はてなキーワード: 感情移入とは
なろうみたいなアホ向けじゃなくて、ちゃんと芸が細かくてしっかり作り込まれてて安心感がやばいし面白いよ
クソみたいななろう漫画原作アニメって、適当に描かれた会社(笑)が異次元ムーブして魔法で解決して終わるからガッカリするんだよな
大人が楽しめるようなストーリーにしてくれるところ、世界観も戦争もすごくディテールをしっかり描いてくれるところがいいんじゃん
総集編でも見ればいいよ
小学校の時に公民館の「まんが世界の歴史」とかで読んでた頃をふと思い出したので書いておく。
自分にとっては、劉邦ではなく項羽の方に感情移入をして彼らの物語を読んでいた。アウトローで人間味に溢れる劉邦は、今の俺には魅力的に映るが、当時の自分にとっては遠すぎる存在だった。人間としての器の大きさで周りを巻き込む劉邦の生き方は、ある種ヤンキー的価値観でもあり、そのようなものを本能的に避けていたのだとも思う。
小学校の時の自分は今にもまして不器用で、友達も多くなかった。勉強だけはできたが、それによってむしろ周りに遠ざけられ、また自分も周りを遠ざけているところがあった。
剣の才能に恵まれ、家柄と容姿に恵まれているが、傲慢な性格で孤立していった項羽の方が自分は心情的に近いものを感じていた。私自身の見た目だとか身体能力が高いということを言っているのではない。持つものはあっても、周りから孤立していった項羽の悲しさに同情していたのだと思う。
項羽と劉邦の物語はいつ読んでも項羽の悲しい破滅で終わるのだが、まんがで描かれた項羽の美しい顔を眺めながら何度も読み返していた。
ワンルームクソインベーダーズ - 八町智大 | 少年ジャンプ+
https://shonenjumpplus.com/episode/4856001361289959475
piyopiyo248
女の子同士ならOKってネタ、平成の化石かよってくらい古いしつまらないし、「女の子同士でもアウトに決まってんだろ」という意見が増えてしばらく見なくなってきたんすよ…令和に化石持ってこないでいただきたい。
2023/06/04
男がずーっとやめろやめろまずいまずいって言い続けてるし
っていうのが最初の見知らぬ美女の飲み残しを飲んでるところでわかるだろ
恋愛感情による凶行だとやけにジャッジが甘くなる読者がいるから
ついでに言えば欲望の対象にされている榊さんの「サービスシーン」みたいなものも全くない
これでも主人公の変態女の欲望が1ミリでも肯定されてるように見えるのか?
あまりにも完全に全然全く才能が無いからなんか他のことやれ草野球とか
tomoP あれこれ門司くん居ても居なくても良くない?
2023/06/04
こいつはずっと常識を言い続ける役だよ
もちろんこいつもおかしいけど主人公のやってることがおかしいとかセクハラだとか犯罪だってことをずっと言い続けてる
これだけ何重にも主人公の行為を肯定してる漫画じゃねえぞってシグナル出し続けてるのに
a_ako えーなんかビミョ。他人の飲み残し飲んでたりあと付けて住所覚えてる時点でキモくて無理。
2023/06/04
これだもん
もー呆れるわ
どこの誰が理解や共感が可能な素敵な人物だとか素敵な恋愛として描いてるんだよこんなもんを
お前が言ってるのは吉良吉影見て「女を殺して手だけ保存してシコってる時点でキモくて無理」つってるのと変わらねえんだよ
そういう風に描いてるの!理解も共感もほとんど出来ない異常者を!
なんなんだろかこういうコメントの奴等
じゃあもう鬼滅の無惨にも「自己中心的で人の命をなんとも思ってなくてキモくて無理」とか言ってろよ
つか「ビミョ」じゃなくてフルスイングでアウトだろ現実的にジャッジするならば
dgen 中途半端にシュールで内容が無い。ただ意外性だけで耳目を集めたいようにしか見えない。その意外性も中途半端。
2023/06/04
お前等があんなクソ漫画でチヤホヤしたせいで間違った成功体験大量に吸ったタイザンの才能は完全に破壊されて
って言っても見届けてすらいないんだよな
ひでえ話だよ
ていうかさあ
こうやってさあ
作者が常識が無いんだ反社会的だとか言われて下手すりゃ炎上するようになってる昨今のこれ何?
