「仏壇」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 仏壇とは

2024-07-24

anond:20240724004940

特殊な例だよね

仏壇で数万から数十万、墓で200万程度が普通

anond:20240724004019

仏壇ひとつで数百万

土地込みのデカいだけの石で数千万

これは怪しい宗教では?

2024-07-22

せめて仏教は今世紀中に潰さね?

お布施とかもバカバカしいし高い石に数百万円金払うのもバカバカしいし数十万円数百万円の仏壇を買うのも非科学的かつムダの極みでバカバカしい

何の価値もないこんなもの信仰心とか付け込んでカネを払わせる仏教は「悪魔」であり

壺であろうと新興宗教だろうと旧来から仏教だろうとすべて滅ぼすべきである

浮いたカネでまともに経済を回しましょう

2024-07-16

「神」が存在するとしても

宇宙を創り出した存在を「神」として、その「神」が何らかの意思を持っているとしても、宇宙全体から見たら素粒子レベル地球人類に何かの興味や関心を持つとは思えないし、仮に「神」が人類に興味や関心を持っているとしても、自分の近所にある神社・寺・教会モスクに参って祈ることが「神」に自分の思いや願いを伝えることになるとは思えない。

死後の世界があるともないとも言えないし、多分ないんだと思う。あるとしても「念仏を唱えれば極楽浄土へ往生できる」とか心の底から信じることはできない。信じてないんだけど、もし仮に天国地獄があるなら自分の大切な人は天国に行ってて欲しいな、くらいの気持ちで墓や仏壇に手を合わせる。

こういう心持ちだと、宗教があってもちっとも死の恐怖も和らげられないし、何の救いにもならない。心の底から神や仏を信じられる方が幸せなんだろう。

2024-07-05

実家仏壇の線香炊く時になぜか「清涼院流水」ってワードが浮かぶ

毎回、なんでこのタイミング清涼院流水がチラつくの? って思いながら炊いてる

マジでどういう繋がりなんだよ……わけわからん

2024-07-03

俺も創価学会三世

うちも創価学会三世

祖母比較的熱心な信者だが私財をなげうって家族がどうこうみたいなことは全くない。何なら商売をしている家計なのでそこそこ裕福だったと自認している。

両親になるとたぶん全くもって信仰はないだろう。物心ついたときに家には小さな仏壇があったがリフォームの折にそれもなくなった。多分処分したんじゃないかと思う。

当然その両親の子供の自分信仰なんてあるわけもなく正月お盆の勤行会?に連れられて退屈な時間を過ごした印象だけが強く残っている。当然自分にも信仰など皆無だ。

だが今のところ積極的脱会?することは考えていない。面倒だからだ。

学会関係の知り合いは全くいないが、我が家の墓は創価学会管理する集団墓地にあるので移動やらなんやらの手続きを考えると多分それなりの労力や金がかかるだろうことは想像に難くない。

ここまでにも書いたようにいい思い出もないのだが同様に悪い思い出もないのだ。

宗教絡みで家が大変になった思い出があるのなら熱意を燃やして脱会のために動けたのかもしれないが幸いなことに私の家族(少なくとも私個人は)創価学会を通して不利益を被ったことがない。

こうなるともう苦労してまでわざわざ脱会する気は起きない。このまま名ばかりの創価三世として生きたとして不都合もない。

と、思っていたんだけどなあ。もしも元増田と同じように恋人に打ち明ける日が来た時にひと悶着起きるのだろうか。まだ見ぬ未来を考えてちょっとめんどくせえなという気分になった。

anond:20240702210851

そんじゃあお前は一生神社や寺にお参りするな、初詣除夜の鐘など、仏教神道行事には一切参加するなと言われて従えんの?

