はてなキーワード: 意思決定とは
ポジティブに捉えるならそうなると思う。
人よりも答えを出すのに時間がかかるタイプだし、自分の認識に対して懐疑的な人間だ。いや、そうなってしまったと言った方が正しい。
僕にとって会社を大きくするということは、自己認識の誤りに気づいていくプロセスのように感じる。なぜならば組織は、会社は、社会との利害調整をどのように行ったかによって利潤の最大化が期待される。社会に求められる利害調整の最大公約数をシステムとして包括的に捉えたときに、会社は拡大する。大抵の場合、自己認識が間違っていたことを認めることによって拡大の兆しを捉える。
他方で、自己認識の誤りに気づくということと、創業した会社をどうしたかったのかという点、理想を追求するという点で矛盾が起こる。この矛盾こそが、意思決定の歪みをもたらし、悩み、苦しみ、間違った判断を招いている。
つまり、出発点が間違っていた場合、継続の意思をどのように保つのかという究極的な問いに戻りかねないのだ。
学生時代から、自分は比較的左寄りの人間だったと思う。しかも、その左寄りの発想が稼ぎを生み出すという点で相応しくないかもしれないということもまた、おそらく大学生のうちからうっすらと気づいていたことなのかもしれない。
自身の持つ価値観そのものが、欲望との接合点になかった場合、もれなく葛藤に堕ちる。社会に適応することの難度が高くなっていることを実感する。
だけど自分は、今思えばその手の悩みを「生きるためには仕方ねえ部分もあるだろ。じゃあお前はもう一生社会構成員にはなれねえだろ」と一蹴できるタイプの人間でもあると思う。この社会そのものが悪意駆動ということに対して、しかたないで済ませられる程度には理解があると思う。でもそれは、なぜそう思えるかでいったら、「たまたま自分が能力的に言えば比較的上位レイヤーとして生まれ育つことができた」と自覚しているからだと思う。客観的に言えば自分は怖れられるタイプの人間だし、マッチョなことを言うタイプだと思う。そんな自分が「思想でいったら労働党寄りだし、保守層って感じでもない。」って言ったら驚かれるかもしれない。
これは自意識の問題なのだ。なぜそのような自意識のねじれが起きてしまうかで言えば、理由は一言で表される。つまり、
成熟した社会では、どんな能力を持つ若者ですら相対的な弱者であるから。
その中でも、「究極的な競争に身を置く」ことを決断したということでもある。これは正直普通の決断じゃない。よっぽど深刻な悪意を孕んでいるか、よっぽど誠実かつ相当自分の能力を過信していないとできないことだと思う。おそらく自分は後者だった。
高い能力から繰り出される成熟社会における付加価値へのこだわりは、組織拡大に悪影響を及ぼす。自己認識と社会認識のズレが引き起こす諸問題は従業員を困惑させる。
会社拡大は大まかにいって採用と事業二つのマーケットから価値を認められることが重要だ。正直うちらのようなサイズの会社が採用マーケットで選ばれることの難度は鬼高い。
労働集約ビジネスが個人の能力に依拠して成立するとするならば、その個人の能力が付加価値要素になると認められない限りは品質の維持ができないことを意味してしまうが、そもそもそのようなフィールドに品質で競争優位をもたらすことを兼ねてより企画してはいけないのだ。当然創業メンバーは気が狂っているので、その手のマーケットでトップオブトップの品質を出すことくらいできなければとても起業なんて博打を打ってでないだろう。だけど現実的に採用できる人員構成のことを鼻っから検討もしていないことも同時にある。
自分の場合は「未経験でも自分の想定している通りの経験を踏めば誰でもできるようになるだろう」って信じていたし、そのことが自分を常に悩ませてきたと思っている。
育成に取り組むことも組織拡大において一番最初に捉えてしまうかもしれないが、経験的に言って、それがもっとも最後に取り組むべき課題であると言わざるを得ない。
なぜ銀行が人件費に対して支出することを許容しないのかのその意味をずっと考え続けていたが、彼らはやはり確率的にそのような支出が取り返しのつかないことになる可能性を誰よりもよく理解している。
高い品質を維持することの難しさと、顧客定着の難しさを同時に学習する。理想論で言えば顧客定着のその割合が高ければ高い方がいいに決まっている。でもなぜ現実的にそうなっていないのかをもっと深刻に考えるべきだ。「自分であればその課題を克服できるのではないか」という安易な驕りが、成長を妨げる可能性を考慮していない浅はかさをまず呪うべきである。
はっきり言おう。自分がつくりたかったのは自分の平穏だっただろう。
そのために、自分と同じ夢を見てくれる人ができる限り多くいてほしいと願った。
それは、今もこれからも望むべきではない。
心中、少なくとも意思決定能力のない子供に対するそれはただの身勝手な殺人で、情状酌量の余地など皆無だと思うんだが、何故こんなに同情されるんだろう?
しかも心中するとか言って自分だけちゃっかり生き残ってるじゃん
何処に同情する要素があるのか分からない
「ボロボロになりながらも不妊治療を続け、5人の子どもを失った。」も何も、それは自分の意思で選んだ事ですよね?
