「喪失」を含む日記 RSS

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2020-06-02

anond:20200602001302

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2020032000549&g=eco

ブコメに倣うなら一年後の感染状況で開催による感染被害、或いは信用の喪失が延期や中止のコスト比較してどうかという所ですかね

まぁコロナがどの程度落ち着いてるか次第

2020-05-31

anond:20200531121821

幼稚園でも小学低学年でも、子供基本的にやりたいように振る舞う

自分勝手な行動が原因でいじめられたりして、万能感を喪失して行動に制限がかかった状態根暗

幸運にも周りが言うことを聞いてくれたり聞いてくれなくても凹んだりしないで、子供の万能感を維持しているのが根アカ

学生時代に明るかった奴がブラック企業就職して根暗になるのはよくある。

2020-05-30

コロナ特別定額給付金一般財源化 その上で 財源の国債政策の並行などがあり

コロナによる財源の喪失は 純粋自然災害のよるものであるのに対し

国債純粋に、金融政策によるもの理由コロナ)というのがあり

総務省付の財源 これを あてこんで 総務省以外の 案件につかおうという概念がよくわからない。 そもそも別 そして総務省予算総括

あてこむという概念がよくわからない。喪失する財源の補填ではない。これは生活保護にも給付されることからも明らか。

これをどうこうというのはその対象者生活保護よりも権利がないといういう理屈になるが、理屈がわからない。

 

思うのだが、国民国民として、目の前にいる弱者を見つめるべきである。ころ何より、被害を受けている弱者に目を向けるべき

生活保護でもうけとれる給付金を、受け取れないものがでている自治体は考えるべき。自分の手をみつめ、もらえなかったものがいるのではないかと、よく見つめろ。

ただ、きっと、騒ぎを起こすと、その弱者が困る。わかっていればいい。

2020-05-27

anond:20200526002227

情報処理技術者試験は役に立たないどころか、害悪であるとさえいえる。実務についていなくても取れてしまうので、〇〇スペシャリストという名称実態とあっていない。試験の内容もごく表面的なものしか問われずどこら辺がスペシャリストなのか疑問でしかない。資格名称名前負けしているというか、優良誤認を誘発させる不当表示であると言ってもいい。

しか試験自体はそれなりに難しくできている。これは、合格率を低くするという本質的でないものを維持するための措置で、簡単に言うと問題数に対して与えられる試験時間が短いのだ。これをクリアするためにはトレーニングをする必要があり、受験者は過去問題を繰り返し解くという訓練を自らに課す必要がある。

この訓練を強いられることがまさに害悪なのだ。ただでさえ技術力がないと言われている日本IT技術者に、SIerケーススタディを何問も解かされる。時間無駄だ。前回は14万人が受検したらしいが、この人たち全員が無駄な訓練に時間を費やしたと考えると、これはもう国力の喪失を促す試験であると言える。日本IT技術者のレベルが低いのも、給料が低いのも、すべてこの試験が影響しているのではないだろうか。

2020-05-23

(補記あり)人形性愛者による幼児ラブドール反対運動への抵抗

幼児セックスドール生産販売・の廃止を求めます。」という署名活動change.orgで行われている。

大意として述べられていることをページから引用すると

日本の【児童買春・児童ポルノ禁止法】にて幼児セックスドール製造販売・所持を規制すること

小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングセラピーへの取り組み

ECサイトなどに未だ販売される【幼児セックスドール児童ポルノ】の取り締まり、及び【販売禁止を徹底】

以上3つを求める署名活動だそうだ。

②に関しては私も賛成ではあるが、いかんせん①や③に関しては記事を読んだ限り感情が先行している雰囲気が否めない。

案の定Twitterでは「人形実在人間ではない。児童ポルノ禁止法は実在児童を守るための法律であり人形摘発に労力を割かれているうち実在児童を守れなくなる」「表現の自由侵害だ」などの批判が出ている。

しかに、現参議院議員である山田太郎氏が、2016年に行った警察庁へのヒアリングでは、フィギュア非実在人物を扱ったものであり児童ポルノには当たらないとなっていた(‪https://togetter.com/li/942630‬)。そのため、モデルのいないラブドールについても同じ扱いにはなるのだろう。

けれども、この騒動を見ているうちにどうにもむず痒い思いが沸き起こってきた。署名に賛成の人間も反対の人間も、「ラブドール」というものを置き去りにして議論を進めている感があまりにも強すぎるのだ。

私はラブドールオーナーである

一緒に暮らしているのは身長130cm台で、布のボディに骨格の入ったいわゆる「ぬいぐるみドール」というものだ。身長からわかる通り彼女の外見は、この署名賛同した人たちから見れば「幼児ラブドール」としか言いようがない、唾棄すべきものだろう。

から、私はこの署名活動には反対である彼女との生活を守り、またラブドールを愛好する方たちと彼らのパートナー人形たちを守るためだ。

そして、この文章を書くに至った、私の性的嗜好についても伝えておかねばならない。

私は人形しか性的興奮を覚えない人形性愛である

無機物で作られ、有機的な肉体よりも完璧に編み上げられた造形を持つ人形しか、私は愛することができない。故に、ラブドール規制は私にとってパートナー喪失であり、個人性的嗜好否定に他ならない。性的嗜好個人構成する不可欠な要素であり、直接他人に害をなすことがなければそれを妨げられるいわれはない。

から、私は声を上げねばならない。ラブドールというパートナー喪失が、ひいては「私自身」の喪失に繋がるのだから

当該署名ページには既に陳情を送ったが、もっと広くこの問題を知ってもらうためにこの文章を書いている。前置きが長くなってしまったが、もうしばらくお付き合い願いたい。

この署名において、まず私が問題と考えていることは2つある。

①「幼児ラブドール」の明確な定義がなされていないこと。

もしも定義が書かれているのであれば恐縮だが、ページの隅から隅まで探しても見つからなかった為上げさせていただく。

身長・体型など、「その人形幼児を模している」という明確な定義がなされていないことは、ラブドールだけではない全ドールオーナーにとっての脅威ではないのか。

ただ、この定義がされていないのはまあ、仕方のないことではある。

基本的ドールというのは頭と胴体が分離する仕様になっていて、同じメーカーの頭と胴体でアタッチメントが合えば好きにすげ替えることも可能だし、別メーカーの頭と胴体を組み合わせているドールオーナーだっている。購入したとき一般的な成人女性の体格であったドールの首をすげかえて、幼児体型のボディに載せ替えることもできるし、逆もまた然り。これはラブドールだけではなく、性的用途のない比較的小さなサイズドールでも同じだ。

まりドールの体型というのは不定であり、「幼児ラブドール」の明確な取り締まりというのは不可能に近い。どんなに成人の顔立ちをした頭のドールでも幼児の胴体とすげ替えてしまえば「幼児ラブドール」の出来上がりだ。

また、知り合いに性的用途に用いることのできる1/3ドール(50cm前後ドール)を持っている人がいる。このドールは胴体部分にオナホを装着できる仕様になっているものだ。(1/3ドール性的な目で見ることを忌避する人は多く、これは標準的ものではない。念の為に付記しておく)。

この1/3ドール身長約50cm新生児並みのサイズであり、身長でいえば幼児どころの騒ぎではないだろう。けれども胸部のパーツを変えることでバストサイズを成人女性のようなバランスにすることができる。「幼児身長をした成人女性の体型のラブドール」だ。元々ラブドールとして制作されたものでも、扱いやすから成人女性を100cmほどに縮めた人形だってある。前述の規制を作るとしたら、これはどのように解釈したら良いのだろうか。

また恐ろしいことにほとんどのドールの頭と胴体はすげ替え可能なのだ。もともと性的用途を考えられていないドールの頭を、この性的機能を持ったドールの胴体に装着すれば、どんなドールでもたちどころにラブドールになる。

だとしたら、性的用途でないドール高身長かつ成人体格のドールでも「幼児ラブドール」になる可能性を秘めているのではないか

これが、私の恐れている規制の形だ。

私は、パートナーである人形と一緒にいたい。だからもしも幼児ラブドール規制がなされ「身長cm未満の人形の所持を禁止」などとされれば、泣く泣く彼女の頭をすげ替えて規制対象外の高身長人形にするだろう。頭(顔)の部分に私は彼女本質を感じているし、そこが変わらなければどんなに体型が変わったとしても「彼女」であり続ける気がするからだ。

