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はてなキーワード: エピローグとは

2020-07-07

あんスタのシナリオって読んでてつまんない

ただの愚痴

タイトル通り、あんスタ新規7月ラビッツシナリオ読んでくっそつまらんなと思った話です。

オタク同調圧力社会の中、ツイなど名前の見えるところでは決して言えないけどめちゃくちゃつまらなかった。未読シナリオスキップ機能付けてほしい。

まず、あんスタは女性向け男子高校生アイドル育成ゲーム。月2回のシナリオイベントユニットごとに各アイドルたちを掘り下げていくスタイル

7月上旬イベント対象は2年生中心で「可愛い」が売りのRa*bits(ラビッツ)という4人組ユニットだった。モチーフは兎でライブ中に両手で耳作ったり半ズボンで踊ったりいわゆるショタっぽい子たち。

色々省略するけどメンバー4人のうち1人が大学進学を機にアイドル活動を休止していて、その間は残る3人でソロ活動ユニット活動継続していた。そろそろ大学生活にも慣れたので夏休み突入に合わせて活動再開することになり、せっかくだし復帰ライブを大々的にやろう!という話になった。

しか所属事務所の都合で満足な資金や準備人員が用意できず、計画したライブは中止に追い込まれていた。

そこで、彼らが考えたのが「他のアイドル資金提供をしてもらう」こと。

ユニット結成当時は人気もなく、対バンライブ中に客が帰るなど色々大変な体験をした彼らだったが、めげずに他のアイドルバックダンサーをしたりスタッフの手伝いをしたり小さなライブにも全力で取り組んだ結果、今ではファンからも他のアイドルからも愛される人気アイドルになっていた。

そんな僕たちなら、きっと手を差し伸べてくれる人がいるはず!

うん、分かるよ。

その流れは理解できる。

でも描写おかしくない??????

キャラ1「どうしよう…ぐすぐす」

キャラ2「そうだ!俺にいい考えがある!」

→暗転

ライブ当日

キャラ2「♪~♪~いや~みんな資金援助してくれたしファンはクラファン手伝ってくれたし無事ライブ開催出来てよかったな!それもこれも俺たちの日頃の行いが良かったからだな!えっへん!」

ん?資金援助してくれるくだりは?????

普通こういうのって、四人そろって先輩アイドルに頭を下げに行って、その先輩の口から「お前たちには沢山助けられたからな」みたいなお褒めの言葉をもらって「僕たち頑張ってきてよかった…!!」ってなるんじゃない?

ジャニーズで言うならデビューしたての新人マッチさんとか木村拓哉楽屋で直接お願いするところだよね?それによって他人から自分たちへの評価も分かるしお願いされる側のキャラの株も上がる良いシーンになるはずだったよね??なに一行で片づけてるの???

百歩譲ってこれがフルボイスなら、ちょい役でキャラ数増やすの大変っていう裏事情あるかもしれないけど汎用パートボイスを文頭でちょろっと流すだけのゲームなので…

会話中心でゲームシナリオ組み立てるの大変かもしれないけど、あまりのやっつけっぷりにびっくりした。

その後のシーンも、良い子だから俺たちは評価されたって自画自賛してみたり、自分の都合で活動休止していたキャラを不自然にべた褒めしてみたり、なんか…読んでて凄く虚無だなって思った。

そもそも私がこのラビッツというユニットが苦手というか、高校2年生身長170センチ近い男たちが「寂しいのでぎゅ~ってしてください♡」って発言するのなかなかホラーだなって思う。

音ゲーからあんスタを知って時系列順に過去イベントちょっとずつ読み進めながら、初期のイベント結構楽しいな~と思ってたのに、量浴びると積み重なった違和感から目が離せなくなっていく気がする…

何のこだわりか知らないけど台詞中の漢字をむやみにひらがなにするのとか、「うわ~スマホが鳴ってるぜ!誰かから電話がきてるんだぜ!」とかイチイチ口で説明するのとか、シナリオ読んでると文字読解力が下がっていく気がして怖い

あと、あんスタってどのシナリオも、全体が10構成だとしたら1~2話くらいでとあるキャラが悩んでいる描写、3~7話で「どうしたの?一人で悩まないで!何かあったら相談して!僕たち俺たち仲間だもんね!」して、悩みを解決するための具体的な行動は無いまたは文字通り「相談」することで解決した上で8~10話で「いや~解決して良かった!」って事後ライブシーンして終わりって組立が多すぎて飽きる

そのライブシーンが「エピローグ」って名前なのも気に食わない。こっちはアイドルライブシーンを見るためにプレイしてるんであって勝手エピローグにするな!って見る度いらっとする

結局何が言いたいかというと、キャラデザや性格付けは悪くないのに、シナリオ側の文章力と見せ方でつまらなくなっちゃゲームだなということです。

もちろん嫌いなところばっかりじゃなくて、過去シナリオ読む中で好きなキャラはいっぱい出来たよ!!

プレイ前、傍から見てる分には、女性向けゲームの中では超人気作だからもっと質のいいシナリオなんだと勝手に思ってたか期待値からの落差が凄い。素材は良いのにな~残念

2020-07-01

SF小説の表紙はなぜキャラ絵ばかりなのか問題について

論争の概要

 ・あるSF編集者自分担当したアンソロジー本(『日本SF臨界点』と『2010年代SF傑作選』)の表紙を掲載し、そのツイートが広くバズった。

 ・それを見てある読者が twitter で以下のような発言を行い、反響を呼んだ。


「なんでSF小説とかアンソロの表紙って漫画アニメ絵女の子ばっかなの?恥ずかしくて持ち歩けないんだけど。自らターゲット狭めてマーケット小さくしてる気がする。(中略)誰も彼も「売れるから」で思考停止している気がしてならない。」


それに対して当該編集者がfusseterで以下のような反論を行った。

・「女の子」に関して

 ・イラストレーターには『性別指定しない抽象的なキャラクター像』で発注したもので、『女の子』ではない,

 ・キャラクターであることそのものに対する違和感にしても、少なくとも現場ではそういうものにしようという意向ではなかった。


・「恥ずかしい」に関して。

 ・特に若年層ではキャラ絵が「恥ずかしい」と思う感性はあまりないはず。

 ・キャラ絵が想像力を狭めるということはなく、むしろ想像力喚起するもの


・表紙に対する意見について

 ・表紙を描くイラストレーターたちにも評判を気にして傷つくなどの感情はあるんだから、そういう人に届く危険認識したうえでSNSを使え。

 ・意見自体勝手にどうぞ


・「アニメ絵女の子ばかり」ということに関して

 ・事実として違う(SFマガジンの書評欄に見られる書籍の表紙を引き合いにだして)。


・今回の表紙の意図について

 ・なるべく広い読者層へリーチしてほしかった。


論点の整理と意見

二者間で応答された論点は以下のように要約される。

 1.なぜSF小説・アンソロの表紙はキャラ絵の女の子ばかりなのか

 2.キャラ絵表紙に対する「恥ずかしい」という個人的感情

 3.マーケティングとして、読者層を狭めてはいいか


1.は事実認識としては適当ではない。ただ、主観的不正確な感覚でも、その感覚が広範に共有されていればシーンに対する認識としては強度を持つ。

たとえば、読者の記憶に残りやすい「目立つ」コンテンツの表紙にアニメ絵率が高かった(ように思える)場合、多くのユーザーは「表紙にアニメ絵ばかり」という認識を持ち、関係するアクターやシーンの振る舞いもその認識に沿って動いていく可能性がある。


ハヤカワは伊藤計劃の『ハーモニー』『虐殺器官』の文庫化の際に、伊藤計劃作品アニメ映画キャラデザを務めたredjuiceを起用した。ちなみに表紙に、ではない。本をすっぽり覆うタイプのオビにイラストを反映させたのだ。実質的には「アニメ絵の表紙になった」とみなされても仕方がないし、事実そのように勘違いしている人も散見される。


シライユウコイラストレーションに対するファンダム記憶伊藤計劃百合SFと密接に結びついており、2010年代の「気分」を確実に決定づけていた。

シライユウコが表紙を描くこと」は他のイラストレーターキャラ絵寄りであれそうでないであれ)が担当するより確実にある種の指向性を帯びやすい。

どういう指向性か、と問われるとなかなか言語化しにくいが、このイラストレーター伊藤計劃の『ハーモニー』の単行本版の表紙を担当したこと、伴名練のデビューである少女禁区』の表紙を担当したことライトノベル作家短編が多く採られた『ゼロ年代SF傑作選』の表紙も担当し『2010年代SF傑作選』がその「再登板」でもあること、百合SFブームを決定づけた『SFマガジン』の百合SF特集号の表紙も担当していたこと、等々から鑑みて、「百合SF」に代表される近年のSF代表するイラストレーターとみなされうる、といったところだろうか。

もちろん、シライユウコ上記以外にも多くのすばらしい仕事を残している。ヤングの『時をとめた少女』など『2010年代SF傑作選』よりも「少女性」が強い絵も描く一方で、円城塔の『エピローグ』(単行本版)やヴァーリイの『逆行の夏』などのようなさほど「少女性」が目立たない絵もある。

しかし、世間でのイメージを決めるのは結局バズった仕事だ。

そうしたイラストレーターが表紙を担当することで、某評論家のいうように様々な出自トーンを持つ収録作のイメージを一つのカタにはめることになるのは否めない。それはイラストレーターの罪ではない。


日本SF臨界点』に関して言えば、伴名練が編纂するということで『なめらかな世界と、その敵』での「キャラ絵の人物がアップになっている表紙」が文脈的意識されているのだろう。

『なめらかな世界と、その敵』の収録作はジュブナイル的な色彩を帯びた作品が多く、表紙の選択はかぎりなくマッチしていたと思う。だがその文脈を発表年代も書き手バラバラアンソロに持ち込むのは(表紙を決めるのは編集者なので作家ではなく編集部として)作品群を「私物化」、あるいは領土化する行為として糾弾されてもしかたがない。


とはいえアンソロジー編集するのはひとつ創作活動でもある。DJのようなものだ。どんな作品を選ぶか、どんな順番で収録するか、といったことが作品個々の印象や読み味を大きく左右し、「一冊」のイメージを決める。その点で、表紙を「私物化」するのも表現の一部であるかもしれない。増田個人意識としてはアンソロの表紙もまた(アンソロ自体のコンセプトにもよるが)「私物化」されるべきと考える。

ハヤカワは伴名練という作家に過剰な文脈を背負わせすぎなきらいもあり、それはあまりよろしくないと感じるが、『日本SF臨界点』は伴名練の作品批評ひとつとして見なすべきではないか

