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2018-06-16

[] 他人との比較自分確立する習慣が一因?

自分の知り合いで、性転換手術を受けて、男から女へ変わった人がいた。

彼(現在彼女)は、一般社会では頭の良い部類で、仕事でも優秀な人だった。

頭が良い代わりに、普通の人は気にしないような些細なことも思考対象にしていた。

考えすぎることで、悩みが増えていたようにも見える。

 

彼の幼少期から体験を聞くと、

  1. 美人姉妹に囲まれて育った。
  2. 見た目が女っぽかったので、学校では「オカマ」と揶揄にされて、いじめられていた。
  3. 他人との比較自分存在価値確立する環境にあった。

 

LGBT仮説

上記の一つ一つを個別に見れば、よくある話だと思う。

しかし、この3つが融合すると化学反応引き起こして、LGBTになるのではないか?と考えた。(仮説)

 

特にこの3つ目が問題だ。

自分他人比較して、自分存在価値規定する」という習慣は、自分を含め多くの人に当てはまる条件だと思う。

ここでは便宜的に、自他を比較して、自分存在価値規定してしま思考に対して、「相対的自己評価」と名づけよう。(文字数節約のため)

 

相対的自己評価

受験勉強洗礼を受けると、高得点を取って順位偏差値を上げる「ゲーム」にはまってしまう。

他人比較して、優位な自分をほめたり、劣等な自分卑下したりする。

 

他人との比較によってもたらされる自分存在価値の創出は、性的志向にも影響を及ぼす場合がある。

男は、女に対して「自分は女とは違う。自分は女ではない男である」という自認を形成する。

もしも、この世の中に女がいなければ、自分を「(女とは別の存在である)男である」という認識は生じない。

 

女との相対的差異により男を規定していると、比較対象が女ではなくなった場合自分性的自認が揺らいだり、変更されるほど大きなチェンジが生じる場合もあるだろう。

心理学でいう肛門期や、第2次性徴を迎える前の低学年のときは、同性同士の友情と異性に対する愛情境界線曖昧で、混同してしま場合もあると思う。

性的知識がないときは、キスセックスをしようという発想は伴わないが、同性の親友と一緒にいたい、仲良くしたい、という思い。

 

男が、他の男を比較対象として、自分存在価値確立する習慣を身につけたら、どのような影響が生じるだろうか?

男と男の比較は、男と女比較ほど大きな差、ギャップはないにしろ、同じ男同士でも同じ人間は2人といないので、やはり自分他人は違うと思うはずだ。

他の男と比較して、優劣を見出し、他の男の中に長所見出ししまった場合は、どうなるだろうか?

男でも、他の男を見て、「この男はカッコイイ」「この男は好きだ」という具合に、尊敬の念が膨らんで、好意愛情に発展しま場合もあるのではないか

自分が男だという性的自認が揺るがなければ、バイになるかもしれないし、自分は男だという性的辞任が揺らげばオカマになるかもしれない。

 

まとめ

読み返すと、うまく言語化説明できていない部分もある。

長くなったが、要点をまとめると、

  1. 受験勉強など学校での活動を通して、「自分他人比較して、自分存在価値確立する」という習慣が身につく。
  2. 自分性的自認を、異性と比較している場合は、ノンケのままでいられる。
  3. 何らかの契機によって、自分を同性と比較して、自分存在価値規定し始めると、自分性的自認が揺らいで、LGBT転向してしま場合もある。

という3ステップがあるのか?ないのか?ということが気になった。

 

俺の専門は、心理学医学ではないので、LGBTに関する研究論文はあまり知らない。

上記について、研究したレポートや参考情報があれば、教えて欲しい。

 

anond:20180616191232 他人気持ち理解すると、自分も同じになる恐怖

anond:20180616202224 Gだけど

anond:20180616201336

2018-05-19

オタク身長劣等感があるため攻撃なのだという説

オタクネトウヨロリコンが多い。他者への攻撃性はものすごく高いくせに、自分が傷つくことには敏感すぎるなどナイーブな一面も持つ。そんなとても厄介な人たち、それが現代オタクである

