はてなキーワード: 社会生活とは
俺は愛情の有無の判断に、「対象の人間が死んだら、きちんと悲しみを引きずれるか」、と常に自分に問いかけるようにしている
死んだその一瞬は、人間誰しもが「あーあ」「もったいない」と言った類の気持ちが込み上げてくるものだし、そういった悲しみの感情が出ることも反応として当然あるだろう
だからこそ、その感情の継続こそが重要だと俺は思っていて、社会生活をまともに送れなくなるほどに打ちのめされるのは論外としても、実質それくらいの感情の強さがないことには、人間として真に愛情を持っていると言い難いのだと理解している
両親の時はそれに失敗したので、定期的なセックスに至るまでの相手が自分の観測範囲内に入ったときは、必ずそうして本当に自分はその人間を愛せているのかを確認する
そうでないなら、一瞬の悲しみなんてすぐに消え去るし、顔も声も名前も思い出せなくなっていくものだから、すぐに分かる
偽りの気持ちを抱いたまま、表面上だけ愛を囁くのはあまりに不誠実だと思うし、そうやって条件をクリアした後に得られる感情こそが愛なのだろう
俺はそいつとは高校の時に知り合いだった。高校はそこそこ有名な進学校で、そいつは大学受験に失敗して、一浪してやっと私立大学に入った。
大学入ってからどうしてたのかは知らない。卒業してそれなりの会社に入って、数年後にヒキニートになって、それから自殺していたらしい。
同窓会でそのことを知った。今思えば、そいつは確かに社会生活に不向きだった。
発達障害なんだろうか、想定外のことがあってテンパると時折とんでもないことをしでかす傾向があった。そのせいで会社でなんかミスでもしたんだろう。
まあここから先が問題なんだが、そいつが死んだことでマイナスになるようなポイントが一つもなかったってことなんだよな。
同窓会では特に無風で終わったし、表面上は悲しむ風な素振りを見せながら、俺も含め誰もそいつの死を悼んではなかった。墓参りに行こうみたいな話も出なかった。
そいつの両親も、もちろん当初は悲しんでいたみたいだが、最終的に引越しをして、近所の悪い噂からも解放された。それなりによく暮らしているんだそうだ。
男の生きづらさみたいな話題が人気になってるから思い出したことを書いた。
これが男特有の生きづらさなのかはわからないが、男が死んだところで同情も引けないし、むしろ無関心や死んでよかったって空気にすらなりがちなところは、男の無情を感じたな。
最初に私自身について述べると、クリエイターとして飯を食っている人間である。
口幅ったいがプロを自称しても差し支えないぐらいの稼ぎと仕事だと自認している。
話題の生成AIについて、今後私達の社会生活のあらゆる場面に普及していくと考えており
私自身いつかは仕事のフローに生成AIにまつわる技術を意識的に組み込む時が来るのだろうと考えている。
その流れは是認しつつ、かといって生成AIを取り巻く現状を良しとするわけでもない。
何らかの法的規制あるいは運用上のガイドラインが必要だという立場にいる。
大別すればAI規制派であるが、スタンスは総論賛成各論反対、ぐらいの温度感で事態を静観していると思って欲しい。
昨今の反AIと呼ばれる先鋭化したアンチ画像生成AIの人々について
一人のクリエイターとして、かなりの危機感をもって眺めている。
重ねて言っておくと、私は決して”反”反AIではないし、規制を望む立場にある。
私自身、作品がAIの学習に使われているし、その漠然とした忌避感や嫌悪感も体験し、理解している。
おそらく反AI、と言った時点でその界隈の人々からは「反AIという蔑称を使うなんて話にならない!勉強不足だ!」と一蹴されてしまうのだが
皮相的な党派性にとらわれて本質的な議論を進めようとしない時点で、その未熟さ・幼稚さを露呈してしまっている。
勿論、所謂推進派と呼ばれる人々、AI使用者の非倫理的で冷笑的な振る舞いについても承知しているし、問題視している。
今現在、互いに互いの粗を探して吊し上げていることは大変残念に思う。
しかし現状、私がより不安視しているのは反AIの人々の振る舞いの方だ。
反AIの言動が過激化すればするほど、現実的な落とし所を決める意思決定の場で
規制を求める人々の声は届かなくなり、立場を危うしてしまうのでは…という懸念を抱かざるを得ない。
生成AIに関する問題意識を持っている人はどうか以下の項目について調べ、自分なりに咀嚼し十分に理解して欲しい。
・現在主流である拡散モデルの学習・生成機序を理解すること。生成物は学習した画像の切り貼りやコラージュではない。何十億という画像データを数GBに圧縮することはできない。
