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2024-07-24

anond:20240724115649

普通に人間関係築いてりゃ「女性に気付かれる」だろ…

つか、そもそも人知人が全くいない状態

そこからいきなり知らない初対面の女性と付き合おうとしてるって前提なの?引きこもりか?

その前にまず外でて知り合い作れって話では?

2024-07-20

山月記の李徴に足りないのは覚悟であって、正解は中途半端な人虎ではなく、徹底して虎になることなんだと思った

なんか、山月記感想で多いのは、偉い悪人に頭を下げる公務員職が嫌だからって安易に辞するべきではない、みたいなのが多すぎるんだけど、

でも、公務員やってて、俺は汚職に関わるぐらいなら仕事辞めるから、みたいな人は、そもそもその仕事向いてないわけでしょ?

どんな仕事でも表に出せない裏側があるのは分かるけど、それを飲むのも仕事の適正なわけで、李徴はまあ潔癖だったんだろうけど、向いてないことには変わりないよね

ビッグモーター社員だったとして、街路樹の切断を担当させられても、それをそつなく実行できる人がビッグモーター社員に向いてるんであって、

俺、法に背くぐらいなら仕事辞めるわ、という人は仕事無理に続けてもつらいだけでしょ

でも、そんな社会に嫌気がして、詩で生きると決めた割に、人虎という中途半端な姿になってしまうということは、まだ虎になりきれていないということ

もう元の公務員に戻ることはできないのだから、残る道はただひとつで、それは徹底して人を捨てて、虎になるということだと思う

仕事を捨て、世間体を捨て、家族を捨て、世を捨て、詩だけに狂う、狂人になれということだと思う

逆に言うならば、究極の詩を作るためには、詩を作るマシーンというか、人生全てを詩に捧げる狂人になるしかないということだと思う

悲しいかな、これがなろう系とかであれば、人虎になった李徴は悪い役人をやっつけて、地方領主にまつりあげられたり、

そのうえ詩人として成功したり、モテたり、異世界ハーレムだったりするのだろうけど、

現実はそんなことはなく、昼夜を問わず詩を作ることだけに人生を費やし、人知れない場所死ぬのだろう

まり、これは私のことである…😟

anond:20240720200647

人生に失敗してるとアカデミアで失敗した人間しか触れ合えないか

うまく行ってる人知らないんだ

失敗作みたいなのの情報しか知らないまま

増田は死んでいくのでした

妖怪妖怪ウォッチ」

妖怪ウォッチが大ヒットしたのは2014〜2016年わずかな期間で、その直後に跡形もなく消えた。

その期間に子供だった人だけが知っている都市伝説集団幻覚のようなものになった。

怪談漫画アニメでありそうな、夏休みに一緒に遊んでいたのに夏休み明けにいなくなって自分以外の誰も存在を覚えていなかった友達大人には見えずある世代の子にのみ見えていた現象(その子供達が人知れず世界危機を救うやつ)。妖怪ウォッチ自体がそういう妖怪の類ともいえる。

から妖怪が見えていた僕達」以外の、世代が違う人に妖怪ウォッチの話は通じない。あれは妖怪妖怪ウォッチ妖怪不祥事案件でいうところのいわゆる「俺が子供の頃は妖怪ウォッチ流行ってて〜」「知らん…何それ…怖」を引き起こす妖怪でウィッス!

数十年後に「一瞬だけポケモンを破った伝説コンテンツ妖怪ウォッチ』」という偽の記憶若い世代を騙す虚構番組企画に使うこともできる。

2024-07-19

anond:20240719100735

よく人知れず処分出来たな。

来歴と所持様態からすると銃砲刀剣類所持等取締法第三条第三条の四、第十条第十条の四、第二十一条の二、第三十一条の三に違反していた罪を負う可能性が高いが、結局死んで、誰にも知られず、訴訟できないんじゃ罪の存在を立証できないわな。

バレなきゃ犯罪じゃないんですよ

モデルガン趣味教師の話。

教室モデルガンを飾っていた、モデルガン趣味教師

彼は、やがて定年退職し、程なく息を引き取った。

…あの先生はい先生だったよなぁ…。

だが実は、モデルガンはM249、湾岸戦争使用されたミニミ軽機関銃のものだったのだ!

教師が持ち帰った軽機関銃殺傷可能な弾が入ってたことを知る者は誰もいない。

装填されたマガジンは、全校生徒を静かにさせるのに余りある力を持っていた。

しかし結局、悪夢が実現されることはなく、銃は人知れず処分された。

以上が思考実験である

さて。

彼に罪はないのか?