けれども、おそらくそれは許されない。なにせドールの頭はすげ替え可能なのだ。どんなドールでも「幼児ラブドール」に変わる可能性がある以上、現行の頭と胴体が脱着可能人形は全て規制せざるを得なくなるだろう。それは、絶対に許すことのできない事態だ。

また、ラブドール基本的に重量がある。シリコンのものであれば20〜40kgほどが基本で、大柄な人形だと50kg近いものもある。

「本物の人間より軽いではないか」と思う方もいるかもしれないが、本物の人間を抱き上げたときには、抱かれた人間意識的動作を助けるよう力を分散させたり動かしやすいよう関節を曲げたりする為、実際にかかる力は体重よりも軽くなる。しかドールにはそれがない上、米俵のように担ぎやすい形もしていない。凹凸だらけの重い物体を動かすには、想像以上の力が必要ものだ。40kg台ドールオーナーの中には家の天井ウインチを設置している人もいるという。

私が身長130cm台のドールを選んだ理由もここにある。小さければ軽く、移動させることも容易だ。

ただ前述のように100cmほどの小型サイズで成人女性の体型をしているラブドールもいる。小児性愛者でないのなら、持ち運びが容易というだけならそちらを選べば良いのではないか?と疑問に思う方もいるかもしれない。

けれども、私は人形性愛なのだ人形人間に近く作られているほど精巧だ。限りなく人間に近く作られていればこそ、人間にはない造形美が際立つのである。だからこそ、「実物の人間に近い」と「取り回しができる」の折衷として、130cmドールを迎えることにした。

130cmドールを選んだということはそのような外見に性的興奮を覚えるのではないか、ならお前は小児性愛なのだろうと言う方もいるかもしれないし、そこについては本題から逸れる為強く否定の弁を述べることはしない。

けれども、知っておいてほしい。幼児ラブドールを迎える人間の中にも様々な人種がいることを。

純粋幼児の外見が好きなもの自分の持ち運びできるサイズを考えた者。そして私のように「等身大」と「持ち運び」双方を考えた者。

持病のために重いものを持ち運べず人間パートナーもいない為ラブドールのお世話になろうという人間がいたときに、自分が持ち運びできるサイズ人形を選んだことで「小児性愛者」と罵られたとしたら。それは本当に正しい矛先なのだろうか。

まり、「幼児ラブドール」という曖昧もの批判するときに、それを愛好する人々を全て「小児性愛者」と一括りにして批判することに傲慢さを感じるのだ。

人形への愛のなさ

この署名活動およびそれに賛成する方の意見を見ていると、そこにひとつ無意識がみられる。「ラブドール実在人間に向くはずだった性欲をぶつける代替である」ということを無邪気に信じていることである。だから彼らは幼児ラブドールを持つものはいずれ実在児童を害すると考えている。

ここに、人形性愛者として私は反発を覚えるのだ。

私にとって人形は「人間の代わり」ではなくそ自身が一個の客体である。私は彼女と暮らす中で彼女意思を無言の中に感じ取り、それを叶えることでささやか幸せを得ている。それはエゴしかいかもしれないが、私は彼女といることで確かな幸福を感じているのだ。大切に扱った器物には魂が宿ると古来から日本では言われているが、私はたしか彼女の中に魂を見出している。それは決して代替可能ものではないはずだ。「魂」が突飛であれば「愛着」と言えばわかってもらえるかもしれない。

彼女のいない生活など想像したくもないし、また彼女がいなくなった後に人間の、成人女性を愛せと言われたところで、それは彼女ではないのだ。

ここに、全ての人間性的嗜好対象人間であるという傲慢さを感じてしまう。

また、この署名への賛成派も反対派も、この「愛着」について全く無頓着であるところに、前述のむず痒さの本質がある。実際のラブドール愛好家を置き去りにして議論が進んでいる感が拭えないのだ。感情法律を左右することなどあってはならないが、それにしたって「賛成」と「反対」の二元論になりすぎていやしないか

以上が、私が幼児ラブドール規制に対して感じた違和感についてである

もっと述べたいこともあるが、話がまとまら蛇足になってしまうことも多いので割愛させていただく。

大前提であるが、私は現実児童への虐待絶対にあってはならないことだと考えている。

私自身はラブドール彼女とひっそり暮らし一緒に朽ちていくつもりであるしかし甥っ子や姪っ子たちが性的被害にあったら絶対犯人を許さないし、場合によっては刑務所に入る覚悟制裁を加えるつもりだ。

人形人間は別である、という冒頭で出た意見に集約されてしまうのだろうが、人形人間とは全く別のものとして愛している人間だっているということを知って欲しかったのだ。

そして最後に、こちらの署名では小児性愛者に対する相談窓口の設置や加害行為を防ぐ為のカウンセリングセラピーへの取り組みを求めるということだが、これについては小児性愛に悩んでおり、ラブドールでも発散することができないという当事者のためにも行うべきだと思う。

また、この文章を読んで人形性愛者という存在を知った方は、是非人性愛者に対するカウンセリングセラピーを行ってくれるような施設を紹介してほしい。

人形生活している人形性愛者にとって、この署名を知ったことは本当に苦しみを覚えたのだから

5月24日付記】
匿名のいち個人意見などほとんど読まれず埋もれていくと思っていたので、想像以上に多くの方に読んでもらって驚いている。
頂いたコメントはどれも肯定否定に関わらず自分でも気づかなかった視点を見せてくれて、本当にこの文章を書いて良かったと思う。ありがとうございます
私は彼女と添い遂げていくつもりだが、ラブドール寿命人間より遥かに短い。シリコンやTPE製のドールは動きに連れて肌が裂けていくし、空気人形は破けて空気漏れるようになる。そして彼女のようなぬいぐるみドールは綿がへたり痩せていく。内部骨格が折れることだって考えられる。
から多分彼女をお迎えしたメーカーに適宜修理やパーツの交換をお願いしながら長らえていく形になるだろう。自然新陳代謝のないドール人間より老いていくのが速いのだ。規制はされないまでもメーカーが萎縮して倒産廃業することになれば、修理を受けられなくなったドール達はどんどん壊れていく。
私を含む愛好家にとってドールパートナーであり家族である。だからメーカーサポートが受けられなくなったら自力で修理技術を身につけようとする人もいるだろう。私もそうするつもりだが、おそらく個人では限界がある。
からこそ、前述の通り体型・性的機能の有無が不定ドールにおいて「幼児ラブドール」という曖昧規制をすることによってパートナーを奪われたり、メーカー自粛したりすることをどうしても止めたいのだ。
また、「小児性愛者へのカウンセリングセラピー」についてであるが、自分小児性愛であることを悩み苦しんでいる人が心理専門家客観的、かつ守秘義務保証された上で話を聞いてもらえて楽になれる場所を作るのはもちろん賛成だ。
小児性愛者だとしても、実際の児童加害行為を行なっていない以上権利は守られるべきだと思うし、児童への加害行為を行う前に適切な精神セーフティネットが用意されて然るべきだと考えている。言葉が足りなかったと思った為補記する。
高校生くらいかぼんやりと考えていた将来設計がある。
人間結婚はしないまでもきちんとした職について両親を安心させ、彼らを見送ったら自分理想等身大人形を作ろう。そして後始末をすることになるだろう親戚家族自分葬式代と迷惑料になるくらいの貯金をしながら人形と一緒にひっそりと余生を過ごしていこうと。
ラブドールというものが今ほど一般的ではなく、存在殆ど知らなかった子供の頃の夢想だった。
今ではラブドールメーカーも多岐にわたり価格もある程度は下がった。私にとってドール性的機能は必ずしも重要なことではない。けれど、等身大人形といえばマネキンか、人形作家が手ずから作る美術品という意識だった子供時代から比べれば、ECサイトショールーム等身大人形をお迎えできるというのは圧倒的な革新だった。また、反対運動が起こってはいるがラブドール展覧会も開かれるくらいには認知度も上がった。いい時代だと思う。
この時代を、私は守っていきたい。

5月27日再付記】

書いた人の個人的な話。長いので別記事にて

https://anond.hatelabo.jp/20200527165713

2020-05-13

プライベートコミュニケーションにおいて(知的)自信を与える

公的私信

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tl;dr

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前提

  • その場で個々人が「自信を与えられた」「自信を傷つけられた」と感じること自体相手によって尊重されなければならない。「あなたがそう感じるのが誤っているのだ」という考え方は、そこにどのくらいの誤解や無理解があるかに関わらず、表題文脈において無意味である

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「ある男がパートナーの女の(誤った)発言に対して毎回優しく肯定的に応じたのち、間違いを説明する」というカップルの在り方について、「優しく肯定が入る方が女性側の立場として自信が得られる」という考えについて。

基本的にこの構図がお互いの認識になること自体が mansplaining さがあって嫌なのだけど、それは表題文脈の下では脇に置いておいて、そこでの選択肢として、{肯定的/否定的}に応じ間違いの説明を{しない/する} という4通りにおいて、{肯定的, する} というのは確かに望ましい。まず、批判非難の違いが一般理解されにくいのは、批判否定的な口上は例えばその場が学問であるといった「場」があることで信頼が支えられていて初めて機能するので、それ以外の場で批判(正/偽)と非難(善/悪)が混同されることがあるのは、必ずしも混同する側が悪いわけではない(cf.SPEED今井絵理子議員の「批判なき政治発言)。その意味で、プライベートコミュニケーションにおいて、{肯定的/否定的}というのはニュートラルではなく、肯定的の方が心理的効果として望ましいといえる。また、毎回間違いの説明をすることは、毎回間違っているということに気づかされることになり自信を喪失しうるが、指摘しないままにパターナリスティックに傷つきやすにの配慮して放置することは相手反論したり、追加情報提示したりといったことを通して「相手の方が正しかった」という可能性に賭けないということであり、他者としての尊重に欠けるばかりか、相手の成長の機会をも奪うことになる。ただ、陰謀論的だったりオカルト的だったりといった特定バイアスを含む情報ばかり拾ってくることは、一朝一夕改善するものではない。そうならないためには相応の努力知識必要なのであって、場合によっては、ずっと同じ構図を繰り返しその構図がお互いの認識になるということが生じてしまうかもしれない。そのどうしようもないギャップを、他の側面で補うことで相互尊敬を維持できるならば、これは問題として前景化しないかも。でも、その切り分けをせずに、繰り返し続けている誤りについて、口上のオブラートごまかしたとしても、少なくともそれは知的自信の向上までにはつながらない。自信を支える相応の能力実践、もしくは基礎的な肯定感が必要である

ここで、「もしくは」になるのは、「自信」の性質に拠る。(上のような話をしておいてリテラシー低めの引用をするのは気が引けるが、読みやすさを重視して、参考: https://diamond.jp/articles/-/78423?page=4 )自信を得るのに能力や実績が有効ではあるが、能力や実績がなくても自信が得られないわけではない。生来自己肯定感などによってそれは変わる。逆に言えば、そこが低いと、小手先で何をしたところで、自信は低いままにもなる。病的であれば、薬によって脳内神経伝達物質バランス改善を図るということも視野に入れるべきであるしかし、そこまででないならば、「他の側面で補うことで相互尊敬を維持」という意味で「愛されている」という実感による基本的肯定感の向上などが有効でありうる。逆に言うと、自分を愛さな人間と一緒にいることは、自己肯定感の側面からかなり危ない行為であることに留意したほうがいい。ここで、愛も、条件付きの愛とそうでないものがあるが、条件を、性的ものや、ある1つの能力的なもののように一側面の条件に頼っていると、それは脆弱になる(というかそれは愛ではないと思うが)。条件付きであっても、それは、条件と等価以上に為されるものであることで(cf. 信頼と信用の関係、『信頼の構造』を想定しているけど、アドラーでもなんでも同じようなこと言ってる) 肯定感を支える愛になりうる。

少し話をもどして、プライベートコミュニケーションにおいてそもそも正しいことが必要かどうかというのも一考の余地はある。例えば、「今日は空が赤いねぇ、不吉な感じすらするねぇ」という言葉に対して、「空は予言能力はない」なんて返したら、その返しすらギャグである場合を除いて、「科学的に正しいこと」に重きを置きすぎていると言われてもしょうがないだろう。いつもいつも科学的な正しさを持ち込むべきではない。一方で、「〇〇という薬が効くそうだよ!」という言葉に対して、「それは××という危険性が指摘されていて安易に飲むべきではない」と応じることは、プライベートの場面であるとはいえ、いやむしろ、服薬するという最も実践的な場であるからこそ、科学的正しさが適切に活かされなければならない場面である政治的な発言については、例えば「#検察庁法改正案に抗議します」とだけ呟いた芸能人に対して「なんも分かってないだろ」といったクソリプが相次いだけれども(それ自体は具体的ではない発言に具体的ではない形で具体的発言のなさをなじっていて全くクソリプしかないと思う)、そこで立法の背景の正当性についてどう思うかと問うこと自体は(数の暴力を伴わなければ)議論を深めるために民主主義的には望ましいコミュニケーションである。それがTwitterのようなパブリックな場ではなく、プライベートコミュニケーションにおいても同じく妥当する。ただ、政治的な話をすることというのは、それ自体が嫌がられるし、議論となるともっとそうだ。特段の配慮必要でもある。学問的な話なら、それが宇宙人存在についてであってすら、正しさはむしろ娯楽のために重要である。それが(学問ではなく通俗的意味での)文学的な話ではないと相互了解があった上ではあるが。つまり、「タコ型の宇宙人って歩きにくくない?」から始まる会話は科学的正しさによって楽しもうという意思は見られないので、それはまるで漫才相方のように応じればよいのである。{正/偽}をコードとしない意外と多くの場面でも正しさというのは実用的にも楽しさの面でも重要なのであり、それが、「知的レベルが合っていないと楽しくない」というのがよく言われる原因でもある。もちろん、賢いなら相手に合わせることもできるのだが、それは冒頭の話に戻る。そのパターナリスティック対応は、相手尊重しているのですか、と。

2020-05-09

https://twitter.com/NetflixFilm/status/1256632290802728960

レズビアンとして最初喪失は,女性ではなく,男性だった。頭のてっぺんからつま先までストレート白人男子。「この男が私の親友になる」などとは思いもしなかった。でも出会いというのはそういうものかもしれないし,始まりがどうであれ,うまくいくことはある。同性愛について何も知らなかった当時,自分ゲイとして受けいれるとき,彼は私を支えてくれた。二人して彼女探しに精を出し,彼に彼女ができた(これでとりあえず孤独な老人は一人減るわけだ。よかった)。そこからは苦難の道だ。彼女私たち関係を疑った。私がゲイなのは知ってたんだけれど。私たち二人の,か細く編まれたつながりは,ゆっくりとほころんでいった。元に戻せないくらいに。ある雨の夜,私たちは車の中で泣いていた。「どうして? 私たちの間に何かあるんだったら,とっくの昔にやってるでしょ」「あの子は恐れているのは,僕らが寝ることではなくて」「仲がいいことなんだ」思い出すのはいつもそのことだ。

The Half of It は当初ティーンエージャー映画ではなく,20代親友たちの物語だった。お互いのつながりを十分に理解できないまま,レズビアンストレート男子が愛を理解しようとする物語だ。そこで私は壁にぶつかった。(100ページもない話に)私が納得いく形でみんなを満足させられるようなエンディングを書けなかったのだ。自分経験をもとにすれば破局になるし,自分経験を書き換えて理想お話にすることは,できそうにない。あの時,愛をつなぎとめるためにどうすればいいのかわからなかったし,今もわからないままだ。行きづまって,「これをハイスクールの話にしたらどうだろう」と考えた。あらゆるものが色濃くあらわれるのは,ハイスクール時代だけだ。そこで感じることは初めての,そしてそれゆえ一度きりの経験になる。それに,恋愛については,みんなティーンエージャー回帰していくのでは? とも思う。書き進めるうちに登場人物たちがひとりでに動き始め,三角関係ができあがり,完全に別の物語が生まれた。

