「漠然」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 漠然とは

2017-10-14

こういうのが40年ぐらい大手振ってたのが日本なんだよ

anond:20171014070237

なつかしいこの感じ

ぼんやりした仄めかしと先進国崇拝と漠然としたジャップdis

落合信彦魂を感じる

こういう中身のない出羽の守が40年ぐらい厳しく突っ込まれ大手振ってたのが日本なんだよ

最近は反転して日本SUGEEだから困る

2017年にもなって「某先進国なんていう仄めかしを見れるとは思わなかった

今はもう”先進国”なんて言葉ネタしかないもんな

でも昔の日本ならこの程度で通用してた時代もあったんだよ


これ書いてるの何歳なんだろうな

俺よりずっと歳上の、50代ぐらいな印象を受けるセンスと語彙なんだが

たまに青二才みたいに”無知若者がイキって背伸びした結果何故か30歳ぐらい上の老害のエミュレートみたいになる”という謎の現象有るから

ワンチャンそういうやつな可能性も有るか?

ねーか

あと20年で終わる日本で親が逃げ切れるってことはやっぱいいおっさんだよな


いま10代の若者はもうこういうの見たことないだろうから見といて欲しいよ

前世紀の伝統芸能の残光を拝めたって感じだよな

こういうのが40年ぐらい日本支配してたのよ

この田舎くさい”先進国崇拝”

十数年ぐらい前を境に本当に何もかもが急速に変わってしまった

欧米先進国の威を借る芸風はみんな凋落して落合信彦進歩主義者もギャグしかなくなった



日本比較的に悪くない国であることもばれてしまったので

中身ない奴が出羽の守オナニーできなくなったことや

御注進左翼脅迫扇動できなくなったこはいいんだが

でも日本がいい方の国だとしても、そこに立ち止まってしまったらあかんから

妄想上の見果てぬ”先進国”を目指してればよかった時代も終わってしまったよね

2017-10-11

自分でない誰かが代わりに子ども写真をアップしてくれてる考え方

うちには3歳の娘がいるのだが、SNSネット子ども顔写真をアップしたことがない。まれに上げても、せいぜい顔が見えないスナップ程度に留めている。名前も伏せている。このとおり、自分ネットでは匿名で過ごしている。

本名HNを問わず、友人や知り合いがSNSで、我が子のかわいらしい日常写真をたくさんアップしているのが流れてくると、自分の子もの写真をわざわざ上げなくても、自分でない誰かが同じ歳くらいの我が子の写真を上げてくれるので、特に必要ないのかな、と考えてる。

自分意志とは関係なく、生まれたてホヤホヤの瞬間から幼児期までの自分写真を親の都合や勝手でアップされている今の小さな子どもたちが、数十年後に思春期を迎えて自我が芽生え、今後どのように写真と接して成長してゆくのかは分からないが、おそらく子どもたちも、生まれながらにして自分顔写真本名などの個人情報ネット存在することを認識したうえで社会を生きていくのだろう。そう考えるとうちの娘には、自分の姿や情報ネット晒してゆくかどうかを、いつか成長した際に、自分自身選択してほしいと願いたい……けど、周りの友人たちがネット顔写真をアップすることに一切無抵抗だったら、たぶん無理かも。それ以前に、親としてどうやって、顔や本名ネットに公開するリスク説明するのがベストだろう……などと漠然と考えながら、登園前に盛大に散らかしたオモチャを片付けている。

2017-10-09

幸せについて考えている

 最近幸せについて考えている。

 自己啓発書を読み漁ってみたり、幸福学の本を読んでみたり、瞑想をしてみたり。

 客観的幸せ指標については知ることができたが、しかし、私が知りたいのは「どうしたら私自身が幸せになれるのか」ということだ。大学生とき「私は幸せにはなれない人間だ」と直感した。悲観的で自己肯定感が低い私は、どんなに恵まれた状況でも「幸せ」を感じることが出来ないだろうと考えたのだ。こんな私が幸せになれるには、性格から改善するしかないのではないかとある新書によると、楽観的な性格は、幸せ人生には重要らしい。

 そこで私はまた考えてしまう。満足な豚と不満足なソクラテスのたとえ話を。

 楽観的な性格になること、あるいは趣味に没頭したり、スポーツで体を動かすことは、満足な豚になることではないのか。気の持ちようは大事だ。体と感情思考はつながっているだろう。となると満足な豚は決して不幸とは言えないのではないか。ここまでくると「どう生きるべきか」という問題につながってしまう。そりゃあ倫理学的に考えると、「いい人生」とは「不満足なソクラテス」になることだろう。でもそれが決して幸せの実感とはつながらないとしたら。

 私がほしいのは「べき論」ではない。じゃあ豚で満足しろよという話なのだが、しかし、そう簡単に割り切れないか悶々としているのだ。私は満足な豚にも不満足なソクラテスにもなれない、中途半端人間だ。

 そもそもどうして私は幸せについて悩んでいるのか。

 前に書いたように、私は自分自身を「幸せになれない人間である認識している。不幸せなりに生きていくしかない、と思い、割り切って生きてきた。結婚相手を決めた理由も「この人となら一緒に不幸になっても構わない」と思ったかである。が、実際に結婚してみたところ、自分の不幸に配偶者をつきあわせるのは申し訳ないという気持ちが今さらながらに湧いてきた。私は配偶者私たちの子供に不幸になってほしいわけでは決してない。

 そして、そのうちに「もしかしたら私も幸せになれるのではないか?」といった希望までもが芽生えてきたのだ。

 私も幸せになってもいいのだとしたら? 幸せになれるもんならなってみたい。

 ところで、そもそも私は不幸なのか?

 第三者から見れば、私は十分に幸せだろう。衣食住については満たされているし、スキルはないがいちおう働いている。家族自分健康だ。特別欲しいものはない。

 これ以上、何を求める?

 だけど、どうしても、人生に対する漠然とした不安が拭えない。

 私はよく宝くじが当たればいいのに、と妄想しているのだが、もしも億単位(生涯賃金相当)の高額当選たらこ不安はなくなるのかもしれないとは思う。結局、私が求めているのは、「何があっても大丈夫」と思える人生担保なのではないか。と考えると、結局幸せになるのに必要なのは、「私は何があっても大丈夫」と思える自己肯定感なのかもしれない。

[] #38-7「危ないアニメ

====

「くらえ、チョウナ・ブーメラン!」

「おい、シロクロ! やめろよ。投げるな」

「なんでだ。人に向けて投げてない」

「人に向けて投げなくても危ないだろ!」

「え? なんで?」

「投げること自体が危ないって言ってるんだ!」

「じゃあ、何を投げればOKなんだ」

「何も投げるな!」

「随分な話だな。そこまでの権限はさすがにないだろ」

「うわ、急に正気に戻らないでよ」


====

「こうして問題は意外な形で終結し、今でも『ヴァリオリ』の登場人物たちはこれまでと変わらない武器を持っているってわけさ」

父の話に俺は疑問を投げかけた。

それは別の表現スケープゴートにして、問題ウヤムヤにしただけだ。

根本的な解決はしていない。

「息子よ、逆に聞きたいんだが、“根本的な解決”って何だ」

父にそう返され、そりゃあ……とまで言ったところで、ふと口をつぐんだ。

そもそも何をどうすれば、どこまでやれば解決して、そしてそれが本当に正しいことなのか、或いは間違っているのか。

それらを的確に判断できるような、普遍的物差しが俺にはなかったからだ。

いや、恐らくほとんどの人間はないのかもしれない、って言いたいのか。

「息子よ、覚えておくといい。問題ってのはな、それ自体問題ではないんだ」

父の言葉に、俺は首を傾げる。

問題にされない限りは解決もしなくていいってことだろうか。

「この界隈の『検閲するかどうか』っていう最終的な判断は、総意によって決まっていると思われがちだ。だが実のところ、多くは個々人が決めるしかないことだったりする」

「そうじゃないの? だから各々が議論をして、模索していこうってなるのかと」

「その答えじゃ観念的すぎる。しかも、それはプロセスの話だろう。俺たち作り手にとっては何も言っていないのと同じだ。答えを迫られたときにどうするか。それが重要なんだ」

「それで表現を変えたくないって答えを出した場合、どうすればいいのさ。ゾーニングとか?」

ゾーニング妥協案に過ぎない。結局それらの基準だって漠然としている所が多いだろ」

じゃあ、どうすればいいんだろうか。

ますます父の言いたいことが要領を得ない。

「つまりな、こういう番組は案外“上手くやっている”ってことさ」

含みのある言い方に、俺はその意図を読み取ろうとする。

そして、ふと思い至る。

確証はなかったが、俺は恐る恐る尋ねた。

もしかして、その入浴シーン意識を向かせてウヤムヤにしたのは、武器だとかよりもっと問題のある表現を隠すため?」

父は笑いながら、淀みなくこう言った。

「はは、そんなわけじゃないか

俺の指摘がなんであろうと、そう答えるつもりだったんだろう。

しかしたら俺たちが気づいていないだけで、あのアニメには“問題にならない問題”が他にもあったりするのだろうか。

その答えに迫られたとき、俺はどう言えば“問題ない”のだろうか。

そして、それは一体誰が、どう判断すれば妥当なのだろうか。


俺は父にもうひとつ尋ねた。

「結局、父さんはどう思っているのさ。彼らのクレームはくだらないと思っているのか、汲み取るべきところもあると考えているのか」

「息子よ、物事は0か1かじゃないんだ。YESかNOだけではないんだよ。善良な意見に耳を傾け、頷きながら、暴力的性的低俗表現をし続ける。本当の意味での“自由”はそういうことなんじゃないかな」

そんなテキトー大丈夫なのだろうか。

俺が言い表せないモヤモヤとしたものを抱えていると、弟の声がテレビのある方向から聴こえる。

どうやら『ヴァリオリ』を観ているようだ。

「ユーマ・フォーリングホース~」

主題歌を口ずさんで楽しそうだった。

なんだか腑に落ちないところはあるが、弟が以前のように楽しんで観られるのなら、まあ良いかってことにしよう。

……というか周りの熱気に煽られただけで、俺自身は元からどうでもよいってスタンスだったのを思い出した。

(おわり)

2017-10-07

[] #38-5「危ないアニメ

度重なる押し問答の末、シューゴさんはとうとう爆発した。

そして、一世一代の決心を宣言したのだ。

「もういい! もうたくさんだ! こんな曖昧基準で、表現が統制されてたまるもんか!」

ワガママを言わないでください。社会にとって害悪ものは統制される。それが今回はアニメだったというだけの話じゃないですか」

「俺から言わせればな、普遍性のないボーダーライン大義名分に、表現を統制しようとすることこそ害悪でありワガママだ」

「だからといって今のままじゃ、また苦情が来ますよ」

「上等だ! 奴らが文句を言うのはもちろん自由だ。だが、オレたちにも同じくらい尊重すべき自由がある!」

シューゴさんは頑なだった。

自分にとって不都合な影響を与えたくなくて、躾もロクに出来なくて、その責任をオレたちに擦り付けるしか出来ない。だったら、いっそ何もない家に一生閉じ込めておけ。それが一番確実で健全だ」

シューゴさんがいつもの調子でまくし立て始めた。

父もフォンさんも溜め息をつくが、どこか安堵もしていた。

シューゴさんほどではなかったが、二人とも今回の対応に不服であったのは同じだったからだ。

どこかでシューゴさんが突っぱねてくれることを期待している節があったのかもしれない。


そして、放送後……

シューゴさん、苦情が……」

「変える気はないぞ。主人公たちの武器はこれまでと同じ、人間相手にもバンバン使っていく」

「いや、今回はそこじゃなくて……」

「ん? どういうことだ?」

「『入浴シーンがセクシュアル的でよろしくない。青少年健全な成長に悪影響を与える!』……とのことです」

シューゴさんは大げさに笑って見せる。

父はあちゃ~と言いながら頭を抱えた。

「わっはっは、あ~そっちかあ~」

「ていうか暴力表現に関する苦情はどうしたんです? 今回はアクションシーンがいつもより派手だったから、むしろいつもより来ていると思ったんですが」

「たぶん、入浴シーンのほうが悪目立ちしたってことなんでしょう。そういう描写のほうが問題視されやすいですから

性別関係なく湯気をこれでもかってくらいつけているんですけどねえ。作画の手抜きを湯気で誤魔化しているんじゃないかって疑われるレベルで。更には放送局がそこに雑な修正まで入れてるほどなのに」

「一番スケベなこと考えているのは子供より、そいつらの方なんじゃねえか?」

「また、そういうこと言う……」

「どちらも表現の一形態だろ。これは良くて、これはダメ。ここまでなら良くて、これ以上はダメ。つまり区別しているってことだ。区別するってことは、そこには基準が設けられているはず。なのに、その基準はどういう構造をしている?」

「それは私も知りませんが、彼らの主張自体理解できるでしょう」

「都合のいい言説が使われているだけだろ。是非を判断する境界線はどう可視化されている? それは本当に普遍的な線引きか? 主張に汲み取るべきところがあるからと受け入れていったら、際限なく規制できてしまうぞ」

「そうなんですよね。主張の内容はそれっぽいことを並べてはいても、本質漠然としていますし。象徴的だったり抽象的なものの域を出ていない。とどのつまり恣意的判断しているのを誤魔化しているわけです。それで表現が統制されるべきかと問われたら、少なくとも我々の立場ではNOと言わないといけません」

「そんなこと言っても仕方ないでしょ。私たちも上から通達が来たか業務上やってるだけで、それが本当に正しいことか分からなくても、やらないといけないわけですし……」

「ああ、そもそも上の指示に大人しく従ったのがケチのつき始めだったよな。それで安易に変えてしまったら、他の表現も次々とその対象になる」

「そうして世間の目が矯正されれば、今までは全く問題視されていなかった表現まで統制の対象認識される。風当たりだけが強くなっていき、ディストピアが出来上がるわけですね」

「二人とも、検閲のものの是非はともかくとして、結局何らかの対応はしないと……」

この時フォンさんはかなり戸惑っていたようだった。

目の前の問題から目を背けて、二人が不平不満を言っているだけのように見えたからだ。

「それなら大丈夫だ。今回のエピソードお上からの指令は来なくなる」

しかし、この時すでに対策は講じられていた。

アニメによってだ。

「え、どういうことです? むしろ余計に悪化しそうな気がするんですが」

ちょっとした“自由の応用”ってやつだ。実のところオレたちは表現の自由欠点があることを知っている。全面的に守られるべきものだとは思っちゃいない。なぜなら、それは言論の自由だとか、批評自由だとかいったものを受け入れないことに繋がるからだ」

「それは分かっていますが、だったらなぜ……」

「直に分かりますよ、フォンさん。表現の自由欠点があるように、言論批評自由にも欠点があるってことです」

(#38-6へ続く)

2017-10-05

選択肢提示までやってるのに、そこで「どっちでもいい」もしくは「君の好きなようで良い」はあまり無責任。というか、非協力的すぎ。

漠然ときくのはさすがに答えにくいと思って、絞り込んだ選択肢だよ。

自分の好みはもちろんだけど、相手の好みだって反映させてるし、状況(例えば金額的、時間的場所的な現状等)も踏まえてここまで絞ってるんだよ。

それを、ここまでやっても自分意見を言わないとは。

なんなの、自分が決定するのが怖いとでも?

ちなみに、似たようなことで苛々している知人が後者の返答について「自分相手の好きにさせてやってるんだ、って言い方が最悪」と言っていたのが印象深い。

とにかく、そういう回答は「どうでもいい」に等しく失礼であると心得てほしい。

2017-10-04

https://anond.hatelabo.jp/20171004221539

自分が嫌い」とか具体的な問題を上げずに漠然と「生きづらい」とか言う人たちも似た系統だよな

そういう奴らに限って金に困ってる風でもないし、それなりの会社大学にいたり、友人やら恋人がいたりする

よっぽど器用でアグレッシブだよ

メイドインアビスは11話からやばくなるので絶対途中で切らないほう

途中で切らなくて本当によかった。正直序盤はやや退屈で切ろうと思うところがあったが、最後はとにかくやばかったので絶対最後まで見たほうがいい。

序盤の平和な感じやキャラクターの柔らかい感じや能天気さは、むしろ最後の壮絶さを強調するための「ため」だと思って見ていればいい。

ちょうどまどマギの「マミった現象と同じようなもので、あの柔らかいから想像できない「死」が突然リアルに描かれたときの衝撃と似ている。

ただし、そこに至るまでに強い引き要素があまりないので途中で切りたくなるかもしれない。

特に、なぜ主人公たちは命をかけてまで危険冒険をするのかの動機説明が不十分で、視聴者気持ちが追いついていかない。

一応、主人公たちの親や生まれに関する真実を知るために冒険するという説明はあるが、なにしろ情報があまりにもない。親との思い出の回想シーン1つたりとも描かれることはなかった。

根幹の動機が不十分のまま、とにかく冒険クワクするよねとか探掘家って憧れる~みたいな雰囲気で進もうとするので、ますます気持ちが離れていく。ワンピース海賊王の定義もないまま、海賊王に俺はなると言い出してとりあえず冒険に出るくらい漠然としている。

しかに、描かれている世界はかなり独特かつ緻密なので、それだけで魅せられる人もいると思うが、そういう独創的な世界観だけをひたすら見続けさせられるアニメなんだろうかと心配になる。

が、そんなことどうでもよくなるくらいの展開になってくので切らずに最後まで見ることをおすすめする。

2017-10-03

[] #38-1「危ないアニメ

物事にはラインがある。

おっと、変なボケはやめてくれよ。

ガイドラインや、ボーダーラインかのことだ。

是非を判断する上では重要な線だな。

でも、その線をひくのは所詮人間

時には明確に可視化されず漠然としていて、統一もされていないことも多い。

なのに、その状態恣意的に決められることも珍しくない。

じゃあ、もしも抽象的なテーマに対して、そんなことをしてしまったらどうなるか。

今回はそんな感じの話だ。


以前どこかで話したが、俺たちの町では『ヴァリアブルオリジナル』というアニメ流行っている。

深夜放送から人気に火がつき、ゴールデン放送するほどになった。

だが、必ずしも良いことばかりではなかった。

本作はバトルもありのシリアスもありの作品だったのだが、深夜放送のままの表現では難しいと上から判断されたのだ。

まり事実上リブートを余儀なくされた。

例えば暴力表現はなくなり、容赦なく死んでいた登場人物たちも敵味方モブ含めて全く死ななくなった。

そのほか、登場人物達の言動もかなり抑え目なものとなり、ビジュアルもかなり変わっている。

あと国際色豊かになったらしい。

……異世界舞台であるファンタジーもので「国際色豊かになった」って言われてもピンとこないが。

それに元あるものをわざわざ変えてしまうというのも、別の意味冒涜的な気もするんだがそれはいいのだろうか。

第1シーズンからファンである友達は、放送当時かなり落胆したとボヤいていた。

そんなことをスタッフの一人である父に言ったら、「不自然修正を後で追加される位なら、文句絶対に言われないレベルにしてやろうとしていた」らしい。

まあ何はともあれ様々なもの配慮したアニメなんだなと俺は認識していたが、それでも問題が浮上しないというわけではなかった。


弟いわく、友達のシロクロが発端だという。

シロクロも『ヴァリオリ』に熱中しており、よく自分住まいごっこ遊びに興じていた。

こいつはお世辞にもごっこ遊びが似合うようなナリではなかったが、まあアニメをどう楽しむかにそんなことは関係ないよな。

そんなシロクロの様子を、同居人ガイドは訝しげに見ていた。

「くらえ、チョウナ・ブーメラン!」

「なんだシロクロ。その珍妙デザインブーメランは」

「『ヴァリオリ』に出てくるイセカっていうキャラ武器だ!」

「ああ、そういえばそんなアニメあったね」

手斧ブーメランハイブリッド性能を持っているんだ!」

何だかすごく危なそうだけど」

安心しろイミテーションだ!」

「あー……シロクロ? 居候の身であるボクが偉そうなことはあまり言いたくないんだけど、イミテーションからって人に向かって投げるのは自重してくれよ。特にボクには」

大丈夫責任は俺が取る!」

「そういう話をしているんじゃない」

「どういう話をしているのか分からないが、まあ分かったよ。じゃあ、ウロナの武器で遊ぶ!」

「ウロナってのも『ヴァリオリ』のキャラ?……って、それ弓じゃないか!」

「ただの弓じゃないぞ。こうやって足で固定できるんだ。すると両手で弦を引ける。すごい勢いで放てるってわけだ!」

「おい、だからボクに向けるな!」

「矢尻は吸盤だぞ?」

「だから、そういう話をしているんじゃない!」

「どういう話だよ」

まあ、子供(?)の微笑ましい風景だ。

だが、この状況を微笑ましいと感じない人間が出てくる。

彼らにとって、クレームを言うのには十分な理由だった。

(#38-2へ続く)

anond:20171003003910

一度アルバイトでもしてみたら?

それか自主的に何か作ってみるか。

テーブルとか、曲とか。

ネットオークションとかで他人と金銭のやり取りでもしてみれば良い。

やりたいこと、漠然と願ってることを紙に書いて、それを行うにはどうすればいいか紙に要点を書いていけばいいんじゃね。

2017-10-01

金がないのはなんとかなるが

自尊心がないと生きていけない

とにかく俺はそれを削られ過ぎた

漠然とした社会に対する復讐心だけ残った

自分が正しいと思って俺を削って来るやつをスイッチ1つで消せたらどんなに楽か

2017-09-29

同性愛もどき”に、逃げているだけのような気がします|女と結婚した女だけど質問ある?|牧村朝子|cakesケイクス)

https://cakes.mu/posts/17746

ツイッターで回ってきたリンク

要は「異性愛だのセックスできないだの、そういったカテゴライズに拘らなくていい」という内容だと解釈した。

私も相談者と似たように「相手のことを性的な面も含めて好きになれているのか」と思いがち。

(このリンク趣旨とは外れるけど「同情で付き合ってんのか?」とたまに自問自答する。性的なこともできるし嫌じゃないんだけどさ…)

からこれ読んで、少しは楽になったな。

漠然とした不安感が拭われました。という感想文です。

2017-09-27

小池ってぶっちゃけ石原なわけじゃん

別に支持するのは構わないけど、ちゃんとそういうのわかった上で支持してもらいたい

本人の立ち位置維新に限りなく近いネオリベポピュリストなわけじゃん

都民はじめ有権者の皆様が小池の何に期待しているかというと、これがまた漠然としていて、

例えば本人のキャラクターだったり、とにかく既得権益らしきものをぶっ壊す剛腕だったりする

でもそれって、まさに石原時代石原に求められていたものと、全く一緒じゃなかったのかと

そこまで理解して、それでも小池支持するっていうなら、もう何も言うことねえけどさ

石原は目一杯叩いておいて小池には期待するというその魂胆だけが、どうにも理解できんわけよ

たまたま⚫️⚫️に投資したんだけどさ

投資した後でその分野について色々と調べた。その企業のやっている内容を色々と知っていくうちに、⚫️⚫️って面白いなと感じた。初めて知ったことも多かったし、ビジネスモデルなんかもいくつかのパターンがあって非常に興味深かった。自分の知らないことを勉強、吸収するって楽しい。他にも興味がある分野はたくさんある。あとは身近なお店の企業銘柄とかもいいね。ただ、今は投資金が不足しているからそれらには突っ込めないけど。今回の⚫️⚫️はたまたま投資だけど、自分基本的には興味がある分野や好きな企業投資する。ただ上がるか下がるかのマネーゲームではおおよそ損する気がするし、それは自分にとって本質じゃないと思っている。本当に興味のある企業や好きな企業投資すると、いずれ価値は上がってくるだろうという漠然とした感覚がある。投資プロから言ったら何言ってんだと思われると思うんだけどね。でもそういう感覚って実は最も大事だと思っている。冒頭の⚫️⚫️の株は何を思うこともなく買った銘柄。でも今はとても好きな銘柄であり企業である。だからいずれは価値が上がるだろうと気長に待っている所存だ。

2017-09-26

生きる目的無駄遣いに決めたら楽になった

40歳を過ぎた。


結婚はしているもの共働き非正規雇用(配偶者正規雇用)で、子供はいない。

世代は部下や子供を持って、責任ある立場に立って頑張っているのを感じるけれど、ふとした時に自分には何もないなーと思う。

仕事は好きだけれど、先の見えなさとか、非正規ならではの

責任無いだけに逆に責任がある感じに(このへんわかる人だけピンときてくれたら充分)押し潰されそう~ってなって、たまに投げ出して逃げたくなる。


そういう定期的落ち込みにうんざりしつつ、かといって正社員になるための努力も怠ってだらだら生きている。

大人として恥ずかしいと思いつつ、早死にしたいなーとか日々思っていて、中2かギャルかよ。しかし今更社会的立場も積み上げられそうにないし、

子供でもいたら何か変わるんだろうか、とここ数年悩んできた。

人生への枷として「この子のために死ねない」「孫の顔が見たい」という感覚があればもうちょっと真っ当に生きられるんじゃないかと。


しかし、正直昔から子供にあまり興味がない。可愛いの子かわいいと思うし、うるさい子はうるさい。血縁があってもなくても同様に見てしまう。

人1人育つのにかかるコスト、醜い容姿だった時にブサイクだと思わない自信がない、病気事故可能性、非行に走ったりサイコパス気質だったら…など、

自分の中では子供及び育児というプロジェクトは、リターンよりリスクばかり目につく。

なので、若いからやんわりと子供は欲しくないなと思ってきた。結婚するとき配偶者にそれは伝えて理解してもらっている。


というか配偶者自分オタクなので、理解というより趣味にある程度時間お金を使える生活を維持するには仕方ないよねー、という感じなんだと思う。

お互い比較的富裕な方の家庭に生まれ育って、浪人の上大学まで出してもらっているのでもし子供を持つなら同じようにするべきという思い込みもある。


と、まとめられるくらいには「子供を持たない」ことで後悔しないように整理しつつも「自分の子は違う」「生まれてみれば変わる」という主張に対しては反論材料がなく、

(あるとしたら「生まれたけど可愛くないよ」しかないと思うので)いつか後悔する日が来るんだろうか、という漠然とした不安けがあった。


しかし、拠り所の無さについて散々考えた結果、「“無駄遣い”することを人生の目的にすればいいのでは?」と思いついて、

悪くない考えではと思ったのでここに書いてみている


子供が欲しくても縁のない方もいるわけだし、生まれ人間が全員育つわけでもない。

虐待件数も(明るみになる分としては)年々増加していると聞くし、配偶者に何かあったら正直育てられる気がしない。

自分自身が親に「親の面倒なんて見なくていい」と育てられたので、多分子供にも求めない気がするし、

老後への投資としては、子育てってコスパ悪そうなので積立でもしたほうが良さそう。

とりあえず自分が生きている間なんとかなればいい、と思いきれると、政治とか環境問題もそんなに気にならないというメリット(?)もある。


それなら自分なりに働いて好きなものを買ったり外食したりして経済回していくことで社会と関わって生きるんでもいいんじゃないか?

好きな作品お金を使って、コンテンツを支えてるんだーって自己満足を感じつつ、

安めの老人ホームなり老人シェアハウスに入れるくらい貯金も心がけ、だらだら生きることに罪悪感を感じないようにしようと思う。



こういう人が増えると少子化待ったなしだし、多くの共感は得られない意見だと思うけど、もしかしたら同じような誰かが楽になってくれたら嬉しい。

2017-09-24

anond:20170924214222

うん、まあ、Googleに贔屓され教育研究分野で実績を積み上げてるPythonは強いけど

ただ漠然と「Web」「どうなのでしょうか?」と言われても困っちゃうでしょうに。

強いて言うなら、それ専用の言語として設計されたphp,

レガシーではあるがWebを牽引してきたperl,

フレームワーク流行ったruby,そういった言語選択の中で

わざわざWeb屋がpythonを使う義理はないって感じじゃないか

Web以外のところだとこういったスクリプト言語の中では

望まなくともpythonを選ばざるを得ない機会は増えてきたね

2017-09-23

anond:20170922122331

アラサーになった忘れ物常習犯です。

小学生の頃はランドセルを忘れ、制服学校に脱ぎ忘れ、

大人になっても、鍵の紛失常習者…

忘れ物がとにかく多いです。

本人の意思としては、

もちろん悪気もないんだけど、気持ちが次の事や他の事にいってしまってて、

気をつけるということが出来ない。

忘れ物に気をつける事を忘れてるから「気を付けろ」と言われても、気持ちでは解決できない。

から物理的に気をつける環境を整えるしかないんですよね。私の場合ですが。

親には気を付けろとグチグチ言われるしかなかったので、あー自分バカなんだ。と漠然と思って育ってしまいました。

気をつける環境を整えるというのは、例えば

整理整頓して見渡せる環境づくり

・物の数を減らす

メモに書き出して嫌でも目につくところに貼る

・出かける際など、誰かに忘れてないか声をかけてもらえるように頼む

・いつも同じ場所に置く

・目につくように置いて置く

・後回しにせず、すぐ用意する

・行動する動線上に用意する

などです。

新社会人になった頃から忘れ物ミス自己嫌悪になり、少しずつ改善しようと工夫してきた事です。

私の中でのテーマは「明日自分に優しくなる」でした。笑

どうか、明日娘さんが困らないように、一緒に忘れ物をなくす環境づくりに取り組んであげてください。

今でも鍵なんかは、意識せずにカバンに突っ込むので、どこのポケットに入れたかからなくなってよく車の前で鍵を探してますが…

それと気になるのは、いじめ可能性が無いかどうかです。あたまの片隅でいいので考えてみてください。

心の中のもう一人の自分がいなくなっていた

幼少の頃、よく母に怒られた。

仕事ギャンブル毎日明け暮れる父に代わり、母は自分に対して最低限のマナーを教え込むため、しつけがしかった。今でもその頃の記憶を手繰ると機嫌の悪かった母がいた思い出しか出てこないくらいだ。お陰で今助かっている所も勿論あるとは思う。でも今、それは置いておいて。

子どもの頃、母に怒られたり、母の機嫌が悪くなると、決まって自分の心の中に「もう一人の自分」が現れた。

泣きながら、母の言うことを聞いて反省する自分

でも、心の中にいるのは、テーブルの前に座り、頬杖を付きながら母の言うことに真顔で反抗するひどく冷静な自分

小学生くらいまでは、母に責められる度にこの小さいもう一人の自分が心の中で反抗を繰り広げていた。

だが、いつからだろうか。この反抗する自分が心の中にいなくなったのだ。

成長するにつれ、母が過度に腹を立てることも、自分が母を怒り心頭にさせることも無くなっていた。波風立てず、相手を怒らせることなく反抗なんてもっての他になっている自分がいた。

ただ、ごくたまに母が腹を立てた時に、私の心の中にはもういなかったのだ。あの時いた、もう一人の自分が。

今も昔も、自分は母に、反抗なんてしなかった。ただ、確かにあの時、心に棲んでいる反抗をする冷静な自分叫びを上げていた。

今、もう一人の自分はどこへ行ってしまったんだろう。

この頃、自分を責めることばかりをしている。毎日毎日漠然とした不安に怯え、その度に「こんな自分がこの事態を呼んだ、悪いのは全部自分だ」と考え、ずっと頭の中を彷徨っている。

もし今、冷静に反抗の叫びを上げる自分がいたらどうだったのだろうかと、ふと気付く。

いつからだめになってしまったのだろう。

2017-09-20

anond:20170920012328

えっとですね、まず自殺念慮自殺企図定義について。

自殺をしたいと考えることが「自殺念慮

自殺念慮により自殺するため具体的な行動を行うことが「自殺企図

(「精神科救急医療ガイドライン3(自殺未遂対応)」より)

漠然と「死んでしまいたい」「消えてしまいたい」と思うのは、希死念慮といって自殺念慮の前の段階です。

なので、

(1)自殺企図・切迫した自殺念慮のある場合

には当てはまりません

(2)療養・休息に適さない家庭環境

についてですが、彼氏一人暮らしですので親との関係が悪くなければ実家に帰るか、親御さんに来てもらうという手段が考えられます

(3)病状の急速な進行が想定される場合

これについては元増田に書かれた状況だけでは分かりませんよね。

精神病性の特徴が見られたり、昏迷状態に陥ってるとかならまだしも、抑うつ状態であることしか分かりませんので、今後病状が急速に進行するかどうかは分からないはずです。

なぜあなたはこれに当てはまると思ったのか知りたいくらいですね。

そしてガイドライン15〜16ページ

自殺リスク評価に際して、最も注意すべき点が、 自殺企図が切迫しているか否か(Holma et al, 2010) の判断である自殺念慮が強く、自殺企図の切迫しているような場合は、家族に十分注意して見守ることを伝えた上で、入院治療考慮する必要がある。自殺計画を具体的に考えている場合は、特に切迫性が高いと考えられるので、非自発的入院も含めて本人の保護に重点を置いた対応をとるべきである

元増田記事の内容からは「自殺計画を具体的に考えている」ようには読み取れません。

よってあなたの言うように、彼氏は非自発的入院医療保護入院)相当である、という根拠は薄いと思いますが、いかがでしょうか。

任意入院であれば精神保健指定医である必要はありませんし、なんでそんなに精神保健指定医にこだわるのか、私には分かりかねます必要であれば任意入院から医療保護入院に切り替えることもできますし)。

少なくともガイドライン元増田記事を参考にする限りでは、入院必要であるとも、家族間の信頼関係にヒビが入る可能性が高い非自発的入院最初から考慮にいれるほど切迫した状況だとも思えません。

私は他科の医師経験に基づいた意見よりは、最新のガイドラインのほうがよほど信頼できると考えております

まだなにかご意見はありますか?

【追記読みました】

病識がないことがうつ病が重い証拠だとお考えなのですね。

ですが病識がないこと、またはうつ病であることの否認医療機関受診消極的であることはかなり典型的なうつ病の症状です。

ガイドライン20ページより

多くのうつ病患者が適切な医療を受けていない (Kessler et al, 2007)という知見の背景には、うつ病に伴う否定的認知によって、「自分状態改善させる上で、医療は役に立たない」という発想が生じがちで、それが医療受診に対する消極さにつながっていると考えられる。「医療機関受診消極的なうつ病患者であるが故に、「治療者-患者関係形成」がうつ病診療において、とりわけ重要といえる(American Psychiatric Association, 2000, 2010)。

からこそ、うつ病ではそのような考えに陥りやすいんですよ、という心理教育(疾病教育)が重要になってくるんです。

病識がない、病気否認しているというだけでは入院適応にはなりません。

ガイドライン21ページに書いてあることも元増田記事に書かれてるまんまですよね。

例えば「仕事へのやる気が失せ、注意も集中できず、業務がはかどらない状態では、『みんなに迷惑をかけている』と自分を責めてしまうことも、無理のないことだと思います」といった「承認である関係が構築できた上で、「やる気が失せること」、「注意の集中ができないこと」「自責感」もうつ病の症状であることを説明 し、「何が症状か」を伝え、患者うつ病客観化してとらえることを促すことも重要である

2)診断確定後の治療導入時での配慮

抑うつ相では「病気ではなく怠けである」「性格であるから治らない」「どうせ薬なんか効かない」、「こんな状況(例:身体病気を持っているから、職場問題があるから)では医療は助けにならない」といった、 否定的認知に傾きがちである(Hirano et al, 2002)。 うつ病の診断が確定した後は、この否定的認知がある ことを念頭に置きながら、治療へ導入する必要がある。

こういうのってうつ病典型的な症状なんですよ。

外来通院で心理教育などを行いつつ病気の受容を促すことも治療ひとつです。

繰り返しますが病識がないこと、それだけでは入院適応にはなりません。

2017-09-19

イケメンの姉

姉はイケメンだ。かなりぶっとんでるし、ちょっとどうかと思うような行動に走ったりもするけど、総じてイケメン性格姉妹正反対。私は人見知りで、基本的にいつもおどおどしている。今までいろんな局面で何度も姉に助けられてきた。そんな姉への感謝気持ち綴りたい。

まずは小学校入学式のこと。

うちは母が早く亡くなってる。私が5才になる年に喉頭癌でこの世を去った。姉は私より11才上で、私が小学校に入った年にはすでに高校生だった。

そんな姉が、私の入学式に母の代わりとして参加してくれたのだ。その時のスーツ姿がとても素敵だった。人指し指に緑色翡翠指輪をはめていて、それは母の形見だと教えてくれた。入学式の時の写真を見返すと、やはり姉は保護者の中で一人だけ幼げに見える。

姉は高校ではかなり目立っていた。たまに雑誌にも出てた。エルティーンという十代向けのファッション誌で、モデルみたいなことをしてた。私はまだ小学校に入りたてで、そんな姉を芸能人だと思い込んでいた。そのうちテレビにも出るんだと思ってた。その予想はのちに別の形で実現するんだけど、その話はあとに回そう。

姉はふだんはあまりエルティーンを読ませてくれなかった。小学生にはふさわしくないエロい特集が多かったのだ。そんな雑誌にちょくちょく載る姉の姿に、私は幼いながら、妖しい憧れのような感情を抱いていた。

父は土建業を営んでいたが、この頃には経営が苦しくなっていた。それまではずっと絶好調で、姉は何の疑いもなく「うちは金持ちだ」と信じ切っていたらしい。でもそんな幸福時代はあっけなく終り、父は一気に萎れてしまった。母に先立たれて、経営も傾き、悲嘆にくれる日々。父がお酒に溺れ始めたのはこの頃だ。それでも父は姉を私立大学に入れた。娘の教育は疎かにしない、それは母の遺言でもあったそうだ。

二つ目感謝は、このころの話。

当時、私がまだ9才の時。姉が私をあるイベントに連れて行ってくれた。姉の大学友達の中に、ひとりだけ9才の私が混ざるという、かなり無茶な形だった。野外で開催されるテクノパーティ。でもそんな詳細はすべてあとから知ったことで、当時は右も左もわからないまま、姉に連れられて、ただついて行った。そこはまさにカオス空間だった。広大な森林のいたるところで人々が踊り狂っていた。真夜中にトランス状態で踊り狂っている大勢大人たち。あの光景が私の音楽原体験になってしまったのは、なんかちょっとまずい気もしている。

夜、私は姉と並んで芝生に寝転んだ。遠くではドンドンという無機質なテクノビートが鳴っていた。私と姉はふたりで夜空の星を眺めながら話した。その時に姉がとつぜん言ったのだ。

ママはもういないけど、私がお姉ちゃんとお母さんの両方をやるから

後年、姉にこの話をしたら「そんなくさいドラマみたいセリフ言うわけない」と全否定した。でも私は完全に覚えている。ありがとう。あの言葉にどれだけ支えられたかからない。

三つ目は、話自体がかなりぶっとんでる。

私が中2の時、父の会社が潰れた。全てを整理しなければならなくなり、家族は家も失った。私たちアパート引っ越した。父はもはやアル中の一歩手前みたいになっていた。

姉はすでに大学卒業していたが、就職はしていなかった。なんと、カリスマキャバ嬢になっていたのだ。当時の某歓楽街ではかなり有名な存在で、テレビ取材も受けていた(冒頭に書いたテレビ出演の話はこれのことだ。ちなみに姉はこの後にもまた別の形でテレビに出るのだが・・・)。姉は客に媚びないSっぽいキャバ嬢という設定で、何度か深夜番組に出ていた。それはけっこうサマになっていた。

姉は家では父にハッパをかけ、とりあえず一労働者に戻って建築現場で働くことを勧めた。父は最初経営者という立場にこだわり、かたくなに拒んでいたが、やがてしぶしぶ従った。

ここから急展開が訪れた。カリスマキャバ嬢としてのブームが一段落して、父もどうにか社会復帰できたというタイミングで、姉がいきなり海外留学してしまったのだ。なぜこのタイミング?と思ったけど、どうも男絡みのようだった。色恋沙汰なら、もう誰が何を言っても無駄だ。姉の留学先はコスタリカだった。

姉は私に銀行カードを託した。「本当にやばくなったらこお金を使いなさい」と姉は言った。さらにもう一点、「絶対に父には秘密にすること」姉はそれだけ私に言い残して、さっさと異国へ旅立ってしまった。当時、私はまだ中2だった。おいおい、母親の代わりをするって話は?

預金は600万円だった。コンビニATMで残高を見た時、足が震えた。私はこわくなって、すぐにカードを机の引き出しにしまい、鍵をかけた。それは中2の私に背負える額ではなかった。

そのまま中3になり、受験の時期を迎えた。姉がいなくなってからというもの、家の中はめっきり暗くなっていた。父は働いてはいものの、お酒の量がどんどん増えていた。親子の会話もほとんどなくなっていた。学校でも、私の家が落ちぶれたという噂がうっすらと広まっていて、なんとも言えない惨めな気分だった。姉の600万だけが心の支えだった。まだ大丈夫、うちにはこれがある、そう言い聞かせながら日々を送っていた。とかいいながら、カードからお金を引き出す勇気なんてまるでなかった。私は根っからの小心者なのだ大金を前にして、完全に怖気づいていた。どうしても心細くなって、ひとりで布団をかぶって泣く日もあった。勉強にも身が入らず、だんだん授業がちんぷんかんぷんになっていった。高校に受かる気がしなかった。この時期は私の人生いちばんしかった頃かもしれない。

そんなときに、姉が帰ってきた。まるで私の危機を察するみたいに。姉は予告もなく、いきなり家に現れた。あの時、姉を見た瞬間、私の全身にぐわーっと広がった強烈な安堵感が忘れられない。自分いかに姉を頼りにして生きているのか、骨身に染みて分かった。

姉のコスタリカでの日々は、それだけで一冊のルポルタージュが書けるぐらい強烈だった。でも私がここに書くのはちょっと無理だ。筆力が足りなすぎる。姉はコスタリカ日本人恋人暮らしていたのだが、やがてその男と別れて、現地でスペイン人と付き合うことになった。交際から数日後に、ふたりパナマに小旅行に行ったら、国境を渡るバスから彼がいきなり逃亡してしまった。理由はわからない。ともかく姉は一人にされてしまった。それから姉は執拗警察の取り調べを受けたりしつつ、どうにか事なきを得て、家に帰りついた。後日、彼が麻薬組織幹部だということが発覚した。姉はそんなこと何も知らなかった。彼がなぜ逃げたのか、どこに逃げたのか、全てが謎に包まれていた。

そういう話が他にもたくさんあるんだけど、とても書ききれない。とりあえず姉は無事に日本に帰ってきた。そしてコスタリカでのエキサイティングな日々を迫力満点に語ってくれた。私はなんだか自分の悩みがバカらしくなってきた。受験不安だとか、ほんとに小さなことって気がしてきた。姉に相談したら「勉強しろ」と言われた。2秒で話が終わってしまった。銀行カードをいちども使わなかったと言ったら「あんたらしいね」と笑った。姉が相変わらず人差し指翡翠指輪をしていたので、私は「お母さんの指輪だ」と言った。姉はそっけなく「あれウソだよ」と言った。「蛍火の墓を見て、適当でっちあげた」「マジで!?」「うん」私は脱力した。

それから受験勉強に身をいれて、私は無事に第一志望の高校に受かった。姉は父の酒浸り生活も、きびしくたしなめた。父は何だかんだ言いながら、姉には従う。酒の量を控えるようになり、少しずつ生気を取り戻していった。やがて昔の仲間と一緒に、また小さな会社を発足させた。最近土建以外にも手を広げて、高齢鞭打ちながら、建物管理資格勉強なんかをしている。

姉はコスタリカで築いた人脈を駆使して、某国大使館アルバイトをするようになり、そこで能力を見込まれて、正規職員になった。大使館について詳しく知っているわけではないけれど、私は漠然と「超エリート仕事」だと思っていた。姉のイメージとはどうしても結びつかなかった。最初に聞いた時は、女スパイ組織に潜入しているような姿が頭に浮かんでしまった。

姉の最後テレビ出演は、この大使館バラエティ番組取材を受けたときだった。姉は有名な芸人さんにおいしくいじられていた。姉は完全にキャラ変して、シャイで生真面目な妙齢職員を演じていた。「あなた、かなりの箱入り娘でしょ。男性経験も少なそうだな」芸人さんがそんなようなことを言って、姉をからかっていた。姉は恥ずかしそうに両手で顔を隠した。『かわいぃ~』みたいなテロップが入った。いやいやいや、と私は全力でテレビに向かってつっこんでしまった。

そんな姉も、長く勤めた大使館をやめて、今はスペインバルオーナーマネージャーとしてバリバリ働いている。ほんとはここにお店のサイトリンクを貼って、微力ながら宣伝したいんだけど、それをするには姉の許可を得なくちゃいけない(というか、こんなの宣伝にならないか)。

ちなみに私は普通に高校を出て、短大を出て、今はOLだ。ほんとに波風のない人生。何から何まで姉とは対照的だ。そのうち私にも、めくるめく冒険の日々が訪れるのだろうか。

結局、姉への感謝はたくさんありすぎて、とてもここには書ききれない。何でこんなことを書こうと思ったかというと、このあい何気なく実家で昔のアルバムをめくっていたら、幼い頃の姉の写真を見つけたから。3才ぐらいで、まだ私が生まれる前。姉は母の腕に抱かれていた。泣き出す直前みたいな、絶妙な仏頂面。姉を抱く母の人差し指には、緑色翡翠指輪が光っていた。なんだ、やっぱり形見じゃん。本当だったんだ。きっと照れくさかったんだろう。いかにも姉らしいと思い、うれしくなってしまった。それで姉への気持ちをまとめてみようと思ったんだけど、うまくまとまらなかった。無理もない、姉自身がまとまってないんだから

2017-09-18

https://anond.hatelabo.jp/20170918020546

なんか長文になったけど、

そもそも自身が僕に対しても説明できないことは、他人にも説明できないから書いていないだけで、嘘をついて誰かを騙そうなんて気は全くないですよ」

という話です。

まず、ブコメからの繰り返しになるけど、

自分でも自分が男を好きになるのか、女性を好きになるのか、いまいちわかっていません。

その瞬間、その瞬間において、彼ら彼女らに対して好きだなあ、という気持ちがあったことは否定しませんが、

自身ゲイなのか、バイなのか、ヘテロなのかについては、自分でもよくわかっておらず、

なんならここ最近はどう相手性別が変わろうとも、自分男性であることは変えられないことへの、不快感みたいなものも現れてきていて、

正直、自分でもさっぱりどうしたいのか、なにがしたいのか、今後どうなっていこうとしているのか、わかりません。

なので、今は自分にとって不快ではない、そのときそのとき選択をしているだけで、

「僕はこうこうこういう人間で、こうこうこういうことを今までしていきたし、今後もこうします!」と力強く宣言できる状況にはありません。

そのため、過去の内容と相反する文章もあるかもしれませんが、その文章を書いた瞬間においては、それがその気持ちだったのだと思います

ただ、二月辺りに女性カラオケに行った時も、

先々週の金曜日(なんか説明責任を急に追求されたやつね)の女性と飲み歩いた時も、

からも、女性からも、特に好きとか嫌いの話題は出ていないし、そもとして肉体関係を結んだわけでもありません。

先々週の金曜の件に関しては、肉体関係を結びそうになったのであれば、それは好きなのでは? と言われると、あまり返す言葉がないのですが、

性欲と愛情は別のものであり、そこにあまり因果関係はないという意見を持っています

(この点については、ここ最近プレイしているゲーム担当しているアイドル発言が少なからず影響している気がしなくもないですが、責任転嫁にもほどがあるので、冗談です。

唐突ダイマでも挟もうかとも思いましたが、冗談が過ぎるのでやめておきます。)

正直なところ、書きたい話は書く、書きたくない話は書かない、というスタンスなので、

例えば2015年8月2016年4月までの間、特定男性と週に一度の頻度にあって色々したりしていたのですが、その全てを事細かに書いてはいません。

また、2016年4月にその関係が終わった時も、あのカテゴリでは終わった話を書いていません。

(単発の増田では書いたのですが、そこには経緯の説明はあまりなく、感情吐露ほとんどだったとと思います

恋愛話でない件でいうと、親ともめている話もその事実を書いているだけで、経緯については書いていませんし、

金曜日母親と会って約束お金を返した件なども、増田では書いていません。

これについては、なぜ何を問われても困ります

僕の身に起きたこと全てを書き記すのは不可能です、極端な話、呼吸した回数も書いていなければ、摂取塩分量も書いていないし、血圧も書いてないし、体温も書いていません。

僕が未来の僕に残しておきたいと思ったことを書いているだけなので、

さて、改めて元増田意見について考えたいのですが、

触れないで、とは言ってるけどこっちとしては説明を求めたいよ。

お前の言ってること、どこまで信用して言い訳

説明責任を追求されたときは一切ふれなかったわりに、

こっちにはちゃんと説明するのかよ、と別の増田の人に怒られそうですが、頑張って気持ち吐露したいと思います

あの当時においては男性が好きでした。

今はその欲求はあまりありません。

それは、その当時付き合っていた男性

特定パートナーがいるにもかかわらず、不特定多数の男とセーフではないセックスを楽しむ」

「僕にもそれを強要する」などの態度が、気に食わずかつ、連れていかれたゲイバーで、特にその態度が異常扱いされず、正常のように扱われていたこと。

そんなことがあったため、男性同性愛全般への漠然とした不快感があり、

『今は』距離を置いているからです。

これは、自分の中でそうである人もいれば、そうでない人もいる、ということが飲み込めていないため、距離を置いているだけで、

今後未来永劫、男性恋愛をしないことを誓うものではありません。


次に、女性への気持ちについてですが、これはもう繰り返しになりますが、

自分でもよくわかっていません。

漠然と感じているのは、ただただ複雑なモヤモヤした、まだ生物が陸に上がるまえの混沌とした海のような、理路整然としていない気持ちです。

これの何が複雑かって、その瞬間瞬間において、言葉が詰まるわけじゃないんですよ。

変な話「きっとこうすれば、この人ともっと仲良くなれるだろうなあ」とか「これ言うと嫌われそう」という二つの選択肢が思いついたときには、

自然と仲良くなる方を選んでいます

いやまあ、それが常に成功するわけではなくて、先々週の金曜日はもめたわけですが。

要するに

自分から仲良くなる選択肢を選んでいるくせに、自分が本当に仲良くなりたいか否かははっきり言えない」みたいな?

あーもう、こうやって文章化しても、やっぱよくわかんないっすわ。

増田がどこまでの説明を求めているのかわからないけど、

ほんともう、嘘をついてやろうとか、そういう気持ちはなくて、

ただただ、自分でもよくわかってないんですよ。

べたなことを言ってしまえば

誰かと触れ合えれば誰でもいいのかもしれないですね。

ただ、もう、これだけは言いたいんですが、

僕が書く増田しろブコメしろ

ある程度の誇張や、

全ての情報を書かないことで読み手の誤解を誘ったりとか、

そういう小手先テクニックを使ったことが一度もないか? と聞かれたら、そりゃあるかもですけど、

基本的には素のままのそのとき、そのとき気持ちを素直に書いているつもりです。

何か疑問に思って聞いてもらえたら、

こうやって問われれば答えられる内容であれば答えるし、

答えたくない内容であれば答えないです。

答えがまだ自分でもわからない内容であっても、こうして言葉を尽くそうと努力しています

それだけじゃダメですかね?

漠然とつらい

生きるの漠然とつれえしやる気でないし涙は出てくるしなんなのか

2017-09-17

anond:20170917162951

じゃあ余裕がない人が差別をするってこと?

まあ漠然過ぎてそれなら特に言うことなレベル漠然しまくりだけどw

2017-09-16

anond:20170812011028

> 結局は利子付きで数百万も借りて、後で困窮するって選択肢として無理がある

本当にこの意見同意

それでもなんで軽い気持ち奨学金を借りて困る人がいるかというと、

・親が漠然と「うちは金がないから、これを生活費にして」と奨学金を借り、

 毎月数万を子に渡す。

・子はいまいち自分の置かれた経済的状況を理解していないので、

 周りの大学生と同じようにバカスカ留学やら旅行やらサークル活動で使う

・働いてみてから「あれ?支払い大変じゃね?」と気づく

というパターンで、誰もお金のことについて真剣に考えてないっていうのが理由だと思う。

あとはSNS中心の生活になったことで、より「みんなと同じことをしたい」という

見栄中心の価値観もあると感じる。

今になって奨学金に悩む友人、そして自分日本人金融リテラシーがクソというのをしみじみ思う。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん