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はてなキーワード: 応酬とは

2020-05-25

anond:20200524122707

場所がなかったなんて生易しい言い方で適当に溜飲を下げないでほしい。

花が受けていたのはレイシズムルッキズムにまみれた「自分タイプではない、気に入らない女性に対しては何を言っても構わない」という倫理観の持ち主からヘイト応酬だったよ。

コンプレックスがあって、「自分の自慢の筋肉でも好きな人自分真逆の人のことが好きなんだろうなって思っちゃう」といった花の心の隙間に

メスゴリラ

・イケてない方のハーフ

きもちわるい

・最低な人間

生理的に受け付けない

みたいな批判にもなっていないただの罵詈雑言をなげつけ続けられた結果なのだ理解してる。

もう消えてしまって見られないけど、当時のコメント欄非道さを見てショックを受けて具合が悪くなる程だった。

好きではない人に「あなたのことが好きではありません」と面と向かって言う人がどれだけいるだろうか?

Twitter界隈では気に入らない相手にこれをやる人々が溢れかえっている。

アイドル等の人気商売の人たちが日常的に受けているやつ。

どうして、自分タイプではない女性にはブスだのゴリラだの言っても構わないと思うのか?

気に入らない女にはブスと言っておけば自分が勝ったことになるのか??

クソリプといえばそれで済んでしまうかもしれないけど、本当の本当の本当にクソリプだらけで、過去巨大掲示板から出てきたと思しき堂々とヘイトスピーチを行うことに慣れすぎたネット世界の慣習をそれこそ根本から見直す時期に来ていると思う。もう限界だよ。

2020-05-09

anond:20200508144117

人口比でいけば本当の中国人に当たる確率よりは、それ以外に当たる確率の方が高い。

中国人インド人に当たる確率よりも、それ以外に当たる確率の方が高い。

中国人インド人への対策はもちろんすべきだが、1回戦突破順位が上位50%になる)を目標にするなら、中国人擬態して不意を突くのが一番可能性が高いってことね。

インド人と当たったら遠距離攻撃応酬になるな。ヨガフレイムは厄介だよ。

2020-04-20

バイト日記

 オーナーが(基本的に悪い意味で)神経質なお陰で、レジ前面にでっかい透明シートがぶら下がった。こういう時だけはオーナーの(基本的に悪い意味で)神経質も役に立つというか。

 それは良かったのだけど、シート+マスクお客様の声が凄く聞き取りづらくなっていて、困った。一々聞き返さないといけなくなり、ムッとされる。私の声はでかいしよく通るので、普通にお客様の方まで聴こえるようなんだけど、私の声普通に聴こえるせいでシート+マスクにかなりの防音効果があることが、お客様には分からないようだ。(なお私以外の店員も声がでかくてよく通る人ぞろいなのである。)ただただ私の耳が遠いと思われてるっぽい。お客様の反応からそんな感じがする。すいません、本当に何言ってるのか聴こえないんです。

 相変わらず、店は行き場を失った子連れ家族の憩いの場と化している。ちょっと遅い時間なら空いてて良かんべ……だが、考えることは皆同じ!子連れ家族は大体同じ時間にやってくる!すごく……三密です……。でもまあ、一つの家に完全に引きこもってる家族が数家ぶんだから感染拡散させる可能性は低いっちゃ低いのかな。

 私に対して「お願いします!」の一言で全部の注文を済ますお客様が、二、三ヶ月ぶりに来店。痩せておられた。やっぱり敢えて私のレジに並ぶ。

 自粛で行き場を失った人々(家族連れだけに限らない)で妙な時間帯に混んじゃうので、雑用は隙あらばガンガン進める方針でさっさとやっつけてしまった。一緒に組んだベテランバイトの人が先手先手で雑用を終わらせる主義なのでよかった。組むのがオーナーだと悲惨だ。オーナーは(コロナ前の)普段混む時間帯に人っ子一人客が来なくても、「混んでる最中雑用してるのは格好が悪い」と言って雑用禁止する。そして、(コロナ前の)普段ならば閑散とする時間帯だが今は「今なら空いてそう」と当て込んだお客様達で溢れる時間帯に雑用をやれと命じ、拒否れば怒り、従えば「何で今やるんだ!」と怒る。私の上がりの時間雑用がもりもりに残っていればまた怒る。そんな感じで、オーナーと組む時のシフト地獄だ。

 暇な時に、雑用は先手でこなす主義ベテランバイトの人と品出しをしていたのだが、オーナーはかなりのトラブルメーカーだとベテランバイトの人は言った。私がオーナーに集中的に八つ当たりされて辛いと、以前ぼやいたことへのアンサーのようなものだ。

 私とベテランバイトの人が組んでシフトに入っている時間帯に何かしらの用事があってオーナーもいるという場合。そういう時は私に集中的に八つ当たりをしてくるのは、気のせいではなくて事実だし、客観的に見て明らかだという。オーナーにとっては、私は他の従業員に比べて当たり易いようだ。でもって、夕勤に入っている女性は全員、オーナー八つ当たりされまくりなのだそうで、そういう意味では私は特別ではないらしい。

 夕勤に私など女性バイトが入っていない時、なんとオーナーは機嫌が悪いと客にすら当たるという。

 そんな訳で、先日オーナーは非常につまらんことで客と大喧嘩になったそうだ。ベテランバイトの人的には「いつもの光景」だったらしいのだけど、その時一緒にシフトに入っていた新人バイトの子が怯えてしまって、可哀想だったとのこと。事の発端が、お客様新人バイトの子に、その子とは関係ないクレーム対応を求めたことで、新人過ぎてどう対応したら分からないのでオーナーに助けを求めたら、そんなことになったという。

