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はてなキーワード: 踏み台とは

2023-06-03

言っていい感じではありません。ハラスメントです。女性は元々背が低いんだから、男の思考に合わせるために踏み台を用意してあげないといけないのです。

そもそも、「痴漢の大半は男だから痴漢は男の責任、だから痴漢があったら男全体を焼き殺していいんだ」って喚いてるフェミばっかりだった時点でお察し。

セクハラ企業であるとわかりきってたジャニーズ応援してジャニーに金を送り続けておいて、「知りませんでした~~~」「加害者は男なので私達に関係ないですぅぅぅ~~~」だし。

女性はたぶん3秒も記憶できないんじゃないっすかね

もちろん、ここで女性主語にしてるのはさんざん男を主語にしてきたキチガイフェミのみなさんへの皮肉なので、

まっとうな女性に流れ弾があたったらすみません

とはいえはてなかいコミュニティにまっとうな女性がいるとは思いませんが

https://anond.hatelabo.jp/20230603005156

2023-05-26

anond:20230524185844

腰痛たから辛い時は逆に踏み台に座ってるわ

痛める前は踏み台に膝突いてた

ぶっちゃけ慣れの問題だと思う

2023-05-25

anond:20230524185844

自分身長173で腰をよくやる人間で、365日食事づくりと洗い物やってるけど、これはあんまり感じた事ない。

腰の調子が大変悪いときに洗い物が面倒ってのはあるけどね。

ビルトインの食洗機食器を出し入れするのに油断してると腰に危ういものを感じることはあるけど。

あと、踏み台使えってのは現実的では無いと思う。小さい踏み台だと危なっかしいし、幅のある踏み台だと邪魔になるし。

シンクの底をスノコみたいなのでかさ上げするとか、高さのある蛇口に交換するとかの方がマシだと思う。

anond:20230524185844

それを言ったら背が高いならかがめば済むじゃんで終わるんだが

背が低い人は踏み台ひとつ簡単身長伸ばせるだろ?

料理踏み台使うの危ないよ

anond:20230524185844

ドアが高い分には、背が低い人に支障が出るわけではないから、背が高い人に合わせるのが合理的

流し台を高くすると、背が低い人に踏み台必要になって転ぶリスクがあからさまに高くなるから、背が低い人に合わせるのが合理的

ベビーカーもそうだが利用する大半の人の背が低いんだったらそっちに合わせるほうが量産としては合理的

食洗機使えば洗い物は楽になるし、なんならキッチンを特注する手もあるし、ふだん背が高くて有利なことも多いから、そのくらいの不便は我慢してもいんじゃね?とキッチンの洗い物をいつもやっている190cmの俺は思う。

だるいときは膝立ちで洗い物したりもしてたけど、食洗機を付けてからは楽になった。

anond:20230524185844

普段家事しない男のために普段女の子踏み台使わせるのが合理的だとは限らないよね

2023-05-24

anond:20230524185844

これよく聞くけど

プロ料理人男性の方が多いので業務用のキッチンは高めなのかなーと思って調べたが

業務用は80cm、家庭用は85cmがスタンダードらしい

…何で業務用の方が低いね

追記

説明してくれた増田さんのお陰で納得した

しか使用時間素人より遥かにいであろうプロでも、別に低くても身体的に大した支障がないのなら

家庭用も長身男性にとって多少低かったとしてもやっぱ大した支障ないんじゃね

背が低い人間踏み台使う事による事故の方が遥かにリスク高いよな、そもそも料理中って左右に動くから踏み台使うのは現実的ではないし歳食ったらどうすんのかと

子供いるなら子供台所仕事やらせたくても大人並みの身長になるまで使えない、って事になりかねないし

逆に流し台メーカーは男に家事させる気ねーだろ

家事をする長身男性の大半がたぶん感じてることだけどな、

日本の流し台は低いんだよ!!

調理も洗い物も腰かがめてやってる。特に洗い物はシンクの底までが低すぎて毎回腰が痛くなる。

いつまで昭和身長データで家造ってるんだよ。

せめてあと5cmでいいから高くしてくれ。

てか10cm高くして、背が低い人は踏み台使ってくれよ……。

背が低い人は踏み台ひとつ簡単身長伸ばせるだろ? でも高い人は腰をかがめたくなかったら床を掘るしかないんだぜ? どっちが合理的だと思う?

考えてみろ、建物のドアの高さはどうやって決める?

利用者の平均身長に合わせて造るか? 違うだろ? それだと高い人が頭ぶつけるだろ? だから高いほうに合わせるんだよ!

こんな単純なユニバーサルデザインすら実現できずに男性家事参加も女性社会参加もねーわ

2023-05-21

anond:20230521010046

チアプの吹き溜まりにいるモテなさそうな男に期待するのはやめとけ。

増田も同じかもしれんけど、自分と同じように男慣れしてない女について、女慣れするための踏み台しか見ていない。

真剣交際一択、遊んでる暇はもうないと思ってるなら結婚相談所にでも行け。

2023-05-20

anond:20230520183318

授業ちゃんと聞いてたか

いい成績とったやつが成功する

堕落したやつは一生負け組勝ち組踏み台しかない

そんなゴミでも何かを頑張ればどこかで輝ける

頑張ってないやつは永遠に搾取される

俺はそう学んだ

2023-05-18

anond:20230518151340

人間はそうやって過去の者たちが残してきたもの踏み台にしながら今ある高い所まで登ってきたのだよ

anond:20230518115055

いうてそれを踏み台にしてまた新しい技術が生まれるわけやから

隠されてるよりはええんやで

2023-05-14

anond:20230514164206

もう一つのホットエントリホストにハマる女の件も根は同じだろ。

異性から承認に飢えると冷静な判断力喪失したり人格歪むのは男女変らんってことかと。

枯れた老人はその衝動を忘れてマウント欲求他人踏み台にした承認欲求の発散)に走りたくなるのかもしれないが。

2023-05-10

anond:20230510141531

こいつなんで許されると思ってんの?

もし姉をイケメンの兄に書き換えたら、いくら付き合う事を諦めていようがイケメンと親密になるためにモテない弟を弄んで人生ごと踏み台にしたクズって言われて終わりなのに。

2023-05-01

映画BLUE GIANT感想

映画は終わったはずなのに、心の中にまだ音楽が鳴り響いていた。帰り道の高揚感はまるでライブ会場から帰るときのようで、音楽に包まれ世界で息をするような感覚からずっと抜け出せない。映画BLUE GIANT』は、感情を奏でる演奏で観客の心を掴む、最高の音楽ライブだった。

公式サイトhttps://bluegiant-movie.jp/

予告編YouTube): https://www.youtube.com/watch?v=h1I116oS_Lk

今年の二月から上映している本作は、同名の漫画原作としたアニメーション映画だ。音楽人間物語を楽しみながら、ジャズ界の独自価値観や挑戦についても理解を深めることのできるものになっている。

主人公宮本大は「世界一のジャズプレイヤーになる」という大きな目標を抱え、故郷仙台を飛び出し、単身上京する。東京出会った凄腕のピアニスト・沢辺雪祈や、高校同級生素人ドラマー玉田俊二とジャズバンド「JASS(ジャス)」を結成し、それぞれが音楽に向き合いながら、壁にぶつかりつつ、夢の実現に向けてひたむきに取り組む一年半が描かれる。

原作の「東京編」を中心にエピソードを厳選し、上映時間の四分の一をライブシーンに充てるという大胆な構成採用されていたが、まずこれが見事な成果をもたらしていた。上原ひろみピアノ)、石若駿(ドラム)、馬場智章(サックス)の演奏はとにかく圧倒的で、音楽アニメーションコラボレーション最高峰と言える。また、その魅力を余すことなく味わうことができたのは映画館という環境存在が大きく、Netflix支配力が高まる現代において、専用施設役割可能性を示すことにもなっていた。

今回は、そんな傑作の魅力を紹介すると共に、宮本大の「ジャズを信じる」信念の問題点や、JASSの「So Blueに立つ」という目標物語性質に与えた影響について考えていきたい。

(以下、ネタバレを含みます。)

アニメーション技術を活かした音楽の魅力表現

映画BLUE GIANT』のテーマは「演奏者と音楽関係性」だ。宮本大、沢辺雪祈、玉田俊二は、それぞれ「演奏すること」について異なる意味見出している。その違いゆえに彼らの人生は巧妙に交わり、そして必然的に別れを迎える。

演奏である彼らが「音楽に向き合う」ということは「自分自身と向き合う」ことを意味しており、この作品において演奏技術を高めることは、自分自身真摯に向き合うことと同一に描かれる。自分自身対話を重ねて演奏力を磨き、ライブを繰り返しながら音楽との関係性を深めていく若者たちの姿が、本作の大きな見どころだ。

ライブシーンはどれも素晴らしかったが、中でも僕が心を奪われたのは「汗」に関する表現だった。演奏者たちの身体から吹き出る大量の汗や、そこからこぼれた大粒の一滴が、アニメーションならではの表現で美しく描かれる。それは、音楽空気振動させて生じる運動の結果であることや演奏者の存在再確認させるばかりでなく、自己探求の試みを象徴しているようにも思えた。落ちてきて弾け飛ぶ汗を見たとき、その背景にある身体的な研鑽精神的な苦悩に思いを馳せてしまうのは、物語音楽映像が見事に組み合わさって感情を揺さぶからだろう。

ライブシーンでもう一つ印象深かったのは「凄まじい演奏に目が釘付けになる」という描写だ。特に終盤の人々の目が幾重にも重なって演奏に引き込まれていく表現が印象的だったが、これらは音楽演奏聴覚だけでなく視覚も惹きつけるものであることを効果的に示している。実際に音楽ライブに行くと、音楽は「耳で聴くもの」というよりも「目で見るもの」「肌で感じるものであることを実感するが、この映画ではアニメーション技術アイデアによって同じ体験をもたらしていると言える。

また、脚本として素晴らしかったのは、この映画が「沢辺雪祈の物語」として完璧に仕上がっていたことだ。漫画版では交通事故によって最後ライブに参加できなかった雪祈だったが、映画版ではアンコールで大や玉田と共にSo Blue舞台に立つというシナリオ改変が施されている(最高だ!)。怪我を負った雪祈は片手で演奏することを余儀なくされるが、その姿が大が初めて雪祈のプレイを見たときに片手で演奏をしていたシーンと重なり、呼応することになる。手を抜いて片手で演奏していたプレイと、片手でしか演奏できない状況で全力を尽くすプレイの対比があることによって、映画版はより一層雪祈の精神的成長が強調されるものになっていた。

ジャズを信じる」大の信念の問題

本作はジャズライブ世界を美しく表現しているだけでなく、コミュニケーション人間関係のあり方についても、ジャズプレイヤーたちの世界文化を伝えるものになっている。素晴らしい取り組みである一方、その描き方にはついては大きな問題がある。それは、彼らの世界をただ単に肯定的に、あるいは美学さえ伴って、無批判に描いてしまっているという点だ。

ジャズバンドには「独立した個人たちが自分自身活躍や成長を目指して組まれる」という文化的な特徴がある。作中のセリフにあるように「ジャズロックバンドみたいに永遠に組むもんじゃない。互いに踏み台にして名を揚げていく」ということだ。そのため、良くも悪くもバラバラ状態肯定され、自助基調としたコミュニティ文化が成立している。

例えば、玉田俊二や沢辺雪祈はそれぞれ大きな課題に直面するが、大はその苦境に共感したり、手助けをしたりはしない。それどころか、雪祈が玉田を、玉田が雪祈を心配しても「自分自身問題から、おれたちに出来ることは何もない」と、その配慮無用ものとして切り捨てる態度を取っている。

しかし、自分自身問題であることと、周囲がその解決サポートすることは決して矛盾しないはずだ(でなければ、カウンセリングという仕事は成立しなくなってしまう)。むしろ人間が抱えるあらゆる問題は究極的には自分自身問題しかない。それでも人は、他者の悩みや状況を想像し、共に心を痛めることができる(=エンパシー)。そこに人間の素晴らしさがあり、そのような想像力に支えられることで、僕たちは日々の問題に対して継続的に立ち向かうことができているはずだ。

ところが、ジャズプレイヤーとしてあまりに完成されすぎている大のメンタリティは、そのような想像力を必要としない。自助を当然とする大の態度に、玉田は大きく動揺し、雪祈でさえ戸惑いを見せ、二人は困難に直面しても「助けてほしい」と言うことができない状態に追い込まれしまう。大は「ジャズを信じている」と口にするが、これはジャズという音楽の良さが理解されることだけでなく、「ジャズバンド的な人間関係コミュニケーション方法が通じる」と信じていることを意味しているのではないか。つまりジャズを信じる」大の信念が、JASSの「助けてほしい」とさえ言えない人間関係を強固にしているのだ。

「信じるだけ」の大は、いわば「仲間のために戦わないルフィ」だ。彼の言動からは、人の弱さを認めず、自分が出来ることはみんなも出来ると思い込んでいるマッチョワンマン社長のようなパワハラ気質が伺える。もしかするとそれは「お互いを追い込みながら、最高のソロを引き出し合う」というジャズ性質を、人間関係アプローチ転用したものなのかもしれない。だとしたらそれは、今日ではあまり受け容れられないスポ根的なスタイルが、文化系の皮を被ることで見過ごされているだけなのではないだろうか。

この映画では、周囲の人々に助けを求めず、自分自身を追い込んで課題を克服しようとする姿を肯定的に描いている。しかし僕は、それらをもう少し批判的に捉える視点があるべきだったと思う。あれほどまでに深く自己と向き合うことができるのであれば、そこで培った想像力を活かして他者の心に深く寄り添う可能性も求められるはずだ。自助圧力高まる世の中だからこそ、自分自身に向き合い、自分自身問題に取り組みながら、他者に対しても理解し、助けることができる人間関係を築く、そんなジャズプレイヤーたちの関わり方を提案して欲しかった。

権威に認められようとする挑戦」の物足りなさ

この作品にはもう一つ、物語性質に関わる問題がある。それは彼らの立てた目標、あるいは権威との関わり方の問題だ。

大、雪祈、玉田の三人は「JASSの目標」として、十代のうちに日本一ジャズクラブ・So Blueステージに立つという目標を掲げる。もちろん大きな目標であり、大胆かつ困難を伴うチャレンジではあるのだが、僕はこの目標によって彼らの物語が「質的に」小さいものへと制限されてしまったと思う。

ジャズマンにとってのSo Blueは、野球甲子園ラグビー花園に相当する憧れの舞台だ。ただ、その性質は大きく異なっている。甲子園花園は「勝ち上がる」ことで立てる舞台であるが、So Blueは「認められて」立つことができる場だ。つまり、そこに辿り着くためには権威を求めなければならない。このことから権威に認められなければ成功しない」という価値観が生まれるのだが、それが(若者たちの挑戦を描くにしては)物語を物足りない方向へ導いてしまっている。

JASSはSo Blue支配人・平にライブを観に来てもらうというチャンスを掴むが、雪祈のプレイ否定され、夢への道が閉ざされてしまう。このとき「縁がなかったということで」と断った平だったが、後に彼が自戒したことで雪祈へのオファーが生まれ、それがJASSのSo Blue出演へとつながっていく。雪祈のソロ克服という要因はあったものの、もしこの権力者凡庸人格の持ち主であったら、JASSはSo Blueに立つことはできなかっただろう。若者たちの挑戦に重きを置くには、権威的な存在が過剰である

また、中学生の頃からSo Blueに立つという目標を持っていた雪祈には、権威主義的な性格が定着してしまっている。自分評価していないギタリストと共演しても、相手一定プレゼンスを持っているとお世辞を言ったり、自分ソロについて大から指摘を受けたときは反発しつつ、平から叱責を受けると素直に聞き入れたりする。葛飾ジャズフェスティバルへの出演が決まった際には「フェスとなればジャズ業界人間もたくさん集まる。駄目バンド烙印を押されたら、もう一生どこにも呼ばれない」とまで言い切っており、妄想の中で権威肥大化し、視野が狭くなっている様子が伺える。これらは、挑戦する若者というキャラクターの魅力を損ねる要素だ。

若者たちの挑戦を描くのであれば「権威に認められようとする挑戦」よりも「権威を打倒しようとする挑戦」のように、もっと質的に大きなものを期待したいが、ジャズプレイヤーの挑戦である限り、権威に対する依存は避けられないのかもしれない。

それでも、映画演奏世界を美しく表現している―――問題をかき消す「音楽の力」

映画を通じてジャズという音楽の魅力は十分に伝わってきたが、僕は大がジャズを信じる姿に共感する気持ちにはなれなかった。映画BLUE GIANT』は、ジャズ美学を称えるはずの作品でありながら、同時にジャズ的なもの自助を前提とした人間関係コミュニケーション権威に認められることで成功するという価値観)が抱える課題も浮き彫りにしてしまっている。

それでもこの映画は、音楽の力とそれを支える視覚的な表現力で観る者を魅了してしまう。そこに問題があったとしても、圧倒的な恍惚によってどうでもよくなってしまう。それこそが、この映画の正体なのだろう。最高のクリエイターたちがもたらす感動が、自助強要する主人公や助けを求められない人間関係、挑戦の質による物足りなささえもかき消すことで、「音楽の力」を証明することに成功したのだ。物語パートで引っかかることがあったにも関わらず、あまりに強すぎるライブシーンが全てを帳消しにした結果、鑑賞後の僕の心にはただ音楽けが存在していた。大、雪祈、玉田たちにとって演奏することがそうであったように、まさに、最高の演奏によって数々の問題を乗り切った物語だったと思う。

自民党ハコモノ行政失敗を踏み台にのし上がった維新ハコモノ行政やってるの草

万博カジノと結局たどり着くところは一緒。

大阪自民の二の舞にならずに済むかな?

2023-04-23

anond:20230423013243

しょせんネット書き込みなんて持論を展開するための踏み台に過ぎないだろ

2023-04-06

生理休暇の不平等

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230405/k10014028851000.html

ここで「不公平だと思わないで」と踏み台の絵を用いて理解を求めている。

でもそれって「その場所から見える景色に差がないとき」や「その場所は背の低い人専用だ」とかの条件を無視しているため、理解促進に使うのは不適切だ。

全員に踏み台を渡して、使う必要のない人は使わなければいい。

2023-03-27

IT企業に向いてないやつ

だいたい未経験が入るIT企業ってSESなんだけど

そういう会社ってブラックから、おそらく

自分を拾ってくれた会社(SES)を踏み台転職なんてとんでもない」

って社内ルールを出してくるんだけどさ。

これを間に受けちゃってずっと同じところで働く真面目なおばかちゃんは向いてないんだよな

そんなのガン無視してどんどん転職できるやつが一番向いてるIT

面接官「ITに興味持って転職を始めるって事はうちに入っても違うことに興味持ったらまた2年で辞めるかもしれないね?それについてはどう思う?」

 

すぐに辞められても困るからこういう質問するんだろうけど

別に経験豊富な中途でもすぐ辞めるぞ、IT会社をどんどん踏み台にしてステップアップするのが普通から

例えば現状年収400で、次の転職年収550とかで雇われたら転職は上がりなんだよ。次はその事実を持ってさらに高報酬仕事に進める。

転職先の内定と同時に次の転職先を探すのが普通、どのみち転職一年から二年かかるから、その時点で始めないと遅い。

 

でもそれを面接で言うのは本気のバカなんだよな

「確かに前職は短期間で辞めてしまますが。今度は長く勤められる会社を探しています、ずっと続けるつもりです」っていう

バカ正直に生きてると割を食うのがITから

 

どのみちITなんて常に人手不足から

ステップアップでもいいからいて欲しいって会社が拾うしな、お互い様なんだよ

腹の探り合いばかりだよ

2023-03-23

anond:20230323104255

暇空はガレソみたいなヤツだから放置として、コラボ別にハイジア周辺の女の子を救済する活動なんかしてないか非難されてるんだよ

コラボ現実女の子踏み台にして公金チューチューしたいだけだし

からバスカフェには若年女性門前払いされた

anond:20230323002630

この世は誰かが幸せになる代わりに誰かが不幸になってるんで

仕事場では育児を優先して恵まれない他人仕事押し付けたりしてるんやろうなあ

自分幸せのために恵まれない人を踏み台にしている自覚を持ってもろて

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