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2020-08-15

8月15日に記しておきたい怖い祖父の話

大正まれ祖父は、坊主頭メガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子であるから聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。

対照的祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。

祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父遺影インテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真遺影の人でしかなかった。

そんな祖父遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父政府が贈ったものだ。戦後日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。

去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父戦後抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎山中にある村で、家業農家という典型的な家だった。時代時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。

その頃から興味が沸いていたんだと思う。

遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。

私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日実家終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。

兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要ものは、対象者が故人の場合申請者との繋がりがわかるための除籍謄本戸籍謄本といった、役所簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。

まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言事実のみであるのだから

待望の兵籍簿は一か月かからずに送られてきた。

当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。

読み解いてまず驚いたのが、祖父1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州国境警備をしていたらしい。大きな作戦戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。

次に驚いたのは1944年2月祖父除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父満州終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父人生はガラリと色を変えた。

千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。

千島列島といえば、日本降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。

お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島ソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前漠然としているだけで、よくわかっていなかった。

どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。

祖父のいた部隊結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。

得撫島はもとより、千島列島自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空から米軍攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれ沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。

得撫島ラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずはいられない。

兵籍簿には、祖父召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。

昭和20年

8月15日終戦

9月29日ソ連により武装解除

10月19日ソ連により得撫島出発

10月24日ソ連ポートワニー上陸以降土工作業従事

昭和23年

7月22日舞鶴上陸

古ぼけた紙は語っていた。戦争8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ祖父戦後も長らく闘い続けていた。自分血縁である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父存在への深みが増した。

シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。

祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。

ここでは政治的な話はしない。

兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父存在がぐんと近づいた。存在のものを実感した。祖父ちゃんと生きていた。過酷時代を生き抜いた。ドラマ映画主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和世界ツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。

兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。

仏間へ行き、再び祖父遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影漠然とした無機質なものではなく、凄惨時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。

2020-08-06

2年前、友人が自殺未遂をした

2年前友人が自殺未遂をした。

2年間ずっとこのことが心のおもりのようになっていたが、ようやく少しだけ吐き出して身軽になれそうなのでここに書くことにする。

ずっと気持ちの整理がつかなくてこのように文章にすることすらもできなかった。

特定を避けるためにところどころ虚偽の情報を入れている。それによって多少不自然なところがあるかもしれない。

その友人とはすごく仲がいいというわけではなかったが、近所に住んでいて会えばそれなりに話すような仲ではあった。

事が起きる数日前には「もうすぐ重要プレゼンがあるから頑張らないといけない」などと話す友人に、「がんばれよ」などと言った。

本当にたまたま事務的用事があり、その日はその友人の家に行った。

かいことは省略するが、「ドン」という音がして、見てみると友人が真っ青な顔になって横たわっていた。

まりにも肌の色が真っ青だったので、見つけてすぐはその青い人が自分の知っている友人だとは思えなかったほどだ。

自分は急いで119番通報をして、近所の人に協力を仰いで一緒に軽い応急手当や救急隊の誘導などを行った。

初めて119番通報をしたのだが、焦りのあまり火事ですか?救急ですか?」などと聞かれても一瞬何のことだか分からず「人が~して倒れていて・・」などとモゴモゴと要領を得ない返事をしてしまった。そして見るからに状況は自殺(未遂)なのに、自分はひたすら「自殺とかではないと思うんですけど」と聞かれてもいないのに繰り返していた。

呼吸はしっかりしていたが体の一部が痙攣していて、こういうときってAEDを使うのだろうかなど迷いつつも見つからないうちに救急車が来た。

一応救急車には同乗したが、何をしていいのか分からずただちょこんと座っていた。このような状況で「頑張って!」などと言うのも違う気がする。救急車でも何度か「悲鳴みたいなのが聞こえたので、自殺とかではないと思うんですけど」とうわ言のように繰り返した。

病院に着いたら、あっさりと自分は帰された。

一応怪我をした経緯を訊かれたが、それすら形だけという様子で、医療者は友人の怪我しか見ていないようだった。

なんというか「プロだな…」などと思いながら1人帰宅した。

友人はかなり危ない怪我をしたようだったが、幸い命は助かったらしい。重度の後遺症も残っていないということを風の便りで聞いた。

友人は引っ越してどこかに行ってしまった。休職退職なのかは分からないが、とりあえず仕事からも離れているようだ。

LINEアカウントも消したようで、連絡はとれない。

もう二度とその友人に会うことはないだろう。自分の中で、その友人は驚くほど青白かったその日のままだ。

自分はというと、その日の光景フラッシュバックに何回か悩まされた。また、友人の件以外にもいろいろな負荷がかかって、しばらくメンタルクリニックに通っていたこともあった。今ではほぼ完全に回復して普段通りに過ごしている。

しかし、今でもその友人の自殺未遂と同じようなシチュエーションに出くわすと、心にざらっと鳥肌が立つことがある。これは一生かもしれない。

それぐらいだ。自分の中ではこのことはもう終わったことだ。

実は自分若い頃はずっと死にたい、生きていたくないと思いながら生きていた。自殺する計画を立てたこともあった。

でも、あの青い体をぼんやりと思い出すたびに、自分は一生自殺はしないだろうな、と思う。

2020-07-31

誰か僕を殺してくれないか

4か月以上前に別れを告げられた元カノのことで気持ち悪さがずっと残っている

自分(20代後半男)

