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はてなキーワード: 社会生活とは

2017-08-18

https://anond.hatelabo.jp/20170818041704

差別というのは、本質的には社会生活上の知恵であり、正しい差別を無くすことはほぼ不可能なんだよね。

間違った差別は今すぐ無くすべきだけど、必要差別は残しておいたほうが良い。

2017-08-17

https://anond.hatelabo.jp/20170817205047

一般的社会生活を送っていないので、ずれてしまっているんですよ。かわいそうですけど、そんなもんです。

2017-08-16

https://anond.hatelabo.jp/20170816111059

論点をずらすことしかできないあたり社会生活不適合者とみた

意外とおっさんだったりして

2017-08-09

https://anond.hatelabo.jp/20170809164200

障害が先にあって特徴を当てはめているんじゃないんだよ。

ある特徴が社会生活を営む上で不都合であればそれは障害なんだよ。

働きたいのに労働意欲が湧かない、無気力で動けなくて困っている、というのが鬱病

「金がたくさんあるから働かなくてもいい」というのは困っているわけではないか障害とは認定されないし、

「幼いころから貧乏暮しで人生を諦めている」とかも本人がそれでいいと思っているなら障害とは見做されない。

あるいは「貧乏から勉強できない」という状態貧困と呼ばれて補助されるし、

貧乏時代記憶フラッシュバックして日常生活に支障がある」とかならPTSDなどと診断されてカウンセリングが行われる。

2017-08-05

夫が心配

結婚して約半年。まだ新婚だ。

最近、夫から会社愚痴ばかり聞かされる。色々な話を総合すると、どうやら夫は会社孤立しているようだ。

社長から日常的に罵られ、仲の良い同僚もいない。最低限の伝票整理などをやり、周囲とはほとんどコミュニケーションを取らず、一日中ほぼ無言で過ごす。話を聞く限り、そんな感じらしいのだ。

夫が今の会社に勤めて、3年が経つ。それは私達が付き合い始めた期間とほぼ重なる。

思えば、夫が会社に対してポジティブな話をするのを聞いたためしがない。いつも愚痴ばかりだった。

彼はずっと、つらい状況にいたのだろうか。

結婚前、私はあまりそういうことを気に止めずにいた。会社員生活は大変だ、彼も人並みに苦労しているのだ、私がささやか癒しになれれば。そんな風に考えていた。それに、私自身も働いているし、基本的にはそれで精一杯なところがあった。

結婚して、一緒に暮らし始めて、付き合いたてのころの浮かれた気分もだいぶ落ち着いてきた。すると、これまで受け流して来たことが、かなり深刻な問題に思えてきた。

相変わらず、夫の愚痴は止まない。話を聞くほど、状況は悪くなっているようだ。

夫の愚痴は、もはや愚痴と言うより、呪詛の様に聞こえる。社長を「キチガイ」と呼び、上司や同僚を「クソブタ」などと呼ぶ。しかも、頭の中でずっとそう呼び続けているのだろう、実に自然なのだ。聞かされるこちらは、戸惑うばかりだ。夫に感情移入して、味方になってあげたいところだが、そうはならない。私はその人達を見たこともないのだ。

社内では、全員が敵。夫の中ですでにそういう世界観が出来上がっているようだ。これはもう、末期的な状況ではなかろうか。

こんな境遇になってしまったら、普通の人は、とっくに会社を辞めると思う。

夫が特殊なのは、決して自罰的にならないことだ。悪いのはすべて「あいつら」で、自分被害者。いつもそういうスタンスで話をする。それが本心なのか、自分を守るためのギリギリ手段なのか、彼の心の奥底まではわからない。ただ、苦しいだろうなとは思う。

私のことを考えて、離職できずにいるのだろうか。そんな風に考えたりもした。だとしたら、本当につらい。

一緒に暮らしみてわかったが、夫はあまり仕事ができるタイプではないと思う。特にコミュニケーションの面では、かなり弱者であるに違いない。暗いとか、人見知りが激しいとか、そういう感じはないのだが、どこか微妙にずれていて、なんとなく周りとうまく同調できない。そういう印象がある。空気を読むのはかなり苦手だろう。

夫は、言うべきことをギリギリまで黙っていたり、一方的物事を進めてしまったりする。そういう困った面が色々とある

夫婦間なら、お互いに許しあったり、時にはきちんと指摘し合ったりして、なんとかして行こうと思える。私にも欠点はあるし、そこはお互い様だ。

でも、会社ではそれは通用しないだろう。夫は、会社でも自分欠点をたくさん露呈してしまっているのではないか。そして、それを他の面でカバーすることもできず、愛想やキャラで許してもらうこともなく、心を閉ざし、周りを敵とみなし、身をこわばらせながら会社にしがみついているのではないか

