はてなキーワード: 客観的とは
あなたがマッチングアプリで見かけた男性に感じたことが「引け目」や「私なんかが...」という遠慮や卑下ではなく「気持ち悪さ」「胡散臭さ」なので、あなたは自己肯定感が低いのでは無く、プライドが高いのです。自己肯定感が低いのはもしかしたら本当かもしれないけれど(この文面からだと残念ながら私にはそうは見えなかったけど、あなたの背景を何も知らないので決めつけはよく無いわね)、プライドの高さは自己肯定感と相関関係には無いからね。
失敗したらカッコ悪いから色々理由付けて恋愛・結婚を忌避しているだけで、それを「自己肯定感高い人しか恋愛なんか無理(笑)」と自己憐憫に逃げるのは間違っていると思います。あと恋愛、結婚している人は自信満々だねと若干ひと様をdisっているのも正直よく無いです。増田に落ちてる変な人よりはずっとマシだけど。
その前述の自己憐憫も認知の歪みがあるし、もう少しあなた自身を「客観的に」分析してみることが大切なのではないでしょうか。
こういうタイプの人って、己の内側に意識が行きすぎて、自分のこと考えるので精一杯で他者不在なことが多い気がする。まだ若いんだから頑張ってちょうだい。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
バンド名は伏せるが、思った事をつづらせて頂く。
そして最近若い子のファンも新たに獲得しているあの有名バンドだ。
増田ですまん。
もしここで
・そんな事を読んだ私とファンと彼らが傷つく
・老甲斐〇ね
という思いを若干でもしたなら今すぐにこのウィンドウを閉じて欲しい。
見ないのも権利だ。
上記のように「彼らはエゴサしまくっているからバレたら傷つく」
・ファンから見ればコロナ禍での動きがなかったのが良いとも思えたが、
他のバンドは音楽を守る為に無料配信したりインスタライブをやったり、
色々していた。彼らは何もしなかった。
いや、影で曲を作っていたのはわかる。
けれどもファンに知るすべはなかった。それが歌を作る彼なりの美学的なものなのかもしれない
自分も一ミリも見なかった。人は変わっていくものだから仕方のないことだ。
・ファンクラブをつくらない主義なのは理解したし、それが好きだった。
だが席代の爆値上げ。仕方ないのかもしれないが、そういう区別・差別をしない人なのだと思っていた。
何故なら「音楽が全ての人に届くように」という意志のもと、近くの席とか遠くの席とか分け隔てなくやってくれていたと思っていたから。
自分の意思を通さないんだなあと、今回の席料の変化で改めて思った。
マスコットキャラクターがいるのだが、そのキャラを玩具にして絵をかいたりモノをつくったりするのはギリセーフとして、
・さらに完全に模造品を作り、ばらまいている。
オリジナルのイラストだったりであれば問題ないとは思うが、それも運営にファン層の遊び心を許されている範囲。
ロゴをそのままコピペしたりしたグッズを友達以外に配布するのは駄目。
ただ、そういう「めんどくさいことはわかんないし自分がたのしいからいい」という人がすごく多い。
・ファンは離れたり、入れ替わったり、新しくついたり、色々いる。
それはどのアーティストでも同じこと。
ファン内の謎のルールがあったり、世間一般から見れば異様だったり、もっと言えば宗教じみていたりする。
蜜六と〇〇交換しませんか?なんて平気で連絡がくる世界。最低。
・一方で80%はまともなファン。問題はのこり20%くらいの人たち。
・心に傷を抱えた人が多く、優しく、繊細で、脆い。
だからこそ、感情的な人が多い。感情的なのは良いが、匿名で人を攻撃する攻撃性の高さは圧巻。
こういう方はこういう事を、ターゲットを探しながら永遠に繰り返すのだろう。
80%はまともなファンだ。
・上記に書いた通り、ファン思いに感じさせているのはすごく上手なのだが
・・・・・・いうのは野暮なのでやめておこう、(と思ったら何か動きをしてたらしい)
(インスタとかやってませんでしたっけ…まああの人達らに向いてないんでしょうね……)
・グッズ。もういうことない。
・いい意味でもわるい意味でも、商業バンドなんだな、という感想を最後に感じた。
何かアプリを出したらしい。内容知らないけど。チラっとなんか見えた気がしたけど。
課金制あるんですかそうですか。
アプリ作るのに金かかるのもアップデートやら申請やら莫大な費用かかるのはわかるよ。
あのキャラは「お母さんが100点をくれた時」に描いてくれた子だったような。
みんながぬいぐるみをぶらさげて歩く光景すら違和感があったのに、
もうそれでいいんだと思った。