彼女(当時20歳)

2017年春、彼女高校3年生になったばかりのころにTwitter経由で友達になる

彼女お絵かき趣味ツイキャス作業配信をしていたので頻繁に訪れてコメントしてた

他に常連と呼ぶようなリスナーもいなく、大半は彼女が喋りながら作業するのに僕がコメントをするだけの日々

その時に彼女高校3年生であること、自分と同じ県に住んでいることを初めて知った

夏になり仕事の都合により俺がTwitterで浮上できなかったりする中で、彼女はふとした理由からTwitterをやめてしまい連絡が取れなくなる

2018年夏、色々あった彼女Twitterに戻ってきて再度やり取りするようになった。彼女専門学校へ進学していた

そこから再び友達としての付き合いが始まり学校文化祭同人誌を売るということでその年の秋にリアルで初対面

正直これまでのやり取りとかで彼女のことを好きになっていた自分がいたが、相手未成年だという考えで想いを伝えないでいた

そして更に翌2019年、夏がやってきて彼女も長期休暇

僕は在宅勤務で日中から暇というか通話しながらでも進められるような仕事なので二人で作業通話をするようになった

作業通話ってのは建前で、一緒にアマプラ映画を見たりしてなんというか友達以上恋人未満、ってのはこんな感じなのかなァと感じていた

「もし付き合ってる相手かいるんだったら申し訳ないし、こういう通話は程々にしない?」

「付き合ってる人はいないですよ?」

こんな会話もした。正直一度会った時に素朴ながら可愛らしい外見をしていてモテるだろうと思っていたので予想外だった

そしてホッとした。裏で彼女のことをコッソリ狙ってる同級生男子かいっぱいいただろうに

更にこの夏、彼女20歳を迎えた

はい告白しようか悩んでいた

夏休みが終わっても作業通話は頻繁に行われていた

作業通話、そんな建前で二人とも会話がしたかっただけなのかもしれない

お酒を飲んだのは20歳誕生日以来、という彼女通話越しでお酒を飲みながら会話したりと楽しく過ごしていた

そして11月、僕たちの関係に転機が訪れた

ある作業通話の際に「今まで黙っていたことがあります」と彼女に告げられた

要点だけ書くと

・実は2019年の春に男性から交際をもちかけられて付き合っている

相手学校先生。50代非常勤講師内縁の妻がいる

日常に刺激とトキメキが欲しくてOKしてしまった

・春から彼と肉体関係を持っている

まぁ、ショックだった

彼氏いませんなんて話を鵜呑みにして僕は彼女に散々アピールしていたのだから

そして自分ルールとはいえ彼女が成人するのを待とうと思って想いを告げずにいたのに、あろうことか学校先生未成年だった彼女に手を出していたなんて

しか内縁の妻がいるので彼女に対して将来を誓うようなつもりもない、そんな男相手にだ

「他にいい男がいたら、そっちに行きなよ」

そんなセリフを常日頃彼女に聞かせていたらしい。僕はその先生だけでなく、世の中の教師という存在が一気に嫌いになった

自分が課したルールで何もかもが手遅れになったことを知った僕は彼女に今の関係を終わりにしようと告げた

しか彼女から帰ってきた答えは「終わりにしたくない」そんな一言だった

「どうせ卒業したら先生との関係は終わりになってしまう。だから貴方から私に告白してほしい。恋人として関係を続けたい」

涙ながらに彼女から訴えられた僕は、「今までずっと好きでした。僕と付き合ってください」と告白してしまった

そしてここで問題が発生する

彼女交際関係にある先生のことだ

から忙しいを理由に頻繁に会ったりはせず、自分の都合のいい時にデートに連れて行くような人らしい

更に年に数回体調を大きく崩す人であり、恋人が出来たと告げたらショックで体調を崩すのではないか彼女はそれを懸念していつ告げようか悩んでいた

僕は悩んだ末、彼女に「今すぐでなくてもいいよ。待ってるから」そう言った

それからは晴れて恋人同士ということで仲をゆっくりと進展させていった

一緒に買い物に行ったり、ご飯を食べたり、映画を見に行ったり

恥ずかしくて最初の頃は手を繋ぐのを苦手としていた彼女が、自分から僕の手を握ってくれた日はとても嬉しかった

歪な形ながらも3年越しの片思いがようやく実ったのだ

僕は毎日がとても楽しくてたまらなかった

年が明けた

そして僕の大好きだった祖母が死んだ

僕は葬儀関係実家に帰った

実家に帰っている間も彼女は僕を心配して電話してくれた

そして葬儀から帰ってきた僕は彼女自分トラウマを打ち明けた

これまで断片的に伝えていた出来事

まりこういった場でも書きにくい僕の根っこにある弱い部分だ

母親と弟が自分のせいで死んでしまった、ということなのだけど

20年以上自分を苦しめてきて、何度も死んでしまいたいと思わせてきた弱みだ

彼女は「貴方のせいじゃないよ。大丈夫」と言ってくれた

これを読んでくれてるあなたに伝わるかわからないが、人生で最も僕を救ってくれた一言で、この子と巡り合えてよかったなと心から思った

2月ちょっとずつ仲を深めていった僕たちの関係が急速に進展した

言葉にすると野暮だが、肉体関係を持つようになった

彼女は前述の先生とのことで性行為に対して少しトラウマに近いものを抱えていた

先生からゴムがあるとイケない」と言われ生でセックスしたことが原因で、その話を聞かされていた僕は慎重になっていた

でも彼女のことが好きだからセックスしたいのは仕方ない

「怖かったりしたら、断っていいから。でも僕はキミを抱きたい」そう彼女に伝え、彼女からOKサインがでた

彼女とようやく一線を越えた僕だが、色々と問題が浮上する

2月というのは僕にとって1年を通じて最もつらい時期で、どうしても母親の命日が近づくと苦しくて仕方なくなるのだ

貴方のせいじゃない」そう言ってくれた彼女に気分が沈んでることで心配をかけてしまった

この頃にはもうコロナ流行っていて、どこに行くにもマスクが欠かせない時期だったのに彼女休みを利用したり学校帰りに僕とデートをしてくれた

そして僕は彼女に慰められるように何度も身体を重ねた

気分が沈むのは、母親の命日だけじゃない、もっと他に理由があると気が付きながらも

3月、ついに僕は限界を迎えてしまった

「いつになったら彼女先生に別れを告げてくれるのだろう」

まだ彼女先生に対して付き合っている人がいることを告げていなかった

忙しくて夏以降一度も会ってないとは言っていたけども、僕はそれが真実なのかわからない

思い返すと、顔も名前も知らない先生に振り回された恋愛だった

デートに誘うと「そこはやめた方がいいと思うよ。先生と行ったことあるから…」

先生は悩みを抱え込む人だから、別れてから相談役として支えてあげたい」

「ごめんなさい。私が先生に思う好きと貴方に思う好きは別のものから貴方を一番好きにできない。順位けができない」

2月彼女と何度も身体を重ねたのも

先生ホテル行った回数が自分より多いのがなんだか嫌だ」

「君が今、身体を許す相手は僕だけなんだという実感が欲しい」

そんな歪な理由だった

顔も名前も知らぬ、彼女にとって今も大切な存在であるおじさんに負けたくないと空回りばかりしていた

眠れぬ日々が続いた

本当は都合のいい相手としてキープされてるだけなんじゃないかって、そんな考えばかりが頭をグルグルとよぎる

次第に体調を崩し始めた。不眠と食欲不振、そして胃の痛みばかりが続く

僕は彼女に思っていたことを打ち明けた

「もう待ってるのは辛い。先生にハッキリと話をしてくれないか

『待ってるからあの日そう言ったのは自分だったのに、僕は約束反故にしてしまった

一日かけて彼女から先生へと別れを告げたという内容のLINEがきた

いつもの彼女文体とは異なる、事務的な文面

まるで親から叱られた子供がしぶしぶと宿題をこなしたような、そんな不服さを文面から受け取ってしまった

しんどいので1~2週間放っておいてください』

望まぬ形で別れを告げさせられ、気持ちの整理がつかないであろう彼女からそう送られてきた

そして1週間もせずに僕は別れを告げられた

今もどこで道を誤ってしまったのか、正直そう考えてしま自分がいる

別れてから僕は自分を見失い、とても彼女を傷つけるようなことをしたし、カフェイン錠剤で自殺を図り失敗した

振られたぐらいで死のうとするなよ、そう思う人がいるかもしれない

ただ、20数年抱えていたトラウマを受け止めてくれた相手から突然見捨てられてしまったのだ

彼女によって心の隙間に流し込まれセメントを、すべて取り除かれ、元あった穴より広がってしまったような気分だ

僕が彼女に対して甘え過ぎていたのかもしれない

2月以降、彼女に対して抱いてたのは本当に愛情だったのか

自分を救ってくれたと思った相手に対する依存だったのか

今も答えが出ないでいる

そして僕は今日も心の傷跡を掻きむしっている

から、誰か僕を殺してくれないか

2020-07-30

いじめの何がほんまのほんまにキツイかってーと

周りの人間が「あっこいつは雑に扱っていい人間なんやな」ってなって別にいじめ受けてる(に近い疎外を受けてる)人をなんとも思ってない人たちも雑に扱っていくこと。

ギリそのいじめられてるやつをいじめてる、又、嫌ってる人のグループにいる人間ならわかるけど(そこの中の人関係もあるだろうしね)、同コミュニティほぼほぼ関係ない人まで挨拶しなかったり悪意あるイジリみたいなのし出すのほんとキッツイ。

学校でも職場でも、されるのはもちろん、見てるのもキッツイ。

帰り際とかに誰にアピールするわけでなく、ナチュラル挨拶無視したりわざと配ってるお菓子あげなかったりするあれよ。

ほんまキッツイ。別の職場でされたこともあるし、今はまた見てる。

いやほんとさ、そんな一貫してツンケンできるやつ本当体力とか気力とかあんなぁ…と思うわけですわ。

事務的に全体的に「お疲れさまでーす」には「お疲れさまでーす」ってやまびこみたいに返してる方が楽じゃん。

そういうやつが保護犬やら保護猫やら子供権利やら弱者に寄り添う、的な話してる時「そういうのもいいけど、挨拶くらい返してやれよ」って言いたいんだけどね。

でも言ったら次私でしょ。それは避けたい。

何度も言うけど体力気力ないからさ。

私にできんのはこの胸くそ悪い感覚を感じつつにやまびこ挨拶続けるくらいだよ。

何なの?あのアンタッチャブル存在にあえてしていくいじめの燃料的な人。

いじめ自体が低レベル唾棄すべき行為なのは当たり前の話だけど、ほんとに理解不能なのはこういうタイプ人間よ。

別にさ~仲良く飯食えとまで言わないけど挨拶くらいしようや。もうそんなの努力とすら言えないじゃんよ。お菓子グループ内だけで回すか箱でおいといて取ってくださいって書いとけ。

そういうのすら出来ないほど迷惑してんなら本人に苦情申し立てしろよ……。

私みたいにそんな体力も気力も勇気もありませんってんなら大人しくやまびこみてーに挨拶しとけって思うわけです。

腐女子ってやっぱりBLに興味ない人間BL描いてたら分かる物なのかな

例えば男性向けエロ漫画だと「あ、こいつエロに興味ないのにR-18だと売れやすいから描いてるな」って作家も時々分かる。

女性漫画家が小遣い稼ぎにエロ漫画を描いてる時なんかは特にそう思う。事務的リビドーを感じない奴。

同じような事が女性向けエロ漫画の最大ジャンルであるBLでもあるんだろうか。

「あ、こいつ男同士である事にはあんまり興味ないくせにとりあえず読んでくれる人が居るからBL描いてるな」って人。

2020-07-19

anond:20200719195834

お見舞いを申し上げますって国会でも言ってるよね

すごく事務的に心がこもってない風に言う

でも言わないとヒゲみたいなのが切れるから無駄虚礼が増えていく

2020-07-18

ルーチンワークが苦手

週数回、月数回、決まった書類を作る、メールを出す等の事務的ルーチンワークが嫌いだ

自動化できたらいいのだが中々そうもいかない事情がある

物事を後回しにする、期限ギリギリにやるというADHD特有のアレである

Googleカレンダーリマインダーをセットしても通知が来たところで

現在作業から優先順位を変えられずいつの間にか忘れ去られている

薬を飲み始めては少しマシになったが怠惰性格までは変わらないから難しい

2020-07-17

「ごめんなさい」より「申し訳ありません」が言いやす

自分言葉じゃないから。

テレビとかで事務的に言っている感じをずっと見てきたからか

他人のした行いに対してでも「申し訳ありません」って頭下げられる。


でも、「ごめんなさい」はできない。

2020-07-16

anond:20200716041434

上流ではあまり親子の縁は切るを聞かないな

せいぜい死ぬまで会わない程度では?事務的手続きが出来る状態にはなってる

  

親子の縁を切るは文字通り戸籍を抜いちゃう。そして連絡先も教えないので連絡取りたくなった時は興信所必要になる

5chで見た強烈なヤツは子をホームレスにしたな

2020-07-15

人と喋るっていいもんだな

最近仕事事務的な会話しかしてなかったから忘れていた

ストレスが解消され、肯定的楽天的な気分になり、明日への活力が湧いてくる

2020-07-14

友達がいなくてよかった

31男性独身

ファッション

私服ユニクロはおろか高校の頃母親スーパーで買ってきた謎のメーカーシャツすら現役。

気温が15度を超えたくらいから靴は完全にサンダルに移行、ズボンも全部短パンにする。スネ毛は剃ってない。

冬場はダウンジャケット(安物で、毛羽立ってきつつある)で上半身を覆い隠す。

スキンケアスーパーで一番安い洗顔剤(すげえくさい。マジでなんの臭いかわからなくて不気味)を買って使ってる以外はなにもしてない。肌は普通に汚い。

 

お金の使い方

マシ。あんまり使わない。

趣味ゲーム映画鑑賞あたり。といってもゲームはどんどんやる体力が無くなってきて、積みゲーをするタチでもないのでやらない分だけ買わなくなってる。PCゲームちょっと嗜むが、パソコンが低スペックなので遊べるのはごく限られた作品のみ。

映画も好きだけど、映画館は高いし遠いのでNetflixに頼りきり。引越しを機にテレビを廃したので地上波でやってる映画番組を観なくなってしまった。近所のTSUTAYAが潰れたというのもあり、映画は専らパソコンの画面で観ている。ボーッとしていて聞き逃してもすぐ巻き戻せるのがいいね英語字幕翻訳字幕を比べやすいのもいい。

 

●落ち着き

 常にひとりでいるから落ち着きもクソもない。職場事務的やりとりで終わる雰囲気だし、飯もひとりで食ってる。会話というものをしないので自分の口調すらよくわからん。(この文章意図的ぶっきらぼう感みたいなものを出しながら書いています。なぜ?俺にもわからない)

Twitterは一応やってるが、リプライほとんどしない。まれに誰かが飛ばしてきたら「その通りですね」みたいに適当同調するか、ファボだけつけて終わりにする。

 

32歳腐女子エントリをみて「うわ、俺もアカンやんけ!」と思ったものの、恥じらうべき対象特にいない。学生時代友達とはもう何年も連絡をとってないし、職場では会話らしい会話をしないし、ネット友達もいない。

マジな話、俺にとって社交の場は増田だけだったりする。この匿名の後腐れのない感じが肌に合うし、逆に他のあらゆる顕名サービスは肌に合わないような気さえする。

なにが言いたいかからなくなってきた。つまり、俺は中学生みたいなファッション無趣味・無コミュニケーションっていう結構アカ暮らしをしてるんだが、友達全然いないせいでそのヤバさというものを実感していないってことだ。

というか、別に気にしなけりゃいいよな。汚ねえオッサンだと思われるなら思われればいいし、孤独死する異常独身男性と哀れまれようと俺がいまの暮らしの中で感じている楽しみは(少ないが…)揺らがないわけだ。

友達がいなくて良かったと思う。自分客観視する社会的視点というものがないか特に危機感なく暮らすことができている。寂しさは増田癒してくれる。ありがとう増田。愛してるぜ!

2020-07-13

××さんだから、ってなんだろう。

人達が私の目の前を歩いている。楽しそうに話しながら。私はその後をついていく。広い歩道に出たので、反対方向への歩行者確認してから横に並ぶ。会話に相槌を打つ。ねえ邪魔になるよと言われる。私は後ろに下がる。2人が並ぶうしろを歩く。

私はどこでも通行者の邪魔をしてしまうらしい。博物館美術館へ行く。列に並んで展示物を見る。導線を遮っていると注意される。あれすごいねと胸の前あたりで展示物を指差してみる。指なんか出してつつく気?触っちゃだめじゃんと注意される。

展示物を触るわけがない。触ったこともない。

また別の友人だが、待ち合わせで人混みの中にその人を見つけて手を挙げて合図した。なんどか待ち合わせして、ナチ式敬礼の真似をやめろと言われた。

以来、手を振るのがこわい。

何故だかいつもひとりになる。いつの間にか会話から弾かれてしまう。いつの間にかフォローが切られる。いつの間にか誘っても断られ、同じ場所を別のひとと訪問される。目の前で、極端なときには私を挟んですわって頭越しに、私には分からない会話をされる。私が薦めても本も映画舞台も展示も流されるが、別の人からだとすぐに反応する。

特定のひとりではない。私の友人は皆が皆、知り合った当初はともかく、いずれこうなる。そして、互いに面識もないのに、××さんだから仕方ない。と口を揃えて言う。こうも大勢が言うのだから、私に非があり、原因があるのだろう。そこははっきりと明確だ。

レスポンスが返らなくなった友人に、まただ。とまず思った。なにを私はやったんだろう。質問に答えた。不明な点があったかこちから質問した。そこで途切れた。事務的なやりとりだったはずだ。どこがおかしいのか。DMログを見てもわからない。

最近他人と話すのがおそろしい。このひとだっていつか半笑いで××さんだから。と言うのだろう。私を介して別の私の友人と仲良くなって、その友人とふたりで談笑しながら歩くのだろう。ある日突然、Twitterアカウントをブロ解するのだろう。そのたびにいいとしをして泣きたくなって途方に暮れるとわかっているのに、それでもあのひとと話したい。怖くてさみしくてどうしてよいのかわからない。

2020-07-01

彼女自分意見を表明しようとしない

彼女は何かに対して根拠のある価値判断を下せることを知っている(匿名でそうしているのをうっかり見たことがあるからだ)。

一方で、自分意見SNS等の知り合いが見れる場所で表明しているところを見たことがない。それどころか、意見表明ですらない事務的文章でさえみられるのを嫌がる。

文章作成に対してコンプレックスがあるのだろうか?意見を言うことにダサさを感じているのだろうか?

どういう心理でそうしているのか聞いてもなんとなく嫌としか言われない。自分はそういうスタンスをまったく取らないので、正直理解しがたい。

彼女にその態度を改めさせたいわけではないが、いろんな事物に対して何を思っているかは知りたいし、意見を交わしてみたいと思っている。

2020-06-29

anond:20200629221100

あれ、夫を攻撃してるんじゃなくて

会話すると自分が傷つくから身を守ってるだけでしょ

読解力がない

現実だと6年も無視し続けられるのはリアリティがなくて

事務的な会話はするがそれ以上の会話はない」とか

子供の前では仲良いふりはするが子供がいないと会話がない」とかだと思うけど

そこは漫画としてのデフォルメだろう

あと6年経たせてる意味もありそう、今後の展開で子供が大きくなってる事が必要だとか

(単に離婚するにしろ再構築するにしろ、6年もかける必要ないもんな)

2020-06-26

anond:20200626165640

説教になる。つまり年上とか目上かよ。

そうなるともう話を諭そうとか、相手コントロールしようとすること自体うまく行かなくてあたりまえなので、仕事必要なことだけ事務的にしておけ。チームを良好にまわすのはお前の上司仕事で、その人の人格を良くするのはその人の親の仕事で、全てはお前の責任じゃない。

2020-06-24

anond:20200624153323

セクシーキュンキュンするような雰囲気を作るのは相手判断力を鈍らせる危険があるので

極力事務的にやってください

2020-06-02

anond:20200602021351

ほぼ確実なこととしては

先進国での人口減少

自動運転車の普及、自分運転する人は趣味の人だけ

シンギュラリティはまだ起きない

とはいえ事務的仕事作業書類手続きみたいな作業はほぼ消滅

内科医はほぼ失業

・手足や内臓の交換ぐらいは普通になる

ありそうな話としては

自動車運転関係失業者の受け口

バーチャル空間での生活時間が大半になる

薬局ドラッグストアは衰退、届けるほうが主流になる

宇宙開発は思ったより進まない、技術より物理的な問題と金がかかりすぎる、人工衛星は激増するだろう

2020-06-01

事務手続きが苦手すぎる

重要な書いてあるメールが胸が苦しすぎて開けない

機械的に生成されたものでなく、他人自分のために手を使って書いてくれたメールとか特に

開きたくなさすぎてかれこれ数時間スマホ数独を説いている。

別に数独がやりたいわけじゃない。メールを開きたくなくてそれ以外のことも何もしたくないだけだ。

スリップダメージがずーっと続いているような感覚でただただ胸がチリチリする

かい感情か抜きにして事務的メールを開き、事務的にわかっていることを書き、わからないことはわからないと書いて返信すればよいのだ。

メール相手もそれで助かるのだ。

でも胸がチリチリして体が動かないんだ。多分発達障害的な何かなんだろうな。

望んでやっていることなのに、手続きが少しでもイレギュラーになった途端すべて投げ出したくなるこの感じ。

とりあえず増田に書くことで数独をやめることはできたから、部屋に掃除機をかけてコーヒーを入れよう。

カフェインを摂りながら勢いでメール開封しよう。

2020-05-18

てんしとあくま川口さんが亡くなったことに関して

お笑いは好きだが関東在住のため、俗に言う「関西お笑い」にはあまり触れていなかった

レースで決勝に行った大阪よしもとの芸人テレビで見たり、そこからYouTubeで周りの芸人ネタを発掘してみたりするぐらいだった

てんしとあくま」の存在自体は多分6、7年前くらいかぼんやりと知っていた

M-1キングオブコント上方漫才大賞などの賞レースでちょいちょい名前見るな〜という程度の認識だった

2015年の「おもしろ荘」で初めて地上波ネタを見た 面白かったという記憶はあったがどんなネタだったかは忘れた

今年3月の「ザ・ベストワン」でもネタを見た これも面白かったんだけど次の日にはもう忘れていた

漫才劇場(俗に言うマンゲキ)にレギュラーで出演されていたらしいから、関西劇場に通うファンならお馴染みの存在だったのかもしれない

関西のよしもと芸人によくいるネタはどれも水準を保って面白優等生タイプ、でも平場を見なければインパクトに欠ける、ただハマる人はめちゃくちゃハマる、ハマらない人にはすぐ忘れられるという印象だった

最近若手芸人にいるような「チャラ男で派手なパリピ」「元消防士から芸人に転身」「芸人と並行して税理士をやっている」といったキャラ付けも無かった

ただただ、ネタをやるだけの芸人

そんな芸人ごまんといる そういう人らに限ってネタ面白くて、でも世間評価はされない

から二日前、ツッコミ川口さんの訃報ネットニュースで知るまで久しく「てんしとあくま」の存在は頭からサッパリ無くなっていた

サッパリ無くなっていたというのに、衝撃だった

「えっ!?」と声を出してしまった

36歳の若さで、持病の内臓疾患で急逝だそうだ

数日前までは他の芸人リモート配信に元気に出演していた

てんしとあくまがそんなに印象に残っていなかったただの一お笑いファンだったはずなのに、泣けて泣けてしかたなかった

てんしとあくま真剣応援していたファンの方の気持ちなんてこんなもんじゃないだろう

他の芸人Twitterの呟きも見たが、「まだどう受け入れていいのかわからない」というものが大半だった

訃報が出たその日に行う予定だったZOOM配信生放送が次々と中止になった 「諸事情により急遽中止します」という事務的な連絡で

なんだろう、対して追ってなかったはずだったのにこの喪失感

心にぽっかりと穴が開いたような、ってこういうことか

その日のうちにYouTubeてんしとあくまネタを見た

ああそうだそうだ見たことある、と思い出せるものばかりだった チューリップ漫才椅子コント

面白いなあ

今まで頭の片隅にぼんやり存在していたてんしとあくま存在が急激にはっきりとした輪郭を持ち始めている

いやなんでだよ M-1決勝進出かにしてくれよそういうのは なんで訃報なんかで初めててんしとあくま存在をはっきり意識しなきゃいけないんだよ

今も頭の中が川口さんのことで埋め尽くされている 対して好きじゃなかったくせに

36歳なんてまだこれからだよ

M-1だってまだ出場権あったのに

一人の芸人が亡くなったんだなあ

うわなんかすごいやだな

ちゃんと生でネタたかったな

2020-05-04

コロナ流行ってからのほうが人と話す機会が多い。

コロナ流行ってみんなが引きこもるようになり、友人と会話する機会が増えた。

もともと自分は在宅でたまの事務的なやり取り以外ほとんど他人接触することのない仕事をやっている。

別に他人と話すのは嫌いではないというか、むしろ好きなのだけれど、口からことばを吐き出さないと死ぬといった性分でもないうえにそもそもが極度のめんどくさがりなので、対人関係コストをあまり払わなくていい生活に落ち着いてから、気づいたら一週間誰とも喋っていないのがしょちゅう、そんな日常になっていた。


ところが、最近は友人とよく話す。

discordzoomskype といったアプリを通じてオンライン飲みや読書会ゲーム会やただの雑談に誘われまくる。

コロナ以前の彼らとは主にSNSLINEを通じた文字ベースのやりとりを交わしていたのだけれど、今はむしろ音声会話の比重が高い。

おそらくずっと引きこもり自粛生活を強いられるのは相当なストレスなのだろう。

家庭持ちならパートナー子どもと話せるじゃんと独り身の自分などはおもうのだが、そういうひとたちもやはり「外」と接触できないのは不満らしい。

ゴールデンウィークも連日ずっと友人たちと駄弁っている。

ひょんなきっかから友人の友人まで参加したことで、うかつにも交友関係が広がりさえした。


なんというか、コロナのおかげでちょうどいいかんじに楽しく過ごせるようになってしまった。

よく考えればコロナのおかげというより電子機器類と通信技術の発展のおかげというべきだろうし、たとえコロナのおかげだとしても自分申し訳なく感じる必要はないのかもしれないが、それでもうっすら後ろめたさのようなものを抱えてしまう。そんな今日このごろである

2020-04-22

上京するときに夢を持ってこなかったので持ってきてたら結婚くらい出来てたのかもしれない

横浜会社就職して勤務地が東京なので事務的上京しただけで東京でコレをしたいみたいな夢が無かった

2020-04-13

死んでほしいと思っていた同級生が死んだ

どんな人でも、理不尽な扱いや嫌がらせを受けたり、人間関係金銭など諸々のトラブルに巻き込まれたりして「こいつ嫌い!死ねばいいのに!」という感情になることはあると思います

私は高校の頃「嫌い、死んでほしいくらい嫌い」と思っていた同級生がいました。

その方が去年、自殺したということを知ったので自分用の記録として書きます

亡くなった人をAさんとします。

Aとは高校で同じ部活に入ったことで知り合いました。

違うポジションクラスも違っていたので1年生の頃は特に関りもなく、休憩時間や移動時に隣になれば世間話をする程度の関係でした。

しかし、2年生になる直前の春休み事件は起きます

Aさんともう一人(Bさん)が率いるグループ(X)が部の雰囲気を悪くしているということで、部全体を巻き込むトラブルになりました。なぜXグループが部の雰囲気を悪くしていたのか、その原因はほぼ忘れてしまいましたが、「課題を提出出来ずに居残りになるのがなぜ悪いのか」と開き直って、真面目にやっている人が割を食うみたいなそんな感じだった気がします。

一応県ではトップの強豪校で目指せ全国!って感じの部だったので、居残りや遅刻にはものすごく厳しく連帯責任があるほどでした。とにかく顧問権力が絶大で、口ごたえすればめちゃくちゃに怒鳴られますし、私含め皆洗脳されていたと思います

その事件については部全体での話し合いで一応解決しました。その後、トラブルは度重なり、Xグループと他グループ対立したり、それきっかけでBさんが退部したりと色々ありました。2年になると私は部長候補、Aさんは副部長候補となり、表面上は事務的普通に接しているけど、お互いあまり良く思っておらずなるべく関わり合いになりたくないという感じでした。

Bさんの抜けたXグループはその後もイケイ路線を貫き、全体としてはまとまっているものの各々では不穏な雰囲気が漂っていました。3年生が引退して代替わりすると、私は部の雰囲気に嫌気がさして部長になることを辞退し、XグループにいたCさんが部長、私とAが副部長になりました。

その後は割と平和でしたが、CさんとAさんが裏で結託している様子、私がXグループで叩かれている様子は分かりましたし、常に2対1になってしまます。私だけならまだしも、その他の真面目に勉強練習している人を馬鹿にしたりするのは本当に呆れましたし悔しかったです。その他も最終下校時刻を守らない、放課後マックで騒ぐなど小さいトラブルもありました。しかし「決定的なトラブルいじめ」というものはなく、常に冷戦が続いていたと思います

結局3年生になった私たちの代は成績も残せずさっさと引退しました。さらに言うと、Cがトラブルを起こし、途中で私が部長をやる羽目になりました。これがものすごく屈辱的でした。今更部内改革を起こす気にもなれず、そもそも3年生になってからは部や競技のもの情熱を持てなくなっていてさっさと負けて引退したいという気持ちでいっぱいでした。

また3年生ではAとBと私が同じクラスだったのでその二人がウェイウェイしてるのを常に目にする状況でした。これが一番きつかったです。

Bさんに対してはいい印象が全くなく、しかし今思えば「嫌いになるような痛烈な事件」というものもありませんでした。ちいさなイライラが少しずつ積み重なって心から「嫌い、本当死んでほしい」と思うようになりました。

卒業するころになると、Xグループはほぼ全員受験失敗(Aは志望を下げて合格)、私は皮肉なことに部活の成績(あとは普通に評定も良かった)で推薦で大学に受かりました。

やっぱり最後努力したものが勝つのだなぁとちょっと見返した気持ちになって大学進学をしました。


そのあとはOBとしてたまに手伝いの要請が来るくらいで、私は進学先が遠方だったこともあり会うことはほとんどありませんでした。

大学進学後に困ったことがありました。AとXグループに陰口をたたかれたり嫌がらせを受ける夢を何度も見るのです。3年の時は部活を辞めたくて辞めたくて仕方なかったため、自分は春に退部したという設定で「途中で投げ出した弱虫」みたいに陰口を言われてました。

これは社会人になっても続いていて、自分の中で相当トラウマになっていたのだと思います

そして25歳のある日、SNSの「知り合いかも?」にBが出てきました。なんとなしに眺めていると、「Aが死んだなんていまだに信じられない」という投稿がありました。投稿を遡ると去年亡くなったようでした。親切なことに死因が自殺であることと、精神を病んでいたらしいことが書かれていました。実家電話してOB会の名簿を確認すると、Aの名前がなくなっているようなので本当らしかったです。

Aが死んだ。その事実に対して割と何とも思わなかったのが正直な感想でした。

名前しか知らない同級生引っ越したくらいのどうでもいいような内容に感じられました。

そのあと「あぁ私はきっと過去のAの記憶から解放されるのだな」と安堵しました。

悲しい、という気分にはほとんどならなかったです。

BがAの死について苦しんでいる様子がSNSを通じて伝わってきたので、正直そこは「ざまぁ」と仄暗い喜びを感じました。

しかし、Aは私の苦しみを知らずさっさと人生リタイヤしてしまったのだな、と思うと「ずるい」と正直思います。でもAはAなりに色々あったようなので、そこは少し気の毒だなとは思います

高校卒業してAは自分の中で完全に過去の人になっていて、大学研究なり仕事なり「今の世界には必要ない人」になっていたからこんな軽い感情の動きで済んだんだと思います

それが大学卒業直後やトラブルの渦中だとしたら、また違うと思います

結論としては「時間の経過は偉大だ」ということです。

しかし、今現在進行形で「死ねばいいと思っている人」がいる人に「時間がたてば、どうでもよくなるよ」なんてことは言えません。これはあくまで私の例で、その人の感情には全く当てはまらいからです。

しかしその「死ねばいい」という気持ち否定しないでほしいです。それは自分が嫌なことを嫌ではないと否定することになると思うので。あんまり周りの人に吹聴するのはその人自身立場が悪くなるのでおすすめはできませんが。

その後、高校時代悪夢は見ていません。

2020-04-09

終活別に悪いことではないが元増田の何かは悪かったんだろう

anond:20200409035606

元増田は「お前は悪くない!」て言って欲しいんだろうけど、お兄様に対して何かは悪かったんだと思われる。

ただ、親の遺産だとか入院方針だとかに、遠隔地の、普段介護かにかかわってない親戚が口を出してきて揉めるのはあるあるネタ

普段から接してるとむしろ老いや死をいつもどこかで意識するので、感情とは別に事務的にやることはやるモードになるんだよな。

終活程度でその調子だと、親御さんが入院した時の延命方針や亡くなった時の遺産の処理に超揉めることが予想されるため、録音か書面で親御さんの意思(まあ、遺書と言ってもしれんが)を用意しておくのと、今回はそん時への練習だと思ってお兄様への対応を色々試してみるんだね。

  

合言葉は「口を出すなら金も出せ」だ。頑張って欲しい。

2020-04-03

anond:20200403171945

横だけど、事務的一定水準の減収世帯対象にするってなったら、そこが基準になるだろうよ

それ以外の基準なんてどうやって引くんだって

2020-04-01

来るべき日に備えよ

それは突然風俗に行きたくなったときだ。

風俗に行きたいときと行けるときはたいてい一致しない。

お金があって、スケジュールがあって、メンタル調子がいいときはなかなか来ない。

それで、いいタイミングがやってきたときに限ってどんな女の子がいいか選択できない。

もうムラムラして焦ってしまう。

そうなんだよ、日ごろのからサーベイストック大事なんだよ。

風俗探求と採用人事は似てる。今回のテーマ(低身長貧乳とか)を決めデータを突き合わせて苦渋の決断をして候補順位をつる。

二次選考写メ日記だ。まず書いていない人は情報不足からダメ事務的でも定期的に書いているひとは比較的ハズレが少ない。

電話をするとたいてい第一候補は予約で一杯だったり、スケジュールが合わなかったりする。

第二、第三候補妥協するとずっと不完全燃焼感が残る。

日ごろの調査大事なんだけど、風俗のページを見ていると行きたくなるのが難点。

からうっかり風俗に行きたくならないように風俗情報は見ないので、結局ストックは増えない。ここが問題

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