「仏壇」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 仏壇とは

2018-09-16

志村菓生堂の豆乳の入ったカシューナッツマコロン

素朴だけどすごくおいしい…こんな食いものが世の中にあったのか

仏壇お供えババア菓子一種だと思ってて今まで食べてなかったことが悔やまれ

20袋くらい買いだめしておきたい

2018-09-15

anond:20180915013731

お前仏壇に拝むとか事前の避妊体操とかやってないだろ

2018-09-14

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

物心ついて間もない時期に、母から無理心中を迫られたことがある。

死についてよく分かってなかった自分は、「死にたくない」と母に答えた記憶がある。

母はその場で泣き崩れ、何とか死なずに済んだ。

後で詳細を描くかもしれないけれど、自分の生まれた家庭は不完全家庭だった。

とにかく、その日から、死ってなんなんだと考えこむようになった。

幼稚園に上がってしばらくした頃、悩みはピークに達してあまり眠れなくなった。

周りの子供に相談しても不安がらせてしまって、当時の幼稚園先生からこっぴどく怒られた覚えがある。

書いてて思ったけれど、幼児が眠れなくなるって大ごとだ。

小学校に上がってから記憶ほとんどない、ただ周りに合わせてテキトーに振舞い続けた。

唯一記憶に残っているのは三年生だった時で、担任が超熱血教師だった。

うちに家庭訪問しに来た時、和室に入った時の言葉は今でも覚えている。

和室にある仏壇を見て、「ああ、創価学会員でしたか、うちは妻が幹部をやっておりまして。ちなみに私は共産党系です。」

当時はあまりピンとこなかったが、しばらく経ってから自分で調べてみた。

けっこう対立してる組織だったのね。

対立組織に属する夫婦、すごい。

私は熱心で信仰深かったかというと、それの真逆だった。

親に連れまわされて行っていた会館などの集いも、小学校に上がる前に全力で拒否して行かなくなっていた。

当然親からは殴られた。それでも反抗した。

そして家族の中で一番信仰深かったのは母だった。

父はそれほど熱心でもなかった、気が向けば仏壇に手を合わせている程度。

三年生だったころはその熱血教師とも気が合って、それなりに楽しく過ごせた。

でも家庭はぐっちゃぐちゃで、母からよくなじられた。

「お前が信心深くないから家庭が上手くいかない。」

「お前が(ryから父さんもあまり家庭と向かい合ってくれない。」

父も父で、母に対して気に喰わないことがあると自分を経由して文句を伝えさせようとしてきた。

言わないとそれはそれで面倒なので、父の伝言を母に伝えた。

母は激怒し、私に当たり、そして父にこう伝えろ、と迫る。

その伝言を父に伝えても、特に私に当たったりなどは無かった。

そういう板挟みが続いたころ、もうどうしようもなく死にたくなって、自宅で包丁飛び降りコンボを使って未遂を起こした。

ベランダの上に立って、首を切った瞬間に飛び降りようとしたのだった。

首にあてがった包丁感覚は今でも覚えている。

その時、家には誰も居なかったのだが、実行しようとしたタイミングで母が帰ってきていた。

私は母に気が付かず、後ろから羽交い絞めにされた。

母は号泣していた。

この人、昔心中を迫ってきたくせに泣くんだなと思った。

あなたはこんなことする子じゃないでしょ、何があったの?」

いやいや、目の前でこんなことをしようとしてたのが、アンタの子だよ。

そういう事件中学に上がるまでに二回ほどあった。

ショックを受けた母はどんどん宗教にのめり込んだ。

中学に上がってから記憶もあまりない、気が付いたら中二の年越しで食物アレルギーを起こした。

唯一携帯電話を持っている友人が私の家族電話しても全く出ず、友人たちは仕方なく私を自宅に運んでくれた。

寒い寒い、とうわごとを繰り返す私に友人が毛布を掛けて温めてくれる。

両親が帰ってきたのはそれから2~30分後。宗教集会に行っていたらしい。

私の状態さらに悪くなっていて、意識が途切れ途切れだった。

そして病院に運び込まれ、友人と両親、私は病院で年越しをした。

翌日、小児科医師が私の様子を見に来た。

蕎麦アレルギーで年越しとは幸先が悪いねハハハ。ところで、その手首の傷は自分でやったの?」

思いがけない質問が飛んできたけれど、意を決して私は頷いた。

あとで知ったけれど、その医師は小児神経科も診ることが出来る人だった。

「目の下のクマもすごいね、週にどれくらい寝てるの?」

「…二時間くらい。」

「何とかしたいと思う?」

私は静かにうなずいた。

その日から私の精神疾患に対して、具体的な治療が始まった。

私につけられた診断名は自律神経失調症とそれで発生した鬱、そして重度の不眠だった。

治療内容は、ルボックスという抗うつ剤と、生活リズムを記録につけるように指示された。

治療は三歩進んで二歩下がるという感じの速度で進んでいき、気が付いたらリストカットをやめていた。

鬱がひどい時でも気合いのような何かで無理くり体を動かし、学校へ通った。

精神的に辛くて行きたくない時は、母が私をぶん殴って無理やり車に乗せ、保健室に突っ込まれた。

そんな凸凹でも何とか成績は維持していたらしく、高校入試指定校推薦を受けることが出来た。

ちなみにこの時点でまだ鬱の治療は続いている。

高校合格した時、母の言葉を未だに覚えている。

「お母さんの信心が届いたおかげよ。」

この人は自分のやっている事しか見えていないんだな、と思った。

不思議なことに落胆はしなかった。

あきらめていたんだと思う。

高校楽しい記憶で埋め尽くされていたけれど、相変わらず頭の中は生死の概念を掴むことに夢中だった。

高2の春休みが終わる頃に、自転車日光に行き、華厳の滝に飛び込んで、すべて終わらせようとした。

夜の7時ごろに家を出て、携帯の電源を切って、ひたすら自転車を走らせた。

国道四号線をずっと北上し、もうそろそろ日光につく頃だったと思う。

東の空が明るくなった。

夜明けだ。

夜明けなら、夜はどこに行ったのだろう?

そう思って反対側を見るとまだ夜だった。

月と太陽が同時に見えた。

その時の自然の美しさに心を打たれてしまって、私はその場で泣き崩れた。

けっこうな時間泣いて、家に帰った。

この時は特に家族から怒られることは無かった。

そんなこんなで、そこから数ヶ月経過した高2の夏休み最後に、小児神経科主治医判断により治療がひと段落した。

不眠は改善し、リストカット癖も消えていたからだ。

希死念慮だけは消えてなかった。

主治医見立てでは、「まあ何とか乗り切れると思うよ、強いし。」とのことだった。

実際強かったと思う、よく耐えきれたと思う。

大学入試指定校推薦理系私立短大を受けて、合格した。

大学はかなり白熱した環境だったので研究学業にのめり込んだ。

2年後の卒業を経て、私は教授のツテで食品物流会社就職した。

仕事は楽しかったけれど、忙しい部署にいたのでしょっぱなから残業まみれになった。

そして、就職してから数か月後に精神疾患を再発した。

今度の病名は統合失調症

そこからは闘病しつつも、ちょくちょくバイトを始めて、そして体力的限界で辞めての繰り返しだった。

統失治療を始めてから最初の5年の間に、母はがんで亡くなった。

しかったけれど、多分一般家庭の子供よりは悲しんでいなかったと思う。涙は一応出たけど。

そこから5年後に、当時所属していたコミュニティメンバーの誘いを受けて、ルームシェアみたいな環境引越しをした。

その日から今日までの1年の間に色々なことがあった。

引っ越した月に友達付き合いが続いていた元恋人自死

病名が統合失調症から統合失調感情障害になった。

そこから半年後に父が癌で余命半年の宣告を受け。

自分自身も体調がすぐれないので、実家に戻ってきた。

そして実家に戻ってきたときに、もう一人友達付き合いが続いていた元恋人自死

私が実家引っ越しから、父の治療は順調に事が進み、抗がん剤放射線治療、本人努力甲斐があって腫瘍が消えた。

これには驚かされた、父本人が一番驚いているけども。

あとは5年間再発が無ければ安心とのことだった。

そして現在に至る。

今日は暇だったので、思い出しながら勢いでバババっと書いてみた。

しかしたら時系列おかしくなっているかもしれない。

疲れてめんどくさいので、推敲はしないでアップします。

人生いろいろあるよねってお話でした。

ここまで読んでくださって本当にありがとうございます

お互い、人生を良い旅にしていきましょう。

2018-08-31

anond:20180831003501

自分が親より先に死んだ場合を除き、自分遺体の後処理をお願いできる親戚などがいないため、自分自分の後始末を準備しておかねばならない。基本的日本現在行政は「誰も引き取り手がいない孤独死」を前提とした体制になっていないため、持ち家やクルマ財産先祖の墓、仏壇、その他私物処分について、あの手この手で事前に準備しておかないと、いろいろあとの人に迷惑がかかる。まあかかったところでわからないんだけれども。

そうなると、死ぬだけでも大変だ。そのためにいろいろ準備して準備万端で、よしこれで安心して死ねる!って感じで死にたいおかしな話だがそのためには親を送ったあとも、健康やらいろいろ気を使って、身辺整理をする体力、時間金銭的余裕が必要になる。

とりあえず、今はそれが目標

あーでも、そのうち孤独死前提の法律体制が整備されたら、自堕落してもいいと思っている。今はまだわからないので、まじめに頑張る。

2018-08-29

羨ましい

祖父母なんて、父方も母方も。私が生まれる前に亡くなってるもんなぁ。

まり私の存在なんて、知らないんだよね。

仏壇にはちゃんお供えもしてるし手も合わせてるし

お参りに行ったらお掃除もお経もあげてたけど。

2018-08-20

冷やし担々麺

自分が昔住んでいた街に、安くて速くて量が多い、店内は暗い感じのこじんまりとした中華料理屋があった。

自分最初訪問した時は流行ってるとはいい難い。主人が一人で捌ける量の常連がいるような店だ。

 

店主はメニュー開発が好きなのかいろんなメニューを季節限定提供していた。

その一つが冷やし担々麺だった。

その店は、細麺のちぢれ面に、濃厚なゴマダレと、ラー油。そして、麺の上にこんもりもられたキャベツの千切りと肉味噌といった感じの冷やし担々麺だった。

一人暮らしで、肉より野菜のほうがコスパが悪いことを知り、野菜ほとんど食べない自分にとって、まるでその冷やし担々麺は夏を健康的に乗り切るオアシスのようなものだった。

