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2023-09-02

anond:20230902021424

朝鮮王国は江戸時代日本とは通信使の往来で儀礼的な国交があるという認識だった。基本的には鎖国(海禁)政策をとっていたので、対外貿易清朝に対する朝貢が基本で、日本との貿易対馬藩を通してのものだったから、政府として日本政変に関与しようという動きはなかった。明治維新後、新政府朝鮮と国交を結ぼうとしたとき朝鮮江戸幕府正式政府と認めていたからという名目で、それを倒した薩長政権非合法政権であるとして相手にしなかった。これに苛立った明治政府がいろいろやったことが後のあれやこれやにつながっていく。

清朝は、もともと「王道実践すれば周辺の蛮国は朝貢してくる」という態度だったので、積極的周辺国の内政に関与する姿勢はなかった。特に日本に対しては、「明の頃には朝貢してたけど、その後、明朝にたてついて戦いを挑もうとしたときから国交は断絶してる。商人非公式貿易に行ってるようだが、政府としてはそれは積極的には認めていない」という認識だったので、そこで政変が起こっても、基本的には関係ないよという感覚だった。

なので、無視されてたというのが実態やね。

2023-08-11

野球部坊主頭にしなければならない理由なくね?

他の部活プロ野球選手も頭を丸めない。

もし坊主頭にすることでバッティングの飛距離が伸びたりするのであればプロ野球選手は全員坊主頭にするか、プロ野球坊主頭禁止される。

から侍の変な髪型のような儀礼的な慣習でしかない。

ただし本人と学校の納得の上でやってるなら部外者が口を出すことでもない。「うちでは坊主頭ドレスコードです。ブランドです」という強豪校もあるんだろう。

2023-07-21

anond:20230720155537

かっこいいというより整っている服装背広

その場にふさわしくあるために意識的に整えた (整えるために手間をかけた) ということを示す服装なので楽に出来ないことに意味がある。

服装で示せなくなったら別の形で社会性を表示する儀礼がたぶん発生する。

服装ときで最低限の社会性があると判定してくれるなら比較的マシだぞ。

2023-07-10

anond:20230710050759

素晴らしいですね。処世術としては満点じゃないでしょうか。ただし日本起業の悪いところがギュウギュウに詰まったアドバイスですね。感心しました。これくらい適当でいい加減な人間けが生き残るのが日本企業なんだという有様を見せて頂いたという感があります

不器用にも程がある。

冒頭にこれ。

日本社会の悪癖を詰め込んだアドバイスこそが器用な対応だと信じているということがよく分かりますね。

威張って堂々とな。

目下目上を明瞭にして上から目線で接しなきゃダメなの

ベトナム人労働者に対する接し方のアドバイスがこれ。

散々、技能実習生外国人労働者に対するパワハラ差別的対応問題になっているのにこれ。上下関係はあるだろうが、お互いに相互理解の上で仕事をするということが頭にない。上下関係威圧することしか考えていない野球部思考日本の頭の固い管理職によく見られる態度だとしか言いようがない。

テンプレ反省文をコピペで作ってせいぜい本人にサインさせるだけでいい。

儀礼手続きに過ぎないの。

反省文に対するアドバイスがこれ。

儀式から体裁だけ整えてりゃいいの」みたいなこと。そういうことばかり繰り返しているから失敗、不具合事故の原因は明らかにならず、それを解消することもできず、同じ過ちを繰り返して、儀式ばかり増える。そして儀式とその体裁を整える仕事ばかりが増えて実業務の効率は低下する一方となる。日本会社行政でどれだけ意味のない手続きがあると思っているのか。そしてそれを解消しようとは微塵も思っていない。自分改善や改良を進言し実施する一員だという意識がまるでなくただ既存システムに心と体を適用させて生き延びようという怠惰保守主義しか見られない。だから駄目なんだよ。

今の世の中は責任ボールを互いにぶん投げ合う時代なの。

受け取ったボール他人に放り投げるか、投げ返すか。

責任所在に関するアドバイスがこれ。

結局、物事解決するよりも自分責任と労力を回避する手立てを勧めているに過ぎない。無責任まりない。そういう無責任他人に糞を押し付けるような利己的な態度で仕事をしているから全体の制度も一向に改善しない。無責任であることを勧めるよりも各員が自分責任範囲責任を分担し全体を支えていくことで組織は円滑に駆動するのに、そのようなことが念頭にない。こういう奴ばかりだから会社行政も何も改善しないし無駄は減らない。そして責任者の所在玉虫色で誰も責任を取ろうとしない日本社会の悪癖がここにくっきりと現れている。

クレームが来たら会社に「ちゃん教育した人間を寄越せ」と文書メール)で放り投げるの。

唯一正しい。こういうことを上に進言して改善を促すことが全体の改革にも結びつく。

で、たか仕事くらいで鬱るな。

無責任でいいんだよ。

たか仕事くらい」「無責任でいいんだよ」といった安易他人任せの責任放棄的な態度でいるから何も改善しない。しかし誰かがその責任を受け止めて葉を食いしばって押し留めて仕事をしているから此奴はこんな風な態度でも生きていけるのであって、真面目にやっている誰かの仕事フリーライドしているだけでしかない。誰かが真面目にやっているからお前はそんな態度でいられるのだ。皆が皆お前と同じ人間だったらこの世の中の制度倫理崩壊するのだぞ。 

責任持った生き方しろ、なんて道徳を叩き込まれたんだろうが、あんなもん人を都合よく使いたい支配者の戯言だ。真に受けるな。

頑張れ。賢く生きろ。

かに支配者、経営者たちが労働者を都合よく給与以上に働かせようとしてそのような道徳を吹き込む場面はあるだろう。しか労働者として給与に見合う仕事をしているからこそ経営者怠惰と無策を批判できるのであって、労働者として不良に成り下がってしまっては奴等を批判することもできないのだ。そして会社企業で真面目に働くことは一緒に働く同僚の仕事生活を守ることでもあるのだ。一生懸命働くことは経営者奉仕していることではない。

なのにそのような真面目に真摯仕事に取り組む人物に「真に受けるな」とか「賢く生きろ」などという言葉を告げる。不良になれとしか言っていないではないか。それのどこが「賢さ」だ?そういうのは「ずる賢い」というのだ。

全体的に世の中や社会会社制度や慣習を改善しようと改良のための提言をしようといった姿勢微塵も感じられない。ただ現行の制度の裏をかいて要領よく生きようとするずる賢さしか感じられない。こんな処世術蔓延しているからこの国はこの国の企業は駄目なのだ。この国と企業文化の悪癖をささえているのはお前たちだということを覚えておけ。