アンソロ編纂するということはそのくらい暴力性を孕んだ行為なのだ。「埋もれた作品を発掘する」などといった無邪気な善性だけで成り立っているものではない。作品について一切指向性を持たせたくないのなら、表紙をつけず、amazon あたりで短編単位ひとつずつ売るしかない。


2.に関しては編集者の反応があまり噛み合っていない。「恥ずかしい」と感じることはどこまでも個人的感情なので、「若者には違和感がない」と反論してもあまり意味がない。発端となったツイートで「恥ずかしい」に続く文がマーケティングの話なので、マーケティングの話をされていると思ってもしょうがないというか、増田普通に読んでればそう取ると思うが。

また、編集者立場としてはイラストレーターを守りたい気持ちで「いや、恥ずかしくないんですよ」と反論したくなるのもわかる。表紙についての議論をすることに対してやや脅迫的ともとれる言辞をしているのも、そうした仲間を守りたい意識のあらわれだろう。その判断編集者として間違ってはいない。


ともあれ、その人が「恥ずかしい」と感じたならば「恥ずかしい」のは仕方がない。また、読者や作家にもそうした感覚共感する人々が一定存在するようなので、そうした心情を斟酌しないのはいかがなものかと思う。最低でも文面の上ではそうした消費者感情に向き合うふりくらいはしておくべきではなかったか

Twitterではよく「表紙が恥ずかしくて買えないとかガキか」という意見が目にされたが、そういうマウントの取り方もよくないと思う。


3.については(元の発言者は重要視していないとしているが)完璧に食い違っている。片方は「キャラ絵にすることでターゲットを狭める」と主張し、もう片方は「キャラ絵にすることでターゲットを広げる」と主張している。百合SFブームを仕掛け成功させたことや、この論争がそもそも2010年代傑作選』と『日本SF臨界点』が"バズった"結果生じたものであることを踏まえると、(編集者もまたマーケティングプロではないにしろ編集者側に理があるように思える。

SFというものキャラクター文化親和的なのだから、そっち方面から開拓の読者を拾った方がよいと判断するのは筋が通っている。「キャラ絵で買わない新規消費者」より「キャラ絵がついてることで買ってくれる新規消費者」ほうを多く見積もっているのだ。興味を持ってくれる読者層を有効開拓してこなかった業界の怠慢を一挙に巻き返そうとしている節はあるにしろ


ある一定の方向へ突出しすぎている表紙を出すことでそれ以外の読者を切り捨ててしま可能性はある。たとえば、ライトノベルの表紙絵はキャラ絵を好む読者以外へのリーチをハナから諦めている。キャラ絵を用いてる点では『臨界点』と変わらないが、よりパラメータがいわゆるオタク寄りに調整されている。最近スニーカー文庫ハルヒ角川文庫から再発されるにあたり、有名ないとうのいぢの表紙から実写を用いたいかにも一般向けの表紙へ切り替わったことがあった。これは「キャラ絵を切り捨てる層」への訴求を試みた例だろう。

ハルヒのメインターゲットであった層を掘り尽くしたので、本来ターゲットにしていなかった層も掘る余裕が出てきたのだ。メガヒット作ならではの展開といえるだろう。


キャラ絵を用いた表紙と、写真を用いた表紙。

間口を広く取れるのは後者だ。特定の層により訴えるのは前者だ。

どちらを取るかは出版社戦略次第だ。ハヤカワが大手より体力の低い中小出版社であることも考慮にいれるべきかもしれない。


だが、特定の層に訴えるマーケティングときにその層に含まれていないと感じた消費者への疎外感を生じさせる。そのことには出版社自覚的であるべきだろう


より個人的感想

個人的感想をいえば、シライユウコ絵が「マンガアニメ的絵」だという意識はあまりなかった。林静一から中村祐介に至るイラストレーター系譜(もちろん彼らにくらべたらややまんが的ではある)に連なるような存在として認知していた。

臨界点』のイラストもそこまでキャラ絵として意識していなかった。「恥ずかしい」と感じられるキャラ絵とは、それこそライトノベルの表紙絵くらいのレベルだと思っていたのだ。

たとえば、『臨界点』がライトノベル的な表紙であったら、増田も「切り捨てられた」と感じたことだろう(それはそれとして本を買いはする)。

こんなことを萌え絵に対して不感症になっている典型的日本人の謗りを受けそうであるし、実際そういう面も否めないのだろう。増田はよくTwitterで論争になる公共の場所で広告に使われる萌え絵について「恥ずかしいだろ」と(その是非とは別のレイヤーで)思ってしまう人だ。本当に「恥ずかしさ」の基準はひとそれぞれだなと思う。

今回話題になった表紙が即女性に対するオブジェティフィケーションにつながるとは思わない。

一方で、キャラ絵を用いたSF小説の表紙が女性という表象にまったく何も背負わせていないとも思わない。本人たちが意図するしないにかかわらず、文脈的には「百合SFムーブメントを作り上げた編集者」が、「伊藤計劃百合SFSFマガジンの百合特集号の表紙を描き、百合イメージが強いイラストレーター」や「百合SFムーブメントの一翼を担った新進作家」と作ったものなのだ。人はそこに「少女」を見る。その「少女」は私たちの築き上げてきた「少女」のイメージを背負っている。そこに無自覚はいられない。

私たちはどのレベルの「恥ずかしさ」で合意するのか。SFという貧しく狭い領域マーケティングコンプライアンスをどう天秤にかけていくのか。

今はまだ問いの出ない問題だ。作家しろ編集者しろ読者にしろ、一個人ではどうにもならない問題でもある。

だが、他人の感じる「恥ずかしさ」を「時代遅れ」と切り捨てることなく、あるいは読者同士で向き合うことで、ある方向へ流れていけるかもしれない。そこから先は、未来の話だ。作家たちの語るべき領域だ。


余談。あるミステリ作家が「消費者意見に対して真剣に向き合わず、味方を囲い込んでる」と例の編集者にキレてブロックしたことについて。むしろ、fusseterの文面ではTwitterでの論争の不毛さに触れているように、犬笛にならないように注意を払っているように感じた。よくやるように擁護ツイートRT連発みたいな行為にも走っていないし。

個々のフォロワーたちが発言したり群れたりするのは止められないだろうし、それを「味方を囲い込んでる」ように見えたとすれば、多分に先入観が強い。

意見に向き合え」というのはその通りだと思う。本人がおそらく可能な限り真摯に向き合っているつもりなのはfusseterで重ねられるエクスキューズからも読み取れるが、だとしても人はどこかで何かから目を逸らしてしまものだ。当事者になればなるほど防衛機制は強まる。ただ例の編集者自分に対して意見を言ってくる人を尽く敵と見做して戦争しかけるタイプには見えないし、あの作家の言うことなら無碍にはしないはずなので、ブロックする前に意見交換を行なって互いの認知を均したほうが幾分有益であったはずだ。

この問題については意見を出してる作家業界関係者でさえ恐る恐るというか、批判しろ擁護しろ通り一辺倒のことしか言っていない印象がある。

その穏当さが党派的な対立を強めていはしないか業界トピックとして捉えるなら、公の場で作家同士でもっと突っ込んだ話し合いを行うべきではないのか。

2020-03-26

☀️族はコロナに沈む

エピローグ

五輪中止の報せを聞いて息をひきとる。

2019-12-25

昨日はクリスマスイブ。街は華やかに彩り、それに合わせて人々も着飾る。

そんな中、デパートに立ち寄ると、ブランドの小さな紙袋右手に、彼の手を左手に、嬉しさと楽しさを抑えきれずスキップしている女の子が居た。

そうクリスマスだけは許される。みんなに魔法が掛かっているのだ。

きっと彼女彼女物語ヒロインなのだろう。

私も昔は彼女と同じようにヒロインを演じた。夫と結婚第一部の幕が下りた。

娘が生まれ元気に育った。そんな娘もやがて結婚し、年が明ければ孫が生まれる。女の子らしい。

私達のサーガはまだ続くのだ。どうか可愛いヒロインになってほしい。

エピローグはまだ早い。まもなく第三部の幕が上がる。

2019-12-16

屍人荘の殺人観た

原作既読です

まず、ギャグみたいな予告から不安だったんですけど、ギャグでした

葉村君は浮かれてるし、剣崎さんはわけのわからないキャラ付けをされてる

ロックフェス研究会ってなんだよ

中盤の立浪さんとの会話や、原作読んでて「アッこれ!」って気付いた伏線カットされてたり

極めつけはラスト、お前なんでそんなとこにいるんだよ!

エンドロールのあとにエピローグ映像ないし

みんな、ジャンププラスで連載中の漫画版を読もうね

2019-12-09

原作読者によるアニメ夜明けのブギーポップメモ4(13話)

(前)

https://anond.hatelabo.jp/20191209211700

第13話 「夜明けのブギーポップ 4」

STORY|TVアニメ「ブギーポップは笑わない」公式サイト

脚本鈴木智

絵コンテ演出斎藤圭一郎

作画監督:原科大樹

総作画監督筱雅律

来生真紀子と戦うために準備を整える凪。

もう人間ではなくなってしまった来生真紀子と凪が戦えば、恐らく凪は殺されてしまう。

まさしく無謀な戦いを挑もうとしている凪を見ているうちに、これまでの自分では決して選択し得ないような行動を取ってしまうモ・マーダー。

一方、来生真紀子対峙した凪は、病院を戦いの場にしないように、全力で自転車を走らせるが、来生真紀子の圧倒的な身体能力によって追いつかれ、組み敷かれてしまう。

来生真紀子は、凪を殴打しながら、恐怖を感じろと叫ぶのだが……。

原作5話「虫」後半および、エピローグ夜明けの口笛吹きREPRIZE」に相当。

アバン

自宅で「戦闘」の準備をする凪と、それを隠れて見る佐々木原作では、この時凪が住んでいるのは榊原から与えられたマンションだが、アニメは誠一と住んでいた一軒家のままということにしているようだ。

ピンクサイクリングスーツ?を着る凪(0:04)

こういう色なのは、まだ「炎の魔女」としてのスタイル確立される前だからなのか、それとも、絶縁体入りなのでいつもの黒いツナギとは別物という表現なのか。

自転車メンテナンス?改造?する凪(0:17

原作にはない細かい描写相手能力が分からない以上、準備を万端にしておくのは自然

一瞬で屋内に入り込む佐々木(0:27)

見逃しそうになるほど一瞬。というか、初見では見逃していた。なお原作では、佐々木マンション内には入っていない。

工作マットの上のスタンガンやハンダごてなど(0:28

タンロッドを改造、もしくは自作した跡。

荒々しく外へ飛び出す佐々木(0:57)

自分でも訳のわからない焦燥に苛まれて」いるのがよく伝わる。

誠一「人間は、統一された意志など〜」(0:59)

霧間誠一の(もちろん架空の)著書『人が人を殺すとき』の一節を、誠一自身の声で読み上げる。直前の、キョウと凪のセリフフラッシュバックと併せて、二人の言葉が誠一から引用であることを示している。

今回のアニメはどうやらテロップを使った演出をなるべく避けているらしく、霧間誠一の著書から引用基本的にこのようなセリフの形で行われている。当然、テロップ場合よりも尺の制約を大きく受けることになるわけで、原作の霧間誠一語録は、本筋に関わるもの外大半がカットされている。仕方のないことではあるが、もったいない

本棚の『人が人を殺すとき』(1:16)

他のタイトルは、「犯罪心理学」「〜想の中の心理学」「恥知らず傍観者」「生き抜く精神」。

いずれも、恐らくは霧間誠一の著書ではないが、「恥知らず傍観者」はブギーポップ原作者によるジョジョスピンオフ小説恥知らずのパープルヘイズ」を連想させる。

周囲を見回す凪(3:18)

逃走経路の確保?