 大抵のトラブルで、オーナーが出ていくと余計面倒臭いことになるとベテランバイトの人は言った。例えば値札と商品の値段が違うとか、賞味期限切れ商品を売り場に放置していたとかいう、明らかに店側の落ち度の案件でも、オーナーは機嫌が悪いと「へぇ……で?(金返しゃいいだろ」みたいな対応をするので、お客様激怒させるのだ。

 オーナーには相手を煽っている自覚がないので、「ちゃんと返金したのにキレられた!悪質クレーマーだひどい!」と思い込んで怒れるお客様暴言応酬して喧嘩になるのが、いつものパターンなのだ

 まったくずぶの新人でもない限りは、何かクレームが入った時にはオーナーを出さない方が穏便に片付く、特にベテランバイトの人や私は人当たりが良い方なので、クレーム対応お客様をより一層怒らせることはないので、自己解決ベスト……。

 当店に私が採用面接に来たときオーナーが、

 「夕勤は若い男の子ばっかりだから接客が丁寧に出来なくてお客さんと揉めることがよくあるので、増田さんみたいに接客人生経験のある人が入ってくれると助かる」

なんて言ってたけど、雑な接客トラブルを起こしていたのはオーナー本人だったという訳だ。

 ベテランバイトの人は、オーナーは元からそういう人であって、バイト八つ当たりしまくってても特に相手の事が嫌いとかクビにしたいとか思っている訳じゃないから、上手くスルーしたり転がしたりしていればいいといった。つよい。

2020-04-17

みんな自分で決められない・決めたくない

私の勤務先もサービス業一種であり、一部時間短縮営業などを行っているが、

「こんなとき営業しているのか!!」

「お前らが営業しているから行くやつが出るんだろ!!」

という意味不明な名乗りもしない(当店の利用者なのか、何の関係もないのか)電話がかかってくる。

中には「お前たちが感染を広めている」と明らかに誤認した内容をぶつけてくる人もいた。

当店としては可能な限り感染症拡大防止策を実施し、3密の状況を回避できるように営業している。

少数とはいえ利用者がいる以上、サービス提供しなければならない。

対策をしているとしてもなお不安…と思うのならば、それは個々人の捉え方の問題であり、個々人が自らの意思で、自らの判断で行く・行かないを決めるしかない。

他ならぬ自分自身ことなのだから

しかし「お前らが営業しているから~」などと平気で責任転嫁してくる人は後を絶たない。

みんな自分で決められない・決めたくないんだな。

平常時とは言えない状況だから、冷静な判断力を一時的に失っているだけなのか。

あるいは平常時であっても元々その程度の判断しかもっていないのか…。

政府関係都道府県知事の会見を見ていても、休業について

政府「各企業判断をお願いしたい」

企業行政主導で行うべきだ」

応酬

お互いが責任の擦り合いをしている構図に見える。

行政トップがこれでは他は察して知るべし、といったところか…。

主体的判断する」ということを習得しなかったのか。

せめて自分のことくらいは自分で決めろよ。

2020-04-10

最強のネット処世術考えたwwww

それは自分書き込みに対する返信を見ないこと。

見なければ何も思わないしストレスも溜まらない。自分の書きたいことだけ書き込んでその場から立ち去る、これ最強だと思う。

ネットコメント欄誹謗中傷マウント合戦

応酬。それに対して真面目にいちいち反応したり論破してやろうなんて思ってたら疲れる。

から自分は返信を見ない。

2020-04-03

フェミニズムしんどい

最近コロナ一色であまり見かけないがそれまでじわじわ毒が回るようで見ていてしんどくなっていた。

東大医学部での女性減点や性的虐待を行った父親への無罪判決(3月に逆転有罪になったけど)は許せないし、仕事用の靴だってフォーマルものであればパンプスじゃなくてもいいしローヒールでもいいと思ってる。

女性ってだけで差別されるのは納得いかないし、女性はこうでないと!という決めつけは本当に嫌いだった。だからフェミニズムを知ったときはいわゆる女性から外れる自分肯定されたみたいで嬉しかった。

どんな人たちが行っているのか、どんな事をしているのか知りたくて色々調べてSNSフォローして、この人たちを応援したい、少しでも生きやすくなりたいと思った。

だけど、段々違和感が出てきた。

まず、フェミニズムとは女性の権利を守ることだと私は思っていた。だから女性の権利の為に声を上げる人は全てフェミニストという認識だった。

でも女性の権利を守りたい人どうしで対立がしばしば起こる。

リベラル男性だっているし性犯罪に本気で怒る男性もいる。だからまり主語として男性を使いたくない、そもそも一般的男性像も良くないかこちらも改善していこうと説く人たちと男性利権意識改革を何故差別された女性が行う必要があるのか、と考える人の間で対立が起こるように思う。

