これを見て煽られて運営意見しようと思った人はいきなり「論理的にやれよ!」って言われたって何書けばいいかからないだろうし他のツイートまで遡って確認する人がどれだけいるか怪しい。煽るだけ煽ってあとは本人任せって、それのせいで変な意見届いて運営が忙しくなって改善に手が回らなくなったりしたら本末転倒しか言えなくなるので、意見は変に隠さず全部出し切るべきだし、分割せず一まとめにするのは大事だと思う。特にツイッターでは。

2017-08-17

https://anond.hatelabo.jp/20170817174709

「とっとこ」があるだろ!そこに自己主張が込められてるんだよ

「三丁目のタマだって三丁目に住んでるという差別化あってこそのタイトルだし

忠犬ハチ公だって名前は後付けでもよくて忠犬であることこそが最大のアイデンティティだよ

https://anond.hatelabo.jp/20170817113839

特に牛乳石鹸CMなんて対象年齢が幅広い。どんな世代、どんな文化素養のある人にもわかりやすくする必要がある。



このWEBCMターゲットはマスじゃない、完全に新米パオンリー

石鹸商品差別化が難しいか

何となくいつも決まったものを惰性で買い続けたり

適当に安い物を買う様な購買パターンになる

そこで広告代理店ピンポイント新米パパに目をつけた

共働き子供プレゼントも買いに行く様な人なら日用品も買うだろう、そんなパパを対象にしてる

パパに自分ゴトとして深く共感してもらいたいか

ママ目線子供目線などの余計な描写もいれず、パパの日常的な心象風景に絞ったストーリーにしてる

狙いは良かったと思うし実際一部の界隈には刺さってるらしい

とにかくキャッチコピーとのマッチングが惜しい

2017-08-14

http://itochan.hatenablog.com/entry/2017/08/14/083000

なぜ公開する必要があるのか?

今の時代に「公開する」ことのメリットは全くと言っていいほど無い。

10年前なら「(a)ある目的を達成するために必要ツールが無い」→「(b)自分作りました」→「(c)他にも同様の理由で困ってる人がいると思うのでサービス公開しました」という話は、無くはなかった。

現在、まず(a)からして怪しい。Google検索すれば欲しい物は大体手に入る。少なくとも「気軽に作れる」程度のものであれば、気軽に検索すれば気軽に引っかかる。その程度のものだ。

しかし運が悪いことに探しても見つからなかったとしよう。次に(b)だが、これの敷居も下がった。プログラミングの土台は整っている。なにせ自分で「気軽に作れる」とか言っちゃう程度の簡単さだ。

さて、出来上がったツールを使って自分目的は達成できた。(c)に移行するか?「同様の理由で困っている人」はどれだけ居るのか?手間暇かけてサービスを公開するに見合うほどの利用者数が見込めるか?

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サービスを見る眼が肥えてきたためか、誰でも「気軽に作ったサービス」と「他には真似できないサービス」の区別ができるようになった。

端的に言えば「他に真似できるサービス」は空気で、あなた問題解決するには有用だが、公開するには値しないのだ。

作るなと言っているのではない。作れ。だが公開は不要だ。

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公開APIを組み合わせる、いわゆる「マッシュアップ」は、データの源が同一であるためデータ以外の点で差別化するしかない。

