はてなキーワード: 借金とは
『魏志』倭人伝によると、邪馬台国の女王・卑弥呼が亡くなった際に100人以上の奴婢をいっしょに葬ったとされる。
卑弥呼以て死す。大いに冢〈ちょう〉を作る。径百余歩。徇葬〈じゅんそう〉する者、奴婢百余人
https://museum.bunmori.tokushima.jp/museum_documents/museumnews/mnews014/014_2-3_cc.html
飛鳥時代においては中国を範とした律令国家が形成され、その中で奴婢制度が定められた。(大宝律令 701年)
これは延喜格(907年)まで続いた。
https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111E0000017-14-3.pdf
公的な身分としての奴婢制度は廃止されても、飢饉や借金を苦にした人減らしのための人売りは長く横行した。
鎌倉時代の『吾妻鏡』延応元(1239)では、人身売買の禁止の原則と、飢饉におけるその緩和特例が見られる。
A 寛喜三年餓死のころ、飢人として出来の輩は、養育の功労につきて、主人御計らいたるべきの由、定め置かれおわんぬ。
B およそ人倫売買の事、禁制ことに重し。
D しかるにその時減直の法につきて、糺し返さるべきの旨、沙汰出来の条、はなはだその謂れなきか。
E ただし両方和与せしめ、当時の直法を以て糺し返すに至っては、沙汰の限りにあらざるか。
延応元年四月十七日 平
散位(太田康連)
前山城守
沙弥(二階堂行盛)
https://wallerstein.hatenadiary.org/entry/20081121/1227250694
人買船は沖を漕ぐ、とても売らるる身ぢやほどに、静かに漕げよ船頭どの
この状況は豊臣秀吉が人身売買禁止令を出すまで続き、以降は年季奉公制が主流となる
ただし、性奴隷については以降も活発に人売り人買いが横行したらしい
前半→https://anond.hatelabo.jp/20240718232635
勉強なんてますますしてやるかボケとなり、母が理想としていた聡明で清楚な娘なんてぶち壊してやった。制服のスカートを短くして、私服も男っぽくして、寄り道買い食い、刈り上げにして、運動部で日焼けしまくって、口も悪くなった。母が嫌いなゲーセンにも内緒で行ってた。さすがに身売りとか夜の街とか借金とか法律に反するとかのやばいことはしなかったが、できる限りで親の理想と反対を行った。
学校の授業は楽しかった。一部の先生は母みたいな上から目線で嫌だったが、大体はみんな優しかった。上から目線でバカにする人はほぼいなかった。私立だったからだろうか。勉強以外で得意なことがあるならそれを伸ばそうという校風だったからだろうか。
そうなってからはカンニングなんて頭になかった。気が付けば追試の数が減っていた。追試になったときも同じ追試仲間と一緒に勉強するのは苦じゃなかった。学校で受けた全国模試では下から数えた方が早かったけど、得意科目は上から数えた方が早かったからそれでいいやと思ってた。小学生の頃は得意科目がよくてもメインの科目ができないといけないと思っていたがそんなんど〜〜〜〜〜でもよくなった。父と夜遅くまで遊び、兄弟と旅行や遊園地に行き、母に強烈に怒られた時は友人が「じゃお泊まりしよっか!」と友人宅に何度もお泊まりした。友人の母も「子供がいっぱい楽し〜!ふぅ〜!」なノリでよく花火をして、焼き肉に連れて行ってもらった。この友人の母は「留年しない程度に勉強すればいいじゃ〜ん。あそぼーぜ!」な考えで、影響されたと思う。
一度高校の頃、地学で満点近いテストを母に見せたが「学校の勉強なんだし当たり前じゃん。しかも地学って笑」と笑われた。それ以外覚えていない。くそな思い出。勉強しろ!とお小遣いで集めていた漫画やアイドルグッズを全部捨てられたときもあったが、それでも勉強なんかしてやるか!となった。
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大学受験期に差し掛かり、母がまた中学受験の時のようにテストの点数点数点数となった時期。入りたくもない塾にいれられ、難しすぎる授業を受けた。宿題・予習の量が尋常じゃなく、難しさも相まって何もわからない。学校の点数も口うるさく聞いてくる。親が金を払っているからさぼる事はしなかった。塾の授業も遅刻せずに真剣に聞くが授業スピードはかっとんでいくのでわからない。
その時の塾の先生は優しかった。すっごく初歩的なことを聞いても「わからないの?」と責めて来ない。しかし優しすぎてずっと何度も質問するのがなんだか申し訳なくなってしまった。
せっかく中学で治ったと思った小学生の頃に身に染みてしまった質問は恥が邪魔して何度も質問に行けず悩んでしまう。
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母は教えてくれない。教えないくせに「こんなの聞いていればわかる」「私はできた」と責めてくる。「あんたはやる気がない」「大金を払っているのに」「私は自力で大学に入った」と武勇伝も出てきて家では口を開けば喧嘩だった。点数点数偏差値偏差値検定検定順位順位ばっかりだった。当時の私の偏差値は34で高校3年でようやくギリギリ英検3級が取れた(一敗している)。バカなのはわかってた。学校のテストは大丈夫だが、受験となるとレベルが違う。全くわからない。
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そんな中、塾で模試を受けたとき、ふと横の人をカンニングしてしまいそうになった。目が横に動いたと意識した瞬間に前に戻した。カンニングという選択肢が常に頭にあることに気が付いた。小学生の頃に常態化していたカンニングが邪魔をしてくる。
それから模試の最中は目の前の答案用紙ではなく、自分との戦いだった。駄目だ駄目だとペンを握る。時間を見ようと顔を上げたときに他の人に目がいってしまう。そして自分を責める。カンニングの文字が頭に浮かんでしまう。結局集中できずに模試が終わる。
自分はこんなにもカンニングがすぐ思い浮かぶ人間だったのか。最低だ。でも点数が悪いと怒られる。否定される。もう親は自分に関係ない!と言い聞かせても思い出すのはあの冷ややかな目。「あ、今から怒るな」とわかる表情。思い出すだけで耳が痛くなる甲高い声。早くこの受験戦争から脱しないとカンニングをしてしまう。絶対にしてしまう。早く脱したい。でもどうやって脱するんだ。だめだ、だめだ、だめだ、と模試を受けるのが怖くなった。その後も模試を受けたがカンニングしては駄目だという戦いをしていたことしか思い出せない。いつも終わった後はお腹が痛かった。
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勉強してカンニングしないようにすればいいと勉強しても「カンニングしちゃえば楽なのに」と悪魔のささやきが頭にこだまする。勉強しても頭に入らない。覚えられない。勉強していると何故か頭が痛い。喉が苦しい。お腹に激痛が走る。自習室にいるのに母に怒られてしまうと怯える。母の視線が怖い。怒っていない時でも怒っているんだと毎日思う。あの耳が裂ける金切り声でキレてくる。突然来る。負けないぞと立ち向かおうとする。でも朝「おはよう」とあいさつするのも精いっぱいだった。「おはよう」から何に転じて怒られるかわからない。同じ屋根の下というだけで朝から晩まで、いや寝て意識が飛ぶまで怯えていた。「おはよう、そういえば模試の結果まだ届いていないの?」と言われるのではないか?「おかえり、今度テストだよね?」と言われるのではないか?眠くなって自室に戻ろうとすると「受験生なのにこんな早く寝るの?!」と怒鳴られることがある。母の気分次第だ。
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そんな時、行きたいなと思った大学のAO入試を知った。自分は勉強と指定校推薦は無理だったので早急にAO入試にシフトした。論文と面接は楽しかった。自分の考えを丁寧に文と言葉として落とせばいいので、公式を覚えなくていい。面接も自分の会話ペースに引き込んで、延長するくらいには自信があった。
大学は有名どころに受かったので母は喜んでいた。「あんたはしゃべりがうまいからね!」とドやっていた。「何自分手柄にしてんだよくそが」と反抗期真っ只中の私はキレていた。今までさんざん「勉強できないあんたは大学なんか行けない。受験を舐めている」と言っていたくせに都合のいいやつと思っていた。私が成人した現在は「あの中学に行かせてよかった」とほざいている。お前のせいでカンニングしたという過去が存在しているのになと時たま思い出してしまう。
受かった後に、とある大学入試を本気で真面目に解いて、マーク試験なのに200満点中18点だった時は父は大爆笑、母は呆れていた。「択一式なのにwwwwwま、真面目にといて?wwwある意味天才だwwww」といった父の言葉。なんだかその時に呪縛が解かれた気がした。
母は既に大学に受かっているという体があったから呆れで済んでいたと思う。それか父と兄弟がその点数で大爆笑していたからか。怒られなかった。
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AO入試を受けさせてくれた母には感謝している。大人になってから聞くと「AO入試なら受かると思った」と。「お前にとりえなんてない。おしゃべりがうるさい子。反抗期長すぎて親を何だと思っている」とキレていたくせに。母には感謝している部分とぶん殴りたくなる部分がある。
中学受験についても感謝している。受験させてくれたことには。小学生の終わりかけのころはいじめられていて、近所の公立に行ったらそのままいじめられ続けていたと思う。受験で救われることもあったから、受験を完全なる悪だとは思わない。むしろ受験をして出会えた素敵な人たちがたくさんいる。
当時、いじめられていると母に言ったら「あんたが弱弱しくするからだよ。勉強で見返せば?」と助けてくれなかったので、ま、いじめで受験させたのではなく、母の自己満だろう。それでも私は良かった。複雑な感情だ。
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大学生時代の時は授業と勉強が楽しすぎて単位上限を超えたので聴講もしてずっと大学にいた。
そして検定を好んで受けた時、カンニングを意識することはなかった。自分のペースで勉強するのは楽しい。誰にも怒られず、自由に勉強して好きに試験を受けるのは楽しいので、カンニングなんて微塵も思わない。試験が楽しくて試験中は解くのに夢中になっている。落ちたって「あちゃー」と自己責任で終わるからプレッシャーもない。
検定で〇級受かったと母にいうと「まだその級なの」とバカにしてくる。そんなもんだ。
勉強以外では仲良くしている。受験も就活も終わったからか母は丸くなった。怒らなくなったが、勉強の話になるとこんな感じだ。
社会人の今は帰りに図書館に寄って気象の勉強をしている。今度は地震の勉強でもしようと思う。
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カンニングしたというニュースを見るとカンニングをした子が心配になる。ニュースだから家庭環境は知る由もないけど、気になってしまう。カンニングをしてバレてしまい、退学、そして親から怒られるのだろう。思春期に親から怒られるあの形容しがたい恐怖と不安は自死すら考えてしまうだろう。詳細は分からないが、「この子がカンニングした理由が私と同じならかわいそうだな」と思う。カンニングは悪いことだ。悪いことだという大前提での話だ。金銭の取引をしているようなカンニングは知らん。
ましてやカンニングで責められて自殺、親が学校を訴えるなんて察するものがある。なんで子供がカンニングしたのか親はわかっているのだろうか。(処分の内容は一旦置いといて)
出来心だったとしても何でカンニングという行為をしてしまったのか。いじめとか、学校側がカンニングを仕向けて嵌めたのなら訴えるのはわかるが、そうでないのなら親がどんな思想で訴えたのか、何となくわかってしまう。子供の心情を察する。
定期的に話題に上がる教育虐待を受けて親を殺してしまった女性までは酷くないとはして、テストの点数によって怒鳴られ・責められる子はたくさんいるのだろう。バレていないだけでカンニングをしている子もいるだろう。
それを思うだけで辛くなる。私も反抗期がこなかったらカンニングを続けていたかもしれない。親に逆らえない性格だったらと思う事がある。勉強以外を認めてくれる人に出会わなかったらどうなっていたか。父、祖母や兄弟も私を勉強でいじめはしなかったという家庭環境も助かったと思う。
カンニングをする子は本人の意識の問題もあるかもしれないが、環境も強い気がする。カンニングが悪だとはわかっているが、少しでも点数を良くしないといけない事情がどこかにあるのではないかと思ってしまう。私はモラル<親の優先順位になっていた。悪だと思ってもやらなければいけない。そんな環境があるのだろう。
点数を気にしない人と出会うしかない。そんな環境にしないと抜け出せない。どうにかしてその環境から逃げ道を見つけてほしいと思う。カンニングをしてしまった事実を消すことはできないが、その子がカンニングを続けないという選択肢を選べる環境になってくれ。そう願うばかりだ。
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カンニングした人、ごめんなさい。カンニングした私は最低です。カンニングだと気が付かずに点数を付けてくれた先生たち、ごめんなさい。
今は勉強をすることが苦ではないです。大学に入ってから勉強が楽しくて仕方が無いです。だから昔の分、大学生から今まで勉強しています。カンニングなんて、ニュースを見なかったら思い出さないくらいには存在を忘れています。今は勉強が楽しいです。自由に、好きに、勉強できるのが楽しいです。
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ある島で密かに「人間狩り」を楽しむ狩猟家と、その島に漂着した主人公が殺し合うことになる。
当時人気を博して「マンハントもの」というジャンルを築いた作品であり、ひいては「デスゲームもの」の元祖とも言える。
『最も危険なゲーム』の影響を受けて書かれた作品で、近未来の政府が運営する一対一の殺人ゲームが描かれる。
シェクリイの作品では『危険の報酬』(1960年)も似た設定で、手塚治虫の『火の鳥 生命編』(1980年)や、スティーヴン・キングの『バトルランナー』(1982年)の元ネタとして知られる。
ゲームを管理する権力者と、ゲームをリアリティショーとして楽しむ観客の存在が特徴である。
孤島に漂着した少年たちが殺し合うことになる。『十五少年漂流記』(1888年)をダークにしたような作品。
少年たちが極限状況に放り込まれるという点では『死のロングウォーク』や『バトル・ロワイアル』などの先祖と言える。
「ロングウォーク」と呼ばれる競技に参加した100人の少年たちが最後の一人になるまで歩き続ける。
少年たちはルールに基づいて死んでいく(運営者によって殺される)が、少年同士の殺し合いではない。
殺人トラップが仕掛けられた謎の建物に閉じ込められた人たちが脱出を目指す。
極限状況・閉鎖空間を舞台としたデスゲームで、暗号解読などの頭脳戦的な要素がある。
ここまで海外。
作中で行われるのが「限定ジャンケン」「Eカード」などオリジナルのゲームであることが特徴。
危険な独自ギャンブルを描いた作品としては『LIAR GAME』(2005年)や『嘘喰い』(2006年)などが続く。
日本において「デスゲームもの」というジャンルを確立したと言える大ヒット作。
死んだ人間たちが謎の黒い球体に呼び出されて宇宙人を倒すように命じられる。
超常的なゲーム運営者、ゲームを行うための特殊な空間、協力型のミッションなどが特徴。
13人の仮面ライダーたちが最後の一人になるまで殺し合うという、仮面ライダーとしては異色の設定で話題となった。
殺し合いそのものは超人たちによる異能バトル的なもので、戦闘能力のない一般人が無残に死んでいくような趣向は薄い。
『ローゼンメイデン』(2002年)や『Fate/stay night』(2004年)などの後続作品から「バトロワもの」が確立されていった。
VRオンラインゲームに参加する1万人のプレイヤーがログアウト不能になり、ゲームの中で死ねば現実世界でも死ぬという状況で、ゲームクリアを目指すことになる。
ここでの「デスゲーム」は「(本来なら死ぬはずがないのに)本当に死んでしまうコンピュータゲーム」という意味であり、他とは意味がやや異なる。
第六十三条
次の各号のいずれかに該当するときは、その違反行為をした者は、これを一年以上十年以下の懲役又は二十万円以上三百万円以下の罰金に処する。
一 暴行、脅迫、監禁その他精神又は身体の自由を不当に拘束する手段によつて、職業紹介、労働者の募集若しくは労働者の供給を行い、又はこれらに従事したとき。
二 公衆衛生又は公衆道徳上有害な業務に就かせる目的で、職業紹介、労働者の募集、募集情報等提供若しくは労働者の供給を行い、又はこれらに従事したとき。
簡単に言えば、マインドコントロールや、色恋営業や、借金を返済させるために仕事を紹介するのが違法らしい
参考:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/index_00037.html
昔はもっとたくさんあったんだろうな
私の両親は6歳のころに離婚した。
ある日突然、父が私と姉を実家に連れて行った。
父は離婚したくて、両親に相談したところ連れて来いと言われたそうだ。
ところが、祖父母は「私ちゃんは育てられない」と言ったらしい。
父は祖父の会社で働いていたし、両親の手がないと子供を育てられない、自分だけでは育てられないから、両親の言うことを聞くしかなかったらしい。
祖父(父の)は祖母(母の)に電話をして、「その家を三日以内に出ていけ、お前の娘(母)は大阪に連れて帰れ」といったそうだ。
母は私と姉を父の実家に迎えに来た。私はその時のことを覚えている。
祖父母と母親の言い争う声、母の泣き声、今なら母が不憫で仕方ない。
母は当時28歳とかで、父は37歳とか、実家は遠方で誰も頼れず、誰にも気が付かれず、頭のおかしい義両親にいじめられていたのだ。
母の実家がサラリーマン家庭であることを馬鹿にし、週に何度も小言を言いに訪問し、二人の娘のうち、一人だけをかわいがり、母は参っていたんだと思う。
そんな状況の中で子どもを拉致られ、取り返しに来たら罵倒され、姉の方は絶対に返さないけど、妹の方なら連れて帰れと母は言われたのだ。
祖母が実際にそういったらしいが、隣にいた私の父は一言の反論もしなかったそうだ。
母と私はこうして二人で暮らすことになった。
別居状態で姉の親権を一年ほど争っていたけど、父からの婚姻費用も貰えす、離婚は成立していないので母子家庭状態かつ収入もほぼないのに児童扶養手当も貰えない状況で、母は離婚に応じるしかなかったらしい。
父は私に毎週会いに来た。父は私のことが大好きで、一緒に暮らしたいとしきりに言っていたし、なんでも買ってくれて何でも食べさせてくれた。
私は父が大好きだった。
母との暮らしは極貧だったうえに、母は病んでしまってアル中、家はゴミ屋敷だった。
家の中にコバエが死ぬほど飛んでいたし、シンクはカビだらけ、家中めちゃくちゃだった。
怖いもので、私はそんな家の中でまともな感覚を失い、その状態に完全に慣れていた。細かいエピソードは割愛させてもらうが、私も母もまともじゃなかった。
そんな中、母に彼氏ができた。(離婚後、男遊びはまあまあしていたみたいだけど、さすがに育児放棄はしてませんでした。毎日帰ってくるし、男を連れ込んだりもしてません。そんな中一人の男が彼氏になりました。)
これを読んでくださっている人の中には、ヤバイ!って思った人がいるかもしれないけど、そうです、やばいです。
この彼氏、DV男でした。すぐ不機嫌になるし、すぐキレるし、機嫌を取ってあげないといけないタイプでした。なんでや!!!!
母はこの男と付き合いだしてから、家にいるときはずっと電話していた。マジでずっと。
母はキッチンでずっと電話してて、私はリビングで一人でご飯を食べて一人でテレビを観て、母と会話なんてほぼしない生活になった。やば。
私が母と話したくて話しかけに行くと、あっち行ってて、って感じだった。なんかかわいそうになってきた笑
まあ当然私は不愉快極まりないわけで、最悪!!って感じでした。
その男と初めて会ったのはいつだったかな、忘れたけど、私と母でその男の住む地域に遊びに行った。
その時、その男は私と母をいろんなところに連れて行ってくれたけど、私は終止不機嫌。
なんせ父が大好きだったし、母が違う男に夢中になり、無理やり連れてこられ、何もうれしくないんだから。
その帰りの電車で母に叱られた。
私は何も反論できなくてぽろぽろ泣いた。なんか悲しくて悲しくて仕方なかった。
そのうち私と母の暮らすアパートに男は入りびたるようになった。最悪である。
母とその男の喧嘩は壮絶で、すごい怒鳴りあうし、母は携帯を折られるし殴られるしガチやばかった。
私は殴られたことないけど、なんで付き合ってるのかわからなかった。
夜、私に風呂に入ってこいって命令して、私が風呂に入っているときに子作りしていた。グロすぎ。ちょっと成長してからあの時のあれって...ってなった時吐きそうになったわ。
そのおかげで、私が小3のときに母に赤ちゃんができたので、母はその男と結婚すると言い出した。意味不明だった。
引っ越すから父や姉と会えなくなるし、転校することになって、今度は私が病み散らかした。
私と母は、その男が住んでいる県に引っ越した。毎週のように会っていた父とも会えなくなり、友達もいない、親戚もいない、来たこともない土地に連行された。
小4にして人生どん底、母しか頼れないのに、母は新しい夫の世話と赤ちゃんに追われ、私は人生でこのときが一番孤独だった。
私の反抗的な態度に腹を立てると、男はその文句を母にぶつけて喧嘩がはじまる。
喧嘩は私のせいだと母に怒られる。
(あと母のいないところで若干セクハラされたことある実は。忘れてた。)
私と母はこのころから毎日のように喧嘩していた。今思えば、私の反抗期(?)と母の余裕のなさがベストマッチだった。
私は母に殴られるし、物投げられるし、首絞められるし、髪をハサミで急に切られるし、児相案件では??って感じだった。
母も母で、めんどくさい男の機嫌を損ねるうっとうしい娘と生まれたての赤ちゃんを抱えた貧乏生活で、すっごい大変だったんだと思う。今ならわかるよ。
まあ自分で選んだんやろって昔は思っていたけど。
当時はマジで貧乏で、母は私に、「パパに電話してお金もらって」って言ってきてた。
正直これは本当にしんどくて、父は母にお金を渡したくないから、超板挟みだった。ちなみに母の再婚後に父は養育費を払うのをやめました。
母もわかっているから、私が欲しいものを買うお金をもらう体で頼めって言ってきた。あれが必要、これが必要、あれが欲しいこれが欲しいって言えみたいな。
私はその電話を本当にしたくなかったけど、母は絶対に譲らないから、電話するまで何時間でも迫ってきた。
小学生の私はそこで折れないほど強くなかったから、父に電話してた。
父にお金をせびるのは中学生くらいまで続いたかな、父には申し訳なかった。私もつらかったんだけどね。
私は本当に病んでて、小学生の頃は腕切ってた。笑
中学校に入ってからは人生楽しくなってきて、部活に勉強に忙しくしてて、私の中で家庭が占める割合が減ってきたから、そこまで病み散らすことがなくなった。
母と男と弟で普通の家族なのに、私邪魔じゃねって思っていたことぐらい。
でも母との仲は最悪で、喧嘩はヒートアップしてた。私も体力がついてきたので普通に殴り合いしてた笑
そういえば母はなぜか友達と遊びに行くことをよく思っていなかったのがすごく不思議。その喧嘩すごく多かった気がする。
高校受験の時はそれなりにもめた。私は県外の高校に行って親元を離れたかったけど母は猛反対。
私も頑張って説得しようとしたけど、結局無理で戦意喪失、勉強する気が失せて公立落ちて私立に進学することになった。
高校に入ったらもう無敵、親に何言われようが無視。なんでも強行突破できるくらいには私も強くなった。
バイトも早々に始めたけど、はじめの一年くらいは母管理だった。普通にお金取られてたけど、ほんと大したことない。小学生の頃のつらさに比べたら屁でもない。
あ、高校は自分のせいで私立になっちゃったので学費はバイト代で払うと申し出た。
3か月に一度13万くらいの引き落としがあって、私は月3万母に手渡し。
補助金は後から振り込まれるので、いったん払う必要があり、私はバイト代を渡していた。
私立助成が月3万ちょいあるから、絶対黒字だったけど、私そんなに払わなくてよかったけど払ってた。自分が私立選んだんだし、母はいるって言い張ってたし。
あと携帯代も1万円渡してたから、毎月母に4万円手渡ししていた。
だからいっぱいバイトしてた。友達出来てすごい楽しかったから、別に苦じゃなかった。
さあ大学受験!私は絶対に実家を出るという強い意志があったので、都内の大学に進学することを決めた。
父の出番が来ました。父です。私の父は先述の通り私大好きなので、私が上京するよと言ったら大喜び、生活費を出してくれることになりました。
さすがに一緒には住まなかったけど、生活費(家賃、光熱費、食費)を毎月定額で支援してくれた。
わたしってスーパーラッキーガールだと確信しました。なんて恵まれてるんや。
ちなみに学費は全額借金です。これは仕方ないし文句もない、私の責任において私がしっかり返済する。
大学行けただけで大感謝。ほんと素晴らしい人生。ラッキー人生。
大学に入学し、一人暮らしがはじまると、お金に余裕は全然ないながらも、めっちゃ楽しい生活。
ただ定期的に母から金貸してって言われることがだるいくらい。消費者金融とかに借金してほしくないから貸してたけど返ってこないのであげたことにする。
母と距離を置くようになったらめっちゃ仲良しになった。最高。マジ友達。
私と母は一緒にいろいろ乗り越えてきた戦友で、家事育児(弟)も完全ツーオペで、離婚も再婚も貧乏もDVも全部一緒に一生懸命乗り越えてきた戦友。
母の苦労を一番わかっているのは私で、私のことを一番よく知っているのももちろん母。
母は立派な親じゃないし、立派な人間っていうわけでもない。
親なのに、母なのに、大人なのに、って私はずっと理想の母と比べていたけど、母は母でしかないことにようやく気が付いた。
母は母なりに一生懸命やったし、母もどうすればいいかわからなかったし、申し訳ないとか本当はこうしたいとか、いろいろ考えてたはず。
だから今恨んだりしない。文句は全然言うけど母を断罪できるほど私は偉くないし。
ちなみにDV男はDVこそしなくなったけど、(何回か警察沙汰になってる笑)いまだにわがままくそ自己中男です。
でも昔に比べたらほんと丸くなった。ちなみに私のこと大好き。マジで。帰省するの超楽しみにしてるっぽい笑
父は私を溺愛しているから、私と一緒に住みたいとか、将来は一緒に住もうとか、私と暮らすのが人生の目標だったとかいろいろ言ってきます。
皆さんどう思いますか。
どういった経緯で離婚に至ったのか思い出してください。
私はちょっと複雑なんです。
私と母をある日突然捨てておいてって思っちゃう。姉と突然引き離して。
離婚はどっちが悪いとかじゃないとはいえ。手段は悪かったんちゃいますの。
父がいなければ大学に行けてないし生活もできてないから感謝はもちろんしているけど、私と母がどんだけ苦労したと思ってますの???
ついでに姉も大変病み散らかして大変こじらせていて、ヲタクの高校中退のフリーター。
姉が父の実家でどんな思いで暮らしてきたと思っているの。ある日突然母親を奪って。
私は母に申し訳なくて父と一緒に住むことはとてもできない。でもはっきりそう言えない。今は父に生かされてるから。
これはコンプレックスの話なんですけど、いとこの存在が私の家庭環境コンプを刺激するんです。
それぞれ大変なこともあると思うけど、私の目には普通で幸せな家庭に写る。
いとこたちは両親がそろった家で、食べるものにも住むところにも困らず、お金の苦労も知らず、本当に大切に育てられている。
誰かを恨んでいるわけじゃないけど、自分が惨めで仕方ない。
私が欲しくて欲しくて仕方なくてどんなに努力しても頑張っても望んでも絶対に手に入らないものを生まれながらに持っているじゃん。
普段は接点ないから感じないけどたまに関わると自分が惨めになってて。
そんなどうしようもないこと考えるなよって思うけど、ほんとに誰にも言えなくて、誰かに聞いてもらったらすっきりするかなと思ってこれ書くことにした。
長すぎて誰も読まないかもしれないけど、私の誰にも言えない話を読んでくれたら本当にうれしいしこの気持ちが晴れる気がする。
読んでくれて本当にありがとう。読んでくれる人がいたらまた思い出話させて。
中山功太が西野のことを「金銭欲がないとか言ってる割にクラファンで金集めてるのおかしくない?」って刺して、それに対して西野とかホラレとかから「金の流れが分かってない」とか言われてるけどさ。
もろちん、西野が直接的に自分の私腹を肥やそうとクラファンしてるわけじゃなくて会社や企画の運営費を集めるためにやってるのは分かってるけど、そもそも自己資金で賄うとか銀行とか知人とかから金借りてやるとかが普通なんじゃないの?
いつから「他人から金かき集めてなんかやる」ことが普通になっちゃったの?銀行の金も知人の金もそりゃ厳密には「他人の金」だけど、「自分の借金」じゃん。結局、クラファンに頼ってなんかやるのって最終的には自分の腹痛めないで、自分の金は減らさないでなんかやりたいっていう、金銭欲につながってんじゃないの?
もろちん、クラファンには自分の資金力ではどうにもならない規模の企画や事業の「足しに」するために行われていて、銀行からも借りる、親からも借りる、でも足りないからやるみたいなもんが多いってのは知ってるし、個人的にはそうであるべきだと思うんだよね。
西野みたいな十二分に金がある奴が趣味みたいな形でやるんだったら、自分の全部自分の金でやった上で、そこから出た利益を自分にリターンすればよくない?と思ってしまう。
ほんと同情すべき点がいっこもねーな。そもそも元婚約者がポンジスキームに「巻き込まれて」莫大な借金が、というが、投資だけでは借金がふくらむわけではないので、結局詐欺の親玉の片棒担いでたって話やろ。多くの詐欺被害者からすれば、あんたが元婚約者にもてなされ贅沢させてもらってた金は、そいつが自分らを騙して巻き上げてた金の一部なわけで、ポンジスキームって言葉知っててからくりを考えたら少しは申し訳ない気持ちになってもいいだろと思うが、そういう気配は欠片もない。その上、
・婚約破棄「された」と被害者ぶってるが、破棄したのはあんたの親族側だろ。
・金を理由に家を追い出「された」と言うが、その親族も金目当てであんたを29まで飼ってたってことか。ひでー家族だが、そいつらに29までのうのうと飼われていた時点で同罪だわ。
・そもそも「愛してた」って、どの辺? ソイツの人間性など何も言及が無い。結局、金の切れ目で縁切ってんだから、それ以外理由がないだろ。自覚無いのか?未練があるのは「手に入りかけてた優雅な社長夫人専業主婦ライフ」の方だろ。
・まともに結婚する気もないのに結婚相談所荒らして回って迷惑かけまくって、「金払えばいいだろ」と言わんばかりに金払って退所。実家金持ちか?お里が知れるな。
・そもそもそれ誰の金だ? 自分で稼いでないなら、おウチからの手切れ金か何かだろ。その後食い詰めたらどうする気なんだ。公的扶助頼りか? まともに働けや少しは。
・SNSで結婚相手募集。応募するヤツも馬鹿だとは思うが「適当に結婚したのだし、適当に離婚すればいいと思ってた」って何? まさか手切れ金ビジネスでも始めたの? あんたも大概犯罪者だな。
・そして真面目に「愛してる」と言い、こんなクズを拾い上げてくれた相手が離婚してくれないことに逆切れ。宛てが外れたんだろうが、相手の戸籍に×イチつけることに反省無し。
・そんな狂った人生観を批判してくれた相手(あんたの人生にようやく奇跡的に現れた「まともな」人間)の説教をモラハラ扱い。
・さらに、自宅ではしつこく離婚しろと迫り相手を鬱に追い込む。なぜ自分の人生を反省する方向へと舵を切らなかった? 真面目に反省してやり直せば、ここからでもワンチャン逆転あったのに。
そして今、か。一体あんた、生きてるだけでどんだけ周りに不幸をまき散らしてきたんだ。空恐ろしくなるレベル。ゴジラか?ほぼほぼ歩く災害。
あんたそもそも生まれてから今まで誰かにいいことしたこと一度でもあるのか?。してもらってばかり、不平不満垂れ流すばっかりで人生渡ってきたんだろうなという感想。普通の人は、幸せになろうと努力して努力してコツコツ積み上げて、それでも不意の災害とかでそれが取り上げられそうになってもめげず、不可抗力を呪わず、与えられたものの中で精一杯のラインを見つけて、そんでやっと少しだけはかない幸せをつかんだり、それも失ったり、またイチから繰り返したり……そういうもんなんだよ。
それを何だ? イイトコ生まれで容姿も恵まれたんだか知らないが、詐欺師にひっかかって頭がパーになって、周りを振り回して迷惑かけまくって「私って何て不幸なのかしら」…とか。アホか。そんなこと言う前に、自分が迷惑かけた人間のところ全部回って土下座して、できる限りの償いをしろ。あるいは、今更どうにもできないなら、せめてそれに見合う社会貢献をしろ。薄給に耐え、社会のためになる仕事に就いて、身を粉にして働け。自分のことは全部後回しにして10年は仕事に命捧げろ。そんで「あの人はなんであんなに人のために一所懸命になれるんだろ?……」「実はね、ああ見えてあの人若い頃……」「え、信じられない……でも、それであそこまでできるってスゴイですね」とか言われる位になれ。そうしてやっと、マイナス1000点くらいのレベルにあったあんたの人生も、何とか死ぬまでにゼロに戻せるかなぁ……くらいまでは浮上するかもしれない。そうなって初めて、幸せの欠片ぐらいは見えてくるだろ。
誰も教えてくれなかったのかもしれないが、この世界、厚意や幸福というパイの取引において、誰かを蹴落としてソイツの分を掴む、ってゲームを全員がやったらゲームは破綻するんだよ。なぜならパイを焼いてるのは参加者で、蹴落とされる人間もパイを供給する側だからな。だから、長い年月の間に「パイを焼かないクセに分け前だけ主張する、って人間は排除しよう」という暗黙のルールが出来上がってるわけ。だから、誰かに親切にした人間は、親切にされる。誰かを足蹴にしてきた人間は、足蹴にされる。因果応報の定め、それが道理だ。そんな世界で、あんたは「誰かに親切にしてきてもらった」のに「周りに不幸をまき散らし続け」てきたんだ。それでどうやって「幸福になれる」なんて発想が出てくるんだ。生まれがよかったから? でも、29まで養ってもらった時点でチャラだし追い出された時点でパーだな。容姿に恵まれたから? それで結婚できたんだから御の字で、そこから先はもう容姿も限界だよな。で、もう何も残ってない。あんたがこれから幸せパイの取引に参加し続けたいのなら、真っ当に「幸せ」というパイを無償で供給しまくる側にまわるしかない。簡単な話だよ。幸福の銀行口座はすでにみたことないぐらいの赤字だとしても、まあどうにか生きて増田に書き込みするほどのんきな身分だというだけで、まだまだ底でも無いからな。
もちろん健常者には健常者なりの苦労があるし、学校や仕事だって大変だろう、趣味に力を入れるのだって、家庭を持つことだって大変だろう、そんなことはわかっている。痛いほどわかっている。だから私が今から語る感情が、全て甘えであることもわかっている。そのうえで私は健常者が憎い。
私は重めの躁うつ病で、躁(調子が良い)のときは仕事に精を出したり趣味である絵に打ち込んだりいろいろなところへ出かけたり様々な人と話したりとThe充実した人生!のようなものを送れている。(なお、この際不眠になったり人と喧嘩したり散財のし過ぎで多額の借金を作ったり性的逸脱をしたりすることについては目を瞑ることとする)
ところが、ある日突然体がまったく動かなくなるのだ。布団から起き上がれない。頭が回らない。頭が、全身が痛い。何も考えられない。仕事も行けないし趣味もできないし食事や風呂もままならない。少し前まで普通に生活できていたぶん、そのショックは大きい。何も出来ない自分のことが本当に情けなくなり、死にたいとすら思うがまず死ぬための行動を起こす元気がない。苦しい。不安と絶望に包まれる。
誰かに相談しようにも、私の人間関係は躁のときに構築されたものなので、うつだなんだと言っても信じてもらえるはずもない。万が一信じてもらえたとして、過度に心配されても申し訳ないだけだ。
フォロワーの描いた可愛らしい絵が流れてくる。絵を描けるだけの肉体的、精神的余裕がある人間が心底羨ましい。きっとあの人は健常者なのだろう。憎い。
そうして闘病垢を開く。流れてくるのは闘病をしながらも趣味やファッションを楽しむフォロワーたちの自撮り。仕事を頑張る旨のツイート。綺麗な面しかSNSに見せていないだけだと言われればそれまでなのだが、とてもキラキラして見える。憎い。きっとファッションメンヘラか、私よりも病気の程度が軽いのだろう。私と同等の人間は、そもそも表に出てこない。これもダメだ、閉じる。
本当はわかっている。自分がただ努力のできないゴミカスのクズ、怠惰に甘えて寝ているだけで、何気なく絵を描いたり仕事に行ったりオシャレをしたりと私のやりたいことをしている人達は血反吐を吐いて頑張ってなんとかそれをこなしていて、本当はずっと死にたいと思って、それでも意地で踏みとどまって生きているんだと。
でももし、そうじゃなかったら?本当に何気なく「あ〜かったりぃなぁ〜ポリポリ」くらいのノリで生きていけているのだとしたら?その考えが頭によぎる度に健常者のことが殺したいほど憎くなる。
でもこの世にいる健常な人間を全て殺して回るより自分が死んだほうが早いから、おとなしく命を絶つ方向で考えます。今はそんな元気もないから布団で横になる。