警備室で監視カメラを見る佐々木(3:37)

原作では単に先回りして物陰から凪を見守っていただけだが、「物陰から」にも限界があることを考えるとこちらの方がいいか。床には警備員らしき人物が倒れている。

凪と対面する女医(の格好をしたピジョン)(3:55)

小柄な印象があったが、この時の凪よりは背が高い?

ピジョンライフルケースを見た佐々木想像(4:46)

麻酔銃で凪を狙撃し急患として運び込ませ、当直の医師としてゆっくり料理する計画(と思い込まされた)

これはあくま佐々木予測しかないが、はっきりと映像で見せてしまたこと、察しが良すぎること(ライフルケースを見ただけで「麻酔銃?」はさすがに)、本来佐々木能力が作中で説明されていないこと、などが重なった結果、原作未読者の中には佐々木能力を「予知」だと勘違いした人もいたらしい。言葉だけで説明するよりスマートな造りだとは思うのだが、難しいところ。

黒髪ピジョン(5:12

派手な髪色のデザインは、このシーンでのミスリードを想定したものでもあったのだろうか。

ピジョン「やっぱり、あんたは殺人鬼ね!」 佐々木「なんとでも言え」(5:17

オリジナルのやりとり。ピジョン言葉に一瞬目を泳がせ、凪の「あんたは本当は優しい人間だ」というセリフフラッシュバックを間に挟んでの言葉に、佐々木の諦念が感じられる。

眠っている?警備員(5:51)

来生の策にしては、何をしたのかよく分からない。単なる居眠りなのだろうか。

4階から降ってくる来生(6:00)

一応膝を使って衝撃を殺してはいるが、両足(しかも爪先)だけの堂々とした着地。効果音もズドンと力強い。

来生「ハーイ、お待たせ凪ちゃん」(6:03)

旧作アニメ放送当時のCM使用されたことでも印象深い名(?)シーン。今回も来生の禍々しさがよく出ている。

黒田案山子と鳩が〜」 ピジョン案山子相手は〜」(6:24

アニメではこの回想で初めて使われた会話。

ピジョン接触する来生(6:33

原作では回想で簡潔に済まされている部分を、具体的に描いている。

ゴミからエサを漁るカラス(6:47)

アニメではカットされた「霧間凪スタイル」の内容を意識したものだろうか。だとすれば気の利いたサービスで嬉しい。

来生「あなた人間になりたいと思わない?」「誰かが言ってたわ、人間は恋と革命のために生まれてくるのだって」(7:11

太宰治斜陽から

このような既存名言その他を用いたオリジナル台詞は、3話のブギーポップ弓道における美とは〜」があったがその唐突さに比べて、今回はピジョンの心の弱みに来生が付け込むという状況に、かなり自然マッチしている。

鈴?の音(7:27)

本作におけるブギーポップ出現の合図。

ピジョンスケアクロウ、迎えに来てくれたのね」(7:30)

口が動いているため、原作とは異なり一応は声に出して喋っている言葉のようだ。

逃げる凪と追う来生(8:19)

恐らくは、10話で黒田佐々木が通ったのと同じ道。佐々木と比べて来生の走り方は、獣のように野性味があるものとなっている。

街灯を足場に大ジャンプする来生(9:14)

10話の黒田連想させるが、黒田場合よりも街灯の破壊の度合いが大きい。

石礫を受けて倒れ込む凪(10:05)

原作では「水たまり」となっているが、この大きさだと沼か?

凪「人目を気にしなかったのは犯人じゃない〜」(10:43)

原作では、里香からの聞き込みの直後に提示された情報。ここに持ってきたのは、凪と来生のやり取りを増やすのと、意外な事実として突きつけることでミステリ解決編風の味付けをする狙いか

来生「あっはぁ!まさしく人は見かけによらないわよねえ!」(12:14)

表情といい口調といい、嫌味が絶好調

佐々木の部屋で偽装を行うピジョン(13:03)

物の少なさに佐々木らしさが感じられる部屋。

凪の冷静さに激昂する来生(13:18)

ここからの表情は一線を超えて「顔芸」の領域に入っている。少々行き過ぎな気もするが、強烈な印象を残すのはたしか

凪の腹を殴る来生(13:34)

腹パン

来生「何に失敗するっていうの?」(14:24

左手無意味プラプラさせる動きが妙に気になる。

凪「反撃にだよ」(14:38)

攻撃から「反撃」への変更。ニュアンスとしては分かるような気はするが……

水を通したスタンロッドによる電撃(14:41)

わざとバッグの中身をばらまいて、あらかじめ水の中に「通電物質」を溶け込ませていた、という設定はたぶんカット。ここはハライチ岩井勇気も残念がっていた。

赤熱して爆発するスタンロッド(14:55)

改造スタンロッドが一撃で壊れたという記述原作にもあるが、見た目で分かりやすくするためか、だいぶ派手な表現になっている。もう一本のロッドに持ち替えてさらに電撃で追討ちをかけるくだりはカット

来生に飛びついて関節を極める凪(14:59)

腕ひしぎ十字固め、でいいのだろうか。詳しくないので不安

腕がもげて逃げ出す来生(15:07)

アニメ身体欠損表現にうるさいと思っていたのだが、そうでもないらしい。一応、切断面は袖で隠れてはいるが。

ブギー「ここからは、僕に任せてくれ」(15:31

セリフと共に、沼から「泡」が浮かび上がる。

ブギー「急激な進化を遂げた肉体が電気衝撃によって〜」(15:53)

地の文情報セリフに変換。ブギーなら何を知っていてもおかしくないので便利。

来生「いつでもいいわよ!どこからでもかかってらっしゃい!」(16:18)

ここに関しては、狂気に歪んだ表情と声ではなく、堂々した態度に描いてほしかった……と初見では感じたが、原作を読み返すと、

それは、もはやかすれた声が破れかけている喉からひゅうひゅうと漏れているだけの弱々しい声だったが、しか彼女の耳にはそれは見事な口上として響いた。

ということなので、客観的映像化するならこれで正しいのかもしれない。また、怖がりとしての本性を取り戻した来生が、それでも約束を守るために「真剣勝負決闘」に臨もうとしただけで、「最も美しい瞬間」と言えなくもない。

ブギー「フィア・グール」 来生「恐怖喰らい、それが私の名前、なのね……」(16:25)

原作では地の文でのみ呼ばれていた名前を、最期の瞬間にブギーにより名付けられたという形で処理。イマジネーターやバットダンスなど、ブギーが世界の敵に名付けを行う展開は原作にもいくつかあるので、違和感も少ない良アレンジ

「そうかい」の直後に首切断という、無慈悲であっけない瞬殺の印象はやや薄れたが、ここはトレードオフなのでしかたないだろう。

キョウ「だから言っただろう」(16:41)

セリフ佐々木の心の中の幻だが、このキョウの姿は佐々木に突き落とされた瞬間のものか。

ブギー「君は、これからも続けるつもりなのかい」(18:59)

そう聞かれて、「そうだな……正義の味方かな」の時の黒田を思いだす凪。直後に映るのは、二人が初めて出会った「ガーデン」の現在光景

やけにもっちりしたブギーポップ(19:27)

もちもち。

ブギー「ブギーポップ?とでも名乗っておこう」(19:41)

たった今思いついた名前を、自分でも確かめるような言い方が絶妙。表情ははっきりと左右非対称。

直前に挿入される黒田の姿は、「泡みたいにすぐに弾けて消える、死に際のはかない願望だ。ずいぶん不気味だがな」の時のもの。このやり取りを原作から少しずらしてこの位置に持ってきたことで、凪とブギーポップ、二人のオリジンに共に黒田が大きく関わっていることが明確に強調された。

空間(19:58)

夜明けの口笛吹きREPRIZE」パート

ブギー「そもそも黒田慎平が霧間凪を救おうとしなければ、マンティコアや君が世に放たれることもなかったわけだ」(20:09)

オリジナル10話での、黒田施設RS22TTU襲撃の余波でマンティコアエコーズが統和機構から脱走した(二人はRS22TTUに囚われていた)、という話のようだ。

これが原作の設定と矛盾せずに済むかどうかはすぐには分からないが、少なくともアニメだけで見れば、エピソード同士の結びつきを強める意味でも、「いろいろなことが絡みあっている」という「夜明け」のテーマ的にも、良い改変だと思う。

ブギー「この世界もそろそろ限界だ」(20:26)

ブギーの口笛とエコーズハミングによる、マイスタージンガー合奏カット。尺を食うので仕方ないが、もったいない

エコーズ世界を遠くから見守っていきますよ。(略)あの人の代わりに」(21:12

紙木城直子の姿が挿入。順当な解釈ではあるが、「あの人」については、反響ではないエコーズ本人ではという意見も一応ある。

ブギー「まずは、歪んだこの世界から戻る方法ゆっくり考える」(21:23

原作は、「この、ゾーラギが壊した廃墟世界の元をつくった歪曲王と会うことになるか」。歪んだ〜と言っているので全く無関係とは考えにくいが、同じものを指しているのかは不明

アニメ最終話(歪曲王5)ラスト竹田と再会しているのもこの世界(とよく似た場所)なので、ブギーポップの待機場所的な扱いのようにも思えるが……

「笑わない」のラストで水乃星透子の飛び降り、「VSイマジネーター」エンドロール夜明けの光、そしてこの「夜明け」の「歪んだ世界」と、次のエピソードに繋がる要素が毎回最後に盛り込まれていることになる。

ブギー「実は僕自身、いつどこからたかは分からないんだ、戻るまで」(21:31

「歪んだ世界」に来るまでの話(ムーンテンプル)のようにも、現実世界で藤花の中に現れる前の話のようにも見えるオリジナル台詞ダブルミーニングでないのなら、たぶん後者意味なのだろうが、だとしたらもう少し明確にしてほしかった(「戻るまで」が少し分かりにくい)