正直どちらが間違ってるとも思わない。アプローチ方が違うだけで対立するほどのことかと思ってる。

女性の権利を守りたい、という同じ目的で何故対立を見ないといけないのか。

対立が大きくなると色々な人の意見が出てくるが、大体外野ミソジニーミサンドリーの殴り合いという地獄生まれる。

しかもこの外野対立がどんどん広がって

似非フェミ名誉男性なんて侮辱フェミニストを名乗る人たちまで言い始めてる。

まともな意見を言ってる人がたくさんいるのは知ってる。でももう、その人たちの意見がかき消えそうになるくらい差別ねじ曲がった意見が目につく。

献血ポスター就活サイト広告が最たる例だった。

公共広告として適してるかどうかの議論でどうして胸の大きい女性への差別発言が出てくるのか。

差別を無くして生きやすくするための活動差別発言の応酬なんて本末転倒だ。

もうフェミニスト批判フェミニスト達への批判も見たくない。

素晴らしい活動だと思っていたのに、今はもうフェミニズムという言葉を見るのもしんどくなってしまった。

増田ってコロナウイルス蔓延してほしい派と早く終息してほしい派が両方いるのに

両者が直接火花を散らしてやり合ってるみたいのは全然見かけなくて

揚げ足取りとかどうでもいい部分でどちらだかよくわからないキチガイっぽい人同士がレスバの応酬してるのばかり見かける

冷静になってみるとすげー不思議空間

蔓延派と終息派は思想信条自由を基に認めあってるということなんだろうか

2020-03-14

フェミニズムに少し関わると見えたこ

ポール・ハギンズ監督による映画クラッシュ』という秀逸な映画がある。アカデミー賞を取っている。

この映画簡単にいうと、

人種の坩堝であるアメリカにおいては、日常様々なところで人種差別があるのは当たり前の日常になっていて、差別する方もしたくない方も疲れ果てている。しかし一旦大変なことが起こると、人種の壁など一瞬で超えることが私たちは出来るじゃないか。という主張の映画である。もう私はこの映画に感動しまくって、涙が止まらなかった記憶がある。批判もあった。そうはいっても差別をなくさなければならないのだから、この映画のように差別なんかどうでもいいじゃないか、という主張なのでは問題解決にもならない、など。

どちらの意見整合的ではあるとは思った。が、どっしにしろ私たち人間は協力しないとこの世界では生きてはいけないという、赤裸々な真実はあって、目をそらしていいわけではないのである。どちらの意味においても、である

さて、フェミニズム話題として、最近はあの石川優実さんによる#KuToo が話題をかっさらっている感がある。華やかな表舞台では#KuTooは石川優実さんとともに世界的に評価されつつも、その裏側では石川優実氏のあまり矛盾した態度とそれをよく表した#KuToo本(靴から考える本気のフェミニズム)に対する猛烈な批判である

私が気になったのは、どちらが正しいかなのではなく、どうしてそんなに極端に矛盾した状態になっているのか? であった。これは一旦はいってみる価値があるのではないかと、フェミニスト側の立場仮面を被ってTwitter上で観測を始めた。

こうした問題は、双方の目を持たないと、実はその真相が見えてこないのである。実はこれ、全くの単純な考え方であり、例えば子供二人が喧嘩していた時、仲裁に入る人はどちらの目線にも立つはずであろう。別に仲裁たかったわけではないが、一方の側にばかり視点偏重させると結局、人はため息か悪態をつく以外になくなってしまうのである。その視点を私に与えたのが、昔見た映画の冒頭の「クラッシュ」だった。

で、どうだったか

結論を言おう。

#KuTooはそんなこと無関係に大いに役に立っている、それは間違い無いという単純な事実が一つある。石川優実さんがいう通り、少しずつ労働現場では強制がなくっていているなどということの他に、安倍首相共産党小池氏が、日々国会で厳しく論戦を繰り広げていたのに、#KuTooの話で、小池氏が安倍首相の言質をとって、一時予算委員会拍手と笑いに包まれたという名シーンであるあんな和やかなシーンはあまりたことがない。

だが、一方で、KuToo本は最悪の駄本であるあんな酷い本もない。たとえ敵側の人たちをクソリプする人達と罵ろうとも、やってはいけないことのオンパレードで、現代書館までその人たちをなんの根拠もなく犯罪者呼ばわりするのである。やってはいけない改竄捏造・酷い引用の仕方、到底倫理観のかけらもない行為しか思えないものである裁判になりそうなので、そうなったらコテンパンにやられて欲しい。

そして、石川優実氏は相変わらずで、クソリプ攻撃応酬に疲れ果てたのか、とうとう「死にたい」とまでTwitter上で公言する有様。それをみる味方側も誰も批判しないという異常な光景、私はもはやこれはただ事ではないとしか思えなかった。

死にたい、と公言したのは、いわゆる死ぬ死ぬ詐欺である。あのねぇ、石川さん、それ女の弱さを利用する、フェミニズムに最も反する行為じゃないか。信じがたい暴挙である

そして彼女はすぐさま、ハングル韓国応援要請(これは彼女が心を落ち着ける以外の目的はないと推測)、英語で同様にTweet拡散。あまりにもこれは自己本位であり、あんなのを許す味方も含め、頭おかしいとしか思えない様相

私はその時点ではまだよくわかっていなかったが、何れにせよ、#KuTooを崩壊させかねない、愚行そのものであった。

どうしてそこまでに至ったのかについては、理由簡単である。「怒り」に任せたかである。KuToo本ではっきりそう言っている。彼女原体験は、彼氏にブチ切れて彼氏に女の苦労を認めさせた、そこにあるからだ。

から怒りは一番正当であり、怒ってさえいたらなんとかなる、と。しかしそれは、あまりにも無知であり、彼女が受けたMeToo被害だって、失礼だけど有り体に言って無知だったからに他ならない。もちろん男が悪いのではあるが。

宇崎ちゃん騒動や、ラブライブ騒動も実は全てそれで、あまりに「怒り」に任せすぎるのである

何故なのか。

それはもう、はっきりしている、女性差別が現に存在するからである彼女無知ながらも自分一人で「女性けがどうしてハイヒールを履かねばならないのか」を発見できたのも、女性差別が現に存在するからである。そうした認知がなければ彼女は静々「ルールから仕方がない」と大人風に冷淡にただ納得していただけであろう。