オタクの余裕のなさは何が原因になっているのかと考えていたのだけど、最近、低身長説を見て、これはそうかもしれないと思った。

自分中高生時代、イキってるオタクがどんな人物だったかと思い出してみたら、全員低身長だった。被害者意識が強くてすぐにキレて、粘着質でとても陰湿学力が高くなく、運動神経も平均以下。そんな人たちはみんな低身長だった。もちろん高身長オタクもいたのだけど、彼らの態度にはどことなく余裕があって、すこし作品批判されたくらいで動じることはなく、笑って受け止め、そこから楽しい議論になったりした。高身長オタクは何かあるたびにすぐにキレたりはしない印象がある。低身長オタク自分を守ろうという意識が強いのか、少しでも自分の好きなものについてネガティブ発言をされると、かっとなり、大声で早口でまくしたてていた。

身長コンプレックスだと他者に対して不寛容攻撃的になるということはあるのだろうか。オタク場合、「俺は世間のやつらの知らないすごいものを知っている。俺はすごい」という選民思想も持っているが、そういった熟成されたプライドの高さと元来からある自分容姿に対する強すぎるコンプレックス化学反応を起こして、あの厄介な人格形成されるのではないだろうか。「世間迫害されている俺が実はすごい」という被害妄想ファンタジー

今後の研究が待たれる。

2018-05-05

anond:20180503233322

誰かを責めたり馬鹿にしたり罵ったりみたいな話題ブコメが多すぎる。

スティーブン・ピンカーが、その仕組みを説明してなかった?

https://gigazine.net/news/20180130-bill-gates-favorite-steven-pinker/

ゲイツ氏の関心は、「現実はよくなっているのに、人々の見方は悲観的であり、そこにギャップがある」ということ。実際のデータは「過去より現在の方がよくなっている」と示しているのに、なぜ人は「過去はよかった」「未来は悪くなる」と考えてしまうのか、ということだそうです。

心理学者として、私にとってもそれは非常に興味深いことです」と語るピンカー氏。これは「ニュース性質」と「認知性質」という2つが化学反応を起こすためだと説明されています

まりニュースは「起こらなかったこと」ではなく「起こったこと」を伝えます。そのため「3月火曜日飢餓が減った」ということはニュースにならないのです。

なお、暴力は一貫して減少傾向にあるのに、なぜ私たちネガティブニュース固執し、悲観主義になってしまうのかという議論についてはハンス・ロスリング氏が「Factfulness」という著書で論じているとゲイツ氏は記しています

2018-05-02

アル中から山口達也さんのニュースに思うこと

山口達也さんが未成年を家に呼び出してキスをしようとしたということでニュースになっている。

「男の一人暮らししかも酔っていると分かっているのならそもそも家に行くべきではない」という意見もあるが、男はアイドルであり有名芸能人であり同じ職場上司のような存在だ。

10代の女性芸能人に呼び出されたら行ってしまうだろうし、親にも家に行くことは内緒にするだろう。

同じ職場上司(出演番組MCなのだから義理立てするために顔くらい出すだろう。

女性側に非はない。

山口達也さんの行動自体100%悪い。

それを前提として、伝えたい。

今回のニュースアルコールは切っても切れない

山口達也さんはアルコールとの付き合い方に問題があり、通院していたと会見で語っていた。

山口達也さんがアルコール依存であることで罪は軽減されないが、やはりアルコール依存性だったことがこの事件の肝だ。

(本人は認めてはいないがここでは断定させていただく)

