「エピローグ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: エピローグとは

2019-05-24

『鳴鳳荘殺人事件』が許せない話。

やあやあどうもお前らこんばんは。

FGO最近全然やってないけどTLに冬木クリア条件のイベントがあるって流れてきたかシナリオ読んで来てその勢いで書籍版も買ってきたマンだよ。

*この先、FGOイベント及び書籍『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』のネタバレ満載ですご注意ください。



さて。

俺はこの『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』という小説が許せない。

ゲームシナリオの方はどうでもいい……って言ったら失礼か。とにかく。小説独自要素?小説の落とし?が許せん。


この小説は。消費者にとって、そして二次創作者にとっては福音かもしれないけど、一次創作者にとっては、間違いなく、呪いだ。

タチの悪い呪いだ。

物語る者の矜持を打ち砕いて、迷わせてしまうような、そんな呪いが込められている本だ。


どういうことだとお思いの方も多いだろうから説明をする。

この『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』は、「脚本家が倒れたミステリ映画の続きを登場人物達が考える」という、メタミステリものだ。

個人的には『愚者のエンドロール』あたりを連想するところだけど、まあそれは置いといて。

作中では5つの「あり得たかもしれない未来」(ルート)が提示された。

ゲーム版では、プレイヤー達の「投票」によって、一番得票の多かったジャンヌ・ダルクオルタルートエリスルート)が選ばれ、"撮影"されたのだが、小説版では提示された5ルートの全てが一旦は"撮影"されたことになっている。


大まかなストーリー説明はこれくらいにして、俺の気に障った箇所についての説明をしていこう。

『鳴鳳荘』の冒頭には、ラストにも繋がる、とあるシーンがある。

おじさんが幼女大事な本を壊してしまい、図書館司書作中作の「映画」では脚本を務める)に修復を依頼する、そんなシーンだ。

ゲームではこのシーンは「映画」にうまく組み込まれるだけだったが(伏線回収は見事であった)、書籍版では、なんと、このシーンに対応するシーンがエピローグとなっている。

紆余曲折の末、壊してしまった「ペパーミントグリーン色の本」(ゲーム版の方で亡くなってしまったキャラのことを暗示してるらしいですね)を復元したおじさんが、幼女に本を返却する。

速読み始めた幼女は、ややあって、突然本を閉じてしまう。

「これはわたしの読んでいたご本とは違うような気がするわ。出てくる子たちや舞台は同じなのに、なんだか違う話を読んでいるよう……」

そう。

「不幸な事故」によりバラバラに壊れてしまった物語を、おじさんたちがなんとか修復し、意味の通じるようにページを繋ぎ合わせたが、もともとの物語とは全く違うものになってしまったのである

更に幼女は続ける。

「このままページを捲れば、本当の結末とは違うものが待っているんでしょう? それは……とても怖いわ」

これに対して、おじさんはこう答え、

「もし君にとって不本意な結末なら、忘れてしまえばいい。いや……」

「良かったところまで巻き戻して、そこから想像しなおせばいいんだよ」

最後に、こう読者に語りかけて、『惑う鳴鳳荘の考察 鳴鳳荘殺人事件』という「物語」は幕を閉じる。

登場人物感情物語上のマクガフィンを受け)「何より結果をもって、その選択肯定しようなんて……おこがましいとは思わんかね?

ちなみにこのおじさん自身は、世界史実在した人物テーマにすることが多いFateには珍しく、創作バックボーンもつキャラクターである。余談ではあるが。


俺には、おじさんのこの言葉が、呪いしか受け取れなかった。

創作者の、「物語る者」の役目は、責務は、自分の頭の中にぼんやりとある、つかみ所のない"話の種"みたいなものを、しっかり捕まえ、「物語」という形にして消費者に届けることである

もちろん、その過程で、いくつもの"語られなかった"可能性は摘み取られる。

でも、そうして、物語というのは"物語"になるのである


あり得たかもしれない未来ひとつを捨て、もうひとつ未来を掴み取るための主人公決断

見えかけていた可能性のひとつを捨て、別の可能性を選び取るためのヒロイン葛藤


世界にとってか、主人公にとってか、主人公の愛する者にとってか、はたまた悪役にとってか。

誰にとってかは不定しろ、とにかく、より良い「結果」を目指す登場人物たちの苦悩、死闘葛藤、そして決断

それこそが「物語」の本質だろうと、俺は思う。


から――

よりにもよって、そんな一次創作登場人物達に、「良かったところまで巻き戻して、そこから想像しなおせばいい」だなんて言わせるなんて、許せない。


「『本当の結末』なんてない」と主張するのは、「全ての結末は等しく同じ価値がある」のと同じことで。

それは、「本当の結末」のルートに辿り着くために主人公たち登場人物が払った犠牲を、抱えた葛藤を、定めた決断を、無価値である貶めることにはならないだろうか。

物語る者は、物語を創り出すと同時に、物語中の人物の"感情"も創り出す。

全部が嘘でも、主人公が、ヒロインが、登場人物が抱えた"感情"だけは本物で、そんな"感情"に人は共感するから人類有史以来物語を求め続けてきた。

そう、俺は思っている。


この『鳴鳳荘』は、ひょっとすればそんな「登場人物感情」は交換可能であり、等しく価値がある(≒等しく無価値である)。そう主張していることになりはしないだろうか。

だとしたら、俺は、この作品のことを許せない。一生根に持ってやる。



翻って、二次創作をする人たち(同人誌漫画を書いたり、pixiv小説を書いたりする人を想定している)からすれば、この「呪い」は間違いなく「福音」であろう。

というか、彼らが日頃からやっていることだろう。

あり得たかもしれない未来、語られなかった可能性を追い求め、掬い取り、自分の力で結晶にする。

だって二次創作したこともあるからわかる。

「こうだったらいいな」「あれがああだったらどうなってたのかな」

"if"を追い求めるのは、ロマンがあるし、楽しい。それはわかる。


でも、その楽しさは、「原作絶対」という前提あってこそのものではなかったのか。

公式で語られたことは全て「正しい」。その前提の上で、ちょっとだけ世界を歪めてみて、結末がどう変わるのか。

それを楽しむための、ただの思考実験ではなかったのか。

"全ての結末は等しく同じ価値がある"だなんて、俺にはとても思えない。



現実的なことを言えば、Fateがもともとマルチエンディングな"ノベルゲーム"という媒体から派生したものであることと、俺が抱えているもやもやは繋がっているのだろう。

ゲームセーブロードシステムが使えるから何回だってやり直しができるし、消費者プレイヤーはいくつも用意された結末を全て体験することができる。

それは素敵な体験かもしれないが、ある種「逃げ」である、かもしれない。

「選ばなくても結末に辿り着ける」あるいは「複数選択から複数を選べる」ことなんて、人生ではあり得ないのだから

2019-04-28

アベンジャーズ END GAME は最高と最悪が同居してて辛い。

タイトルから察せる通り、以下はMCU作品群(特にエンドゲーム)の重大なネタバレを含むので、自己責任で読んでくれ。

まず始めに言っておくと、この記事通りすがり他人のクソデカ感情を吐き出すために書いたお気持ちブログであることを承知の上で読んでほしい。

暇でもなんでもいい、別に誰一人として読まれなくてもぜんぜん構わないけど、自分一人で抱えるには大きすぎる感情ジェットコースター体験した私が気持ちを整理するためのもので、読み終わった後に胸くそ悪くなったとか、そんなどうでも良いことで喚くなとかいう苦情は受け付けてない。

私が私のために書く私の気持ちを整理するお気持ちブログだ。ここまでで、なんだコイツと思ったヤツは悪いが帰ってほしい。












まず始めに言うと、このたび2019/04/26(日本公開)の「アベンジャーズ エンドゲーム」は最高の映画だった。

私は前作「インフィニティー・ウォー」を劇場で見てから「エンドゲーム」が公開されるこの日を、ずっと待ち遠しにしてきた。と同時に、死刑宣告を言い渡される日だと思ってきた。

そこについての詳しい話しは後ほどとして、弊推しキャプテン・アメリカだ。ここからは8割かれの話しになるので、それを念頭に置いて読んでほしい。


上映が始まり、私はすぐにこう思った。

最高だ。

キャプテン・アメリカカットはかなり多い方だと言って良いし、何よりその美しい顔面が際立つシーンが多くて終始動悸が止まらなかった。

登場初っぱなの髭を剃り終わったシーンなんかは大変興奮した。鏡越しに送られる目線にゾクゾクした。青い瞳が堪らなく美しかった。

過去に跳んだ先で、「アメリカの尻」と揶揄され腰からヒップラインがドアップになって私が失神しそうになったり、宿敵のフリをするために「Heil HYDRA」と言って見せたり(!)、タイミング悪く過去自分VS.現在自分の凄まじい戦闘を繰り広げたり。

最終決戦なんかムジョルニアを使って(持てたの!知ってた!!でも公式でやると思ってなかった!!)、盾とのコラボ技を披露して無双するシーンなんかもあって、私は終始死にそうだった。



公式で見られないだろうから二次創作に期待していたアレやソレがすべて公式で起こった。

何を言っているかからないだろうが私にも未だによくわからない。公式が最大手だった。

上映中、頭に過ぎるのは命日の二文字だけで、あまり怒濤の展開に呆然スクリーンを見守るしかなかった。

こんなにも美しくもたくましい推しの姿をこんな大画面で見てしまって良いんだろうか。私は明日死ぬんじゃないだろうか。

決戦が終わったとき、私は本当にそう思ってたし、うぉーがしびってあれこれの解消し切れてない部分も、これなら許せそうだと思った。

まりにも美しい終わりに涙すら出そうになった。













そう思ったこの瞬間の私をぶん殴ってやりたい。











私の地獄は、このおおよそ2時間半が終わり、あとはちょっとしたエピローグと、長い長いエンドロールだけだろうというタイミングで始まった。


彼は“キャプテン・アメリカ”の仕事として最後の後始末を受け持った。それはインフィニティー・ストーン過去へ戻す仕事だ。

なるほど、それは重要だな。

このときまだ、呑気にも私はそう思っていた。今すぐそこで見るのを辞めろ。


バナー博士が「五秒経ったら彼を時空から連れ戻す」と言った。

しかし、装置作動させても彼は戻ってこない。訝しんで、彼を見つけて。

彼は年老いて戻ってきていた。近くのベンチに座って。だから帰還に気付かなかった。

「もう自分人生を歩んでも良いんじゃないかと思った」彼がそういった。



目の前が真っ暗になった。




自分人生を歩むこと自体が悪いことではない。それは私が何処かで迎える彼のハッピーエンドだと思っていたから。

しかし、そうじゃない。そうじゃないんだ。

自分人生を歩む”と言っていいのは、戻ってきて、この先の未来を生きての話しではないのか?