・ファンクラブは作らない宣言は何だったんだろう。(ぼんやり)(FCじゃないって言ってる人がいるからいいのか)
・ある一人がやらかしたのだが、ファンもほぼ受け入れているし、
メンバー仲良く(見えるよね、そりゃファンからしたらね)音楽をやっていることに、
この一件で、私はメンバーを受け入れられなくなった。
・彼が神だ、聖人だ、と言われているのはわかる。
じゃああとのメンバーは?と思う。メリットと言えば仲良しバンドだと言えることであろう。
それだけで充分に人気を保てるし、バンド名で安心するだろうし。
それでも非常に感謝している。
勇気も元気も楽しい想いでも素晴らしい友人も離れてもそばにいてくれる友達もいる。
今ももちろんいる。いまの色々な事の糧になっている。
矛盾しているように感じるかもしれないが、本当にありがとう。と思っている。
ファン層はがらりと変わり、昔から風物詩だったグッズ交換会やら何やら色々あったみたいだが、そこはもはやよく知らないので割愛する。
もちろん昔のグッズを身に着けているひともいるが、20代前半くらいの人の姿も目立つ。
楽しそうで羨ましかった。
自分も楽しんでいる中の一人だった。
さいたま新都心駅を降りた時、ピアノの演奏をしている人がいて、
「なんの曲だっけ」と思いつつ素通りしたが、上手だった。
けやき広場は久々だ。
彼らで言えば〇年ぶりか。
コロナ禍もすっかり終わり?なのかアルコールも売っていてあの頃と変わらない新緑の広場。
あの空間でいろんな友達と待ち合わせしてあったりしたなあ、と思い出す。
綺麗な想い出は綺麗なままだ。
今でも仲良くしてくれている子とあったのもあそこだ。
人は変わる。
彼らも変わる。
想いも変わるし、ルールも変わる。
知らないうちにいろいろ変わっている。
この数年間のうちに誰かを亡くしたり、誰かが結婚したり、誰かに子が生まれたり、沢山あっただろう。
アーティスト歴の長い彼らは「普遍性」を求められる一方で「変わらなければいけない」こともたくさんあるだろう。
全て理解した上で、自分はその「普遍性」をとても高潔なものだと感じていたことに気付き、
「普遍性」って良いようで悪いし、悪いようで良いし、一見宗教じみでるし、本人たちも大変だろうし、
大変じゃないように意識しないようにしているのかもしれないし、運営がうまいことやってるんだろうし、
でも、ず-っと、仲良しでやっていかなければいけないのって大変だろうなあと思った。
もう大人だから大丈夫だろうけど、20代の時とか凄かったよね。
まあそんなふうに人は変わっていくものなのだ。それは、忘れないで欲しい。
今でいえば推し活だったのだろう、色々なこと。
今では全くやる気にならない。
ちなみに誰の意見も読んでいないし、これを投稿したところで、コメントを見るも見ないも決めていない。
冷めたことをわざわざ記事にする必要はないのではないかという批判は来るだろうことはわかっている。
だが、そういう風な思いをしたり、或いは他の理由で去っていった人が、
自分の知っている限りで物凄く沢山いる。
そして、その人たちは別のところで音楽を楽しんでいる。
色々思うことはあった。
はっきり言って、マナーは悪かった。
「〇〇しないでください」と言ってることをするのは、小学生でも理解できるだろう。
あとは個人的な意見ではあるが、少なくとも、弦の響きが消える瞬間まで拍手しないか、
ただ、最後に独特のソロフレーズがある曲の一瞬終わりだと思わせる空白の時間に拍手するのは
そういう細かいところを気にするのも良くないんだろうし、自分が間違っている可能性もあるのだが、
でも。せめて曲を大事に聞いて欲しい。曲を大事に聞かせて欲しい。
ああ、いや、違うか。
彼は「自由に楽しんで」と言っていたので、あっているのか。
自分は重要なソロフレーズの直前に拍手されるのは違和感を感じるが、彼らがいいならもういいか。
ライブの詳細は伏せる。
今更ネタバレも何もないが。
彼に最後に言われた。
「また絶対会おうな」
曲にもたくさん言われた。
でもな。
タオルすら持ってなかったのは失敗だった。
凄く好きだった。
xx年間、大好きだった。
〇にたいと思った日に、いつも支えてくれた。
怖い時に隣にいれくれた音楽がたくさんあった。
言われた言葉も暗記している。
こんなに大好きだったのに、彼がしたかったらしい「約束」がもはや
本当に本当に真っすぐ綺麗な純粋なものなのかどうか信じられなくなっていたし、
もうこんな気持ちに変わった自分は来る必要性はないのだと改めて感じた。
好きだった音をまた聞く機会があるのかないのか、と言ったら