目を離した隙に消えているエコーズ(21:46)

原作と違って、消滅の瞬間は見せない。

夜明けの光?の中に消えていくブギー(21:59)

口笛は無し。流れている劇伴がいいので不満はない。が、聞こえないだけで本当は吹いていると思いこんで見たいところ。

消える瞬間にいつもの鈴?のSE



総評

まず何よりも、情報の取捨選択がうまくいったエピソードという印象が強い。原作読者がアニメで見たい(であろう)部分の大半が的確に拾われ、原作で盛り上がる部分がアニメでも見せ場として扱われている。ここに関しては、原作の4(5−1)話構成と、アニメ4話という尺が噛み合ったのも大きい。

変更部分に関しても、大半はメディアの違いや時代問題で納得できる内容になっている。10話のアクションのような原作ではさほど情報量の多くないシーンの映像化は、原作読者のイメージと大きくズレるリスクもあるが、結果としてこのエピソードは賭けに勝った。そして、そういった積み重ねで作品への信頼が生まれてさえいれば、多少違和感を覚える部分があったとしても、肯定的解釈しようという気にもなるだろう。

良く出来ていたから良かった、みたいな当たり前の話をしている気もするが、ともかく、このエピソード存在だけでも今回のアニメ化には意味があったと、改めて思う。

2019-11-23

2019秋アニメ半分くらい経過時点での感想

感想多く書けたのだけ。他は見てても特別強い何かを想えなかった。

原作は基本未読。

ハイスコアガールだけは最終巻一個前まで読んだはずだけどほぼ忘れてる。でも現壇蜜の夫から糞袋電話がかかってくる漫画ハイスコアガールじゃないのは覚えてる。

神田川JET GIRLS

ヴィクトリアメイド金子と『閃乱カグラ高木が『ヴァルキリードライブ』以来のタッグ。そこへハナハルキャラデに雑破脚本は無敵じゃね?となるやつ……なんだけど思ってたほどではない。

ちなみに女子高生二人チームのレースもので、個性的ライバル高校が次々出てくるというプロットは『つうかあ』がニーラーレース実在競技)で先行している。あっちは爆乳は無かったけど風呂ノルマ喧嘩ノルマがあった。なんだノルマって。

こっちは障害物ありタイマン競艇in河川ジェットレース非実在競技)で、座席の後ろに立ってる子が水鉄砲相手を撃つという……この水鉄砲係ことシューター競技上の重要度が分かりにくい。

というか発売予定のゲームが脱衣ゲーなんだろ?シュータープレイヤー能動的に相手キャラを脱衣させるためにいるわけだろ?操作できないアニメでは役割上浮くのは当然のことじゃねえか。つまりもっと撃って当てて脱がせろ!このままじゃミサちゃんは凛ちゃんのケツ見て興奮するだけの女になるぞ!

のっけからライバルとしてレディレディ級を出してきたのはすごい。でも汚いダンディヴァじゃないからヤらないだろうな。一応JKという設定だし。ジェットレース以外は普通現代から触手も無いだろうし。ホリプロ保護されているッッッ!(アイム保護されていないという意味ではない)

俺は脚本家が話の内容全てを決めているわけではないことはもちろん知っているが、それを踏まえた上で『マイユア』『中妹』『星架』『帰宅部』のキレッキレな雑破業を期待してしまう悪いアニオタの心をコントールできない……。

お前の挙げたタイトル何年前のやつだよ作風変わって当然だよ『BEATLESS』とか『ルパン三世』とかやってるだろ、というのは分かる。

分かるけどちょっとえっちアニメ雑破業で、そんなん期待するに決まってんだろ!

アサシンズプライド

キービジュとあらすじ斜め読みでは先生ロリコン野郎かよと思っていたが、実際は「暗殺者が標的の尊みにエモ死して推しを護るために教師になった」だった。

そこへ更に従妹があなたの妹でいたいからクソザコ無能お姉さまにわざと負けて勝たせてあげるねとズッ妹宣言。この子から完堕ちしてる……そういえば性格悪そうなCVあやねるもあっさり堕ちてたな。

ここまでくるとロリコン教師とかもうどうでもよくなってくる。なんなのお嬢様魔性の女なの母親もそうやって夫以外の男たらしこんだのマナはなくても淫売の才能は遺伝してたの?

しかしこれとお母好きがアニメ化するほどの主力って、ファンタジア文庫尖りすぎでは?冴えカノ終わったしデートアニメ控えてるとはいえ終了間近じゃん?大丈夫か?他レーベル後追いで歳の差甘々ラブコメしか相手アニオタ教師)にも手出したけど、追い付けるか?

でも俺は他にスレイヤーズ天地無用GXPと、あとタイトル思い出せないけど姫とセックスしたら自分死ぬ夢を見るファンタジー戦記と、どくさいスイッチ銃弾使ってたら片思い同級生サブヒロイン悪堕ちした四脚鷲尾メカのやつしか現行作品読んでないクソザコにわかナメクジなので、これ以上雑語りすると天狗様を召喚してしまう。ここまでにしよう。

もっと売れ線の流行ってるやつ読んでレーベル雰囲気把握し直さなきゃ……(ここに挙げたタイトルが売れず流行らずとは言っていない)。

ハイスコアガール

映画『冴えカノ』で「英梨々は絶対に倫也のヒロインになり得ない」という話を2時間見せつけられた。

帰宅し、これを見た。「日高絶対矢口ヒロインになり得ない」という話を1期OVA含め3ヶ月分見せつけられるアニメを。地獄か。

英梨々は小学校時代やらかしに加えて、神絵師になることで自らヒロインから崇拝対象クラスチェンジして本編開始前にヒロインレース降りて、その後も本編で散々フラグ破壊しまくったくせに、恵ルート確定直前な映画中盤までヒロイン気取りでいるんだから本当に頭英梨々。それはいいよ英梨々は存在が英梨々だし、作中での扱いもずっとそんなんだし、最後には自分意思で負け確定イベ発生させてえらいし、エピローグ小田和正歌わないから。

でも日高矢口小学校時代に確定させた大野ルート別離→再会イベントの途中で出てきたサブキャラに過ぎないのに、ダブルヒロインの片方であろうと必死になっているのが本当に辛い。作品の内外でヒロインかのように扱われるも、実際には大野ルート上の障害物Aでしかなく、ポジション的にはむしろモエミ先生に近いの。日高矢口に女として意識されようと頑張れば頑張るほどに、大野ルートという恋路が燃え上がってしま悲劇構造いくら迫ってもまったく意味がない。

便宜的にルートって言ったし、劇中でもエンドって言ってるけど、そもそもタイトルからして単数形。これは最初からハイスコアガール大野を追いかける矢口の話であって、それを後ろで見ていた日高氏は。

金髪の子かわいそう。

Fairy gone

公務員はつらいよにしては私情私怨リブンなところがあるし、バトルにしてはマーリアもフリーも弱過ぎるし(ウルフラン周りが強過ぎるのか?)、萌えを視聴目的にするにはあまりに血腥い

各話の筋が悪いわけではないんだが、全体の流れは……陰謀が裏で進んでます感を出してるけど、裏すぎて地味。

こう、全部が地味すぎるんだよ……まあこの絵この話で派手になられても困るんだが。

からない。俺は雰囲気フェアリーゴーンを好きになっている。良さが言語化できない。いったい何が好きで2クール目も見てるんだろうな。別にリムガル見てないしknow_nameのオサレミュージックに惹かれてるわけでもない。マジで理由が謎。

誰かフェアリーゴーンの何がいいか代わりに説明してくれ。

ヴィンランド・サガ

このアニメすごい。物語目的も着地点も見せないまま4ヶ月半放送し続けている。

ルフィンは「アシェラッドと正々堂々と決闘して勝利する」という方法限定した復讐目的に生きてるけど、ストーリー展開はそれを傍流のものとして扱っている。

主人公目的、というか存在自体がどうでもいいまま、アシェラッドとトルケルと、たまにメス顔王子で話が進んでいる。群像劇ではないはずなのに主人公が影薄い。そのくせ面白い。つまりこれトルフィンいらないのでは?

突然1話まるまる割いた村の略奪でさえ、メス顔王子が男の顔になるためでしかなく、トルフィンはこの話に登場しないし、(今の時点では)何の影響もない。

かといってトルフィンを完全にフェードアウトさせるでもない。アシェラッドがピンチになると、こいつを殺すのは俺なんだから指一本触れないでよねっ!とトルケルとの間に入って決闘を始めた。ようやく主人公らしく物語の中心に……と思ったら、これも王子覚醒までの時間稼ぎじゃねえか!

こういうの、原作を知っていると全部納得がいくんだろうが、原作ことなんかそういや10年以上前マガジン休載しまくってアフタかどっか行った漫画あったな……程度にしか知らん俺にはわけが分からん

これはいったい誰の、何の話なんだ。アシェラッドとトルケルが超面白いから楽しく見てるけど、トルフィンは何のためにいるんだよ。幼少期だってパパが主役じゃねえか。こいつ本当に主人公か?そもそも要るのか?アニメ化される範囲の話で必要な子なのか?

旗揚!けものみち

見ていない。

見ていないが神実況コラムとHARASHI…ケモナーマスク動画は見ている。

ケニー退団(正確にはその前の両国メイン3way、HARAイサミケニーのKO-D戦でケニーが一抜けした瞬間)からゆっくりDDT熱が冷めて、大家代表いつどこでKO-D戴冠(ただし直前のWWEパロディ)即陥落した辺りで自分から情報仕入れるのをやめ、飯伏退団で遂にDDT情報が完全に途絶えてたのに、こういうネタにはしっかり引っ掛かってしまうプオタのなりそこないの俺はゴミだよ。

これきっかけにまた追おうかなぁとは思うんだが、いきなりユニバース入会はハードル高い。というかメジャーからインディまで配信乱立しすぎで追いきれねえから協会かなんか作って配信だけでも統合しろ統合……ユニオン……えっ、BASARA独立イサミ社長!?

こんな浦島状態なので、しばらくはバトニューあたり読んで勉強します……ウラシマ……えっ、ヤスウラノ退団してたの!?

ガンダムビルドダイバーズRe:RISE
ゾイドワイルド ZERO

長くて表示されてなかったのでこっちに移した。

https://anond.hatelabo.jp/20191126125118

2019-10-28

冴えない彼女映画見てきたんだが面白かったな。恵はモブ位置から良かったのに正妻になってしまったな。伊織さんの扱いが良かった。エピローグも良かった。思ったより中身がない感想になってしまったがこれで終わります

2019-09-26

HELLO WORLDまらなかったんだけど

どうしてつまらなかったのか言語化できなくてもやもやしている

設定詰め込みまくりは良いんだよ、映画の短い時間でも充分すぎるくらい説明あったし

青春部分は一行さんがどうして直美を好きになったのかという理由けが粗くて感情移入しにくかったけど、つまらなさの本質ではない


しかしたらナオミが救われることが我慢ならないのかもしれない

背中を焼き右足を潰すといった身体的な罰と、最愛の人に拒絶されるという精神的な罰は受けたのだろうが、それで神の視点から人格を弄んだ罪が贖われていいんだろうか?