ちょっと前のタイムパラドックスゴーストライターとかも主人公が正しくない行動をするけど
それが悪いことだっていう認識も主人公の故意や利己心の為ではなかったってことも散々描かれてるのに
「人の漫画をパクって描いている!」「作者は非常識!」ってずーっと叩かれてたしさいじめレベルに
最近の漫画の読者感想ってなんかフィクションの構造がガチで理解できない〇〇〇〇みたいな感じのが異様に増えてて怖いわ
フィクションを咀嚼する能力や才能が無いとしか表現しようがない気がするんだけどなんか別の事なんだろうかこの現象
でも主人公がバンバン人殺ししてると特に咎められず許されるんだよな
パターン脳の極みなんだろうか
この漫画『アンチマン』のブコメにも「現代のタクシードライバーだ」みたいなコメントがあって、確かにそうなのだと思う。ただ、俺はタクシードライバーのトラヴィスには感情移入するけれど、この漫画の主人公の男にはそうならなかった。なぜだろうかと思って色々と考えて分かったのは、トラヴィスは最終的に強い者に闘いを挑むけれど、この主人公は弱い者への加害を妄想するばかりだからだ。
タクシードライバーのトラヴィスは大統領候補であるバランタインを殺そうと目論む、それが為し得ないとなると今度は淫売屋のポン引きと客を狙いこちらは成功する。大統領候補の政治家という権力者と淫売屋の男たちという裏稼業で当然暴力も辞さないタイプの奴等で未成年の少女に売春をさせる悪へ孤独に暴力で対抗しようとする。
対してアンチマンの主人公は、女を強姦しようとしたり、ぶつかり男になってみたりと、どちらも実行はしていないが体力や腕力で下位にあるものに暴力的な加害を妄想する。そして主人公が加害を妄想する相手の女は悪でさえない。唯一歩きスマホをしている欠点があるくらいでしかない。彼が恵まれない境遇にあるのは分かるけれど、結局そのストレスを強い者へ向けない。老いた父親に怒りをぶつける場面では、それを悔いているような場面もあるので決してそのような妄想を実行しない人間だけれど心の中にはそのような欲望を持っている。
そして最後、主人公に訪れる不幸も、彼は女をかばおうとしたわけではなく、妄想に取りつかれて、弱者への加害を実行しようとして偶然それが英雄的行動になっただけだろう。トラヴィスが殺人者でありながら英雄視されたのは強い者や悪に向かって怒りを向けたのに、漫画の主人公の男は弱者への加害を実行しようとして英雄視されてしまったに過ぎない。
そんな、怒りのはけ口を弱者に加害することで為そうと妄想するこの主人公には感情移入できない。
でも、そこがとても今の日本だと思う。強い者へ物申すことをせずに弱者をいたぶることに執着する。そのストレスは、めぐまれない境遇にあるのかも知れないけれど、それならその社会のハンドルを握っている権力者や、そんな権力者に付き従う言論人、そしてこんな社会で甘い汁を吸っている奴等に怒りを向ければいいはずなのだが、そのような強者には目を向けず、自分よりも弱い相手や少数派、彼らに味方する人間に対してストレスをぶつけて「お前たちが悪いのだ」と言って憂さを晴らす。とても現代に生きる人間を克明に描いていて、その点において現代日本のタクシードライバーなのだと思う。
ハッピーエンドにしにくかったり、情報不足だったり、どの人物も一長一短?
国家の未来まで考えると秦以外は最終的に滅びるし、春秋時代の秦だと穆公以外のイメージが弱いな。
だいたい宮城谷昌光氏が書いている(というか自分の情報源なので他が思いつかない?)。
よさそうな宮城谷昌光作品をどこかがメディア展開してブレイクさせてくれたら、もしかしたら春秋時代ブームの夢が見れるかもね。
鄭荘公:情報不足?周からみたら戦場で追討軍を討ち破るほどの逆臣。
斉桓公:末路が惨め過ぎる。
楚荘王:「俺はまだ本気出してないだけ」要素もあり、後継者も有能(短命だが)で良いと思うんだが、時代と社会を代表する人物とするには極端に言うと「蛮族の王」なので文句が出るのかな?
秦穆公:同時代人(晋文公)が強い。現代的価値観では殉死がバッドエンドに感じられてしまう。
宋襄公:宋襄の仁()と現代日本の勝てば官軍な世相では受けない。
呉王闔閭:綺麗に終わらない。
呉王夫差:完全にバッドエンド。
越王勾践:范蠡に砂を掛けられる。
家臣
華元:テラワロス
伍子胥:主人公の作品はけっこう多くて、既にアイスバーン。最期が悲惨。
養由基:バトル中心で行く?
祭足(祭仲):鄭荘公の出てくる作品で見たはずだが記憶に残っていなかった。Wikipediaを読むとちょいワル系。死に方は悪くない。
孫武:エピソード膨らませる必要がある。最期も不明なので、大抵は伍子胥に食われる。
孔子:浮沈の順番が逆なら良かった?
老子:謎。完全ファンタジー(不老不死・テレポートあり)にして、春秋時代の有名人物つまみ食いにしたらいけるかも?
