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はてなキーワード: 必然性とは

2018-04-19

anond:20170921212825

id:zaikabou

「明らかに複垢とわかるように活動して垢BANを誘う必然性があるものなの?」

「お前は垢BANを誘っている」という、典型的すぎて逆に誰も言わなかったゴミクズ論法を駆使

2018-04-15

anond:20180415040014

順番としては、先に転職を決める。次に転職理由に今のバイトを辞める。

店長から見ると、バイトを引き止めることが可能なのは、辞める理由必然性が弱いからでは?

例えばだけど、「家族入院したので、看病のために退職します」と言えば、引き止めるのは難しいでしょう。

続けて欲しい(店長側の理由)<<<辞めますバイト側の理由

anond:20180415023406

人と対立してでも言うべきことがあるという覚悟問題から

そうする必然性のある何かが自分の中にないなら一生できないよ

2018-04-09

anond:20180409090754

怪しいのは主従関係だけじゃん。

そこはいまどき文章量だけで主従を判断するのはナンセンスだよねってことで。

明らかに全文引用する必然性があるから漫画村とは違うよね。

2018-04-04

anond:20180404183421

科学技術の発展で先進国として国が存在するための国民への負荷(貧富の極端な拡大や民族間対立による軋轢)が一定許容範囲内に収まり

反動的勢力形成される必然性の低い状態となれば再び先進国的な価値観を掲げる国が出て来ると思います

https://anond.hatelabo.jp/20180402214031

この文章を見て、思い込みが激しい人である自己肯定が強すぎる方でもあるなと感じる。

まず、他でも指摘されているように同期全員と仲良くなるべきというのはあなた勝手な考え。

飲み会の際に、”あまり喋らない彼らに話題を振って、なんとかその場をもたせていた”と書いているが、これはあなた価値観押し付けであり、しかもなぜか上から目線

また、内輪ネタ(懇親会でもうそこまで仲良くなったらしい)と書いているが、それは内輪ネタではなくただの先ほどの話題だ。

話についていけない自分正当化するために、相手を貶めるような表現をするのはやめた方がいいと思いますよ。

だって、どんな話?って聞けばいいだけなんだから

そもそも、たいして知らない相手をいきなり”やかましい”なんて(心の中であっても)形容している人と誰が喋りたいと思うでしょうか。

また、後半部分でも”一生懸命仲良くなろうとしているのに。同期だろ?”という分と、”グループごとに固まって行動する大学生活は終わったものだと思っていた”という2文が矛盾している。

後者は正しくて、別に一生懸命仲良くなって同期というグループを作る必然性はない。

別にその相手と親しくあろうがなかろうがそれぞれの業務をきちんとこなすの社会人であるので、”一生懸命仲良くなろう”というあなたに幼さをより感じる。

また、決定的な一言だと書いている「後ろにいるやつら、なんで付いてきてんの?」という言葉も、飲み会でそれほど話してない相手が後ろをしばらく追いかけてきていたら、当然起こり得る発現だと思う。

もちろん、言い方に棘があったのかどうか私には判別できないが、他の箇所での記載鑑みるに既にある程度のバイアスがかかってしまっているんでしょう。

加えて、自分軽蔑対象になっているだろうとあなたは書いているけれども、はっきり言ってそれほどの関心を持たれていないと思いますよ。

自分卑下しすぎだしここでも思い込みが激しすぎる。

ちなみに、自分”も”という表現は、あなたも周りの人を軽蔑に値する人たちだと判断している証ですよ。

そして”変わり果てた境遇に行き着くのだろうか”って、たいして話したこともない相手に使う表現として、失礼だと思いませんか?

あと、こういう周りの環境が云々言う人に共通していることとして、あなたはその彼らと同じプロセスで同じ場所にいるという同程度の人間だということを忘れている。

もし、そんなことはないと考えるならば、文句を言わず自分に相応しい環境にとっとと移行すればいい。

それはできない、というのであれば、あなたは結局周りにいる人と同じ程度の人なんですよ。

もっと人の良いところを見るようにした方が、人生が豊かになると思います

2018-04-02

anond:20180402174755

それなら、プリクラ女性専用しても犯罪なくならないことになる。

男性排除する必然性も無くなる。

ダメです。

anond:20180402095100

そうすると女性が自立するにつれて結婚する必然性が薄れてくるのも道理だね。

いい時代になったなあ。

2018-04-01

奇妙な振る舞いをするプレーヤーと戦うことがある

奇妙な振る舞いをするプレーヤーとは不規則なまた不可解な動きをし意図が読めないプレーヤーのことだ

こういったプレーヤー必然性の乏しい動きをしている

このようなランダム運動効果を生むのに必要な条件は不期遭遇戦というような予期せぬ戦闘を多数誘発することで戦場混沌をもたらしカオス戦場へ引きずり込むことだ

そしてそのカオス戦場相手優越した能力(状況対応能力、兵装、編成、士気能力)を有していることだ

このような奇妙な振る舞いをするプレーヤーに遭遇した場合私達がするべきは必然性のある行動に徹することである

数を揃え地盤を固め偵察を行い、陽動し敵の行動を予想可能ものとし万全の体制を整えた後に敵と会敵する

必然性の乏しい動きをするプレーヤーは不確実な、状況の推移を予測しにくい戦略をとっており相手自分土俵に挙げなければ勝つことが出来ない

それは安定した戦術が安定した成果を生むのに対して不安定戦術不安定な成果をもたらすから

しかしここに重要ポイントが有る

どれだけ盤石な体制で戦おうと不安定戦術によってもたらされる副作用勝負手(受け方を少しでも誤れば逆に自軍が窮地に陥る手)により危機に瀕する可能性があるのだ

基本として安定した戦術のほうが有利であり勝率が高くなると予想されるが不安定戦術の持つ勝負手の確度によっては状況は大きく変わる

勝負手が決まれば私達はたちまちカオス戦場に引きずり込まれしま

基本的には勝負手が決まることな埒外出来事である直観によって異様なほどにこの勝負手を決め状況を変える者がいるのもまた事実である

2018-03-25

自分の知らない現象について理屈を構築するな

増田でもよくある、「なんで◯◯って××が多いんですか?」「◯◯が××なのはどうしてですか?」みたいな質問

その9割方は「そもそも◯◯で××が多いということはない」「××なのは◯◯に限らない」などで否定されている。

しかし、これに対して脊髄反射理屈を考えようとする奴がいる。

「◯◯が△△だからじゃない?(適当)」

理屈と膏薬はどこへでもつくというが、いったん理屈がついてしまうと、そこにあたか必然性があるように錯覚してしまう。

どんなに否定されても頑なに信じ込んで、そして長年にわたってデマを撒き散らし続けるのだ。

「◯◯って××らしいね?」「◯◯が××なのは△△だからって聞いたよ?」

いかげんこういうのやめようぜ。

2018-03-18

Qiitaカジュアル無断転載する奴ばかりなのか

そういうブコメを見たので、軽く確認してみることにした。

新しい方から1000件の記事に貼られている漫画アニメ画像をチェックしてピックアップしていこうと思う。

結果

GANについて概念から実装まで ~DCGANによるキルミーベイベー生成~

https://qiita.com/taku-buntu/items/0093a68bfae0b0ff879d

これしか見つからなかった。

新1000件の中には、他に漫画アニメ画像が貼られている記事存在しなかった。

上記記事については、GANのモデル生成に使用しているデータセットは、

公式が配布しているアイコンセットなので問題ないと考えられる(筆者も権利関係に気を使っていることが伺われる)が、

冒頭のアニメキャプチャは、引用必然性出所の明示がない点で怪しいと感じた。

感想

2018-03-15

anond:20180315203503

まともな起業家なら、取引先に企業が入っていたり協力会社があったりするはずで、会社サラリーマン自分と比べて貶める必然性理由もないだろうから、酔っ払って機嫌が良くなってる炎上ブロガー系なんだろうなぁ。

2018-03-14

[] #52-1「カカオ聖戦

バレンタインデー発祥には諸説ある。

バレンタインかい司祭恋人のために催しを行ったのが基とされているが、それは作り話だともいわれている。

いずれにしろ真実あやふや認識されている歴史というものは、得てして現代を生きる人間によって都合よく変換されることが多い。

歴史修正主義者みたいに思想的ではなく、その日にこじつけて何かを売りたい、資本主義だとか商業主義にあたる人間たちによってだ。

まあ、大局的に見れば経済を回すためだとか、それはそれで考えがあるかもしれないが、俺たちの国でそれがチョコレートである必然性がないことだけは確かだろう。

バレンタインデーは、良くも悪くも普及した文化だ。

その日が個人にとって関係があろうとなかろうと、誰も知らないフリができない。

降りかかる各々の出来事平等ではないのにだ。

更にガメツイのは、バレンタインデーの約1ヵ月後にホワイトデーなんていう“お返しキャンペーン”まで普及していることだ。

さて、今回の話は、生憎だが甘酸っぱい要素は何一つない。

かといって、チョコを貰えない人間のほろ苦い話というわけでもない。

共感理解を介さない、極めて面倒な話だ。


話はバレンタイデーに遡る。

その日は休日と重なり、俺は家でくつろいでいた。

去年のことを顧みると、これはとても快適なことだ。

俺の学校にはバレンタイデーに家庭科の授業としてチョコを作るという伝統があった。

男女関係なく班で作ったチョコを食べるという、一見すると何とも平和な授業だ。

だが、このタイミングを利用して“個人的に”作る人間も多かった。

恋人のため、想い人のため、ただ友達同士でワイワイやりたいだけ、と目的は様々だ。

そして、そういった人間の中には、ホワイトデーをアテにして無差別バラまく奴も必ず出てくる。

差別して欲しい時に限って差別してくれない。

面倒くさい話だ。

チョコを食えない人間からすれば尚更である

お返しなんてしなくてもいいと思いつつも、そんなのに律儀にお返しする奴が出てくるから、俺も体裁を整えるしかない。

しかし、そんなバカげた行事から今回は解放されたのだ。

軽やかな気持ちソファに寝転び、煮干しをポリポリと食べる。

チョコが食えない俺のいる我が家にとっては、2月14日煮干の日のほうがポピュラーなのだ

2月14日煮干しの日だが、バレンタインでもある。お前はいいのか?」

同じく煮干バリバリ食っていた弟に、俺は何気なく尋ねた。

「なにが?」

「なにって、チョコだよ。外周れば貰える可能性あるんじゃないか?」

「え、チョコ貰えるの!? でも休日だよ?」

弟はバレンタイン学校行事くらいにしか思っていないようだ。

「いや、別にそんなの関係なく貰える」

「そうなの? じゃあ行ってくる!」

上着を羽織って飛び出そうとするが、俺は呼び止めた。

まだ、説明は終わっていない。

「貰えるとは言っても、タダではないぞ」

「貰えるのにタダではない、ってどういうこと?」

弟の疑問も尤もなんだが、そういう疑問のために「タダより高いものはない」という諺があるのだ。

ホワイトデーといってな。バレンタインチョコを貰ったら、何らかの“お返し”をしなければならない日があるんだよ」

「なんだそりゃ。ギブってのはテイク前提でやるもんじゃないだろ。それじゃプラマイゼロじゃん」

実の所バレンタインには様々な側面があって、安易価値推し量ることは難しい。

だが、世間に捉われない自由奔放な弟にそれが理解できるとも思えないので、俺はあえて省略して説明することにした。

「いや、むしろマイナスかもしれない」

「どういうこと?」

ホワイトデーのお返しは、通説ではバレンタインに貰った物の3倍の価値とされている」

「3倍!?……バレンタインチョコをあげるほうが得しやすいってこと?」

「そうだ。つまりバレンタインチョコを貰わないようにしつつ、相手チョコ押し付けゲームってことだ」

全くのデタラメを言っているわけではない。

弟が安易チョコを貰わないよう、遠まわしに釘を刺すための理屈だ。

だが、こういう“全くのデタラメではない”情報のほうが、弟にはかえって害悪だったのかもしれない。

(#52-2へ続く)

2018-03-02

結構期待はずれ?

今期アニメポプテピピックヴァイオレット・エヴァーガーデンしか見ていなくて、でも最近ゆるキャン△宇宙よりも遠い場所面白いと聞いたので、近日中1話をチェックしようと思っていたり。


んで、期待はずれというのはヴァイオレット・エヴァーガーデンのこと。

かに、絵は物凄いクオリティ。これについては文句ない。

でも、その絵が表現している話が、絵と比べて超凡庸というか、ぼやけまくってる感じ。

まず話の時系列がいただけない。

各話の間が恐らく一ヶ月~数ヶ月くらい飛んでいるため、主人公ヴァイオレットの成長も飛び飛びというか断片的に見せられるわけだが、本作品に限ってはこれのお陰で

「成長したねー」

という感動が全然ない。むしろ感動がスポイルされて

「ふーん」

しか思えないというか、

「前回終わりから今回までに成長してんのは分かるから、その成長過程を端折らず、エピソードとして書けよ」

という所で引っかかりまくるのだ。

原作にあったエピソードアニメ化も、個人的には微妙改悪という感じ。

そこに来て、最新話で初めて過去話に飛ぶのが更に意味がわからない。このタイミング過去話する必然性は何だ?って思わされた。

これ脚本やコンテや演出以前に、シリーズ構成ダメなやつ?

あと各話の内容も、3話や何話か忘れたけどお姫様の話とか、見所は無くはないんだけど、基本的に「丁寧」以外の感想がなく、イマイチ心に残らないのだ。


話に次いで微妙なのが、ED歌声

別に茅原実里氏の歌声のものは下手じゃないが、毎回のEDへの導入に全く合っておらず、歌が入ってきた瞬間、悪い意味現実に引き戻されるのだ。

これは流石に茅原氏が可哀想なので、全面的演出が悪いということにしておく。


というわけで、なんだか今まで見てきて、3話がピークだったかも。

願わくば、これからクライマックスに向けて持ち直して欲しいなあ。

2018-02-25

anond:20180225232405

勝手強制って解釈してるだけっしょ

俺はしょっちゅう女性車両間違えて乗ってるけど問題起きたことなんてないよ

普通車両でだって人と揉めたら降ろされるよ

そもそも電車の中は何かを主張する場所じゃないからな

鉄道会社とやりあえば言い訳で、乗客がいる電車の中でやる必然性が一ミリもない

おそ松さん2期20話見たが一点だけ興ざめ

おそ松さん2期20話『こぼれ話集2』

前後のつながりのない小噺をいくつもつなげた回。

人によって、話によって受ける受けないがあるし、

そこは割り切っているつもりだったが、一点だけ、すごく冷めたシーンがあった。

ネタバレ注意


=====

トド松が兄達のいつものおかしな行動にツッコミを入れるという話。

兄達の行動は

 カラ松→痛い服

 一松→プチプチをつぶす

 十四松→頭をかじる

 チョロ松→シコ松

といつもどおりなのだが、おそ松だけが銭湯や寝室で下半身意味もなくぶらぶらさせるという謎行動。

この意味不明下ネタにすごく冷めた。

下ネタが嫌なんじゃない。

意味不明下ネタが嫌なんだ。

今までの下ネタは、話のオチとしてとか、おそ松や六つ子達のキャラ付けとしてとか、

何らかの必然性があった(安易下ネタ帰着させる是非は置いておくとして)。

が、これに関しては全くそういう要素が感じられない。

いくら小6メンタルからって、意味なく下半身をぶらぶらさせることはしない。

何でこんなことになったのだろうか?

意味が分からない。

否定ばかりだとアンチみたいだから、良かった点もあげとく。

というか他の話はおおむね楽しめた。オチにならないようにぼやかして書く。

六つ子饅:制作陣のメタ自虐

確定申告:確定で申告しないと

財布:誤解が解けた後がいい

花粉:それ洗うの!?

あらいぐま:怒られるぞw

社会科見学声優の演技すごい

チャントシター:ちゃんとして・・・ない

2018-02-24

デビルマンcrybabyがいかに酷いか説明してやるよ

1.了が馬鹿

原作ではゼノンが自ら宣戦布告して人類デーモン存在が明らかになる流れだったが、crybabyでは了が自ら権力を駆使してデーモン存在を知らしめるためにあの手この手滅茶苦茶やる。その行為必然性が感じられない。

露骨なまでにデーモン優位になるような状況を作り上げ、嬉しそうに「これで人類はみんな死ぬぞーアハハハ」と明に演説するのは一体何がしたかったのだろう。

「今作の了は最初からサタン記憶を持っていた」ぐらいじゃないと、これらの了の奇行に納得のいく説明を付けられないと思うんだが。

でも明が「デビルマン軍団を作って戦う!」宣言したとたん「や・・・やめろ!!!」と途端に焦りだす。「裏目にでやがった」なんて原作台詞まで飛び出す。いや当たり前だろ、そうなるに決まってんだろ普通マジで何がしたいんだよ了、馬鹿かよお前。

この後原作通りサイコジェニーサタン記憶蘇らせてもらうわけだが、そんな事しなくても最初からサタンモードだっただろ今回の了。

2.明が馬鹿

原作では了が完全に人類を裏切ったと判断たから了を捕えるために覚悟の出撃をする、その間に牧村夫妻の救出もしなくちゃならなくなったので、牧村家に戻って美樹を守る機会を失ってしまう。

crybabyでは、その前の話数ですでに牧村夫妻と太郎原作でいうところのタレちゃん)はあっさり処理られるように死んでしまってる上に、きっと何かの間違いだから了に話聞きに行くわ的な感覚で牧村家を離れようとする明は正気???状況分かってんの?????と言わざるを得ない。で、途中悪魔狩りを諌めたり(これがまた説得力が感じられない)ゼノン達に襲撃された挙句、了に会いに行く事なく「美樹、戻るよ!!」お前何しにいったんだよ!!!!!馬鹿かよ!!!!!!!!!

んで、「地獄に落ちろ人間ども!!!!!」をやって次の回(最終回)では何の説明もなくまた「人類デーモンに屈しねー!!!」お前本気で馬鹿だろ!!!!!!!!!!!

3.みんな馬鹿

・ミーコのコンプレックス何も解決してなくない??何で良い感じに浄化された風になってんの???

・明に守られたのに速攻裏切って速攻殺されて何のフォローも無い幸田ゲイ設定いる?海外にいい顔したいだけ?

ラッパーチビが裏切るのはミーコに友達食われてんの察したかなのはわかるけど、その結果他の友達もみんな殺されてんのに悪魔狩りとウッホウッホやってんの何それ

ゼノンサタンを裏切る意味は?

リンチして殺したりしてんのに、ガキが明をぎゅっしただけであっさり改心する悪魔狩り。お前ら死ねよ本当に。

あんだけ魔改造したミーコにしときながら、それとは別に原作通りのミーコもチョイ役で出すのはファンサービスのつもりの嫌がらせか。

・扉に666のプレートってそれはひょっとしてギャグでやってんのか

太郎(タレちゃん)がデビルマン化したのは数少ない良い改変だと思ったし、これでデビルマン軍団に加入して最後ハルマゲドンも明と一緒に戦って散る展開なら燃える流れになったのに、実際は明に救出されたと思ったら次の瞬間お墓に入ってて盛大に吹いた。それはひょっとしてギャグ(ry

(結局子供首チョンパがネッフリといえども無理だからデビルマン化させてサクっと処理しただけのように思える。牧村夫妻もその煽りを食っただけのようにしか。)

4.やっぱり了が最高に馬鹿

crybabyが酷いのは了が原作凌駕する勢いで馬鹿からしか

原作だと了は明の心情も痛いほど伝わるから最後の戦いも悲壮を強めたのに

今回は人間どころか明の気持ちすらちっとも理解できていない始末。

原作ラストシーンも今回のお馬鹿了ちゃんにかかれば

「えっ、明死んじゃったの?うそっ;;そんなの聞いてないよ;;何で死んじゃうんだよ;;;;まさか死ぬとは思わなかった」ゴゴゴゴゴゴゴ(完)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・馬鹿か。




別に原作と違ったりするのは全然良いんだけどさ、こんだけいじくり倒しておいて中途半端に都合の良い時だけ原作なぞったりしてんのがすげえ気持ち悪かった。

リブートなら徹底的にリブートしてくれって事だよ。

登場人物の知能を軒並み下げる事が現代空気に合わせるリメイクって事なんですか。

電化製品解体して、元通りに復元できもしないのにとりあえず繋ぎ合わせたフリして収拾つかなくしたのがデビルマンcrybabyというアニメ

追記

「激マン!」から引用だが豪ちゃんはこう言った

物語・・・・・・ストーリーとはなんだ・・・・・・?――それは時間表現なのだ!"時"の流れを表すことだ。"マンガ"も"小説"も"映画"もストーリー表現するもの時間の流れを表していくもの・・・・・・時間を表す以上・・・そこには因果関係が描かれる、それはマンガ架空物語でも同じことだ!原因には結果が必ず起きるという因果支配される、それが"自然の流れ"必然性というやつだ!『デビルマン』をたんなるヒーロー物にはしないと編集長約束した時からこうなる必然性が生まれていったのだ!」

「激マンデビルマンの章」第6巻より



crybabyではこの"因果"というものがとてもじゃないが描けてない。

強いて言うなら、"原作"という因果に縛られて何がしたいのかよくわからなくなっている。

牧村夫妻をあんな所で勇み足的に殺してしまったり、シレーヌソープ童貞捨てたり独自の展開を盛り込みながらでも結局は原作と同じ流れに無理やり戻そうとして相互作用の不備を招いてしまっている。

作り手が、自分流のデビルマンを創ろうしてるのに最後原作に頼ってなんとかしてもらおうとしているのは、なんだかとても志が高いようで低く見える。

2018-02-23

Iridium 遺伝子の発現のランダム性のほとんどは、精子提供分のDNA卵子提供DNAのどちらが使用されるかの2択によって発生しているはずで、精子に含まれ遺伝子自体はすべて同一のはず。競争する必然性ないよね。

減数分裂ときキアズマするから精子は1つずつ遺伝子が異なるはず

2018-02-19

anond:20180219070454

なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。

まあ私の文章煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。

あくま自分見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。

これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初増田anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。

理系では著書でオリジナル発見研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。

文系では違うのか。正直文系ガチ研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論双方向性等に問題がないのだろうか?新規研究成果なら第三者査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。

そこからか。何のために研究雑誌Book Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャー学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分オリジナリティについても言及するよな。

あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html適当なUniversity PressのHPを開いて適当新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。

駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合学術雑誌書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣書評も見かける)、まともな研究書なら議論典拠は明示してあるんだから議論双方向性に問題はないでしょ。

三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いかタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズム起源流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄アイヌ台湾朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者けが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断たらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。

何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティ希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくま形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女学術業績としてカウントされるべき本を書いていますしか言いようがない。

一般論からすると著書はオリジナル研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。

「著書はオリジナル研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナル研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初増田anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナル研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナル研究書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナル研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。

後段、著書はオリジナル学術業績とはみなされないという理系ローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャー文系研究分野ではだいたい研究書はオリジナル研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナル研究業績です)、文系からするとその常識通用しない方が非常識ですよ。理系ローカルルール勝手学術界の一般ルール敷衍するのやめてもらえます

院生だろうが単著論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者自分学生論文名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップ批判されるべきだけど、理系では自分指導してる学生論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。

その上で現在日本語地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米研究者が読まなければ学問進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュア研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学研究者プロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒しか言えない。

将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語フランス語凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中学者のためになるし日本人世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏研究が中心だという知識増田にもあって、反米主義だったり日本世界覇権を夢見ていたりといった特殊思想的背景があるわけでもない研究者英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究先進性の不足の誹りを免れないであろう。

これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語英語以外の言語で書かれた日本学論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人ポーランド語日本学論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人外国研究者がその国の言葉日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本アカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与ポーランドアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。

当たり前だけど西洋古代史の論文日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度研究先進である先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というもの存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本アカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。

で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージ貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。

根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たち言語研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたか英語日本語フランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。

私はここまで書いてきたような理由日本語論文を書くのも重要営為だと思う(加えて、執筆言語自国であることは東アジア欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本アカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。

2018-02-18

ことばの物語としてのJust Because!


Just Because …多義性が顕著な現代英語の生きたイディオム。「なんとなく」「ただそれだけで」「ただそれだけのために」などさまざまに訳される。アニメでは物語の進行にあわせてこのイディオムニュアンスが変容する。あるいはこのニュアンスの変容こそがメッセージとして物語に書きしるされたのかもしれない。


第一話 On Your Mark

In Unison : 一斉に みんないっしょに

第一話内、勇気とか元気とかあたたかさとか決意とか、そんなものが音になったような応援歌にのってJust Becauseの意味に変容の予兆があらわれる。

第一テーマのつぎのドラムソロ。マウンドちかくにつむじ風がおこり、瑛太の目に決意がともる。

高校三年の3学期という意味をうしなった待ち時間に風がふき意味が芽生える。


第8話 High Dynamic Range

Just Because のニュアンスが大きく変容する。

瑛太セリフには「しょうがない、こうしかできない」といった消極的ニュアンスが目立つがじっさいには夏目の後を追いはじめている。

瑛太は転校初日に陽斗になげかけたのと同じ問いを小宮から受け、気づいてか気づかずか、第一話の陽斗そっくりの答えを返す。

小宮はなんとなくのなりゆきまかせを停止し明確な目標を持つ。

夏目はなんとなく決めた進路の必然性を問われ自己未来対峙する。

陽斗は瑛太を負けるなと励ます瑛太は勝ち負けじゃないというが陽斗はそれでも負けるなと励ます

森川髪型を変える。

「なんとなく」から「ただひとつ理由のため」へ。


最終話 Get Set, GO!

ここでもう一度In Unisonが流れるタイトルと同様、第一話に呼応している。ただしここでながれるIn Unisonはブラスバンドのちからづよい合奏ではなくピアノだけのひかえめな主旋律で、しか第一テーマの後半部が一度きりだ。もう応援歌役割を終え、それぞれの場所へ一斉に旅立つみんなをやさしく送る曲になっている。第一話で位置についたものたちがみんなそれぞれの目的に立ち向かい、それをのりこえたからだ。

第一話冒頭では「なんとなく」程度だったJust Becauseのニュアンス物語のなかで力を増強し、ついに「ただそれだけのため」「ほかに理由なんかいらない」といったつよい意味を帯びて最終回へといたる。みんな一緒に、それぞれの目標にいどみ、そしてのりこえた成果だ。かれらはいっせいに走りはじめ、つぎのステージへと向かう。


このアニメ受験シーズン放送されたことは偶然ではないだろう。元気をもらった受験生も多かったはず。わたし受験はとおい過去だが、それでもこのアニメからはたくさんの元気をもらった。わたしにとって、いまなすべきことは受験勉強ではなく研究開発と制作執筆介護だ。吹奏楽部員だったこと、全国大会を目指したこと野球部応援した夏、写真学科受験、絵をさがしてカメラかついで原チャで街をまわったこと、みんなみんな遠い過去だ。でもいまだってつまづくたびに立ち止まり休み、そして前へ出る。生きる限り前へすすみ、高くとびつづけたい。

2018-02-16

異世界生モノ古典的少女漫画も変わらんのでは

異世界生モノ

ドラゴンだとかゴブリンだとか呪文詠唱だとかそういう世界観:みんなが知ってるアイコンであり、世界創造しなくていい免罪符

唐突な転生と出会い物語根拠必然性を持たせなくていい免罪符

古典的少女漫画

ありがちな学園生活人物設定:みんなが知ってるアイコンであり、世界創造しなくていい免罪符

・転校してくる男の子物語根拠必然性を持たせなくていい免罪符

ものマンガとか、5~10年前くらいのきらら美少女4コマとかも多分当てはまるような気がするけど、

要するに、流行ジャンルに右に倣え系金太郎飴作品はどーもなーってだけ。

2018-02-12

anond:20180212161455

必然性が無く益も無いのに費用ばっか膨大にかかることを権利にしたら財政破綻するだけだね

2018-02-06

結婚が一番の幸せみたいな風潮やめない?

私は30歳くらいのレズビアンである。周囲にはレズビアンであることを隠し、ごく普通の女として生きている。

私は結婚という制度法律)が嫌いだ。

結婚のもの否定している訳ではない。ただ女にとって結婚が一番の幸せであるという世の中の風潮に、どれだけ苦しめられただろうか。

年代独身女性はみんな婚活で忙しいようだ。学校同級生と集まれば「〇〇が結婚したらしいよ」だとか「彼氏といつ結婚するの?」だとか、そんな話題ばかりだ。

正直もう彼女たちと話すことに疲れてしまった。

彼女たちはまるで結婚することが人生のゴールであるかのように話し合う。「30代後半になっても独身だったらどうしよう」と不安をこぼしてきたりもする。私はレズビアンなので、好きな人結婚する道を最初から遮断されている。だからそんな彼女たちの不安を聞くたびに、自分人生否定されているような気持ちになるのだ。

私は自分人生肯定するためにも、大昔から当たり前に存在している結婚について、懐疑的に考えるようになった。みんなは結婚幸せだとされている世の中の風潮に、全く疑問を持たないのだろうか?

周囲に結婚したいor結婚した理由を聞いてみると、だいたい以下のような返答がくる。

・1人でいるのは寂しいから。

子供が欲しいから。子育てしたいから。

経済的に安定するから。2人で住むと楽だから

ステータスが欲しいから。親を安心させたいから。

これらの話を聞くたびに、社会常識とは恐ろしいなと思ってしまう。

そもそもなぜ結婚恋愛の延長線上にあるのだろうか。寂しさを紛らわせたり、経済的に安定したいなら、友達3人以上で集まって結婚したっていいじゃないか。恋なんて大抵は数年で熱が冷めるし、「好きなタイプ」と「結婚したいタイプ」を分けて考える人も多いが、だったら最初から結婚恋愛を絡めなくても良いではないかと思う。

ちなみに日本では結婚した夫婦のうち3分の1が離婚している。結婚したら一生一緒にいれるなんてことは、決して言い切れないのである

子育てに関しても、結婚する必然性がよくわからない。血の繋がった両親の元で子供が育てられなければいけない理由はどこにあるのだろうか?もし仮に今「お前は血の繋がった子供ではない」と両親からカミングアウトされても、特に関係が変わるとは思えない。男女で結婚することによって子育てが有利になる法律自体に疑問を感じるのである

ステータスが欲しいというのは元も子もない。親や親戚を含めて、誰かが独身であることを非難したり見下す人たちは一体何様なんだろうか。結婚親孝行だというのは、単なる親のエゴしかない。

しか死ぬまで仲良く暮らす幸せ夫婦もいる。だからといって全員がそうなる訳ではないし、なぜみんなそんなに結婚プレッシャーを感じるのかと思う。私は同年代独身女性を焦せらせるような社会法律が嫌いだ。

ここまでの話はただのレズビアン愚痴なのだが、ほとんどの人が何の疑問も抱かないほど当たり前に存在する「結婚」というものについて、いま一度考えてみて欲しい。

2018-02-02

anond:20180202000708

「それってあなた生理的欲求ですよね?」「何か社会的必然性あるんですか?」って批判だと思うんだよね、あの手のって。「女性弱者である」という建前によって批判者を加害者レッテル貼りできているから成立しているように見えるだけで、突き詰めると存在への否定だと思ってる。

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