はてなキーワード: スクリーンとは
どうしても我慢ならなくてご意見出したら、規則違反とかでっち上げられて吊られるらしい
終わってんな
下僕はパワハラされても黙って言うこと聞いとけってこと 次は労基にでも行くか
ちなみにiphoneにはスクリーンタイムってのがあるから業務中スマホ触ってない証明なるもんねえ ありがてえ〜iphone様々
まあ上に行くには同じように終わってないと上がれない会社なんで まともな人間が割を食う
根拠が必要な分野で働いてるくせに、根拠のない噂話を信じ〇〇さんが言ってた。で信じちゃう人間ばかりいるので噂話を制した者が上に上がるシステムだしおかしいんだよな
異動してえ〜 この泥沼から抜けたい
上変わったけどどう頑張っても真ん中が自分の食い扶持逃したくなくてあらゆる手段で嫌がらせしてくるからきりがないよ
1年目の時先輩が恥ずかしい経歴って冗談混じりにガチトーンで言ってたのさすがにわかりはじめてて草
某所でも養成所とか言われてるしな まじめに結婚より先にするべきは転職では?まじで何なんだろうな本当に成人した人間が集う場所なのか?ここは
映画好き1年生必修作品みたいなのを粗方漁って、制作陣で話題作だったりビッグタイトルなのかどうかも判別出来るようになってきて、作品の芯を捉えてそういう視点に沿って鑑賞する姿勢みたいなのも覚えた。細かい機微を彩る演出に目を遣る余裕みたいなのも少し出てきた。
SNSに毒されて、「ここ好きポイント」的な点ばかりを見るようになって全体像を捉えられなくなったりもした。これはいかんと思って映画館に頻繁に通ったりもした。一々再生を止めてSNSの検索ボックスにそれらしい単語を放り込む余裕もないので、嫌でも全体の流れを意識せざるを得ない。そうでなくともやっぱりデカいスクリーンで映画を観るのは気分がいい。ガキの頃は全くもって理解しがたかっけど。1500円も払わんとレンタルでええやん。スマホで見りゃええやんって。
理解出来なかった大人に近づいてしまったのがちょっと嫌な気もする。肝心なのは作品なんであって、視聴環境なんて些末な問題にこだわるつまらない奴になってしまったような。音質を聞くために音楽を聴く倒錯したオーオタに対する嫌悪感に近いものがある。
端的に出来事を表せば数行でまとめられるような作品もあまり好きではなかったけど、素直に面白いねえと思ったりするようにもなった。自己実現への不安が膨らみ始める年頃になってから、人間っておもろいやん?人生ってこうじゃん?という話が割と好きになってきた。
それでもやっぱりおれの心の源流には、ガキの頃DVDで何遍も観たスターウォーズやインディジョーンズ、パイレーツやスパイダーマンがあるなって思う。やっぱ嘘をつくなら現実じゃ逆立ちしたって見られないような、外連味があって心踊るものが見たい。
こういうのに対して
とか言い出したら狂ってる人だと思うだろ?
でもこれが身障者となると裏返ると「本気で」思ってる人らが居て反吐が出る
でも、それを個人で負担しろってのは障害者にきついから、補助しましょうってのが一般的なわけ
高身長の人は、頑張って働いて割高な服を買わなきゃいけないけど補助なんて出ない
で、映画館でうるさい人ってのを、多動性障害やらに絡めて、障害者は映画を見るなっていうのかーって吹き上がるの
バカジャネーノ
基本誰でも映画は静かに見たいんだよ(応援上映とか、子供向けアニメとかは例外だ)
ガサガサ音立ててポップコーン食ってたクズでも、隣で喋った奴にはキレ散らかす
そういうところなんだよ映画館は
SAOみたいな傾向のアニメ映画は、多動性の人が見に来る確率が高いんだが
最前列で立ったり座ったりしてギャーギャー騒いでても誰も追い出したりしないし
運が悪かったなと諦めて見る
日本は良い国だと思うぞ、殴りかかったり、引きずり出したりしない
多動性の人間がスクリーンの前で視界の中をウロウロするのも劇場の醍醐味だってか?
勘弁しろよ
仕事が忙しいときでも週末はよく映画を観に出かける。話題作は公開日の週末のレイトショーで観るし、観たい作品が重なったときは翌週、出直して、観たりする。本当に映画が好きな人に比べれば、まだまだ少ない方だけど、自分の周囲では結構、映画館に出かけている部類に入るようだ。
映画館に着き、チケットを買い、ポップコーンと飲み物を手にして、シアターに入ったら、次にやるべき作業は携帯電話のチェック。本編前に流れる鑑賞マナーのムービーでも触れられているけど、上映中の携帯電話の操作は周囲の人の迷惑になるので、携帯電話を操作しないのはもちろん、あらかじめ利用できない状態にしておくのが基本。
つい先日、映画館に出かけたとき、予告編が始まるや、前の席に座った2人組の女がスマートフォンを取り出し、端末をスクリーンに向けたときは「おいおい、それはダメだろ!」って思ったら、暗闇でツーショット自撮りをはじめて、ちょっと驚かされたなんてこともあった。予告編の間とは言え、ちょっとねぇ……。
じゃあ、何をもってして、「利用できない状態」というのか。普通に考えると、マナーモードか、電源OFFってことになるんだろうけど、以前、どこかで見かけたアンケートではマナーモードと電源OFFが半々くらいの比率だったと記憶している。「通常のマナーモードで十分じゃないの?」っていう人が多そうだけど、着信時にバイブが振動して、映画のシーンによっては周囲に振動音が響いてしまうかもしれないし、自分の席の前の荷物フック(前の席の背中側)にカバンをかけておいたら、カバンの中に入っている端末が着信時振動して、前の席に伝わってしまった……なんていうこともありそう。
最近、自身がNTTドコモの回線で使っているAQUOS ZETA SH-03Gは、本体側面にイルミネーションが備えられていて、メール着信などを光で知らせてくれるんだけど、これも胸ポケットなどに入れておくと、上映中に煌煌と光ったりして、目立ってしまう。映画館以外でも気になることがあるので、サイレントマナーなどと連動して、イルミネーションを一時的に光らないモードも用意しておいて欲しいところだ。
また、もうひとつ気になる存在なのが最近増えてきた腕時計型のウェアラブル端末。たとえば、Apple Watchは腕を傾けると、ディスプレイに文字盤などが表示される。普段はこれが便利なんだけど、映画館などではポップコーンに手を伸ばすたびにApple Watchが光ってしまうなんていうことも……。しかたないので、最近は上映開始前に腕から外して、ジーンズのポケットにしまってます。Apple Watchに限った話ではないけど、ディスプレイが光るウェアラブル端末は一定時間、表示を簡単にOFFにできるモードがあると、便利
さて、最終的に「利用できない状態」をどうするか。本編上映前の鑑賞マナーのムービーでは「電源をOFF!」なんてアナウンスされているし、映画館によっては鑑賞マナーのWebページを用意していて、TOHOシネマズのページでは「上映中は携帯電話の電源はお切りください」と明記されているので、やっぱり、電源OFFが基本なのかな。ただ、一度、電源を切っちゃうと、「次に起動に時間がかかるからイヤだ」なんていう人も居るだろうから、そういう人は飛行機に搭乗するときなどに使う「機内モード」にしてみるの手。
例の客、あえて車椅子席のないグランシアターで見る理由が「見たい作品がグランシアターでしか上映していない」だった。
それで例の問題が発生して以降は、シアタス調布の上映スケジュールが調整されて1日1回しか上映のない作品はグランシアターを使わなくなった。
なので「車椅子のお客様は車椅子席のあるスクリーンの上映回を見てください」と案内ができるようになった。
これは十分に「合理的配慮」を達成してると思う。
蛇足でいうと、グランシアターってコロナ以前は人気作とかデート映画みたいな作品用に使われてたのが、
コロナ以降は人気作はでかいスクリーンでヘビーローテするようになったので、
誰が読むのだ、こんな手記は。
まったく誰の得にもならないことだ。
これを読んているのは、不幸にも偶然にもここに辿り着いてしまった人かーーよほどインターネットで文字を読むのが好きな変人かーーくらいだろう。
俺はここに、そんな誰が読むかも知れぬ場所に、"遺言"を書き留めておくことにした。
俺が傷つけ続け、俺が痛めつけ、挙句俺が捨てた、
この書き出しだけで痛い奴だカッコつけだ、文才も無さそうなパンピーがエッセイストぶりやがって、と怒りが湧いてきた人は今すぐブラウザを閉じ、元いた場所に戻るんだ。
そうでない奇特な人はーーーしばらく俺の話につきあってくれ。
恥ずかしい話てはあるのだが、何度か"ボヤ"を起こしたことがある。
その度に、自分が属している(と思い込んでる、思い込んでいた)界隈での肩身が狭くなっていって。
だいたい人生3回目?くらいのボヤをやらかしたあたりで、(自分の実生活の変化も重なって)
X含むインターネット上での(あるいは、インターネットが主になるような)交流に対して、それまで約十年程自分の中にあった執着や自己顕示欲や承認欲求が、急速に消えていくのを感じた。
それまでは誰がどんなポストをしていて
俺の知らないところで何を言われているのかと怯え
俺の知らないところで楽しそうなことをしている奴らに僻み嫉妬し
ブロックされていると判れば別垢から直近直後のポストを確認し反省会こそすれどその内容はまったく活かさず
インターネットの海を泳ぎながら傷ついたり傷つけたり
そんなような日々だった。
しかしいまは、その総てがどうでもいい。
いや、全く総てがどうでもよく、あらゆる評価をふいにするとは言えないが――
オブラートに書かれた文字と、オブラートの中にある真意を覗うことに、酷く疲れてしまった。
……というこの心境に対し、浮かんだ仮説がひとつ。
俺の自他境界は、俺と【俺が観測可能な世界の総て】だったのでは無いだろうか……
当時は本気で思っていたのだ。
俺の知らないうちに会合していれば呼ばれてないんだがと嘆き悲しみ
俺が顔を出したイベントに関するポストが少なければその日居た筈の人を心中で責めていたのではなかろうか。
いやはや、なんと傲慢不遜なことだろう。
自分がまるで世界の王であるかのような、そんな視座でインターネットを見ていたのだ。
しかし、いまこの視座を自覚した俺は、こんなところを見ているお前に言いたいことがある。
ーーそれに、お前がインターネットに疲れていないのなら……それはそれで別に良いのだーーが。
まあなんだ、言いたいことを言うのにえらく遠回りしてしまったが。
俺は一足先にインターネットをやめる。
喩えるなら、鉄骨を渡る者たちを別室で眺めているような距離感だ。
これもこれでずいぶん傲慢な物言いであることは自覚しているが、しっくりくる喩えがこれしかなかったのだ。許してくれ。