就職が出来ないまま、アラサーになった。

どこに吐き出せばいいのかもわからない自分気持ちと、きっと誰の記憶にも残らないであろう自分人生増田に投下したい。

要旨はタイトルの通りでしかないが、就活に失敗し続けて無職のままアラサーを迎えてしまった。今年はもう就活すらしていない。

就活は売り手市場だなんだと聞いていたが、それは結局平均的にコミュ力のある人間にとっての話であって、自分のようなコミュ障で陰気な人間にとっての話ではないのだなと痛感した。

ふと思い返せば友達が居た記憶があるのは小学生の頃までだったし、その頃もたまたま流行っていたポケモンに詳しかたから仲間に入れてもらえていただけだったんだろうなと今になって思う。

中学入学したあたりでクラスバラバラになり、小学生の頃のグループ自然消滅してしまった。

誰にも声をかけられることはなく、かといって声をかける勇気もなく、本当にただ孤独に過ごしていた。

部活にも入らなかった。正確には入れなかった。

聞こえてくる話を聞く限り、中学入学した時点で皆は入りたい部活まで既に決めている人が多かったようだった。

特にスポーツ経験もなく、かといって文化的素養もない俺にそのようなものはなかった。

「この部活に一緒に入ろう」と声をかけてくれるような人も当然いなかった。

経験部活の仮入部に飛び込む勇気もなかった。気がつくと入部届の提出日は過ぎていた。

そこから孤立の日々だった。

友達はもちろん欲しかったが、既に俺以外の人たちで完結しているように見えたコミュニティに入り込めるような人間ではなかった。

最初入学式の時点で、席が近い人たちか、同じ小学校出身の人たちで話して仲良くなっていた。俺だけが孤立しているような錯覚を覚えて、行きたくもないトイレに逃げて泣きそうになったのを今でも覚えている。

中学生にもなると皆携帯を持ち始めるようになっており、誰々とメアドを交換したとか言う話題が聞こえるようになった。

親にねだって携帯を買ってもらった。結局誰1人としてメアドを交換することはなかった。

中2の時だったと思うが、モンスターハンター3rdが学年中で流行っていた時があった。

みんなで放課後に誰かの家や公園で集まって一緒にプレイしているような話が聞こえてきた。

親にねだってPSPモンハンを買ってもらった。話しかけてもらいたくてわざわざ学校PSPカセット持って行き、わざと休み時間に机の上にそれらを出した上で寝たふりをしていた。

国語先生に見つかって取り上げられ、皆の前で叱られ、反省文を書かされた。あの瞬間が中学生活の中で1番みんなからの注目を集めた瞬間だったんだろうな。悲しすぎる。

今にして思えば、ポケモンに詳しかたことで仲間に入れてもらえた小学生の頃の成功体験を引きずり続けて、同じ手法でなんとか挽回しようと考えている自分の浅ましさがもう情けないよな。

勉強だけは頑張った。成績が良かったテニス部クラスメートが色んな人に「勉強を教えて!」と声をかけられているのを見たからだ。それもまた、今思えば笑ってしまうくらいに浅はかだけれど。勉強ができるから声をかけられていたのではなく、テニス部の人気者だから勉強理由に声をかけてもらえてただけなのに。その構造を見抜くだけの頭の良さは残念ながら当時の私は持ち合わせていなかった。

勉強甲斐あって、地元で1番の公立高校合格した。親以外に祝っては貰えなかったが、それでも良かった。

合格と同時にiPhoneを買ってもらった。LINEインストールした。

中学の頃は初手で部活に入ることに失敗したことや、コミュニケーションを取ろうとアクションする前に既に人間関係ができてしまっていたことが敗因であると考えていた。今回は入学式の日からちゃんと人に声をかけると強く決意した。

失敗した。

出身中学が同じもの同士で既に固まっていたし、何より塾が同じもの同士での結びつきもかなり強固であった。

3~4日目にして、ついに席の近いクラスメートが声をかけてくれたことでクラスラインに加入することには成功したが、人数から察するに私が最後メンバーであった。

私が入った頃にはクラスラインでの会話は殆ど無く、既に仲の良いもの同士でより小さなグループを作ってそこでコミュニケーションをしていた。

同じ塾での繋がりから合格発表があったその日には学年のグループができており、入学式の日にはもうクラスラインが出来ていたらしい。

結局、中学生の頃に友人を作れなかった負債高校生になっても苦しめられるのかと思った。

部活動にも入ろうと思った。未経験でも最初の入部の時点であれば飛び込めるのだと学んでいた私は、新歓で惹かれた剣道部に入部した。

2ヶ月で辞めた。

私以外の入部者が全員経験者であり、初心者が私しかいなかったからだ。

先輩はもちろん自分のために練習に付き合ってくれたが、同級生や先輩達のレベル自分立ち位置があまり乖離しており、自分1人だけが別で初歩的な練習をしているのが、晒し者にされているような気がして嫌になり、逃げ出してしまった。

自分けが初心者だという引け目から同級生ともろくに話せずに終わってしまった。

ここで投げ出さなければ…と今なら思えるが、やはり当時の自分には無理だったのだろうなという諦めのような感情もある。

同じような基礎練習に打ち込む初心者がもう1人でも居れば…と仮定しては、さも自らが理不尽な状況下にあるかのような想像をして自分正当化しようとしていたことを何故か今でも覚えている。

幸いだったのは学校自習室があったことで、これにより部活動の時間分を自習室勉強することで、親には部活動を続けているようなフリをし続けていた。今思えばバレていたのだろうか。

中学の頃から帰宅部であり、友人と遊ぶようなそぶりすら見せてこなかった俺を、親はどう思っていたのだろうか。

何も言わないでいてくれた親の気持ち想像すると、胸が苦しくなる。

高校Twitter流行った時期もあった。例に漏れず私もアカウントを作った。当時のTwitterはまだ身内感が強かったこともあり、高校名や氏名で検索しては片っ端から同級生フォローした。

フォローバックも多少はしてもらえたと思う。

しかしながら、結局何もツイートすることはできず、ただ同級生の動向を監視しているだけの気持ち悪いアカウントに成り下がっていた。

一言も喋らない陰気な奴が変なことをツイートしたらどう思われるのだろうかと、怖くて何もツイートできなかった。

一瞬、LINEツムツムが流行たことがあった。

LINEを交換しているもの同士でスコアランキング形式で共有されるのだが、たまたま引いたマレフィセントというツムで圧倒的なスコアを叩き出したことがあった。

その時にクラスメートが「上手いんだね!」と声をかけてくれたことがあったが、気の利いた返しが浮かばず、ぎこちない笑みを返すことで精一杯だった。

3年以上碌に会話をしていないのだから当たり前なのだが、もはや会話をするという行為自然には出来ないようになってしまっていた。うまく言語化できないが、相手の言っている内容を理解した上で、それに対する返答をいくつか頭で構成し、そのうち最適なもの選択して口からアウトプットするという一連の行為自然に出来ないようになってしまっていた。目を合わせるだとか、自然な表情を作るだとか、そんなことは言うまでも無くできなかった。