私の現在地は,中年期におののきながら,ティーンエージャー映画を作り終えたところだ。一仕事終えて,よく見えるようになったことがある。一つ目:私はかつて愛のかたちは一つしかない,と考えていた。A+B-C=愛,みたいな。愛にはいくつものかたちがあることは,この年になってわかるようになった。私が想像してきたよりもずっとたくさん。

もう一つ:エンディングが難しいのは答えを求めるからだ。15年前の最初作品 Saving Face では,「このエンディングはやりすぎではなかろうか」とずっと自問していた。登場人物たちにふさわしいと思う一方で,現実世界でもこのハッピーエンドがありえるだろうか,と言わねばならなかった。でも一人のクイア女性として,それが私にも訪れるのだと信じるために,私はあのエンディングを欲していた。あれでなければならなかった。* この The Half of It では,登場人物たちは一緒になれるのか,これはハッピーエンドなのか,という質問をよくされる。私からは,この映画はだれかとだれかがくっつくという話ではないのだ,と伝えたい。これは,3人の若者人生のある時点でぶつかり合う中で,あるべき自分になろうと思ってよいのだ,という確信を得て,別々の道を歩みだすまでの物語だ。映画の終わりは,彼ら一人一人の始まり意味している。最高のハッピーエンドだと,私は思っている。

(*註:15年後の今,だれもあのエンディングがやりすぎだとは思わなくなった。世界は変わったのだ。そのことがとてもうれしい。

そして私はあの友人を思い起こす。私は The Half of It を,あの友情喪失を乗り越えるために書いたのだ。振り返ってみれば,私が解こうとしていたのは間違った方程式だったのかもしれない。あの関係をつなぎとめるには,この喪失を避けるにはどうすればよかったのかと苦しみ続けてきた。でもたぶん,そこに答えはなかったのだ。何が起こったにせよ,あの関係があって今の私があるのだから。かつての深夜の恋愛作戦会議大事だったのは,彼女とか,恋愛とかそういうものではなかった。おバカな二人が,互いに気遣い理解し,受け入れたこと。エリーポールエリーアスターたちが愛おしいのはそういうところだ。そして彼と私も,そうだったのだと,今になってようやくわかる。

学校業務多角化という放漫経営 ー労働無法地帯

学問以外への業務拡張は、部活から始まったように思います。授業についてこられない生徒に活躍の場を、と言って中堅校以下でブラック部活的(スクール・ウォーズ的)に始まり、その有り様が全国化していったような。

1960年代に校内暴力が頻発したのは、様々な理由はあろうかと思いますが、一つの理由としては、戦争PTSDを抱えた養育者(が作った社会)によって育てられた次世代愛着障害に近い状態になっていたのではないかと思っています

ブラック部活は、愛着障害治療集団療法という側面があったのだろうと思います愛着障害存在している状態での授業は困難を極めます。授業を成立させ、生徒に学問を修めさせるために、教員意図せず心理療法を施していたのだろうと思います。各種行事もそうですね。

そのあたりから学校福祉機能が入ってきて、今は学校によっては福祉機能のほうが学問機能よりも大きくなっているかもしれません。障害を持つ生徒への合理的配慮個別支援計画、外部機関との連携部活動。

教員は、授業を成立させるために、福祉業務をやむなくやっていたのですが、文部科学省がこれを正式業務にしてしまうのです。

いや、確かに必要であるとは思うんですよ。

ただし、それに対する予算措置もなければ、人員の補充もない。専門家集団を校内に組織することもない。外部機関との連携とか、非常勤カウンセラースクールソーシャルワーカーの配置はしますが、外部機関だったり非常勤なのでお客さんです。彼らは責任は取れません。

以下は、『身体トラウマを記録する』という本の抜粋群なのですが、

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太古の昔から人間自分の中の非常に強く恐ろしい感情対処するのに、集団で行なう儀式を用いてきた。古代ギリシア演劇の内、文字による記憶が残っている最古の物は、踊り、歌、神話再現を含む宗教的儀式から発達したと思われる。ギリシア演劇は、戦争帰還兵にとっては再統合儀式だったのかもしれない。

演劇を通してトラウマ治療する。愛と憎しみ、攻撃幸福、忠誠と裏切り演劇本質であると同時に、トラウマ本質でもある。トラウマを負った人は深く感じることを心底恐れている。一方、演劇情動身体化し、それに声を与え、リズミカルに場面に関わり、それを体現する。

学校からは、能力集団の絆をはぐくむために、昔から大事に受け継がれてきた、音楽演劇美術スポーツがどんどん姿を消している。

見捨てられる経験をすると、人を信頼できなくなります。そして、里子は見捨てられるというのがどういうことなのか身をもって知っています。彼らに信頼されるまでは、何一つ影響を与えることはできません。

筋肉を動かすこと、意識の集中が必要作業をしたりすることは、喪失体験に対抗する大いなる助けである

教師達は最初、「もしソーシャルワーカーになりたかったら、ソーシャルワーク学校に行っていたでしょう。でも私は、教師になるためにここに来たのです。」といった類いの反応を示すことが良くある。とはいえ彼らの多くは、頭の中で警報ベルがひっきりなしになっている生徒で教室が埋まっていたら教えようがないことを、すでに身にしみて知っている。どれほど熱心な教師学校システムでさえも、子ども達のあまりに多くが深刻なトラウマを負っていて学習できないために、しばしば苛立ち、無力感を味わう。試験得点を上げることだけを主眼としていても、教師達がそれらの生徒の行動面での問題効果的に取り組めなければ、成果は上がらない。

規則を平然と無視する生徒は、アメリカ学校で広く行なわれているように、譴責しても、停学処分にしてさえも、考えを改める可能性は低い。

他者言葉をしっかり聞き、自分言葉もしっかり他者に聞いてもらう。他者に本当に目を向け、他者にも本当に目を向けてもらう。

教師が怒鳴ったりする代わりに、子ども経験していることを言葉で表したり、選択肢を与えたり、自分感情説明する言葉を見つけさせ、思いを表現し始めさせたりするようにするべきだ。安全経験を学ばせるのだ。

しかし)学校トラウマを誘発する更なるトリガーとなってしまいがちだ。

トラウマに敏感な教師なら、手に負えない生徒の親に電話をして状況を説明すれば、子どもが殴打され、さらに深いトラウマを負う可能性が高いことに、程なく気づく。

身体トラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法 べッセルヴァン・デア・コーク https://www.amazon.co.jp/dp/4314011408/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_mpGTEb5V1TPY4 @amazonJPさんから

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いわゆる教育困難校と呼ばれる学校はこうした子どもたちが非常に多いです。進学校であればこうした子どもは少ないかもしれません。少ないですが確かにます教員守秘義務があるので、他の生徒に知られないようにこれに対応しています個人情報なのでメディアにも明かされません。

日本福祉政策の不備を、教員無償労働で払っているように思えてなりません。でも、そうした子ども学校福祉的にケアすることを国民は望みます学校教育機関としてのリソースがそちらに持っていかれてしまっているように思います。まあ、そういうことを言うと、福祉ケアを導入した教育の方が教育効果が高いと言われて、口を封じられるのですが。十分なリソースがあれば効果は高いでしょう。しかし、リソース不足でこれをやれと言われれば機能不全に陥りますね。実際、陥っているように思われます

2020-05-05

コロナ時代に自らゲシュタポへ志願するみんなへ

コロナ陽性判明後に、保健所に嘘をついた上で山梨から帰京した人がはてブ匿名掲示板等でぶっ叩かれている。

Twitterでは「山梨20代女性」なんていうワードトレンドになっているらしい。検索してみれば、早くも特定しようという動きがでているのが垣間見える。

今朝TVをつけたときにやっていたワイドショーでも、この女性の行動の「身勝手ぶり」について逐一「報道」していた。

個人的に見れば、この人の行動は徹頭徹尾、愚かな判断だと思う。東京へ帰るという選択がまず百害あって一利なしに思えるし、そもそも保健所に嘘をついたってバレるのは時間問題だ。10秒くらい考えればわかりそうなことがわからなかったのは、賢明ではなかったと言わざるを得ない。