なんで?

どうして?


まりの動揺に震えが止まらない。


彼が過去をやり直して戻ったと言うことは、“キャプテン・アメリカ”として行った任務を、石を返した時点で完遂したと自己判断放棄して、過去改竄して戻ってきたということだ。

MCUが何処までマルチバース採用していて、タイムトラベルによる世界分岐パラレルワールドを取り扱っているのかはわからない。

あの正規世界線の歴史が変わったわけではないのかも知れない。

それでも、だ。


吐き気すらも覚えた。

散々、タイムトラベル過去を変えるコトは禁忌であるという下地を本作で作った上での、コレ。


キャプテン・アメリカというキャラクター馬鹿にされているのかと思った。

頑固で考え方が古いかも知れないが、高潔なる精神の持ち主ではなかったのか。

自分幸せになるために歴史を書き換えるような、そんな軽率人間であったのか?


彼の信念は何処に行ってしまったんだろう? 呆然としてしまった。


私の知識はまだまだ浅い方だ。アメコミという沼はあまりに深すぎて年浅い私にはまだまだ知らないことの方が多いだろう。

それでも、複数媒体から感じ取った「キャプテン・アメリカ」の信念と、今回の彼の行動はあまりにかけ離れていたと思う。


彼は、犠牲を尊んで、彼らのためにも前を向いて歩くタイプ人間ではなかったのか?


キャラクター根本が死んだと思った。

今までのMCUでの彼の扱いは、キャラ解釈の違いで殺されるかと思ったシーンが幾度もあった。(それもすべてエンドゲーム監督作品だ)

それもコレも今日で終わりだと思った。そのはずだった。「シビル・ウォー」からずっと抱えてきたモヤモヤ解放されると思っていた。

まさか最後最後で私が彼を好きになった信念そのものをたたき折られるとは思ってなかった。



この事実認識した途端に、私は堪らなくトニー・スタークに嫉妬した。

怒りを感じたと言っても良い。但しこちらは、制作陣に対して、だが。



かにトニーの最後は、ハッピーエンドではなかったかもしれない。

それでも、彼は誰にも害のない形で己の幸せ享受した上で、自己の“ヒーローである信念”を貫き通して死んだのだ。

誰にも疑いようのない唯一無二の英雄となったのだ。




それに比べて、彼は、スティーブは?

制作陣の都合で言いように改変を繰り返されて、彼のズタズタになった信念を、きっとこの最後で修復してくれるんだと思った。

そうじゃなかった。作品を丸く収めるために良いように使われただけだった。何一つ変わらないどころか、より最悪の形で悪化した。

彼だけではない、ソーだって、前三作で作られてきた彼をすべて壊して何事もなかったように進んだ。

スティーブよりは違和感は少なかったかも知れないが、何故このタイミングで、と言う気持ちが拭えなかった。


ツイッターでは英雄一般人となって自己幸せを歩んだ作品だとか、脱マッチョイズムだとか言われてたけど。


からなんだ?


それって既存キャラクターの基盤をぶち壊しにしてまで展開してイイモノなのか? しなければいけないものなのか?

仮にやるとしてもこの集大成とも言える全員揃う映画でやるべきコトではないんじゃないだろうか。

今までの下地嘲笑っているようなものじゃないか

本当に、今も怒りで視界が赤くなる。



この映画は巨大なトニー・スターク賛美のための墓場となったのだ。


彼だけが己の正義を貫き通した。そして死んだ。

トニー・スタークを恨むモノは誰もいない。

これほどまでにキャラクター理解され、制作陣に愛されていた。

本当に本当に妬みで爆発しそうなほどだった。







それなのにトニー派の連中はスティーブを薄情者だといって責める。

スティーブの劇中での言動推しの私でもフォロー仕切れないところがある(だからといって全面的にトニーを擁護も全く出来ないが)。

からそれ自体は、特に訂正しようとか思わない。どんな思惑に巻き込まれて信念がたたき折られたとしても、それは“現実”(そと)のはなしであって、“MCU世界”(なか)には関係ないはなしだから

それはまるっと彼の罪なのだ

それでも。









心底羨ましいよ。

脳の神経がすり切れそうなほど羨ましい。






推しは美しいまま死んで、尚且つ責める相手がいるんだから


苛々モヤモヤしても作中に怒りをぶつけられる相手いるから。

自分の中でもさぞ納得がしやすかっただろう。


なんで、彼ら彼女らはこんなにも恵まれていて、私はこんなにも苦しんでいるんだろう。


私は作中に責めることの出来る人間などいない。あえて言うならキャプテン・アメリカ本人だが、自分推しを悪意的に見るほど苦痛ことなどない。

悪人悪人である所以を好きになったというなら、また話しは違うだろうが、生憎私が好きになったのはヒーローの彼なのだ

多少の欠点の他に、悪意的に捉えられるところなど、少ないはずなんだ、本来なら。

彼はヒーローだった、はずなのだ。はずなのに。








ヒーローとは、なんなのだろう。


「エンドゲーム」を見てから、一晩経った今でもずっと脳内をこの言葉が占めている。

私に過去に戻る力があるなら今からでも「ウィンター・ソルジャー」の撮影まで戻ってあの監督を始末してしまいたい。

いっそのことBIG3全員殺してほしかった。





彼の、キャプテン・アメリカのこのエンディングは、「エンドゲーム」で一区切り(実際は次作スパイダーマン区切りだが)着くMCUという作品群を丸く収め、また次のフェーズ4に繋げるためには必要で、全体的に見れば“正解”であり、納得のいくモノだったのかも知れない。他人様の感想を読んでいて、そういう気持ちに全く為らないという訳ではない。

でも、理解が出来たからといって、納得が出来るからといって、許容できる訳ではないのだ。


だって彼は、すべての人を置き去りにして、己の幸せに走ったあの男は、もはやヒーローではないのだから

それは、私の好きになった彼ではないのだ。

信念を貫くことを辞めた人間は、大体にしてこう言われる。

「昔とは別人だ」

MCU世界では彼にそうなる資格があると思っている人間が多かった。だからこそ中の世界では受け入れられたんだろうが、確かに人は変わってしまっているのだ。

別人なのだ







私はそれが受け入れられない。


ヒーローを辞めた彼には、もうムジョルニアを持つ資格はないだろう。

からこその二代目、なのかもしれないが。











今一度言うが、私の推しキャプテン・アメリカだ。

そもそもMARVEL作品を見始めた切っ掛けとして、彼の単独シリーズ第一作「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト アベンジャー」を見て、彼に一目惚れたからだ。

そんな私の推しの彼を演じるクリスエバンスは「エンドゲーム」を最後MCUから卒業すると宣言していた。冒頭でこの日が死刑宣告の日だと言ったのは、そういう理由だ。

もう二度と推しを見ることは出来ないのだから、私は死ぬんだと思っていた。

だけど、違った。死んだのは私ではなかった。



死んだのはキャプテン・アメリカの信念だ。

巨大なトニー・スタークの墓場の奥深く下に虐げられ、無残にもうち捨てられた彼の正義が崩れ去った日となってしまったのだ。



キャプテン・アメリカの信念はすでに散々あのクソ監督兄弟に改変されまくって、ボロボロで、もう雀の涙ほどだったけど。

それでもわたしはかれらしいさいごをのぞんでいた。




一生消えないだろう傷を負った。

それなのに周りには「エンドゲーム」を賞賛する声しか聞こえてこない。

世間が信念を捨てた彼を受け入れてしまたことが苦しい。

私にとっては、それこそが何よりの“彼が死んだ証明”だった。













私の推しの新作がもう来ることはない。

この先、カメオで出演するとしても、マルチバースの信念の折れてない彼でもない限りはそれは彼ではない。

この記事投稿することによって私はキャプテン・アメリカの、スティーブ・ロジャースの死した信念への手向けとする。


二代目には彼の崇高な精神が受け継がれ、折れることのないように祈るばかりである

2019-04-09

anond:20190408230305

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思います

けもフレ2における、人間動物迷惑をかける点ですが、フウチョウたちが「確かにヒトのおかげで助かったケモノもいるが、ヒトが不用意に近づいたばかりに、迷惑するケモノもいたかもしれんぞ」と明確に問いかけてるんですよね。これに対するアンサーは必要であり「テーマとして昇華していない程度の示唆」で終わらせるのは無理があります

リョコウバトとトキ比較ですが、けもフレ1のトキ場合絶滅危惧動物であること、人間によって傷つけられたことに関する言及はないわけです。一方、リョコウバトの場合絶滅を暗示する演出がいくつもあり、先のフウチョウの問いかけもあったわけです。

イルカアシカについてですが、ネットを眺めた体感では、そこまで気にされてないように思うので、これが気になるのは俺自身問題であって、そこまで気にしなくても良いかもしれません。

ただし、フウチョウの問いかけにある通り、全体的に人間動物関係性の負の面に掘り下げるならば、イルカアシカも一緒に掘り下げたほうが脚本の完成度が上がるでしょう。

イエイヌについては、あれは監督交代のいざこざ抜きでも、居心地悪いかと。

詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。

マーベルやDC映画場合叫び声でパワーアップはしないわけですが、強敵との戦いをどう盛り上げるか、逆転を、どう印象づけるかの工夫がありますフレンズセルリアンとの戦いは、あまりそうした工夫がなく、盛り上がらなかったです。それなら誰かが「野生解放!」と叫んだほうがわかりやすいでしょう。

まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

まず私の立場は「多分、脚本の穴だろうが、寓話世界観と取れないこともない」というものです。ラストバトル前の葛藤(フウチョウ)と、ラストバトル勝利ギミックビースト)という重要な部分の両方が、ファンタジーな流れで解決されるので、その印象が非常に強いんですよ。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

点が三つあると人の顔に見える、と言う話がありますが、人間は、基本的意味のないところにも意味を捜す生き物です。現実には意味のないことは幾らでもあるのですが、作劇でそういう部分を作ると、視聴者は無理矢理意味を見いだそうとし、結果、制作者にとって不本意な受け取り方をされることがある。それを避けるためには、意味・印象が散漫なシーンを作らないことです。