そんな夫を選んだのに不妊治療を続けたのも自分の意思でしかないのに、何故降って湧いた災いかのように言うのか意味が分からない。
結婚したくても出来なかった女性の事は嫁き遅れだの売れ残りだのと馬鹿にする一方で
自らの意思で男を選んで結婚し子供を産んだ女が同情される意味が本当に理解出来ない
しかも、もっと年配ならまだしも36歳って私よりも若いし、到底女が自立出来ないような時代じゃないのに
どうしてこうも前時代的な「可哀相な妻・母」のイメージで捉えて同情する人が多いのか
(あと、この母親が今36歳で去年殺害した時に息子が8歳、それ以前に5度の不妊治療って事はおそらく20代前半で結婚しているんだが、
『女が若ければ必ず健康な子供が産める』という信仰を押し付ける人達はどう思うのか)
42歳結婚10年目を迎えた。
それでも外で会う相手は素敵でとくにこれまで付き合ってきた人も居たわけではないから
デートのたびに心を動かされてきた。
生活を共にするとその性格の杜撰さがはっきりとみえるようになった。
食べたお皿は出しっぱなし、部屋も整理整頓できない、仕事の書類が見つからないなんてしょっちゅうだった。
こんなやつごめんだ...。
一緒にいても楽しくない。カビのような態度がうつってそのうち私もだめになりそう
片づけに関しては
直してと言っても全くもって直す様子も見受けられないし
言うことを聞いてくれない。
私が買った最新の電子機器もこんな態度の生活のせいでどこにいったか見当たらない。
つい相手のせいにしたくなる。そうしていらいらして小言を言うとむしろ言い返されて怒られる。
ならば家を出ていけばいいと言うだろう。それでも精神的にも物理的にも依存している面が少なからずあって
なかなかこびりついた生活態度を改められない。
きっと相手にとってはそれが慣れていて変えたくもない環境なのだけれど
私にとっては餌を餌として与えられているだけで利点がさほどない。
じゃあどうして一緒にいるの?と聞かれるわけだけれど
大きな決定権や性の面倒を見てもらっていて負担がかからないからだろう。
だから思い切って大人になるには離れなければならないのだけれどアラフォーで経済的にも精神的にも頼っている面があって
それを実行できる気がしない。
そういっただらしない態度が苦しめていて
生活態度の変化、そういったアグレッションなものの見方をできず
もうだめになってしまう。
この人といたらだめになる。そう理解しているからこそ離れなければならない。
にもかかわらず行動を起こさず半年が経った。
不動の第一位はアメリカ合衆国大統領(核ボタン)で決まりだろうけど。
医者とか化学系ジョブだと毒薬が使えるけど急性の毒だと給水塔に混ぜたりしても初動で死んでいくのが目立って後が続かなそう。
(追記)
自薦のハテノチャンさん、どうしてもというなら2位にしてあげてもいいです。
でもさーアメリカ合衆国大統領の核ボタンも独断では押せないみたいな、万一狂ってもなんとかなる仕組みみたいのがある場合が多いね。
決定に関与できる全員が発射オッケーって状態になれば実行可能だけどさすがにそうなると狂ってるというよりそれなりの理由があるはず(と思いたい)。
意思決定者の全員がやべー状態になるのは為政者よりも宗教系が多そう。歯止めもあんま効かなそう。
本当にソロ状態で狂った場合にやべーのはパイロット・電車の運転手とかか。
職業に関係なく放火すれば大量に殺せるってブコメあったけどそれがアメリカだと銃乱射になるよね。
放火だとある程度計画的にやらないと大量に亡くなることはないけど(無計画で大量に亡くなった例は、偶然が重なってる場合も多いと思う)
それに比べて銃のほうは狙ってトリガー引くだけだから思い立ったが吉日みたいなソロのやべー奴にとっては渡りに船な感じだよね。
(追記)
そ……そういうことか!
おしゃべりなわたくし=ハテノチャンさん本人ではなく、
それぞれはいち個人という意味の「わたくし」の集合体がおしゃべり=SNSなどで悪意を発露することがやがては人を死に至らしめる狂気を形成していくという暗示!
小ボケに見せかけてインターネッツ社会の闇を鋭く指摘するハテノチャンさん、やっぱ恐ろしいわ。狂ったらとんでもないことになりそう。
まず少年犯罪の犯人の実名を出すか出さないかと「人権があるかないか」ってあんま関係なくない?
だって大人の犯罪者は名前出すやん?あれは「人権が無いから」名前出してるわけじゃないだろ?