直美はナオミを一発ぶん殴ってスッキリしたみたいだが、それでいいのか?

結局狐面がわらわら出てきた時点で構造的には許されてしまったが、それこそ殺人より酷いことをやってしまっている気がする

あ、エピローグ意味がわかってない。ナオミは雷に撃たれて脳死になったわけではないよな?

大切な人を救おうとする過程でなんか脳死なっちゃったんだよな?そのあたりがわからない…


まあ目を開けたら赤髪女性が居たほうが俺の好みだったか

あと演出と設定はめちゃくちゃ好きな感じだった

メチャクチャな色を使って時空間すらもあやふや世界のはざまを描いたシーンとか、宇宙の中に新しい宇宙を作るというそれこそSFみたいなシーンとか

いろいろな作品リスペクトしてたのはちょっと安っぽかったけど

全体として上手くまとまっていたとは思うんだが、やっぱりめでたしめでたしで終わ…ったのか?みたいなもやもや感を感じさせる作品だった

2019-09-21

野崎まど(野﨑まど)のHELLO WORLD小説版を読んでの感想エピローグ

既存野崎まど読者のアマゾンレビューなんかで星三つという評価が多いのはどんでん返し感が弱い、特にエピローグを素直に読んだ場合の「さらに上位の世界がありました」ってのが弱いってのがあるんだと思う。

エピローグの方はカタガキナオミの世界に狐面が登場した時点で大体読めるし、上位世界存在示唆する程度ならエンタメ寄りのメンインブラックの1,2ですらやってるわけであまりにも野崎まどらしくない。

更に言えばそのエピローグがどうにも浮いてる、素直に読むと蛇足なんだな。だがこれはおそらく蛇足であることそのもの意味がある。

このエピローグ蛇足にならないようにするならどうすれば良いだろうと思ったら、これナオミが主人公お話だったらバチッとはまるのだよな。

ナオミが高校に入るところから直実に消されるまでのお話であればあのエピローグは美しいんだ。

そしてそのお話材料はこの本の中に全てある。ダイブするまでのナオミの物語は直実の物語とほぼ同じなんだから

直実の高校生活の部分からナオミとのやり取りを削除して繋げ、アルタプロジェクトに入り、ダイブ成功したところからまた本編の話を続ければナオミの物語になる。

この作品未来自分から力を与えられて瑠璃を救おうとする男が主人公なんじゃなくて。

高校に入り、瑠璃に惹かれ、瑠璃を失い、人生の全てを捧げプロジェクトに食い込み、自らを電気で焼き、片足の自由を失い、それでもダイブ成功

世界一つを犠牲にして瑠璃を救い、拒絶され、もう一人の自分こそが瑠璃にふさわしいと、自分こそがエキストラであったと受け入れ

瑠璃を直美に託して瑠璃を守るために自分の消去を選んだ、10年を掛けて瑠璃を守るために自分の身をささげるという事をやり遂げた男の物語でもあるんだ。

もう一人の主人公はこの男なんだ。そしてエピローグはこの男に与えられる救済なんだ。

この直接的に描かれていない物語を読者の脳に構築するための一見蛇足に思えるエピローグなんだと思う。

少なくともこの作品がナオミにかなりの比重を置いたものだというところだけは自信がある。

「たとえ世界が壊れても、もう一度、君に会いたい」このキャッチコピー発言者がナオミでも直実でも成立するし。

予告の最後に出てくる近づいていき交差し、そして離れていく飛行機雲はナオミと直実、又はナオミと瑠璃しか意味を持たない、直実と瑠璃じゃない。

さて、ある作品カットアップして再構成することで別の性質を持つ映画と言えば野崎まど読者には心当たりがあるはずだ。

[映]アムリタ

まあ流石にSCP財団ミーム災害じみた効果は発揮しないけれども。

まりこの野崎まどって奴は自分映画デビュー作で[映]アムリタを実現しちゃったわけだねえ

この野崎まどという男、本格的にイカれてやがる。野崎まどヤバイ

2019-09-19

2019夏クールアニメ感想

彼方なアストラ

主人公たちが殺されそうになった理由の解明あたりは面白かった。

ただそこから先の展開が感動ポルノ少年漫画作法のフルコースお腹いっぱい。

最終回なんかは手続きみたいなクソしょうもないエピローグを1時間も使ってやるなよと思った。

あと歴史改竄要素は高尚なメッセージ性とやらを持たせるために無理やりぶち込んだんですかね?あまり必要性を感じなかった。

筋トレキロ出来る

途中まで面白かったけど10話ぐらいで急にどうでもよくなってスマホで遊ぶ片手間に見るようになった。

直30分枠は長過ぎ。15分なら最終話までしっかり楽しめたと思う。

奇術先輩

ほぼエロネタだけだったが1回の放送で3〜5エピソードテンポよく流す構成が光りなかなか楽しめた。

遭難ですよ

原作既読。ほましおは良いぞ。明日香は声と動きがついて可愛くなったと思う。

2019-07-14

あれからだけど

エピローグ

2年前ほど前ですね、どうしても辛くて僕は会社を辞めようとしました。

で、はてな匿名ダイアリー退職エントリを書きなぐったわけですよ。それをたまたま見つけてしまったので。

〜本編〜

結果として会社を辞めるのを辞めた訳です。

色々あって東京に転勤になり、初めて彼女が出来たり、ライブの楽しみを知ったり世界は広かったんだなって思ったよ。

仕事責任感を過度に持ちすぎないのと自分が出来ることは少ないけど出来るだけやろうかなってマインドで余裕が少し出来たよ。

正直、仕事ちょっと楽しいよ。

今はこんな感じ。更にあれからどうなるかな。

2019-05-24

『鳴鳳荘殺人事件』が許せない話。

やあやあどうもお前らこんばんは。

FGO最近全然やってないけどTLに冬木クリア条件のイベントがあるって流れてきたかシナリオ読んで来てその勢いで書籍版も買ってきたマンだよ。

*この先、FGOイベント及び書籍『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』のネタバレ満載ですご注意ください。



さて。

俺はこの『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』という小説が許せない。

ゲームシナリオの方はどうでもいい……って言ったら失礼か。とにかく。小説独自要素?小説の落とし?が許せん。


この小説は。消費者にとって、そして二次創作者にとっては福音かもしれないけど、一次創作者にとっては、間違いなく、呪いだ。

タチの悪い呪いだ。

物語る者の矜持を打ち砕いて、迷わせてしまうような、そんな呪いが込められている本だ。


どういうことだとお思いの方も多いだろうから説明をする。

この『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』は、「脚本家が倒れたミステリ映画の続きを登場人物達が考える」という、メタミステリものだ。

個人的には『愚者のエンドロール』あたりを連想するところだけど、まあそれは置いといて。

作中では5つの「あり得たかもしれない未来」(ルート)が提示された。

ゲーム版では、プレイヤー達の「投票」によって、一番得票の多かったジャンヌ・ダルクオルタルートエリスルート)が選ばれ、"撮影"されたのだが、小説版では提示された5ルートの全てが一旦は"撮影"されたことになっている。


大まかなストーリー説明はこれくらいにして、俺の気に障った箇所についての説明をしていこう。

『鳴鳳荘』の冒頭には、ラストにも繋がる、とあるシーンがある。

おじさんが幼女大事な本を壊してしまい、図書館司書作中作の「映画」では脚本を務める)に修復を依頼する、そんなシーンだ。

ゲームではこのシーンは「映画」にうまく組み込まれるだけだったが(伏線回収は見事であった)、書籍版では、なんと、このシーンに対応するシーンがエピローグとなっている。

紆余曲折の末、壊してしまった「ペパーミントグリーン色の本」(ゲーム版の方で亡くなってしまったキャラのことを暗示してるらしいですね)を復元したおじさんが、幼女に本を返却する。

速読み始めた幼女は、ややあって、突然本を閉じてしまう。

「これはわたしの読んでいたご本とは違うような気がするわ。出てくる子たちや舞台は同じなのに、なんだか違う話を読んでいるよう……」

そう。

「不幸な事故」によりバラバラに壊れてしまった物語を、おじさんたちがなんとか修復し、意味の通じるようにページを繋ぎ合わせたが、もともとの物語とは全く違うものになってしまったのである

更に幼女は続ける。

「このままページを捲れば、本当の結末とは違うものが待っているんでしょう? それは……とても怖いわ」

これに対して、おじさんはこう答え、

「もし君にとって不本意な結末なら、忘れてしまえばいい。いや……」

「良かったところまで巻き戻して、そこから想像しなおせばいいんだよ」

最後に、こう読者に語りかけて、『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』という「物語」は幕を閉じる。

登場人物感情物語上のマクガフィンを受け)「何より結果をもって、その選択肯定しようなんて……おこがましいとは思わんかね?