結局、セルリアン型フレンズにあまり意味がなく、戦闘も盛り上がっていないのが、あら探しされやすい大きな原因だと思いますフレンズ型になった意味もさほどなく、あまり怖い印象もなく、なんとなく倒されていくという(このへんは脚本だけでなくアクションシーンの問題でもあります)。

けもフレ1の集合シーンは、ここからフレンズが、それぞれの個性を生かした連係攻撃を開始するわけです。例えば、それを踏まえて、セルリアンが巧みな連携を仕掛けてきて、「これまでのセルリアンと違う! なんて強いんだ!」とすれば、そこには一つ意味が生まれます

そういった点をクリアしても、ケチつけられる可能性は否定しません。結局、最終話評価は、それまでの1~11話の評価と切り離せないものですので。視聴者に信用されるために、制作者側は信用を積み重ねる必要がありますが、そこがうまくいってないわけです。

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。

「優しい世界」に込める意味は、人それぞれで、深く考えてない人も多いでしょう。なので、最大公約数を取れば、まさしく「感じが良くて人気だった」くらいの意味になると思います批評として使うなら、定義必要になるでしょう。

私自身が「優しい世界」という言葉を使ったのは、「素直なキャラ面白いドラマを作ること」くらいの意味です。

けもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。

スギスした作品はギスギスした作品で楽しめる人も、癒やし系作品の続編として出されると「思ったのと違う」ってなりますよね。ラーメン屋いったらサンドイッチが出てきたみたいなもんで。ギスギスを狙ったのなら、作品の出来とは別にマーケティングミスです。そういうのは事前に告知して心の準備をさせるのが良いかと。

逆に言うと、ここまでギスギスな作品だと受け取られる、とは制作側は思ってなかったんでしょうね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。

そこはおっしゃるとおりですね。書いたことに矛盾があったので書き直します。

まず、1話からのヒキである、キュルルのおうちが、見付からなかったことに、消化不良があります。次に、キュルルが「おうち」を諦めるに至る過程曖昧なので、ドラマが盛り上がりません。

キュルルが「おうち」を捜す動機として、フウチョウに対して、「そこには、僕にとって大事な、なんかすごく大切なものがあった……気がする……」と言ってるんですよね。この「大事な大切なもの」が不明なまま、おうちより仲間と言われても、とってつけた感が出ます

それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので

何話か見返したのですが「キュルルの手がかりの絵が尽きた」ことが描かれたシーンが見当たりませんでした。教えていただけると幸いです。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。

思いつきプロットですので、詳細まで詰めてないのはご容赦ください。作劇において、尺やバランス問題は常につきまとうので、やりたいことの優先順位を決めて整理すれば良いかと。

優先すべきものイエイヌとキュルルの関係なら、他のキャラの出番を減らして調整しますよね。逆にカラカルとキュルルが仲直りして関係性を深めるほうがメインなら、プロットが重くなりやすイエイヌでなくて、別の困ったフレンズにしたほうが、すっきりするかもしれません。

キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

通常、主人公とは「こいつがどうなるか見届けたい」と視聴者に思わせて、物語ドライブする存在です。そのためには視聴者を引きつける魅力が必要になります。魅力がないと、作品を見続けるモチベーションが湧かない=つまらないとなるわけです。魅力としては「いいやつ」から「かっこいい悪」「人間欠点があるが、どこか憎めないボンクラ」まで様々です。

さてキュルルは、別に「かっこいい悪」や「憎めないボンクラキャラではなく、概ね、フレンズを助ける心優しいキャラとして描かれてたわけで、それをこういう下げ方したら、キュルル自体の魅力が損なわれ、作品自体への評価が下がります。さすがに制作者が意図してそういう風には描かないと思います

キュルルが落っこちた回でニコ動アンケートちょっと上がったのは知ってますが、主人公がそこまで嫌われてる時点で、作品としては末期症状でしょう。

しろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。

長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

この解釈は私が気づかなかったもので、なるほど、と、思いました。

ただ、「スケッチブック最後のページの行方」がメインだったとすると、エピローグ的な部分で登場しても、もうその時点では、セルリアンは倒され、キュルルのおうち探しも終わっており、ドラマとして盛り上がらないかと。

イエイヌの「おうちへおかえり」と、キュルルの「おかえり」を重ねて、メインテーマに結末をつけたいのであれば、もうちょっとそこに重点を置いた作劇にしないと視聴者に伝わらないと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。

作品の出来、不出来は、究極的には個人の好みになります。その上で、「多くの人が好む/嫌う最大公約数」というものもあります。それをまとめたのが、エンタメセオリーと呼ばれるものです。

けもフレ2の一般的評価が低い論拠として、そうしたセオリーを守れてないから、という点を指摘しているわけです。

もちろん、セオリーをぶっちぎって、面白い作品はあります。私から見る範囲で、けもフレ2に、セオリー無視したが故に面白くなってる点は見当たりませんでした。ただこれは私の意見なので、「そうではない。ここが面白い」という意見は拝聴します。

2019-01-12

Fate/GrandOrder「神秘の国のONILAND~鬼の王とカムイ黄金~」の何がクソだったか

もう終わってから3か月も経つというのに、FGOの昨年の10月イベントである神秘の国のoniland ~鬼の王とカムイ黄金~」を許せない。

オニランドは、エリザベートバートリを侮辱した最低のシナリオだ。

出来ることなら、あれに関わったスタッフ全員をグーでぶん殴りたいほどである

3か月たって冷静になった今、あの「神秘の国のoniland ~鬼の王とカムイ黄金~」というシナリオのどこがひどかったか、冷静に書き連ねてみたいと思う。

ハロウィンである必要も、エリザベートが出てくる必要もなかった。

オニランド舞台日本北海道である

舞台の内容自体遊園地であり、鬼がメインのテーマパークであり、ハロウィンである必要性が皆無である

また、ハロウィンであったとしても、もともとエリザベートハロウィンと何の関係もないサーヴァント

FGO勝手ハロウィンエリザベート担当と決めつけた結果、ハロウィン=エリザベートという図式が出来上がってしまっただけなのである

また、エリザベート日本とも鬼とも全く無関係人物

しろ永遠の美を求めて殺人鬼となった結果、反英霊となった彼女は、永遠を求めず、老い朽ちていくものを良しとする日本文化とはすこぶる相性が悪い。

オニランドエリザベートを出す必要がないどころか、エリザベートを登場させてはいけないイベントだったのである

エリザベート信条シナリオライターの都合で捻じ曲げた。

エリザベートは元々、下の画像のように美しい少女キャラクターだ。

https://dotup.org/uploda/dotup.org1744644.jpg

生前、美しさ、若さを保つために数百の少女殺害し血を啜った彼女は反英霊として歴史に名を残し、FGO召喚システムによって召喚されることとなる。

エリザベートにとっては、美しくあることが最大の優先事項である

自分生前、奪った数多の命に報いるためにもエリザはその在り方を曲げない。

ジル元帥カール大帝洗脳されかかったときにも、決してエリザは屈しなかった。

それがオニランドでは、アインベルン黄金というたか無機物に誘惑されて、自ら下の画像のような醜い姿になるのである

https://dotup.org/uploda/dotup.org1744643.jpg

これはシナリオライターの実力不足だ。

オニランドシナリオライターが、キャラクターの生きざまをまともに把握できないほど馬鹿から、このようなシナリオの都合でエリザキャラクターが捻じ曲げられたのである

シナリオライターが茨木童子を贔屓したくて、エリザ踏み台したことが見え見え。

これはオニランドプレイした人なら、ほとんどが感じてるであろう。

シナリオライターが茨木童子を気に入っていて、茨木の見せ場を作るためだけにシナリオを考えた。

エリザ踏み台にした。

シナリオライターの表現力がゴミすぎて、その贔屓を隠せていないのである

あのとってつけたようなエピローグも、エリザフォローは全くなく、ぼっちエリザについていてあげる茨木優しいね!したいだけのシナリオライターのエゴが丸見えだ。

以上の理由で「神秘の国のONILAND~鬼の王とカムイ黄金~」は下痢のようなクソシナリオだ。

FGO公式は、このようなイベントを生み出したこと反省するべきだと切実に思う。

2019-01-03

anond:20190103104753

これではドラマになっていない。なぜなら、一番ドラマチックな父と娘の相互理解クライマックスであるべきなのに、その場面が第三者の投入で安易に済まされているからだ。

この題材なら、父親にとっての射精とは、客にとっての射精とは、娘にとっての射精とは何かを掘り下げた上で、それが互いを理解する糸口にならないといけない。

それらを省いて安易な手を使うなら、復讐パターン

仕事内容を知って傷ついた娘と父親は絶縁状態になってしまうが、大学生になった娘はある日、父親殺人罪で捕まったことを知る。実は、亡き母親レイプ事件被害者で、犯人は特徴的な性器を持っているという手がかりがあった。それを探るために父親あん仕事をしていたのだ(人探しをしているらしいことは6話辺りから徐々に匂わせる)。復讐を果たした父親警察に見つからないように、自身撮影した犯人殺害時のVR映像を娘に残していた。父親の思いを知った娘は、涙を溢れさせながらVRゴーグルを装着する、というところでエンディングエピローグで、十数年後に出所した父親を娘が出迎え、VR映像を見せる。進歩した未来技術で、幸せだったころの家族三人の映像再現されているのだった・・・

という感じで、より強い要素をぶつけないとこの題材の違和感には拮抗できない。

または射精時に発生する磁場を使ってワームホールを作る研究が裏にあった、くらいのインパクト必要だと思う。

2018-12-25

anond:20181225063038

宮崎あおい主演で3億円事件を扱ったテーマ「初恋」って奴が無駄に鬱っぽいぞ。

いや別に自体ちょっと暗いぐらいでgdgdのうちに終わるんだけど、エピローグで出てくる人遺さず…しちゃっててな。(ネタバレではある)

2018-10-18

彼女ゾンビ化したので殺して別れる映画

「死んだ彼女ゾンビ化して戻ってくるんだけど

 段々異常行動起こしたり臭くなったりして

 別れようとすると怒るから別れられなくて

 そのうちに彼女が人を襲って犠牲者が出て

 最後彼女をぶっ殺して墓に送り返して

 新しい女と仲よくなる」



全く同じ筋書きの映画複数あるんだけどなんだこれ?