残念ながら、そうなんだと思う。夫は、特に秀でた能力のある人間ではない。頭だって、あまり良くない。

心情的には、夫に味方したい。狂った会社に入ってしまった、運の悪い人。そういう風に見てあげたい。でも、それは無いだろう。

私はどうしてあげればいいのだろうか。彼に転職をすすめるべきだろうか。もう少し夫の適性に合う職種があるのではないか

あるいは少し心身を休めてもらい、その間は私が生活を支えるべきだろうか。でも、こんな考えは、夫にとってはすべて大きなお世話かもしれない。決めるのは夫だ。会社中を敵に回しながら、それでも辞めないというなら、私は見守るしかない。心が壊れないことを祈るばかりだ。

さんざん、夫を心配する良き妻みたいなスタンスで書いてきたが、ちょっと偽善が過ぎたかもしれない。

しかに、私は夫が心配だ。それは本心だ。でも、それと同じぐらい、私は夫に失望している。社長や同僚を口汚く罵り、鬱憤を晴らし、夜は一転して、甘えた調子で体を求めてくる。正直、まったく気分が乗らない。むしろ惨めだ。夫から性的魅力は消え失せてしまった。できれば夫と寝床を分けたい。

まだ夫を愛してはいる。でも、この愛が消えて、失望けが残り、やがて憎悪に変わるのが恐い。

さら、夫が生まれ変わることはないだろう。見違えるようなハイスペになり、全てが万事解決なんて、ありえない。

夫は生まれつき、あまり社会生活に向かない人なのだ。そんな人はきっとたくさんいると思う。私だってどちらかと言えばそっち寄りの人間だ。

私は夫とどんな風に向き合うべきなのだろうか。この始まったばかりの結婚生活の中で。

2017-08-03

https://anond.hatelabo.jp/20170803230758

病名に無理矢理当てはめるとすれば、気分循環性障害か、特定不能の双極性障害双極性障害に特徴的な症状はみられるが、どの基準も完全には満たしていない状態)が近そうだけど、「臨床的に意味のある苦痛、または社会的職業的、または他の重要領域における機能障害引き起こしている」かどうかは微妙なところ。

なので、特に社会生活に著しい支障をきたしていない現在は、何の病気でもなく、健康範囲内の気分の上下であるというのが一番近いような気もする。

2017-07-30

ネット民は何故にこうも攻撃的なのか

ネットに書き込む時に強い口調で書く人が多いけどさ、社会生活でもそんな感じなの?もしそうだとしたら周りとうまくやっていけないでしょ。んなわけねーか。

2017-07-27

https://anond.hatelabo.jp/20170727111221

ポリコレに拒絶感あるひとは社会生活適応できていないので、勉強するとか慣れるとか理解する努力をするか、

社会性の不要なところで一人で生きることをお勧めするよ。

もう答えがでていることなんだよ。社会レベル自分の数段上をいってるということを理解してくれるとうれしい。

アホくさいよな。

萌えアニメや、美少女ゲームに登場するのを喜ぶと、社会生活適応できてないんだろ?

特定価値基準で押さえ込んで、世の中どうなったかと言えば、トランプを産んだわけよ。

それはつまり他人に強いていたわけ。

でも、そのことを自省するでもなく、トランプを産んだのはよろしくない、より一層強いねばってなってるじゃん?

んで、誰かが爆発したら、数段上を行っている社会適応できないかわいそうな人たちで、ボクは違う(キリッ

切断処理してホクホクするんだろ?

差別の話

https://anond.hatelabo.jp/20170727091402

何かをきっかけに差別する気持ちが湧き出ること自体は仕方ないとおもう

で、それ自体は気にすることない。自然気持ちだ。受け入れよう。

慣れもある。

それを表に出すかどうか。

表に出さないのは、

ポリコレとは何かがわかっており、それを守ろうという意識があること。

また、いざ自分自分の大切な人が被差別側に回ったときのことを想像できるということ。

表に出すのは、

ポリコレなんて偽善自分の素直な気持ちに従うことこそ正しい生き方、という考えがあること。

また、自分自分の大切な人が被差別側に回ったときのことを想像できないか、そんとき自分のチカラでどうにかするとかって思ってる。

これは一般人議論ネタとしていまだに議論したがるけど、社会学ですでに答えがでていることで、前者が正解。

1+1=2と同じことなので、議論しても意味ないんだよ知ってる?

