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はてなキーワード: 儀礼とは

2019-04-02

メールの書き方云々言うよりも

変に儀礼的な慣用文廃止してほしい

ダイレクトに用件だけ伝えれば十分でしょ

2019-03-31

anond:20190331003336

ソープ:本人が恋愛関係になってエッチしてるから売春ではない。

握手会:売ってるのはCD握手は社交儀礼上のお礼行為にすぎないので、風営法には該当しない。

だってさ。

2019-02-24

anond:20190223150633

しか会社学校は非常によく似ている、上下関係同調圧力意味があるのかわからない儀礼義務……などなど、ほぼ同じだ。

しかし、決定的に違う点が一つある

利益追求」という考え方の有無だ

学校では、生徒は先生命令に従って行事に参加させられたり勉強させられるだけで、「学校のために利益お金)を生みだせ」とは言われない。

生徒が何かポカをやっても、たいていは先生または先輩に殴られるだけで終わる。

会社ではそうは行かない、何か所属組織利益損失になることをやると、自分給与から弁済させられたり、即座に組織から追放される

一定以上の勤続年数があれば、素行が悪くても利益を上げている人間なら許容される

学校運動部が勝とうとするのは利益追求に似ているが、直接お金に結びつく行為ではない。むしろお金がかかっていれば選手健康を重視して体罰や無理な練習制限するだろう

逆に言えば、会社では営利精神論を天秤にかけたとき経営者営利に反すると判断した問題改善される余地があるが、学校ではそれが改善されない

そーいう意味では、学校内で生徒に「そんなんじゃ社会通用しないぞ」とドヤ顔してる教師の方こそ、非合理的精神論に陥っている場合がある

・・・ただし言うまでないが、個々の会社ごとの差も大きい

経営者スピリチュアルにハマっている場合など、利益度外視して精神論を重視する会社存在するが、それは会社存在目的としては本道ではないね

2019-02-20

anond:20190219221003

ここで話題になっている「挨拶」ってのはまあ、コミュ障社会参加させるために型にはめた儀礼であるわけで、場の状況に臨機応変対応できないようなコミュ障というかある種のメンヘラは、挨拶がないと不快になったりするのだろうと推測してる。

2019-02-05

日本では論理は疎んじられている。

キリスト教ユダヤ教の神はロゴスの神であり、論理を重んじる。

イスラム教の神は、キリスト教ユダヤ教と同じ神だが、むしろ商人の神として論理を重んじる。

共産主義国は、宗教ではなく科学を重んじるので当然、論理を重んじる。

仏教には宗教として理論はあるが、その理論論理的思考を否定している。

神道には宗教としての理論すら幼稚なものしかない。

儒教古代権威主義であり、礼という過去儀礼と仁という温情を重んじ、論理を軽んじる。

まり日本には論理を重んじる思想的背景がない。

韓国も同じ。

2019-01-29

葬式不要

葬式BGMを考える増田を眺めていて、BGM遊びでさえ葬式不要論が出てきて、まぁはてならしいと言えばそれまでだが。

確か数年前、業者に頼まず自分で親を見送った増田レポートがあった記憶があるが、ああいものはあれでいてかなりシステマティックに世の中の仕組みができていて、業者に依頼しない=仕組みに乗らないで遺体を焼くのは割と面倒そうだった記憶がある。

この頃は葬式業者もお手軽パックもあるみたいだが、何だかんだでそれなりにしようとなるとお得感が無くなる、オプションなしだとかなり質が下がるという話もあるし、それほど簡単ではないかもしれない。まぁ彼らも商売から阿漕だなとは思うが仕方ないだろう、商売とは基本的阿漕ものだ。

簡単に死んで簡単野ざらしになれればさっぱりして良いなと思うが、残念ながら妙なところで現代社会には「ある種の厄介さ」があり、それを良いことだとも思ってはいないが、ことに生き死ににかかる諸々は出来上がってるシステムに乗ると割と楽だし人と違うことをすると悪目立ちしやすいという困ったところがあるのだ。

増田は親を二人見送ったが、多少金がかかっても出来上がっているシステムで楽をする方を選んだ。

親のうちひとりは病気で亡くなったのだが、死ぬ前の1か月はだんだん意思が柔らかく緩くなっていき、元気な時は「葬式無用 戒名不要」とか「その辺に灰を撒いてほしい」とか言っていたが、最期の病床では墓のことなどをぽつりぽつりと言いだすようになった。家庭の事情が若干複雑で、ある墓を引き継がざるを得なかったのだがその引継ぎについて口が煩いだけの親戚から了承を取る必要があり、まだ元気なころは墓はつぶす葬式もいらんお前たちも家を継ぐなんて考えなくていい、など言っていたのが、私に煩い親戚からの墓引継ぎの了承を取ってほしいと頼んできて驚いた。元気なころは生まれ世代からしたら相当アナーキーな考え方をしていた人だったので、本当にいいのか、別の方法散骨など)も考えられるがと聞き返したが、それでいいんだ、と言っていた。もう死んでしまったので本意は分からないが恐らく「それで(お前たちが楽な方が)いいんだ」ということだったのだろうと思っている。

もう一人の親は自宅での突然死だったので、もう色々(警察が来たりする)大変で、そのまま業者に頼むほうが気持ちも体も楽だった。というか詳しい人が助けてくれるのが金払ってでも有り難かった。検死も必要だし死亡診断書がないと焼き場の手続きが進まないし焼き場の予約も混雑してたこともあり時間結構かかって、ボディが腐らないかという心配がかなり頭の多くを占めていた記憶がある。先に死んだ親が墓問題を己が死に引き受けたくれたおかげで余計なことを一つ考えずに済んだのがありがたかった。

検死の結果、自然死だったわけだが、病院で死なないというだけでこれだけ手続きが面倒になるのか、そして病院(や誰か看取る人がいる場所)で死なないとこれだけ面倒なのかとかなり身と心を削られた。オフィシャルに死なない(医者などが看取らない)ということは、誰かが疑いの目で見るということだ。警察などからしたら疑うこともなさそうなのが一目瞭然であっても念のため疑わざるを得ないし、遠巻きの第三者はそのような「念のため」をすっ飛ばして、残った我々に色々な憶測を割と無遠慮に投げつけてきたりすることもある。親族などに親の死を連絡をする時はこういうフレーズだと角も立たずこちらも苦しくないです、と教えてくれたのも面白く、ありがたかった。儀礼コミュニティにおける知恵が企業によりマニュアル化されている面白さ。

身内が死んで1か月ぐらいは、なんていうか、生きている側であるこちらも生死の境にいるようなところがある。頭が回らないし究極の非日常でもある。そういう「境目」にいると体の負担も心の負担もかなり大きい。

業者に頼むと大抵のことは業者がやってくれて、ご遺族様なんて様付で呼ばれて下にも置かない扱いを受ける。参列者がまばらになった通夜ぶるまいの席で親族や親の友人知人たちにお礼を言って回っていて、気が付いたらまる2日たいしたものを食べてないな…とごちそうの名残を眺めていたら、業者私たち「ご遺族様」用に別に美味しそうにきちんと整えられた食事を用意してくれていたのがありがたかった。まぁそういう気遣い商売なのだろう。

ふたり葬式にはそれぞれ彼らが生きていた時によく聞いていたCDを自宅から持ってきてBGMにしてもらった。

どちらの葬式業者葬式会場で行ったが、通夜の日から翌日の夕方に骨壺になって帰ってくるまでの1日半程度は葬式会場がベース基地になる。勝手の分からないベース基地で、言葉は悪いが良い感じの時間つぶしが必要だった。スマホはてブなんかは、やはり見る気にはなかなかなれない。SNSも、動画サイトも、自分たち大人はもちろん、子供たちもあまり見たい感じではない様子だった。休んでいる間の仕事のやり取りでメール電話をしても、なんていうかしんどい確認メールを1本入れるにも、気持ちを整えて橋を渡ってまた橋を渡って戻ってくるというような隔絶感があった。