親の墓も仏壇も位牌も過去帳も捨てろよ

2024-07-02

創価三世だけど仏壇は無いし集会にも行かないし、宗教人間関係というのも最早ない

が、染み付いた習慣として神社教会には抵抗があるんだよな

創価学会員を見ると侮蔑してしま

創価学会を信じている人を見ると内心侮蔑してしまう。 信じる事によって彼等は心が救われているのだと理解しても、蔑む気持ちが心の中に常に存在している。

 何故仏などという居ないものを崇め信じるのか。昔に『いた』と言われている、記録されているだけの何かを信じる事は、わたしには難しい。その神様か仏様が、定期的に15年に1度などのペースで現れて、何か大層な有難い言葉を紡ぎ、人間では有り得ぬ力で大勢を救う様子が見られ、記録されているのであれば信じるが、残念ながらそんな事は起こらない。

 神様や仏というものは、神話聖書等のコンテンツとして読む分には充分面白いゼウス唯一神宇宙や天候を司り、万能であるとか、ハデスは冥府の神であるとか、キリストが磔にされて3日後に復活したとか、様々な逸話物語キャラクターとして魅力的だ。才にあふれた個性豊かな神や人々が織り成す神話は、展開がぶっ飛んでいて読んでいて飽きるものでは無い。信仰心が皆無のわたしでも、素晴らしい、偉大だねと褒め称えることは出来る。鬼滅の刃で、煉獄杏寿郎が活躍する見て「煉獄さん素晴らし過ぎる…!」と言うくらいのテンションくらいで。

 そんなわたしが何故、ここまで創価学会を毛嫌いするのかと言うと、まあシンプルわたしの願いを叶えてくれなかったからだ。

 わたし小学生の頃、母は創価学会の熱心な信徒で、毎朝題目を唱えていた。わたし題目のよくわからない言葉気持ち悪くて堪らなくて、唱える事を毎日嫌だ嫌だと抵抗していた。何故仏壇に向かってよくわからん言葉を唱えねばならんのだ。気持ち悪い、嫌だ。と嫌悪気持ちが非常に強かったのをよく覚えている。しか平穏に過ごすことを目的とした姉と弟や母にちゃんとやれと叱られ、ぐずぐず泣きながら、母の膝上で題目を唱えるフリをしていた。

 娘が毎日抵抗してるのにも関わらず、懲りずに毎日題目を唱えているので、ふとある日、「これをしたら願いが叶うのか」と聞くと「そうだよ」と母は返した。願いが叶うのならば、と単純でひねくれた小学生わたしは期待を込めて、創価学会とやらを小さく信じることにした。どうしても抵抗感があったので題目を唱える事こそしなかったが、毎日母の膝の上で「パパとママが仲良くなりますように。喧嘩がなくなりますように」と願った。そしてその願いは、当たり前だが叶わなかった。

 両親の喧嘩が絶えなかったのは、母がのめり込むこの創価学会に原因があった。創価学会に限らず、宗教というものは金がかかる。創価学会はそれが顕著で、聖教新聞や、創価学会教祖が書いた人間革命とか無駄に分厚い本の購入やらで色々金が入用なのは有名な話だ。実際、ここ数年なんかのニュースで、婆さんが聖教新聞大量購入などで貧困に陥り、栄養失調かなんかで亡くなっているなんていう話もある。ここまで来たらもうわかる話で、喧嘩の原因は主に創価学会に掛かる無駄金だった。

 父の信仰心の有無は詳しく聞いてないのでわからないが、たぶんわたしと同じように、父の信仰心ゼロに近いものだと思う。実際、願いが叶うという保証なんてどこにも無い、不確実な何かに掛ける金ほと勿体ないものは無い。こんなものに金をかけるくらいだったら、まだリターンが存在するパチンコ競馬といった賭博の方がマシだろう。しかも育ち盛りの子供3人を養わねばならぬのに、妻が宗教などにうつつを抜かしているなどとなれば尚更だ。

金が入り用なのにこんな事に使うなと、父は母に怒り、そこから喧嘩に発展していく様子を何度も何度も何度も見た。父の怒り方は神経質でうるさく、不快ものだったが、今思えばそれが正常だったのだと思う。わたしが同じ立場だったら、やり方こそ違うかもしれないが同じように苦言を催しているだろう。

 というわけで、わたしのささややかで純粋な願いは叶わなかった。

 正直、これが創価学会だろうと他の宗教だろうと、おそらくわたしは同じような過程を経るのだろうとは思うが、どちらにせよ、少なくとも創価学会に関しては信じても救われないというのがわたしの持論になった。

 ちなみに最終的に、この願いが叶ったかと言われればNoだ。

 何年かして母はフェードアウトするように創価学会を辞めたが、喧嘩は15年以上経過した今でも定期的に頻発している。今は何も信仰などはしていないが、15年以上の時を重ねても、幼い少女の『両親が仲良くなりますように』というささやかな願いさえも叶える事ができない、それどころか少女がそんな願い事をする原因になり得るあたり、創価学会には力が無い事を証明されたとわたしは思う。

2024-06-24

お供え

仏壇明治まれ祖父コーヒー党、喫煙者だったのでコーヒーと線香みたくタバコをぶっさして、戦中生まれの父はマック大好きだったんでハンバーガーコーラ供えてたけどこれって普通

2024-06-22

死んでもいい年齢っていくつなんだろ

仕事柄、人の死をよく見る。

大往生だったと少し涙ぐみながらも笑うご家族を見る。それより十歳くらい年上の方が亡くなったときに泣き崩れる家族もいた。

そんなとき、いつも思う。

死んでもいいと周りが、本人が思えるのはいくつなんだろう。

幼い頃にずいぶん若い人が立て続けに亡くなった年があった。全員40を迎えることなく亡くなったはずだ。仏壇ランドセルが供えられているような歳の子まで。

別に何か災害があったわけでもなく、本当にその年だけ若い人が立て続けに。理由バラバラだった。

私自身も幼く、曽祖母葬式幼稚園の頃に出たのが最初最後くらいお葬式と無縁の年齢だった。曾祖母お葬式記憶にないが、100歳だかで亡くなった大往生だったので割と明るい雰囲気のお式だったらしい。

そういうわけで、記憶にあるお葬式はずいぶんと若い方が亡くなるもの最初だった。棺に故人のご母堂がすがりつき大泣きし、周りも早すぎる、どうして、と啜り泣いた。ご友人だかがたくさんいらっしゃって皆さん泣いていた。私もとてもよくしてもらってた方なのでもう会えないのだとわんわん泣いた。

からお葬式とはこれほどに苦しくて悲しくて辛いものなのだと思った。

次のお葬式はほんの一、二カ月後。

まだ十歳にもなってない友人のお葬式

正直もっと悲惨だった。理解ができない年齢の子もいっぱいいた。家族ぐるみのお付き合いがあったので控室に母や他の友人の母たちが集まって、なんとかお式には出れるようにとその子母親を立たせていた。

逆に少しも涙が出なかったのを覚えている。受容できていなかったのだと思う。

お葬式後、まだ幼かった下の兄弟に「明日になったら○○と遊べる?」と聞かれて、もう出来ないんだよと言ったときに初めて涙が出た。

その後も若い人が年内に亡くなった。どれも苦しいお式だった。

知り合いが若くして死に続けた年は後にも先にもこの年だけだ。あとはもう寿命だねと笑い合えるようなお式にしか行っていない。

がんで亡くなった祖父は闘病も長かったので家族覚悟していたから、お疲れ様とみんなで話すことができた。

突然ぽっくりと、朝起きてこなかった方のお式はちょっと戸惑いが見受けられた。

いくつ、ではなく受容過程があったか、なのかもしれないと考えられるようになったのは今の職についてから

でも、やっぱりそれだけでもない。若くしてがんなんかで長い間闘病の末の死ではやっぱり死を惜しむ。受容する期間はあったはずだけど。

からいつも、いくつなのかなあ、と考えながら人の死を看取る。

2024-06-16

anond:20240615190951

位牌や仏壇はどうしてるんだろうか?

犬へ





 犬。お前が死んでから、もうすぐ5年が経とうとしています。5年も経つのに、いまだに私はお前を忘れることができず、毎日のようにお前の名を呼んでしまます

 犬。お前が我が家に来た日に割と大きな地震が起こりました。段ボールに入れられたお前ごと家族みんなが外に逃げ出しましたが、お前には何のこっちゃだったと思います。あと、家に来たばかりのお前はまだ両耳が垂れていて、それを抜きにしても可愛すぎて最初は七味と名付けられる予定が満場一致棄却されたことをお前は知らないでしょう。

 犬。お前は人のズボンの裾を噛むのが好きでしたね。そのせいで私のジーンズは裾がズタボロでしたが悪い気はしませんでした。お前がポケモン攻略本を齧り尽くしてしまった時はさすがに泣きました。けど、お前の噛み癖はいつの間にかなくなっていましたね。

 犬。お前の体力が無尽蔵の頃、私を散歩に連れ出して2時間も歩きましたね。互いが互いに譲らず、時には私が折れ、時にはお前が折れてを繰り返しての長時間散歩でした。家族私たち行方不明になったと言って、警察通報する一歩手前だったそうです。

 犬。お前の耳かき係は私でしたね。お前は耳が痒くなると、私の前に来てわざとらしく耳を掻き、「ん"〜〜〜〜っ」と声を上げてアピールをしていましたね。私が耳かき用のウエットティッシュを取った後、待ってましたとばかりにあぐらをかく私の股に顔を突っ込み、耳掃除をさせてくれたこと、信用されているのだと感じてちょっとしかったです。

 犬。お前は撫でられるのが好きな犬でした。新聞を読む人間に撫でてほしくて新聞の上に居座ったこと。人間の小脇に頭を突っ込んで味噌汁をぶちまけさせたこと。撫でてくれないと吠えてアピールしたこと。撫でたら撫でたで「そこは違う」とガウガウしてきた時のこと。犬と一緒に生活をする際の嬉しい出来事ひとつでした。

 犬。お前は人間ご飯も大好きな犬でした。けど、塩分過多になったり与えてはならない食材が使われていたので与えることはできませんでした。しかし、犬よ。お前は背後からひっそりと近づき、隙あらば飛びついて盗み食いを働きましたね。私のトーストを丸ごと一枚食べた際のお前の顔は北大路欣也のようでした。

 犬。お前がMAXデブちゃんになった時、確か18キロの大台を記録しましたね。玄関の昇り降りができず、情けなく人に助けを求める姿は可愛かったですが、さすがに太りすぎました。お前の重さに家族の腰が負け、壊れたことも今では良き思い出です。

 犬。夏になるとお前の息遣いクーラーをつけるか否かを決めてしました。例え人間が快適に過ごしていても、お前が暑そうにしたらクーラーをつける。でも、お前がいなくなった今は30℃を越えない限りはクーラーつけません。今、これを書いている時は34℃ですがクーラーはついていません。

 犬。夏にお前と散歩に行く時、人間は一度裸足になりました。お前と共に外に出る前に素足でアスファルトの熱さを感じ、お前の肉球が火傷してしまわないか確認するためです。だからなのでしょうか。真夏の昼間に犬を散歩させている人間を見ると殺意が芽生えます

 犬。お前は人間サッカー観戦している時、誰から相手にされないと分かると骨っ子をカジカジしたり、ふて寝をしていましたね。そして、ゴールが決まり人間が盛り上がると共に声を上げて暴れ回りました。多分、お前は意味が分かっていなかったと思いますが、お前のその反応は間違っていません。あと、人間はチャンスシーンになるとお前のおててを握ってお祈りをしていました。

 犬。私が就職一人暮らしを始めた頃、毎日のようにお前の写真をせがみました。やっぱり犬のいない生活は寂しいと思ったのです。あと、お前のご飯は私がお金を出していました。でもお前はそのことも知らず、毎日2食のご飯をモリモリと食べていましたね。ちなみに、1ヶ月5000円でした。

 犬。お前はケツのポリープが爆発して手術をしましたね。手術の際にケツ毛を刈られ、結果として毛根も刈られて死ぬまで毛は生えてきませんでしたね。

 犬。お前は私が帰省しても歓迎のひとつしませんでしたね。最初の頃は私を不審者と見做し、吠え散らかしていましたが歳を重ねるごとに吠えることはなくなりました。けど、私を見るたびに「だれ?!」という顔をされたことは未だに納得していません。

 犬。お前が死ぬ1週間ほど前、家族から連絡が来ました。お前がもう余命僅かであると知らされて、車を飛ばして会いにいったことを覚えていますか。半年ぶりに会ったお前の頭が車のシフトレバーほどの小ささになったことに私は驚き、こんなにも年老いたのかと愕然しました。以前のお前の頭は、少なくとも手のひらでは収まりきらないくらい大きかった。それがもうこんなに小さいなんて。

 犬。お前は死ぬ前に何も食べられなくなっていたみたいですね。私がお前に会うために帰った日、千と千尋の神隠しで千が竜の姿になったハクにしたように、人間が口を開け、口の中にご飯を入れることでしかご飯を食べられませんでした。それだけ、お前は弱っていたんですね。

 犬。お前が死んだのは、私がお前に会いに行ってから3日経った日でした。お前が死んだ時、私は仕事をしていました。社用車の中で一人で泣きました。社会人になって初めて泣きました。人生の半分以上を共に過ごした犬でした。語り尽くせないほどの思い出がたくさんあります。今もスマホフォルダにはお前の写真がたくさんあります。なのに、お前の葬式に立ち会えなかったことを今でもすごく後悔しています

 犬。死ぬ前のお前と最後挨拶はしたけれど、死んだ後の最期のお別れを言えずに骨となったお前と対面した私を許してください。

 犬。お前が死んだ後、夢を見ました。死んだはずのお前が、みんなが集まる部屋にやってくる夢です。私が「お前、死んだはずじゃ」と言うと、お前はまるで自分が死んだことに気づいていなかったのか、「そうだったわ。俺、死んでたわ」みたいな顔をして私の前から立ち去る夢です。目が覚めた後、私は悲しくて泣きました。

 犬。お前が死んでから何度も他のコーギーを見てはお前に似ているかどうかの話をしてしまます。新しく迎え入れようかとも思いました。でも、私はお前がいい。新しく迎え入れるとしても、お前がいい。お前でなければ駄目なのです。お前でなければ、迎え入れることなどできません。お前の代わりはいない。だから、お前のケージがあったところには、今もお前の仏壇が置かれています。お前が寂しくないように、誰かが何かしらのお裾分けをしています。お前の大好きなお菓子も、生前は食べられなかったポテチチョコレートケーキも置いています。死んだ後なら、何を食べても問題はないでしょう。

 犬。お前がいなくなって、人間はお出かけしてもすぐに帰って来たり、毎日早起きをしたり、悪天候の日も外に出る必要はなくなりました。お前の抜け毛で服がとんでもなく汚くなることも、お前の襲撃に怯えながらご飯を食べることも、床に雑誌新聞を置いても良くなりました。でも、お前がいないと寂しい。やっぱりお前がいないと寂しいよ。5年が経つ今でも、お前に会いたい。

2024-05-31

上司も同僚も居ない職場

みんなそれぞれに仕事をして出張とか会議にいってる

俺氏だけ一人ぼっち特にやることはない

将来はとても不安です

お墓も仏壇も無いけど子供パートナー友達も居ないのでどうでもいいか

2024-05-24

妻の七回忌終わった時点での感想

やっぱり俺は薄情かもしれない

葬式の時以来泣いた覚えないし

墓参りは義両親や友人をアテンドするときしか行かねーし

仏壇にいたっては法事の時しか手を合わせてない

まぁ生前妻も墓やら仏壇やらイミフって感じだったしそこは許しねってことで

からと言って妻のことを思わない日は無い

特に「娘の今を妻に見せたかった」ってのは毎日思う

娘が立って歩いたり、しゃべったり、保育所で仲のいい子ができたり、歌うのが好きだったり、

ごはんが美味しいときに黙ってサムズアップしたりするのを妻は全部知る前に逝ってしまたか

「あの時死ぬのを妻がためらってくれていたら」、「俺が妻にもっと寄り添っていれば」、

実家が妻の症状をもっと理解してくれていたら」なんていうタラレバが頭をよぎることはあるが

熱量的に言えば「今日晩御飯何作ろう?」の方が大きい

父子家庭からと言って育児で困っていることはほぼ無いというか

妻には申し訳ないが育児や家庭に関する意思決定が一人でできるので逆に楽まである

ここまで言っといて何だがやっぱり妻には生きていて欲しかった

「娘をかわいいと思えない」と言って泣いていた妻を救えなかった俺が言うにはあまり無責任だけど

今ここまで育った娘を見ていると妻と娘と俺の3人で面白おかしくやっていけるんじゃないのかなって思ってしま

子どもが生まれたら一緒にキャンプしたいよねって言ってたじゃん

今なら絶対楽しいって

まぁありもしない想像はこの辺にして最後懺悔させてださい

自死遺族自助グループに行くと言って娘を実家を預けて

新幹線乗ってソープランドに行ったことがあります

本当にごめんなさい

2024-05-19

仏壇のお花

普段晩飯の時に炊き立てご飯お供えして線香をあげてる程度のことしかしてないが、仏様の命日や生前誕生日記念日には仏花を仏壇に飾るようにしている

その割にお彼岸とかはやってないなー

ちなみにお花を上げる初日はオハギやコーヒー焼酎水割りなんかもお供えする

墓参り行けよって気もするがお墓の近くに住んでいる親戚とは不義理してて、さりとて挨拶も抜きに墓参りするのもなんだかなーと思ってたか全然墓参りしてない

法要も任せっきりだ、わはは

それはそれとして

いつも、お花は萎れるまでお供えしている

毎日水を取り替えてるけど、それでも下の方から腐っていくんである

菊の花は強いから、花瓶で何度か発根させたことがある

そういや、ここ数年は発根させたことないな

茎の細い真っ赤な花が真っ先に腐るから、アレを別の花瓶に挿すようにすればまた発根するまでもたせられるようになるかも

それはそれとして

花びらが散っちゃったりして見栄えが悪くなっても、気にしなければお花は20日間とか平気で持ってしまうから最近はあげてから一週間とかキリの良い所で片づけてしまうようにしている

しかし、先週お供えした花、まだ勢いがある

どうしたものかなーと

2024-05-07

能登仏壇行方はどこに…

ゴールデンウィーク実家(お寺)のある能登帰省していたのですが、

この時期だけで2件、「家にあった仏壇処分する前にお参りしてほしい」という案件住職の兄が出動してました。

それまで老親が住んでいた家が住めなくなった影響で子の家もしくは近くに移住することが決まり

仏壇とともに移住は難しいということで、そういう話が増えているそうです。

仏壇海外コレクターがいるらしく、業者さんも動いているという話も耳にしました。

2024-05-05

見合い話を持ち込まれた時の思い出

何十年も前の話。当時、私は19歳。
帰宅すると祖母仏壇の前で泣きながら「どこへもやらん!!」「嫁にはやらん!!」と叫んでいた。
何事かと訳を尋ねると「まだ嫁に行ったらあかん」と泣き叫ぶばかり。
丁度そこへ親が帰ってきて、私に見合い話が来たことと、それが原因で祖母狼狽しているのだと教えてくれた。
その頃の私は生涯非婚を決意しており、それを祖母に伝えたが、なかなか泣き止まずなだめるのに苦労した。

話の種や人生経験として受けても良いかなと思ったりもしたが、最初から断るつもりなのに記念受験か何かのノリで臨むのは相手申し訳ない。
それに断るつもりとはいえ、実際に見合いしようものならば祖母がまた大泣きしそうだった。
親は「受けるも受けないも好きにしたら良い。ただ断るつもりなら気を持たせないうちに返事をした方が良いと思う」という考えだった。
一応、釣り書きには目を通したら?ということで、見せてもらった。
渡された封筒には、高級紙に達筆の釣り書きと、ちゃんとしたスタジオ撮影したと思われる写真が入っていた。
年齢を確認した時「話を持ってきた人の顔も立てないといけないのかなと思っていたけど、安心(?)して断れる」と思った。
と、いうのも相手男性とは30歳近く離れていたからだ。
自分年の差婚自体特に賛否はないが、当時の世間的な考えからすると断りやすかった。
親に「お断りしておいて」と言って、それでもうこの話は終わりと思っていた。

後日、見合い話を持ち込んだ張本人である大工親方が私に謝りに来た。
未成年者だとは知らなかった」
「しっかりしたお顔つきなので、もう何年もお勤めしていらっしゃる方だと思い込んで、先方には良いお年頃の娘さんだと言ってしまった」
などなど、お世辞だか何だかからないことを言っていたが、まあ、正直な人だと思った。
当時、我が家は新しい住まい建築中で、親方はその現場を仕切っていた。
新築現場と自宅は同一敷地内であったため、遠目で私を見かけたことくらいはあっただろう。
「お、嫁き遅れの娘がおるやんか。相手ももう良い年だから丁度ええな!」とでも思ったのかもしれない。
「私、生まれつきの老け顔なんで大丈夫(?)ですよ」と返事しておいた。
ようやくこの騒動も終わって一安心の筈だった。

更に後日、人伝に相手側の話を聞かされた。
見合い話を積極的に募っていた母親は「未成年と知っていたら、お願いしなかった。向こうの娘さんが傷ついていないか心配だ」と仰っていたそうだ。
しきりに恐縮がる母親の隣で息子は「僕は19歳大歓迎だけどなあ」と言ったそうである
この親子に対してよく分からない、もやもやっとしたものが湧いた。
こんなことをわざわざ伝えてくる人にも、同様のものを覚えた。
「向こうは悪気なかったんだよ」と言いたかったのだろうが、私自身は「物好きな人もいるなあ」と驚いただけで別に傷ついた訳ではなかった。
せっかくだからお会いしてみれば良かったのに」と言いたげな口ぶりだったのも嫌だった。

何でこんな話を今頃思い出したのか分からないが、書くだけ書いてみた。
どうでもいい内容だから後で消すかも知れない。
因みに生まれつきの老け顔というのは事実である
おまけに産まれた時から頭髪が黒々と生え揃っていて、初産だった母親はたいそう驚いたそうだ。
そういった新生児はそれほど珍しくはないらしいが、頭部戦線だけでなく全身毛深いのが今も辛い。

2024-05-03

母の日だね

お母さんへの贈り物選ぶの楽しい

もういないけど。

私の母は転んでそのまま死んでしまった。

今は御仏壇お供えする品を考えてる。

生前、母が好きだったものを。

anond:20240421132347

核家族化が始まって団地暮らしアパート暮らしになり、部屋に神棚仏壇が置かれなくなったことを指摘する人は昭和中期にいました。筒井康隆短編日蓮が来た話で「仏壇がない」と言われた主人公アパートが狭いんです!」。

では日本の都会で狭い部屋に住む者は宗教を持たなくなったのか。

anond:20240421132347

核家族化が始まって団地暮らしアパート暮らしになり、部屋に神棚仏壇が置かれなくなったことを指摘する人は昭和中期にいました。筒井康隆短編日蓮が来た話で「仏壇がない」と言われた主人公アパートが狭いんです!」。

では日本の都会で狭い部屋に住む者は宗教を持たなくなったのか。

2024-05-02

母の日だね

お母さんへの贈り物選ぶの楽しい

もういないけど。

私の母は転んでそのまま死んでしまった。

今は御仏壇お供えする品を考えてる。

生前、母が好きだったものを。

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