被差別的な人を前にしたときに、「えー」って思うかなんとも思わないよっていうのは人によって違っていいし合わせる必要ない。

俺ってこういう人だよってアピりたいならアピってもよいけど対応は変わらない。

マタハラの話

https://anond.hatelabo.jp/20170715092225

投票した政治家オリンピック選手が、任期中や大会直前に産休とるといったら「えー」って気持ちになるのは仕方ないこと。

対応は、ポリコレが正解なので議論余地はない。

えーって思うか、おめでとうって思うかは人それぞれの環境でも変わるから合わせる必要ないけど、「俺ってこういう人」ってことをアピりたいなら表明してもいいよ。

対応は変わらない。

ポリコレに拒絶感あるひとは社会生活適応できていないので、勉強するとか慣れるとか理解する努力をするか、

社会性の不要なところで一人で生きることをお勧めするよ。

もう答えがでていることなんだよ。社会レベル自分の数段上をいってるということを理解してくれるとうれしい。

2017-07-23

つの間にか、"俺"って一人称を使うのが恥ずかしくなっていた

それほど親しい人間もいない状態で、普通会社員として社会生活を送っていると、"俺"を使う機会がない。

そのうち、"俺"っていうのは、なんだかよっぽど自分自身さらけ出している感じがして、誰に対しても恥ずかしくて使いづらくなってしまった。

仕事では"私"、プライベートでは、"私"or"自分"。

そういえば、"僕"もほとんど使わないし、なんだか抵抗あるな。

これはこれで、ある種のコミュ障というか、なんというか。

"俺"って言い合える仲や相手がなくなってしまったというか・・・

https://anond.hatelabo.jp/20170722210312

なんか本人には落ち度のなさそうなクズって感じだから本人が持って合わせた正味性格なんだろうなって思った。

まり俺より下っぽいから少しほっとした。

反面、努力して大学行ってるから本気だして一つのことをやらせたら人並みかそれ以上のことができそうだから、うかうかしてられねえなとも思う。

日本社会においてどんなクズでも社会生活を送れる程度には社会の仕組みがしっかりしてる。

上を見なければ一応食ってける程度には稼げる。

愛情を得るのはお金には変えられない。

死ぬ時に振り返っていろいろあったけどなんとかやりきったなって思えるように、俺は最低限のラインをそこにして生きている。

人生はなんとかなる。

夢を見なきゃなんとかなるし、安い趣味だっていろいろある。

俺はネット画像をたくさんひらってクソなやつらばかりが集まる掲示板でワイワイやるのが趣味だ。

ネットさえできるお金があれば問題ない。

土日は画像リネームで1日が潰れる。

画像リネームしてフォルダ分けしておくと画像掲示板で流れに応じてすぐに画像を貼れるからいっぱいレスもらえて嬉しい。

俺の日常はこんな感じ。

おれだって負けず劣らずクズだけど毎日はけっこう楽しい

クズクズなりの生き方があって誰にも否定されないし社会から否定されないか大丈夫だ。

2017-07-19

心理学マニアみたいな

あんまり人間深淵を覗くと病むからプロ精神科)に任せた方がいいよ。

障害ってそれなりに社会生活が送れるかどうかってやつなので、性格が悪いとか良いとかそういうんじゃないよ。

社会生活がそれなりに送れていれば病院行く必要なんてないんだよ。

それなりに送れていても辛かったら誰かに相談して(知り合いや精神科だけじゃなく選択肢としては労働局とかも?)

自分だけじゃ客観的判断下せないこともあるだろうし。

2017-07-18

ポンコツ新卒の多分普遍的な悩み

私は仕事ができない人種なのではないか。春から社会人として働きはじめ、3ヶ月半が経った。周りの新卒の人たちは、一通りの仕事を覚えたのだろうか。自分はまだ満足に仕事をこなせていない。

大学の頃はそこそこ要領よくそこそこの成績を取っていたので、自分は平均的な人間だと思っていた。優秀ではないが、人並みに仕事をやっていける人間だろうとたかをくくっていた。

とんだ思い上がりである。蓋を開けてびっくり。こんなにも無能だった。

作業をしていて、前に教えてもらったことと少しでも違うことが起きるとパニックになってしまう。AはできるけどA’はできないみたいなかんじ。臨機応変にできない。

複数仕事を任されると全部が中途半端になってしまう。多分マルチタスクを処理できない(職業的マルチタスクを処理できなければならない)。やばい

わかったつもりになってるだけで、いざもう一度同じ作業をするとできない。何のためのメモだと言いたくなる。

それで、できない→焦る→失敗する→落ち込むの悪循環。失敗しないよう対策を練るけど、また新しくミスをする。一つの穴を塞いでも違うところから水が染みてくる泥舟に乗っているみたいだ。

上司は駄目な私に懇切丁寧に教えてくれるのだが、愛想を尽かされるのは時間問題だと思う。本当に申し訳ない。

なぜ自分はこんなにポンコツなのだと落ち込む。自分なりに家に帰ってから業務の復習をしたりまとめたりしているが、それがイマイチ日中役に立たない。作業が頭にちゃんと入ってないのかなあ、理解できない頭なのかなあ、とヘコむ。もっと頑張らないとと思うが、やる気が空回りして変なミスをする。

できない自分が情けなくて涙が出る。この仕事が向いていないのか、それとも社会生活に向いていないのか。まだ辞めたいわけではない。辞めたいってつぶやく日もあるけど。この仕事がやりたいと思って、入社できたのに、その仕事に向いていないのではという不安入社3ヶ月半で決めつけるのは早いのかもしれないけど、仕事をこなしている自分想像できない。経験を積めばできるようになるって周りは言うけど、ずっとポンコツのままかもしれない。怖い。

こういう気持ちは、多分いろんな人が持ってるだろうし、私の上司も持ってたかもしれない。普遍的な悩みだということはわかっているけど、溜め込んでいるとしんどくなってしまうのではてなに書き込んだ次第。