まあその点に目をつぶるとしても、「野獣」ってのもよくないよね。
だって、実名報道なんて言論の自由で基本やってOKのところを単に自主規制してるだけなんだから。
そこに明確に野獣であるから人権はない(=実名報道していい)みたいな条件がいきなり出てきたらまるで「野獣であるかどうか」が実名報道の要件みたいじゃん。
あの場面は「実名報道するかどうかは報道機関の自由であり今回は実名とした。個別の意思決定の詳細についてはお答えしかねる」くらいの発表で良かった。
この状況は非常に難しいものです。
彼女があなたを信頼していないことを理解し、その信頼を取り戻すのは時間がかかることがあります。
以下は、この状況に向き合う一助となるかもしれないアドバイスです:
一度浮気したことは事実ですが、誠実に謝罪し、反省の意を示すことが大切です。
自分の過ちを認め、改善しようとする姿勢を示すことが信頼を取り戻す第一歩です。
カウンセリングや夫婦セラピストの協力を得ることを検討しましょう。
専門家のアドバイスを受けることで、お互いの感情やコミュニケーションの問題を解決する手助けになります。
彼女の不安や恐れ、あなたの気持ちについて話すことで、お互いが理解し合う手助けになります。
また、リスニングスキルを発展させ、相手の意見や感情に耳を傾けることも大切です。
忍耐強く努力を続けましょう。
過去の過ちを繰り返さないことや、改善された行動を示すことが大切です。
薬をやめることができない状況があることを考慮し、一緒に医師と相談することで、将来のリスクを最小限に抑える方法を検討しましょう。
最終的に、信頼の回復は時間がかかることがありますが、お互いに努力を重ね、コミュニケーションを深めることで、問題を解決し、再び健康な夫婦関係を築くことができるかもしれません。
単純に、潮目が変わって叩きやすい女性が目立つようになったからジャニーズ問題も女性に全部押し付けて逃げ切ろうってミソジニーの雰囲気を感じてしまう。
あなたから見てそう見えるだけで、他の多くの人は、ジャニーと妹が死んで影響力が弱まり、世界全体の人権意識が高まり、BBCが大きくこの問題を取り上げたので潮目が変わったと見てるんだよ。ブコメにあるように社長が甥(男性)でも同じことが起きていたと思うよ。
なので、あなたが主張してる内容に対して他の人は、前提となる認識があまりにも突飛な方向にずれていて議論が出来ないと感じると思うよ。
もちろん、この問題で騒ぐ人の中には、当然ミソジニー思想の持ち主もいて、先日の山本なんとかのように女の問題に矮小化する輩もいるのは事実。
・ テレビ局など大手マスメディアの忖度体質(意思決定者の多くは男性)
⇒タレントかスポンサーが希望すれば個人契約に切り替えるなどの対応を、ジャニーズ事務所も認めて欲しい
・ タレント個人ではなく、ジャニーズ事務所自体を擁護するようなジャニーズファン(多数は女性)
だと思うよ。
Jオタクじゃない自分のTwitter()にも連日Jオタクたちの必死なツイート()が流れてきていて、巻き込まれて不憫だなと思う反面モヤッとする内容もあったりするので、出産を機に2次3次問わず小児性愛が受け付けられなくなった自分のためにこの気持ちを吐き出しておきたい。
ちなみに小児性愛自体を憎く思ってるわけではなく、パッと見えるところに出しておかないでほしいな、そしてそういうコンテンツだとしても現実に存在する子供たちを巻き込まないでほしいなという塩梅。
※まとめはしてるが勢い任せに書き殴ってるので読みづらい
※事実誤認があれば訂正する
団体の中で矢面に立ってる人達にいろいろな疑惑があるそうで・・・。被害にあってないと過去に発言していたという人もいるとか・・・。全員がそうなの?被害者3桁くらいいるみたいだけど全員が金に困っててあわよくばを狙ってる人なの?
代表者がまあいろいろとグレーな人だったとしたら隠れ蓑にされて2次被害3次被害まで起きそうだし、近年の公金チューチュー団体を彷彿とさせるので今回の性被害を認否するのとは別問題としてきちんと調査してもらえるといいなと思うし、事務所側も法を飛び越えて保証するとするのはどうなのかな・・・。邪悪な錬金術の格好の的にならんように適正な会計処理でもって対応してほしい。
なんにせよ過去に判決も出ている、今回も事務所側が性加害を認めている、業界内でも噂になっていたのなら、被害者は”間違いなくいる”ので、一部を切り取って性加害はなかった!と外野が断じるのは身勝手。
加害者の名前を冠してるってところが難しいね、名前変えることだけが禊になるわけじゃないが、パッと見て改善する意思があるんだなというのがわかるので変えるのがベターだと思う。
それはそうとしてタレントたちに名前のことヒアリングしたみたいだけど、するのは勝手だけどそれを公表する意味が分からん。従業員の希望なので!って責任取る気ないんだな、あくまでも従業員のお気持ちが第一優先なんだなって思った。
そして一番問題だなと思ったのが、親族である前社長が全株持ったまま、新社長に所属タレントを起用したこと。この期に及んで隷属意識のある従業員(ある意味被害者)を矢面に立たせて、決定権は持たせず名実ともに責任だけを課してしまうのは改善する気あるのか疑わしい。あの会見はまじでグロテスクだった。根本から変えるなら会社解体して外部の人間に新たに事務所立ててもらうか、全員別事務所に移籍かフリーランスになるかしかない。移籍・・・辞めて事務所立てた人たちいたよね・・・?ってところで知人のオタクが最近設立したTBの社長の差し金なんじゃって邪推してたけど可能性なくはないのかな、どうなのオタクたち・・・。詳しくないから政治的な事情はわからん。
某一流芸能人が乗っかりコンプライアンスって発言してましたね。まあ今頑張ってるタレントとそのファンのことを考えると痛ましいけど、ビジネスは人情じゃないしあくまでも契約は事務所と広告代理店とスポンサー企業なので、スポンサーばかりにヘイト向けるのは筋違い。某一流さんもそんなことは百も承知でしょうし多少はパフォーマンス的な側面もありそう。
批判している人々は「加害者は逝去しているし、以前からわかっていたのになぜ今更」という主張は的外れだと思う。これはいじめ問題とよく似てるなと思うんだけど、タレント側が会見で言うように「噂を聞いたことがある」くらいには被害を認識していた。そもそも10年以上前の裁判で判決受けてたのにタレントたちが我関せずを貫いて事務所に居続けたのは、大手事務所の恩恵に与りたいし、事務所を辞める=芸能界で干されるっていう懸念があって辞めるにやめられない、だから黙っていようっていう意思決定があったのでは?被害者でもあるし加害を助長していたことにもつながるんじゃ?