アルコール依存性がどういうものか分からない人がこの事件について

「酔っ払ったとはいえ10代に連絡をするなんてことはしない」

自分だったら酔ったとしても、あん暴言を吐かない」

自分だったら多少記憶はある」というような意見を耳にするがそれはあくまでも

あなただったらそうだろう」なのだ

アルコール一部の人にとっては麻薬と同じくらいの影響を脳に及ぼす。

体質に合わないのだろう。

アルコールという物質大丈夫な人には大丈夫だけどもダメな人にはダメなのだ

普通の人はアルコール摂取しても少々陽気になるくらいで、ハメを外すといってもたいしたことはなく、楽しい気分になるだけで、

しか普段は飲まなくても別段差し障りないようなものだ。

しかし、一部の人にはアルコールは脳と化学反応を起こしたかのように大変な影響を及ぼす。

通常やってはいけないようなことをして、暴言を吐き、暴力を振るう、性欲の我慢が効かなくなる。

少量で止めればいいのにリミッターが外れ潰れるまでずっと飲み続けてしまう。

そして、記憶ほとんどなくなる。


酒を飲んである一定ラインを超えると瞬間的に写真のように記憶はあるのだが、映像では残っていない。

自分がなにをしたのか全く覚えていない。

ここまで人に影響を与えるのになぜアルコール規制されないのか

酒に溺れている状態の人を知っているのであれば山口達也さんの行動をつじつまが合わないとは思わないだろう。

「酒を飲んでいたのだからそういうこともあるだろう」という出来事だ。

それは「酒を飲んでいたのだから許してあげてほしい」ということではなく、

アルコールというのはそこまで人を変えてしまうのだから山口達也さんは徹底的に治療をしなければいないということだ。

「酒で罪を犯さない人もいるのだから酒のせいにするな。」ではない

酒で罪を犯してしまう人がいる。だから酒についてはもっと丁寧に向き合わなければいけない。

昼間からアルコールCMを流し、

酔っ払うのが目的バラエティーを未成年が起きている時間に流し、

コンビニ24時間アルコールを購入できる世界が異常なのだ

こんなに犯罪を増やしてしまものなのになぜ規制されないのか?

テレビの有力なスポンサー様だからじゃないの?

店に酒を置いておけばアル中お金を落としてくれるからじゃないの?

それっておかしいよ。

犯罪が増えるんだったらもっと規制しなきゃいけないじゃん。

戦争で儲かるからって武器を作ってるような、儲かるからって銃が規制できないような国と一緒だよ。

アルコール依存症は克服できる

最後自分のことになってしまうが、以前アルコール中毒で山口達也さんのそれに似たような症状だった。

酔っていないと落ち着かないし、休肝日は週に1日ほどだった。

お酒を飲むとき記憶をなくすほど飲み、友達暴言を吐いては翌日に謝り、四方八方に迷惑をかけていた。

どうにかしようとしてアルコール依存性を治すための施設を探したが、「手が震える」「日常生活に支障が出る」といった重度のアルコール依存性についての施設ばかりで

軽度のアルコール依存症について気軽に相談できる施設が見つけられなかった。

困って友達相談しても「そんなのはアルコール依存症とは言わない」「それくらいだったら大丈夫」ととりあってくれない。

結局、妊娠出産強制的お酒を飲まなくなってアルコール依存症は克服できた。

アルコール自分への影響が怖くて今ではお酒を飲むことができない。

日本にはもっと気軽にアルコール依存症を克服できるための施設があるといいな、と思うし、

アルコール依存症にもっと理解が深まれエスカレートして重度のアルコール依存症になる人も減るのではないかと感じている。

まとめ

2018-05-01

今日はアズレンの赤城さんのコスプレAVをお供にして、オゥナィニー

美人コスプレの似合う女優さんでした

髪をアップにしてるシーンをみたら、ギャル女優で清楚系じゃなかった

意外とギャル系もアズレンもいいなと思ったのでした

赤城さんいいねえ、このロングで前髪パッツンなのにちょっと隙間の開いてる髪型がすごいすき

髪色はてっきり黒髪だと思っていたけど少し茶色がかっていて、獣耳も相まって東方の影狼ちゃんみたいだね

かわいいコスプレでズッコンバッコンするAVが見たいので今後は食わず嫌いしないようにしよう


やっぱコスプレAVは意外な化学反応があって面白い

美人コスプレしても、イマイチ似合わない場合もあるし、その逆もある

メイクによってすごくハマることもあるし、そうじゃないこともある

「胸の再現度」はもうちょっと考えてほしいなあ、監督さん


ところで、コスプレAVばかり見ていると、だんだん自分欲情がどこへ向かってるのかわからなくなってきた

キャラへ向かっているのか?

女優のものに向かているのか?

綺麗に裁断された布切れに向かっているのか?

コスプレした女性」という「人妻」とか「女子高生」みたいな文化的タブーに向かっていのか?