クビになる前に、ポンコツなりに自分に合ったやり方を探していくしかないんだよなあ。

明日仕事だ。今日よりミスが減りますように。

名前はだれのもの

名前は「親」のものではない。では、「子供のものか? と言えば、それも違う。

「親が子に贈る最初プレゼント」みたいなお花畑理論を聞かされると、心の底からぞわぞわするんだが、

あいうそれこそ「何の根拠もない」名づけ理論を信じてる人間がいることに、時々当惑する。

増田、アンタのことだ。

あなたの所有物」に「あなたが名づける」なら、それはあなた自由だ。その名前が名づけられるものへの贈り物だといいたいならそう言っても別に構わない。

だが子供は「あなたの所有物」ではない。あなたとは別の人格を持ち、別の人生を送る他人だ。訳あって、たまたま10数年共に暮らすことになった、他人だ。

そこを勘違いした人間が、お花畑理論を振りかざし、子供に関わる周囲の人間に噛みついて回る迷惑毒親となる。

名前というのは、これから子供が生きる人生社会の中で出会う人と共有される、一つの符丁だ。人間名前とは、何をおいてもまず「社会のため」に必要ものなのだ

そこでは親の「想い」とやらはどうでもいい。

例えばアンタが飼い犬に「タウマタファカタンギハンガコアウアウオタマアポカイフェヌアキタナタフ」とか名付けても、別に誰もあなたを咎めはしない(馬鹿にはされるだろうが)。だが、それを子供名前にしようとしたら、全力で止められるだろう。役所の受付ですら書類を突っ返すかもしれない。そこにどんな「親としてのご立派な想い」があろうと、そこはくつがえらないんだ。それを忘れてはいけない。「社会にとって利のない」名前社会によって拒否されるんだ。

これは、字画判断がどうという話をしてるんじゃないぞ。俺が問題視してるのは、何をおいてもまず嫁さんに対するアンタの態度のことなんだ。

想像するに増田は、字画判断かいう「非合理的もの」が、自分人生にまつわってくるのが「嫌」なんだろう。だが、アンタの「嫌」という感情だって十分に非合理的だ。いい年をして、理で全てを説明できると思ってるなら大馬鹿を通り越してお目出度いとしか言いようがない。自分「理」に縋る「理由」はなんだ? 「理」のないものに身をゆだねる不安の源泉は「理」説明されるべきことか? 全てを理で説くならそもそも「こっちがいい/悪い」などという「価値」の概念こそ真っ先に捨てるべきじゃないのか? だが、あらゆる「価値概念放棄したら、人間としての健全社会生活など送れないだろう。

人間は、「理」以外の価値も持たなければ生きていくことはできない。絶対価値規準など、ない。だから重要なのは他者価値規準を知り、認めつつ、共同の価値規準を創出していくという姿勢であり態度なんだ。増田がすべきことは、嫁さんが「画数にこだわる」って知った時に、「なるほど、俺にはそういう発想がなかったけど、そういう発想をするひとがやっぱりいるんだ」と気付いて、「なるほど分かった。じゃあ画数のことも考えながら、いい名前を付けることにしようぜ」っていうことだったはずだ。

なのに、「画数?は?」みたいな対応をした、と。馬鹿か? 馬鹿なのか? 社会ゼロの子供か? 小学生ももう少し相手への気遣いをするぞ?

今すぐ嫁に謝ってこい。そもそもそんな「どっちでもいい」ことで、妊娠中の嫁の負担やすことにそれこそ「何の意味がある」んだよ? 人間社会で、メスの仕事が子を産むことなら、オスの仕事はメスが安心して子を産める環境作ることだと有史以前から決まってるだろうが。名前など、一でも二でも、分かりやすく周囲が呼びやす符丁でさえあれば子は育つんだ。それよりもっと大事なことが目の前にあるだろ。

不合理に満ちた世の中で、誰でも不安で何かに縋る。それは別に悪いことじゃない。ただ、少しばかりの寛容さと、だまされない賢さ、それは必要だ。姓名判断とやらに何十万何百万をつぎ込むのは、それは愚かな行為だ。だが、画数を気にするのに、現実にどんなデメリットがある? 小さいことでいちいち嫁の不安をため込むと、そのうちとんでもない宗教にハマったりするぞ。夫の支えというのは、そのくらいプライスレスものなんだぜ。

https://anond.hatelabo.jp/20170717145213

2017-07-17

スマホ依存性とかないだろ

普通に社会生活必要不可欠になっただけ。

毎日、車使う田舎の人が車依存性って言わないのと一緒。

2017-07-12

頼むから静かにしてくれ

成人した人間の最低限の処世術として、自分感情を無闇矢鱈に他人にぶつけない、ぶつけてもどうにもならない、他人コントロールできない、自分感情のツケは自分が払うしかないって理解しなければ、社会生活は大変に難しい、と言う前提があると思う。

ところが、世の中には些細なことを粗探ししたり、小さなことで他人恫喝したり、意識せずにモラハラを働くような(それこそ、「なんで私が怒ってるかわかる?」式の)人間や、逆に他人から評価自己評価に直結してて、他人から承認を集めないと自分を保てない承認欲求モンスターたちが掃いて捨てるほどいる。こう言う人たち は何を考えて生きてるんだろう?