ちなみにこのおじさん自身は、世界史実在した人物テーマにすることが多いFateには珍しく、創作バックボーンもつキャラクターである。余談ではあるが。


俺には、おじさんのこの言葉が、呪いしか受け取れなかった。

創作者の、「物語る者」の役目は、責務は、自分の頭の中にぼんやりとある、つかみ所のない"話の種"みたいなものを、しっかり捕まえ、「物語」という形にして消費者に届けることである

もちろん、その過程で、いくつもの"語られなかった"可能性は摘み取られる。

でも、そうして、物語というのは"物語"になるのである


あり得たかもしれない未来ひとつを捨て、もうひとつ未来を掴み取るための主人公決断

見えかけていた可能性のひとつを捨て、別の可能性を選び取るためのヒロイン葛藤


世界にとってか、主人公にとってか、主人公の愛する者にとってか、はたまた悪役にとってか。

誰にとってかは不定しろ、とにかく、より良い「結果」を目指す登場人物たちの苦悩、死闘葛藤、そして決断

それこそが「物語」の本質だろうと、俺は思う。


から――

よりにもよって、そんな一次創作登場人物達に、「良かったところまで巻き戻して、そこから想像しなおせばいい」だなんて言わせるなんて、許せない。


「『本当の結末』なんてない」と主張するのは、「全ての結末は等しく同じ価値がある」のと同じことで。

それは、「本当の結末」のルートに辿り着くために主人公たち登場人物が払った犠牲を、抱えた葛藤を、定めた決断を、無価値である貶めることにはならないだろうか。

物語る者は、物語を創り出すと同時に、物語中の人物の"感情"も創り出す。

全部が嘘でも、主人公が、ヒロインが、登場人物が抱えた"感情"だけは本物で、そんな"感情"に人は共感するから人類有史以来物語を求め続けてきた。

そう、俺は思っている。


この『鳴鳳荘』は、ひょっとすればそんな「登場人物感情」は交換可能であり、等しく価値がある(≒等しく無価値である)。そう主張していることになりはしないだろうか。

だとしたら、俺は、この作品のことを許せない。一生根に持ってやる。



翻って、二次創作をする人たち(同人誌漫画を書いたり、pixiv小説を書いたりする人を想定している)からすれば、この「呪い」は間違いなく「福音」であろう。

というか、彼らが日頃からやっていることだろう。

あり得たかもしれない未来、語られなかった可能性を追い求め、掬い取り、自分の力で結晶にする。

だって二次創作したこともあるからわかる。

「こうだったらいいな」「あれがああだったらどうなってたのかな」

"if"を追い求めるのは、ロマンがあるし、楽しい。それはわかる。


でも、その楽しさは、「原作絶対」という前提あってこそのものではなかったのか。

公式で語られたことは全て「正しい」。その前提の上で、ちょっとだけ世界を歪めてみて、結末がどう変わるのか。

それを楽しむための、ただの思考実験ではなかったのか。

"全ての結末は等しく同じ価値がある"だなんて、俺にはとても思えない。



現実的なことを言えば、Fateがもともとマルチエンディングな"ノベルゲーム"という媒体から派生したものであることと、俺が抱えているもやもやは繋がっているのだろう。

ゲームセーブロードシステムが使えるから何回だってやり直しができるし、消費者プレイヤーはいくつも用意された結末を全て体験することができる。

それは素敵な体験かもしれないが、ある種「逃げ」である、かもしれない。

「選ばなくても結末に辿り着ける」あるいは「複数選択から複数を選べる」ことなんて、人生ではあり得ないのだから

2019-04-28

アベンジャーズ END GAME は最高と最悪が同居してて辛い。

タイトルから察せる通り、以下はMCU作品群(特にエンドゲーム)の重大なネタバレを含むので、自己責任で読んでくれ。

まず始めに言っておくと、この記事通りすがり他人のクソデカ感情を吐き出すために書いたお気持ちブログであることを承知の上で読んでほしい。

暇でもなんでもいい、別に誰一人として読まれなくてもぜんぜん構わないけど、自分一人で抱えるには大きすぎる感情ジェットコースター体験した私が気持ちを整理するためのもので、読み終わった後に胸くそ悪くなったとか、そんなどうでも良いことで喚くなとかいう苦情は受け付けてない。

私が私のために書く私の気持ちを整理するお気持ちブログだ。ここまでで、なんだコイツと思ったヤツは悪いが帰ってほしい。












まず始めに言うと、このたび2019/04/26(日本公開)の「アベンジャーズ エンドゲーム」は最高の映画だった。

私は前作「インフィニティー・ウォー」を劇場で見てから「エンドゲーム」が公開されるこの日を、ずっと待ち遠しにしてきた。と同時に、死刑宣告を言い渡される日だと思ってきた。

そこについての詳しい話しは後ほどとして、弊推しキャプテン・アメリカだ。ここからは8割かれの話しになるので、それを念頭に置いて読んでほしい。


上映が始まり、私はすぐにこう思った。

最高だ。

キャプテン・アメリカカットはかなり多い方だと言って良いし、何よりその美しい顔面が際立つシーンが多くて終始動悸が止まらなかった。

登場初っぱなの髭を剃り終わったシーンなんかは大変興奮した。鏡越しに送られる目線にゾクゾクした。青い瞳が堪らなく美しかった。

過去に跳んだ先で、「アメリカの尻」と揶揄され腰からヒップラインがドアップになって私が失神しそうになったり、宿敵のフリをするために「Heil HYDRA」と言って見せたり(!)、タイミング悪く過去自分VS.現在自分の凄まじい戦闘を繰り広げたり。

最終決戦なんかムジョルニアを使って(持てたの!知ってた!!でも公式でやると思ってなかった!!)、盾とのコラボ技を披露して無双するシーンなんかもあって、私は終始死にそうだった。



公式で見られないだろうから二次創作に期待していたアレやソレがすべて公式で起こった。

何を言っているかからないだろうが私にも未だによくわからない。公式が最大手だった。

上映中、頭に過ぎるのは命日の二文字だけで、あまり怒濤の展開に呆然スクリーンを見守るしかなかった。

こんなにも美しくもたくましい推しの姿をこんな大画面で見てしまって良いんだろうか。私は明日死ぬんじゃないだろうか。

決戦が終わったとき、私は本当にそう思ってたし、うぉーがしびってあれこれの解消し切れてない部分も、これなら許せそうだと思った。

まりにも美しい終わりに涙すら出そうになった。













そう思ったこの瞬間の私をぶん殴ってやりたい。











私の地獄は、このおおよそ2時間半が終わり、あとはちょっとしたエピローグと、長い長いエンドロールだけだろうというタイミングで始まった。


彼は“キャプテン・アメリカ”の仕事として最後の後始末を受け持った。それはインフィニティー・ストーン過去へ戻す仕事だ。

なるほど、それは重要だな。

このときまだ、呑気にも私はそう思っていた。今すぐそこで見るのを辞めろ。


バナー博士が「五秒経ったら彼を時空から連れ戻す」と言った。

しかし、装置作動させても彼は戻ってこない。訝しんで、彼を見つけて。

彼は年老いて戻ってきていた。近くのベンチに座って。だから帰還に気付かなかった。

「もう自分人生を歩んでも良いんじゃないかと思った」彼がそういった。



目の前が真っ暗になった。




自分人生を歩むこと自体が悪いことではない。それは私が何処かで迎える彼のハッピーエンドだと思っていたから。

しかし、そうじゃない。そうじゃないんだ。

自分人生を歩む”と言っていいのは、戻ってきて、この先の未来を生きての話しではないのか?


なんで?

どうして?


まりの動揺に震えが止まらない。


彼が過去をやり直して戻ったと言うことは、“キャプテン・アメリカ”として行った任務を、石を返した時点で完遂したと自己判断放棄して、過去改竄して戻ってきたということだ。

MCUが何処までマルチバース採用していて、タイムトラベルによる世界分岐パラレルワールドを取り扱っているのかはわからない。

あの正規世界線の歴史が変わったわけではないのかも知れない。

それでも、だ。


吐き気すらも覚えた。

散々、タイムトラベル過去を変えるコトは禁忌であるという下地を本作で作った上での、コレ。


キャプテン・アメリカというキャラクター馬鹿にされているのかと思った。

頑固で考え方が古いかも知れないが、高潔なる精神の持ち主ではなかったのか。

自分幸せになるために歴史を書き換えるような、そんな軽率人間であったのか?


彼の信念は何処に行ってしまったんだろう? 呆然としてしまった。


私の知識はまだまだ浅い方だ。アメコミという沼はあまりに深すぎて年浅い私にはまだまだ知らないことの方が多いだろう。

それでも、複数媒体から感じ取った「キャプテン・アメリカ」の信念と、今回の彼の行動はあまりにかけ離れていたと思う。


彼は、犠牲を尊んで、彼らのためにも前を向いて歩くタイプ人間ではなかったのか?


キャラクター根本が死んだと思った。

今までのMCUでの彼の扱いは、キャラ解釈の違いで殺されるかと思ったシーンが幾度もあった。(それもすべてエンドゲーム監督作品だ)

それもコレも今日で終わりだと思った。そのはずだった。「シビル・ウォー」からずっと抱えてきたモヤモヤ解放されると思っていた。

まさか最後最後で私が彼を好きになった信念そのものをたたき折られるとは思ってなかった。



この事実認識した途端に、私は堪らなくトニー・スタークに嫉妬した。

怒りを感じたと言っても良い。但しこちらは、制作陣に対して、だが。



かにトニーの最後は、ハッピーエンドではなかったかもしれない。

それでも、彼は誰にも害のない形で己の幸せ享受した上で、自己の“ヒーローである信念”を貫き通して死んだのだ。

誰にも疑いようのない唯一無二の英雄となったのだ。




それに比べて、彼は、スティーブは?

制作陣の都合で言いように改変を繰り返されて、彼のズタズタになった信念を、きっとこの最後で修復してくれるんだと思った。

そうじゃなかった。作品を丸く収めるために良いように使われただけだった。何一つ変わらないどころか、より最悪の形で悪化した。

彼だけではない、ソーだって、前三作で作られてきた彼をすべて壊して何事もなかったように進んだ。

スティーブよりは違和感は少なかったかも知れないが、何故このタイミングで、と言う気持ちが拭えなかった。


ツイッターでは英雄一般人となって自己幸せを歩んだ作品だとか、脱マッチョイズムだとか言われてたけど。


からなんだ?


それって既存キャラクターの基盤をぶち壊しにしてまで展開してイイモノなのか? しなければいけないものなのか?

仮にやるとしてもこの集大成とも言える全員揃う映画でやるべきコトではないんじゃないだろうか。

今までの下地嘲笑っているようなものじゃないか

本当に、今も怒りで視界が赤くなる。



この映画は巨大なトニー・スターク賛美のための墓場となったのだ。


彼だけが己の正義を貫き通した。そして死んだ。

トニー・スタークを恨むモノは誰もいない。

これほどまでにキャラクター理解され、制作陣に愛されていた。

本当に本当に妬みで爆発しそうなほどだった。







それなのにトニー派の連中はスティーブを薄情者だといって責める。

スティーブの劇中での言動推しの私でもフォロー仕切れないところがある(だからといって全面的にトニーを擁護も全く出来ないが)。

からそれ自体は、特に訂正しようとか思わない。どんな思惑に巻き込まれて信念がたたき折られたとしても、それは“現実”(そと)のはなしであって、“MCU世界”(なか)には関係ないはなしだから

それはまるっと彼の罪なのだ

それでも。









心底羨ましいよ。

脳の神経がすり切れそうなほど羨ましい。






推しは美しいまま死んで、尚且つ責める相手がいるんだから


苛々モヤモヤしても作中に怒りをぶつけられる相手いるから。

自分の中でもさぞ納得がしやすかっただろう。


なんで、彼ら彼女らはこんなにも恵まれていて、私はこんなにも苦しんでいるんだろう。


私は作中に責めることの出来る人間などいない。あえて言うならキャプテン・アメリカ本人だが、自分推しを悪意的に見るほど苦痛ことなどない。

悪人悪人である所以を好きになったというなら、また話しは違うだろうが、生憎私が好きになったのはヒーローの彼なのだ

多少の欠点の他に、悪意的に捉えられるところなど、少ないはずなんだ、本来なら。

彼はヒーローだった、はずなのだ。はずなのに。








ヒーローとは、なんなのだろう。


「エンドゲーム」を見てから、一晩経った今でもずっと脳内をこの言葉が占めている。

私に過去に戻る力があるなら今からでも「ウィンター・ソルジャー」の撮影まで戻ってあの監督を始末してしまいたい。

いっそのことBIG3全員殺してほしかった。





彼の、キャプテン・アメリカのこのエンディングは、「エンドゲーム」で一区切り(実際は次作スパイダーマン区切りだが)着くMCUという作品群を丸く収め、また次のフェーズ4に繋げるためには必要で、全体的に見れば“正解”であり、納得のいくモノだったのかも知れない。他人様の感想を読んでいて、そういう気持ちに全く為らないという訳ではない。