メディア(広告代理店含む)と事務所の間で忖度や圧力があったのは数年前に明らかになっていて、今回の会見でも話題になっていたから、今更~なんてことは全方面にいえること。関係各所全部に責任はあると思ってる。BBCや国連が取り上げなかったらこんな大事にならなかったし、この事務所以外にも芸能界はそういう世界だって認識のまま被害者が増えていくんじゃないの?
この結果についてタレント本人たちがどう思ってるか発言してたなら申し訳ないけど、一部ファンの勝手な願望をタレントの気持ちといわんばかりに主張するのは厄介オタクだな~結局自分のことしか考えてないんだな~と思う。
今回の件がもし未成年の女の子に対してだったとしたら、もし某大型女性アイドルグループにこんなことが起きてたらこんなにもスポンサーや被害者にヘイトって向かないだろうし、それくらい男性の性被害って軽視されてるように見える。
綺麗ごとだけど、嘘がどうとか代表の疑惑とか責任の所在とかは置いといて、本当に苦しんだ人々が救われることを第一に優先してほしい。
上沼恵美子さんの発言とても良かった。キンコン梶原の5人目妊娠報告の時のコメントもそうだったけど、とても良識がある公正な方だなと思った。
はじめに、いま台風が来ていますので、激しい雨風がある地域に住んでいる方は、どうかお気をつけてください。
みなさんの身体の安全や心の安寧は一番大事なことで、W杯といえど所詮スポーツのラグビーとは、較べるレベルにもないことです。
さて。
2019年の日本大会で日本代表は素晴らしい結果を残し、レビューをしていた自分もみんなと楽しめたことがとても嬉しかった。
そのあとの4年で世界があんなことになるとは思いもしていなかったけど、僕はまたW杯を見ることができるし、みんなもまた楽しめるような状況、心境であるならばいいと思っています。
今大会、前回のように逐一レビューできるかはわからないけど、みんなが観戦する際の手助けが少しでもできたら嬉しいです。
このプールはオーストラリア、ウェールズ、フィジーなどが同居するプールCと並んで、何が起きるかわからない予測不能のプールであり、後述するけど、初戦がどう転んでもDは縺れていくと思う。
配置されたのはイングランド、日本、アルゼンチン、サモア、チリ。
最強豪と見做されるイングランドは、ここ数年不調が続いており、ブチ切れることでおなじみのエディー・ジョーンズHCが責を問われて解任、スティーブ・ボーズウィック氏の元、再出発となった。
こういった交代劇は短期的にはプラスに働くショックとなることも珍しくはないのだが、今のところその兆候は出ていない。
チームを牽引するオーウェン・ファレルをレッドカードのペナルティで3戦目まで欠くのも気がかりだ。
もう1チーム、日本の厚い壁となりそうなアルゼンチンは組み合わせ抽選時のプール内序列3位は明らかに過小評価で実力で言えばイングランドと同格に近い。
現ランキングではイングランドより上位、直近の戦績でもオーストラリアを降し、南アと1点差ゲームを演じるなど、上り調子だ。
「チームとしてまとまりがなく反則しやすい」という長年の弱点があったのだが、ニュージーランド、オーストラリア、フィジーが所属する国際プロリーグ、スーパーラグビー・パシフィックに代表のクローンチームを結成して参加するという強化手法で宿痾を克服してきた。
これは前回大会直前まで日本がとってきた強化手法と一緒で、日本のサンウルブズは戦績こそふるわなかったもの、チームの練度は確実に底上げされ、日本代表の前回の成果に一役かった。
今回のサモアは前回のような「罠に嵌めやすいチーム」ではない。
チリは正直なところ情報をあまりもっていないのだけど、アメリカ・カナダに競り勝って出場を勝ち取っており、これは「えっ」という感じ。
アメリカ・カナダは強豪でこそないものの弱いチームではないのだ。
チリは1勝をもって帰りたい立場なので、狙うのは日本かサモアとなり、初戦の日本に最大限の集中とリソースで挑んでくるように思う。
前回グループリーグ突破の我らが日本はというと、コロナによる強化スタートの遅れ、スーパーラグビーからの除外で強化がうまく進んだとは言い難く、実際の試合をみてもスクラムやキャッチ、パスなどの連携に明らかなほつれが見える。
おまけに初戦はFWの働き者、ピーター・”ラピース”・ラブスカフニをレッドカードの出場停止で欠く。
かなり立場が揺らいでいると言えるだろう。
プールDの初戦、日本はチリと戦うこととなるが、裏ではイングランドとアルゼンチンがまみえる。
本命同士がいきなり潰し合う展開となり、負けたチームは突破のためにもう1敗もできない状況になる。
こうなってくるとサモアがどのチームに取っても厄介だ。
チリ以外の4チームはどこが抜けてもおかしくない混戦になりそうで、なんとしたらしたらチリがこのリーグをかき回す可能性すらある。
