はてなキーワード: 自己とは
一読して、同性愛をめぐる主題の取り扱いの薄さが気になったのだが、筒井亮太の解題に指摘があった。
「[...]実のところ、サリヴァン個人のセクシュアリティの部分は、後続する類書(本書もその例外ではない)において巧妙に回避され、正面きって論じられることが少ない。その点を鋭く指摘したブレッシュナー(Blechner 2005)は、サリヴァンの病棟管理実践をはじめとするさまざまな着想の背景には彼個人の同性愛(とその社会的苦境)が大きく関わっていると言う。ゲイを公言しているブレッシュナーのもとには、サリヴァンが記述しているような患者が多く訪れており、患者たちは周囲の「ホモフォビア」によって傷つき苦しんでいた。その臨床経験も含めて、彼は、サリヴァンの対人関係論を理解する上で、性欲同や同性愛の側面を除外せず、考慮するように強く主張している」(313 f.)
訳者はこの点(巧妙に回避されていること)をどのようにとらえているのだろうと思った(「ゲイを公言しているブレッシュナー」という書きぶり・・・)。
Mark J. Blechnerの論文は、ウェブ上で入手でき、『精神病理学私記』を読み解くのに有益な情報がいくつかあり面白く読んだ。
The gay Harry Stack Sullivan: Interactions between his life, clinical work, and theory
http://www.wawhite.org/uploads/PDF/E1F_2%20Blechner_M_TGHSS.pdf
同性パートナー、Michael Allenによれば街娼であった、を養子としたことや、相互フェラチオ、いわゆる「69」への着目の背景、意味(サリヴァンの著作表紙にみられる陰陽図を模したような白と黒の馬の頭部の図柄)等の下りが特に興味深かった。
調べると訳者はTwitterのアカウントを運用している様子。明らかに個人が特定されうる投稿内容なのだが、同氏を含め特定可能な仕方でSNS運用する心理臨床家は、自己開示をめぐる職業倫理についてどのようにとらえているのだろう。
俺は、女性の人権、性暴力による妊娠、胎児の権利、命の定義、産んだ側のその後、産まれた側のその後……、様々な論理的問題の限界点として中絶という制度は許容されるべきという考えなので中絶規制には反対だけど、中絶が許されるべきでないという価値観の人がいるというのは分からないわけではない。
命の定義は各国の法律や文化圏における死生観によって変わってくるけれど、それでも中絶が"広義の命"を殺していることには変わりないわけで、それを許されないと考える人がいるのは自然なことだと思うし、そういう考えも正義の一つの形だと思っている。
だから、自分と同じ中絶規制反対派でも中絶規制派を悪魔や異常者のように扱う人達の気持ちは分からないし、正直、そういう人たちの方が中絶規制派よりよっぽど恐ろしく感じる。
まあ、強姦されて妊娠させられる可能性が現実にある女性の立場からしたら自己の人生の救済としての中絶を禁止しようとしている規制派に怒りを向けるのは正統な感情だと思うけど、ただそれは正義の立場から悪に向ける怒りではなく、対立する他者の権利や正義を踏み潰してでも自分の人生を守らなくちゃいけないんだという生存競争の中での怒りであるべきだと思う。
何事も自分を中心に考え、他人については考えが及ばないさまをいう。自分勝手。利己的。
一般的に自己中心的とは、無自覚に自分が物事の中心であるとして世の中を見ているため、他人のことを考慮しない行動をする傾向を指します。
まず前半なんだけど
これに関しては、人間なんてしょせん自分の立場や見たり知ったりしている事でしか考えられないから、あたりまえの事だと思うんだよね
でも 後半の
これって「経験や知識がが少ない」、「ワーキングメモリが少ない」、「そもそも頭が悪いから、他人の視点を考える事ができない」
という頭弱者の事なんだよね……
例えば
というのは自分視点ではその通りだとしても、あいつでも自分でもない第三者が自分を見た場合に
「こいつブーメランしてんな」
と気付けるかどうか
それって頭弱者には無理だと思うんですよ
[名・形動]《「自己中心的」の略。「ジコチュウ」と書くこともある》何事も自分を中心に考え、他人については考えが及ばないさまをいう。自分勝手。利己的。
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E4%B8%AD/
一般的に自己中心的とは、無自覚に自分が物事の中心であるとして世の中を見ているため、他人のことを考慮しない行動をする傾向を指します。
口語では自己中(じこちゅう)と言われ、「わがまま」「自分勝手」「協調性がない」「他人への思いやりがない」といったネガティブなイメージを持つ人が多いかもしれません。そこには自己中心的な人の行動が「自分自身の利益のため」であるという意味合いが含まれています。
一方で、心理学者のピアジェが提唱した自己中心性は、発達過程で見られる幼児の考え方の特徴のことでした。自己中心性とは、物事を自分の立場または一つの視点からしか思考・認識することができない性質を指し、特にネガティブな意味合いは含まれていません。
5. 趣味 スキューバダイビング → ほぼほぼ自己中
初めてのデートの時、俺は車で行ったんだけど、
ファミレスで飯でも食おうとなって、
いきなり「ビール飲んでいい?」って、大ジョッキ頼みやがった。
食事中の話はもっぱらダイビングの話で...つまらんかったわ。
「ビール飲むと近くて...」っておい、初めてのデートでそれかよ、って感じだったわ。
変なこと思い出したな。
でも、多かれ少なかれみんな自己中だろ。
婚活のプロフィールなんだから、まず最初はどんな結婚生活、家庭にしたいかを書くんだよ!