話の筋やたどるポイントがあまりにも同じ

また、ゾンビ彼女を始末することはしかたがないとしても

その過程で(別れる前に)新しい女と仲よくなってて

ゾンカノを始末したエピローグで新カノと楽しそうにいちゃついてハッピーエンドという

なんか引っ掛かる終わり方なのも全く一緒



これはミソジニーなの?

イザナミイザナギ集合的無意識なの?

ちなみに全部評価ボロクソのクソ映画

2018-10-17

[]俺達の世界わ終っている。トゥルーエンド個別ルート

ノーマルEDだけだと★2くらいだったけど、オールクリアで★3.5くらいまで上がった

このご時世に完全新作ADVを出してくれただけでもありがたいってのはまずある

2chを見ると発売日がオカルティック・ナインかぶってたらしい

あっちはプロモーションに金かけまくってるからなあ・・・

テーマも似てるとくりゃこっちが売れる要素がない

まあオカルティック・ナイン地雷とわかってこっちに流れた人もいたみたいだけど

閑話休題

トゥルーエンド個別ルートは、実はノーマルEDは終わってなかったってところから始まる

んでエンディングまでは一本道

エピローグが各キャラごとに異なる

個別ルートは二人いる男にも用意されてる

中二病黒髪ロングメガネキャラ優遇されすぎてた

共通ルート中でも優遇されてんなとは思ったけど

からさまにひいきされててうーんとなった

チレイってキャラ絶妙に下手だなと思ったけどユーフォ主人公の声やってるくろかわともよ?だった

ダウナー系っぽい声がヤンデレには合ってたが

トータルで見るとそこそこのゲームだった

やって損はしないけど無理してやるほど面白くもないって感じ

個人的に駄目だったポイントシステム、一部の立ち絵、しつこい貧乳ネタだった

シモネタはいいとして、貧乳いじりがしつこすぎてほんと読んでてイライラする

時代的ないじりでもはや今ではセクハラを余裕でこえてる

たまーにあるくらいならまだいいけど、かなり頻繁にあるからほんと勘弁

しかゲーム会社っていう一応大学生~成人してるコミュニティから、なおさら

ラノベとかアニメみたいな高校生程度くらいのコミュニティならまだいいけど、いい大人がそれかよと思ってゲンナリする

システムサクラ大戦スタッフが作っただけあって制限時間つきの選択肢とかあるけど、ほとんど意味ない

動画サイトコメント風にしてる意味もないし

立ち絵クオリティの差があってひどい

前もかいたけど、杉田役のキャラの裸立ち絵がほんと気持ち悪い

あとテキスト地の文が多すぎてくどい

こういうアドベンチャーゲームなら背景と立ち絵立ち絵の動きだけで表現できるところをわざわざテキストで読ませるからすごい描写がかったるい

そこまで書くなら小説しろよという感じ

あとオマケで総集編という名の公式MADが見れるけど、それも寒すぎてつまら

2018-10-10

[]志村貴子放浪息子

最終巻のたかつきくんが泣いてるところ(女の子おとこのこになるのをやめましたみたいなモノローグあるところ)でちょっとうるっとき

最初ラストまで読んだときはすげーふわっと終わって消化不良だと思ったけど、

再読するとそれなりにエピローグ回収してんだなと思った

あんなちゃんのかわいさが有頂天でとどまるところをしらない

まじラスト周辺でかわいいシーン増えすぎだろ

兼田センセが敷居の住人キャラらしいんで読んでみるかな

もっと続き読みたかったけど仮にやるとしたらどんな展開になったんだろうな・・

あんなちゃん恋人ばれみたいな感じでアイズみたいになったかなあ

あーあとあとがきまんがでイシデ電志村貴子のこと書いてた4コマ面白かった

途中から4コマじゃないどころか志村貴子じゃなくて猫主体トンデモマンガになってめっちゃつまんなくて読まなくなってすごく残念だった

2018-08-20

かいけつゾロリストーリー作り

SWITCHたまたま見ていたら、原ゆたか x 百田夏菜子 をやっていました。

その中で原ゆたかさんが、「かいけつゾロリシリーズハリウッド映画脚本作りの方法

ストーリーを作っているとして、そのチャートを映していた。

No-
0 状況説明
No
1 平凡な日常
2 旅立ちのきっか事件行動/テーマ
3 拒絶行けない理由/リスク
4 決心背中押す人/事
No
5 試練危険/問題
6 収集(助け)仲間/物/情報サブプロット
7 成長成果/力/変化サブプロット
8 準備成長結果サブプロット
No
9 危機試練問題悪化
10絶望問題悪化
11希望の光きっか
No
12最終対決どんでん
13事件解決どんでん
14エピローグ
No-
15 おまけ

別のを見つけた。

かいけつゾロリ」30年 人気の秘密は?!

https://www.nhk.or.jp/ohayou/digest/2017/05/0506.html

No一膜対立
0背景
1日常
2事件
3決意 
No二膜葛藤
4苦境
5助け
6成長
工夫
7転換-
8試練
9破滅
10契機破滅
No三膜変化
11対決
12排除
13満足

2018-07-07

anond:20180707163418

元増田じゃないが、信者の俺が未プレイの友人を入信させるために勧める場合を想定して、妥当攻略順だと思う。

みさき……シナリオにひねくれたところが無くて万人が普通に感動できるよくできたシナリオ

このゲームを全ルートプレイする気になってもらうための導入として良さそう。

澪……1番目のみさき先輩もサブキャラ的に出てくるし、友人が特にロリきじゃない場合ロリ攻略対象ってことで慣れてもらう。

シナリオの下準備。ロリ要素を抜けば普通に泣けるシナリオ

七瀬……麻枝シナリオ3本の中で一番普通に楽しめる。

笑えて泣けて、エピローグまでに漢乙を大好きになってくれるはず。

繭……合わない人にはとことん合わないだろうから最初の方にもラストにも持ってこれないから、この位置で。

若書きって感じだし、18禁要素がとにかく浮いている。後にこのチームが全年齢の世界に行ったのは当然かな。

茜……麻枝信者の俺でもONEは久弥シナリオ圧勝異論無し。

その中でも一番のこれは本来ならラストプレイして最高の読後感を味わってもらうべきなんだろうけど、まだ長森がいるのでここに。

麻枝とどれぐらい連携してたか知らないけど他のシナリオに比べて世界設定に踏み込んでるから、その点でも長森シナリオの前が適切かなと。

ここまで来ると終盤のワンパターンは読めるんだけど、それでも泣かせてくるのだからすごい。

長森……で、長森。

意地悪というかプレイヤーにストレスためさせようとしているとしか思えない選択肢

最も世界真実(そんな物が制作者の頭の中に本当にあったのだとしたら)に迫るんだけど、結局よくわからないオチ

欠点だらけなんだけど、むしろ、そういうモヤモヤを残したまま全ての物語が終わり、語りたい欲求が抑えられなくなった友人と夜通し議論したい。

いや、そうじゃない。長森を好きになってもらいたいんだ。ONEの最萌は長森だって理解して欲しい。そのために最後に持ってきたんだな。俺は。

2018-05-30

anond:20180530180704

レコと再会して各人物エピローグやって終わりじゃないか

雰囲気良かったけどなんか今ひとつ足りないマンガだったな

2018-03-22

anond:20180322053034

ファンタジック・チルドレン(アニメ)

エピローグに関してはハッピーかどうか解釈が分かれるが、終盤の盛り上がりは衆目の一致するところ

2018-03-21

バイオーグトリニティ最終巻通販で買った来たみた。

相変わらずよくわからんかったけど4号ちゃんあざと可愛かったからいいや。

それにしても一巻まるまるエピローグってなかなか贅沢だな。

2018-03-15

続・さよならの朝に飾られた約束花の名前を僕たちはまだ知らない

anond:20180314021151 の続き

落城した日のこと

マキアレイリアの物語は竜に連れ去られたことで始まり、竜に乗って帰ることで終わるという構造になっていた。だからエリアルの死は物語としてはエピローグと言うか番外的なものだったのかもしれない。二組の親子の関係落城の朝にそれぞれ完結していたと見るべきなのかも。

マキアエリアルエリアルを飽くまでも子供として扱おうとするマキアと、マキア恋愛対象としてみてしまエリアルとの間で関係性が定まらなかったけれど、落城の朝にマキアエリアルを自立した一人の大人であると認め、エリアルマキア母親であると認めることで完結した。

レイリアとメドメルは自らの産んだ赤子をもう一度抱きしめたいというレイリアと、母親に会いたいと願うメドメルの関係が、落城の朝にお互いがそれほど変わらぬ背格好であることを認めて、この子はもう私の赤子ではなく、この人はもう私の母親ではないとお互いに悟ってしまたことで完結した、のだと思う(この辺は来場者特典の冊子を参考にした。スタッフレイリアはわからないって言ってたので、そういうもんなんだろう)。

それで、そういうふうに見ていくと、「さよならの朝」というのは、エリアル死ぬ朝ではなく、落城の朝なのではないか。「約束の花」とはお互いが交わした言葉のものなのではないか、という気がしてくるのだけれど、どうだろう?