 

この店との出会いは、入社したての自分ランチに誘ってくれた社長が連れてきてくれた。社長もこのお店の常連だった。

ちょうど引っ越しをした場所から徒歩で2分、会社からは徒歩で10分というアクセスの良さで自分はよくこの店に通った。

顔も覚えられて、着席すると水を持ちながら「いつもので?」と聞いてくる。いつものというのは担々麺+ライスのセットだ。ここの担々麺は酢が聞いて一度食べたらやみつきだ。

 

冷やし担々麺は、自分が店主にポロっと言った話だった。

店主は、カウンター越しよく話しかけてくれた。自分ポロッと「最近名古屋の方では冷やし担々麺っていうのが人気らしいっすよ。一度食べてみたいっすわ~」と言ったことがきっかけで店主なりにいろいろなレシピをみたりして作ってくれたのだった。

店主はメニューに出す前に「つくってみたんだけど、どう?」と無料で一回食べさせてくれた。初めて食べたから他のと比べられないけどとても美味しかった。

特に野菜がたくさん乗ってヘルシーだった。これでライスとセットで600円なんだから信じられない。自分毎日のように冷やし担々麺を食べた。

 

その冷やし担々麺が夏の定番になって2年目だったか

メディア取材がきて、店は大繁盛、担々麺が美味しいお店と話題になった。自分も大繁盛して嬉しかったが、流石に平日に待機列に混ざるわけにもいかず、土日の人が収まってきた時にまだ昼を食べてなかったら行くぐらいになっていた。

それからどんどんと自分はその店に行かなくなった。店の雰囲気落ち着けなくなったからだ。

 

それから転職をし、社長に報告したら「最後に一回いっておくか!」とそのお店で送別会を開いてもらって、引っ越しをした。

今年の8月入った頃に店主が倒れた。そしてそのままお亡くなりになった。

社長からその報告を受けたとき、お世話になっていたか葬式ぐらいは…と思ったがやはり距離的に厳しいこと、お盆前の仕事の仕上げがあり行くのは難しかった。身内でもないか有給も取得しにくいし。

そして、このお盆実家に帰った帰りに、香典を渡して、仏壇を拝ませたもらった。

前の会社社長に連絡を取り、じゃぁ家まで車で送っていくよと送ってもらった。

店主の家に行くと奥さんがいて、香典を渡し、お店の方は、段々と人が増えていたので従業員を増やすために息子に戻ってきてもらい引き継いでいた、今はバイトを何人かいれていて営業はできるという事で営業はしていた。

お店の方に行くと前よりは落ち着いたものの、待機が2組ほどいるようだった。社長待機列はいった。

 

店内は息子さんと、女性店員一人が切り盛りしているようだった。

女性店員が注文を聞きに来る。社長はいつも担々麺ライスだ。

自分メニューをひと眺めして冷やし担々麺ライスを注文する。

5分も待たない内に運ばれてくる。提供スピードは相変わらずだ。その冷やし担々麺をみてびっくりした。

 

キャベツがのっていないのである

 

あれ?おかしいなって顔をしていると、社長は思い出したようにいった。

増田くん、よく店長野菜が高い高いって話してたよね。店長ね、増田くんが注文するとき、なんでも野菜多めにしてくれてたんだよ。俺も冷やし担々麺何回か食べたこと有るけどキャベツ盛りは増田くんの特別オプションだったんだ。」

 

その話を聞いた瞬間、涙がボロボロとでてきた。

遺影を見たとき、いっつも笑ってる店主の顔が見えたとき、その写真が動き出して「いつもので?」といってきそうだなと思ったが涙をこらえた。なんというか、実はどこかにいて、店主と社長がドッキリでもしかけてるんじゃないかって思ったぐらいだ。

社長のその話と、キャベツが盛られていない冷やし担々麺を見たとき、「あぁ、店主は本当に居なくなったんだな」って実感をした。

それをみた社長も泣いて、笑っていた。

キャベツの乗っていない冷やし担々麺の味は、全然からなかった。わからなかったけど、代わり映えしないようにおもえて安心する味だった。

 

無理言ってでも葬式に出ておけばよかった。

そんな後悔しても遅いんだけどね。

あぁ、せめて、店主に冷やし担々麺レシピ教えてもらえばよかったなぁ。エビチリ麻婆豆腐青菜炒め、いろんな中華料理レシピを教えてもらったんだけど、なんで冷やし担々麺ゴマダレは聞かなかったんだろうな。

2018-08-06

anond:20180806071735

増田と似たようなことを長年言っていた友達が昨年の春、10年以上同棲していた彼女と突然入籍しました。

「なんでまた今更?」ってみんなが首を傾げる中「いや~なんとなくね~」としか答えてくれなかったんですが、先日飲みに言った時にぽろっと教えてくれました。

友人の両親は揉めに揉めた挙句離婚をしており、それを見ていた友人と、友人のお姉さんも結婚には懐疑的でした。なのでお姉さんも彼氏と長年同棲していました。もう殆ど夫婦みたいな感じだったそうです。