未だ未完成の日本代表が波にのれて完成度を高めていけるかは重要で、初戦の開始20分でバタバタと反則を起こさないか、最初のスクラムが安定するかが注目だ。
日本の注目選手では、リーグワンでの脅威の走力と決定力で代表に選出されたCTB、長田智希がリザーブで登場する。
マジック・フットと呼ばれる突破力をもつが、ディフェンスに難があると言われてきた。
直近改善されてきたように思うが、とはいえ最後の砦ポジションのFB出場になったのは驚きだ。
少し心配もあるが、良さが出ればトライ後の「取って詰めてだす」エガちゃんパフォーマンスがみられるかもしれない。
熱戦を期待するし、できればもちろん日本代表には勝利してほしい。
ところでラグビーは頻繁にルール改正がされるスポーツで、ここで前回大会から変わったところと影響について解説したい。
選手の安全性を高めるため、ハイタックルに関する審査は年々厳格化されており、今では肩より上に手がかかったと見做されるとペナルティを取られる。
安全性が高まることについて全く異論がないが、2人がかりのダブルタックルで相手を止めたい日本にとっては厄介なことで、足元をとめるAと上半身を相手の腕ごと殺してパスを出させないようにするB、縦に積まれるBのタックルはどうしても高くなりがちで、より高いタックルスキルと冷静さが求められる。
なのだが、これに、
になるルールが追加された。
導入当初は「難易度が高すぎてどこまでのチームが戦術に組み込めるのか」と言われていたが、蓋を開けてみると欧州勢やニュージーランドは普通に蹴ってくる。
日本を意識したルール改正とは思えないが、筋力に劣る日本にとっては結果として不利に働くルール改正と言えるだろう。
ただ、非常にスキルフルでスリリングなプレーなので、登場すればエキサイティングだ。
みんなも注目してみてほしい。
自分としてはみんなの観戦の手助けできればというのがモチベーションなので、この件に関する言及でもし耳目を集めることがあったとしたら、そこは本意ではないのだけれどもなあ、と思うけど、どんな思いのやつが書いてるのかわからない文書ではモヤがちらついてそっちに気がとられるよ、となるといけないなと思うので、櫻井翔さんがアンバサダーを務めることついても考えを少し話しておきたいと思います。
ラグビーは憲章において品位・情熱・結束・規律・尊重を掲げており、勝つだけでなく、どうあるべきかが重視されています。
性加害が事実認定されたあとも当事者の名前を冠している事務所が、説明を果たして世に価値観を示すべき態度であれているかどうか未だ疑問が残ります。
櫻井翔さんについてはラグビーのプレー経験者であり、アンバサダーの仕事についてもしっかりとした情熱をもって勤めてくれていたのだと思っています。
そのことを自分は嬉しいです。
櫻井さんが事象にどう関わりがあったのか自分は未だ一切わかりませんが、少なくとも事務所に所属したままアンバサダーを務めることは憲章の価値観そぐわないのではないのかな、と自分は思います。
また、自分がSNSのタイムラインを追った時、櫻井さんのファンの方々が櫻井さんきっかけでラグビーを観戦してくれていたのも多く目にしました。
みなさん楽しそうに声援を贈っていらっしゃいました。
そのようなファンの方が、今どう感じていらっしゃるのかは分かりません。
しかし、ラグビーの人気拡大と、人権の加害の問題は、存在する次元が違いすぎて天秤にかけてどちらを取るかというような比較になるべき問題でもないと思います。
櫻井さんファンの方に、ラグビーについてどういう事を言ったりしたり、言わなかったりしなかったりしてほしいかというような事は、烏滸がましくて何もいう事はできません。
ラグビー界側を見ても、日本ラグビーフットボール協会がこの件に関して見解を出さなかったり、意思決定を下して説明をしないのであれば、それは違うのではないかなと思います。
みなさんが最良の選択をしていただけたら良いなと願っています。
現在、9月9日4:49分、開幕戦フランス対ニュージーランドを観ながら自分はこの展望を書いている。
みんなもどうかこの大会を楽しんでほしい。
その手助けができればうれしい。
そもそもwikiに掲示板的機能がないため話し合いは外部のしたらばで行われていたようだが、そのしたらばが(案内があるのに)閉鎖的だとか周知されない場所で決め事が行われてるとか言われることがわからない。
この「したらば外のwikiユーザー」が、そもそもどこに存在して、一団と認識されているかわからない。wikiで話し合いができないからゆえのしたらばなのに、したらばを使わない彼らの総体はどこにあるのか?個々にあるページコメントでの存在なのか?X上での発言なのか?