興味深いことに、公開API使用する・しないに関わらず、差別化難易度は大して変わらないことがわかる。

それであれば、制限事項のつきまとう公開APIをわざわざ採用するのは、むしろリスクであると言える。

差別化ポイントができたのなら公開して欲しい。それが無いなら検索ノイズが増えるだけなので公開しない方が世のためである

ドラゴンボール超悟空進化がいちいち期待を空回りさせてくれる

まりアニメは見ないのですが、ドラゴンボールについては過去ノスタルジーおよび純粋面白いことから欠かさず見ています

・・・が、件名の通り悟空進化については骨がのどに突っかかったような違和感ばかりで製作者サイドの行き当たりばったり具合

がひどいのですこし愚痴りたくなった、以下箇条書き


最初パワーアップ形態超サイヤ人ゴッド」は姿形が素体悟空に近いのに「超サイヤ人ゴッド」と命名される。

単純に「サイヤ人ゴッド」でよいのではないか

しかもこの形態で完結するならまだしも、そのパワーアップ版として超サイヤ人モード的なものが登場し「スーパーサイヤ人ゴッドスーパーサイヤ人

とかよくわからん名称になった(あまり意味不明なんで、のちにスーパーサイヤ人ブルーと呼ばれる苦肉の策


そもそも、厳密には超サイヤ人ブルー超サイヤ人ゴッドの上位互換ではない、超サイヤ人ゴッドは「サイヤ人の神」で

超サイヤ人ブルーは「神の力をもったサイヤ人スーパーサイヤ人である

まり前者が神であるなら、後者は神の力を持った超人なので、厳密にどちらが強いか判断が難しい

そこに差別化面白さがあると思ったら普通に超サイヤ人神の上位互換超サイヤ人ブルーみたいいな描写になりつつある

漫画ではゴッドが完全にブルー下位互換描写されたようだ)


超サイヤ人ブルー存在意義がこれっぽっちもない、実際超サイヤ人ゴッドと比べて強さの差別化にまったく失敗しているので

超サイヤ人ブルー活躍する場面をすべて超サイヤ人ゴッドが代用しても話になんら支障がない。

そのくせ、ブルー活躍があまりかばかしくないので相対的超サイヤ人ゴッドの株まで大暴落し、もうなんかヤバイ感じなので

更なるパワーアップ形態が登場する気配

いや、もういいんですけどね・・・

2017-08-13

グーグル思想残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 脚注

[1] この文書はもっぱらグーグルマウンテンビューキャンパスでの視点から書かれている。私は他のオフィスや国について語ることはできない。

[2] もちろん、私にもバイアスがあるかもしれないし、自分視点を支持する証拠だけを見ているのかもしれない。政治的バイアス観点からは、私は古典的自由主義者であり、個人主義と理性に強く価値を置いていると思う。私はこの文書について喜んでさらなる議論を行いたいし、例証を挙げたい。

[3] 私は、この文書を通じて”技術職”を、ほぼソフトウェアエンジニアリングという意味で使っている。

[4] ロマンチックな男女関係において、男性はより強く地位によって値踏みされ、女性は美貌によって値踏みされるさらにこれには生物学的起源があり、文化的普遍性がある。

[5] Stretch、BOLD、CSSI、Engineering Practicum(ある程度は)、それと特定ジェンダー及び人種のためのいくつかの他のグーグル提供の内部、外部プログラム

[6] 代わりにある特定層のための潜在的なGooglegeistのOKR設定。私たちは、特定グループにとっての環境を良くすること(それはサーベイスコアによって確認できる。)によっても、保護された地位に基づく差別化(それは違法であり、すでになされていると私は見ている。)によっても、組織レベルでの登用を増進させられる。登用増進OKRは後者インセンティブとなりうるし、組織間でのゼロサム闘争を作り出しかねない。

[7] 共産主義資本主義より道徳的にも経済的にも優れていることを約束する。しかし、その試みは全て道徳的には堕落経済的には失敗している。自由民主主義社会労働者階級が”資本主義の抑圧者”を倒そうとしていないことが明らかになったときマルクス主義知識人階級闘争からジェンダー人種政治へと移行した。抑圧者-被抑圧者の中核的な力学は残り、今や抑圧者は”白人で、ストレートで、シスジェンダーの家父長制”である

[8] 皮肉にも、IQテストは当初能力主義貴族政治犠牲者を助けとなることを意味していた時代左派によって擁護された。

[9] もちろん、全国的な総計において、女性さまざな理由男性より賃金が低い。ただ同じ職業につく限り、女性男性と同じだけの賃金を得ている。女性男性よりお金を使い、給与というもの従業員がどれだけのもの犠牲にしたか(例えば、より多くの時間ストレス危険)の指標であることを思えば、権力に関わるステレオタイプを考え直す必要がある。

[10] 伝統的なジェンダーシステム支援必要男性というアイデアをうまく扱えない。男性は強く、不平を言わず、自ら問題対処することを期待される。男性問題は、ジェンダーによる行為主体性の考え方によって、しばしば犠牲者というよりは個人的な失敗とみなされる。これは泣き言、不平、弱さの現れとみなされることを恐れて、男性男性問題(それが個人的ものにせよ集団的ものにせよ)に注意を払うことを妨げている。

[11] 政治的正しさは、”社会的に恵まれない人たちや差別されている人たちの集団排除し、軽んじ、侮辱すると受け取られるような表現と行動を避けること”と定義される。それでなぜそれが左派現象であり、権威主義者の道具であるのか明らかだろう。

グーグル思想残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 中編②

グーグルバイアス有害

私はジェンダー人種多様性を強く信奉している。またそのためにもっと努力すべきとも思う。しかしながら、ジェンダー人種平等な登用を達成しようと、グーグルはいくつかの差別的慣行を作り出した:

これらの慣行私たちバイアスが作り出した誤った仮定に基づくものであり、実際に人種とジェンダーの緊張関係を増加させる私たち上級管理職私たちのやっていることは道徳的にも経済的にも正しいことだと説明されてきたが、証拠なしにはグーグルにとって取り返しのつかないほど害となりうる左派イデオロギー[7]を覆い隠すものしかない。

私たちはなぜ盲目なのか

私たちは皆バイアスを持ち、私たちの内的価値に反する考えを却下するために動機付けられた推論を利用する。右派が”神>人間自然”という階層に反する科学否定するように(例えば、進化気候変動)、左派は人々の生物学差異に関する科学を否定する傾向がある(例えば、IQ[8]と性差)。感謝すべきことに、気候学者進化生物学者は普通右派ではない。不幸なことに、圧倒的多数人文学者と社会科学者は左派寄りである(およそ95%)。このことは莫大な確証バイアスを作り出し、研究されてきたことを捻じ曲げ、社会構築主義ジェンダー賃金格差のような神話を維持する[9]。グーグル左派的傾向は私たちをこのバイアスに対して盲目にし、その結果に対して無批判にさせ、また高度に政治的プログラム正当化する。

女性弱者とみなす左派との親和性に加えて、一般人間女性保護すべき対象とみるバイアスがある。前述したように、これはおそらく、男性生物学的には使い捨てであり、女性男性に比べ一般協調性があり、同調性があることから進化したものだ。私たちには広範な政府グーグルプログラム研究領域女性保護する法的、社会的規範があるが、男性男性に影響するジェンダー問題について文句を言うと、ミソジニストで泣き言を言う人間とのレッテルを貼られる[10]。ほとんど全ての男女の違いは、女性の抑圧の一形態として解釈される。人生における多くのことと同じように、ジェンダーの違いはしばしば”隣の芝生は青い”の一ケースだ。不幸なことに、納税者グーグルお金は芝生の片方だけに水をやることに費やされている。

この弱者とみなされる者に対する同じ同情が政治的正しさ[11]を作り出す。それは議論を制約し、それらの原因を増やすために暴力と恥を利用する極端に敏感なPC権威主義者自己満足であるグーグル大学でみられるような暴力的左派の抗議行動を抱えているわけではないにしても、TGIFミーティング私たち文化における頻繁な恥辱は同様の沈黙、つまり心理的安全でない環境を作り出した。