※学習データの画像にほぼ近いものを再現することがある、という海外論文を引用する人もいるが、プロンプトで狙い撃ちにしても再現されるのは天文学的な確率の低さである。
・著作権法・隣接権の概念や文化庁及び政府見解を理解すること。人・AIを問わず学習行為は規制されていない。「無断学習」という概念自体が現状では不当である。
・開発企業や使用者に対する非現実的な要求をしても事態は解決しない。
・成果物の類似性・依拠性(LoRAなど)については肖像権、著作権に関わる現行法で争う余地があり、対処可能である。これは手描きでもAIでも同様である。
・これまでに観測された諸問題は、厳密には使用者自身のモラルの問題であり、より正確に言えばSNSの問題である。
(誹謗中傷やLoRAによる嫌がらせ、ラフをi2iで勝手に清書された、自分の絵柄で性的なコンテンツを生成され誤認される…といった問題は、原理的にはAIがなくとも可能である)
公的に開示されている資料を読めば、概ね同じようなことは書いてある。
現状における事実或いは公的な見解であり、これらを推進派や技術者のレトリックと断じて耳を塞いではいけない。
彼らと同じ前提を共有し、同じ言語で会話しなければ、交渉のテーブルにつくことすらできない。
実際に手を動かすのは法を整備する政府であり、AIに携わる技術者だからだ。
規制を求めるのであれば、彼らの認識を正すのではなく、事実の解釈で争うべきだ。
”お気持ち”で戦える段階はとうに終わっている。
おそらく、私のこうした声もポジショントークとされて届かないのかもしれないが。
警察行政法と言う空間を作ってそこに目的とものを定義して、適当なコンパクト台の、f(ーθ)=f(θ)となるような偶関数で、∑の2^k=1となるようにダイレーションしたものを考える。
つまりそこに権利義務関係の性格を入れて、適当な規定を埋め込ん(Embedded)で、埋めこんだ規定を構成して、裁判官と警視総監は、その埋め込んだ規定を個別の事案に
適用しますね、それがその規定に基づくか。え?で、そういうことをすると志村消防署のオレタチが困るのでそういうときは背後にオレタチが湧いてきて
いやこのアパートと言うのはですね、人間社会生活に必要な住居という概念になんか、石と言う表見的に関係ないものが合体したものなので、ただのものではなくて、できるものです。
んでそこにできるものがあって、その出来るもの自体を要するに構成する。そこで適当な無限遠点をもってくると、これが遠いところで非常に悪い分岐をしている。ここで数論的に、swun-conductor
テレビでは、女性主人公でキラキラ系でフェミってるのがかっこいい系がドラマでよく流れる。男をボコボコにするとかっこいい。
ticktockやyoutubeでは、ハイスペイケメンに囲まれた爆美女が可愛い〜とおだてられてる。
こんなんで育った女性に、「ホイ、お前と釣り合うのはこの弱者男性だぞ〜」って見せられたら当惑なんてものじゃ無いだろう。
何を見せられてるんだ、そんなもの見せられることすら不愉快だ!とそりゃなる。
まあ、まともな頭をしてれば、小中学校くらいで、「ブス、メンタル弱い、まともな社会生活できない」と弱者女性であることを理解するのかもしれない。そして、何とか努力して、最低でもMARCHに行かなきゃ人生終わると理解できるだろう。
しかし、これが理解が遅れて、高校くらいで気づいたら、もう悲惨だ。
高校といえば、JKである。JKブランドではしゃぎまくるのが、女の人生の華であると、ドラマでも漫画でもticktockでも言ってるわけだ。
そこで、勘違いして、ハイスペのセフレ or 干物女(ヒステリー)が始まる。
高校で、ゴミカス扱いを受けて、目が覚めてももう遅い、必死に努力したまともな弱者女性はMARCHでクラスチェンジするのに、本人は努力が遅れてしまった。
馬鹿にしてた弱者男性もMARACHに行ってしまうと2度と接点がなくなる。
親が太ければFランで同列の男性と馴染めるかもしれないが、それでも目が覚めない頭悪い弱者女性もいるか。
親が太くなければ、あとはネットで見てる哀れな弱者女性が末路。
弱者女性を救うには、10代前半、できればアンダー10歳で「お前はブスで発達で、キラキラの生活は100%無理だ、チー牛男性で妥協しろ」というしか無いだろうが。それは人権侵害だろう。
日本ではなかなか見られない、本質をついているまともな意見ばかりで参考になる。
共同親権を先に導入してきた彼らを見習って日本も後に続いていこう!