「したらばで議論もしているユーザーVSwikiだけのユーザー」のような雰囲気を感じるのだが、肝心の「wikiだけのユーザー」を観測できないので、したらば以外での管理人辞退まで至るほどの騒動がなんか見つけられない。
一体みんな誰と戦っているんだ…とこの場合は透明な相手なんだけどしたらば側しか見えず相手が見えない謎の関係性に見えた。
(記事や各記事へのコメントは愚痴レベルのネガティブさでも削除されるので余計に潜在不穏分子が見えない化されてる気もする)
専用ブラウザも使ってないしレスにアイコンがつくでもないのでだいたいの総人数がわからないし固体識別も困難。肌感覚で定期的に議論に参加しているユーザーは30も居ない気がする。それでもHOST名だけでは誰が過去にどの発言をしたのか追うのは無理(いちいちHOSTでスレ検索する手間をかける熱意もない)だし、したらばを見るハードルはすこぶる高い。スレに参加するならさらにだろう。5chのような匿名の場的運用でもないし配信に対する視聴者という一緒の方向をみてダベるだけの雑談板でもないし、まあwikiを離れた内々の場所感が無いと言えば嘘になる。
ネットコミュニティの不毛な議論を見るのは好きだが、こんな人間たちの管理者になるなんて絶対にゴメンだと思っている。トップページすら読めないんだぜ。増田も大抵よまないけども……
それでも5chやふたばのように収入を得ていれば別だが、今回の話の中でずっと無給で行ってきたことがわかったのは驚きだった。(逆に私財を出したくもないという話もあった)
荒らし判定や裁定という不毛なユーザー間議論の確認と最高意思決定を行えていた原動力は何だろうか。初代の失踪から現管理人の就任経緯については調べてないが、気になるところ。
騒動前を含め管理人のレスから漂うなんだかドライな雰囲気も無償活動であることであったり、レスバは不毛と感じていたりと今回のことで合点がいく部分もあった。
それと同時に管理人の仕事量が月5時間もあれば出来るというのはなかなか面白い話だった。上手く行けば楽して儲けられるwikiは作れるのかもね。
あとたびたび民度が低いとかレスバ含めかなりエラそう(偉いそう)な、コミュに厭世的なのに議論に積極的な59-168-217-152.rev.home.ne.jp氏が管理人をして「相談所でもあなたを慕う人は多いようですし、これまでのやり取りを見る限り、あなたであれば、私以上に管理人の役目を果たすことができるのではないかと思います。」と言わしめるのは不思議なモンですね。理路整然華麗に論破しているのでしょうか。
返答はこれですけど。
~
はっきり申し上げると、ここの住民は民度が低すぎて相手にしたくありません。
管理人氏が任を降りたくなる気持ちも重々。存続に力を貸す気は起きません。
~
jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/17534/1592699633/365-367
1980 年代、心理学者のリチャード E. ペティとジョン T. カシオッポは、説得がどのように機能するかを説明する「精緻化尤度モデル」を開発した。ここでの「精緻化」とは、その情報をどれだけ注意深く考えるかという意味である。人々に注意深く考える意欲と能力がある場合、「推敲の可能性」は高くなる。これは、人々が関連情報に注意を払い、メッセージの議論の利点に基づいて結論を導き出す可能性が高いことを意味する。
他人を説得するには少なくとも2つの方法がある。最初の方法は「中央」ルートと呼ばれ、聞くメッセージを注意深く熟考することから生まれる。中央ルートが関与している場合、提示された情報を積極的に評価し、それが真実かどうかを見極めようとする。一方で「周辺」ルートが関与している場合、実際の情報やメッセージの内容以外の手がかりにさらに注意を払う。たとえば、誰かのメッセージの実際のメリットを考慮せずに、その人の魅力や教育を受けた場所に基づいてその人の主張を評価する可能性がある。
周辺ルートを通じてメッセージを受け入れる場合、中央ルートを通じてメッセージを受け入れる場合よりも受動的になる傾向がある。
有名な心理学者のスーザン・フィスクとシェリー・テイラーは、人間を「認知的守銭奴」と特徴付けている。彼らは「人間の情報処理能力には限界があるため、できる限り近道をするのです。」と書いている。
動機や議論を処理する能力が低下するにつれて、説得には周辺的な手がかりがより重要になってくる。
議論(中心ルート)の実際の利点を比較検討して信念を更新すると、周辺処理を通じて信念を更新する場合と比較して、更新された信念は持続する傾向があり、反論に対してより堅牢になる。慎重かつ思慮深い検討を通じて何かを信じるようになると、その信念は変化しやすくなる。
つまり、周辺ルートを通じてより簡単に操作される可能性がある。周辺ルートを通じて何かを確信している場合、操作者は周辺ルートをもう一度使用して最初の信念を変えることに成功する。
心理学者のレオン・フェスティンガーは、社会的比較プロセスに関する影響力のある理論の中で、人は自分の意見を他人の意見と比較することによってその意見の「正しさ」を評価すると示唆した。他の人が自分と同じ信念を持っているのを見ると、その信念に対する自信が高まる。
これらの考えを総合すると、人間の心の中には何らかのメカニズムがあることが示唆される。たとえそれが真実であっても、自分の地位を下げるようなことを言わないようにする。そして、たとえそれが嘘であっても、自分の地位を高めるようなことを言うように彼らを駆り立てる。
さらに、自身の評判がどうなるかという考慮が私たちの信念を導き、私たちの社会的地位を維持または強化するための一般的な見解を採用するように導くこともよくある。暗黙のうちに「この信念を保持すること(または保持しないこと)が社会にどのような影響をもたらすだろうか?」と自問する。
説得の周辺ルートに戻ると、多くの人がそれを信じている場合だけでなく、その信念の提唱者が権威ある人物である場合にも、何かを信じるかどうかを決定する。
オックスフォードの心理学者セシリア・ヘイズは、著書『認知ガジェット』の中で次のように書いている。彼らは、同じ年齢と性別の同じくらい身近な人よりも、大人が社会的地位が高いと考えるモデル、たとえば学校の校長を模倣する可能性が高い。
