はてなキーワード: 理解力とは
確かに、それはあるけれど。
たいがいの友人知人はその点分かり合えるのではないの?
とある観光地でやってる、ライゾマが手掛けたという特別展を見に行った
まあ内容が半分わけわからんのはコチラの理解力が低いって事でいいんだが
作品名が書いてないわけよ
説明文も見当たらん
で、どこにあるかっていえば、足元に置いてあるタテ10㎝×横15㎝くらいの
日本語が出て~英語が出て~日本語が出て~英語が出て~と表示されてる
数画面にもわたる説明を読むために、腰をかがめて、画面が頭に戻るまで待って……
腰をかがめて足元見たままで待ってなきゃいけない
なんだこりゃ・・・
大抵は目線程度の高さの台の上に置いてある。足元なんて混んだら見えないw)
(体感だと5分くらいな気がする)
数画面にもわたって書いてあるから、表示中に理解しようと思っても
説明文読み切らないといけないし、じゃあ次の画面を読んだところで
前ページの内容を理解しきってないのだから半分以上意味が分からない。
図録を買えって事?
ライゾマ大好きでいろんなイベント行っていたけど、自分の勝手な思い込みで凄いと思ってただけだと気づいた
ほんと最悪の展示に金払っちまった
タイトルの通り。卒研、というか研究室と指導教員がしんどすぎて死にたい
マジでしんどすぎて乱文すまん
俺→どっかの国立4年/理系(生物系)/研究室に配属されて約半年/1ヶ月前くらいに終活した/大学はほぼ研究のみ
怒鳴られたり罵倒されたりみたいなハラスメントはないけど、なにかやる度に自分の出来の悪さを皮肉混じりに指摘されてそれを見ては死にたくなる
発表用のスライドを何日もかけて作って割といいんじゃないか...?って思ったら案の定指摘という名の怒られ発生。
こういう実験やるといいかもねって言われて実験したらそれ意味あんの?って言われる
質問しても「〜が分かってないのはヤバいよ」資料とか借りたい時に少し伝え方を間違えると「それは私に〇〇しろってこと?」 もう俺の理解力と日本語力とビジネス力がないのは分かったからやめてくれ...
実験の報告やらなんやらでも指摘する時は社会に出たら〜の皮肉つき。「もしこれが会社だったら職失ってるぞ」みたいなこと言ってくる。毎回。
いやまあ俺が無能なのがいけないんだけどさ、それでもかなり傷つく
専門的なことも分かるわけないじゃん まだ配属されて半年も経ってないからなんとなく研究の仕方がわかってきたぐらいだよ というか学部卒で全部理解しようとしたら普通に考えて無理です
別に無断欠席とか遅刻とかほうれんそうしないとかのガチ社不ムーブしてるわけじゃないのになんでこんな言われなきゃいけないんだ..
ガチのブラック研究室はハラスメントとかやばいって聞くけどうちはそういうのはない。ちょっとした事で勝手に俺がメンタルやられてる感じだから誰かに相談しようにもしにくいんだよな...そもそも俺が考えすぎってのもあるだろうし
同期も多分同じ事思ってるけどお互い口に出さずに頑張ろうね...とだけ言ってる そりゃ同期で研究室の愚痴言えないか
チャットの通知がスマホにくる度に内容読んでいなくても動悸がする。それでもすぐ返信しなきゃと思うから読むけど、電車内で半泣きになったことも何回もある。マスクしてるからバレないけど
教員からしたら全然研究もせずに勉強もしてない無能チー牛だって思われてんだろうな、俺
ほぼ毎日少なくとも週4で朝から晩まで研究室いるんだけどな。無能なりに周りに比べたら頑張ってると思うんだけどな。
無給(どころか金払ってるのはこっち)でなんでこんな言われなきゃいけないんだ?
何しろ今死ぬほど研究したりしてることが社会に出てからほぼ使わないのがマジで辛い。
研究せずに遊びたいとまでは思わない、せめて研究が楽しいと思えるような毎日でありたかった
やってる研究自体は嫌いじゃないのに研究室が苦痛すぎて毎朝死にたい
学部4年のガキが甘えてんじゃねえよって思うよな
でも本当にごめん 俺にはマジで辛い
もう寝る前なんだけど今寝たら朝が来るから寝たくない 明日が憂鬱
現在のインターネットで主流の世代は子供ではないはずなので1995年に始まった自動車の新しい衝突安全基準のことを認知しているはず。
何ならその当時子供であったとしてもトヨタが「GOAボディ」と銘打ってCMをガンガン出していたのを記憶している奴らも少なくないはずだ。
ダミードライバー人形を自動車へ乗せて実際に衝突させて登場者の安全性を測る実験のCM映像は当時としてセンセーショナルな広告だった。
まぁ一部のスポーツドライビング趣味の連中からはGOA以前以降として色んな意味で境目であると議論の的になる年代でもある。
1995年では「フルラップ前面衝突試験」「ブレーキ性能試験」、1999年では「側面衝突試験」、2000年では「オフセット前面衝突試験」とその当時から段階的に衝突安全基準は引き上げられていっている。
そして2023年には最新の「MPDB試験」が開始されるんだ。日本国内で販売するすべての自動車メーカーはこれらの安全基準を超えなければ日本国内で公道を走行する自動車として販売することが出来ない。
これだけじゃない。日本では2021年から生産販売される新車には「自動ブレーキシステム義務化」が施行されているなど安全装備の規制も段階的に引き上げられているんだ。
まだまだある。欧州が中心となって施行しようとしている「フェーズ3騒音規制」は自動車が路面を走行する際に発生するロードノイズまで規制対象なんだ。つまりは原動機や排気の騒音ではなくタイヤが出す騒音であり、いくらバッテリやモータが静かになっていっても解決が出来ない。
新興自動車メーカーはこれらの規制を先行研究し続けている老舗や大手自動車メーカーに追いつかなければならないんだ。
そう、ぶっちゃけて言えばこれらの規制は消費者を快適にすると同時に新規参入障壁としても機能している。
新興自動車メーカーは事実として先行自動車メーカーと契約をし特許使用料を支払い続けなければ新車を買ってくれるようなおおよその国々では自動車を販売できないだろう。
ボディ・フレーム・足回り、先行自動車メーカーがどれだけの特許を掌握していると思っているんだ。
はっきり言うぞ?中国産のトヨタ車が日本国内で席巻することがあっても、中国自動車メーカーが日本を席巻することはあと数十年は無い。
なぜなら産業保護のために規制を発動するからだ。欧州はこの手のやり口に味をしめているし、新興国じゃ乗り越えられない規制を発するだろう。
日本もその規制に乗るので中国産トヨタ車が日本を席巻できるかもあと数十年は怪しいと言いたい。
会社の同僚が、先週の金曜日の未明に亡くなった。通夜や葬儀は土日で終わっていたらしい。そのことを、週明けの月曜日に部署内の全体発信メールで知らされた。
死因については明らかにされておらず、今後も公表される様子はない。職場では「彼は仕事のことが原因で、以前から欠勤しがちだった」「一人では捌けない量の仕事を詰め込まれていたらしい」「死因はどうも自死らしい」と噂になっている。
そして今現在、私の中に、様々な感情と思考がさざなみのように押し寄せてきている。
亡くなった同僚と私は、所属チームが別なのだが、その同僚が急にいなくなったために、彼のチームの業務が逼迫した状態になっているらしい。昨日、その穴埋めとして、彼のチームをサポートしてもらえないかと上司から相談された。
現在の私は、自分のチームの業務で手一杯であり、むしろこちらが助けてもらいたいくらいなのに、その上に他チームのサポートに入ってしまったら、どう考えても私も潰れてしまうのは目に見えている。
ふと、「このクソ忙しい時に、何も死ぬことはないのに…少しは空気読めよ」とか、亡くなった同僚に対して、憤りの感情が芽生えてきて、そんな酷いことを考えている自分に対して激しく幻滅してしまう。私は最低の人間だ。
ここ半年ほど、その同僚から、仕事のやり方についてたまに質問を受けていたのだが、その都度、説明したり資料を渡したりして、自分なりにサポートしてきたつもりだった。
その同僚も、1を説明したら10くらいまで理解できるくらいの深い理解力のある人だったので、それで特に何も問題はないと思っていた。
しかし、もう一歩踏み込んで、その同僚の悩んでいることに寄り添って、彼の業務の負担が減るように、何か積極的に動くことが私にできたのではないかと思っている。その気持ちは、激しい後悔となって今の私を苦しめている。
私がやっている仕事は、病院や消防などの仕事と違って、どんなに重大なミスを犯しても、最悪人が死んだりするようなことは起こらないので、そこがいいところだなと以前から常々思っていた。
でも、こうやって亡くなる人が、ごく稀に発生することがある。そして、それが発生した後でも、何事もなかったかのように平常運転で業務の遂行を周囲からは求められる。
実は二十年前にも、同じ仕事で、同僚が自死で亡くなるという経験を私はしている。こういうことはどんな職種のどんな職場であっても定期的に起こりうる、取り立てて珍しいことでもないのかなという気持ちが湧いてくる。
もしそうだとしたら、こんなことが起こりうるこの世界はクソだと思うし、心底嫌気がさしてくる。働き方改革だのなんだのと言っても、本質は全く変わっていないってことを痛感させられる。
今、これを読んでいる人で、過去に同僚を自死で亡くした経験のある人は、その時にどんなことを思ったり考えたりしたのか、教えて欲しい。
完全に観客の前でブレーキを壊すパフォーマンスだったね今回は。
https://www.youtube.com/watch?v=XFDnkunL8UA
はっきりと価格目標が達成されるまでは意地でもYCCを維持するってことらしい。
俺をとめられるものなら止めてみやがれってことだろう。
ただし
・現在のインフレはコストプッシュインフレであること。
・そして、今のペースのインフレは日銀も憂慮しており、これで良いといってるわけではないということ。
などが強調されていた。
文章読めなすぎて勝手に書き換える奴の脳内では本当にそういうことが起きてるんだろうな。
というよりも、「文章が読めない奴は、自分が読みたい文章だったことにして、文章を読んでる」って感じか?
子供が読めない漢字を飛ばすのも同じく「漢字を飛ばしても内容が成立するような文章じゃないと困る」→「じゃあこれは漢字を読めなくても成立する文章のはずだ!」って変換が起きてるんだろうね。
ギャンブラーが「ギャンブルには勝ち負けがある。でも俺が負けると俺が困る」→「俺だけは絶対に勝てるはずなんだ!」って思い込むような。
自分にとって目の前の現実が都合が悪すぎるとそうじゃないことを信じたがるのか。
野生の世界だといちいち絶望してる奴から絶滅するから、人間が生き残るために必要な能力として無理やり希望を見出す能力が身についたんだろうな。
となると、例の問題は読解力の問題であるというよりも「自分が一目で理解できなかった問題を、理解できるまで読み直すというストレスに耐えられずすぐに絶望して思い込みの世界に逃げ込む人の割合」に近いのでは?
理解力のある人は実際には一発で理解する能力があるのではなく、何度も反芻することに耐えられる耐久力がある人だということ?
うーむ。
面白いな。
精神的に脆弱だと自分に都合がいい現実があったことに脳内を変換するってのは。
メンタルが駄目になってる人と会話してるといつの間にか「貴方確かにこう言いましたよね?」と言ってもないことを言ったことにされるのはこれか。
盗んだくせにいつの間にかソイツが最初から持ってたことに現実を変換するやつがいるのも、盗んだという都合が悪い現実にソイツのメンタルが耐えられないってことなのか。
なるほど。
メンタルが駄目になってるやつとは議論が成立しないってことでもあるな。
駄目じゃん。
増田なんてメンタルぶっ壊れかけてるか既に壊れたやつが多いんだから議論なんてするだけ間抜けじゃん。
何言ってもお互いに都合の良い内容に書き換え合うんだから
求めた結果になればやり方は好き好きでいいのになー。
「ここに未処理がないか確認する、あったら後追いする」「依頼もらって変更対応する」「○○の数値確認する」「△△の設定ダブルチェックする」「メールの内容登録する」
逐一確認用の文言までマニュアル化しないといけないの嫌だ。社内だし言葉なんて伝わればいい、ある程度のマナーあればあとは適当に書けばいいのにコピペにこだわられて問い合わせ起きたりする。『URL』はその3文字を貼るんじゃなくて情報元のリンクを貼るんだよ!バカ!
細かくマニュアル書かせるせいで、見る側の読解力理解力をゼロにしてる気がするんだよ。脳死で書いてあることやれば仕事した気になるやつ。やだー。そんなの昭和のおっさんの方が仕事してるじゃーん。
仕様変わったらマニュアル更新できるくらい普通以上の脳みそお持ちなのになんでそんな脳死利用なの。
やだー。マニュアル書くのやだー。
コロナ渦になり、マスク社会になった。世界は劇的に変わった。ソーシャルディスタンスを保つために距離を取ったり、レジ前やテーブルにはプラスチックボードが挟まれたり。そうなると相手がなにを言ってるのかよくわからなくなる。というかコロナ前からぼくはそうだった。以前から相手がなにを言ってるかよく聞き取れなかったり意味がよくわからなかったりすることがよくあった。でもこれはぼく自身の理解力の問題なんだと思っていた。
ある日、聴覚情報処理障害(APD)というものがあるということをYouTubeで知った。どんな障害かというと、雑音の中で言葉がよく聞き取れず、理解できないのだそうだ。どうりで飲み会なんかで相手の言葉が聞き取れないわけだ。調べて見ると、100人に2人くらいの割合でその障害を持って生まれるらしい。ぼくもその障害なのかもしれない。
Web会議での疲労感は“音質の悪さ”が原因。NTTデータ経営研究所とShureが検証
株式会社NTTデータ経営研究所およびシュア・ジャパン株式会社(Shure)は13日、両社が共同で実施した、Web会議における音質の違いが身体へもたらす影響を検証する実証実験の結果を公開した。
新型コロナウイルス感染症の拡大にともない、日常的なWeb会議の実施など働き方が大きく変化している。その中で、対面会議より疲れる、オンラインだと内容が理解しにくいといった声も多く見受けられている。両社ではこれらの要因の解明に向け、「オンライン会議の音質が生体ストレス反応に与える違い」を検証する実証実験を行なった。
その結果、主な影響として、音質が悪い会議では、内容が理解されないだけでなく、参加者にストレスを与えることが確認できたという。加えて、ストレスの原因として特に認知機能に対する負荷が高まる傾向があり、負荷が継続することで認知機能が低下し、理解力など会議に必要な能力が鈍くなると考えられること、さらに、内容が理解できないことによるストレスが会議後半にかけて蓄積されることも分かったとしている。
これに対し、実験を指揮したNTTデータ経営研究所の磯村昇太氏は、Web会議の音質がもたらす、無視できないレベルのストレスの存在が証明されたとしたうえで、生産性がよりよい労働環境の用意に向けては、Web会議の音質にも注目すべきだろうと述べた。
また、Shureの大友裕己氏は、今回の実験によってWeb会議後の疲労感の正体を突き止められたとし、今後も増加が予測されるハイブリッド会議に向けて、空間規模や会議の目的にあわせた音響システムの選定/利用は、参加者のストレス低減だけでなく生産性向上にも貢献できると述べている。
これは間違いなくありそう
この手のラストの映画でそういう評価があるともはやネタバレに等しいと思う。衝撃的なシーンのハズなのに肩透かしを食らった気分になった。
主人公がある行動をして「あーはいはい」って。でその直後のシーンで「そうなるよね」って。
詳しいジャンル分けについては知らないけど、シャッターを開けたシーンでこれSF作品じゃんってなった。
超常現象とか超自然的な存在が出てきた時点でホラーとしてはうーんってなっちゃう。いやジェイソンとかフレディもそういう存在ではあるけどさ。
同じような感じで『ヘレディタリー/継承』とか『キャビン』とか。
『キャビン』は寧ろそういうのを狙ってるんだろうけど。
なんで何かあったら直ぐ逃げるぞって言っておきながら逃げないんだ。
なんで目の前に化け物が居て叫んで襲われるの待ってるんだ。
なんて光に集まってきてるのにライトを付けまくるんだ。
なんで最後撃ったんだ。
こうなったら徒歩でいけるとこまで行くぞ、にはならないのか。
俺が登場人物の心情を全く理解できてないからなのか。理解力不足だからなのか。そうか。
当時は斬新な展開だったから評価されたのであって、今から見ると使い古された手法みたいに感じるのは仕方のないことなんだろうか。
古典的なものと言われればそうなのかな。ゾンビ映画のテンプレはだいたい最初期のロメロ作品に詰まってるみたいな。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』とか『ゾンビ』とか。
分かんね。上手く書けなかった。
胸糞悪いとか後味悪いという意味で言うならジャッキーチェンの『新ポリス・ストーリー』(重案組の方)が良いかなあ。実話が元だからまた別かなあ。
ほぼ中卒だと書いたのは嘘だ。一応高校と専門学校(2年制)出てる。
ただ、高校の授業はほとんど受けておらず、赤点ばっかりだった。
専門学校は、コンピュータのところ行ったけど、基本的なこと習うだけで、あんまり数学数学してなかった。
情報処理の試験で計算は色々出てきたけど、log? ってやつ以外は中学数学でなんとかなった(気がする。中学数学の成績は良かった
文系理系って分けるのもよくないことかもしれないが、ほとんどの人って、文系系の浅い知識でやってける仕事に就くのではないだろうか。
文系でも深くなると数学絡んでくるよ~ってのは間違いないとは思うが、そんなジャンルに進むのは一部のエリートだ。
金融だけ重点的に……っていうのも違う気がするけど、深い知識を得る能力(理解力とか努力とか)がない人が過半数以上は居る現状では、生活にほんとに役立つ知識を浅くでもいいから植え付けておくみたいなのが必要じゃないか、金融って限って言ってしまうと違う気がするけど
ほんとは、家庭環境とか貧富の差が成績に影響しないような学校的な何かを設置して、初めは広く浅く教えて、早い段階で興味を持った分野の比重増やしつつも、いつでも方向転換できるように、受け皿を広げるだけ広げれたらよいのだろうけど
子供の時間も有限だし、なにもかものリソースが足りてなさすぎる
現実解としては、数学や理科系ちょびっと削って、文系でもわかって将来にちょっと役立つ経済系のなにかを教えるのがよいのではないかと思う(削り方によっては似非科学信者増やすから難しいけど、そういう人らって教えても理解できないか忘れるか勉強しなくてどっちみち騙されるのではないかとも)
プログラミング教育とか身に付いたら思考法としても有用だけど、そこそこの大学の文系学部(やなんちゃって理系)出た同期達がことごとく研修の簡単なプログラミングの段階で脱落して、営業とかに配属決まっていったり、無理やり開発に回されて何も理解しないままコピペで雰囲気でプログラミングしてたのを見ると、数学とかそっち系ってほんとに適正ない人には無理なのでは? と思ったりする。
ひょっとすると早い段階で基礎を叩き込めばそういう人減るのかもしれないし、金融だって落ちこぼれを量産するのかもしれないけど
個人的には三角関数は趣味で3Dプログラミングするときに使ったので、ちゃんと教えておいて欲しかった。
高校が特殊な進学校で多分単位誤魔化してて(か合法的だったかしらんが)、2年の時に文系コースに進んでから数学の授業がほとんどなくなったので(3年の時はゼロになった)、微分も積分も習ってない