2024-07-17

10年の付き合いの親友と縁を切った話

●はじめに

これは相手に向けて書いたものではなく、相手批判する意図はない。

もしこれを読んで相手批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである

また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。

だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。

以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。

登場人物

私=筆者

一次創作をする。

絵と文章を嗜む。

A

私の親友だった人物

絵を描くことが生きがいであり、人生のもの

この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録私自身の反省のためのものである

再三になるが、この文章にはAを批判する意図はない。

●Aと私の関係

Aと私は高校入学して出会った。

そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。

10年を共に過ごしてきた仲だった。

間違いなく、一番仲が良かった友人だった。

高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。

大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。

大学卒業してからもその関係は変わらない。

私が新卒入社した会社研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。

Aは絵を描くことが好きだ。

絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生のものなのだと思っている。

自分気持ち言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。

私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。

そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。

Aは私の一次創作ファンだった。

私の作ったキャラクターお話ファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。

Aは私のキャラたちのファンアートをたくさん描いていた。

そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。

Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分創作の話をした。

長くなったがここまでが大まかなAと私の関係である

●事のあらまし

Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。

私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。

そこで一次創作同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。

私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。

ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。

頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterフォロワーを中心に頒布することができた。

半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。

Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したこときっかけだった。

私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。

喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。

多分おおもとの原因はここなのであろう。

Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。

Aと大事な話をするときは、手紙を書くことがしばしばあった。

その手紙きっかけでAと仲直りをすることができた。

仲直りをしたとき電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。

「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。

Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。

前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。

Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。

その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。

しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。

だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。

結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。

そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラ立ち絵ポーズイメージを送り、Aに制作をお願いした。

私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。

強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。

だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。

なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。

Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。

そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。

Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。

Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。

だがしばらくした後、Aから晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。

私はさら違和感を覚えた。

もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。

まり好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。

どちらかと言えば同じサークルメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。

から「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。

しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人からまれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。

「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。

Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。

Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。

とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。

私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。

Aのリアクションには違和感があったままだった。

本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。

長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。

Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。

そのまま迎えた即売会当日。

その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。

細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャライメージ香水

それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。

iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。

「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクション

「はあ……」と言ったものだった。

即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。

……イラスト有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。

しかし今回の話は果たして"依頼"だったのだろうか。

友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。

"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。

私にはわからなかった。数年経った今でもわからない。

私は1万円を支払わなかった。

友人同士で金銭のやり取りをすることに抵抗があったからだ。

その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日ご飯代、打ち上げカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。

続けて「もし対価としてお金要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。

「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくま好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。

Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。

あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。

"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。

今回はただの口約束で、そこに契約など存在しなかったのだ。

「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」

そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。

私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。

Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。

またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。

●縁切りに至ったきっか

約1年、Aと会話をしなかった。

そんなことは今まで初めてだった。

AのTwitterからは私のキャライラストが消えていた。

しかし連絡がなかったとは言え、TwitterLINE相互のまま。

リアル友人用のインスタも見られる状態にあった。

まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。

私は中途半端状態が好きではない。

Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。

まだ友人関係を続けるなら清算必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。

迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。

そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。

ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。

まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。

「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。

とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。

『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』

そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』

『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』

『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』

『いい加減自分意見を隠して察してちゃんするのはやめろ』

私のこのときの率直な思いだ。

しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。

「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。

しっかりと話し合う時間が欲しかった。

会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさら半年後だった。

ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、

粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。

そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。

その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。

しかし確実に、距離が空いていた。お互い腹を探りあっていた。

私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。

いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。

その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。

それでも私の誕生日には簡単イラストが贈られたので、私もAの誕生日イラストを贈った。

私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが

Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。

しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮り写真にもコメントをくれたり、

ドレスの色の相談もしたりしていた。

式当日の写真にも、いいねコメントがきていた。

行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。

年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、

招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。

AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。

Aからは「正月帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。

私は過去年賀状ファイル実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。

送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。

Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。

住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。

再び、スタンプが押され返ってきた。

原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。

Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。

Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから

しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。

(やりとりは削除済みなので記憶だよりである

……私はもう疲れてしまった。

わずかに繋がっていた糸が切れてしまった感覚があった。

Aの仕事は土日休みだし休日出勤もなさそうなのに。

年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。

局留めなんて提案バカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。

「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」

私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。

しかし、Aからの返事が来ることはなかった。

話したくないの意志のものだったと思う。

話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。

私たちが縁を切るにはもう少し事務的手続き必要だった。

大事な話なので」と念を押しても無視された。

Aは私の連絡は無視し、Twitter更新を続けていた。

LINEブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。

ただただ、無視をされていた。

日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。

別のフォロワーホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。

よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。

盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。

他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。

少なくとも元気であることが分かって一安心

同時に無視意図であることも分かった。

私はAに追加でLINEを送ってみることにした。

目につきやすいように、短文で3件ほど。

わざと気を引くような言葉も選んだと思う。

スペースで何か反応があることを期待したものだった。

しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。

そこからはもう出るわ出るわ本音の嵐。

それを聞いたフォロワーも一緒になって私への悪口を言う。

いや中学生か……。いい歳した大人が……。

だがしっかりと聞きたかった言葉を聞くことができた。

「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」

これだ。私が聞きたかったのは。

私は確信を持ちたかったのだ。

その後、スペースは「謎の匿名リスナー」の存在がばれたため、

アカウントの方へ移行していった。

私はAの全ての連絡先を削除し、SNSブロックした。

そしてAとの関係肯定するものをすべて処分した。

Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。

Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。

絵を捨てることで、私はAという存在すべてを否定した。

実家を出て、新居に必要ものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。

(余談……事務的手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。

他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)

主観と推測と反省

タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。

やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。

私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。

誕生日プレゼントとお礼を混合したのが良くなかったのか。

そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。

いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこ自体が間違いだったのか。

……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。

Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分人生のもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と

感じているのだろう。

もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢リスペクトしていたつもりだ。

だが、思っていてもそれが相手に伝わらなければ意味がない。

私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉表現方法が悪い。

そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。

私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。

Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。

許されないことも仕方がないと思っている。

しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。

Aは私の謝罪必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。

人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。

ここまでで書いたことはあくまでも私の主観に基づいたものだ。

ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかからない。

Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段しか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。

何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。

Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。

かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。

共通コミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれものだ。

Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。

Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。

家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て

ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。

言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。

自分けが被害者のような態度を取られるのが不満だった。

誰が聞いてるかもわからないオープン場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。

「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。

友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。

これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである

それでも私はAを許さないと思う。

Aが私を許さないのではない、私がAを許さないのだ。

以上、非常に長く見苦しい文章を読んでくださった方に感謝します。

2024-07-11

暗く後ろめたい方向へ向かっていく性癖旅路

ある日一人のキャラクターに恋をした ゲームキャラだった

当時の少年はそのキャラ所謂「ついてるのにかわいい」感じのキャラだった

そのゲームは続編が大コケしたせいで 新作など出る見込みもないゲームなのだ・・・

それからというもの、「ついてるのにかわいいキャラが好物になってしまった

角の折れた獣人双子の弟の方、キャラ名が性別と呼ばれる子、シスター服のヨーヨー使い・・・

中高生欲望の矛先としては大分アブノーマルラインナップになって行った

そんな少年もまだ物語現実との判別は付き、社会人になってからだが、彼女を作った

未だに続いているMOでの繋がりであった

しかしその彼女には既に伴侶はおろか、子供がおり、その上で独身を名乗っていた

付き合い始めていくらか経ったころにカミングアウト それをきっかけに連絡を一切取らなくなった

少年だった男はもう一度と思い、違うゲームで違う彼女を作った

しかしもう一度裏切られた 彼氏持ちであった(当然のように独身を名乗ってた)