他にもある、トランスジェンダー女性に対する差別である

結局は、怒りに任せないと、理解させる方法がないのだ。少年ブレンダさんも、怒る以外に方法がない。どうしてもわかってもらえない。

ーーー追記

他にも女性差別に関し様々な怒りの声が世界で沸き起こっている。真っ先に思いつくのは前述した#MeTooでもある。

あるいは視点を変えて女性教育重要性を主張するマララさんであったり、アメリカ女性トップレスでも良いじゃないかと主張して上半身露出デモを行う人たちもそうであろう。多くの女性差別への怒りに対する声はもう止められない。

それでもなかなかそれら勢力と反対側にいる人たちは理解しないのだ。

もちろん現実には共感して支持する人もいるにはいるが、それらは彼女女性が「怒る」のは差別の大きな枠組みとして「女性差別」があると言うことをどうにか認めてほしいと言う切なる願いに他ならないとしか思えないのである

本当に理解の壁というのは高過ぎて絶句するほどに思えることすらあった。

ーーーー

これがフェミニズムにまつわる悲しい、しか事実であった。

彼女たちに怒る理由は十分すぎるほどある。それは決して「あなたたちそんなに怒るな」なんて到底言えるレベルの話ではない。差別とは何か、もう一度原点に戻って考えるべきではあるが、冷めた目で事態をを見つめるのは、例えばブコメなどで、適当意見をいう程度で済ませるのは、関心を持つのであれば、できたらやめて欲しい。

言論の自由はある。

だって、そうした問題を見つけられたのははてブコメントTwitterなどで、騒ぎになって可視化されたからそれは否定しない。

だけど、そうした悲しいフェミニズムの持つ現実女性差別があるというのを少しでもいいから、どうしてもわかって欲しい。

考えてみて欲しい、極端な話だけど、何年も何年も女性男性の下に置かれて奴隷のように暮らして来たのである

女性奴隷ではない。一刻も早く解放させてあげたい。

これが私の見えたことであり、お願いである。

2020-03-11

私は広告制作現場を辞めて、広告屠殺する現場転職をした



私は広告業界10年ほど広告制作仕事をしていた。最初総合代理店で、最後半年WEB広告代理店で。

そして昨年末をもって退職に至ったので、退職エントリではないが、なんとなくWEB広告の実情について

広告業界の人たちにも話したかったので文章にまとめることにした。


私は広告業を一つの文化」だと思っている。

そう考えるのは広告従事者の奢りだ、と言われがちだが

私はそれは、奢りではなく、むしろ戒めだと考えている。

なぜなら広告会社は、そういった矜持自戒の念を込めて持っていないと、

簡単ゴミ製造する工場へと成り下がってしまうからである




私は新卒とある広告代理店入社し、そこから10年ほど制作担当することになった。

大手というわけではないが、時々全国規模のTVCM制作も手がける、そこそこの代理店である

そこは、今となっては「働き方改革」の標語ひとつで一蹴されてしまうような、徹夜休日出勤を繰り返す昔ながらの制作現場だった。


なぜそこまで業務時間が長くなるのか?

普段長時間労働と縁のない企業の方からすると不思議だと思う。

私はこれは、他ならない「文化からの転落への恐怖」に起因していると考えている。


基本的に、広告公共空間公共電波を使ったゴミである

もし広告クライアントの言われた通りのものを作れば、

タレントは不自然に微笑み、手放しで商品を褒める怪しいコピーで溢れかえり、

最後自己満足キャンペーン応酬お茶を濁す

お金をもらって公共空間を1枠使って汚す「ゴミ」が完成する。


からこそ代理店制作者は、1ミリでも多く、見る者の目を楽しませる努力をする。

広告の枠を超えて世の中全般を動かせるような言葉を発信できないか苦悶する。

ゴミ」と「文化」の間に横たわる深い河を、靴一足分だけでも超えられないか

というギリギリ闘争クライアントと繰り広げる。


だって自分人生をすり減らしてゴミを作ってる、とは思いたくない。

自分文化を作っているんだ、と言い聞かせたい。


そんなミリ単位のこだわりを爆発させていくうちに、時間外労働は積み上げられ、

残業休日出勤オンパレードとなっているわけである

ホントにダラダラやってるだけのヤツもいるんだけど)