/r/japan/comments/1c591sx/japan_lower_house_oks_bill_to_allow_joint_custody/
C0rvette
これは非常に嬉しいことだが、私はインスタグラムのコメントで、それに反対する日本人女性たちと命がけで戦っていた。男には何の権利もないし、子供を育てる能力もない、というのが定説になっているので、とても憂慮しています。
Previous_Refuse8139
C0rvette
そのほとんどは、暴言と身体的虐待に関する同じような投げやりなコメントが中心だった。
私は、裁判所はそれを考慮するだろうし、虐待する女性もいろいろなタイプがいる、と反論した。
さらに、その人が良い親であれば、とにかく離婚はしないというキックバックもあった。
すべてのナンセンス
Tsukiyo_Hitori
CDPが家庭内虐待を懸念して法案に規定を設けた後も、彼らは法案に大反対し、ツイッターなどのSNSで大騒ぎしていた。その時点では、子どものことではなく、男性に対するある種の「仕返し」が目的だったのだ。日本に蔓延している社会問題やジェンダー問題(特に女性)は理解しているが、このような話題は取り上げるべきものではなかった。
C0rvette
MktoJapan
C0rvette
EvenElk4437
tokyoevenings
なぜ反対なのか?
EvenElk4437
単純な党派性。これもあると思う。今、自民党の支持率が下がっているので、ここで大きなムーブメントを起こしたいという思いがある。
少し前までは多くの人が賛成していたが、今は反対する左翼が多い。
liatris4405
というのも、男女の性役割分担について、日本と海外では認識のギャップがあるからだ。海外の人は、日本は男尊女卑の国だと認識していますが、実際は男女の性的役割分担が非常に強い国だというのが正しい認識だと思います。性役割分担が強いと聞くと、外国の人は「女性は家庭に閉じこもってお金がない」と認識する。しかし、実際はそうではない。
日本の女性は社会生活において一定の権力を有している。その一例が、この親権に関するものだ。日本では、母親は子供に対して非常に強い親権を持っているが、男性は基本的にそのような権限を持っていない。そのため、女性が夫を気に入らない場合、子供を連れ去り(実質的には誘拐)、自分が親権を得ることができる。これは、たとえ子どもを連れ去られたとしても、母親が親権を得る確率が非常に高いからである。
その結果、日本人女性が外国人男性と結婚して子供をもうけた場合、その外国人男性と不和になれば、子供を引き取るという選択をする可能性がある。男性が外国人女性と結婚して子供を連れ去ることはあり得るが、これは非常にまれなケースである。
日本のフェミニズムは、このような女性の強い力を維持するために、さまざまな場で活動している。政治の場でもマスメディアでも活躍している。そしてフェミニズムは左翼政党と強く結託している。典型的な例は、日本キリスト教婦人矯風会(https://kyofukai.jp/)という組織で、日本共産党と強い結びつきがある。
その結果、左翼(あるいはフェミニスト)の日本人は、母親である日本人女性の権力維持に寄与しない政治活動に反対したり、あまり支持しなかったりする。
Elvaanaomori
最近、妻とその話をしているんだ。ここ3~4週間、彼女はインスタグラムやツイッターでアンチグループに溢れかえっている。
「共同親権から子供たちを守ろう」と、他国ではどうなのかというフェイクニュースを流す母親たち。
「フランスでは13歳の少女が父親から性的虐待を受けている blablabla」とんでもない、こんなことが起こるはずがない。
子供たちが両方の両親と良好な関係を持つことを妨げてはいけない。もし夫婦を保てないのであれば、それは子供たちではなくあなたの責任だ。
MyStateIsHotShit
夫が酔いつぶれるまで待ち、DVを警察に通報し、離婚を申請し、(大半の場合)子どもを手元に残すことができる。
父親は養育費の支払いに追われ、うつ病になり(文字通り、腹黒女に子供を引き離されたのだから)、悲しみに暮れる。
そして、男性にとっての純粋な悲しみは、弁護士軍団を雇い、私立探偵を雇って合法的に元彼をストーキングし、何百万ドルもの資金を投じて数年にわたる訴訟を闘わせ、子どもを引き留めることができる超富裕層によってしか防げないということだけは、もっと笑止千万である。
さらに悪いことに、男性が子供を手元に残すための他の農民レベルの富を得る方法は、元妻が臨床的に精神異常で動揺しており、裁判官が親権を与えてくれるよう祈ることだ。
ReindeerPlayful8797
興味深いことに、日本のフェミニストたちは、妻が家にいて夫が外で働くという日本の伝統に由来する考えにもかかわらず、単独親権は「女性の権利」の一部だと信じている。また、女性の権利という点では欧米が進んでいると漠然と信じているため、欧米人の(白人)ボーイフレンドや夫には、欧米から見れば超保守的な「フェミニスト」的態度をさらに示す傾向がある。外人の夫が一人で稼いだ家計をすべて管理しようとするのは典型的な例だ。
Just_Cruising_1
待てよ。日本人男性は以前、自分の子供の親権を持てなかったのか?なんてことだ。不公平だ。法律が変わるのは素晴らしいことだ。
そりゃあ驚くよね!
いまさらやっと導入して、しかもそれに反対してる勢力がいるんだって?
法律が変わるのは素晴らしいことだ!!
【人権TODAY特別編】トランスジェンダーのこれまでとこれから(高井ゆと里) - 荻上チキ・Session~発信型ニュース・プロジェクト | Podcast on Spotify
どういう内容に触れるのか興味があったので聞いてみたが、
トランスジェンダーは存在している、当事者のリアルを想像することが重要だと言うだけの内容だった。
所謂「トランスジェンダー問題」の論点には触れておらず、社会問題の解決策に繋がる要素は一切なかった。
これを報道するTBSの報道機関としての姿勢にも疑問を感じる。
と説明するが、社会の期待と違う生き方を強いられるのはフェミニストをはじめジェンダーロールに反発する男女も同じだ。
定義がないというTERFの批判を無視して、トランスジェンダーを説明する用語を、以前より曖昧なものに変えることで、トランスジェンダーに対する社会の理解がより進むとはとても思えない。
トランスジェンダーの定義がないという他称TERFの論点をのらりくらりとかわすためだけの詭弁に聞こえる。
身体の性はトランスの人の状況を考えるときに役に立たない。M2Fの身体は多種多様。
身体は男というと全部見えなくなってしまうので良い言葉ではない。
性移行も性転換手術だけでなく、生活する性を移行したり、手術を受けたり様々ある。
社会と接点を持つとき、特に従来性別学的性別で分けられてきた領域に関わるときに身体の性は重要という論点に一切触れない。
自分たちにとっては役に立たない論点は無視するという他者視点が全くない主張。
この手前勝手さも、社会のトランスジェンダー理解を逆方向に進ませるのではないか。
GID=トランスジェンダーかのように説明する詭弁。正しくは「該当する」ではなく「含まれる」。
性別変更治療を必要とするGIDをくたばれと批判してきたGID以外のトランスジェンダーの存在を隠蔽化している。
まずGID以外のトランスジェンダーとは何かという定義を明確にすべきだろう。
もちろん存在しているだろう。だが、定義が決まらないと数も人口構成比も算出値に意味がない。
実際に出会ったとき、その人がトランスジェンダーかなりすましかを見分ける方法がない状態では、生物学的女性と全く同じに扱うことはできない。
アンチトランスを、当事者のリアルを把握せずバッシングしているバカという前提で作っている内容と見せかけて、トランスアライに対する洗脳強化コンテンツとなっている。
これを聞いたアライたちは、アンチトランスに対し「不勉強」を繰り返すだけだろう。
それは本当にトランスジェンダーのためになるのか?