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さらに分割。

グーグルの思想的残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 後編

2017-08-12

2017年だぞ

下請けで規格品作ってんだから他との差別化ポイント価格の安さと不良の少なさしかないわけだよ

とすると当然機械化するしかないということになるんだがいつまでオール人力でやってんだクソハゲ

昭和かいレベル通り越して産業革命以前にまで遡ってるぞ

2017-08-08

https://anond.hatelabo.jp/20170806072023

最先端意味にもよるけれど、1~3は間違いなくゲーム界をリードするつもりでつくっていたように思う。

転機は4、5、6

ドラクエ4

3でロトシリーズが最高の形で締めることが出来、ストーリーゲームシステムとしても一新を考えたドラクエ4

2、3が、ストーリーシステムも「前作にプラスアルファ」という形だったのに対して、前作までの否定とも思えるほど意欲を感じた。

ファミコンスペック限界に近づいていたために、あの程度に留まったんじゃないかと思う。

最先端であり続けようという意欲に、ハードスペックが追い付かなかったという感じ。

その後に出たファイナルファンタジー4に大きく鼻をあけられた印象はぬぐえない。

ドラクエ5

最もファイナルファンタジーシリーズの影響を受けているように思う。

今までのドラクエスタンスであるドラマ主人公になるというより、ファイナルファンタジーシリーズのようなドラマ第三者的に見ているような印象があった。

意欲的だったが使いにくいAIシステムを、「めいれいさせろ」によって実質的コマンド手入力制に戻したり、かなりバランスよくまとめにきた。

一方で、目新しい部分は少なかった。

この辺が、最先端から一歩引き始めたころだと思う。

同じころにリリースされたファイナルファンタジー5と比べると、ストーリーの優劣はとにかくとして、システム面ではありきたりに思えた。

ドラクエ6

この作品では、ファイナルファンタジーとの差別化を図り、ファイナルファンタジードラマ、それに対してドラクエ主人公一人称目線ということに拘ったように思う。

ムドー戦以降、自分探しという今一つ必然性にかける旅の目的であったせいで、ストーリーの印象は非常に薄い。

どの職業にも転職できる、二つの世界自由に行き来、などなど、自由度の高さが目立ち、さしたる目的もなく好きにブラブラしてたという印象。

この頃からファイナルファンタジーナンバリングタイトルリリースタイミングがズレてきた。

制作期間の長さと否定して丁寧につくられていたが、反比例して勢いがなかった。

ストーリーボリュームグラフィックを詰め込んでも、ゲームとしての完成度につながらないジレンマが出てきたのはこの頃だと思う。

チュンソフトが手を引いたせいだと思うけれど、アイディアというのはスピード感を持って形にしないと、死んでいくということを実感した。

2017-08-03

文章を書く能力を上げるため(上達)には才能よりも100年以上書き続ける

文章を書く能力を上げるため(上達)には、才能よりもとにかく書き続けること。

極端な話、100年以上書き続けることができれば、どんなに才能がなくても文章を書く能力は上達します。

からこそ、つべこべ言わずに書きましょう。

ブログ天才的な文章能力はあまり必要ありませんが、これから時代はより差別化するためにも多少の文才はないよりもあった方がいいです。

一般人個人ブログを読まれるためには、最低限の文章能力必要不可欠。

そもそも文章を書く能力を上げるとは一体どういうことなのでしょうか。

文章を書く能力を上げるため(上達)に必要なこと

冒頭でも少し触れましたが、文章を書く能力を上げる(上達)ためには文章を書き続けなければなりません。

それもただ書けばいいということではなくて、常に試行錯誤しながら書くというもの。常に考えながら書くという作業は本当に疲れますし、人によっては苦痛で仕方がありません。