でも、理解が出来たからといって、納得が出来るからといって、許容できる訳ではないのだ。


だって彼は、すべての人を置き去りにして、己の幸せに走ったあの男は、もはやヒーローではないのだから

それは、私の好きになった彼ではないのだ。

信念を貫くことを辞めた人間は、大体にしてこう言われる。

「昔とは別人だ」

MCU世界では彼にそうなる資格があると思っている人間が多かった。だからこそ中の世界では受け入れられたんだろうが、確かに人は変わってしまっているのだ。

別人なのだ







私はそれが受け入れられない。


ヒーローを辞めた彼には、もうムジョルニアを持つ資格はないだろう。

からこその二代目、なのかもしれないが。











今一度言うが、私の推しキャプテン・アメリカだ。

そもそもMARVEL作品を見始めた切っ掛けとして、彼の単独シリーズ第一作「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト アベンジャー」を見て、彼に一目惚れたからだ。

そんな私の推しの彼を演じるクリスエバンスは「エンドゲーム」を最後MCUから卒業すると宣言していた。冒頭でこの日が死刑宣告の日だと言ったのは、そういう理由だ。

もう二度と推しを見ることは出来ないのだから、私は死ぬんだと思っていた。

だけど、違った。死んだのは私ではなかった。



死んだのはキャプテン・アメリカの信念だ。

巨大なトニー・スタークの墓場の奥深く下に虐げられ、無残にもうち捨てられた彼の正義が崩れ去った日となってしまったのだ。



キャプテン・アメリカの信念はすでに散々あのクソ監督兄弟に改変されまくって、ボロボロで、もう雀の涙ほどだったけど。

それでもわたしはかれらしいさいごをのぞんでいた。




一生消えないだろう傷を負った。

それなのに周りには「エンドゲーム」を賞賛する声しか聞こえてこない。

世間が信念を捨てた彼を受け入れてしまたことが苦しい。

私にとっては、それこそが何よりの“彼が死んだ証明”だった。













私の推しの新作がもう来ることはない。

この先、カメオで出演するとしても、マルチバースの信念の折れてない彼でもない限りはそれは彼ではない。

この記事投稿することによって私はキャプテン・アメリカの、スティーブ・ロジャースの死した信念への手向けとする。


二代目には彼の崇高な精神が受け継がれ、折れることのないように祈るばかりである

2019-04-09

anond:20190408230305

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思います

けもフレ2における、人間動物迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります

リョコウバトとトキ比較ですが、けもフレ1のトキ場合絶滅危惧動物であること、人間によって傷つけられたことに関する言及はないわけです。一方、リョコウバトの場合絶滅を暗示する演出がいくつもあり、先のフウチョウの問いかけもあったわけです。

イルカアシカについてですが、ネットを眺めた体感では、そこまで気にされてないように思うので、これが気になるのは俺自身問題であって、そこまで気にしなくても良いかもしれません。

ただし、フウチョウの問いかけにある通り、全体的に人間動物関係性の負の面に掘り下げるならば、イルカアシカも一緒に掘り下げたほうが脚本の完成度が上がるでしょう。

イエイヌについては、あれは監督交代のいざこざ抜きでも、居心地悪いかと。

詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。

マーベルやDC映画場合叫び声でパワーアップはしないわけですが、強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫がありますフレンズセルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。

まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

まず私の立場は「多分、脚本の穴だろうが、寓話世界観と取れないこともない」というものです。ラストバトル前の葛藤(フウチョウ)と、ラストバトル勝利ギミックビースト)という重要な部分の両方が、ファンタジーな流れで解決されるので、その印象が非常に強いんですよ。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

点が三つあると人の顔に見える、と言う話がありますが、人間は、基本的意味のないところにも意味を捜す生き物です。現実には意味のないことは幾らでもあるのですが、作劇でそういう部分を作ると、視聴者は無理矢理意味を見いだそうとし、結果、制作者にとって不本意な受け取り方をされることがある。それを避けるためには、意味・印象が散漫なシーンを作らないことです。

結局、セルリアン型フレンズにあまり意味がなく、戦闘も盛り上がっていないのが、あら探しされやすい大きな原因だと思いますフレンズ型になった意味もさほどなく、あまり怖い印象もなく、なんとなく倒されていくという(このへんは脚本だけでなくアクションシーンの問題でもあります)。

けもフレ1の集合シーンは、ここからフレンズが、それぞれの個性を生かした連係攻撃を開始するわけです。例えば、それを踏まえて、セルリアンが巧みな連携を仕掛けてきて、「これまでのセルリアンと違う! なんて強いんだ!」とすれば、そこには一つ意味が生まれます

そういった点をクリアしても、ケチつけられる可能性は否定しません。結局、最終話評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。

「優しい世界」に込める意味は、人それぞれで、深く考えてない人も多いでしょう。なので、最大公約数を取れば、まさしく「感じが良くて人気だった」くらいの意味になると思います批評として使うなら、定義必要になるでしょう。

私自身が「優しい世界」という言葉を使ったのは、「素直なキャラ面白いドラマを作ること」くらいの意味です。

けもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。

スギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。ギスギスを狙ったのなら、作品の出来とは別にマーケティングミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。

逆に言うと、ここまでギスギスな作品だと受け取られる、とは制作側は思ってなかったんでしょうね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。

そこはおっしゃるとおりですね。書いたことに矛盾があったので書き直します。

まず、1話からのヒキである、キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。

キュルルが「おうち」を捜す動機として、フウチョウに対して、「そこには、僕にとって大事な、なんかすごく大切なものがあった……気がする……」と言ってるんですよね。この「大事な大切なもの」が不明なまま、おうちより仲間と言われても、とってつけた感が出ます

それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので

何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーンが見当たりませんでした。教えていただけると幸いです。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。

思いつきプロットですので、詳細まで詰めてないのはご容赦ください。作劇において、尺やバランス問題は常につきまとうので、やりたいことの優先順位を決めて整理すれば良いかと。

優先すべきものイエイヌとキュルルの関係なら、他のキャラの出番を減らして調整しますよね。逆にカラカルとキュルルが仲直りして関係性を深めるほうがメインなら、プロットが重くなりやすイエイヌでなくて、別の困ったフレンズにしたほうが、すっきりするかもしれません。

キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

通常、主人公とは「こいつがどうなるか見届けたい」と視聴者に思わせて、物語ドライブする存在です。そのためには視聴者を引きつける魅力が必要になります。魅力がないと、作品を見続けるモチベーションが湧かない=つまらないとなるわけです。魅力としては「いいやつ」から「かっこいい悪」「人間欠点があるが、どこか憎めないボンクラ」まで様々です。

さてキュルルは、別に「かっこいい悪」や「憎めないボンクラキャラではなく、概ね、フレンズを助ける心優しいキャラとして描かれてたわけで、それをこういう下げ方したら、キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります。さすがに制作者が意図してそういう風には描かないと思います

キュルルが落っこちた回でニコ動アンケートちょっと上がったのは知ってますが、主人公がそこまで嫌われてる時点で、作品としては末期症状でしょう。

しろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。

長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

この解釈は私が気づかなかったもので、なるほど、と、思いました。

ただ、「スケッチブック最後のページの行方」がメインだったとすると、エピローグ的な部分で登場しても、もうその時点では、セルリアンは倒され、キュルルのおうち探しも終わっており、ドラマとして盛り上がらないかと。

イエイヌの「おうちへおかえり」と、キュルルの「おかえり」を重ねて、メインテーマに結末をつけたいのであれば、もうちょっとそこに重点を置いた作劇にしないと視聴者に伝わらないと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。

作品の出来、不出来は、究極的には個人の好みになります。その上で、「多くの人が好む/嫌う最大公約数」というものもあります。それをまとめたのが、エンタメセオリーと呼ばれるものです。

けもフレ2の一般的評価が低い論拠として、そうしたセオリーを守れてないから、という点を指摘しているわけです。

もちろん、セオリーをぶっちぎって、面白い作品はあります。私から見る範囲で、けもフレ2に、セオリー無視したが故に面白くなってる点は見当たりませんでした。ただこれは私の意見なので、「そうではない。ここが面白い」という意見は拝聴します。

2019-01-12

Fate/GrandOrder「神秘の国のONILAND~鬼の王とカムイ黄金~」の何がクソだったか

もう終わってから3か月も経つというのに、FGOの昨年の10月イベントである神秘の国のoniland ~鬼の王とカムイ黄金~」を許せない。

オニランドは、エリザベートバートリを侮辱した最低のシナリオだ。

出来ることなら、あれに関わったスタッフ全員をグーでぶん殴りたいほどである

3か月たって冷静になった今、あの「神秘の国のoniland ~鬼の王とカムイ黄金~」というシナリオのどこがひどかったか、冷静に書き連ねてみたいと思う。

ハロウィンである必要も、エリザベートが出てくる必要もなかった。

オニランド舞台日本北海道である

舞台の内容自体遊園地であり、鬼がメインのテーマパークであり、ハロウィンである必要性が皆無である

また、ハロウィンであったとしても、もともとエリザベートハロウィンと何の関係もないサーヴァント

FGO勝手ハロウィンエリザベート担当と決めつけた結果、ハロウィン=エリザベートという図式が出来上がってしまっただけなのである

また、エリザベート日本とも鬼とも全く無関係人物

しろ永遠の美を求めて殺人鬼となった結果、反英霊となった彼女は、永遠を求めず、老い朽ちていくものを良しとする日本文化とはすこぶる相性が悪い。

オニランドエリザベートを出す必要がないどころか、エリザベートを登場させてはいけないイベントだったのである

エリザベート信条シナリオライターの都合で捻じ曲げた。

エリザベートは元々、下の画像のように美しい少女キャラクターだ。

https://dotup.org/uploda/dotup.org1744644.jpg

生前、美しさ、若さを保つために数百の少女殺害し血を啜った彼女は反英霊として歴史に名を残し、FGO召喚システムによって召喚されることとなる。

エリザベートにとっては、美しくあることが最大の優先事項である

自分生前、奪った数多の命に報いるためにもエリザはその在り方を曲げない。

ジル元帥カール大帝洗脳されかかったときにも、決してエリザは屈しなかった。

それがオニランドでは、アインベルン黄金というたか無機物に誘惑されて、自ら下の画像のような醜い姿になるのである

https://dotup.org/uploda/dotup.org1744643.jpg

これはシナリオライターの実力不足だ。

オニランドシナリオライターが、キャラクターの生きざまをまともに把握できないほど馬鹿から、このようなシナリオの都合でエリザキャラクターが捻じ曲げられたのである

シナリオライターが茨木童子を贔屓したくて、エリザ踏み台したことが見え見え。

これはオニランドプレイした人なら、ほとんどが感じてるであろう。

シナリオライターが茨木童子を気に入っていて、茨木の見せ場を作るためだけにシナリオを考えた。

エリザ踏み台にした。

シナリオライターの表現力がゴミすぎて、その贔屓を隠せていないのである

あのとってつけたようなエピローグも、エリザフォローは全くなく、ぼっちエリザについていてあげる茨木優しいね!したいだけのシナリオライターのエゴが丸見えだ。

以上の理由で「神秘の国のONILAND~鬼の王とカムイ黄金~」は下痢のようなクソシナリオだ。

FGO公式は、このようなイベントを生み出したこと反省するべきだと切実に思う。

2019-01-03

anond:20190103104753

これではドラマになっていない。なぜなら、一番ドラマチックな父と娘の相互理解クライマックスであるべきなのに、その場面が第三者の投入で安易に済まされているからだ。

この題材なら、父親にとっての射精とは、客にとっての射精とは、娘にとっての射精とは何かを掘り下げた上で、それが互いを理解する糸口にならないといけない。

それらを省いて安易な手を使うなら、復讐パターン

仕事内容を知って傷ついた娘と父親は絶縁状態になってしまうが、大学生になった娘はある日、父親殺人罪で捕まったことを知る。実は、亡き母親レイプ事件被害者で、犯人は特徴的な性器を持っているという手がかりがあった。それを探るために父親あん仕事をしていたのだ(人探しをしているらしいことは6話辺りから徐々に匂わせる)。復讐を果たした父親警察に見つからないように、自身撮影した犯人殺害時のVR映像を娘に残していた。父親の思いを知った娘は、涙を溢れさせながらVRゴーグルを装着する、というところでエンディングエピローグで、十数年後に出所した父親を娘が出迎え、VR映像を見せる。進歩した未来技術で、幸せだったころの家族三人の映像再現されているのだった・・・

という感じで、より強い要素をぶつけないとこの題材の違和感には拮抗できない。

または射精時に発生する磁場を使ってワームホールを作る研究が裏にあった、くらいのインパクト必要だと思う。

2018-12-25

anond:20181225063038

宮崎あおい主演で3億円事件を扱ったテーマ「初恋」って奴が無駄に鬱っぽいぞ。

いや別に自体ちょっと暗いぐらいでgdgdのうちに終わるんだけど、エピローグで出てくる人遺さず…しちゃっててな。(ネタバレではある)

2018-10-18

彼女ゾンビ化したので殺して別れる映画

「死んだ彼女ゾンビ化して戻ってくるんだけど

 段々異常行動起こしたり臭くなったりして

 別れようとすると怒るから別れられなくて

 そのうちに彼女が人を襲って犠牲者が出て

 最後彼女をぶっ殺して墓に送り返して

 新しい女と仲よくなる」



全く同じ筋書きの映画複数あるんだけどなんだこれ?

話の筋やたどるポイントがあまりにも同じ

また、ゾンビ彼女を始末することはしかたがないとしても

その過程で(別れる前に)新しい女と仲よくなってて

ゾンカノを始末したエピローグで新カノと楽しそうにいちゃついてハッピーエンドという

なんか引っ掛かる終わり方なのも全く一緒



これはミソジニーなの?

イザナミイザナギ集合的無意識なの?

ちなみに全部評価ボロクソのクソ映画

2018-10-17

[]俺達の世界わ終っている。トゥルーエンド個別ルート

ノーマルEDだけだと★2くらいだったけど、オールクリアで★3.5くらいまで上がった

このご時世に完全新作ADVを出してくれただけでもありがたいってのはまずある

2chを見ると発売日がオカルティック・ナインかぶってたらしい

あっちはプロモーションに金かけまくってるからなあ・・・

テーマも似てるとくりゃこっちが売れる要素がない

まあオカルティック・ナイン地雷とわかってこっちに流れた人もいたみたいだけど

閑話休題

トゥルーエンド個別ルートは、実はノーマルEDは終わってなかったってところから始まる

んでエンディングまでは一本道

エピローグが各キャラごとに異なる

個別ルートは二人いる男にも用意されてる

中二病黒髪ロングメガネキャラ優遇されすぎてた

共通ルート中でも優遇されてんなとは思ったけど

からさまにひいきされててうーんとなった

チレイってキャラ絶妙に下手だなと思ったけどユーフォ主人公の声やってるくろかわともよ?だった

ダウナー系っぽい声がヤンデレには合ってたが

トータルで見るとそこそこのゲームだった

やって損はしないけど無理してやるほど面白くもないって感じ

個人的に駄目だったポイントシステム、一部の立ち絵、しつこい貧乳ネタだった

シモネタはいいとして、貧乳いじりがしつこすぎてほんと読んでてイライラする

時代的ないじりでもはや今ではセクハラを余裕でこえてる

たまーにあるくらいならまだいいけど、かなり頻繁にあるからほんと勘弁

しかゲーム会社っていう一応大学生~成人してるコミュニティから、なおさら

ラノベとかアニメみたいな高校生程度くらいのコミュニティならまだいいけど、いい大人がそれかよと思ってゲンナリする

システムサクラ大戦スタッフが作っただけあって制限時間つきの選択肢とかあるけど、ほとんど意味ない

動画サイトコメント風にしてる意味もないし

立ち絵クオリティの差があってひどい

前もかいたけど、杉田役のキャラの裸立ち絵がほんと気持ち悪い

あとテキスト地の文が多すぎてくどい

こういうアドベンチャーゲームなら背景と立ち絵立ち絵の動きだけで表現できるところをわざわざテキストで読ませるからすごい描写がかったるい

そこまで書くなら小説しろよという感じ

あとオマケで総集編という名の公式MADが見れるけど、それも寒すぎてつまら

2018-10-10

[]志村貴子放浪息子

最終巻のたかつきくんが泣いてるところ(女の子おとこのこになるのをやめましたみたいなモノローグあるところ)でちょっとうるっとき

最初ラストまで読んだときはすげーふわっと終わって消化不良だと思ったけど、

再読するとそれなりにエピローグ回収してんだなと思った

あんなちゃんのかわいさが有頂天でとどまるところをしらない

まじラスト周辺でかわいいシーン増えすぎだろ

兼田センセが敷居の住人キャラらしいんで読んでみるかな

もっと続き読みたかったけど仮にやるとしたらどんな展開になったんだろうな・・

あんなちゃん恋人ばれみたいな感じでアイズみたいになったかなあ

あーあとあとがきまんがでイシデ電志村貴子のこと書いてた4コマ面白かった

途中から4コマじゃないどころか志村貴子じゃなくて猫主体トンデモマンガになってめっちゃつまんなくて読まなくなってすごく残念だった

2018-08-20

かいけつゾロリストーリー作り

SWITCHたまたま見ていたら、原ゆたか x 百田夏菜子 をやっていました。

その中で原ゆたかさんが、「かいけつゾロリシリーズハリウッド映画脚本作りの方法

ストーリーを作っているとして、そのチャートを映していた。

No-
0 状況説明
No
1 平凡な日常
2 旅立ちのきっか事件行動/テーマ
3 拒絶行けない理由/リスク
4 決心背中押す人/事
No
5 試練危険/問題
6 収集(助け)仲間/物/情報サブプロット
7 成長成果/力/変化サブプロット
8 準備成長結果サブプロット
No
9 危機試練問題悪化
10絶望問題悪化
11希望の光きっか
No
12最終対決どんでん
13事件解決どんでん
14エピローグ
No-
15 おまけ

別のを見つけた。

かいけつゾロリ」30年 人気の秘密は?!

https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2017/05/0506.html

No一膜対立
0背景
1日常
2事件
3決意 
No二膜葛藤
4苦境
5助け
6成長
工夫
7転換-
8試練
9破滅
10契機破滅
No三膜変化
11対決
12排除
13満足

2018-07-07

anond:20180707163418

元増田じゃないが、信者の俺が未プレイの友人を入信させるために勧める場合を想定して、妥当攻略順だと思う。

みさき……シナリオにひねくれたところが無くて万人が普通に感動できるよくできたシナリオ

このゲームを全ルートプレイする気になってもらうための導入として良さそう。

澪……1番目のみさき先輩もサブキャラ的に出てくるし、友人が特にロリきじゃない場合ロリ攻略対象ってことで慣れてもらう。

シナリオの下準備。ロリ要素を抜けば普通に泣けるシナリオ

七瀬……麻枝シナリオ3本の中で一番普通に楽しめる。

笑えて泣けて、エピローグまでに漢乙を大好きになってくれるはず。

繭……合わない人にはとことん合わないだろうから最初の方にもラストにも持ってこれないから、この位置で。

若書きって感じだし、18禁要素がとにかく浮いている。後にこのチームが全年齢の世界に行ったのは当然かな。

茜……麻枝信者の俺でもONEは久弥シナリオ圧勝異論無し。

その中でも一番のこれは本来ならラストプレイして最高の読後感を味わってもらうべきなんだろうけど、まだ長森がいるのでここに。

麻枝とどれぐらい連携してたか知らないけど他のシナリオに比べて世界設定に踏み込んでるから、その点でも長森シナリオの前が適切かなと。

ここまで来ると終盤のワンパターンは読めるんだけど、それでも泣かせてくるのだからすごい。

長森……で、長森。

意地悪というかプレイヤーにストレスためさせようとしているとしか思えない選択肢

最も世界真実(そんな物が制作者の頭の中に本当にあったのだとしたら)に迫るんだけど、結局よくわからないオチ

欠点だらけなんだけど、むしろ、そういうモヤモヤを残したまま全ての物語が終わり、語りたい欲求が抑えられなくなった友人と夜通し議論したい。

いや、そうじゃない。長森を好きになってもらいたいんだ。ONEの最萌は長森だって理解して欲しい。そのために最後に持ってきたんだな。俺は。

2018-05-30

anond:20180530180704

レコと再会して各人物エピローグやって終わりじゃないか

雰囲気良かったけどなんか今ひとつ足りないマンガだったな

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