メザーテのこと

竜ってそういえばなんだったんだろうなって考えてて、序盤にイオルフの村を襲ったところくらいしか活躍の場がないし、そこでも一頭病気で死んじゃうし、いざ戦争になったら全然働かないし、役立たずのハリボテじゃんと思ったけど、あの国は竜を持っているという権威によってこれまで他の国を圧倒してきたんだよな。で、竜がバタバタ死ぬようになってそれだけじゃ権威が足りないのでイオルフとの政略ロリ婚を企てた。

なんか似たようなのを前にどっかで見た気がすると思わない? そう、オルフェンズのマッキーが全く同じことをやってたよね。

マッキー場合は順番が逆で、まずセブンスターズという権威筋の家柄の娘と政略ロリ婚して、そののちに(戦争ではそんなに役に立たなかった)ガンダムバエルという伝説権威を手に入れた。それだけの権威があれば皆当然自分になびくだろうと思いこんでいたのだけれど、現実はそんなに甘くなかったのはマッキーもメザーテもおんなじ。実力が伴わなければハリボテの権威は役に立たないのだ。

マッキー場合は、孤児だったために他者感情というもの最後まで理解できず、勘違いしたまま突っ走った結果の自滅だったけど、メザーテの場合権威のみに頼って生きながらえてきた大国の見苦しい断末魔を見るようであった。

とまあ、こう考えると、メザーテって国はマッキーから孤児としてのバックボーンを抜いて国家という形に組み替えたものだったんだなあということがわかる。同時に、マッキーから孤児という属性抜いたらほんとにただの嫌なやつでしかなかったなあとも思う。

2018-03-12

人生エピローグ長すぎ

私の人生ゲームとか小説とかで例えるなら本編は高校で、ずっと前にエンディングを迎えてるはず

なのになんだかわからないけど終わらないままここまで生きてしまった

残り60年長すぎないですか 死なせてくれよ

高校は厳しい部活だったので放課後カラオケとか買い食いとかそういう俗に言う青春全然なく、まあとにかくめちゃくちゃしんどかった

でも間違いなくこの時以上の出来事経験はこの先できないって思ったんですよ

引退した後は悔いはないからこのまま死にたいなあって毎日思ってたのに死ねなくて、そのまま受験もそれなりにうまくいってしまった

そうして入った大学もそれなりに楽しくて、でも「この楽しい大学生活はエピローグかおまけモードだな〜」って思いながら過ごしてて

しか楽しいけど必須じゃないというか

で、いま就活なんですけど

「なにがしたい?」って聞かれても何もしたくなくて

自己分析できてないだけじゃない?って言われても、そもそも私は部活引退の時からずっと「人生の本編が終わったか死にたい」って思ってるので「なにがしたい?」「どうなりたい?」って問いには「早く死にたい」としか答えられないんですよ

気楽なモラトリアム大学生活ならおまけモード蛇足の番外編として受け入れられたけど、この先の人生何も望んでないのに、高校あの日々より大切なものなんてできないのに、絶対仕事とか辛いのに、なんでまだ生きてなきゃいけないの


オタクなので趣味楽しいんだけど、趣味のためにリアル頑張る!って気持ちにはならないから世のオタクみんなすごいよ

好きなものたくさんあるけど死にたいし、でもなんとかそれに縋って生きてるかんじ

私は楽しいことと辛いこと、心の中で打ち消しあえないみたいで、楽しいことは楽しいし辛いことは辛いままで終わりだよ

家庭環境とくに悪くないし、貧乏でもないし、私自能力が物凄く低いわけでもないはずだし、友人にも先生にも恵まれて、特別な不幸も今までなかった、だからほんとは幸せなはずなのにずっと死にたい

じゃあ早く死ねばいいんだけど、家族特に母親)はめちゃくちゃ落ち込むだろうし、何より色々とお金かけてもらってるし、今ここで死ぬのは親に申し訳なさすぎる

とにかくもうあと60年も生きたくない

人間寿命のびすぎ

任意で死なせてくれ

2018-01-27

三ツ星カラーズってエロ漫画の導入とエピローグの詰め合わせでしょ?

アニメ見た感じそういう印象。

原作買った奴全員逮捕したほうが良いと思うわ。

少なくともハイエースを持ってるやつは車内の体液検査をすべき

2018-01-08

クリアカード編って新規でも楽しめるのか

・パパっとやりすぎて「なんかカード集めてる」しか理解できないあらすじ

・物凄い勢いで説明される既存キャラクターとの関係

・前作のエピローグとしての側面が強い小狼くんとの再開

そもそもロウカードとかユエとかケルベロスとかって何?

・杖を使ってカード封印するプロセスもあの短い時間にいきなり見せられたら面くらいそう


うーん……これ新規には厳しいでしょ。

2017-12-24

公式地雷って単語理解できた日

それどころか、リアル生活でも数十年感じていなかった沸々とした怒りと憎しみ、今まで触ってきたことへの虚無感をひたすら感じる。

いい年こいたオタクから何もかも笑って許してきた。ジャンル人間はみんな運営disで絆を深めていると思ってた。

アプリリニューアルと言って余計なシステムがついても、リニューアル一年間以上バグ放置されて今でも報酬が受け取れなくても、

キャラクターごとに贔屓や扱いが違っても、二期アニメテコ入れキャラのために既存の人気キャラを貶める要素がつけられても、

その二期アニメが一期の数分の一の売り上げの大爆死だったことも、一方アプリ対応機種でもガクガクに処理落ちしても、それが命取りになる音ゲーだとしても。

ガチャ天井を設けた直後に新しいレアリティを出して天井無意味になっても。UR以下のレアリティがほぼ機能しなくなっても。

推しキャラだってちょっと前に出た新規グッズでグループの中で1人だけハブられても。

今思えば揚げ足をとれる部分はたくさんあった。アニメも二期はなかったことにしてた。


目が覚めたきっかけを作ってくれたのは4年間推しているキャラでした。今までも、可愛かったよ。これから可愛い。そしてかわいそう。

デフォルメの愛らしい姿に惚れ、その姿とは裏腹にストイック我流をひた走るギャップはかっこいいなと何度も曲を聴いて感じました。

演奏技術業界から褒められていて、それでいてポンコツグループのみんなとバカやって愛嬌もあって……


とは言うものの、結局はエキセントリックな口調にばかり頼りきられて、その勢いで突っ走ってきて特に目立ったエピソードはなし。

でも縁の下でグループを支える……と言うポジションに落ち着かせてくれた演じた役者達。役者が対談で吐露する雑誌も何冊も買ったなあ……と思い出しま

よくよく考えるとキャラクター情報の少なさに非常に苦労したんだろうな、と言う文章もあって頭が上がりません。

役者勢には本当に感謝しています。断片的でパーソナル要素のない情報とは違う、魅力的な部分を引き出してくれたのは役者勢だと思っています

好物や苦手なものすら抽象的で、大昔に出た雑誌リスペクトするアーティスト人物名前があって、

今では完全に宣伝しかしなくなった公式Twitterがまともにお遊びしていた頃に「家族の人数」「スマホの台数」など微細な情報が出てきたのみ。

しろよく今までやってきたよ。


そんな推しキャラをメインに据えたイベント原作アプリで開催されたのが最近

4年間、原作アニメマンガ舞台全部のメディア含めて、初めてと言ってもいいメインポジション。

ずっとずっと、内面的な葛藤描写はされないのかな?と首を伸ばして待っていました。


正直ニコ生イベントタイトルが発表された時から「これ、バカにされる系かも」と本能でうっすら感じていました。

所属するグループ自体アニメでは顔芸の勢いもウケてたから、コイツらならただバカにしてもいいだろう的勘違いも多々あったし。

フタを開けてみたらもっともっとひどかった。

仕事押し付けられる。理不尽八つ当たりされる。空回りする。disられる。説教される。

サンドバッグのようにされる推しの姿がエピソードを通して描写されただけにしか見えなかった。

数ヶ月前に同じ「闇堕ち」イベント看板キャラクターでやった時の丁寧さは一切なかった

イベントの冠になってるキャラクター悲惨な目に合わせるイベント、他のゲームではあるんだろうか。

リア充憎しだって、お前は今までそんなこと言わなかったじゃないか。周りなんて気にしないキャラだった。

それほど追い詰められるような精神的消耗をする描写がされたと言うことか。

このアプリリリースしているパブリッシャーサイト見てみるとリア充オーラムンムンの素敵な写真がたくさんあるよ。

リア充見てて悔しいよな、じゃなくてリア充爆発しろ!って奴をバカにすると面白いですよねwって作られたのかな。

実際やっていて 非常にツラかった。ツラかったけど全部見たよ。だって推しキャラの初メインだよ。

でもこうやって全部見たから憎しみを全てブチ撒けることができる。皮肉だな。

リア充爆発しろ、は何年も前からの子が度々口にしていた言葉。でもその子エピソード最近やった。

「誰でもよかった」って無差別に人を傷つけるようなイベント企画に巻き込まれたのかもしれない。

から人気のあるグループ推しが狙われたのか。ユーザーカムバック施策のために。

客寄せパンダに使われたのか。狐だけど。パンダじゃないけど。

ここまでやっても最終報酬ブロマイドまで来てるのは1000人とちょい。推し不快描写連続犠牲になってこの程度。

どんどんDAU落ちてるよね。ランキング報酬ちょっと人数減らしてるもんな。

4年間待った結果がこれかと思うと、ひたすら憎い。

これならメインになんてならなくてよかった。いつものように縁の下で活躍していて欲しかった。

やっと来たメインだ!ってただただ喜んでる奴らも憎い。可愛い!じゃねえよ可愛いけどそれ以上に惨めだろうがよ

メインイベントなんだから普通なら喜べるはずだよね。喜べないからもうファンじゃないのかもしれないな。

ファンじゃないならもう辞めるしかないな。ごめんな。お前の限定が出るたびにお金それなりに入れたよ。

エピローグ配信が楽しみです。夢オチになっても、フォローが入っても、あの酷い目に合う姿を見せられたのは変わらない。


4年間が崩れ去っていくような虚しさですら、このジャンルきっかけにハマった別の趣味が埋めてくれる。

本当に好きだったし本当に憎い、色々なきっかけをもらった。推し言葉を借りるならレジェンドオブ複雑すぎる感情、これをアンチと言うのだろうね。

キャラや曲は好きだし、来年発表されてる舞台は楽しみだよ。そこでは思う存分ロック商売してほしい。

それ以降、どうなるか。

アプリを看取る日を楽しみにすらしています

2017-11-12

[]11月12日

○朝食:冷凍そば

○昼食:カレー(ビーフカレーチキン煮込みほうれん草)

○夕食:なし

○間食:なし

調子

はややー。

午後から、また風邪をひいてしまったみたいで、熱が高い。

明日会社いけるかなあ……

しんどいよお。

Xbox360

○エブリパーティ

第十二話「みやこ町:みやこ公園GO」を攻略

昨日から通算4回負けてクリア

ツルじいとカメばあの目的が明らかに、なんと彼らは市長選のための人気稼ぎに救世主である主人公を利用していたのだ。

もう用無しになったため、街を出て行っていいと言われる主人公

果たしてどうなるのか?

……不愉快だの不快だのと書き連ねてきたけど、この後ちゃんとカメばあに制裁を加えれたり

主人公この街に住んで行く理由を格好良く語ったりしたら、このゲーム好きになるかも。

最終話「わらし町:かんらん車へGO」を攻略

大苦戦、10回以上ぐらい挑戦してクリア

ストーリーは、市長になろうとするカメばあに対して自分市長になる! と宣言する救世主こと主人公

そして、無事市長になり、市のみんなから頼られる救世主となっておわり。

おまけエピソードがあと一つあるみたいだけど、大筋は終わりかな。

正直、ちょっと体調が悪かったことと相まって、このゲーム辛辣感想を書いたけど、

最終的にはベタで割と良いシナリオだった気すらしてきた。

エピローグ明日からプレイしよう、来週に持ち越しちゃったや。

3DS

ポケとる

メインステージ570ブロスターに苦戦中。

幻想芸術集団Les Miroirs公演『アルラウネの滴り -改訂版-』

ダス! イスト! デア! トロプフェン! デス! アルラウネ!