それでも、私たちが高い地位を持つ他人を真似するのは、彼らを模倣することで自分の地位が向上することを期待しているからだけではない。権威ある人ほど有能であると信じがちであるが、プロミネンスはスキルのヒューリスティックである。
研究者のアンヘル・V・ヒメネス氏とアレックス・メソウディ氏は、威信に基づく社会学習に関する最近の論文で、能力を直接評価することは「騒がしくコストがかかる可能性がある」と書いている。代わりに、社会的学習者は、モデルの外観、性格、物質的な所有物などから推測することによって、ショートカットを使用できる。
ここで、次のような疑問が生じる。周辺的説得による操作の影響を最も受けやすいのは誰か? 教育を受けていない人々のほうが操作されやすいと信じるのは直感的に思えるかもしれないが、研究によると、これは真実ではない可能性がある。
心理学教授のキース・スタノビッチは、「マイサイド・バイアス」に関する自身の研究について論じ、次のように書いている。「あなたはそれに属しているのは、それらはあなたの気質と生来の心理的傾向に適合しているからです。」
一流大学の学生や卒業生は、自分側の偏見に陥りやすい。彼らは「自分自身の以前の信念、意見、態度に偏った方法で証拠を評価し、証拠を生成し、仮説を検証する」可能性が高くなる。
アメリカのジャーナリストであり、『第三帝国の興亡』の著者であるウィリアム・シャイラーは、ナチスドイツの従軍記者としての自身の経験をこう語った。シャイラーは次のように書いている。「ドイツの自宅やオフィスで、あるいは時にはレストラン、ビアホール、カフェで見知らぬ人と何気ない会話をしているときに、一見教養があり知性のある人たちの突飛な主張に出会うことがあった。彼らがラジオで聞いたり新聞で読んだりしたナンセンスをオウム返ししているのは明らかでした。時には同じことを言いたくなることもあったが、まるで全能者を冒涜しているかのような不信感を抱かれた。」
同様に、ソ連崩壊に関する研究では、大学教育を受けた人々は高卒者よりも共産党を支持する可能性が2〜3倍高いことが研究者らによって判明した。ホワイトカラーの専門労働者も同様に、肉体労働者に比べて共産主義イデオロギーを支持していた。
今日の米国内のパターンはそのような調査結果と一致している。政治アナリストのデビッド・ショールは、「高学歴の人々は、労働者階級の人々よりもイデオロギー的に一貫した極端な見解を持つ傾向がある」と述べている。これは、問題に関する世論調査やイデオロギー的な自己認識にも見られる。大卒の有権者は穏健派であると自認する可能性がはるかに低い。
この理由の 1 つは、時間や場所に関係なく、社会の富裕層の方が地位を維持したり、地位をさらに獲得したりするために正しいことを言う可能性が高いためであると考えられる。
カリフォルニア大学バークレー校のキャメロン・アンダーソンが主導した最近の一連の研究では、社会階級が社会的地位への欲求と積極的に関連していることが判明した。より多くの教育を受け、お金を持っている人は、「他人の意思決定に影響を与えることを楽しんでいます」や「名声や社会的地位を得られたら嬉しいです」などの発言に同意する可能性が高かった。
ケイトー研究所がYouGovと協力して行った調査では、全米を代表する2,000人のアメリカ人サンプルを対象に自己検閲についての質問を行った。
その結果、高校教育以下の学歴を持つ人の25%が、政治的見解のせいで解雇されたり、雇用の見通しが損なわれることを恐れているのに対し、大学院卒の学歴を持つ人の割合は44%であることが判明した。
政治学者のジェームズ・L・ギブソンとジョセフ・L・サザーランドによる「口を閉ざす:米国における自己検閲のスパイラル化」と題された最近の論文の結果は、Cato/YouGovの調査結果と一致している。彼らは、自己検閲が急増していることに気づいた。マッカーシズムの絶頂期だった1950年代には、アメリカ人の13.4パーセントが「以前よりも自分の意見を自由に言えなくなったと感じている」と報告した。2019年までに、アメリカ人の40%が自分の意見を気軽に言えないと回答。ギブソンとサザーランドは、「自分の意見を言うことを心配している民主党員の割合は、自己検閲を行う共和党員の割合とほぼ同じで、それぞれ39%と40%である」と報告している。
この増加は特に教育を受けた層の間で顕著である。研究者らは次のように報告している。「自己検閲に従事する人々が限られた政治的資源を持った人々ではないことも注目に値し、おそらく予想外である…自己検閲は最高レベルの教育を受けた人々の間で最も一般的である…この発見は、以下のことを示唆している。社会学習のプロセスであり、教育を受けた人ほど、自分の意見の表現を妨げる社会規範をよりよく認識している。」
興味深いことに、教育が自分の権力意識とマイナスに関連していることを示す示唆的な証拠がある。つまり、教育を受けていればいるほど、「自分が意見を表明しても、自分の意見はほとんど揺るがない」「自分の考えや意見は無視されることが多い」といった意見に同意する可能性が高くなる。
ミュンスター大学のリチャード・ラウ氏が率いる「他者の最良または最悪の見方:一般化された他者認識の尺度」というタイトルの論文を考えてみる。
研究者らは参加者に、ソーシャルメディアのプロフィールや動画に登場する人物を評価するよう依頼した。参加者は、「この人が好き」「この人は冷淡だ」などの発言にどの程度同意するかを尋ねた。その後、参加者は自分自身についてのさまざまな質問に答えた。
高等教育は一貫して、人々に対するあまり肯定的な見方に関係していなかった。この論文は、「人々の感情、行動、社会的関係を理解するには、彼らが他者に対してどのような一般的な見方を持っているかを知ることが非常に重要です…人々がより良い教育を受ければ受けるほど、他者に対する認識は肯定的ではなくなります。」と結論付けている。
したがって、裕福な人々はステータスを最も気にし、自分にはほとんど力がないと信じており、仕事や評判を失うことを恐れており、他人に対してあまり好意的な見方をしていない。
つまり、意見は、その真理値に関係なく、ステータスを与えることができる。そして、自分の地位を維持したり高めたりするために特定の意見を表明する可能性が最も高い人は、すでに社会のはしごの上位にいる人でもある。
まず、何をもってしてポルノ上の子供かを真面目に考えてみよう。
子供とは何かってのはなかなか難しいが、善悪で言えば重要なのは君の言う通り年齢だけ。年齢さえクリアされればなんでもOK!!
けど、少なくともポルノにおいてはね。
法的な話をおいておけば、例えばだけど松果体異常とかの発育不全者を恋人にしてたら、まあ後ろ指は指されるだろう。想像するにだが、男女問わずな。子供に欲情するヤバい人にしか見えないからしょうがないな。
しかし、これはまた違う見方をすれば、そういった困難を共に乗り越えようとする人とも見ることが出来るから、難しい問題だな!
で、一旦ポルノとしての子供が何かを改めた上で本題だが、妖精については直感的には小児性愛とはならないだろう。
いくつか理由は思い浮かぶが、単に妖精といった場合、「小さな成人型」を思い浮かべるだろう。例えばティンカーベルとかな。
それを対象に欲情したとして、その欲情の方向性にもよるが、実際に人間男性と妖精女性との性交を思い浮かべた場合、サイズ的な困難から、大抵の場合は妖精女性側は大きなダメージを負うか、あるいは全身を用いた一方的な奉仕かになるだろう。
これはまた、何か違う性的嗜好ではないかと考える。むしろ、小児性愛との類似性を見出す方が難しい。非対称な関係であるという点とサイズ的な問題くらいしか思い浮かぶものがない。
よく、ロリコンを批難する声に、「成人女性に相手にされないから弱い子供に欲求を向ける」という意見がありがちだが、これには甚だ疑問だ。もちろん、そういった人もいるだろう。しかし、ならばポルノにまでその嗜好を向けるのは妥当性、一貫性がないと見える。
これはロリコンへの非難というより、児童を狙った性犯罪者への批難として分けて考えるべきだろう。
さて、最後にスライムについてだが、これはかなり難しい問題だ。増田の言っているスライムのあり方は、ドラクエスライム的なものかメタモン的なものかわからないが、変幻自在のメタモンタイプの前提で話を進めよう。
例えばだが、変幻自在のスライムが幼女の姿に変形したとして、色見や触感まで再現可能だった場合、これは怪しい。なぜ怪しいかと言えば、それは「幼女を元に変形した」という事実の問題だ。
この問題への理解を得やすくするため、少しアプローチを変えてみよう。
「既に存在する子供のDNAを採取し、クローンを作成、作成時のクローン元年齢と同年齢になった時点で性的対象にする。」
というケースで考えてみよう。これは法的、倫理的にどうか?と考えた場合、クローン元になった女児は引き続き存在しているわけで、自身のクローンを性的搾取を目的に利用すること自体に強い忌避感を抱くことだろうことは想像に難しくない。クローン完成時にそういった性知識が未成熟であったとしても、その事実が本人に知れれば人格形成上、大きな影響を及ぼす可能性は否めない。
そもそもクローンを作ること自体に大きな問題があり、重大な人権侵害とみなせるだろうしその利用目的が性的搾取であった場合にはより強い批難が向けられて然るべきであろう。
さて、この時点で察しがつくかもしれないが、変幻自在のスライムが変形した場合も同様に、本人の承諾や意思決定権およびそれらの妥当性を判断する能力がない状態で、模倣体を作成され、性的搾取の対象にされるというのは、前述のクローン同様の問題を孕んでいる。
では、「本人に知られなければいいのか?」という論も考え得るが、本人が自認しているかと人権侵害が起きているかは直接関係しないと考える。人権侵害については、本人がどうかももちろん大事だが、そのような行いをする人物を社会が容認し得るかという問題である。
少し話を発展させて、ではコピー元の幼女が既に死亡している場合はどうか?と進めてみよう。
少なくとも、現行の法制度上、これをきちんと取り締まることは難しいだろう。
死者の名誉毀損というものがあるが、果たして擬態する生態を持った生物が死者に変形し活動することを名誉毀損として扱えるのかは非常に難しい問題だ。
これを人間が故意に行わせ、そしてそれをポルノビデオなどとして配信、販売などした場合は名誉毀損が成立するだろう。
だが、個人的に性的搾取の対象とする場合は、倫理的には問題があるが、法的には対応できないのではないかと考える。
ただし、その事実が遺族などに知られた際には、裁判を起こされた場合には精神的苦痛があったとして負ける未来は容易に想像できる上、批難の対象となるかと言われれば、個人的にはだがなると断言したい。
統計がないようなことは自分の経験談で語るしかないのに、そういう態度を頑なに否定する人っているよね。その方が意思決定者として安全ではあるだろうけけど、なんというかヒューリスティックを全否定してる感じなのがやや非建設的な態度に感じる。こういう人が一人議論の参加者の中にいると議論は萎縮し実りある結論を得づらいだろうし、何より話し相手としては絶対避けたい相手。経験則が正しいことなど絶対有り得ないみたいな相手とまともに会話のキャッチボールが成立するとじゃ思えない。自分が賢いと思ってそう。融通が利かないだけなのに。
まぁ、あまり議論をするつもりはありませんが、「サンプル一人からの極端な一般化」が嫌なんですね。
しかし、一人と言っていますが、一般的にそういう傾向があるように感じたんです。
私が高校生のとき、理系でしたが、そこの数学教師はめちゃ数学が出来ましたが、古文漢文とか英語をバカにしていました。
これでサンプル二人目ですか?
なぜ、そこまでムキになる?