夏姫:悲劇系
あとは詳しい人に任せた
前作『魔女』(2018)
”改造され超能力を身につけた主人公が秘密の研究所から抜け出し、追手と戦う”という『ファイヤースターター』に源流を持つお約束の物語。 『サルまん』でお馴染みの”嫌ボーン”ものにも連なる系譜で、日本の漫画でもかなりたくさんあり(『サイボーグ009』もそうだ)五十嵐浩一や槇村さとるも描いていたりする。
(ふつうは「抜け出す」と「追手が現れる」の前に「普通の生活をする」の描写が入るが、短編だといきなり追われている超能力者と戦うシーンから始まったりする。)
『魔女』(2018)はお約束をひっくり返す大きなネタがあって、これが人々に愛される作品足り得た最大の理由だと思われる。
今回は製作費も大変増加し、それに伴いリクープのために宣伝も大規模。必然的に起こるのが、「前作を知らずに観に行く観客」、そして、まだ続きがあると知らせない宣伝のおかげでエンドロールが始まって「決着ついてないと気づく観客」の大量発生。可哀想に・・・
前作のアバンの、実在のナチス時代の人体実験や脳手術の白黒ストックフォトや実際の生物学実験写真の小刻みカットバックに、秘密研究写真を白黒加工して混ぜ込んで虚実皮膜の間をあいまいにして「伝奇モノ」を刺激する手法を今回もやっているが、今回のは画像のチョイスがいまいちなんで(銅版画の魔女とか、下手くそな原始人のイラスト)初手からテンションが上がらない。
出てくる車がBMW、ダッジのピックアップ、シボレー(ハリウッド映画で悪役が必ず乗ってるアレ)、ボルボ…とほぼ全部韓国車以外になってた。予算が上がった分そこに行くのか、と。
で、今回のストーリー、前作の最大の魅力であった「意外性」がない。(今作で終わらせる気がないのでテンポも悪い)
・研究所育ちなので「こんな美味しいもの初めて食べましたわ~」ムーブ(無言)
・改造人間(一部?)はヘッドショットされても死なないで再生(鬼滅)
・一般人(ヤクザ)がドーピング超能力で参戦するも結局ホンモノ同士の争いの前にちいかわ並みに「アァァ…」
と
「こんな美味しいもの初めて~」の描写はちょっと新味があるけど、そこに高評価するのは一部の人だけだろう
あとは韓国の観客が見れば上海改造人間ズは「中国語=外国語」をしゃべっているってすぐわかるけれど、日本人観客にとってはどっちも「外国語」なんでね…(前作は韓国語と英語まじりのキャラーー米国から帰ってきた敵ーーだったのでそこまで混乱しなかった)同じ黒ずくめ同士だから区別つかんのよ(同じ会社の別派閥だから、同じような服装しているのは必然なので、ハイローみたいにコスチュームでチームが瞭然てわけにはいかなかった)
黒服と言えば、クライマックスバトルも闇夜(+花火大会)なんでそこもちょっとね
血がドバドバ出ても黒服が濡れてるようにしか見えなくて、白日の下でいかにも絵具っぽい血糊が、というよりはいいのかもしれないが
で、ストーリーの話に戻るともっと大きな問題があって主人公に軸がない。
「主人公が何も求めていない」「主人公が何も(悩んで)選択しない」
生き残りたい、逃げのびたい、追手を倒したい、自分の出生の謎を知りたい、家族を守りたい、復讐したい、敵組織を壊滅させたい…
そういうのがないの
十代で自分の子を妊娠出産した女を殺そうと思う男なんておるか? 知らんふりすることはあっても殺したいとは思わんやろ普通。
「遺伝上の父親が何か知ってるに違いない」と考えてるらしいけど、結局「推してたアイドルを妊娠させた男が許せない」という転生前の記憶で動いてるだけの気がして、謎解きとしてどうなん? と思って全く感情移入できない。
だいたい「愛を知らない」設定の十代女子が男とやるか? というのも疑問。精子提供とか人工授精とか、それに近いことで「自分の子なら愛せるかもしれない」と思って試したんやろ、おそらく。
疑うとしたらまずはB小町の元メンバーやん。妊娠出産をリークした人間も「死ね」とまでは思ってなくて、アイがアイドル引退してくれたら自分にチャンスがくるかもくらいに思っとったんやろ。そこを洗わないのがどうしてもおかしく感じて見れない。もちろんこんな単純な犯人じゃなくてええんやけど、まずはそこを洗えやと思ってしまう。ストーリーを長引かせるためなのかもしれんけど。
まず私のプロフィールを明かしておく。
大学院生。社会学と文学のあいの子みたいな分野で、とくにジェンダーとかセクシュアリティとかそういう事を学んでいる。
映画は学部時代に少しかじった程度で、評価はB+だった。だから的外れなことも言うかもしれない。すみません。
匿名なのでもっと書くと、同性愛者で、SMの実践者で、フィクトセクシュアルに片足つっこんでいるので、わりとどの界隈でも少しなじめない気持ちになりがち。
「映画としてはちょっと……」というような意見が主にアカデミックや評論の場で散見される。
これは分からないでもない。ちなみにここでは個人攻撃みたいにするつもりはないので、引用は特に必要でない限りはしない。
「すげえ! マリオってこういう解釈ができるんだ!」みたいな「新しいもの」はなかった。しかし、「マリオの映画といえばこういうのが見たいよね」という「見たいもの」が詰め込まれており、「新しいもの」を入れる余地は90分にはないように思われる。
メディアミックス映画としては一つの模範解答であり、文句なしの一級品といってもいいかもしれない。面白い映画といい映画は別だが、以下では「いい映画」(いい映画って何すか?)としての切り口を見てみたい。
ゲームをアニメとしたら、キャラクターの解像度や物語の運び方だけでなく、どのようにゲームの快感が写し取られているかが重要ポイントに思う。
マリオのゲーム体験を思い返すと、快感は大きく二つに分けられる。
「スーパーマリオブラザーズ」ならステージクリアのタスク消化に似た快感。
「スーパーマリオ64」に連なる「箱庭マリオ」なら新しいマップを開いていく探索の快感。
マリオシリーズだけでなくゲームの快感はむしろこの二者に共通する「試行する」快楽が大きいのではないか。
私はといえば、ゲームが苦手だった。
クリボーに激突する。穴に落ちる。ドッスンに潰される。空から落ちる。燃やされる。溺れる。
我ながらヘタクソなプレイである。しかし、プレイを重ねると、一つ一つそれらを回避なり消化できる。そこにゲーム的快感がある。
翻って「映画マリオ」に戻る。キノコ王国に迷い込んだマリオは、ピーチ姫の旅についていくためにゲームばりのアスレチックに挑むわけだが、このプレイングも経験者ならば笑ってしまうほど失敗に満ちている。そしてその分だけマリオは「試行」を試すことになる。
アスレチックだけでなく、ドンキーコング戦、クッパ戦と繰り返し作中で強調される「諦めの悪さ」が導くゲーム的快楽とはこのような「試行」の快楽が適切だろう。
文学研究者の藤田直哉は上記のようなことも含めて、「物足りなさ」を指摘している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1655397557198278662
ここは鑑賞者のバックボーンも関わってくるのかもしれない。
周回前提のゲーム「ドキドキ文芸部」「UnderTale」「シュタインズ・ゲート」の記憶が私にはすごく強くあるし、マリオシリーズから距離を取っていたので(ここまで多くの作品に触れたわけでもない)、試行錯誤性は面白く観た。
また、勉強不足と笑われそうだが、3Dの映像で2Dのフィールドを表現する映像も、私としては十分に真新しいものだった。
「反ポリコレ」とか、「ジェンダーから距離を取っている」いう話も聞く。
しかし私はそうは思わない。LGBTと「マリオ」作品群の関わりは以下のコラムに詳しいため、これ以上は言及しないが、さらに男性性との関わりについて分析する。
https://cinemandrake.com/pokemon-musashi-kojiro-lgbtq
こちらも藤田直哉の評を引用する。私のマリオ映画への評価は彼とは異なるが、この評と私の見解は一致している。
https://twitter.com/naoya_fujita/status/1656110486713434113
クッパは名誉と所有、暴力を原理においたキャラクターであり、婚姻と幸せを直結させる家父長制を背負った男である。
ピーチ姫に対し無茶な論理で婚姻を迫ったり、彼女の知人も含めた囚人を婚姻の犠牲として殺そうとしたり、人の論理の届かない人外らしさが映画における彼の輝かしい魅力でもあることは間違いないが、それは悪しき男性性の発露でもある。
この「有害な男性性」を退けることを軸にマリオ映画を見てみると、マリオは退けた先に何を得たのか。
それは物語のラストが示すように、ピーチ姫ではない(ピーチ姫とマリオとの恋愛の成就がほのめかされてはいる。しかし、ほのめかされていることと明らかであることは違う)。
マリオはゲームにおいてプレイヤーの分身であり、あまり感情を発露しない。
葛藤もあまり読み取れず、さらわれたピーチ姫を取り返すため、躊躇いなく絵画に入ったり火山に行ったり宇宙に行ったりしているように見える。
しかしマリオ映画においては、夢を追う自信のなさげな男として描かれる。
イタリア系アメリカ人の家庭で育ち、家族仲はおそらく悪くないが、「父親に認められたことがない」ということが恐らく影を落としていて、自分のやりたいことと、父親に認められたいという二つの想いが両立できていない。
そしてマリオは映画の終わりに藤田のいうところの「有害な男性性」の発露であるクッパを倒し、父親からの承認を得ることとなる。
婚姻に大きな意味をおく家父長制の権化を倒した先に、父という家父長に認められるというメビウスの輪的な権力のねじれについて、私はまだうまく説明ができない。こういう嫌な書き方をすることで、妙な引っ掛かりを表明するしかできない。
その是非について何か言いたいわけではない。
現実では家父長制や異性愛規範や同性愛差別やトランス差別や人種差別が吹き荒れている。そのような不均衡な権力は改められるべきだし、悪しき男性性とは決別すべきである。
その是非についても何か言いたいわけではない。
ここまでが建前。
「家父長制の権化」と表現したけれど、理屈の通じない愛情を持て余す魔王クッパが大好きだ。
本気で惹かれると言っていい。
そして彼は多くの部下に愛されながらも、彼の愛はどこにもたどり着かない。
槇原敬之の「軒下のモンスター」から「いっそ妖怪にでもなって 君を軒下からただ見ていたい」を引いてもいい。
三島由紀夫の「仮面の告白」から「お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生き物だ」を引いてもいい。
ピアノを弾きながら「ピーチピーチピチピチピーチ」とか歌ってる彼のカットでは劇場で笑い声が起きた。
「悪しき男性性」の回路ではもう誰かと心を交わしあうことはない。ピーチが振り向くことはない。彼の歌うラブソングは哀愁に満ちて、あるいは滑稽かもしれない。
私も笑った。でもぶっちゃけ泣きそうにもなった。
今ギリギリこの男を笑って愛でながら見られるくらいには私もマジョリティにいられてるんだろうけど、こういうジェンダーやクィアの批評は規範を可視化させ内破する営みであって、次に生み出される新しい規範にいられなくなったら、次は私が笑われる番なのだ。
本当は、弱者はクッパの方なのかもしれない。でも私は彼にあまりに感情移入しているから歪んだ読みをしているのだろう。
お前の横暴さも、報われなさも、情けなさも、関われなさも好きだぜ。ほんとに。
「君の名は」は、東日本大震災を事前に知って回避したらどうなるかっていう話。題材を変えているだけで、あれは不謹慎な話でもある。
街が破壊される描写も東日本大震災が元ネタ。日本でウケたのは、皆東日本大震災を経験して、あの空気感を思い出して心が揺さぶられるから。
東日本大震災で誰も死ななかったら?という、もう起きてしまった事に対して過去を否定する話。
「天気の子」は、ポリコレ社会に対してのアンチテーゼが元ネタだった。ポリコレを大事に思っている人は苦々しいだろうし、
責任のある立場で色々犠牲にしてきた大人は批判されているようで気持ちよくないだろう。
東日本大震災から離れつつ、相次ぐ自然災害を「異常」だと言うことと、社会の正義を1つに定めることを重ねた。
「青空(正しい世界)よりも俺はひな(間違っているが信じている存在)がいい!天気(社会)なんて狂ったままでいい(間違ったままでいい)んだ!(だって世界は元々間違っているのだから)」
という主人公の言葉は痺れた。個人主義の皮を被った全体主義に対する強い批判のように感じた。
「すずめの戸締り」は正直駄作だった。ネタが尽きたんだろう。イケメンの声優は下手糞だし、話も先が読めるし、感情移入できないし、テーマ性も問いかけるだけで終わっている。
結果的にダイジンは世界の為に犠牲になり、すずめはダイジンをうちの子じゃないと言い放ち。
ただこれは、「君の名は」が「あったことをなかったことにする」、つまり「3本脚の椅子を4本に」ということはせず、傷ついたものは傷ついたまま、あったことはあったまま、
前に向かって歩くと言うテーマには、平凡なストーリーが合っていた。
3部作を閉じるにあたり、始めてしまった「嘘」を「閉じる」、贖罪の為にこの作品を作ったと考えれば納得できる。いつか新海のインタビューで「君の名は、は一時の傷を癒す絆創膏のようなもの」という言葉を見た気がする。
新海はその傷痕を傷痕のまま、絆創膏を剥がす痛みをこの映画で描きたかったのだろう。l
勿論それは君の名のように劇的ではなく、天気の子のように動的でもない。
源氏物語を書いた紫式部は、仏教説話によると地獄に落ちたらしい。
現実に向き合うべきなのに、人の心を惑わし夢の世界に閉じ込めたと。
新海誠はその点、物語の扉を閉じてみる人を夢の世界から引き揚げた。すずめの戸締りは駄作だけど、新海誠は嫌いになれない理由がそれだ。
昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。
これを読む前に注意してほしいのは
だ。
YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。
そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。
偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。
その重要な過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。
この物語が評価されている大きな要因としては、まず推しの子に自分がなるっていう第一話のインパクトとコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。
これ自体は別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程をスキップしているので作品としての完成度が低下している。
たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家の仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか?
また、アクアとルビーの父親に関する伏線が第一話だけっていうのもつらいポイントではある。
どうしてもそこからのストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーがアイドルを目指すとか、主人公が父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い。
1クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。
「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!!?」
初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。
それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。
まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。
もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。
音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。
「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。
Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。
ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。
初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。
正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。
しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッション、リズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽のトレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。
Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。
「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは
・繰り返される転調
と
だ。
一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後のCメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める。
まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップに気持ちよくハマっている。
この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。
・イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い
・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい
・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い
・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い
・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい
・Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。
・Bメロの”触れることない言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい
・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。
・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい
・Cメロの”もういや「だって疲れたんだって」”の「だって疲れたんだって」のリズムがすごい。
ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである。
次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について
これは説明がとても難しい。
と
・なんでも歌える歌手
の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。
まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。
とりあえず例を列挙する。
米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。
実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。
ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。
りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?
この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。
汚れた君は嫌いだ
君を汚したあいつも嫌いだ
この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。
こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。
でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。
あとこのタイプの歌手は一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。
歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプの歌手は歌い手文化にそぐわない。
自分が共感できる曲だけを歌うことでその問題を解決してる人もいるっぽいけれど。
なんでも歌える歌手の例を挙げる。
・ikura
・Ado
・yama
・suis
ヨルシカはナブナの個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。
これらの歌手は限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。
YOAOBIのコンセプトは”小説を音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。
「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。
あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女は死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。
さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものだからだ。
ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自に解釈することに成功している。
この作品自体をどことなく俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公やヒロインに感情移入するのではなく、どこか客観的な視点から物語を淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことなく人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。
これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。
もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。
“制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。
今回の場合は
・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)
・”推しの子”のOPに要求される、アイドルソングライクな(コールが差し挟まれるなどの)要素
この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。
この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。
「アイドル」の歌詞は原作「推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。
医者の主人公のところに推しのアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す
というものだ。
そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループに所属していた女性だ。
「アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。
1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。
ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。
問題はその後だ。
我々はハナからおまけです
お星様の引き立て役Bです
全てがあの子のお陰なわけない
これはネタじゃない
からこそ許せない
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。
一見、最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスはマジですごい。
Vtuberの歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子とマッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。
たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプの女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。
先ほどの話に戻る。世の中には
・どんな歌も歌うことができる歌手
の二種類が存在する、と言った。
の二つがあるのだ。
そして「アイドル」という曲は”とある人間にしか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的な体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身の体験)をベースに紡がれているからだ。
ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。
そんな私の嘘がいつか本当になること
信じてる
恵まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロの歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことなく空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。
あるいは、
【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。
【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースから「もっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用
とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。
「アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬の経験がある歌い手のほうが歌声に説得力が増す。
しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。
「アイドル」を完璧に歌える人間は存在しないかもしれない、とか思った
待ち侘びていたティアキン
発売日からプレイしてて、ゲーム部分は楽しいがストーリーに感情移入できない
昔ながらの「姫と騎士」の物語なんだからしゃあないとは思うが、民主主義国家生まれとしては「王国」や「王族」に感情移入できない
・貧げな暮らしの村人たち←→バカでかい城に住むゼルダ姫ら王族
・非文明的な暮らしをしている村人たち←→お抱えの研究者の作ったカメラ(プルアパッド)で趣味の研究に没頭するゼルダ姫
らへんにまずモヤる。
・ブレワイの頃からゼルダ姫・リンク・プルアら研究者の持つ技術が村人らの暮らしに還元されていない様子
技術があるならすぐに暮らしに還元できるはず、しろ、というのは「なろう」じみた考えかもしれないが、王族として国を支配する立場なのにゼルダ姫はブレワイから今まで何してたんだ?と思ってしまう。
・一心に姫を慕う村人たち
も理解し難い。「ゼルダ様は凶作の年に隣町から物資を届けて下さった」的な説明があるならわからんでもないが、そういった説明もとくになく、貧しい村人たちが「姫、姫」と慕っているところが共感しにくい。現代日本にも「アベノミクスで日本を救ってくださった安倍様」など言うやつは居なくもないが、普通の感性では受け入れられない。所詮天皇も象徴の時代の人間、王政のような宗教的なものを受け入れる下地がない。
今作でもゼルダは未だに「姫」で、国政をメインに担うのは「王」。ゼルダが何してるのか、何をしてきたのかよくわからない。よくわからないのに慕われててよくわからない。
ニンテンドーで王族の次に偉いのは学者先生らしい。好奇心旺盛であることが良いこととみなされる。ゼルダ・プルア筆頭に研究オタクキャラが多い。多すぎる。ニンテンドーのゲームに必ず1人はいる気がする。
「あーはいはい好奇心旺盛で研究のこととなると夢中になっちゃうオタクなのね」。いかにも「好奇心旺盛」「勉強熱心」が誉めそやされる世界で過ごしてきた人間のつくるキャラクターだ。おもしろみがない。
任天堂はキャラの「ガワ」を作るのはうまいが、「中身」を作るのは下手なように思う。
キャラクターは個性豊かだが、どこかで見たことあるものが多い。大抵のキャラが同じセオリー、同じ価値観に基づいて作られており、ロールに沿った言動しかしない。現実の人間ならあるようなゆらぎがない。大味でつくりもの感が強い。
「編集者が会議して作った漫画は没個性でつまらなくなる」とバクマンだかで言ってたが、任天堂も同じなのかもしれない。
ゲームのストーリー部分をボタン連打で読み飛ばす系の人間にティアキンのストーリーパートを楽しむのは無理なのだろう。
アクション、謎解き、オープンワールド、主人公の強化、あたりは楽しい。ムービーやNPCとの会話のような茶番を見せられる時間が発生するのがだるい。
ブレワイのストーリーパートを楽しんでるやつとかあんま見たことないが、なんでストーリー重くしたのか……
ってま、グッズ販促タイムか。ライダーベルトやプリキュアの変身グッズのCGと同じだよなあ。真面目に考察してもしゃあないわ。
一部のアホブクマカがキショい感情移入をして増田息子を孤高の義士のように褒めているが、俺はもしこの子が打ち上げに呼ばれていたら、チクらず見過ごしたかもしれないと思う。
ただの正義感が強すぎる子を親が「小物」と形容するだろうか。身バレ防止で書いていないことも多数あるだろう。最も身近で当人を見ている親が「卑怯者感がある」と思ってるんだぞ? 純粋すぎる正義マンなら最初からそう書くだろう。
チクリ魔の卑怯者の思考をエミュるなら、さしずめ「俺は耐えているのに、アイツらだけいい思いをしているのが許せない。ちょうど手元に破れたルールがあるから権力を召喚してぶん殴ってやろう。俺は正しい」ってところじゃないだろうか。この延長線上に、生活保護家庭の子が無申告でバイトしてるのをチクるとか、そういうのがあるわけよ。
その片鱗が見える気がして親が悩んでんだろ。本当に文章読めねえ奴が多いな。
漫画じゃなくてエロゲだけど、双子キャラがよく似たキャラクターデザインをしている理由付けとしての「小さい頃からそれを”売り”にして生きてきた(そうせざるを得なかった)から」という裏設定と、「(主人公のおかげで)これからは必要ないね」という裏ストーリーが、メインストーリーとは全く関係のない会話の中でさらっと語られた時は、「男性だったらこれは書けないだろうな」と思った。性別非公表だから正解かどうかわかんないけど。
その設定自体は男性でも思いつくと思うんだけど、それはどうしてもメインストーリーに組み込んじゃうと思うんだよね。それを贅沢に消費できるのは女性的だと思った。男性の自分は「深い話だなぁ」と感心して、キャラクターに感情移入してちょっと泣いちゃったんだけど、作者は多分、「使い古されたありがちな設定」くらいにしか思ってないんだよ。
これは、はてなーに限らず、ニュースにいっちょかみで何か言う人間は共通してそんな感じよ。
だって、生きてる人間にとって、虐待の苦痛とその後の心身の傷、害悪にしかならない毒親族を抱えた状態で、今後も悲惨な人生を送ることが確定してる人に対しては感情移入しやすいけど、殺された側には感情移入できないし。
人が死んだ後のことはよくわからないし、地獄と生き地獄とどっちがつらそうかっていったら生き地獄でしょ。
そうでなかったらみんな自殺しないよね。現世の苦痛より死ぬほうがマシだから自殺するんだし。
殺人事件は、被害者が殺される時の苦痛とか、残された遺族の悲しみを見て初めて「加害者死ね」ってことになる。普通のニュースでは悪趣味だからそんなのはそこまで報道されない。
ありがとう だわ。
正式名称、
『 WAR OF THE VISIONS ファイナルファンタジー ブレイブエクスヴィアス 幻影戦争』
をご存知かな?
うん。
その直感は正しい。
『幻影戦争』は、名作『FFT』(ファイナルファンタジータクティクス)の影響を強く受けた シミュレーションRPG系のソシャゲなのだが……。
幻影を始めて3年強。 完全に習慣化している事を吹っ切る為にも
《総評》
ストーリーは酷かった……。
ガチャ、育成は辛かった……。
ただ、3年強の期間
素晴らしい部分、良い部分も多いのだが、 悪い部分を書き出すと終わらなくなるので
後述する。
【増田(筆者)】
一度、ソシャゲと言うモノをやってみたかったし。 FFTは好きなので、FFTコラボから参加。
特にこの2年間は完全に惰性だった……。
【良い部分】
・『FFT / ファイナルファンタジータクティクス』を令和に蘇らせようとした チャレンジ精神。 +5億点。
・地味だが地道な快適性の改善アプデ。+8点
・全てを課金圧に変える。 いっそ清々しい割り切った運営。 逆に、+70点
☆
増田は、FFTコラボの時点で新型コロナがヤバいと判断していて、
『FFBE幻影戦争』は、今となっては増田にとって、コロナ禍を共に闘った
戦友の様にも思えるよ。
【ガチャ】
察して下さい。
基本がシミュレーションRPGなので、各キャラが駒にあたり、
これをガチャで引く。。 。
当然、強いキャラ(≒駒)が居ないと戦いにすらならない。
これに更新や限定イベント、コラボ等で 毎月2体以上、更に強いキャラが追加されていく……。
実際には、
遊び始められるが……。
手持ちのキャラでは、どうしようもない状況も まま発生する。
「あれ?…… コレって、課金しない方が面白いゲームなのでは?…… ってか、リソース管理ゲーなのでは?…… 」
配布される[石]は、ガチャが安売りされる時、
一応、ガチャシミュレーターもあるので 雰囲気だけでも感じて欲しい。
・キャラ ロストか、キャラ リセットが有った方が良かったんじゃね?……
え~と……。
幻影って要は、ガチャ課金とプレイ時間で 強くしていくゲームなのだけど。
基本がシミュレーションRPGで、PvP要素が濃いので
3年無課金で遊んだ増田(筆者)に勝とうと思うと、結構な重課金が必要になるのよ。
が、有った方が良かったと考える。参加は自由で。
1, キャラ リセットで上位と下位の差が縮まる余地が出来る。
3, 重課金勢からすればレア常設キャラなんて外れみたいなモンらしいし、
彼らの[ハズレ]が相対的に減るのでは?
