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はてなキーワード: さようならとは

2017-06-23

Q.LGBTは認められているのになんで死ぬのは認められないの?

マオちゃん「生きるって辛いことじゃない。それなのに、どうして?」

LGBT博士「フォッフォッフォ。マオちゃんは生き続けることに苦しみと絶望を感じているようじゃな。そうじゃなあ、今日は『生きる』ことについて解説してみようかのう」

マオちゃん「ありがとうLGBT博士。愛してるわ」

LGBT博士「まずマオちゃん。『人間』という漢字に着目してみよう。そこには何が見えるかな?」

マオちゃん「人…ね。人と人が支えあっている図だわ」

LGBT博士「そういうのはいいから。次の字だよ、次の字」

マオちゃん「間? この漢字が、何か…?」

LGBT博士「そう。間。間はアイダであり愛だ。愛というもの自分以外が存在しない限り存在し得ない。一人で相撲をすることはできないように、孤独人間に「間」はない。つまり、人は常に社会的にも家庭的にも群れることで間と愛を育くみ続けながらその存在を示しているといえよう」

マオちゃん「アイがあると人は死んではいけないというの…?」

LGBT博士自分管理する他者への愛は勝手処分すればいい。人を愛さな生き方というのも一つの手だ。だが、マオちゃんには旦那がいたよな?」

マオちゃん「…はいハゲますけど、立派な夫です」

LGBT博士マオちゃんが死んだらその夫はどう思う?」

マオちゃん「…あの人は自己愛性人格障害です。ナルシストなんですよ。あの人はきっと『こんなに哀しい立場に置かれている自分』を想って泣くでしょう。私のことを想って泣くわけではないと思います

LGBT博士「仮にそうであっても、だ。演出されたマオちゃんの死は、悲しみの伝播により人々に共有され、いずれ本当にマオちゃんのコトを想って泣く人に到達することだろう。端的に言ってしまえば、マオちゃんが死んじゃうと誰かが悲しむんだ。それがたとえマオちゃんの全く知らない人であっても。あるいは、今までマオちゃんのことを全く知らなかったような人であっても」

マオちゃん「誰かが泣くから死ぬななんて、そんなの理不尽よ! 自分の生くらい自分で決定させて…!」

LGBT博士「決定した結果が今の自分だろ? 何言ってるんだ。自殺できないから今の自分がいるんだろ。人間自由意志をも停止させるような効力は法律にも憲法にも存在しないぞ」

マオちゃん「…違うのよ、これは」

LGBT博士「死んだっていいけど、死んだことはイベントとして残りの生存者にいいように扱われる。だからマオちゃんは死ねないんだね」

マオちゃん「生きてたっていいことはないけれども、死ぬとより辛いかもしれないから…」

LGBT博士死ぬとどうなるかって知ってる?」

マオちゃん「…どうなるの?」

LGBT博士「『苦しみのない 穴に さようなら』」

マオちゃん「もし本当にそうならば、救われるような気がしないでもないわね」

2017-06-20

絵師自殺ブーム

最近絵師自殺流行っている。

ここ数年、絵師自殺はある種のブームになりつつあり、結構な数の絵師が嬉々として命を絶つようになった。

もちろん、肉体的な意味ではない。

社会的に、というか一般的に「絵で仕事をする人」としての自殺である

DMもしくはLINE晒し案件

「こんな腹立つDMが来ました」とか「こんなひどいDMが来て傷ついてます」と言った感じのDM晒しが時折ツイッターでバズっているのを見る事があるだろう。

多くのまともな会社出版社は、バズってる当人ブラックリストにそっと突っ込んでおく。

何故か?それは、その呟きの真偽がどちらであろうとも、社会的に信用しづらい人物になるからである

嘘をついて自己顕示欲を満たしたい、というなら論外、嘘つきとビジネスなんてできないのはお分かりだろう。

そして本当だったとしても、DMLINEのやり取りを平気で世の中に晒せてしまうような人とはビジネスなんてできないのだ。コンプライアンスガバガバ企業と一緒だね。

嘘松

論外。ちなみにどれだけバズろうが、人生経験豊富人達から見れば嘘だって丸わかりなんでこれもまたブラックリスト入りです。新しいお仕事は来なくなります。あと企業じゃなくても、そこそこ頭のいいお友達にはバレてます。色んな意味で緩やかに自殺してるので諦めましょう。

中途半端知識で物申しちゃう(白ハゲ啓蒙とか、社会への風刺自称する偏見丸出しの漫画とか)

中途半端知識で物申す、という行為は、その人より知識のある人から見たら不愉快まりない行為なのだ

ツイッターバカが多く、ある程度の画力漫画を描けばバズってくれたりするので絵師勘違いしがちだが、会社の上の方の人達ってのはこういうのが一番嫌いである。もちろんこの人達さようなら

ちなみに、フォロワーに詳しい人が居たりするとひっそり切られたりすることもある。

時々商業作家もやったりする行為だけど、田中圭一みたいにちゃんとそういうキャラが出来てる人以外がやると今後の(ちゃんとした会社からの)新しい仕事はめっきり来なくなります

自殺してしまった人はどう対策すべきか

諦めましょう。まだどことも仕事してないとか、顔が割れてないとかならまだアカウント消して転生して大人しくすれば可能性はあるかも知れないけど、そういう人は大体おとなしくできません。

それにそういう人は自己顕示欲が強いので、コラボイベントでの顔出しをして居ないケースの方が少なかったりします。

一度死んだ絵師が再起するのは無理です。なんせこうして死ぬ絵師中途半端画力しかありません。代わりは掃いて捨てるほどいるレベル領域で、自分から奈落へ落ちていく馬鹿にかける情けなんて、無駄でしょ?

2017-06-17

ネトフリでいろいろみていた俺だが

残念ながら今日で会員の期限が切れた。

あんなにいろいろ観ていたネットフリックス

こらからネトフリでいろいろ見ることはできなくなった。

そう考えると少しさびしい。

さようならネットフリックス

ありがとうネトフリ。

また会う日まで。

2017-06-12

旅館ホテルで脱いだ浴衣の処理

旅行趣味なのでよく行く。主に温泉宿に泊まる。

その度に困るのが脱いだ浴衣の処理。これにいつも悩まされる。

日頃の疲れを取るために行っているので、極力だらけて過ごしたい。

もうハッキリ言って浴衣をたたむ、それだけでも面倒な気分。

でもいい宿は今後も利用したいので宿の人を不愉快気持ちにもしたくない。

お姑さんはできるだけピッチリ片付けて出る。掃除まで始めそうなレベル

せっかくの旅行で折り目の事まで考えてものを畳んだりしたくない。

対して夫は正反対。料金のうちだから浴衣は脱いだままでもいいんじゃないかと言う。

でも脱いだまんまの浴衣四方八方に散り散りにしていくのは良心が痛む。

さて、どうしよう?どのくらいの散らかし方が常識範囲なんだろう?

出来ればこう、くるくるっと丸めて置いて行っちゃいたい。

それを一か所に固めてさようなら~ってチェックアウトしたい。

でも浴衣羽織りと帯、全部一緒にしていいかからない。

浴衣って汗でじっとりしてる事もあるし、一緒にまとめておいていいのかな?って思ってしまう。

じゃあ浴衣の山。羽織の山。帯の山ってしておけばいい?

でもそもそも山になった衣類の塊を横目にチェックアウトするって謎の罪悪感を感じる。

いい宿に泊まると浴衣の枚数も増えるし、かと言って湯上りの新しい浴衣って気持ちいからやめられない。

それからタオル。水分でじっとりしてるタオル

フェイスタオルタオルけが大概あるからいい。問題バスタオル。大きすぎてタオルかけにかけられない。

バスタオル用のタオルかけも欲しいけどあるところ見た事無い。

じゃあどこに置いておこう?畳の上は気が引ける。布団の上なんて論外。

椅子の背もたれにかける?竹で出来てたりしたらいいけど、他の人も使うのにこんなものをかけるのはアリなのかな?

さていよいよ置くところが無い。とりあえず畳んでテーブルの上に置いておく?テーブルの上にバスタオル…。グレーな気がするけど他に置くところも無いし…と置く。

他にもゴミ箱に缶やペットボトルは入れていいのかとか、布団敷きっぱなしの所はどの程度整えた方がいいのか(これも出来れば起きたそのままの状態でチェックアウトしちゃいたい)、

そもそもクリーニングとか収納の事考えると下手に手を出さない方が親切なのか!?とか、

毎度毎度怠惰と気配りの狭間で悩まされる。

もういっそ汚れ物はここに突っ込んでくださいとか書いてある籠があればいいのにとよく思う。

そうすれば浴衣タオルもそこに突っ込んで帰れる。

2017-06-09

あうあうぽよよ〜ん

かつて仕事pepperのモーションアニメーターをやっていた事がある。

職場にはプログラマーなどバリバリ理系技術屋たちが多く、pepper制御するシステムを構築しながらモーションも実装していた。動きながら喋り、喋りながら胸のモニターを切り替え、モニタータッチされる or 命令を聞き取ると分岐し、次のフェーズへ移る(文章冒頭へ戻る)。書いてて気づいたのだけれど、システムに関する事はよく分からないので飛ばした方が良さそうだ。

以下、「動き」について書く。

自分はモーション専門として入った。現場でまず行ったのが「動き」の鑑賞だ。

過去に開発されたモーションは、雛形としてアーカイブされており、それらを一つ一つ実機で再生させ、各関節に打たれたキーフレーム手書きアニメで言う原画にあたるモノ)の数値を確認した。pepperが人前に立った時に、目があうように感じられる理想的な首の角度や、胸のモニターに引っかからない絶妙な手の運動など…先人達模索した技術がそこにあった。しかし、入ったばかりの自分は、様々な制約の中でなんとか形になっている「動き」だとは想像もせず、「最先端ロボットでも動きはこんなもんかぁ…」と眺めていた。

ぼけ〜っと動きを眺めていると、あきらかに異質な動きをするファイル群が見つかった。左右非対称の動きが、始点と終点、各関節で絶妙にずれており、腰の動きからは身をよじるような重心の移動さえも感じられた。

目を輝かせ繰り返し再生していると、どうも教育係の人にいい顔をされていない事に気づいた。「一体これはなんなんですか?」と聞くも、「関係いから、そこらへんのファイルは見なくて良いよ〜」と流される。釈然としなかったのだが、言われた通り、それ以外の動きを見る事に専念した。後になって、仲良くなった人が教えてくれたのだが、海外チームの作った動きのようだった。2Dなのか3Dなのか詳しく聞けなかったが、カートゥーン系のアニメーターの人なんかもモーションに携わっていたそうだ。知った時には、なるほど!道理で!と膝を叩いた。

しかし、短い納期でいくつもの締め切りが迫る現場で働いている内に、あれらのファイルが「自分とは関係ない動き」なんだなと気づいた。複数人で同じpepperというキャラクターの動きを再現する為には、かなり割り切った動きで統一感を出さなければならなかった。誰かが表現力の高すぎる「動き」を実装してしまうと、pepperの動きの流れの中で、妙に浮いてしまう結果になるからだ。そして、複雑に組まれた「動き」を修正したい時には、どうしても組んだ本人以外だと時間がかかり過ぎてしまうのだ。もう一つ付け加えるならば、基本的店頭や家庭用に出ているpepper安全装置機能しているタメ、周囲に人がいる場合なんかは特に「動き」の振り幅が小さくなり、低速になってしまう。目の前に人がいると、手なんか完全に止まってしまう。なので、いくら作り込んだとしても満足に「動き」が再生される事は基本的に無いのだ。

だが、例外もあった。安全装置を外して限界まで過剰に「動き」を作り込んでいい瞬間があった。映像コンテンツとして収録する時などが主にそうだった。他に、記者会見の場に呼ばれる時なんかも、ハラハラしながら一発勝負でとんでもない「動き」を走らせる機会が何度かあった。連続して同じ「動き」を再生しようものなら、各関節に多大なる負荷をかけ、モーターが熱暴走強制的シャットダウンしてしまうような…そんな物理的な限界にまで挑戦できる瞬間が確かにあった。

そこには物凄いやり甲斐があった。最先端の動きを作っている自負があった。当たり前に徹夜する事もあったが、発表されたものや、その反応を見る度に、気持ちが満たされた。

今もそんな現場が走っているのだろうか…現在自分は別の職場にいるので分からない。

携帯ショップ店頭で虚空にむかって喋りかけているpepperを見ると思い出す。

直射日光の下だと顔認識がうまく作動しなくて、首が変な方に向いたまま戻らなくなる事を…

ゲームセンターの前で、片腕をぶら下げながら接客するpepperを見ると思い出す。

開発中に何度もオーバーヒートさせてしまった頼りない腕の事を…

電気屋の隅で電源が切られた状態のうなだれpepperを見ると思い出す。

忙殺されながらも「俺が一番お前を動かしてやれるんだ…!!」と息巻いていた日々を…


もし、pepperの「動き」について興味を持ってもらえたのなら増田冥利に尽きる。

それでは、さようなら

2017-06-08

さようなら

久しぶりに中学の頃好きだった子の名前検索したら結婚してた。一瞬頭がぐらっとき吐き気がした。

大学生ときにも調べたことがあって、mixiFacebookサークルホームページ彼女の神々しい名前を見た。高校時代に付き合いはじめた男とずっと付き合ってるらしかった。

その男と30になってやっと結婚したみたい。相手慶応医者。一人の男としか付き合わずにそのまま結婚したんだからその点は素敵だなと思った。いまどき珍しい純愛。とても素敵なカップルだ。

でも今回とにかくびっくりしたのが、彼女が思ったよりはるかにブスだったということ。原型がない。会っても誰なのかまったくわからないはず。

中学の頃はものすごい美少女異次元存在だと思っていたのに。いまはもうその辺にいくらでもいるただの幸せそうなおばちゃんだった。

大学生時代mixiFacebookサークル写真見たときも、「あれ?」って思った。記憶よりはるかにブスだったので。自分記憶では、キモオタ自分がちらと見るのも犯罪的なのではと思うくらいの聖なる光を放つすさまじい美少女だったのに、ネット掲載されている写真ではその辺にいる普通のブスでしかなかった。でもmixi友達からコメントでは彼女のことを「美女」などといっている紹介文も書かれていたりした。うーんよくわからない。まあでもネットのやりすぎで美醜の判定基準が厳しくなってるんだろうと思うことにした。実際ネットではそれほどブスでも不細工でもない男女が嘲笑される傾向にある。自分はそういうのに染まっていないとは思いつつやはり気づかぬうちに染まってしまったんだなと反省すらした。これが世間の「美女基準なのだ美女は多いほうがいい。

でも今回夫婦写真検索して出てきた企業ページ見てさらに衝撃を受けた。まだ30歳超えたばかりなのに、40代でもおかしくないような容姿幸せ太りなのか妊娠なのかなんなのか、だらしない姿。その姿はまさに人間のもの

自分記憶が何もかも怪しくなってくる。

いままでの自分の中の彼女はいったいなんだったんだろう。中学の頃から30歳過ぎる今日に至るまでずっと彼女のことが好きだった。ずっと憧れてた。大学とき写真を見てもまだ揺るがなかった。でも今日すべてが終わってしまった。何もかも無かったことになった。すべては嘘だった。自分が見ていた世界はただの幻だった。存在しなかった。彼女世界のどこにも存在しなかった。かつて一度も存在したことがなかった。

じゃああなたは一体誰なんだ。記憶の中のあなたは。弱い心が作り出した幻想。何もかも虚構現実など自分は見ていなかった。何も知らなかった。盲目だった。

世界は汚いものだと思っていた。そんな世界の中で彼女けが輝いていた。でもその彼女現実に吹き消されてしまった。彼女もまた現実へと戻った。こんな世界でどうやって強く立って生きていけるだろう。この醜世界で、醜い人間たちのささやか幸せを見ながら。

今まで好きで好きでつらかった。生きてたらいつか会えるんじゃないかと思って自殺もしなかった。でもあなたあなたではなく、あなたあなただった!

彼女羊水のような穏やかな愛のある声で笑っていた。あの声はその辺のおばちゃんになった今でも変わらないんだろう。すべてを包んでくれる大いなる海のような深い声。うふふと笑う美少女だった。

2017-06-02

ほくろを取った

幼少期から顔にあるでかいほくろをレーザーで取って半年経った

ところでこのほくろにはずっと硬くて強いヒゲみたいな毛が生えていた

たぶん他よりもメラニン豊富とかそういうことだと思う

からレーザーたらこの毛ともさようならなんだと考えていたのに、こいつは生き残っている

レーザーでほくろを取ってもほくろに生えていた毛は死なない

2017-05-28

http://anond.hatelabo.jp/20170528175139

そうですね 差別主義者は重婚隠し子でもこさえてればいいんじゃないですか

差別主義者たちの戦略などしったこっちゃありません さようなら

http://anond.hatelabo.jp/20170528173904

子どもを産めない貧困者が増えたからですよ よかったですね 

日本ゾーニングは日々強大化してくでしょう おめでとうございます

子どもを産まなければならない時代は終わり 

子どもを産むことがひときわ贅沢な娯楽になった時代のことです

さようなら

2017-05-24

さっき「さようなら!お気をつけて!」と、うちの向かいにある飲み屋ママが客に言った。

かいから、通りで話す声がよく通るんだ。

ママと書いたけど、本人を見てはいない。飲み屋が数件入ってる建物から、口ぶりでママと思った。

たぶんフィリピンかどっかの人。

いい言葉使うな、と思った。

さようなら!お気をつけて!」

そんな言葉で見送られたらたまらない。

なんていうか、正しい日本語?みたいな?

はいい歳して上京たか標準語はしゃべれない。

家族は猫だけだし、会社でもあまりしゃべらないから、かなりきつい方言のままだ。

コンプレックスになっているわけではないけれど、地方から上京して標準語自然と話せるようになった人をすごいと思う。

上京して1年目くらいのとき恵比寿ガーデンプレイス

上品そうなおばあさん二人(その場で知り合った他人同士だと思う)が

「〜〜私、先生にそう言ったんですの」

「あらそうなんですの。それは困りますわね」

みたいな会話をしていて衝撃を受けた。小説世界の話し方だって

世界が違うんだなって思った。

あいお上品な立ち振舞や会話を自然にできるって、なんか夢の世界みたい。

私は標準語を話すと気恥ずかしい気持ちが沸き上がってくるけれど

そんなことも気にならないくら標準語をあやつれるようになってみたい。

以上、とりとめもない話。

遅くなったけど、この場でさようならを言いたい

少し前に主に増田ブクマしていたIDを消した。今書いているIDは、この増田のためにとったもので、すぐに消すつもりだ。

増田を知ったのは2014年だったかな。たまたま最初に書いた増田が800ブクマを超えてしまって、それ以来、自分文章に誰かが反応してくれる、という事にハマってしまった。

自分人間関係必要以上に重く捉えてしまタイプなので、自分人格人間関係が積み上がらない増田は楽だった。

その後、増田ブックマークする顔ぶれはいつも似通ってることに気づいて、自分自然ブックマークする側に回った。

最初そもそも増田しかブックマークしないつもりだったので、そうと分かるID名をつけたんだけど、ちょうどその頃ははてブオフ会話題が盛り上がっていて、そしてそれは増田舞台にして様々な波乱を呼んでいた。

自分も軽く首を突っ込むうちに、ネット上とはいえ緩い人間関係ができたり、真面目なお節介をしたくなったりしてしまって、ふざけたようなアイコンIDにもある程度の人格ができてしまった。

また、増田ブクマする人らの、半ネットリアルみたいな関係があることも知って、面白いと同時に、そこに生身の人間を感じてしまい、どうにも増田との距離の取り方がわからなくなってもしまった。

増田にハマっていた2年弱は、リアルでは社会からは取り残されたような不安定な状況だったけど、その後なんとか状況は変わりリアルにおいても社会と関わるようになって、永遠モラトリアム的な増田からだんだんと遠ざかってしまった。

先日、たまたまバズフィードの去年の記事ゲイ恋人に振られた話を書いた増田へのインタビュー(https://www.buzzfeed.com/jp/ryoyamaguchi/gay-life)を読んで、確かにここには人間関係があったな、ということを思い出した。

日本全国に散らばる増田ブクマカ達と、これまでも今後もリアルバッタリ会うことはまずないだろうし、もし会ったとしても知らないフリをするだろうけれど、どこかで元気でやっていることを想像するのは楽しい

2017-05-16

http://anond.hatelabo.jp/20170516194749#tb

http://anond.hatelabo.jp/20170516194749別にしたくない」の「別に」は「したくない」という打ち消しの言葉にかかってるのに

勝手捏造して「したいというわけじゃない」ということだろ!とかなに言ってるの?河原で石の代わりにアホを積み重ねる罰でも背負ってるの?はいさようなら

全く意味がわからない

誰か解説して

2017-05-14

成長物語を履き違えている作り手と「さようならドラえもん

先日、とある話題作に触れる機会があった。主人公成長物語として感動的だとの触れ込みだった。しかし僕の感想は「なんだこれ?」の一言だった。

作品叩きがメインではないので名前は伏せておく。

いつごろの作品なのかも、漫画アニメ小説映画ゲームジャンルも明かさないでおく。

本題に入るが、なぜ僕が感動しなかったのかといえば主人公の変化の仕方にあった。

主人公日常生活に突如として変革が起こり、その局面を打開する形で成長していくという構造だ。

確かに作品内において主人公キャラは序盤とラストで大きく違っている。しかし僕には違和感が残った。

それは「主人公はそうしなければならなかっただけ」だからだ。

自分自身を見つめることなく、ただひたすら周囲に合わせていった結果、別な人間になったというだけの話だった。

異常な状況が今までの自分でいることを許さず、仕方なく変化する、気づかぬうちに昔の自分を捨てさることを成長とは言わない。

現実ではどうか知らないが、少なくとも作品において成長物語というジャンルとは呼べない。

僕は全て他人任せでボケーっとしている人間だが、戦争が始まったら多分積極的に周囲と連携して生きる道を模索する。

率先して様々な案を出す。ときにはリーダー役を買って出るかも知れない。

でもそんなの、雨が降れば傘をさす、寒くなればコートを着るというくらいに当然のことだ。

戦争を通して立派に成長したね」とは言えないだろう。

見捨てることもできる、逃げ出すこともできる、強い側につくこともできる、今の自分でいることもできる、

それでも自分自身の弱さを見つめ、問題に立ち向かっていくことの先に成長が待っているのではないだろうか。

さて、前述の作品と対比するように「さようならドラえもん」という話がある。

ドラえもんが帰るにあたってのび太が1人でジャイアンに立ち向かう話だ。

あの話の中で、のび太最後までドラえもんに頼ることができた。泣きつけばドラえもん何だかんだで助けてくれただろう。

いつものようにジャイアン撃退しチャンチャンで終わることのできた話だ。

しかし、のび太はそうはしなかった。ふとドラえもんのことが頭をよぎり

「けんかなら、ドラえもんぬきでやろう。」

「ぼくだけの力で、きみにかたないと……。ドラえもん安心して……。帰れないんだ!」

というセリフを発する。

のび太ジャイアンに泣かされてばかりの自分ドラえもんに頼りきってばかりの自分を乗り越え最後にこう言う。

「勝ったよ、ぼく。みたろ、ドラえもん。勝ったんだよ。ぼくひとりで。もう安心して帰れるだろ、ドラえもん

ボロボロ眼差しドラえもんへの思いで溢れていた。

今更僕が解説するのもはばかられるほどの大傑作だ。

成長を描く作り手は藤子先生の爪の垢を飲んで欲しいものである

2017-05-12

中日ドラゴンズロッテとの地底対決に震える

ロッテ日ハムに7被本塁打15失点という大敗を喫した

ちょっと前まで日ハムも暗黒ロードをひた走っていたはずなのにもかかわらず

もう急浮上である

やはり昨年優勝しただけあって多少の躓きぐらいなんのその

そして我が中日ドラゴンズGW最終日になんとか勝利

その勢いで火曜日岐阜地方球場横浜相手に8対1の快勝

ドラ1鈴木翔太が4年目にして初勝利

ついにドラゴンズも浮上の時だ

ロッテさんさようなら

暗黒はあなただけのもの

ドラゴンズAクラスを目指す旅路

そうなると思ったのだ

おもったのだ

だが

だが、しかし、その次の試合

怪我明けのドラ1小笠原が満を持して登場

圧巻の投げっぷりで勝利をもたらしてくれるそう思うじゃないか

けれども実に平凡なピッチングをして5回3失点

打線も前日の快勝を忘れたかのように沈黙

見事雑魚っぷりを発揮して完敗

なんだこれは

ひどすぎる

そして横浜3戦目

現在中日エースであるところのバルデスおじさんの登板

バルデスおじさんは勝運には恵まれていないが

とにかくピッチングが安定していて

中4日中5日でガンガンまわってくれる

中日投手陣の大黒柱なのだ

ここで勝たずにどこで勝つ

その勢いで4回に打線が奮起して3対1の逆転

もうこれは勝った

そう思うじゃないか

7回に我らがWBC日本代表でベンチを温めていた岡田投手交代

4球

たった4球で同点

そして逆転される

まりあんまりじゃないか

バルデスおじさんが頑張って1失点に抑えたんだ

打線も頑張って3点取ったんだ

それなのにたった4球でバルデスおじさんの勝ち星が消えてしまった

そこからもうあっという間

1点差

打てない打てるはずがない

そういう打線なんだ

見事雑魚っぷりを発揮して逆転負け

35試合目にして13度目の逆転負け

どんだけ逆転されてんだよ

くっそ雑魚すぎる

ロッテに負けてない雑魚っぷりだ

交流戦楽しみで震える

2017-05-11

これ立ったら絶対漏れる どうする

電車の中で戦っている。

うんこ肛門の先端まで来てる。

立ったら絶対肛門ダム崩壊する。

うさぎうんこがちょろっと出るなら構わん。

これはそんな生半可なものじゃない。

立った瞬間、足元まで土砂のように流れていくやつだ。

冷や汗が止まらん。

降りる駅は次だ。

出口まではもったとしよう。

しかし、どう考えてもトイレまでは間に合わん。

から降りたらホームうんこしてそのまま

「私はやってません」

と言いながら逃走スべきか。

朝の会議うんこまみれでやるのか。

もう少しうんこ肛門から小腸方向へ戻るのを待つのか。

それは遅刻するということだ。

どっちがいいんだ。

もう判断がつかない。

今の俺は昼にはもういない。

さようなら

2017-05-07

近所の家のお父さん

近所に住むご家族がいた。

そこの人たちとは顔を合わせば挨拶するぐらいだった。

ひとつ年下の男の子がいる。

の子とは遊んだことがある。

男の子遊んだのは大分昔の話になる。

それも一度きりだ。

そこの家の親御さんが「一緒に遊んでみたらどう?」と誘ってくれたのがきっかけで、家にお邪魔して遊ばせてもらった。

年下の男の子とは通う小学校が同じだった。

たった一度っきり遊んだのは小学校のころの話だ。

それ以降は今まで一緒にその年下の男の子とは遊んだことはなかった。

今ではその男の子のいる家族メンバーとは顔を合わすことがない。

時々顔を合わすことがある。

見かければ自分積極的に避けた。

無視する力が上がった。

そこの家のお父さんと自分は話すことがあった。

「元気?」

と気さくに声を掛けてくれた。

はい、そうですね」

軽く返事を返した。

そこまでは良かった。

「今はなにかやっているの?」

と尋ねられた。

「いえ、なにも」

と答えることが出来なかった。

はっきり答えられることが出来なかったので、しどろもどろな回答をしてしまった。

自分はそのころはニートをやっていた。

ニートをやっています!」

とゆうには気おくれがあった。

「今はちょっとなにも」

適当に言い濁すことしかできなかった。

そこの家のお父さんはそれでも適当に相槌を打ってくれて感じが良かった。

「では、また」

とゆってそのままそこの家のお父さんとは別れてしまった。

「こちらこそさようなら

自分はゆった。

感じよく対応してくれた。

特に悪意なく何をしているのと聞いてくれたに過ぎない。

ニートをやっていますとゆえん自分が恥ずかしい。

次に会ったときにはなにかゆえる準備をしておきたい。

それからそこの家のお父さんとは会うことがなくなった。

そこの家のほかのメンバーを見かけることがあった。

お父さんを見かけるのは一切合切なくなった。

次に会うのはいつかなぐらいに思っていた。

自分の母があるときにゆった。

「あそこの家のお父さん亡くなったらしいよ」

「え、本当に?」

最近見かけることがないとは思っていた。

けど、亡くなっているとは思ってなかった。

「知らなかった」

とそのときはゆった。

「あの家のお父さん殉職したとかなんとかで……見かけないから多分そうとは思うけど」

そうなのか、亡くなったのか、見かけないか自分もそうなのかなと思った。

あのお父さんに次に会ったときはと自分は考えていた。

しかしそれは終ぞ叶えることの出来ない願いになってしまった。

なにか心残りにある。

上手く話しを出来なかったとゆうことが。

「あれが最後出会いか」

何気なく出会うことしかなかったあの家のお父さん。

最後に会ったときに上手く対応することができなかった。

次に会ったときはと考えていたのに。

死んでしまえば叶えることが出来ない。

それが虚しい気持ちになった。

2017-05-04

http://anond.hatelabo.jp/20170503173102

要するに「今までデートでおごってくれてた男が彼氏彼女関係になったとたんワリカンを要求してきた。こいつケチじゃね?」っていう事案なんだと思う。でもそう書くと非リア勢からの叩きコメントとかが混じってS/Nが下がるので性別をボカして書いたら、予想に反して「払え」というコメントが多くて当人は当惑しているのではないか

という勝手思い込みのもと、ドライブデートガソリン代というシチュエーションに絞って述べます

ほかの方も指摘されている通り、払うか払わないかなんてお互いの関係性によります

もしその人と電車で移動する時に自分切符代を自分で出しているなら(そういう関係性なら)、ガソリン代や高速代もワリカンにしましょう。少なくとも払う意思は見せましょう。礼儀として。

ガソリン代や高速代は電車運賃と同じ移動費ですが、電車運賃乗客ひとりずつにかかるのに対してガソリン代高速代はクルマ一台に対してかかるのが大きな違い。つまり一台のクルマにたくさんの人が乗れば一人あたりのコストがぐんぐん下がるのです。

なので、ゴルフスキーでは「全員クルマ持ってるけど誰かのクルマに乗り合わせて一台で行く」ということをよくやります。たとえば首都圏から日帰りでスキーに行くとガス代+高速代で往復1万円以上かかりますが、ふたり同乗で行けば5~6000円/人、三人で行けば3~4000円/人と、ものすごく割安になりますガソリン代高速代とはそういう性格のものなので、ワリカンしてもらえるとすごく助かるのです。

いくら出せばいいかわからん場合は素直に金額聞けばいいし、社会人でよほどのケチじゃない限り自分の儲けになるような水増し金額は言わないでしょう。人によりますが。俺はいつもワリカンで千円未満の端数を切り捨てた額を申告しています。切り捨てが900円とかになっちゃう時は「じゃ悪いけどサンゴーで……」とかに丸めることもありますが。

相手の言ってくる金額が信用できないとか、ドライにきっちり精算してアトクサレをなくしたければ、デート前に満タン法を提案しましょう。

満タン法とは!

出発前にガソリンタンク満タンにし、ドライブが終わってみなさんさようならする前にもう一度満タンにする方法です。最後の給油額をみんなで割ります

この方法であれば論理的に「純粋にこのドライブだけに使われたガソリン量」を切り出せますよね。どこから文句が出ない方法なので、お金にうるさい人やあまり親しくない人を乗せる時に変な気遣いがいらないのでおすすめです。

満タン法は距離計と組み合わせて燃費計算によく使う方法です。満タン時にトリップメーターゼロに戻し、次の給油時にトリップkm)を給油量(㍑)で割るとリッターあたりの走行距離が割り出せます。今時のクルマはだいたい燃費計がついているので必要いかもですが。

2017-04-26

命=細胞分裂という還元主義を持ち出すなら、その鼻持ちならないエリート発言も全く意味をなさない水泡だわな。

文中のそのはどこを指してる

お答えどうぞ

さようならクソ雑魚ナメクジ

これがそのかな

単細胞生物ナメクジを持ち出したのはそちらなのだろう

いや、命の価値は変わるよ。

変わらないというのは「変わらないものとして扱う」前提の上であって

それが通用しない現今社会では何の薬にもならない

あんたの言う主張が正当性を有するのは

区別のための差別も許されない」環境においてだけ

さようならクソ雑魚ナメクジ

現代通用しないって……。

通用してるから県民として生きてんじゃねえのかとしか思えんのだが。

原発あった地域ってエタヒニン扱いなの?

価値一義的定義しすぎだろ。

命になんかかけてるのがまちがいのもとなんだろうな

命=細胞分裂とでもしておいたほうが健全

http://anond.hatelabo.jp/20170426004639

いや、命の価値は変わるよ。

変わらないというのは「変わらないものとして扱う」前提の上であって

それが通用しない現今社会では何の薬にもならない

あんたの言う主張が正当性を有するのは

区別のための差別も許されない」環境においてだけ

さようならクソ雑魚ナメクジ

2017-04-18

少し前までは70分とか90分とか短い時間の逢瀬に対価を支払って即物的に処理してはいさようならという刹那的で退廃的な関係に満足できていた。同じ相手を2度選ぶことはないと心に決めていた。しかし、このところそれだけでは満たされなくなってきている。特定相手と一緒にいる時間を積み重ねたいという気持ちが膨らんできている。なんだこれは。どういう心境の変化なのだしかるに、その特定相手をどう選ぶのかがまた難題なのだ。これまでにもゆきずりの相手と何人も関係してきた経験上、世の中にはいろんな人間がいることは実感としてある。体の相性がいい相手、会話が楽しい相手ルックスはいいのにどうも肌が合わない相手。様々だ。一緒に時間を重ねるのであればやはり相性は大切だろう。しかし相性なんてもの関係してみなければわからない。関係して初めて、あ、この人かもしれない、と思うこともある。しかしそれも一時的ものにすぎない。制限時間が来たらお別れだ。はいさようならだ。次は無い。いや、指名するという方法はある。同じ相手指名すればそれで済む話だ。大した問題ではない。だというのに。同じ相手指名するという行為には抵抗がある。躊躇してしまう。どうということもないはずなのだ。同じことを同じように繰り返せばいいだけのはずなのだ。けれども、頭の片隅では拒絶されたらどうしよう、嘲笑われたらどうしよう、という不安疑念が漂っている。同じ相手指名することはその相手に弱みを見せることになりやしないかという恐怖がある。私はあなたに惚れました、と面と向かって告白するのにも似た緊張だ。1度限りの関係ならば、1回こっきり、はいそれまでよ。だが2回目ともなれば、それは2回目の関係を望んでしまった白状してしまうようなものだ。私にはあなた必要だと乞い願うようなものだ。そのような行為を私は私に許さない。私は誰にも媚びたりしない。惚れたりもしなければ靡いたりもしない。私は独立独歩であらねばならないのだ。だがそれは、本当にそうでなければならないのだろうか。他人に頼り、他人に寄り添う生き方もあったのではなかろうか。それはだめだ。それではこれまでの私自身を否定することになってしまう。私は私だ。これまでの私に後悔はない。ただほんの少し、寂しいだけなのだ

2017-04-15

専業無職になりたい

無職プロを目指したい

「なにもしない」を極めたい

最終的に「呼吸する」以外のことをしなくなり

さようなら」といって呼吸も止める感じ

http://anond.hatelabo.jp/20170318211212

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