アイネ! クライネ! ナハト! フランケンシュタイン

イッヒ! リーベ! ナツィオナル! ソシアリスティッシェあわわわわわ! この辺で。

.

“幻想芸術集団 Les Miroirs(レ・ミロワール)” という豪快な源氏名を名乗っているが、つまりは都内の小劇団だ。

んーむ、どういうことなんだろ、また芝居を観に来てしまった。

これまでの人生で演劇なんて片手の指にあまるくらいしか行ったことないのに。

ひょんなことから、とある小劇団の芝居に行ったのが先月。

劇場でダバっと大量のフライヤー(チラシ)を渡されるので、眺めているうちに妙に気になって今回はこの劇団の演目『アルラウネの滴り -改訂版-』を観に行ってきた。

.

観劇後の印象がなかなか良くて、それで妙に語りたくなったので記録の意味でレビューを残しておくことにする。

当方、舞台観劇はズブの素人なので、マニアから見たら噴飯モノの印象がバンバン飛び出すことと思われるが、そこはヌルく見逃してほしい。

あと、上演も終わっていることだし、ネタバレ上等で書くので、そこは4649!

それでは、行ってみよー!

.

■全体として

先入観が無かったといえばウソになるわけで。

幻想芸術集団という大迎なプレフィックス

おフランス語の劇団名でミロワール(鏡たち)というのは、つまりキャスト達のことだろう。

豪奢な近世ヨーロッパ風衣装。

小洒落たサロンで撮った宣材写真

キレイどころの若い女性を中心に固めたキャスト

中央には男装の麗人

「これはきっと、『ベルばら』風にお嬢様たちがキラッキラにやりたいことだけをやりたおした豪華絢爛、欧州絵巻だろうな」と。

それで、「どれ、どれだけ背中とオシリが痒くなるか、いっちょ見てやろう」くらいの気持ちで足を運んだのだが。

.

これが。

開始10分で背筋を伸ばして、

脳を総動員して、

つまりは本気でストーリーを追いかけることになった。

.

近世ドイツを舞台にしたバリバリに骨太なサスペンススリラーになってる。

そりゃそうだよな。

単なるキラキラ少女漫画ワールドだけで、旗揚げから10年以上も劇団が存続できるワケないもんな。

幻想的な要素は “アルラウネ(マンドラゴラ)の美女を集めた娼館” というキー・ガジェット一点のみ。

あとは細部まできっちりと整合したダークなクライムストーリーで。

(このへん、『スリーピー・ホロウ』(ティム・バートン)に通じるものがあるな。

 あれも超現実はデュラハン首無し騎士)の一点だけで、あとはストレートな推理モノだった)

.

そして、今さらながら。

自分がなんで演劇を面白いと感じるか、分かった。

ミニチュアジオラマを見ているのと同じだ。

右から左から、見ても見ても、どこまで見ても情報量が尽きることがない。

これはフレームで切り取られた映画にはない楽しみであって。

.

この舞台にしても。

ブリンケン伯爵が実に俗物らしくロゼマリー嬢を相手に大笑しているときに、うしろでフローラ嫌悪感をまる出しにしていたり。

カスパルが客前で気取った口上を並べているときに、後ろでオリヴィアペトラクスクス笑っていたり。

ふとカスパルが来歴をほのめかすときに、バックでアルマアラベスクをキメていたり。

.

どこに視線を固定しても、漏れる情報がある。

これが脳にすごい負担がかかる。

決して不快ではない負担が。

これが自分的な芝居の楽しみだと、劇場を出るときに気がついた。

.

作劇について、もうちょっと書くと。

衣装がキラッキラなのは舞台が娼家だからであって、ここを誤解していた。

実際の登場人物はというと、全員が第三身分。

(脇役の伯爵、伯爵夫人、王様の3人をのぞく

それも、ドラマにしやすい貧民でもなければブルジョアでもなく、中間層知識人というのがニクい。

.

そしてデカダンス

スパイス程度の頽廃なんてもんじゃない。超頽廃。超デカダンス

なにせ純愛がまったく出てこない。

娼館。

仮面夫婦

父を求めて得られなかった少年は長じて若いツバメ(愛人)となる。

例外はアルマカスパル気持ちが通じるところ、それにヘタレ青年が主人公に想いを寄せるところだが、どちらも一方通行に近い。

.

さらに設定考証がすげぇ。

神聖ローマ帝国時代のバイエルンの片隅にある架空の歓楽街、というか売春窟を中心に時代と風俗をガチガチに作り込んである。

おそらく、俺の気が付かないところもガチガチだろう。

唯一、気になったのは

「あれ、ドイツ語圏ならネーデルランドじゃなくてニーダーランドじゃね?」

ってところくらいで、これも観客のアタマへの入りやすさを選択した結果だろう。

.

うん。正直に言うと、作り込みすぎじゃね? っていうところもあった。

具体的に言うと、ダイアログが文語中心で、若干だけど苦しい。

当方、語彙力にはそこそこ自信があるオッサンだが、それでも、

「じい(侍医)」とか、

「せんていこう(選帝侯)」とか、

会話をトレースして理解するのにアタマを総動員する必要があった。

かと言ってなぁ。

そこを「侍医」→「お付きの医者」とか、「選帝侯」→「偉大なる領主さま」とか言いかえるとテイストがどんどんボヤけるしなぁ。

時代のフレーバーとして、いたしかたなしか。

.

ほかにも上に書いた「若いツバメ」とか、娼館ではロウソクがタイムチャージに使われていたりとか。

ともかく文学的で含みのある表現を多用していて、ターゲット年齢が高いか、あるいはマニアックな層か、ともあれコレくらいのレベル普通なのかな?

.

あと、要求水準の高い批判をすると。

階級社会不条理に対する怒り” というのを冒頭に打ち出した割には、通底するというほど通底していない。

21世紀の今から見て付け足した感じ。

フレーム全体の仇役としてエーヴェルス先生を立てて、カール殿下の誅殺を5分のエピローグとしてサラっと流したので余計にそんな感じがする。

.

もう1つ細かいことを言うと、カスパルとエーヴェルス先生がクライマックスに対峙するまでハチあわせしないのは、苦しくないか?

それを言うのはヤボというものか。

.

ま、ともかく。

全体として、チケット代以上に大いに楽しみ、没入し、満足した。

見て損はなかった。

ほかの演目については保証しかねるけど、再演のときには是非とも足を運んでみてください。(繰り返すけど、俺は関係者じゃないよ)

.

以下は、キャストと演出について

※普段は「役者は顔じゃない」というのがポリシーなんだけど、ここまでビジュアルにこだわった劇団と演目に対しては、しゃーない、キャストビジュアルについても言及させてもらいます。あしからずぅ。

.

■男優3人

劇団と演目を全体として俯瞰すれば。

耽美で退廃的なテイスト

きらびやかな衣装と意匠。

おそらく女性中心の運営で女性中心の企画立案で女性中心のキャスティングをしている集団だと推察するけど。

.

自分にウソはつけない。正直に言う。

観劇後の印象は男優三人組が大部分かっさらって行った。

全員が客演。

おそらく、3人が3人とも、キャスティング担当者が選びに選んで一本釣りで連れてきたのだろう、と、思う。

.

 エーヴェルス先生の狂気、

 フランツの怯懦と勇気、

 ブリンケン伯爵の俗物さ。

.

多分それは、つまりこういうことだろう。

女性陣、主人公2トップをふくめ、大部分のキャラクターは何らかの葛藤や二面性を抱えていて、心理に微妙な綾があるのに対して、男性陣3人は完全にバイプレイヤーとしてストーリーの進行装置以上のキャラクターが割り振られていない。

あとはそれを渾身のパワーで演じれば良いだけで、結果としてものすごい強烈でシンプルな印象をこっちに叩きつけてくることになる。

これが観劇初心者の俺みたいな人種にはビンビン来るのよ。

ある意味三者三様にヨゴレで良い役をもらってるとも言えるわけで。

こればっかりは、しょうがない。

こういう観客もいるということで、ひとつ

.

■高山タツヤ(エーヴェルス先生)

いやしかし、悪役ってオイシイよな。

自分的には今回の演目でこの人がNo.1。

最初はシャーロック・ホームズ的な近代合理精神の尖兵として事件に切り込んでいくのかと思いきや。

途中からどんどんマッドサイエンティストの素顔が出てきて、終盤すべての黒幕という正体が明らかになって、最後はムスカ大佐みたいに天誅がくだる。

宣伝スチルでは “生に倦み疲れた貴族” みたいな立ち位置かなーと思っていたら、もっとパワフルだった。

理性的で狂人、策謀家で紳士、もうテンコ盛り。

唯一の難としては、演技とキャラクター作りが設定より若干、若く感じた。

そのせいでカスパルとの対比が弱い。

しかし、それにしても、実験体のときにカスパル13歳、エーヴェルス24歳。

最後に対峙した時点でカスパル31歳、エーヴェルス42歳か。

これまた描写の難しい年齢差を持ってきたな、とは思う。

.

■谷英樹(フランツ

普段は剣戟主体のアクション俳優さんらしい。もったいない(と言ったら失礼か)。

ねぇねぇ、性格俳優やりましょーよ。

できますって絶対。実際できてたし。

高い鼻筋、シュッとした輪郭ともあいまってヨーロッパダメダメ青年を完全に演じきっていた。

迷い、失敗し、バカにされ、それでもフローラへの思い一徹。

というか、この劇中、唯一の未熟者役で、これは配役としてよいポジション

.

■杉山洋介(ブリンケン伯爵)

たぶん、この人はただの色ボケ爺ぃじゃないよ。

宮廷の権謀術数

複雑な典礼プロトコルの知悉、

家門の切り盛り。

そういったシンドイ大事や雑事を乗り越えて、やっとこさトレッフェン通りで馴染みの嬢を片手に思いっきりハジけているところに腹上死。

涙を禁じえません。

そういう想像が働くところが、杉山氏のキャラクター作りのなせる技かと。

いや、たんなる家門だよりのアーパー伯爵っていう設定かもしれないけどさ。

ともかく、そんな感じがした。

.