他人支配したいと言う欲望を抱えているのか?

普通に考えて、自分他人精神は別で、他人精神コントロールできないなんて当たり前のこと、誰にでも分かりそうなもんじゃいか自分他人未分化なのか?赤ん坊なのか?社会赤ん坊ばかりなのか?赤ん坊がそのまま社会に出て無数に対人トラブルを起こし続けているのか?

他人精神コントロールしたいと言う願望を実行するのは、他人の肉体を傷つけたい、と言う願望を実行するのに負けず劣らず醜くて卑劣ものだと思う。

迷惑から学校では道徳じゃなくてアンガーマネジメントとか、モラハラ人間から身を守る方法を教えて欲しいくらいだ。

2017-07-02

男性会社員に向いてない

男って、性欲が不定期に高まってセクハラしてしまったり痴漢してしまったりするわけでしょ。

行動に移らなくても、性欲が高まると、いつもは気にしない動作でも女性自分のこと好きだとか勘違いしたり、短慮になったり、我慢が出来なくなったり、思考が左右されたりと、

どう考えても集団社会での人付き合いや安定的業務に適さな特性を持ってるし

性欲関係なく、股間が勃起して、起立・歩行を阻害したり、相手不快感を与えかねない状況に陥ったりもするわけで、

男は社会生活に明らかに適さな性別から、家で家事してる方が良いでしょ。

オフィスなんかより家事の方が肉体労働が多くて断然男性向きだし。

2017-07-01

バニラ・エアを叩いてるやつが馬鹿に見えちゃってごめんなさい

バニラ・エアバリアフリーを明確に推進してる企業だ。これは、間違いない。自力階段昇降できない障害者の搭乗を事前連絡で断っていたのも、奄美空港のみでのことでそれ以外では搭乗拒否なんてしてなかった。ここまでは、擁護派も批判派も周知のことだろう。俺は、思う。なんでお前らって奄美空港だけなのかを考えないの?理由は、明確でバリアフリー対応しきれない空港からだ。

こう言うと「数日でアシストストレッチャーと電動式階段昇降機用意したやんけ。すぐ対応できるのにしてなかったバニラエアが悪い」との声が聞こえてきそうだが、そう考えたやつは多分バリアフリーになんか興味ないのに騒いでるおバカさんなんだなとしか言いようがない。アシストストレッチャーや電動式階段昇降機なんてバリアフリーでもなんでもないから。障害者物理的に下に降ろす単なる機械ですから。見たことないならググって見てこい。そして、あれをバリアフリーだと言うなら、お前らは一生障害者理解なんかできない。

バリアフリーっての言うまでもないが社会生活に参加する上で生活の支障となる物理的な障害や、精神的な障壁を取り除くための施策だ。どの車椅子利用者があれに乗せられて障害障壁のない公共交通機関だなと感じるんだよ。普段通り車椅子で乗り降りできてはじめてバリアフリーなんだよ。

もうわかってると思うが、それができないのが奄美空港だった。奄美観光客は多いが空港自体は大きくない。だから、毎回そのまま移動できるブリッジを確保できない。ブリッジを確保できないと不便かつバリアフリーでない手段で客を降ろすしかなくなる。それならバリアフリーを求める人には確実につける便を紹介するか、搭乗拒否して他の会社選択してもらった方が良いというのがバニラエアの今までの対応だった。

まり障害者お断りだったんじゃく、車椅子の人に不便な乗り降りを強いてしま環境空港にあったから断っていた。まあ、質の悪いサービスしか用意できていないとなると企業イメージに響くという打算もあった可能性は十分あるが。企業として想定外だったのは、他の質の高い乗り降りができる移動手段選択してもらうよりも、質の悪いサービスを自社に用意しておく方が世間から評価されるということだろう。俺自身想定外だよ。

まあ、そりゃそうか。バリアフリーがなんなのかも知らないで、差別主義者っぽい人を見つけだして叩くのを趣味としてる馬鹿が群がって騒いでるだけなんだから

障がい者戦争をやめるな

すでに終わったことにしておきたい層が勝手平和を唱えているが、今終えたら日本近代化を逃す。

伏兵をできるだけ戦場に引き出し、敵戦力をできるだけ削いだ上で講和に持ち込め。

障がい者側の本意」とは気兼ねなく外出でき、社会生活を送ることにある。

小さく暮らしながら、波風たてずに差別扇動しないようにと願っているわけがない。

前線にいる論者よ、敵兵を引き出し殲滅せよ。

2017-06-30

くだんのLCC障碍者について議論している人たちに思うこと

とある障碍者が取ったとある航空会社への行動が物議を醸している。

はてな界隈ツイッターfacebook、おそらく見えてはいないだけで世間的にもこの件に関しては様々な主張がなされているだろう。

大きく分けると

問題当人は悪くない、航空会社の準備不足がすべてだ

問題当人拒否されて当然だ、航空会社に非はない

と言ったところだろうか。私にはどちらの主張も半分正しくて半分間違っているように思える。すべての主義主張を見たわけではないので多少の誤解は許してほしい。

まず当人に対して考えてみると、

1.障碍者である

2.車いす利用者であり、それが原因で航空会社から搭乗を拒否された

3.車いす利用者であることは事前に連絡していない

4.過去にも数度、別の航空便車いすを利用していることにより搭乗を拒否された経験があり、今回も同様の理由で搭乗を拒否される可能性があることを「おそらく」知っていた。このことから、「そのうえで車いす利用者であることを連絡しなかったという憶測」が出来る。