以来、男は懲りてしまった

仕事をし、趣味に打ち込み、酒を飲む、親族不幸者の誕生であった

しばらくして何度目かの引っ越しの時、使い古したメモリースティックが出てきた

懐かしくなって本体を買いなおし、起動すると、当時の欲望の発散先が、当時のままに輝いて見えた

以来どうしようもなく、2次元少年愛というものが手放せなくなってしまった

鎧をがっちり着込んだ金髪ロングの子英雄王や征服王少年体、

不幸体質の溌剌とした子、犬耳と和装の特徴的な子、マジシャンの兄、潜水士の弟、ファンタンゴを踊ってほしい子・・・

今でも魅力的な子が出続けている上に、これらの2次創作を書く人はオリジナルキャラ本も出しており、さらに深く沈んだ

再び手を出したMOMMOでも、そういうキャラを作るようになって行った。

自由度に物足りなくなると居をうつし、さらに励んだ

ふと己を見返すと、物語現実分別がつかなくなった男がいた

認識の話ではなく嗜好の話である

合コンや酒の席でも「あの子だったら辛辣な口ながらも介抱してくれるだろうなあ」とか

あるいは「人知を超えた存在から一緒に酒を楽しんでほしいなあ」とか

「家に居なくて寂しがって欲しい」 「酒臭いことに文句を言いつつもくっついてほしい」 「銭湯背中を流しっこしたい」など・・・

現実的な理想」の択から女性という択が消え去ってしまったのだ

恐ろしいことに2次元キャラクターですら択になくなってしまった

私はどこまで行くのだろうか よくドミノ状に性癖が倒れていき、ホモセクシャルに至る画像があるが、

そうなってしまうのだろうか 太眉短髪スジ金三白眼のものしか受け付けなくなっていくのだろうか

なりたくはないと今は思う が 中高生の頃のなりたくなかった大人に今、なってしまっているのだ

私は 怖い

2024-07-04

神の存在を感じてみたい

すなわちヌミノーゼ体験してみたい

ミノーゼとは?

ヌミノーゼ - Wikipedia

神への信仰心超自然現象、聖なるもの宗教神聖ものおよび、先験的なものに触れることで沸き起こる感情のことを指す。

ミノーゼ体験の特徴として以下のような点が挙げられる。

宗教体験により原始的感情が沸き立つものである

概念の把握が不可能説明し難い

・畏怖と魅惑という相反する感情を伴い、身体内面から特殊感情が沸き起こるものである

絶対他者存在を感じさせ、人間本来備えるプリミティブな感覚により直感するものである

この概念をさっき知って、ぜひとも体験してみたいと思った

これが要は「うまく言葉にはできないけれど人知を超えた存在=神の存在を感じた」ってことなのであれば

私にもアブラハム宗教信者気持ち想像することができるようになるかもしれない

神を信じるということがどのようなことか、の肌感覚を知ることができるようになるかもしれない

どんな体験なのだろう

「ヌミノーゼ 例」とかでぐぐってもあんまり具体例がヒットしない

『聖なるもの』という本を読むしかないのか

kindleにないぞ

岩波文庫電子化してくれ

日記 おわり

2024-07-02

anond:20240702003056

言い方が悪くなるけど、俺や君みたいにはてなに居座ってる政治厨は投票先が決まってるから選挙活動なんて無駄みたいな発想になりがちなだけやぞ

大して車に詳しくない人が車を買おうと思ったら、宣伝してる車か、友人知人が持ってる車をまず参考にするようなもんだよ

2024-06-28

anond:20240628084700

みんな下を見て「あいつよりマシ」もなくはない、というかあるけど

それをしてる女性(親・友人)からあなたは逃げなさい」って言われるから知ってるって方が大きい

順番的には、逃げなさいって言われる→逃げた→逃げられなかった友人知人を見る→(結果)私の方がマシ

幸せ結婚をしてる女性(男性も)が一番幸せそうで良いな〜思うけど、結婚ギャンブル性が高いか

宝くじは当たれば金持ちになれるけど買わない方が損失がない的な理屈結婚する気が起きない

2024-06-21

大岡裁き2.0

大岡裁き。それは我が子を想う母親の心情を巧みに掬い上げた大岡越前守が名裁決である

白洲に引き出されたは二人の女と幼き稚児。女どもは我こそが子供母親であると口々に申し立てる。母は己が益よりも我が子の心身を重んじるはずと考えた大岡越前守は、自らこそ子供母親であると声を上げる二人の女に子供の手を引っ張らせ、まこと母親であれば子供を諦めないはずであると、敢えて真逆行為をけしかけた。果たして本物の母親はすぐさまに我が子の身体を想い手を離したのであるが、偽りの母親最後まで子供悲鳴にも聞く耳を持たずに手を引き続けた。

この、お白洲という非情がまかり通る場所での親子の情を重んじた名裁決は、またたく間に江戸中の評判となった。大岡越前守の公正かつ賢明な裁きに感銘を受けた江戸母親達は、我と我が子が白洲へ上げられる最悪の事態に備え、こぞって相手よりも素早く手を離す訓練を始めた。はじめは隣近所で集まり細君同士で児戯の如く交流を重ねていたのだが、次第に規模が膨らみ長屋単位で集うようになり、数月経つ頃には江戸の町全体の奥方網羅した「大岡裁き番付」が作られるようになっていた。