■武川美聡(オリヴィア)・小川麻里奈(ペトラ

ストーリーも半ばを過ぎたところで、ハタと気がついた。

カスパルフローラが客から評価をもぎとってくるフォワードだとしたら、オリヴィアペトラ役のこの2人が失点を防ぐディフェンダーなのね」

アルラウネだけじゃない、葬儀の席のゴシップ婦人、伯爵家の侍女と、早着替えをしながら、縦横無尽に八面六臂。

よほどの高能力者じゃないと、こうはいかない。

逆に言えば。

ストーリースケールに比してジャスト10人という少数精鋭のセッションで。

もしもこの2人が「私たちモブよ、モブよ、モブなのよ~」と手を抜いたり段取りが悪かったりしたら?

それこそ目も当てられないほど悲惨なことになるのは想像できる。

.

この芝居を観た人がいたら聞きたいのだが。

ストーリー展開のつなぎが悪かったところがあったか?

会話のリズムと展開がギクシャクしたところがあったか?

状況の説明が足りないと感じたところがあったか?

少なくとも、俺にとっては無かった。

これ全部、彼女たちの仕事であって。

.

こうも言える。

「観客を40人と仮定して、80個の目玉とその批評眼の猛攻を、2時間近くの上演中、ゼロ失点でしのぎきった」と。

しかも、それだけじゃない。

「それじゃ、ここはカスパルを見ていよう」と視線を切ったままにしておくと、いつの間にか “弱気なオリヴィア” と “地味に辛辣なペトラ” がシャドーストライカーとしてヌッっと認知の前景に割り込んでくるから油断がならない。

専属キャストスポットを浴びて歌い踊る後ろで、 “舞台成立請負人” として劇団を渡り歩くって、ックーッ! シビれるっすねぇ(想像のしすぎか)。

特にオリヴィア役の武川さんはホームチーム無しのフリーランサー

次にどこで会えるかもわからないという、この西部劇カウボーイ感。

.

■マリコ(伯爵夫人クロリス)

政略結婚で異国に嫁ぎ、政治のあおりで幽閉状態。

夫に先立たれ、あとは家門を守る化石となりつつある中、若いツバメとともにふと訪れた春。

でも心の底では彼が自分を利用しているだけと気がついていて、寂しさがつのる人生の晩秋。

っていうメロドラマ的挿入話を、たった1人でゴリゴリ成立させてしまった。

オフショットを見たら、周囲に負けず劣らずの美人さんなのに、哀切よろめき婦人にサクッと変身するあたり、地味にスゴいよ、この人。

.

■中村ナツ子(ロゼマリー)

加東大介(『用心棒』)といい、中村梅雀(『八代将軍吉宗』)といい、馬鹿キャラってオイシイよな。

と、思いつつ、可愛い子チャンで馬鹿キャラってのは失敗例が山ほどあるワケで。

美人馬鹿キャラ、厳密に言うと “短慮と衝動、それに浅知恵で状況を悪化させるキャラ” っていうのは、全世界のホラーパニック映画ファンが怒りまくってることからも分かるとおり劇薬であって、書くのも演るのも本当に難しくて大変で。

フィクションで最近の成功例だと、『デスノート』の弥海砂とか。自分の中では『ウォーターシップダウンのうさぎたち』のネルシルタとか)

その中でも彼女ロゼマリーの配役と演技は大成功と言っていい。

シナリオ、人物造形、演技の巧みさ、3つが合体して、ストーリーを停滞どころかグイグイ展開させる存在として実に効いている。

アルラウネたちが、それぞれどこか華美な中にもダークさを感じさせる装いの中、ひとり明るい髪色でキャるるンッとしたバービー人形のような出で立ちも良い。

彼女を舞台で見るのは実はこれが初めてではなくて、かなりの美形なことは知っていたけど、作りようによっては、なんというか、 “こういう美人” にもなるのか、と今さら驚く。

(彼女の第一印象については、

https://anond.hatelabo.jp/20170925212923

 の中村ナツ子の項を参照のこと)

というあたりで。

最後に。

あー、業務連絡、業務連絡。中村さん、編集者やってみる気はありませんか? 原稿ライティングができてAdobe製品が使える最強のマルチ編集者になれますよ。その気になったら、いつでも当方に声をかけてください。

.

■麻生ウラ(アルマ

うー、うーうーうー。モゴモゴ、わかった、言う。

えー、強烈な声優声なのは、演出上の要請か、それともそれ以外の発声メソッドを持っていないのか。前者だと信じたい。

さて。

最古参のアルラウネ、そしてカスパルの右腕として気持ちを交わし、動き、嘆き、そして踊る。

ちょうどキャプテン・ハーロックにおけるミーメみたいな立ち位置

ただし彼女の場合は愛と忠誠心一方通行気味なのが哀しい。

キレイどころ揃いのキャストの中でもアタマ1つ抜けているビジュアルダンスを買われての登板か。

(「ビジュアル充実で演技とダンスが良いなら文句ねーだろ」という方は、この項の2行目を参照のこと)

休眠状態の彼女のポーズを見て、開場のときに舞台においてあったオブジェの意味がやっとわかった。

それにしても。

アイライン抜きでもアニメキャラ級の大きなお眼々。

とんでもなく整ったマスク

スレンダーで柔軟な身体は恐ろしく妖艶に動く。

世を忍ぶ仮の姿バンドヴォーカル兼ヨガ・インストラクターとのこと。

ドュフフフフ、オジサンに勤務先教えてくれないかなぁ。

(この6行、後でカット)

.

■乃々雅ゆう(フローラ

アイライナー(と、おそらくカラコン)を差し引いても深い情熱的な眼、意志の強そうな頬からおとがいライン

なんというか、豪華欧州絵巻を演るために生まれてきたような。

実際、ブルボン王朝の末席にいて、ベラスケスが肖像を描いてそうだ。

(なぜブルボン王朝(スペイン)かというと、黒髪だから)

その意味では、この劇団の申し子みたいな雰囲気。

立ち上げからのメンバーかと思った。

そのくらいピッタリの所属先を見つけたと言えるんじゃなかろうか。

宣材写真を見たときはもっと毒のある雰囲気で、「ふむ、このヒトが超々々毒婦をやったら面白そうだ」と思って劇場に行ったんだけど。

なんというか、キャラクターもご本人も想像より瑞々しい感じの人だった。

“運命と戦うヒロイン” という、もう本人の雰囲気そのままの役回りを手堅く好演。

娼館の女主人のときはもっと毒々しくても良かった気がする。

.

■朝霞ルイ(カスパル

どんなに声のトーンを落としても客席まで声が届いていたのは彼女だけだった。

ベテランの風格。

打ち棄てられた実験体児がどこでどうやって成長すれば、こんな艶やかでピカレスクトリックスターに育つのか、そこを見てみたかった気もするが、そこを書いたらタダでさえ2時間ちかくある上演時間がさらに伸びるので、いたしかたなし。

この俳優さん、眉頭にいい感じに険が出ていて、男装の麗人からリアル美丈夫への過渡期にある感じがする。

男役としては、これからが一番いい時期なんじゃなかろうか。

ダークヒーローカスパルを好演。

カスパルがどんな人物かというと。

ん。

待てよ……整理すると!

.

1)娼館の影のNo.1として女主人をウラからあやつり、朗々と艶やかな口上を述べるトリックスターで、

2)火災その他のカタストロフから巧みにサバイバルし、言葉巧みに未亡人の情夫におさまる冷徹ピカレスクで、

3)非人道的な実験の結果として対アルラウネ耐性を有する厨二病キャラで、

4)それでいて不幸な幼少期から、どこかはりつめた脆さを感じさせ、

 (それは例えて言うならば、ラインハルト・V・ローエングラム的な)

5)そして、こころ疲れた時には情を交わす女アルマが影に寄り添い。

.

なんてこったい! 男装女子の演りたいこと、全部入りじゃねーか!

どうなってるんだ朝霞さん! アナタの配役が一番オイシイよ!

旗揚げメンバー特権か!?

観劇前はフローラカスパルが互いのカウンターパートをつとめるセッティングかと思ったら、終わってみれば伯爵から先生からアルラウネ達からフローラから、もうもう全員が彼との関係性を軸に話が展開するという、まさにザ・主人公・オブ・ザ・主人公

しかし考えてみれば、そのぶん舞台上でも舞台裏でも負荷は並大抵では無かったはずで、本当にご苦労さまでした。

良かったっす。

.

■a-m.Lully

あの役がオイシイ、この役がオイシイ、と書いていて気が付いたが、

全者全様にオイシイ役ばかり。

調べたら当然のごとく、当て書き脚本だった。

この辺が座付き作家、というか作家が率いる劇団の最っ高のアドバンテージだよなぁ。

と、同時に。

「このストーリー、映像化してもイケるんじゃね?

 というか、ヨーロッパあたりに売り込んでもいいんじゃね?」

と思ったのだが。

脚本、キャスト、演出のケミストリー化学反応)による名演と脚本単体のポテンシャルの見分けがつくほど、俺は観劇に強いわけではないので、この印象は保留しておく。

.

大道具・セット

背景と大道具がすごい。なんてったって “何もない” んだから。

物理的に必要な長椅子が脇においてあるだけ。

これ、大英断だと思う。

.

メインの舞台となるのは近世ヨーロッパの娼館で。

自分がイメージできるのは『ジェヴォーダンの獣』(クリストフ・ガンズ)くらいだけど、あれを雰囲気だけでも匂わせるには1千万円あっても足りない。

その後の場面展開を考えたら、そこはバッサリ切り落として、そのかわり衣装と装飾品にガッツリリソース(金と時間と手間)をかける。

キャストこそが情景の担い手という戦略。これ大正解

少なくとも自分はそう思った。

.

で、板の上には何もない代わりに、ステージ背面全体を三分割して並んだ3つのセル(部屋)。

ライティング次第で中のキャストを浮かび上がらせて、複数のストーリーラインを同時に進行できる空間なんだけど、これが実に効いてる。

回想、視点の移動、娼館の部屋それぞれ。もう大活躍。

.

白眉はエーヴェルス先生が娼館に潜入するシーン。

ライティングを目まぐるしく切り替えて、それこそ『ミッションインポッシブル』か『オーシャンズ11』かっていう高速カットバックを実現している。

(いや実際、照明さんは胃に穴が空いたんじゃなかろうか?)

実を言うとアタマのスミでは「それをやりたいなら映画でやったら?」と思わないでも無かったけど、映像作品と舞台の良いとこ取りをした意図は買うし、実際、効果的だった。

.