まぁ、増田は幻影が初ソシャゲなので完全に見当違いかも知れないが……。
さて、
【ストーリー】 -7兆点
酷い。
結果、
全てのキャラが正常なメンタルと判断能力を持ち合わせていない……。
〈愛着が持てない。〉
ガチャで【当たった】筈のキャラが、単なる【駒】としか感じられなくなるのね……。
やっぱり、
ジャンプシステムって凄いわ……。
増田も散々、 「インフレだ。おつかい一本道だ。」 って、揶揄してきたけど。
と、思い知ったわ。
って言うか
終わりが見えない下手な群雄割拠モノって
双子の弟【シュテル】ってのが居て。
「あぁ。そういう感じね。」
って、思うやん!!!
んで、
『 兄貴! (一緒に戦えて嬉しいよ…… うんたらかんたら……)』
……。
……。 いや、ヤンキーかと……。
この時点でモントに兄として尊敬の念があるなら
「兄上!」 と呼びかけるべきだし。
「モント!」と呼び捨てるべき……。
最悪「兄さん」だろ。
この時点で、かなり香ばしいと感じたのだが。
ストーリーを進めても一向に改善しない。 どんどん悪化する……。
ある程度、進めた後。
これは何らかの精神的支柱が無いと ストーリーを進められないと判断し。
FFTコラボの【ラムザ】を出す為に、増田は人生初のリセマラを敢行しました。
ツッコミ所しか無い 陰謀の為の陰謀が 先送りの為だけに繰り返されるのだけど……。
増田の中で決定的だったのは、
主人公と敵対する陣営の同盟国間で、要人暗殺事件が発生するのね。
ここまでは良い。
イヤイヤイヤイヤ……。
暗殺失敗が確定したのに強行するのは有り得ない……。
それ、同盟、終わるやん……。 実行側にデメリットしか無く、何のメリットも無いやん……。
我ながら判断が遅い。
アホ共のパニック。
( 腹を割って話し合えとは言わんが、最低でも意思疎通は しようや……。 )
【2部】
主人公(モント)に対する明確なライバル(ジェーダン)を立て、構図をシンプルに。
更に、色恋沙汰も混ぜる事によって、 割りと整合性の取れたストーリーになっている。
ただ、
主人公のライバル役も善玉に描こうとした結果、 ストーリーの推進力も失われた……。
不味い部分を薄める事で食える様にした印象。
そして、
オチが残念……。
2部のラストが、それってどうなのよ……。
【3部】
タイムリープ物に……。
1部と2部の黒幕が、「何故、悪に堕ちたのか?……」が描かれるのだが……。
タイムリープするし、で
1部と2部は何だったのか?…… 最初からコレをやれよ。と、……
← 今ここ。
【育成】 -57点
カラかったね~……。
割り切って、手持ちの強キャラに注ぎ込むのだけど
Lv89の強キャラに引率されて進む、残りのLv30のキャラみたいになり
肝心の戦術性は皆無に……。
一通り揃うのに1年は掛かったかなぁ?……
コラボイベント中じゃ無いと、コラボキャラが出ないのは普通だと思うけど。
このゲーム。
つまり、
シミュレーションRPGという特性上、 頑張って課金して、ガチャでコラボキャラを当ててもだね。
希少素材を消費した上に、箸にも棒にも掛からない、ゴミになっちゃう訳……。
『ラムザ』が該当した。 辛かった……。
無課金の増田としては、ラムザで懲りて コラボ・限定イベントは全無視する事に決めてた。
【ギルドバトル】 +700点 -700点
このゲームには最大30名が所属できる「ギルド」が無数にあるのだけど
各所属メンバーはキャラと装備の編成だけして、 対戦ギルドのメンバーを選び、戦闘はAIによる自動。
PvPなので、白熱する。
ただ、
正直、シンドい……。
操作自体は数分で終わるけど、真面目に勝ちたいなら、判断と決断に時間がかかるし。
毎日参加しないとギルドバトルが不利になるし、他のメンバーに迷惑がかかる。
かなりのプレッシャーだった……。
開催時間がもう少し長いか、隔日開催とかでも良かったと思うよ。運営。
土日平日 関係なく毎日21時~23時を拘束されるのはキツい。
まぁ、面白かったけどね。
【キャラ追加】 -30点
より強いキャラが追加されて、インフレしていくのは仕方が無い。
でも、やり様ってモンがあるだろう……。
その時点で非常に強く調整されてて、当時 猛威を振るった。
ここまでは良い。
でも、
FF7コラボが終わった直後に、露骨に対クラウドに有利な強キャラ(オベロン)を
商売下手かよ……。 FF7ファンが定着しないじゃん……。 仮に、もう一度コラボする場合でも悪印象が残るじゃん……。
こんなのが何回もあった。
やり方があるだろ……。
でも、限定イベントキャラやコラボキャラは、こまめに上方修正した方が良かったと思うぞ。
コラボした、ナンバリング キャラでさえ 登場から半年で陳腐化して殆ど見なくなる。
違和感が強い。
FFTキャラの上限解放が弱かったのも増田のモチベを大きく下げたわ。
終わりにかえて、
色々ボロカスに書いたし。まだまだ書き足りないけど。
その事には深い感謝を。