はてなキーワード: アイキャッチとは
広告にはアイキャッチという言葉があります。目を引く仕掛けという意味です。
美しいものやセクシーなものに反射的に目が行ってしまう(男女ともそうでしょう)、注視してしまう習性を利用しています。子猫の写真と同じで水着女性の写真にも同じような効果があります。
グラビア程度じゃ興奮しない
グラビア求める人は何を求めて買ってるの?
ここで言う「興奮しない」の意味は、すぐさま欲情するほどの効果をもたらさない、という程度の意味でしょう。
建築写真や鉄道写真を見た時の「興奮しない」と同じではありません。建築写真や鉄道写真で興奮する人もいますが、それも欲情しているわけではありません。
グラビアとて女体写真ですから、男の目を楽しませることには間違いありません。男性は女体を眺めるのが好きです。
むろん、中にはグラビアにAV同様の性的興奮を覚える男性もいます。私も軽度のグラビア趣味で、柿の種はAVとグラビアが半々です。グラビアの素晴らしさについては長くなるので割愛します。
チラを追うのは本能
はい。女装してるブ男とわかっていてもパンチラすれば反射的にパンツに目が行きます。
豊胸しているドラァグクイーンの胸元にも目は行きます。反射的なものです。
チラではない部分もガン見するのはなぜ
脚とか胸とか
基本的には本能を理性でねじ伏せて視線を引き剥がしますが、ボーッとしている時や、脚や胸の態様があまりに素晴らしい時はそれが難しくなります。
人類が生まれながらに持っている性本能に後天的な価値判断が肉付けされたものと考えればよいと思います。
語釈にもよりますが、本能と条件反射はくっきりと線を引けるものではなく、無意識下で強く結びついているのではないでしょうか。
そもそもおっぱいとは、視覚的には尻の擬態という話もあってだな
というのは、ヒトと近縁のサルたちはみんなバックから交尾をするし、サルのメスなんかは発情すると尻が赤くなったりする
交尾器のそばの肉のふくらみや色がオスの発情を刺激する仕組みなわけじゃ
バランスがとれた顔立ちの方が遺伝的にも栄養的も安定しているサインだとかなんとかそんな話もあるな
そしてオスが顔か尻かで悩む中、顔の下に尻みたいなの作れば両方見れていいんじゃね?とひらめいた天才的なメスがいてな
なので、おっぱいが大きいか小さいか、それが性的に魅力的か、というのは顔とのバランスで決まるものだとワシは思っておる
「童顔巨乳」「清楚巨乳」「貧乳ギャル」など、顔立ちと乳の状態をセットにする言葉も多いことからわかろうもの
つまりじゃ
おっぱいは男を発情させるツールの一部なだけで、いざセックスする関係性になればいよいよ尻の出番なんじゃ
最終的には尻がよくて顔が可愛くて元気な子をたくさん産む女が好かれる
よくできておる
魅力的な男は未婚であっても必ず子を産ませとるものな
ではそのような器官に相当するものが男にあるか?というとじゃな
それは筋肉であろうな
総合的には強い体で、健康で、いい遺伝子を持つ屈強な男が好まれるわけじゃが、アイキャッチとしてそれを端的に伝えるのは筋肉なんじゃ
特に脱いだ時の胸板、胸の筋肉、これがいいと大体の女は、かっこいいというわな
つまりじゃ
女もおっぱいが好きなんじゃ
着衣女性のイラストが不快だから排除されてるわけでも、飲み会するホームレスが不快だから排除されるべきでもないんですが、その差がわからないようです
女性が訴えるのは、電車に乗れば痴漢に遭いトイレには盗撮カメラがあり上司と二人きりになれば枕を誘われ外に出ればストーカーに遭い、それらを強く問題視し対応してくれる体制があまりに整わないこと、経験上あまりに性犯罪が多く日々性犯罪者を警戒し続ける生活を送っていること(スラム化した地域でレイプが発生する国との比較は無意味です、現代的な都市部での性犯罪です)、かつては舞子や芸者や女遊び今では美少女ものや広告など女性を性的なシンボルとしてアイキャッチ的な商業利用することに抵抗がないこと、出会う犯罪者たちや女性と接点の薄い男性に特有の認知のゆがみがよく見られており社会全体で女性に関する無意識のバイアスや偏見を植え付けていること、セクハラや性犯罪や未成年淫行等のグルーミングをするような環境であること、女子高生ブームからのJKの性被害爆増などの文脈を一切無視する都合のいい言論を生み出す社会のゆがみ、生の被害体験にエロ表現の影響を強く感じること、性的客体化は女性の自尊心を害し精神的な成長を妨げると研究が出ても男性の公共での性的満足を優先させようとする連中の人権意識の低さ、虐待的なAVを表現の自由として守ろうとする人権意識の腐ったネット差別主義者の存在、生の性犯罪者の陳述、それら被害や経験を実際に受け忌避する心情を「お気持ち」として軽視する人権軽視の男性の反応、なわけです
しかも一つの動画を再生するごとにCM2~3本確実に流れるし本放送のCMに入る回数分CMを流すのはあんまりフェアとは言えない
いつだったかアベマのCM本数は少なくて便利だなと思ってたらいつの間にか一つの動画を再生するのにOPEDアイキャッチの度にCMが2~3本入ってて合計6本くらい入ってて
しかもたまーに1,2分のスキップ出来ないCMが入ってる時があってとてつもなく不快で苦痛。
デイリーモーションかよと。そのデイリーモーションでさえ15秒ほど待てばその長いCMをカット出来るのにアベマはそれが完全になくなっててダメだ。
赤字経営だから本数を増やすのは分からんでもないけどたかがビデオ配信を再生するだけなのに一つの動画再生するのに5,6本の長いCMを流す意味が分からない
TVerなんてCM流さないフル動画(見逃し)である事が多いのにアベマは配信サイトの意義を全然理解出来てなくて困る。
違法動画サイトが今も無くならないのは本配信ないし公式配信サイトがCM多過ぎる長すぎるという不便さが原因だろうね
せっかく配信動画数を増やして便利になってきたかなと思えた所へ容赦のないCMの多さ。
全部治すのが難しくても一部は治せるよね。
例えばグルメドラマでヤンキーバトルとか恋愛バラエティー、アニメのCMを何度も流されても興味を惹かれん訳でCMチョイスすらミスってるのはどうにかして欲しいな
これはつべもニコ動も公式配信・動画サイト全般に言える(この間なんかポケモン見てたら急に車のCMばっか流されてさ、免許持ってないっつうの!)。
ゆうてアイキャッチのイラストに使われてるくらいで、そもそもキャラの思想とかそういうところまで踏み込んでないんじゃないかなあと個人的には。
作品ファンの目にもたくさん触れてると思うが、「○○はそんなキャラじゃない」って炎上は見当たらないように思うし、増田の心配は杞憂なんじゃない。
ブコメだけど、
露出度の高い女性のイラストを公共性の高いところで必要もなくアイキャッチとして使うのはNGってことでお互い合意できた、確認できた、めでたしめでたし、これでええやんと思うわ。
こういうつまんない混ぜっ返しで満足する人増えたよね。
選挙カー側も別に公共性の高いところで云々の主張を変えたわけじゃないし、
はてフェミはそれを「やれよ」って、やることを肯定してしまっている(被害が出ると主張しているにも関わらず)んだから、合意できてないのよ。
そこを突っ込まれてるの。
公共の福祉とは、原則として権利や利益同士が対立した時にそれを調整するためのものだ。
ここで問題になるのは『権利や利益同士』であることだ。決して権利を超えた❝公共の福祉❞があるわけではない。それでは結局、『権利を超えたものを理由にすればいくらでも人権を制約できる』ということになり、「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ」権利を有していた大日本帝国憲法と何ら変わらないことになってしまう。
表現・出版の自由が公共の福祉によって制約された例としては、『ジャニーズ追っかけマップ裁判』というのがある。
かつて出版社が『ジャニーズ追っかけマップ』という書籍を出しており、そこにはジャニーズのメンバーに会える場所としてスタジオなどの場所の他に自宅の最寄り駅、自宅の住所、電話番号といった個人情報が掲載されていた。
このことについてジャニーズのメンバーが『プライバシーの権利の侵害』として訴えたことに対し、出版社は『表現・出版の自由』を主張した。
そして最終的に『ジャニーズのメンバーのような社会的影響力のある芸能人のプライバシーの権利は著しく制約されるが、それでも自宅で静穏に過ごす権利は認められるから自宅の住所と電話番号は削除するべき。それ以外については出版社の表現・出版の権利を認め、出版自体は認められる』という判決が出た。
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
わいせつな文書、図画を作ったり売ったりすると罪になるということは大抵の人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。
刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。
では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳”である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、増田もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)
わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校の公民の教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。
当然ながら、『私はこの創作物を見て不快になりました』を主張する権利は当然にある。
あるいは、「萌え絵は性犯罪と地続き」と主張するのは自由だ。現在の法律上、誰かの権利を侵害しているという扱いにはならない。
同様に、「日本画は戦争と地続き」だろうが「彫刻は殺人と地続き」だろうが「洋画は差別と地続き」だろうが”萌え絵、日本画、彫刻、洋画”といった抽象的なジャンルならば誰かの権利を侵害しているという扱いにはならない。
ただし当然ながら、『その主張はおかしい』と批判する自由もある。
一方で、業務(※なお、刑法における”業務”とは「社会生活上、何度も繰り返して行われる事項」のことをいう。だから自動車で人を轢き殺してしまった場合はプライベートで運転していた場合でも業務上過失致死罪になっていた。そういえば変わったんだった)
で制作している特定の作品について「この絵は性犯罪と地続き」や「このvtuberは性犯罪を誘発する」のような発言ならば、その明確な根拠が示されない限りは偽計業務妨害罪が成立し得る。(実際に起訴されて有罪判決が出るかは分からない)
さて、フェミニストが主張するような創作物規制・広告規制を行うとするならば、それは当然に『表現の自由』に対抗できるだけの権利・利益が無いといけない。
似たような『市営地下鉄で不快になる広告放送を聞きたくない権利』を主張したとらわれの聴衆裁判で、『聞きたくない音によって心の静穏を害されることは、プライバシーの利益と考えられるが、本来、プライバシーは公共の場所においてはその保護が希薄とならざるをえず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。一般の公共の場所にあっては、本件のような放送はプライバシーの侵害の問題を生ずるものとは考えられない』という裁判官の補足意見がついている。
見たくない権利も同様だ。公共の場所ではむしろ受忍すべき範囲が広くなる。
『女性』には人権はない。これは何も「女性は二等市民だからフルスペックの人権は認められない」という意味ではない。人権があるのは個々の人物であって、『女性』という抽象的な存在の集団的人権は認められないという話だ。同様に「日本人は殺人狂だ」だろうが「在日朝鮮人は人間のクズだ」だろうが「同性愛者は生産性がない」だろうが、現在のところ法律には触れない。
そもそも表現に限らず自由権の本質は『他者を不快にして我慢させる権利』なのであり、「近所にユダヤ人が住んでいて不快です幸福追求権の侵害ですbyネオナチ」や「聞きたくもない韓国音楽を聞かされて不快ですby在特会員」や「『女と寝るように男と寝る者は殺されるべき』と書いてある旧約聖書が不快ですby同性愛者」は配慮されないし、配慮されるべきではない。
将来、脳波や脳内物質から人の現在の感情を読み取る技術がさらに発達し、「黒人を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyKKKメンバー」を同意の上で検査した結果、脳波や脳内物質がうつと同様のパターンになっていて主張が事実であることが判明したとしても同様に配慮されないし、配慮されるべきではない。増田はそれを自明のことであると確信する。
「萌え絵やそれを含めた女性をアイキャッチャーにする広告が公共の場所にあることで現在の男性中心社会を拡大再生産する」というモデルそのものは小宮友根氏や牟田和恵氏によっていくつか提唱されている。だが、それだけだ。
現実には男性中心社会を拡大再生産するものの候補は萌え絵広告以外にも『周囲の保守的な親戚・教員・友人などからの意見』『私企業の採用活動の実態』『女性向け創作物の刷り込み』など無数にある。
その中から「広告の効果が無視できないほど大きい」こと、および「それを打ち消す手段が他に存在せず、禁止以外の手段がない」ことが証明されない限りは規制されるべきではない。
なぜならば経済的自由権は金銭で補償が可能であるが、表現や内心といった精神的自由権は規制しようという動き自体が萎縮効果を生むため、より慎重になるべきだからだ。
以上のように、今フェミニストが主張しているような創作物規制は『公共の福祉』の観点からは成立しないと考える。
全然納得できないんだけど。"最低限の性道徳"が保護法益になるなら何だって保護法益にできそうだし175は良いけどフェミニズムに基づく立法がダメな理由ってあるの?
だからこれについては多数の異論が出ているし俺も問題だと思っている。
ただ、これの合憲論を採用しても、創作物規制は「ジェンダー平等を実現するための最低限」しか認められないだろう。
"「在日朝鮮人は人間のクズだ」だろうが「同性愛者は生産性がない」だろうが、現在のところ法律には触れない"。こいつ意図的に「ヘイトスピーチ規制法」スルーしてるよな。
ヘイトスピーチ規制法など存在しないのでスルーのしようがないですね。
ブコメが言いたいのは通称「ヘイトスピーチ対策法」でしょうけれど、これはあくまで国や地方公共団体に努力義務を課しているだけです。
“フェミニストが主張するような創作物規制・広告規制” 既にコメントがあるとおり私も法規制を求めない むしろ法規制させないために「違法じゃないから何してもOK」を控えてほしい 職場水着ポスター問題のように
会社は従業員のパフォーマンスを低下させ利益に反する行為を排除できますが、公共の場所は他者危害でない行為を排除できないし、排除するべきではない。そういう話です。
「そもそも不快にされない幸福追求権」そんなものはない。ではなく、その権利を求めてるんだよ。だってその方がいいじゃん。そのための対話が必要。
「同性愛者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyムスリム」「『女と寝るように男と寝る者は殺されるべき』と書いてある旧約聖書を聖典とする宗教の信者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですby同性愛者」が両方存在したり、
2つ以上の宗教が「我々の宗教は全ての人が我々の宗教の信者になるべきと考えているため、異教徒が不快です」を言い出した場合には
2022/07/04/21:40頃追記