これが大岡裁きの極限競技エクストリームスポーツ〉化である




大岡裁き」の基本ルールについては今更語るまでもないだろうが、念の為、以下簡潔に説明をする。まず試合場にて競技者たる二人の女と奉行所より公正な基準に則って選ばれた稚児が並ぶ。三者が正面の裁き手へと礼をした後、女・稚児・女の並びに移動し、女がそれぞれ稚児の片腕を取る。そして裁き手の号令にて一斉に手を離す。このとき最後まで手を持っていた方が敗者となる。お白洲に立ち裁き手の最高位たる大岡越前守より御裁きいただけるのは、番付上位のごく限られた存在だけである

競技化してから大岡裁きについて、その全貌を余さず語るには頁が幾らあっても足りることはないが、ここではその初期にあった一つの名勝負を紹介しよう。「突き」が体系化されて技法が複雑化する直前の、純粋たる「離し」の名人達による今もなお語り継がれている試合である

その日お白洲に現れたのは、枯れ木のようにやせ細った女と、それとは対象的に首や四肢たっぷりと肉を蓄えた肥えた女であった。二人は丸々とした稚児を挟み向かい合うとニヤリと笑いあった。両者とも当代一の達人との名高い見知り同士であり、両者五勝五敗のこれが通算十一回目の試合であった。

枯れ木のような女の腕名は湖越えのちよという。彼女は軽やかに美しい所作により「離す」名人であり、彼女の「離れ」による跳躍は水辺を渡る鷺の如きであったという。ちよのあまりにも優雅な「離れ」を語る逸話には限りがないが、その中で最も有名なもの彼女の腕名となっている湖越えであろう。ある武家屋敷にて試合を行っていた彼女であったが、裁き手の号令の瞬間にはそこに残っているのは砂けぶりだけであり、その姿はもはや稚児の傍になく、邸内の池を越えて対岸へと着地していたという。池の幅は少なく見積もっても六間(約11メートル)あり、常人ではとても真似することの出来ない幅であった。彼女の跳躍を間近で目撃した御隠居は、もしあれが池ではなく湖であったとしても、彼女は間違いなく越えていただろうと語った。

もうひとりの太り肉の女は箱根のお松という。彼女はちよと異なり跳躍ではなく縮地による「離れ」を得意としていた。彼女の張りつめた四肢から繰り出される俊足は、十間(約18メートル)を瞬きの間に駆け抜けたという。暫し誤解されることであるが、彼女は純然たる江戸っ子であり、腕名の箱根はちよと同じく試合逸話に基づくものである彼女が縮地を己がモノにした頃のある試合において、「離れ」の瞬間、大砲のような轟音が響き、試合の場である屋敷全体が震えた。その揺れの源は、屋敷の塀に衝突したお松であった。塀が大きくたわむ程に突っ込んだお松の縮地は常人が捉えられるものではなく、かろうじて越前守の弟子であった見届け役が認識できただけであった。その驚くべき俊足を見た屋敷に逗留していたとある粋人は、仮に塀がなければ彼女箱根の峠まで飛んでいったであろうと称したのである

当代一の名人である二人の勝負は一回で終わることはなかった。裁き手の大岡越前守が号令をかけた瞬間、そこには土煙が残るだけであり、お白洲の両端にちよとお松。そして砂煙が晴れてふくよかな稚児の姿が現れるという始末であった。近年ますます加速化する「離れ」の瞬間に、裁き手たる越前守はこれまで辛うじて追いついていたものの、この二人の速度は群を抜いて速く、副審からくり手の技能を持ってしても勝敗判別不可能であった。

土煙が判決邪魔をしているのではないかと、砂地に水を撒き再度取り直しをさせたが、稚児の両脇に残ったのは深々と空いた丸穴と抉れた足跡だけであった。何度取り直しても決着がつかず、ついぞ判決に困った越前守は奇策を思いつく。稚児を立たせるのではなく二人で釣り上げて、先に爪先が落ちた方がより早く「離れ」た方だと。この日の稚児は二十五貫(約94キログラム)ある恵体であったが、お白洲に立つの江戸の最高番付の二人であった。両者は再びニヤリと笑い合うと、片腕で軽々と稚児釣り上げた。ちよが右手、お松が左手越前守が号令を下した瞬間、先に爪先が落ちたのは右足──即ちちよの方であった。

後年、お松は「あれは稚児の左足が短かっただけであり、離れは同時であった」と語り、自分の負けを死ぬまで認めることはなかったという。この勝負を切っ掛けに「離れ」の主流はちよの跳躍となった。彼女が残した縮地は「突き」において花開くことになるが、それを本人が見届けることはなかった。




次は、「離れ」に対して「突き」の興りを記さねばなるまい。あくまでも原点に忠実に手を「離す」ことを重視する「離れ」に対して、何よりも早く手を振りほどくことを重要視するのが「突き」である。「突く」行為のもの競技の興り時点から散見されていたものの、体系化されるまでには長い時間必要であった。

最初期にはっきりとした「突き」の使い手として名が後世まで残っているのが千手観音の桂子と呼ばれる存在である。それまでの「突き」の使い手と彼女の最大の相違点は、「突き」の「離れ」に対する優位であるといち早く看破したことにある。すなわち、「離れ」る前に「突き」押すことで、相手稚児身体押し付けるのである。この発見により、「突き」戦法が大流行し一時は「離れ」が番付から消滅寸前にまでなった。その後、「突き」に対して優位を取ることができる「躱し」が発明され、今に至るまで知られている三すくみ「離れ」・「突き」・「躱し」が完成された。

この篇の最後に「突き」の名人同士の試合を一つ紹介しよう。「突き」手同士の戦いは間に挟んだ稚児を押し合うこととなるため、両側から押された稚児が地に転がることは日常茶飯事で、中には体にかかる力の作用により、大独楽のごとく勢い良く回転する稚児の姿も見られることも珍しことではない。しかし、「突き」の達人同士となれば、人知を越えた奇跡の瞬間が興り得るのであることを示したのが次の試合である

その日の最後の取り組みは、寅と辰という、うら若き双子の「突き」手の試合であった。二人は千手観音の桂子の孫であり、祖母から直々に手ほどきを受けた若き俊英であった。二人が公式の場で手合わせをするのは今日が初めてであり、観衆は期待を胸に見分け難い二人を見守っていた。

裁き手の大岡越前守の声とともに同時に二人の体が動き、稚児を押した反動で揃って稚児から半間(約90センチメートル)ほど離れた位置にゆるりと着地する。はじめに異変に気がついたのは観衆であった。

お裁きを見守っていた観客の間から「ホウ」という感嘆の声が上がった。続いて興奮を隠せない小声が観衆の間から漏れ聞こえ始めた。その段階に至り、判決を下すのに集中していた大岡越前守はようやく気がついた。彼が注視していた稚児が、まるであやかしに持ち上げられるように宙空へ浮かんでいることに。稚児は宙に「丁の字」を描くように腕を開いて静止していたのだ。

双子が全くの同時に両側から稚児を押したことで、稚児に伝わった力が正中線でぶつかり合い、その力が幼き肉体を地から持ち上げたのである。しばらくの間稚児は宙へ浮き続け、やがて萎れるように地上へと降り立った。その間、双子たちは周りの喧騒に顔色を変えることもなく、裁き手の判決をただ待ち続けていたという。記録には、さしもの稀代の裁き手大岡越前守も、この妙技の前には両者引き分けを言い渡すしかなかったと記されている。

家人が随分とひねくれていることに気づいた

付き合い出した当初は猫を数枚被って一般社会適応してくれていたようだ

猫が禿げてくるほど気を許してくれたことを喜べばいいのか嘆けばいいのかわからなくなってきた

以下、共に暮らしている中で引っかかる点を箇条書き

ストレスに弱い

暴言が多い

・「どうせあいつも俺の事など面倒くさい客だと思っているのだろう、だからこれくらい言っても良いはずだ」等相手発言していない心境まで勝手推理して勝手暴言を吐く理由にする

営業(職種わず)、派遣業(運営会社の方)、接客業保険屋、不動産屋、銀行マン官僚自衛隊などなどの業種(選定理由もよく分からない)およびそれらに務めている人たちを憎み目の敵にする

理由を問うと「大学を出てそんな職業に就く意味がわからない、信用出来ない」とのこと 自分就職先に意味などないのではと思ったがわざわざやらないでもいい職種だろうと言いたいらしい

・もう少し深掘りしてもらった際「そもそも人間はただの生き物なので、社会性で己を縛ろうとすることそのものが間違っている」「戦争犯罪汚職も発生するこの歪んだ社会がこのまま継続して行けるはずがない」「なので、ルールを作る側に属している職業人間たちが憎いしルールを疑わず運用されている人間が信用出来ない」など、理解しきれた訳では無いが根底には厭世観がこびりついているようだった


個人的見解だがこのままの思考ではこの人は大変生きづらいだろうと考えている

一緒に暮らすにあたって、他人他人人間性を全て変えることはできないとわかっているが多少の改善、改変は見込めないかアプローチしている

「どうせあいからは嫌われているはずだ」などの思考については、認知が歪んでいるように感じたので「本人からそう言われたのか」「第三者から『お前は嫌われているぞ』と言われたのか」など自分目線の話をしてみた

認知行動療法のワークや本を勧めても見た

しか根底厭世観をどうにかしなければ歪んだ認知はどうにもならないような気がしている

そしてこれ以上のアプローチ配偶者には難しいし不適切であるとも考えている

心療内科にかかってもらっているが、カウンセリングではなく薬の処方のみ利用しているとの事

もう少しプロ(心理療法カウンセリングが出来る病院)の力を借りたいが、本人が改善を考えておらず、またプロ相手に心を開きにくい以上どう相談すればいいのかもわからない

人知家族相談もできないのでこんな所に流してみる

この先どうやってこの人と暮らしていけばいいんだろう

いい所も面白い所もあるのに一緒にいてつらい所が全て帳消しにしていく

身バレしたらごめんなさい 見なかった振りをしてください



返信のやり方がわからない 読みにくかったらごめん

https://anond.hatelabo.jp/20240621082354

気に食わん職業があってもいいだろうけどなんで罵倒までするんだ 親でも殺されたのか と思った

https://anond.hatelabo.jp/20240621082934

見下していない訳では無い 増田自身エッセンシャルワーカーなので、発言の度に喧嘩を買っていたら言わなくなった

https://anond.hatelabo.jp/20240621091120

笑ってなんか元気出た そんくらい単純でいいんだよな

https://anond.hatelabo.jp/20240621091446

眠剤と気分の落ち込みに対しての何かだったはず 詳細聞いてない

2024-06-19

『男は性欲を理性でコントロールできないならば薬で性欲を抑えるべき』という誤り

これが物欲だったらと考えてみよう。

『何かが欲しい』それが物欲だ。

『だから買う』それは合理的解決だ。

一方で、大半の人間物欲の全てを満たせるほどお金があるわけではないというのはその通りだ。

では、『○○が欲しいけれど買うお金がない』という時に人はどうするか。

万引きする、盗む、力や詐欺によって奪う』それは物欲だけを見たら一つの解ではある。言うまでもなく犯罪であるが。

通常、人はその手段を取らない。その理由は大きく分けて三種類ある。

『1.そもそも善人で、万引きするという発想自体が思い浮かばない』『2.発覚した時の制裁刑罰などの法的制裁と、職を失う・友人知から軽蔑されるなどの社会的制裁両方を含む)を考えて止める』『3.相手のことを考えて止める』の3つだ。

ここで2と3のケースでは、『欲しい』という物欲のものを理性でコントロールしているわけではない。『欲しい物を犯罪という手段で手に入れる』という行動を理性でコントロールしているだけだ。

同様に、男は性欲をコントロールできない。それはその通りだ。特定の異性(※マジョリティ場合)に欲情することはある。そこで恋愛関係になって性行為をするのは合理的解決だ。

一方で、欲情した時に性犯罪に走らず、合法風俗AVエロ漫画解決する人もいる。それは問題ない行いである。(『AV全女性の尊厳を傷つけている』『エロ漫画性的搾取だ』という意見はここでは取り上げない。)

ただしそれは、『性欲を性犯罪によって解決しようとすること』を理性でコントロールしているだけであって、性欲そのものを理性でコントロールしているわけではない。

それを完全に無視して、性欲そのものが理性でコントロールできないならば強制的に薬で抑えろという主張は、「『性的なことを考える』という内心の自由のものを奪え」と主張しているのと同じであり断じて認められない。

anond:20240619110727

顔洗って髪とかす程度当たり前にずっとしてるし、元々美容室通ってまーす

整形はしましたー化粧はまだでーす

文盲妄想化は世間迷惑をかける前に早く人知れず消えてくださいね

2024-06-17

引きこもって8年経過し、見下してた友人知人が着々とライフステージを進めていった結果

自分よりバカ人間を間近に感じないと気が狂いそうになるって事が良く分かった

2024-06-11

anond:20240611142806

から実際にそういう界隈でずっと働いてるプロなので

GoogleAmazon本社面接も落ちたけどどっちも受けてるし

片方は最終面接本社まで行ってる

そのほかに面接なんか何十も受けてるしやってるから

業界の友人知人も100とかそれ以上だよ

リアル繋がりの友人知から

URLが送られてきて、面白かった試しがない。遅いか下らないかどっちかなんだけど

毛づくろいだからネタシビア評価しちゃいけないんだろうけど

ぶっちゃけつらい

知人が面白くないという事実

2024-06-10

wakatte.TVルシファーと共演しろ

wakatte.TVというYoutubeチャンネルがある。 おれがもっとも好きなチャンネルだ。 Youtubeチャンネルはどれも面白くないが、 wakatte.TVだけは面白い。

wakatte.TVとはどんなチャンネルかというと、 街中で学歴を聞いて、それをバカにするチャンネルだ。 正確にいうと、 見知らぬ人に出身大学偏差値を聞いて、 それを元にした企画をするチャンネルだ。

企画は例えばこんなものがある。

学歴じゃんけん: より高い偏差値を引けた方が勝ち

学歴マトリョーシカ: 偏差値が低い順に学歴を引けた方が勝ち

アホ街ック天国: 街の偏差値を決める

学歴ブラックジャック: 偏差値10の桁を使ってブラックジャックをする

学歴ボーリング: ボーリングがよくわからないのでよくわからないが、偏差値ボーリングをする

学歴ゴルフ: 箱から質問を引いて、それにより学歴を当てる。3打でパー

天国と地獄ゲーム: 高校大学偏差値の落差の大きい方を引いた方が勝ち

学歴エンジェルフォール: 男と女学歴差が出来るだけ大きいカップルを引いた方が勝ち

キャンパス調査: 地方大学に行ってその大学の人を低学歴やなーとバカにする。これは面白いので、もっと色々な大学に行ってほしい。灘と開成に行ったのだから麻布にも行ってくれ

検証: 高学歴ほど童貞が多いとか、法政の人に第一志望はいないとか、ありそうな説を検証する

街中で学歴を聞いて、 京大中退狂人高田ふーみんが「そんなFラン大学によう行けるな。恥ずかしくないのか」とバカにして、 早稲田出身ポンコツびーやまが「ヤメロオマエ」と突っ込むのがパターンだ。 このヤメロオマエはなかなか癖になるツッコミで、視聴者であるはずのおれも、 ヤメロオマエと突っ込むようになってきた。偏差値の高いツッコミだ。 中国リンチされてた時に生まれていたら面白かった。

正直にいって趣味の悪い番組だと思う。 誰しもが自分が誇れる大学に行ってるわけではないのに、 なんや知らんメガネの曇ったデブFラン高卒だとバカにされ、 自分だけならばまだ良いかも知れないが、自分彼氏彼女学歴バカにされることもある。 ふーみんが今のいままで五体満足なのが信じられない番組だ。 ふつうは、手が出るところだろう。 しかし逆にいうと、学歴バカにされて一緒にはははと笑っていられるような芯のない人間から しょうもない大学に行ってるんだと言うことは出来るからもしかしてそういうことも見越して、意外に安全企画になってるのかも知れない。

wakatte.TVのすごいところは何かというと、 偏差値という数値に対して、新しい見方を与えたという点だとおれは思う。 偏差値他人比較したことは誰でもあると思うが、まさか 10の桁を使って加算する人間が現れるとは思わなかった。 これを許すと、この汎用的なただの数値を利用して無限企画を作ることが出来てしまう。 waktte.TVのコンセプトを考えた人間天才的だ。

しかしおれは、偏差値に対して別の解釈を与えた人間をもう一人知っている。 ルシファーだ。 ルシファーは、偏差値を足し算するほど奇抜ではないが、 偏差値学歴という概念学校以外のものにも応用した偉人だ。 さきほどおれは、偏差値の高いツッコミだと言ったが、これもルシファー手法を真似たにすぎない。 彼は他にも、料理に対して学歴を聞いたりすることもある。 共感覚というのがあるが、彼の場合は、あらゆるもの学歴に見えているのだろう。

もし、wakatte.TVとこのルシファーが共演することがあったら、相当面白いはずだ。 共演によって、偏差値に対して新しい解釈が生まれるかも知れない。ヤメロオマエ!

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