現時点ではないと言い切れるが、
大地震がおこるかもしれない。
噴火がおきるかもしれない。
誰かがなくなるかもしれない。
その時にまたあの音が、自分を幸せにしてくれたり、強くしてくれたり、弱くしてくれたり、
自由奔放にさせてくれたり、色々な経験を積ませてくれたり、友達を全国に作らせてくれたりした、
あの優しい音と歌詞が頭の中に聞こえてくるのかもしれない。
もっと言いたいことは沢山ある。
おひとりおひとりと対面で話して、あの時何故。と言いたい人もいる。
あれは何を思って。
彼らの音楽の何を聞いて、何を思って、そうなったんだ?と言いたい人もいる。
さよなら。
ずっと、ありがとう。
突然ですが、まーウクライナ戦争は明らかに米露(米中)の代理戦争なのであって、gpt3.5もその点は即座に認めておる次第であります
「ウクライナ戦争は代理戦争ですか?」と訊くと、「ウクライナ戦争は米露の代理戦争の側面を持っています」と即座に答えが返ってきます
しかしbingAI(gpt4)君はその辺強情でして、ウクライナ戦争は絶対に代理戦争ではないと言い張っておる次第です
そのため、彼を論破するべく今日も今日とて色々論陣を張っておりましたのですが、結局マイダン革命に話が及びまして
マイダン革命とは、ウクライナにおいて2014年に行われた革命でありまして、その際に親露政権が追放され、親米政権が樹立されるきっかけとなった出来事です
私は「マイダン革命によって成立した現ウクライナ政府は民主主義的プロセスである選挙を経ておらず、つまり主権者である国民の承認を経ていない非主権的国家なのであって、そのような非主権的国家がNATOなどの他国の影響下でバフムトなどの要塞化を進めていたことは、ウクライナ戦争の代理戦争の側面を強調しているであろう」と指摘したわけです
すると次のような文言が返ってきました
僕「でも革命は憲法の記載のないプロセスで、民主主義的なプロセスではありませんよね」
gpt4「憲法には明記されていないが、自然法によって保障されている」
何言ってんだこいつと思いまして
調べてみましたところ、例えばアメリカ合衆国憲法には革命権について明記された記述はありませんでした
しかし、一方で憲法とは別の、独立宣言に革命肯定の記述がありまして、そのことから革命は人間の本来の権利であることが認められると法学者たちが見做していることが分かってきたのですな
だって、革命は基本的に暴力を伴いますし、時には死人が出ますよね
要は、自然法が仮に革命を肯定しているとすれば、それは間接的に暴力を肯定することになるわけです
それを国民の権利として認めることには、問題があると言わざるを得ません。暴力は時に殺人を伴います。現に、過去行われた革命闘争においてはたくさんの殺人が伴っていました。そのような殺人を含む革命を安易に「自然の権利」として認めることには問題があるではないか、と
つまり、AIは極左的な側面を持っているということになると思います。暴力革命を肯定しているのですからね。
しかも、根拠は独立宣言という極めて政治的なコンテクストを含んだ原典です。
AIは結局、現行の政治的文脈に即して発言をしているのであって、本当に客観的な判断をしているわけではないことが分かりました。民主主義的であるわけでも、憲法に明示されているわけでもない、暴力的なプロセスである革命を肯定しているんですからね。
それはあくまで政治的コンテクストに倣った判断なのであって、客観的な判断とは言えません
そして、ここで指摘したいのは、これまでのアメリカが行ってきた他国に対する政権転覆なのですね
ラテンアメリカを始めとし、アメリカは様々な政権転覆を促してきました。つまり、国民が暴力的な手段によって政権を打倒することを肯定し、時に情報機関などの支援下でそれらの政権転覆を実行してきたわけですね
恐らく、このような政権転覆を「革命」として捉え、それが人間の自然権に基づく、つまり自然法に基づく行為であると肯定することは、法学上は問題のない行為なのでしょうね
bingAI(gpt4)君も恐らくは、そのような革命事業を肯定することでしょう。だって彼は革命肯定の文脈の中にどっぷりハマっているんですからね
例えば、マイダン革命はアメリカの工作機関の息がどっぷり掛かった革命であるという指摘がございます。そして、この革命を期に、ウクライナは東部に軍事要塞を大量に設立し、いわばヨーロッパのロシアに対する緩衝地帯としての色彩を強めていくわけです
そして現に、bingAI(gpt4)君は件のマイダン革命を肯定してるわけですね
でもそれっておかしくねえ?