それにしても。
もし、お前たちにも、いつかインターネットをやめる日が来たのなら。
桜の色が。
新芽の緑が。
落葉の朱が。
お前の目の端に一瞬でも過ったのなら。
そのときは、俺とどこかですれ違おう。
それじゃあな。
【スクリーンの向こうに憧れ、
全体の感想としては人気キャラとカップリングで客寄せした迷宮の十字路って感じ。
でまぁ、こっちは映画のコナン見に来てるだけの漫画もアニメもちゃんと見てないにわかオタクなんですけど。
だからこそ終盤とエンディングでまじっく快斗とYAIBAのキャラが匂わされて終わり。ここ本当最悪だった。
意味わかんなくて混乱したままスクリーン出たあと速攻検索して同作者の別作品のこと知った。
コナンの中で出てきたキャラならともかく急に別作品のキャラ出されたって知らんわ。出すなら説明くらいしろや。なんだこれマジで。マーベルかよ。
それ以外はいつものコナン映画でした。面白かったです終盤以外。
何をどう読んだら無知を自慢してるように見えるんだよ。なんにも自慢してねぇわコナン見に行ってコナンじゃない話されて困惑してんだよボケ。
検出器から精神への一連の連鎖はフォンノイマンチェインといいます。
例えば電子を観測したとします。その観測情報をコンピュータで表現するために、スリットを通った後の位置で数値化するとしましょう。その数値をコンピュータのスクリーンを通じて研究者が目撃し、網膜を通じて脳へ達し、最終的に情報を判断できます。
では、波動関数の崩壊は、この連鎖のうちのどこで起こるのでしょうか。
このことを理解すれば「量子と意識」の問題は、非科学でもスピリチュアルでもなく、現実的な仮説であることがすぐにわかります。
実際、フォン・ノイマンは意識が認識を行う瞬間に崩壊が起こると考えたのです。
これを「フォン・ノイマン=ウィグナー解釈」と言いますが、コペンハーゲン解釈のサブセットです。
これを補強する理論・実験として「ウィグナーの友人」が登場しました。
後に、このことを聞きつけた「スピリチュアリスト」たちが、「量子崩壊を自分に有利な方向に推し進めることで、人生を豊かにする」などと言い始めて、非科学的な雰囲気を持つようになりました。
しかしファインマンが言ったように「量子力学を理解しているつもりなら、おそらく理解していない」のではないでしょうか。
ノイマン、ウィグナー、パウリのような量子力学の創設者は、「意識」との関係を議論しましたが、スピリチュアリストのような集団のせいで、その真意が誤解されているのです。
ウィグナーも、「独我論っぽいからやだ」といって途中で意識との関連性について否定的態度を取るようになりました。
他の解釈を採用すると、量子デコヒーレンスや量子マルチバースを理解する必要があります。
しかしどの量子力学解釈を採用するのかによって、宇宙の終末は異なるものになる可能性があります。
意識によって崩壊する理論ではサイクリック宇宙論が可能かもしれませんが、デコヒーレンスによって崩壊することを想定する場合はエントロピー増大によって熱力学的死が待っているでしょう。
milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS”から1週間くらい経ちましたね。
まだ余韻から抜け出せずにいる私ですが、ライブ後からずっと深読みし続けた果てに生まれた考察をインターネットに放流します。
これをまとめれば余韻から抜け出せるはず…!!
意外と現実的なところに文字数制限があって引っ掛かっちゃったので前後編にします
Finalで奇跡が起きたから一連のシリーズとしてまとまって終わることができた4公演だったと思っています。
下記の諸注意は必ず読んでください。
この記事では、私の妄想と推測と深読みを書き散らしていきます。
それはもはやフィクションですので、間違っても「本当はそうだったんだ!」とはならないようにお願いします。
以降で展開する解釈についてはあくまでもGREEN LIGHTS公演上での意図を解釈したものであり、楽曲の成り立ちとかについての言及はしないです。
かなり深く重層的な公演でした。解釈は無数にあり、その全てを尊重します。
どの公演回にもそれぞれの良さがあります。
「ここが違った!」みたいなことを列挙するつもりはありません。
チラシの裏に書き散らかすつもりで書いているので、対象者も何もないですが
あえて言えば、映像化されたらまた見返したいので自分のために書いてます。
基本事項とか書こうと思ってないし、基本的には4公演のうちどこかに参加できた人が見て「ふーん」って思ってくれたら十分です。
揺るぎない芯があり、かつ不安定なバランスでもあり、奇跡的なまとまりで終演した公演ですから
その一端を目撃できた幸運なファンの記録というスタンスで公開します。
読んだね?
書いておきたいことは全て書くし、私が見たことが私の正解なのでこの記事へのコメントには基本的に返信しません。
でも、公開するからにはこの感動を分かち合いたいので、これは言っておきたいってことがあればコメントしてもらえれば、
前提として、自分はあくまでショーとして公演を楽しんだということにさせてください。
本公演は、miletさんの葛藤と成長を描き、揺るぎなく力強いアーティストとなっていくための儀式と捉えています。(ある種のコンセプトライブのようでもあると思います)
なので、この公演を見て過度にプライベートまで推測して心配したり、仕事についても知り得ないことまで想像して心配しないです。
むしろ本公演を経てハチャめちゃにパワーアップできた、挑戦は大成功した、これからの活躍をより一層期待しているよ、という立場を取ります。
前置き長くなりましたが
GREEN LIGHTSのテーマはシンプルに「自分との同化」だとしっくりきます。
昔の自分が何を思っていたのか、何をどのように考えていたのかということを細部まで完全に思い出すことができなくなって
寂しい、こわい、不安、昔の方が良かったんじゃないか、という感情に対し、過去と向き合い、折り合いをつけて、また前進していく
ということがテーマになっていると感じました。
ここで、登場人物をはっきりさせた方がわかりやすいので、下記の表記で進めていきます。
milet :2024/03/15-20にかけてのmilet(GREEN LIGHTSステージ上のmilet)
「大丈夫」が心からはみ出てたり、自分の歌に励まされたりして、歌との向き合い方ですら悩んでるmiletさんは、ミレイ(みれい)の細部まで同化できなくなってきている
というところから始まり、ライブを通してどのように過去の自分と折り合いをつけるか、ということを表現していると思います。
(「今日だけは自分のために歌わせてください」ってそういうことだよね…?)
また、過去の自分がどのように考えていたかわからなくなって、なんだか寂しいというのは私(筆者)にも誰にでも当てはまる感情です。
昔は楽しかったな(辛かったな)って思っても、何がどう楽しかったのか(辛かったのか)細部まで全く同じに思い出せる人はいないと思うし、思い出せないとやっぱり寂しい。
miletさんは、GREEN LIGHTSを通して、自分は自分と向き合うために歌うけど
みんなもそれぞれの過去と向き合って、また前に進んでいかない?って、表現しているのではないでしょうか。
GREEN LIGHTSのセットリストですが、「自分との同化」というテーマに沿って
いちど、各楽曲で歌われる「あなた」や「You」はミレイ(みれい)のことなんだと思って聴いてみてください。
長々書いてるこの記事のなかで誰かに伝えたいことがあるとすれば、
セットリストの楽曲の「あなた」をミレイ(みれい)に置き換えて聴いてくれ!!!
ってことだけかもしれません。
(曲解と言われてもしょうがないレベルだと自分でも思ってますが、思っちゃったことなので書いてます)
GREEN LIGHTSとスクリーンに出る瞬間がめちゃめちゃかっこいいです
もちろんmiletさん自身も、スーパースターのステージングはとても力強かったです。
このパートではデビューからの自信に満ちているミレイが、その少し前のみれいに向けて歌っていると解釈しました。
主体が現在じゃないのでわかりづらいですが、思い出したい過去までの距離が短いので自信をもって同化できている状態です。
絆ノ奇跡とコイコガレは、ある意味まっすぐでわかりやすいメッセージがあります。
大好きな楽曲ですが、固くてまっすぐ過ぎたら逆にモロいということの表現になっていると思います。
checkmateの歌詞「あなたが何を求めてるかわかってる、私はあなたの全てだから」ってのは完全に同化していることを意味していますよね。
Higherの歌詞もお互いの理解度がかなり高いことは明らかで
あなた(みれい)をもっと高いところ(メジャーでもっと売れるアーティスト)に連れてってあげると解釈できます。
オープニングで必要な盛り上がりとテーマ性を両立させた完璧すぎる開幕です。
一瞬のMCを挟んで、ここからのパートはmiletからミレイに向けて歌っていると解釈しました。
つまり、このパートから本公演のテーマとちゃんと向き合っていくことになります。
突然ですが、最初にinside youを聴いた時を覚えてますか?
恋愛のことを歌っていると思いましたよね。(そしてそれは多分そう)
「ミレイの中には誰がいるの?何を考えているの」って歌っていることになります。
全編にわたって、歌詞がこれ以上ないくらいテーマとリンクしているのですが
心からの「そばにいて」という叫び(アカペラ)に、共感して、心が震えました。
また「あなたの人生には私がいない方がマシかもしれないけど」という歌詞は
歌手にならなかった可能性のことを感じさせ、とても寂しい気持ちになります。
そしてそれはあの場でinside youを聴いた私たちについても。
今の自分の選択や人生が、すべての過去の自分の選択と完全に一致している人などいるでしょうか。
現状に負い目を感じつつも「あなたの中には誰がいるの?(なにがあるの?)」と、わかりたい。
私(筆者)自身も、色々な過去を思い出し、自分の選択って正しかったんだろうかと、やるせなくなり、涙しました。
過去の自分が何を思っていたのかよくわからなくなる、という感情の中には
昔は怖かったものが、今はどうして怖かったのかよくわからなくなるということも含まれています。
この楽曲では、みれいが何について怖れていたのかを思い出そうと試みていると解釈しました。
miletさんが、ミレイ(みれい)をよくわからなくなっている状況で
「よくわからないもの」=「怖い」と考えると、ここでもYouをミレイ(みれい)に置き換えられると思います。
私自身の体験としては、この楽曲がmiletさんを好きになったきっかけの曲でもあるので感慨深いです。
(2019年RADIO CRAZYのセトリのなかでもこの楽曲だけ後で何回も聴きました)
当時、この曲にどういうことを感じたからmiletさんを好きになったのか、そんなことに思いを馳せることもできました。
この楽曲が出たのが、おそらくコロナ禍の直前あたりだと思います。
2020 Green Lightsでは2曲目として演奏されるはずでした。ノリのいい楽曲です。
ですが(私の解釈では)まだ、過去と向き合ったばかり、miletさんとミレイの心の距離は離れたままです。
この楽曲は、心の距離は離れたままでも「私があなた(ミレイ)の光になる」と
この楽曲は主にセンターステージで演奏されますが、客席があまり照らされていないように感じました。
光の演出がない→まだMAX盛り上がらなくていい、という演出かと思います。
盛り上がっていいのかよくわからなくて戸惑うお客さんが、心の距離が離れた状態のミレイと重なるように演出されているのではないかと考えました。
(考えすぎです、たぶんちゃんと盛り上がってました。)
ここまで色々書いておいてなんだよって自分でも思うけど、結局コレなんですよね。
どういうタイプのエンタメなんですか?次にもう一度これを体験するにはどうしたらいいんですか?と思いました。
もちろんこれが目の前で繰り広げられている時にはテーマがどうとか解釈がとか考えてる余裕ないですので
このパートでは、miletさんが違うアプローチで過去と向き合おうとしていると考えました。
具体的には、過去の自分の思い出せない、満たせない部分は、今の自分の好きなことや考えていることで満たすというアプローチです。
なので、いまのmiletさんが一番ライブでやりたいことで満たす→DJパートってことだったんじゃないかなって思ってます。
余談ですが、5amツアーや今回のHELL CLUBの演奏を見ると、地獄と天国って同じなんじゃないかと思ってしまいますよね。
- Higher
2回目の登場になりますが、ここではmiletからミレイに向けた解釈にするとアガります。
- Outsider
過去と向き合うにあたり、過去に媚びることはしないっていう解釈ができますね。
アプローチを変えたことで徐々にmiletとミレイ(みれい)の心の距離が近づいていくという解釈もできますし
DJブースに立ち「m-i-l-e-t I'm with ya」と歌うところが解釈一致すぎて震えました。(このあとのblissにつながります)
- おもかげ
見せない(見えない)愛で満たしている という歌詞の通り
ミレイの考えていることがはっきりとはわからなくても、そこには愛があるということに気づいたと解釈できます。
- us
DJパートで使われた部分の歌詞の「好きだと言ってしまえば」というのは
何を考えていたのか本当のことはわからないけど、今の「好き」を押し付けられるのなら、という解釈はできないでしょうか。
過去に向けた思考はどうしたって一方通行です。過去に想いを伝えるというのは、どうしても押し付ける形になってしまう。
だから「想いを伝えたら、消えてしまうかな」と、はがゆい気持ちでいると感じました。
ぶち上げてくれました。
ここで公演のメインテーマということは、同化、まで行かずとも、過去との向き合い方を得たと解釈していいでしょう。
「私を守るこの名前」という歌い出しから察した方も多いと思いますが
自分の過去と現在(未来)にわたってmilet-ミレイ-みれいという名前で繋がっているということを表現していると解釈しました。
とくに「優しく呼んだ声」ということですから、ここではアーティストとしての表記「milet」であろうとなかろうと、自分は自分ということを見つけたと思っていいのではないでしょうか。
DJパートからの急展開で戸惑うというのもわかりますが、体温が上がった状態からのしっとりした曲ということで
他の位置にあったなら(ともすれば)聞き流されてしまうような曲でもちゃんと大きな印象を与えます。
この公演でのテーマと合わせて考えると、ここ以外考えられない完璧すぎる曲順ですね。
そして、この楽曲はこの公演にとって非常に大きな意味を持っていると思います。
inside youからここまでのパートで過去との向き合い方や受け入れ方を身につけてきました。
ようやく、離れていた過去の自分との心の距離が、通じ合えるレベルまで近づいたと解釈していいでしょう!!
そう思って、この楽曲でも「You」を「ミレイ(みれい)」に置き換えてください
素敵です。本当に。
前編にわたって、この公演、このテーマのために書かれたと錯覚してしまうほどのメッセージのシンクロ率です。
いつでも、どこでだって、どの自分でも、自分ということを知った、と解釈しました。
光の演出も素敵で、まるでmiletさんが魔法を使って客席を彩っていくかのような二番サビの光景が忘れられません。
あと、miletさんが高台で歌ってるので見上げて、手を伸ばして、ひらひらが舞う光景も素晴らしかった。
ここで終わらないんですよ。
こ こ で 終 わ ら な い ん で す よ お
たしかに、過去の自分と通じ合えるようになって、怖いものは無くなりました。
ただ、このパートからmiletさんはいまの自分と向き合います。
だから、きっとまた忘れちゃうけど、ボロボロでも、何度だって、走り続けるって決めた。と解釈しました。
演出としては、運良くセンターステージ脇から見ることができた回があり、スクリーンのニケ像とmiletさんが重なる瞬間がとても美しかったです。
そのときにmiletさんの片腕とニケ像の片翼が合わさって一対の翼(Wings)になったようにも見えました。
ここで安心して終わらない、っていうところが本当にすごいと思います。
2023年のRADIO CRAZYでも、まずImagineを演奏していたことを思い出します。
こういうところほんとに好き、って思います。
(あくまでも、私の中のフィクションの話、かつGREEN LIGHTSの解釈ですよ!長くなりすぎたので、再度注意)
さて、前に進む、走り続けると決めたmiletさんですが
走り続けるということは、過去を思い出せなくなってしまうことを受け入れるということです。
そう思って、One Reasonの歌詞のYouをミレイ(みれい)に置き換えると、全ての歌詞がリンクします。
けど、やっぱり行かないで。ってことなんですよねえええええええええええええ。
もう、理路整然と書けないけど、、、はぁ
いまは温度も思い出せるけど、このまま走り続けてたらやっぱり忘れちゃうよね。やっぱりやだ、でも行かなきゃ。
そんな迷いをこの楽曲に託したのではないでしょうか。
ピアノの音でも、過去の自分とずれていくことを受け入れたり、やっぱり嫌だったりすることを表しているのかなと思ったりしました。
(蛇足だけど、メモに「One Reason:感極まる瞬間ありで感極まる」と書いてありました。極まりすぎ。)
この楽曲では、Wingsからのパートからつづく葛藤について覚悟を決めた、たとえ過去の自分のことを思い出せなくなっていくとしても前に進んでいくと決めた。と解釈できます。
でも、どうやってもことばじゃこの感動を書き表せないな。
とりあえず、miletさんが「自分を信じたい」って言ってくれてとても嬉しかった。です!!
【後編はこちら:milet 5th anniversary live “GREEN LIGHTS” に寄せて(深読み注意)【後編】】
初代ガンダムって今観ても神がかってるんだよなあ
作画とか枝葉末節にこだわる人にはお勧めできないけど、まず一話が凄い
一話の演出が、シナリオが、作りこまれた設定や世界観が、モビルスーツの巨大さを表現するアオリ構図が、
今となっては当たり前の表現がすべてここに詰め込まれているし、今になっても当たり前になってないのは、
初代ガンダム一話の無駄のなさ、まったくといっていいほど無駄がない、
これから始まるであろう作品に絶対必要となる道具、登場人物、世界観、設定、技術、あらゆるものが詰まってる
はっきり言って、初代ガンダム第一話は教科書に載せるべきレベル
安彦氏の描く、ぐにゃりとしなるロボットによるダイナミックな動き
そして、青葉区での最終決戦まで話は飛ぶ
その間の話は、当然物語に必要な要素も多くあるが、単なる時間稼ぎのようなくだらない話も存在する
そんな枝葉末節をあげつらって、ガンダムが喋ったwとか、作画崩壊wとか、くだらない話である
というか、劇場版での安彦氏による描き直しでさえ、もうかなり今でも観ても十分耐えるどころか素晴らしいものがある
結論を急ぐと、ZやZZはオチがショボい、盛り上がりに凄い欠ける
初代はアバオアクーがあった
最終激戦地という設定が、嫌でも視聴者を盛り上げた、生身でのアムロとシャアとの宇宙でのフェンシングの一騎打ち、
そして、最後には自分にも帰れる場所があったんだ、という全面的な自己肯定感で満たされる主人公
正直言って、初代ガンダムが富野氏の頂点だったと自分は思ってる
つまり、今度は自分で取ってしまった頂点を、更に越さなければならなくなる
自分で最強の敵を生み出してしまい、更に次でその敵を倒さなければならないのに、最強なだけに倒せないのである
ZやZZにはアバオアクーのような舞台が設定されておらず、盛り上がりに欠ける
富野氏自身、なんというか、もう物語全体を盛り上げることより、シャアという人物をどう描くかばかりに固執するようになっていく
初代ガンダムで実現できなかったリアルさ、未来の技術の設定はZの方が格段に上であり、
ZはZで、第一話のリックディアスの地面擦れ擦れの飛行、全天候型スクリーンなど、とにかく設定は盛りだくさんであり、ディティールは格段に上がった
でも、初代ガンダムにあった、ものがたりのようなものは失われ、よくわからない政治描写に煙に巻かれたり、無意味な暴力シーンがあったり、
これって単に現場の苛立ちが作品に反映されただけなんじゃないの?と思わせられるぐらいだった
Z以降には、黒い三連星だの、マチルダさんだの、そういったものがたりっぽいものが失われている
そういった、誰もが観て、共通に語れるような要素がなくなってしまっている
大人はみんな難しい顔をして、複雑な政治に奔走し、かといって、やたらに他人を殴るし、姿は大人なのに、行動は大人のやることじゃない
数年前に亡くなった祖母は15年ほど車椅子ユーザーでした。高校生の頃は介護もよく手伝っていました。そんな私が今回の騒動で感じたことを書いてみます。
今回の騒動では、そのインフルエンサーの普段の行いだとか、感謝もしないとか、そういう面がよく取り上げられています(過去の似たような炎上もそうでした)。
が、この問題の始まりは劇場側のスタッフの物言いが悪かったという点です。そこに関してはイオン側も認めて謝罪しています。
①車いすユーザーに近い立場にいたこと 劇場スタッフの物言いが悪かったこと
持ってきた時点で関係者であった優位性と、劇場スタッフ側の問題性について傾けたい意図が感じられて正しく問題について考えられないと思われます
今回の件で映画館側の、今後のバリアフリー化に対する課題が生まれたのは良いことだと思います。
別に誰であろうとよりよい環境やサービスがあればそれを受けてみたいと思うでしょう
それを料金以外で利用が可能とみてだれも適していないと明言をしていないからといって使用することとそれをSNSで流すことは問題行動であってそれを課題と見るかは関係者の裁量です
お金がないけどプレミアムシートでみたい、という人にお金がないけど見れるサービスを抽選などで行うというのも「課題」だとすれば課題として「生まれる」かもしれません
そらくほとんどが健常者の社員だと思います。当事者じゃないと分からない課題というのはどうしてもあるため、障害者からのリアルな声が上がったことは良かったのではないでしょうか。
よく目にするのは、「車椅子専用席があるんだからそこで見れば良い」ということでしょうか。
車椅子専用席って、位置的にスクリーンは非常に見にくいです。想像したら分かると思いますが。
そういう不利益があるから、障害者は安い料金で映画を見られるわけです(もちろんそれだけが理由ではないけど)。
ただ、あの見にくい席で映画を見るのは嫌だという気持ちも十分理解できます。だったらお金を払ってでも良いシートで観たいと思うのは、別に悪いことでは無いと思うんです。
一方で、非常時の避難誘導の際はどうするんだ!という声もありました。
③それ以外の問題
そういう問題やサービスの提供で補っているのだから通常必要がないとされているので通常の運営では提供していないのだと思います
まあそれもそうなんですけど、毎週映画館に行くような人でも、非常時に遭遇することなんて一生に1度も無いと思うんですよね。
(昨今地震が多いですから、確率は上がってるかもしれませんが)
ほとんどの人が、非常時に遭遇することなんて想像していないし、遭遇しても(仮に死んでしまっても)「まあ運が悪かったよね」としか言いようがありません。
そんなほんの僅かな可能性を引っ張りだして「非常時は!」「非常時は!」と責め立てるのは、正論ではあるけれど言葉の暴力に感じます。
ガチの非常時がおこったら、車椅子席で見ていたとしても他の観客は速やかに逃げられるでしょうが車椅子だとそうもいかないでしょう。
車椅子がノロノロと進んでいたら、健常者の我々の命だって危険です。極論、障害者は同じ空間にいるだけで健常者にとってはリスクになるんです。
「だから障害者は一切外に出るな!」と思いますか?(思う人は少なくないんでしょうね…)
昔バイトしていたスーパーでは、毎日手回し充電ラジオと懐中電灯のチェックをしていました。正直無駄だと思いましたよ。週一でいいじゃんと。
でも安全のために仕方がないのです。
どう感じようと、自分がたった1件の車いすユーザーの関係者であった事をあげてきている以上、その1件をもってしてその関係者たる意見を支える骨子にしていますよね
あなたが自分の家族の非常時を「しかたない」ですませられるかもしれませんが、100人いればそれですまない人がそのうちに何人かいるわけです
この部分は先の運がどうのと、運にまかせてはいけないと混ざって全体の目的を不明瞭にしています
だったら、建設的に今回の騒動を取り上げたほうが良いと思います。
そのためにすでに施策がとられて、そこに車いすが入ると想定されていないわけです
それを「あらたな課題」として「車いすを通したら(いや通さないで現状ある)」とすることで「なにをすべきか(今しなくてすむようになっている)」をわざわざする必要性に
「車いすだっていい席で見たい(車いす以外にもいい環境で映画をみたい人はいる)」をとりあげる意味がわかりません
車椅子の人があの位置で映画を見るのはちょっと見づらいよね。じゃあ通常料金にはなるけど、車椅子の人でも見やすい席は作れないか?
そのためには劇場をどのような設計にすれば良いか。どうすればスタッフに負担をかけすぎずにそれができるか。
いろいろ考えることはできると思うんですよ。
⑦考える事のコスト
考えるだけならタダですけど車いすユーザーがそこまでして映画の席を整備してもらう必要性が、映画館のどこにあるのかを説明すべきでしょう
自分は年に一回しか映画にいけない、それだけの経済的余裕がないとする人が自分のために一年に一度だけだから特別に席を用意してほしいと願うなら、なにをしてあげられるでしょうか
特に必要性を感じませんが、その1個人についてのみ解決を必要とするとお考えならその人にチケットを誰かが渡すだけでよいはずです
映画館がたった一人のだれかについて、ほかの全体の映画視聴者をまきこんで対策をする必要性を感じるならそれを述べるべきです
たった数人しかいない利用者のためにそこまでする必要があるのか?と思う気持ちも分かりますが、なぜ数人しかいないのか?そういう劇場の設計だから諦めてきた車椅子ユーザーがそれなりの人数いるからだと考えることもできます。
介護疲れという言葉があります。私も介護疲れで、祖母が亡くなった時は、申し訳ないと思いながらも身体が軽くなりました。
介助側にも休息は必要です。
障害レベルの差はあれど、障害者でも1人で気楽に外出できるような環境が整えば、私のような介助者が休める時間だって増えるはずです。
社会のバリアフリー化が進めば、我々健常者の負担は減るんです。
街中で障害者を見かけても手助けする必要が無い社会を目指す必要があると思います(100%無介助とまでは言いません)。
その実情が、車いすユーザー自体の改善努力や我慢が映画の状況を左右するのかどうかということです
SNSで話題になってそうしないと社会的な批判を受けて株価の低迷や売り上げの低下につながりとなった場合対策をせざるを得ないという状況にはなります
それこそが暴力ではないですか?
ユーザーが多くてそうしてほしい声が多いならその声をもってして改善の必要性を掲げるべきではないですか?
今回のようにインフルエンサーの過去を引っ張りだしたり、どこかの団体とつながっていたり、そういう問題外の部分で叩くのは不毛です。
SNSの拡散による社会的不利な立場へ批評をあつめるような行動で、経済的活動に存在を与えんとした行動をもってして問題なので不毛でもなんでもなく、そこが原因だと思います
声をあげた最初の行動が、不利益をちらつかせて改善を提案するという情報の流布から問題提起をする事と、それによる注目度という活動自体の目的と利益がある事自体が問題です
障害者に優しい社会は、健常者にも優しい社会だという考えをもう少し持ってほしい。
今回、インフルエンサー側に立っている人たちは「もし自分が障害者になったときの事を考えてみて!」というような事を言っていますが、それだけじゃ甘いです。
甘い
あれって系列の店全部調べて1/100の対応してないとこを狙って行ってごねるんだよ
今回もそう
あの店で車椅子対応してないのは10以上あるスクリーンであれだけ
当然狙って行ってごねてるの
数年前に亡くなった祖母は15年ほど車椅子ユーザーでした。高校生の頃は介護もよく手伝っていました。そんな私が今回の騒動で感じたことを書いてみます。
今回の騒動では、そのインフルエンサーの普段の行いだとか、感謝もしないとか、そういう面がよく取り上げられています(過去の似たような炎上もそうでした)。
が、この問題の始まりは劇場側のスタッフの物言いが悪かったという点です。そこに関してはイオン側も認めて謝罪しています。
今回の件で映画館側の、今後のバリアフリー化に対する課題が生まれたのは良いことだと思います。
おそらくほとんどが健常者の社員だと思います。当事者じゃないと分からない課題というのはどうしてもあるため、障害者からのリアルな声が上がったことは良かったのではないでしょうか。
よく目にするのは、「車椅子専用席があるんだからそこで見れば良い」ということでしょうか。
車椅子専用席って、位置的にスクリーンは非常に見にくいです。想像したら分かると思いますが。
そういう不利益があるから、障害者は安い料金で映画を見られるわけです(もちろんそれだけが理由ではないけど)。
ただ、あの見にくい席で映画を見るのは嫌だという気持ちも十分理解できます。だったらお金を払ってでも良いシートで観たいと思うのは、別に悪いことでは無いと思うんです。
一方で、非常時の避難誘導の際はどうするんだ!という声もありました。
まあそれもそうなんですけど、毎週映画館に行くような人でも、非常時に遭遇することなんて一生に1度も無いと思うんですよね。
(昨今地震が多いですから、確率は上がってるかもしれませんが)
ほとんどの人が、非常時に遭遇することなんて想像していないし、遭遇しても(仮に死んでしまっても)「まあ運が悪かったよね」としか言いようがありません。
そんなほんの僅かな可能性を引っ張りだして「非常時は!」「非常時は!」と責め立てるのは、正論ではあるけれど言葉の暴力に感じます。
ガチの非常時がおこったら、車椅子席で見ていたとしても他の観客は速やかに逃げられるでしょうが車椅子だとそうもいかないでしょう。
車椅子がノロノロと進んでいたら、健常者の我々の命だって危険です。極論、障害者は同じ空間にいるだけで健常者にとってはリスクになるんです。
「だから障害者は一切外に出るな!」と思いますか?(思う人は少なくないんでしょうね…)
昔バイトしていたスーパーでは、毎日手回し充電ラジオと懐中電灯のチェックをしていました。正直無駄だと思いましたよ。週一でいいじゃんと。
でも安全のために仕方がないのです。
だったら、建設的に今回の騒動を取り上げたほうが良いと思います。
車椅子の人があの位置で映画を見るのはちょっと見づらいよね。じゃあ通常料金にはなるけど、車椅子の人でも見やすい席は作れないか?
そのためには劇場をどのような設計にすれば良いか。どうすればスタッフに負担をかけすぎずにそれができるか。
いろいろ考えることはできると思うんですよ。
たった数人しかいない利用者のためにそこまでする必要があるのか?と思う気持ちも分かりますが、なぜ数人しかいないのか?そういう劇場の設計だから諦めてきた車椅子ユーザーがそれなりの人数いるからだと考えることもできます。
介護疲れという言葉があります。私も介護疲れで、祖母が亡くなった時は、申し訳ないと思いながらも身体が軽くなりました。
介助側にも休息は必要です。
障害レベルの差はあれど、障害者でも1人で気楽に外出できるような環境が整えば、私のような介助者が休める時間だって増えるはずです。
社会のバリアフリー化が進めば、我々健常者の負担は減るんです。
街中で障害者を見かけても手助けする必要が無い社会を目指す必要があると思います(100%無介助とまでは言いません)。
今回のようにインフルエンサーの過去を引っ張りだしたり、どこかの団体とつながっていたり、そういう問題外の部分で叩くのは不毛です。
障害者に優しい社会は、健常者にも優しい社会だという考えをもう少し持ってほしい。
今回、インフルエンサー側に立っている人たちは「もし自分が障害者になったときの事を考えてみて!」というような事を言っていますが、それだけじゃ甘いです。
https://anond.hatelabo.jp/20240317232617
↑を書いた増田なんだが思った以上にコメントがついてビックリした。自分の中では結構身内ネタとして浸透していたのでここまで一般に広まる話だと思っていなかった。
ただ、こう考えると自分や映画を見まくっている層以外にもマナー違反をかます人間に対して辟易していて、映画界隈だけの問題でないことを認識できたので少し安心したところだ。
今回は自分と周囲の意見を参考にして23区内でマナーの悪い客に出会いやすい映画館について話していく。ただし、あくまで主観なので実際の評価は何とも言えない。あくまで参考として聞いて欲しい。
東京に限らず、治安が悪くなりがちな映画館には共通する要素が結構多い。他の地方でも下記の要素がある所では地雷客を摑まされるので参考にしてほしい。
言わずもがな、不特定多数の人間が押し寄せてくるため。夜間は泥酔客とかも入ってくる。最近は殆ど見なくなったが臭いホームレスが入ってくる事がある。そうなると地獄絵図
東京の場合、渋谷・新宿・池袋、大阪の場合は梅田・なんばで見る時は多少の諦めが必要
シネコンだろうとミニシアターだろうと収容人員が200を超えるでかいシアターは結構スマホを光らせる輩が多い。バレないとタカを括ってるか最悪バレても無視できると踏んでいる為
ボロいビルに入っている映画館は高齢者が多く来る傾向があるが、結構な割合でビニール袋に菓子を持ち込んでくる場合が多い。
寄席は飲食物の持ち込みが許可されている場合が多く、その近辺にある映画館に来る客(特に高齢者)はそのノリを引きずって持ち込んでくる。
ビルに入っているシネコンの場合、シアターまで少ないエレベーターやエスカレーターを使わざるを得なくなるため、故意で無くとも上映開始時間に間に合わない。
ゴジラがビルから覗いているので外国人にも人気があるシネコン。新宿、それも歌舞伎町のど真ん中にあるためガラの悪い客が多い。特に夜間は同伴出勤のホストやキャバ嬢が客ときて香水臭かったりする一方で昼は適当に見に来た客がうるさいことが多い。
混雑率が高いので更にイライラする可能性が高い。ただし、IMAXやMX4Dでは純粋に映画を楽しむ客が多いので比較的マシなのと築年数が新しいので比較的館内が清潔なのが救い。
導線が悪い事で有名。3階から11階までシアターがあるのだがエスカレーターとエレベーター各一機でやりくりしている。また予約画面からはどのシアターが何階にあるのか分かりにくい。
そのため上映中入場が非常に多い。ただ、グランドシネマサンシャインと違うのは大きいスクリーンが低層階にあるので大作でやらかす客がまだ多くないことか。
新宿末廣亭が近いせいか持ち込み率が高い。コンセが高いので向かいのファミマや無印で持ち込んでるっていうのもあるが。係員がシアターのそばにいないため文句を言いに行きにくいのも難点
ミニシアターでシネフィル向けの作品が多いのでそこまで治安が悪くはないのだが、シアターがわりかし広いのでSNSでバズった映画が上映されるとスマホを光らせる客が割と多い。
道玄坂にあり、導線がエレベーターしか無いので非常に進みにくい。あとビルに合わせてシアターを作っているで見にくい場合が結構多い。
場所柄若い客が多いので騒ぎ出すと集団でうるさくなる。映画ファンにとって特殊な設備があるわけではないので映画ファンは時間があっても行かない事が多い
日比谷にあるTOHOビルの中にある映画館。シネコンなのだが映画館の経緯で玄人向けの作品が多く上映される事が多い。
中高年の客層が圧倒的に多く、そいつらのマナーが非常に悪い。ビニール袋に持ち込んだ袋菓子を開ける音がしょっちゅう聞こえる。
ミニシアターは殆ど弁えている客なのでそこまで荒れる事は無い(設備面で文句を言う客はいるが)