「あたたかい家庭」とか「子供もみんな仲が良い家族」とか1文でもいいから
最初の目のつく所に「趣味は海外旅行で、主にヨーロッパのベルギーやオランダに……」なんて書いたら「この人は結婚しても海外旅行を続けるのかな」という事しか思わない
0. 友達が居ない
1. PMSでモラハラの鬼 → 発狂している時に、前と同じ人間と思ってはいけない。あれは獣なので逃げるしかない。一緒に生活しないとわからないので見分けが不可能。同棲中に発覚したらほんと逃げて。
2. 趣味 ライブ → ほぼほぼ追っかけ、追っかけは優先度が「追っかけ対象>>>>家族」なので、人生を振り回される、ほぼほぼ自己中
3. 趣味 スポーツ観戦で応援球団有り(サッカーや野球等) → 追っかけなので、優先度が「追っかけ対象>>>>家族」となり、人生を振り回される、ほぼほぼ自己中
5. 趣味 スキューバダイビング → ほぼほぼ自己中
自己はもちろん大切にしてお互い尊重するんだけど、その自己と家族をどこまでバランス良く調整するか、家族は最小単位の社会なのでその調整スキルがぶっこわれてる自己中と結婚するとマジで振り回されるて疲弊するので、本当に避けたほうがいいです
若い頃ならそこらへんを修正することができるけど、年をとると頭の柔軟性が無くなるので無理
特に早い人で25歳、遅くても35歳過ぎると自分の人生のスタイルや価値観が固まってしまうので、まったく知らない他人と0から一緒に生活するのが非常に難しくなってしまいます(これは男女共にです)
もちろん出来る人は居るけど、そんなコミュ力が高い人はそもそも結婚してるし、してない人は非常に少ないSSRなので婚活で見つけたら逃がしてはいけません
っていうか婚活で結婚できるのって、その数少ない自分と家族の調整ができる人だけなんですよね
追加で0に「友達が居ない」を入れました
元増田だけど、これの話かな。http://tarosoku.com/?p=266376
使ってる言葉が諸々正確じゃない(認可→登録査定、異議申し立て→無効審判etc.)ので、
この質問した人に説明を正しく理解できる知識があるかとか、自分に都合のいい解釈をしていないかとかは正直怪しいとは思うんだけど、
いろいろ今回の背景や流れを知った上で「悪意がある」と特許庁が認識するのはあり得る話かとは思う。
(なぜならこういった商標ゴロは昔からいるし、直近でも元弁理士が大規模な商標ゴロやり出して特許庁も手を焼いてるから。
でも繰り返すけど現段階で電凸で特許庁が自ら登録を考慮し直すことは制度上ないし(あったら自分だって日頃の業務で鬼電しまくって他社の登録商標を消したい)
業務妨害レベルだとその分心象も悪くなり得て不利だから止めるべき。
それに結局無効審判請求がされたとしても、特許庁は法に基づいて、請求人から提出された証拠で無効かどうか粛々と判断するので)
ただ、「取り消しの方向で再審査するつもり」はだいぶ本人の願望が入った聞き取りと思っていて、
『権利者からの異議申立(※正しくは無効審判請求)があれば、確約はできないが(審判の結果商標法に反すると判断されれば)取消の方向になる(と思われる)』
ぐらいの話だと思う。
(審判手続に関しては「審判官」という別部署の役職の人が権限を持つので、本来この部署の方が勝手に「取消の方向で再検討します」とは言えないはず)
先使用権→これか。柚葉自身も恐らく正しい理解をしないまま喋ってるね。
https://twitter.com/Yuzuha_YouTube/status/1526099665703227392
匿名の増田の方を信じろとは言わんので、解説してる弁護士法人のサイトを貼っておくね。
https://www.ishioroshi.com/biz/kaisetu/shouhyou/index/sensiyouken/
「その商標が自己の業務にかかる商品・役務(サービス)を表すものとして需要者の間に広く認識されていること」というのは
平たく言うと、『(ゆっくり茶番劇は)私自身が提供する商品(サービス)を表す商標として(=私自身のものとして)みんなに知られてました』という意味なので注意ね。
それを主張できる人って(自然発生したものだから、神主含めて)誰もいないと思う。
「法律で定められています」とは言うけど実際の法律は異なるので、法の裏付けもなくいつでもひっくり返せるただの口約束レベル。