その会話での失敗は自分の中でも忘れられず、次に同じように話しかけられた際の返答を何度も何度もシミュレーションした。

ツムツムも継続してスキルを磨き、ランキングではトップを取り続けた。

当たり前だが、次の機会は来なかった。

高校3年間は最も密度の高い青春の3年間だったと知り合いの誰かがTweetしていたが、俺の3年間は思いつく限りの思い出で上記限界だと思うと、本当に虚しい気持ちになってしまう。

大学は通える範囲にある旧帝大合格した。

今度こそ失敗しないようにと臨んだが、やはりダメだった。

講義における自由な席のシステムや、そもそもクラスなどが存在していないという状況で、自ら人に話しかけるだけのスキルを持ち合わせていなかった。出身高校予備校基本的には違うはずなのに、即座にそれぞれで仲良くなれていたのが不思議で仕方なかった。

サークル新歓にも行った。バーベキューだった。同じ机に先輩が2人、新入生が3人の5人で座っていたのだが、気がつけば私を除いた4人での会話になっていた。

先輩が時折私に話を振ってくれていたのだが、明らかに気を遣ってくれているのだとわかり、余計に苦しく、惨めだった。

新歓用のライングループがあったようだが、私には加入の声もかからなかった。

勉強に逃げようと思ったが、逃げる先も見つからなかった。

自ら興味のある分野を見つけ、そこに飛び込むだけの主体性すら持ち合わせていなかった。

テストは同じ授業の過去問を持ち合わせているかどうかで対策の可否が大きく変わるものだった。友達のいない私には非常に厳しかった。

授業に一度も来てないようなテニサーの奴よりも、私の成績の方が悪かった。友人は居なかったが、それでも勉強だけは出来た自分にとって、学業の成績は唯一の精神的支柱であったのだろう。かなりメンタルにきたのを今でも忘れられない。

しかし、そうは言っても今更友人を作ろうと発起するのも見苦しいように思えて、結局何の行動も起こせなかった。

ゼミはそれなりに興味のあった行動経済学ゼミを志望したが、人気ゼミ面接に通るはずもなく落ちた。

結局、不人気な統計学ゼミに入った。幾つ上かもわからない留年生と私の2人だけだった。

自分存在は何度も留年を繰り返す謎の男と同じ程度なのだと言われているようで苦しかった。

そして就活の時期を迎えた。

まず情報弱者だった自分は出だしからつまづいた。

講義室で聞こえる会話で周りが既にインターンというものエントリーしていることを知った。その後、焦って就活について調べ始めるものの、そもそも特にやりたいこともなく、また、特段興味がないものに対して熱意があるかのように見せられるだけの技量もなかった私は、悉くインターンにも落ちた。

志望動機経験(あまり好きではない語彙だが「ガクチカ」と呼ばれるもの)に嘘や誇張した内容を書くような人々を見下していたが、結局採用されるのは見下していたはずの人々だった。

奴らは汚いことをしているのだと内心見下すことで、倫理的には彼らより優位にあると思いたかったのだと思う。そんな卑屈さで小さなプライドを守ったところで、何一つ実利はなく、ただ不幸になるだけだということに気づけなかった。

その後、大学名の威光もあってか1dayのインターンには通ったものの、グループワークが中心の1日に馴染めるはずもなく、ひたすら透明人間を演じた上で、最後儀礼的に連絡先だけを交換して終わった。

同じグループの人は関関同立(関西ではそれなりの地位にある大学群)の同学年だったが、グループワークでのリーシップの発揮ぶりは私とは比にならなかった。社員の見る目も違っていた。もちろんその後を知ることはないが、きっと大手企業内定を得て働いるのだろうなと思う。

休みの会話で、高校は私と同じ地域にある偏差値50程度の私学であることを知った。指定校推薦大学に入ったらしい。

学業しか縋れなかった私は、恥ずかしながらも内心では関関同立を見下していたし、偏差値50程度の高校に行った人とは今後交わることすら無いものだとすら思っていた。卑屈な選民思想を持った自分が恥ずかしかったし、完全に下に見ていた人々にも逆転されたという事実を突きつけられたのはかなりショックでもあった。

後日講義室で聞こえてきた「1dayインターン意味がない」という言説を信じ、1度きりで申し込むのを辞めた。今思えば、傷つきたくないがために縋ってただけなんだろうな。人は信じたいものを信じるように出来ているとはこういうことなのだろう。

そうこうしているうちに、気がつくと本選考の時期が到来した。最終的に50社くらいはエントリーしたと思うが、全落ちした。

就活対策の本を立ち読みしたが、内容のバカバカしさに呆れて買うこともしなかった。ここで変な意地を張らずに素直に買って、その内容を再現できていれば結果は変わったのだろうか。正直そうは思えないが。

他にも面接対策をやっているサークルの一室を訪れようとしたが、室内の華々しさに気圧されて扉の前で踵を返してしまった。

あんな楽しそうに就活に臨んでいる人々はどうせ碌な結果を得られないのだと自分に言い聞かせて帰路についた。

ゼミ教授の勧めで留年することにした。

無職で世に放たれるよりは学生身分があった方がいいとの計らいだった。多分留年を繰り返していた彼も、同じような配慮留年を続けていたのだと思う。本当に有り難かった。

しかし翌年の就活も失敗した。諦めて卒業した。

結局、面白くもないyoutubeを観ていただけの1年だったと思う。観ていた動画の内容すら思い出せない。

卒業の翌年、公務員試験を受けることにした。

勉強だけは出来たのだから学業勝負するのが自分にとって最適な戦略だと今更思い至った。

予備校に通い勉強をしていた。数年振りに自分の得意分野で勝負ができて、純粋に楽しかたことを覚えている。

筆記試験には合格したが、その後の面接(厳密にはこれも試験という名前ではある)で落ちた。

国家だけでなく、地方すらも落ちた。

周りを見るに自分と同程度にはコミュニケーション能力が疑わしい者も散見された。少なくとも就活面接では考えられないほどにレベルは低かったと思う。それでもダメだった。

いよいよ俺に出来ることはないんだろうなと深く絶望した。

無職の悪いところだが、時間だけは無限に持て余しているせいで、絶望的な場面が何度もリフレインしてしまう。

あの時こうしていたら…という後悔があまりに多すぎる。

どこが俺の人生の岐路だったのだろうか。

どうしていれば俺はこうならずに済んだのだろうか。

1年引きこもってもその答えは出せずにいる。

何度考えても、命を絶つ他にないんだろうなとは思うのだけれど、それにしたってどの選択を取っても両親に多大なる迷惑をかけるんだと思うと踏み切れない。

ここまで育ててくれて、何も言わず無償の愛を注いでくれた両親に、最期に出来ることは何かないだろうか。

こう振り返ってみても、本当に家庭環境も含め、両親には恵まれ人間だと想う。だからこそ、その結果がこのザマで本当に情けなく、申し訳ない。

せめて迷惑だけはかけずに、ただ俺1人だけが苦しむだけで済むような方法を取りたいとは考えているが、それすら踏み出せないのかもしれない。

ここまで読んでくれて本当にありがとう

想像の通り俺に友達なんてものは1人たりとも居ないし、今まで生きてきた人生も、今まで抱いた感情も誰にも共有できず、誰の記憶にも残らずに終わったんだと思う。

その意味で、誰か1人でもこれを読んで、誰かの記憶に少しでも残ることができたかなと思うだけで、なんとなく心が軽くなった気がする。

増田があって良かったよ。ありがとう

anond:20230709120331

暇なんでマジレスしてやるがオマエが悪い。

不器用にも程がある。

 

まず外国人特にベトナム人の扱い方が間違ってる。

外国人は別の文化常識価値観を持っていることに不見識すぎる。

ベトナム社会主義儒教

指揮命令系統には愚直だがナメていい相手はとことんナメる。

日本人常識は通じないの。

オマエはベトナム人に対して上司であり昇給や配置などの決定権を持っていることを誇示しなきゃならない。

威張って堂々とな。

目下目上を明瞭にして上から目線で接しなきゃダメなの

謙譲、謙遜なんて日本文化通用しねぇの。

あと仕事の指示、文書で出したか?口頭指示なんて誰も聞かねぇよアホか。

あいつらマニュアルを出せばそれには素直に従う。曖昧な口頭の指示は縛りがないものしか認識されない。

かつご褒美とペナルティきじゃないとダメ

 

反省文もダメ。アホ。

あのな、社会は建前で回ってるの。

本人の素直な反省なんてものは誰も求めてない。

書面体裁が整えばいいの。管理会社人間は「下から書面を取った」って事実エビデンス付き(反省文)で「残す」ことにしか興味が無い。ようは管理会社責任者責任逃れの体裁を整えてやればいいの。

テンプレ反省文をコピペで作ってせいぜい本人にサインさせるだけでいい。

儀礼手続きに過ぎないの。

 

中年男と会社に対するスタンス、考え方もダメ

なんでオマエは職務職責以上の責任を取ろうとするのだ?

今の世の中は責任ボールを互いにぶん投げ合う時代なの。

受け取ったボール他人に放り投げるか、投げ返すか。

オマエは方方から放り投げられてくるボールを素直に受け取っちゃってるの。無駄

どんだけ不器用なんだ。

 

クレームが来たら会社に「ちゃん教育した人間を寄越せ」と文書メール)で放り投げるの。

教育はオマエがせぇと返されるだろう。

「それは俺の仕事では無い」「他人教育をするスキル教育を受けてない」って意味の返事をぶん投げる。

アホみたいにそのまま書くなよ。

やんわりとだがそう解釈せざるを得ない、自分責任を負いませんよというサジェスト込みの文書を書くの。これ社会重要スキル

念のために「他人教育をするスキル教育を受けてない」を補足しとくぞ。

職能ってのはまず雇う時に雇用者が見極める責任がある。

オマエに他人使役する能力があるかってのも含まれるわけだが、それが欠けているならその職能を取得させる教育投資をするのは会社責任なの。金がかかるの。

労務管理職向けの研修なり、教育なりが必要なの、

どうせそんな教育プログラムも無い零細企業だろ?

そういう会社ならそういう会社で生き延びるスキルも身に付けなきゃならない。

 

で、たか仕事くらいで鬱るな。

無責任でいいんだよ。

責任持った生き方しろ、なんて道徳を叩き込まれたんだろうが、あんなもん人を都合よく使いたい支配者の戯言だ。真に受けるな。

頑張れ。賢く生きろ。

 

清掃会社人材不足マジでヤバい、の本題とはズレるが気になったんでな。

2023-07-02

ライ麦畑でつかまえて読み終わった

何度も読もうとするたびに最初20ページ位で脱落した。村上春樹翻訳版に変えたら結構スラスラ読めた。

中本タイトルに関する部分が出てきたけど、全然ライ麦畑でつかまえて」じゃなくて「キャッチャーインザライ」だった。

主人公はどうしようもないくせにベラベラ口ばかり回って、なのに結構気軽に数年ぶりの知り合いに電話とかしちゃう動力があるところがちょっと周りにいる特定人物と重なった。

どうしようもないかあんま人に相手されないんだけど、最後パートはずっと妹に受け入れられてる感じが良かった。

しかしまあ何というかすぐ電車乗って自分のことを誰も知らない土地に行こう…とか言い出すところがなんかアメリカっぽいなと思った。

結局行かないんかい!とも思った。

読み終わったところでどうしてこんなに有名なんだろうと思ってamazonの本の紹介文を読んでみたら、

「おとなの儀礼的な処世術やまやかしに反発し、虚栄と悪の華に飾られた巨大な人工都市ニューヨークの街を、たったひとりでさまよいつづける16歳の少年の目に映じたものは何か? 病める高度文明社会への辛辣批判を秘めて若い世代共感を呼ぶ」

とか書いてある。そうでもないだろ。主人公も割とやばめだし。

そんな感じ。

2023-05-29

anond:20230529114024

宗教の3要素は「信念」「儀礼」「共同体」であり、

・信念:「正しい」コーヒー規定している。

儀式ドリップ機器と手順をしずしずと踏襲する。

共同体:淹れ方の流派ごとに実践を行う。

ということから、これらの強さ次第では宗教性があるといえる。

宗教に似ているという直感は案外妥当性がある。

2023-05-25

anond:20230525225128

プレゼント伝統的には女性の方が責任を取らされる立場で、

儀礼的なプレゼント、例えば中元歳暮の類を用意するのは女性役割、それが夫の関係者のものだろうとな)

非常識ものを贈ったら叩かれるのも勿論女性からこそ

女性子供のうちから母親に「贈り物をする際の常識的マナー」的なものを厳しく躾けられるし、

本人も社会で生きていくに当たってそういう知識必要という意識があるから知識が身についている人が多く、だから女性恋人へのプレゼントもあまりさないが

男性は「贈り物のマナーを身につけなければならない」という文化感覚もなくそういう事を学ぶ機会も少ないか

恋人へのプレゼント非常識ものを贈ってしまうんだよね

店選びも同じで、非常識な店選びをしたら叩かれることが多いのは女性の方だからこそ

女性はそういった常識を身に着けている(身につけなければ社会的に生きていけない)けど

男性は身につけなくてもいいとされているか非常識な店選びをしてしま

全部逆なんだよなあ

男性は贈り物とか店選びについて社会的な責任がないから平気で女性に変なもの贈るし変な店に女性を連れていく、

そもそも「好きな女性口説く」時くらいしかそんな事を求められない、ってのもある)けど女性責任があるからそうではない

以前電通だかの人の接待ノウハウホッテントリにあったけど、男性でもああい仕事をしている人なら知識があるし女性相手でも変な事はやらかさないだろう、

でもそういう仕事をしていない男性知識ゼロでも社会的に死なずに生きていけてしま

2023-05-16

anond:20230516113440

それなら「一呼吸おいて、右を見て、左を見て、もう一度右を見てから渡りましょう」と教えれば十分ですよね

そこに守らなくてもいい余計な儀礼を追加するから本当に守ってほしいことが曖昧になる

2023-04-30

anond:20230430090618

沖縄通夜儀礼「ヌジファ」に見るマブイ】

沖縄の人々は生きている体の内には、その行動や心を司る霊魂、つまりマブイがあると信じています

さらに人の体のなかに宿るマブイは複数あるとされ、マブイを数える「イチマブイ(五マブイ)・ナナマブイ(七マブイ)」の言葉であるほどです。

https://oki-memorial.org/column/okinawawakeseremony0505

2023-03-23

はてブってバカの底が抜けてない?

岸田からゼレンスキーへの儀礼的な贈り物と支援物資混同してごちゃごちゃいうてるコメントがいっぱいあるのを見てそう思った

2023-02-01

anond:20230201135611

年収の高い男は、実家年収が高い傾向があり、夫側の実家の毒っ気も薄い

これだけは相関関係いから気を付けた方が良いよ

年収が高いと実家が厳しくて家柄や儀礼を気にするってのは超あるある

2023-01-10

anond:20230110101127

それをやるインセンティブがないからな

アホな話だが例のサッカー場とかの日本人ゴミ拾いとかも別の国だと起きにくいだろうし、単に社会構造とか何が賞賛されるかっていう違いからくる問題で、結局アメリカ人日本人も巡り巡って自分に得があるかどうかで判断してるはずなのに、半端に金が絡むせいで文化的儀礼がどうとかアホなこと書いてる奴らおるしなぁ

郷に入っては郷に従えってのもわかるんでそれくらい払えよっていうのは俺も同意だが払わんやついるのも分かるやろ普通に

anond:20230110100423

相手は死んでるんだから香典払う意味がない、とか言わねーだろ。

 

文化儀礼ってそういうもんよ。無意味でもやることに意味があるの。

2023-01-01

あけましておめでとう

年が明けるのは何がおめでたいのかわからなくなってきた。

自然な時の流れではないのか。

こういった儀礼的なものにツッコんではいかんな。

2022-12-30

親がやっていた宗教文化的儀礼に背くと罪悪感を感じることがわかった

たとえば初詣初詣めんどくせーし行かない、ってやると自分は正しいことができない悪いやつだという感情が生まれ、罪悪感を感じることに気づいた。めんどいから歯を磨かずに寝てしまおう!みたいな小さな罪悪感。冷静に考えたら初詣って思いっき宗教的文化的行為から神道仏教も信じてない自分が行かない大義はある。そう考えると罪悪感は消えて心が楽になったのだが、あーこうして宗教倫理を形作るのかなあ、と思ったりした。

謎の宗教上、文化上の風習のために大の大人がわざわざ苦労しにいく例は世界中にあって、不思議だなあと思ったりしたが、きっと彼らも親に教えられた生き方をなぞって自分は正しいことをしているという実感を得ているのだろうな、と思った。

2022-12-13

anond:20221213132016

統一教会の件で自民が叩かれるのは当たり前では?

これはウヨサヨ関係ないし、はてなだけの現象でもない。

2022-12-06

anond:20221206220158

ささやかなでも人とつながる機会を維持しておくのが大切、という話には全面的同意する

ただそれが年賀状お歳暮という慣習・儀礼である必要は無いかなという感じ、自分

ゲームSNSの年越しチャットとか割と大事にしてる

2022-11-26

anond:20221125140153

野球場にも反対事例があるよ、と騒いでるバカ複数人居るが、同じ1例しか出せてないし、賛成多数で決まった予算議決に反対しただけじゃねーか。予算議決儀礼的に反対したじゃあ、反対運動したうちに入らんな。

そういえば、静岡県に380億円くらいかけて新しい野球場を作ってプロ野球試合や2軍チームを招聘する話があるが、共産党がノーリアクションだな。

twitterあさるとサッカーファン共産党幹部に何でサッカースタジアムばかり反対するのか問い詰められたが「それは反対活動をしてる個々の議員説明すべき」と逃げてたな。左翼の人がよく使う言葉だが「説明責任を果たしていない」。

税金ガーというが、それだと野球場陸上競技場の新設も同じ問題があるし、例えば日ハムの新スタも10年間固定資産税減免という形で事実上税金投入が行われる。サッカーだけ態度が違う。

サッカー試合日本人の大半が同じ方向を向くのが嫌なのだが、表向きそんなことは言ったら自分達は反日だと自白するようなものから税金ガー理論を使って反対運動してるだけなんだよ。税金の件は目的ではなく手段に過ぎない。

2022-11-17

anond:20221117054344

おうはよ事実関係新井市議の人物評の確認もせず草津セカンドレイプの町扱いした連中は町、町長、町民に謝罪せーや

口先だけとかちょこんと頭を下げるだけで済む話じゃねーし焼き土下座なんてニューカマー技法でもねーぞ

幸い日本には深い謝罪の念を示すのに最適な儀礼があるから

儀礼に従ってきちんと腹を十文字に掻っ捌き、自分介錯せーよ

2022-10-25

anond:20221025101514

胡耀邦さんが民主的で偉大な人だったからな

その愛弟子である胡錦涛さんもそのマインドを受け継いだのだろう

オープンマインドだった 胡耀邦趙紫陽時代藤村 幸義)2011年4月

最近中国経済発展こそ著しいが、自由闊達雰囲気はあまり伝わってこない。それどころか政治民主化は遅れ、メディアへの規制は強まるばかり。経済面では国有企業勢力が再び増している。なにか時代に逆行している印象もある。

これまでの経済発展方式を転換すると言いながら、実際には大胆な改革に踏み切れずにいるのも歯がゆい改革・開放政策に着手してから30年余り。中国はいまいちど、この政策に着手したころ、胡耀邦趙紫陽リーダーシップをとっていたころのオープンで溌剌とした雰囲気を思い起こす必要があるのではないか

胡耀邦に初めて会ったのは、北京空港だった。筆者が特派員として北京に赴任してまもない1979年の半ばころだったと記憶している。すでに前年末の党中央委員会議で、中央政治局委員・党中央宣伝部長への就任が決まっていたが、我々外国人記者の前には姿を見せていなかった。

背が低くて頭は三分刈りくらい、なんとも貧相な男が、突然筆者の前に姿を現した。にこやかに笑っている。すぐに、これがあの胡耀邦だと分かった。つまり、筆者が復活後の胡耀邦の姿を見た最初外国人記者だったのだ。気がついた他の記者たちが寄ってきて、たちまちのうちに人垣を作ってしまった。

胡耀邦経済シンポ開催を

その後はとんとん拍子で出世していく。1981年6月に華国鋒のあとを継いで党主席就任した(1982年9月には党主席制の廃止に伴い、新しく導入された総書記就任)。

筆者がその自由闊達な人柄に直接触れたのは、1984年6月、日本経済新聞社人民日報との交流スタートさせ、北京取材代表団を送り込んだ時だった。人民大会堂で、胡耀邦と会見するチャンスを与えられた。初めて会った時の貧相な感じは消え、頭髪も長く伸ばし、威風堂々としていた。

中国首脳との会見では、相手側に一方的に喋りまくられ、こちから質問するきっかけを作りにくいのが通例だった。しかし我々は違った。儀礼的なあいさつは最小限にとどめ、日本経済新聞社の初代北京支局長だった鮫島敬治氏と筆者がタッグを組んで、次々と質問を繰り出した。

これに胡耀邦も応えてくれた。会見は予定時間を大幅に超え、1時間半にも及んだ。「今後10年間に外国から500億ドル外資を導入してもいい」と、手に持った鉛筆を振りかざしながら、対外開放に積極的姿勢アピールした。

このやりとりがよほど気に入ったらしい。最後胡耀邦は、同席した人民日報の秦川社長の方を向いて、「ことし秋に人民日報日本経済新聞が共催してシンポジウムを開くように」と指示したのだった。秦川社長も驚いた様子だったが、すぐに同意し、その場で日中経済シンポジウムの開催が決まってしまった。

かくて1984年11月に「中国の対外開放政策日中経済技術協力」をテーマにした日中経済シンポジウム北京で開催された。筆者は当時、国際部デスクだったが、数カ月ほどその仕事を離れ、シンポジウムの準備にかかりっきりになったのを覚えている。シンポジウムパネリストには、いま日本航空再建に采配を振るっておられる稲盛和夫京セラ社長(当時)にも加わってもらった。

シンポジウム終了後には、胡耀邦と再び会見できた。年に2回も会ったことになる。メディア単独で年に2回も中国首脳と会えたというのは、異例中の異例だった。

胡耀邦はこの時、韓国との直接貿易について「南北交流の進展を見ながら」との条件付きながら開始を示唆した。いまや中韓貿易は大きく発展しているが、当時としてはかなり大胆な発言だった。我々との2回目の会談胡耀邦も気を許したのかもしれない。

胡耀邦は1987年1月に総書記を解任されるが、日中経済シンポジウム継続され、1988年11月北京で第3回目が開催される。この時に会見したのが、胡耀邦の後任として総書記就任した趙紫陽だった。

●会見でビールを飲んだ趙紫陽

趙紫陽胡耀邦に負けず劣らず、あっけらかんとしていて、オープンマインドだった。ブルジョワ的との批判を恐れずに、いち早く背広を着こなし、ゴルフ場にも通った。

ある時、明の十三陵近くのゴルフ場趙紫陽とばったり顔を合わせたことがある。アウトの3番か4番だったろうか、ゴルフ場スタッフが駆け込んできて、「中国の偉い人がプレーするので、ちょっと待っていてほしい」と要請された。しばらくすると、趙紫陽がパターを手にしてやってきた。せっかちな仕草で、最後までボールを沈めずに、次のホールへと移動していってしまった。

会見では終始、ハイテンションだった。すでにこの頃になると、批判勢力攻撃さらされ、趙紫陽政治立場はかなり苦しくなっていた。会見が始まって間もなく、趙紫陽付き人ビールを持ってくるように要求した。外国人との会見で、中国首脳がビールを飲むというのは、おそらく前例のないことだろう。約1時間の会見中にコップ2杯を飲みほした。ビールに力を借りなければ、思い切ったことも言えなかったのであろうか。この会見の半年後に、趙紫陽天安門事件からんで失脚してしまう。

改革に前向きだった両首脳

胡耀邦失脚の際に、日中経済シンポジウム開催を独断で決めてしまたことが失脚の一つの理由になった、との報道もあった。しかしその後もシンポジウムは隔年開催で続けられ、日中交流の促進に役割を果たした。

胡耀邦趙紫陽ともに、中国の古くから悪弊を取り除き、新しい枠組みを作り上げようと一生懸命だった。やや性急なところがあったにせよ、常に前向きの姿勢を失わなかった。

中国はいま、経済成長の維持、インフレ抑制投資から消費中心への構造転換、という3つの難題に直面している。ところがこの3つの中で、どうしても優先しがちなのは経済成長の維持である。国際金融危機に際しても4兆元という巨額の財政投入によって、成長率を維持しようとがむしゃらになった。

その結果、GDP日本を抜いて世界第2位となるなど、世界から大いに注目を浴びたのだが、半面でその後遺症ともいえるインフレに手を焼いている。ましてや、投資から消費中心への構造転換になると、対策が後手に回りがちで、ほとんど効果をあげていない。胡耀邦趙紫陽のあの改革へのチャレンジ精神いまいちど、思い返すべきだろう。

特に胡耀邦清廉潔白なことでも知られていた。昨年4月、人民日報温家宝首相執筆した、胡耀邦評価する論文掲載している。その中で温首相は、「70歳を過ぎた胡耀邦が、食事睡眠時間も惜しんで人々の暮らしぶりを知ろうと、対話などに努めた」と胡耀邦地方視察に同行した時の思い出を披露している。暖房が効かない宿舎に泊まって風邪をひき、高熱を出したが、それでも仕事を続けたという。胡耀邦がいま存命ならば、腐敗・汚職蔓延している最近中国政治に何と言うだろうか。

ふじむら・たかよし 1944年生まれ 67年日本経済新聞入社 北京特派員 論説委員などを経て2000年退社 現在 拓殖大学国際学部教授 著書に『老いはじめた中国』(アスキー新書)『中国の世紀 鍵にぎる三峡ダム西部大開発』(中央経済社)など

2022-10-19

魔力を有する性器、その他の話

女性が陰部を見せることで魔を祓う」という伝承に関する、本しゃぶり(honeshabri)さんのエントリ拝読したので、それに便乗して、思い出した雑多なことを書き残す。先に断っておくが、かなりくだらない話が多い。

中田雅喜(なかた・あき)という女性漫画家がいるのだが、彼女代表作の一つで、80年代に成年向け雑誌漫画ブリッコ』に発表した連載作品を一冊にまとめた『空は女の子でいっぱい』というタイトル単行本がある。作品のものの別名は『真・ダ○ボ』シリーズとも言う。伏せ字にしても意味が無いような気もするが、とりあえず○ィズニーが怖いので、形式的に伏せ字にしておく。

○ンボと言えば、耳が普通の象よりも大きくて、それで羽ばたいて飛行することが出来る、子象が主人公物語である

この『空は―』の主人公である少女も、身体の一部が通常の人間女性よりも大きく、それによって羽ばたいて空を飛ぶことが出来る。ただし『空は―』の主人公の巨大な身体パーツは、耳ではなく陰唇である

念のために再度言っておくが、作者の中田雅喜女性である

ある日突然、X-MENミュータントのように陰唇が○ンボ状態になってしまった主人公女性に悪さを働く暴漢を巨大な陰唇で退治したり、人類から差別迫害に立ち向かったり、同じダ○ボ族たちと巡り会ったり、ダ○ボ族と人類戦争が起きて巻き込まれたり和睦したりと、奮戦する主人公の姿と、普通少年との淡い恋の行方。これら全てを描き切った一大ファンタジックSFエロチックコメディ絵巻である。念のために言うが、嘘は言っていない。ろくでなし子以前に、ここまでポップに女性器を強調したキャラクター創造したクリエイター存在したことは、日本アート史上に記録しておいてよいであろう。

この最高に馬鹿げた漫画執筆した切っ掛けが果たしてどのようなものであったのか。それは、同じ作者によるエッセイ漫画『純情ももいろ日記』に経緯が描かれている。

この『ももいろ―』についても説明すると、現在でこそ、女性漫画家性愛などについて赤裸々に語るエッセイ漫画自伝漫画のような作品は、決して珍しくもないが、中田による『ももいろ―』は、そのようなジャンルの先駆的作品である日本漫画史上、もっと高い評価を受けて然るべき作品であると、個人的には考えている。

ももいろ―』の内容も少し紹介する。例えば、成年向け作品執筆に関して、誌面では最終的にボカシで消されるとはいえ、生原稿では性器を描かざるを得ない。他にモデルもいないし仕方が無いので、作者である中田雅喜は、自身彼氏性器の実物を見ながらスケッチしたという。そういったユーモラスなエピソードの数々が『ももいろ―』では、ポップで可愛らしい絵柄で描かれている。ちなみに、性器スケッチモデルにもなった彼氏は、後に中田雅喜結婚して夫婦になるのだが、漫画で描かれている外見的な特徴を見れば、彼氏の人の自画像そのままなので、誰なのかは一目瞭然である。よく本人がオーケーしたな……。器が大きすぎる……。ダ○ボだけに。

それで『ももいろ―』によれば、若き日の中田雅喜は、隙間風が吹く風呂無しアパート暮らしており、冬の寒さに難儀していたため、ガス湯沸かし器を購入する資金が欲しかった。ちょうどそんな時に、知り合いの編集者が成年向け雑誌仕事を持ってきた。その依頼を受けたことが切っ掛けで、中田は成年向け作品執筆するようになった。そうして傑作『真・ダ○ボ』シリーズが生まれた。なお、中田雅喜は、無事にガス湯沸かし器を手に入れたそうである

成年向け雑誌仕事中田雅喜のところに持ってきた、その編集者とは、何を隠そう「オーツカ某」である。この呼称を覚えている人がいたら、その人は若くない。これは、現在大塚英志である大塚英志といえば、千葉徳爾宮田登の教え子であり、その学問的な素養を活かして『北神伝綺』『木島日記』『黒鷺死体宅配便』など数々の傑作を生み出した人物でもある。当時オーツカ某だった大塚英志が、漫画『真・○ンボ』の内容にどれほど寄与していたのかは定かではないのだが、もしかしたら民俗学神話伝承などについて学んだ経験を活かして、アイデア中田雅喜提供したりしたのかもしれない。何か情報を知っている人は、教えて下さい。

かなり前置きが長くなったが、ようやく神話伝承話題に繋がった。中田雅喜の『真・ダ○ボ』では、物語の終盤において「牙が生えている性器を持つ、女性の姿をした怪物伝承」「自らの手で牙の生えた性器を広げる女性の姿を描いた石像」について言及される。そして「この恐ろしい怪物に関する人類伝承は、遠い未来に遭遇する運命にあるダ○ボという異種族に対する、未来記憶による恐怖の産物だった!」という話になる。分かる人には分かると思うが、これは勿論、アーサー C. クラークSF小説『幼年期の終わり』が元ネタパロディである

さて、牙の生えた性器を持つ女性神話伝承については、金関丈夫が「Vagina Dentata」と題した論文(岩波文庫木馬と石牛』に収録)で、台湾東南アジアなどに分布するもの特に詳しく紹介している。この神話は、日本列島にも存在する。

この神話群は、おおむね次のような内容である。「昔、とても魅力的な女性がいて、大勢の男たちから求婚された。しか結婚しても、初夜に夫が死んだり逃げ出したりして、夫婦生活は長続きしなかった。その原因を調べてみたところ、彼女性器に牙が生えていて、夫の性器を食い千切って死に至らしめることが判明した。その牙を抜いたり砕いたりすることで、彼女普通女性となり、新たに夫を迎えて幸せに暮らすことが出来るようになった(バリエーションとしては、単なる怪物として退治されて死んだといったもの存在するようである)」

この物語典型の一つが、江戸時代奉行根岸鎮衛(ねぎやすもり)の著した雑話集『耳嚢(みみぶくろ)』に収録されている「金精神(こんせいじん)の事」と題する一篇である。これは、津軽で「カナマラ大明神」と称して祀られていた、黒銅(黒鉄)で作られた男性器型の御神体について、その由来を聞き書きしたものである

この由来物語でも、やはり、牙が生えた女性器を持ち、それが夜の夫婦の営みの際に夫の性器を食い千切って死に至らしめるために、結婚しても夫婦生活が続かないという女性が登場する。その悩みを聞きつけた或る男が、この女性結婚を申し込んだ。そして迎えた初夜、新しい夫は、自らのものを初めて挿入する代わりに、まず黒銅で作った男性器を妻の性器に挿入した。すると牙の生えた女性器は、黒銅の男性器に噛み付いたために、牙が砕けて全て抜け落ちた。それ以後、女性普通女性となり、つつがなく夫婦生活を送った。その時に夫が用いた黒鉄作りの男性器が、後に神として祀られ、今のように崇敬されるようになったとの由。

古今東西神話呪術において、男女のいずれの性器も、生命力呪術的な力の源泉として神聖視される事例が数多い。その中で特に女性器は、妊娠出産による人間誕生という重要役割を担うことから生命象徴のものであった。しかし、それとは対照的に、Vagina Dentata神話で描かれている女性器は、牙を生やしていて、生命を生む存在ではなく、むしろ奪う存在である。これは、陰唇と口唇の形態的な類似と、性行為時に男性器を受け入れるという機能から男性器を喰らう女性器という発想に至ったと考えるのが自然なことであろう。けれども、それだけではないように思われる。

Vagina Dentata神話根底には「生命を生み出す魔力を持つ女性には、それと表裏一体のものとして、生命を奪う魔力もまた備わっているのが当然である」とする、呪術的な発想もあったのではないだろうか。ニギミタマ、アラミタマという言葉が示すように、聖なる力は、好ましい側面だけでなく、同時に好ましくない側面や荒ぶる側面を併せ持つとされることも多い。聖なる力が人間の役に立つ時には「カミの力」とされるし、人間に害を及ぼす時には「妖怪の力」とされる。こういった「カミと妖怪の間を振り子のように行き来し、変貌する超自然的な存在」という妖怪の有様は、京極夏彦作品に多大な影響を与えたことでも知られる妖怪学者小松和彦著作で、詳しく論じられている。女性器の神聖性に対して人類が抱いた、善悪判断を超越した畏怖の感情。それがVagina Dentata神話には残されているのであろう。

もう一つ。生命力の源泉という呪術役割を巡る主導権争い、すなわち、女性原理男性原理との間に生じた闘争対立記憶を、Vagina Dentata神話は今に残して伝えているのではないだろうか。『耳嚢』の金精神(こんせいじん)についての伝承は、生命を生むための呪術的な過程において、vaginaを重要視する女性原理から、phallusを重要視する男性原理が、地位や主導権を奪ったこと、男性原理の側から見た勝利記憶を留めているのではないか。牙を失い、呪われた存在ではなくなった女性器は、その代償として呪術的・超越的な力を失って馴致されたとも読める。

しかしまた、こうも考えられる。生命力の源泉としての呪術的な力は、女性原理場合女性器の妊娠出産の力として発揮されるが、男性原理場合男性器の種付けの力として発揮される。その一例として、田植え神事において、男性器を模した御神体田圃の泥土に突き刺し、稲の豊穣を祈願するという儀礼存在するという事例が挙げられる。金精神(こんせいじん)の由来物語も、新たな生命創造する過程である男女の営みの中において、生命の根源に係る呪術的な部分で、男性原理の種付けの役割にも"平等に"重きが置かれるようになったことを示しているとも考えられる。そう考えるならば、つまり精神(こんせいじん)の由来物語とは、男女双方の原理二人三脚でなければ、人間生命を生み出す呪術的な力を得ることは出来ない、女性原理だけ或いは男性原理だけでは決して呪術は成り立たないのだという「男女の共存和合を説く物語」だと解釈することも可能である対立征服物語として捉えるよりは、そのように考えた方が、建設的で平和的なのではないだろうか。

ところで、魔を祓うのとは少し違うが、男性器もまた、困難時に着衣を脱いで曝け出すことで窮地を脱するための呪術的な行為とするという事例がある。例えば、猟師が山で迷った時に、勃起した陰茎を山に向けて見せれば、山の神(女神)が喜び、その男性を助けて無事に下山させてくれるという伝承がある。

また一方で、女性器にも似たような発想の伝承がある。田植えをする時に女性和装下着を着けていないと、丸見えの女性器を田の神(男神)が見て喜び、田植え作業が早く進んで終わるように手伝ってくれるという伝承がある(そういったエロ話をしながら、田植え作業に勤しむ農村女性たちの活き活きとした姿を、宮本常一が記録に残している)。

このように性器を曝け出して超自然的な存在に祈願する人間の姿は、文明化した我々現代人の目から見れば、大らかではあるが、馬鹿馬鹿しく滑稽に映る。しかし、自らの肉体の恥ずかしくて重要な部分を曝け出すことができるというのは、相手が神(カミ)であろうと人間であろうと、それを捧げる対象に全幅の信頼や愛を抱いていなければ出来ないことであり、ある種の真摯さや敬虔さの証となる行為でもある。そう考えると、男女間の異性愛だけに限らず、全ての性愛行為根本において、信頼や愛が何よりも大切であるとされることの原点が、これらの呪術行為図像には秘められているとも言えるであろう。

そう考えれば、魔力を持つ性器を曝け出すという古来の伝承図像、それらの子孫として現れるポップカルチャー的な表現は、単にこれらを面白がるだけでも全く構わないとは思うが、改めて見つめ直してみれば、案外と我々現代人が真面目に学べる何かをも多く含むのかもしれない。

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過去駄文こちら。

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2022-10-16

anond:20221016214920

お、もうこんな時間か。

ご飯、どうしよ。一緒に作らせてくれるん?それとも今日は○○ちゃん手料理、完全に任せちゃっていいの?

(増田価値観では事前に献立決め~買い出しとかあるだろうし,儀礼としてという感じでだが)

ありがとう。じゃあ敢えてなにも手伝わず座って待たせてもらうわ。

~~30分~~

出来たの!!うわ、ありがと。こんな早く作ってくれるなんて仕込みとかもしていてくれた感じなのかな。

炒め物、いい匂いしてる。食べていいの?いいに決まってるかw冷めちゃうもんね。

いただきます。あーー、美味しい。うん!ありがとう

そういえば、味噌汁くらい俺が作ればよかったね。

ん?ほら、俺味噌汁とかスープつくるの得意だしさ。それと何か副菜とか添えると御膳ぽくなってテンション上がるしw

あ、なんか言ってたらなんかちょっと腹減ってきちゃった。もう一皿何かおかずとか副菜って頼めたりする?

豆腐さんきゅー。豆腐とか卵ってそれだけで一品増えて本当美味しいよね。

・・・

ごちそうさま!美味しかった、ありがとう

じゃあまた次は俺が作るよ。何が食べたい?

酢豚が好きって言ってたよね。じゃあ、米、酢豚ひじき、白和え、漬物スープとかでいい?

ごちそうさま、じゃあ食器俺が洗うね。

望ましいやり取りってこんな感じ?

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