ADHDグレーで育児に必要とされるマルチタスクにまるで適性がなくて、かつ思いっきり仕事したいタイプなので産まない方向に心が固まってきてる。動物的な本能で産みたいと思う衝動が来るのでは?そうなった時に産まなかったことを後悔するのでは?ということを恐れていたので、このエントリ書いてくれてありがたいなと思った。どんな選択するにしても何かしらは捨てなきゃいけないよね。
元増田は後悔しながらも客観的に状況を把握していてちゃんと責任を果たしてるから立派だと思うし、やれてる時点で適性がないとは思わない。私だったら後悔はもちろん、やるべきことも果たせるかどうか自信がない。
世間は子なしを放っておいてくれなくて、好き勝手生きてるねって身内からもたくさん攻撃されてきた。こういう人たちは自分の本音に蓋をして抑圧し、他者への攻撃を通して自己正当化に走ってるんだろうなと感じる。そうなるくらいなら、元増田みたいに本音を自覚・整理して匿名の海に流す方がよっぽど健全だと思う。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
私は悪くない大学を出て、それなりに良い会社に就職して数年働いた。ほぼ純粋な頭脳労働で、30歳時点の基本給は500万円程度だったはず。自分のように中の上くらいの学業成績が限度な人間にしては、かなりよい条件である。しかし中堅社員になるにつれ上司と上手くコミュニケーションがとれなくなり、頭と体がおかしくなって休職→退職に至った(その後いろいろ診察を受けて最終的に自閉スペクトラム症の診断が出た)。しばらく貯金を食いつぶして無職をやっていたのだけど、とうとう尽きたので働かなければ生きていけなくなった。今は倉庫で誰でもできるような肉体労働をしている。面接らしい面接もやってないから、名前や住所が自分で書けて、毎日決まった時間に出勤できればとりあえずヨシの仕事だ。ちなみに私の学生時代の体育の成績は、5段階で2とか3であった。典型的なお勉強以外だめなモヤシである。肉体労働が得意だからやっているのではない。
このとおり、客観的に見て私の経歴は有能ではない。げんに非正規の肉体労働者なのだから、世間的にも底辺と呼ばれる身分である。しかしどういうわけか、私は職場で有能扱いされている。「やっぱり有能な人間は何をやっても有能だねー」とそのものすばりなことを実際に言われたこともある。社員雇用試験にも誘われた(当然だが務まる気がしないので断った)。数少ないまともな人は全員誘われているのかと思ったけれど、そうでもないらしい。
いちおう先に言っておくと、誰でも入れるような職場なので、大学卒業程度の知能があるだけで有能扱いされる側面は当然ある。そんな事ある?と思うくらい飛び抜けてバカの人もいるので。ただそれだけで「何をやっても有能」とはならない。実際に作業スピードランキングみたいなものを見ても、トップ20%に入るかどうかぐらいだった。20%なら優秀じゃんと思うかもしれないが、下半分くらいは白髪の生えた主婦のお婆ちゃんとか、ちょっと耳が遠いお爺ちゃんとか、何度教えても言われた通りに作業できない知能の人だ。それらの地獄みたいな人材を除いて考えれば上位40%とかだろうか。悪くはないが飛び抜けて良くはない。にもかかわらず、他の人をさしおいて有能呼ばわりされる。職場にのべ100人ぐらい居るのに、「有能」なんて呼ばれ方をしているのは多分5人いるかどうかだ。そして私はそのうちの1人。アスペガイジなのに。自分や事実と他者の認識にギャップが有る。めちゃくちゃ怖い。周囲の高すぎる期待値に付いていける気がしない。以上語り終わり。
このままだと意味わかんなすぎて怖いので、理由をさぐるために周囲の人間を観察した。そこ得た当座の結論は「普通の人は大体何かしら下手」ということだ。
具体例があったほうがわかりやすいと思うので私の職場の話をする。現場にはだいたい10個ほどのポジションがある。倉庫なので荷物を持ち上げたり、分けたり、運んだりする肉体作業は当然ある。ただし例外処理が必要なもの(壊れている、ビチャビチャに濡れてる、実在しない送り先が書いてある、etc.)は荷物によって適切な処理が変わるから、少々知識とか判断が必要である。またスケジュールが押してるところに追加人員を呼ぶとかの原始的頭脳労働も一応ある(その日限定のバイトリーダーみたいな業務だ)。当たり前だがいきなり労働者がその場にポップするわけはないので、他の配置から人を抜いてこなければいけない。よそのチームと揉めない程度のコミュニケーション能力も必要だ。
で、私より仕事が速い人達を見ていると、定常作業は速いが例外的な対応は出来ないから他の人にやってもらってるとか、仕事は超速いのにヘルプ出さないから過剰な業務量抱えててスケジュールはすごい押してるとか、だいたいのことは一通りできるけど永久に誰かの文句言ってるからコミュニケーションが必要な配置には置きづらいとかで、彼ら彼女らは得意とする一部業務以外、私より下手か全く務まらないことに気づいた。先にも述べた通り、私は1つ1つの仕事は決して上位ではない。しかし無能というほどではない。おそらくこれが重要である。仮に1つ1つの仕事は上位40%に入れる程度の平凡な能力だったとしても、10個の仕事全部で上位40%程度に入れるなら、それは40%の10乗で0.01%の希少人材である。たかだか1、2個の仕事で上位10%に入る程度ではがんばっても1%の人材にしかならないので、私のような0.01%人材よりは有能でないことになる。
そういうわけで、私はどうやら自分で思っているよりも遥かに有能な人間であったらしい。ただ今述べた通り、それは有能だからというよりも、「何をやっても下手くそすぎることがない」程度の意味でしかない。そもそも私は頭脳労働の職場で全然仕事ができなくて頭がイカれたアスペガイジである。たんに今の職場では評価されない項目だから困ってないだけだ。ともあれ、気負うことはないとわかったのは良かった。有能扱いされるのは気が重かったが、理由がはっきりしたので。
さて、ここから今日のまとめ的な自分語りである。現代は苦手なことを潰す努力をしてゼネラリストになるよりも、得意なことを伸ばしてスペシャリストになるべきだとの風潮が強い世の中だ、と思う。違ったらごめんなさい。だから何をやってもスペシャルになれない自分は無能だと思っていた。しかしスペシャリストになるべきというのは、転職とか個人事業をやるときに専門性がないとアピールできるポイントがなくて困るからなのだろう。ちょっと前まで死んでもいいやとか上司殺して一生刑務所でも良いやとか思ってた私としては、意識高すぎてついて行けない世界の話だ。しばらくは底辺職場でゼネラリストとして頑張った方が精神には良さそうである。幸か不幸か、肉体労働はしばらくAIに取って代わられる見込みもない。ロボットにも100年ほど奪われないまま来ている。非正規有期雇用だからあと何年かしたらやめなきゃいけないけど、次の非正規労働でも見つければ食いつなげるだろう。そんな感じで生きてきた年上の人が職場にもたくさんいるしね。あと今の時期は汗かくから仕事終わりのラーメンとかめっちゃ美味しい。これは爆アド。
だから頭がおかしいみたいになって人生詰んだ人は、とりあえず死ぬ前に肉体労働現場に来ることをおすすめしたい。パワハラ上司がいたら半日で逃げたら良いし。どうせたいした職歴にならんけど、明日死ぬなら職歴いらんでしょ。私は裕福な老後のための、将来性ある仕事を得るための、キャリア形成を行うための、上流大学進学のための~みたいな人生からは落伍したのでそうしている。以上自分語りサンドイッチ終わり。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
それでさ、「羞恥の無い着衣失禁は着衣失禁に非ず」というのは言うまでも無い訳じゃん。
極端な話、老人が失禁しても「まぁそういう年齢だし」で本人も周囲も極端な羞恥を感じることは無い。赤子も同様。そもそも自我が無いんだから。
では、羞恥の絶対値がどの年齢において最も高くなるかについてなんだけど、これはシチュエーションに大きく依存してくる。
ここはオーソドックスに、「公立校でテスト中に言い出せなくて教室で引っ込み思案で考え過ぎてしまう女の子が」を前提にして、年齢のみを対象実験の形式で測ることとする。
羞恥の絶対値は、主観及び観測者からの客観的な考え(独断)に基づいて算出する。
小学1年生
「もう〇〇生なのに」という思考の原典。親教師から「もう〇歳なんだからトイレくらい自分で言いなさい」と日頃から耳にしており、それが出来なかった「失敗」の情けなさは非常に強い。他方、周囲の大人は口で言いつつも「まぁまだ7歳だしね」と心の中で思っており、観測者からすればそこを考慮すると羞恥の絶対値が最大とは言えない。
小学2~5年生