の4点が、おそらくポイントになる。

航空会社に対して考えてみると、

1.本来あるべき車いす利用者が搭乗するための設備投資を怠った

2.HP上には「車いす利用者であることを事前に連絡する」ように記載してある

3.「連絡されたとしても、もともと今回の空港にその設備を用意していないため、搭乗を拒否する可能性が高かった」と推測できる

の3点だろうか。

これだけ整理しておいて難だが、私は今回の件に関しては結局「双方とも配慮が不足していた」の一言にすぎないと思う。というか、どちらが悪い、どちらが正しいと主張しているのはノイジ―マイノリティであって、大多数の人が「どっちもどっちであると思っているのではないだろうか。違ったら恥ずかしい。

当人に対して言うならば、本来事前に連絡することの意義を理解できていなかった。

航空会社に対して言うならば、本来怠るべきではなかった設備への投資を怠った。

からどっちも問題があるわけだ。どっちが正しいとか、どっちが悪いとか、そういう問題じゃないんだと思う。

どこで見たのかは忘れたが、権利を主張するよりも前に義務を果たすことは、人間社会生活を送るうえでは大前提にあることだと思う。

どちらも義務を怠った結果、どちらも叩かれる。それがたまたま障碍者というデリケート問題(と言ってしまうこと自体もあまりよくないのだろうけれど)だったのではないだろうか。

障碍者は、言い方は悪いが健常者にできないことがあるのは仕方のないことだ。誰もそれについては咎めない。まあ、咎める人もいるだろうが、そいつおかしいだけ。例えるならば男女平等と言いつつも男性妊娠できないことをとがめないのと同じだとわたしは思う。違ったら申し訳ない。だから健常者は障碍者がどんなに努力しても自力で出来ないことを社会的サポートする。そのための障碍者差別解消法や、障碍者基本法だ。航空機は確かに安全性は高い交通機関ではあるが、「もしも」の場合最も被害が甚大になる交通機関の一つであることも否定できない。だからこそ乗客安全を守るために細かく航空法で座席まで定められている。それは障碍者を後回しにするためではなく、全員のために最も安全で確実な方法であるから、だろう。安全管理についてはツイッターで回ってきた元航空会社在籍の方のブログが大変わかりやすかったので張りますhttp://isumi.rail.shop-pro.jp/?eid=2918 というかこれを読めばぜんぶ終わる気がする、私の増田を読むならこっち読んで。

話を戻す。

今回事前連絡を怠った上で搭乗を強行突破しようとしたことで、当人はほかの乗客危険さらしたと考えられてもおかしくないわけだ。たまたま安全空路を行くことが出来て、たまたま無事に到着することができた。それだけのこと。そりゃ、万が一を考えてしまったらキリがないけれど、想定しうる避けられるリスクを避けるための規則を破り、それでいて権利を主張するのはいかがなものかと私は思う。事前連絡を行った上で搭乗を拒否されたことを問題提起することは正しいが、事前連絡を怠ったうえで問題提起することは、方法としては好ましいものではない。

かといって航空会社の肩を持つつもりも私にはない。本来平等な機会を与えるために公正な行動をするべきところを怠ったのは、たとえLCCというサービス限界まで削った格安航空会社だとしても、そこは削るべきところではないと思うからだ。全員が同じサービスを受けるための土台作りを怠ったのは、これまた好ましいことではない。LCCにそこまで求めるな、という人もいるみたいだが、LCCが削るべきなのは座席食事などの「なくても搭乗・飛行に特段問題にはならないこと」であって、搭乗という行為のもの否定することではない。

そもそもどちらが正しい、どちらが悪い論争について思うのだが、双方の主張が異なるのだ。

当人擁護する側は「障碍者への配慮が足りない」だし、航空会社擁護する側は「権利の前に義務を果たせ」だし。どちらも一方的で、交わりっこない。どっちの主張も「そうだよな!」と思う一方で、どっちの行動も問題視されて当然だ。議論することじゃない。

どちらかを擁護しているだけの人を見てなんともモヤモヤしたので吐き出させてもらいました。雑感です。ああ叩かれたらどうしよう。

既出だったらすみません

はじめて増田投稿するので本当に匿名になっているのか不安になって、ずっと開きっぱなしにしてしまうドキドキ。

記法はよくわからないので読みにくくて申し訳ないです。

2017-06-29

バニラエア問題事前連絡しようという意見が多いですが

いずみ鉄道社長ブログさんの素晴らしいと絶賛されていた記事

http://isumi.rail.shop-pro.jp/?eid=2918

結論車椅子人間事前連絡しましょうということでした

私はこれはおかしいと思います

なぜなら事前連絡コストしかいからです

つまるところ車椅子人間は健常者がスムーズ社会生活を送るために無用コストを払えと言ってるだけに思えます

事前連絡くらいは当たり前」「事前連絡くらい大したコストにもならない」と言う人もいるかと思います

そういう方はもし

「弊社では車椅子をご利用のお客様には特別対応必要としており、ご搭乗可能な人数に限りがございます

つきましては人数の把握のため全ての健常者の方は予約の際、健常者であることを事前連絡して下さい」

というコロンブスの卵的な解決方法を導入されたとしても文句を言わず

事前連絡くらい大したコストではないからもちろんOKだよと言えるのでしょうか

現在多くの人にとって事前連絡不要なのは健常者という多数派に属し、その特権無意識享受しているからに過ぎません

この問題に対して「みんながみんな少しずつ配慮を出来る社会になれば良いね」と言っている人を多く見かけます

具体的な内容を見てみると、配慮しているのは障害者のみで

結局のところ「弱者迷惑をかける存在なのだから健常者のために常に配慮するべきだ」と言っているだけに思えます

みんながみんなに配慮する社会というなら

そして、航空会社ハード面の限界として車椅子人間が搭乗出来る枠に限りがあるなら

障害の有無に関わらず全員が事前連絡をすれば良い話です

もしこれに対して「なんで車椅子人間のために健常者の私がわざわざ事前連絡しないといけないんだ」と思うのであれば

それはそのまま障害者だけに事前連絡を課することへの裏返しだと思います

まり、この問題に対する解決策はニつ

健常者か否かに関わらず全員から障害の有無を聞く

もしくは全員から障害の有無を聞かない

どちらかだと思います

障害者だけに事前連絡を課するのは真にバリアフリー社会とは思えません

2017-06-27

信用

社会生活を送る上で山盛りの支障があるにもかかわらず、どうにも自分他人から信用を得たいとか、信頼されたいとかいった感覚がまるでわかっていないような気がする。

当然何かと相手のご期待に応えられず「信用を失うことが怖くないのか!」といった形で叱責されることが年を重ねるごとに増えてきたのだけれど、

こちらとしては、えっ、私のこと信用なんかしてたんですか?ダメですよポンコツなんだから信用したら。期待しないでくださいよ間抜けですね。ってな感じだ。

なぜこうも信用に対して無頓着なのか、自分思考はどの辺りが歪なのか、その辺をもう少し掘ってみようと改めて考えてみた。

そもそも相手に対して信用があるかないか対応を変えるものらしいということは知識としてはわかっているし、

現代人間社会におけるコスパの面で、信用というのがかなり優れていそうだという事も頭では理解しているのだけれど、自分としてはまるで実感が伴わない。

「虫嫌いの人は虫を近づけられるのがイヤだ」という感覚が、自分は虫が好きであるがゆえに「知ってるけどイマイチからない」のと同じ感じだ。

この辺のちょっとしたことに関する実感の伴っていなさは、抱えている発達障害由来のものなのかもしれない。

基本的には過去の膨大な失敗や知識から得たパターン学習を基に頭でワンクッション考えてから行動することで相手に沿った適切とされる対応ができる場合が大半なのだが、

自然とわき出てくる感覚としての実感がないので、未経験の応用パターンを「少し考えれば当然わかる事」として求められるとたまに失敗してしまう。

例えば「虫嫌いの人~」を応用して「虫嫌いの人に虫の図鑑を見せにいってはいけない」というのは、子供の頃なかなか納得できなくて飲み込むのにかなり苦労した。

だってこれ絵じゃん、というのと、詳しく理解すれば恐怖心も薄れるだろう。という発想だったのだが、まあ、ズレている。

現時点で自分は、信用というもの評価を心の奥底で「ある方がいいけど何か無理してまで得たいとは思わない程度のどうでもいいこと」としか捉えていない気がする。

では、なぜ頭の中でコスパのいい要素だと知っていながら、信用をどうでもいいと感じているか理由を考えていると、

そもそも自分が誰かを信用していないまま、コミュニケーションを円滑にするために相手を信用しているポーズ意図的に発信し続けているために、

信用などなくても表面上は特に問題なく生活ができるものなのだ学習してしまっている。という可能性に辿りついた。

自分他者を信用する感覚について特に意識したことはなかったが、改めて考えてみるとどうやら他人のことをろくに信用しておらず、

他人感情思考を真に理解することができない以上、あらゆる他人は常に次の瞬間自分敵対する可能性を持っている。

とごく自然に考えて、それをベースに生きているぐらいの殺伐エンジン根底に横たわっているように思えてならない。

こう考えると、これまで自己評価的には、素直で人懐っこくて純朴な性格だと自分のことを思っていたのだけれど、

「敵」か「今は敵じゃない」かの二段階だけで区別しているせいで、とりあえず敵じゃないと判定して、

一般的に信用しているとされるポーズを発信し始めるまでがかなり早いだけのことだったのかもしれない。

これは思い付きの仮説だが、そういった他人を信用しない姿勢に加え、色々な感覚過敏がある事が、

他者とのコミュニケーションや人の多い環境で異常に体力・精神力疲弊する遠因の一つになっているのかもしれない。

自然と視界内の他人の体の動き、歩調、視線、呼吸、緊張とかの情報無意識に受信、分析していて、

敵対しそうな気配があるかどうかのセンサーを全開で働かせてしまっているとしたら、そりゃまあ疲れそうだ。

そういえば一度、大阪電気街ひったくりを遠目に目撃した際に、犯人が走り出す前から犯人に妙な違和感を感じて足を止めて注視していた事があって、

同行していた知人に後から「なんでお前わかったん?」と気味悪がられた。

まあウスノロビビモヤシなので追いかけたりはせず、覚えておいた特徴をあとから警官に伝えただけだったが。

しかしなるほど、私はどうやら信用というものに対して大変根本から向き合い方が捻じれていたようだ。

思えば、知人友人関係どころか、家族恋人相手ですら、常に直後に相手と縁が切れても大丈夫だと思える程度の関係を保ち続けている。

進学時に学費を出してもらう際や、家を借りる時に保証人になってもらう必要があったが、なにかとても気持ち悪くて非常に落ち着かなかった。

はいえ、自分としてはあくま個人個人として、相手を一知的生命体の個体として尊重して接してきたつもりだ。

思想に立ち入らず、主張に踏み込まず、追わず、求めず。それで十分だし、それ以上の関係他者と築きたいと思ったことも恐らくまるでないと思う。

貸し借りをすることがあっても、返ってこなくても惜しくないものしかさないし、自分が弁償できそうなものしか借りない。

昔、恋人関係になった相手からものすごくよくできたロボット自分のことを人間だと思い込んで人間のフリをしているようだ。と言われたことがある。

あの言葉は、結構核心を突いていたのかもしれないな、と今になって思った。

さて、どうしたものやら。

性的指向性的嗜好を一緒にするなっていう謎言説よく見るけどそれらが違うものだっていう科学的根拠はあるのだろうか

ショタコンだけど

 

  • 女よりは男
  • 成人よりは年少者
  • 内気よりは快活

 

という3点について、自分の嗜好としての質にはなんら差異を感じないのでいまいちからない。

人間個性のうち社会生活に支障をきたすものを「障害」と呼ぶように、実行すると法に触れてしまう「成人よりは年少者」を他2つと区別するというのならわかるのだけど、

「女よりは男」の部分だけを特別視して区別するというのはまったくもって理解に苦しむ

2017-06-26

好きなものを語るときに嫌いなものの話をするのも意味のないことではない

好きなものを語るときに嫌いなものの話をされて困る人って、自分の好きなものがそのとき批判されていたら自分が傷つくから嫌なんでしょう?

よくわからないのは、なんで自分の好きなもの批判されたくらいで傷つくのかということ。べつに他人がどう思ってようが関係ないし、ふーん、あなたは嫌いなんだね、程度の話でしかない。すべての人が自分とまったく同じ好きを共有して自分とまったく同じ嫌いを共有しなきゃいけないわけじゃない。好きを共有していても嫌いを共有しないことはあるし、嫌いだけを共有して仲間になってしまうこともある。

「あたしはマグロ赤身が好き。大トロは嫌い」

こんな発言は世の中普通にあるし、これで大トロファンがいちいち切れるとしたらそれはかなり頭がおかしいと思う。「大トロ批判するな!」

しかに「赤身が好き」という情報を伝える際に「大トロは嫌い」は必要ないように思える。つねに肯定的に語るのもいいだろう。

しかしこの「大トロは嫌い」はまったく無価値情報というわけでもない。つまり「大トロは嫌い」が「脂っぽいネタは嫌い」を含意するということは容易に想像つくしマグロ赤身は脂っぽくないということも周知の事実。このことを勘案すれば、「大トロは嫌い」という発言はたしか否定的な語り方ではあるものの、「赤身が好き」という情報を補強するだけの価値を持っているということになる。それは単に「赤身が好き」というよりも、より説得力があり、話に立体感生まれる。世の中には赤身が好きでも、「赤身が好き、かつ大トロも好き」という人と、「赤身が好き、しかし大トロは嫌い」という人がいる。「大トロは嫌い」と発言することによってどっちのタイプ人間なのかが確定される。「赤身が好き」と「赤身が好き。大トロは嫌い」といったときでは情報量に明確な差がある。

好みを語るときに、「あれは好きだけど、あれは嫌いだなー」というのはごく普通の会話でしかない。それに対して、「えー、うそー、あたしはまったく逆だよ!」「えーうそー」「すごーい」みたいにして会話は続いていく。こんな程度のささいな受け流しができずにいちいち傷ついてしまう人は社会生活まともにできているんだろうか。自分の好きなもの批判されるとまるで自分自身否定されたように感じてしまう人というのは生きにくいのだろうなと思う。べつにあなた否定しているわけではないのです。

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