う〜ん、AV1本でいろいろ考えさせられるし面白い

2018-04-21

anond:20180419142459

動物でも、人間でも胃腸の中で消化酵素というタンパク質食べ物を分解して栄養素を体内に取り入れやすくしている。これも、化学反応。唾液の中にはアミラーゼ、胃の中にはトリプシンという酵素が含まれている。

2018-04-19

anond:20180419141411

焼き魚を作ったら表面がこんがりと化学反応しました

こんな怪しいもの食べられません!

anond:20180419142220

そもそもその料理を食べて体内に入ると胃酸でバラバラに分解にされるという「化学反応」が起きるのであって

anond:20180419142459

有機反応(ゆうきはんのう、英:Organic reaction)は、有機化合物が関わる化学反応である

anond:20180419142220

嘘乙。これまで世界中で食べられてきた伝統料理ほとんどは有機反応のもの殆どで、化学反応を用いなければ作れない料理なんてほんのちょっとしかありませーん

2018-04-16

ハリルホジッチ

ハリルホジッチが目指していたサッカーというのは

というもので、ようするにハリルホジッチという人は「日本人選手バカ技術力がないがとにかく体力がすごくあり体が強い」という人達であると考えていたことがわかる。

しかハリルホジッチ解任後の新方針https://www.footballchannel.jp/2018/04/12/post265082/ を見ると

縦への攻撃というのも間違いなく必要ですが、タイミングなど質を上げていく。1対1の場面でもパワー的なことも要求したいですけれども、なかなかフィジカル的なことで戦えないこともあるので、別の角度から戦っていく。日本的フットボールというのはあるし、技術力を最大限に生かしたい。技術を生かして戦って、化学反応を起こして戦っていける強さを生かして構築していく必要があると思うし、自分自身もそう思う

とある。つまり日本サッカー協会自身ハリルホジッチと全く正反対日本人像を抱いていることがわかる。「日本人選手は体力がなく体が弱いが頭がよく技術力がある」と。

これ、果たしてどちらが正しいのであろうか。やはりハリルホジッチが正しい可能性が高いと僕は思う。実際に起きていることはこうではないのか。

人はたいてい自分のなかの能力の低い部分について根拠のない自信を持ってしまう。苦手なことについて正しい情報を得ることは難しいから、それにより自分位置を正しく認識できないのだ。

ではハリルホジッチで勝てたのかといえばそんなわけはないと思う。「お前はバカだが強いからとにかくバカでいいから犬みたいに走り回れ」などという態度で接する人間に従うような日本人がいるわけがない、というか人間全体でもそんなもんだろう。彼は人をおだてながら動かすという技術を持っていなかったように見える。またハリルホジッチは一点大きな見落としをしている。日本人バカなのではなく、頭がよく頭ごなしに何か言われるのは嫌だがかといって自分責任で何かを考えるのも嫌、という性質をもっているということだ。このあたりのことを見てうまくおだてていかなければ人間というのは動かない。


私はサッカーに何の興味もなくここ最近ニュースだけを見てこれを書いてみました、サッカーに詳しい人の採点を願います

2018-03-25

anond:20180324204110

伸びるかなと思ってたら伸びたな。

パラドクス哲学についての回答の1例を記す。

 

テセウスの船

ある物体オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき

基本的に同じである同一性アイデンティティ)と言えるのか?

これは「観測者」に定義依存する。

観測者が「テセウスの船であることを認めない」と主張した場合は、その観測者にとってその定義有効とされ、

別の観測者が「テセウスの船であることを認める」と主張した場合は、別の観測者にとってはその定義有効とされる。

そして広義的な定義多数決によって執り行われる。

この場合部品を置き換えられた結果の船を周知していながら関連者はテセウスの船である認識しているため、

これはテセウスの船であると言える。

ただし、これにはオリジナルテセウスの船自体主観性がないとする。

日常において構成物質が変わっているのにも関わらず同一個体として認識されているものは「人間である

物体としては焼け落ちた城を再建させた城についても同じことが言える。

この場合も周りの観測者が大阪城と認めるから大阪城定義できる。

 

水槽の脳

あなた体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか

正しい知識とは何か、意識はいったい何なのか・・・

これは仮定としては十分成立する。

反論として現代科学において脳にこのような仮想世界を作り出すために必要コンピュータを作り出すのは物理的に不可能だというものがある。

しかしこれは現実世界科学技術物理法則を元に論じられており、

水槽の脳実在する世界」においては別の物理法則や遥かに進んだ科学技術を持っているという仮定をするだけで条件をクリアできる。

映画マトリックス世界がそうであったかのように。

そのためこの世が仮想現実であるという主張に対して、完全な反論存在しない。

その説そのものが、科学的な進歩において何の有益性もないという科学者や論者がいるが、

その事実仮想現実論の否定とは結びつくわけではない。

 

哲学的ゾンビ

外面的には普通人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験意識クオリア)を持たない架空人間

哲学的ゾンビは存在可能なのか?なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか?

これに関しては解答不能である

人間とまったく同じふるまいをする、主観的意識を持たない哲学的ゾンビを作り出すために必要構成物質定義できないから、である

例えば魂と言われる霊的存在主観的意識人間のようなふるまいに必要不可欠であった場合哲学的ゾンビは成立しない。

魂の研究に関してはまだ発展途上の段階であり、最近になって発見されたクォーツなどのように、

仮に未だ見つかっていない法則や粒子が主観的意識構成する物質であり、必要な要素であった場合哲学的ゾンビは成立しないからだ。

まり主観的意識の有無が哲学的ゾンビの成立に関与するかどうかを科学的に証明できない限りは反論可能である

地球が平らであると信じられていた時代においては端にいくとその先に何があるか、という論議は成立するが現代では成立せず、

仮に魂の構成物質機能発見が終わった後にもまた、この問いかけは成立しなくなる。

私自身は魂がまだ未発見の粒子により構成されているという説が正しいと信じている。

 

スワンプマン

ある男が沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。

その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥不思議化学反応引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。

スワンプマンは死んだ男と全く同一の構造・見た目をしている。記憶知識も全く同一である

沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、

死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。

そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

人格同一性問題を考えるための思考実験

こちらもやはり主観的意識構成する物質存在し、

それがコピーできないもの代替できないものである場合

全くの同一性定義上満たしていないことになる。

職場家族スワンプマンと元の男を見分ける術がないが、

これは素人が本物とよくできた贋作を見分けることができない程度の認識問題となる。

 

また、仮に最初落雷がある男に落ちずに沼に2度落ちた場合は、スワンプマンを含めた男は計3名となる。

しかし3名全員の主観的意識はそれぞれ別個に存在しており、

その点だけをくみ取ってもスワンプマンたちに同一性は成立していない。

よって沼にはじめて来た男とスワンプマンは同一存在ではないと定義できる。

 

哲学において同一性テーマが語られることが多い。

これは魂・霊的存在主観的意識科学において未だに解明されていないことを意味している。

科学的に解明されていない余地があるからこそ、思考実験バリエーションが多く組まれる。

また、観察者の能力についても、人類は正確に把握できていない。

そのため主体性意識を持つ存在認識定義について論じない、触れない哲学も多くみられる。

観測行為観測する者の不在では論じれない量子力学最先端物理学においては必要不可欠であり、

哲学が未だ観測者の能力機能性について、正確に学問体系に組み込めていないというギャップ引き起こしている問題だと考える。

2018-03-24

シュレディンガーの猫」的な面白い哲学思考実験教えて

こういうの好き。




テセウスの船

ある物体オブジェクト)の全ての構成要素(部品)が置き換えられたとき

基本的に同じである同一性アイデンティティ)と言えるのか?



水槽の脳

あなた体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか

正しい知識とは何か、意識はいったい何なのか・・・


哲学的ゾンビ

外面的には普通人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験意識クオリア)を持たない架空人間

哲学的ゾンビ存在可能なのか?なぜ我々は哲学的ゾンビではないのか?


スワンプマン

ある男が沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。

その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥不思議化学反応引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。

スワンプマンは死んだ男と全く同一の構造・見た目をしている。記憶知識も全く同一である

沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、

死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。

そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。

人格同一性問題を考えるための思考実験




他にもいっぱいあると思う、面白そうなのあったらおすすめして。

2018-03-22

はー恋愛したいっすわ。

キミらは数を増やせとかナンパしろとか言うけど、ボクは安心が欲しいのね。ナンパして引っかかるようなお姉ちゃんに興味ないの。そもそも引っかけられないけどさ。

しかに、女なら誰でもいいんじゃないかってくらい声かけまくってる人たちもいる。キミたちの行動力はすごい。ボクにはできないか尊敬ちゃう。そんなに好きの閾値低くないし。性に合わないの。

恋人が居ても関係なしにアプローチして、取っ替え引っ替えしてる人たちもいる。そうやって得た恋人をキミらは信頼できるのだろうか。その恋人は、同じこと繰り返すとは思わないのか。或いはそんなもんだって割り切ってるのか。単なる遊びで、自分価値を確かめているのか。そういうの見てると、ボクは余計やる気なくなるんだよね。

ボクなんか奥手だし、テクニックもないから、両想いになるのって凄く難しい。好きな子からメッセージ来ず、どうでもいい子からはたくさん連絡きて、めんどくせえなって思っちゃう。どうでもいい子を好きになることってまずないから、好きな子だんだん好かれることもないんだろうな。

出会い場所ってどこにあるんだろう。街コンにも行ってみたけど、単に凄く疲れちゃった。知らない人と仲良くなるのは時間必要なのだ。30分やそこら話して、連絡先交換したところで、ピンと来ない。相手もピンと来てないよね。

そんなこと言ってたらいい年になってて、金もないし、もうどうしようもないっすわ。タイムマシンができたら学生時代のボクに会いに行って、ゲーセンなど行かずに恋愛をしなさいと啓蒙したい。昔のボクは素直に聞くだろうか。当時はなぜか、孤独に耐えられる強さがあった。

いい事ばかりじゃないんだろうけど、悪い事ばかりでもないんだろう。ドキドキした上で報われたい。でも、キミたちも好きな自己啓発の本には、人が関わる目標の立て方はよくないって書いてあるよね。

人との出会いって運なのかなって思う。幼馴染に才能あるボーカルギタリストが居なかったように、お互いに化学反応が起こる人に巡り会えなかった。あるいは、巡り合った上で失敗してしまった。うまく行かなくて、一生残る傷もある。

眠れないし、やけに寒い今日は。キミたちは理想が高いっていうけど、妥協するのも相手に失礼では。ソープに行くなんて論外だ。これは信頼関係を築きたいって話。相手にも行って欲しくないし、ボクも行きたくないんだよね。これは性欲が弱いことの証明で、だから奥手なのかもしれない。

いつまでたっても解決策は見つからない。餌なしで釣りしてる気分だ。キミたちに相方がいるなら、羨ましいな。うまく行ってなかったらザマーミロってかんじ。だれか助けてください。おやすみなさい。

2018-03-11

anond:20180311094116

ニュースネガティブ情報に溢れている。なぜか?

実際のデータは「過去より現在の方がよくなっている」と示しているのに、なぜ人は「過去はよかった」「未来は悪くなる」と考えてしまうのか

これは「ニュース性質」と「認知性質」という2つが化学反応を起こすためだと説明されています

ニュースは「起こらなかったこと」ではなく「起こったこと」を伝えます。そのため「3月火曜日飢餓が減った」ということはニュースにならないのです。

 

スティーブン・アーサー・ピンカー(Steven Arthur Pinker, 1954年9月18日 - )はカナダモントリオールまれアメリカ合衆国実験心理学者、認知心理学者。

言語自然選択によって形作られた「本能」あるいは生物学適応であるという概念大衆化したことでよく知られている。

 

ニュースは、確証バイアスを増大するためのツールから必要でないときは見なくてもOK

人はニュースを見なくても生きていくことはできます

2018-03-04

老害になってしまった自分

ライトノベルブーム記事を見た。自分認識では漫画ラノベももう売れなくなっててゆるやかに終わりつつあるジャンルという感じなんだがそうでもないのかね。年取ったせいで自分はもうああいうのは楽しめなくなったというか、小説アニメ映画も含めてフィクション全般バカバカしくて見てられなくなった。なんでこんなもんに熱中していたのか、時間無駄だったなと後悔している。

こういうことを言うとすぐ「時代についていけなくなった老害」だと非難されるわけだが、40代50代にもなって漫画ラノベアニメ小説映画かにはまってる人間は「老害」ではなくて賢い人間なんだろうか。たかフィクションを楽しんでいるだけの人間がなぜそんなに偉そうにしているのか。ある程度の年齢になればフィクションの底の浅さに気付くだろう。それでもまだ若い頃はそういう底の浅い陳腐ものをあえて楽しんでいたりもした。しかしそれも限界に達する。もはや底の浅い陳腐ものをあえて楽しむという趣味にも飽きてしまう。

真性オタクは底の浅い陳腐ものをあえて楽しむ趣味40代50代になっても依然として続けている。現代出版事情においては彼らのような真性オタク漫画ラノベ買い支えている。記事によるといまだにブームということらしいし、ますます拡大を続けているという。底の浅い陳腐ものをあえて楽しむ趣味を飽きずに続けている40代50代がこれからもどんどん増えていくんだろうか。

あえて「時代についていけなくなった老害」として言わせてもらうと、自分はそういう連中を不気味だと思うし、不憫だとも思う。しかし同時にすごいことだとも思う。その辺の底の浅いつまらない作家が書いた陳腐な作り話に熱中して子供のように感動してしまう真性オタクたちはある意味時間を超越した存在でもある。彼らは年を取らないし、永遠に子供と同じ感性のままで生きている。飽きるということがない。同じような感動ストーリーを見てもまるで初めてそういったものに接したかのように純粋に感動するし、「既視感牢獄」などといって作品批判をすることもない。彼らの漫画ラノベ体験はつねに新鮮で、生き生きしていて、色彩豊かで、刺激に満ちている。正直うらやましい。

話が飛ぶが、自分はもう人生に飽きてしまった。何をやってもつまらない。人間限界を感じるし、さらに壮大なことをいえば宇宙限界を感じる。毎日無力感との戦いだ。すべてが想定の範囲におさまってしまう。想像力の飛翔とも思えた漫画ラノベですらもう自分には何の目新しいこともない。どの作品既存の設定や筋書きの配列や条件や固有名詞ちょっと変えただけ。すべてが想定の範囲できれいに丸く収まる。想像力は飛び立つのではなく、磁力に引きつけられて大地に叩き落される。ああやっぱりそうなったか。飛ぼうとした人間はいくらでも見てきたが、結局だれも飛べなかった。

とまあこんなことを書いてみたが、こういう老害ぼやきすらすでにテンプレであって、こういう言説自体にすでに飽き飽きしている。そしてこういう文章に対してどういった批判がくるかもまた自分にはわかってしまうし、多くの人はそうなんじゃないだろうか。作品があり、老害から作品批判があり、作品批判する老害への批判がある、ここまでがセットだ。そしてこの一連のテンプレ的やりとりにすら飽き飽きしている。もしかしたらすべてのやりとりは簡単AIで十分なのかもしれない。飛べていると錯覚している真性オタクたちと飛べていないことを自覚している老害。飛べているという錯覚はいつでも想定の範囲陳腐さだが、飛べていないという自覚もまた同じくらいに陳腐ものだ。ここには弁証法的なものはない。反発しあう二つの力が化学反応を起こして何か新しいもの創造するわけでもなく、目新しくもないその場限りのテンプレ的反目が未来永劫断続的に続くだけ。端的に言ってすべてにもう飽きている。飽きていること自体に飽き飽きしている。

こうやって死を受け入れていくんだろうなどと最近は思うようになった。子供のころはなぜ人間は死ななければならないんだと苦悩していた。そんな理不尽があっていいのかと。しか自分も年をとってきて、人生に飽きてきて、だんだん死に対する態度が変わってきた。死は救いであるとまでは言わない。自分の中では死というのはそんなに肯定的で前向きなものでもない。死は眠りに例えられることが多いが、まさに穏やかな眠りといった感覚に近い。肯定でも否定でもない。ごぼごぼとあぶくの音がする。そこに自分がとけていく。

世界はとてもつまらなくなった。それは自分がつまらなくなったからだ。そういう反論は多い。たしかそうかもしれない自分はつまらなくなった。射精快感最近全然感じなくなった。ただ精液が弱々しく飛び出るだけ。初めて射精したときのあの凄まじい快感は一体何だったのか。あのころ自分が本当の意味人生を知ったのだと思った。射精のない幼少期はピントの定まっていない夢のように思えた。あの凄まじい覚醒感はなんだったのか。生きてるって感じはなんだったのか。いまはもう射精にも飽きてしまった。自分射精は想定の範囲におさまっている。天井まで飛んでいくように思えたあの青春はなんだったのか。

すべてに飽き飽きしていて、刺激に対して鈍感になってしまった。資本主義社会の虚飾にはうんざりしている。どうして馬鹿騒ぎできるのか、どうして楽しめるのか、自分にはもうわからない。つい最近オリンピックをやっていたが、当然まったく見ることはなかった。子供のころそんなものにワクワクしていたのはなぜだろう。

まあとにかく結論はない。昼食はカントリーマアムコーヒー。これだけは欠かせない。

2018-03-03

anond:20180303183713

開発系はそうかもしれんけど保守系は上げたがらない筆頭だよ

機能追加でもないのにおぜぜを払いたくないお客と化学反応起こすと

ビックリするほど放置されたシステムが出来上がる

2018-03-02

歌手田村ゆかりが好きだ

先日のバースデーライブに参加された皆さんお疲れ様でした。二日目しか参加できなかったけどやっぱり歌手田村ゆかりが好きなんだなと実感したライブだった。

ヲタクになったばかりの中学生の頃は、ゆかりんみたいな系統絶対に好きにならないだろうと思っていた。しか大学卒業を目前に控えた今、良い意味でこのざまである。とても楽しくて幸せだ。

声優肩書にしているゆかりんだけど歌手ゆかりんも非常に魅力的である自分の大好きなゆかりんを知ってほしい、というか大好きなゆかりんを自慢したい気持ちで好きなところを書きたいと思う。

まず歌。声が良い上に曲との相性がめちゃくちゃ良い。アイドルソングも好きだけど個人的にはバラードアコースティックアレンジなど落ち着いた楽曲が最高だと思っている。可愛らしくも深みのある声でそういった曲を歌われると、とんでもない化学反応が起きて「はひ……………♡」と思わず声が漏れしまレベルだ。

また、感情表現が最高に良い。ゆかりんバラードは切ない歌詞が多いのだがそれに対して感情を乗せた歌声が、元自体が素晴らしい楽曲の良さをライブで何百倍にも跳ね上げる。例えば、最新アルバム「PrincessLimited」に収録されているLostSequence。終盤に向かうあたりの悲痛さを含ませた歌声はあまりにも良すぎてそのまま成仏しかけた。今すぐ披露した横アリスポーツプラザ公演の円盤を売って欲しい。

次に衣装であるCDと違い目でも楽しめるライブで、あんなに素敵なドレスを纏ったゆかりんを拝めるのは前世でどんな徳を積んだのだろう。ありがとう前世自分。アップテンポの曲の衣装もヒラヒラフワフワで可愛さを極めているのだが、バラードアコースティックのコーナーのドレスは切なさやゆかりんの作る雰囲気をそのまま反映した幻想的なドレスなのである。以前からどこの衣装なのだろうと気になっていたのだが、先日のバースデーライブでBelugaのドレスであると話してくれた。ライブ終了後いの一番グーグル先生やインスタで調べてフォローする羽目になった。素敵なブランドを教えてくれてありがとうゆかりん

田村ゆかりライブは耳が幸せであるだけでなく目で見ても最高に楽しめる。自分の好みであるバラードアコースティックコーナーのことばかりを書いたが、それ以外のアップテンポや曲やMC、開演前のアナウンスに至るまでゆかりんは来場者を楽しませてくれる。次回のライブの予定はまだ分からないが、興味のある人は行って後悔しないだろう。

最後に、空白の2年の後も歌い続けてくれてありがとうゆかりん。あのときブログには歌うってあったけど、もしかしたらゆかりんはもう本人名義で歌うことはないかもしれないと思ってた。だから移籍して独立して歌うのを再開してくれて、涙が出るくらい嬉しかったのを覚えてる。ゆかりんのおかげで私はとても楽しいです。ありがとう

2018-02-03

anond:20180203180003

自分1人の考えでは、思考エアポケットにはまり堂々巡りで行き詰る。

そこへ他人の新しい考え方を導入すると、化学反応が起こって、新しいアイデアアウフヘーベンされる。

それが他人意見を聞くメリットであり、集合知誕生ではないか

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