「乞食」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 乞食とは

2019-03-18

ブクマカ乞食根性が見るに堪えない

はてなブックマーク - TOHOシネマズが鑑賞料金を値上げ 一般1900円に : 映画ニュース - 映画.com

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/eiga.com/news/20190318/13/

所詮3年A組を1度もホッテントリさせなかったコミュニティー映像表現の受容を求めるべきで無いとわかっているのだが。

あいつらこそ見なければならないドラマだというのに。

破産者マップわろた

いつか出てくると思っていたけど..

そしてその削除フォームに急いで削除依頼 慌てる乞食はもらいが少ないの典型

削除依頼に書き込む奴が嵌め込み詐欺にハマりやすリストとして活用されるのでは?

2019-03-17

anond:20190315185437

ちょっと待って移動させられたのは男性陣?

お金払う側が座席移動させられたの?

普通無料乞食にありつく女性様側が座席移動で巡廻するシステムだよね?

2019-03-14

anond:20190314205439

おまえには漫画でも高度すぎたか

じゃあおすすめ婚活絵本を 

ってあるわけないやろ~

煽ってもおまえむけの情報はないぞ乞食

2019-03-13

anond:20190313102841

そうなん?

激怒」「炎上」「ネットの声」はあてにならないからなぁ。

GACKTなんて何度乞食したこと

2019-03-11

anond:20190311105654

見る価値ないもんをわざわざ2時間かけて見てつまんねークサシしてんじゃねーよ乞食風情が、ってことでしょ。

2019-03-09

anond:20190309205852

の子トラバ乞食なのです。皆様すみません

暖かい目で見ていただけたら幸いです。

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。実は三河武士あいだでやたらと流行っていて十人いたら七・八人は唐の頭をつけていたと言われており、というのも唐の頭を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2019-03-07

anond:20190307130701

戦ってないユダヤ人人権を持ってるのは乞食根性なんじゃね?

戦ってないロリコン人権を主張するのは乞食根性らしいから、その理屈では戦ってない奴が人権を持ってるのはみんなフリーライダーだろ

anond:20190307125019

そうだね乞食だね。天賦人権説フリーライドするだけのクズ人権を語るとはおこがましいにも程がある。公平や平等、そんな綺麗事理念最初から存在しないから、常に立ち返り、啓蒙する必要性があるんだが?

わず人権を得るのは乞食根性

マジョリティは何と戦ってるの?

てか、みんなそんなに戦ってるの?

LGBT10割は活動家

人類のうちロリコンなどの非差別者以外はみんな活動家

あんたもあたしも活動家

モーニング娘活動家

みんなも社長さんも活動家

からみんな人権を持ってるの?




ハハッ、ワロス

anond:20190307124049

乞食根性が気に食わないなら、戦って、叩き潰してみせろ

それすらしないで、ふんぞり返って威張ってるだけなら、ロリコンはやがて勢力を拡大して世界を制覇するだろう

今にみていろ

お前のかわいい坊ちゃんが、大きくなって連れてきたのがかわいい幼妻でも文句は言うまい

anond:20190307123909

これだけ説明してもまだ理解していないようなのだが、再度主張しておこう。ロリコン差別が不当であるというのなら、そのような言説に真正から立ち向かうべきであり、それをせずにロリコン差別が不当だと増田でグチグチ言ってロリコン正当性社会から容認される可能性は万に一つもない。そして他のマイノリティ運動家の血の滲み出るような運動タダ乗りして「ロリコン差別文句を言わないのはダブスタ」「LGBTOKならロリコンOKですよね?」などとほざく乞食根性が気にくわない。戦わないなら、差別差別のまま放置されるだけで、なぜロリコン共感する必要性があるのか理解に苦しむね。ロリコン差別は不当である、という声明の一つでも発表してみろよ。それすらしてねーだろうが。

anond:20190307123623

そして他のマイノリティ運動家の血の滲み出るような運動タダ乗りして「ロリコン差別文句を言わないのはダブスタ」「LGBTOKならロリコンOKですよね?」などとほざく乞食根性が気にくわない。戦わないなら、差別差別のまま放置されるだけで、なぜロリコン共感する必要性があるのか理解に苦しむね。

ほら、やっぱり「運動家じゃなきゃ人権はない、差別されて当然だ」と言ってるじゃん?自分の書いてることも分からないの?

しか人権共感関係ないぞ?


で?君は何と戦ってその人権享受してるんだ?

まさか戦いもせずに偉そうな口聞いてないよね?

乞食根性」とか言い出したら世の中のマジョリティマイノリティも九割九分フリーライダーだけど?

anond:20190307122546

まり君は「運動家に非ずん人権はない」と言ってるわけだ。

これだけ説明してもまだ理解していないようなのだが、再度主張しておこう。ロリコン差別が不当であるというのなら、そのような言説に真正から立ち向かうべきであり、それをせずにロリコン差別が不当だと増田でグチグチ言ってロリコン正当性社会から容認される可能性は万に一つもない。そして他のマイノリティ運動家の血の滲み出るような運動タダ乗りして「ロリコン差別文句を言わないのはダブスタ」「LGBTOKならロリコンOKですよね?」などとほざく乞食根性が気にくわない。戦わないなら、差別差別のまま放置されるだけで、なぜロリコン共感する必要性があるのか理解に苦しむね。ロリコン差別は不当である、という声明の一つでも発表してみろよ。それすらしてねーだろうが。

2019-03-06

なんで日本チップ文化ないの?

チップって底辺サービス労働者にとって救世主だろ

いいサービスをしたらその分自分に直接金が入ってくる

今はやりのバイトテロなんてチップが貰える客のことを考えたらできなくなる

キャッシュレスガンガン進む社会でも日本では災害時のリスクヘッジ的に現金必要だがチップがあれば完全にキャッシュレスに移行することはない

なんでこんないいシステム日本で導入しないの

チップ払わないといいサービスが受けられないんじゃないかって?

当たり前だろ

なんで金を出さないでいいサービス期待してんだよ

金をケチるようなやつがいサービス期待するとかどんだけ乞食根性丸出しの卑しい根性してんだよ

いい加減にしろよ?

今にして思うけど、ニコニコ動画凋落って永井先生スターにできなかったことだよね

あの時代ファンからの贈り物とかを乞食とか言われながら受け取っていた永井先生

うまくいえないけど、マイナス概念プラスに変える力が運営になかった

ファンから投げ銭生活できるように仕組みを提供するなんてこともしなかった

いまさらになって投げ銭できるようにするとか言ってるが2019年にようやく実装ってどうなんだとおもう。

今彼は何してるんだろうって検索したが、細々と配信をしているようだ

パチンコにはまったりアイドル批評してみたり、けして品がいいわけではなかったが

でも今のyoutuberの連中にくらべたらだいぶマイルド常識人な部類だと思う

2019-02-28

anond:20190228134023

乞食が黙ってそのまま飢死するのと助けてって喚いてるのとどっちがマシかみたいな話で

実際の売上には関係ないよな

2019-02-26

インド自分探しにいったんだ

ガンジス川に入るのって外国人だけなんだってな。すげぇ現地人に笑われたよ。

くそんな汚いとこ入れるなってさ。

乞食に恵んだら身ぐるみはがされそうになったり、親切なおじさんに掘られそうになりつつ、たどり着いたわけよ。

とうとう自分を見つけてさ。

コルカタでワイのことをずっと待ってたらしい。

ワイと言う生き物が自分出会うべく旅に出て、ワイは自分を見つけて欲しかったってさ。

ところで、見つかった自分は確かに自分だが、探しに来た自分も確かに自分だ。

日本暮らしてた自分はいったいどこの誰だろう。

2019-02-25

anond:20190225125332

乞食じゃなくて乞請ね。キッセイ。

anond:20190225124032

越境乞食の方がマシだろ

マジョリティ民族だけど学歴仕事もない、その地域で生きていくしかない奴らにだよ、

エリート教授多文化共生強制する訳よ

流入してきた外国人労働者の面倒見ろ、ゴミ捨ての指導しろとな

外国人がいざ問題起こしても好きな場所に引っ越せるような力に恵まれ人間支援を担うべき

anond:20190225083714

店員が気を利かせて、新商品試食のやつを積極的に配りに行ってママと子供安心させてやれ

みずぼらしい乞食親子がそれ目当てに店内をたむろする姿が想像された

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