私は土日の撮影徹夜プレゼン準備が反吐が出るほど嫌いだったが、

ういういい歳こいたおじさん達が、1ミリでも良い物を作るために

わがままを通そうとする姿を見ているのは嫌いではなかった。


情熱大陸とかプロフェッショナルでは、プロ達は綺麗なオフィスキラキラ仕事している場面ばかりだが、

現実プロ達は深夜の制作会社会議室で、ボロボロになりながら臭い鼻息を撒き散らして仕事に食らいついている。

繰り返されるのは、誰かが「もうこの辺で辞めにしませんか?」と言ってしまえば終わってしまうような脆弱会議である

しかし「少しでも良いものを作らないと俺たち生きてる意味ないよな」という不文律が全員の頭の中に共通して存在するから

「もう辞めよう」と口にする人は一人もいない。そして1ミリだけ良くなった企画書を持って徹夜明けでプレゼンに挑む。

その情熱大陸が映さないような種類の、リアルな感じが好きだった。


まぁ、そういうおじさんおばさん達の見えない闘争が積み重なって、

広告文化」と心の中で思っていても怒られないくらいの社会風潮は出来たのではないかと思う。

美大メディア学系の大学広告論の授業があったり、

過去の名作広告をまとめて本や番組が作られるくらいなのだから、一応文化と言っても差し支えはないだろう。




その会社で9年働いた後、私は縁あってWEB広告代理店転職することになった。

これが同じ「広告代理店」を冠しているが、とても同じ広告を作っているとは思えないような職場だったのである

ここが広告という文化を殺して食べる、屠殺現場のような場所だった。



WEB広告とそれ以外の広告の、一番の違いは何か。

それは「数値化」だ。

WEB広告を作る、ということは、制作物の全てを数字に置き換えることができる、ということなである

この広告が何秒見られたのか、どんなクラスターの何%が見たのか、何%が商品を買ったのか、広告コスト効率はいくらか。

広告の全て数字で語ることができるのがWEB広告独自性であり、実際私が居た会社はその強みを最大化するような戦い方をしていた。


すると何が起こるか。

全ての広告を、数値をベースに作るようになるのである


たとえば、必ず視聴率クリック率が高く出るような広告をつくる。

それはどういうヤツかというと、始まってすぐに「お得なキャンペーン」とか「今だけ何%ポイントキャッシュバック」といった数字を画面に大きく出すようなアレである

誰もがあれに反応するわけではないが、一定層そういう数字に反射的に反応する人種の人たちがいる。だから結果的に数値はわかりやすく上向くのである


たとえば、広告コスト効率が高い広告をつくる。

コスト効率を上げる方法は2つしかない。前よりも大きく結果を出すか、制作費を削るか、である

そういうわけからWEB広告代理店では撮影外注を行わない広告制作奨励されている。

ストックフォトやフリー素材だけで制作すれば、地獄みたいなクオリティになるが原価はゼロに近づく。

そして前述の視聴率アップの手法があるので、不思議とそんなものでも視聴率が高かったりする。数千万かけて作ったTVCMより高かったりする。

その結果、コスト効率は上がり、「クライアントも喜んでいます!」という嘘みたいな報告が営業からは来るのだ。



私にはこれが、数字裏付けされたゴミを作っているようにしか見えなかった。

始めにこのクオリティ広告を見た時「まともなクライアントがこれにお金を出すはずがない」と思っていた。

しかし実際は違う。喜んで買っている。そりゃそうだ、クライアントの持っているお金は「広告宣伝予算」であって「広告文化への投資予算」ではない。

RADWIMPSが歌うデザインされたTVCMであれ、フリー音源ポイント還元キャンペーンだけで出来たWEB動画であれ、効果が高そうなものお金を払う。

なんとなく効きそうなだが高価な胃薬と、見た目はチープだが安価で効き目が数字裏付けされている胃薬だったら、後者を選ぶ人は少なくない。

私が在籍していたのは半年程度だったが、WEB広告会社大手代理店から仕事を奪ってきた、というようなニュースを度々耳にした。




かくして、広告という文化は、数値に裏付けられたゴミによって貪られ、じわじわと瓦解し始めている。




今なお「広告文化だ」と思っているのは広告制作者を始めとする一部の広告ギークだけなのだろうか。

しかしたら多くのクライアントサイドも、今では広告文化だとは思っていないのかもしれない。

(思っている希少なクライアントもいる。代理店はそういうお客さんを大事にしてください。)


少なくとも、WEB系の広告会社にはそもそも広告文化と思うような発想はない。

ただ忠実に、広告言葉通りの「広告なのだと彼らは思っている。

彼らは非難される立場ではない。だってそっちの方が本来の「広告」の語義には近いのだ。

から彼らは彼らが今作っているものゴミとは思っていない。

経済を回すための1つの因子」みたいな感じに思っているんだろうなぁ、きっと。


私には、彼らが目先の利益のために無邪気に広告破壊

文化もろとも倒壊しているのにも気づかず勝ち気になっているのが我慢できなかった。

そういうわけで、私は半年会社を辞めることにした。



懐古趣味の「昔は良かったおばさん」みたいな話にはしたくなかったのだけど、

この話は結局そういう結論しかならないのかもしれない。


2019年、ついにWEB広告の出稿費がTVCMのそれを超えたという。

この先の広告業界WEB業界を中心に回るのは日を見るより明らかだし、その時のエースプレイヤーは私が辞めたあの会社かもしれない。

しかし、あの地獄クオリティWEB広告達を元に大学の授業が行われることはないだろうし、それを論じた本が出るようなこともない。

広告という「文化」は静かに解体され、彼らに食いつぶされ、いつの間にか消滅していることになるだろう。


私はそんな「冷たい熱帯魚」みたいな解体現場で確かに働いていた。

そして次はまた、古い広告業界に近い所で仕事をする。

これは救命ボートからタイタニック号に乗り換えるような所業かもしれない。

ただ無邪気に文化を貪り続けるよりはマシだと思っている。


あの制作会社会議室で、今日広告文化足り得るようしのぎを削る人たちがいる。

私は化石のような彼らを、情熱大陸クルーの代わりに見届けることにする。

2020-02-28

anond:20200228142333

インターネット専門で3000円くらいでこのへんのをテンプレ応酬代行してくれる国家資格者とかできないか

である弁護士がいれば弁護士事務所のコピペ事務メール作業として受けられるようなやつ

企業側としても変な素人の主張を相手にしなくていいか効率的だろう

2020-02-13

映像研の感想

酔っ払っている。

映像研。

今、アニメ6話まで見たところ。

原作漫画アニメを本格的に見る前に5巻まで読んだ。

で、原作を踏まえてアニメを見た感想

こんなに「愛」に溢れたアニメはないんじゃないか

作中で3人の少女は、アニメを作ろうと奮闘する。

設定を作り、動画を割り、資金環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。

で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。

しかし悲しいか漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。

そこで今回のアニメである

完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。

それだけじゃない。

アニメ制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場感覚アニメの作り手自身が持ち込んで足している。

決して「現実をナメるなよ」というニヒリズムや諦念ではない。

強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。

映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。

「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」

粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ

祝福をもって、受け入れられたのだ。

そして、アニメプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。

他でもない、原作者・大童澄瞳氏、その人である

エンディングアニメーターとして参加したことがその証左だろう。

原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。

で、このアニメは、アニメからの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。

エンディング動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。

(おそらく、浅草氏に近い画的資質を持つ人なのだろう)

それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。

これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。

原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、

「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。

それでいて、そのラブレター勇気づけられたことに感謝も示す。

偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬しかないでしょ。

アニメの作り手は原作に、原作の描き手はアニメの作り手に、

お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。

その結晶が、このアニメ作品なのだとしたら。

それが傑作に、ならないわけがない。

余談

それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。

そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。

アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。

そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。

アニメ映像研は、そういう作品だと思う。

映像研の感想

酔っ払っている。

映像研。

今、アニメ6話まで見たところ。

原作漫画アニメを本格的に見る前に5巻まで読んだ。

で、原作を踏まえてアニメを見た感想

こんなに「愛」に溢れたアニメはないんじゃないか

作中で3人の少女は、アニメを作ろうと奮闘する。

設定を作り、動画を割り、資金環境をかき集めて、なんとか作品を形にしようとする。

で、その作品は、原作作中いくつか「その時点での最善」に過ぎないながら完成する。

しかし悲しいか漫画作品。完成した作品を、読者は「アニメとして」鑑賞することができない。

そこで今回のアニメである

完成したアニメを、アニメとして、そしてアニメならではの感受性表現(ex.予算審議委員会)をもって魅せてくれる。

それだけじゃない。

アニメ制作する過程の部分も、「現実ならこうだぜ」「俺らならこうするぜ」と、実際の現場感覚アニメの作り手自身が持ち込んで足している。

決して「現実をナメるなよ」というニヒリズムや諦念ではない。

強いて言うなら、現れているのは「おじさんをナメるなよ」というプロとしての矜持だ。

映像研の3人の少女は、歓迎を以てアニメプロのおじさんたちに受け入れられたのだ。

「実際作るならこうだろ」「この方が画としていいぜ」「あーそこで苦労するよな。わかるわかる」

粗削りで、未熟で、それでも熱意だけはある3人娘は、アニメを作るおじさんたちにとってほっておけない存在なのだ

祝福をもって、受け入れられたのだ。

そして、アニメプロたちに笑顔で迎えられた人がもうひとりいる。

他でもない、原作者・大童澄瞳氏、その人である

エンディングアニメーターとして参加したことがその証左だろう。

原作映像研は、アニメーターに憧れて挫折した大童澄瞳による、アニメ業界へのファンレター…というかラブレターだと思う。特濃の。

で、このアニメは、アニメからの、湯浅政明監督からの愛に溢れたアンサーだと思う。

エンディング動画を見ると、大童澄瞳は現時点ではやっぱりアニメーターとしては並以下だと思う。

(おそらく、浅草氏に近い画的資質を持つ人なのだろう)

それでも、毎回必ず流れるエンディングで、メインアニメーターとしてクレジットされている。

これが、業界の先輩の愛でなくて何なのか。

原作映像研という「アニメって/アニメーターってすげえんだぜ!」というラブレターに、

「お前が思ってるよりもっとすごいぜ!」あるいは「そうまで言われちゃやるしかあんめぇ」と粋な回答を示す。

それでいて、そのラブレター勇気づけられたことに感謝も示す。

偶然かもしれないけど、サイエンスSARU(制作会社)と映像研のロゴの重ねっぷりなんか、愛と愛の応酬しかないでしょ。

アニメの作り手は原作に、原作の描き手はアニメの作り手に、

お互い元気をもらい、お互い感謝しあって、お互い認めあって。

その結晶が、このアニメ作品なのだとしたら。

それが傑作に、ならないわけがない。

余談

それを於いても、特に浅草氏のイメージ段階の画は、コンテのまま見せる、動画を割らなくていい、等作り手として楽できるポイントでもある。

そういうところを衒いなく取り込んで悪びれないのはやはりプロだと思うし、鑑賞者もスケルトン的に楽しい。図解というか。「アニメのできるまで」みたいな。

アニメを作るおじさんたちの「親心」「兄貴ヅラ」「若者を見守る目」。

そういったものが、何より愛おしく可愛く見える。

アニメ映像研は、そういう作品だと思う。

2020-02-12

何かをもったいぶる馬鹿他人に何かを聞いて答えを得るという応酬経験が不足している。

勇気の欠落は経験の浅さに裏打ちされている。

単に聞けばいいものをその一歩を踏み出せないばかりに周囲から置いていかれるのだ。

2020-02-05

anond:20200205162333

このエントリー読んで「観測範囲問題かどうか?」に最大の焦点を当てて意見言ってる人は全然こいつの文章読めてない。

主張の応酬でそれぞれの内容を吟味したうえでフェアに意見を発信するなんてことをはなっから放棄して、態度でヘゲモニー握ろうとするのはクズとみなされるからやめようって話だからな?