でも私たち人間はそういうものだ。不安なことがあると衝動的に愚かな判断をしてしまう。子供の頃、同級生がどうして先生に「宿題はもうやった」「ほうきを折ったのは僕じゃない」とすぐバレるウソを付くのかさっぱり理解できなかったが、いざ親に「メガネを壊したのはお前か」と聞かれて、なるほど追い詰められた人間は愚かな選択をしてしまものだと合点がいった記憶がある(そのあとどうなったかは、あまり思い出したくない)。

実際、同じ人であっても、金銭的に不安定な状態にあるときは、そうでないときに比べてIQが大きく下がることが研究でわかっている。お金の不足は自らの先行きに対する不安に直結する。コロナへの感染もまた、社会自分生活がどうなるかわからない、という不安に直結するものだろう。

先行きへの不安は、衝動的で、非論理的な行動を招いてしまうのだ。

もちろん、この女性が一体どういう心境でこの判断に至ったのか私にはわからない。もしかすると一片の不安のかけらもなかったのかもしれない。でもそんなことは実はどうでもいい。なぜなら、社会人間ほとんどは衝動的で非論理的判断をし、「失敗」するものからだ(そうでなかったら、今ごろ人種差別とか性差別とか、もっとマシな状態になっているはずだ)。多くの場合それは、友人に窘められたり、上司に叱られたりする程度で済む。でも中には、人生を大きく変えてしまうような「失敗」もある。スピリチュアル100万円の壺を買ってしまったり、消費者金融につられてしまったり、交通事故に巻き込まれしまったりといったたぐいの「失敗」だ。

でもそうやって「失敗」してしまう人を救うために、行政社会システム存在している。バカな買い物をしてしまった人のためにクーリングオフ制度や、財政的「失敗」をしてしまった人のための(あるいは多くの場合、「失敗」した家庭にうまれてきた人のための)生活保護、そして事故って骨を折っても破産してしまわないための健康保険、というように、社会システムには「失敗」した人のためのセーフティネットが組み込まれていて、それを行政運営している。健康保険がないとどうなってしまうのかは、米国を見れば明らかだ。

また、「失敗」がある種意図的ものであったり、他の人の人権侵害したりしかねないものに対しては、法律によって罰則が設けられている。たとえ「失敗」でも人を殺してしまえばそれ相応の罰則を受け入れる必要があることに(罰則の程度について議論があるのは当然として)今更異議を唱える人はあまりいないだろう。

「失敗」の種類によっては、これら「救済」と「罰則」両方の性格を併せ持つ対応をするのが必要なこともある。例えば違法薬物使用などは、周囲への影響を考慮して法的な罰則が設けられているが、実際に必要なのは依存症治療であるという点で、その顕著な例だろう。

こういったシステムは、非論理的で愚かな私たちが、一つの失敗で社会的・物理的に死んでしまうようなことなく、円滑に生活していくための、社会の「バッファ」としてそこに存在している。「バッファ」のないシステムは、すぐバランスを失って崩れてしまう。人類が長きに渡ってありえない量の二酸化炭素大気排出し続けて炭素サイクルをめちゃくちゃにしても、地球生態系がまだ大量絶滅経験していないのは「バッファ」のおかげだ(それも、サンゴの大量白化を見れば分かる通り、もう崩れつつあるのだが)。

はてブ匿名掲示板で「山梨20代女性」を叩き、特定して吊るし上げようとしている人々は、衝動的な判断をしているという点に於いて本質的に「山梨20代女性」と全く変わらない、オロカモノだ。あなたいくら懸命に彼女の行動を叩き、牽制したところで、「失敗」する人は絶対に出てくる。それどころか、「失敗」するのはあなたである可能性もある。それでも叩くのは、叩けば「失敗」をする人はいなくなるだろうという誤認か、あるいは自らの先行きの不安を叩くことに向けたいという欲求によるもので、どちらにせよ非論理的で愚かな選択といえる。

ただ一つ違うのは、「山梨20代女性」の行動が、既に感染してしまった彼女自身への悪影響はあまりないのに対し、「山梨20代女性」を叩く人々の行為は、自らの首を絞めているということだ。

考えてみて欲しい。感染経路を把握して感染拡大を防ぐのは行政役割であって我々には特に何もできないのに、この「山梨20代女性」の行動を逐一報道させ世間に知らしめることに一体何の目的があるのか?

その「目的」は、はてブ匿名掲示板で「山梨20代女性」を吊し上げ、特定しようとするみんなの動きが、雄弁に物語っている。

私たちが「山梨20代女性」を叩くとき、そこには「行政対応に落ち度はなかったのか」という疑問は存在していない。

この女性は陽性が発覚したあとなぜ移動できたのか?感染者の隔離行政仕事ではないのか?最初から検診・検査が迅速にできていればこうはならなかったのではないか?症状が出てから4日放置するという検査要件自体感染の機会を大きく広げていないか?症状が出ていても、生活が苦しくて実家に帰らなければならないような人は、一体どうしろというのか?そもそも日本では大きく広がらない」「4、5月頃には収束している」なんて言って対策を怠っていた人が、本当は一番無責任ではないのか?

こういったシステムとそれを運営する行政に対する正当な疑問は、「身勝手な行動をしたオロカモノがいました」という行政からの発表とそれを広報するメディア、そしてそれに乗せられてオロカモノを断罪する人々によって、巧妙に隠蔽される。

この一件だけではない。自粛を「要請」されても、明日生きていくために店を開け続けたり、満員電車に乗り続けたりしなければならない人に対して、「人殺し」と吐き捨てたり張り紙を貼ったりして自粛しない者たちをリンチする社会は、生活補償保障なく自粛を「要請」されるという構造欺瞞に気づくことができない。

愚かな我々を、救済にしろ罰則しろ本来受け止めるかべきバッファ機能していないという問題は、愚かな行動をしてしまう我々個人問題還元され、それに対し我々は反発するどころか自ら自警団へ志願して、我々自身の首を絞めている。

それを知った上で、みんなは「山梨20代女性」を吊るし上げる勇気があるのだろうか。自らの知性に絶対の自信を持てるのだろうか。

私は持つことができない。

社会の中からオロカモノ」を探し出しリンチする一方で、何も考えずに愚か者為政者として選出し、その愚か者扇動されまた「オロカモノ」を探しだしまリンチする……というループを繰り返す社会にしたいなら、好きにすれば良いと思う。個を喪失し、考えることをやめた日本社会に、ある意味お似合いの帰結だ。

ただ、私は参加したくない。私は時々オロカモノになってしまうことが許される社会に住みたい。

それは今のうちに、はっきり言っておこうと思う。

2020-05-04

anond:20200504013930

真面目過ぎて自信の無さと友人が少ない事が拗らせている原因だろう。自信喪失東大生でも聞く話。

理系なら大学院進学を考えて2年先延ばし

文系時間に余裕あるなら家庭教師バイトでもやってみるとか。

2020-04-30

岡村隆史非難する事によって生ずる弊害

岡村氏の風俗に対する発言が物議を醸している。これは到底擁護出来るものではないという見方が強く、インターネット上でも彼を非難する意見大勢を占めていると言っていいだろう。

しか個人的には、彼を非難するだけで良いのだろうか?非難している側にも問題があるのではないだろうか?という疑念が湧いてくるのだ、本稿ではそれをまとめてみたいと思う。

岡村氏の発言意図

世間は彼の発言を「この先美人女性が不幸にも風俗に身をやつすことで、金の力を以て性的搾取出来ると期待している」と解釈しているように思うが、これは正しくないと思う。

このような見方は、単純に言って風俗嬢=弱者 客の男性強者という力関係を前提としており、その権力構造の中で男性による女性に対する性的搾取が行われている、という世界観に基づくものだろうが、おそらく岡村自身及びリスナーにこのような考え方は全く馴染まない。

風俗に行くような男性というのは、まあいろいろな例外はあるにせよ基本的にはモテない男性である

自由恋愛の中で性的関係を満足に築けない男性が、お金を払って女性相手をしてもらう為の場所であり、少なくとも本人の自意識の上で客というのはヒエラルキーの最底辺に属するものと思われる。

まり岡村氏の視座から見れば、風俗嬢というのは最大限に言っても対等な関係であり「今後極短期間だけ風俗業に従事するかもしれないが、まだ従事することのない美人」については、これは当然雲上の存在である

そんな雲上人がもしかしたら自分たち下々と同じ地平に一定期間だけでも降りてきてくださるかもしれない、ということを彼は楽しみしているわけで、

世間が思うような上から目線搾取希望などはなく、とてもとても下から目線弱者視点なんだろうと思う。

それがリスナーという一般人非モテ男性に憑依したことで獲得された態度なのか、自身のもともとの女性に対する屈折が招いたものなのかは定かではないが、

そんな超一流売れっ子芸人とはとても思えない弱者的な眼差しから齎された意見なんだということが誤解されていると感じる。

問:風俗嬢は不幸なのか?

しかし、仮に上で類推した意図が正しかったとしても、この先美人女性が望まぬ性風俗への就業余儀なくされるというのは一般的には不幸なことで、そのような不幸を喜ぶ態度は非難されて当然である

という反論が出てくるだろう。だがこの反論には2つの問題点があると感じる。

まず一つには、女性の望まぬ性風俗への就業を支えているのは、上述したようにまさしく望まぬ禁欲主義(Involuntary Celibate:インセル)的な男性欲望である

風俗嬢がいなければ欲求の解消も出来ない男性たちが、性風俗への就業を「本来なくさねばならない不幸」と捉えることが、果たしてどのように可能だろうか?

個人的にはそれは、無理がある話だと思う。

もう一つ、なぜ殊更この先風俗嬢になる人間についてけが取りざたされるのか?ということである

望まぬ性風俗への就業というのは、既にしていままでにも幾らでも起こっていることである。だからこの先も非難するな現状追認せよという話ではない。

まり、望まぬ性風俗への就業自体問題視するのなら、風俗自体解体を唱えなければならないはずだということだ。

仮に岡村氏の発言が「風俗にはほんまお世話になってて、僕風俗なしではやっていかれませんわ」というようなものだった場合、これほど叩かれただろうか?おそらくは全く叩かれていなかったろうと思う。

だが、そのような風俗肯定コロナウィルスなどとは無関係に望まぬ性風俗への就業肯定に他ならず、その点については今般の発言と全く同一の地平にあるはずだ、批判者の中で何が違うのか?

コロナウィルス被害性風俗嬢にならざるを得なくなるというのは身近で感情移入可能だが、それ以前にあった貧困教育機会の喪失による就業は遠い世界出来事なので切断しているのではなかろうか。

そんな差別意識が仄見えるのである

結局そのような世界観は、インセル的な客の男性のことも、現在風俗業に従事している女性のことも切り捨て、善意第三者として勝手他者を哀れんでいるような空理空論に思えてならないのだ。


この先は地獄

とは言え、彼のラジオ番組風俗関係者と客だけが聞くようなものではないので、無関係第三者が聞けばぎょっとして気分を害すものであったのは間違いないところだろう。

ニッポン放送及び本人が謝罪せざるをえなくなるというのは当然の結果ではあると思う。

だが、彼が謝罪することに依って何が起こるだろうか?

謝罪は当然こういった内容になるだろう。

「先般のわたし発言女性への配慮に著しく欠けておりました。コロナウィルス被害に依って女性性風俗業へ従事せざるをえないというのはあってはならない不幸で、そのような不幸を楽しみにするなど言語道断なことでした、ごめんなさい」

しか実態はどうだろうか?やはりコロナウィルス被害によってそのような職を求める女性というのは増えるだろう。

その事実に対して、上述の謝罪性風俗への従事=不幸というスティグマ化を強烈に強める効果しかさないのではなかろうか。

それは風俗業というものを更に一段下のレイヤーに落として不可視化し、風俗嬢及び客にさらなる弱者意識を醸成させる結果にしかならない。それは控えめに言って地獄であろう。

からこの騒動を奇貨とするならば、岡村氏の考えなしの発言非難すればいいなどという無邪気な考えでは駄目で、そもそも社会として性風俗をどう考えるのかを問い直すべきだと私は思う。

それが出来ないのであれば結局非難している人間も彼と同じ、「被害者ぶった加害者」でしかないのだ。

2020-04-29

anond:20200429161400

最近正論厨が増えて息苦しくなったって言ってる奴、だいたいいじめっ子サイドで、「いじめ権」を喪失したことに拗ねてるだけだから

2020-04-27

anond:20200427174005

当たり前じゃん

住宅喪失あるいはそのおそれのある者向けの給付金あるよ

そういう状況に陥るような人はだいたい調査能力も低いから知らないけどね

2020-04-24

処女喪失

気がついたら中古になっていました😢

2020-04-22

コロナにおびえず歯科医院に通おう。じゃないと死ぬよ?【追記あり

歯科医院に通う患者さんの数が減っています

もちろんコロナウィルス蔓延を防ぐために不要不急の外出は避けるという考え方は正しいものですし、最終的に来院するかどうかを決めるのは患者さん自身です。

しかしながら一部の報道等によってバランスを欠いた情報提供され、過剰に歯科医院への来院が抑制されることで、結果として患者さんの健康が害され命が奪われるのは本来あってはならないことです。

そこで、「歯科医院に通うことでコロナウィルス感染して死に至るリスク」と「歯科診療を延期することによって寿命が縮むリスク」を定量的比較してみました。


 歯科診療を延期するリスク:死亡率0.56%~9.44%上昇

 コロナによる死亡リスク 最悪ケース:死亡率0.0085%上昇

 コロナによる死亡リスク 現実的なケース:死亡率上昇は無視できる(死亡確率156億分の1)


【前提条件】

歯科診療で最も不急と扱われている検診・メンテナンスを延期した場合

・最も状況が悪い都道府県の一つである東京都感染者率を採用

東京都の平均年齢である44歳付近平均値として採用

ハーバード大学の試算である2年間のコロナウィルス蔓延歯科診療延期を仮定


結論としては、「歯科医院に通うことでコロナウィルス感染して死に至るリスク」よりも「歯科診療を延期することによって寿命が縮むリスク」の方がケタ違いに大きい(したがって延期期間が2年でなく1ヶ月の場合ですら圧倒的に歯科医院に通わないリスクの方が大きい)ということがあらためて確認できました。まあまともな歯科医師・歯科衛生士なら直感にわかっていることですが。

報道センセーショナルな内容で数字をとってなんぼなので、そのために人の命を奪うのはいものことですし、厚労省歯科医師会、大学病院にとっても、「歯科診療が延期されることで人命が失われても誰からも怒られないが、コロナウィルス感染者や死者が出るとすごく批判される」ので、自分の身を守るために診療を延期し患者さんの命を奪っているという現状もいたしかたないことなのかもしれません。

でも少なくとも、最前線で命を救っている歯科医師や歯科衛生士は、患者さんに正しい情報を発信し、いつも通り診療を行うよう努めたいですね。

患者の皆さんもおびえずしっかり歯科医院に通いましょう。


追記

1つ忘れてたので追記です。

歯科診療のうち特に歯周病治療糖尿病等を改善させることがわかっていますが、コロナウィルスの最大のリスク因子は糖尿病であるため、こういった口腔内の改善コロナウィルスリスクを下げる意味でも有効です。

コロナ以外の桁違いに大きい口腔内リスク改善のために歯科医院に通院するのはもちろんですが、コロナリスクを下げるためにも歯科医院に通うのがオススメです。


以下算出根拠

興味のある人以外は読まなくていいです


歯科診療を延期するリスク」の算出根拠

歯科診療で最も不急と扱われている検診・メンテナンスによる効果は長期的な歯の喪失の防止なので、『健康長寿社会寄与する歯科医療・口腔保健のエビデンス 2015』(日本歯科医師会から歯の喪失生命予後の数値を読み解く。

これによると、歯の喪失は死亡率を1.1倍~2.7倍に上昇させる、つまり10~170%の死亡率上昇を引き起こすとの結論に至っている。

平均余命 平成22年』(厚労省)によると、45歳の平均余命東京都の平均年齢である44歳付近採用)は36年間なので、この10~170%の死亡率上昇が36年間続くことになるが、一方でこれを引き起こす要因となる「検診・メンテナンスの断絶は一時的ものであり、今回は2年間と仮定しているので、[2年間÷36年間]の分だけ死亡率上昇が起こるものと考える。

したがって、

 10%✕(2年間÷36年間)=死亡率0.56%上昇

 170%✕(2年間÷36年間)=死亡率9.44%上昇

となる。


コロナによる死亡リスク 最悪ケース」の算出根拠

厚生労働省クラスター対策班の西浦博北海道教授が示された試算によると、「対策を全く取らない場合、約42万人が死亡する恐れがある」とのこと。

このうち歯科医院での診療受診によって感染する者の割合は(現時点では筆者はそのようなケースが見つけられないがそれだとゼロ%になってしまうので無理矢理ながら推定すると)現実的には数百分の1から数万分の1と思われるが、仮に「これ以上高いということはありえない」というライン100分の1と仮定する。

また、この死亡者は一度きりのものなので、一生にわたっての死亡率への寄与に換算する。

『令和元年(2019)人口動態統計の年間推計』によると年間死亡者数は137万6000人。平均余命は同様に36年間を採用

したがって、

 42万人✕(100分の1)÷(137万6000人✕36年)=死亡率0.0085%上昇

となる。


コロナによる死亡リスク 現実的なケース」の算出根拠

まず歯科医院でどのような感染が起こりうるかだが、まともな感染対策をしている医院であれば、治療のものにより患者さん同士の感染、もしくは術者から患者さんへの感染というのはありえない。もちろんゼロ%ではないが、現実的にありえないほど確率が低い。歯科医院では「すべての患者さんが何らかの感染症を持っている」と仮定し、感染が起きえないように強力な感染対策を常時行うのが一般的ポリシーからだ。(もちろん一部には院長・スタッフ無能さ・悪質さゆえに十分な感染対策が行われていない医院もないわけではないが)

したがって、仮に感染が起きるとすればただひとつ、「待合室で患者さん同士が接触感染が起きる」場合

コロナウィルス患者存在する割合は、最も状況が悪い都道府県の一つである東京都でも4/21時点で感染者は3,307-625人=2,682人、東京都人口(推計)は約1395万人なので、5,201人に1人が感染者ということになる。

したがって、「待合室で患者さん同士が接触感染が起き死亡に至る」には、ざっくりの推定


「5000人に1人しかいない感染者が」

5000分の1

体調不良をおしてなぜか歯科医院に来てしか奇跡的に医院でバレずに追い出されることもなく、もしくは無症状者で」

10分の1

「待合室で平均5分もない待ち時間の間に」※待ち時間については当院の場合もっと長い医院だと確率高まる

5分の1

奇跡的に知人などの関係で会話するなど濃厚接触の機会があり」

100分の1

しかもお互いに感染防止の意識が低くマスクもつけない・外しており」

10分の1

「実際に感染が起き」

10分の1

「死亡につながる」

50分の1

「通院を8回程度」(3ヶ月ごとメンテを2年間)

8倍


ので、156億分の1程度と推定される。

2020-04-21

マクロスって全然たことなかったんだが、最近気になっている。マクロスδの「いけないボーダーライン」の5分ぐらいのカットYouTubeで見てたところ、ガウォークの腕に握られた女の子が顔だけ出して歌ってる場面になって、……まりちゃんを思い出してしまった。

巨大なものに頭を掴まれてる美少女のシーンを見ることが出来なくなっていたとはな。

文化を知らないBETAも、可愛い女の子が歌ったら戦意喪失しますかね?人類戦意喪失させられる結果になりそうだな。

2020-04-20

anond:20200420134730

これまで0か100かの答えしか出してこなかったので、それで壁にぶち当たってたんだろうなと思います

できるだけ確率の高い方。

あとは確率を高める努力かな。

当初の目的を見失わず最後までそれが合目的的なのか、手段の目的化していないか、それをやっていかないとね。

あとは人間としての行いとして適正かどうかという視点。ただ、これをやり過ぎると自らの利益喪失してしまうのよね。

最後最後で最悪手を指すことを幾度となくやってきて、駄目なんだよなぁ。

なぜコロナ危機感政府は抱かないのか

いつまで経ってものほほんと他人事面しているのはなんなんだろう。

コロナを恐れていないというより

中国の脅威や、原発が稼働できないときの核技術喪失などの

今まで育ててきた恐怖感と比較して、現実感がなかったりするんだろうか。

他に理由があるとすれば改憲狙いで恣意的流行らせようとしているとしか思えない。

2020-04-17

いま銀行に来るバカは、軽蔑されていることを自覚しろ  注:追記あり2020年4月25日21:50)

社会インフラとして、金融機関緊急事態宣言下であっても営業を続けている。

私は某銀行都心店舗に勤めているので、内心怖いなとは思っているが、山手線に乗って都心へ出勤すること自体は受け入れている。

銀行員として、それは当然のことだ。今だからこそ、コロナで苦しむ法人個人事業主個人に、銀行としてできることは沢山あると思う。

からコロナの影響で緊急融資住宅ローンの返済猶予相談に来る顧客については親身になって対応している。

でもさー、不要不急な手続きで窓口に来る客については、本当に腹が立つんだよね

定期預金の預け入れ、法人口座の新規開設、休眠口座の解約、通帳記帳、

絶対必要じゃないじゃんそれ!

なんで来るの!?来んなよマジで

ニュース見ろよ!出歩くなって言ってんじゃん!!人に会うなって言ってるじゃん!!

あらー、そんな心配してくれなくても、気を付けてるから大丈夫銀行には散歩がてら来てるだけ」

とか言ってる暇すぎて特に用事もないくせに通帳記帳するためだけに毎日銀行にやって来るバカ(大体70~80代の爺さん婆さん。恐ろしいことに一人ではない)、

「こういう時じゃないと銀行ってなかなか来れないから」

とか言ってリモートワークになったからって銀行に来るバカ

ホイホイ出歩いているお前らがコロナ感染しようがそんなことはどうでもいいんだよ!

知ったことじゃないっつーの、勝手に死んでろよ。

お前のせいで、こっちが感染するかもしれないから嫌なんだよ!!

お前が触った書類に触りたくないし、お前と近くで喋りたくないんだよ

不要不急なのに銀行窓口に来ちゃうお前みたいな危機感の薄いバカって、どうせコロナ対策もしっかりできてないでしょ?

手洗いうがいとかもちゃんとできてないんでしょ?

お前のせいで、なんで私が、ひいては私の大事家族感染リスクを負わなきゃならないんだ

軽蔑する。


追記2020年4月25日21:50)

もし万が一、この記事を読んで緊急事態宣言下であっても銀行窓口に来る妥当性のある客がヘンに遠慮したり尻込みしたりする場合があったらマズいと感じたので追記する。

コロナの影響で運転資金が行き詰った事業主の方

法人個人わず融資を受けることを検討している方、借入中の返済計画見直しをしたい方

資金繰りのために休眠口座普段使っていない口座に眠っている資金さえもかき集めたい方

期限が迫っている決済をしたい方 など

ご来店ください。

あなた方のために、窓口を開いています

GW中の祝日も、休日返上コロナ関連の緊急融資相談を受け付けする金融機関は多いです。ぜひ活用してください。


余談だが、いまはコロナ対策交代勤務で窓口人員が足りないためローカウンターを手伝ったりロビー入店制限係をやったりしているが、もともと私は融資畑の人間である

窓口業務と並行して融資チームの業務をやっていると、次々と緊急融資相談やら住宅ローンリスケやら年金担保融資相談が入ってくるのが実感としてよくわかる。

やはり、今は平時ではない。


平時ではないので、「窓口じゃなくても出来る手続き不要不急な手続き」をしたい人は

インターネットバンキングアプリ含む)

テレフォンバンキング(専用コールセンター

③郵送

ATM(銀行店舗ATMだけでなく、空いているのでぜひコンビニATM等も活用してほしい)

⑤税公金自動支払機

店舗内設置のテレビ電話ブース

のどれかで何とか頑張ってやってみてくれ。

事業主ATMに通帳記帳に来るのは、まったくかまわない。通帳記帳をするためだけに窓口に来るのは止めてくれ、という趣旨だった(信じがたいことに、そういう手間のかかる常連客が結構いる。頼むからATMで記帳するくらい自分でやってよ、と思う)。