それでも、文章を書く能力を上げるためには誰もが通る道なのです。

文章試行錯誤しながら書くということ

試行錯誤しながら文章を書くといっても、なかなか腑に落ちない人もいるでしょう。

具体的には第3者がその文章を読んでみて、読みやすいかどうかということ。そのためにも、まずは自分自身が読者となり、読みやすいかどうかをチェックしていきます

できれば、声に出して読むのがベスト。最低3回以上は読んでほしい。けれども、この作業はかなり面倒くさいですし、習慣にならないと継続できません。

ブログで書いた文章などは書いたら書いたで書きっぱなしの人が多いので、誤字脱字、読みやすさを追求するだけでも他人とは違うブログサイトになります

才能も大切だけど最終的には努力が勝る

文章能力は才能が全てと言われると、今後文章を書く気力が失われる人もいるでしょう。

もちろん、才能はないよりもあるに越したことはありませんが、最終的には努力が勝ちます

これは文章を書く能力に限らず、あらゆる分野にいえることです。こう思わないと人生の大半を過ごしていけませんからね。

別に気休めでも何でもなくて、努力はすればするほど能力は上がります個人差はあれど、やればやるほど上がる世界なので、気負わず書き続けましょう。

正しい努力の仕方は大事ですが、最初からそういうことを意識できるレベル人間はそうそういません。私も含めて人間だれしも凡人、もしくは凡人以下ですから

何が何でも書き続ける意地(維持)を持つこと

とにかく文章を書く能力を上げるためには、書き続ける意地を持つこと。漢字違いですが、そういう信念を維持することです。

何が何でも書き続ける意思を維持できれば、それなりの文章能力は身につきます

文章を書く能力を上げたい!」と言っている割には、文章をあまり書かない人は多いものです。

言っていることとやっていることが全然違うのですが、無料ブログでもいいので、まずは自分で書いた文章が人の目に触れる環境を作りましょう。

極端に体調が悪くなければ、できる限り毎日書くことをおすすめします。

文章を書く能力を上げるため(上達)には才能よりも100年以上書き続けることのまとめ


文章を書く能力を上げるためにはひたすら書き続けること。

大切なことなので何回でも書きますが、このように同じようなことでも、少しニュアンスを変えて伝えることも上達には必要不可欠。

そうはいっても、ブログ等で文章を書き続けることはなかなか難しいのも事実

そういう人には、ツイッター等の短文投稿サイトなどで文章を書くのもおすすめ自分だけしか読めない環境でなければ、どのような場所で書いてもOKということ。

文章を書く能力というのは人間だけに与えられた素晴らしい才能です。

からこそ、文章を書く才能がないということ自体おかしいということに気がつくべき。もっと気軽に文章を書いては、自分の思いを文章化してドンドンと発信していきましょう。

2017-07-28

映像表現的な観点から考察するシャドウバース問題点

 以下の文章シャドウバース映像表現的な観点から個人的考察したものです。

まず最初結論を書いてしまうと、

「出し得やトップ解決となりえるパワーカードが多すぎて自律神経が疲れる。」です。

言ってしまえば、フィニッシャーが多すぎるわけで、何ターンもパワーカードによる応酬が続くのは映像演出的には好ましくありません。

 全てのデザインには、必ず「疎と密」という概念があります

アニメ漫画イラストドラマ映画WEBデザイン、などに使われる言葉ですが、ゲームにも使われます

簡単に言えば、盛り上がる場所とそうでない場所情報量を分けて、差別化する。というものです。

全部クライマックスだと、見る側も疲れるし、盛り上がりどころも分からなくなってしまうんですね。

 だからこそ、カードゲームを題材にしたアニメなども、「切り札」と称して、パワーカードを出すことによって、

盛り上がりどころを作り、展開を熱くしています販促目的商業的な理由もありますが、少なくとも、

ポンポン複数回切り札を出して、わざわざ見せ場を混濁させるアニメはないでしょう。

アニメからそりゃそうだろ。と思った方は、一度頭の中でシャドウバースアニメ化してみてください。

そのアニメで、一試合の間に特殊演出の入るパワーカードが何度出てくるか想像すると分かりやすいかもしれません。

 高コスト帯ではこのパワーカード対決が原因で、一部では、萌え萌え坊主めくりやメンコバースとも揶揄されていますね。

このゲームでは盤面を一枚のカード簡単にひっくり返せますが、本来そういうのってカードゲーで一番盛り上がる場面ですよね?

それが毎ターン続くようなカードゲームやってて疲れて当然ですし、冷めれば真剣プレイすることも出来ないと思うんですね。

このビジュアル的なゲームデザインの悪さが、アクティブユーザー低下を招いている原因の一つではないかと思います

地味なりにもチクチク刺さるカードが多ければもっとマシになったかもしれませんが、

個人的にはサタンかいカード最初実装した時点で大体こうなることは想像できてました。

 

以上、映像表現的に考えた、シャドウバース問題点でした。

2017-07-22

https://anond.hatelabo.jp/20170422211229

コミュ障だらけのプログラマにあっても、仕様設計実装テストについて議論ができることは必須だし、実際どんなにコミュ障プログラマでも、これだけはまともにこなせたりする。

仕様設計実装テストなどの各工程での議論をまともにこなせると明言しているにもかかわらず

結局、プログラマプログラミングとそれを効率良くこなすために特化した議論しかできないため、プログラミング以外の仕事を振られると、大抵行き詰まって爆死してしまう。

プログラミングとそれを効率良くこなすために特化した議論しかできないなどと矛盾した文章となっております

何がいいたかったのでしょうか?



てか、技術者技術を備えているのは当たり前だし、その上で仕事力がどれくらいあるかが問題なのだ

技術者技術を備えているのは当たり前であるということには同意します。

ただ、その技術力の高さが重要なのであり、ここが大きな差別化につながります

技術力以外の仕事力の部分ではそれほど大きな差別化にはつながりません。

2017-07-14

冷笑クラスタ(左派)が増えた3つの理由

冷笑クラスタノイホイがこの言葉を用いていることからも分かるようにネトウヨバカにする言葉として定着した感がある。

この言葉が使われ出したのは2chツイッター観察板に立てられた「dadaと愉快な仲間たち」というスレの中からだと記憶している。

端的に言えばdadaやきくまこなどに代表されるような「あくま政治から一歩離れた立場に立ったように見せかけて民進党共産党、及びマスコミやそれに準じる左派馬鹿にして人気を取るクラスタ」の事を指す。

これは以前から指摘のあったようにニヒリズムを気取りたいけれども、インターネットに居るバカバカにしていたいという思いから生まれものであるというのが理由ではないかと考えられて居る。

ではこの冷笑という視点のもの右寄りに限ったものなのかというとそんな事はない。左寄りに立って政権ネトウヨを叩く人間はそれなりに存在する。これに対する適切な呼び名が思いつかなかったがここでは仮称として冷笑クラスタ(左派)と現す。具体例を挙げるとすると異邦人や4269や江戸西あたりだろうか。彼等のfollowerを調べてみると面白いかもしれない。

では何故彼らが産まれ、そして最近増えているのか考えてみよう。

逆張りで人気を集めたかたか

言うまでもなくインターネット逆張り流行っている世界である。周りの同調的な圧力が気に入らなくてそれに反抗するような感情的書き込みを繰り返す。これは2chなどの匿名掲示板ではよく見かけられる光景である

しかし、冷笑クラスタ(左派)の彼等はそのような感情的な行動はしない。該当URLを貼らず、直接的な言及をせず、仲間内逆張りをして人気を集めようとするのである。この行動は自衛の為でもありこの事に感情的になってクソリプをする人間を炙り出すという目的存在する。

反論先として明確なソースがあるから

ネトウヨや冷笑クラスタソースマスコミが彼等の受け皿になり得ていないのでインターネットに限られているという事情がある。

右派関係者や冷笑クラスタと呼ばれる人達ですら、ソース産経新聞ですらなくanonymouspostや正義の味方保守速報などのまとめブログなのである

それに対して冷笑クラスタ(左派)の選べるソースは潤沢だ。週刊文春週刊新潮などの週刊誌に限らず朝日新聞毎日新聞東京新聞などの大手紙も彼等にとっては頼もしい味方である

勿論その事をネトウヨや冷笑クラスタ理解しているから、朝日新聞毎日新聞の事をアカヒ変態新聞などと呼んでバッシングを繰り返すのである。また、彼等の中にはそれらを信じ込んでまとめブログの方が優れているという考えを持つものまでいる。冷笑クラスタ(左派)はそれを指摘するだけで十分なのである

ネトウヨと同じように見られたくないか

恐らくこれが一番大きな理由だと思う。

自分が頭がいいと言うインテリ意識が強い分、頭の悪いネトウヨと一緒にされたくないのだ。

頭の悪いネトウヨというのは具体的に言うとすぐさま韓国人認定したり、500円のようなデマを平気で流す人間を指す。というより500円の存在が冷笑クラスタ(左派)が増えた大きな原因なのかもしれない。

話を戻すと、そういう彼等との差別化を図りたいのと今の生活に対する不満があって冷笑クラスタ(左派)が増加したのではないかと見ている。だから民進党共産党マスコミなどのヘマは見なかった事にするし、自分にとって都合の悪い言説が流れると鬼のように叩く。あくま自分が優位に立ちたいという気持ちの強い現れである

冷笑クラスタというのは先述の通り「あくま政治から一歩離れた立場に立ったように見せかけて民進党共産党、及びマスコミやそれに準じる左派馬鹿にして人気を取るクラスタ」と述べたが冷笑クラスタ(左派)は「あくま政治から一歩離れた立場に立ったように見せかけて自民党政府、及びネトウヨやそれに準じる冷笑クラスタ馬鹿にして人気を取るクラスタである

まりどちらも本質は同じなのである

彼等には議論を深めようましやて日本を良くしようなんて理想はありやしない。ただマウンティングをとって仲間内気持ち良くなりたいだけなのである選挙には行くかもしれないが、特定政党支持者のようにリアル啓蒙なんて事は一切行なっていないだろうと断言できる。何故ならそれが出来ていればインターネット饒舌になる必要なんて無いかである。だから彼等は右翼でも無いし左翼でも無い。個人思想そうかもしれないが彼等が集まれるのはあくまインターネットの中だけである

我々が気を付けなければならないのは冷笑クラスタの述べる事はあくま人気取りの為であってそれのせいで考え方が右往左往してはならないという事だ。また、彼等に感化されると必然的悪口を言うようになり、ネットでもリアルでも悪影響を及ぼす事は必至である。そうならない為にも彼等の動向に惑わされないような確固たる考えを構築する事が必要不可欠だろう。

https://anond.hatelabo.jp/20170713215512

アニメの「転生もの」とラノベの「転生もの」をごっちゃにしてるやつ多いよね。

アニメでは「このすば」が最初の転生ものなのに「既存の転生系とは差別化して」とか言うし。

逆にWeb小説では転生テンプレネタ化パロディ化は当たり前なので差別化にはならないし。

どっちの話しとるねんという。

追記。

ここでの「転生もの」っていうのは「このすばがネタにした転生もの」、つまりなろう系のいわゆる「異世界生物」のことな

同じWeb小説でも、ログホラのような集団転移や、オーバーロードのようなゲーム実体化とは別の形態だし、

少し前の「前世もの」や、伝統的な「ナルニア型」とも違う文脈がある。

2017-07-02

バニラエアの件で身内に車椅子障害者がいた立場として

バニラエアの件、航空会社バリアフリーサービスとしての問題、一部利用者による企業への業務妨害としての観点など、いろいろと話題になっているけど、身内に車椅子を利用する知的障害者がいた観点から参考までに過去体験感想を記しておきたい。

から10年以上前、ある国内大手の運輸系会社主催する知的障害者対象とする欧州へのツアー家族として参加したのだけど、その旅で鮮明に記憶に残った出来事ひとつとして「成田空港でのVIP待遇」がある。

何がVIP待遇だったかと言えば、飛行機に乗るまでの経路が一般客や自力で歩ける障害者とも全然違っていて、おそらくは航空会社関係者しか使えない通路エレベーターなどを駆使してショートカットしつつ、かつスタッフがずっと先導してくれて何の問題もなく飛行機に乗ることができた。あん体験は、あの時が最初最後になるだろう。

そんな待遇だと旅費が高いのではと思うかもしれないけど、当時の一般的ツアー価格からしても、医師が同行してくれる海外旅行としてみれば納得の金額感だったし、であれば、あの空港での対応は別途費用が発生したものでなくて、事前の通告、そしてきちんと交渉してくれる人(企業)がいれば、無料サービスとして提供してくれるものだったのではと考えている。

10年以上前なので当然航空会社LCCではないし、障害者向けツアーであったこと、本人が知的障害者であったことなど相違点は多い。ただそれでも、今回のバニラエアの件で航空会社ばかりを批判する意見は、今のご時世に必要とされるだろうスケープゴートの類に思えて違和感を感じざるを得ない。

今回の件の中心人物は自ら声を上げることのできる方で、身体障害さえなければおそらく自らの才能でいろいろご活躍されるような人なのではと思う。

そうした人たちが、いつまでたってもバリアフリーとは言い難い社会差別的な仕組みに反発する姿勢には自分共感するし、「母よ!殺すな」の横塚氏は尊敬する人物の一人でもある。

ただ、それでもなお、今回の件には違和感を感じてしまう。

世の中には声を上げることもできない障害者の方もいて、そして、いつもは批判対象になる大企業も、そうした人たちに対して今問題になっている方向とは別の意味での差別優遇)を無償で行っていることも、もっと知られてもいいのではないだろうか。

こうした差別優遇が、相手がどんな人であれサービスされるようになる社会こそが真のバリアフリーであり目指すべき社会なのかもしれないけど、そこを語るのなら、提供される金額多寡サービス差別化するのが当たり前な資本主義経済構造にも言及しなければ片手落ちになる。

ただ、そうは言っても、それじゃ今の日本での「声なき障害者への福祉」は文句のつけようのない立派なものなのかと言えばまったくそう思わないし、そうした意味では、現在厚労省実施している福祉制度には、今回の件で批判されている方以上に文句を言いたいことがあるかもしれない。

横塚氏が勝ち取ったはずの脱施設概念もいまとなっては形骸化し、ただの予算削減に利用されているように見受けらる。

こうした問題は、それこそ横塚氏のような当事者政権内部である程度の権力でも持たない限り変わらないものなのかもしれないが、それと同時に、今回のような件で、マスコミ、そしてそれを受け取る市民の側での理解の深化も、また不可欠なんだろうと、そう思う。

2017-06-25

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今回は少年ジャンプ+で読んだルーキー受賞作

OL日常物語 東京コスモ コスモの日々/2017年5月ブロンズルーキー

内容があまりにもしょっぱいから終盤で何かドンデン返しでもあるのかなあと期待したが、別にそんなことはなかった。

私の中でOL漫画といえば「独身OLのすべて」が真っ先に思い浮かぶから余計にネタがしょっぱく感じるんだけれども、まあ比較対象おかしいか(苦笑)。

別にゆるふわなノリが悪いとは思わないし、そのノリを考えれば内容も妥当だとは思うんだけれども、それでキャラをキャピキャピさせているだけで成立させている漫画は飽和状態からなあ。

比較対象が多い以上、既存作品よりどこかが優れているか差別化されていないと厳しい。

デリバリーおじさん/2017年5月ブロンズルーキー

プロットがしっかりしている。

ストーリー構成テーマが一貫しているし、ちゃんと前半の話に意味を持たせたオチなのも良い。

話作りといい、絵のタッチといい、モアイとかで読める受賞作の読みきりみたいだ。

ただ、まあプロットだけでほぼ完成されているというか、絵面がやや退屈に思えた。

色々と工夫はされているんだけれども、終始主人公モノローグや会話ばかりな冗長さを解消できるほどではなかった。

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