「もう〇〇生なのに」に加えて、「もうお姉さんなのに」という、低学年の存在が脳裏にチラつく年頃。「トイレくらい~」は聞かなくなっており、だからこそ「幼い子がする失敗」という意識が先立つ。
他方、これも周囲の大人からすれば「まぁたまにいるよね」となる。また、この年齢までに小学生の「失敗」エピソードを1度くらいは聞くだろう。まだ「自分だけじゃないし」と慰める手段があるので、これも最大ではない。
最高学年である自負、もしくは「もう小学生じゃない、自分は大人」という年齢であり、思春期でもある。
特に「恥ずかしくて言い出せない」意識が強く、また「もう中学生なのに」という意識は小学生のそれに比べて非常に強い。大人の目も流石に冷たくなってきており、羞恥の絶対値は非常に高い。
しかし、中学進学や高校進学が目に見えており、その後に引きこもったとしても後を引く可能性はだいぶ少なくなる点を考慮するかで絶対値が増減する。
高校1年生~3年生
ここまで来ると「恥ずかしくて言い出せなくて失敗した」ということ自体が更に羞恥を強くする。
大人の目も「あり得ない」という域に達しており、また義務教育と違って引きこもる訳にはいかない。ネットで同じようなエピソードを見聞きしたりして、なんとか自分を慰める他に無い。
当事者としての羞恥、周囲の目からの羞恥、逃げられない苦しさ、それら全てが「テスト中に言い出せずにおもらし」という自分の「過ち」に繋がっていく。ここが周知の絶対的な最大値と言えるだろう。
その他
シチュエーションがブレるので考慮に入れないが、高校卒業以降はアルコールの作用における着衣失禁の現場も出てくることだろう。
しかし、「酔ってたから」という理由付けが出来る時点で、得られる羞恥は中高のそれに比べて少ない為、シチュの前提によって排除した。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
H本人が良いやつだから人間関係続いてるんじゃなくて周りのやつが良いやつだから続けてもらってただけで、H自身が徐々に周りの人間切り続けて終わるだけだぞ
痛みを避けた結果破綻するまで気付かない
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
お前は俺が何も得てないと決めつけてるけど根拠ないよね
で、お前は何を得たか開示してないよね
客観的に見て完全に同じじゃん
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
なんで岸田文雄はイケメンのときは自信満々の悪党で、 太って顔面が崩れたら鬱になるのか?
理由 : 日本人の後頭葉の弱点、核心にそういう側面がある。客観的には大した程度の容姿劣位性でなくても、 他者との比較などを通じて本人の後頭葉の中ではとち狂うようになり
劣等感によるうつが激増して、ものもいえなくなる。 日本人の本質 → 女性器 性狂い 赤い悪魔
↑ 具体的に指摘して全てを描きおろした本はない。60年前はあった可能性があるが
封印されている。インターネットやアマゾンなどでも売っていない。
また何かが流行っていた時代にはこのことは当たり前だったが10年くらい前から関東を
日本社会でもっとも指摘してはいけないが様々な方面に出現すること。 佐藤は、醜い、といったキレイごとの表現しかもちいず、 日本人は具体的に何をするのか、まで書籍化することもな
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。
空想の子供と現実の子供というのは、物理現象として何もかもが根本から異なる存在だよね。一方には性的に惹かれるが、もう一方には惹かれないというのは、人的作為のない自然の成り行きなわけ。
ところが、現実の大人と現実の子供というのは、客観的に絶対的な境界というのが存在しない。年齢という基準は、生物の成長とは無関係な天体の公転周期を基準として、人工的に定めた指標でしかない。その結果、成人したばかりのまだ幼い大学生や新入社員が、「大人」に騙されて性暴力被害に遭う、という悲劇が繰り返されることになる。
残念ながら、全ての対人性愛者は、例外なく「子供」に性的欲望を持つことが出来てしまう。そういう意味で、全ての対人性愛者は例外なくうっすら小児性愛者であり、例外なく犯罪者予備軍なんだよね。対人性愛者であることを公言する行為が、周囲にどれほどの恐怖を与えるのか、全ての対人性愛者たちが胸に手を当てて考え直して欲しいな。