一昔前に比べると各金融機関ネットで出来る手続きは飛躍的に拡大してる。

銀行あるあるなのだが、仕事をするため毎日銀行に通っている銀行員の多くは、実はプライベートで客として銀行の窓口に行くことはあまりない。行かなくてもネット等で大半の手続きが済むからだ。

法人向けのインターネットバンキングサービス水準がまだまだだ、という意見ならば、少なくとも弊行の場合は甘んじて受けるしかない(他行は知らん)。

けれど個人客ならば、はなからネットじゃ出来る訳ない」と決めつけずにもう一度銀行HPを見てみてほしい。三菱UFJネットキャッシュカード暗証番号の変更ができるし、みずほネット喪失通帳の発見の届け出も出来る。

ネットATMで済むことをしに、わざわざ対人窓口まで来て、顧客も行員もお互いに感染リスクを高めあう必要はないと思う。

念のため、主要行のインターネットバンキングからできる手続きの一覧を貼っておく。

ゆうちょ

https://www.jp-bank.japanpost.jp/information/corona_ibservice.html

三井住友

https://www.smbc.co.jp/kojin/direct/service/

三菱UFJ

https://direct.bk.mufg.jp/btm/ser_naiyo/index.html?link_id=direct_top_service_2

みずほ

https://www.mizuhobank.co.jp/retail/products/direct/about/service/index.html

最後に、ブコメ等で労ってくれた皆さん、ありがとうございました。

口汚くて申し訳なかった。

2020-04-16

初めて人に下腹部触られた24歳未経験

相手婦人科医だけど

5分くらいだったけど

思ったより緊張もなんともなかったな

もう4分の1くらい処女喪失したようなもんだわ

2020-04-14

二次創作をしている

腐女子自分語りです

二次創作をしている。もう十年。私は作文が好きだったし国語の成績だってかなりよかった。それで、オタクになったと同時に二次創作を始めた

初めて書いた文章は「涼宮ハルヒの憂鬱」の国木田くん夢であるほとんどト書きに近いもの小説と呼べる代物ではなく、褒められるところがあるとするならば、あのとき、だれかに読ませることを踏み止まった自分判断だけだろう。閑話休題(この「閑話休題」の使い方、あまり腐女子らしい)

ときを待たずして腐女子になった私は当然のようにBL作品も書き始めた。FC2nano個人サイトを作ったし、専用の掲示板投稿もした。高校生にしてはうまい方だったと思っている。残っている作品を読み返すとびっくりするので。なんなら今よりも当時の方が丁寧に書けているし、比喩表現も的確かつ適切で、これだけのものが書けていれば楽しかっただろうと納得する

そう、今はもう、まったく楽しくないのだ

これは腐女子自分語りだ。それもかなり気持ち悪い。繰り返した上で書き進めるけれど、私は今、とあるメジャージャンルマイナーカップリングに心底ハマっている。彼らは、まだ、原作において人物の掘り下げがさほど行われていない。公式エピソードが少ない。仲がいいというそれだけが確かなのだ。そういう状態なので、彼らのことを妄想するときは明らかになっている数少ない設定をひたすらに拡大解釈する必要が出てくる。どうしてその性格形成するに至ったか理由、つまりは背景を捏造までもする。そうすると必然的に「私の理想のA×B」が誕生するのだけれど、これは自家製ハーブがもたらした私だけの認識であるから私が書くしかない。それなのに、なにを書いたところで一向に理想に届かない

私、下手なんだなあ、と思った。このカップリングで思い知らされた

もともとは自分文章力に自信がある方だった。中傷されたこともあるけれど、ファンだと言ってくれる人の方が多かったし、なによりも自分小説が他のだれが書いた作品よりも好きだった。書くことも、読むことも、創作にまつわるすべてが楽しいのだから苦に感じたことなんて一度もなかったのだ

自分文章力のなさを思い知らされながらのタイピングがこんなに苦しいなんて知らなかったし、知りたくなかった。上手に書けないことは書く資格がないことのように感じられて、そうすると、二次創作をしていること自体にいよいよ罪悪感を覚えてくる。泣きたい。それなのにカップリングに対する執着に似た愛情は増すばかりで理想はいっそうに膨らんでいくのだ

理想がなければ、もっと軽い気持ちで好きでいられたならばよかったのだろう。実際にこの前、かわいいなと感じただけの別のカップリングを書いてみた。驚くほどに筆が進んだ。一度喪失した自信はかんたんに取り戻せないらしく、読み返したらやっぱり下手だと感じたけれど、申し訳なさは抱かなかったし、さすがのメジャーカップリング評価も好きの言葉もそこそこにもらえた。私があれほどに苦しんで書いた作品たちよりもよっぽど、たったの一日であっさりと。反応自体は嬉しかったのに虚しくてたまらない。もう私、君たちのこと、うまく書けるようになるまでは嫌いになりたいよ。このままだと君たちをうまく書けない自分のことが嫌いになりそうで。私の文章力のなさが全部悪いとわかっていても。十年間も書いてきて、一体、今まで、なにをしていたんだろう

2020-04-10

ダメ人間

子供入学式休校を知らされ、緊張感が完全喪失した。

今朝は弁当作って洗濯機二回回したものの干さずに数時間。 

子供は起こさずに起きるまで寝かせて、起きたら遅い朝御飯チーズトマトベーコンピザトースト弁当の残りの卵焼き

子供YouTube見てる…

洗濯干して掃除して台所片付けて礼服クリーニングさないと。

あと子供のワークやるのみて、図書館に本返して銀行に行って牛乳買って。

洗濯掃除くらい当たり前にこなしてる人が多いんだろうになあ

2020-04-08

はてブスターを元に戻せ

 はてながまたしても改悪をして、はてブ黄色スターを表示させなくなった。一部カテゴリだけだが。

   https://bookmark.hatenastaff.com/entry/2020/03/31/180820

 そのせいで、困ったことになった。有力な情報を得ることが難しくなったのだ。

 

 現状では、(はてブで)有力な情報を得るには、「人気のコメント」を見るしかない。しかし、ここで表示されるのは、初期に人気になったコメントだけだ。最近になって上がったコメントは、まだ星が三つぐらいしか付いていないので、表示されない。また、表示されるのはトップ10件ぐらいであって、それに次ぐ重要性のコメントは表示されない。

 こうなると、あとは全部のコメントを一つ一つシラミつぶしに見ていくしかない。しかし、そんなことをしたら、すごく時間がかかるので、いちいちやることはできない。結果的には、重要コメントを見るのを諦めるしかない。

 ※ はてブを見ている滞留時間も減少することになるので、はてな(株)という会社にとっても損になる。

 

 以前では、そうではなかった。星が三つぐらい付いている最新のコメントだけを拾い上げて読むことができた。また、星が 10個以上も付いているコメントだけを拾い上げて読むことで、11位~20位ぐらいの有力コメントを見ることもできた。とても便利だった。

 ※ はてブを見ている滞留時間も多くなっていたので、はてな(株)という会社にとっても得になっていた。

 

 現状の「黄色スターの表示なし」というのは、はてブというシステムのもの自殺行為であるにすぎない。「いいね」をなくした、フェイスブックツイッターみたいなものだ。SNS としての魅力を大きく損なっている。

 はてなは、これまでたびたびユーザーインターフェース改悪をやって来たが、今回の改悪は最悪のものであって、ほとんど「はてブとしての独自性喪失」を意味する、自殺行為だとしか思えない。アポトーシスか。頭がコロナ感染したのか。

 

 現在コロナに関する情報を、はてブ経由で仕入れようとしているのだが、大幅に不便になったせいで、情報取得に支障をきたしている。まったく、困ったことだ。はてブは、コロナ拡大一助として、ユーザーインターフェース改悪をやってしまったようだ。

 やっぱり、はてブコロナ感染してしまったようだ。

 

 

  ※ 最近になって、私の環境では、黄色スターを付けることもできなくなってしまった。バグだね。

 

 


 

 【 追記

 別件で、次の項目もある。  http://bit.ly/2ugJWDm

はてなブックマークのデザインが変更された。

これまで「リンク」と示されていた箇所が「 ★ リスト 」と表現されるようになった。

そのせいで、各人のブコメには、ひとつずつ ★ が配給されているように見える。

 こちらの批判も読んでください。

 

 


 

 【 後日記

 元に戻りました。4月14日。

 

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