ところが、お姉さんの彼氏帰省先で急性心不全になってしまって、そのまま逝去。お姉さんが彼の死を知ったのはお通夜が終わった後のことでした。

同棲相手の死に目に会えず、お通夜にも出れず、お葬式にも「ただの友人の1人」としてしか参列できない。お骨も拾えない。

更に、お葬式ときに彼の両親からあなた同棲していたせいで、私達は孫に会うことも叶わなかった」と責められたらしく、家に上がらせて貰えず。お仏壇に手を合わせることも未だできていないそうです。

そんなお姉さんの様子を見て、即、結婚を決意したと友人は話していました。

心身ともに健康で、金銭時間に余裕があるとき、人は他人生き方に寛容になれるし何か起きてもどうとでもなります

しか時間金銭的に余裕のない状態で、万が一のことが起きた時、人は他人の心まで思いやることはできなくなるし、トラブルを防ぐために杓子定規対応しかできなくなってしまうと思います

法律というのは「最悪の中の最悪」を回避するためのセーフティネットであり、杓子定規の最たるものです。

増田が、それが無くてもなんの問題もなく、心を壊すことなく生きていけると確信できるか、ちょっと考えてみてもいいかもしれません。

ちなみに法律婚をしても心が壊れることは沢山あります。でも時間が味方してくれことが多いし、基本的に「配偶者」として、第三者から意思表示を認めて貰えます

これってとても大きいことですよ。

2018-08-05

anond:20180805005542

田舎可能ならあるんじゃ無いの?

仏壇さえそのままにしてくれていたら、家賃はいらないしどんな改造をしてもいいという条件で沖縄県の島に住んでいる人とかいた気がする。

立地が悪すぎてまともな値段で取引できないけれど、放置しても維持費がかかるから困るという人がただでもいいから家をもらってくれというのもあるし。

2018-08-04

家族について愚痴らせてください。

はてな民なら、極端なハックを寄せてくれるのではないかと期待しています

または、はてな民おもしろ罵詈雑言を浴びて、気分をリフレッシュさせたいです。

特定はやめてください。

登場人物

経過

(0)

彼に関する最古の感情は以下。私が年長さんか、小学校低学年の頃だと思います

「3才年下の彼の行為は、3年前の私がやったらこっぴどく怒られた行為。何故彼はえこひいきされているのか?」

「3年前の私が出来た事を、今の彼は何故出来ない」

「彼と同い年の従兄弟が出来ることを、彼は何故出来ない」

(1)

彼が小学生の頃、彼の夏休みの宿題を、家族全員で手伝うイベント

複数年に亘って発生した記憶があります

から要請ではありません。

宿題ほとんど未完の状態を母が検知し、母が「全員でかかれ」を発令。

私にインセンティブはありませんでした。

から感謝言葉もありませんでした。

という記憶があります

(2)

彼が11歳ぐらいで不自然に金を持っていたことがあります

仏壇から金を盗んで。

父母の財布から金を盗んで。

病院代をごまかして。

(3)

工業高校卒業した彼は、母の薦めで、母のコネで、塗料関係企業就職しました。

3ヶ月程度で首になり、地元に戻ってきました。

  • 指示に対する返事がおろそか。
  • 指示された作業がろくすっぽ出来ない。
  • 社会性がない。
  • 以上から、期待できる人間ではない。
  • つまるところ、上司同僚からの評判がすこぶる悪い。
(4)

実家に戻った彼は、母の薦めで、情報処理専門学校に通いました。

Windows95がまだ出ていない頃。

彼は、卒業はしたようですが、コンピューターを嫌いになったようです。

(5)

彼は半導体製造工場に勤務しては雇い止めに遭う、を繰り返します。

そのうち、田舎では働く場所がなくなって、東京のハズレの方に勤務します。

上記は珍しく、彼の意志での赴任でした。2005年ぐらいだったように記憶しています

2008年リーマンショック派遣切りあい企業の寮を追い出され、その後数年間無職になります

寮を出てアパートを借りる金、無職の間の生活費を母が送金していたことを、父と私が知るのは2015年暮頃。

(6)

母→彼への送金がバレるきっかけは、母がボケて金遣いが荒くなったためです。

金は父が管理することになり、彼への送金は停止しました。

(7)

彼を地元に呼び戻そうと、父母は考えました。

東京無職をするより、実家無職のほうが経済効率は良いためです。

しかし彼は応じません。

提案に応じないのではなく、電話に出ない、手紙の返事もよこさない。

東京に住む叔母が訪問して、一度は会ったようですが、以後居留守を使っているらしいとのこと。

「返事すらしないのは家族ではない」父と私で見解統一しました。

(8)

父が病死します。

からSMSで知らせましたが返事はありません。

からも連絡が行ってるはずですが返事はないようです。

遺産分割するため{レターパック、書留、裁判所から通達}を送りましたが全て無視されています

(9)

彼は警察保護されて、東京に住む叔母が身元引受人になって警察に赴いたとのこと。

と言う連絡が、私に、東京に住む叔母の息子(つまり私の従兄弟からありました。

これが数日前です。

(10)

前段受けて、母から私に要請がありました。

「彼を地元に連れ帰ってくれ」

私は断りました。

から要請ならば応じても良いですが、

母の要請で彼の世話をしたくありません。

今後

 43歳で、工場をクビになって、ホームレスになって、食うや食わずで行き倒れる人間は、この先どうすればまともに生活できますかね?

 闇金マスゴミからの知らせではなくてホッとしました。

 しかし次回は、ヤクザ病院の母を訪ねるかも知れません。

 あるいはマスゴミ

「ここが彼の生家です!!!!」

殺到するかも知れません。

 上記を予防する手段はありますかね?

2018-07-21

なぜか全力でアニメグッズを普段使いするオカン

トップをねらえ2! のノノのマグカップを持っていたが、容量が少ないのであまり使わないでいたら、オカンにはちょうどいいのかそれで飲み物飲んだり、餃子を作るときに河を湿らせるための水入れにと普段使いしてた。

しまいには仏壇に供えてた。

故人の好きなものを命日に供えたりするんだけど、祖父コーヒーを入れたノノマグカップマグロ刺身が並び、父の時はコーラ入りのノノマグカップハンバーガーが供えられていた。

まあ、ハルヒがでかでかとプリントされたTシャツを「ほとんど着てないんだから甥にあげるよ」みたいな事を言ったりするので、あまり絵やイラストは気にしてないんだろうね。

2018-07-13

anond:20180713223741

仏壇アプリになりそうだな。

起動する度に課金されそう

anond:20180713222512

本当かは分からんが、しかし実際創価の人の家には

仏壇人間革命の本が大量にあるしな。買うのが義務化されてんだろね。

死刑執行前のおかしってなにがでてくんの?

なんか仏壇前に供えられてるのはブルボンとかのイメージなんだけど。

2018-07-08

わかった最後まで付き合ってやるよ

生きてて楽しい事もない。いつ自分スペック要求スペックに追いつけなくなるかヒヤヒヤしながら、楽しくもないタスク

友人はいるけど、別に命這って助けられるような自信があるわけでも、死ぬときの心残りになる訳でもない。

軽い糖尿持ちで、食事後は必須タスクがない時は動くのも億劫

ただ辛い毎日別に今この瞬間に事故でも天災でも、殺人でも巻き込まれしまってもいいのかな…って思ってる。

もし、その時になったら瞬間的な死の恐怖とかでチビちゃうかも知んないけど。でも、長期的に見て構わないかな。

仏壇ご飯が腐ってても、米を炊いてないって蝿にたからせてる政治だと思ってたけど、色々見てても持論が否定されたり、分からなかったりで、最近自分が間違ってるんじゃないかって思えてきた。端的に言えば疲れた

から別に変えようって気張らない事にする。今のままで、どういう結末に皆行きつくのかボーッと見てるわ。

それまでにぽっくり死ぬかも知んないけど。

2018-06-18

anond:20180618031914

でっかい仏壇買えば良かったんじゃないの?ほら有名美人女優さんも入ってるし、入信すれば治るんじゃない?

うちの近所も結構いるみたい、猫の餌やりしているお祖母ちゃんとか。

2018-06-12

妻が神具仏具屋に勤め始めた

神具仏具屋は斜陽産業らしいよ」

「だろうな」

「それで会社ではどうやって将来の収益を上げるかみんなで考えていきましょうって話になってる」

「いやたぶん斜陽化しちゃってる時点でダメなんじゃねえか?」

「それ言っちゃうと元もこうもないから何か良い案ないの?」

法人取引先ってどれくらいあるの?」

「数百社はあるらしいけど」

「知らず知らずの内に自分の嫁が仏具大手に勤めておったわw」

「私も入社してから知ったw」

「数百社もあるなら在庫系や勘定系のシステムインフラ作って無料取引先にバラ撒いて依存させたら良いんじゃない?時代インフラ支配だよ?」

「物凄く悪い笑顔で嬉しそうに言うのやめてw」

「いやまぁホントなら楽天市場仏壇売られる前にIT参入すべきだったけど、統合的な神具仏具オンラインマーケット勘定系のシステムが無いならやる価値はあると思うけど」

「でもお金かかるんでしょ?人員も」

「その辺は経営者が考えることだわ。会社のみんなで考えて欲しいのは仕組みだろうしね。具体的な仕組みでなく糸口になるレベルで良いと思うけど」

「なるほど〜言ってみるわ」

2018-04-26

母方の祖父アル中だったらしい。

深酒のすえに女子高生危害を加えてしまった某アイドルのせいでアル中に注目が集まっている模様。

アル中というと思い出すのは母方の祖父のことである。といっても、祖父は私が産まれる8年ほど前、母が高校生の頃に亡くなっているので、私は遺影祖母の持っていたアルバムしか祖父を知らない。

祖母がしばしば私の事を祖父に似ているとほめちぎっていたけれど、顔はあまり似ていない。ま、血は繋がっているのでパーツパーツに似たところはあるんだけれども配列の妙で私は祖父の様な美貌にはならなかった。

祖父の死因は祖母や母がいうには「チュウキ」とかい病気だったらしい。辞書によれば「中気(チュウキ)」とは脳卒中とその後遺症の事をいうらしいけれども、祖母と母の説明では「手がこうずっとぶるぶる震えるのが止まらなくてしまいに死んでしまった」という事なので、脳卒中というよりはアル中に命を取られたのかもしれない。じわじわと寝たきりになって衰弱していった様な話だったし。

アル中というと壮絶なイメージがあるけれど、祖母や母や伯父伯母が祖父を悪く言うことはなかった。定職につけない風来坊でどうしようもない人だったから自慢出来る様な人ではないけど、と苦笑いで語られる祖父は、私にとっては謎めいたヒーローなのであった。

祖父はとても手先が器用な人で、気まぐれに子供たちに絵を描いてみせたり包丁野菜に細かい彫刻をほどこしてみせたという。若いはいわゆるフーテンで、あちこちをふらふら旅して回ったとか、どっかの置き屋から連れ出してきた美人最初の妻にした(後にその女性病気で早逝したようだ)とか。自分の住む家を自分設計して自分で建てちゃったとか。

そして祖父は非常に子煩悩であり、特に末っ子である私の母の事を溺愛していて、貧乏にもかかわらずそろばんを習わせたり地元の名門高校に通わせてやったりした。といってもその資金を出したのは、虚弱体質とアル中が原因であまり働けなかった祖父ではなく主に祖母なんだろうけど。

祖母若い頃かなり猛々しい性格の人だったそうで、家庭を支える為にバリバリ働いていたし、伯父の奥さんが怖がって口をきけないほどだったんだけど、どうも祖父には甘かったようだ。

伯父がいうには祖父はよく隠れて酒を呑んだのがバレて祖母に怒られていたそうなのだが、その時の事を語る祖母の口調にはあまり深刻さがないというか、「うちのとーちゃんはほんとしょうもない」と笑って言ったものだ。

祖父が呑んでいるところを祖母に見つかった時の口調を伯父が真似して見せてくれた事があった。

「呑んでない、呑んでないよ。これ水、水水」

長州小力の「キレてない」にちょっと似ていた。

祖父は酒豪の果てのアル中だったが、呑んで暴れたり人に暴力をふるったりするタイプではなかったらしい。ただ淡々と顔色変えずに呑んじゃうザル。従兄弟と私の妹がそういうタイプだが祖父も同じなんだろう。祖父の血を継いだ子供や孫達はあり得ない程の下戸の私を除いて皆大変酒に強いが、皆飲むとやや機嫌のよい感じで寝転がっている。

そういう穏やかな酒癖のせいで、アル中になるほどとことん呑んでしまう、というのもあるのだろう。祖父がまさにそれだった訳だ。

ただのほほんと機嫌よさそうにしてるから良いという訳ではなく、それでも酒の毒で手は震え、次第に体が衰弱していってしまったのである

祖母は、私によく祖父面影を見付けては喜んでいた。魚と梨を好んでよく食べる事や、絵を描いたり工作をするのに熱中していた事に。

私があたり目やきんぴらごぼうをむしゃむしゃ食べているのを見て、祖母は「やっぱりとーちゃんの孫だ。大きくなったら飲んべえになるぞぉ」と暢気に言った。酒が祖父の命取りなったというのに酒無くしては祖父にあらず、なのであって、祖父の生まれ変わりとも言われる私が酒豪にならないなど、祖母の中ではあり得なかったのだ。

だがしかし、私は祖父のほうではなく父の家系に似てしまって、酒は全くといっていいほど飲めず、お陰さまで酒の上の失敗とも永久無縁なのである。やらかす前にぶっ倒れて死んじゃうので。

祖母は私を祖父の生まれ変わりと言いながら、もし祖父が今も生きていたらという話もした。あれだけ私の母を可愛がっていたのだから、私の事も目にいれても痛くない程に可愛がっていたはずだという。

まりもう一人の私に可愛がられる

私、とは。私は幼児のうろんな頭なりに考えた。仏壇の中にいる、私にはとても似ていないのに私と同じ魂を持った人の事について。

もしじいちゃんが生きていたら、どんなに楽しい遊び相手になっていた事だろう、と。でもそれはあり得ない事なのだ。私がここに存在している以上は。それなのに祖母や母の中にはまだ生きている人の様に存在していて、しか絶対意思確認することの出来ない不思議な人なのだった。

じいちゃんは本当に私を可愛がってくれるの?

何で死ぬほどお酒飲んだりしたの?

私はよく、夕暮れ時うすぐらい仏壇で微笑む祖父遺影に心の中で問いかけたものだ。

anond:20180426163911

またまたぁ💝謙遜さらないでも❣

増田さんがオフ会に参加されるときは必ずお呼びくださいね

写真をいただければ、仏壇に飾って朝な夕なに礼拝させていただきます💓

美形は国の宝、近づけばきっとご利益があるんです。

クサい人は、無臭に。

無臭の人は、いい香りに。

貧乏な人は、借金がなくなり、

普通の人は、宝くじが当たる。

増田さんを一目見れば、

施設に入っているご老人たちも滂沱の涙を流しながら

コガネムシの歌を歌いだすのです。

食欲も蘇り、歯が生えてきます

そして立てなかった人はすっくと立ちあがり、

位牌と一緒にダンスをするでしょう。

子供たちは増田さんに触れると、ニコニコ笑顔がこぼれ、

花壇には季節外れの花が咲き乱れ、

増田さんは保母さんと恋に落ちるでしょう。

というくらい(笑)

きっとウルトラスーパー「最&高」に美形の増田さんを私は尊敬していますよ。

どうして◯◯って体裁にこだわるの?

リビングソファー置いて何になるの?

「人が来たときソファーがないと恥ずかしい」

俺らって人を呼ぶためにこの家に住んでるの?

仏壇しか置いてないこのリビングソファ置いて何するの? 仏壇鑑賞?

俺の筋トレスペースだし、導線的に人が行き来するスペースにソファがあると邪魔以外の何物でもない

◯◯の思考って山に緑のペンキ塗った某国のそれと同じでは

2018-04-24

anond:20180424012338

認知症について。

余程進んだ認知症でない限り、物事はわかるし話も理解できる。

ただし、うまく話せない時やうまく思い出せないモードやうまく聞き取れないモード時間があり、そのときはまったくわからない。

わかっているモードときに、話せばきちんとわかる。

たぶん、脳の神経全体がきれいにつながってる時間タイミングと、そうでもない脳のどこかが休んでしまってる時間タイミングがある。

から、はっきりしてるときには、ちゃんと話がつながるので、そのときにしっかり話す。

施設について。

施設では、家族があまり来なかったり家族知識がすくない入所者はぞんざいに扱われる。

寝たきりなので家でも気を付けていたとは思うが、むくみや血行不良、褥瘡ができていないか定期的に確認してやる事。

家族が来ない人の、一番、ひどいのは食事を無理に食べさせたり、食べさせなかったりすること。

施設は、たくさんの人を少ない人数で面倒をみるので仕方ない面もあるが、家族が頻繁にくる人にはそういうことはしづらくなる。

できることなら、毎日、行って家族が食べさせてやるのが一番いい。

施設には専任医者がいるはずで、医者コントロールしていることもあり、

基本、好きな食べ物は持ち込めなくて、用意したものしか食べられないので、本人はとてもつらい。

うまく交渉して食べたいものを食べさせたりしてやれるようにしたり、少しならこっそり食べさせるなどするといい。

食べる楽しみは、大事なので。

気持ちについて。

ばあちゃんは、女性なので、やはり控えめなところがあって、迷惑かけてしまってわるいと思っているので

可能な限り、毎日いくのがいい。あやまる必要なんかないが、手を握り、足をさすり、背中をさすり、髪をとかしてやる事。

家族にさわってもらえてるのは、本人はうれしいはず。

施設には、家族が来ない人もいて、毎日家族がくるような人は自分幸せなほうだと思えるようになる。

そして、どんなに施設に馴れたとしても、家に帰りたいと常に思っているので

最低でも、お盆や、正月には、一時帰宅させて、家に連れて帰る事。

家に帰って、ふだんの食事をさせて、仏壇を拝ませてやり、一緒に寝てやる。

最初は、慣れないので、連休にも、一時帰宅させてやればいい。

祖母施設に入る事が決まった

 今、入所後に使う私物に貼る名札シール作ってる所なんだけど、涙が止まら明日に響きそうなので吐き出しておく。

 今週の水曜日、同居してた要介護3のばあちゃんグループホームに入所する事になった。足が悪く半分寝たきりで、認知症も進んできたばあちゃんを俺と父親で1年くらい騙し騙し介護してきたんだけど、入所の順番待ちをしていたグループホームから先週「急遽空きができたんですが、入所されますか」と連絡が来たのだ。先方からは以前、申し訳ないが空きができるにはまだ半年以上かかると思う、と言われていたので寝耳に水だったが、予期せず、介護生活から解放と70年以上実家に住んでたばーちゃんとの別れがやってきてしまった。いつか来るとは思ってたけど、もっと先だとばかり思っていたので、まったく心の準備ができていなかった。ことの決定権は父親と叔母(父の姉)にあった。毎日主に世話をしているのはお前だからと、俺の意思も訊いてくれたが、断る理由が「寂しい」くらいしかなかったし、この機を逃したら次はいつ順番が回ってくるか分からないのもあって「仕方ないことだし、親父と叔母ちゃん判断に従うよ」と返答した。

 正直、慣れない介護はきつかった。毎朝早めに起きてばあちゃんの部屋へ行き、着替えを手伝い、ポータブルトイレの中身を処理し、車椅子洗面所仏壇に連れて行って、朝飯を食わせてデイサービスに行く準備を整えながら自分の出勤の支度もする。仕事が終わって帰宅したら晩飯を食わせて、洗面所仏壇に連れて行って、ベッドに寝かせて布団をかけてやり消灯。この基本の流れに加え、ばあちゃんが破り散らかしたトイレットペーパーの片付けというインタラプトも高確率で発生する。紙を破るのはやめてくれと言っても認知症なので1分せず忘れる。まあきつい。性格が穏やかな方なのが唯一の救いだった。自力で歩けないか徘徊とかも無いし。もっと大変な家もあるだろうなーとか考えながらも、いつまでこんな生活が続くのかなとか溜息ついちゃうくらいには参っていた。

 ばあちゃんは俺が小さい頃、共働きで家にいない両親の代わりにじいちゃんと2人で俺の面倒を見てくれた。昔から足が悪かったが、なんとか杖を突いて歩いてバスに乗り、俺を散髪に連れて行ってくれたり、デパートガンプラ買ってくれたりした。夏休み冬休みになると、高速バスに乗って都会に住んでるいとこをばあちゃんと2人で迎えに行ったりもした。両親と仲が悪かったわけじゃないが、俺は完全におばあちゃん子だった。実際ばあちゃんも溺愛してたと思う。いい年こいて結婚できてない俺を、お前みたいにいい子が結婚できないわけがいから、早く嫁さん見つけろと何度も言ってくれた。どうも俺いい子じゃないみたいだぜ。すまんな。

 元々ばあちゃんの面倒を見ていた母親が亡くなった時、還暦越えた頑固親父とろくでなし息子だけで祖母の世話をするなど土台無理な話だ、さっさと施設を探した方がいいというのが親戚一同の総意だった。そらそうなるわな普通。ばあちゃんは状況がイマイチよく分からない顔をして小さくなっていたが、それを見たら単純に不憫に思えたし、できもしないくせに母親の代わりを務めないといけないと思ったんだろうな、「いずれは施設の世話になるとしても、可能な限り俺らで面倒見たい」とか皆の前で言ってしまった。その場には介護仕事してる親戚もいたので「うわっコイツ現実見えてねえ」と思った事だろう。今の俺も当時の俺に対してそう思ってる。介護素人がフワフワした気持ちで続けられるもんじゃない。事実、今回の報せが来たときちょっとホッとしたからな。俺がもっと要領よく、マッチョに立ち回れていたなら、「もうしばらく頑張ってみます」というルートに進めたかもしれない。父親と叔母が入所を即断したのは、実の親の介護を未婚の孫にさせていて、あまつさえそれで消耗させてる事に対する罪悪感もあっただろう。自分が情けないと思った。あんなに可愛がってくれたばあちゃんなのに、もう助けてやれないんだと。

 入所が決まったという話を叔母がしたとき、ばあちゃんは分かったような分かってないような、少し神妙な顔をしていた。いずれにせよ認知症のせいですぐ忘れてしまうのだが、重大過ぎる事だけは辛うじて記憶できていた(母親が亡くなった事だけは忘れなかった)ので、もしかしたらちゃんと覚えているのかもしれない。ただ今朝もやっぱりトイレットペーパーを破り散らかした。出勤前にスーツに紙屑が付かないように掃除するのは完全な遅刻フラグだったが、ギリギリ大丈夫だった。支度を整え、いつものように庭が見える窓のそばまで連れていき、デイサービスの車が来るのを待つ。毎日繰り返したこの一連のシーケンス明日の朝で終わりなんだな、なんだかんだで寂しいよなあ、ばあちゃん分かってるか、分かんねえよな、なんて思いながら庭を見たら、土日の暖かさで一気に咲き始めたツツジが見えた。ばあちゃんもそれを見て「ああ、綺麗なツツジだ。ようけ咲いとるわ」と感慨深げに言った後「もうこれで思い残すことはないわ」って言ったんだ。

 おいおいおい、やっぱり分かってんじゃねえかばちゃん、いや実は分かってないかもしれないけど、わざわざそんな事言うってことはそうなんだよな。もうここに帰って来れないってちゃんと分かってるんだよな。朝も夜も分からなくても、飯を食ったのを忘れても、紙を破り散らかすと俺が怒るってことをすぐ忘れても、本当に大事なことだけは覚えてるんだ。なんだよそれ。ずるいだろう。多分本人にはもう状況が分からいから、というのが介護を断念するに至った主因だったんだ。それが分かってるって分かったら、やっぱりまだ家で面倒見ますって言いたくなるに決まってるだろ。もう遅いよ。手続き済んじゃったよ。肌着にも靴下にもタオルにも全部油性ペンででっかく名前書いちゃったよ。もうどうしようもねえよ。明日最後我が家だぜ。ばあちゃん。分かってるのかよ。

 今日仕事帰りにラベルシール買ってきて、できる限り可愛い感じの名札シールを作った。施設職員さんが見たら「なんや妙に凝っとるな」と言うこと請け合いなやつが刷り上がった。いらすとやはやっぱり神サイトだ。でも、もうこの家に生きて戻ってくることがないだろうばあちゃん名前を綺麗にデコるのは、言い方は悪いが位牌を書いているような気分だった。と言ってもばあちゃんの体調自体はそんなに悪くなく、決して今生の別れでもないし、なんならグループホームは家から1kmしか離れてないような地元オブ地元だ。バカみたいに目を真っ赤にしてこれを書いてる自分を滑稽だと思うけど、それでも明日をもってこの家でのばあちゃんとの思い出は最後になるんだと思うと、俺の中のばあちゃんスピリッツがどうしようもなく目頭を熱くさせる。困ったもんだ。結局書いてるうちにどんどん涙が出てきて全く目論見違いになったわけだが、こんな思いを打ち明ける相手もいない寂しいオッサン独り言だと思って、この場所を使うのを許してやってくれ。多分いないと思うけどもし最後まで読んでくれた人がいたらありがとう

2018/04/24 9:00 追記

 出勤してはてな見たら思った以上に反響あってビビった。泣いちゃうだろ。職場やぞ。花粉症シーズンで助かったわ。今朝は最後デイサービス送迎だったので、雨の中ひとりセンチな気分で見送ってたら遅刻しかけた(多分職員さんも「なんやコイツ」って思ったと思う)。冷静になってから読んでみると“叔母(父の姉)”とか意味わからんこと書いてるな。面白いからそのままにしとこう。トラバブコメありがとうございます。今読むともっと泣いちゃって仕事にならなそうなので我慢する。読んでくれた人本当にありがとう

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん