はてなキーワード: ラストとは
なんだろうな、この現象。
大昔だとクロノトリガーでラヴォスの体内に入ったセーブデータでずっと止まってたり
スパロボなんかも最終話までウキウキで進めてたのに最後までやってない。
結局クリアしてねーわって思い出した。
最後に室井がなんかどっか行っちゃった犬を追いかけて行って凍死しておわるんだけどさ。
考察得意です面した映画レビュー系Youtuberでも「脚本家が犬が嫌いなのかな?」とか「犬死を表してる」とか
警察ドラマ内で出てくる犬って言ったら「国家権力の犬」のメタファーに決まってるし、
そこまでわかれば
最後の犬が勝手にどっか行っちゃってそのせいで室井が死んでしまう。犬だけ生きて帰ってくる。
っていう展開が何を表しているかは明白じゃんね。
織田裕二が勝手にいなくなっちゃったから、そのせいで柳葉敏郎が作品内から退場する。
そしたら織田裕二が帰ってくる。
そして実際に映画の最後の最後に織田裕二演じる青島俊作がスクリーンに帰ってきてこの作品は幕を閉じる。
織田裕二と柳葉敏郎の確執は有名で映画版の3では主役級の2人なのに共演シーンが数分しかなかった。
踊るプロジェクトを再始動するためには当然主役である織田裕二を復帰させないといけないが、
それには柳葉敏郎のプロジェクトからのパージが最低条件だった。
なんで室井さんが死ななきゃいけなかったんですか!という当然来るべき質問に対しての回答を
そんな都合のいいことが起こるわけないじゃん
第一話にあり得ない展開があるってことは、今後もそれが続くってことがわかるよね
推しの子になっても、知能や記憶が前世のままっていうのも変だった
赤ちゃんの脳って発達してないから、大人みたいな思考ができるわけがない
そういうのを無視して、「細かいことはいいんだよ。面白ければ」を第一話でやっちゃってるからさ、今後も細かいことはどうでもいい展開が続くのは当然だよね
ちゃんとした漫画なら、整合性を第一話から確保しておくもんなんだよ
第一話とか序盤で「この漫画、ラストで破綻するな」って気付かないと、読んで損したってなるよ
みんなも気を付けようね
推しの子はアクアが死ななければならないことへの説得力が薄いのと、ルビーの描写がとにかく薄かったのがあかんかった気がする
ここらへんちゃんと描いてればだいぶ打ち切りエンド感はマシだったんじゃないかなー
聞くところによるとラストは作者が決めていた通りらしいから、やっぱり最初はアクアとルビーのW主人公でやるつもりだったんだろうなーとは思うんだよね
それが重曹やあかねのラブコメ路線で話題になり始めたあたりから物語のバランスが崩れて話の主軸がフラフラし始めたような気がする
ここらへんのアンバランスさはアクアが居なくなったことへの悲しみを重曹は葬式で暴れさせて若干好感度下げてまでしっかり描いたのにルビーはあかねのナレーションでダイジェストで纏められたあたりが顕著じゃないか?ルビーがアイを超えるアイドルになるくだりもなんかいつの間にか達成してたし
とにかくまあ先生方は連載お疲れさまでした
2日目
5:00
6:45
着替える
7:30
朝食のレストランを遅めの時間にしているため、小腹を埋めるためおやつを買う。
7:45
買ってきたおやつを軽くつまむ
8:15
手荷物検査の手前でハッピーエントリー通行証&宿泊証明書の確認が入る。
8:20
2日目は通常のワンデーパスポートなので、色々手配する必要がある
今回は
・上記スタンバイパスの時間に合わせてロイヤルバンケットのモバイルオーダー
を手配する。
DPAは乗車時間を選べるが、スタンバイパスおよびプライオリティパスは早い時間からの先着順のため、狙っている時間になるまで待つことに。
8:30
アトラクションはスタンバイパスもプライオリティパスも一向に時間が動かないので、一旦撤収。
8:35
しかしスタンバイパスもプライオリティパスも一向に時間が動かない。
8:45
9:00
9:20
DPAは購入後そのDPAを使用するか、1時間後にならないと次の購入ができない。
9:50
TVメニューから支払い用の二次元コードを表示→スマホのWebブラウザで決済
手荷物は部屋に置いていけば回収して預かってくれる。(やはりWebブラウザから依頼をかける)
アプリ内で手続き出来るとなお便利なのだが、「部屋で手続きする」必要があるんだろうな。
11:30
11:35
1日目に乗車効率の悪さを書いたが、この時に実感した。
・1台ずつの出発
・4人乗り
12:00
食べ物がセットメニューしかないのは使いにくいので、オペレーションがこなれてきたらバラ売りして欲しい。
12:45
別エリアへ移動
13:00
13:20
シングルライダーで乗車
妻子には先に行ってもらう
13:45
いつ食べてもうまい。
妻子に先に行かせて、食べながら待ってもらってた
14:30
プライオリティパスで20分ほど。プレショー2回待ちくらいか。
15:00
ビアカクテル
そのまま飲み歩き
15:20
15:40
DPAで乗車。
ラストの東京、鉄オタは新幹線のディテールでCG映像であることを見破るとのことだが、
俺は新橋のサラリーマンなので、複数の建物・道路が省略されているところで見破った。
そして弊社のビルは綺麗さっぱり消えていた。
16:00
16:20
16:25
16:35
16:40
16:45
DPAで乗車
17:00
18:40
チェックアウト時に預けた荷物を回収。
ロビーで待てとのことでロビーのソファに腰掛けるが、2分ほどで荷物を持ってきてくれた。
18:50
19:00
19:05
帰る
数日前に書いてたテキストファイル捨てるの勿体無いと思ったので張る
例のあのフォーマットに乗ってWeb漫画の話をしようかと思ったがWeb漫画は山ほどあるし別に網羅的に読んでる訳でも無いので単に自分の好きな作品を書くことにした人が居たので便乗。
消えてる作品以外はブックマークが残ってるので探しやすくてよかった。
2012か13ぐらいから読み始めた人。それ以前も知らないし、最近も知らないしひどく偏ってるはず。順不同
みんな大好き(なはず)。転生元の(中途半端な)知識と超絶魔力持ちでチートではあるが、虚弱常識知らずなど、情熱と人脈でカバーしてく。
これと謙虚ぐらいしか男性向けっぽいの読んでなかったし、読んでも合わないの多い中(ゴミ拾いのとかテイマーのとかは読んでた)、何度も読み返した名作中の名作。
言い過ぎだけど、パトレイバーや銀英伝レベルで社会に出てから有用な知識が得られる。
(パト、銀英伝信者からしたら言い過ぎ、そうではない人からしたらそんなもんかってなる?)
現実世界への巻き戻り。細かいこと(と重要なことのほとんど)は忘れたが、サッカー選手になれなかった大人がサッカー始めた日に戻ってやり直す話。
確か戻るのはその一回ぐらい。戦術等の知識が大人レベルなのと、コツコツ努力できる(練習の目的がはっきり、効率もよい)のと、あとなんか鷹の目みたいな俯瞰視点だけで頑張る。
雰囲気は週刊少年誌のサッカー漫画みたいなの(ジャンプっぽさはなく、サンデーマガジンのどっちか寄り)。恋愛要素が少なくて物足りなかったような、中学生編ぐらいまでで終わったのとかで悲しかったような。
これと続編(サブアカウント)のセット。アイリッシュスナイパーは含まない(好きだけど)
VRMMOは二大ジャンルのひとつだったり、転生、転移に次ぐ第3のジャンルだったりしたが、あまり人気作が無かった(当時の個人的な印象)中、(根底に)デスゲーム要素もなく、描き切りつつ、VRMMO系で不足しがちな現実世界にも重点を置いたのが本作。
MMO要素は各キャラのなりきりに由来するコメディ要素やストーリーの本筋に絡む仕掛けであって、中身は群像劇要素も強く、主人公以外の成長物語でもあり、半沢みたいなのとかでもあり、ミックスグリルみたいな作品。あえて大げさに言うと、大長編ドラえもん詰め合わせみたいな。
章ごとに目標が変わってたりしつつ、最後でどかんと一気に色々纏まるのがめちゃくちゃ気持ちよかった。主人公大人だし、なろうっぽくない(なろうっぽくないことはないが)
主人公も一応精神的に色々成長します。地の文の好き嫌いは分かれそう。
クソゲーとして名高いバグだらけのゲームの中に入ってしまい、バグ(仕様()も多い)を駆使して気持ち悪いことを沢山する。
読んで知って欲しいのだが、全方向を騙していくのとか、サブキャラとかが立ってるのとか、一応色々吹っ切れてるのが面白すぎた(作者的にはセーブしてるのかも)
本作作者の他作品も少し系統違ってても面白いので、他作品挙げたいが完結してなかったりするので、出会いの本作をエントリー。
タイトルそのまま。ちんちくりん系の女子と普通の女子のコンビに、個性的なパーティメンバーなどで冒険する。
基本的にはテンポよく成長していくし、仲間も頼りになる。地の文とかほのぼのした雰囲気も好きだし、ちょっと年齢層高め向けのギャグとかも合ってた。作中でどういう扱いだったかは忘れたが馬は脳内でひんべえ(いつもいっしょのおうま)になる。
真剣なシーンでも気が抜けるような描写が多くて好きだったかも。
終盤SF過ぎたのとか好みが別れるところか。SF方面だったかは定かではないが
時代がずれてたら防振り(途中までしか読んでない)ぐらい売れてたかも。コミカライズされてたの今知った
頭おかしなった。突っ走ればよかったのにと思ったような。
おもろい。
これも流行った。
きつね可愛い。同作者の他作(沢山あったはず)も読んでみたけど、これがなんか時期的になのか、一番ハマった。
その他の候補作
影響は受けたが、読んでないので
色物かと思ったら意外としっかり面白かった。アニメ見て、原作一気読みした。
転スラ
すごいのはみんなわかってるが、重要度は低い。
このすば
どこにも書いてないが、これ系では他作品のほうが影響受けたので除外。
宝くじで40億
童夢もそうだけど、神作画がなければ、何も成り立たないんじゃないかと思う
酷い絵でもデスノートならストーリーと、その恐怖みたいなものはまだ伝わると思うんだけど、
大友のあの手の漫画って、正直、なんか中身が感じられないんだよね、空洞
あー、まあ、そんなこといったらエヴァもそうだし、ツインピークスもそうだし、
謎があるように見せてるだけで、本当は謎なんてない、伏線の回収もしないし、論理的な考察も成り立たない、
世の中に、エヴァの考察本が出たのを、庵野氏はアホだなぁみたいに思ってたようなこと言ってたし、
中身はない、重要ではないのかもしれない、それを覆すというか、逆手に取るぐらいの神作画とか、演出があって、
これは凄い伏線だ!と視聴者に思わせておきながら、それをまったく回収しないまま、
自己啓発セミナーオチに持って行った旧エヴァが、正直自分は好きだし、
アラフィフになてってしまった今にならなおさら、庵野氏が現実に帰れみたいな嫌がらせの実写映像混ぜたのも分かる気がしてる
自分はそんなにエヴァに夢中になった方ではないと思うけど、大学にはたしかに夢中になってる奴らがいっぱいいた気がする
作品を鑑賞しながら、あ!あれは~のパロディだ!オマージュだ!と語り合って悦に入るみたいな、そういうもんでしょ?
エヴァだって、あー、ブルークリスマスだね、岡本喜八だね、とか言いながら見るものであって、どうせ謎なんてない、
下手したら最後に宇宙戦艦ヤマトが登場して、超強引な解決をして大団円とか、そういう人たちでしょ、あの人たちは…😟
そんな風に斜に構えてリアルタイム視聴していたら、まさかの自己啓発セミナーで下宿でつい大爆笑してしまって、
ただ、世の中的にはエヴァは一般人にもブームになってきていて、多分、そういう人たちなんだろう、があのラストに怒ったらしくて、
怒ったからなのか、最初からの計画なんだろうけど、旧劇場版ができて、現実に帰れ!って、そりゃそうだろ!って思った側だけど、
でも、アラフィフになっても夢みたいなこと考えてたりする自分も同様だったんだな、現実に帰らなきゃな、って思いました
あれ?何の話してたんだっけ…😟
・自己紹介
お互いとある事情(幼少期の経験に起因するもの)ゆえに恋愛市場に参入することなく生きてきたため、そこそこいい歳ながら2人とも初恋人で童貞処女。
・本題
付き合い始めてそろそろ1年、何度かそういう機会はあったものの、未だ最後までいっていない。
セックスというのはいわゆる本番行為だけを指すのではないのだという言説を汲むならばセックス自体はあるけど、それはさておき本番行為をしたことはない。
お互い交際経験も性経験もないためある程度のグダグダは覚悟していたものの、そろそろ辛くなってきた。
ただ、朝立ちはするし性欲はあるそうなので、身体には何ら問題はないはず。
つまり……と考えたときに一番最初に思いついた可能性があまりにショックだったので、私はなんとかそれを否定する材料が欲しくて、あれやこれやと調べまくった。初めてだから、不慣れだから、初期こそそういう理由なのかもしれないと納得して自分を落ち着かせていた。
彼は重度のオタクなので、自己処理の際はそういう同人エロ漫画を使っている(とわざわざ教えてきた)。
つまり彼は、生まれてこのかた生身の異性と親密な接触をする機会がなく、エッチなもの=画面越しに見る二次元ポルノという限界オタク人生を送ってきたので、性的興奮が二次元と紐づけられてしまっている。脳の報酬系がフィクション特有の過激な表現に慣れて麻痺している。
胸がスイカ並の大きさでもないし揉んでも乳首つねってもひんひん鳴かない、その上潮も吹いてくれない女体では刺激が足りないんだろう。私だってそう。男性はそういう場になればなんだかんだギンギンになるものだと思っていた。現実は全く違ってがっかりしなかったというとウソになる。
ネットで簡単に摂取できるあれやこれと比べて、現実は手間がかかるくせにリターンが薄い、面倒なだけで割に合わない、同人誌でシコるほうがコスパ良いじゃんなにこれ、みたいな感覚が大なり小なりあるんだろうと思う。
だからお互い、性欲を向けるべきは現実の異性ですよ、と回路をつなぎ直す作業を時間をかけて行わなくてはいけないんだと思う。
おそらく今の私たちはずっとその作業をしてはいるが、実を結んでいない状態ということになる。
私はこれがそろそろつらくなってきている。限界に近い。
雰囲気作らないととか、生理だから無理とか、妊娠の可能性とか、生身の人間はとかく考えなければならないことが多い。思い立ったらすぐにドエッチなものにアクセスしてシコれる世の中、エロさと都合のよさで絵に勝てるわけない。わかる。
真昼間からTwitterを眺めてエッチな絵にいいねしている彼氏を見てそう思った。いつも通り勃たなかった夜の翌日のことなので、結構深刻に落ち込んだ。
そこそこの時間を彼の恋人として過ごしてきたはずの、その瞬間だって隣にいるはずの私は、彼のTLに現れた行きずりのスケベイラストにも劣る存在なのだ、と実感して非常に惨めになった。
しかし、そういう理由で悲しんでいる、腹が立っている、つらい……などと伝えるとプレッシャーがかかって余計に勃たなくなるという話を見かけたし、最悪ローションでもなんでも使える女側と違って、男性にとっては非常にデリケートな問題なのも理解できる。
だから彼には「そう簡単にうまくいかないよね」「焦ることでもないからいいよ」と言っている。彼はそれで安心してくれているのか、私のようにもうしたくないという気持ちにはなっていないらしく、泊まりのたびに誘ってくる。
しかし毎回失敗する。ピクピクくらいはしてたこともあるけど、本番行為に耐えうる強度を持ったことはない。彼はきっとEDに分類される。
本人も自覚はしているらしく、禁欲したり何も見ずに抜いたりするようにしないといけないんだろうな、と言いつつ全然シコっている。この間も即売会に行ってネタを仕入れていた(彼の友人から聞いた)。自分の意志でやめられない様子を見るにポルノ依存もあると思っている。
胸やら腹やら腿やらを触られてもせいぜいくすぐったがるだけの私を見ながら、決まって「同人誌とは違うね」「あれはフィクションだってわかってたけど」と毎回、少し残念そうに言う。
私が彼の好みの二次元キャラクターなら、あるいは全身開発済みの経験豊富ドスケベ女性なら、私が私でなければこんなことにならなかっただろうか。
こうして惨めな気持ちになっているのは私だけなんだろうかと気持ちをぶつけたくなることもあるけど、内心彼も焦っているのだとしたらと思うと、尚更こんな話はできない。
でもたぶん焦ってないと思う。彼女と隣り合って寝っ転がりながらエロイラストいいねする図太い人間なので。
下着を変えたり、肌の手入れを更に入念にしたり、私のほうから触ったりしてみても、特に変化はない。◯ちゃん(私)は魅力的だし、触れ合ってるとムラムラはする、頑張ってくれて嬉しいしかわいいとは言ってくれるけど、そう言う割にはあまりにも身体が裏腹なのでそろそろ訝しみそうになっている。
二次元がどうとか関係なく、根本的に私に色気がないだけなのかもしれない。私も私に色気は感じない。磨いても磨いても出てこない。
最近は彼が漫画やアニメの好きなキャラの話をしているのを聞いているだけで、人の気も知らずにオカズの話をしてくるなんて……という憎しみすら湧いてくる。なんなら気持ち悪い。そんなことを考えてしまう自分への嫌悪感、魅力のなさへの劣等感が強くなっていく。
毎回試みて毎回ダメで、そのたびに自尊心が削れていくので、いっそそういう時間をなくしたい。なんなら別れて楽になりたい。そんなふうに思うときと、これ以上諦める人生を送ってたまるかと思うときがある。
彼はこんな私を可愛いとか好きとか言ってくれて、悩みや不安に真剣に向き合って考えてくれて、いつだって信じられないくらい優しい。こんな状況なのに、結婚に向けて互いの親に歓迎されるような形を選ぼうという話を具体的にしてくれる。
彼にとって「彼女とできない」ことは特に問題ではないらしい。同人誌に劣るほど性的価値がなく、色気がなく、勃たない、ヤレない女が結婚相手でも構わないらしい。
きっと彼は私のことを好きでいてくれているんだろうし、私も彼が好きだ。
彼にはとても良くしてもらっていて、たくさんの優しさをもらっているのに、それだけでいいと思えない自分は醜く浅ましいと思う。
でも好きな人に抱かれてみたい。好きだから。この状況に傷ついていないと思われているなら辛い。
もしこのまま何もできないまま結婚したとして、配偶者では興奮できずインスタントで過激な同人誌でシコり続ける人と人生を共にすることになるとしたら、すごく辛い。
男ひとり興奮させることもできないポンコツのくせに性行為に執着する自分が惨めになる。最近は会いたくもない。私ばかり励まして、向き合おうとして、バカみたいだ。
彼はもう同人誌と結婚して一生シコってればいいと思う。それが幸せなんだろうから。
お前の器量の悪さを男のせいにするなと言われるものと思っていたので、改善点についてコメント頂けるのが嬉しいです。取り入れていきます。ありがとうございます。
彼は得難い存在で、私はセックスよりも大事なものを既に手に入れた上尚駄々をこねているだけだとは思います。こんなことで悩めている現状すら幸せなはずです。
オタク同士という共通点もあって交際に至ったので、彼がそれを楽しんでいること自体に不満はありませんでした。今は、同人誌だとエロ画像だとああでこうで、という話を私にしてくるのはやめてほしいなとは思っています。
性格が悪いですが、これを提案することで私の心境が少し伝わるかもしれないという点で「エロ同人読ませながら行為に及ぶ」はありだと思いました。
これからお目にかける雑文は、データにもエビデンスにも専門知にも基づいたものではない。
むしろ一市井の人間の有限(どころか乏しい)観察と未熟な想念、そして「何か書かなければならない」という衝迫のみを支えとしている。昔風に言えば標題のとおり印象批評だし、現代風に言えば単なるお気持ちである。
それでも、虚言や流言、罵詈雑言が猖獗を極めるクソッタレインターネットへ供する一服の清涼剤たらんという意志を持って草した文であり、そのように読まれることを希う次第である。
以下に続く文章は、主語がデカすぎるだの、事実認識がお粗末だの、構成がなってないだの様々な批判に晒されるであろうことは最初から織り込み済みである。いずれも筆者の能力の至らなさに起因するので「ごめん!」としか言いようがない。
もっとよりよい認識や知見の給源は他にあると思うので、それらに接するのが一番いいと思う。そのような批判を恐れずにあえて書く理由は、まさに標題で仄めかした「民主主義を虚無に捧げてはいけない」という信念を擁護するために自分でできることをしようと思った、ただそれだけである。
この文を書こうと思った直接のきっかけは昨日の兵庫県知事選挙である。
つい1週間ほど前に太平洋の向こう側でトランプが当選し、「MAGAくんさぁ……」という軽侮の念を抱きつつも、どこか他人事の如く受け止めていた自分がいた。
しかし、メディアやネットでパワハラ野郎だの私利私欲を極めたゴミだのサイコパスだのさんざん叩かれた斎藤元彦がメイク・ヒョーゴ・グレート・アゲインした途端、愚かな民衆なる集合は爆弾ゲームよろしく我々にヒョイと手渡されたというわけだ。
尤も、自分の最初の認識がそもそも間違っていたというのは認めるにやぶさかでない。要は愚かな民衆も、賢明な民衆もどこまでいっても抽象概念で、そのような概念で語れる事柄には限界があるという単純な原則をしばし忘れて物を考えがちというだけのことだ。
このような間違った考えで一喜一憂しているのは筆者だけはないらしい。
選挙結果が出てから、兵庫県知事選は立花某にハックされたということや、あるいはネットで真偽不明の奇々怪々なフェイクニュースを浴びせられて正常な判断ができなくなった結果だとして、SNSと選挙の結びつきを否定的に見ている向きがある。
もちろん、我々はアメリカの大統領選にロシアやイランが介入しようとしたという事例を知っている。ならず者国家の裏工作を挙げるのが極端だとすれば、ケンブリッジ・アナリティカのような倫理観の欠片もない連中がいることも知っているはずだ。
しかし、現段階の情報でもって、兵庫県民は騙されたのだという前提で話を進めるのは問題だろう。それをもってしても社会の底が抜けたとか、もはや民主主義は終わりだという悲観的で短絡的な発想に至りがちということを見ても、この種の作業仮説は民主主義に有益どころか有害であることは明らかだ。そういう人たちがエピストクラシーを実現するのか、リベラルな思考をもった等質的な市民たちによる思想のゲーテッド・コミュニティを作るのかは知らないが、それはきっと非民主主義的な操作で行われるものではないか。筆者はリベラル嫌いだが、それでも自分たちの理念に後ろ足で砂をかけるような彼ら・彼女らは見たくないというのが嘘偽らざる思いだ。
各種報道を見る限りでは、兵庫県民は普通の民主主義国家における市民と同じくらいの能力や感覚を持ち、それなりに各候補者を比較考量した上で投票に臨んだと考える方が現実に近い、と筆者は考えている。
ここでは斎藤や稲村の政策についてどっちがいいとかいうことは考慮の埒外に置くが、少なくとも「何かいじめられててかわいそうだから!」とか「メディアの一辺倒な報道が気持ち悪いから!」だけで110万票も取れるんだとしたら、残念ながら民主主義以外の選択肢の有効性も検討すべき時期が来ているのかもしれない。もちろん、実際のところそうではないのではないか、というのが筆者の見立てだ。
何が斎藤元彦に再び県庁の敷居を跨ぐことを許したのか。それを考えるために補助線を引きたい。もちろん、論理的必然性をもった操作ではない。何故ならこれは印象批評にすぎないので。
少し前に国民民主党の玉木代表の不倫問題が報じられた。不倫の責任の取り方は様々だろうが、代表を続投しこれからも頑張っていくということが比較的多くの人に受け入れられているように思った。
その方策の是非はともあれ、手取りを増やそうというストレートな訴えが若者を中心に多くの支持を広げていて、それに水を差すような報道を苦々しく思っている、あるいはある程度「相対化」可能な事柄だとして脇に追いやってもいいという雰囲気があるように筆者の目には写った。
筆者個人はこの種の思潮には到底賛同できない。不倫するような人間に増やしてもらう手取りなんぞはこちらから願い下げである。議員辞職するまでではないとしても、代表を辞任し一兵卒として政策の実現に邁進するということだって責任の取り方としてありえたのではないかと思っている。
どれだけ政策を懸命に訴えても、政策を進める当事者の「人品」というのは、決しておざなりにしていいものではない、と個人的には思う。実際、自民党の政治資金収支報告書不記載の問題に端を発する「裏金」逆風はそのような考えから生まれたわけだし、与野党伯仲という結果に実を結んだと考えれば、個人的かつ奇異な考えではないとも思う。であれば、妻子ある男性が別の女性に懸想することを問題視しなくていいのだろうか(妻子にとっては経験しなくていい嫌な出来事であるし、相手方の女性が公党の代表者と不倫したことがバレればその社会的地位をも脅かしかねないという帰結を予想できなかったのであれば、政治家どころか責任ある社会人としても御しがたいレベルの不見識なのではないか。)。
とはいえ、上の筆者の考えは少数派に属するものだと思う。不倫は家族や当事者の間で解決されるべきでダメだったら家庭裁判所へどぞ、というような私的な話で、こんなことのために俺たちの手取りが台無しになってたまるか、玉木はきっちり反省してその後頑張れという意見が大勢を占めているのではないか。
そしてこれは、斎藤が公益通報制度を度外視して告発者を袋小路に追い込んだことや、トランプが弄する信じがたい人種差別的・性差別的言動によって当事者が傷つけられることを等閑視するメンタリティと相通ずるものがあるのではないか。
もちろん、そういった非倫理的な行いに諸手を挙げて賛成するダークトライアドガチ勢のような人間ばかりではないだろう。しかし、それはそれとして、というような相対的態度をとらざるを得ないのは、言い換えれば自分たちにとって焦眉の問題が別にあるということにほかならない。
このような相対化を導くに至る根源的な不満の存在それ自体は目新しい指摘でもなんでもない。ラストベルトの労働者も、閉塞感を感じてきた兵庫県民も、手取りが増えない若者のいずれも「古くて新しい問題」であり続けている。目新しいことでもないのに、定期的にこの種の話が出てくるのは、解決が困難なことの証である。そもそも解決可能な話なのか? 全てのステークホルダーに満足を与えられるほどのリソースがあるのか? 自分たちの満足のために誰かにふるわれる不正義もやむなしとする世界で、オメラスから立ち去る勇気を持つ者たちが果たしてどれだけいるのか? 我々はずっとこの問いかけの中に閉じ込められているし、この困難さを抱きしめることが民主主義の要諦なのかもしれない。
この文では、貧しくあってもせめて人並みの倫理ぐらいは持てよバーカ、とか、人民の悲しいまでの想像力の欠如を嘆かん、という倫理的お説教や慨嘆を述べ立てるつもりは毛ほどもない(そういうリベラルへの嫌悪感を筆者は多くの人と共有するものである。)。政治家に自分たちの方を向いてほしい、助けてほしいというのは当然だし、その願いが届くのが民主主義のいいところではないだろうか。
だが、その時、もしかしたら誰かを犠牲にしているのかもしれないという一抹の不安は感じてほしいなとは思っている。それが望蜀に属する話だとしたら、民主主義の皮を被った椅子取りゲームを続けるべく、我々はいつ鳴りやむか分からない音楽に耳をそばだて、減り続ける椅子を横目に生きていくのだろう。これがいいとは、筆者は決して思えないが。
「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。」
大人になってから『のび太の結婚前夜』を改めて見た時に、「なんて当たり前のことを言ってんだ。よっぽど褒める言葉が見つからない時用の言葉って感じだ。」という冷笑的な感想を持った。しかし、今ならのび太が全くもって稀有な人間であったと痛感せざるを得ない。
立花が言うように元県民局長がどんなに酷いことをしていても(逆にどんなにいいことをしていても)、斎藤の拙速かつ強引な統治手法(このことは必ずしも立証されていないが、その後の百条委に至るまでの対応を見ればそう思わざるを得ない)に問題意識を感じて声を上げたこと、そして斎藤がそれをこれまた拙速かつ強引に対峙し、県政停滞のハードランディングに至ったのとは別の問題である。その対応に関する法的な問題などはこの際措くとしても、百条委で問われた道義的責任を「わからない」と述べた斎藤が、再選で得た民意を盾にこの問題を「相対化」しようとする危険性がないとは決して言えないだろう(当選後、記者団に対して「知事部局として一緒にやっていくのは公務員としての責務」と述べたのは、県職員に対して「俺は民意を得たんだからお前らがついてくるのは当然だよな?」と釘を刺した形とも言えるし、先行きは不透明だ。)。
斎藤に投票した人は、せめてそういう状況が棚上げになったままであることを認識した上で、自分たちの居心地の悪さに素直に向き合ってほしいと思う。(元県民局長が死んだのは別の理由であるという卑劣な矮小化をするのではなく、)たとえ拙速で強引でも斎藤が自分たちにとっていい兵庫県を作ってくれると信じて投票したのだとすれば、その結果誰かが痛い目を見ることになるかもしれず、それはひょっとすると顔見知りかもしれない。その時、その人の不幸を悲しみ、その人の幸せのために何かできるだろうか。そういった考えを頭の片隅に置き続けることが、民主主義のレジリエンスを形作る重要な要素だと筆者は考える。清廉潔白完全無欠な政治家が存在しない世界で、民主主義を選び取った全ての清廉潔白完全無欠でない我々にとって、「それがいちばん人間にとってだいじなこと」ではないだろうか。
日々の生活に汲々として自分の人生にやりきれなさを感じながら 「人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむ」というのはそうそうできることではない。とはいえ、できていないなと思うだけでも、「あの時できなかったから次こそは」という思いにつなげられるかもしれない。
当初、出直し選は寝てるつもりだった。維新もどうかと思うし、かといって中央政党相乗り組もどうかと思う。それならどっちでもいいから寝とこうと思っていた。
風向きが変わったのは先週のラストサンデー周りだ。斎藤が稲村を猛追しているという。
そして問題なのは、その斎藤の周りに組織的な選挙妨害集団が跋扈しているという事実だ。
よりによって、100年ぶりに復活したワイマール時代の悪夢、院外団・ナチス突撃隊のような暴力を信奉しそれを隠さぬ連中が選挙に介入するというその一点だけは断じて許すことが出来ない。
俺は模範的な選挙民でもないが、自由選挙の大切さを思う心と、民主主義に対する信頼は辛うじて持っている。しかるに、選挙においてボトムラインは明らかに民主主義の防衛という一転に絞らざるを得ない。こんなボトムラインを設定せざるを得ない状況を憂慮しなければならないが、しかしそれは別の問題だ。
ならば、ナチと同様の劣化突撃隊を選挙に投入した勢力をこそ市民の義務として蹴落とすべきだ。
思えばナチもチューリンゲン州を足掛かりに全国へと覇を広げていった。まったくその制度が違ったとしても、地方自治は独裁の一歩になりかねない。
我が兵庫をどうしてその二の舞とさせようか。
斎藤も同罪かもしれない。しかし斎藤側は明確に組織だった暴力集団の投入には至らなかった。N国の所業は明白に選挙を蔑ろにしているが、あくまで自由選挙(≒現行法)の枠内での行動に留まると評価できる。一方で突撃隊を養い、それを使用することのするの罪は遥かにそれを凌駕する。
40周年なので出してみた。
ちょっと待って!聞いて!!ドクのライブ、次元が違った。マジで「未来に連れて行かれた」どころじゃなくて、時間の概念壊されたわ!!
会場入った瞬間、もうセットがゴリゴリの科学研究所なの!ドクの愛車デロリアンが真ん中にドーン!って置いてあって、スモーク焚かれてんの。しかも観客全員に謎のゴーグル配られて、「これを装着しないと君たちは次元に耐えられない!」ってアナウンスされるの。何それヤバい!!
で、ステージ暗転したらさ、突然ドクの声が会場に響くの。「グレイトスコット!みんな、よく来たな!これから私の全ての未来を見せてやる!」って叫んだ瞬間、デロリアンからドクが登場して、もうね、会場全体が時空の渦に巻き込まれた感じ。
で、歌い始めたら声がめっちゃ渋くて、しかも科学用語ばっかりの歌詞なの!「フラックスキャパシターに愛を乗せて」とか「1.21ジゴワットのときめき」とか意味わかんないんだけど、気づいたらみんなノリノリで叫んでんの。何これ天才!?
しかもMCで、「みんな!このライブは時空を超えて永遠に記憶される!だから心に刻みつけろ!」とか言いながら、突然会場の空間をホログラムで過去の映像とか未来の風景に変えちゃうんだよ!?え、これアイドルのライブでやること!?いや、ドクだからできるんだけど!?
最後の曲のとき、ドクがデロリアンに乗り込んで、「さぁ、未来でまた会おう!時間を守って会場を出るんだぞ!」って言いながら走り去っていったの。で、ラストのスクリーンに「TO BE CONTINUED…」って出た瞬間、私の人生も永遠にドク推しで続行が確定した。
帰り道、まだ耳に「グレイトスコット!」が残ってて、タイムマシンの作り方検索してた。もう無理、未来でも過去でもいいからドクのライブ追いかけたい…!!
ハッピーエンドにする方法は簡単。カミキヒカルはあの場で罪を告白し自首、そのニュースを皮切りに映画はヒット、物語のラストは使命を果たしたアクアが有馬かなの卒業ライブ終了後に告白してハッピーエンド……それが、おそらく1番丸く収まる、読者への優しい嘘だった。いつか訪れる誰かの死を直隠しにする、最も優しい嘘。
んな訳ねー。カミキが改心した回はあっさりすぎ悪役として薄っぺらすぎ今までの化物みたいな描写は何だったんだって叩かれてたし。
その後のやっぱり改心してませーんは、全体がクソ展開の中でその部分だけは誉められてた。
まさかこんなタイトルのエントリを未読者が読むわけがないと思うが念のため補足すると、このエントリは最終回の内容を含んでいる。未読者はUターン推奨。
さらにいえば、最終回の内容に満足している読者に読まれることも想定していない。あなたはあなたの読み取った【推しの子】を大事にしてほしい。
そのような方々の持つ不満はきっと決まっていて、「何故こんなにも救いがないのか」ということだと思う。
決して読者を苦しめるためだけにこのような結末を描いている訳ではなく、この結末の先にあるものを読者に提示したかったのだと筆者は考えている。
抱えている不平不満に対し、一つの解釈を提供することによって、納得の一助となることができれば幸いである。
こちらについては全読者が納得できると思うが、この作品は「嘘」をメインテーマとしている。芸能界という身近であるが遠い世界を舞台として、その裏側に密めく嘘を真実に芸能界の当事者として向き合うというのが大まかなストーリーだ。
言われてみれば、芸能界というのは嘘に溢れた世界だ。我々がスクリーンや舞台を通して観ている芸能人たちが、その舞台裏ではどのような人間で、どのようなことをを考えているか、我々は全く知らないし、知る権利もない。
しかしながら、スクリーンに映されたキラキラした世界が真実であるのか嘘であるのか、気になってしまうのも人間の性であると思う。そういった層へのリーチとして、元ドルオタがアイドルの子供として転生し、そして本人も芸能界を目指すというストーリーは最適だ。一般人の人格を持ったまま、生まれながらの芸能界の人格を得る訳だから、芸能界と一般のギャップを体感する語り手としてはこれ以上ない設定だと思う。
そして、転生したルビー、アクアもまたそれぞれのスタンスで世間に対し嘘を吐くこととなる。そうして吐いた嘘、すなわちフィクションの裏側を、他でもない本人の視点から嘘も真実もなく全てを体感するという構成。
ゆえにこのストーリーでは、作中の芸能界で起こっていることと、読者が体感したことが一致することを許容するが、作中での世間の芸能界像とは乖離していなければならない。この辺りを把握していないと、なぜ大団円のハッピーエンドでなかったかを理解することができない。
トンチのようなことを言うが、嘘を吐かなければいけなかったから必要に迫られて嘘を吐いているのである。
このように列挙してみると、「嘘を吐く必要性」が明確に整理されたストーリーラインが展開されていると気が付く。
しかし逆に考えてみたらどうだろうか。嘘を吐く必要がない素晴らしい世界だったら?己はこれ以上なく満たされていて、世間様に嘘をつく必要なんてございません。私は生まれついての公正明大です。そのようなキャラが、嘘を吐くことに説得力を持たせることができるか?
さて、【推しの子】のメインテーマを表現するためには、嘘を吐く必然性のある舞台を用意しなければならないというところまで整理できた。そして次に考えるべきは、何を嘘で隠すか、である。
嘘と言っても、方向性が二つに分かれていると筆者は思う。すなわち、
おおよそハッピーとバッドで分ける軸だと解釈してもらって構わない。
もっと他の方向性で区別することもできると思うが、ここでは【推しの子】がなぜハッピーエンドでないかを説明したいので、このようにしている。
さて、後者は想像しやすいが、前者は補足が必要かもしれない。具体的に言えば、クラスの人気者とお付き合いできたという場面を考えて欲しい。あなたは身に余る幸福を自慢したくなるかもしれないが、周りを慮り、付き合っていないと嘘を吐くことにした、といった状況である。想像できただろうか?
そして問題は、この二つの嘘のうち、どちらを【推しの子】で取り扱うべきか、である。そして考えて欲しいのであるが、芸能界を舞台とした漫画を描くとき、どちらの嘘の方がしっくりくるか?
逆に前者を描いていた場合は、
それはそれで見たい気がするが……
というのはともかくとして、ぶっちゃけて言うと、そういう類の漫画は世間に溢れているのである。有馬かなとアクアが注目を集めているのも、推しのアイドルの子供として転生した後に、その推しが殺されるというセンセーショナルで周りとの差別化のされたストーリーで注目を集めたという基盤があったことを忘れてはならない。
改めて考えれば、ハッピーエンドなんてものは、悲劇を隠す嘘の極致に他ならない。人間は例外なく死という悲劇を迎えるし、筆者も画面の前の読者も、人生の最後には消滅の恐怖に怯えながら消滅することになる。あるいは、恐怖を抱かせることすらさせない暴力的な最後を迎えるかもしれない。
例えば、作中の恋愛リアリティショーはアクアとあかねのキスシーンで物語を閉じた。あれこそが恋愛リアリティーショーにおけるハッピーエンドだ。あそこで番組を区切ることで、番組の視聴者に未来に希望を抱かせつつ、大団円で物語を終えることが出来ていた。その後のSNSでの交際報告はエピローグといったところか。
まぁ、アクあかは破局というよりも、アクアの己の手を汚してでも周りを傷付けたくないという優しさと、あかねのアクアだけに手を汚してほしくない死んで欲しくないという意見の相違のために距離を置いたというだけで、全然破局という感じではないんだが……だってそれってつまり相思相愛じゃん……まだ改めて2人の心が通い合う可能性はまだまだあったんだが……
ではなくて。とにもかくにも、
【推しの子】において、作中の登場人物はスタンスはともかくとして、物語の最初から最後まで世間に嘘を吐き続けたが、読者に対して嘘を吐くことは一度もなかった。徹底して、厳しい現実を示し続けた。
作者はやろうと思えば、アクアとカミキヒカルのインタビューのシーンで話を区切ることもできた。実際、あの場面は【推しの子】を「ハッピーエンド」にするか、それとも実際に描かれた「アクアの死という悲劇に遭っても立ち上がる、生きていくことを選ぶ」結末で話を区切るかどうかの分水嶺であったと思う。
ハッピーエンドにする方法は簡単。カミキヒカルはあの場で罪を告白し自首、そのニュースを皮切りに映画はヒット、物語のラストは使命を果たしたアクアが有馬かなの卒業ライブ終了後に告白してハッピーエンド……それが、おそらく1番丸く収まる、読者への優しい嘘だった。いつか訪れる誰かの死を直隠しにする、最も優しい嘘。
そうして、物語はどうしようもない悲劇に向けて突き進んでいく。そして、最後には遺された登場人物たちが、消えない悲しみを嘘で隠しながらも、同じく悲劇という暗黒を生きる人達を照らす希望の光となる……これは、ゴローでもなくアクアでもない「星野アクア」にとって、嘘でもなんでもない、真の救いになったはずだ。そう願いたいし、作者はそういった、悲劇を乗り越えていくエネルギーのようなものを見せたかったのだと思っている。
そしてそれは、表面上のハッピーエンドでは成し得ない。本物の悲劇を乗り越える、嘘偽りのない登場人物たちの心情を描く必要がある。さらに言えば、フィクションのノンフィクションとして「悲しみを乗り越えられない」姿勢を見せつつも、作中のフィクションとして「悲しみを乗り終え世間に希望を与えるアイドル像」を成立させる話の組み立てのためには、今回のような形を避けられなかったのだと思う。
そういった理由を総合して、最終的にこの結末を描くと決心したのではないか。
そして、そのエネルギーを読者に持ち帰って欲しかったのだと思う。現実はフィクション以上に嘘に塗れていて、正気とは思えない凶行もあったりする、明日にも希望のない、夢も持てない真っ暗な世の中だ。その中において煌々と輝き暗闇を照らす「推し」の存在。その光に嘘が含まれてないとは言えないけれども、その光に向かって世界が少しずつ好転していく。
筆者はそう受け取っている[^3]。その一心でこのエントリを書いた。まだこの話を悲劇としか受け取ってない人がいたら、その悲劇の後を懸命に生きるキャラクターたちをもう一度見てほしい。実際筆者は、最終話を見て、そのあと1話から読み直して、最終話のモノローグがそういうことを伝えたかったのではないかと考えるようになった。アクアが死んでショックを受けただけで終わったら、それは勿体無いことだと思う。そんなファンからの一意見を伝えたかった[^4]。
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[1]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中で「コンテンツとファンは相互監視状態にある」というセリフがある。当然、このセリフを記載した作者がファンを監視していないはずがないと、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[2]: 読者の方は当然ご存知だと思うが、作中では炎上について「その日のメンタル次第では本当に死んでやろうかと思う日もある」というセリフがある。キャラと作者の思想は区分されるべきであるが、そのような思想が作者の脳内の構成要素の一つとして存在していると、多くの読者は感じるはずである。その中であえて、その行動を選んだのだから尋常ではない。
[3]: このエントリを書いてる途中に、赤坂アカ本人のインタビューが出回ってることに気が付き確認したところ、「ディスコミュニケーションを描きたい」といった旨のコメントがあった。じ、じゃあこのエントリの内容は……?となり怖くなったので、とりあえずアルコールを入れた。えっじゃあこのエントリも嘘ってこと?そうなのかな……そうかも……
[4]: そんな気持ちで旧Twitter自称Xを見に行って、検索欄がインプレ稼ぎなんだか炎上目当てなんだからわからないツイートで埋め尽くされていた。インターネットというものはどんどん地獄に堕ちていくな。もう純粋に収益とか考えずに己の意見を発信できるのなんて、もう増田しかないんじゃないか…… 増田、𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬 ……住民の質以外の欠点がないな……
去年くらいからエロ同人ゲーム(「ジーコ」という業界用語がある)の世界にハマって、DLサイトでバンバン買っては遊んできた結果、これは!と思ったものをリストアップする
なお、俺はショボいMacBookに仮想マシンを入れて無理矢理Windows向けのゲームを遊んでおり、プレイ環境は信じられないほど悪いため、まっとうなスペックが必要なゲームについてはそもそもプレイできていないという点には注意が必要だ
それが俺の目下の目標かもしれない
高校生の魔法少女であるアマネちゃんとなって、怪人と戦っていく その過程で色々とエロい目にあう
個人的には、全体的なバランスを見たときにもっとも出来がいいと思うのがこのゲームだ
ボリュームが高くて、自由度があって(やりたいことがやれて)、エロのクオリティとゲームのクオリティが両立されている
エロ同人ゲームなのに、クリア後にしばらく時間をおいてまた始めたりすることがある
なんなら俺はDLサイト版に加えてSteam版も買って、中国人有志が作った大型modを怪しい海外コミュニティに上げられていた怪しいクラウドから落として、英語翻訳パッチをあてて英語で3週目をやっている そのくらいの熱を注げる作品だ
現代モノ、魔法少女モノとして欲しい要素をほとんど取り揃えている感じで、シチュの網羅性が高く、またエロシーンそのものの質も高くて、端的にいってシコれる
個人的にポイントが高いのが、戦闘に組み込まれたエロや、雑魚的に負けてしまうと見られる、されたことのログがランダムに流れていく形での"敗北者の末路"エロ、自分で匙加減を選べる公園露出イベントや、電車でのミニゲーム的な痴漢エロなど、インタラクティブだったりゲーム要素を取り入れたりしているシーンが多いところ
シーンに入ったら決まったテキスト・CGの紙芝居が再生されて終わり、というだけではないシーンの数がそれなりにあるのが、セレスフォニアの世界に生き生きとした風を吹き込んでいるように思う
舞台となる街のエチノミヤ市とかいうクソみたいな名前もかなり好きです
竿役としてはなにせ種蒔先生がよかった
種蒔先生との一連のシーンはもう、僕の心のど真ん中という感じで、時折思い出してはシーンを見にいくことがある
普通にRPGとしても面白くて、敵を倒して得た、金とも経験値とも違うリソースを使ってスキルや武器を強化していく要素が楽しい
じっくりやれば主人公がクソ強くなり、高難易度でも戦闘で負けようがないくらいになってくるのも愛嬌のひとつですね
そんで、導入のハードルは結構高いんだけど、通称CN modと呼ばれる上述のModもかなり良い
原作では結構、本気で魔法少女としてのロールプレイをやってれば引っかかりようのない罠とか、かけられようのない呪いみたいなのがあるんだけど、そのあたりに手を加えてくれて、クソ強くなってもう負けねえわと慢心してるところでガチの敗北を味わされたりするので、チンチンに良い
余裕で勝つつもりでボスに挑んだらいきなり弱体化の首輪をつけられて追い込まれ、負けたとき、俺の心は完全にセレスフォニアになっていた
今の俺のメインの性癖(誤用)はNTRで、なかでもこう、「男主人公目線で寝取られていることを匂わせるものだけを見せられる」的なのがすげえ好きなんだけど、じつはそれに本格的に目覚めたのはこの作品がきっかけだと思う
素晴らしい作品です
ほぼNTRシーンのみのNTRゲーで、現代の田舎町を舞台に幼馴染と過ごすひと夏の青春、そこに忍び寄る間男達の影……という感じだ
なんせ男主人公で、直接的なエロシーンは回想部屋的なところでしか見られない(寝取られルートに入っていても、ラストを除けば直接のエロシーンを見ずにクリア可能)というところが素晴らしい
没入感が違うんだ
幼馴染をほっぽって村をブラついてたら、幼馴染がきったねえ浮浪者みてえなエロオヤジの住んでる小屋に入っていくのを目撃してしまい、近くに寄ってみると衣擦れの音とか微かな嬌声が聞こえるんだけど、実際に何が起こっているのかは分からない そういうのを重ねていける
チンチンが…爆発する!!
RPGの形をとってはいるものの、実態としてはアドベンチャーに近いため、難易度とかそういう概念はないんだけど、その中でちゃんと「これは俺の選択だ」と思えるようなつくりになっていて、この形式の作品としてはちょっとこれ以上の正解は出せないんじゃないかと思う
しかし名作とされていて、なにせ内容がいい
内容がいいっつうか、まあ、エロいですよね
毎朝電車で乗り合わせる美少女をマークして、ひたすら痴漢する それだけだ
ストーリー的にはちょっとしたツイストがあって、シンプルな現実の性犯罪としての痴漢を描いているわけではない
俺は現実にはぜってえ痴漢とかやりたくない(相手の気持ちを思うと申し訳なさすぎてチンチンが勃つどころではない)んだけど、今作では序盤から「これはただ性犯罪者がなんの縁もない被害者を無差別に襲っているわけではなさそうだぞ」というのを感じさせてくれるので、ノりやすかった
実際のところこのゲームですら最初のほうはやや躊躇があったというか、「何もしない」を何回か選択したりもしてたんだけど、そういうこともできる作りになってるのもイイ要素ですよね
通学電車という限られた時間の中で、また衆人環視という制限された条件の中で、こっちを敵視している相手を少しずつ懐柔していく まあファンタジーなんだけども、ファンタジーとして乗っかれるだけの強度があるんですよ
チンチンが勃つんですよ……
選択肢(どこをどう触る、あるいは何もしないなど)を選んで痴漢をしていく、ひとつ行動するたびに時間が経ち、また周囲からの注目度も変動する
周りにバレないように、限られた時間のなかで何を成せるか そういうゲームだ
ループものでもあるので、一回あたりの時間は限られているとはいえ日数は無限で、ゲームオーバーにもなり放題 かなりforgivingな作風だ
難易度設定は「じっくり」がおすすめで、それはエロには「溜め」が大切だという俺の信念に基づくものだ
同棲モノの雄だ
同棲モノのジーコには四天王的な存在があり、その一角なんだが、俺にはこれが一番刺さった
同棲モノにして妹モノだ
昼のパートで妹との心理的な距離を縮める一方、寝ている間に身体を触ったりもする(睡眠薬を飲ませて無理やり襲うみたいなこともできるらしいが、俺はやってみたことがない)
ファンタジー世界に生きるカスの兄となって、冒険者をやりつつ妹を手籠めにする そういうゲームだ
全然手籠めにしないこともできる それもいいところだ
わかりますかね 妹に手を出してるのは不可抗力でもなんでもなく、俺がクズだからなんですよ そこが徹底されてるのが嬉しいですよね
ときメモとかパワプロ的な感じなんだと思う(どっちもやったことない)
日数経過式で、選択肢を選んで能力を高めたりしつつ、要所要所のイベント(バトル)をこなす
それもやりつつ妹にも手を出さなきゃいけないってのがツライところだな
実際バトルのバランスは結構シビアなので、妹に手を出してたら強くなりきれずに詰む、みたいなことは全然ありうる感じがする
性欲に負けず、鍛錬に励め!
レジェンドってことはまあ、古いってことでもあるんだが、いまでも全然現役でいけると思う
女騎士ルナとなって(なお、エル・ブランカという家名には個人的に思うところがないでもない…)、攫われた主君兼親友である王女を救う、という王道ファンタジーだ
全体としてTRPGとかDRPGとか、そういう昔の(古き良き)ゲームの影響を感じるのが特徴だ
これがいいですね
シチュの数とかはそんなに多くないんだけど、なんというか精選という感じがする
心に響くシーンがあるだろうと思う
ジーコとしては歯応えがあるほうだと思う
しかし、やっぱ、普通に真面目に戦ってギリギリ負けてエロシーン、というのがいちばんチンチンにくるから、ホントいいバランスだと思う
自分は普通に戦ったらまず負けないクソ強魔法少女なのに、卑劣なエロ攻撃で少しずつ戦力を削られて、気がついたら手も足も出なくなってしまっている
戦闘エロ(戦闘中に敵からエッチな攻撃をされる要素) これにつきる
コンシューマーゲーでもあまり見ないような、コマンドバトルとテキストのシームレスな融合がポイントだ
長いダンジョンに、敵の仕掛けた罠を解除するための仕掛けが散財している
解除して回るのは正直めんどくさい(多分意図的にめんどくさくなるように作ってある)
めんどくさいから横着する 俺はクソ強いんだから、多少の罠くらいなんとかなるという慢心が裏にある
はたして罠を使われて、少しずつ追い込まれる
アレ…これやばくね?となる
そのとき、チンチンが勃っているのだ
純粋なRPGとして見るとめんどくさい部分もあるが、そのめんどくささにも意味がある
これはかなり最近出た作品で、広く知られた名作ジーコというほどの知名度はないが、俺には刺さった
NTRゲーだ
その一方で、俺はあきらかに怪しいサキュバスっぽい女の子に誘惑されて、愚かにも籠絡されてしまう
エロ要素も大きいが、その裏でけっこう骨太なファンタジー戦争を描いているのもイイ
①ふたりとも心を乱されない正規ルート ②ヒロインだけ寝取られるルート ③主人公もヒロインも寝取られるルート の大きく分けて3つがある
主人公を操作するパートとヒロインを操作するパートがあって、それぞれの選択によって話が進んでいくんだけど、あまり厳しいフラグ管理なんかはなくて、ルート選択は俺の胸先三寸だ
ヒロインがバンバン汚されていくのを楽しむこともできるし、逆にヒロインは意思を強く持ってるのに俺だけ敵にアッサリ籠絡されて、それでヒロインの方も結局堕ちてしまう…みたいなシチュエーションをやることもできるため、一粒で2度美味しい
エロステータス的なものも完備しており、男主人公もののNTRのよさ(夜寝たら、翌朝ヒロインの性経験が増えてる…!)も味わえる
ファンタジー世界で、俺のことを好きなヒロインが、俺の見ていないところでチャラいクズにヤられてしまう…という感じだ
NTR展開は不可避で、そんなにボリュームがあるわけでもないが、俺には刺さりました…
部屋にいるはずのヒロインが見当たらないな
しゃーないから寝るか…
その美しい流れをこれでもかというほど味わえる
このゲームもまた、回想部屋でしかエロシーンを直視できないタイプだ
ヒロインの性経験回数という、プレイヤーだけがメタ的に見られる数値で興奮する その素養が求められる
俺にはその素養があった
君はどうかな?
この日記は、日本がアメリカの政治に関心を持つ余裕はないと述べ、日本の行き詰まりと衰退を強調しています。アメリカは国内問題がありつつも、官僚や経済人の優秀さから大きな崩壊は避けられるとし、トランプのような大統領が出ても極端な政策が実行される可能性は低いとしています。一方、日本は産業の国際競争力が低下し、自動車産業も無策で、IT分野も世界に勝つ見込みがないため、経済全体が「ラストベルト化」する運命にあると警鐘を鳴らしています。
さらに、長期政権の自民党も問題解決できず、財政面や成長の見込みもないため、移民労働力に依存する形でのみ社会が支えられている現状を指摘しています。このままでは地方も徐々に衰退し、労働力不足や治安の悪化という危機に直面すると警告しています。将来への明確な改善策はなく、日本が人工知能などで奇跡的に復活するか、陰謀論に走るかのどちらかだと悲観的な見解を示しています。
トランプが誕生したぐらいでアメリカがどうにかなるわけでもないのはもうわかってる
どうせそこまで極端な政策は実行できない
まあ赤い州の若者が中絶とかLGBTとかでいやな思いする奴はいるんだろうけどどうでもいいよ
大きく動くのは結局アメリカ国内のゼロサムな話であり4年8年スパンでシーソーするだけ
国内治安だの薬物だの、トランプ以前どころか建国以来からずっと悪いんだからさ
トランプもほんとにヤバイ軍事侵攻とかをするほどの極端なバカではない
むしろ孤立主義の介入嫌いであってせいぜい困るのは米国民ではなく西側の軍事力の低い国
アメリカでトランプを産み出したラストベルトだが日本全体がラストベルト化して詰む未来はそう遠くない
トヨタホンダあたりもそのうちしれっと外国に逃げ出して日本の産業保護とか投げ出すだろう
まあ日産とかの弱小よりは耐えるだろうけど長期的にはもう終わりが見えている
それ以外の基礎的な工業はもっと耐えそうではあるが労働者を吸収できる規模は小さくなる
今はのんきしている業界も結局は日本語圏の工業マネーを吸い上げてるだけなんだから
医療だろうが文系コンサルだろうが工業死んだら端から壊死していくしかない
そしてトランプは対中融和に走るだろうから西側の工場路線で生き延びる流れも弱まって
日中共倒れになるまでデフレ輸出絶滅戦争をやる方向に行くと考えるのが自然だろう
本質はもう日本に投資を呼び込めず、国内マネーも集められず、研究もインフラ投資もできないというところなので
そこに目をつむって何をやってもあまり意味はないし政権交代しても変わらなそうである
もう成長しないのだから
債権がある奴らは国内労働者の低料金サービスを受けられてお得な成熟した衰退国だが
移民問題も米国はあくまで流入に苦しんではいるが呼べばいくらでも来るのだ
日本はもうそろそろ最初の段階、サービス業がアジアと同水準になりまともな人材は呼べなくなる
もしこの水準を超えたら一気に人手不足からインフレが爆発するか
それがいつ来るかは読めないが状況がよくなることはない
地方が壊死していくのをじりじり見ているだけ
みんな薄々分かっているから人工知能で世界革新レベルの奇跡の逆転に祈るか
逆に陰謀論に走ってそういう新技術へのアレルギーで自然派カルトになるかの二択
トランプがアメリカを救うのを待っている共和党信者よりよほど深刻に詰んでいるのだが
いや分かっている
俺はアニオリの「軍艦島」が好きなんすよ。
「おはよう」で始まる古い方のアニメでハンター試験中に追加としてやられた特別試験です。
アニオリって聞くと新しい方のハンタの映画とかのせいでちょっとイメージ悪いかもですが、「軍艦島」だけはガチだと思います。
軍艦島の何が良いってハンター同士が和気あいあいとしてる所ですね。
試験ではあるんですけど、立ち位置としては飛行船の延長みたいな空気です。
廃棄された軍艦でそれぞれが部屋を取って暫くそこで宝探しするっていうYMCAとかでありそうなノリなんですよね。
「俺の部屋は陽当り良好だぜ!」「よっしゃ!」→「西日が強すぎだろ!」
ハンター試験って基本的には生きるか死ぬかも隣り合わせなギリギリの空気の中で世界中のヤベー奴らが集まったことで生まれる独特のフワフワした空気が楽しいじゃないですか。
そんでそのあとに本試験に戻ったあとの「さっきまでにこやかにチームプレーしてた奴らがスイッチが切り替わったように冷酷な潰し合いを始める」って振れ幅がちゃんと富樫なんすわ。
私が好きだったハンタの面白さって緩急の強さっていうか、緩いときはバッチリ緩い所にあったんですよね。
殺し合いをすることもあるけど、子どもっぽい遊びに興じたりみんなで合宿や旅行みたいなことしてるあのノリがいいんですよ。
でも蟻編ぐらいからひたすらシリアスシリアスシリアスでもう緩いタイミングが無くなってくるじゃないですか。
HUNTER×HUNTERはゴンがジンをハントした時点でもおう終わっていて、そっからは設定を流用したエピローグであるって説もありますけど、本当に空気が変わった感じがしますね。
グリードアイランドラストの「もうここはお前たちを見守る流れなんだぜ」となった辺りまでが優しい空気がそれなりの長さで続く場面のラストで、そっからは本当にシリアスの帯を締め直すための一瞬の緩みぐらいしかないなと。
十二支んとかも表向きはフワフワしててもその水面下にあるピリつきがハンター試験とはレベルが違うんですよね。
ハンター試験ってどこかで「死ぬぐらいなら来年受ければいいのに」ぐらいには消極性も残されているけど、選挙編って狂言回しを気取ってるヒソカ以外はみんなひたすらガチじゃないですか。
レオリオとかですら口にしてる言葉の内容は緩めだろうが、気持ちのボルテージは全力でシリアスっていうか相当ヤバイレベルにキレてるじゃないっすか。
センリツとかバショウさんとかが画面に出てきても、和みきれないっていうか、+80でヒリついてたのが+30ぐらいのシリアスまで下がるのが精一杯で、決してリラックスムードには反転しきらないといいますか。
これ、俺が知ってるハンタじゃないなって思うんですよね。
そういう意味ではボノレノフとかには期待してたんですけど、ボノもボノで本人なりには物凄いシリアスで、全くリラックスしてないんですよね。
なんか今のハンタは本当にず~~~っとピリピリしてて金がなくて解体される直前の部署みたいな空気で読んでると疲れるんですよね。
最近dマガジンに登録して、好きなだけ趣味の園芸読めるようにしたわけ。
妻の読んでるオレンジページとかサンキュとかでレシピ見るのも楽しい。
意味不明な設定で着回しコーデをやってツイッターて話題になってるCLASSI?とかいう雑誌も読んでみた。
ちなみに今月は映画ラストマイルを下敷きに六つ子の弟の学費のために物流倉庫で戦う女性の着回しコーデだった。
なかなか女性誌を本屋で手に取ることないけど、タブレットなら照れずに読めて良いね。
読んでて思ったのがファッション誌いくつか見たんだけど、女性のファッション誌って社会欄?ぽいの多いなって思った。
新刊とか新たに公開される映画みたいな文化ページ?ではなくて、それと別でNISAとiDeCoについてとか、選挙のこととか、夫婦別姓とは、とかそういう社会問題や時事ネタを専門家に聞いて扱うページがしっかりある。
CLASSIとかワーママ向けかなって感じのファッション誌に載ってて、読者層に需要があるのかなと思って、20代とか若年層向けかな?って感じの雑誌も見てみたらそこでもページ割いてることがある。
フェミニズムとかシスターフッドとかそういう言葉も載ってたりする。
経済の本とか、はなから読者層狙い撃ちしてる感じの雑誌じゃなくて、カテゴリ的にファッションとかライフスタイルに入ってるような男性向けの雑誌でも複数ページ使っ社会問題を扱えばよいのではと思うんだけどこの差はなんなんだろう。
「室井慎次 生き続ける者」の先行上映を見に行ってきたんだけど
終始(なんやこのクソ映画舐めてんのか)とイライラさせられっぱなしでさ、
ラストの室井が死んだところで、室井じゃなくて本広と君塚が死ね!と思って見てたんだけどさ。
隣の席からウーウー言ってる声が聞こえて、そりゃ怒りの声も漏れますわと思ってチラっとみたら
30代半ばくらいのお姉さんがビビるくらい号泣しててドン引きした。
えぇ・・・このクソ映画にそんな号泣するほど感情移入できるところあったか?
マジかよ。
終わった後のホールでエレベーター待ちしてるときには、マジでおもんなかった!って怒ってる人と