と、同時に。

こうも思った。

「ああ、そういうことか。エイゼンシュテイン以降の変革は舞台にも及んで、自分はいま変革後の作品を見てるのね」と。

MTV以降、ライブコンサートに巨大モニターが導入されて各種フレーミングが可能になったように、舞台も律儀に単一フレーム(場の一致)なんて守ってる場合じゃないよね。

.

■最後に、気がついたこと、気になったことをまとめて

・会場の音響が悪すぎ!

 卓かアンプが、どこかでバチバチに歪んでる。

 せっかく古典派の交響曲ストイックなまでにかためた選曲が台無し。

 客席横では四六時中、空調がプシュープシュー鳴ってるし。

.

キャパ、狭すぎ!

 ねえねえ、次はもっと大きい小屋でやりましょーよ。

 大丈夫。大丈夫だって

 連日満員でエクストラシート用意するくらいなんだから。

 ぜったい大丈夫だって!(←無責任

.

・ハッキリとした開演ベルが欲しかったところ。

 カスパルがおもむろに登場してアルラウネのオブジェを撤去して暗転ってのは、演出としてどうかと思った

.

プログラムの誤植。

 コーヒー愛飲の習慣のところ、 “嫌遠” は “嫌厭” の間違い。 

.

・余談だけど、今回の上演『改訂版』の前の上演回をみんな『祈念』と呼んでいる。

 理由を調べようと思ったけど、まーいーか。

.

キャスティングの軽重に関係なく、みんな多かれ少なかれセリフが飛んだり、噛んだりしていた。

 最終日の最終回、疲労のピーク。

 ステージハイっていったって、限度があるわね。

 その中でもディフェンダー2人(武川、小川)は、自分が見る限り

 挙動とセリフに一切のミスがなかったことを記録しておく。

.

.

……んー、こんな感じか。

.

ともかく、まとめとして言うならば。

幻想芸術集団レ・ミロワールの『アルラウネの滴り -改訂版-』良かったっす。

次もタイミングが合えば観に行こうと思いつつ、このテキストを終わる。

2017-10-03

[]

白砂を読んだ。ものすごく物悲しいエピローグだった。ラスベガスでたくさんの人が亡くなったけれど、シリアでも日本でもどこでもそうなんだけど、唐突に死を迎えなければならない人生やら無念やらがあるわけで、そういった人々の営みに思いをはせると猛烈にやるせない気持ちになる。

今回読んだ白砂って小説は、かなり読みやすい部類の物語になっていたと思う。軽妙な会話文もさることながら、長ったらしい情景描写もないし、最初こそ雰囲気に軽さが感じらて微妙だなあって思ってたんだけど、最終部の展開に至るころにはどっぷりと人間関係の難しさに呑みこまれていた。

途中で反省したんだけれど、どうも漫然と読み進めてしまうきらいがあるせいで、中盤辺りまで過去現在物語に登場する人物勘違いしてしまっていた。女性が話者になっている部分を、被害者母親の話だと勘違いしていたんですね。

ボルという人物名が出たあたりでありゃあこれは違うぞと、でもってああ、きっとこいつが犯人なんだろうなって予想したんだけど、最後の展開で予想のさらに上を行ってくれたのでとても満足した。騙されたというか、作者の術中に徹頭徹尾まんまと嵌められたわけなんだけれど、その弄ばれた感が心地よい読書感を与えてくれた。

そこに加えて最終部のエピローグですよ。事件被害者である小夜にクローズアップした一場面が短く描かれるんだけれど、これが本当に胸を打つ。小夜の内面エピローグプロローグの二つでしか主観で描かれていないんだけど、それがまた効果的に感情を揺さぶってくるんだ。

なぜこんなにいい子が死んでしまうんだって。どんな理由であれ、人の命を奪うことに対する憤りを喚起させる構成になっているように思えた。

結末が本当にぐっとくる作品から、ちゃんと最初から読み進めてほしい一冊でした。

2017-09-10

強すぎるラスボスvs弱すぎるラスボス

ラスボスが強すぎると起きる問題

・それまでの敵が雑魚に思えてきてあんな奴ら倒して調子に乗ってた俺なんなんだろうと萎え

いくらやっても倒せないので思わず攻略方法をググった結果わざわざ調べてまでゲームやるのかと萎え

・新たに大幅なレベリングや耐性装備の準備が必要なる場合作業感によって萎え

ストーリーの続きが気になるだけの場合はただ面倒臭さが強いだけなので萎え

・ただ硬いだけとか要求レベルが高いだけとかは本当に萎え

場合によっては萎えすぎてゲームを投げる

しかたなくED動画で見ることになり思い出が萎えた物になる

ラスボスが弱すぎると起きる問題

・それまで鍛え上げてきたプレイ技術キャラをぶつける先を見失って萎え

・あまりにあっさり倒せてしまうと上げておいたテンション肩透かしになり萎え

・せっかく溜めておいたエリクサーとかが余りまくったままゲーム終了になって萎え

・あまりラスボスが弱いとこの程度の奴らに滅ぼされそうになった世界の軟弱さに萎え

・ただ硬いだけで弱っちい癖に演出セリフにもやる気が見られないラスボスは本当に萎え

・あまり萎えすぎてエピローグにあたる部分がいまいち頭に入らなくなりそこでまた更に萎え


適度に対策出来て、適度に対策不能で、適度に固くて、適度に火力が高くて、適度に用意が必要で、適度に演出が派手なラスボスを私は望む。

2017-07-02

やはり2017年春季放送アニメ最高傑作タイガーマスクW

やはりタイガーマスクWが一番面白かった。他にも面白い作品はあれど、何度も繰り返し見たのはこれだけ。

それまでの半年と合わせて9ヶ月分のドラマの積み重ねと、実在新日選手と、旧作。そういう三段分のゲタがあったのだから、他の3ヶ月分の厚みしかないアニメと比べて格段に面白く感じてしまうのは当然とも言える。まあその点はズルいよな。

それでもまだ物足りない部分はある。そのほとんどは俺が観客マインドでこのアニメを見ていたため、劇中でマイクパフォーマンスのシーンがほぼ無いことでタイガーマスク感情移入をしきれていなかったことも大きい。来間記者が作中世界でタイガーやGWMがどう受容されているのかって記事を見せてくれるものと思っていたからその点でも肩透かしを喰らってしまった。

他にもタイガーナオト)にベルトを巻かせてあげて!とか、もっと実在新日レスラー出して!とか、GWMのケビン以外の若手にも出番を!とか、色々不満はある。

しかしそんな不満を吹き飛ばしたのはやはり試合のシーンだ。第37話『さらば虎よ』のファイナルウォーズ最終戦作画演出が素晴らしいがゆえに、俺は全ての不満を忘れてしまっていた。あんものアニメ作画暴力だ。あれを見せられたら最高だとしか言えないじゃないか

現実のそれと違い、カメラ自由に配置し動かせるが故の迫力ある投げ技や打撃のコンビネーション(もちろん背動や効果もすごくよかった。かっこよさ激増)。

技の選び方もいい。タイガーマスクWフェニックススプラッシュを繰り出したのがね。もうね。これは後のシーンにも効いた。うん。

猛虎重爆もサマーソルトダブルニードロップからコードブレイカーに行くときに、フランケンシュタイナーのように回転するという、アニメならではの常識外れな技として生まれ変わっていた。この改良にも感激。せっかくの必殺技をお蔵入りにしない。えらい。

そしてダークネスホールドと横入り式タイガーファングで腕を痛め付けたことでサクリファイスダメージを軽減。最後は正調のタイガーファングトドメザ・サードタイガーファングを躱そうとするも、左腕のダメージから動きが鈍って直撃。ダークネスホールドがただダークの技も出しましたよではなく、腕責めの一貫。それが良かった。

作画担当したアニメーター個性が強く出ていたように見えたのも印象的だった。あの試合には何人かタイガーマスクWがいたが、いずれも強さとかっこよさを兼ね備えた最高のプロレスラーだった。イチオシはやはり最後タイガーファングを繰り出したときタイガー

左足を高く上げたところでキラー演出はやっぱりかっこいい。ベタだけどそれほどに使われるだけの魅力がある演出

あのね。こんなもん見せられたら、もう文句なんか言えない。大満足ですよ。ここまで9ヶ月追ってきて良かった。本当に良かった。

それからエピローグ的なパートでのオカダと飯伏のシングルマッチタイガーマスクW飯伏幸太が登場だよ!ゴールデンスターが!アニメタイガーフェニックススプラッシュ出した回で!CV本人!G1出場決定のタイミングで!

そしてオカダに「久しぶりだな」と言われた飯伏は「そうでもないですよ」。まあ確かにこないだやったしそうでも……いや待て!飯伏は久しぶりのはずだろ!?あくまで飯伏は!と現実プロレス混同して大興奮してしまった。GWMの観客席に見たことある人が何人もいるー!という興奮から数十秒でこれだ。殺しにきている。

最終話仮面タイガースプリンガー』も番外編のようでいて、やはり最終話だった。

これまでスプリングタイガーとしてこっそりリングに上がったり、隠れてトレーニングを続けていた春菜ちゃんが、女子レスラースプリンガー」として本格的にデビューする。『さらば虎よ』が男達のドラマに決着をつけたなら、『仮面タイガースプリンガー』は今作に登場した女性キャラクター達の活躍集大成だ。

その分二人のタイガーマスクWのその後は、ほんのわずしか描かれなかった。しかしその中に衝撃的なカットがあった。

ラストシーンメキシコへと渡ったナオトの対戦相手として青コーナーに立つ相手は「ミスターNO」。前作にも登場した虎の穴怪奇レスラーだ。

虎の穴は最高幹部にしてその象徴であるザ・サードが敗れこそすれど、全滅はしていない。GWMも日本撤退しただけ。世界には虎の穴支配下レスラーはまだまだいるだろう。

そしてメヒコもGWMの侵攻を受けていたことは、エル・カラカスの引き抜きや第3クール内藤発言などで言及されていた。

そのアカプルコのマットに前作に登場したキャラクターの姿形を引き継いだレスラーが登場した。

まり虎の戦いは終わっていないのかもしれない。

こうしたその後のドラマ想像させてくれるのも、とても嬉しい。

東映アニメーションがこういう「テレビシリーズ」を作ることのできる会社だということを再確認できて感動した。

話数が多いなら多いなりの見せ方がある。それに過去作品っていうのはそれだけで資産。そして良作画正義。素晴らしい。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん