はてなキーワード: Uターンとは
基本的なルールは増田の提示するように原付と一緒なのだが、本気で運用したら死人続出だよ。
路地から通りに出る時など、交差点のない小さい道は非常に多いのは勿論知ってると思うが、
ルールに忠実に車道を通行するには原付と同じく右折する必要があるが、
大きな道であろうとこのルール通りに右折するわけで、大量の車を避けて
常識的に考えて広めの道路を自転車が横断するのは自殺行為だが、ルール通りに運用したらこうなる。
じゃあ左折してUターンしたらいいじゃないか、と思うかもしれないが交差点で二段階右折を2回する必要があるので
信号を2~3回は必ず待つ必要がある。路地から右に出るたびに信号3回も待つヤツがいたらバカだと思う。
【朗報】空白12年職歴無し35歳新聞配達3日目ワイ、やっぱ原付はアカンということで無事自転車に降格決定
順路は順調に覚えられているが何やろな
クラッチのせいかな、クラッチみたいな一手間が加わるだけでめちゃめちゃアワついてわけわからんことになる不思議
Uターンクソ苦手やし
というか俺は頭の回転が絶望的に遅い
原付の速度で視覚から代わる代わる入って来る情報を処理しきれない上に各判断にクラッチ等の操作が加わり
それがえも言われぬ恐怖感に繋がっているのであろう
自転車の時速20km程度の情報量であれば頭の回転が追いつくのであろう
なんか2週間ぐらい働いた感があるけどまだ3日目、のべ6時間しか乗ってないわけだし早計っちゃ早計なのかもしれんが、いったん原付は諦めて明日から自転車だ
いま働いているのはフルタイム就労に向けての体力養成もあるわけだしむしろ自転車が良かろう
新聞を積んでいない状態で順路を回ってみたら1時間だったが新聞満載の自転車で2時間を切れるのであろうか
う~む果たしてどうなることやら
まあ無理だとしても無理だからこそ鍛錬になるわけだし
自転車で2時間切れるようになったらもう脚力十分、体力的に十分であろう
そこまで行ったら新聞配達は辞めて午後に立ち仕事のパートを入れるか
でも原付がキツイとなると通勤半径的な意味で選択肢が狭まっちまうな~
まあおいおい考えよう
空白12年職歴無し35歳無職ワイ、二日目の出勤を終え無事帰宅
本日は新聞にビニールを付ける機械の使い方など教えてもらいバイクに積み上げ社員の方と配達へ、自身も新聞を入れる
二日目にして1部の誤配と1部の不配(積み忘れ)をやらかす
原付のクラッチ操作に未だもたつき焦り散らかす上に原付でのUターンに全く慣れる気がせず順路も覚えられる気がせず
自分に引く
この区域はここから始まります~って言われて3軒配ったらもう全く覚えてねえのな
順路帳というか地図を頂いたものの地図上に経路が矢印などで明記されているわけでもなく
これじゃ復習しようがねえ
覚えるための道筋ってもんがないと猛烈に辞めたくなるんだよな・・・例えばスーパーの品出しなら毎日通ってれば覚えられるだろうと思えるんだけど、新聞配達だと覚えられる気がしなくなる
この差はなんだろうな・・・屋外は地形が複雑な上にこの時期は景色が変わらず覚えづらいが、スーパーは視界に収まる広さしかなく規則性もあるからか?
う~ん・・・
それに全てにおいて自分でも頭悪い動作してるんだよな…マンションに複数部持って入るときは折り畳んだ新聞を腋に抱えていくんだけど、そこでもバサバサ落とすわどの順で腋に抱えてたか忘れて取り出すのにもたつくわで我ながらポンコツで頭を抱える
35歳にして全ての動作において2手先が見えてないんだよな、いわゆる動作性IQが低いんだろう
やはり覚えることの少ないスーパーの早朝品出しとか24hスーパーの深夜勤務とか、工場で思考停止ライン作業や清掃のような閉鎖空間での作業か、あるいは夜間警備員みたいな仕事しかできなさそうだと再確認した次第
とりあえず明日近場のスーパーの早朝品出しの面接なんだけどそっち受かったら新聞配達は辞めるか?
お互い傷が浅いうちに辞めたほうがいいしどうしたもんかな~
青年向け漫画の編集者をしていた。といっても若い頃の話だ。都内にある編集プロダクションを辞めて田舎に帰ったのが36の時だから、おじさんの入り口に立った頃か。今では完全なるおじさんである。
働いていた会社というのは、講談社とか小学館とか秋田書店とか、そういう大手出版社ではない。あくまで編集プロダクションである。出版社と編プロがどう違うのかって……ざっくり言うと元請けと下請けだ。出版社が出版事業(今回だと青少年向けの漫画作りや商業展開)の企画をして、漫画家が作品そのものを作って、編プロは雑誌本体を作って、その制作過程で印刷所やデザイン事務所といった専門集団と関係することになる。
イマイチな説明になってしまった。一般社会の例で説明する。民法でいうところの委託(準委任契約)に当たる。公共建築の分野でいうと、公共機関の建築技師が新しい建築物のマンガ絵を作り、建築事務所が基本設計~詳細(実施)設計をして、出てきた成果物を元に大手建設会社が施工監理し、地元にある中小事業者が実際の土木建築作業をする。
自分が勤めていたのは、この例でいうところの建築事務所だ。受益者(国民=漫画読者)の希望に応えたい組織があって、そこから依頼を受けて動いている関係会社のひとつ。そういうアナロジーだ。
出版社との役割分担は、そこまで分離しているわけでもない。漫画編集者といえば、昔の手塚治虫ほかの自伝みたいに、漫画家とアツいやり取りをしているイメージがある。ああいう、企画経営と制作現場の間にあるような仕事は、出版社の社員が直接することもあれば、編プロが出版社(編集部)のオフィスを間借りして行うこともある。
前者の例だと、マガジン、サンデー、チャンピオンなどだ。コンビニや書店にほぼ必ず置いてあるレベルの漫画誌。大手出版社に総合職コースで入社した人が、(編集、取材、制作、資材、宣伝、マーケティング、総務経理人事その他事務)といった多くの部門のひとつである漫画編集部に割り振られて其処に居る。
後者の例だと、大手出版社が出している漫画誌でも、あなたが聞いたことのないやつもけっこうあると思う。そういうのは、編プロが出版社(編集部)の仕事を丸ごと請けて実施していることが多い。自分は、そういう会社で働いていた。職場自体は大手出版社の中にあるが、いわゆる委託先の社員だった。別の言い方をすると、親雑誌に対する子雑誌の関係。
ほかの長文増田の記事を見るに、あまりたくさん書けない仕様のようである。何文字までかは知らないが、文字数制限があると思う。本当は何万字でも書きたいのだが、あくまで自分が書きたいだけであって、あなたが読みたいとは限らない。一万字以内になるよう心掛ける。以下に、自分が関わった漫画家を2人だけ紹介しよう。最後に所感を述べて終わりにする。
その2人(A先生とB先生。どちらも若手)と私は、分水嶺のような関係(追記;わかりにくい表現ですいません。ブクマカのBuchicatさんのコメントのとおりです)だった。ある日、私が担当していた漫画家のA先生が新作の企画提案に来ていて、同じタイミングで別の編集者のところに持ち込みをしたのがB先生だった。その別の編集者が不得手なジャンルだったこともあり、A先生との話が終わった後で、私も一緒にB先生の作品を読んだ。
その後、編集部の責任者を交えた会議で、私が引き続きA先生の新作の担当者に決まった。新人であるB先生の担当になる可能性もあったが、そうならなかったのは、今の漫画界の一界隈にとって幸運なことだった。
A先生は、雰囲気が暗めだった。人間性まで暗いというわけではなく、心を開くと明け透けになるタイプだった。モードに入ると饒舌になる。
弊誌では、読み切りを何度か掲載したことがあった。アシスタント経験あり。小さい賞を取ったことがある。ヒット作はないが、若き漫画家としてはキャリアがあった。
画力が抜群だった。小学校や中学校で、学習ノートにフシギダネの絵とかをソラでゲームパッケージそのまんまに描く子がいただろう。とにかく天賦の才を持っていた。最小限の画量で、それでいて迫力と感情に溢れた1枚1枚を描く。そういう人だった。
難点は、マジメすぎるところか。少し前にやっていたアニメだと、チェンソーマンに登場するアキくんか(少し前……?)。とにかくマジメだった。いや、やはり『直向き』に訂正する。
A先生は、少年誌に見合わない重たいテーマに挑むことがあった。今でもそうだ。彼のマンガには『緩さ』がない。それもいいところなのだが。私は好きだった。はっきりいって。が、読者の傾向に合っているかは微妙だった。
子どもの頃から漫画が好きだったらしい。中学生の頃のイラストを見せてもらうと、俄然キャラクターへの愛に溢れる作画を見ることができた。中学生らしい、プロには程遠いクオリティなのだが、しかし見ていて違和感がないというか、自然にくっきり入ってくる。
私という人間は、具体例で物事を説明する癖がある。上の「中学生らしいイラスト」を別の事例で表現すると……「うるせ~!!知らね~!!FINALFANT ASY」(短縮URL:https://x.gd/L5cc4)だろうか。以前、いつぞやかのid=pptppc2さんのブックマークコメントがきっかけで元ネタを知ることになった。
あの時のA先生のイラストは、ベルセルクのセルピコだったと思うが、力強い表現だったのを覚えている。セルピコがファルネーゼを抱きかかえて、
「申し訳ありません 道案内を頼まれまして 少し席を外していましたもので」
と言うシーンの模写だった。
さて、そんなA先生だったが、ある時これまた重量級のテーマで描きたいものがあるという。先ほどの、編集部での新企画提案の話だ。
その際、A先生からプロットをもらい、私のデスクで拝見させてもらったところ……うちの雑誌では持て余しそうだった。作品の質が低ければ普通に打ち切りになりそうで、作品の質が高くても――弊誌の売上規模だと会社グループ全体の機会損失になりそうだった。私の前でパイプ椅子にかけているA先生は、不安げな面持ちだった。
内部の話で悪いが、例えば「甲」という雑誌の亜流の「乙」という雑誌があるとする。ビッグコミック(オリジナル、スピリッツ、スペリオール)みたいな感じだ。この時、甲と乙に明確な上下関係があった場合、乙誌に掲載された漫画が甲誌に引き抜かれることがある。その際、甲誌の編集部から言われるのが、
「なぜうちの編集部に見せなかった?」
という意見だ。これは、ストレートに言われる場合もあれば、暗に言われる場合もある。だが、事前に上流の雑誌に見せていたとして、多くの場合は玉虫色の返事があるだけだったりする。
話を戻そう。この時の自分は、編集部の自分のデスクのあたりでA先生の次回作を見せてもらっている。確か缶コーヒーを飲んでいた。
自分としては、A先生のマンガを弊誌に載せたいと思っていたが、先ほど述べたとおり、後ろ髪を引かれる思いもあった。社会派の少年漫画というのは扱いが難しい。その作品が「あしたのジョー」の影響を受けているのは明白だった。「A先生であれば、きっと面白い作品にしてくれるのだろうな」という期待はあった。
うーん、大いに悩むところだ。どうしよう。思いあぐねていたところで、別の編集者から声がかかった。要約するとこんなところか。
「持ち込みに来た人がいる。私の専門じゃないので判断が難しい。門前払いにするレベルではないので、あなたの判断を仰ぎたい。上の人間は今出かけている」
要するに、自分の専門外なので判断できないよ、と言っている。ここも会社なので、編集者の上には当然上司がいる。その人達がいなければ同輩に相談するのが基本だ(余談だが私は後輩だった)。こういう原則は一般の会社と変わらない。
その『別の編集者』というのは、儚い感じの純文系が得意なタイプだった。一番わかりやすい喩えは……『はちみつとクローバー』みたいなやつだ。ああいうのが得意な人だった。
その時は、A先生との話が終わったら行くと告げた。それで、しばらくそのまま話を続けた。
「この作品はいい意味で重たいね。ちょっと考える時間がほしい」
と言って、その日は解散した。A先生は、「お願いします!」と言ってパイプ椅子を立ち、そのまま帰っていった。いつもだったら喫茶店でご飯をおごっている。
A先生は、『いい子』だった。あまり感情は出さないけれど、人間に対する愛を持っている。そういう子だった。私が当時、A先生にご飯を奢って、彼がおいしそうな表情で食べている時、私は幸せだった。A先生が幸福だと、自分も幸福だと思えた。A先生が漫画という手段で自らを表現している時、まるで自分もそれに劣らぬような喜びを得ていた。
ヘンな表現かもしれないが、例えば読者がA先生を褒めている時、自分とA先生との区別がなくなっているというか。彼のことが、自分のことみたいに嬉しかった。これは愛なのだろうか。
持ち込み部屋に行くと、別の編集者と、持ち込みに来た子が対面で座っていた(ちょこんと挨拶をしてくれた)。自分が座る席には作品が置いてあった。綴じられていない原稿用紙がある。ページ数にして30枚ほどだった。もっと多かったかもしれない。記憶があやしい。
実際、B先生の作品は面白かった。コテコテの学園ものかと思いきや、登場人物それぞれに適度な制約があって、キャラクターも立っていた。これまでのキャリアを聞き取ったところ、作品が雑誌に掲載されたことがあるようだ。アシスタント経験もある。
絵の方は、自分がこういうのも大変失礼だが、上手な方ではなかった。どちらかというと、脚本や設定、キャラ作りが得手のように映った。当人が情熱を注いでいる箇所はすぐにわかる。キャラ絵が有名漫画家の影響を受けているとか、キャラクターの台詞回しがハリウッド映画風とか、背景や小物を手を抜くことなく全部描いているとか、そんな具合に。
光るものがある作家だった。これを見抜けないようなのはモグリ――そんなレベルで輝いていた。
私は作品を読み終えた後で、「ちょっと待ってね」と自席に戻り、少し残っていた缶コーヒーを飲み干して、思案を重ねつつ持ち込み部屋に戻った(どうするのが最良かわからないケースだった……)。
それで、テーブルではこういうやりとりをした。
私「イイ作品だと思います。特に、セリフ回しにセンスを感じます。掲載ができるとかここでは言えないけど、話は通してみますね」
B「ありがとうございます」
私「それで、担当はね……縁なので。あなたがするのがいいのでは?」
編「私よりもほかの人がいいと思います。もっと才能を引き出せる人が……」※小さい声で
私「いや、でも恋愛描いてるよ。エンタメだけどいいんじゃない」(こいつ、作家の前でアホなこと抜かしよって)
編「難しいです」
私「でもこれ、縁だよ」(意識が低すぎる……)
編「ほかの作家さんも抱えてるので。いっぱいいっぱいです」
私「わかりました」(トラブル回避のため後で編集長に説明しとこう)
B「すいません。僕の作品はどうなるんですか?」
私「後日連絡しますね。必ずしますから、それまでは他誌への持ち込みは待っていただけますか」
B「あの、はい。できればですが、早めでお願いします。一週間くらいでなんとかなりますか」
私「なんとかしてみます」
作品そのものと、作家プロフィールと、付属資料のコピーを取らせてもらって、彼には外で缶コーヒーを奢った。ビルの入り口まで送ったところまではいい気分だったが、正直、身に余る事態だった。
持ち込み作家の才能がありすぎるのも考えものだ。嬉しい悲鳴というやつ。誰が担当に付くかで今後の雑誌の売り上げに影響がある。重大な意思決定ということになる。
最悪、『進撃の巨人』の時みたいに優れた作家を逃してしまう可能性がある。あれも、実際は諌山先生は門前払いではなく、週刊少年ジャンプの担当が付くか付かないかの微妙なラインだったらしい。それで、誰が担当になるかを押し付けあっている間に諌山先生が他雑誌に持ち込んでしまった、という話が業界団体の公的な飲み会で囁かれていた。
B先生についてだが、一週間後に担当編集が決まった。「別の編集者」でもなく私でもない。当時、若手のひとりだった20代の子が任されることになった。編集部のトップを交えてB先生の原稿のコピーを読んだのだが、「若い感性が光る。年齢が同じくらいの人と組ませる方がいいのでは?」という結論になった。
その20代の子は、上の組織からこっちに出向してきている子で、いわば武者修行の身だった。一流大学出で、本社のプロパー社員。いわゆる総合職である。
最初は、私に選択権があった。B先生の担当になる道もあった。だが当時の私は多忙であり、月に何度も会社に寝泊まりするレベルだった。新人は抱えるべきではない。しかし、才能のある子だから迷いがある。
A先生のこともあった。彼のあの作品を世に出してやりたい。もっと有名にしてあげたい。そんな想いがあった。
私が悩んでいるうちに、例の20代の子が手を挙げたのだ。私としても、彼のやる気と知性と直向きさは買っている。諸手を上げて賛成した。
今思えば、正しい選択だった。もし私がB先生の担当になっていたら、面白い恋愛エンタメを楽しめる読者の数は減っていただろう。これでよかったのだ。
以後のB先生は、例の持込漫画のブラッシュアップを続けた。翌年には、晴れて弊誌に第一話が掲載されることになった。さらに以後は、担当編集とともに二人三脚で躍進を続け、イケイケドンドンの勢いを保ったまま、一度も息切れすることなくスターダムに上り詰めた。今では漫画家として世に知られている。
上で挙げたA先生の意欲作は、読者層に合っていなかった。それでも、高い画力とシナリオ構成の上手さがあったのだろう。その意欲作は、連載期間を積み重ねる度にファンの数が増えていった(業界的には、Amazonの第一巻のレビュー数が人気の代替変数になることが知られている)。
今では、A先生は親雑誌で連載を勝ち取るまでになった。去年だったか。彼の作品をコンビニで立ち読みする機会があったのだが、やはり突き抜けた画力だった。週刊連載であそこまでの画力というのはまずない。
2024年現在、私は東京を離れて田舎で暮らしている。地元の町役場にUターン就職して、実家の農業を手伝いながらスローライフに近い生活を送っている。
実は、編集者だった当時、働きすぎて病気になった。ある日、下腹部の辺りに違和感を覚えて、血の塊のようなものが血管を這っている感覚があった。病院に行くと、「遅くても明日中に入院しなさい」という医者からの指導があった。
それなりに重い病気にかかってしまった。一応は死亡リスクもある。数か月ほど入院した後、どうしようかと考えて、考えて、考えて……編集部に復帰後は、労働を最小限にしつつ転職活動をスタートした。
A先生については、幸いだった。彼の意欲作とは最終回まで付き合うことができた。私が退院した後、無事完結を迎えることができた。あしたのジョーに比べればハッピーエンドだった。
入院中に、A先生とB先生がお見舞いに来てくれたのを覚えている。ほかの編集仲間も来てくれた。A先生は、テンションが低めで、何を考えているのかわからないこともあるのだが、人間への基本的な愛というか、思いやりがある人だった。
もう40才を過ぎている。はてなユーザーの中では平均的な年齢か。思えば齢を重ねたものだが、当時の日々は今でも夢の中に出てくる。
若い頃から編集者をやってきた。身体を壊さなければ続けていたのかというと、多分そうだろう。でも、今の生活も悪くないと感じている。自分語りはここまでにして、締めにしよう。
もしあなたが、Webでも紙媒体でもいい。気になる漫画作品を見つけたとする。面白いものを見つけたと感じたら、ひとまず買ってみるのがいい。Webだと1話単位で売っている。
ひとかどの漫画家というのは、自らが産み出すモノを本気で高めにいっている。あなたのフィーリングが合ったのなら、ひとまず1巻だけでも読んでみる方がQOLが高まると思う。ハズレを引くことはあるだろうが、アタリだってちゃんとある。人生は運試しである。
霊山「妙見山」にあるしおき場(処刑場)は、大阪では有名な心霊スポットだ。
しおき場のすぐ手前には、これまた心霊スポットである「野間トンネル」がある。
一気に2つも心霊スポットを巡れるのだからお得だ、という妙な損得勘定を持ちながら、車を進めていった。
野間トンネルは長さ10mもない、トンネルとも言えない規模だった。
車のヘッドライトが照らすコンクリートの白さが不気味で、穴の先はライトで照らしても真っ暗だった。
時速20kmで、のろのろと入っていく。
入った先は、雰囲気が全く違っていた。
ここに入るまででも、狭い山道、街頭がほとんどない暗さ、廃墟のような家が不気味で、雰囲気は十二分にあった。
特に「しおき場」に入るために「わざわざ」入った妙見山からは特に暗く、これから心霊スポットに入るんだ、という気持ちを高めてくれていた。
トンネルの先は、真っ暗だった。
風に吹かれ、杉だろうか、月明かりに照らされた木々の葉が揺れている。
それだけだが、その静けさ、雰囲気はまるで時間が止まったようだった。
まだ夜の7時なのに、深夜の2時を過ぎているとしか思えなかった。
野間トンネルに入って、20~30mほど進んだだろうか、「目的地へ到着しました」とナビが教えてくれた。
だが周囲には何もなかった。
その先の道は狭く、お寺に続いているようだ。
お寺に用はない。引き返してみることにした。
もっと注意深く、何があるかを観察せねばならなかった。
隣の妻から、息を吞む声が聞こえた。
「違う違う、たぶんここじゃない」
妻の声は上ずっていた。
「この先?」
「うん」
少し進むと、脇道が見えた。
「ここや」
俺がそれだけ言うと、2人とも黙ってしまった。
ここに到着する前は、外に出て探検しようと思っていた。
だが、とてもできなかった。
しおき場は、戦国時代、2つの家の諍いを収めるために、豊臣秀吉の名で「両家から農民を10名差し出して、斬首する」ことから始まった場所だ。
そんな場所に、面白半分で車を停めて中に入ることは、その霊を冒涜しているような気になったのだ。
今更な話だった。
だが今なら、たまたま通りがかった、道に迷った体で帰れるのではないかと思った。
ようやく窓を開けたのは、山を降り、コンビニが見えた時だ。
緊張が抜けたせいか、頭が痛かった。
妻と2人、車の中で寝た。
これは先週の出来事だ。
あれからずっと、しおき場のことを考えている。
その真っ白な威容、ぽっかりと空いた真っ黒な穴。
その先は異世界のようだった。
今でも鳥肌がたつ。
妻もあの光景が忘れられないのだという。
妻は「しおき場の中を調べなかったから、よけいに怖いのかもしれない」と言う。
それもあると思う。
だが、それだけでもないような気がした。
こうした心霊スポットに耐性がないせいだろうか、非日常に浮かれているのだろうか。
この客の中には、また同じ山に、同じ企業のツアーで参加した者がいたらしい。
それに比べるとお子様もいいところだが。
また行こうと思う。
きっかけははっきりしている。大学生時代に東京で暮らしてからだ。
俺の通ってた高校は地方ながら学年最下位でも地方国立目指すようなところで、当然のように俺も国立を受けた。そして前期後期落ちた。
そんなに金がある家でもないし何より俺自身が浪人は絶対嫌だったのだが、滑り止めのつもりだったマーチもぜんぶ落ちて、結局某G大に入った。
そんなことは入学試験のときに分かるだろうと言わないでくれ。受験時の移動範囲は駅と、大学までちょっと歩いただけだ。田舎暮らしの俺には、東京の人の多さが想像できていなかったんだよ。どこを見ても人、人、人。まさかあらゆるところに人がいて、視界に人が映らないのは自分のボロアパートだけだなんて思いもしなかったんだ。
生まれ育った町ではそんなことなかった。通勤通学の時間以外は道を歩いている人なんてほとんどいないし、夜22時にもなればそれなりに舗装された道でも車すら走ってないし、昼間でもコンビニに行けばレジ店員しかいない。だーれも見てないから、夜に散歩して催したら河原で立ちションしたりもしていた。だが、東京はどこを切り取っても人の目があってそんなことはとてもできない。
結果、俺はノイローゼ気味になった。元々苦手だったが、より「人がたくさんいる空間」が無理になった。
それでもなんとか卒業まで耐えて、逃げるように地元の役所にUターン就職した。
だが、田舎モンが田舎に逃げ帰ってHAPPY ENDとはいかなかった。
さっき書いたことと相反するようだが、地方とはいえ人はまあそれなりにいる。俺のいる役所の仕事はジョブローテーションで数年おきに配置換えがされるのだが、最初に配属されたのがよりにもよって市民課の窓口勤務だった。
毎日毎日延々と知らん人と接し続ける業務に苛立ちと吐き気と頭痛を覚えるようになりながらも耐えていたが、働き始めて数ヶ月経った頃、俺はクレーマー対応中に突っ伏すように倒れてしまった。後から聞けば真っ青な顔をしていたらしい(そのときに止めてくれよとは思った)。
そこから面談を経て、いまは市民と直接接することがほとんどない部署を優先的に回してもらってる。
まあ、なんだ。俺の精神は東京の人混みにブッ壊されてしまったってわけだ。
鬱とか、対人恐怖症とか、パニック障害とかいったやつかもしれないと心療内科にも行ったが、特に病名はつかなかった。そもそも知らん人間と同じ空間で待つことが苦痛で仕方がなく、待合室にいるのもうんざりしてしまったので結局通うのをやめてしまった。
30過ぎた今でも、コンビニに入って4, 5人並んでるだけでウワってなって店を出てしまう。後から冷静に考えれば買うもの選んでるうちに列が捌けるかもしれないって思い至るけど、「並ばされるかもしれない」っていう可能性を感じた時点で拒否反応を起こす。
昨年、子供を連れて横浜のアンパンマンミュージアムに車で行ったときも、下道に降りてからの車の多さに辟易とし、ついてからの人の多さに具合が悪くなってしまい結局ひとりで車で休んでいた。妻と息子には申し訳ないことをした。妻には「パパとはディズニーランドも行けないね~」なんて言われてしまっている。
何が言いたいのか俺にもわからなくなってきたが、人が苦手なのに都会で暮らしてみようとしてる奴は、1週間でも数日でも本当に耐えられそうか一度滞在してみることをおすすめする。俺のような奴がもううまれないように。
さっさと家庭を捨てて、都会に戻れば良いのに。
何もないといいながら何も変わらない奴が一番なにもない。
私はシビックプライドがカスと言われる田舎に住んでるけど、割とUターンが多い。
理由が「都会が肌に合わない」って人もいるけど、なんだかんだアホの増田が挙げてる理由が「良い」っていうのがほとんどだよ。
程よい生活を求める人がいるんだよ。
都会の人からすれば、娯楽の少ない田舎暮らしってマジで窮屈だよな。
平日の人がまったくいないイオン、仕事終わりにはとっくに閉まってるコンビニ、片道2時間の山奥にある蕎麦屋さん。
ガソリンが高騰して外出すら憚られるのに車を出さないと買い物に行けない。遊ぶ場所がないからデートもマンネリ化しがちだし。
仕事終わりに、駅から徒歩で行けるオシャレなカフェでゆっくりするのも、初めて行く店で知らん人と話すのも、
休みの日にフラッとショッピングに行ったり、遊園地で遊んだりするのも楽しい。
美味しいと評判の店にバカみたいにならんでも大して美味しくもないし、無駄に金と時間を取られるし、
スーパーの惣菜は見るからに色がおかしくて、味も「これが食品添加物か…」って感じることのできる不味さだし
人が多いから疲れるし、空気もまずいし…そもそもこんなにたくさん店があっても全部行かないし。
それなら常に美味しい空気を吸って、どこでも並ばずに、スーパーでも格安の美味しいご飯が食べられて、車で好きな曲を爆音で流しながらカラオケして、
個人営業のこじんまりとした山奥のリノベ古民家の手料理を食べに行って、帰り道にガードレールもない山道に車を止めて綺麗な川を見て、森林浴しながら胸いっぱいに空気を吸って、
枝野は旧民主党メンバーが雪崩を打って小池の靴舐めに走った際に気後れした。
「あいつとは全く考えが違うから」と決然と孤塁を守ったのではなく、「おれは断られるかな…」と、あくまで出遅れてオズオズと最後尾からついていってたら小池が勝手にぶっこけて、また雪崩を打ってUターンしてきた有象無象に担ぎ上げられた。
そしてそのまま負け組のアイドルとして立憲の領袖になったが、枝野にはもともとなにもない。
そもそもがやはりタナボタで原発事故時のスポークスマン役で顔が売れすぎてしまっただけの男。
「私は保守なんです」「里山資本主義」みたいな寝ぼけたことしか言わない男。
枝野の行動原理は、票田である団塊老人層を左派陣営の競合他社に食われないように極力何もせずに大過なく「野党第一党」の椅子を守ることだった。
どんどん死に絶えつつある団塊左翼老人が生きてる間は囲い込んでいたい、そうすれば自分らが引退するまでは政治で飯が食える。それだけ。
左派から「枝野なら…枝野ならなんとかしてくれる」と常に期待されて何もしなかったのは何故か。その全ての答えが外野からは最初から丸見えだった。
単なるフィリバスターを「魂の演説」とか言って持ち上げられたりしていたが、担いでる側も本当はわかっていただろう。この男は偶然このポジションに据えられただけのカカシだと。
トラベリングセールスマンであるデイヴィッド・マン(デニス・ウィーバー)は商談のため車でカリフォルニアへ向かう途中、荒野のハイウェイで低速走行する1台の大型トレーラー型タンクローリーを追い越す。しかし追い越した直後より、今度はトレーラーがマンの車を追いかけ回してくるようになる。
幾度となく振り切ったように見せかけては突如姿を現し、トレーラーは列車が通過中の踏切にマンの車を押し込もうとしたり、警察に通報するマンを電話ボックスごと跳ね飛ばそうとするなど、次第に殺意をあらわにしながら執拗に後を追ってくる。マンは大型車の不利な峠道へと逃げ込むが、出がけに立ち寄ったガソリンスタンドでラジエーターホースの劣化を指摘されており、車は峠道の上り坂でオーバーヒートを起こしスピードダウンしてしまう。なんとか峠の上にたどり着いたマンだったが、運転を誤り車を岩場に衝突させてしまう。車はしばらく動かなくなってしまうが、上り坂で再びエンジンを掛けて走る。
逃げ切ることが難しいと悟ったマンはトレーラーとの決闘を決意し、峠の途中の崖へと続く丘にトレーラーを誘い込む。車をUターンさせてトレーラーに向かって走り、正面衝突する直前に飛び降りるが、衝突の炎と煙で視界を奪われたトレーラーの運転手はマンが車ごと突っ込んできたものと思い込み、そのまま崖に向かって走り続ける。崖に気づき、慌てて急ブレーキを掛けるものの、クラクションを鳴らしながら、マンの車もろとも崖下へと転落。辺りには2台の車が落下しながら捻じれ軋む音が咆哮のように響く。マンは崖から2台の残骸を見つめながら決闘から生還した事を1人喜ぶも、その表情はすぐに晴れやかさを失い呆然と佇む。
うん。これだけ見ると、「警察に言えよ」とか、「勝手に不審者と決めつけるな」って、思うだろうね。
夜中2時に、うちの敷地に入ってきた人がいて、監視カメラにも映ってるんだけど、カメラと目があったら、逃げてったんだよ。
通行人って、道路から外れて人の家の玄関に向かって歩いてこないだろ?監視カメラあってもUターンしないだろ?もう不審者だろ?
警察に言ったよ。なんて言われたと思う?
「セールスだ」
だから言ってやったんだ
「夜中だしセールスじゃないと思う」
うん、うちの近所、居抜き(在宅中に見つからずに泥棒すること)流行中だもんね。
だから、「じゃあ近所の見廻りしてくれませんか?監視カメラに顔映ってるんで見せるんで」って言ったんだ。
そしたら、「いやいらない。行かない。セールスかもしれないから。」
ワイの家は不審者からまぬがれたけど、代わりに他の家が泥棒とかされてたら、嫌なんだよ。
心休まるはずの家に、人生で一回でも泥棒が入ったら、もう一生、家にいても心休まらないだろ?
かわいそすぎだろ?
どうしたらいいと思う?
確かに今日のは自転車でUターンしていけたけどUターンしたらしたで右側通行を指摘されそうだからいけなかった
アラサーになったころから、自分の身の振り方を考え始めて、転職に目を向ける人は少なくないと思う。
ただ、個人的に転職を決意するハードルになっているのが、配偶者のキャリア形成だ。
地方都市においては、職種は選ぶことができても職場はえり好みできるほど数がない。
・思い切って別業種を探す
・引っ越す
となる。とくに収入を上げたり大きな仕事をしたいとなれば「引っ越す」可能性が高くなるし、実際に周囲にその選択をとった人もいる。
引っ越すとなれば配偶者の仕事にも当然影響するから、転職のハードルは高くなる。
現状は共稼ぎ世帯が多数派にもかかわらず、職を変える選択肢が取りにくくなってしまう。
これが東京や大阪の大都市であれば引っ越さずとも何とかなるんだろうなと想像してしまう。
一方で政府は
・地方創生
・少子化解消
・職の流動性アップ
あたりは目指していて、残念ながらどれも現状からは遠いように見える。
→トヨタは豊田にあって自動車王国、IT企業はシリコンバレー みたいな?
このあたりが継続して行われれば、転職のハードルが下がって給料上げることができてて子供産む見通しも立つんじゃなかろうかという話でした。
個人的にはこう思っているけど、実際は地元から出る気を起こさないまま過ごす人が多いだろうから、目論見通りにいかないんだろうな・・・。難しいね・・・。