同性愛者の遺伝子を調べた結果、特定の遺伝子が同性愛行動に影響する割合は1%未満だという。
https://www.bbc.com/japanese/49520044.amp
性的指向は獲得性質らしい。どちらの性を愛するようになるのかは環境要因で変わる。ノンバイナリーのように特定の型にはまらないというのも、あり得る話。
戦国時代の大名の多くが両性愛者だったという話もある。社会生活において同性愛志向が必要な場合、多くの人間は習得できるということだろう。
同性婚に反対する保守派は、自分たちの子や孫が同性愛者になるのを恐れている。同性愛者が当たり前に生きていける社会になれば、同性愛指向を身につける人間も相応に増えると想像しているためだ。この危惧はもしかすると正しいのかもしれない。
診断に行ったけどADHDじゃないって言われて惨めな気になって終わった話。まぁでも学ぶこともあったので、同じような気持ちの誰かの参考になるかもと思ったので書き留めておく。
仕事が何も上手くいかなくて落ち込んで、もしかしたら自分は軽度のADHDなんじゃないだろうかと思った。なので、とにかく一番近い病院を予約した。
診断でADHDじゃないと言われるのは怖さもあった。けど毎日苦しすぎてとにかく誰かに助けを求めたかった。例え結果がADHDではないと言われたとしても、鬱屈した気持ちを抱えたままよりかは、専門家に何かしら助けを求めた方が良いと思った。
一応ネットでその病院がADHD相談を受け付けているかどうかは確認していたが、検査まではやっていなかった。
予約した時点で聞いておけば良かった。完全に自分が悪いのだが、惨めな気持ちになって自己嫌悪が深まった。
検査はできないが話は聞いてくれるようなので、診察は受けることにした。
最初にこんなことを聞かれてたので、仕事でミスをしていたことと、今は出社できていることを伝えた。
素直な気持ちを言うとショックだった。全然深く聞いてくれないうちから言われても、お前に何がわかるんだと言い出したくなる気持ちだった。
先生としては問題なく出社できていることと、席を立ったりせずこうして診察を受けれていることからADHDではないと判断したみたいだった。
その後、軽い質問があったが「仕事に慣れなくて疲れが溜まってるんでしょ?」「出社できてるなら大丈夫だから」と言われた。自分の欲しい答えがもらえなかった自分は、もう先生の言葉を素直に聞けなかった。
自分の状態を決めつけのように話されているようにしか感じなくてその場で泣いた。泣きながら早く帰りたいと思った。
なんでもいいから早く終わってほしくて、全部「そうですね、そうだと思います」で返した。もう悩みを話す気になんてなれなかった。
診察時間は10分かそれに満たないぐらいだったと思う。会計で2000円ほど払った。
別にADHDじゃなくても良かった。それきっかけでなにか相談のとっかかりになればいいと思っていたが、結果は何もなかった。
非常に惨めでしにたくなったが、今冷静な頭で振り返るとまぁ学びはあった。
・まず診断を受けたいと思ったらちゃんと予約時点で診断をやっているかどうかを聞くこと
・おそらく診断を受けた方がよい人というのは、薬の力を借りないと日常生活が難しい人のこと。
→精神科と心療内科とカウンセリングで何やら色々違うらしいと後から知った。病気に対する治療が必要なら診断を受けた方がいい。
逆に私は会社に出社するという日常生活はできているので、治療よりも誰かに悩みを聞いてもらうカウンセリングというものの方が必要だったのかもしれないと自己分析した。
何もかも嫌でとにかく楽になりたくて病院に行ったが、診断書を貰う目的を何も考えていなかった。
私は日常生活をなんとか送れているので、相談できる人が欲しいと思っても、診断書が必要なサービス(障害者雇用とか薬とか)を受ける必要はない。ここに気付けたのは良かった。
なので、セカンドオピニオンは受けなくてもいいかなと思っている。次は診断ではなく、どこかのカウンセリングを受けたいと思っている。
もし自分はADHDかもしれないと思っている人がいれば自分は診断書が必要かどうかを一度考えてみるのも手かも知れない。思いつきで診断に行ったって惨めな気持ちになって終わるだけだから。
【追記】
勢いのまま書いた文章に反応ありがとう。思ってたよりも人に見てもらえてびっくりしている。
いろんなコメントを貰って自分の中の視野が広がったので本当にありがたい。
最後は尻切れトンボのように雑に終わらせてしまったのでちょっとした補足と、貰ったコメントへの返信をしたいと思う。
→これは本当に心を救われた。大人のADHDに対する理解は想定してたよりも世間で進んでなくて、みんな通る道っぽい。そんなもんなんだと苦しさが小さくなった。ありがとう。
ちゃんとした知能検査を受けてADHDではなかったとしても自分の特徴を知って対策を練れるのはいいなと思ったので、めげずに検査できる場所を探すのもありかも知れないなと思った。
→個人的な感情を正直に言えば碌に話を聞いてくれなくてむかついたのだが、医者としての判断は正しかったんだろうなとは思う。
働けてるのに「病人」になって働けなくなったら元も子もない。薬についてはまったく詳しくないが、副作用の話などもよく聞くのでそれで出社できなくなるのは確かに嫌だ。医者が患者を増やしてどうする的な。
それはそれとしてヤブというコメントを見て感情は幾分かスッキリした。先生すまんね。
→これは本当にそう。今考えると冷静じゃなかった。
仕事で滅入ってる時にたまたまADHDの話を見て、もしかしたらこの辛さはADHDだからなんじゃないか?そうに違いない!という思い込みというか、縋るような気持ちで検査を受けてみたいという発想に至った。
(ネット上にいっぱいあるセルフ診断を受けて可能性があるという結果だったのも一因)
後、これは完全に自分の甘っちょろい考えなんだけど、例えADHDじゃないと言われても「ADHDな気がするんです」→「結果は違いますね。ですが、増田さんに困り事はあるのは事実なので、別の方向で一緒に考えていきましょうか」みたいな流れでなんとかしてくれないかなと思ってた。漠然となんとかなりたいって気持ちだけで持っていって後は丸投げなんだから嫌な患者すぎる。
→これは今回受診して初めて気付けたことだった。医者はあくまで薬という手段で治療を手伝ってくれる相手であって慰めてくれる相手ではない。慰めや相談が欲しいならまずカウンセリングなどを受けるべきだったと思う。
今後大事にしたい考えとしては「目的を持って受診をしろ」ということだ。
本文にも最後に書いたが、この目的意識に関する話をコメントでも多く貰った。
漠然となんとかしてくれるなんて気持ちで受診するのはよくない。
(これは自戒なので否定的に書いたが、助かりたいと漠然とした気持ちでも誰かに相談するのも悪いことではない。しぬよりはマシだし、相談する一歩を踏み出せるのは偉いと思う)
どこかの本でも書いてあったが、診断をもらったとしてもそこがスタートであってゴールではない。診断書を貰って障害者雇用に回ったりだとか、薬を飲んで社会生活に戻りたいだとか、そういう具体的な未来像がないといけない。手段と目的をすり替えていた。
改めて今後の自分としては、カウンセリングでまず自分が何に悩んでるのかを具体化して、その悩みが努力だけでは解決できにくいようであれば、セカンドオピニオンに行ってみようと思う。
発達障害のコミュニティなどがあることもコメントで教えてもらえたので、そういった場にいくのもあり。
自分と同じように「ではない」判定を貰ってる人も沢山いるだろうから、この話がなんらかの手掛かりになれば嬉しい。厳しい道だけどお互いになんとかなろう。
ちなみに川で泣くの割と良かった。家だと布団に引っ込んで出勤までの時間があっという間だが、外だと時間がゆっくりでいい感じ。外出るの大事信者の言い分が分かったわ。
「増田!お前それはADHDだよ!」と同意を貰いたい訳ではなかったので省いていたが、自分がかも知れないなと思った要因を書いておく。似てる人はあるある〜ぐらいにでも思ってくれ。多分不注意が強いタイプ。
・締め切りがあるものをギリギリまでやらない。夏休みの宿題は最後まで忘れましたで通した
・「次は〇〇の作業をするぞ」→PCのフォルダ開く→「何しようとしてた...?」(しばらく考えたら思い出せる)
・上司から指示を受けている途中、後ろで誰かが話しているとそっちの会話を拾って上司の声を拾えなくなる
・議事録の作成で何度も見返すのだが、上司チェックを通すと誤字が見つかる(しかも直した筈の箇所が直ってなくてアレ?になることもある)
・人の前では多動っぽい症状はでないが(親に昔怒られたので)、一人の時はつま先を揺らしたり手首揺らしたりなんらか動いてる。人前でも感情が昂ると揺らしてしまう。
・優先順位がつけられない。新しく仕事を頼まれるとそれに集中して、それまでやってた仕事を忘れる。(備品整理してる途中に別の仕事任されたんだけど、床に備品出しっぱにしてて怒られた)
・自分はADHDだ!と思ったら、その日の退勤後に即病院に足を運ぶ。ワンチャン予約なしで見てもらえないかなと思った。そんな訳ない。(思いつきと衝動)
他にもあるけど大体こんな感じ。
基本的に自分はやらかすと思っているので、その前提で動くことでなんとかギリギリクビになるような大ポカはやらさずにすんでいる。
部屋出る前に部屋を一望する(物を出しっぱにしてないか)、帰る前にポケットに手を突っ込む(会社の物を持ち出してないか)とか。
そんな感じでなんとかやってたんだけど、ここ最近は特に上手くいかないことが多くて悩み、一番上に戻るという感じ。
構ってもらえたのが嬉しくて長々と書いてしまった。
見てくれてありがとう。
【最後の補足】
このまま締めようと思ったんだけど、書き方が悪かったのでこれだけ補足しておく。
今は自分がADHDであるかどうかということは考えていない。一旦棚上げしてる。
ADHDじゃなくて鬱とか他の症状なのかもしれないし、普通に仕事がキャパオーバーで落ち込んでるだけかも知れない。
なんでこんなに辛いんだ?っていうのをカウンセラーと話して見つけてくるよ。
社会性には二種類ある。一つは「筋を通す社会性」で、法律や礼儀を守り、社会のルールに基づいて適切な判断と行動をする能力のこと。もう一つは「妥協的な社会性」で、本当は筋を通したいが地位が低いため妥協するしかない種類の社会性である。
筋を通す社会性は自分の地位や人脈、能力の範囲内で発揮され、責任が重い仕事をしている人ほど求められる。一方、妥協的な社会性は地位が低い人ほど求められ、長期的には損をする行為である。
理想的には可能な限り筋を通す社会性を発揮し、必要に応じて仕方なく妥協的な社会性も発揮するのが健全な状況である。豊かな暮らしを実現するには筋を通す社会性が必要不可欠である。
過干渉ヒスママは筋を通す能力が低いため、子供に妥協的な社会性を求めてしまう。過干渉ヒスママにとって社会性とは「自分のご機嫌を取ってくれること」である。
一部の先生も妥協的な社会性を子供に求める。習っていない方法で問題を解いたら間違いとするなど、質の低い妥協的社会性を教え込もうとする。
このような環境で育つと、「自分にとって正しいこと」と「自分がどう行動すべきか」が分離してしまう。健全に育った人には理解できない、病的な発想になってしまう。
妥協的な社会性を発揮すると短期的には揉め事が減るが、長期的には損をする。筋を通せるなら通した方が良い。しかし、過干渉ヒスママに子供の意思を尊重するような高度な感情はない。
過干渉ヒスママや一部の先生から質の低い妥協的社会性を教え込まれた子供は、「自分にとって正しいこと」と「自分がどう行動すべきか」が分離してしまう病的な発想になってしまう。
筆者自身の経験として、勉強の無駄を省いて成績を上げたが、新しい先生から「手を抜きたいだけではないか」と言われ、反抗すると陰湿に虐められた。親も先生も言葉が通じないため、塾を辞めることができず、妥協的な社会性を発揮した結果、「このタイミングでは〇〇するべきなんだろうな。。。で、私は何をすれば良いのだろう?」という発想になってしまった。
妥協的な社会性を身につけると、短期的には揉め事が減って得をするが、長期的には損をする。筋を通せるなら通した方が良いが、子供には人権がないため難しい。
困難な状況に陥ると、「自分に問題があるから困難な状況に追い込まれている」と考えてしまいがちである。しかし、これは落とし穴である。
「きっと自分がおかしいんだ」と思った時、寄ってくる人間は「だからお前はダメなんだよ」と説教したいだけのクズである。彼らは確実に勝てそうな相手を選び、マウンティングすることで自尊心を満たしている。
偉そうにしているが、冷静に彼らを見てみると大したことがない。筆者にマウントしてきた人物は、大学を留年しているくせに「高学歴の底辺よりFランのトップ」と言ってきたが、これは認知が歪んでいるから出てきた言葉としか思えない。
罠1で妥協的な社会性を植え付けられ、罠2でクズから説教されるため、底辺に陥った人間に必要なのは「周りの意見を無視して自分が正しいことをしてみる勇気」である。
自分に問題があると思うと自分を信じられなくなるが、そのような状況で自分に向けられるアドバイスはクズの妄言なので、自分の考えでなんとかするしかない。
まずは自分で考え、自分の考えの通りに行動することが重要である。その過程で適切な社会性を身につけることができる。そうすれば、バイトが務まる程度にはなり、普通に働ける程度にはなる。
人は自分の経験したこと以外は共感も理解もできないため、底辺に陥った弱者男性の状況を適切に理解してアドバイスすることは難しい。
機能不全家庭に生まれ、複雑性PTSDを抱えると人と関われなくなったり、社会生活が困難になったりする。そのような人が人間関係を築く方法は、人間関係を形成するときの目的に注目することである。
新しい環境に移動すると、初めは「新しい環境の人と仲良くすること」が人間関係の共通の目的になる。次に、「自分の趣味を共有したい」「自分の身に起こった面白い話を共有したい」などに移行する。
しかし、人間関係にブランクがある人は、「健全に生きてきた人が何を考えているか知りたい」「新しい人と仲良くしたい」といった目的で止まってしまう。そのため、最初は仲良く話せても人間関係が続かなかったり、ぎこちなかったりする。
人間関係を形成するときは、相手との共通の目的を持つことが重要である。目的に注目することで、人間関係の改善が期待できる。
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素直に読みづらかったのでClaudeに突っ込んだ。満足。
19歳の時から抗うつ剤(パキシル)を服用していて、今で5年目になる。
薬が効いている時には希死念慮も収まり、それなりに社会生活を送ることができる。
ただ、飲み忘れなどで薬が切れてしまうと途端に希死念慮は再発する。
自殺すると親兄弟に少なからずショックを与えてしまうだろう、という一点のみでこの世にとどまり、薬を飲む。
そんな状況を顧みると、薬を飲んではじめて、私は"人間"としてプレイすることができるんだなと思う。
通常プレイだと、無数の「死んだ方が早い」というポップアップが思考の画面を占拠している状態だ。
他のことを考えようにもメモリがポップアップ群に使われてしまっており、できることは殆どない。
希死念慮ポップアップはかつてのブラクラのごとく、消しても消しても復活する。
発生速度が1/100くらいに減り、まあ対処できるくらいにはなる。
本来自力で対処すべき課題を薬の力で見て見ぬふりをしているだけなのではないか。
"薬が効いているときの自分"を土台に築き上げた人間関係や経験は、薬をやめたらすべて崩れ去るのではないか。
本来、"本当の自分"は薬を飲んでいない状態なのだろうが、社会や世間は薬が効いているときの自分を期待するのだから、仕方がない。
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俺は家族に男だから女だからと優遇も差別もされた記憶はないし、学校でもあんま(もちろん小粒なのはあるが、そこまで露骨かつストレートなのは)なかった。
女性専用車両とか、女性だけ着替えにキレイな建物があてがわれるのも納得する。性的価値が違うからね。
ただ、大学の女子枠とか、男女の親権とか、女性管理職の割合とか、そういう制度自体で露骨に男女差つけてこられると、「不平等」と思う時が正直ある。
特に大学の女子枠なんかは、医大の女子一律減点みたいなものと何も変わらなくてガッカリした。女子一律減点で炎上した医大あったけど、あの医大が男性医師増やす為に男子枠作っても文句言えないじゃないかよアレ。
でもネットでこういうこと言っても、「お前は無意識に男尊女卑の恩恵に預かっている」みたいなこと言われて抑圧されるしね…
俺が文句言ったりデモしても鼻で笑われるだけで特に社会が変わるわけでもないので、今日も俺は