2020-01-28

活躍しているWebライターの末路

先日、ヨッピーさんの記事(というか、「バズらせ」の記事)ってもう古いんじゃないかという増田記事を見た。

実際には、現状は数字的には減ってないだろうし、むしろ増えているのだと思う。

しかし、かつての雑誌業界を知るものとして、ちょっと書いておいたほうがいいんじゃないかと思ったので書く。

80年代から90年代において、出版では「雑誌ライター」が花形だった。

彼らは若者向け雑誌にくだけた文体原稿を書き、人気を得ていた。そのころ、そういうライターは平気で年収1000万いった。

けれども、そういったライターは今どうしているか? というと、ほぼほぼ生き残っていない。いたとしても今じゃ年収300万以下だろう。

何が彼らに起きたかというと、過度な口語面白おかしいことを書くというのが、時代に合わなくなってきたのだ。

90年代後半から、読者に求められるのは実用系の記事ばかりになってきた。これはたぶん、雑誌を読む世代の年齢が上がったから。

面白文章」みたいな記事雑誌からどんどんなくなり、巻末の連載コラムだけになった。

そのころ、一番稼いでいたのはインターネットのやり方を指南するライター。そういう人が年収1000万いっていた。

しかし、おもしろライターの面々はその流れに対応できず、どんどん傍流に押し流されていった。そして、いなくなった。需要がなくなるって残酷だと思う。

今、コラムニストとして活躍しているのは能町みね子さんや犬山紙子さんといったWebから出てきた人々。それも別におもしろ」とはちょっと違う。くすぐりはありつつも、読ませるテーマみたいなのがある(かつての雑誌ライターテーマがなく、「こういうの面白くない?」という視点しかなかった)。

さて、Webライターの人々を見ていると、かつての雑誌ライターの人々を思い出してしまう。

笑えるネタ若者の興味を引き、時流に乗った書き方で読ませる(写真で見せて、セリフ応酬するみたいな書き方)。

しかし、先日の増田にも書かれていたように、その書き方もそろそろ耐用年数が過ぎようとしているのではないかと思う。

スマホで長々と顔写真入りの記事を読むのはちょっとつらい。それに、同じようなネタならYouTuberを見たほうがいいのではないか、という気もする。

ちょっと思い出してみても、以前はWebライターとして見た顔も、今じゃまったく見なくなった人も少なくない。

ひょっとしたら、すでに消えた人の方が悲惨ではないのかもしれない。時代に合った稼ぎ方に移行すればいいのだから

つらいのは今後もWebライター的な記事を書いていく人だ。かつての雑誌ライターのようにどんどん傍流へ押し流されていく。

80年代90年代活躍した雑誌ライターは、今振り返ると驚くほど書籍を出していない。本を出さなくても雑誌で稼げたからだ。

同じようにWebライター記事書籍化していない。そもそもあの形式だと紙で見せる方法がないのだけれど。

本が残らないということは、そのまま人々の記憶ごと消えてしまうということだ。Webライターはほんの一時期だけ稼げた時代の徒花に、このままだとなってしまうと思う。

2020-01-27

anond:20200127091425

クソアニメにクソって言うなってのと同じで、罵倒応酬って認め合うとかそういうのとは対極のコミュニケーションだと思うよ

否定が入る時点で排斥と変わらない

2020-01-26

フェミニストに対する譲歩はより事態悪化を招く

太田啓子、『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血コラボ第2弾が決定しても、RT日本赤十字社攻撃し続ける

https://togetter.com/li/1460235

赤十字血液センターサイトでの『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血コラボ第2弾告知に画像はなく、大相撲藤沢場所のはある

https://togetter.com/li/1459810

【宇崎ちゃん献血】「赤十字つべこべ言うオタク当事者不適格」と述べた社虫太郎との応酬とその顛末

https://togetter.com/li/1459624

関連:「フェミニストのせいで仕事を奪われる女性」に関して

https://togetter.com/li/1458886

人を焼きたい者が絵を焼いていただけだった。小宮准教授 @frroots どうすんの?

https://togetter.com/li/1459470

当たり前。

止める訳がない。

これはフェミに限らずだけど、この手の規制を推進する奴等に譲歩したら、より増長して、過剰な行動を招いたり、規制のお代わりが来る事は判り切っていた事。

特にフェミに関してはあいつらの要求は際限なく来る事なんて、今までの事例をみれば判る事なんだし、漫画に限らず、自身不快な代物を潰したい為だけにこの手の屁理屈をごねているのは判り切った話なのだからね。

この人達本質はそれこそクレーマーのものなのだから

その譲歩のせいでよりあの人達勘違いして、ついに漫画に限らず、実在女性まで被害が出る様な所まで増長させてしまったのは事実なのだわ。

2020-01-24

緩募レス応酬の最長記録

ネット掲示板SNSなどで、ついつい議論が白熱して引っ込みがつかなくなり、延々とレス応酬が続く事がある。

それの最長記録が見てみたい。

量の側面、期間の側面どっちも。

2020-01-20

anond:20200120131747

所詮お気持ち応酬ならば、その闘争は、ヘイトスピーチ規制の考え方に則るべきだろうな。

ただし成立したヘイトスピーチ規制法ではなく、ネトウヨの言うところの反日ヘイトも含むヘイトスピーチも併せて、憎しみのお気持ち表現を広範に禁止するものとする。

anond:20200120130808

相関関係因果関係区別実験ができない以上ほとんど無理だろ。結局お気持ち応酬になるだけ。関係あるよ派もないよ派もお気持ちでしょ?

2020-01-11

初めて好きになったジャンルを離れることにした

 多分10年くらい前からアニメオタクをやっている。なんなら同じくらいの時期から腐女子も拗らせている。

 10年というのは短いような気もするし、長かったような気もする。それだけ長い間何かを好きでいられたのは純粋に嬉しい。

 けれどそうなった理由ジャンルを、離れようと思った。

 冒頭で10年と言ったがそれは嘘だった。正確には9年と3ヶ月と20日くらいだ。

 本当はもっと正確にわかると思う。そのジャンル……名前を出してしまうなら、『イナズマイレブン』を好きになったのは、とある一話を見たのが原因だからだ。

 イナズマイレブン無印100話『奇跡河童との遭遇!?』(2010年9月15日放送

 イナズマイレブンを知っている人は『その回!?』と思うだろうし、イナズマイレブンを知らない人も『河童……?』と思うことだろう。

 簡単説明すると、まずイナズマイレブンゲーム原作としたサッカーアニメである

 この回では、森の奥に迷い込んだ登場人物河童サッカーバトルをすることになる。未視聴の人はもっとからなくなったと思う。初視聴時の私もよくわからなかった。

 少しでも気になったならぜひアニメを見てほしい。今でもそう思うくらいには好きだ。

 友人に勧められ『河童回』(この界隈ではよくそう呼ばれている)を見た私は、とりあえず理解に努めようとそれからも度々イナズマイレブンを見るようになった。それからしばらくして主人公たちが世界大会に優勝し、新シリーズが始まってからは毎週欠かさず見るようになっていた。DVDを借りて過去の話をすべて見たし、原作ゲームももちろん買った。バージョン違いで複数出ているものも、全部揃えた。

 それまでも幾分かオタク気質はあったと思う。少ないお小遣いからジャンプを買っていたし、外で遊ぶよりも本を読むのが好きだった。

 けれど明確に私を狂わせたのは、やっぱりイナズマイレブンだと断言出来る。あと銀魂

 そんなイナズマイレブンも、2014年に一旦テレビアニメシリーズが終了してしまう。原作ゲームも然りである

 私は、他ジャンルと掛け持ちしつつもメインはイナズマイレブンオタクを続けていた。供給は少ないながらも無いわけではなかった。なんなら非公式創作をしている仲間も結構な数いた。

 イナズマイレブンを嫌いになったりしないだろうと思っていた。

 いつか復活すると信じていたし、それは2017年……3年前現実になった。

 初めてイナズマイレブンを見たとき10代だった私は、休止期間中20代になっていた。それでも、努力でなんだって叶う少年漫画的なストーリーも、変に癖の強すぎる個性的キャラクターたちも、馬鹿みたいな必殺技応酬に溢れた試合シーンも大好きなままだった。ニコ生で復活が宣言されたときは、泣きながらよくわからないツイートをした。

 新章に繋がるストーリーとして、何話か短いアニメが公開された。推しがメインに据えられている映像があって、覚えるくらい何度も見た。

 アニメが始まって、毎回リアルタイムで見ていた。Twitterに古い友人が出てきて、久しぶりに話ができることも、それが好きなアニメの話だということも嬉しかった。

 ゲームはなかなか発売されなかった。それでも、絶対に良いものになると信じていた。Switchで出るという話を聞いてすぐに品薄だった本体を買いに走った。

 アニメの二期が始まって、それでもゲームは発売時期が伸びるばかりだった。一期だけのストーリーで出ると聞いていたのに、いつの間にか二期も含めたゲームだということになっていた。

 アニメリアルタイムで見ることをやめた。録画に溜まっていくのを、どうしたらいいかからなくて。まとめて見る気力がどうしてか無くて。TLに流れてくる感想二次創作を眺めて、それで見たような気になった。

 それでも、ゲームを買えばまた好きになれると思っていた。

 気付くと、アニメ最終回を迎えていた。最終回だけはリアルタイムで見ていた。最終回までに、ゲームは発売されなかった。

 今まで、好きになったコンテンツから離れる人を不思議に思っていた。私はずっと、好きになったものは好きなままだった。

 他ジャンルを好きになっても、今までのジャンルすべての情報を追いかけていたし、新しいことが起こればずっと変わらない熱量応援できていた。

 けれど多分、イナズマイレブンの新しいゲームを私は買わないだろうと思う。

 私が変わったからなのか、イナズマイレブンが変わったからなのか。その両方なのか。まだよくわからないけれど。

 偶然このエントリを読んでしまった人が、イナズマイレブンに興味を持ってくれますように。

追記

 ニコ生で見たって全然嘘だったわ。よく考えたら関西住みなのにわざわざ東京まで行って会場で復活宣言見たわ。

 号泣してしまって隣の人にドン引きされたわ。

 ジャンルへの無気力記憶捏造も引き起こす……?

2020-01-10

anond:20200110171953

世界中でこんなん使いまくってるよ

最近アメリカイランイラク言葉応酬なんてそんなんばっかでしょ

破壊的な報復はするけど戦争は望まない」とか

2020-01-08

anond:20200108110303

短文での応酬が常であるネットバトルにおいて、3行以上書いてしまうのは熱くなっている証拠では?

に対して

3行も読めないなんて日常生活大丈夫

というのは、よくある煽りパターンだが、論点はずれている

2019-12-30

横だけど「わかってくれとはいわないが〜そんなにおれが悪いのか〜」

っていいたくなります

https://twitter.com/sai_evo/status/1211390117073436672?s=19

私はこの応酬を見て悲しくて胸が苦しくなりました。

これを見ているあなたは、果たしてどちら側の人間ですか?

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