TVも置いてあったがこれもやはり見る気になかなかなれず、そしてクタクタのはずなのだがちっとも眠くならない。通夜番(とはいえ線香も一晩通して火が消えない蚊取り線香のようなぐるぐるした線香があったり(仏式です)と番をするような必要もないのだ)で残ってくれたごく親しい身内親族いたこともあって、ふと思いついて実家に一度戻って、親が好んで聞いていたCDを何枚か持ってきて、会場の音響設備を使わせてもらって聞いてみたら良かったのだ。

親と趣味を共有していたからということもあるが、この曲好きだったねとか、このCD家族ドライブに行くときはいつも持って行ってたよねとか、そういう話ができたのも良かった。そしたら業者がお好きな曲を流せますと言うのでそのまま持ってきたCD葬式にもかけてもらった。見送られる人も、そして何より見送る人も聞きなれた音楽が流れてたのは思いのほか、久しぶりに肺に空気が入ったような悪くない感じだった。

この辺はただの好みの問題だが、業者が用意しているBGMは、ふやぁ~ん系ニューエイジ風の環境音楽みたいなヤツとか耳に残らないようなクラシック室内楽とか当たり障りのないもので、ずーっと聞いてると逆に耳に障った。当たり障りのない音の方が良いという人も居るだろうと思うが。無音はかなりしんどいと思う。周囲が虫の声とカエル合唱みたいなところなら良いのかもしれないが、何らかの街のノイズがいちいち気になった。

これはほとんどの人がそうだろうと思うが、ネットTVラジオ等もほとんどの「日常情報」はしんどくなると思っておいていいと思う。なんていうかすごくしんどかった、「橋の向こうにある日常」が。

あとは業者にもよるだろうが、業者の言うままにすると、妙に感動的な当たり障りのない美辞麗句の式次第アナウンスとともに当たり障りのない感動音楽を流す感じだった。葬式内容の打合せで試しに聞かせてもらったのだが、こんなん葬式コントみたいだと笑っちゃいそうだったので葬式コント化を免れたのは結果的にすごくよかった。この辺は結婚式オールお仕着せでやるとギャーってなるのと同じ感じかもしれない。

2019-01-21

一体何がそうさせるのか

なぜ男はメンヘラサークラ女に突っ込んでは爆死してしまうのか

メンヘラはブスばかりだと言うのに最早通儀礼とも感じる

2019-01-10

anond:20190110162023

秋篠宮が2位でしょ現状。知らんけど

おおなめさいとかのほかに儀礼がたくさんあるので25日ではおわってないわけであれは無しにできるんじゃねえの

日本の歴史は2人天皇同時に擁立されていたんだしそのくらい余裕だと思う

2018-12-24

anond:20181224001238

女は他の女と待遇を比べるから定番イベントでは絶対に良い思いさせないと身を引いていく

「私そういうの興味ないんだー」と言ってても本能的に比較して病む。

クリスマス自己表現の場じゃないんだ。他と比較して優れているか確認する社会儀礼なんだ

2018-12-21

anond:20181221104535

でも結果は同じじゃん。

それならわざわざ低姿勢になるぶんコストがかかってる。

そんな形式的儀礼にはたして意味があるのか?

2018-12-04

anond:20181130174943

○○な人に言われたくはない。

どんなに辛くても、哀しくても、○○大人には必要なのです。

いやあ。見事な「決まり文句」ですね。あなたこの書き込みを見て、私は自分の前の書き込みの正しさを確信しました!


「友人」を無くした息子に「母親」が言葉をかけるとき、その「母親」は「顔で笑って心で泣いて」いる…わけはないですよね。あるいは、母親自分の息子に「顔で笑って心で泣く」をしてもらいたいため、あえて自身の考える「儀礼的振る舞い」をしてみせた? それもずいぶん奇妙な仮定です。

なぜなら、この場合どう考えても「母親」は「息子」ほど悲しいはずがなく、自分より悲しくないはずの人から「悲しくても儀礼的に振る舞う」見本を見せられたことで何かを得ることは期待できないのですから。仮にこれが、母親親友を亡くし、息子から気遣いメールが来て、その返信に「心配してくれてありがとう。私も彼女の分まで精一杯生きていこうと思います。」とあったという話なら何も分からないことなどないし、「悲しくても儀礼的に振る舞う」見本であるという話は成立するでしょう。でも事実はその逆です。最初増田さんがご自分母親メールを「全く意味がわからなかったし、失意の息子を励ます言葉としては意味が通らない」と感じ、いったい何を考えて言ったのか? と問うのは当たり前ですね。

さらに、これに対してたとえば「言葉が足りなくて悪かった。親友の死に落ち込むあなたを見て、私までまるであなたを失いそうな不安かられ、ついああいう言い方をしてしまったのだ」なりの説明があったというなら、まだ分からない話ではありません。しかし「よく言うから言ったのだ」では台無しです。控えめに言ってもやはり意味が通りません。正直、最初発言よりもこの言い訳の方がずっとヤバさの度合いで言うと大きいような気がします。元増田違和感もそこが出発点で、私はこの違和感は十分理解できるものだと思います

にも関わらずあなたは、増田に対して「大人になればそういうこともある」的な、ズレた、しかも恐ろしいほど定型の決まり文句で返しましたね。私は、最初は単にあなたが読解力のない人なのかと思いました。しかし、文面を見ても、それなりに整っており、特に疑うべき部分はありません。あるいはタイトルだけを読んでレスを書くタイプの人なのでしょうか。その割には、ずいぶん丁寧に(上から目線で)元増田にお説教をしておられます。ただの煽りとも思えません。

そこで考えました。確かに、「決まり文句」に拭えない違和感を覚えた人へのレスを、違和感のぬぐえない決まり文句で返す、というのは、考えようによってはなかなか洒落が効いた行為と言えなくもありません。そこで、私はあなたレスを「高度なジョーク」と仮定することにしました。それが前回のレスです。

そしてその結果、あなたから返ってきたのは「恐ろしいほど定型口調のレス」でした。素晴らしい! あなたが、ディープラーニングのためのデータ収集中のAIではないとするならば、あなたは「何もかも分かった上で、意味のない定型文回答をしている」と仮定するしかありません。すなわちあなたは、いかなる場合も「場にふさわしい定型文を言うことが、自分意見を述べることだと考えている」……という「自分の主張する内容をそのまま実践している」と言わざるを得ません。そうでなければあなたはただのAIです。つまり一見もっともらしいことを言っているように見えるのに、普通に読めば「全く意味がない」言葉機械的に書き連ねるような存在です。今回は、どうも後者の疑いが強くなってきましたね。

いいですか?「定型しか書けない人に言われたくありません。どんなに辛くても、哀しくても、真面目に相手尊重して振る舞う事が大人には必要なのです。」こんな言葉なら、百でも二百でも書けますよ。「ただし民主的社会ルールに生きる人は、自分の頭で考え、ものを言うことを身につけないと、容易く信用を毀損してしまうことだってあるのです。」「今でなくても遠い将来にでも、あ、この事だったんだなと判って下さることがあればいいと思って書きました。」そこらにあふれているでしょう? こういう言葉相手に寄り添っているかに見せつつ、中身が無い分反論不能な、マウントするための言葉あなたの話には、まったくあなた自身論理というものがない。結局のところ「それはそういうものだよ」以外のこと言ってないじゃないですか。もしあなたが、本当は人間だ、というなら、元増田あなたのような人や態度をこそ問題にしている、とせめて分かってあげてください。

それから、ついでに質問です。いま私は、どういう気持ちでこの書き込みをしていると思いますか? …真面目に? or ふざけて?、 笑って? or 怒って?

2018-12-03

anond:20181130112105

  1. 儀礼的な場面でテンプレな返事するのって心こもってるの?
  2. 上手いこと言おうとしたときにどっかから借りてきた表現使ってる人って上手いこと言えた事になんの?

みたいな感じで本件に言及してる人たちの話の受け取り方がそれぞれ違うんだなーと思いました。

1点目は言葉運用における実利の面、2点目は表現の面について主に話すことになるので、感想立脚点が違う人同士が話すと話が微妙にすれ違っていきますね。

なお私はどっちも下手です。テンプレ挨拶に近いものをこの場で発するのは適当なの?と考えてレシーブが遅れるし、

かと言って頭の回転も悪いので時間かけて出した返事も上手いこと言えてる訳じゃないし。切ない!

2018-12-02

公正世界仮説

この世界にある様々な宗教の多くは、この“公正世界仮説”、“公正世界信念”に基づいていると思われる。

 

毎日きちんと祈りを捧げ続ければ願いは届く」

神様ちゃんと見てくれているから、よい行いをすれば必ず自分に返ってくる」

 

そうした考えはいいことだ。

善人や善行を生み、犯罪モラルの低下を抑制する。

 

そのような信仰心のある人達に、ここまで書いてきたような話をし、意見を求めればきっとこう言うに違いない。

「現世ではそのような(被害被災を受けるなど)思いをした分、来世(天国)では必ず幸せになる」と。

現世と来世(天国)、2つの世界を合わせて帳尻が合うという考え方だ。

イスラム教過激派仏教輪廻に似た転生思想が入っているのは「アラウィ派」)の人達の中で、自爆テロなどを恐れない人がいるのは、そうした考え方があるからだろう。

彼らは来世(天国)を信じている。

 

神だ、来世(天国)だなど突然言われても、ほとんど人がピンとこないかもしれないが、一度当り前のように過ごしている日常生活を振り返ってみてほしい。

別に信仰心宗教に関心がない人だって賽銭箱にお金を投げ入れれば、手を合わせ願いを祈る。皆でクリスマスを祝うし、御先祖の供養の為、定期的に墓参りだってするだろう。

日本独特のシンクレティズム習合信仰・重層信仰)かもしれないが、それらは外国人の目からすれば立派な宗教儀礼に映るはずだ。

そのように、自分達の日常生活の中には信仰に基づいた考えや習慣が深く根付いている。

 

そんな俺もそうした考え、習慣が根付いている1人であり、宗教というものに対し、何の偏見も持っていない。

から、現世と来世(天国)を含めて公正になるという考え方を否定はしないし、むしろ善行、善心を保持する為にも積極的に受け入れたい考えだ。

 

ただ、そんな中1つだけ願いを言わせてもらえるのであれば、現世では理不尽なこと、不条理なことが溢れているということだけは認めてもらいたい。

そして、その理不尽なこと、不条理なことで被害者、または被災者になってしまっている人達がいるということを素直に理解して欲しい。

 

http://woys.jp/2015/11/07/post-31/

2018-12-01

anond:20181130204733

ちげーよ。

可哀想におもってありきたりだけど慰めの言葉をいったら「ドコガ!?」って

目を吊り上げて逆ギレしてくるお前にびっくりして

とっさにかんがえついた言い訳で「みんながそう言ってる」っていってるだけだよ。

元増田がめちゃ扱いにくい人格欠陥ありな人間なだけだよ。

くそうだと思う。

だけど、実は、俺もこの母親と似たような目にあったことがある。

慰めの言葉電話で話したら、途中でキレられて、電話を切られてしまった。

大切な人を失った人にかける言葉として、100%その人にフィットする言葉は選べない。

その人の状況の一部を推察して、言葉をかけると、

【そこはツボじゃねぇ】という、腫れ物に触ったような反応がかえってきてしまう。

そんな経験をすると、こういうときは、ますます儀礼的な言葉を選ぶようになってくる。

儀礼というのは、様々な人の感情を処理する上で必然的に出来上がってくる社会システムなんだろう。

そして、それでも【言語を「その場に応じたことを言うゲーム」だと思っている人がいる】

などという言い続けるのであれば、元増田は、逆の立場だったらどうするかを振り返ったほうがいい。

2018-11-30

anond:20181130112105

個人内面」や「自我」と呼ばれるものも、またある種のゲームではないだろうか?

表現する行為を通してしか内面」や「自我」は現れないのだから、それらは「ある性格類型キャラクター)が、この場面でどう発言するかを過去との一貫性を保ちながら場面に応じて工夫し、時には意外性のある発言をして、キャラクター自体をも新たに構築する」ような創造的なゲームだと言えるかもしれない。

そして、我々は複数ゲームに同時に取り組むこともできる(複数マルチエンディングRPGを同時に行うとき、あるゲームでは英雄を演じ別のあるゲームでは混沌の王を演じることも可能だ)のだから現実世界でも、「個性自我ゲーム」を遊びつつ、ときには「公式儀礼ゲーム」を行ってもよいのではないか。両者で我々が演じるキャラクターは(質的にも)異なるが、二つのゲーム自体に決定的な差異や、まして優劣などないのではないか

2018-10-14

感想が苦手な人間の話

はじめての投稿自分語りもどうかと思うが、全く折り合いがつけられないで数年経とうとしているので、ここらで吐き出す場所が欲しくなった。

わたしオタクであり、小説書きの端くれだ。

好きなジャンル二次創作を細々と書いている。pixivTwitter投稿して、年に1回あるかないかの頻度で本も作る。

まあpixiv投稿した作品とて、ブクマが100超えたら御の字と言うレベルだ。それを踏まえた話として見てほしい。

タイトル通りだが、私は人から感想をもらうことが苦手だ。

苦手なくせに、感想は欲しいと思っているし珍しくいただくことがあったならすごく嬉しく思う。

だが苦手なのだ

我ながら面倒くさい性格だと思うのだが、その理由が明確にひとつある。

貰える感想を信じられないということだ。

例えば親しい友人が私の作品を読んでくれて、「よかったよ」と感想をくれたとしよう。

その時は嬉し恥ずかしの気持ちでいるが、後になって思うのだ、「友達から気遣って当たり障りのない感じで感想をくれたのではないか」と。

極論、「よかったよ」「面白かったよ」くらいならば読まなくても言えるだろう。

もちろん、ちゃんと読まないとわからない作中のあれこれを織り込んだ感想をくれる方もいる。ただこれだって「気を遣って」なんとかひねり出してくれたに過ぎないのではないかと思ってしまう。

友達だと言う時点で読まなくても別に友情に亀裂など入らないのだから、無理しなくてもいいよと度々私は口にする。

そう言う面倒な思考回路が回るのだ。

冷静になって考えればそんなことはなかろう、矛盾だらけだとわかっていても。

なら匿名や友人とまでは言わない程度の付き合いの人からもらう感想はどうなのかというと、

友人の時よりは楽だがそれでもやはり疑ってしまう。

「私が欲しいっていうから」仕方なく、「相互フォローとして繋がってるから儀礼的なものとして、あるいは「おだてることでなんらかの益を得たいから」という打算、そういうものを疑ってしまう。

最初は嬉しいって心から思えるのに、1日とか時間が経つと急速にその気持ちは冷めていく。

被害妄想しかない。

わかっていながら止められない。

私程度の書き手が選り好みするなどおこがましいにもほどがあるのだが、結局、私が感想に求めていることは言葉通りの承認なのだ

「こういう作品があったっていい」、「こういう(ジャンルキャラの)愛し方があったっていい」みたいに、許して欲しいだけなのだ。多分。

普段マイナーものばかり書いてきたからそう思うのかはわからないけれど。

そういうわけで、私が人様に感想を綴る際は余程のことでなければ匿名ツールを使う。私が認知される必要性はないし、神からの返事という益を得たいわけでもないからだ。

その上で私の心が震えたところ、結果そのカプを推せるようになることもままあるのでそういうことも告げる。本当にこの作品出会えてよかったとも伝える。

ご本人からしてみれば恐怖を感じるかもしれないが、そう何回も送ったりはしないので勘弁してもらいたい。

そう言ってるあたり自分のことしか考えられなくなっている証拠だろう。創作と向き合うにはなにかしらの狂気必要だと思うが、こと私に関しては感想というもの一つでこうも簡単に落ちぶれることができてしまう。

から私は感想というものがすこぶる苦手だ。何年たっても、健全に向き合える気がしないのである

そういうことを、設置直後以来ほとんど稼働していないマシュマロを見ながら思った。

2018-08-27

田舎から自転車地位がめちゃめちゃ低い

チャリで走ってきてるのに平気で前を横切ろうとしやがる

俺の住む街では車が来たらチャリは止まるのが常識で、チャリが止まらなかったらクラクション鳴らすやつもいる

逆に止まってくれる車にはお辞儀をして通過するのが儀礼になっている

田舎臭くて早く出て行きたいわ

2018-08-17

高野連なら安心して叩ける相手だと思ってたのに

実はそうじゃなくて、さすがの高野連でも背後のコンテクストを読み解かなきゃいけない複雑な面もあったことに腹を立てているのか、それとも非明文なコンテクストすべてが条文化されないと許せないはてならしい高度機能障害っぽさが爆発してるのか。明文化されてない「その分野で共有される文化」なんて高校野球以外にも山ほどあるだろうに。

まぁ、高野連コンテクスト社会において優位性の高いコンセンサスになってるのが気に入らない、ということな同意できる。高校野球みたいなもん宗教儀式に近い興業ををやってるのだからもっと高校野球らしい儀礼」にこだわってくれた方がいっそのことすっきりする。世界通用するプロ野球選手を育てる、という目線で見るならあんなに意味のないスポーツ大会もなけりゃ、あんなに貢献しないスポーツ団体もない。

個人的には、野球にも高校野球にもそれほど思い入れがあるわけでも熱心なわけでもないが、最近野球界隈が一部にサッカーぽさ(今回のパフォーマンス投手もその流れの中にあるのではと思う)を融合させているのは、なんとなく引っかかりがないこともない。プロ野球もいつの間にか、レプリカユニフォーム着て応援が当たり前になっている。自分子供のころはそんなの外野席のクレイジー一部の人だけだったが、今は若い女の子なんかがユニフォーム着てて可愛い。そういえばネーム入りのタオルマフラーなんかもサッカーから輸入されたのではないだろうか。

と思って今ちょっと検索してみた。

タオルマフラー起源は、Jリーグ由来説(欧州寒いからクラブカラーマフラー応援必須アイテムだった→日本暑いからウールのマフラーとか無理、そうだタオル地にしたらよくね?)が主流なのだが、タオルメーカー大手内野サイトを見ると1983年日本で初めてマフラー型のタオルを発売、とあるhttp://www.uchino.co.jp/tips/history/towel-history/からJリーグ開幕(1991年)よりも10年以上前であり、Jリーグ由来説はちょっと怪しい気がする。内野サイトを見ると1964東京オリンピック記念タオル発売、とある。これの現物が見たいな。その後1970年日本で初めてスポーツタオル発売とあるし。タオル歴史、浅いけど奥深いな。

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180816-00000024-nkgendai-base

あれか、一球ごとにガッツポはテニスの影響もあるかね。まぁなんにせよ、宗教(高校野球)やってるなら教義には従えと思うし、その宗教自体不要だという意見にはまったくもって同意する。

2018-08-15

実家と関わりたくない

きょうだい可能な限り関わりたくない。

自分以外の人間が信用できないとかそんなんじゃない。妻も子供もいるし彼らが大好きだ。

でも、結婚してからくらいかな、親きょうだいと関わると気分が悪くなることしかない。

可能なら縁を切りたいけれど、親と祖父母やおじおばが仲が悪いのは子供達に悪影響が及びかねないので我慢している。

彼らとわかり合えることはもうないと諦めてからは少し楽にはなったけど、やはりどうしても関わらざるを得ない時に、親きょうだいの不遜な態度や常識感のズレ(メールじゃなくて電話で連絡しろとか)に辟易する。

自分と親きょうだいの仲は、もう表面上の儀礼的な義務だけ果たしていこうと思って何とか我慢しているんだけれども、自分がこうなっているということは、将来的に自分子供達も険悪になり得るのかなぁと思うと悲しいな。

でも父は子育てにはほとんど関わらなかったので自分とは全然違うけどな。

そういうところが因果応報なんだろう。良い行いは必ず報われると信じて子供達を愛情を持って全力で育てていくしかないな。

ただ、母の大いなる愛情には感謝していて、自己肯定感の源泉になっているのは間違いないと思うのだが、父がセットなのでコミュニケーションが難しいんだよな…

きょうだいは…昔から喜怒哀楽が激しくおかしい人だからまぁ近寄って来なければ別にいいや。

将来的にうちと同じエリアに家を買おうかなとか言ってるのが恐怖なんだよな。

こっち来んな。

たまに会うくらいにしとかないと修復不可能な仲になっちゃいそう。

2018-07-28

anond:20180728210631

元増田だけど


夫婦生活したくない


ここなんだよね

俺もパートナー儀礼的な性生活をしたくないし子供のために~!!みたいなのもしんどい

子供作りたいという希望には応えたいけど セックスレス=愛がない な価値観を持ってる人とやっていける自信がない

色んな人と会ったけど、性的な部分を抜きにしたパートナー生活って難しいみたいなんだよね

そういう手札の切り合いみたいなやり取りが必要ない、生活互助できる相手がほしいわ

2018-06-22

「は?」とだけ書けばだいたいマウンティング取れると思ってる人が一定数いるんだな。

何メンチ切ってんだコルァの儀礼だな。

2018-06-14

anond:20180612183353

恩とか、そんなんで世界が動いているなんて、大甘だね。

儀礼なんてのは、先に作戦利益があったうえでの後付けだろう?だいたい、ユダヤ人助けた話はいま居る日本人のことじゃないぜ。図々しいんだよ。今の日本人ユダヤ人感謝されること、何かしているのか?

社会的儀式儀礼は、それに反感を持つ人間を燻りだすためのツールである

ここで従っておかないと、みんなが気分を悪くするから云々

これは思いやりというより、組織を逸脱することへの恐怖感なのである

ある程度の帰属意識があるからこそ、恐怖感を覚えるわけだ

快く応じる気になれないのは、帰属意識が欠落しているのである

組織としては、まさに排除すべき人間なのである

感謝謝罪、付き合い、助け合い

こういう気持ちを持つべきだという年長者の意見は正しい

これらを通じて帰属意識を高めることで、自分も苦しまなくて済むから

さて、どうしようか

それでも、つまんないもんはつまんないよな

演技をやり切り、少しずつ踏み込むしかないんだろう

踏み込んだ先を想像してみる

その頃には、組織の維持のため儀式儀礼重要さを痛感している

そして、むしろ自分儀式儀礼を取り仕切っているかもしれない

その上で「これつまんねーからやめようぜ」と言えるかどうか

たぶん、言えないよな

企業風土が醸成される最初タイミング

初期メンバーを集めて組織が固まっていく段階

ここしか自分の望むように組織に働きかける術はないんじゃないか

そんなことを考える

anond:20180613231212

儀式儀礼は状況を受容するための伝統技法だよ

冠婚葬祭など大きな状況変化には、相応の大きな儀式が行われるのはそれ

歓送迎会入学式卒業式なんかもそういった儀式一種

茶番感を覚えて嫌がる奴がいるのは当然だ、意味はないからね

ただこれ、組織への異分子の混入の予防という意味では、割と効率が良いんだよ

これに従えない奴は、日ごろの上下関係や横の繋がりにもドライで、ともすれば反抗的になりがちだから

から、従わない奴がいるのは、儀式としては成功なんだよ

そいつ排除すれば組織が安定するって分かるから

2018-06-07

美味しいものと、美味しくないもの

世の中には3種類の食べ物がある、1.美味しいもの、2.まずいもの、3.美味しくもまずくもないもの

身内びいきを入れてもほとんどがに含まれる。

私は社交儀礼必要でない限り3を「美味しい」とは言わないが、その代わり「美味しい」といった場合は本当においしいと思っている。

というのをなかなか女性理解してくれないみたいだ。

それどころか分類が 1.美味しいもの、2.美味しくないもの(=まずいもの)の2種類になってるんじゃないかと、会話の節々に感じるのだが、どうなんだろうか?

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